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安藤次朗/小川留奈/岸本雅樹/シミズダニヤスノブ/
須貝 悠/古屋貴広/岡崎咲子/小川智宏/山口温子/
山口尚子/岸本知見/高原綾子/今井美紀子/高原直樹/
鈴木健司
前の人の内容からテーマを見つけて、順番に文章を書く。
みんなでそれを読む。たまには集まっておいしいものを
食べながら、お酒やジュースを飲む。で、たくさん話す。
そういうこと!
「みんなどんなことを考えてるんだろう?」
ではじめたこの『パス・ザ・マイク』。
ずいぶんゆっくりとしたペースですが、二冊目になりました。
当初の予定通りには内容もペースも進みませんが、
書いてくれる人のおかげで、ゆっくり進んでいます。
二冊目になったし、新しい刺激も欲しいよね。
何か考えなきゃね。
じゃあ、とりあえずこのマイク
引き続き回していこうかね!
真夏の夜に
次朗
今は昔の大学時代。
ある友だちと話してて、何の話しからか「俺たちの強みって何だろう?」という話になった。多分、就職活動とか卒業制作とかが始まってて、やらなきゃいけないんだろうけどやりたくないし、何か大人になるみたいなのも気が向かないし、って感じでモヤモヤしていた時期だったように思う。
で、この質問。
「俺たちの強みって何だろう?」
俺は本当に、自分の強みを言うとか、就職活動でよくある自己アピールみたいなのが出来なくて、履歴書もろくに埋められずにいたりしていて、悩んでいた。でも、その友だちは、「テンションと心意気だよ。」と即答してきた。ちょっと冗談めかした応えかもしれないけど、聞いた瞬間にものすごくうれしかった。「テンションと心意気だけなら、僕たちは誰にも負けないよ。」と友だちは続けた。
「テンションと心意気」
最高じゃんか。テンションだけだったら、何かノリだけというか、悪ノリも含まれててあんまり良い印象じゃないけど、そこに心意気があることでものすごくポジティブなセットになってるし。俺の知る範囲では、「心意気」が悪い意味で使われている例を知らない。ただの泥棒だったのに、心意気があるとねずみ小僧になる。そんな感じ。
全然具体的じゃないし、履歴書にも書けなかったけど。実際のところ本気で悩んでいたわけでもないし、この会話自体もいつもの冗談混じりでやってたものだけど。
この言葉は今も俺の中でしっかりと生きている。言ってくれた友だちは覚えているのか知らないけど。そんなイカした友だちの会社の名付け親であることは、俺の小さな誇りの一つです。
その名もスガイワールド。ゴーゴー!
二〇一五/四/二十八
次朗
インドにスンガヤという娘がいる。
娘っていうか、友達のような、気にかけている子のような、まだ知らない子のような。
毎月スンガヤの住むコミュニティにお金をおくっている。そして文通している。ペンパルだね。
幼稚園〜高校までカトリックの学校で、実家も寄附とか当たり前にする家だったので、社会人になって自分で稼げるようになってからは、支援団体を探して、送金することにした。
「偽善じゃん」「お金に余裕あっていいね」などと言われることもあって、昔は少なからずその言葉にショックを受けたけど、今は無視。そういう人もいるよね。ひとはひと。
100円だって10円だっていい。積み重ねることで、支援になる。個人の力は微々たるものだけど、続けたら力になる。そう思ってやってます。
本当はお金じゃなくて、実際に何かやりたいとも思うけど、身体が強くなく、精神的にもあまり強くないので、むしろご迷惑になる私は、今のところお金という方法でしか参加できていない。娘が大きくなるにつれて、何か一緒にアクションを起こしていけたらな。本当は井戸作ったりとかしたいな。
インドの娘の前、最初の娘はスリランカのニロシャだった。
もうスリランカのプロジェクトは終わったので、ニロシャがどうしているのか知る手立てはないのだけれど、8年くらい手紙のやりとりをしていた。
始めた頃はニロシャは小さくて、絵もまだ拙くて、それがどんどん上手くなっていって、その手紙たちはとても愛らしかった。
ニロシャに弟が生まれた時、子供が増えてもやっていけるようになったんだな、と思って嬉しかった。ニロシャが将来学校の先生になりたいって書いていた時は、学校にいけて、楽しんでいて、とても嬉しかった。
ニロシャはどうしているのかな。元気ですか。私は母になったよ。
二〇一五、五月二十一日
山口 温子
今携わらせていただいている仕事のおかげで、世界各国の子供と接する機会があります。
中東の子供が1/4、アジア系が1/4、マレーシアローカルが1/4、その他EU、USA各国、って感じだろうか。。。すごいざっくりの見積もりですが。
子供を見ていると、国籍とか完全に関係ないなと。皆同じですね。あるのは個性の差、個人の差だけ。
基本的に日本人、韓国人の子供以外は(中国人は私の生徒にいないので、わからない)流暢に英語を使いこなします。
親がそういう教育をしてきているからなのか、たまたま世界中回ってる子が多いからなのかはわかりませんが、親とは母国語を、学校では英語を、というのは学校のオーナー自らが常に提言していることです。
そして各国のお母さんたちも、皆流暢な英語を操ります。日本人以外は。
子供の学校で、親のための英語教室もやっているのですが、日本人のお母さん以外必要ないじゃん、と思います。(受講しているのも日本人ママかマレーシア人ママ。そして、マレーシア人ママは必要ないじゃん、といつも思う。)
先日夫が来馬した際に、ものすごい額の現金をスられたんですが(私はここに暮らして9ヶ月、スリも盗難も、タクシーぼられるも一度もないので、よっぽど金もってそうに見えたのか、よっぽど夫にスキがあったのか、はたまた、、、)空港警察で色々説明する際に、書面に残したいからPCで状況説明をタイプしてくれと言われ、とりあえず簡単な文章を打ちました。
そこから、警察が英文を直してくれたのですが、なるほどこう言えるのか、こう表現するのか!等、さっきまで緩ーく仕事してたのに、皆本当言葉達者だよね、、、っていう。
ここに来てからの私自身の英語は、結局学校に行ったのは5回だけで(酷い)社会人として生活し始めてしまったので、完全なノリ英語であり、まぁアジア人同士なら言ってる事なんとなくわかるんだけど、ネィティブの皆さん相手になると、聞き取るのが速すぎて難しく。でもそれは帰国子女日本人ママも同じ事を言っていたので、完全に慣れなのかもしれません。
先日はローカルプログラマー男子と打ち合わせをしたんですが、仕事に関わる事なので通じるか焦ったけど、そこは制作経験のあるもの同士、経験面の意思疎通でなんとかなりました。
英語流暢な日本人の前で打ち合わせしたので恥ずかしかったですが、この年になると開き直れるという点は、良い事なのかもしれません。。。。。ははは
ノリ英語でココまできたけれど、ここからレベル上げるには、勉強の部分が圧倒的に足りないので、単語力とすべて忘れ去ってしまった中高までの文法やらイディオムを、今!必要としてる気がします。
新しく来た日本人ママに「英語お上手ですけど何かやられてたんですか?」等聞かれるときがありますが、ぐちゃぐちゃな英語を堂々としゃべってるから通じてる風に見えるに尽きるかと。
この環境に英語が達者な日本人がたくさんいたら、萎縮して中々堂々と話せなかったと思いますが、幸い職場の方で日本語わかる人がいないのをいいことに、めちゃくちゃにしゃべり放題です。(特に子供に対して)
あとこれ、アメリカだと「お前英語しゃべれないね、サヨナラ」ってざくっと切られる=英語できないと暮らして行けない、らしいのですが(アメリカ人は自分たちが世界一だと思っている)、この国では「私はあなたの言っている事がわかる。あなたも私の言っていることがわかる。何か問題が?」っていわれた事もある位、皆一生懸命聴こうとしてくれるし優しい。さすが他民族国家といわれてるだけあって皆、外人の話す英語に慣れているし、そこに変な優越感やら何やらが介在している人が少ない気がする。(アメリカも他民族国家のはずですが、あくまで聞いた話)
本質を突いているのはどっち?っていったら明らかに後者だと私は思うので、本当の意味での発展途上国と先進国ってどっち?と考えてみたり。
例えばこの国において日本から来たっていうのはかなり歓迎されるんですが、人としてフラットに先進的な視点で世の中を見たいです。そのためにはお勉強が色々必要ですね。。。
違いを認めて共存できること、最低限宗教の知識やら民族の理解っていうのは今後本当に必須知識だな、と私は思います。
とはいえ、先日韓国人ママと話していて、特にそんな話はしていないけれど、日韓関係の背景をもっと知らなきゃな、と思ったし無知故の理想論であることもここに記してみよう。
2015年5月31日 ルナ
変な先入観をもたずにそこに属する人達に出会ってしまったからか、
みんなそうなのかわからいけど、
右翼なのか左翼なのか、
どっちよりでもないのか、
どうでもいいのか、自分の事がわからない。(どうでもいい?わけじゃない)
俺の父は右寄りです。
というより親父は自衛隊だった。
日本の事を、我が国はな、雅樹〜と説明し始めるのが鬼普通だった。
色んな日の丸を飾っていた。
豪華な金や赤の高そうな布で出来た日の丸のカレンダーだって毎年くれる。
天皇陛下、万歳。
テレビの前で、家族に目立たないように万歳をする親父。
テレビキャスター全員が親父の敵だった。
ニュースを見てよく怒っていた。
怒ってティッシュ箱をテレビに投げつけていた。
こんな内容、前にも書いたような気がするけど、
マイクチェックだホラ、バンザーイ
戦争のビデオやドキュメンタリーは一瞬で号泣する。
じゃあおれはどうだ。
おれの考えを言え。
おれの思いを言ってみろ。
なあおいお前、言えないだろう?
わからないからジョンレノンの格好をして菊の紋章を背負ってみたけど、
見える世界は何にも変わらない。
変えるのは格好じゃないんだな、父さん。
一つ言えることは、右翼にしても左翼にしても、
お互いの悪口を言わない人と、仲が良くなる。
現状それしかわかりませんが、
父さん、長生きしてください。
父の日の思いを込めて、雅樹より。
2015/6/12 岸本雅樹
個人的なご報告ですが、この三月、子どもが産まれました。
名前は安二郎と言います。そう、ズバリ日本が世界に誇る名監督、小津安二郎からの命名です。夫が映画好きなもんで、知ってる日本名と言えば、オヅ、クロサワ、オーシマ…
で、校庭でいじめられなそうな変な意味のないって事で消去法で選ばれた名前がヤスジロウ。
ミドルネームと合わせると、ジョン安二郎。なんだか幕末の宣教師みたいで、赤ちゃんの命名がこんな適当でいいのかずっと不安だったのだけれど、三ヶ月経った今では、「ヤスくん、ヤスくん」と、かなりしっくりきています。
呼んでいるうちに、このパスザマイクのヤスくんにも勝手に親近感を覚えております。
前回も書いた通り、妊娠そのものは常時アブソルートリー・ファインでかなりラクな方だったんだけれど、そのツケなのか何なのか、産後ムチャクチャ大変な事があったので今日はその事を書きます。
陣痛は十日遅れでやってきた。
それまでの妊娠生活は百二十パーセント順調で、その日も両親を観光に連れて行っていたくらい。
ところが、なぜかその日、お昼を食べ忘れてしまったせいで陣痛が酷くなるにつれ目眩でクラクラ、病院に辿り着いた頃には血圧が急降下…。気が遠のく中、助産婦さんに、「痛み止めに無痛分娩用の麻酔(エピデュラル)か、注射か、ガスがあるけどどれにする?」と聞かれる。
ナショナルヘルスサービスでは、お産の痛みを和らげる方法(ペインリリーフ)がいくつかあって、前述した三つの他にウォーターバースが高額なオプションとしてではなく、個人のチョイスとして自由に選択できる。もちろんお産も無料なのでどれを選んでも費用はかからない。
私は元々ウォーターバースを希望していたのでその事を伝えると、プッと一蹴。
「こんなに血圧が下がっているのに、そんな悠長なこと言ってられないわよ」的にあしらわれる。事前に希望していても、その時のコンディションで実現しない事も多々あり、逆に実現しない事の方が多い模様。
とにかく、このクソ痛い陣痛を早くどうにかしたい一心で、私は迷わず一番効き目のあるエピデュラルをお願いする。まさか、これが不幸の始まりだとも知らずに…。
分娩室に運ばれてしばらく経つと、麻酔専門の技師がやってきて私の脊髄にカテーテルを注射し、無事エピデュラルのインストール完了。それでも速攻で効くという訳ではなくて、しばらくの間は痛みが引かず「ガスをくれー!ガスをくれー!」という感じだったんだけれど、そうこうしているうちにスーッと眠りに落ちてしまった。
一〜二時間経った頃だろうか、いきなりドヤドヤと四人くらいの医師が入ってきて、
「はい、分娩をはじめまーす」のかけ声で慌ただしくお産が始まった。とにかくプッシュをせがまれ頑張るものの、半分寝ぼけた状態の上、麻酔で陣痛を全く感じなかったので、踏ん張るタイミングが分からず、インド系ハンサム医師(彼はたぶんゲイだろう)の「ブリリアント!」に励まされ、吸引と鉗子で引っぱった末、ようやく誕生!
後で知ったけど、陣痛で悶絶した所からここまで四時間弱で済んでしまった。麻酔のおかげで私の意識はクリスタルクリアで、自ら生まれたての我が子のビデオを撮れちゃったくらい。無痛分娩ファンタスティック!
と、このままで済んでたら、自然分娩で長時間かけて苦悶の末に出産したお母さん方から総スカンを食らうくらいのスムーズ出産だったんだけど、そうは問屋がおろさなかったんだな。
産後一日で退院したのだけど、家に帰るとどうも首が痛くてしょうがない。
入院中、座ったまま授乳しながら寝落ちしてしまったので、きっと寝違えたんだろう、そう思ってピップを貼ったものの痛みが全く取れない。それどころか、首の痛みも頭痛もだんだん増してどうしようも我慢できないくらいに。
翌日、検診に訪れた助産士さんの薦めで救急診療を受けに再び病院へ行くと、なんとエピデュラルの失敗ですと…。カテーテルを通した穴から髄液が漏れ出して、それが原因でムチウチの様な症状が出る事が稀にあると。救急医師に言わせると「ディス イズ ノーマル」だそうで、なんでも百分の一の確率でこういう事が起こるんだそうな…。百人に一人だなんて…なんという貧乏くじを引いてしまったんだ…。「アイ アム ワンパーセント」てか?
治療には、もう一度エピデュラルで開けた穴にアクセスしてそこから漏れた髄液を吸い出し、自分の血液で蓋をするブラッドパッチという施術をするとウソの様に回復すると告げられる。という事で、退院早々、病院に逆戻り。再び入院することに。
症状はというと、とにかく起き上がると首もまわらないし、頭痛で目がまわるし、光が目に染みて目が開けられないし、アソコもカットしたせいでバブーンの様に腫れてるし、正に満身創痍!
でも、生まれたての我が子にミルクをあげなきゃならないし、水分を大量に取らなきゃいけないからトイレにも行きたくなるし…最悪な状態でフラフラしながら魔法のブラッドパッチ施術を待つ事一日かニ日—
施術をすると一転、光も目にしみないし、それに立てる!
看護士さんも、「ねー、効き目があるって言ったでしょ!もう今夜には家に帰れるわよ。」なんて当たり前の様に言う。おいおい、今夜はちょっと早過ぎやしないかい…。
ところが、一瞬回復した様な感じになったのもつかの間、再びあの激しい頭痛がカムバック。聞けば、一回目のブラッドパッチでの回復率は六割だそうで、もう一度同じ施術をする必要があると告げられガッカリ…。またしても貧乏くじの再来。人生の中で最も喜びに満ちあふれた瞬間に、私はなんてアンラッキーなんだよう!!何か今までツいていたのが嘘の様…。
落ち込んでいる最中にも、赤ちゃんがちゃんと成長できているか、ミルクを飲めてるかのチェックに色んな人が随時入れ替わりやって来る。
例えば、ある時はヤスの舌をが短くてお乳がうまく飲めないからベロの舌の筋を切る手術が必要とか、母乳スペシャリストが私の乳を絞りにきたりとにかく産後の母は全然休めない。
翌日、頭痛があるので脳の方に異常がないか念のためMRIを撮る事に。
MRI室に入ると、なにやらややこしい規約、要は病院側が訴訟のリスクを避けるための契約書を突きつけられ、サインを求められる。お姉ちゃん、私これから脳の写真を撮るんですよね…?そんな人間にまともな判断ができる訳なかろう。
何だか大変な事になっちゃったなーなんて思いつつ、天井板に貼られたでっかい桜のパネルを見上げる。あぁ、もう桜の季節だ、なのに私は満身創痍で脳の写真を撮られようとしている。みじめで泣けてきた。
ところが、このMRIの結果、首と脳の間に微量の血液らしき影が発見されたと告げられ、急きょ救急車で脳の専門医の居る病院に搬送される事になった。私も家族も顔面蒼白。
更にややこしい名称の役職の人が出たり入ったりして何やら随一説明しに来てくれる。が、産後のクレイジーな頭にその小難しい説明を理解させるのかい?しかも、とにかく状況がコロコロ変わって、救急車が来ました。いや、まだだった。いや、先方の病室がまだ空いてないみたい…と随時更新される情報に振り回されまくる。報・連・相もここまでくるとかえってややこしいわい!
そんなやりとりの末、救急のはずが病院間のコーディネートのあれこれで結局一日待ちぼうけて深夜三時にホワイトチャペルにあるロイヤル ロンドン ホスピタルという病院に搬送された。産まれて初めて救急車にも乗った。あ、ちなみに、ロイヤル ロンドン ホスピタルはあの有名なエレファントマンが実際に入院していた歴史ある病院なんだそうだよ。
搬送先の病院でも引き続き頭痛と首痛にみまわれつつも、すぐに何かが始まるわけでもなし。とりあえずパラセタモルという妊婦にも害のない薬と、時々強めの頭痛薬を処方され、寝て食べて授乳して、寝て食べて授乳してと安静に過ごす。
入院先は脳外科なので、基本子どもの出入りは禁止なんだけど、授乳しなきゃいけないので特例でヤスを認めてもらう。ところが、この病院はめちゃくちゃ縦割りでシフト毎に人が変わるので、朝のナースでOKだった事が夜のナースでダメだったり、赤ちゃん用のコットを貸してくれると言われたから待っていたら、次のナースがまた同じ質問をしたりして…とにかく、目的を達成するために何度も同じ説明をいろんな人にしなきゃいけない…。
そうか、NHSは福祉システムとしてはすばらしいけれど、組織がでかくなりすぎるとこういう弊害があるのね…
そうこうしてるうちに出産から一週間が経過。
もうここまでくるとエピデュラルの失敗の方は、ほぼ回復してきていて、もうそろそろ家に帰りたくなってくる。が、脳の方の検査のプロセスが遅過ぎて、CTを撮ると言われて実行されるまで待ちぼうけ。
「脳外科的には交通事故で危篤とか重症患者の方が多いから、きっと私はプライオリティが下の方なのかもねぇ」なんて言いながら不安な数日を過ごしていると、早朝7時、いきなりお医者さんが現れた!
脳外科のトップ・トップ・コンサルタント、Dr.マッキントッシュ曰く、
「血液じゃなく髄液だったかも…いや、厳密にはちょびーっとだけ血液も出ちゃってるかもなんだけど、MRIだと分かんなかったから」と伝えられ何だよ!と思いつつも安堵。週末はなるべく動かず安静にして経過をみて、週明けにCTを撮った結果で、もう一回ブラッドパッチをするか、家に帰るか決めましょうと言われる。
CTの結果、ほとんど髄液でごくごく微量の血液が発見されたけど、自然に溶け出すレベルで症状は自然の治癒に任せても良いとのお墨付きを貰い、産後十日を経てようやく家に帰る事ができた。本当に文字通り目まぐるしい一週間だった…
おかげさまで、その後頭痛や目眩はすっかり回復しており、今はもうすっかり普通の生活に戻っています。継続してCTは撮りに行っているものの、あとは血液がすっかり消えてるかの確認だけなので、もう何も心配はいらないはず。
しかし、元々は私がエピデュラルを選択したのが全ての不幸の始まりだったじゃないか!?
何でこんな事が起こっちゃったのかは、正直わからない。クソ痛い陣痛に耐えられず、私がちょびっと動いちゃったのかもしれないし、麻酔技師がヘタクソだったのかもしれないし。とにかく、百回に一回はこういう事が起こるんだから、私が超アンラッキーだったとしか言いようがない。
エピデュラルはお産の苦しみから解放されるすばらしい選択の一つなので決して否定する気もないし、自然分娩がイチバンだったなんて古くさい事は言わない。むしろどんどん手の届きやすいチョイスになればいいと思う。けれど、これから産む女性には、1%の確率でこういうリスクもある事も是非知っておいて欲しいなぁと思った苦い体験でした。
山口尚子
こんにちは、更新遅れてごめんなさい。
最近トマトとキュウリを育てているんですが、
毎朝の水やりの甲斐もあり、毎週とれ放題です。
話は変わりますが、
今日これからあるスタイリストの方のトークショーを聴きにいきます。
その方と、その方の師匠とご友人の3人で70年代のカルチャーについて語るみたいです。
その方は、女性でお母さんくらいの年で現役のスタイリストをしていて
お母さんとしても3人の子供を育てた方でして、昔から何かとお世話になっているのですが
そのかたはもちろん、その方の周りの方々もものすごくエネルギーがあって
「これやろう!」って誰かが言い出したことをパパッと実行してしまう勢いがハンパない方々です。
ぼくはその行動力にハンパなく憧れていて、
(今となっては)ごくたまにですが今夜みたいな機会を見つけて会いにいきます。
そしていつも自分がまだまだぺーぺーだと教わります。
その方のこどもは、実はぼくの予備校からの友人でちょーいいやつです。
今夜も一緒に行こうと誘ってみたのですが、
自分の母親のイベントにいくのが恥ずかしいのか、素っ気なく断られました。
まあシャイボーイなのは昔っからなのでよしとしました。
が、彼のことで昔っからどうしても気になることがひとつあるので
イベント終わりで彼の事務所のある駅まで押し掛けて飲みに連れ出すことにしました。
まんまとシャイボーイはくるようです。それはくんのかよ。
その友人とは昔の話とこれからの話が同時にできるので
ハンパなくいい時間が過ごせます。
久々に会うので今から楽しみです。
おわり
七月二十二日 ふるや
今、僕は茨城県水戸市のビジネスホテルにてこれを書いています。水戸市のおとなりひたちなか市の国営ひたち海浜公園では毎年ROCK IN JAPAN FESTIVALというロックフェスが開催されていて、開催されていてというかやっているのは僕がいる会社なのですが、ともかく僕はそのスタッフの一員として現在ここに来ているわけです。
毎年同じホテルなので、もはやまるで実家に帰るような感覚で、ホテルの部屋のクリーンなんだかダーティなんだかわからないような匂いも、きれいなんだか澱んでいるんだかわからないような空気も、うるさいエアコンの音も、それなりに落ち着きます。
ロックフェスというのはその名のとおりフェスティバルなので「催し」なのだと思われがちですが、作っている側の感覚からすると、そこで「何が行われているか」は半ばどうでもよくて、むしろそこが「どういう場所であるか」のほうが重要だったりします。フェスというのは「場」「空間」「世界」なのです。
だから名前の通った大物が続々出演してもコケるときはコケるし、逆にそんなに有名じゃない人たちばかりのフェスでもウケるときはウケるのです。難しいもんです。
ま、僕はその端っこのほうでちょこちょこと働いているだけなのですが。
で、問題は、こんだけフェスやっているのに僕は全然楽しめていないということなんです。なぜなら、職業柄どこのフェス行っても多かれ少なかれ仕事が絡むわけで、純粋に百パーセント楽しめているかというとどうもそうではない。そりゃビール飲んでうぇーいってやっているときもありますがね。
そういう意味じゃフジロックと朝霧JAMは数少ない理想郷なのですが、いかんせん遠いし金もかかる。
なので、フェスやりたいんです。勝手フェス。やりかたとしては、
(1)どこか日のあたる屋外のスペースを探す(屋上とかがよい。そこそこの音量で音楽かけても怒られない場所)
(2)オーディオ機材、ビールサーバー、つまみもろもろを持ち込む
(3)好きなアーティストの理想的セットリストを想定して作ったプレイリストを、理想のタイムテーブルに沿って流す
(4)あとは飲むなり食うなり踊るなりご自由に
という感じ。楽しそうでしょ。DJとかではないです。完全に受け身で音楽聴くだけ。そうじゃないとのんきに楽しめない。
同志、それから場所を探しています。機材とビールは僕がどうにかします。
やろうぜ、勝手フェス!
2015年8月7日夜 小川智宏
世界って成長と共にどんどん広くなっていくと思うのね、大体において。ちなみに、俺みたいなお上りさんは大学入学時にビッグバンが。海外に暮らす人や、海外に嫁いだ人なんかもっとだよね。まだ小さい娘を見てても、家の中でどんどんあの子の世界が広がっているように見えるよ。
部屋、家、庭、近所、学校、通学路、郊外、旅先、故郷、都会、海外、これからは星や銀河とかも?
すごいよね〜。それに今は、大体のもんがネットでとりあえず見られちゃうしね。見ると行くじゃあ全く違うとは言え、知識としてでも知っておける。
世界を広くしておくと何がいいって、自由自在にそのスケールを変えられるようになることだと思うんだ。そう、世界の枠なんて部屋から宇宙まで自由自在の次朗自在。国境線なんてどこにある?って話だよねほんと。
で、世界はどんどん大きく広くなって、自分の居場所を探したり、自分の小ささを思い知ったりするわけなんだけど、世界がめっちゃ広くなってさ、「ああ、この広大な宇宙のちっぽけな点に過ぎない星の、さらに信じられないくらいちっぽけな俺」みたいに、もうどこがどこやら、何が何やらって感じになることもあるだろうよ、そこの少年少女!
でもね、そんな時はスケールをグーっと小さくしてみると、結局ここが世界かなと。ここが全てだなと。それは、もう成し遂げたとか、やっと辿り着いたとかではなくね。逆もいいよね。グググーっと大きくしてみたりね。どちらにせよ結局わかるのは、「ここ」しかなくて、「どこか」にはないなと。ただ、何回も言うとその世界なんて、小さくも大きくも、狭くも広くも、浅くも深くも、自由自在の次朗自在。
あと、どれだけ肉体の感覚と、そのスケール感を一致できるかってのも大事だよね。やっぱり身体感覚が付いて行く範囲じゃないと仕事もうまくいかない気がする。俺の場合はまだ5メートルとかそのくらい。想像できても実感がないというか。目の前の人を喜ばせることで精一杯というか。まあ今は(多分これからも)そのくらいですごくハッピーなんだけどね。
さらにちょっと話はズレるけどさ、子どもにとっては学校が世界で、すべてだったりしてすごく悩むこともあるけど、周りにそんな子がいたらちゃんと示してあげたいなと。お前はまだ知らないし、わからないかもしれないけど、世界は広いぞと。本当にしんどかったら、学校なんて行かなくてもいいんだよ。
(あと、ずーっと地元にいる男ってつまんない奴多いよね。いい奴なんだけど。とかね。)
つまり、大事だなと思うのは、ちゃんと自分以外の世界を知っていること。違うことを認めること。違うことを怖がらないこと。その上で、俺の、あなたの世界はひとまず「ここ」やら「そこ」ってこと。でも大きさなんて自由自在ってこと!
