この本はタチヨミ版です。
アパート三階、ここは地獄。
<学内発表作品・小説>
「ようこそ地獄へ」
街に出た時、太陽を遮るほど、空へと高く伸びるオフィスビルやホテルを見ていると、そこから地上を見下ろしたら、さぞかし気分がいいのだろうな、とおもう。そこに光を届けられる建設物も、何か別の次元にあるようだ。アパートの三階にある俺の部屋の明かりなど、あのホテルからは塵以下の存在だろう。それ以前に、塵以下、という例えを使っていることすら、おこがましいとさえ感じる。
冗談を交えながら自宅のドアを開けると、瑛二とその彼女のサガラさんは、「地獄で大満足」と笑った。我ながら意味不明のギャグだったが、そんなものでもリベロのように拾ってくれる奴等で助かった。
実際、ここは住むには困らない。駅から徒歩十分程度で、アパートの前にはコンビニがあり、安いスーパーも駅前にある。家賃もとても安いというわけではないが、苦しくなるほど高くもない。三、四駅先にはオフィス街があり、ここからでもビルが、積み上った棒グラフのようによく見える。この棒グラフという表現は、部屋に入り、正面にあるベランダの窓を見たサガラさんの第一声だ。この付近は、視界が遮られるほど高い建設物がないため、向こう側がよく見えるのだ。それを訊いた瑛二は、「部屋の感想じゃないのか」と彼女を小突いていた。俺は、口には出さなかったが、その例えを気に入っていた。
サガラさんとは、瑛二を介して話すことはあるが、一対一で話したことはほとんどない。瑛二が席を外した時くらいだ。そんな彼女が、瑛二と共に俺の家に泊まりに来ているのは、実に奇妙な話だった。そもそも、泊まるなら二人でホテルにでも行けばいい。俺を混ぜる意味がよくわからない。しかし、俺の家で、泊まり込みで飲まないかと話をされた時に、とりわけ嫌だともおもわなかったため、二人の提案を承諾してしまったのだった。
瑛二とサガラさんは、酒を飲み、散々はしゃいだあと、ばたりと倒れて寝てしまった。座布団を折り曲げ、大人しく寝ている姿は、先程の様子とは正反対で、同じ人間なのかを疑うくらいだ。
瑛二は水割りを作ろうとして水を溢し、慌てたせいでスナック菓子まで落とすという二次災害を引き起こした。ぐちゃぐちゃに濡れたスナック菓子を片したのは俺だけで、何故か瑛二は、身体を少しでも動かすまいと身を固くし、か細い声で「ごめん」と謝った。サガラさんはポッキーを食べながら「瑛二は本当に子どもだな~」と笑っていた。その口の横に、溶けたチョコレートが付いていたが、気付かないふりをするしかなかった。
サガラさんは服がシワになるからと、着替えを持ってきているにも関わらず、勝手に俺の部屋着を着て大笑いしていた。さらに、彼女は部屋に入るなり、お土産だと言って俺にシャボン玉を寄越してきたが、気付いたらそれをベランダで吹いて遊んでいた。瑛二は「俺は昔、シャボン玉がうまく吹けなくて、逆流してきたシャボン液をよく飲んでた」としみじみ語っていたが、俺は「そうなんだ」としか言えず、微妙な空気を作ってしまった。
二人を見ていると、遠慮しようという気持ちがなくなる。こいつらは本当に自由だな、と呆れそうにもなる。だから居心地がいいのかもしれない。
強面でドジだが、面倒見のいい瑛二と、明るく、よく突拍子もない行動をとるサガラさんは、なんだかんだバランスが取れている。時々、二人の輪に俺が入ることを躊躇うくらい、完成されている。
俺は、二人が一緒にいるのを見かけると、なるべく声をかけないようにしているのだが、大抵向こうが俺を発見し、声をかけてくる。それどころか、俺を真ん中にして歩き出すものだから、どのタイミングで端に行くか、考えなくてはならなかった。
タチヨミ版はここまでとなります。
2015年7月29日 発行 初版
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