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知らずに受け継いだ資質と、隠された秘密を巡り、異界の住民との関わりから翻弄される遠山トーコとその友人達。トーコとトーコ自身が知らないその秘密を知るふたりの親友の前に現れる異界の住民。住み慣れた世界と異世界を結ぶSFシリーズ第三シリーズ第一話。

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憑依兵器 ti:ti: 3rd session #1 : preload

見星昌嶺

skyflyorca出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次


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「これは参ったね」
 マヒトは周りを見回して笑うと、テーブルマジックでも披露するように火のついた煙草を虚空からとりだして口にくわえ、一息吸うとユマに差し出した。
「とてもそうは見えませんけれど」
 彼女は彼から煙草をとると艶やかな唇に運び、煙を吸うでもなく飾りのようにくゆらせて皮肉っぽく微笑んだ。
 霧に浮かび上る係留塔とふたりが乗って来た船を見上げ、マヒトは笑った。
「いや参った。実はちょっとした見物をするつもりだったんだが、着くのが遅れた上に来てみると何も起きてない」
 霧の中をいくつもの船の識別灯の光がひしめき合うように蠢いている。まるでそれは自分たちの住み家を奪われた動物が右往左往しているように見える。
「では帰りますか?」
「どうせなら、もう少し見物といこう」
 上を見上げたマヒトの上空を識別灯を瞬かせながら銀色の巨大な軍艦が頭上を横切っていく。
「あの船は? 初めて見る船だ」
 マヒトは頭上の船を顎で指し示した。
「階層間攻撃型巡航艦“ユーマ・ガードライエに守護されし者”だそうですわ」彼女は、艦首に描かれた幾何学模様のような文字列を見て素っ気無く答えた。
「ほう、それで、その由緒ある英雄の名を冠した船の名を聞いた俺はどう応えれば、お前に気に入られるのかな?」マヒトは、ユマの表情を窺うようにして笑った。
「お好きになされば?」
「では名前も姿も美しく良さげな船だと言っておこう」
 マヒトは、彼女が差し出した煙草を受け取ると一息吸ってから、虚空に消すように消滅させ、ゆっくりと旋回していくその船を見送りながら尋ねた。
「だがそんな軍船が、なんでずっとこの港の回りをぐるぐる回ってるんだ?」
「存知ませんわ。船の長に直接お聞きになればいかが?」
「なるほど、それはその通りだ」
 マヒトは何か思いついたように係留塔に向けて歩きだした。
「どちらへ参りますの?」
「ここの管理局。せっかく作った偽造IDってのを試してみようじゃないか」
 マヒトは耳のピアスを弄りながら、係留塔のドアの前に立ってユマを促した。
 ドアをくぐるとそこは窓のない小さな部屋になっており、数人がかけられる質素なシートが設えてある。ふたりはシートにかけると、サイドテーブルに描かれている地図の一点を指で押さえた。
 かすかに加速度を感じ、地図に現れたマーカーがゆっくりと移動して、指で示されたところで止まった。
“入室前に身分の照合をします。しばらくお待ち下さい”
 室内にアナウンスが流れた後、二人の体の上を赤い光の条が横切った。
“イミ・ジ・ガルビ夫妻の生体波紋を確認いたしました”
 アナウンスとともにドアが開かれた。
「イミ・ジ・ガルビって言うのはどこの何奴だ?」
 マヒトはユマの耳元で尋ねた。
「御存知じゃありませんの? 私の船の元の持ち主ですわ。付け加えると、私達の故郷では、結婚すると新婦の母方の姓と新婦の名が組み合わされて家の主の新しい名になりますの。ちなみに主とは新婦のことで新郎はその時点で名をなくしますのよ」
「つまり?」
「イミ・ジ・ガルビとは私の事で、あなたは名無しか、あるいはイミ・ジ・ガルビの夫という意味でイ・イミジガルビ、もしくはただの“夫”と呼ばれますの」
「面白い仕組みだが、なぜそうなってる?」
「戦場では大抵男が我先に死んでしまいますもの。男に名を継がせたのでは血脈の名がすぐに途絶えますわ」
「ああ、それは合理的だな」
 彼女の説明に、苦笑まじりにマヒトは頷いた。

 ドアを潜って少し歩くともう一つドアがあり、そこを開けて中に入ると、受付の係官が黙礼をしてふたりを迎えた。
「御用は何でしょうか?」
「ひとつ尋ねたい。港の上を軍艦がずっとぐるぐる回っているが、なぜだ?」
 マヒトが尋ねると、係官は一瞬怪訝な顔をした。
「私の連れ合いは、変わり者ですの。巡航艦だろうと突撃艦だろうと、どんなに素晴らしい名を持っていても、呼ぶ時は名を呼ばずにただの“軍艦”ですのよ」
 ユマはそう言って微笑んで見せた。
「もういちど尋ねます。“ユーマ・ガードライエに守護されし者”が港の周りを巡回している理由を教えていただけませんこと?」
「承知いたしました」
 係官は微笑むと、床に映像を投影した。
「二週前に南内港からこの外港に繋がる超級の扉が破壊され、つい二日前にはここに繋がる北内港の超級の扉が破壊されました。中枢区は破壊活動を企てた者を捕縛するために全ての外港を封鎖して軍船で監視と臨検を実施中です。この港はあの“ユーマ・ガードライエに守護されし者”の外の母港ですが、ここで艦列を整えて通常の索敵航界に出港する寸前に内港の扉が破壊されたために、艦隊のほとんどがこちら側に出られず、やむを得ず艦列が再構成されるまでの間、“ユーマ・ガードライエに守護されし者”は中枢区の勅命で監視任務に就いているのです」
「ああ、そう言うことか。なるほど良くわかった」
 マヒトは肩をすくめた。
「ではあの……」
「ユーマ・ガードライエに守護されし者」
 マヒトが上を指さすと係官が船の名を告げた。
「そう、その軍艦は、もうしばらくはこの港の上にとどまる予定なのか?」
「おそらくはそう言うことになりますが、なにか?」
「記念に、あの美しい船の中を見学したいと言えば、聞き届けられるのかな?」
「記念、といいますと?」
「夫婦が二人揃って船に乗って境界層を旅しているんだ。他に何の記念がある?」
 マヒトはほとんど口から出任せに言ったが、係官は、納得したように頷いた。
「なるほど承知いたしました。司令部に掛け合ってみましょう。つきましては、御二人の軍歴や戦績を参考にさせていただきますが、よろしいですか?」
「構いませんわ。必要でしたら当家の名の格も参考になさって下さい」
 ユマは微笑んで見せた。
「それではこちらでお待ち下さい」
 係官は、パーテーションの奥に見えるソファーにふたりを案内し、壁に見える一角のドアを開きその中に消えた。
「もしかしてお前の元の名を言えばフリーパスなのかな?」
 マヒトがユマの耳元で囁くように尋ねると、ユマは、微かに唇の端をつり上げて答えた。
「貴方のお名前ならきっとあの艦の方から主砲の斉射付きで飛んできますわ。きっと楽しいですわよ。それにしても、あれに乗ってみようなどと、何を考えてますの?」
「単純に好奇心からだよ。新し物好きでね」
 マヒトは笑った。
「私達の伝統を御存知の上なのでは?」
「知らん。なんだ? 今聞くと楽しくなるような話か?」
 マヒトが尋ねると、ユマは頷いた。
「古来より英雄の名を冠した軍艦は、その船の全てを支配出来る最高位の主としてその英雄の核体の複写を船の人工脳に搭載しますのよ。幽霊に船を委ねるようなものですわね」
「それはどういう仕組なんだ?」
「英雄とされる人物の思考パターンや性格や癖などを複写して、身体に見立てた船体に埋め込むのです」
「なるほど、確かに幽霊だ」
 マヒトは笑った。
「問題はそこですわ。軍艦に名前がつくような英雄は大抵死んでいますから幽霊で済む話ですが、あの船は違いますわよね?」
 ユマが、楽しげに言った。
「それが問題なのか?」

 マヒトが笑ってその先を尋ねようとした時、係官が戻って来た。
「お二人の記録にある戦績と共に希望を伝えたところ、今から艦長との会見を含む四十分間の乗艦が許可されました。いかがいたしますか?」
「それはありがたいな。ぜひ乗せていただこう」
 マヒトは頷いた。
「では連絡艇を用意いたします。どうぞこちらへ」
 係官は、マヒトがくぐり抜けてきたドアに向けて歩いていった。
「俺達夫婦の戦績というのは、そんなに価値があるものなのかな?」
「そのようですわね。かのユーマ・ガードライエには到底及ばないでしょうけれど」
 係官の後に続きながらマヒトが肩をすくめると、ユマは横目で彼を見て微笑み、耳元でささやいた。
「ここからはこちらの仕来りに合わせます。主の私が共にいる場合、軍籍を退いた夫のあなたは相手に口をきいてはなりませんわよ」
「それは助かるしきたりだな」
 マヒトは彼女にウインクをした。
 小さな連絡艇に乗り込んで、霧の中を進むと、視界に巨大な銀色のこ船体が識別灯を瞬かせながら現れた。
 艇は、その舷側から横に伸びる接舷橋に、まるで止まり木に止まる鳥のように接舷した。
 扉が開かれ、その先には数名の兵士が並び立ち、正面には一際華麗な装飾が施された服に身を包んだ女が立っている。
「“廃虚と成りし砦にて凱歌を謳うもの”イミ・ジ・ガルビとその夫の乗艦の許可を願う」
 ユマが、長い冠詞のついた名を告げ、黙礼をすると、目の前の女は敬礼を捧げ、応じた。
「巡航艦ユーマガードライエに守護されし者の長、“森に隠れし木の葉鳥を雲の上より射ぬく者”エルミ・セルブ・ライドが乗艦を許可する」
 マヒトは二人の挨拶のやり取りを、興味深げに眺めている。
「ようこそ。イミ・ジ・ガルビ。僅かな一時ですが、本艦の空気を存分に味わって下さい」
「感謝いたします。エルミ・セルブ・ライド艦長」
 エルミと言う名の艦長は、ユマの顔をじっと見つめた後微笑んだ。
「かのユーマ・ガードライエに似ていると言われたことはありませんか?」
「光栄ですが、あいにく」
 ユマは顔を伏せた。
「そうですか。映像に残るあの方に似て見えたものですから」
 エルミはそう言うと、手で通路を指し示した。
「それでは早速艦橋に御案内しましょう」
「その前に、この艦の守護者たる」
 危うくその先に続く冠詞と名を口にしかけたところで、ユマは、口ごもった。
「失礼、彼の方を拝観させていただけますか?」
 ユマは改めてそう言った。
「確かにそれが先ですね」エルミは微笑むと通路を歩き始めた。
 ユマはマヒトを見て、微かに眉を動かした。
 通路の先に、華麗な装飾が施された扉があった。
 エルミが、扉に手を触れると、僅かな間の後に、扉が開かれた。
 玄室を思わせる小さな部屋の中は、床と天井から青白い光の束が照射され、その光の焦点には小さく透明な物体が浮かんでおり、その中はぼんやりと緑色に光っている。
「本艦の真の守護者たる“荒ぶる武士の剣を王の血で清める者”ユーマ・ガードライエの核体の複写です。艦の全ての制御経路と接続され、“船使い”としてこの艦を守護しています」
「それではこの船には“船使い”は」
「乗艦しておりませんし、私もこの艦の支配に値するその称号は得ていません。これはかのユーマ・ガードライエの名を冠するこの艦の成り立ち故といえます」
 ユマの問いに、エルミは答えた。
 扉が閉じられ、ふたりはそのまま艦橋に案内され、艦の性能や仕様を控えめに説明された。
 エルミに一人の士官が近づき、耳打ちをした。
「了解した。進路をそこへ」
 エルミは彼に命じると、ユマとマヒトに告げた。
「御二人には、今しばらく指揮官の視点で楽しんでいただきましょう。逃亡者の捕縛というささやかなものですが、実戦は実戦です。訓練をお見せするよりも刺激的でしょう」
 艦橋の外に流れる霧が大きく動き始めた。
「こちらの席へ」
 士官の一人がふたりを指揮官席に案内した。
 ふたりが席に着くと、艦橋内の照明がオレンジ色に変わり、スクリーン上にいくつかの立体映像が浮かんだ。
「逃亡者というのは?」
 ユマが尋ねると、艦の人工脳のガイドが答えた。
「反乱と破壊活動の容疑者数名」
「ほう」
 マヒトが興味深げに頷いた。
「敵船との距離は百界歩。三十拍で射程に入ります。ご覧になりたい視点はございますか?」
 ガイドが尋ねるとユマは答えた。
「敵との相対表示で略図を。境界層の潮流、二十拍後の予測位置も合成表示。敵の脅威値を火力防御力、機動力、航続距離に分けて表示」
 ユマがガイドに指示を出す声を聞き、そのあまりに堂に入った指示にエルミは思わず振り返った。
「敵は本艦を探知、速度を上げて階層間潮流に逃亡を図っています」
 ガイドが告げると、エルミの声が艦橋内に響いた。
「本艦は直進、敵が潮流に逃げ込む前に警告射撃の後に敵の機関部を破壊する。主砲塔を展開」
 彼女の声を聞き、ユマはマヒトと顔を見あわせると意味あり気に微笑んだ。