二〇一五/八/十二
次朗
20歳の時にも、30歳の時にも思ったけど、今年35歳を迎えるにあたり思うことは、「全然大人になってねーな」ということ。とは言いつつ、それなりに酸いも甘いも経験しているし、俯瞰していろいろな物事を見ているつもりではいるが、「思っていたよりも」大人じゃないと思う。
その「思っていたよりも」というのは、いろいろな場面で出てくる。「思っていたよりも」楽しい/楽しくない、「思っていたよりも」おいしい/おいしくない、「思っていたよりも」おもしろい/おもしろくない……。ポジティブ/ネガティブの両方の側面がある。そのポジティブ/ネガティブの境界線は、その物事に対する期待値である。自分が期待しすぎていたり、理想値を高く掲げているからこそ、そうでなかったときの落差は大きい。自分で勝手に壁を作っているような行為に近いのかもしれない。
私のここ数年の生活は「不健康」という言葉がぴったりであった。仕事も忙しくて深夜までかかることもしばしばだし、外食は多いし、お酒もそこそこ飲むし、タバコは吸うし、慢性的な運動不足だし……。そんな生活を送りつつも、これが永遠に続くとは思ってはおらず、遠くない未来でこの生活も終わるであろう、とは思っていた。生きていれば自然と歳はとるし、体力も衰えてくる。思っていたよりもずっと身体にガタがきて、「もう若くないんだぞっ! 目を覚ませ!」と神様に頬をパチパチ叩かれているようだ。
それで、ふとしたきっかけで、ここ数ヶ月で、その「不健康」の因子を取り除く生活をしている。まず、なんとなく禁煙をはじめて、ちょうど3ヶ月ほど経った。心身ともにジェットコースターに乗っているような強烈なアップダウンがありつつもようやく落ち着いてきた。そして、例に漏れず禁煙後かなり太ったので、最近ジョギングを始めた。小学校のマラソン大会などでは後ろから数えるのが早かったくらい走るのが大っ嫌いだった私にとって、ジョギングと始めたというのはちょっとした事件である。歩くのと同じくらいのスローペースだが、思考がクリアになり、自分の限界を少しずつ更新していくのを実感できるのは気持ちいい。あとは、これもなんとなくだが、少しだけカフェイン断ちをしてみた。私はコーヒー中毒なので、コーヒーをカフェインレスにしたり、カフェインレスのハーブティーを飲んだりとゆるくやっている。これは二週間くらい続けて、いまはそこまでストイックにならず、家のみでカフェインレス生活をしてみたり、ゆるく続けている。カフェインって思っている以上に身体に影響を及ぼしているようで、カフェイン断ちしてからは朝の目覚めがよかったりする。外出先でコーヒーを飲んだ日はなんとなく寝付きが悪い。
というわけで、自分の固定概念で「できない/ないと生きていけない」と思っていたことをこの数ヶ月でやってみた結果、「思っていたよりも」できるし、なんとなくいい感じである。別にこれをしたからって私の生活が劇的に変化する、というものではないが、この思っていたよりもいい感じが重ねていくことで、前よりは自分の理想値に近づけていけるような気はする。ちょっとしたことで壁を越えられるようなジャンプの助走をつけられるなんて最高じゃん、とか思ったり。そして、自分が壁だと思っているものは、自分の固定概念によって高くもなるし、低くもなるんだろう。
と、当たり前のことを34歳でようやく体感しています。人生谷あり谷ありみたいな感じでそんなにいい事ばかりではないが、そのうち「思っていたよりも」気持ちよく山を登れると信じて。
2015年8月30日 岡崎咲子
泣く。授乳。泣く。授乳。泣く。1時間くらい授乳。朝。身体の痛み。おしめかえ。授乳。着替え。洗濯。朝食。テーブルの上と周りを拭き掃除。授乳。洗濯干し。トイレトレーニング。授乳(多過ぎ)。日によって買い出し行ったり、遊び倒したり、リトミック行ったり、英語教室行ったり、病院行ったり。昼食。テーブルの上と周りを拭き掃除。おしめかえ。授乳。寝かしつけ。昼寝。授乳(水飲もうよ)。おしめかえ。料理。 ー犬。猫。牛。ザラメ煎餅好きなヤツ。椅子。サボテン。小錦。萬斎。ー 泣き出す。なだめる。授乳(はやく週末にならないかな)。 ーカッパ。日によって熊やアヒルや猫。料理アイドル。ー 夕方の散歩。夕飯。テーブルの上と周りを拭き掃除。授乳。遊び倒す。風呂(やっとひとりになる)。無心de自分のケア。風呂迎えに行く。着替え。耳掃除。鼻掃除。授乳。寝かしつけ。気付けばまた夜。やっとつかの間の自由時間。一日分のSNSを見る。爪ぬったりぃ〜。泣く。授乳。こまぎれの自由時間。スクワット。歯磨き。泣く。授乳。就寝。泣く。じゅny。息つぎなしでふりだしに戻る。
自分は何が好きだったか、何がしたいのか、限られた自分の時間で何が出来るのか。世の中で何が起きているのか。難民はシリアから。マイナンバーて何。どーでもいいけどビッグダディて誰。
表記のない家事は愛する主人がやってくださいます。ありがとう(乳の出ぬ乳の父、か)。
それでもまた日は昇り、彼女は確実に大きくなる。子育てしかしてねぇ(まじ授乳多過ぎ)。
二〇一五、九月八日
授乳婦人こと山口温子
2015年9月最後の日。
マレーシアにやってきて、1年とひと月が経過しました。
今年は、去年よりもずっとヘイズ(インドネシアからやってくる、野焼きや森林火災が発生源と見られる煙害)がすごくて、ちょうど今、外の空気が真っ白です。
さらに、最近発覚したマレーシアのナジブ首相による7億ドル横領疑惑で、8月31日の独立記念日前後には、街で現政権派と反現政権派がそれぞれ大規模デモを行い、色んな友人から「今年はやばいからデモ期間は家でるな!」と注意されたり、大使館から注意喚起メールが何通も届いたり。
さらには、ISIL(イラク・レバントのイスラム国)が、具体的にマレーシアの日本大使館をテロの標的にしていると発表されてしまい、大使館から注意喚起メールやら、繁華街行くときはテロに気をつけろ(気をつけようがないけど)やら、なんだか去年ここに到着したときから随分と様相が変わり、色々不穏です。
ちなみに、フランスからやって来た友人は、それでもマレーシアはフランスより全然平和よ、と。フランスはテロ率高すぎて怖いらしいです。
今、世界中こんな感じなのかしら???
さらにさらに、私が今週3で働いている日本企業の社内でも、なんだか色々シャレにならない事件が怒濤のように発生し、お祓いをしようかレベルになってきていたり。。。
先日、久しぶりに日本帰国して戻って来た駐在員の方が、
日本は相変わらず雰囲気暗かったけど、平和だ、と。
多分平和だし整いすぎてるから、ある意味暇というか、そういうのが不満に繋がる。。。
と言っていて、なんだかとても納得してしまいました。
私は相変わらずビザが降りず、一体どうなっているのか、何が起こっているのか、いつ取れるのか。。。
さらに、先日行った中華レストランで、突然私のアイホンが壊され。。。
まだ1年しか使っていないしローンも残っているので、抗議してやりとりすること一ヶ月。長
明日やっと苦情状と新しいアイホンの領収書片手に、弁償請求しに行きます。
返金されるのは、更に1ヶ月後だという。
いちいち全てが遅すぎる。。。
ここに来てからは、常にそういう煩わしい面倒くさい問題が、大なり小なりつきまとっているイメージ。
外国ですな。。。
私がアートの先生をしている学校の大きい子達のクラスでは、6−8月の間は韓国人の女の子が4人に、中国人の女の子やらアジア色が強い女子主体のクラスだったのですが、
サマースクール期間が終了すると、、今度はリビアとかヨルダンとかイランの男の子たちが5−6人、一気にやってきて。
女の子達主体だった時は、皆とてもいい子で賢くて、スケッチやら平面構成やら自画像やら、しっかりできたのですが、男子達主体になってからは、皆常に戦っているので(笑)割り箸で銃をつくってみたり、トレーシングペーパーで好きなアニメキャラをトレースしたり。
スケッチなんて見向きもしてくれないので、なんとか男子の心を掴むため、四苦八苦しております。
小学生男子ってこんなんなんだね〜笑
少人数のクラスなので、夏と今とでは様相が様変わりしているという。。。
こんなふうに世界中の子供達、特に日本では絶対会わないような国の子達皆から
「Teacher !!! 」「Ms RUNA !!!」
と呼ばれている現在は、なんだかとても貴重な体験をしているのかもしれません。
ドタバタだけど。
一つ感じたことは、国籍や宗教や国民性によって、子供にどんな違いがあるのか?をずっと考えていたんですが、もちろん傾向はあるんですが、特に大きな違いはないですね。
あるのは、個人、個性の差だけです。
ここから大人になっていくと、宗教やら国やらで色々染まっていくのかな(思想が形成されていくというべきか)と思います。
だから、皆、自分の個性を理解して、自分の人生を生きる事が、より楽しく生きる秘訣なのかな、と思います。当たり前の事なんですが、今、とてもそう感じています。
さて、また16日から日本に戻ります。
秋だ!!!
もう一年中夏なので。。。
わいわい
2015年9月30日
宮本 留奈
三十二歳になり、健康診断で悪玉コレステロール値が高かったり、どんどんと膨らんでゆく体に、急にこれは生活に何かをプラスせねば大病してしまいそうだとふと思いたち、以前1年半ほど習っていたフラを再開しようと意気込み、教室を2つほど体験しにいった。
体験を終えてみて、どちらも金額面・時間に折り合いがつかず、断念。
というよりも以前になんで、私がフラダンスをやめたのかということを思い出した。
踊るのは最高に楽しいし気持ちがいい。だけど、私がハワイアンってなんか違和感を感じる。
第一、ハワイに行ったこともないし。第一ハワイの伝統文化だものね。ハワイアンプリントもめっちゃ好きってわけではないんだけど、フラはダンスに合う衣装を組み合わせたりすることもすごく大切で、そこに思い入れができないというのはなんだか致命傷だと思ったんだった。
あと、先生を崇めすぎている感じもなんだか変な気持ちになったんだった。そうだよ、思い出したよといった具合にスーっと熱が冷め、フラ以外のものにしようと思った。
じゃあ、さて何にしようかと思ったが、なかなか決められず、取り敢えずこれっていうものに出会うまでの繋ぎでヨガでも始めてみようかと思い、教室を探し始めた。
ヨガもヨガで7年ほど前に憧れのSHIHOがヨガにめちゃくちゃはまっていて、ガリガリに痩せていた頃より、ヨガを始めてから少し肉付きが良くなり女性らしくなった今の体が好き!とかで、出版したSHIHOYOGAというDVD付きの本を意気揚々と買ってみた。しかし、SHIHOの説明が早すぎて全くついていけず、しまいには説明が早すぎるSHIHOにイライラしてしまって、2回くらいやってみて無理だと思ってやめた。ならば、実際スタジオで習ってみてはどうかと思いホットヨガにいってみたが、暑すぎてそれにとらわれてしまいまったく集中できずに終わり、これはもう私はヨガにはご縁がないんだなと思い、ヨガへの興味は失っていた。
でも、7年経ち体もだいぶ変わってきたのでもしかしたら当時とは違うかもなと思い、赤羽にある個人で経営しているヨガ教室に体験しに行った。
結果、7年前とは比べ物にならないくらい、最高だった。
癒しのヨガというレッスンだったからか、とにかくゆっくり薄暗い部屋でヨガをしたら、眠るか眠らないかの瀬戸際みたいな1番気持ちがいい状態の中終始ヨガに集中できた。
で、とにかく終わったあとに頭の中がスッキリしていて、これはめちゃくちゃいいと思い、早速入会の手続きを終え、家に帰った。
その翌日のこと、、ひどい頭痛と微熱とだるさ、目のかすみ、あと頭の頭皮が異常に熱くて、なんだこれはー?と調べていたらヨガの好転反応というもので、どうやら体に溜まっていた毒が出るときに一時的に体調がめちゃくちゃ悪くなるという、よくある症状らしいのだ。
半信半疑でひとまずその日はやり過ごしたが、翌朝めちゃくちゃスッキリしているし、足がここ数年で1番スッキリしているではありませんか!!
整体で高いお金を出してほぐしてもらった感じに自分で体を動かしてもその状態に持っていけるんだということにとても感動した。
よく見返りを求めちゃいけないとか言われますが、体に関してはやればやっただけ見返りが返ってくるものなんだなー。
早く気付けばよかった。
という訳で、このままヨガを続けてどうなっていくのか楽しみです。
2015年10月12日
岸本 知見
皆さん初めまして!皆さん始めました!
私の久々の事始めはーーー
SNSの新開設
これまでも、メジャーなやつはごく人並みにやってきた。
バンドの追っかけオフ会結成したり、蜘蛛の糸のような繋がりの友達と再会したり。世界は大いに広がった。楽しい!なんて楽しい!誰にも会わない1日もこれがあれば世界と繋がっていられる。楽しい!てなことで、どれもそこそこハマった。
でも、楽しい楽しいといろんな人をフォローしたり友達になったりすると次第に節操ないことになってきた。現実ならばパーリーピーポーの如く毎夜毎夜各方面の友達集めて今日何食べただの海空月綺麗だのしないのだけれど、ネットの中では何にも考えず節操のないままに愛のままにわがままに言いたいことツラツラ書いてみたりしちゃっていた。けれど、やっぱりパーリーピーポーではないので様々な交友関係の中で発信できるほどの面白味なんて私の中には元より無く、徐々に何を表現するかわからなくなっていった。そうかといってネット音痴な私はアカウントを整理することも出来ない。
とっちらかったタイムラインの中でキャラ難民に陥っていった。
実はこれは薄々感じていたのを後に夫が友人とこういった類いの話をしていたことで文字化した感覚であるのだけど。
足あとつくのなんか恥ずかしいから見るのやめとこーっとか、このタイミングで友達申請してもいいのかな。とか、逆に理由ないから断れないなー。とか、とにかく無駄で下らないことを考えるようになってきて、しまいにはネタも、こんな人って思われて大丈夫だっけ?とか、私今ココにタグ付けされて矛盾なかったっけ?とか。本当に下らないけれど、でも気になるんだからしょうがない。さらに確信してからより感じる。そもそもネット社会めんどくさい。メールひとつ、PCメールからショートメールからそれこそLINEから、色々チェックしなくちゃ。ってめんどくさい。
と愚痴ったところでやめる勇気はない。ブロックする勇気もない。むしろ無いと困るし。
対策する訳でもなく、心の中でずっと愚痴りながら数年経った。
気づけばほんの少しだけ慣れてきた。
世の中もっと多種類のSNSが増えて、みんな自分のペースでうまくやっているような気がしてきている。
そんな最近パスザマイクに出会った。別物だし少人数だし何かしら書いてみたいかも!と発信意欲がわいてきた数日後、とある仕事の現場にて。
「最近インスタのハセキョーが気になってて〜見てみてってインスタやって無いの〜?やろうよ〜フォローするよ〜!」
「え?あ、そうなんですね、ハセキョー気になる。てかやっぱし楽しそう。」えい、このノリで!ピッ、ピッ、ピッっと。。開いた!
ええい、それならこの勢いに任せてPinterestも、ピッ、ピッ、っと、、できたー!
という訳でつい最近キャラ難民を解放し、InstagramとPinterest始めました。
こんな私をどうぞよろしくお願いします。
二千十五年十月二十四日 高原綾子
はじめまして。文章を書く、言葉で伝える、どちらも苦手だから「描いて伝える」を職業としている私が参加しちゃいました。どうぞよろしく。キレイにオチない話ばかりです、きっと。
すっかり子ども番組ばっかりの毎日に。世のおかあさん方が戦隊ヒーローの俳優に萌える気持ちが少しわかってきた。まだ戦隊モノは見ていないしウチは女の子だから、そっちにはいかないとしても、すでに萌え的なキャラがいる。
「ジャムおじさん」と「黄色い帽子のおじさん」。お兄さんではなくどちらもおじさん。黄色い帽子のおじさんはニューヨークの街で子ざるのジョージと一緒に暮らしているご主人。「おさるのジョージ」を見終わった土曜日の朝9時には週末の楽しみが終了してしまう。それくらい気になる存在。
どちらのおじさんにも共通なのが「怒らない」ってこと。ダンナや子どもに毎日イライラ、あげく自分にもイラついてくる今現在の私には、神のように見えるオッサンたち。
「アンパンマン」のなかで一番わるいのはドキンちゃんだと思う。ばいきんまんのイタズラはドキンちゃんのワガママを叶えてあげるためのものだし。そして一番つよいのは、やはりジャムおじさんだと思う。アンパンマンが負けるたびにアンパンマン号に乗って顔を焼きなおして届ける毎日。元気なおじいちゃんだな〜と思ってネットで調べてみたら、なんとジャムおじさんは人ではなくて妖精だった。あの世界に人間は誰もいないみたい。(バタ子さんも妖精。バタ子さんの顔を投げる命中率もすごい。たまに外れたりしたら面白いのに。)
ジャムおじさんは毎日パンを焼きながら、パン工場へやって来るおかしなキャラクターたちをこころよく受け入れ、パンを出してもてなし、持ってる膨大な知識も自慢することなく、やさしく諭してくれる。ジャムおじさんだとみんな素直に言うことを聞く。スーパーおじいちゃん。妖精だけど。
そして黄色い帽子のおじさんも、これまた怒らない優しい紳士なおじさん。こちらは、子ども相手ではなく子ザル相手だから私よりも大変だな〜と思う。でも、ジョージのイタズラに叱ることはなく、何がダメで、どうやったら成功するのかをキチンと説明してくれる。イタズラをして周りを困らせていても怒らない、むしろ飽きるまで付き合ってくれる。(周囲には謝る)それで何かを学習してくれることを願っているし、ジョージを信じている。だからジョージがおじさんを大好きになる気持ちはとてもよくわかる。アニメだってことを忘れて、私もサルと暮らしてみたら案外楽しそうだな、とまで思えてくる。
黄色い帽子のおじさんも妖精ではないのか?こちらもググってみる。そしたら「黄色い帽子のおじさんに学ぶ子育て術」ってのがわんさか出てきた!
やっぱそうなんだ! 私と同じようにこのオッサン凄いな〜と思う母は他にもいたってことか! そうだろう、そうだろう。
「おさるのジョージ」は岩崎良美さんの声もいい。ジョージの心の声をメリハリのあるナレーションで表してくれる。イタズラしたいウハウハ気分や迷子になったときの心細さとか。この人の声も気持ちよく見れるひとつの要因だと思う。
そんな、私にとってはサプリのようなおじさんの番組。なにとぞ終了しませんように。ちなみにダンナのお気に入りは「みいつけた」だそうで、イスにこだわった設定がポイントらしい。サバンナの高橋がコッシーにしか見えなくなってきた今日このごろ。私はサボさんの方がすきだけど、そういえばサボさんはたまに怒る。サボさんはおじさんじゃないのかな? 妖精かな?
というわけで、二人のおじさんの神対応を見習いながら、きっとムリだけど、子育て2年目に突入の秋なのでした。
二〇十五年 士月 六日 マッチ(いまいみきこ)
自己紹介(じこしょうかい)とは、初めて会う人などに、姓名・職業などを述べ自分が何者であるかを説明すること。とネットにある。
さて自己紹介をしてみようと考えたところ、パッと思いつかない。IT企業に勤めるデザイナーです、位しか出てこない。ふと、私はここ数年自己紹介をしていないことに気付いた。というのも私は今の会社に新卒で入社し、次の春で勤続一〇年となる。入ってきた人に他己をご紹介頂くことはあれど、迎える側は簡単な挨拶くらいしか機会がない。ゆえに自分が何者かまとめる作業を怠ってきたわけだ。
ではと振り返るも、色々なことをやりすぎて自分で自分が分からない。そこでこの一〇年を振り返ろうと考えた。そして私が何者か発見し、然る後に自己紹介をさせていただこうと思う。
二〇〇六年。新卒。春。
世界はソーシャルネットワークサービス勃興期。Facebookがアメリカの学生に欠かせないものになっていた頃、我々のそれはmixiだった。その少し前に個人サイト全盛期があり、続いてより手軽に始められるウェブログ(略称ブログ)サービスが普及し始めたが、自分の訪問を粛々と数えるだけのアクセスカウンターに何とも言えない寂しさを感じていた頃、mixiはビタっとハマった。
一気に「友だち」が増え「日記」が増え「あしあと」が増えた。オープンなインターネットから現実の社会的繋がりを担保した安全なインターネットへ。ユーザが自らコンテンツを作り出し楽しみ合う所謂コンシューマジェネレイテッドメディアは、紋切り型の既存マスメディアなんかより遥かに魅力的で永遠にその面白さを増殖していくかのように思われた。
私が最初に配属されたのは、そうしたソーシャルネットサービスに特化した新設事業部だった。入社時は六本木のなんとかヒルズに会社があった。八王子の山の上で過ごした学生時代の緑あふれる風景とは違い、地上一六階の風景は紫だった。
というのは外の風景ではなく中の話だ。広いフロアは身長よりも高いパーテーションに区切られ、ちょうど漫画喫茶の個室から扉をなくして広くしたような空間であった。その仕切りの色が企業カラーでもあった紫だったわけだ。個室は人によって様々な装飾やらアイテムで彩られていて絵に描いたようなIT感だった。そして私の最初の席もこの箱であった。
おい新卒コーヒー、はい喜んで!な社会人イメージを勝手に持っていたが、その想像はあっさり覆された。個室である。静かである。聞こえるのはキーボードの音、イヤホンから漏れ聞こえる音、WindowsXPの再起動音。会話は基本チャットで、隣の席の先輩とさえチャットであった。なんとも無機質と思われがちだが、言葉が音の代わりに文字になっただけで、チャットの中は極めて賑やかだった。今のLINE文化から考えれば想像に難くないかと思う。当時の自分もあっさり慣れ、むしろアスキーアートや顔文字、言葉遊びが新鮮で楽しんでいた。
初夏の頃、新卒研修が終わりサービスへの配属が決まった。最初の配属先はポッドキャストという音声配信プラットフォームサービスだった。ポッドキャストは二〇〇四年頃に登場し、二〇〇五年にAppleのiTunesにその機能が搭載され認知が広がった。が、IT業界の流行り廃りは早いもので、もう二〇〇六年のこの頃には注目度は大分下火になりつつあった。そんなポッドキャストサービスのリニューアル案件が最初の仕事だった。
私は大学院で双方向放送コンテンツの研究をしていたのと、Flashと呼ばれるアニメーションやゲームが作れるアプリケーション及びそのプログラム言語ActionScriptの経験があったこともあり、ポッドキャストを再生するプレイヤーのデザインとプログラム担当となった。普通プログラムというとエンジニアの領域に思われるが、元々Flashはデザイナー寄りのツールだった為プログラム言語としてはそれほどメジャーではなかった。その為社内にもできる人間がほとんどおらず、外注は高いしということで新卒ながら私に白羽の矢が立ったわけだ。流行の下降気流は肌で感じつつも、先輩のお手伝いではない単独アサインにワクワクした。だが今思えばこれがその後長く続く苦悩の元になるとは誰が予想できただろうか、いやできたな、できた。
それこそ大学院時代は動けばOKの力技にひねり技の荒業だったものだから、このプレイヤー実装も奇計奇策のイリュージョンだった。お盆の頃にはなんとか一通りの完成を見せたものの、気づけばプログラムは四〇〇〇行を越えていた。しかも一ファイルにである。例えるのが難しいが、一週間全授業の板書をノート一枚にまとめるのに近い。どこに何が書かれているか他人はもちろん本人も分からない。創り出すや否やロストテクノロジーだ。
会社にはQAなるプロダクトの品質を検査する部署があった。プロダクトが一通り完成するとその部署に依頼し会社が定める品質を担保しているか確認してもらう必要があった。NGは事細かく指摘され、それを改善しない限りリリースできない。当然私が作ったプレイヤーもチェックされた訳だが、それはもう笑っちゃう位膨大な指摘が来た。
ただでさえ複雑に絡まりきったプログラムに修正を加えるものだから、こちらを直せばあちらとそちらが壊れる大変楽しい状況になった。一歩進んで二歩下がる。永遠に収束しない残バグ数。忘れた頃に蘇るゾンビバグ。エンジニアの同期に相談したところ、こういうプログラムソースのことをスパゲッティソースと言うんだよ、と一笑された。中々ウィットに富んだこと言うじゃない。こうして社会人初の夏は終電の日々と共に去った。
やっと暑さが一段落し始めた頃、ポッドキャストプレイヤーは(表面上は)一定の品質を越え、無事開発サイドに受け渡された。
ホッとしたのも束の間、すぐ次の案件が来た。ユーザが動画を投稿しそれをみんなで共有するサービス、いわゆる動画共有サイト、そのプレイヤー開発だ。アサインの理由はポッドキャストの時と以下同文。ただ今回はデザイン無しの実装要員だった。
ポッドキャストのブームが短かったのには理由がある。それは二〇〇五年末に登場したYouTubeが大きいだろう。リリースされるや世界中から(特に日本から)動画がアップされまくった。それは著作権を大いに違反し、しかし人を大いに集めた。この頃にはもう大小様々な動画共有サイトがリリースされていた。その流れに乗ろうという、そういう案件であった。
一度プレイヤーを作った経験もあり、それに動画を足すだけだろうと高をくくっていたが、この開発には大いに苦労した。サービスページに埋め込まれる状態、ブログなど外部サイトに埋め込まれる状態、フルスクリーン状態、セキュリティ関係などなど考慮しなくてはいけないことが飛躍的に増えたのだ。さらに後発サービスなので日々進化していくYouTubeの動向に遅れを取るわけにいかず、仕様は度々追加修正された。三ツ星スパゲッティとなったポッドキャストの轍を踏まない為に今度は初期設計を意識したが、すぐ厨房は火の車になった。作り方がまるで検討つかない機能をYouTubeが実装した時には、プレイヤーの裏側にいる世界の開発者のレベルの高さに愕然としたりもした。そんな時は開発環境にアップされていたサンプル動画のアイドルの笑顔が目に染みた。
師走になる頃、立派なスパゲッティに調理されたプレイヤーは一通り形になりエンジニア側に受け渡された。
丁度この頃、IT業界はHackなる精神が台頭してきていた。Web2.0という誰もが情報の送り手であり受け手であるという潮流は、プロダクト開発にも当てはまっていた。言われた仕事をするだけではなく、自らも作り出し世に出せるのがデキる開発者という風潮があった様に思う。全てのウェブデザインが高彩度の配色にストライプとテカっとした鏡面光沢を帯びた時代だ。
ITバブルから数年経ち、微妙に乗り遅れた我々世代は一世代前の成功具合とは埋めがたい差があった。そうした中登場したYouTubeもFacebookも大企業発ではなく個人開発者達から生まれており、巨額の投資を得た彼らは一つのドリームだと考えられた。企業内にもそうした気流を取り込もうと(もしくはガスを抜こうと)、社員に自由に開発する時間を与えるのが流行った。私がいた部署も業務の何%かを自由に使える時間にもらえるようになっていた。
ちょうどプレイヤーが一段落した私にはずっと温めていたアイデアがあった。それは大学院の研究の延長線上で、ずばり動画上にコメントを入力できるシステムだった。ページ下部にコメントを入れる機能は既にあったが、動画の特定の箇所に対する感想が述べづらかったし、感動に時間差があるのが勿体無く感じていた。その解決だった。プレイヤーは自分の手元にあり、勝手知ったるこれへの追加開発は三日でできた。
