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彼女は何故この世に生まれてきたのか
彼女にとっての家族とは、愛とは何なのか。
独裁政権下の時代で生まれた1人の
少女ゾフィア。レピドプテラの新たな
羽ばたきが今始まる


本作は、2014年に発売された「WAS~レピドプテラの砂時計~」同人ノベルゲーム
に続編で登場予定の新キャラクター「ゾフィア」に関する過去の物語となります

本作に登場する時代設定や年歴はゲーム内での世界観を基準としております

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ゾフィア運命の分かれ道

Schwarz

S.R.L



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かみさまなんて、いないんだ。
 ねぇパパ、そうだよね?




 ――をたすけてくれるひとも、いないもんね?




 これは、壊れゆく物語。
 ある幼い少女を取り巻いていた日常と――その、心が。




  この国の冬は寒く、夜は星の光も見えないほど暗い。
点いたり消えたりを繰り返す灯りに照らされた食堂は、真冬だというのに
暑さすら感じるほど息苦しかった。暖炉には形ばかりの火が燃えてはいるが、
そのせいではない。

      多すぎるのだ。子ども達が。

物心ついたときから六歳になる今日までずっとここにいた彼女が知る限り
でも、子ども達の人数がこんなに増えたのは初めてであった。もっとも
彼女の記憶にある限り、減ったことなど1度もない。
成長して、あるいはそれ以外の理由でここから誰かがいなくなれば、すぐに
誰かがやってくる。
誰もいなくならずとも、子どもが増えることはしょっちゅうだった。
ここが『孤児院』と呼ばれていて、親のない子が暮らす場所だというのは
ゾフィアも知っていた。知らざるを得なかった。
大人達――孤児院の職員達は愛情ではなく、家畜を管理するかのように
子ども達を扱うから。
「先生、椅子が足りません」
立ちっぱなしの二人の子どもを見てそう声を上げた年長の少年に対し、職員は
自分の食事から顔を上げもせず「物置から取って来い」と命じた。ここの椅子はひどく硬い木でできていて、ゾフィアにとっては大きすぎ、大柄な職員の返事に小さくため息をついた
少年には小さすぎる。それでも、この椅子がなければ落ち着いて食事もできないのだ。
「取って来るから、みんなを待たせておいて、マリチカ」
「良いわよアンドレイ、いってらっしゃい」
アンドレイと呼ばれた少年が開いた扉から、忍び込む冷気。ぶるりと傍にいた何人かが身を震わせ、その中の一人がごほごほとひどく咳き込んだ。大丈夫、とゾフィアが声を掛けようとした、その瞬間。
立ち上がった二人の少年が、左右から彼の椅子を強く引く。
「出てけよデビッド、病気が伝染ったらどうするんだ」
「げほ、ごほっ!? ちょっと喉に詰まっただ……ぐぁっ!」
少年達が自分の口を手で塞ぎながら、デビッドを椅子から蹴り落とす。床に背中をぶつけた衝撃でさらに咳が酷くなった彼の両腕を、二人が片方ずつ掴んで扉まで引きずると、氷のように寒い廊下へと放り出す。
その時椅子を持って帰って来たアンドレイは、何事もなかったかのように扉を閉めた。
「椅子、取りに行かなくても良かったな。まぁいいや、食事の前の祈りを頼むよマリチカ」
その言葉に頷いて手を組み合わせるマリチカに合わせ、子ども達は一斉に祈りを唱える。
祈りの声で、扉の外から聞こえていた咳の音がかき消される。
「……では、いただきます」
「いただきます」
子ども達と声を揃えて言うと、ゾフィアは急いで目の前のパンを掴み、かぶりつく。
デビッドのことは気になったが、今は倒れそうなほど空いた腹を満たすことの方が大事だった。それに、彼等の意に沿わぬことをするのは、何かとても悪いことだとも感じ取っていた。
「もし肺病だったら、あたし達まで迷惑するからね」
誰かが、何かに言い訳するように呟いた。それが一体誰に向けられているのか、知らぬまま誰もが頷いて、そして量も栄養も少なすぎる食事に没頭する。
「ゾフィア、ほら、ほっぺたにスープが跳ねてるよ」
一足先に食べ終わり、食器を片付けに行く途中で肩を竦め彼女の頬を拭うのは、さっきデビッドをゴミのように投げ捨てていた少年だ。
その手も、表情も、同じ施設で暮らす家族をあっさりと見捨てた少年と同一人物とは思えない。少しだけ、それが怖いと感じた気持ちを、ゾフィアはそっと打ち消した。
「ありがとう、リュシアン」
パンを頬張りながら礼を言えば、くすと笑って彼は頷く。
けれどその顔が、アンドレイの一言で緊張を帯びた。
「ヴィジランテス団員は、『あの部屋』に集合だ。先に向かう者は、『アレ』を運ぶように」
「了解」
少年達の声が不自然なほどに揃い、一人、また一人と食事を終えて食堂を後にする。
まだ体も口も小さなゾフィアがようやく食事を終えた時には、もう食堂には彼女よりも年少の子ども達やそれを手伝う年上の少女達、そして暖炉のない寝室に引き取る前にこの部屋で暖を取る子ども達ばかりが残っていた。
男女で分かれているだけで詰め込むようにベッドの置かれている寝室は、とっくに電灯も点かなくなっていて、本当に寝ることくらいしかできないのだ。
「就寝時間だぞ」
けれど職員が無造作に告げれば、年長のマリチカに連れられて全員が寝室に引き取らなければいけない。
ゾフィアが皆と一緒に寒い廊下に出た時、そこにはデビッドの姿はなかった。
こんなことは、今までになかったわけではない。彼らはいつもいつの間にか
いなくなって、そして、いつも――。
「ゾフィ、どうしたの?」
立ち止まってしまった彼女に気付き、戻ってきたマリチカが声を掛ける。まだ幼い紅色の瞳が、真っ直ぐに穏やかな年上の少女を見上げる。
「デビッドは、どこにいったの?」
「さぁ、寝室に戻りましょう」
目を細めて微笑んで、けれど質問がなかったかのように振る舞うマリチカに、ゾフィアは何も言えなかった。
ああ、これはきっと、聞いてはいけないことなのだ。
差し出された柔らかな手に、小さな手を重ねてゾフィアは大人しく連れられていく。通りかかった少年達の部屋のベッドは半分以上空いていて、まだ戻らぬ主達を待っているかのようだった。