「射程に入ります」
「敵の進路上に警告射撃、撃て」
 青白い光球が前方の霧の中に吸い込まれる。
「敵船旋回、発砲を確認」
 霧の中で閃光が瞬き、微かに振動が伝わった。
「第二射、目標、敵船の機関部。撃て」
 再び光球が前方に吸い込まれたかと思うと、霧の向こうで青白い閃光が瞬き、ぼんやりとオレンジの明かりが灯るように霧が照らされた。
「命中、敵船機関停止。現在は惰性で動いています」
「潮流に乗らないうちに捕縛する。機関全速」
 窓の外を見やり、スクリーンの表示を見比べたマヒトは、顎をなでた後、ユマの耳元に囁きかけた。
「もう終わりか?」
「未だ続きがありますわ」
 ユマは微笑んだ後、エルミを呼んだ。
「艦長」
 彼女は振り返り、ユマの表情を見て尋ねた。
「どうかなさいましたか?」
「敵船の引き波が不自然ですわ」
 エルミは、ユマの言葉が示す理由を悟ると、頷いて正面に向き直った。
「索敵手、知覚器の投影死角は?」
「現在は敵艦の奥、十分の二界歩前後で変動中」
 彼女は確信したように頷いた。
「砲手、敵艦を中心に五分の二度の放射照準、斉射構え」
 視界に敵の船が霧の向こうから現れた。船尾を破壊され、停止してみえる船は、小さな連絡艇を飛び立たせようとしている。
「敵は小型艇で逃亡を図っています」
「惑わされるな」
 エルミがそう言った途端、前方を漂う船の向こうの霧が蠢いた。
「撃て」彼女は声を上げた。
 前方の船の縁が青白く瞬くのと、こちら側の視界が発砲の閃光で白く瞬くのが同時だった。
 光束がすれ違った。
 衝撃に船が揺れ、霧に乱反射する閃光の中で、エルミの艦が放った光束が、惰性で流れていく敵船をかすめ、その奥から現れた小さな船の船橋と、その船体とは不釣り合いなほど巨大な砲塔を破壊するのが見えた。
「死角に潜んでいた武装船、破壊しました」
「こちらの損害は?」
「敵が本艦の艦橋に向けて集中斉射したせいで一部の障壁が破られましたが、直接の損害はありません」
「容疑者を捕縛」
「了解」
 エルミは命じると、ユマの顔を再び見つめて言った。
「連絡艇の用意をします。その間こちらでお寛ぎください」
 ユマは黙礼をするとマヒトとともに席を立った。
 エルミの案内で艦長室に通されたふたりは、小さなグラスを手渡され、青い飲み物を注がれた。
「よき助言に感謝します。敵に二撃目を許す隙を与えていれば無駄に部下を危険にさらすところでした」
 エルミはそう言って黙礼すると、グラスをあおった。
 ユマは、お役に立てて何より、と答え、グラスの飲み物を飲み干した。
「ところであの船には扉を破壊した犯人が?」
 ユマが尋ねた。
「おそらく単なる界賊です。この艦の母港の扉を破壊した者ではないでしょう」
「と言うと?」
「機密上のことなので詳しくは話せませんが、興味深いものをお見せしましょう」
 エルミはそう言うと、床に立体映像を投影させた。
 二つの塔の間で直立する巡航艦に、貨物船が衝突し、双方の爆発で塔が倒壊する様が再生された。
「これは別の角度、たまたま無人の監視ポッドの遠視器が捕えた映像です」
 そこには、船同士の衝突した空間に浮かぶ三人の少女が写っている。
「性別は見た目からの判断ですが、この少女達が巡航艦を操って貨物船と衝突させたようです」
「その娘達が犯人なのですか?」
「いえ、それが違うのです」
「そもそもの原因は、貨物船の方にあります。反応物質を満載した無人の貨物船は、何者かによって扉をくぐるタイミングで自爆するよう工作されたものだったのです。もしそうなっていれば、連鎖崩壊が生じて内港と外港両方が消滅していたでしょう。私はあの娘達がそれを止めるためにわざとやったようにも思えます。巡航艦をあの地点で擱座させれば、安全装置が働いて扉が緊急閉鎖します。事実そのおかげで損害は遥かに少なかった」
 彼女は画像を再生した。三人のうちの一人の少女が虚空からテールをとりだして、爆発しながら近づく貨物船にテールを突き立て、消滅していく映像がゆっくりと流された。
「この姿は、前の異階層遭遇戦で我々の前衛を全滅させた人型兵器とその武器に似ています。記録された瞬間脅威値はこの艦をも遥かに超えていたそうですが、それについては校正が必要でしょう」
 マヒトとユマは、微かに眉を動かした。
「しかしこの者たちがなぜ、何処からどうやってそこに現れて、爆発する貨物船とともに跡形もなく、どこへ消えてしまったのかは不明です。貨物船と巡航艦の衝突による爆発エネルギーが私達の試算を大きく下回った点から、爆発のエネルギーを転換して境界層へ抜ける穴を開き、そこからこの階層外へ脱出した可能性が高いのですが、今の我々ではこの者達を追跡して捕縛することは出来ません。現時点で境界層の監視網にも知覚されておりませんし」
 ユマとマヒトは、思わず視線を交わした。
「何か心当たりがおありですか?」
 エルミが尋ねると、ユマは、首を横にふった。
「いえ、ですが、とても興味をそそられる話ですわね」
 ユマはそう言って微笑んだ。
 ふたりはエルミに送られて艇の待つデッキへと上がった。
「楽しいひと時でした。もしも貴方が現役でしたら、この艦に席を用意いたしますのに」
「光栄です。ですが、それは次の機会に」
 ユマは微笑んで応じると、マヒトとともに白い艇に乗り込んだ。
 離舷した連絡艇は、ひしめく船の間をすり抜けるようにして港に降り、ふたりを降ろすと再び上空へと舞い上がっていった。
「確かに名に違わぬ良い船だな。長も有能な良い組み合わせだ」
「私は今よりもずっと強くなった彼女のあの船と一戦交えるのが、楽しみですわ」
「それも悪くないが」
 マヒトは肩をすくめ霧に霞む巡航艦を眺めて言った。
「そう言えば見物の前に、軍の伝統をうまくすればあの船を乗っ取れるとか言ってたな?」
 ユマは頷いた。
「実行はしませんでしたが、あのガラス瓶が浮かんでいる部屋で、私が自分の名を口にすれば、艦の管理系統全てを私が掌握できたのですよ」
「そんなに簡単に切り替わってしまうものだったのか? と言うよりも、良く解らないんだが、あの緑の小瓶にお前の核体が封じ込まれているのか?」
「実際には私に似せた擬似人格が組み込まれたプリズムプロセッサーですわ。船の情報を光と音に変換して瓶に当てて入力とし、透過した光が出力として船に戻される事で、船の全てを制御しているのです。本来船使いという称号は、操艦に長けた者の呼称ではありませんのよ。船の全機能を掌握し、言わば船と一体化し、時には操艦手や艦長を超える権限を持つのです。そして、あのガラス瓶が握っている権限を奪うパスワードは、英雄自身が肉声で名を名乗る事なのです。大抵の場合、英雄は死んでいますから、これは絶対に破られないパスワードのはずですが、あの船の場合は、少し違いますわね」
「そうだったのか。それは惜しいことをしたな。先に言ってくれればよかったのに」
 口惜しげにいうマヒトに、ユマは意地悪そうに微笑んだ。
「憶えておくことですね」
 マヒトは肩をすくめて見せた。
「まあしばらくは、あの船を預けたつもりにしておこう。彼女なら次に会う時まで、艦に傷をつけたりはしないだろうからな」
「ところで見られなかった見せ物というのは何だったのです? この港が境界反応に巻き込まれて無くなってしまうところだったのでは?」
 マヒトはユマの問いに頷いた。
「主役が途中で代わったようだ。だがまあ良い暇つぶしにはなったし、望外に面白い話も聞けた」
「あの娘のことですの?」
「あるいはあの娘達、かもしれない」
 彼は霧にかすむ宙を見上げて微笑み、ユマを見た。
「そろそろ帰るとしよう」

12|02

 サトミは額の汗をぬぐうと、トーコの家の呼び鈴を押した。
 ほどなくして二階の窓が開く音がして、見上げるとトーコが手を振っていた。
「上に上がってきてー」
「鍵は?」
「あいてるよー」
 トーコの答えの通り、サトミが玄関のドアノブをひねるとあっさりとドアが開いた。
「不用心……でもないか。あのトーコがいるもんね」
 サトミは呟きながら靴を脱いでそろえると、二階へと上がっていった。
「入るよ」サトミが言いながらドアを開けると、トーコはぼんやりと外を眺めている。
 サトミは、トーコの隣に来て、同じように外を覗いて首をかしげた。
「何見てんの?」
「え? サトミ、もう上がってきたの?」驚いたようにトーコはサトミを見た。
「なにぼけっと眺めてんのよ」
 サトミは呆れたように笑って、ベッドに腰掛けて尋ねた。
「で? パソコン、壊れたって?」
「うん、今日動かそうと思ったら、すぐに消えちゃうの」
 トーコは、おずおずと机の上にある何世代も古い形のパソコンを指さした。
「何か変なことやった?」
「やってないよ」トーコは大げさに首を横に振った。
「まあ聞くだけ無駄か。見たほうが早いわね」
 サトミは電源ボタンを押した。
 起動音とともに、ディスプレイが点き、しばらくしてデスクトップの画面が現れた。
「動いてるじゃん、ほら」
「えー? さっきまで動かなかったんだよ」
「そう? 何やってるときに?」
 サトミは、トーコのどこか不満げな声を聞きながら、いくつかのソフトとブラウザーを立ち上げ、ブックマークの付いたサイトを覗いて廻った。
 その時、なんの予兆もなく画面が暗くなり、パソコンは無反応になった。
「あー、ほんとだ」サトミは妙に感心しながら、本体の電源ランプの呼吸をするような明滅を見て首をかしげ、マウスをくるくる動かしたりキーボードのスペースキーを数度押したが、何の反応もなかった。彼女は本体の電源ボタンを押し、再起動させたものの、今度はデスクトップが現れるより前に画面が真っ暗になった。
「勝手に寝るの? こいつ」
 再び起動させながら、画面を眺めたサトミは頬杖をついた。
「わかる?」
 恐る恐る尋ねるトーコにサトミは首を横に振った。
「機械がナルコレプシーなんかになる? 普通」
 暗い画面を覗き込んで呟くサトミにトーコは首をかしげた。
「なにその……なるこれ」
「なんでもない、気にしないで」
 サトミは、うーん、と唸りながら、さらにもう一度リセットしながら、ディスプレイの脇に置かれた本体に耳をあてた。
「あー、動いてる動いてる……あ、止まった」
 サトミは眉をひそめながらケースを開けて、中を覗いた。
「いったい何だろうねえ」サトミはそう言いながら、ケーブルやボードを目で辿った。
「ついに死んじゃったかな。ハードディスクか、CPUか、マザボかわかんないけど。これはもうだめかもわからんねえ」
「ええ? うそ、どうしよう」
「私が母さんからお下がりで三年使って、それからトーコがもう一年でしょ? よく頑張ったほうよ。まあ覚悟するのね。あ、そんなことよりあんたバックアップ取ってないでしょ?」
 サトミに言われ、トーコは、力なく頷いた。
「やっぱり」
 サトミは小さくため息をつきながら、そのままケースの中を眺めていたが、ふと思い立ったようにマザーボードのヒートシンクに手をかざした。
「すごく熱いわね」
「知恵熱?」
「誰のことよ」サトミはトーコの言葉に吹き出し、あ、と声を上げ、何を思いついたのか携帯電話を取り出すとライトを点け、中を覗き込みつつ確かめるようにパソコンの電源を入れた。
「あー、わかった。トーコ、あんた後側掃除してないでしょ」
「なんでわかるの?」
「埃が吹き出し口に詰まってんのよ。あー、やっぱ駄目だわこれ」
「やっぱりだめ? 生返らない?」
「さあ、それはどうだかね」
 サトミは答えを見つけたのか、明らかに楽しげな様子で笑い、手に持った携帯電話のキーを押して耳に当てた。