各々が使った自由時間の成果発表会が事業部であり、私の提案は好評を得た。が、新卒が作ったYouTubeにない未知の機能はサービスには採用されなかった。そして忘れもしない、その次の日、ニコニコ動画がサービスをローンチした。
コメントの表示方法こそ違ったが、自分が想定した通りの盛り上がりがニコニコ動画上で広がっていた。インターネットならではの非同期な同時性。大学院の研究の方向性が間違ってなかったことに少し安堵しつつ、一方でこれがネットサービスの厳しさであると痛感した。アイデアを先に考えていたかどうかなんていうのは全然全く意味がなく、いかに早く作り、世に出し、人の心を掴み切るか、が重要なのだ。YouTubeという大道がある中に別の存在感を生み出したニコニコ動画、この両者が二〇一五年の今も残っていることがそれを十分に物語っていると思う。自分にとってこれが今日に至るまでモノ作りをする上で大事に考えるコトの一つとなった。
年が明け、QAさんとラリーの応酬をしたり、一念発起してプレイヤーのソースを綺麗に書き直したりしている内に、桜が咲いた。私の新卒一年目は、つまりプレイヤーを作っていた。気付けば、フォトショップも多少使えるらしいエンジニア、と呼ばれていた。思えば遠くに来たものだ。
さて、一年目だけでも色々なことがあった。この十倍の時と出来事が積み上がってると思うと愕然とする。そりゃ自分が何者か紹介もできないというものである。今オフィスは違うビルに引っ越していて、なんたらヒルズを遠くに望む。あの時見上げた先にちゃんと今があるのだろうか。一〇年目が終わるまでに確認し、改めて自己紹介をさせていただきたいと思う。
つづく
2015.12.18
鈴木 健司
”焼き鳥”と聞くと、一昔前までは”おじさん”をイメージさせる料理のひとつだった気がする。そんな”焼き鳥”も、ここ10年くらいの間に、デートや女子会で食されたり、はたまたグルメガイドで星をもらったりと、イメージや格が飛躍的に上がった印象を個人的には持っている。
「焼き鳥は好きだけど、あまりに煙たいお店はちょっと・・・」、という人もいるが、これまで身近なところで「焼き鳥が嫌い」、という人には出会ったことがない。だいたい焼き鳥の話になると、笑顔になって好みの食べ方やお酒との合わせ方、好きな部位やお気に入りのお店について話をする人が多い。
「ぼんじり、おいしいよねぇ」
「やっぱりレバーかな」「いや、ねぎまでしょ」
「焼き鳥の話すんなよぉ、食べたくなるだろ。今夜行く?」
「京橋のxxxはうまい」「銀座の○○は最高」
そんな話を聞くたびに、心の中でいつも思う。
「あぁ。焼き鳥って、ものすごく美味しいんだろうなぁ。いいなぁ。食べたいなぁ。」
そう。
私は焼き鳥を食べたことがない。焼き鳥を食べることができないのだ。ベジタリアンでもないし、信仰上の理由とかでもない。ただ、これは我が家におけるジンクスなのだ。私や私の家族は、焼き鳥を食べようとしたり、もしくは焼き鳥を食べると、必ず誰かが怪我をするのだ。それも中々の大怪我をする。
自己紹介がてら、私にまつわる焼き鳥の話をしたいと思う。嘘のような話だが、作り話ではない。ノンフィクションだ。なるべく簡潔にわかりやすくお話するよう心がけるので、少しお付き合いいただけると嬉しい。このジンクスは、私、高原直樹が3歳(1982年頃)の時に始まり、8歳、10歳、と3つのエピソードで紐解かれる。
エピソード1
父の仕事の関係で、私は0歳6ヶ月から3歳までをシンガポールで過ごした。そんな私が3歳のある日、母は夕飯の一品として焼き鳥を用意していたのだという。父のことを想い、東南アジアのシンガポールに来てからも頻繁に日本の味を献立に加えていたそうだが、焼き鳥がテーブルに並ぶのはその日が初めてだったらしい。母がそんな想いで焼き鳥を用意しているとは知らない私は、やっと一人で乗れるようになった補助輪付の自転車で友達と遊んでいた。その時である。気持ちよく自転車で坂道を下っていたら、急にブレーキが利かなくなった。坂を下った先はT字になっており、正面にはコンクリートの壁がそびえている。自転車から飛び降りたり、足を地面に付けてスピードを緩めるといった発想のない3歳の私はどうすることもできず、スピード全開で壁にぶち当たった。全身、特に顔を激しく壁に打ち付けてしまい、歯茎を大きく切ってしまったのだ。夕飯の準備をやめて家から飛び出てきた母は、私をかかえるようにしてタクシーをつかまえ病院へ連れて行った。私は歯茎を4,5針ほど縫うことになった。
当時3歳。3年という短い人生における初めての大怪我である。怪我をした後の細かいことは覚えていないが、自分の行く先に見えるコンクリートの壁の揺るがない佇まいは、今も鮮明に記憶している。
この話には続きがある。
私を病院に連れていく際、銀行でお金を下ろす余裕などない母は、手術代や治療費を全額支払えていなかった。そこで、その日の夜に父が会社帰りに治療費を支払いに行くということで、病院と話をつけていたのだ。会社で母からその旨連絡を受けていた父は、仕事が終わると雨の中を車で病院へ向かった。普段からスコールの多い赤道直下のシンガポールだが、その日の夜は特に雨と雷がすごかったそうだ。病院への道中、父は中央分離帯に大きな南国の木が美しく並ぶ大通りで、信号待ちをしていた。
その時だった。
父の車に何かが落下してきて、車の屋根ごと父の顔面はハンドルに激しく打ち付けられた。父の鼻は曲がった。どうやら、ぬかるんだ地面に耐え切れなくなったのか、父の車のすぐ脇の巨木が父の車と、もう一台隣の車へと倒れかかってきたのだった。その巨木は父の車の屋根を押しつぶし、フロントガラスを割りながら、父の頭をハンドルへ叩き付けたのだ。ぐしゃぐしゃになった2台の車と道に横たわった巨木の写真は、翌日のシンガポール地元紙を華々しく飾った。英語で書かれた記事の内容をGoogle先生に翻訳してもらうとこうなる。
巨大な木が、二台の車の上に落ちました。
二人のドライバはひどく揺れたが、彼らは怪我を免れました。
しかし、正体不明の男は、日本人の旅行者であると思われ、いくつかの切り傷や打撲を負いました。彼は後にシンガポール総合病院で治療を受けました。
シンガポール総合病院で治療を受けた、正体不明の日本人旅行者が父だ。私が歯茎を縫ったのは、シンガポール総合病院ではない。父は息子の手術代を払うことなく、他の病院へ行ってしまった。
母にとってはまさに悪夢のような一日だっただろう。
自転車のブレーキが利かずに壁にぶち当たり口の中を血だらけにした息子と、倒れてきた巨木で鼻を骨折した夫。高原家にとって、忘れたくても忘れられない日となったのだ。
エピソード2
月日は流れ、私は小学校2年生、8歳になっていた。我が家は私が3歳後半になったころに父の赴任期間終了により帰国し、埼玉県の郊外で平凡に暮らしていた。そこでの生活において、高原家は”生協(COOP)の共同購入”という仕組みを毎週利用していた。
”生協の共同購入”とは、ざっくり言うと移動式スーパーのようなものである。2名以上のご近所の集まりの単位(班という)で、生鮮食品や冷凍食品などを一括して購入申込みをすると、その翌週に生協のトラックがそれら商品を家の近くまで運んできてくれるというサービスだ。事件が起きたその日も、昼下がりの決まった時間になると、生協のトラックがご機嫌な音楽を住宅街へ響かせながらやってきた。うちの母含め近所のおばちゃんたちはその音楽を合図に、商品を選り分ける場所となっている藤田さんちの前へと向かうのだ。
母が家を出たころ、私は前日から考えていた計画を実行するときがやっときたと、ワクワクしていた。実はその前日、私は県道沿いのホームセンターで、ずっと欲しかったスケボーをようやく買ってもらっていたのだ。
頭の中は、
「スケボーに乗っているカッコいい僕を誰かに見てほしい」
「スケボーに乗っているのを誰かにうらやましがられたい」
「すごいねー、かっこいいねー、いいなーって言われたい」
という欲望で溢れていた。
トラックの音楽が鳴りやみ、近所のおばちゃんが商品の選り分けを始めるころ、私はスケボーを手にとり家を出た。前日から考えていたストーリーはこうだ。
ウチから30メートルほど先の藤田さんちへ、スケボーに乗って素知らぬ顔で颯爽と向かう。
近づくにつれ近所のおばちゃん達が僕に気づき、「上手ねー」と賞賛の声をあげる。
近所の子供たちが僕に羨望の眼差しを向け、口々に「いいなー、すごーい」と言う。
私は「え、なになに。あ、スケボーのこと?いやいや、全然たいしたことないよ。」と、スケボーなんて当たり前という感じで、藤田さんちの前を延々とぐるぐる乗り回す。
結果、超気持ちいい。
この後展開される恍惚の場面を想像した私が、心躍らせて視線の先に母を含めたおばちゃん集団を確認し、スケボーに左足を乗せ計画を開始したその時、私の体は宙を舞った。一瞬のことで何が起きたのかわからなかったが、直後、胸と顎に強い衝撃を感じた私は、気づくと道路にうつぶせに横たわっていた。勢いよく滑り出してすぐに、道路に落ちていた小石にウィール(スケボーのタイヤ)が乗り上げ、私の体はスケボーの前に投げ出されたようだ。痛みの走る顎を左手で抑えながら、また息苦しい胸の痛みに顔をしかめながら、地面から頭を上げた。ヌルっと生温かい手触りを感じた左手を顎から離してみると、びっくりするほど血まみれだった。まっかっか、である。志村けんのコントさながらだ。パニくった私の頭には、前日からの計画のことなど毛頭ない。藤田さんちの方に向けて渾身の力でぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあと泣き叫んだ。すると、近所のおばちゃん達と、子供たちがその声に気づき、藤田さんちの前がざわつき始めた。一人のご近所さんが「あれナオ君じゃない?!」と母の視線を私へ向けさせた。
道路に転がったスケボーの脇で、顎から血をボタボタ垂らして泣き叫んでいる息子も転がっている。母は血相を変えて走ってきた。
「なにやってんの!!どうしたの!!顎見せなさい!!」
アスファルトの地面に打ちつけられた顎には、大人の小指ほどの穴があいていた。
計画の全てが失敗だった。でもその時の私には、もう計画のことなどどうでもよかった。母は商品の選り分けをご近所さんにお願いし、私を車の助手席に乗せ、整形外科へと向かってくれた。その車中、助手席の私はタオルで顎を抑えながら、ずーっと、ひたすら母から怒られ続けた。前を見ていないのではないか、と心配になるくらい、助手席の私の方を見て母は怒り狂っていた。あぁー、いま思い出すだけでも、あの車の中は地獄だったなぁ。顎はジンジン痛いし、お母さんは見たことないくらい怒ってるし。今になってもまったく笑えない。そんな地獄をどうにかやり過ごした私は、整形外科で顎を3針縫ってもらった。
そしてその夜、母が父と私にこんなことを話し出したのだ。
「私たちは焼き鳥に呪われているかもしれない。もう焼き鳥を食べることは禁止です。」
母は私にとって久々の怪我であるこのスケボー事件を受けて、シンガポールでのことを思い出したらしい。縫うような大怪我は、シンガポールでの出来事以来だ。あの時と今回の共通点はなにかあるのか?
「焼き鳥だ!」
あの日は夕飯に焼き鳥を用意していた、今日も生協で焼き鳥を注文して、ちょうど藤田さんちの前で自分ち用の袋に焼き鳥を選り分けていた。焼き鳥が原因に違いない。焼き鳥の日に怪我をする。鶏肉ではない。唐揚げやささみフライはこれまで食べても何も起きていない。串にささった鳥、そう、焼き鳥を食べてはいけないのだ。
そうして、我が家に焼き鳥禁止というルールが加わった。
エピソード3
スケボー事件から2年たち、私は小学校4年生になっていた。
もう顎の怪我も当の昔に治り、スケボーで転んだことなど忘れていた。その日は母の夕飯の買い物に、家から5分の「スーパーみよしや」へついていっていたのだ。みよしやの駐車場の脇には、週に何度か焼き鳥屋の屋台が出ている。いつもは我が家の焼き鳥ルールを意識して見て見ぬ振りをするが、その日はあまりにもタレの焼けた良い匂いに我慢ができず、ダメもとで母に焼き鳥を買ってほしいとねだった。母がかなり渋ったことは覚えているが、家に帰ってから食べること、食べたら絶対に家から一歩も出ないこと、早く寝ることを条件に、どうにか一本のつくねを買ってもらったのだ。
嬉しかった。3歳の時も、8歳の時も、私は焼き鳥を食べていない。食べる前に怪我をしているからだ。ようやくあの焼き鳥を食べられるのかと、心からこみ上げるものがあった。輪ゴムで留められた透明のパックに、照りのよいタレをまとったつくねが一本。家に着くのが待ち遠しかった。小躍りしていたと思う。そして家に到着するなり、むしゃぶりつくようにつくねを食べた。透明パックのタレもすべて舐めつくした。おいしかった。あの味は忘れられない。家の中ということで母も安心したのか、笑いながら息子がつくねを食べる姿を見ていてくれたような記憶がある。
その後夕飯を終え、母と「何もなかったね。焼き鳥は関係なかったのかもね。たまたまだったんだね。」と、もう何も起きないだだろうと風呂へ入ることにした。恥ずかしながら、一人っ子の私は、小4でも母と風呂に入っていた。下の毛も生えていなかったので、特に恥ずかしくもなかった。なぜ風呂の話をしだしたのか。悪夢は風呂場で起きたのだ。髪や体を洗い終え、風呂から出ようとドアのノブを回し手前に引いてみるも、一向にドアが開かないのだ。
あれ?
徐々に母と私の表情はこわばってきた。何度か交代してドアを開けようとするも、まったく開かない。すると、母がほぼ半泣き顔でこう言った。
「やぁきぃとぉりぃぃぃ~~~」
母は錯乱状態になり、
「このままドアが開かなければ酸素がなくなり窒息して二人とも死んでしまう」
「寒さで気絶してしまう。そして死んでしまう。」
「お父さんが帰ってくるまではもたない。結果、死んでしまう。」
と言った内容のことを叫び始めた。いま考えると、小学生の息子をただただ不安にさせるだけのことを連呼し、冷静さを欠いたダメなお母さんだなと思う。でも当時の私は母の叫びを聞いて、「焼き鳥よ、お前はそこまでするのか!私たちが何をした!」と、恐怖とともに怒りの感情がこみ上げた記憶がある。
そして、あたふたする母の横で、危機感が頂点に達したとき、10歳の少年は覚悟をきめた。その顔はおそらく少年のそれではなく、すでに男だったはずだ。私はドアをガチャガチャ揺らす母を横に押しやり、咆哮を上げながらガラスのドアへ自分の右足を振りぬいた。ドアのガラスは粉々に砕け散った。割れたガラスの先に脱衣所が見えた。これで外界に出られる。
と、ほっとした私の右足は血まみれだった。スケボー事件をしのぐ流血だった。一瞬の静寂ののち、母と息子は素っ裸で風呂場で叫び散らかした。私は完全に少年の泣きっ面にもどり、パニックに陥っていた。しかしほどなくして、ドアがあいた(実際あいてはいないが外には出られる)という安心と、息子の突然の奇行にひいたのか、母は冷静さを取り戻していた。母は、まだ枠の部分にガラス片が残っているドアをよつんばいでくぐりぬけ、私に手を差し伸べ風呂場から引きづり出した。
私は母に抱きかかえられ、全裸で近所の総合病院へ連れていかれた。暗くなった病院玄関のインターフォンへ母が叫ぶ。
「息子の足がとれそうなんです!息子の足がとれそうなんです!早く診てください!」
私の恐怖は倍増した。血はたくさん出ているけれど、まさか足がとれるとは思っていない。深く切れているだけだと思っていたのに、とれてしまうのか・・・。誰かと戦っているわけでもないが、ほぼ戦意喪失した私の記憶はそこから家に帰るまでほぼない。気づくと家の蒲団の上で横たわっていた。
結果として、傷が深かったため二重?二層?に分けて縫ってもらったらしい。計8針。
その日以降、私は焼き鳥を一本も食べていない。
私が唯一食べた焼き鳥は、みよしやの駐車場の屋台で売られていたあのつくねだ。冒頭で、焼き鳥を食べたことがない、と言ったが、正しくはつくね1本しか食べたことがない。
現在、満35歳。食べた焼き鳥はつくね1本のままだ。
会社の上司に高級焼き鳥屋に連れて行ってもらった時も、「鳥抜きでお願いします」とオーダーし、店の大将が席まで私の顔を見に来たことがある。うずらやアスパラをひたすら食べた。馬鹿みたいな話だけど、こんだけ怪我してたら食べられない。
と思っていたら、去年実家で父が「最近焼き鳥食べてるよ」と悪びれもなく暴露した。まだ気持ちの整理はついていない。
2015.11.14. 高原直樹
自己紹介。
出身は東京。次朗君と多摩美の同期です。
35歳一児の母親、夫とは国際別居婚で、夫は東京に、私と娘はマレーシア在住1年半になります。
社会人になってからは、放送局、デザイン事務所、制作会社やらで、After Effectを使った映像制作業を7年ほど。
その間WEBも勉強して、WEBデザイナーとしても7年ほど。
すなわち、ご要望あればデザイン絡みWEB絡み全般、何でも屋みたいなものです。
マレーシアでは日本企業でデザイナー業やりつつ、インターナショナルスクールでアートの先生もやっていましたが、子どもが小学一年になるタイミングで帰国しようと思っているので、残り1年弱、今までとは違うことをやりたいな、と日本企業の常勤は先月辞めました。
前回パスマイの記事を書いた時日本帰国中だったのですが、奇しくも今回も帰国のタイミングです。
さて、先ほど突然、インド人のママ友のクリシュナから連絡があり、5日にインドに本帰国するという。
2月には帰国する、ときいていたけれど、まさかこんなに突然早まるとは。
彼女たちはご夫婦でインドのエンジニア会社で働いていて、プロジェクト毎に色んな国を回っているらしい。
プロジェクトが終わると、突然ほかの国へ赴任が決まることも多々らしい。
彼女はマレーシアに来て初めてできた外国人のママ友である。
子どものお迎えの時間が同じ位で、子ども同士も同じクラスだったので、帰りに一緒にキャンディ食べたり、アイス食べたり。
食文化とかカルチャーが結構違うので、食事の際は色々気をつかう場面もあったけど、家族同士で食事にいったりお家に招待して頂いたり、映画を見に行ったり、思いおこせばこの1年半でたくさんの思い出があります。と同時に、ここからまた全然違う世界にお互い帰っていくんだな、と思うと、不思議な感覚でもあり。
ここで出会う人たちは、突然自分の国に帰国してしまうので、なんだか人間交差点のように、新しい人にであっては、皆が突然自分の国へ帰っていく。
子どもにとっては同じ幼稚園に通っていた同窓生が世界中にいるって結構面白い事だよね。
最後に「さよなら」を言えないままのお別れになってしまったけれど、またいつかどこかで会える機会はあるのかな?
多分いつか、インドのコルカタに、彼等家族に会いにいくんだと思います。
そう考えると、ここに来てから世界が大分狭くなった気がします。
2016年2月3日 宮本 留奈
気持ち新たに自分のことを話します。
が、経歴や今の生活は3行くらいで終わるほどの地味なものなので今回は赤裸々に思ってきたことを中心に書きます。ツラツラ書くので乱文失礼します。
高校生の頃、ポラロイドや写るんですの進化から写真がはやりました。それに乗じて写真部に入り父にオリンパスOM-1を貰い写真にハマりました。地元まあまあ近くに植田正治写真館があり、その存在を知ってもっと色々勉強したい、私も写真で仕事してみたいと思うようになりました。高校三年生の夏、急遽進路を変え京都芸術短期大学に入学しました。
そこでまず、イマイミキコ氏と出会います。広島から来たファンキーな出立ちにいきなりあんた呼わばりされビビりつつもビビっときます。彼女との付き合いは以降濃く続きます。
次にキシモトマサキ氏と出会います。第一印象は「こんな気持ち悪い高校生がいるのか。」しかし、来年度絶対にこの短大に入ってほしいと思いました。それ以降彼から受けた影響は大きいと思います。特に就職後、写真家になりたいと枠だけ決めてそれに苦しんでいた自分にとって、そこに名前は無いけれどやりたいことの内容がいつも明確な彼の生き方が神々しく感じた時期があって、それが才能なのだろうけどもそんな人が身近にいるのはありがたいなと思いました。
短大時代は何の欲求かわからないけどとにかく非日常なことアウトローなことを欲していて、お風呂に何日はいらず生活できるか等大変迷惑な思想、生活を実践していました。たまにいく合コンでもてないのは悲しいけど女性として扱われたくはないとか、どうでもいい矛盾をたくさん抱えていたような気がします。
卒業後一年ふらふらした後、一念発起して上京しました。学生時代を京都で地下的に過ごした私にとって東京の若者というのは取っ付きにくそうだと思っていたら案の定、道すがら私の前に飛び出した知らない男子が空を見上げて「う〜ん、なんて気持ちのいい天気なんだ!!」といい声を上げました。私はなんて爽やかな男なんだ。光が射せば影が見えるはずなのにこういう人には影が無いのかもしれない。こんな男が東京には存在するのか。怖いところだ。と思いました。その日から東京に対して構えるようになりました。だいぶ馴染みましたが今でも少し、苦手です。
20代はスタジオ勤務やアシスタントをしつつ、友人と二人でカンボジアにハマり休みの度に足しげく通いました。それについてはいつか書きたくなるかもしれないので詳しくは書きませんが、7歳上で行動力のある友人がどんどんカンボジアに爪痕を残すのに対し、それについていくしか無い未熟な自分をいつも惨めに思っていました。友人がいなければ20代の私の思い出や感性はもっと世界の狭いものになっていただろうと思います。
その思いからでしょうか。20代後半は日本にいても外国人との交流を求めるようになりました。自分とは全く違う生き方をしてきた人に憧れて外国人とお付き合いしていたりもしました。言葉が正確に伝わらないくらいの方が気楽かもなんて思ったりしていました。
が、30代に落ち着き今後を考えるようになったとき、それまでの生活がなにか違う気がしてきました。仕事は細々とだけどちゃんともらえていて、それがすごく楽しかった。よし、ここに足をつけてやっていこうと思った時に20代の悶々から解放された気がしました。そしてそんなときに夫とトントン拍子にくっつきました。普通に地味に生活することを一緒に楽しめる人です。
そして今に至ります。思えば20代は土台は無いけど思考自体、エネルギッシュだったと思います。30代は楽しめることが格段に増えた気がします。40代が楽しみです。
ざっくりだけど以上です。
2016年2月13日 高原綾子
問1:好きな色は?
赤(血の色)(ほんとは透明が好き)
問2:その色は自分に似合う?
赤いズボンは持ってるけど似合うと思う。
問3:好きな食べ物は?
ごはん(実家の米を土鍋で炊いたら本当にうまい)
問4:苦手な食べ物は?
納豆、漬物(保育園でたくあんを食べた記憶はあるので、そこで何かあったのかもしれない)
問5:好きな動物は?
猫(かわいい。気が合うと思ってる)
問6:この世界に嘘と本当とどっちが多い?
数は同じだけど、嘘の方がでかくて本当の方が小さいイメージ。結果嘘が多く感じる。
問7:印象に残っている映画は?
スリーパーズ(看守役のケヴィンベーコンの怖さよ)
問8:はじめて自分で観た映画は?
ホットショット2かミセスダウト
問9:幽霊など、みたこと感じたことある?
ある。飼い猫が死んだ当時、毎晩布団の上に来ていた。
問10:なってみたい職業は?
料理人(厨房が好き。人に作るのも好き)
問11:尊敬できる職業は?
医者、芸人、漫画家
問12:どちらかといえば明るい?暗い?
暗い
問13:意外に続いていることは?
読書
問14:一番古い記憶は?
保育園の庭で、土砂降りの雨の中を走っている自分をかっこいいと思っていた記憶。
問15:今持っている服で一番古いのはいつの?それは何?まだ着てる?
中学二年生のとき。黒いズボン。着てる。
問16:着てないけど好きな服は捨てる?
なかなか捨てられない。圧縮して保管している。
問17:靴は何足持ってる?
18足(長靴、サンダル含む)
問18:暗いのと狭いのどっちが怖い?
狭いの
問19:小学校楽しかった?
あんまり楽しくなかった(同級生や上級生が子供過ぎた)
問20:中学校楽しかった?
あんまり楽しくなかった(ここじゃない感が強かった)
問21:高校楽しかった?
めちゃくちゃ楽しかった(友人や先生のおかげ)
問22:大学楽しかった?
楽しかった(志を同じくする人たちの集団は心地良い)
問23:得意な科目はあった?
国語、特に現文と漢文はずっと得意。ちなみに、やり投げと懸垂は高校時は学校内トップ
問24:鉛筆って使ってる?
ラフやメモに使っている
問25:こだわりの文房具持ってる?
シャーペン、ボールペン、子供用万年筆、水性ペンはそれぞれお気に入りがある。
問26:(自分のイメージと合わないなと思う)好きな本は?
ズッコケ三人組シリーズ、モモちゃんシリーズ
問27:(自分のイメージと合わないなと思う)好きなマンガは?
マージナル(萩尾望都)、銀色のハーモニー(柊あおい)、ハイスクール奇面組(新沢基栄)
問28:(自分のイメージと合わないなと思う)好きな人は?
ジョージ・クルーニー、黒木華
問29:許す?忘れる?
忘れる(結果、許す。でもそもそも許さない!みたいな気持ちがない)
問30:「自分」が変わったタイミングってある?
100%高校時代
問31:好きなものは最後にとっておく?
少なくとも最後の方にとっておく
問32:将来気軽に他の星に住めるなら住む?
多分住まない。子供や孫が住んでたら気軽に行く。
問33:好きな国はある?
イタリア、ネパール。憧れならスイスやアイスランド。
問34:気分転換の方法はある?それは何?
意識的にはしていないけど、歩くこと
問35:どんな時に怒る?
多分ほぼ怒らない。怒るより心を閉ざす。悲しくなる。
問36:2駅くらいなら歩く?
歩く
問37:コップに水が、まだ半分/もう半分?
まだ半分(ネクラだけどポジティブ)
問38:蟻をずっと見ていたことはある?
ある。飴や角砂糖を置いてひたすた見ていた
問39:お風呂、どこから洗う?
頭
問40:好きな時間帯は?
春なら朝。夏なら夕方。秋なら昼前。冬なら夜。
問41:親から見た自分のイメージってどんなだと思う?
多分、やさしい子
問42:それについてどう思う?
ほんとそう
問43:影響を受けたものは?
その時々の好きなものだけど、直接的な影響は友人たち。反面教師も含め。
問44:二段ベッドの上と下、どっちで寝たい?
下(でも実際そうだった時は壊れてつぶされることに恐怖して寝られなかったし、隅の方とかに寝ていた)
問45:今までで一番驚いたことは?
原爆が落ちたことか、宇宙に暮らしているということ
問46:何もしないことは苦痛?
平気。むしろ好き。
問47:思い出の曲は?
いろいろあるけど、CHARAのミルク(高校ど真ん中)、
RadioheadのAirbag(再生ボタン押してイントロ流れた時のあの気持ち!)
問48:好きな季節は?
全部好きだけど、選ぶなら春。
問49:好きな年中行事は?
花見(あの時期の幸福感!)と月見(あの時期の爽快感!)
問50:いちばんきつく親に怒られたのは何?