翌日、朝食の時間になっても、デビッドは食堂に現れなかった。
いつもそうだ。こうして前日にいなくなった子ども達は、二度と戻って来ない。頻繁に起こることではなかったけれど、例外はなかった。
「ふぁ……マリチカ、食事の前の祈りを頼む」
あくびを噛み殺しながら言ったアンドレイに、マリチカが頷いて祈りを捧げ、一瞬遅れて子ども達の声が唱和する。いつもと同じ光景は、ただ年長の少年達の多くが目を擦ったり口元を押さえたりと眠そうにしていることだけが違っていて――他の誰かが戻ってこなかった時と、同じ。
彼らが一体どうなってしまったのか――誰も、教えてくれない。
朝食を終えて学齢前の子ども達が過ごす遊戯室に向かう途中、ふとゾフィアは足を止めた。
「……はい、はい。ええ、ベッドが一つ空きましたので、一人でしたら受け入れは可能です。……はい」
普段は子ども達が入ることの出来ない部屋からの声に、そっとのぞき込めば電話と向かい合う職員の姿が彼女の目に入る。
マリチカがいつもその小太りの大人を遠くから指差して、「あの人に近付いてはダメよ」と小さな女の子達に言い聞かせていたことも、頭から消えてしまっていた。
ただ、この人は、もうデビッドが戻って来ないということを知っている。

――どうして?

カチャン、と電話を切った職員が振り向いて、戸口で覗き込むゾフィアの姿をなぞる様に見つめ続けじゅるりと舌なめずりする。
「どうしたんだい? この場所は、子どもが入っちゃいけないよ?」
よだれでも垂らしそうな様子で近づいてくる職員の名をようやく思い出して、はっとゾフィアは口を開く。
「ブラッド先生……デビッドは、どこに行ってしまったの?」 
「教えてほしいのかい?」
再びぬめりと舌が上唇をなぞる。脂ぎった肌とにやついた時の薄汚い歯が気持ち悪かったが、それよりもデビッドの行方が気になって仕方なかった。
「じゃあ、おいで……特別だよ」
にやりと笑みを浮かべた職員ブラッドに手招きされて、おずおずとゾフィアが一歩を踏み出そうとしたその時。
「あらゾフィ、どうしたの。お友達が呼んでたわ」
学校に行く準備を整えたマリチカが、彼女の肩を掴むように押さえる。
「マリチカ? でも、あたし……」
「行くわよ。失礼します、ブラッド先生」
さっとマリチカに抱き上げられ、眉を寄せて舌打ちするブラッドがすぐさま遠ざかって行く。だからあの人には近づいてはいけないと言ったでしょう、と優しく諭されながら、ついにゾフィアはデビッドの行方を知ることはなかった。