「あ、ハナピー、あんた、ファン付けてる変なサンバイザー持ってたでしょ。あれ、すごく欲しくなっちゃったの。お願い、私にちょうだい。出来れば今すぐ」
 サトミはそう言った後、花村としばらく会話を交わし、電話を切った。
「トーコ、うまくいけばジュース二本で直るかもよ。私の分と今から来るハナピーの分」
「ほんとに?」
 トーコの問いに、サトミは頷いて笑った。
 トーコは、サトミのその笑顔を見て安心したように、ほう、と息を吐きだした。
「よかった」
「ま、ラッキーよね。ファンひとつで直っちゃいそうだし」
 サトミの言葉に、トーコは首を横に振った。
「ううん、それもあるけど、サトミが元に戻ったのが良かったーって思って」
「私が?」
「うん、なんだか、サトミ、ここ何日かとても悲しそうだったから、心配してたんだ。エリに聞いても、知らないって言って教えてくれないし」
 トーコのその言葉に、サトミは彼女を見返した。
「私、そんなに落ち込んで見えてた?」
「うん、まるで小っちゃいころに……」
 トーコはそこで言葉に詰まったように首を横に振り、とにかく落ち込んで見えた、と言って頷いた。
 サトミはどこかばつが悪そうに自分の頭をなでた。
「そりゃまあ、少し、てか、かなり落ち込んでたけどね……過ぎたことよ。ありがと、心配してくれて」
 サトミは、僅かに目を潤ませて笑った後、照れ隠すように、そんなことよりさあ、ジュースちょうだい、とトーコに催促した。
 トーコとサトミがジュースを飲んでいるところへ、頭の上にファンが付いた不格好なサンバイザーをかぶった花村が現れた。サンバイザーからは、あごひものようにケーブルが胸ポケットに伸び、その中にあるバッテリーから電気を供給されて、ファンは静かにそよ風を起こしている。
 彼は、かぶっていたサンバイザーをサトミに突き出した。
「代わりに何くれるの?」
「さすがねハナピー、太っ腹」
 サトミは彼の言葉を聞かないふりをして嬉しそうに言うと、トーコのパソコンから壊れたファンを取りだして花村のサンバイザーのファンと見比べて頷いた。
「へっへー、ばっちり同じサイズ、おまけにこっちの方が静かで冷える」
「なんだよ、ファンが欲しいのかよ」
「うん」
 サトミは花村に頷いて、いそいそとサンバイザーからファンを外してトーコのパソコンに取り付け、配線をつなぐと電源を入れた。
「これで多分大丈夫」
「サトミすごい。で、結局何だったの?」
 画面を見入るトーコの問いに、サトミは一瞬考え、トーコに合わせた答えを言った。
「早い話が熱中症」
「なに? 熱暴走したの?」花村が尋ねた。
「その一歩手前、ファンが死んだから、チップが焼ける前に勝手に強制スリープしてたみたい」
「うわっ賢い、俺の作ったのなんかフリーズして煙出すまで何の警告もなかったのに。けどそのファン、なんで合うってわかった?」
「これ、冬休みに一緒にジャンクのパソコンばらした時に、あんたが持って帰ったケースについてた奴でしょ? はいこれ、返す」サトミは、ファンを取り外して用済みになったサンバイザーを花村に返した。
「なんだ。で、なにくれるの? お礼」
 花村はその、アンテナが突き立っているように見えるサンバイザーをかぶって、ふたりを見比べた。
「あ、今すぐジュースをお持ちいたしますです」
 トーコは慌てて部屋を出ていった。
「今日は黒崎は一緒じゃねえの?」花村が部屋を見回しながら尋ねた。
「そういつもいつも一緒にいるわけないじゃん。エリは今日、お姉さんとパーティーに喚ばれたとか言ってた」
「パーティー? 何の? ひょっとしてコスプレ?」
 花村が本棚に置かれたブランパンの化粧箱を目ざとく見つけて手に取り、蓋を開けようとした所でサトミが横から手を伸ばして奪い取り、彼を睨みつけながら棚に戻した。
「ハナピーあんた、なんですぐそっちの妄想へ走るの? お姉さんの仕事の関係だってば」
「うわ、じゃあきれいなおねーさんとか一杯来るんだ。俺も行きたかったな」
「あんた呼ばれてないし」
 サトミは呆れたように笑った。
 やがて、トーコが持ってきたジュースを花村は一息で飲むと、これだけ? と尋ねた。
「もっと味わって飲みなってば。じゃあ残りのお礼は、来年のバレンタインデーに私とトーコの連名で義理チョコ送ったげる」
 サトミの言葉に、花村は少しの間考えて、サトミを見た。
「それ、あんまり嬉しくない」
「じゃあ何がいいのよ?」
「もらうんだったら、黒崎のお姉さんのが良いなあ。生写真サイン付きで」
「なに贅沢言ってんの」サトミは眉をひくつかせた。
 花村がふいに、ぽんと手を叩いた。
「あ、そうだ。そのお礼、リクエストしていい?」
「内容による。なによ?」
 花村は、にまーっ、と笑い、口を開いた。
「今日これから、楽器運ぶの手伝って」
「ええー? これから? それ、重いの?」
「全然、手がふたつ足りないだけ」
 サトミの問いに、花村は笑って首を横に振った。
「いいよ。私、手伝う」トーコは頷いた。
「ほんとにいいの? なんか割に合わないような予感がするけど」サトミは眉をひそめつつトーコに確かめた。
「やった。じゃあ今から家に来てよ」
 花村は立ち上がった。

12|03

 強烈な陽射しとアスファルトの照返し、それに街と車の排熱で、通りの先には逃げ水と陽炎が立ち上っている。
 街中を抜けるその通りは、連続する交差点と効率の悪そうな信号のせいで車の列は一向に進まない。
 前を行くスモークガラスの黒いセダンと、後から威嚇するように排気ブレーキの音をさせる大型のセミトレーラーに前後を挟まれ、白い軽トラックが信号待ちをしている。
 その、かつては白かったボディの艶が飛び、黄ばんで所々さびが浮いたアクティの、汗を全く吸わないビニール張りのシートには、車とはかけ離れた華やかな衣装に身を包み、艶やかな髪形と化粧をしたユリとエリが乗っている。
「暑いー」
「今からどんどん気温高くなるんだから、涼しいわけないでしょ」
 助手席で文句を言うエリに、ユリは他人事のように応じた。
「なんでまたこれにしちゃったのー? エアコンついてないのにー。母様のサンクかケンメリ号ならよかったのにー。汗で化粧が流れちゃうよー」
「仕方ないじゃないの、サンクは母様が乗ってっちゃったしケンメリ号は修理に出ちゃってこれしか無かったんだから。それに人の化粧品使っといて文句言わないの、これくらいの汗で流れるような安物じゃないわよ」
 ふたりの言うケンメリ号こと銀色のスカイラインGT-Rは、先日ユリが無謀運転した時に足回りとクラッチが悲鳴を上げ、今は修理工場に預けられている。
「じゃあタクシー喚べばよかったのにー」
「あれは乗っててムズムズするから嫌い」
「なにそれー?」
「煩いわねえ、ほら」
 ユリはドアポケットから、近所の米屋の名が刷られたうちわを取り出してエリに押し付け、自分は扇子を取り出して扇いだ。
「これはー?」
「うちわという便利なものよ。扇げば風が出るんだから」
 エリは、姉の扇子と見比べ、渋々とうちわで顔をあおいだ。
 ふたりは揃いのマーメイドラインのワンピースに身を包み、メイクと髪形、アクセサリーに至るまで、全てお互いに似せている。今はユリがサングラスを掛けているが、それがなければ傍目に二人は、まるで双子の様に見えた。
「でも、おねえ、なんで向こうで着替えないのー?」
「……もう着ちゃったんだから……しょうがないでしょ」
 ユリが答えるまでのその間合いにエリは、姉が今その事に気がついたことを悟り、げんなりとした顔で自分の額を扇いだ。
 車の列はいっこうに前に進まない。
 背後からは相変わらず小刻みに排気ブレーキの音が聞こえ、その度に距離を詰めるトレーラーのグリルがミラーに映っている。
 ユリは、眉をひそめ狭い路地へと曲がった。
「なんでここで曲がるのー?」
「だって広い道混んでるんだもの。信号待ちしてる間に溶けちゃうか、後の短気なトラックに踏まれちゃうわ」
 ユリは狭い路地を縫うようにしてころころと進路を変えながら、町中を走ってゆく。
「ほーら、こうすれば信号で止まらないから、暑くないでしょ」
「でもこれで時間通りに着けるのー?」
「大丈夫、近道行くから。エリ、そっちのミラー、たたんでちょうだい」
 ユリはそう言って運転席側のミラーをたたみながらトラックを止め、エリがミラーをたたんだことを確かめるとギアをリバースに入れ、ステアリングを切りながらクラッチを繋いだ。
 歩いていても見過ごすような入りくんだ路地へ、ユリは軽トラックを後退させながら入り込んでゆく。
「なんでバックなのー?」エリが言った途端、助手席側のミラーを電柱がかすめた。
「この先の角、こっちからだとバックじゃないと一発で抜けられないの」ユリは事も無げに言った。
 そのままふたりを乗せた軽トラックは後退のまま、入り組んだ路地をくねくねと曲り、民家の裏口のドアノブや、道端のプランターをかすめるようにして通り抜けると、唐突に現れた人気のない広い道の真ん中でバックスピンターンで向きを変え、そのまま別の路地へと飛び込んだ。
「もう、どこ走ってるんだかわからないー」エリは頭を抱えて顔を扇いだ。
 ユリの運転する軽トラックは、そのまましばらく路地を走った後、町境に流れる川沿いの管理道に乗り入れ、今度はアクセルを床まで踏みつけ、オールシーズンのスタッドレスタイヤをすり減らすように、車体を滑らせながら堤防のつづら折りを駆け降り、それにつながる車一台分の幅しかない沈下橋を渡った。
 水辺を吹き抜ける爽やかな風がエリの頬を撫でる。
「あー、涼しいー。いっそここから飛び込みたいー」エリは窓から顔を出し、心地よさ気に目を閉じた。
 再び目を開け、窓から橋の下を流れるせせらぎを眺めた途端、彼女は声を上げた。
「あ! おねえ! 止めて止めて!」
「なに!?」
 ユリは、エリの声に思わず急ブレーキを踏んで、トラックを橋の真ん中に止めた。
「どうしたのよ! びっくりするじゃないの!」
 エリは窓の下を指さした。
「なによいったい」
 ユリは身を乗り出してエリの体に覆いかぶさるようにして、彼女と顔を並べて下を見下ろし、サングラスをずらせて眉をひそめた。
 煌めく川面に立つ人影が見える。
「あの人、何してるのかなー、涼しそー」
 エリの声が聞こえたかのように、その人影は顔をあげた。その人物の涼やかな目と口元が、明らかに自分に向けて微笑を形作っているのがわかり、彼女は半ば無意識のまま会釈をした。
 ユリは驚いた顔でエリと川面を見比べた。
「なんでもないないじゃない。ほら、行くわよ」
 川面を見下ろすエリに、ユリはそう言うなり再びアクセルを踏み込んだ。軽やかな排気音とともにトラックは再び走り出した。
 その人影は橋を渡り終えた所で岸の木々に遮られ、エリからは見えなくなった。
 それからしばらくの間、ユリの運転する軽トラックは川の土手に沿う管理道を全速で飛ばし、幅の広い橋の下をくぐり抜けたところで、土手に上がり、その橋の袂から混みあっている幹線道に乗り、ほんの数十メートル走って、まわりの大きな車に追い立てられるように再び路地へ入ると角を曲り、それから再び車がひしめく広い通りにでた。
「あー、こんな所に出てくるのー?」エリは廻りを見渡した。
「便利でしょ」
 ユリは前を走るリムジンと同じタイミングでウインカーを点け、左に見える大きなホテルのエントランスへとステアリングを切り込んだ。