母親には、ピアノの練習をサボった時。父親には、車で出かけて朝まで帰らなかった時。でもどっちも大したことはない。
二〇一六/三/九
次朗
広島でうまれ育ち、京都で大学生活を送り、就職で東京へやってくる。途中、東京を離れるも結婚を機にまた上京。1歳の娘を育てながら、なんちゃってデザイナーとして毎日出勤するオフィスレディ。
そんな自分の自己紹介ですが、普段、まったく紹介しない部分を書いてみます。けっして宗教の勧誘ではなので、安心して読んでください。
父方は高野山の真言宗、母方は生粋のカトリックという和洋折衷な家庭に育つ。父も母もお互いの宗教イベントには干渉しすぎず上手に付き合うという具合だった。クリスマスのミサに父は参加せず、ひとりお留守番。年が明けた初詣には母がお留守番。という感じで、よくよく考えたら不思議な状況だが、我が家では当たり前だった。いまでもそうである。
通っていた幼稚園も近所の子供が通う近くの園ではなく、バスで通う遠くの町の大学付属の幼稚園。教会の敷地内にありモンテッソーリの教育法を取り入れている園だった。今でいうお受験みたいなものがあったけどカトリック信者のウチは顔パスだったと思われる。白いタイツにエナメルの靴を履き、大きなバッグを斜めがけし、水兵さんのような格好で毎日バスを待つ。人生の中で一番品のあるいいコちゃんの時代である。
年中さんのある日、園長先生であるシスターに「洗礼名を決めようね」と話しかけられる。クリスマスのお遊戯会で「大天使ガブリエル」(聖母マリアにお腹のなかには赤ちゃんが宿っており、それはメシアであると告げにきた天使)の役をやったことにあやかり「お告げのマリア様」という意味の洗礼名をいただく。が、やたらめったら長いカタカナ名が幼稚園児の私にはまったく聞き取れず、何度教えてもらっても分からないので「うん、それでいいよ」と曖昧に答えた事だけをすごく印象的に覚えている。そして洗礼式を経てカトリックの信者になった。俗にいう幼児洗礼の信者。大きな貝の器の上で、耳のあたりに水(聖水)をかけられて泣いたことしか記憶にない洗礼式のミサだった。
幼児洗礼のあるあるで「12人の弟子の名前が全然言えない」ってのがある。もちろん私も言えない。せいぜい5人(新約聖書を書いた4人と裏切り者のユダぐらい)イエスキリストが小さな頃から近くにいるため、その存在が当たり前すぎて興味を持たず勉強をすることなく大人になってしまうというのが原因かと。だから、成人になってから信者になる人は、たくさん聖書を読んで、たくさん神父さまの説教を聞いて洗礼式に臨むため、ものすごくいろんなことを知っていてものすごく信心深い。自分の意思で信者になる人に幼児洗礼者は勝てない。(勝ち負けではないけど)結局、私は叔母にもらった分厚い聖書も手に取ってはこなかったし、信心深いかどうかも首をかしげる。
母としては「小さなころから神さまの近くで」という想いで幼児洗礼を受けさせてくれたんだろうけど、結果こうなってしまっていることが良いのか悪いのかは、謎のままだ。
そして、小学生へと成長。毎週日曜日の朝のミサは、テレビでアニメが見れなくなるのでとにかく行きたくなかった。引きずられながらクルマに乗っていた。つまらなく長い神父の説教。校長先生の話なんて、全然比ではなかった。
さらにもっと私を苦しませたのは、高学年になり人類のルーツについて習ったときだった。「我々の祖先はサル」だと教わったときは衝撃のあまり授業中に大号泣して先生も生徒もドン引きさせた。自分にとってその件はかなりの幼少期に叩き込まれた案件であり、それは「アダムとイヴ」だったのだ。あの時の衝撃は忘れられない。「あの、動物園にいる、あのサルが・・・サルが自分の祖先?」サルが進化して人間になったなどと、全く受け入れがたい衝撃すぎる事実だった。空が動いていると思っていた人たちが地動説を説かれたときの衝撃と近かったと思う。
あと、サンタさんがトナカイを連れてソリでやって来ないと知ったときも雷に撃たれたような衝撃だった。モーセの十戒やノアの箱舟が聖書の中の出来事だと知ったときも、世界観がそのつど崩れ修復に苦労した。(そうか、人は海を動かしたりできないんだ。そうか、雨が降ってるのは神さまが怒ってるからじゃないんだ、等)
学校でいろんな事を学ぶ前の幼少期に仕入れた知識が世の中の常識と違った場合、後から入ってくる常識に置き換えるには相当な時間とエネルギーがいる。洗脳とは恐ろしいものだな、と幼いながらも実感した小学生だった。
そして思春期、タバコとビールを覚えたのは中学でも高校でもなく教会だった。たしか16歳。学校生活よりもさらに年上の大学生たちと接することも多く、自分が住んでいた広島市を中心に西日本の各地に友達や知り合いができた。学校とは違う雰囲気の友達に、良くも悪くも影響を受けた。
よくある「青年会」というものが教会にもあり、若い衆がイベントを作って集まり、カトリックを盛り上げていこう!ということなんだけど、実際はこれまたどこぞの青年会と同じく「飲んで食べてカラオケいってタバコ吸っての乱痴気騒ぎ」だった。「あのコがあの人と付き合ってる」「あの二人はクリスマスに別れた」だのそんな感じ。私も初めて付き合った彼はそのグループ内の社会人だった。でも、やっぱりカトリックの信者だからなのか、まわりが目指す職業は看護師や介護士、幼稚園や学校の先生といったものが多かった。なかには神父やシスターになるというコもいた。(基本的には学院や聖心などの賢いコが多かったし)そんな中で美術系に進む予定の友達はあまりおらず、髪も服も志茂田景樹みたいな私はひとり浮いていた。でも、その青年会のつながりで、いまでも大事な友達はできたし、なにより高原綾子と出会うことができた。(彼女はカトリックではないけどね)それは神に感謝である。
そして大人になっていくと、ふと違和感を感じるようになる。旅行したり読書していくうちに、興味があるのは神道や仏教かもしれない、と思うのだ。西洋の普遍的な思想がなんとなくしっくりこない、それよりもやおよろずの神さまの方が親近感があった。聖書よりも日本神話の方が面白そうだし、海外の教会巡礼よりも日本の神社仏閣の方が楽しかった。世界史ではなく日本史を専攻してしまったからなのか? やはりそこは西洋ではなく東洋の日本人だからなのか? と・・・これもまだ答えは出ず。
だがしかし、習慣というものは恐ろしい力を持っている。自分がどんなに信心深い信者じゃなくても12月24日のミサだけは行かないと一年間最悪だったというぐらいの後悔が待っていて大きな罪悪感に苛まれるのである。遠い空の彼方から、神さまがぐぐぐーっと手を伸ばしてきて、私の頭を鷲掴みして教会の方向に放り投げられる、というような感覚。なので、クリスマスを彼氏と過ごしていようが、徹夜で仕事をしていようが、中座してでも教会には行った。(幸い、今までの彼は皆なぜか教会についてきてくれた)なので、私にとってクリスマスはケーキやチキンを食べる日ではなかった。
あと、これは大人になってから気づいたことだけど、クリスマスのミサでしか歌わない賛美歌がある。1年に一度しか歌えないその賛美歌が私はとても好きで、それを歌いたいという理由でクリスマスのミサが欠かせないというのもある。そして、不思議なことに、その賛美歌を歌っているとなぜか自然と涙がでてくる。言ってる自分が信じられないけど、「心が洗われる」とでもいうのか。身体の中がカラッポに真っ白になっていくような・・・昔、母がミサでよく涙を流していた。あのころは「気持ちわるい」としか感じなかったけれど、今ならなんとなくわかるような気さえする。
さらにさらに大人になり、ついには自分も結婚することになった。先の違和感の件もあり、結婚式は神社で行いたいと思っていた。(ドレスを着たくない、という理由もアリ)しかし、そこはやはり母方の希望で東京のとあるカトリック教会で挙げることになる。(ダンナはほぼ無宗教)敬愛する丹下健三氏が建築した教会だったし、それはそれで嬉しかったし誇らしかった。
そして子供が産まれても抱っこしてクリスマスのミサに行った。家から自転車でちょっと走ったくらいのところに教会がある。これもなにかの縁なのだろうか。「通いなさい」と言わんばかりの距離だ。あんなに行きたくなかった日曜日のミサに、娘がもう少し大きくなったら一緒に行こうかなと思ってる自分が信じられないが。テレビが見たい!行きたくない!とダダをこねられることも簡単に想像できる。自分には引っ張って連れていくほどの根性はないし、幼児洗礼を受けてもらいたいかどうかなんて、全く考えてもいない。だが、歴史は繰り返されるのだろうか。
結果、12人の弟子の名前は言えないけど、自分のなかに彼の存在があることには間違いなく、それがイヤだったことは一度もない。「明日のテスト満点にしてください」「朝帰り怒られませんように」くだらないものから真剣なことまで、なにかしらのより処にはなっていたし、幼児洗礼をさせてくれた両親にもいちおう感謝している。
そしてこのあと、祖母をふくめ両親たちの死後、お葬式やお墓をどうするのかの大問題が待っている。一体どうするんだろうか、お坊さんを呼ぶのか、神父さまに頼むのか・・・。そして自分はどうするのだろう。どうしたいんだろうか。そこをどうするかによって、先の問題たちを解決できるような気がする。
明日はイースター、復活祭。聖書をくれた叔母のダンナが信者になるというので、広島から親戚たちがぞろぞろと上京してくる。
「ゆでたまご10コ作って持ってきてね」という我が母のムチャぶり、健在。
二〇十六年 参月廿六日 マッチ(いまいみきこ)
【名前の由来】
好奇心旺盛な女性になってほしい
聞くのではなく自分の目で見て、物事を知ってほしいという願いを込めて
【趣味】
読書(主に実用書、エッセイ)
ドラマ鑑賞
細かい作業
ヨガ
【仕事】
住宅関係の会社の受付業務
チームの取りまとめ
【育ってきた土地】
千葉→東京→名古屋→横浜→埼玉→東京(NOW)
【将来の夢】
人の心を豊かにする仕事に就く(そのためにはまず自分の心を豊かにする)
自然が多く空気のきれいな場所で暮らす
【最近感動したこと】
瀬戸内海にある豊島という小さな町で出会った石で作ったおみやげを売っているおじさん。
岡山県内で石材屋さんを営んでいて、おやすみの時に実家である豊島に帰り、石のおみやげ屋さんを開けているそう。
たまたまふらーっと入ったら、元気よく挨拶をしてくれた。
私は「変に売りつけられたらやだな~」とか、「ちょっと店から出辛くなってしまって面倒くさいな~」等と思っていた。(ごめんなさい)
出るに出られずその店にある石臼を見ていたら、「それコーヒーの豆挽く専用の石臼なんですよ」と。
「時間あったら飲んでいきませんか?」と。
その時点でそのおじさんが、ものすごくいい顔をしていることに気が付いたので私の邪念も晴れ、「ぜひお願いします」と言い、コーヒーを頂くことになった。
実際に石臼でコーヒー豆も挽かせてくれ、「いろはす」を使っておじさんが淹れてくれたコーヒーがおいしいこと、おいしいこと。
コーヒーが苦手な私だけど、こんなにおいしいコーヒーは初めて飲んだ。
お礼にと石のお土産を3つほど買おうとしたら、1つ400円て書いてあるのに、3つで500円でいいですよ!今日初めての売り上げですよ!ひとつでも売れてよかったーと満面の笑みで、かわいい手作りのフクロウ柄の袋に入れて、これまたフクロウのシールを貼ってくれた。
帰る時も、見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。
初めてあった人にこんなに優しくしてくれる人がいるのかと涙が出た。
【好きなテレビ番組】
クレイジージャーニー
72hours
家、ついていってもいいですか?
サラメシ
ゆとりですがなにか?
とと姉ちゃん
重版出来
【好きな食べ物】
牡蠣
パクチー
味噌汁
鳥肉
甘酒
【嫌いな食べ物】
ラム肉
【好きな場所】
瀬戸内海の島々
エジプト
高野山
2016.5.9 岸本知見
自分を知る、って何だろう。
30代も半ばを過ぎると、「俺ってこんな人間だ。」なんて知った気になっていたりしたけれど、「そんなに簡単じゃねえよ、甘いな。」って、知った気になっていた自分へすごい角度から神様に突き飛ばされる感覚を覚えたここ最近である。
自分が日々、何を考えているのか。何を考えているのかを知っているのか。なぜそのように考えたり感じたりしているのか。自分へ降りかかる日々の色んな出来事、まさか想像もできないような出来事に対して、それが起こった時に自分がどのような感情を抱くのか。そのときの自分はどうなるのか。自分を知るって、川面を隔てた対岸ではしゃいでいるどこかの家族の様子を、ゆったりと寝そべりながら、でも、冴えた頭ではっきりと眺めている感じかな。なんてこの頃思ったりしている。
あれはたしか高校時代、メキシコへスキー旅行に行った時の話。
高校の友達とその家族とメキシコへスキー旅行へ行った。メキシコでスキー?イメージはないけれど、メキシコにもスキー場はある。スキー場には自分たち以外に日本人はいなくて、外国人ばかり。お国柄なのか、その場の雰囲気やメキシカンの濃い顔つきがそうさせるのか。よくわからないけれど皆ファンキーなのだ。スキー場なのに、半裸だったり、何なら全裸だったり。
そんなスキー場でのバカンス。
日本のスキー場しか知らない僕は、驚きと興奮で胸がいっぱいだった。周りの様子に戸惑いながらも父親とリフトへ乗り、高鳴る気持ちと海外でのスキーという状況がもよおす初体験のなんとも言えない不安を感じながら頂上へ向かっていた。メキシコはリフトの長さも規格外。すっごい長い。でも、それが良かったのかもしれない。眼下のコースを滑る人たちをのーんびり見て、少しづつ自分がその状況に馴染んでいくのがわかった。みんな脱いでるし、脱がない方が変なんじゃないか?せっかくメキシコまで来たのだから楽しまないと勿体無いのでは?とか。
そして、リフトが頂上に着く頃には結構吹っ切れていた。僕は下半身のウェアを脱ぎ捨てた。父は止めていたけれど、「大人にはわっかんねえだろこのヴァイブスは」と、聞く耳持たずにフル○ンに。
「まぁ見ててよ!」なんてことを父に叫んでメキシコの山肌を滑り降りていった。そこここの現地スキーヤーから「イエヤー!」「フォオゥー!」なんて歓声を浴びながら、僕はコースの中程にあるリフト乗り場まで一気に滑り降りたのだ。
リフト乗場に着くと係のメキシコ人が僕の滑り方について何やらアドバイスをしてくれた。言葉がわからなかったけれど、雰囲気としては下半身をもっと使え的なことをジェスチャーしていたような気がする。でもまぁ正確には何を言っているのかわからないから、とりあえず愛想笑いをしてやり過ごし、友達が待っているさらに下のコースへと降りるくだりのリフトへ乗車した。
フル○ンでリフトを降りた時だった。
僕はレンタルしていたスキー板を返却していないことに気がついた。乗ってきたくだりのリフト乗場の脇にあったショップへ、板を返さなくてはならないのだった。リフトを降りた所にいた係の人に相談するも、「今日中に返却しないとダメだよ。でもこのリフトを戻ってもメキシコには行けないから、車で連れていく」と。
もう高校生なので、おかしなことを言っているのはわかった。車でどうやてメキシコに行くんだよ。その前にここどこだよ。でも係の人は、メキシコまでは時間がかかるからトイレに行っておけと言う。聞きたいことはたくさんあったけれど、とりあえず言われるがままトイレへ。用を足して戻ると、車の後部座席へ一人で座らされ、メキシコへと向かった。綺麗な田園風景と、サラサラと控えめな音を立てて流れる清流の景色が続いていたのを覚えている。
目が覚めた。
僕の膀胱はパンパンである。メキシコへ行く車に乗る前のトイレのシチュエーションはどうにか持ちこたえていたらしい。ただサラサラと流れる清流には耐えられなかったようだ。サラサラがジワジワだ。
自分を知る、って何だろう。
僕の夢を構成した脳内の構成作家さんと朝まで飲み明かしたら、何かわかる気がする。
2016年5月 高原直樹
「次は高田馬場です。」
綺麗な声の女性。扉が閉まる時のそのピンポンパンというメロディ。
人指し指だけで弾いたエレクトーンのような音。
高田馬場、と聞くと思い出す、
♫ハ・カ・タ・タ・ノ・塩 ♫のCM(伯方の塩)
or
「B・A・B・A @ 高田」。
高田馬場に着き、扉が開く。
iPhoneをポケットに入れ、電車を出る。
ホームを少し歩き、
いつもは登りのエスカレーターが朝の通勤ラッシュ時だけ下りになる。
そこを降りる。
高田馬場は動線のクロス具合がひどい。
整備がなんというか、時代と共に鉄道各社が増えて、足されていったまんまの動線。
無計画に増築した家のよう。
よく人にぶつかる。
そこを若い二十五歳位の駅員が声を張り上げ右側を歩いてくださいとマイクなしで叫び続けている。(No Mike Check)
※西武新宿線、山手線、東西線から降りてきた人達が一堂にクロスする最もコアな部分。
電子音の女性のアラートとは別に、だ。
高田馬場駅の駅員は色々好感が持てる。
スーツケースを斜めに持ちながら歩くのが危険、と謳っているのはあまり見ないが、高田馬場駅にはそれのマジックで書いた手作りの注意喚起ポスターが貼ってある。
東西線へ乗り換える。
神楽坂へ向かう。
社内で飲む水を買う事を思い出す。
インスタとtwitterを見て、俺も写真集出したいな、と思った。
ただ、出す前には誰にも発表しない、
本が刷りあがる時に告知だな、とか思って早十五年程経つから、その事に滅いらないようにしよう。
※その事に→動いてないこと。自分のダメさに滅いらないってこと。
神楽坂駅に着く。
水2Lを買わなきゃいけないから今日は駅を出て右へ、セブンイレブンに行かなきゃだから。
森の天然水を買う。セブンのは税込百円だから。
森の天然水は家でも毎日飲んでいる。もう4年くらい毎日飲んでいる。
だから全ての水の中で1番美味しい。
森の天然水は山梨県の白州で作られていて、そこには最近も友達に誘われていった、とってもいいところだ。
水は美味い。水が美味いだけでいい。(Only one)
水を買い、歩く。
会社へ向かう。
歩きながら、iPhoneを見てるとガム写の投稿を見つけた。またいいの撮ってる、俺も今晩撮らないと。ザワザワする。
ガム写とは俺(達)が発明した、グラフィティ。
誰にも真似できないけど、誰でも出来る。
グラフィティと同じだ。
↓
↓
↓
昼。
後輩とランチ。(厳密には新卒で、俺とほぼ同期)
冷しゃぶだ。勢いに任せておかわり、よそったあと日替わりだけおかわりは30円増しだった事を告げられる、
その事を何度か店員に謝られた。
どうか謝らねえでくだせえと思った。
ランチのテーマは社内のゴシップ。
ゴシップはいわゆるテレビ。
テレビと同じで、だだ流しだのババ流しの、垂れ流しだ。笑いながら話せばいい。その点あいつはいい。笑ってくれる人は老若男女、みんな好きだ。
↓
↓
↓
退社。帰路。
会社から駅までの道のファミリーマートでアサヒ350mlとコロッケを買う。
歩きながらビールを飲んでいる恥ずかしいサラリーマン、とか一切思わない。
現場での残り香がここにあるのか。
神楽坂から馬場、馬場から池袋へ。
池袋駅ではiPhoneがWi-Fiを探し始める。
そうすると何だか使えなくなっちゃうから、一旦Wi-Fiを切るんだ。
埼京線に乗る。浮間舟渡へ向かう。
iPhoneを見る。トラリーの事を考える。
写真集の事。分厚いの出したい。
個人のは小規模のでいい。思うだけで上がる。
赤羽を通過する。
今後の事を考える。
今日、社内で大きなゴシップが流れた、台風のごとく突風で流れたが、どうでもいい。
俺はお前が犯した罪で、みんなに虐げられ、社会的(会社的)制裁を与えられて異動しようが興味はない、逆に今までありがとうと伝えた。本当にありがとう。若いのに偉かったよ。
俺はいいんだ、別に。
浮間に着く。
浮間に着く前に何を買って帰ったらいいか聞く。
今日は水、森の天然水でいい。
マルエツから帰る。
浮間公園を歩く。
猫を探しながら歩く。
猫は、ほぼいる。
だからいない日は少し寂しい。
マンションに着く。
ただいまと言って、美味しそう!良い匂い!という。
そして今日は風呂入れよ、という。
そんな愛すべき日々、思慮深い日々の脳内ラップ。
自己紹介の代わりとしての記録。(Sweet Memory)
2016/6/8 岸本雅樹
鈴木という姓は日本で二番目に多い苗字で、伊勢の神官に由来する説や、お米の収穫後天日干しする際に積み上げる屋台骨である寿々木に由来する説など、実ははっきりとした由来は不明だったりします。分布としては東海地方が多く、実際僕の出身地である静岡には大変多い。中学校の時のクラスには6人いて、班全員が鈴木なんてこともよくありました。なので呼び名は自然と下の名前となり、スズケンという呼び名は大学に入ってからが初だったりします。
さて何故急に鈴木の話をしたかというと、鈴木という姓は自分にとって大変大きなアイデンティティであると思っているからです。
先に挙げた通り鈴木さんは大変多くありきたりの代名詞です。さらに言えば僕の名前は健司で、普通の自乗、普通の最上級と言っても過言ではない。名前の由来を親に聞いたところ「普通に育ってほしいから」とのことで最早完璧です。実際、特にグレるでも引きこもるでもない普通な思春期を過ごしたわけですから、名は体を表すという諺は間違っていない。
美大を志した高校二年生から予備校位までは人と違う何かへの強い憧れというか焦りなるものに取り憑かれ普通からの脱却に執心していたような気もしますが、その発想自体が普通という衝撃的事実に気づいたことでモラトリアム期を乗り越え、ここ数年は「普通の強み」があるんだと思うようになりました。
個性の発露である表現の世界において、周りは個性的な人間ばかりなわけです。ということは普通じゃないことは逆にむしろ普通で、逆の逆にそのまま普通であることが特異性になるではないか、と思ったわけです。それと自分にとっての表現の対象者はいわゆる普通な人々なわけで、その人々の普通を知っていることは普通に良いことだと思ったのです。さて段々普通がゲシュタルト崩壊してきたわけですが、つまり普通なら普通さを活かせばいいじゃないかと思った次第です。
ということで自分にとって鈴木は、普通であることと、普通を以って異質となすことを志向する重要な標語であるわけです。今後共この標語とともにモノを作り、頑張っていきたいと思います。願わくば名の如く健康で。
2016.7.3
鈴木健司
みなさま、ご無沙汰してます。遅くなってごめんなさい。。
最近は7月の割に寒暖の差が激しいと言いますか、
晴れたり雨降ったりの繰り返しで
なかなか不安定な日々が続いていますが
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
私はここ何年かは東京から地方都市への出張仕事もちらちらあるもので
本日はこのテキストを新潟は長岡駅にて書いております。(遅くなって本当にごめんなさい)
長岡駅に降りますと構内の壁には、
・かつての帝国、連合艦隊司令長官である山本五十六出生の地
・幕末のラストサムライ、河井継之助出生の地
・長岡花火大会開催!
といった具合に、
長岡市推しの3コンテンツがドーンと掲出されておりますが、
昭和の名総理、田中角栄さんなんかも新潟出身とのことですし、
食べ物でいうと、ソーツカツ丼、イタリアン(焼きそばにミートソースをかけたB級なヤツ)なんかも
推すには申し分ないコンテンツではないかと思います。
田中角栄さんについては、
金権政治の申し子と呼ばれていたり、ロッキード事件の印象が強く、
悪いイメージがあったのですが、
上越新幹線を真っ先に整備したり、高速道路を新潟まで通したり、
地元の住民には大変人気のある政治家だったようです。
ぺろっとグーグル先生で検索してみたところ、
角栄さんは確かに金権政治の考えが強かったみたいなのですが
一方で、人の生活の本質的なところを大事にしていたみたいですね。
庶民の立場になって本当に良い生活は何か?みたいなところを考えていたとか。
総理大臣なのに身近に感じられたのでしょうか。
少なくともネットの記事からは、器の大きな方だったのかな、という印象を受けました。
さて、先般 この現代日本においても参議院議員選挙が行われ、
引き続き、東京では都知事選が控えておりますね。
参議院議員選挙の結果に至っては、
なんと言いますか、
普段自分が見ているものというのは
本当に狭い範囲のことなのだな、と痛感するものでした。
SNSは広いようで狭いというか。
演説にてご自身の名前を連呼しゴリ推しで印象づけようとする候補者の方、
周りの推薦によりご自身の政策をまとめずして立候補しちゃった方など、
20数名、でしたっけ?立候補されているみたいですね。都知事選。
政治も状況によって臨機応変な対応が求められるでしょうから、
はじめにぶち上げた公約通りに物がうまく運ぶとはこっちも考えていませんが
結局、何をポリシーにして生きているか、にグッとくるんじゃないかな、と思います。
立派なことを言ったところで実現しないパターンもあるし。
そこで政治家は信じられない、と言ってそっぽを向くよりも
こいつは何をポリシーにしてやっているのかをこっちから知りに行った方が
いろいろ納得する気がするんです。
いざとなったら、そのポリシー、本質で動く気がするので。
このなんともとりとめのない文章、すみません。
そろそろこの辺でご勘弁を〜。
2016.7.22
古屋 貴広
吾輩は病弱である。
子供の頃から頭痛もち。よく風邪をひいて40.0℃超えなんてザラ。最高記録42.0℃。インフルエンザは注射うっても当たり前に毎年かかるし、幼稚園は半分行けたかどうか。
一番健康だったのは中学〜高校。部活を頑張っていた時期で、部活が休みになると気を張っていたのが緩むのか必ず風邪をひいたり、演劇部の舞台の後には声帯を痛めて「今喋ると一生声出なくなるよ」と医者に言われて筆談したり。
ちなみに高校までは姓が「野田」。大学入って母方の祖母の養子になったので姓が「山口」。ここでロストアイデンティティに陥り、ちょっとした精神不安定と今思えば遅めの反抗期。
働きだして3年、体調を崩し、胸に石ができて人生初手術。局所麻酔で、メスで切られているのも血が身体をつたうのもしっかりわかって恐怖しかなく、トラウマ。同時に起きた失恋と手術のダブルショックからなんか人生に絶望しちゃって、全く眠れなくなり心療内科に通う。眠剤は眠れるけど悪夢ばかり見るので最悪だった。
その1年半後に卵巣嚢腫ができて初全身麻酔手術。ブラックジャックのピノコの原形のようなものが出てきたらと想像するとてもおそろしかった。
派遣会社に登録してちょいちょい働いていたけど、働く→検査引っかかる→MRIやCT撮るを繰り返していた。ストレスとの付き合い方が本当に下手で、今思えばホルモンバランスや自律神経がめちゃくちゃだった。そんな華の20代。
そんな私が自分の子供を産めて自分の乳で育てられたことは半ば奇跡のよう。
それまでは身体の弱いから長生きなんて無理だろうとぼんやり思っていたけれど、子供がいたら俄然長生きしたい。なんなら孫だって見たい。人間は欲深い生き物。
先日、人生初の人間ドック。3項目引っかかる。今まで私の唯一の誇りだった虫歯ゼロもここにきて崩れ、初めての虫歯治療。局麻手術のトラウマが呼び起こされる。妊娠・出産で虫歯になりやすいとかなんとか。ホルモンバランスてなんなんすかね。
20代30代と周りがキャリアを築くなか、私にはそんな余裕がなく、もはや家事+子育て+仕事なんて一家総崩れになりそうで、働くことへの憧れはあるけど、もうそれは来世に期待して、開き直って今できることをちゃんとやって、趣味をちょっとした仕事ぽいことにしてまずは健康に生きること。
子供の頃から当たり前に病院に連れて行かれて薬をのんでいたけれど、最近、薬をのむととても具合が悪い。でも子供は見逃してくれないしやらねばならないので薬のんで動いていたけど、はたと気づく。今更ながら、薬に頼っているのがそもそもの問題なのではないだろうか。徐々に「薬をのまない」に舵をとってみる。私は検査とかしないと問題点や改善点に気づけないので、病院には行くけど頼りすぎないように。ないのなら育ててみよう免疫力。
「人はその人が食べたものでできている」ということに立ち返って見直す。
兎にも角にも運動。健康な精神は健康な肉体に宿る。
長生きしようね、ね!