孤児院の中庭で、雪を掘ったとおぼしき黒い土の跡が
新たな雪に覆われて消えて行ったことも、知らなかった。

のちに『チャウシェスクの落とし子』と呼ばれるようになった子ども達。
この国の政権による人口増加政策がもたらした大きな代償がこの結果だった。女性の人権も、生命の意思も無視され続け、財政の悪化を他国に食料を明け渡す事で解決した代わりに国内は食糧難に陥っていたこの国で、子供を育てられない親達の行き着く残された選択は、子殺しの罪に手を染めるか
あるいは――
そのような時代に生まれたゾフィアに、孤児院以外の記憶はない。
学齢にもまだ達していない彼女の世界は、孤児院の中で止まっていた。
そしてその小さな世界の住人達は、ほとんどが同じように捨てられ、また生みの親達に見放された子ども達であり、そんな子ども達に対して暴虐あるいは存在そのものを否定する大人達であった。

――そう。誰も、この子達を守ってくれる存在はいない。

「俺達を守れるのは、俺達自身だけなんだ」
それは、今年十五歳になったアンドレイの口癖だった。
彼は優秀で、勇気ある少年だった。僅かに孤児院に置かれた本から単なる知識だけではなく教訓を学び取る力もあったし、大人達の理不尽から自分や仲間を守ろうとする志も抱いていた。
その教訓と勇気が生み出した結論は、『自分達は団結しなければならない』という事実。
一人というのは、無力だ。
けれど団結することさえ出来れば、その行動力も発言力も、無視できないものになる。そう考えたアンドレイが、賛成する少年達と共に作ったのが、自警団――『ヴィジランテス』であった。
ヴィジランテスが出来る前は、子ども達は職員の気まぐれで殴られたり、食事を奪われたり、少女達は、時には少年達も凍りつく、口に出来ぬような行いの犠牲になったりしていた。
故に、この施設では少女の死亡率が格段に多かったのだが――団結したことで子ども達は、自分と仲間を守ることができるようになった。
――だが、それを大人達が良しとするだろうか。
今まで自由にできた玩具達が急に意思を持った事を。それがたとえ、生きる為の当たり前の行為だったとしても。いや、だからこそ。
大人達はあるいは甘い言葉で、あるいは卑怯な脅しで、徐々に子供たちを懐柔し、意のままにしていく。大多数についてはヴィジランテスの言う通りに進めてやる代わりに、その代償を要求するという形で。

少女達の眠る部屋の扉が急に開き、懐中電灯が物音に目覚めた少女達の目を眩ませる。
戸口に下卑た笑みを浮かべて立っていたのは、背が高くひどく体格のいい大人だった。高圧的でもあったし、職員ブラッドと同じように――けれどもう少し成熟した少女達にいやらしい目を向けることで、憎しみに近いほど嫌われているその職員の姿に、寝間着姿の少女達は瞳に恐怖を浮かべて息を呑み、叫びを堪え、それを気付かれぬように深く布団を被る。
 
一気に緊張の高まる少女達の寝室に、職員の後ろから現れたのはヴィジランテスに属する3人の少年であった。
「エレナ、来い」
そう少年の一人が言った瞬間、短い悲鳴と共に布団の一つが蠢き、身を守るように丸くなる。
「……行くぞ」
その様子に少年達は、幾分遠慮がちに部屋に踏み込む。けれど、丸くなった布団を剥がし、エレナと呼ばれ悲鳴を上げた少女を引きずり出して連れていくのには、一瞬の躊躇もなかった。
「いや、やめて! やめてぇっ! やだやだやだっ、何でもするからっ、何でもするからそれだけはいやぁっ!」
両脇を掴まれてろくな抵抗もできぬまま、引きずられていった少女は大人に引き渡され、そのまま担がれて連れ出されると同時に少年達も部屋を出ていき扉が閉まる。やがてエレナの叫び声、何かがぶつかるような音、泣き声、悲鳴、ありとあらゆる悲痛な音が薄い天井を通して響き、それに悪魔のような満足げな笑い声が重なる。

「……エレナは、リュシアンに告白されたけど、断ったから……」
言い訳するように響いた言葉を最後に、寝室に落ちる沈黙。助けなかった共犯という後ろめたさと、自分ではなくて良かったという安堵が、年長の少女達の間に広がっていく。

悲痛な声はもう聞こえず、ただガタガタという音とあの悪魔が何か言っているおぞましい声だけが聞こえていた。ゾフィアには良く聞こえなかったし、聞こえていたとしても理解はできなかっただろう。
眠気に導かれるままに、ゾフィアは目を閉じた。寒さで体力を奪われる育ち盛りの体は休息を必要としていたし

――眠るしか、できることはなかったのだ。

守るための組織だったヴィジランテスは、大人達に生贄を差し出す存在に変わり、それに伴って定められた形式やしきたり、それに少年少女達のまだ幼いいくつもの思惑が、従わぬ者を脱落者と変えていく。