 玄関前には大勢の男女が立っている。そのいずれもが華やかな出で立ちの男女で、それを取り囲むようにカメラやマイクを持った者達が車の列や人の列を写し、あるいはパーティードレスに身を包んだ若い女性にカメラとマイクを向けているのが見える。
 車寄せに連なる高級車やリムジンの列に加わっている、そのみすぼらしい軽トラックに興味深げにレンズを向けるカメラマンや、怪訝な顔で眺める男女、それから呆けた顔で覗き込むベルマンの表情をよそに、軽トラックは止まり、ドアを開けた。
 赤い絨毯の上に降り立った艶やかなドレスとアクセサリーで装ったファッションドールそのままのような二人の若い娘と、その背景のメーカー名すら誰も気にしない古く艶のない軽トラックの、そのあまりにミスマッチな組み合せは、その姉妹がマセラティや大黒のランボルギーニでその場に乗りつけるよりも、目立つという点では上かもしれなかった。
 本来先に車のドアを開けてユリたちを案内するはずのベルマンが、間が抜けたタイミングでふたりにお辞儀をした。
「車お願い」
 ユリが微笑みながら招待状と招き猫のキーホルダーがついたトラックのキーをそのベルマンに差し出すと、彼はもう一度ユリとトラックを見比べてから、ようやく近くに立つ配車係に合図をした。若い配車係が、ガリガリとギア鳴りさせながらシフトし、居並ぶ人々の注目を浴びながら、もたもたとその軽トラックを駐車場へ走らせていった。
「ユリさん、エリちゃん」
 ポーチに居並ぶ人々の中から聞こえる声にふたりが見やると、似合わぬタキシードに身を包んだ山本が手を振りながら現れた。
「あら大工」
「山本さんこんにちはー」
 エリとユリがそれぞれ挨拶をすると、山本はおもむろに持っているコンパクトカメラを構えてシャッターを押した。
「招待してくれてありがと。けど一体何の風の吹き回し?」
「いやあ、このところユリさんには何かと世話になってるから誘ったんだよ。と言っても俺なんか端役のパーティーだけどな」山本は笑った後、周りを見回してユリに耳打ちした。
「堅サマと亜由美タンの相手したくないんだよ俺」
「どうして?」
「あいつらとの話、一人ずつでも疲れるんだぞ。それが今日は二人揃ってる。てことは相乗効果で四倍は疲れるね。だから頼むから、あのふたりに取り囲まれそうになったら助けてくれ」
 懇願する山本に、ユリは笑いを堪えるように口元をひくつかせた。
「あのー、私なんかも付いてきてよかったんですかー?」
「もちろん。来てくれて嬉しいよ。おお、今日はいちだんと可愛くて綺麗だな」
 山本はエリに笑って答え、その後ふたりの着ている服やアクセサリーの組み合せを褒めちぎりながら、二人を撮った。
「さあ、そろそろ行こうか」
 山本は、笑って二人の間に立ち、腕を出した。
「なにそれ、エスコートのつもり?」
「そうだよ。両手に花、いやあ嬉しいなあ」
「むしろ陶器市から二人がかりで信楽焼の狸をお持ち帰りの構図」
 ユリはそう言いながらも山本の二の腕を掴んだ。
 エリもユリの言葉に笑いを堪えつつ、彼の腕に手を添えた。
 上機嫌な山本が二人と並んで歩きかけた途端、車寄せに居並ぶ群衆が歓声を上げた。
 その声につられて、思わず振り向く三人の視線の先には、車寄せに止まったカイエンから背の高い男とグラマラスな美女が下り立つのが見えた。
「あ、バカ殿とお局サマ、今日の主役ね」ユリが楽しげに呟いた。
「あー、本物の葛城堅と脇坂亜由美だー」
「エリちゃん、ファンなのか?」
「そーでもないですよー」
 目を輝かせるエリに山本が尋ねると、彼女は無邪気に笑って首を横に振った。
 居並ぶ群衆とカメラの前に立ち止まって愛想を振りまく葛城達を尻目に、三人はホテルの中へ入った。
「お、そうだ。今度はそこの廊下の突き当りに並んで立って、手を繋いでくれよ。普通に、そうそう、顔は笑わずに」
 山本はふたりに注文をつけて立たせると、シャッターを切り、カメラの画面を覗きこんで笑い、画面を見せた。
「どうだ? アレみたいだろ?」
「はいはいキューブリック。よく出来ました」
 ユリは画面を一瞥し、肩をすくめてみせた。
 会場には、百匁の和蝋燭に灯された炎に照らされ、凛とした姿で日本刀を構える葛城と和弓を引く亜由美を写した写真が大きく引き伸ばされ、何点もディスプレイされている。
 葛城と亜由美を取り囲む人だかりから外れた所から、山本とユリ、エリの三人がその光景を眺めている。
「で、このパーティーって何のパーティーだっけ?」ユリが思いだしたように山本に尋ねた。
「葛城堅と脇坂亜由美のコラボ写真集、“刃”の完成記念パーティー、ちなみにあんなにカッコよく写真撮ったのは俺」
「大工がバカ殿撮ってるのは見てたわよ。けどなんでこんな田舎でパーティーやるの?」
「小道具、ていうか一緒に撮った刀や弓の持ち主の地元でね。こうして本物を展示するためにここでやったんだと」
 山本が顎をしゃくった先には、数々の日本刀や武具がディスプレイされている。
 ユリの傍にあるケースには刀と和弓が飾られ、その脇にはガードマンが立っている。
「なんか善いのと悪いのとがごたまぜね」
「そうなのか、俺にはどうせ値段なんてわからん」
「値段じゃないわよ。あ、それ使った? ほら、そこの、鞘に模様が彫ってある刀と弓」
 ユリが飾り台に載せられた日本刀と和弓を指さした。
「ああ、これはここで一番良い物だってさ。巻頭用に撮ったけど俺なんか触らせてももらえなかった」
「ならいいわ。言っとくけど大工は触っちゃ駄目よ」
「どうして? あ!」
 山本は何か思い至ったのか、数歩後ずさった。
「もしかしてあれか? 呪いとか憑いてるとか」
「さあね」ユリははぐらかすように笑った。
 山本はその刀と弓を見比べ、じりじりとその場を離れた。
 場内が僅かに暗くなり、場内の一角に設えたステージにスーツ姿の男が、マイクを手に持って上がった。
「さてそれでは早速、本日の主役お二人のトークをお楽しみいただきましょう。葛城堅さんと脇坂亜由美さん、どうぞこちらへ」
 スポットライトに照らされ、ふたりが壇上に上がると、 拍手と共にふたりの愛称を呼ぶ嬌声が上がった。
「ありがとう」葛城が手を振り返す。

 司会役の男がふたりを紹介した。
「葛城さんはモデルをやりながら、今やドラマの俳優としても活躍されています。それから脇坂さんはモデルと同時に歌手としても有名なのですが、おふたりとも意外なことに武道に接点がお有りとか」
 葛城と脇坂はマイクを手に取り微笑んだ。
「はい、僕は真剣を使う居合と立合いをやってましたし、脇坂さんも立合いと弓道をやっているそうで、それでこの写真集の話が出たんです」
「でも弓道って動きがあまりないからちょっと心配したんですよ。ほら、露出度も低いし。でも、二人並んで撮った写真が出来上がったのを見て、かっこいい! って」
 亜由美の言葉に会場が沸いた。
「実は今日は、その写真に使われた刀と弓も展示してありますが、もしよろしければ、ここでちょっと形を見せていただけませんか?」
 司会の言葉に会場に拍手がわく。
「実は、最初からそのつもりで練習してきました」葛城が笑った。
 スタッフが、ユリが話題にした刀と弓が飾られたケースをガードマンを引き連れて二人のもとに運んでいった。
「おい、大丈夫なのか?」思わず山本がユリに尋ねた。
 ケースから取りだした刀を手にしてステージの中央に進んでゆく葛城とその背後を見やり、ユリは微かに目を細めた。
「もうさわったんだから、どっちでもいいんじゃないの。あのふたり鈍感だし」ユリは無責任に笑った。
 ステージの中央に進み出た葛城と亜由美の形の披露が始まると、場内はしんと静まり返った。
 亜由美が弓を持ち、葛城が刀を持ち構えた。
「ねえ、おねえ」ふいにエリがユリの耳元でささやいた。
「なに?」
「葛城さんの側でずっと刀見てる人、危なくないのー?」
 ユリは一瞬目を見開き、言葉に詰まってから頷いた。
「ああ、あれ? あれなら全然だいじょーぶよ」
 けど、なんであんたが見えるのよ? とユリが言いかけたとき、エリが小さく声を上げた。
「あー、あの人川にいた人だー、なんでここにいるのー?」
 ステージの袖には司会の男が立ち、中央には弓を引こうとする亜由美と刀の柄に手をかけた葛城が身構え、その彼の隣に白い装束に身を包んだ男が、じっとその所作を見つめているのが、ユリにはずっと見えていた。
 ユリは思わず何かを探すようにまわりを見回し、エリを小突いて窓際を指さした。
「ちょっとあんた、あそこの窓の外の人、見える?」
「えー?」
 ユリの指さす方向を見てエリは首をかしげた。
「何言ってんのよーおねえ、ここ十八階でしょー? 私にそんなの見えないってばー」
 拍手がわき、あわててエリはステージを見た。
 刀を鞘に収めた葛城が笑ってお辞儀をしている。
「あー、おねえのおかげで良いとこ見そびれちゃったじゃないのー」
「それは悪かった」ユリは取り繕うように素っ気無く応じた。
 葛城と亜由美の簡単な演舞が終わり、刀と和弓はケースに収められ再びユリ達の傍に戻された。
 エリは何を思ったのか、刀をしげしげと眺めている。先程とは違い、鞘から抜かれて飾られた刀身に彫られた唐草紋様が露になり、それがエリの興味を引いたせいだった。
「これを打ったのは私です」
 囁くような声が聞こえ、エリは顔をあげた。
 神主を思わせる白い装束姿の男が穏やかに微笑み、エリは会釈をした。
「ずいぶん古い刀と思ったんですけど、違うんですね」
 エリは再び刀を見た。
「私が最後に打ったものです。渾身の力を注ぎ、形と切れ味ともに比肩のない生涯最高の物になりましたが、善い主には巡りあえず、私の望みも叶わなかった」
「え?」男の独言のような言葉に、エリは彼を見た。
 彼は刀を指し示した。
「貴方ならば、これにふさわしい主になれるのでしょうか?」
 エリは思わず首を横に振った。
「そんな、せいぜい家に飾るくらいで」
 その時、ふいに脇から手が伸び、エリの腕を掴んだ。
「え?」
 思わず振り向くエリに、ユリが腕を引きながら言った。
「ほら、あっちのテーブルで大工が待ってるわよ」
 半ば引きずられながら、エリは男に会釈をしてその場を離れた。
「程々にしとかないと、あんた好かれちゃうわよ」
ユリはエリに囁きかけ、いちだんと強く腕を引いた。
 そのテーブルでは、山本が葛城と亜由美に挟まれた形でオードブルを食べている。
 ユリとエリが近づくと、山本は助けを待っていた遭難者のような顔をした。
「あらバカ殿にお局サマ、大工なんか弄ってどうするの?」
「今噂してたの、ユリちゃんの妹さんって可愛くて素敵ねえって」
 亜由美はそう言ってから、笑ってエリに話しかけた。
「カメラテストの写真で見てるけど実物の方が可愛いわよ。よろしくね」
「ありがとうございますー」
 亜由美に手を差し出され、エリはその手を握り大げさにお辞儀をした。
「そんなお姉さんのコピーみたいなの着ないで自分にぴったりの服着て来ればよかったのに。今度いいお店教えてあげる」
「ほんとですかー? ありがとうございますー! 嬉しいですー」眉をひそめるユリを尻目にエリは無邪気に笑った。
「ところで妹さんは武術、何かやってたりするの?」
 ふいに葛城に尋ねられ、エリは一瞬固まった後、首を横に振った。
「姉も私も格好だけでー、きちんとは何にも出来ないんですー」
「ほんとに?」
 驚いたように尋ねる葛城にエリは頷いた。
「武道やってる祖父とか、その友達の弓の先生が面白がって色々教えてくれたりとかはあったんですけどー、先生に付いてきちんと教えてもらった事はないんですー。それどころか家では、武術習禁止なんですー」
「そうなの。でも武術はきちんとした先生に教えてもらわなきゃ。もしも興味があるんなら私の先生紹介するわよ」亜由美が言った。
「それは大きなお世話よお局サマ、私もエリも取っ組み合いやチャンバラには興味無いもの」
 ユリの横やりに亜由美はむっとして一瞬口をヘの字にした。
「言ってくれるじゃないの。何様のつもり? ろくにやったこともないくせにチャンバラ呼ばわりされるのは心外だわ。ねえ葛城君」
 亜由美が葛城に同意を求めると、彼は、そりゃもう、と相づちを打った。
「ごめんなさい」
「あんたが謝るとこじゃないの」思わず謝るエリの頭を、ユリが軽く叩いた。
「まあいいわ、姉さんよりもずっと素直なエリちゃんに免じて許してあげる。それよりエリちゃん、あの刀に随分見惚れてたみたいだけど。気に入ったの?」
「見惚れてたって言うか、造った人が……」
 亜由美に言われ、エリはふとケースの方を見た。そこには誰も立ってはいなかった。