2016年7月26日
精密検査後のカフェにて、徒然なるままに。
再検査の結果、「体質」とのこと。
生まれながらの虚弱体質。
山口 温子
長らく放置してしまい大変申し訳ございませんでした。
放置しているあいだ私が何をしていたかといえば、主に『シン・ゴジラ』を観ていたわけです。みなさんはすでにご覧になったでしょうか、『シン・ゴジラ』。おもしろいです。いや、おもしろいという言葉では物足りないくらい、おもしろいです。今回はその『シン・ゴジラ』について、好き放題語りたいと思います。観ていない方にはちんぷんかんぷんかもしれませんが、できるだけわかりやすく、『シン・ゴジラ』の魅力についてお聞かせしたいと思います。
ゴジラシリーズ、とりわけ1954年の第1作『ゴジラ』に対するリスペクトとオマージュが『シン・ゴジラ』の全編にわたる通奏低音として流れていることや、一方で2011年3月の東日本大震災とフクシマの原発事故がゴジラという存在に重ね合わされていること、そして『新世紀エヴァンゲリオン』をはじめ庵野秀明作品に繰り返し描かれる「自分対世界」「自分対他者」という構図が発展的に「日本対ゴジラ」という図式に昇華されていることなど、本作に向けられたマニアック、あるいはオタク的な読解と批評についてはインターネット上でいくらでも目にすることができます。そのすべてに賛同するわけではありませんが、少なくともそのように「語れる」映画であることが現在の『シン・ゴジラ』ブームの一助となっていることは疑いようもありません。
畳み掛けられる台詞の洪水と氾濫するテクニカル・ターム、作中に頻出する思想の代理戦争的な対立構造など、特撮オタにエヴァオタはいうまでもなく、ミリオタから鉄オタまであらゆるカテゴリのオタクを「語る」という行為へと駆り立てるための「餌」が『シン・ゴジラ』には幾重にも仕掛けられています。それにまんまと引っかかりがんじがらめになっていく快楽を世のオタクたちはまさに今謳歌しているといえるわけで、かくいう私も『シン・ゴジラ』に散りばめられたメタファーの数々についてすぐにでも語り出したい衝動に駆られているわけですが(たとえば、「ゴジラはなぜいつも『東から』上陸するのか」とか)、ここでそれをやってしまってはみなさんの興味を削ぐばかりか今後の私のパブリック・イメージにも大きな傷を残す結果となりかねませんので、それについてはやめておこうと思います。
では何について語るのか。いうまでもなく、石原さとみと市川実日子についてです。この映画のふたりのヒロインといえる彼女たちの芝居にこそ、『シン・ゴジラ』の重要なテーマが象徴されているのです。
本作『シン・ゴジラ』公開時、巷の話題をさらったのはゴジラの造形でも隠された哲学的思索の痕跡でもなく、石原さとみ演じるアメリカ合衆国大統領特使カヨコ・アン・パタースンの英語力についてでした。確かに石原さとみの英語はお世辞にも美しい発音だとはいえませんし、ネイティブ・スピーカーであるという設定からすると違和感を感じる部分があるのは事実です。私も彼女が「13 percent」を「じゅうさんプァセン」と発音した瞬間には思わず笑わずにはいられなかったのですが、その表層だけを取り出してツッコんだり非難したりしている声を耳にするにつれ、私は自称オタクおよびパンピーどもの浅はかさに絶望的な気分になるのであります。
カヨコ・アン・パタースンは、米国大統領特使、そして察するにかの国の政界における名門であろうパタースン家の令嬢という立場で世界の盟主の威光を背に登場します。つまりカヨコはゴジラを通して日本を再び掌握せんとするアメリカの象徴という役割を負ってさっそうと日本に降り立つのであり、あの極端な英語使いはアメリカのカリカチュアとしてのカヨコを強調する演出なわけです。しかし彼女の中に脈々と流れる日本人のDNAが、彼女を「アメリカ人」でいることを許しません。実際、物語が進むごとに、彼女の話す言葉からは英語が減っていきます。カヨコはゴジラ襲来という危機において日本人としてのアイデンティティを目覚めさせ、ついには祖国アメリカの方針に背き、日本政府の作戦に同調する道を選びます。あまり踏み込むと政治的すぎる話になりますが、「日本人の復活」というテーマが『シン・ゴジラ』の底に流れているとして、カヨコ・アン・パタースンはそのテーマをもっともダイレクトに表象したキャラクターであるといえるのです。
一方、市川実日子演じる尾頭ヒロミ環境省自然環境局野生生物課長補佐。ゴジラ出現に際して意見徴収のために召喚された人物であり、ゴジラ災害に対抗すべく日本政府が組織した「巨大不明生物特設災害対策本部」略して巨災対のメンバーとして対策立案に従事するキャラクターです。典型的なイケてないリケジョであり、オタク的な早口と理系らしいサバサバした性格が一部で熱狂的な人気を博している彼女もまた、『シン・ゴジラ』のひとつのテーマを象徴しているといえます。
尾頭は総理大臣が招集した有識者会議がゴジラの上陸可能性を否定した直後にその結論に真っ向から反対し、実際にゴジラが上陸したあとは野生生物の専門家としていかにゴジラを倒すかの分析と研究に没頭します。その姿は巨災対に咲いた一輪の花。不眠不休の戦いが続くなか、チームリーダーである主人公・矢口蘭堂内閣官房副長官(長谷川博己)に「シャワーぐらい浴びなさいよ」と進言するなど、男臭い現場で唯一の女性キャラとしての存在感を発揮していきます。
巨災対はいわば各省庁の外れ者、各分野のオタクの集まりです。彼らが国を背負ってゴジラに立ち向かうという構図は、クリエイターとして日本のオタク文化を牽引してきた庵野秀明(彼自身も筋金入りのオタクであるわけですが)による落とし前であると解釈することもできます。日本の危機に現代のジャパニーズカルチャーの担い手であるオタクチームが立ち上がり、そして日本人の代表として戦う。それが『シン・ゴジラ』という映画です。そしてその中にあって尾頭ヒロミは、文字通りのヒロインとして活躍するのです。いつも顰め面をしている尾頭が最後の最後に笑みを見せ「よかった」とつぶやくシーンは、もしかしたら長い戦いの日々を送ってきた庵野秀明が、自分自身でいちばん見たかったものかもしれません。
オタク的な「語り」を拒否しながら、結局のところ何を言いたいんだかわからない気持ち悪い文章になりました。眠いのでもう寝ます。おやすみなさい。
2016年9月14日
小川智宏
みなさま、ご無沙汰しております。。。!
もうすっかり秋。息子の運動会も先週終わりました。
さて、わたくし最近ハマっているものがありまして、
紹介させて頂ければと思います。
先ほどの息子、4歳になるのですが
その息子の影響で1年ほど前から見だしたました仮面ライダー。
これにわたくしハマっております。
仮面ライダー好きの方から言わせると、もはや当たり前、と言われるかもしれませんが
この番組、なかなか企画が凝っております。
先日最終回を迎えました「仮面ライダーゴースト」
主人公の設定がゴースト、つまり死んでる人でした。
第1話でいきなり敵に殺されまして、生き返るために戦うという話。
死んでるんですが主人公の決め台詞が「命燃やすぜ!」燃やす命ないんですけど。
んで、アイコン(眼魂、が正しい表記)と呼ばれるドラゴンボールみたいな玉を
15個探せば生き返れるということで、探すわけです。
そのアイコンは偉人の魂でできていて、
変身ベルトに仕込むことでその偉人の力を備えたパワーアップができるという設定でした。
(ちなみにご存知の方がいたら、これ私のうる覚えの設定なので若干違ってたらすみません。。)
魂に向き合って開眼すると変身ができる、ということで
変身するときも「カイガン!」と叫びます。
変身のジングルはラップなんですが、「ボンバヘー」でおなじみのM.C.A・Tが歌ってるという噂です。
https://www.youtube.com/watch?v=FYmkB-6VIik
他にも「眼」というのがキーワードになっていて
先ほどの「眼魂(アイコン)」
主人公を殺した悪の集団は「眼魔(ガンマ)」
仮面ライダーが使う武器も
サングラスをモチーフにした
「サングラスラッシャー(剣みたいなやつ、鞘部分がサングラス)」とかあります。
コンセプトに基づいたブレない設定には感心します。
さらに仮面ライダーゴーストには
仮面ライダースペクター、仮面ライダーネクロムという2人の仲間が増えます。
これらもアイコンで変身できますし、それぞれ武器もありまして、
全部リアルおもちゃになって店頭に並びますのでクリスマスや誕生日にはもう大変です。
さ、さらにこの仮面ライダーは魂が憑依することで何にでもパワーアップできるので
スピンオフ的な企画として、歴代ライダーのアイコンまで出ちゃって
20個くらいアイコン途中で増えました。映画にもなりまして
初代仮面ライダー藤岡弘、との共演も果たしています。しっかり観にいきました。
教育上、おもちゃは1個。としましたが、シリーズっぽく展開されるので
コレクションしたがる大人のほうが買いたくなってしまいます。
そして、なによりストーリーが熱い。
忘れかけてた「信じる心って大切だよね」「勇気があれば一歩踏み出せる!」的な
メッセージが随所に散りばめられているので、油断すると感動します。
仮面ライダー危険だな、と思っていたところ、程なくして仮面ライダーゴースト終了と
なったわけなんですが、間髪入れずに始まりました。新しいやつ。
先々週から始まった新しい仮面ライダーがまたやばい。
もはや仮面ライダーじゃない。C-C-Bだ。
http://www.tv-asahi.co.jp/ex-aid/
「仮面ライダーエグゼイド」これはやばい。
設定が研修医かつゲーマー。ライダー関係ない。
未知のウィルスが蔓延していて人々の命が危険らしいのですが
そのウィルスはゲームウィルス、ゲームの世界で戦うとのこと。
で、最終的な結末はゲームクリアだ!となっていて
もはや意味不明なイントロダクションです。
でも気になるので毎週欠かさず早起きします。
ではー
2016.10.11 フルヤ
えーーーどうしよう、ネタがない。
シンゴジラ、仮面ライダーと続いてて、この流れ、続けたほうがいいの?
続けられる程、語れる熱いものが・・・・・あった。
でも恥ずかしいわ、だってNARUTOなんだよね。知ってます?
ワンピースじゃない方よ。
最初は弟がハマってた。弟がハマるものにハマることが多い。
ナイナイのANNも弟の影響でいまでも岡村のラジオを聴いている。
本題。NARUTOは2年前くらいにジャンプにて連載が終わった。週一の楽しみがなくなった。コンビニに行かなくなった。
そのあとも、スピンオフ的な小説が出たり、映画があったり、アプリで漫画が読めたり。ミッドタウンのNARUTO展も行ったな。テレ東ではアニメもやってるしね。で、先日アニメもついに原作の最終回分を放送した。アニメもこの秋以降スピンオフネタを放送するみたいで放送終了ではなさそう。よかった。だけど、アニメも最終回、アプリの漫画も最終回、原作はとうの昔に終わってる。ナルトとサスケの最終決戦が終わって、私はあやこ曰く「ナルトロス」になっている。たしかに。認める。けどいい大人が恥ずかしくて、こんなことダンナには言えない。ロス状態で、家事もそこそこ以下だ。ぼーっとしてしまう。
この原作の作者、岸本さん、きっしんと一文字しか違わないなぁといつも思う。実際お会いしたい。握手ブンブンしたい。連載開始前にどれぐらいストーリー展開を考えていたのか聞いてみたい。(探せばどっかに書いてありそう)漫画の4話あたりで、すでに最後の最後のネタの伏線がある。最初と最後の絵が同じだし、第1話と最終話のタイトルも同じ。絵も上手い。連載終わって改めて思い返してみると、どのネタも、どの設定も、それらがひとつひとつ上手く複雑に絡み合ってて、ただの少年漫画とは思えないよ。
架空の世界、忍者の里の物語であります。
小さい子供たちがアカデミー(忍者になるための学校)に入り修行しながら大人になって世界を敵(これまた忍者)から守る忍界のお話。友情、青春、戦い、その他少年漫画にある諸々の要素。ほかの漫画をよく知らないから比較が難しいんだけど、NARUTOは登場人物の性格や口調やしぐさ、家族構成や育った環境などがそれぞれかなり細かく設定されていて、感情移入しやすい。スキな人物は?と聞かれても、全員!と言ってしまいそうです。
主人公は陰陽でいうと「陽担当」のナルト。赤レンジャーの立ち位置です。体力が自慢の「うずまき一族」出身です。実は自分の街(木の葉の里)の知事(里の長「火影」ミナト)の息子。本人はその事実を知らないまま成長します。自分が産まれた日、街には大怪獣(九尾)がやってきます(偶然ではなく必然でやってくる怪獣ですがその理由は割愛)。街を守る役目の知事、火影の父親と母親にその怪獣をお腹の中に封印されちゃいます。そのおかげで街は守られました。その封印時に大怪獣と戦った両親は亡くなってしまうため、産まれたときから家族がいない寂しい少年。体のなかに怪獣が封印されているので、街の皆からは煙たがられさらに孤独に育ちます。その反動でイタズラばかり繰り返し、皆に認めてもらいたくて里の憧れの「火影」を目指します。
「陽担当」の主人公なので少年漫画王道の性格。ルフィと同じ。明るい、諦めない、バカでまっすぐ。しかし、ここが他と違うのは両親がいない&疎外されていたため深い孤独を知っていること。ただの明るいバカではありません。
もう一人の主人公は「陰担当」のサスケ。黒レンジャーの立ち位置です。ナルトと同じ木の葉の里の同級生。超絶イケメン。無口で器用。ナルトの永遠のライバル設定。サスケの家は代々強力な力をもつエリート忍者です(目で幻術を扱う「うちは一族」)。その力が強すぎるため、県庁幹部(里の重役)達から危険視され里のすみっこに追いやられていました。で、結局うちは一族は里に対してクーデターを起こそうとして、一族と里の二重スパイだったサスケの兄イタチによって、一族は抹殺されます。その時、イタチは一族を抹殺するかわりに「弟だけは守る」という約束を知事(ナルトの父親ではない先代火影)と交わします。よって、いままで慕っていた実兄に家族を殺されたサスケも深い孤独を知ってしまうんです。サスケも、イタチが一族を抹殺した本当の理由を知らないまま成長します。
最初からひとりきりだったナルトの孤独、有ったものが奪われ孤独になったサスケ、この漫画には「孤独との向き合い方」みたいなものがスーーーと根底にあります。ほかの主人公にも、同じようにそれぞれ各々の孤独(憎しみ)との戦いがあるんです。
ナルトとサスケは、アカデミーで同じ班になり、互いの境遇を知るがためにお互い兄弟の想いを持ちます。しかしバカとエリート。表面上ではお互いが憎たらしいので、ケンカが絶えない、という流れに。そこで、ヒロイン!サクラの登場。この女の子、まったくもって孤独を知りません(この時点では)。両親から大事に育てられ、背負うような一族出身でもなくサラリーマン的な家庭のルンルン少女でした。(サクラの両親の仕事が不明)で、ナルト→サクラ→サスケという分かりやすい三角な関係を永遠と繰り返していきます。
3人は同じ班で、先生という名のカカシ上忍(上級クラス忍者、これまた違った孤独を知る先生)のもと他の班の仲間とともに修行に励み、忍術をつかって里外の敵と戦うようになっていきます。このへんは普通に少年漫画。しかし、どっか宇宙の果てから突然やってくるフリーザや使途とは違い、この漫画の敵は、同じ忍びの世界の人間たち。なので、彼らにも彼らなりの正義があり、生きにくい忍者の世界、殺し殺され憎しみの連鎖、それらの影響でナルトたちの日常(平和)を無きものにしようとやってくるので「エイヤーでやっつけてしまえ!」とは読んでるこちらもなりません。今でいうと中東あたりの紛争のようです。敵という彼らのバッググラウンドも丁寧に描かれているので「そうだよね、そうなっちゃうよね」と想い、しかしそれでも敵の気持ちにもまっすぐぶつかっていくナルトに「それでもがんばれー!」と言いたくなるのです。
わたし・・・熱い?
敵と戦う、という本流ストーリーと同時にサスケが里を抜けるという大きな支流(こっちかなり大事)が発生します。「忍者が里から出て行く」という家出行為は禁止されていて「抜け忍」とみなされ、連れて帰るという任務の「追い忍」という忍者が追いかけます。なので、里を抜けたサスケをナルトとサクラたちが「探して連れ帰る」という別目標も掲げられます。
なぜ、サスケが抜け忍になったのか。それはより強力な力を求めたから。ダースベイターと同じです。大好きだった兄によって家族を殺されたので、その反動、兄を殺す復讐の念に取り憑かれてしまうんです。「力が欲しければわたしのところへいらっしゃい」というシスの暗黒卿みたいなヤツ、大蛇丸(これまた同じ里の抜け忍)の処へ堕ちていきます。
そのサスケをサクラは恋心以上に心配で心配しまくります。でも連れ戻す力を自分はまだ持っていません。ナルトもご自慢の体力はあるものの、体内に封印された怪獣の力(九尾の暴走)を上手にコントロールすることもできず、エリートサスケにまだまだ敵いません。
サスケは友情も愛情も何もかも振り払い、己の力のみを頼りに闇に堕ちていきますが、ナルトは赤レンジャー! 街の皆からは煙たがられていましたが、大蛇丸のライバル、自来也(父ミナトの師匠)のもとで修行に修行を重ね、父ミナトも取得できなかった術を身につけ、友達も増え、手を貸してくれる人も増え、支えてくれる人もでき、孤独を克服し、己の体内に宿した大怪獣(実は憎しみの塊)とも和解をして怪獣の力をも使えるようになって、いつでも火影になれるくらい強く、皆から愛される存在に成長するんです。うう涙。サクラも、同じように大蛇丸と自来也と昔同じ班だった綱手(5代目火影)に弟子入りし、RPGでいうと白魔道士のような存在、回復役の医療忍者になって、木の葉の里の医療スペシャリストになっていきます。涙涙。
ナルトたちは、サスケを追いながらも、いろいろと闇や憎しみを抱えた敵をやっつけて(最終的には殺しません、最後には敵がナルトの眩しすぎる情熱にやられ悪役を降り、ヒール以前の自分を取り戻します)で、最後の最後は、これこそ宇宙からやってきた敵、カグヤ(ラスボスが女ってすごくない?)によって、エヴァの人類補完計画と同じような術、無限月読というものから世界を守ろうと、いままで敵だった者も含め全忍者たちと立ち向かっていきます。
いやっほー。
結局、無限月読の術は発動してしまい、人類は補完されちゃいます。それを免れたのは、ナルト、サスケ、サクラ、カカシ、最初の班の4人のみ。ここではさすがにサスケもカグヤを倒す側にまわります(ちゃんと理由あるよ)。カグヤをやっつけるには、ナルトの陽の力とサスケの陰の力で、二人が手を合わせて陰陽の封印術を発動させ終了。(簡単ではないよ)人類も補完から目覚めます。(みんな無事、何人か大事な人がなくなります、ああネジ・・・)
と、まあ長くなりましたが、こんなストーリー。
で、最後の最後に、ナルトとサスケはふたりだけでの男のケンカをおっぱじめます。「お前はオレの友達だろう!」と闇から親友を掬い上げようとする素直なナルトと「何がなんでも振り払う、テメーを殺して孤独の王様になる!」というあまのじゃくなサスケ。そのふたりを見守るサクラ。そんな教え子たちをさらに見守るカカシ・・・
で、最後は相討ちとなり、腕を落とし、力尽き、サスケはナルトのまっすぐな気持ちに目が覚め、ダースベイダーを降ります・・・エンディングです。
先に「登場人物全員スキ!」と書きましたが、熱がでてきた勢いで言いますと、やっぱりいいなーと思うのが2人。ミナトとイタチです(知ってる人には王道かも)。ミナトはナルトのお父さんで、4代目火影。優しくて男前で立派な里の長。ナルトに封印される前の大怪獣(九尾)を宿した女性クシナと結婚し、ナルトが産まれてきます。ミナトは息子がいずれ九尾を克服すると信じて、ナルトに怪獣を封印しました。バカな息子とは違います。イタチはご存知サスケの兄。里を守る為、弟の命の為に、一族を手にかけ、その濡れ衣を一身に背負い、さらに抜け忍となり、ヒールになりきります。とっても愛情深いおにいちゃん。二人とも、ミナトはナルトを、イタチはサスケを、守るために死んでしまいます・・・
その姿が、もう・・・たまりません!!! 二人とも美男子だしさ!
70巻ほどあるお話を、ボキャ貧な私がガガガガガーと書いてしまいましたが、熱量は伝わったでしょうか。いままで「好きな漫画は?」「ナウシカ」と答えていた私ですが、「ナウシカとNARUTO」となりそうです。
(ナウシカはまだ越えない、アレはいまだすべてを理解できない)
ネタバレしまくってますが、本当におすすめの漫画です。是非。
二〇十六年 十月廿〇日 マッチ(いまいみきこ)
小学校五年生の時の担任の先生が、小錦みたいにめちゃくちゃ太っていた。確実に千代の富士よりも。その人は有松先生といって、(小学校だから全部教えるんだけど)音楽の先生で毎日(本当に毎日)手書きの学級新聞を作り、生徒分コピーして配布していた。内容は、ライオン先生と子ライオン達の物語(要はそのクラスの物語)と、我々生徒の書いた作文。生徒の作文は先生が手で書き写し。
音楽の先生だからピアノは弾けるんだけど、相当荒い弾き方で、子供ながらに「かなりむちゃくちゃな弾き方をするなぁ」と思っていた。で、必ずテレコで録音。先生の受け持った歴代クラスの歌とか聞かされて「どうだ、元気だろ〜?」などと言う。選曲も、教科書に載ってる歌はあんまり歌わなくて、先生の好きな歌をメインで。絵本の「八郎」とか「三コ」の歌はこれで知った。学級新聞は、学年が上がる時に製本されて全員にくれた。
一時間目は必ず作文。どんなときも作文。今考えるとむちゃくちゃなのかなーとも思うけど、当時はそんなもんなんだと思っていたし、何よりその学級新聞が楽しかった。その物語に自分のこととかでてくると嬉しかったしね。名前をモジられて登場するんだけど、俺は「あんじ子ライオン」だったかなぁ。作文が載った子は、自分で朗読する。絶対に相当に恥かしいんだけど、これまたいつの間にか意外に誇らしくなる。元気な子も内気な子も、みんな多分読みたかったはず。
作文は、B4くらいのわら半紙を一枚配られて好きなだけ書けと。たくさんでも少しでもいいからとにかく書けと。書きたいこと・書けることを、書きたいだけ書けと。五年生になりたての時は、クラスのほぼ全員が全く書けなかった。作文なんてきらいだよ。書き方もわからないし、書くことがない。だから文字を大きくして書いたりして適当にごまかしていた。だけど、どれくらいしてからだったかなー、みんなどんどん書け始めるの。むしろどんどん書きたい。わら半紙も一枚じゃ足りなくて、二枚三枚と。
これ今思うと、毎日毎日必ず書かなければならない状況で、すごく毎日を観察してたし、これ書こう!とか、これはネタになるかな?とか、これは書かなきゃ!とか考えていたように思う。田舎だし小学生だからそんな何もないんだけどさ。それこそ、通学路の花が咲いた。田んぼに水が入った。今年もつばめが来た。あの子とケンカしたけど仲直りした。お父さんと遊んだ。お母さんとこんなことした。弟がどうだ妹がこうだ。とかね。
でも、こんな感じにいつの間にか、小学生の素晴らしい毎日が記録されていったんですよ。しかも、ちゃんとみんな自分の言葉で、自分のその時の世界のことを。すごいでしょ。毎日書くから内容はほぼ昨日のことで日記みたいなもんだよね。まあ、何年か読み直してないから定かではないんだけど。
この先生はもうだいぶ前に死んじゃったんだけど、たまに思い出す。亡くなったのを聞いたのは確か浪人中のファミレスの駐車場。お葬式帰りだった友人と偶然会って聞いた。メーテルリンクの青い鳥によれば、思い出すとその人に会いに行ってるってことみたいだから、これからもたまに思い出せたらいいなと思うね。この先生に限らず、もういなくなっちゃった人は、いつもたまに思い出すよ。
いなくなってからの方がいるみたいって感じ、ない?どっかでどうにか会えてるといいな〜。
二〇一六/十/二十七
次朗
シンゴジラ、仮面ライダー、NARUTOときて作文ときて書くことに迷った上、このところ観たり読んだりしてないなあ〜って思って、よし今週暇だし色々観よう週間と題して映画「君の名は。」を観てみました。
こういった熱が上がっている状況での作品は逆に冷静に観てしまうのであまり期待せず、しかしそう思っていると逆の逆にはまってしまう可能性もあるな、なんてざわついた気持ちで観た結果はやはりそれなりに面白かった。という一番よくない感想をもってしまったのでした。
チャンチャン。
いや、細部にはもちろん色々感じたことはあるのです。
観た後の清々しさもあったのです。
だけども私は今、前述以上にざわついており心ここにありきらずで観てしまっていたのです。
そして脳内アウトプットとインプットのバランスをとるのは難しいな。という思考にスライドしていきました。
食欲と似ていますね。満腹な時は欲が薄れ栄養の吸収率もおちる(はず)。空腹は最良の調味料といわれるし。
脳内絞り出し切っているときにいい作品にであうと感性は全身ビリビリくらいに冴え渡るのではないかと。ああ、でも私今脳内満腹状態なのか?いや、空腹の方だったはず。うーん、胃の状態とは違いやはり脳内は自分のことでもわからないもんだな
とまあこんな感じでどんどん「君の名は。」から離れ、ますますざわつく私の脳内。
以上、心の記録。
二千十六/十一/文化の日 高原綾子
頼みの綱である君の名はも出てしまいいよいよ八方塞がりです。こんばんは。
どうしようもないのでここ半年くらいやってるOpenCVについて語りたいと思う。
OpenCVとはオープンソースのコンピューター・ビジョン・ライブラリのことです。半年もやってる癖に全然分かってないのだけど、要は画像を処理してくれるプログラムです。自動運転車やらロボットやらの目の役割を果たしている。はず。使ってないかも。
まだ序の口だけど、凄いなーと思うことが幾つもある。
画像というのは言ってしまえば色情報のある点の集まり。今見てるモニタも点の集まり。その点がそれぞれ色を発することで形を認識させる。フォトショやイラレは直感的に円や四角を描いてくれるけども、この点一つ一つに何をどう指示したらそうなるのか、よくよく考えると非常に難しい。
例えば3×3で9ドットのモニタがあるとして、そこに=が書いてある。これは[黒、黒、黒、白、白、白、黒、黒、黒]というデータになる。モニタのドットは3行だけどデータ上では行は関係なく連続で並ぶ。モニタはこのデータをモニタの左上から順に表示していく。
=を1ドット右に移動したい場合、どうするか考える。先程のデータなら一番目を二番目に、二番目を三番目に移動させればよさげ。ただ三番目を四番目に移動するとおかしなことになる。四番目はモニタ上では二行目の左端だ。となる三番目と六番目と九番目の時はデータを消すなりする必要がある。ついでに書けた分白を追加する必要もある。けど少々の例外を挟むことで何とか移動はできそうだ。
次に回転を考える。=を90度回転させるにはどうしたらいいか。一番目のデータはどこに移動させればいいのか。ここで頭の隅で朽ち掛けていた三角関数が登場する。一番目のデータはモニタ上では(x:0, y:0)の座標に当たる。二番目は(1,0)、三番目は(2,0)。九番目は(2,2)。ピタゴラスの定理で原点から各座標の斜線の長さを求め、アークタンジェントで角度を求める、からの回転角度を足しサインコサインで移動先の座標が求まる。
続いて移動と回転を同時に、を考える。想像しただけでボーっとするが、実はこれは行列計算で簡単に求まる。行列は高校数学でやったような気もするし寝てた気もするが、ここで使う。特定の行と列に角度と移動値を入れて行列同士の掛け算をすればあら不思議、移動先が求まってしまう。
とまあこんな具合のことを画像処理と言われる分野では当たり前に行っているそうな。特に痺れるのは形状の認識って感覚的には簡単そうだけど、上で述べたどこに境界があるかも分からない1ドットの情報群から数学的に様々なものとして判別しちゃうところ。たとえばQRリーダー。あれをコンピューターはどう認識しているか。先程の=の例なら、入ってきた映像情報の一番目から三番目と七番目から九番目が黒なら=と判別できそうではある。でも待てカメラから入ってくるデータが斜めに写ってたら?きっと回転を元に戻す処理を先ず入れなくてはいけない。ということは現実の空間を二次元に変換しどう歪んでいるかを計算した上で一枚の画像として割り出す必要がある。そこからQRコードはそれ自体がデータを含んでいる訳だから、そのデータのルールに従った解読処理も続いて入るだろう。うーん、凄い。QRコード考えた人も凄い。SANYOの人でしたっけ。凄い。
自動運転車だったりロボットだったりの目も同様に、入ってくる映像の1ドットづつ比較したり分析したりすることで、人なり道なりモノなりを判別し然るべき動作処理へと続ける。車等では特に1秒後とかに計算結果出されたんじゃ間に合わない。リアルタイムにこうした計算を実行する必要がある。処理も凄いし速度も凄い。それが個人の手の届くところにあるのも凄い。
さて、普段一切気にしないけどモニタの裏ではそんな計算が膨大に走ってるわけです。フォトショ、イラレの裏で。レイヤーが何百枚と重なり、それぞれにレイヤースタイル噛ましてエフェクトかけて。ああした処理が実は数学的に全て計算され誤りなくその答えであるグラフィックを表示する。ディスプレイは紙とは違い一度表示されたらずっとそのままというわけではないわけで、常に表示をするためのプログラムが実行される。一秒間に60回。レイヤースタイルに限らずメニューバーもパレットも常に繰り返し計算して描画している。そりゃフォトショも落ちますわ。カクカクしますわ。処理によってはベクトルであったり微分だったり12次元方程式を連立方程式で解くとか何だかもう凄いことしてる。
軽い気持ちで始めた画像処理の仕事だったけど、やればやるほど数学に回帰して高校数学をやり直す所まで来ました。でもこれでまだ初歩的なことしか出来ない。この先には大学数学が鎮座していていよいよ俺はどこに向かうのか。まあそれはどうでもよくて、よくないけど、つまり何が言いたかったかというと、こんな複雑怪奇なことをOpenCVは関数一発で求めてくれちゃうので超すごいということです。OpenCVは無償のライブラリなので気になった人は始めてみよう!