けれど彼らが多数を守るために少数を犠牲にする存在になっていたことで
力なき子ども達を責められるだろうか。
その弱者を選ぶとき、恐怖や私情が挟まれていたからといって、幼い子ども達を糾弾できるだろうか。
けれど――どれほど彼らが少数の犠牲によって多数を理不尽から守ろうと、その犠牲に選ばれてしまった者にとっては、それは新たな理不尽でしかないのだ。

最初の目的からは遥かに離れ歪んでしまっていても、やはりこの組織の規律とその底にある正義感は強い。
だから、ゾフィアのような小さな子ども達は、守るべき対象に他ならなかったのだ。その行いが多少気に障ったり、上手く決まりを守れなかったりしても。

――多少、ならば。

その事件は当事者となる彼女にとって、ある日、ひどく唐突に起こった。

「私の人形がないの!」

マリチカが、彼女には珍しい焦った大声で叫んだのは、ある朝のことだった。
ふわふわと舞う黒い蝶を追いかける夢からその声で呼び覚まされたゾフィアは、目を擦ってからはっとし、慌てて体を起こした。
少女達の寝室が、一気に騒がしくなる。なくなったという人形が、この年長の少女にとってひどく大事なものであることは、部屋にいる誰もが知っていた。
それは、彼女が父親から贈られた人形だったのだから。

マリチカには、『家族』がいる。母の死と父の出征によって残された彼女は、高齢の祖父母では世話をすることができず、定期的な寄付と共に預けられたのだ。
それゆえに、彼女は大人達にとっても、子ども達にとっても特別な存在だった。
寄付のおかげで職員達の給料は上がったし、マリチカが持ち込んだ遊具はそれまでの孤児院には全くなかったものだった。
さらにヴィジランテスのリーダーであるアンドレイと恋人同士でもある。
この施設で大きな信頼と地位を持つ、あのマリチカが、特別な人形を盗まれたのだ。肌身離さず抱き締めて、寝るときすら一緒にベッドに入るほど大事にしていた人形を。
その人形を羨ましいと、思わない少女はいなかった。人形自体も愛らしかったが、それには深い家族の愛情が籠められていたのだから。
だからこそ、少女達はひどく懸命に人形を探した。中には全力で探さず犯人だと思われることを恐れる子達もいたし、マリチカが困っているから力になりたいと思う少女もいた。ゾフィアだって、役に立ちたいと思う一人だったのだ。
なのに。
「ゾフィアっ!」
かけられた鋭い声に慌てて振り向けば、自分のベッドの下に入れていた着替え入れの箱が突き付けられる。それは確かにゾフィアのもので、そして――着替えの一番下に隠すように、確かにマリチカが持っていた人形が入っていた。
あまりに突然のことで、何が起きたのかゾフィアには理解できなかった。ぱちぱちと目を瞬かせ、何か言おうとして、けれど何も口にできず首を傾げる彼女に、痺れを切らしたのか別の少女が肩を揺する。
「ゾフィア! あなたが盗んだんでしょ、マリチカの大事な人形を!」
がくがくと首が折れそうなほどに揺さぶられ、ようやくゾフィアは理解した。自分が、人形盗みの疑いを掛けられているということを。さぁっと血の気の引いた唇が、ようやく否定の言葉を紡ぐ。
「あ、あっ、あたしじゃ、な、ないっ!」
「嘘つき!」
必死の訴えが聞き入れられることはない。
状況から見れば、ゾフィアが明らかに怪しいに違いなかった。
誰かが彼女を陥れるという可能性もその幼さ故に考えづらく、その事実がかえって彼女を追い詰める。
だがゾフィアは、本当に知らなかったのだ。人形が、自分の持ち物の中にあることを。
起きてすぐに人形を探し始めたゾフィアは、前日の夜から着替え入れの箱に触ってすらもいなかったのだから。

さして自分が幸せだと思ったことのないゾフィアは、だからといって不幸とも思ってはいなかった。
親もいない、味方になってくれる大人もいない、けれどちょっと窮屈ではあるが年上の少年少女達が守ってくれる、そんな日常を何かと比べることなどなかったし、他の日常など知らなかったからだ。
けれど、突如としてまだ幼い少女を襲ったのは、人間の恐ろしさと醜さを知ることになる恐怖の始まりだった。
『ゾフィアがマリチカの人形を盗んだ』という話は
あっという間に少年達にも伝わり


――その日から、彼女の日常は一変したのだ。             
                              




                          



                       第2章へ続く(9月末予定)

ゾフィア運命の分かれ道

2015年8月10日 発行 初版

著  者:Schwarz
発  行:S.R.L

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