12|04

 西日に照らされながら、トーコはサトミとともに、ふらふらと花村の後を歩いている。
 ふたりは花村の家の彼の部屋で、作りかけのプラモデルやミニカー、それに雑誌やバラバラに分解された何かに埋もれそうになりながら、彼の言う楽器を発掘して持ち出したのだった。
 花村はギターのケースを背負い、トーコとサトミはギターアンプやエフェクターの入ったケースをふたりで下げていた。
「ちょっと待って、休憩」
 トーコが立ち止まり、手に持っていたギターアンプを置いて息を吐いた。
「ねえハナピー、こういうの運ぶのにコロコロのついたのとか持ってないの?」
「それが昨日壊れちゃってさあ。困ってたとこだったんだ」
 サトミの問いに、花村は悪びれもせず笑った。
「そもそもあんた、自分はギター一本で、かよわい女の子ふたりに、こんな重たいアンプやエフェクタを持たせるなんてどういうつもりよ? 重い? って聞いたら全然、なんて言ってたし」
 サトミが吹き出る汗をぬぐいながら毒づいた。
「だって俺、ギター大事だもん。てか、そのアンプやエフェクターだって高いんだぜ。大事に扱ってくれそうだから東野と遠山に頼んだんだからな」
「そこ、わあ信頼してくれてありがとうサトミ嬉しい、って目をぱちぱちして言えってところ?」
「うん」
 笑って歩きだした花村の後ろ姿に、サトミは蹴りをいれるポーズをした。
「あんたはこんなカッコつけないで、電池で動くのにしとけばいいのよ」
 サトミはそう言いながら、再びアンプを持ち上げようとよろめくトーコを手伝った。
 三人は歩きだしたものの、電柱の間隔二本分程の距離を歩いたところでトーコが再び音をあげ、立ち止まった。
「ごめんちょっと待って、手がしびれた」アンプを置いたトーコが手を振りながら謝った。
 花村は思わず腕時計を見て、やばい、と呟いた。
「遠山、もう少し急いでくれると嬉しいなあ。もう始まっちゃうんだけど」
「それは無理」サトミがきっぱりと答えた。
「えーーー? 頼むよー」花村が情けない声を上げた。
 ふいに三人の背後からビーッという安っぽいブザーのようなホーンが鳴らされた。
 三人が振り向くと、近づいてくる艶のとんだ白い軽トラックのフロントガラスに西日が反射した。
 眩しさに思わず目を細める三人の目前に、埃焼けで黄ばんだアクティが止まった。
「トーコちゃん、サトミちゃん、そんなとこで何やってるの?」
 ユリの声が聞こえた。
「あ、ユリ姉さん」
 開かれたサイドウインドウから、顔を出して手を振っているのがサングラスをかけたユリだとわかると、トーコとサトミは笑って手を振った。その隣に立つ花村は目を丸くしてアクティとユリを見比べている。
 助手席のエリを見たトーコが笑って手を振ると、エリは手を振り返した。
「パーティー、もう終わったんですか?」
「つまんないから途中で帰ってきちゃった」
 ユリはサングラスを下にずらせてサトミの問いに笑って答え、三人とその荷物を見比べた。
「その大荷物、どこへ持ってくの? 暇になっちゃったし、近くなら乗せてあげるわよ」
「本当ですか? ありがとうございまーす」
 サトミとトーコは大げさにお辞儀をして、花村のアンプとエフェクターを荷台に載せ、自分たちも荷台の上によじ登った。
「ほらほらそこの君も」
「あ、はい」
 花村はユリに促され、はじかれたように荷台に駆け上った。
 ユリが窓から顔を出して振り向いた。
「で? どこいくの?」
「はい、あのー、この先の川っ縁にある赤い屋根の倉庫なんですけど」
 花村がしどろもどろに言うと、ユリは、あああそこね、と頷き、トラックを走らせ始めた。
 思わず荷台の鳥居に両手でしがみつく花村に、サトミとトーコは不思議そうな顔をした。
「ハナピー、どしたの?」
「え? あ、いやなんでもない」花村は、ゆっくりと流れる路地の風景と身体に伝わる平和な感覚を確かめると、恐々鳥居から片手を離して笑った。彼は以前にユリの運転するディアブロの助手席で、文字通り目が回るような体験をしていた。
 やがて三人を荷台に乗せた軽トラックは、花村の言う赤い屋根の倉庫へたどり着いた。

 シャッターが開け放たれた倉庫は既に倉庫としての機能は果たされていない。がらんとした屋内は脇を流れる川面で冷やされた風が通るせいで予想外に涼しく、楽器や器材が無秩序に並ぶその傍らでは数人の若者が手持ちぶさたな様子でしゃがみ込んでいた。
「あ、誰か来た。ひょっとして文句言いに来たのか?」
 しゃがみこんでいる一人が敷地に入り込んでくる白い軽トラックを怪訝な顔で眺めた。
「心配すんな。ここは俺のじっちゃんの私有地だ」
 もう一人が立ち上がって、文句なんか言わせねーヨ、と呟いた時、荷台から花村が飛び降りた。
「花村かよ、おせえぞ」
「遠藤、遅れてすまーん」
 彼、遠藤に駆け寄りながら大げさに両手を合わせる花村の後から、サトミとトーコが荷台から降りてアンプとエフェクターを抱えてよろよろと近づいた。
「あ、東野と遠山。なに? おまえら見物に来たの?」遠藤は珍しいものでも見るように言った。
「違うわよ。ハナピーに頼まれて楽器運ぶの手伝っただけ」サトミは素っ気無く言うと彼の足下にエフェクターケースを置いた。
「けど、そう言えば遠藤君や花村君のやってるとこ見たことないよ。この前の公園の時も見れなかったし」
 よいしょ、といいながらトーコがアンプを置いた。
「じゃあ、ちょっとだけ見ていこうか。けどエンドーとハナピーだよ。たぶん、ていうか絶対耳栓がいるよ」
「うん」
 サトミの言葉にトーコは無邪気に頷いた。
「耳栓てなんだよ……てか、あの人誰?」
 遠藤が目を丸くして白い軽トラックから降りてくるユリとエリを見た。
「エリとそのお姉さん」
「マジ!?」
 トーコの言葉に、遠藤と、まわりの少年がどよめいた。
「何やってるの? ロック? メタル?」
 少年たちの前に立ったユリがサングラスを取って尋ねた。
「普通のロックです。今度ライブハウスで対バンするんで。お姉さん、もしよかったら見ていきませんか?」
「いいわよ、面白そう」
 花村の言葉にユリは笑って頷き、倉庫の中を見渡した。
「とってもにぎやかね」
「は?」
「いいから、早く聞かせて」ユリは微笑んで促した。
「はあ」
 ユリの言葉に少年たちは首をかしげつつ自分たちの楽器のところへ戻っていった。
「おねえ、何かいるの? ここ」エリが手に持っているうちわを口に沿えて小声で尋ねた。
「大丈夫よ。みんな楽しそうにやってるから見に来てるだけ。あんたが知らないだけで、ライブハウスとかコンサートホールって、生きてる人だけが楽しんでるんじゃないのよ」
 ユリが笑って答える声に、サトミとトーコは顔を見合わせ、ここ何かいるんだ、と呟いてエリに寄り添った。
「あ、そのワンピ、ユリ姉さんとお揃いなんだ。色も良いし似合ってるじゃん」
「いいなあ、そんなすらーっとしたワンピ、私も着てみたい」
 サトミとトーコは、エリとユリのワンピースを見比べ、形や生地を丹念に見ながら言った。
「でもねー、これ、スカート細くて、こう、てててーって感じになってはやく歩けないんだー」エリは両手を脚に見立てて小刻みに前後に振った。
「いいじゃん。急がずにお嬢様ーって感じでしなしな歩けば。てか、そんなぴっちりしてスラっとしたワンピが似合ってて、それはぜいたくな悩みってもんよ。ねえ」
 サトミがトーコに同意を求め、トーコは頷いた。
 少年たちは少年たちで、花村の機材を揃えながらひそひそと話をしている。
「黒崎なんであんなカッコしてんだ? 別人じゃんかよ。てか、うちわダサっ」
「何か知らねえけど、お姉さんとパーティー行ってたらしい」
「あのお姉さん、すっげえ美人なのな」
「うん、モデルさんやってるって」
「ほんとか? どんな?」
「知らねえけど、黒崎が見てた外国の雑誌にでてた」
「なんの雑誌?」
「知らね。何か高そうな服とかバッグとか一杯載ってたけどな。なんかスーパーモデルっぽかった」花村はギターのチューニングをしながら答えた。
「そんなスーパーモデルが、なんで軽トラなんかに乗ってるんだよ」
「さあ。マセラティに乗っててそれ壊して、この前はディアブロに乗ってたけど、外車に飽きたんじゃねえの?」
「まじか? ありえね」
「けど花村、なんでそんなに詳しいわけ?」
「お話したもん俺。一緒にディアブロ乗ったし」
「は? うそつけ」
「嘘じゃねえし。裏山の農道ですっげえスピードでカニ走りだってしたんだからな」
「もういいよ、脳内ドライブの話はわかったから。ほらいくぞ」花村の話を信じない遠藤は、笑ってなだめるように彼の肩をたたいた。
 彼等はようやく準備を整え、楽器を手に持った。
「それじゃあ、いきます。聴いて下さい」マイクの前に立った遠藤が、ユリに軽くお辞儀をした。
 ドラムスティックが打ち鳴らされ、最初の音が出た瞬間、そのあまりの音量にトーコは一瞬のけ反った。
 エリは目を丸くして、サトミはあからさまに耳に手をやった。
 ほんの数分の短い曲だったが、サトミとトーコは、まるで暴風に向きあうようにして聴いている。音の塊で煩いだけに聞こえるその曲は、終わりにくる頃にようやく耳が慣れたのか、それぞれのパートの音やボーカルの歌詞がかろうじて聞き取れた。
 曲が終わり、ふいに静寂が訪れた。
 微かな耳鳴りを感じつつ、サトミは、はあ、と息を吐いた。
 トーコとエリは呆然と立ち尽くし、ユリだけが楽しげに拍手をしている。
「どうだった?」息を弾ませながら尋ねる花村の声は鼻が詰まったように聞こえる。
 しばらくの間の後、トーコがようやく口を開いた。
「びっくりした」
「それだけか?」
 トーコは頷いた。
「爆音で何歌ってんだかわかんなかったのよ。エリ、ちゃんと聞こえた?」
 サトミがそう言ってエリを見上げると、エリは黙ったまま首を横に振った。
「ほらね」サトミは花村を見た。
「よおし、じゃあもう一曲やるか」花村と遠藤は顔を見あわせて頷きあった。
「まだやるの? ちょっと待って」
 サトミはそう言うと、おもむろにティッシュを取りだしてトーコとエリに配り、自分はそれを丸めて軽く舐め、耳に詰めた。
「なんだよそれ嫌みかよ」遠藤が眉をひそめた。
「マジ耳が壊れちゃうわよ」
 そう答えるサトミの隣ではトーコが、サトミにならってティッシュを丸めている。
「花村君ー、ボリューム下げてよー」
「えー? だって下げちゃったら自分の音聞こえねえもん」エリの言葉に花村が口をとがらせた。
 ドラムスティックが打ち鳴らされた瞬間、三人は数歩後ずさった。
 再び轟音が鳴り響き、屋根と壁に音が反響し、全ての音が混じりあって判別不可能な音の塊となってその空間を満たした。
 耳栓を詰めそびれたエリは耐えきれず、じりじりと後ずさり、そのままシャッターをくぐり、外から中を見やって思わずため息をついた。
 その時、遠藤と花村の間に突然割って入ったユリが遠藤のマイクを奪い取ったおかげで、演奏は中断した。
「ねえ、ちょっと私も混ぜて」
 上機嫌な様子でユリが問うと、面食らった様子の遠藤はただ大きく頷いた。
「ありがと。それじゃあこういうのできる?」
 ユリは何を思いついたのか、彼等を呼び集めてあれこれと注文した。
「それ、何の曲です?」
「聞けば知ってるかも。だから教えない」
 遠藤の問いに笑ってそう答えたユリは、じゃあお願い、と言ってマイクを手に持った。
 ドラムが恐る恐る叩き始め、それに合わせてベースとギター、それにキーボードが恐々と音を出し始めた。
 彼等にしては随分と控えめに始められた演奏が、彼等の意図しない音のまとまりを生み出し、同時にどこかぎこちなく調子外れな所も面白味に転じ、それらにサトミとトーコは一瞬目を丸くした後、ユリが歌い始めた途端、束の間呆然とした。
「なにこれ? 聞いたことあるよ」
「あれだよトーコ! シンク・オブ・ミー! こんなのあり?」
 サトミは元の曲を思いだして、げらげらと笑いながら拍手をした。
 ユリが口ずさむ歌は、オリジナルを知る者が聞けば卒倒しそうなほどに転調されメロディとテンポが変えられた、有名なミュージカルナンバーだった。

 涼やかな風に頬をなでられ、エリはその風に誘われるように倉庫の裏手に廻った。
 流れる川の上流には先程姉とともに渡った沈下橋が見え、ほんの少し視線を振るとパーティーをやっていた高層ホテルと、それにそこで出会った男を最初に見た川面が見えた。
「あそこはみそぎ場なのです」
 ふいに聞こえた声に、エリは振り向き、彼を見た。
「こんな所で何をしているんですか?」
「探し物です」
「何を?」
「小柄です」
「こづか、と言うと、刀にくっついてたりする小刀のことですか?」
 エリの言葉に白装束の男は頷いた。
「ええ、そうです。よくご存知ですね」
「祖父に色々と聞かされているので」エリは笑った。
「そこに祠があり納めていたのですが、祠ごと持ち去られたのです」彼が指さす川原には、何もない。
「ええ? 誰がそんな事を」
「実は誰が持ち去り今どこにあるかもわかっています。しかしそれを取り返す手だてがありません」
「警察に届ければ」
「残念なことに、私の言葉を聞く耳を持つ者がいません。貴方以外には」
「え?」
 彼はふいに歩きだした。
「ついて来て下さい」
 彼の言葉に、エリは微かに戸惑いながらも従った。
 何故か陽射しの暑さは感じなかった。