(徒然なるままに記した)
2016.11.29
鈴木 健司
目が小さくて視力が悪いのに夜行性。それがナマズだ。四〜五年前、ナマズ釣りにはまっていた。よく外来種として駆除されているアメリカナマズではなく、日本古来のマナマズだ。実家のある埼玉県のいろいろな川を夜な夜なはしごしていた。
ナマズは基本的に夜行性の魚で、日中でも釣れないことはないけれど、日が落ち始めると餌である小魚やカエルや虫を求めて捕食に勤しむ。釣れる季節は初夏〜初秋がメイン。日中がうだるような暑さだった日の夜は特に活性が良い。ナマズは視力が悪いのに夜行性なので、なかなか餌を捕まえることができない。食べるのが下手なのだ。視力が悪いからあの長いヒゲで獲物の動きや音を感じて、大きな口を開けてとりあえず吸い込みまくる。吸い込む音はかなり大きくて、ズゥボァッ!ズァボァッ!ズゥボァッ!ジュボァッ!と、夏の夜の静かな河原に卑猥な音が響き渡る。
ナマズの釣り方はいろいろあるが、僕がやっていたのはルアーを使った釣り方だ。ルアーというのは疑似餌のことで、魚の形を模したものが代表的だが、蝶々やカエルやミミズなどを模したものなど、狙う魚によって多くの種類がある。ナマズを釣るためのルアーにもたくさんの種類があるが、代表的なものはジッターバグ(これは商品名だが、似たような形態で違う商品名のルアーも多数)というルアー。これは水中には沈まずに水面に浮かぶルアーで、リールを巻くと「ぽっこぽっこぽっこぽっこぽっこ」と水面を音を立てて波紋を出しながら進むルアーだ。水中で獲物の存在を感じようと息を潜めているナマズに、その音と水の揺れでアピールする。ルアーで釣れるナマズはだいたい30センチ〜大きいもので60センチくらい。
真っ暗で人のいない草の生い茂った虫だらけの河原を、長袖長ズボンで分け入る。ルアーを投げては巻くことを繰り返す。ナマズの反応がなければ場所を移動して、またルアーを投げるの繰り返しだ。ザァボォッ!ズァボァッ!ズゥボァッ!ジュボァッ!と音を立ててルアーを追いかけても、なかなかルアーを捕食できないナマズ。他の魚だとルアーが本当の生き物ではないと気づき、ルアーに食いつこうとすらしないから釣れないことがしばしばあるが、ナマズはルアーを本当の生き物だと思い食べたくて食べたくてしょうがないのになかなかどうして食べられない。そんなところが愛おしい魚だ。ルアーを巻きながらあの音がすると、頑張れ!頑張れ!もう少し!と心の中で叫ぶ。何回目かのズゥボァッ!でルアーにかかり釣り上げた時、その小さな目と大きな口を見ると「よく頑張ったね、上手だったよ」と破顔する。
次はオムライスの話を書こうと前から決めていたのだけれど、俺のオムライス・私のオムライスがみんなそれぞれあると気付いてなぜかナマズの話となりました。
2016.12.11 タカハラナオキ
夫婦でこの世界の片隅にを観に行ってきた。
話の内容としては壮大なはなしではなく、ある一人の女性が暮らした戦時中の生活を描いた物語。
でも、生活の中に全てがあるというか、それがとても壮大に感じる、素晴らしい作品。
能年ちゃんの声もすごくよかったし、あんまり知らなかったコトリンゴの歌声もとてもいい。
それを観た帰りにパエリア屋さんに行った。
そこでどこがよかったか感想を言い合った。
その時、夫が「◯◯がやっぱりすごくいいよ。なんかよぅわからんけど。」と言った。
私はそれに対して「ようわからんのなら言うな」と言った。
前々から夫のこの言い切った後に「よぅわからんのやけど。」でぼかす口癖がどうもきになる。しかも、なぜかいつも大声の夫がこれをいう時だけボソボソっと自信なさそうにいうのだ。
「なんでそんなこというん?」となり、お互いの見解を確認してみた。
私…言い切ったことに対して自信がなく保険の意味で、よぅわからんのやけど。と濁しているように聞こえる。
夫…保険をかける気持ちはない。共感なんて求めてない。なんとも言えない心にじんわりときた気持ちがあるときに、なんかよぅわからんのやけど。と言っている。多分西の表現?だ。
夫としては、それを言ったときには、あ、この人こういうことを言いたいんだなと汲んでほしいのだそうだ。
私としては、聞く人がわかりやすい表現をしてほしい。
この辺あたりから私もどうでもよくなってきたが基本的に気が短いし頑固なので引くに引けぬ。
最終的にはパエリア屋さんで話すことじゃないねと、おいしいパエリアを食べ、食べ終わる頃には全て忘れ幸せな気持ちだけが残り帰路に着いた。
岸本家は今日も平和です。
2016.12.25 岸本知見
ある日、めいことはっこはお散歩に出ました。するとどこからかびゅうっと風がふいてきました。
ふたりはその風に合わせてジャンプしてみました。
すると、ふわっとちゅうに浮いてしまいました。
ふたりは空を飛んだのです。
ちょっとこわくなってふたりはぎゅっと手を繋ぎましたが、だんだん楽しくなって下をのぞいてみました。
公園で遊ぶ子供達、お散歩に行く犬さん、お昼寝をしている猫さんが見えました。
空を飛んでいる鳥さんに手をふると、鳥さんはびっくりした様子でした。
ふたりは雲の上に降りてみることにしました。
雲はとてもふわふわとやわらかでした。
雲に座って、はしっこをちょっとつまんで食べてみると、とてもあまくておいしくて素敵な味がしました。
ふたりはもっと雲を食べたいと思いましたが、雲が小さくなって落ちてしまったらこまるので、ひとくちずつでやめておくことにしました。
でも、もうひとくちだけ、じろうにお土産に持って帰ることにして、めいこのポケットにいれました。
ふたりはいつの間にか雲の上でお昼寝をしてしまいました。
ふたりが目を覚ますと、あたりは真っ赤な夕焼け空でした。
雲の上から見る夕日はとても赤くて大きくてあたたかでした。
めいことはっこはまた手をつないで、雲からジャンプして、お家に向かって飛びました。
公園で遊んでいた子供達も帰る時間でした。
夕方のお散歩に出る犬さん、夕方寝をしている猫さんが見えました。
お家の前に着くと、ふたりはとんっと着地しました。
「ただいま!」とお家のドアをあけると、「おかえり」とじろうが迎えてくれました。
「はい、おみやげ」とめいこはポケットから雲を出してじろうに渡しました。
じろうはありがとう、と言って雲をお口にいれると「とてもあまくておいしくて素敵な味がするね。でもいったいこれどうしたの?」と聞きました。
その雲をどこで手に入れたのか。めいことはっこが空を飛んだということは、ふたりだけの秘密です。
おしまい。
二〇一七年一月二七日
山口 温子
昨年、ここイギリスでブレグジット(国民投票による欧州連合離脱)が起こった事は私も含め多くの人に衝撃を与えた事と思います。
しかしながら、なぜ人々がそんな愚かな選択をしたのか自分も含め疑問に思った人は少なくないのではないでしょうか。
自分はロンドン滞在もうすぐ5年目に突入しようとしているのですが、イギリスはここに来る以前に思っていたよりもずっと貧しい国だという事がだんだん解ってきました。
まず、話には聞いていたけれど、格差がものすごい。金持ちはものすごーく金持ちで、「ここは、美術館?」と思うようなお屋敷にでくわす事も少なくありません。一方、貧乏な人はとことん貧乏で、カビのはびこるボロボロの公営住宅に住むような人もこれまた多くいます。
その中間だからといって安心もしていられません。ここロンドンでは、信じられないかもしれませんが、住宅価格が年10%ずつ上昇しており、戦後一度も下がった事がないそうです。これが何を意味するか。
そこそこ稼いでいても家が買えない。
どころか、ロンドンに住めない。
教師なのにホームレス。
フルタイムで働いているのにシェアハウス住まい。
そんな人がごろごろいます。それが当たり前です。
先日、通っている英語のクラスでイギリスの住宅危機についての文章を読んだので今回はそれを翻訳したものをここに載せます。古い建物が多く新しく建築される数が少ない、土地が国や地主の持ち物で一般市民が土地を買う事ができないなど、住宅に関する前提が日本のそれとは根本的に違うので、理解に苦しむ部分もあるかと思いますが、イギリスの草の根レベルで何が起きているのか、よい情報源になれば幸いです。
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Housing Crisis(住宅危機)
住宅危機は、住宅についての問題ではない、人々についての問題だ。
それは、翌月の住宅ローンの支払いを間に合わせようとする家族の苦悶、
それは、劣悪なアパートに暮らしながら、いつ自分たちの家が持てるのかと自問する若い家族の疑念、
それは、短期宿泊施設に暮らしのため、引越しの度に何度も何度も転校させられる子ども達の葛藤だ。
一般市民にとって手頃でまともな物件が建てられていない事が全国的にいろいろな意味で悪影響を及ぼしている。
どのようにか…
住宅所有は夢のまた夢
平均的な住宅の価格は現在、所得の7倍と言われている。いくら頑張って働こうが、若者にとって貯蓄し住宅を購入する事はどんどん難しくなってきている。過去10年で、住宅保有者の数は調査を始めて以降初めて減少した。
(補足:イギリスの平均所得は2万6千5百ポンド (日本円で371万円)と言われており、それに対して住宅価格の平均は、63万~64万ポンド。しかしながら、高所得層と低所得層の所得格差がものすごく激しいため、この平均を疑問視する声も大きい)
住宅価格が高すぎる
住宅を購入する人々の多くは、支払い能力限界ギリギリの住宅ローンを組まざるをえない。そして、月々の支払いが厳しく、結果支払いが難しい状況に陥ってしまう人も少なくない。
民間企業から賃貸する家族が増えている
現在、900万人以上の人が、民間の不動産屋から賃貸しており、そのうち約130万が子どものいる家族だ。民間からの賃貸は、いつ賃上げされるか、不明瞭な支払いがあるか、いつ立ち退き通知を受け取るかもしれない不安を常に抱えており、不安定になりやすい。また、劣悪な住環境の物件も多くそういう意味でも不安要素は多い。イングランドにおける賃貸物件の三分の一は適切な基準を満たしていない。
(補足:歴史的には貧しい家庭には手厚い社会保障があり、無料同然で公営住宅が提供されてきたが、昨今は政府予算の削減により申し込みに長蛇の列ができている状況)
いろんなレベルでのホームレスが増加
住宅危機の最大の衝撃は、膨大な数の人々が住む家を追われている事だ。ホームレス世帯の数は一年で5万件以上増えた。その内多くは子どもの居る家族で、自分達の家を手に入れるまで何年もホステルなどの仮宿で待たなければならない。
この様な状況は変えなければならない。緊急の変革が必要とされている。だからこそ、我々は休みなくこの住宅危機を終わらせるために働いている。全ての人びとが適切で手の届く価格の家を持てるために。
出典:Shelter ( http://england.shelter.org.uk )
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実際、私の身の回りでも、二歳の子どもの居るママ友家族が公営住宅を追い出され、簡易宿泊施設で仮住まいを強いられたりしており、慈善団体の誇張という訳でなく、本当に珍しくないのです。
子どもがホームレスで仮住まいなんて、信じられないと思うかもしれませんが、これが身近に起こると本当に胸がつまります。同じ事が誰の身にも起こりうるのだと思うと、自分でも未来が見えなくなります。
と同時に、一般人が自分達の家が建てられるって事が、どんなに素晴らしい事かとも思うのです。よく日本では、「古い物を大事にしない」「すぐ壊して建てなおしちゃう」という非難を耳にしますし、自分もかつては同じように思っていましたが、逆にそれは自由に家を建てられるという尊さでもあると思うのです。
二〇一七年二月一一日 山口 尚子
たいへんに私事ですが、2月22日に息子が爆誕いたしました。名前は葦生(いお)といいます。
葦生。葦のように生きろ、という意味が込められています。葦というのは、ブレーズ・パスカルの名著『パンセ』にある格言「人間は考える葦である」の葦です。
考える葦、とは何か。アシ、またはヨシとはイネ科ヨシ属の多年草です。湿地に生える、非常に地味な植物です。イネ科という時点でかなり地味です。コメの仲間ですから。しかしその地味さが大事で、強い風が吹いたとき、アシは自ら身体を倒して風をやり過ごし、風が止むとまた元気に立ち上がるといいます。人間も、社会の風が吹き荒れるなかで、頑固に逆らうのではなく、柔軟に対応しながら生きていくものである。パスカルの格言はそんな人間の姿を示しているのではないかと思います。息子にもそうやってしなやかに、風に立ち向かったときにはその風に体を委ねながら、たくましく生きていってほしいと思っています。なぜなら、今の世の中は――おそらくパスカルの生きた15世紀からずっとそうなのかもしれませんが、とても強い風が、気を抜くと体ごと飛ばされてしまいそうな風がびゅうびゅうと吹いていると思うからです。ちなみに「人間は考える葦である」と言ったパスカル自身は若くして身体を壊し、キリスト教への信仰を深めながら、39歳でこの世を去っています。彼が『パンセ』に記した人間の姿は、あるいは彼自身思い描いた理想だったのかもしれません。
実際に葦生くんが生まれてくるまで、僕はずっと「自分が父親になれるのだろうか」と考えていました。悩むというほどではなかったにしろ、漠然とした不安がありました。両親が不和だったとか、親から暴力を受けていたとか、そういう点で親子関係にトラウマがあるわけではありません。僕の両親は少なくとも人並みには仲がよく、先日もいきなりグアムに旅行に行ったりしていました。親子の対話がそれほど濃密にあったかといえばそんなことはないと思いますが、幸福か不幸かでいえば幸福に育ててもらったと思います。しかしなんとなく、自分に人ひとりの人生を背負うことができるのだろうかと考え込んでいたのです。じつに青臭いことに。
自分で言うのもなんですが、僕はいわゆる甲斐性があるほうではありません。人の世話をするのが得意でもありません。自分自身が生きるのに精一杯です。そんな自分が、子どもと向き合い、育て上げることができるのか、自問自答を繰り返しました。
ですが、生まれてきた息子の顔を見た瞬間に、そんなことはどうでもいい、と自然に思えたのです。もちろん、いきなり不安が完全に解消されたわけではありません。何せ初めてのことですから、自信なんかひとつもありません。ありませんが、目の前でぎゃあぎゃあ泣いている葦生くんを見て、とにもかくにもこいつの人生を背負うんだという覚悟が決まった、とでもいいましょうか。家族3人で、吹き荒れる風の中を、ときには自ら倒れてやり過ごしながら、一日一日生きていこうと腹が決まったのです。
おそらくいろいろな困難が待っていると思いますし、へこたれることも一度や二度ではないと思いますが、とにもかくにも共に生きていくんだと思えたとき、久しく封印していた闘志みたいなものが沸き上がってくるのを確かに感じたのでした。
願わくば、みなさんにも温かく見守っていただければ幸いです。
息子の誕生と関係あるのかないのかわかりませんが、3月をもって今の会社を辞めることにしました。そういうタイミングなんだと思います。次に何をやるかは決まっていませんが、何をするにしろ、いい方向に向かっていくはずだと今は思っています。
2017年3月2日 小川智宏
1 家族
2 美術
3 学生時代
4 仕事
5 他人、移動時(電車、街)
今、自分はこの5つで出来上がっている。
例えば実際に土日月とあった連休。
土曜に美術仲間と語らい、
日曜に高校の仲間と語らい、
月曜に短大の仲間と語り合った。
そして火曜以降の平日。
仕事仲間と飲み、帰りの電車で、一日の出来事を振り返る。
つまらない昼飯だったとか、
あの若いバイトの子、めっちゃ可愛いなまじでとか。
そして帰って、妻と話したり、太った太ってないでケンカしたり、
家のご飯が1番美味いってのを言いながら
笑ったりして、また日曜が来て、を繰り返して生きている。
バランスなんていらないけど、
どれかひとつが元気が無いと全部に響くもの。
それはざっくり、協力業者同士みたいなもので、
どこかバランスが崩れると全体にちょっと影響する。
今、自分が分かりやすく力を入れなければならないと感じてる箇所は、
2の美術、4の仕事だ。
それが135に影響している。
今の自分はバランスが悪いわけでは無いけど、
絶好調!ではないような??でもでもそうでも?
ただいつでも、あ、絶好調かも
って時ってある。
それって急に意図せずモーレツに可愛い猫が横切ってニャーニャーと言いながら歩いていたり、
さっきまでの悪天候はなんだったの?めっちゃええ天気ー、春最高ーって時とか、急にアドレナリンが出て何かアイデア、ぽいもの出ない?あれって多分結構科学的なはず。
立証も完全にされてるはず。ドイツとかのラボ的な何かで。
あとは仲間の吉報に喜んだり、悔しがったり、嫉妬したり。
と、考えると、さっきとは逆で
難しく力を入れなければならない場所(とどのつまり)は
『無い』だ。
なんだっていいってこと。
どうでもいい、なんでもいいから
2と4は頑張らなければならない。
それ以外は天や猫とかから降ってくる絶好調のパワーでちゃんと生きていけるって事。
おっさんがヤバイ事を叫んでるってのも良いパワーもらえる。
雨の場合はべっぴんさんを見て泣いたり。
※ちなみに5ってのは東京、東京に住んでいるという事
二◯一七年 三月二十六日 岸本雅樹
学生の頃に作っていた自分用のご飯を紹介する。
1)目玉焼きベーコンご飯
A ご飯
B ベーコン2枚
C 卵一つ
D 塩、胡椒
E 醤油、わさび
①フライパンに油を薄く引いてベーコンを約2センチ離して二枚並べて焼く。
ベーコンが縮み始めたら裏返す。
②卵を割る。その際、黄身が2枚のベーコンの間にくるようにする。
③塩胡椒をして、15秒ほどしたら水を加えフタをする。
④ご飯を丼に盛る。
⑤ご飯の上にベーコンエッグを乗せ、黄身に穴を開け、醤油をその穴に垂らし入れる。
⑥黄身の中心から箸を丼の底まで入れ、ご飯と黄身をかき混ぜる。
必要に応じて黄身を混ぜる前にわさびを投入する。
⑦食べる。
2枚のベーコンの間の黄身に箸を突き刺して、醤油とわさびがその下のご飯に染み渡る時に、すごく腹が減ります。
2)ネギごま油醤油調味
A ネギ
B ごま油
C 醤油
チャーハンを作る時に特に活躍する。
①フライパンに大さじのごま油をひいて、千切りにしたネギを炒める。
②椀状の入れ物に炒めたネギを投入し、ひたひた手前まで醤油を投入する。
③そして②が合いそうな料理に投入する。その際に醤油を切ることを忘れずに。
これは②の段階で腹が減ります。
今年は3回、キャンプに行くことが我が家の目標です。
2017.04.06 タカハラナオキ
今回は少しトーンを変えて宣伝させてください。
知っている人、すでに観た人がいたらご容赦ください。
3月11日公開のドキュメンタリー映画「残されし大地」を先日観に行きました。
実はこの映画の監督(ベルギー人)の奥様(日本人)が出版社の編集者でお仕事を頂く機会がよくあり、この映画の存在を知ったのでした。
映画は福島県の富岡町と小高区に住居を持つ3家族を追った話で、特にその中の一人、富岡町で唯一避難する選択肢をとらなかった松村さんという男性に監督が惹かれた所から生まれた映画だったそうです。
もちろんそういった内容についてはあまり知らずに観たもので、ただ原発避難地区の生活者目線での様子というのは興味のあることだったので公開を楽しみにしていました。
監督の本業はサウンドエンジニアだそうで、静寂も含めて音から空気感が伝わるところだったり外国人ならではな拾い方(時代劇の音を大音量で流すシーンがあります)がドキュメンタリーをこえて単純に面白いと思える映画でした。奥さんが監督である旦那さんのことを「厳しくてものすごく繊細な人」といっていたのを思い出し、納得しました。こうして表現者の性格やらおまけの情報があると作品そのものの楽しみ方が広がるなと初めて知ることができました。
そもそもベルギー人が福島のことを描くこと自体に好奇心がかき立てられましたが、ジャーナリズム世界において海外から見た福島を伝える機会は多くあると思いつつもこういうのもほんとに出会いだな、と思います。私は奥さんを通してこの映画に出会えて嬉しかったです。
そして私がこの映画を宣伝したい理由がもう一つあります。
監督のジル・ローランさんは映画の完成のための一時帰国中に昨年3月ベルギーの地下鉄テロに遭いお亡くなりになりました。
映画は完成していてベルギーでの公開は決まっていましたが、日本での公開が全く決まっておらず奥さんが仕事と育児の傍ら配給会社を探し歩いて決まったそうです。
私はテロから半年後くらいにNHKに奥さんが出たことでテロでの被害を知りました。しばらくは撮影に来られることもなかったのですが会ったときになんてお声かけようかとどきどきしていました。あんな世界的事件に近しい人が遭うなんて。
でもさらに半年近く経ったときにやっとお会いすることができ、ご冥福を伝えることができ、その時に映画の公開を教えてもらったのでした。
結果としてご夫婦二人で完成させた映画になり、今東京では渋谷のシアターイメージフォーラムで上映しています。奥様曰く、映画は公開後の反響を観て上映期間が決まるのでできる限り自分でも広げていきたい。(とテレビや新聞の取材に応じたり映画館でトークショーを行ったり引き続き宣伝活動されています)
というわけで私も(超)微力ながら広げていきたくて今回何のバトンも受けず書かせてもらいました。
お時間のある方、是非!そしてまたここから少しでもご夫婦の想いが広がりますように!
2017.4.8 高原綾子
ゴールデンウィークが終わった。連休中、久しぶりにサッカーの試合を観に行った。息子はまだ小さすぎるので実家に預けて、妻と、この春から小学2年生になった甥っ子と、3人で。サッカーに興味がない甥っ子を、おもちゃ屋さんでゲーム買ってあげるからとモノで釣って連れていった。5月4日、埼玉スタジアム2○○2でのJ1リーグ、浦和レッズ対鹿島アントラーズ。レッズの試合を生で観るのは、昨年元日の天皇杯決勝戦以来だ(そのときはガンバ大阪との試合で、レッズは1‐2で負けて優勝を逃した)。チケット完売のスタジアム、真っ赤に染まったスタンドから発せられる怒号のようなチャント(応援の歌や掛け声)。
今シーズンからDAZNでJリーグ全試合を観られるようになって、基本的に全試合チェックしている。これがものすごく新鮮である。サッカーを観るのは基本的に好きなので、代表戦も海外リーグも観るが、改めて、Jリーグは素晴らしいリーグだと思う。
ここ何年かはテレビのニュースくらいでしか映像を観ていなかったので、ゴールシーン以外でどんなサッカーが行われているのかをほとんど知らなかったが、思った以上に各チームが戦術的個性を持つようになっている。知らない選手も増えて、若手でこんなのいたのかと驚くことも多い。
何より、ちゃんとサッカーがそれぞれの街に根付いて、サポーターが本気でクラブをサポートしている感じが、試合を通して伝わってくる。1993年にJリーグが開幕してから25年、着実に日本のサッカーは進歩をしている。もちろん、浦和レッズのように毎試合何万人もの観客が詰めかけるクラブは多くはないし、ゴール裏以外は閑古鳥みたいなスタジアムも多いけど、応援の熱はどのクラブも変わらないように見える。子どももいるし、一家言ありそうなおじさんもいる。ユニフォームを来た女性のグループも多い。
僕が初めてスタジアムでサッカーを観たのも、浦和レッズの試合だった。国立競技場でのヴェルディ川崎との試合。たぶん、1994年のセカンドステージだったんじゃないかと思う。当時はレッズではなくヴェルディのファンで、レッズの試合を選んだのはたまたまだったはずだけど、応援がすごかったのは覚えている。学研が出していた『ストライカー』というサッカー雑誌にチケット販売のページがあって、発売日に必死に電話をかけてチケットを取った。
18歳の頃はレッズのシーズンチケットを買って、ホームゲームはほぼ毎試合行っていた。2001年の埼玉スタジアムのこけら落としのゲーム(レッズと横浜F・マリノスの試合)を観たのはちょっとした自慢だ。
どの試合でも、サポーターはすばらしい応援をしていた。たかがサッカーにこんなに熱くなれるんだ、と毎回感動する。
最近サポーターの問題行動がニュースになることが多いが、そりゃ万単位の人間が集まればその中にはタチの悪いのも混じってくるし、リテラシーにも差が出てくる。レッズのゴール裏なんて、サングラスかけて怒鳴っている野郎ばっかりだ。でも99パーセントのサポーターは純粋に応援を楽しみに来ている。グラサンかけて怒鳴っているオッサンも、試合前にはちゃんと入場待機の列に並んでいる。
何が言いたいかというと、サポーターって面白いよということ。おらが街にJリーグのクラブがあるということの楽しさを、全国民もっと噛み締めたほうがいい。クリスティアーノ・ロナウドやメッシのようなスペクタクルなプレーはそんなにないし、パスもシュートも遅いけど、サッカーが文化になっている風景は日本にもちゃんとある。一度一緒にスタジアム行きましょう。チケットの手配から打ち上げまで、手配するよ。
そういう意味でいうと、ここ東京にはクラブが少なすぎる。J1でやっているのはFC東京ただひとつ、J2には東京ヴェルディと町田ゼルビアの2チームがいるけど、それぞれ稲城と町田のクラブ。23区内にはひとつもJクラブが存在しない。ロンドンには1部だけで6チーム、2部にも3チームもいるのに。Jリーグのクラブは地域色豊かでそれぞれの街では盛り上がっているが、今いち全国区の広がりにつながらないのは、東京がある種の空白地帯になっているからだと思う。
Jリーグの下部リーグにあたるアマチュアのトップリーグ・JFLで戦っている東京武蔵野シティFCは、今いちばんJリーグに近い東京のクラブだ。地域リーグでJリーグを目指して活動しているクラブもいくつかある。23区内でいうと、東京23FCと東京ユナイテッドFC。西東京市の早稲田ユナイテッドもいる。
このうちひとつでも多くのクラブがJ1リーグに参入して、首都がダービーマッチで盛り上がるようになれば楽しいのにな、と思う。今度関東リーグ観に行ってみようかな。
ところで、5月4日の試合は、レッズが0‐1で負けた。選手同士のトラブルもあって、後味はあまりよくなかった。最近観に行った試合全部負けているので、もしかしたら俺のせいかもとちょっと気にしている。
9月に子供が生まれる予定です。
本当はこんな時(妊娠中)だからこそ、
全然違う内容を書きたかったけど、いかんせん今の関心ごとがこのことで、
頭の中のほぼ9割がこのことを占めているので、皆様どうかお付合いくださいませ。
結婚当初からあんまり子供願望のようなものがなく、
二人でも楽しいし自由にできるし経済的な心配もないしこのままで私は幸せ〜と思っていた。
今も、その選択肢も全然アリだと思ってる。
でも、なぜか去年の始めあたりから子供欲がどどーーーっと吹き出てきた。
はっきりとしたきっかけは覚えてないけど、友達の子供がかわいいっていうのと、
あと、やっぱり子持ちの友達が羨ましかったというのもあるかな。
それと、高校からの親友が福島に住んでいて、東日本大震災の時に結婚しているのにまだ子供がおらず、
震災、原発、放射能という恐怖の中で、「何があってもこの人(旦那)の遺伝子を残したい!」と思ったという話を聞いて、少し気持ちがわかるような気がしたからだ。
さあ、いざ子供がほしい!となったがいいが、私は元々生理不順だし、その頃かつてないほど仕事が忙しく、
2ヶ月生理が来ないということもあった。基礎体温表もガッタガタだし、どこが排卵日だかまったく判別がつかない状態。正直、妊娠力に自信がなかった。
だけど、なんか不妊治療の病院に行く勇気もなく、友達に聞いた漢方を処方してくれる中野の病院に行ったり、ヨガを始めたりしてゆるゆると過ごしていた。
(その漢方の病院では子宮が未発達だの、そんなに太ってたら赤ちゃんできないなどそれはもうけちょんけちょんに言われた。めっちゃ面白くて好きな先生だったけど。)
そんなある時、友達が不妊治療に通い始めた話を聞いたり、ずっとお世話になっている同じ時期に結婚した美容師さんが、不妊治療に通いだしたという話を聞いて、「もうとにかく早くいっとけばよかったとおもってるよ〜」なんて話を聞いて、まぁ行くだけ行ってみようかなと思いまずは病院探しから始めた。
病院探しといってもほんとにごまんとあるので、
①通いやすい
②日曜日もやっている
③先生がこざっぱりしている(口コミより)
この3点にしぼって病院を探したところ、ちょうどいい塩梅のところを見つけたので
ドキドキしながら予約をした。
不妊治療の病院の流れはこんな感じ。
①血液検査(ホルモン値を見る)…結果が出るまで大体1時間くらい待つ
②内診
③診察
④お会計
この一連の流れが早い時で1時間半くらい、長い時だと4時間越え。生理周期に合わせて通うから月に何度も通う。
で、時間だけでも大変だけどお金もかかる。1回目の診察のみ保険適用であとは実費。
少子化担当大臣様〜〜〜〜、どうか保険適用を〜〜〜〜って思いながら通う。
3ヶ月くらい通って幸いにも授かることができたので、私はトータル十万円くらいで済んだけど、
一度に三十万円以上(現金でしか支払いができない)支払っている人を見て、ほんとなんとかならんもんかなっておもった。
加えて、まじで先が見えない。
私も、これいつまで通い続けるのだろう、そんだけお金かかるんだろう
健康だったらお金がかからずに出来ることだと思うとまた泣けてくる。
でもまぁ、結果オーライ。
心配だった、ガタガタの基礎体温表も生理不順も、調べる前は先生に「怠け者な卵巣だな〜笑」なんて言われてたけど、血液検査でホルモン値を見て内診してみたら、「面白いことがわかったよ、あなた今日排卵するよ爆笑」と言われて驚いたり…。不妊治療専用の病院だと、血液検査と内診で排卵状況を見るから基礎体温表なんて軽く見られてその後は見られることもなければ、それについて聞かれることもなかった。
人にケツを叩かれないと動かないわたくしなので、その先生がとんとん拍子に気づかないうちに治療をステップアップしてくれたお陰でなんとかここまでこれたので、この先生にはほんとーーーーに感謝している。
相性もあるんだろうけど。不妊病院から産院に移る時も「幸せになってね」って力強く言われて嬉しかった。
でもほんとこの世界に自分が足を踏み入れるなど夢にも思わなかったので、不妊治療=なんだかとんでもなくたいそうなことって思ってたけど、行ってみたら結婚式の準備に近いものがあるように感じた。タスクをたんたんとこなしていく感じとか、同じ状況の人が一挙に集まっているところとか。だからそんなに普通というか、思っていたよりほんと普通だった。待ち時間とかかるお金は異常だけど。
こんな性根が怠け者が母になるのは非常に不安もありますが、とにかく健康に出てきてくれることを日々願いながら過ごしています。
2017.5.20 岸本知見
つい先日のことですが、昨年末に発売され購入した我が家のMacbookProが3度目の工場送りになりました。
症状としてはランダムに発生する破裂音。普通に作業していると突然「パン!」と鳴る。音は大小様々で規則性がないものだからとにかくビックリする。ついでにイラッとする。さすがに作業に支障をきたし始めたので修理を依頼しました。
修理手続きの手際の良さはさすがアップルインクゥと思ったものですが、そこからが遠かった。一度目の修理報告書には「再現しなかったため、無修理で返還します」とのこと。案の定再発し、二度目の修理依頼。一週間で返却。その報告書には「再現したため、スピーカー周りロジックボード周りキーボード周りを交換しました」とのこと。下半分全交換だしこれでようやく安心だわー良かったわーとMacを起動するやいなや「パン!」。平静を維持するのに大変な労力を要したけれど、三度目の修理依頼。また一週間で返却。その報告書には「再現した為、ディスプレイユニットを交換しました」。上半分全交換。もはや購入当初のパーツは何一つない我が愛機を緊張しながら起動してから一週間。今のところ破裂音は聞こえません。良かった。本当に良かった。
さて、最近世界情勢が不安定だなーと感じます。
当たり前だと思っていた民主主義も何やら不具合がじわりと顕在化してきた気がします。イギリスの国民投票とか、アメリカの大統領選挙とか、まあ当事者じゃないし専門家でもないのでよくは分からないけど、あれ程の僅差の場合の多数決というのはとても危ういと感じました。一つ事柄に対し賛成とほぼ同数の反対がいるのですから黙殺が通じません。これは多数決だから、と言えたのは大多数と少数という関係性だったからかもしれません。
ところで、このどちらの選挙もSNSの活用が大きく影響したと言われています。自分の好みに合わせたニュース配信サービスとか、キュレーションメディアとかもありますね。言わんとすることは肌感としてもよく分かります。昔の新聞とかニュースとかで接する選挙よりも、より身近に気軽に頻繁に情報に接する機会が増えました。それと同時になんだか危ういと感じました。ノイジーマイノリティ、という言葉があります。これがSNSに及ぼすサイレントな影響は大きいなと感じています。
自分は普段数千人規模のチャットルームみたいなものに入っています。部屋は細かく別れ自分と近しい人だけの部屋があったり、全利用者が入ってる部屋なんかもあります。この全員部屋は当初発言頻度はとても少なかったんですが、気づいたら特定の数人が事あるごとに発言するようになりました。稚拙な文句だったり、偏った言いがかりだったり、うーんと思われる発言がまま見られます。まあそういう意見はふーん程度にスルーしていたんですが、数年経った頃には「この部屋にいる人全員そういうこと言う人」という印象を持っていました。つまり、自分の近しい人はまともだけど、それ以外の人達は残念な人達ばかりなんだ、と思いこんでいたのです。
全員が入っている部屋、という前提と、そこで発言される内容、の2つが組み合わさって、そこに属する全体の印象になってしまった、というわけです。
一時期ネットではある事に対し攻撃的なニュースで溢れかえった時期がありました。煽りタイトルを上げ、それに反応して多くの人が閲覧しました。刺激的だったり正義心を煽るタイトルほどアクセス数が稼げたのか、どんどんそういった記事が増えました。記事の内容は、引用されたニュースとそれに対する掲示板の反応です。フォントサイズやフォントカラーをいじり、読み物としての演出も欠かしません。ポイントとしては、これが掲示板にどこかの一般人が書いた発言である、というイメージです。もしかしたら二人か三人かしか書き込んでいないかもしれない。けれど匿名ゆえに発言の数だけ人がいるように感じる。マスメディアではない大衆の意見的なものへの親近感もある気がします。反対に相手から攻撃的な発言をされれば一気に敵対心が湧く。
これがニュースアプリ部門第一位!なニュースサービスなんかに繰り返し掲載されると、まるでみんながそう思っているかのように感じるし、少なからずその印象に影響されます。大げさに言えば意味もなく誰かを嫌い誰かを攻撃する気持ちにさせてしまうこの構造に、現状の危うさを感じずにはいられません。
SNSはインターネットに新しい可能性を拓きました。けど今まさに新たな問題が生まれてきています。現代の僕らは歴史で勉強したプロバガンダみたいなものを「んなアホな。自分なら気づく」と思いがちですが、印象と言うものは恐ろしく静かに浸透、もしくは侵食してくるものなのかもしれません。
本稿を書いている間、私のMacbookProは一度も異音を発しませんでした。これです。心穏やかな世界。
鈴木ヶ
2013年からベネチアンガラスをつかったアクセサリーを作っています。お店の名前はoharico(オハリコ)です。
でもあまり大々的に言ってはいませんでした。
なんとなく。仕事じゃないし、稼げてないし、趣味の延長だし、そもそも好きでやってることだからネガティブなこと言われたくない、思われたくない。自分中のとても大切なものだから、そんなしょうもないことを考えていたのです。
ウェブショップに出してちょこちょこ売れる。初めて売れたのは妊娠中の雪の日。私が好きで作ったものを気に入ってくれて、お金を払って買ってくれる人がこの世の中にいる!それだけで小躍りした。
今年の年明けになんとなく読んだ、雑誌の年明け恒例の占いに「今年は動くことが大切でそこから後々変わってくる」的なことが書いてあって、そうかやってみるか、とふと自然に思えた。私は基本、物事を疑ってかかるので、占いとか予言とか嫌いだけど、「アウトプットしたい、世間様とつながりたい」という気持ちとフィットして、言葉がすんなり入ってきた。
ちょうど出しているウェブショップのイベントが4月にあって申し込んでみた。選考に通った。年明けから準備、まず材料を買い込む。こんなに買って売れなかったらどうすんだ、と不安でたまらない。80個くらい作って作って作る。こんなに在庫抱えたことないから不安でたまらない。千本ノックみたいに一度にたくさん作って、ちょっとうまくなった。
4月、初めてのイベント会場は東京ビッグサイト。デビュー戦には申し分ない会場。正直、作ってるだけで最高楽しかったので「1個売れたら成功」の気持ちで目標はもちろんスーパー低く。
自分のためなら、好きなもののためなら、知らない人に声をかけるのも、営業するのも全く苦じゃない。ちょっと厄介なお客様に丁寧に接するのだってなんだかやり甲斐すら感じる。
「ベネチアンガラスも作ってるんですか?」という質問が意外にも多くて、ベネチアンガラスの認知度ってけっこう低いんだなと知った。ベネチアンガラスは、ベネチアにある「ムラーノ島」という島で職人によりひとつひとつ手作りされています。金が入ったものや独特の色使い・模様が美しく、その緻密な手仕事による伝統文化・財産が流出しないよう、かつてベネチアが国だった頃、工房を離島にうつし隔離しました。そんな小噺も交えつつ、oharicoに興味をもってくださる方々とお話しするのはとても楽しかった。だんだんとブースに足をとめてくれる人が増えていった。
会社員時代は作っているものが誰に届くのか全くイメージ持てないまま、モチベーション低く仕事していたなぁ、と今更反省。
「ちょっとひとより得意なものこと、アイディアを活かしてお金をもらう」。本来、昔は「仕事」ってこういうシンプルなものだったんだろうなと思った。アナログで作り手・買い手が見える「小商い」。とても健全ではないか。
結果、終わってみれば、イベント前に友人が先行購入してくれたものも含めて30個以上売れた。
自分がただ好きで楽しくて作っているのもを、こんなにたくさんの人が気に入って大事なお金を払って買ってくれたことが本当に嬉しかった。
と同時に、人の物欲の儚さというか賞味期限の短さを知った。
事前に取り置きを依頼してくれた方がいて、店頭からさげていたブレスレットを購入したいという方がいたので、「ウェブで再販依頼をしてもらえば再販できます」と言ったら「すぐしますー!」と言ってくださったのに2カ月経過してもない。取り置き依頼の結果、やっぱり違うものをほぼフルオーダーで作ることになったのにイベント後全く連絡取れなくなってしまって2カ月経過した不届き者のお客様。
人の「ほしい」という欲は一過性のもので、それをタイミングよくつかまえなくてはならないんだなぁ~。
ウェブショップではわからなかったダイレクトな感想はとても勉強になり、思い切ってイベントに参加して本当に良かった。
また、娘にも私が自分の好きでお金を稼ぐ様を見てもらえたこともいい経験となった。彼女もショップカードを配ったりとお手伝いもしてくれ、何か思うところあったようで、翌日から手持ちのアクセサリーを紙袋に包み、電卓をたたいていた。
購入してくれた方々からは「さっそく職場につけて行った」という言葉が多い。
女性の日常はタフだ。仕事・家事・育児・ホルモンバランスなどなど。男性の日常だってもちろんタフでしょう。でも女性の特権は自分のために自分を飾る物が多いこと。そのひとつにoharicoを選んでもらえることほど光栄なことはないです。タフな状況下でふと鏡を見たとき、手元を見たときに、oharicoの商品が気持ちを安めたり、気分転換になったり、気持ちをあげたり。これからもそんな存在になれる作品を作っていきたいと思います。私の好きが誰かの好きになって、誰かの日常を明るくできますように。
mi piace→mio lavoro
È la felicità.
2017年6月21日
oharico
山口 温子
一.
エジプトのミイラが言いました
ここには水はないんだよ
でも水があったらわたくしは
腐ってしまう
二.
海原のさかなが言いました
ここには陸はないんだよ
でも陸があったらわたくしは
溺れてしまう
三.
路地裏のこねこが言いました
ここには仕事はないんだよ
でも仕事があったらわたくしは
サボってしまう
四.
青空のお日さまが言いました
ここには星はないんだよ
でも星があったらわたくしは
眠ってしまう
これは、まだ娘が今よりずっと小さいときに作った歌。お腹の中にいる時だったよなと思って確認してみたら、「生まれてからじゃないっけ?」とのこと。お互い記憶はすでに曖昧だけど、ボンヤリしたメロディーではっこに一番を聞かせた時に「いいじゃんいいじゃん!」と二人で盛り上がったのは覚えている。それでその後、メロディーをおもちゃの電子ピアノで確定させて完成。
しばらく何かと歌っていたけど、いつの間にか歌わなくなった。娘がほかの色んな歌を知ったというのもある。でも、自分としては気に入っているのでメモして残していた。他にも数曲。こういう、その家だけの適当な歌ってたくさんありそうで、ちゃんと覚えてたり残しておいたらおもしろいだろうなと思う。子どもも、当たり前に聞いていた歌が「え!この曲知らないの??うちだけなの?」みたいなね。「みんなのうた」じゃなくて「ぼくの/わたしのうた」的なね。
別に自画自賛したいわけじゃなくね、こんな歌でもそうだし、例えばお母さんの刺繍だってそうだし、お父さんの大工でもそうだし、それに、別に我が子のためじゃなくても、「だれかのため」に作ったものってやっぱりすごいと思う。「だれか」が明確なだけで、自分の中ですごく魅力的になってる。そんな気持ちで、世の中に対しても臨めたら、もっと何か変わりそうだなーとか思ったり。
家族でも友人でも、近しいみんながうれしそうなのって自分もうれしいでしょう。数字やデータじゃないよな、と思う。それも大切だけど、それだけがよろこびの基準になっちゃうのは、あまりにもさびしい。
「あなたとわたし」な気持ちで、「だれかとわたし」。なかなか出来ないけどね〜。今はまず、家族・親戚・友人・知人、俺に関わるすべての人たちをいつも大切に思っています。
二〇一七/六/三十
次朗
この話題について、今書いておかないと嘘だと思うので、今回は草の根の目線から日々考えている事を書きます。
英国が欧州連合(EU)離脱と国民投票で決めたのが、二〇一六年六月。だからちょうど一年経ったことになる。
当時は日本でもたくさん報道されたと思うけど、違う国の事だとよく分からないと思うので、経緯をざっとおさらいすると、
1.元々は前首相が選挙の公約として、「当選したら、欧州離脱を問う国民投票を決行する」と約束したため、前政権はやらざるを得なくなった。ちなみに前首相はバリバリの経済優先、残留派だった。
(日本人の自分としては、「国会で両院審議にかけて、決まらなかった議題を最終手段として国民投票にかける」と中学校で習った気がするので、この点制度の違いなのか、なぜ国民投票が先に来ちゃうのか大いに疑問なのだけど…)
2.で、やったらギリギリ過半数超えで離脱になってしまった!しかし、制度上過半数で決まってしまったが、今回の結果は反対派もほぼ過半数いた。
(日本では、たしか国民投票は3分の2以上の票だったはず。こんな大切な事が過半数で決まってしまうの!?なぜお手本にしたはずのイギリスの制度が劣るのか、大いに疑問なのだけど…)
また、この国民投票を純粋にEU離脱の是非ではなく、前政権への抵抗の意味で離脱票を投じた人も少なくなかったという事実も。
3.皮肉な事に残留派だった首相は、まさか離脱になるとは思いもよらなかったため、結果は自身の主義に反するとの事で辞任。新しい首相に同じ党から前国境局(=入国管理局)のボス、テレサ・メイ(邪悪)が就任。
4.今年に入って「EUを離脱する。移動の自由も禁止、一番きついハード・ブレクジットで行く」と公表。EUと今後、具体的にどこを残してどこを外すか交渉中。
5.EU離脱まであと1年(二〇一八年発令予定)←今ここ
日々いろいろな議論が交わされている。
(「イギリスがEUを離脱する事は焼いたケーキから卵だけを取り出すのと同じくらい難しい」と書いたジャーナリストもいた。そのくらいイギリスはEUに融合している)
現実問題として、EU圏の国々からイギリスに働きに来ている人はたくさんいて、飲食業からビジネス、医療までさまざまな場面でEU圏の労働者は不可欠というくらい根付いている訳で。
例えば、私はスーパーの中に入ってる寿司カウンターで働いていたけど、会社自体の大元はフランスの企業。働いている人の内訳は、
・マネージャー:日本人、コソボ人(おそらく英国市民でも)、ルーマニア人
・スーパーバイザー:ベトナム人、英国市民(ジャマイカ系)
・同僚:ネパール人、中国人、フィリピン人、パキスタン人、バングラディシュ人、コロンビア人、ブラジル人、キューバ人、ルーマニア人、リトアニア人、スペイン人(いっぱい!)
という感じで、南アメリカの国々の人達は同時に旧植民地のスペインやポルトガルのパスポートを持っている事も多く、またイタリアはおじいちゃんだかひいおじいちゃんまで遡ってイタリア人だったらパスポートを発行するとかいう訳で、圧倒的にEU圏からの労働者が多い。そして、ご覧いただくと分かるように、いわゆるネイティブなイギリス人はほぼいない…
寿司屋だけでなく、チェーンのカフェやハイストリートの洋服店までどこもそんな感じな訳で、それがEU離脱したあかつきにはどうなってしまう事やら、全く想像がつかない。誰が毎日のコーヒーを淹れるのだろうか…?
EUからの人の出入りを制限するからと言って、他の国からの移民を受け入れるという方向性でもない。逆に更に厳しくしていく方向だそうだ。また、イギリスは難民の受け入れについても消極的で、ドイツなどに比べて極端に少ない。
ホワイトカラーの職業についてはもっと分が悪く、ブルーカラーの労働者はまだ稼げるうちは留まっているし、逆に発令される前に来て稼げるだけ稼ごうという人もいるみたいだが、ホワイトカラーの人々は、いざ発令された際、高額なお金を払って面倒なビザの手続きをしなきゃならないよりは、もっと条件のいい就職先を求めてとっとと別のEUの国に移ってしまう。そして、それは既に始まっている。知り合いのイタリア人の建築家は正に数か月前にその理由で国へ帰った。
一番困ると思われるのは医療で、医療現場ではお医者さんからナースまでEU圏の人々がかなりの数働いている。彼らはサポート的な立場ではなく重要なポジションでも働いていて、国のために一生懸命働いている(前にも書いたようにイギリスの医療は国営)のにこの仕打ち。EU離脱した際、ナショナルヘルスサービスがどうなってしまうかは、英国市民でなくても生活者として大いに心配するところではある。
そんな訳で、EU離脱については普通に考えて心配事の方が多いが、私は英国市民じゃないし選挙権もないわけで、この状況を黙って指をくわえて見ているしかできない。
メディアで見聞きする話では、日本の企業もEU圏の別の国へヘッドクォーターを移すという話だし、日本はEUと経済協力を結ぶという事で合意したみたいだし、日本人的にも考える事は多い。
来年 二〇一八年以降、この国はどうなってしまうのだろうか…?
二〇一七年七月二三日 山口尚子
昔から思っている事。
世の中の団体名、呼称で、
・気にならないもの
と
・気になってしまうもの
がある。
【気にならないもの】
誰かが立ち上げた、
所属する、会社名、部署名、プロジェクト名、学校名、クラス名、店名
などの元々グループ在りきとしての
団体名。呼称。
(例)
・〇〇大学同窓会
・岡山釣りキチ同好会の忘年会
・ニュー傘制作プロジェクトチーム打ち上げ飲み会
【気になってしまうもの】
誰かが立ち上げたわけではなく、
自然発生した友達グループのようなものの呼称。
または意図せず集まった3人以上の団体に対する、「第三者」が命名した団体名。
(例)
・チーム(人名)飲み
・(人名)パーティー
・メガネ軍団
・弱冷房車に乗ってる人達
・何とか軍団
前者は、解体が来るもの、来ても悲しくないもの。
後者は、本来解体も無いのに、自然に「結成」感を出して(出されて)しまったがために、
仲間はずれなるものが発生した時、面倒くさい。
本来、結成していないのだから、後者は永遠に解体しない。
そして仲間はずれとか無いのに、あの時誘われてなかった、あれにあれ誘う?とかになる。1番めんどくさい。
だから名前をつけてチーム感は絶対出さない。おじさんになった今でも。
気になるものを気になりだしたのはいつくらいだろう。
中学校くらいから?
その何人かのグループのリーダー的存在の名前の軍団名とかを誰かがつけると何故か、ソワソワするような、気持ち悪いような。
なんでそう思うのか。
別に気にせず受け入れりゃいいじゃない?
考えたところ、
どうでもいいから、って事だと。
んなこたどーでもいいからとりあえず来いよバカ〜、今日来なかったらいつくんの?のどうでもいいね。
なんだよどーでもいいって、なめてん?
何にもどーでもよくねーだろーがオイ、
のどーでもいいじゃないよ。
おれとおまえのくくりに名前をつけようがつけまいが何も変わらないし、余計だよね、どーでもいいよ、さ、もう一杯飲もうよ、水も一緒に。明日の為に水も。
そのどーでもいい、余計なものの違和感を感じなくなったら割と自分的にはヤバイと思ってて、日々、そのどーでもいいを見落として無いか、頭の中を徘徊するようにしている。
言うまでもなくものすごーーーく、単純な事なんだけども。
結局はまた、僕の永遠のテーマ、
「どうでもいい」が答えでした。
2017年8月9日岸本雅樹
今回ノープランなので思いつくまま書いてみようかな。
前回書いてから軽く1年が経ってる。「あっという間」という言葉じゃ表せないくらいのスピードだった。ナルトロスから1年、まだそれを引きづりつつ、ちょっとした娯楽(現実逃避ともいう)をつまみ喰いしながらの日々。
そう、実際の生活とやらは、見たくもない感じたくもない、烈火の自転車操業ってヤツで、本当にお金がなくなってくると「いつ電気が止まるんだろうか」「保育園退園の連絡がきたりして」等々、マジで髪が大量に抜けてきて恐ろしくて貯金通帳なんて触れられない。先日、ダンナの新規事業に対してやっと国か東京都からの審査が降り、なんとか大金が降り込まれて首の皮すんでのところで留まっている我が家がいまの現状です。
愚痴に聞こえるかもしれないけど、これはまぎれもない事実であって愚痴ではありません。そしてグチる段階はとうに過ぎ、明るく書いているのでそこはご心配なく、大丈夫よ!