12|05

「あれ? エリは?」
 トーコは外へ出てエリを探した。
 西日から夕日に移り変わろうとしているものの、陽射しはまだ強い。
 トーコは建物の陰に向けて歩き、そこから川を眺めてから首をかしげた。
「何ぽけーっと突っ立ってるのよ。エリは? いないの?」
 後から出てきたサトミにふいに突かれてトーコは驚いて振り向き、頷いた。
「先に帰っちゃったのかな?」
「それはないわよ。ジュースでも買いに行ったんじゃないの?」
 サトミは倉庫の前から道へ出て左右を見回し、遠く逃げ水の向こうに揺らぐ自動販売機を見つけた。
「けど、この近くの自販機はあれだけよね。コンビニなんて無いし」
「エリがいないの?」倉庫の中からスピーカーを通したユリの声が響いた。
 ふたりが振り返ると、マイクを握ったユリが出入り口に立っている。
「まったくあの娘は」
 そこで音が途切れ、遠藤にマイクを返したユリがサトミとトーコの所へと歩いてきた。
「人が気持ち良く歌ってるときに、なんで逃げちゃうのよ」
 ユリはそう言いながらまわりを見回し、止めてある軽トラックから携帯電話を取り出してキーを押した。
 軽トラックの助手席のドアポケットから、微かにエリの携帯電話の着信音が聞こえた。
「あら」
 ユリは口を尖らせながら携帯電話をトラックに放り込み、倉庫の脇から見える川原を見た途端、眉をひそめ辺りを見回すと、様子を見に来た花村達の肩越しに後を見て尋ねた。
「ねえ、あそこの川原、昔ちっちゃな祠があったと思うんだけど、無くなったの?」
「えっ? ほこら? っすか?」
「君はいいの、後の猟師さんに聞いてるんだから」
 ユリの言葉に遠藤は思わず振り向き、何もいない空間を見て不思議そうにユリを見返した。
「んー、こんなだったら、シカトしないで話聞いとくんだったわ」
「どうしたんですか?」腕を組んで首をかしげるユリに、サトミが尋ねた。
「あの娘、大昔の刀鍛冶のおじさんにナンパされてどこかへ付いてっちゃったみたい」
「はあ?」
「ええっ? 黒崎って、オヤジ好みなの?」
 トーコとサトミはそろって声を上げ、話を聞いていた花村が慌てた様子で口を挟んだ。
「違うってばハナピー、大昔の刀鍛冶、って言ってるじゃん。相手は多分幽霊、ですよね?」呆然とする花村にそう言って、サトミはユリに尋ねた。
「幽霊、って言うよりは神様の一歩手前って感じね。そこにあった祠に小柄と一緒に祭られてたっぽいんだけど、祠を誰かに盗まれて途方に暮れてたみたい。それでそのおじさん、どうしてだかわかんないけど、エリと波長が合っちゃったのねきっと。ふたりしてどこ行ったんだか」
 ユリの事もなげな説明を、トーコとサトミ以外のそこに居合わせた残りの少年たちは、顔一面を疑問符にして聞いていた。
「それで、エリは今どこに?」
「そこまではわかんないけど」
 ユリはそう言って軽トラックのドアを開け、トーコとサトミに言った。
「一緒に行く?」
「はい」
 トーコとサトミが助手席に乗り込むとユリはエンジンをかけた。
「ああ君たち、今度ライブやるときは呼んでね」
 ユリは遠藤達に笑って手を振ると、ステアリングに手をかけた。
「俺も行っていいですか?」
 花村がトラックに駆け寄り、ドアに手をかけユリに懇願するように言った。
「ハナピーはこなくても」
「後に乗んなさい。こぼれないようにしっかり掴まっててね」
 サトミの言葉を遮るように答えたユリは微笑んだ。
「いいんですか?」
「心配いらないわ。いざとなればケバいトーコちゃんもいるし」
 サトミの問いに笑って答えながら、ユリは軽トラックを走らせた。

 数分ほどトラックを走らせたユリは、山手に上りかけた所にある屋敷の前でブレーキを踏んだ。
「ここですか?」
「さあね。どうだかわからないけど」
 ユリはサトミに答え、アクティのドアを開けた。
 彼女は三人が見守る中そのまま車を降り、すたすたと玄関の門の前に進み、門柱に据えられた呼び鈴を押した。
 犬が吠えた。
 ただそれだけで、屋敷の中に人がいる気配はない。
「留守みたいね」ユリは三人に振り向いて肩をすくめた。
「ていうか、そんな真っ正直に呼び鈴なんか押してよかったんですか?」
「だって、黙って入っちゃ悪いでしょ? そうよねえトーコちゃん」
 後から付いて降りてきたサトミに答え、トーコに同意を求めてからユリは、門から奥を覗いた。
 犬の声が途切れ、ふいにその場が静かになった。
「あ、いたいた」
 ユリは誰も立っていないドアを見やってから、小さく頷いた。
「誰かいたんですか?」恐々と花村が門の向こうを覗いた。
「ドアの横。小っちゃい男の子がいるでしょ?」
 三人は首を横に振った。そこには小さな道祖神の石像が置かれ、その前には華が飾られている。
「信州の山の中から連れてこられちゃったんだって」
「はあ」花村だけが呆然と相づちを打った。
「それで、どうするんですか?」
「そうねー」ユリはサトミに答えながら上を見上げた。
 ユリはそのまましばらくの間、屋敷の二階を眺めていたが、くるりと向きを変え、アクティに乗り込んだ。
「次、行ってみましょ」彼女は三人を促した。
 トーコ達が乗り込むのを待って、ユリはトラックをUターンさせた。
「あの家はもう人が入れ替わってて、別の人が住んでるわ」
「道祖神の男の子は?」
「置いてかれたのよ。お金にならないからって」
「かわいそう」
「連れてかれるより良かったのよ。今はあの家の人にきちんとしてもらってるみたいだし」
 ユリは路地を曲がり、町へ向けて走った所で迷ったようにトラックを止めた。
「んー、やっぱりこっちの方が早いかもね。ちょっと待ってて」
 ユリは三人を置いてトラックを降り、道端の建物の玄関へと歩いていった。
 トーコとサトミは見覚えのある玄関を見て、あ、と声を上げた。
 古びた商家の格子戸を開け、ユリは一度軽く深呼吸をしてから低い鴨居をくぐった。
 奥から出てきた和服姿の初老の男がユリを見てお辞儀をした。
「いらっしゃいませ。おや、黒崎のお嬢様。ようこそいらっしゃいました。先日は珍しい外国のお客様をご紹介いただき、ありがとうございます」
 間口の狭いその店の中は、控えめな照明に照らされて年代も使い道も様々な品物が並べられている。それらは日本に古くから伝わる有名な品物よりも、どこの国の物で何に使うのかが判らないような品物の方が多い。
「つかぬ事を尋ねますが、もしも御存知でしたら教えて下さいませんか?」
 ユリの言葉にその主人は、ええ何なりと、と言って微笑んだ。
「あっちの山手にあるお屋敷に昔住んでた人が、隣町の境目にある川の縁にあった祠と小柄を盗んだって言う話、聞いたことあります?」
「どちらでその話を?」
 主人は微かに表情を引き締めた。
「ちょっと噂を聞いて」
「おっしゃる通り、その噂は聞いたことがございますし、我々同業の輩の間でも、あの者の悪い噂は知れ渡っておりましたので、根も葉もない噂とも思えません。事実その一件の後あの者は姿を消してしまいました。今はどこで何をしているか確かなことはは存じませんが、風の噂ではごく最近、隣町で見かけたものがいるとか」
「そうですか」
 ユリは話を聞きながら、主人の背後を眺めた。
「嘘は申しませんよ」ユリの視線に、男は微笑んだ。
「祠が盗まれたのはもう二、三年も前の話です。中に小柄が祭られていたことも、その時は知らなかったのですが、ああ」
 彼は視線を宙に泳がせた。
「少々お待ち下さい」
 主人がそう言い残して奥へ引っ込むとユリは、どこか居心地が悪そうに店の中を横目で眺めた。
 ほどなく彼は、うっすらと埃が付いた古く大きな図録を手に持って現れた。
「あの祠に祭られていたのはこの小柄だったようです」
 開かれた図録には小柄の古い白黒写真と共に拓本と簡単な解説、それに和弓と刀の白黒写真が載せられている。
「この柄の所の拓本によると、刀工は五十鈴兼孝とありますが、地元の者ではなく何かと謎が多いのです。例えばこの刀の様式を見ると江戸時代の大阪新刀を思わせるのですが、小柄が見られるのはもっと新しい時代になってからですし、かと言って、素人を謀るための良いとこ取りをした新しいまがい物か、といえばそうとも言えない」
「あのおじさん、まだ自分の名前憶えてるかしら」
「は?」
「あ、いえ、なんでも」ユリは首を微かに振った。
「それより今日、こっちの写真の弓と刀をとある所で見たんですけど、この刀のことは何か御存知ですか?」
 主人は刀の写真とユリを見比べた。
「ご覧になったというのは、確かなのですか?」
「ええ、友人に誘われた内輪のパーティーで」
「それは私もぜひ見たかったものです。ああ、それで貴方もそのような艶やかな装いでいらっしゃるのですね」
 主人は納得したように笑うと、それはさておき、と続けた。
「この弓も刀も、ともにその五十鈴の作となっておりますが、不幸なことに、このどちらも歴史の表に立つような人物に使われないまま、どこかの蔵の隅で現代まで放置されていたようです。その造りの精緻さや武器としての力、全てにおいて他の名だたる名刀名弓に勝るとも劣らない逸物だと言われていますが、今度はその様式が邪魔立てして時代の考証に合わぬために、それこそまがい物呼ばわりされることもあったようです。そのせいで、あまり人目の前に出ないまま、この数年は行方がわからなくなり、皮肉な事にそれらがもとで今は一部の好事家が血眼で探していると聞きました」
 ふと、主人の顔が一瞬険しくなった。
「どうかなさいました?」
「いえ、ここには書かれていないことなのですが、この刀の鞘には丁度小柄を納める場所があるのですが、見つかった時から小柄が欠けていたそうです。造りから判断して祠の小柄がおそらくそうではないかと思ったのですが、それ以上に、奇妙な事を考えてしまったのです」
「小柄を盗んだ人が何かを企んでいるんじゃないか、とか?」
 主人はユリの言葉に、思わず白髪をなでてから、ええ、まあ、と呟く様に答えた。
「その、小柄を盗んだって噂されている人、どんな人ですか?」
 古いですが写真があるかも知れません、と言って彼は再び奥へ引っ込んだ。
 玄関の格子戸が恐る恐る開けられ、サトミとトーコが顔を覗かせた。
「どうかしたの?」
 振り向いたユリが尋ねると、サトミがユリの携帯電話を差し出した。
「代わりに出ようかと思ったら切れちゃいました」
「ありがと」
 ユリがその携帯を手に取り、着信履歴を見てキーを押し、耳に当てたところで主人が額に入れた写真を持って現れた。
 ユリは手元に置かれた写真を見るなり、その集合写真の隅に写る人物を指さして主人の顔を見た。
「この人でしょ?」
「はい、たしかに。ですがなぜ」
「ちょっと失礼」
 ユリは驚いた顔をする主人に会釈をしてから電話を持ち変えた。
「どうしたの? 途中で帰っちゃった事なら謝るわごめんなさい」
 彼女はとても謝っているとは思えない口調で、電話の向こうの山本に言うと、彼の言葉を待った。
「エリが? どこ?」
 ユリは眉をひそめた。
「大工! すぐ探して取っ捉まえて! そっち行くから!」
 ユリはそれだけ言うと電話を切った。
「色々教えて下さってありがとうございます。少々急ぎの用事が出来たので、今日はこれで失礼いたします」
 ユリは主人にお辞儀をして、格子戸をくぐった。
 格子戸を閉じた途端、打って変わったように彼女は、ひゃあ、と奇声を上げ、まるで自分の身の回りに群がる虫を振り払うように手を振り、頭をかきむしりばたばたと地団駄を踏んだ。
「虫でもいたんですか?」
「あの店、触れ合い動物園状態でいろんなのになつかれちゃって、こうしないと付いてきちゃうのよ。それより、さあみんな、早く乗って!」
 トーコに答えながら、ユリは三人をトラックに追い立てて運転席に乗り込んだ。
「後の君、ちょっと急ぐから落っこちないでね! もし落っこちても止まらないから」
 花村が慌てて荷台の鳥居にしがみつくのも待ちきれず、ユリはトラックのアクセルを踏んだ。
 トラックはタイヤを軋ませ、荷台の鳥居にしがみつく花村を振り落とさんばかりに加速すると、すぐ近くに見える公園の遊歩道へ飛び込んだ。
 遊歩道の入口に立つ車止めの支柱が、アクティの両側にかすれたストライプを描いた。