わたしとダンナのここ1年
「安泰」とは思ってなかったけど、その職場に長くいるもんだと思っていたら「ダンナが事前報告もなく脱サラ」した。それから1年半、乱高下しながらどうにか暮らすことができてて、まあそれなりに生活してる(贅沢はしてないけど言うほど節約もしてない)。前職で生き生きしてたと思っていたのに、何がどうなったのか、ウチのダンナさんは40代なかばで「ベビー服のブランド」を一人で立ち上げてしまいました。それも超絶隙間狙いの。そんなターゲット層がいまの日本に100人いるのか?というくらいの大衆から真逆をいくブランドコンセプト。(価格が高すぎて友達にちっともオススメできません)
ダンナは「服」に、私は「酒」に、お金をつぎ込んできた長い独身時代だったため、ぜっっんぜん貯金がない私たち夫婦。どこにそんな起業できる資金があるの? と問うたけど、あとの祭り。それを質問した時には「退職届」を出しており、怒り狂った私は子供を置いて家出をした。もう懐かしく感じるくらいだけど、ちょっと前のこと。
家賃が払えなくなったら最悪、東京を引き払って私の実家に帰ればいいやと思った。それまでは私が働くし(働くことが好きな自分でよかったよ)。我が子がまだ授乳中だというのに「退職届」を出せるその心!アッパレなのかバカなのか分かりませんが、なんかとんでもない人なんだな~と思いました。人よりも視界が狭いであろうその小さな目を、重たそうな真っ黒いメガネで隠している奥に、何か凄いモノを秘めてる人だなと結婚する以前のクライアント時代から思っていたけど、本当に何かを持っているのか、もしかして何も持っていないのか、でもここで私が彼を否定すると応援する人は誰もいなくなるなと思って、さらにそのクライアント時代に感じた「彼から感じる何かのセンス」には絶対の信頼があったので、「まあね、私の人生がそんな簡単に終わるわけないよね」と腹をくくり、後生だと思って思う存分やってくれ!と、かわいくないダンナに旅をさせました。いや、知らない間に旅に出てました。
まあ想像するに難しくない毎日がはじまり「金がない?そんなの全然問題じゃないぜ!」とかいうカッコいい母ちゃんになれるはずもなく私は大荒れ。酒やタバコに浸かる毎日、になる金も時間もないわけで、毎日せっせと働いて、家で皿を洗いながらナルトの動画を見て現実逃避。てかさ、派遣社員なんてやってる場合じゃなくね? と。ダンナが新人フリーで嫁が派遣なんて賃貸の契約もできませんでした。(ムダに広いルーフバルコニーの家からとっととズラかろうと)いまの自宅は私の父が契約主に。せめて引っ越してから辞めてほしかった。
その頃の私は、働くことがキライじゃない結果、派遣社員のキャパを200パー程超え、社員と同じ権限やらIDやらを発行してもらい、そのへんの社員よりも社歴が長いこともあり、なんだか態度のでかい派遣社員になっていました。しかしブラック企業とも噂される我が社、子供がいることがリスクとなり正社員への登用は見送られていました。もはやリッチブラックだよな。
ダンナが正社員だったからずっとのんびり派遣だったけど、ダンナがフリーなら私が正社員になるしかないじゃん。そこで「保育園に通う子供を育てながら正社員で17時に退社するグラフィックデザイナーの女性」を周囲で探してみるも、からっきし見つからない。職種の問題か・・・これは女性デザイナーの限界か。気づけば子育て中の女性デザイナーは派遣かフリーが多かった。そこで、グラフィックデザイナーって。と、初めてくらいに立ち止まった。
さらにその頃「これからのAIの台頭」みたいな内容の仕事に関わってしまい「あと10年後にはイラレが勝手に動く時代がくるかもしれん!」というあまり根拠のない不安に取り憑かれてしまった。デザインは20年近くやったしな。と気持ちがデザイナーから離れていった。毎日保育園に迎えにいくと、やんちゃばかりする娘をちゃんとした言葉でフォローしてくれる保育士さんたちがキラキラ女神に見えてきて、ビルゲイツが「保育と介護の世界にはAIは入りづらくまだまだ人の手が大事」とどこかで言っていたのを思い出し・・・「時代はまさに保育士か!」という思想にとらわれていった。おばあちゃんデザイナーはあんまりいないけど、おばあちゃんの保育士さんはたくさんいるからね。その話を弟夫婦に語ったら、笑いながら「ねえちゃん!いつまで働くん?」だって。いや、だからウチ、火の車なんだってばよ。
けど、正社員のデザイナーの道も諦めきれず、転職活動を水面下でひっそりと行ないつつ、保育士免許取得の勉強を今年からスタートさせました。来月の10月には初の保育士筆記試験が到来!(実はピアノ弾ける&絵も描けるで実技は余裕、要は筆記)
勉強がキライだったからデザイナーになったのに、ここへきてまた勉強、振り出しかよ。お金も時間もない中で、どうやって勉強するかを真剣に考えました。で、「通勤時間を有効に!」をスローガンに、参考書を読んでiphoneに録音し電車の中でイヤホン再生。自分の声を聞く気持ち悪さに耐えつつも慣れた頃に過去問を解く。これ、なんとなくで始めた勉強法なんだけど意外と効果アリで、学生だったころの自分に教えてやりたい。あの頃は意義も目的もわからないままの勉強だったからまるで興味がなかったけど、保育士試験の内容がまさに子育て中の私にとってはあるあるの内容で、ふむふむと思いながら、我が子に当てはめたり我が保育園を例にしたりしながら覚えるので思いのほか頭に入る。人物名や法律系はサッパリだけど、耳から入れるのは書いて覚えるよりも自分に合っていた。
笑えることにトラブったのが、十代の勉強不足のせいで参考書の漢字がまったく読めない問題! ダンナに「これなんて読むの」と何度も聞くと「ほんとに高校を卒業したのか」と疑われる始末。録音中に解読不可能な熟語が並ぶと「ウンタラカンタラ」と読むしかなくて意味がない。あ~だとかう~だとかいう自分の情けない声が入ってて、電車の中で落ち込んでいた。
そんなことをしながらのある日、水面下だった就職活動が浮上してきた!
なんと、子育てしながらバリバリ働くぜ! という意気込みの私(だって生活かかってるし)を買ってくれた制作会社に内定をもらえた。希望の額面を出してくれて勤怠もフレックスにしてくれたけど、制作会社だからね・・・そりゃあもう忙しいだろうな、とまた腹をくくり、あとは現職の引き継ぎだな~と思いながら後日、今の職場の同僚にその旨を初めて告げた。
先にも書いたが、態度のでかい扱いづらいデザイナーだと自負していたので、編集や担当からは嫌われてると思っていたら、まさか月曜日朝からの大号泣。同席していた全員が泣く始末。ヤバイ、三十路超えの女性を一気に3人も泣かせてしまったよ・・・オレ、モテてたんだな。
「あなたが辞めるなら私もやめる!」とドラマみたいな台詞をたっぷり浴び、その日のうちに上長に直談判する運びになってしまった。あれ? 私はココで正社員になるのか? ま、転職に比べたらストレスは低いかも、とまたまたどうにでもなれ感のまま、取締役員の前で即席の熱い愛社精神をだだ漏れさせたら、その日のうちに天から(会長から)ハンコが降りてしまった。早いな! あれだけ、子供が、リスクが、なんだかんだ言ってたのは何だったわけ?
制作会社の社長さんには、本当に申し訳ないけど事実を述べてお断りをさせていただいた。その社長も私の正社員登用を喜んでくれた。本当にいい方だったので彼のもとで働くのも楽しみだったし、勤務地周辺のランチがどこも美味しそうだった、まことに残念。
そしてつい先日、派遣社員から正社員への登用のため出来レースのような面接と試験が本社であった。
デザイナーとして面接を受ける場合、暗黙の何かで「スーツでいくと仕事ができないヤツ」と思われる傾向があると思っている。今回もそのつもりでちょっと個性的な感じで行こうかと鏡の前でファッションショーをしていたら、「君はブルゾンちえみか!」というダンナにしては鋭いツッコミをもらってしまった。大手企業でしか就職したことのないダンナには「面接イコール鉄壁スーツ」というのが絶対であるようで、軽い説教(世間知らず)を喰らったあと夜の20時にユニクロまでチャリを走らされ、グレーのパンツとコットンシャツを購入した。もちろん帰ってから、一通り着さされ、ピアスからベルト、靴、カバンまでのチェックを受けた。
翌日、私は着なれない服にブツブツ文句を言いながら家を出たけど、ダンナプロデュースは大正解だった。自分が今いる会社は日本なら誰でも知ってる企業であり、自分がいままで働いてきた薄汚れた編プロとは全然違うってことを失念していた。出来レースとはいえ、本当に転職サイトのCMみたいな面接で、面接官から数メートルも離された椅子に一人で座る緊張感しかない場だった。新卒の気分を初めて味わったよ。みんなアレを経験しているの? というかこれがフツーなのかもしれない。私がいままで経験してきた面接なんて校正紙が山盛りたまったデスクの上、とかだったから。
そして「簡単です」と言われた試験は全然簡単ではなかった。展開図の問題は職種柄多めに答えられたけど、漢字のテストは20問中1問も回答できず(ここでも漢字でひっかかる)。会長決済を取った後に採用不可となってしまうマレな人材になってしまったらどうしよう。今日の段階でまだ人事からの返事がない。こんなことなら制作会社に行っとくんだったかも。ドキドキさせてくれる、落ちたら洒落にならないんだけど。
と、いうのが今日までのお話。
来月は娘の七五三と3歳の誕生日、保育園の運動会やら秋のイベントが諸々続き、ママとしても奮闘予定。ダンナの新規の展示会もあり内勤デザイナー(紙媒体は私が制作)としても奮闘予定。そして、あっという間に保育士の試験当日はやってくる。
ダンナさんはその後、彼なりに頑張っていらっしゃる。ケンカは絶えないしムカつく事しかないけど、彼を支えられるのは自分くらいしかいないだろうなと思うし、こんなワガママな私を黙認してくれる人も彼ぐらいだろうと思う。前職のままにさせておいたらウツになってたかもしれない、それは困るしイヤだ。実力とセンスがあるのならそれを信じて応援してあげたい(本人の前ではなかなか言えないけど)。最初はあれほどイヤがってた晩ご飯を最近はほぼ毎日作ってくれており、私はクックパッドを見る機会が激減した。味の濃いエンゲル計数も低くないメニューだけど、もうそこはちょっと黙っておくことにした。私もそんなことではキレなくなった。来週はベビーではない新規のお仕事で展示会に出るらしい。どこで見つけてきたのか、彼が自分の審美眼で選んだアメリカのバッグブランドを個人で輸入する流れとなり、毎日パソコンに向かってなにやら必死に英語のメールを打っている。頑張ってくれ、マジで。
そして、わたしは。1回じゃ全9科目なんて受からないと思うけど(受かった科目は次回の試験に保留できるシステム)来月の保育士試験、頑張ってきます。次の日記には結果が出てるかな。人事から吉報が届けば、当分はまた現職場でお世話になってデザイナーを続けようと思う。やはり、この仕事は好きだと思った。でもAIの心配もあるので、保育士免許は取得する。そして、いずれその仕事にも携わってみたい。デザイナー以外で初めて興味がわいた職種でもあるし。でも、命を預かるので、気軽な気持ちではできないだろうけども、小さな子供たちと接するのは疲れるけど元気がもらえる。そしてウチの娘はというと、一切登場してないけども、彼女はそんな両親たちを知ってか知らずか、とっても元気です。
二〇十七年 九月二十伍日 マッチ(いまいみきこ)
ひっぱってしまってすみませんー。。!
いやーごめんなさい、、さて、、
最近のことを書きます。
最近、やっぱる人生はRPGなんだな。と思っています。
誰かが何かで言ってたようなことですが、
やっぱるそう思う、という話です。
まず私は、仕事はRPGだな、とよく思ってました。
レベルを上げて、敵を倒して、先に進む。
このシンプルなプロセスをひたすら繰り返すだけなのですが、
クリアするまで続けてしまうというやつです。
まさにこれだなと。
たまに、なかなか倒せない中ボスがいたり、
洞窟とかにハマったりして、ゲームが進まないときもあります。
そういうときに思わずリセットボタンとか押したくなったりするのですが、
押したら前回セーブしたところまで戻ってしまうので、そこはグッと堪えます、
なんとかゲームを進めるための方法を考えて
いろいろ試してみてそこを突破すると、
考えたぶんだけ達成感を得られやけにうれしくなってしまうので
またシンプルプロセスを繰り返してしまい
やめられなくなってしまいます。というやつですね。
これ実際はさらに仕事に加えて子供育てたり
いろいろ遊んだりするのも重要な要素になりますので、
こうなるともはや人生自体がRPGの舞台になってくるわけです。
話がダラダラ流れていってしまいますが、、
なので、細かくわけると仕事してる時間、学校の時間、家族との時間、と
便宜上呼び名をつけて話をしますが、それぜんぶ含めて、1個のゲームをどう進めるか、
でしかないんだなーというところに行き着きます。
いろいろあるし、都度悩みますが、そもそも楽しいゲームの中で発生する
いちイベントなんだなと。
結局やりたいようにしかやれないし、
自分しか自分のゲームを進められないんだなと思います。
最近、の話でもう一つ。
わたし大学院に通いだしました。
経営学修士過程なのでつまりMBAです。
会社はじめていろいろ仕事していると
今までのデザイナーの経験だけじゃ足りないと感じることがつどつどあり、
だいぶモンモンとしていたので、、、勉強し直そうと思ったわけです。
この歳で学生やると、これはこれでまたいいですな。
先生に教わるのが非常に新鮮です。
あーはやくレベル99にならないかなー
2017.10.20 フルヤ
2回ほどスキップしてもらったので、最後に書いたのはいつだったか調べてみたら、何と1年半以上前でした。
いやー流れる、流れるよ月日は。
その間に私は、6年ぶりに2人目の子供を授かり、出産に合わせて昨年8月にマレーシアから本帰国をしました。丸っと2年間の海外生活でした。上の娘は4月から小学生になりました。そして昨年9月末には二人目の娘も無事生まれ、2人の子持ちになってから既に1年以上経過しております。
この一年半半端なかった。。。
上の子を見ながら赤子の世話をワンオペでやるのはもちろんのこと、本当半端なかった。。。
子供が産まれると、社会に貢献できない自分&引きこもりがちになり、友人や社会との繋がりもどんどん希薄になり、自分の時間は皆無に近くなり、自分の存在意義やら何やら悶々としがちだけれど、「もうそれは仕方ない、多くは求めない」と開き直れるくらい大人にはなったけれども。
でも6年ぶりの赤子、しかも35歳での赤子、というのは一人目出産時の「未熟で色々な理想があった私」の頃とは違い、無条件に余裕を持って可愛いですね。。。
体重が一度元に戻ったものの、諸々のストレスやなんやかんやで、そのまま5Kg増えっぱなしで、長女出産前から比べると12Kg増えてしまい、減る気配がない。
中年の危機半端ない。。。
背が高いので、まさかそこまで増えているとは気づかれにくいのが救いか。。。
いやどうなんだろう。。。
本当に月日は早い。
なんとかせめて半分は戻さねば。。。
とはいえ大人になると見た目ってそんなに変わらなくなるけど、取り巻く状況はドンドン変わって行くので、皆気づいたら子持ちになってたり、既にこのパスマイが、タイムカプセル的な、歴史を刻む場所になってるような、そんな気すらしています。
ということで、ここが私の回想録的な場になりつつあるので、今興味があるトピックである、4月から娘が通い始めた小学校に関して。この学校がちょっと面白いのでここに記します。
娘のいる学校は学年にもよるけど、彼女の学年だと一学年70人位いて、その1/3位が学年相応の英語を日常会話に困らない位に使える子達です。外国籍の子供が6人、二重国籍の子は、、、何人いるんだろう、、、海外在住経験者やプリスクールから来た子とか、全部合わせると多分学年の半分、もしくはそれ以上いるんじゃなかろうか。。。とにかく、バックグランドが多様性溢れている子が多く("国や文化"という点では多様性溢れているが、”幼少期に違う文化で暮らしたことある子達の集まり”と思うとまぁその点は皆共通)、全学年がそんな感じなので、学校の雰囲気が、何かものすごい自由で独特です。学校の張り紙は全て英語と日本語、学校からの手紙も英語と日本語、親同士のチャットも英語が混ざる混ざる。そして授業も主要科目は英語と日本語(国籍でクラスが別れる)で行われ、その他の科目は英語の補助先生が付くという。
で、これがどこの私立かと思ったら公立です。こういう試みを初めて試験的にやった学校で、この春からその試みをやる学校がもう一校増えて、今都内に2校。数年後には更にそういう学校の数をどんどん増やして行く予定なんだそうです。
もちろんマレーシアで行っていた学校より日本人比率が全然多いし、先生達は公立の日本の先生達なのでインターとは雰囲気は違うけれども、でも国籍の多様性だけでいったらマレーシアの学校よりもバラエティ豊かな気がするし、運動会等行って全学年揃ってると、色んな人がいすぎて「ここはどこだっけ?」となります。
英語保持という部分に絞っていうと、小学校の週2の英語の授業とそういう学校環境であっても、やはり日本の学校なので、日本語を使う比重が圧倒的に多くリスニングは保持、リーディングはお家でチビチビやってるので学年相応に伸びてるとはいえ、スピーキングはどんどん出てこなくなってます。
が!個人的にはまず日本語を!というのが色々考えた上での結論なので、今はそれで良しと思っています。
逆にこの学校の外国籍の子達は入学時から比べて大分日本語が上手くなってました。
転校も多いし、大体お母さん達と話すと、皆小学校入学に備えてこの学校に入れるために引っ越して来てて、だけど家が少ない地区だし、家賃も高いので、6年までいるのかわからない〜って言ってたり、娘が仲良いお友達の一人も来年には自分の国に帰ってしまうみたいで、すごく入れ替わりが多い学校でもあるようです。。。
とはいえ私達もこの7年で3回以上引っ越しているし、今後も子供の学校やその時の流れや時代や気分によって住む場所を変えて行くような、そういう風にやって行くのだろうか。。。
それとも娘はこの学校に6年間通って卒業するんだろうか?
うーん、まだ絶対これだ!ってのが見えないし、先のことは全くわかりません。。。
こういう学校が多分これからどんどん増えるだろうし、具体的には6年後に立川に小中一貫のこういう公立の学校ができるみたいだし(商業施設の充実や学校の説明会の場所が大体立川だったり、実験的なアート展示がよく行われていたり、個人的には立川バブルきてる?てか過渡期?終わった?と思うんだけど、誰も賛同してくれない...)私達が子供の頃とは色々変わってきてるんだなと。
最近娘が中国語にも興味があるようで、私としては興味を持つことに意義があると思うので
「習い事としてやるー?」なんて話してましたが、よく考えたら混乱しそうなので、もっと大きくなってからで良いのかな。。。と思い直しました。(その辺は諸説色々ありすぎて、子供のキャラクター、家庭環境によって様々すぎて、きっと正解はない。。。半年経っても言ってたら、やってもいいのかな、、、)
この一年赤子の世話やら何やらで、2年ぶりの日本での生活にも関わらず、ほぼ引きこもりみたいな生活をしてたわけですが、娘がどんどん友達作って誘ったり誘われたりしてくるおかげで、子供の親関係限定で人と会うことやらホームパーティに招待されることやらは多々あり、気づけば社交的な娘に色々引っ張ってもらって何とか社会と繋がってる一年だったなと。
そして最近は、長女は放課後はほぼ近所の公園で夕方まで遊んでるのと、赤子が1歳になり、ほんの少しだけ自分の時間が取れるようになり、また悶々と色々考えるわけです。
人それぞれ個性や、与えられた環境や、持っている気質や、願望があって、当たり前に与えられると思っていたものがどう頑張っても手に入らなかったり、どうやら自分はこれでは無いらしい、とか思いもよらなかったけどここに道が拓けてるなとか、、、
そういう各々が与えられた不平等な環境の中で時間だけが平等で、一度きりの今生を(来世はあるかもよ。。。w)やっぱり楽しく生きがいを感じながら全うしたいわけで、でも全てを手に入れることは不可能で何かがあれば何かが欠けていたり、自分が求めているものと与えられるものは違ったり、無自覚だけど潜在意識では違うことを求めていたり...
人生はRPGっていう記事然り、本当思えば遠くにきたもんだって感じだけど、
もうすぐ37歳、、、
妙齢、、、決して若くは無いが、ここからもう一踏ん張りはできそうな、、、(2017年は既にやりきったので抜け殻のように過ごす予定、、、)
次にパスマイが回ってくるときは一年後位だろうか、、、
その時どこに向かってるのか、相変わらず数ヶ月後にどうなってるのかわからない生活だけど、というか昔からそんなだけど、そろそろ小学生の子供もいるし、この予定調和をぶち壊して猛烈に何かに向かって突き進んで、数十年先の人生まで見越して計画的に過ごしたいもんだ、本当。
2017年11月16日 るな
いよいよ2017年も終わりますね。みなさんはどんな年でしたか?
私は2月に息子が生まれ、直後に11年働いた会社を辞めて転職し、夏にはフットサルで手首を捻挫し、どこかで5000円札を落とし、秋には浦和レッズがアジアチャンピオンになり、12月に入って仕事関係の忘年会のクイズ大会で優勝し(商品は大量のチョコレートと野菜ジュース)、昨日は料理をしていて指を切りました。痛い。要するに、いつものようにいいことも悪いこともたくさんありました。でも総じて見るといい年だったのではないかと思います。それもまあ、毎年のことです。
思えば、振り返ってみて「今年はクソだった」と思ったことが僕にはありません。毎年それなりの後悔やがっかりや恨みつらみはありますが、同じくらいに毎年それなりの喜びや達成感や希望も感じてきました。2017年も同じです。そして年末にはいつもこう思うのです。「来年はいい年になりそうだ」。
恵まれているのだと思います。あるいは単なるバカか。嫌なことがあっても寝て起きたら忘れているたちなので、後者のほうがより適切な表現かもしれませんね。でも本当は「そうでも思わなきゃやってられない」のだとも思います。
今の生活に不満があるわけではないですし、家族もいて毎日つつがなく暮らせていることには感謝していますし、僕の周りにいる人々もいい人たちばかりですが、一方で世界は相変わらずトンチキです。ロクでもないことやロクでもないヤツで溢れかえっています。社会的正義などどうでもいいですが、生理的に嫌気がさすことも多いです。そこらじゅうにカビキラーとファブリーズをプシューってやって(好きなんです、カビキラーとファブリーズが)根こそぎクリーンにしてやりたい衝動に駆られることもしばしばです。
でも、だからこそ、未来は楽しい、未来はよくなる、未来はすてき、と思って生きるようにしています。だいたいのことはどうにかなるさケ・セラ・セラ、と日々楽しく暮らしています。いつかどうにもならなくなるその日が来るまで。楽天的というより能天気なのだと思います。
とはいえ、昨年までは年末に仕事があって、1月1日の朝まで働いていたので、初日の出も見ておらず、やさぐれていたのかもしれません。年末を休んで過ごすのは学生のとき以来ですから、今年はこれまでとは違った感慨が生まれてくる可能性もあります。「紅白」も「笑ってはいけない」もリアタイ視聴できます。全然つぶやいていないツイッターで実況でもしようと思います。
実況といえばサッカーですが、今年はやたらサッカーを見ました。週末に仕事がないのが大きいと思います。
我が浦和レッズの今シーズンは、まさに人生そのもののような浮き沈みの1年でした。昨シーズン、Jリーグで年間勝ち点1位になりながら、チャンピオンシップで苦渋をなめた悔しさを晴らすべく、リーグ序盤のレッズはそれはもう愉快痛快な進撃を繰り広げました。でも2か月もするとその勢いがぱたっと止まり、何をやっても勝てなくなり、ついには6年もチームを率いてきたミハイロ・ペトロヴィッチ監督が解任される事態となりました。ここまではみなさんご存知のとおり。
交代で就任した監督はコーチ上がりの堀孝史さんでした。監督交代には劇薬と消毒の2種類がありますが、これは後者のほう。マキロン塗ってバンソーコーを貼ったようなものです。でもそれがよかった。堀監督はしっかりと傷をふさぎ、穴を埋め、簡単には負けないチームをハイスピードで作っていきました。それがアジア・チャンピオンズリーグでのしぶとい戦果につながったのだといえます。
ですがそれはいわば「弱者の兵法」。シーズン開幕当初に夢見た「圧倒的に強いレッズ」はどこかに消え、ビッグクラブとしての風格は薄れていきました。ACLこそなんとか勝ったものの、クラブワールドカップ初戦での惨敗は今のレッズのポジションを象徴していたように思います。
つまり、レッズは「弱い」。それを認めたのが堀監督就任以降のチームであり、「弱い」からこそしぶとく戦え、そして「弱い」からこそ最後には負けたのです。そこに僕はレッズというクラブの希望を見ました。そしてそれは取りも直さず、人間として正しい姿だと思ったのです。
弱さを認めることは大事です。そしてとてもむずかしい。僕にできているかと問われれば、曖昧な笑みを浮かべて「いやー」とか言いながらおもむろにカップ焼きそばでも作って「3分待ってね」とか言って話題が変わるのを待つでしょう。3分たったらアラームが鳴って、お湯を切ってソースを混ぜて青のりかけて食べ始めます。うまいですよね、UFO。
でも、そうあるべきだと思うのです。そうありたいと願うのです。
果たしてレッズは来年、雪辱を晴らすことができるでしょうか。本当に「強い」レッズを見ることはできるでしょうか。わかりません。相変わらず肝心のところで勝てず、ずるずると順位を下げ、戦術も混乱を来たして、簡単に崩れていくのかもしれません。でも、彼らには前と上を向いていくしかないのです。よくなるしかない、のです。だから、来年はきっといい年になります。レッズにとっても、僕にとっても。
来シーズンは1回くらい、息子をスタジアムに連れていきたいと思っています。まだ無理かな。
それではみなさん、よいお年を。来年もよろしくお願いします。
※ちなみに後篇は来年書きます。
2017年12月26日 クリスマスの余韻とともに
小川 智宏
わたしのおじいちゃんは背が高くて、寡黙で、字がきれいで、料理が上手で、夢はアラスカに行くことで、買い物が大胆で、私が小学生のとき海外ショートステイをプレゼントしてくれたりして、素敵な人です。
わたしのおばあちゃんは小さくて、かわいくて、あんまり料理が上手じゃなくて、ちょっとケチで一緒に買い物に行っても自分のものを選ぶのに時間をかける人だけどなぜか憎めなくて、大好きでした。
二人はそれはそれは田舎にひっそりと、暮らしていました。
私が20代も終わりに近づいた頃、突然おばあちゃんがころりと旅出ちました。
そのお葬式の晩、全て終わりすっかり肩を落としたおじいちゃんがちびちび酒を呑みながらいきなり
「わしの、、ひとめぼれじゃった!」
と独り言を、だけどみんなに聞こえるように言いました。3回くらい言いました。
なんて素敵な言葉だろう、と思ったと同時に、おじいちゃんの少し後ろをちょこちょこついて歩くおばあちゃんを思い出して、その愛しい姿にぎゅっとなりました。
いい見送りだったし、かわいい夫婦でした。
4ヶ月後、後を追うように元気だったおじいちゃんも旅立ちました。
死ぬ数日前、朦朧とした意識の中で知らない女の名をつぶやいていたのは、人生そういうものなんでしょう。
この思い出を墓参りの度に思い出し、ほくそえむのがわたしの密かな楽しみです。
でっかい空と山と二人の家を見おろしながら。
2018年が明けましたね!皆さんにとって素晴らしい一年になりますように!
2018年1月8日 あやこ
♬かわいいちゃん、かわいいちゃん、
かわいいちゃんったらかわいいちゃん♩
♬かんすけ、かんきち、かーんたろうっ、
かんすけ、かんきち、かーんたろう♩
♬かんちクリームー、かんちクリームー、
かんちクリームー、かんちクリーム♩
♬まーるーはーのーちーくーわっ♩
♬しゅけぽん、しゅけぽん、しゅけぽんぽん、
しゅけぽん、しゅけぽん、しゅけぽんぽん♩
♬かわいいちゃん
かわいいちゃん
きゃわきゃわきゃわきゃわきゃわいいちゃん♩
♬どったちゃーん
どったちゃーんどったちゃーん
HEY!HEY!HEY!ヘイ
どったちゃーん
どったちゃーんどったちゃーん
HEY!HEY!HEY!ヘイ♩
♬かんちクリームー
かんちクリームー
一口饅頭、ミニ饅頭
一口饅頭、ミニ饅頭♩
♬まんじゅう
まんじゅう
いいまんじゅう
まんじゅう♩
この歌達に、昨日(1/27)くらいからちゃんと反応しだして、
作詞作曲したともみが歌うと笑いはじめた。
ギャン泣きも止めた。かっこいいな、、
今日は僕が父になって初めての誕生日を迎えました。
それが今日から、かなり今日からの事で、俺がダクト泣く。
少し寂しいけど、成長したんだね。
「抱くと」と打ちたかったけどダクトのやりとりを以前にしてたから誤変換したんだけどね。
さっき、22:30ごろ眠ったあやすけ、
今またピーっ!!って起きて、僕の胸の中スリングで寝てます。
今日一日、吉祥寺へ行って散歩して疲れたもんね。パタゴニアで帽子を試着したけど、買わなかったね。
そして父ちゃん、嫌われかけてる親友に偶然会いたいとか思ってたけど、会えなかったな。ま、いいね。
あやすけってのはまだ、産まれる前、ともみがお腹にいる貫佑に声を掛けていた時のハンドルネーム。
貫佑、お前のルーツは無限だ。
母ちゃんの腹に宿るその前から、
父ちゃんの身体から射精される、
もっとその前からお前のルーツはあるんだよ。
不思議だね、でも考えていたら眠くなるね。いいんだよ、適当で。
まじめに適当にやろうぜ。
♬かわいいちゃん
かわいいちゃん
きゃわきゃわきゃわきゃわきゃわいいちゃん♩
2018.1.28 岸本雅樹
最愛の息子に捧ぐ。
2018年5月9日 発行 初版
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