12|06

 予想外に速く歩く男の背中を追うのに必死になっていたエリは、どこをどう歩いたのかすらわからないまま、いつの間にか姉とともに訪れたホテルの廊下に立っていることに気がついた。
「この部屋の窓際の寝台の下に衣装箱があります。それは数字を合わせる錠が付いていて、その中に小柄を盗んだ者達の悪行の証と小柄が隠されているのです」男はドアを指さした。
「それじゃあその事を警察に」
「いえ、おそらく捕り手が来る前にあ奴等は小柄をもって逃げるでしょう。幸い今、部屋には誰もいません。小柄を取り戻す千歳一隅の機会です。どうか私をお助け下さい」
「ですけど」
「どうかお願いします」
 男はエリを、すがりつくような目で見つめ、深々と頭をたれると、そのままひざまずいた。
「止めて下さい。わかりましたから」
 放っておくとそのまま土下座すらしそうな雰囲気に、エリは慌てて首を振った。
「でも小柄を取り返したら、絶対に警察へ届けて下さいよ」
 エリは、自分のとっている行動と置かれている状況の、根本的な異常さに気付かないままため息をついた。
 エリはドアノブに手をかけた。
「だめー。オートロックのドアが開くわけないんです。映画なんかだと、ここでよく掃除のおばさんのカードキーとったり、裸でドアの前立ってて空けてもらったりするんですけどー」
 どっちも無理ー、と呟きながら、エリはまわりを見回した。
「もう一度試して下さい」男はそう言いながらドアノブに手を添えた。
「ええ」
 促されるままエリが再びドアノブに手が触れた瞬間、青白い火花が走り、エリは慌てて手を引っ込めた。
「びっくりしたー。すごい静電気ー」
「早く」
「あ、はい」
 エリは恐々とドアノブに触れた。今度は何も起きずそのままノブを下げるとあっさりとドアが開いた。
「開いた」
 エリは呟くと、辺りを見回してから部屋の中に入り、ドアを閉めた。
 オートライトが足下を照らした。エリはそのまま窓際へ向かうとベッドの下を探り、スーツケースの把手を探り当て、それを引き出した。
「衣装箱、とは言えないですけど、これですか?」
 エリが問い掛け顔をあげたが、男はいない。
「あの」
 エリが立ち上がりかけた途端、ドアが解錠される音が響いた。
 彼女はぎょっとすると慌ててベッドの下に潜り込み、手を伸ばしてケースを手元に引き寄せた。
 硬い角が背中にあたり、危うく声を漏らしそうになったエリは自分の口を塞いだ。
 明かりが点き、数人の靴音が部屋に入り込んだ。
「こっちだ、早く物を移し替えろ」
 声が聞こえ、同時に慌ただしく何かが運び込まれる気配と物音が聞こえた。
 息を殺して聞き耳を立てているエリに足音が近づき、黒い靴が見えたかと思うと手が伸びてきてスーツケースが掴まれ引きずり出されて行き、その後ベッドの上からどさっという音が伝わり、金具をいじる音が聞こえた。
「これで全部揃ったな」
「俺の仕事はここまでだよな? 国宝に匹敵するようなものが消えたとしたら、警備してた人間は真っ先に疑われるんだ。とっとと消えてアリバイを造りたいんだが」
「それならついでに、しがないイベント屋の機材を運ぶのを手伝ってくれないか? 特にそのマイクスタンドを入れるケースは重くて叶わん」
 誰かがベッドに座ったのか、スプリングが軋み、埃が舞い降りてきた。
「俺達の分け前は?」
「それならこの下にもう一つケースがある。勝手に持っていけ」
 エリは血の気が引くのを感じた。
 その声の言うケースは彼女の背後にあり、目の前にはパーティーの時に見たガードマンの顔が覗き込んでいたからだった。
「……こんにちは」
 とっさに口を突いて出た言葉の無意味さに、エリは後になって気がついた。
「誰だ? 出てこい」
 エリはあっという間に手首を掴まれると強引にベッドから引きずり出され、そのまま後ろ手でうつ伏せに床に押さえつけられた。
「いたい!」
 男の体重が背中にのし掛かり、一瞬息が止まった。
「どこから入った? このでかいチャラチャラしたネズミは」
 髪を引っ張られ、力ずくで反らせられた顔の前に、司会をしていた男の顔があった。
 彼はエリの顔をしげしげと眺め、頭のてっぺんから爪先まで見ると、首をかしげた。
「なんだいおネエちゃん、堅サマのサインが欲しいのかい? だったら部屋を間違えてる。ここはあいつの部屋じゃない」
 司会の男は立ち上がった。
「パーティーに来てた娘だ。顔を見られて話も聞かれた」
「どうする?」別の声がした。
 声のした方向を見ようとしたエリの頭は、再び床に押さえつけられた。
「酒でもたらふく飲ませて、非常階段のてっぺんから落としちまえ」
「ここでそんな物騒な事できるかよ」
「ならくくり上げて車に載せとけ」
 司会の靴が視界から消え、わずかに足音が遠ざかった。
「全く、余計な仕事増やしやがって。悪く思うなよ。人の部屋に勝手に入ったのが悪いんだ」
 エリの耳元でガードマンが苦々しくつぶやいた。
 彼女の視界の片隅にある消されたテレビの黒い画面に、部屋の中にいる男達の反射像が見えた。
 司会の男と彼女を押さえ込んでいるガードマン。それに見知らぬ男によって部屋の中に運び込まれたガラスケースから中の刀と弓が取り出され、隣にある細長い機材ケースに移し替えられようとしている。
 その男の一人が弓に手をかけ、張りつめられた弦を緩めようとしたとき、ふいにドアがノックされた。
 男は弓をおいて身構えた。
「また客か」
 司会の男は足音を忍ばせてドアの前に立ち、のぞき穴を覗いた。

 ホテルのエントランスに向けて曲がるハイヤーのさらに内側から、黄ばんだアクティが歩道に乗り上げながら猛スピードで追い越し、そのまま歩道上を玄関に向けて駆け上ると、制止しようとするベルマンの数センチ手前でようやく止まり、呆然としている彼の目前にユリが運転席から飛び降りると、着ているワンピースのスカートの裾を両手で引き裂いて裸足になり、ベルマンにアクティのキーを投げつけて二人の若い娘と共に、あっという間にロビーへと駆け込んでいった。
「あの」
 三人を呼び止めるベルマンを、荷台から這い降りた花村がよろよろと追い抜いたものの、彼はそこで力尽きたようにうずくまった。
「どうしました!? 大丈夫ですか?」
 思わず問い掛けるベルマンに、花村は青い顔をして振り向くと、真っ赤な掌を見せて無言で首を横に振り、そのまま床に転がった。

12|07

 ドアの覗き窓の向こうには山本が立っている。
 司会の男は、機材ケース脇の男を手招きするとドアの脇に立たせた。
 再びドアがノックされた。
 司会の男はガードマンに向けてエリを指さし、起こすように指示するとドアノブに手をかけた。
「静かにしろ」
 ガードマンが耳元で脅すように言いながらエリの腕をねじり上げるようにして引き上げた。
 ドアが開けられた。
「どうなさいました?」
「いや、大した用じゃないんですが、この辺に俺といた女の子を見なかったかと思いましてね」
「女の子? ああ、あの青い服を着た娘ですかね? ちょうどいい、まあ中へどうぞ」
 司会の男に促されるまま部屋に入って来た山本は、視界に飛び込んできた光景に目を見開いた。
 機材ケースに立て掛けられた刀とその奥に立っているエリと、その背後に立つガードマン。
「いったい」
 山本がそう言いかけた途端、彼は背後からマイクスタンドで思いきり殴られ、その場に倒れ込んだ。
 それを見た途端、エリの中で渦巻いていた恐怖がふいに、しんと静まり返った。
 エリは一瞬身体を前に出した。
「おっと、動くな」
 ガードマンが手に力を入れて彼女を引き戻そうとした。
 その瞬間、エリはその力を逆に使って一瞬で男に向けて身をひるがえし、彼の手を解きながら膝を彼の股間にたたき込んだ。同時に彼女の着ているワンピースの絞られたスカートの裾が音を上げて裂けた。
 一瞬ひるんだ男の手を逆につかみながら、エリはそのまま逆上がりでもするように男の身体を駆け上り、男の顔の真ん中をピンヒールで蹴って宙に舞った。
 回転して床に着地したエリが身をかがめて機材ケースにある刀に手をかけた瞬間、もうひとりの男が山本を踏み越えてマイクスタンドを振りかぶった。
 エリは躊躇することなくその刀を抜いた。
 男が、振り下ろした筈のマイクスタンドが手元で切断された事に気付いたとき、彼の意識はなくなっていた。
 彼女は鮮やかな抜刀で男のマイクスタンドをまるで竹箒でも切るように両断し、返す刀でそのまま男の後頭部を峰打ちして昏倒させたのだった。
 そしてそのわずかひと呼吸後には、エリは司会の眼前にその切っ先を定め、彼の顔を睨みつけた。
「小柄を返しなさい」
「あ、あ、あ」
 司会の男は口をぱくぱくさせるだけで声にはならない。
 その時、ガードマンが顔を押さえ、呻きながらよろよろと立ち上がった。
 エリが一瞬、その方向を見やったとき、司会の男は脱兎のごとく部屋を飛びだした。
 彼女は逃げてゆく男とガードマンをとっさに見比べると、ガードマンに向けて刀を投げつけた。
 放たれた刀はガードマンの靴を突き通して、床に突き立った。
 男の声にならない短い悲鳴を聞きながら、エリはケースに立てられた弓と矢筒に入った矢を取り、ドアをくぐり抜けた。
 廊下の先のエレベーターに向けて駆けてゆく男を見つけるや、矢を取り出して弓につがえたエリは弓を引き絞った。
 突き当たりにあるエレベーターのドアにぶつかりながらやっと足を止めた男が、ドアの脇にあるボタンを押した途端、乾いた音とともに手がそこから離れなくなった。
 一本の矢が男のスーツの袖を貫き、そのまま壁に留められていた。
 男がぎょっとなり振り向いた瞬間、今度は耳元で大きく乾いた音が聞こえた。
 二本目の矢が、エレベーターのステンレス製のドアに彼をスーツの右肩のパットとシャツを貫いて綴じ付けていた。
 廊下の先には、三本目の矢を番え弓を引き絞っているエリが立っていた。
「た、助けてくれ!」
 男の声はそこで途切れた。
 首をかすめた三本目の矢によってワイシャツの襟とネクタイをドアに綴じ付けられ、隣のエレベーターの到着を示すチャイムを聞きながら彼は気を失った。
 エレベーターのドアが開いた。
「エリ!」
 エレベーターからユリが現れ、廊下の彼方に立ち弓を構える妹と、隣のエレベーターのドアに下手な標本のように貼り付けられた男とを見比べた。
「おねえ」
 エリは、ぼんやりとした表情で姉を見て首をかしげた後、そのまま失神して床に倒れた。

 白い装束の男が満面の笑みを浮かべている。
「ありがとうございます。おかげさまで小柄が戻ってまいりました」
「そうですか。それはよかったです」
「貴方様には随分労苦をお掛けしてしまいました。いつか必ずこのお礼をさせていただきますが、それとは別にもうひとつ、私の願いを聞き届けてはくださりませぬか」
「どんなことですか? 私に出来る事であれば」
「ありがとうございます」
 彼はその場に座り込み、ひれ伏すようにお辞儀をした。

 目を覚ますと、白いカーテン、それに吊るされた点滴の袋が目に入った。
「お目覚め?」
 姉の声が聞こえ、エリは顔を向けた。
「ここ、どこ? 私、どうしちゃったのー?」
「ここは病院。あんたは熱中症と脱水症、軽い打ち身と、後は靴擦れね」
 ユリは呆れた顔で笑った。
「あんたがあんな神様見習いに好かれるなんてね」
「神様見習い? なにそれー?」
「あんたと一緒にいた、白い着物着た神主みたいな刀鍛冶のおじさんよ。江戸時代の」
「あー、やっぱりー、生きてる人じゃなかったのかー」
 エリはぼんやりと言った。
「けど、その時は全然判らなかったよー。足あるし、普通に話できるしー」
 あ、とエリは声を上げた。
「山本さん、大丈夫?」
「大工なら平気よ。あんたの代わりに大立ち回りしたことになっちゃったけど。まあ古道具泥棒の一味が捕まって、めでたしめでたしかな。ああそうだ、たぶん小柄も祠も元通りになるわよ」ユリは微笑んだ。
「なんで知ってるのー?」エリはユリを目を丸くして見た。
「祠のことを、じーちゃんの友達の古道具屋さんから聞いたのよ」
 なーんだー、と言ってエリは天井を見上げた。
「だけどね、トーコちゃんとサトミちゃんと、もう一人、えーと、ハニワ君も。みんな大変だったんだから」
 ユリはそう言って笑いながら、エリの頬をぴたぴたと叩いた。
 ユリの話では、軽トラックに三人を載せて、公園を突っ切り裏道と路地裏を猛スピードで駆け抜けたせいで、ホテルに着いた時点で荷台にしがみついていた花村は両手にマメを作って力尽き、後はサトミとトーコとの三人で手分けしてエリを探そうと別々のエレベーターに乗ったものの、ユリの乗ったエレベーターに続いて隣のエレベーターに乗ってしまったサトミとトーコは、エリの放った矢がそのエレベーターのボタンとドアを撃ち抜いたために階間で緊急停止してしまい扉が開かず、閉じ込められていたのだという。
「ちゃんとお礼言うのよ」
「はーい」エリは殊勝な表情で頷いた。
「ねえ、おねえ」
「なに?」
「あの刀鍛冶のおじさん、いつかは神様になれるのかなー?」
「たぶんね。もしも今度会ったら聞いてみれば?」
 ユリの言葉に頷いたエリは、今まで見ていた夢を思い出して声を上げた。
「あー、おねえ、私あのおじさんと、変な約束しちゃったかもー」
「一体どんな約束したのよ?」ユリは眉をひそめた。
「それが思い出せないのー。どうしようー」
「デートでもする約束しちゃったんじゃないの? あんた、おじさんや年寄りに好かれそうだし」
 ユリは面白がって言うと、声を上げて笑った。

12|08

 夕飯を終えたサトミはバルコニーに出て、ワイヤレスのイヤホンから流れる音楽を聴きながら、ぼんやりと街の灯を眺めている。サトミの住処は高層マンションの最上階にあるため、夏場は風の通りが良く、網戸にすればエアコン等は無用の快適さだった。バルコニーへ出ても藪蚊や羽虫に煩わされることもないので、夜になると彼女はバルコニーに設えたベンチで一時を過ごすのが日課になっていた。
 イヤフォンから聞こえるギターソロに、電話の着信音が割り込んだ。
「はい」サトミはイヤフォンのボタンを押して応えると、エリの声が聞こえた。
『サトミー、今日はごめんねー』
「エリ、もういいの?」
『んー、もう家に帰って来ちゃったー。けどねー、家暑くってー、これだったらまだ病院にいたほうがよかったなーって思うー』
「そりゃそうだわ。下界は暑いもんね」
『下界って、何よー。サトミの家はいいよねー。涼しくて』
「うん、自慢だけどすごく快適。……あ」
 サトミはふと、トーコの家の方角を見て声を上げた。
「トーコだ」
『トーコがいるのー?』
「じゃなくて、ケバい方のトーコが飛んでったのよ。何処へ行くんだろ?」
 サトミが首を傾げて見ている前で、“トウコ”は街の上空で一瞬輝くと、そこからかき消すように消えた。

 深い霧に煙る廃墟に、間島が立っている。
 その姿は、彼を知るほぼ全ての者が見たことがない、異様ともとれるものへと変貌している。
 ツグが“フェイク”と呼ぶ、西洋の甲冑を思わせるその身体は、金属的な鈍い輝きを放ち、一見曲面で構成されているように見えながら、実際それらは莫大な数の多角形の平面で組み合わされており、同じく金属から削り出したような仮面が相まって、その姿はコンピューターグラフィックスのモデルデータを彷彿とさせ、その印象は甲冑に身を包んだ人間というよりも、アンドロイドのほうがふさわしく思える。
 突然、間島を包む霧の四方が瞬き、光球が彼に向かって放たれた。
 人の目からは一瞬の光束にしか見えない速度で間島へと突進した四つの光球は、間島の身体であっさりと弾かれてその軌道を変え、火花を散らせて回りの建物の壁を破壊して突き抜け、あるいは霧の彼方へと飛び去った。間髪おかず間島は霧へ向けて、虚空からテールを取り出しざまに、その切っ先で弧を描きながら、四方に光球を発射した。
 光球が霧の中へと飛び去り、一瞬の後にそれを追うように火柱が列をなして広がったかと思うと、その先で四つの一際大きな爆発の閃光が霧を照らし、衝撃が廃墟を揺さぶった。
“標的、全て破壊。脅威は消失”
 人工脳の声を聞きながら、間島は炎に染まった霧の中を進み、出来上がったばかりの小さなクレーターの前で立ち止まった。
 間島は白いスーツを着た姿へと戻っている。
「ここにある標的では、いくら数があっても、これの力は計れなくなったな」
 クレーターを見下ろした彼は口元に微かな笑みの形を浮かべて呟くと、毛先がはねた長髪を熱風になびかせて踵を返し、霧の世界から消えた。
 暗い空間に出来た奇妙な歪みが広がり、そこから間島が現れると、照明が点いてその場を照らした。
 高層ビルの最上階のフロアの半分を占める、広々とした間島専用のオフィスの壁には、ボッティチェリのプリマベーラに描かれている三美神の模写が掲げられている他は、際立って豪華に見える調度品は置かれていない。ノートパソコンとスマートフォンだけが置かれたシンプルで小さな机も、椅子も、脇に置かれたソファーも、巷の中小企業の重役室に置かれている物よりも仰々しくはなかった。ただ、近くで見ればそのどれもが、今となっては手に入らない素材と、はるか昔に失われた技法がふんだんに使われた工芸品めいた物であり、壁にある、模写とされているはずの三美神のテンペラ画も、ボッティチェリ特有の筆致によって新たに描かれており、仔細に見れば見るほど、単なる模写というよりも、ボッティチェリ自身が描いたとしか思えなくなる代物だった。
 間島がその部屋に忽然と現れたのを待っていたかのように、机の上のスマートフォンのディスプレイが点いて着信音が鳴った。
「はい」
 スマートフォンを耳に当てて応じた間島に、スピーカーから緊迫した声が聞こえた。
『スミスだがね、ちょっと厄介なことが起きた』
「どうしました? 最初から話してください」
『今しがた建造中の“飛行船”が、いきなり攻撃された。警備部隊が応戦したが、たった一体の敵に全く太刀打ち出来無かったよ』
「それで?」
『いきなり現れた敵はあっという間にドックと船を破壊すると、かき消すように消えてしまった。あれはどう見てもこっち側の敵じゃない』
「どんな奴でしたか?」
『軍で開発中の強化外骨格に似ていたが、有人かどうかはわからない。君なら知ってるんじゃないか? 画像を送る』
 間島がスピーカーから聞こえてくる、スミスと名乗る男の説明を聞きながら窓際に立ち、送られる画像を待ちながら何気なく街の夜景を眺めたその時、窓の外の街の灯の群の一部が滲むようにぼやけ、微かな赤い光が見えたかと思うと、窓のガラス面から唐突に銃口が突き出された。
「!」
 ガラス面の銃口から瞬く閃光と共に放たれた光弾が、とっさに身をかわす間島をかすめると壁のテンペラ画を引き裂き、退く彼の後を追う形でキャビネットとその上の花瓶が砕かれた。
「ああ、大変申し訳ありませんが、こちらも急な来客なので失礼します。詳しい話は後ほど」
 間島は片手で槍を思わせる形の武器、テールを虚空から取り出しざまに飛来する光弾を弾きながら、電話の向こうに穏やかに応え、そのままテールをガラス面を滑るように移動する銃口に振り向け光弾を放った。
 窓ガラスが粉砕されたその一瞬、その空間に人の形の輪郭が現れて消えた。
「誰だ、出てこい!」
 間島が叫びながら二撃目を放とうとした瞬間、窓の外の空間に突如として誘導弾が現れ、彼に向けて突進した。
 目が眩む閃光に続く、衝撃波と爆散する破片で近隣のビルの窓ガラスを道連れにして、間島のオフィスが破壊された。
「何処に潜んでいる?」
 誘導弾が姿を表して着弾するまでのほんの一瞬で、鈍い輝きを放つ別の姿へと変わった間島は、爆炎に包まれたビルから夜空に飛び出すとテールの形を変え、真上に掲げて引き金を引いた。
 テールの尖端が瞬き、衝撃波が空間を歪ませながら泡のように広がり、隣のビルの屋上に燻り出される形で、襲撃者の輪郭が滲むように浮かび上がった。
「そこか!」
 振り下ろした間島のテールから光弾が発射されるのと同時に、敵も彼に向けて光弾を放った。林立するビルの狭間で双方の光弾が衝突し、火炎の波紋が広がって眼下の街並みを眩く照らした。
 その一瞬の隙に乗じて襲撃者の輪郭が、ビルの影を逃走してゆくのを間島が捉えた。
「次元の狭間ごと焼いてやる」間島はテールを構え、一際大きな火球を放った。
 火球はテールから離れた途端に姿を消すと空間上に奇妙な歪みを作りながらでたらめな軌跡を描いてビルの陰を移動する人型の輪郭へ飛んだ。
 ビルの壁面に、閃光を瞬かせて泡のように盛り上がった歪みが炎を上げて弾け、中から甲冑に身を包んだゴリラを想像させる、間島の数倍の大きさの人型の物体が吐出された。それは歩道に降り立ち、携えていた大口径のガトリング砲を思わせる武器を構え、その砲口を間島に向けた。
 しかし、次の瞬間には、間髪入れぬ間島の一撃が敵の砲を腕ごと粉砕した。巨大な甲冑の顔の部分が跳ね上がるように開いて銀髪の男の顔が現れ、その二つの眼が間島を見据えた。
「第四層の威力偵察か」
 人工脳の囁きから、敵の自爆装置が作動した事を知った間島は舌打ちをした。敵の体内に埋め込まれた自決爆弾が爆発すれば、眼下に映る高層ビル群の半分を破壊するだろう。それを避けようと、爆発する前に敵そのものを消滅させようにも、そのための破壊力は、この都市自体にに甚大な被害をもたらす事になる。
 どちらにせよ街が破壊されることに変わりはない。
「いいだろう。この街の半分、貴様に破壊されるよりはましだ」
 間島は、眼下の敵に向けてテールを構え、無表情に引き金を引いた。
 しかし、間島のテールの白熱する尖端から放たれた光弾が、猛烈な速度で敵に達しようとしたその瞬間、突如として敵を庇う形で“トウコ”が回りながら現れ、光弾を回し蹴りの形で弾き返した。
 間島の頬をかすめて光弾が後方に飛び去り、上空で炸裂した。
「何をする!?」
 間島の怒声に、一瞥で応えた“トウコ”は、おもむろに偵察員を抱えて急上昇した。
「待て!」
 間島は反射的に“トウコ”に向けて連射した。無数の光弾が“トウコ”に向かって飛んでゆくが、しなやかに身をかわす彼女に一発として命中することはなかった。
 間島が歯噛みして上空の“トウコ”を追いかけようと上昇に転じたその時、“トウコ”の傍らから眩い閃光が溢れ、その一瞬の後に巨大な火球が膨れ上がって夜空と街を明るく照らし、爆発の衝撃波が、大音響と共に街を揺さぶった。
 火炎の雲から“トウコ”が、何事もなかったかのように現れ、間島の上空を横切った。
「敵の自爆から街を守って頂いた礼を言うべきでしょうか?」“トウコ”に問う間島のその口調は、いつもの慇懃なものに戻っている。
 “トウコ”は束の間その場に漂うように留まって間島を見返しただけで、すぐに速度を上げて彼の視界から消えた。

「サトミ、そこで眠ると体温の低下で免疫機能に影響が生じる」
 不意に声が聞こえ、サトミは目を開けた。
 バルコニーの手摺に、“トウコ”が腰掛け、サトミを見下ろしている。
「そんなまどろっこしい言い方しないで、普通に風邪ひくって言いなよ……ありがと」
 サトミはそう言いながら、眠そうにベンチから起き上がった。
「何処へ行ってたの?」
 サトミの問いに、“トウコ”は束の間の沈黙の後答えた。
「近くで第四層の威力偵察の動きを感知した」
 “トウコ”の言葉でサトミの眠気は一瞬で消滅した。
「近く? どこ?」
「トウキョウの中心部だ」
 サトミは一瞬、この街と首都の距離を考えた。
「そんなに近くじゃないような気がするけど、トーコの距離感は違うのよね。それで? いりょくていさつ、って何?」
「相手の脅威を計るために、実際に攻撃を加えて反応を見ることだ。単純に相手の能力を試す場合もあれば、組織全体の連携を試す事もある。以前テツコの店で遭遇した工作員よりも、重武装で脅威値は高い」
「それで、どうなったの?」
「前回と同じだ。退路を断たれた結果、自爆した」
「そう」
 サトミは頷いた後、眉をひそめた。
「なんだかモヤモヤするなあ」
「モヤモヤとは?」
 “トウコ”の問いに、サトミは立ち上がり、バルコニーの手摺に寄りかかって夜景を眺めた。
「ほら私達、第四層に行ったでしょ? 実際に行くまでは、って言うか、テツコさんの所で第四層の工作員が出て来て自爆した時は、第四層ってとんでもない悪い奴らの国に思えてたんだけど、いざ第四層に行くと、みんないい人じゃん? そりゃあ悪い人もいたけど、基本、私達と変わらないって思って、それで今、その人達の一人が自爆したなんて話を聞くと、他に手はなかったのかな? ってつい思ったのよ」
「その点はトーコも同じだな」
 “トウコ”の言葉に、サトミは彼女の横顔を見上げた。
「どうかしたの?」
「トーコは相手の価値観を理解してはいても、結果を自分の価値観で測ってしまう事で、後悔したり、時にはひどく傷ついてしまうことがある。そんな必要はないのだがな」
「もしかしてトーコの事、心配してるの?」
「他の者と融合した時には生じなかった新鮮な感覚だ」
 サトミの問いに、“トウコ”はそう答えて微笑み返すと、手摺を蹴ってトーコの家へと飛び去った。



  タチヨミ版はここまでとなります。


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2014年7月6日 発行 初版

著  者:見星昌嶺
発  行:skyflyorca出版

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