spine
jacket

スコットランド北部にあるコミュニティ、フィンドホーン・ファウンデーションで過ごした3ヶ月の葛藤の記憶を綴ったものです。天使や精霊の魔法が息づいているその場所から、私のサバティカル・イヤーが始まりました。

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O n e' s D i a r y
Findhorn '98

Ryoko Yoshizawa
Journey on



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なぜ私はそこへ行こうとしたのか

 二十歳の頃、私は花屋で働いていた。数年続けて来た身体を酷使して帰って眠るだけの毎日を−−いつになったら抜け出せるのだろうかと途方に暮れる日々だった。
 世の中は浮き足立って花も大量に消費されるようになり、駅ビルのテナント店では仕入が間に合わない程花束が売れる日もあった。それでもその仕事を続けられたのはそれが花を扱う仕事だったからだ。
 花たちの健気な姿と記憶を呼び起こす香り、秘められた自然の神秘に毎日癒されてきたのだ。お祝いの花、部屋に飾る花、慰めの花、そして故人に捧げる花。
 まるで匂いに誘われるように、さまざまな人が訪れては花を買い求めるのを見てきた。そして心を深く病んだ人もまた、吸い寄せられるようにここへ来て、店先に立ち寄っては花と会話をしていくのだった。

 心身が疲れ果てて一度は離れたものの、悩んだ末に再び花屋で働くようになったのは、少なくとも街で暮らすには花屋という職業が私にとって適職なのだと思えたからだ。
以前より恵まれた環境に移り、ブライダルやパーティーの装飾も覚え、生活も安定して来て好きな事を楽しむ余裕も出て来た。
 けれども、気づくと多く携わったハレの日の仕事に喜びを感じられなくなっていた。自分を飾る為にドレスに生花を付けたいという要望や、テーブルに飾る花はこの花でなければ嫌だというこだわりのようなものに抵抗を感じずにいられなくなってしまったのだ。デザインを求めるほど排他的になり、自然の姿を意のままにしようと花首だけを残して切ったり、ワイヤーを絡めたり、球体や幾何学のかたちを埋める材料として花が扱われてゆく。
 長く勤めるうちに私自身が変わったのだけれど、だんだんと好きな花、あるいは嫌いな花という拘りが無くなっていった。それ自体は良いことだったが、そういう気持ちもまた、花をデザインするということを苦痛に感じるようにさせたのだった。

 今になって思えば、花をデザインすることにポジティブに携わることができなくなった一番の原因は、片道2時間ー都内への電車通勤を続けた6年間の内に私の精神が少しずつ蝕まれていったからだろうと思う。
 立っているのがやっとの車内。週刊誌の吊り広告の見出し、中年男性のひろげるスポーツ新聞の卑猥な記事。店は片側3車線の幹線道路に面していた。信号が青に変わると一斉に排気ガスを吹き出して車が発車する。そんな場所で、店前に並べられた花鉢はすぐに花を咲かせることができなくなってしまう。そこに暮らす人々もまた、ほとんどと言って良い程酷いスギ花粉症に悩まされていた。そして3坪程の店舗の中で働き続けることは、どんなに良い人であったとしても、風通しという意味において人間関係が悪くなってゆく。
 すべてがそこで働いている限り避けられないストレスであり、6年の間に音も無く積もっていったのだった。

 そんな花屋での毎日の中、親しい友人が病で亡くなった。
それ以来"なぜ人は病気になるのか"、"どうして彼女は死ななければならなかったのか"ということを問い続ける日々が続いていた。
 手当たり次第に本を読み、答えを探していた日々を経てひとつだけわかったことは、毎日を生きるということが決して "あたりまえ" なのではなく、奇跡のようなつながりの上になりたっている"有り難い"ことなのだということだった。
 私は生かされている−−ならば、"私がするべきことも与えられているのではないだろうか?" そう問うようになっていった。

 "人の慰め"になることがしたい。
"言葉" で友人の両親を慰めることができなかった私は、そう思うようになっていた。
 そう望むと私を試すように次々にいろんな事が起き、感情や精神の未熟さを突き付けられた。理想を追うほどたくさんのものが自分には欠けていることに気づくのだった。そしてだんだんその "欠け" は無視することが出来ない大きな穴であると自覚するまでになっていた。
 そんな時にアイリーン・キャディの本に出会ったのだ。
 私の望むものを彼女は知っているようだった。そして彼女の住む所には大きな魔法が働いていた。
 私はその魔法の訳が知りたくて、そしてもうひとつの疑問であった "私はどこからやってきたのか?"その問いの答えを知る為に、そこへ行こうと決心したのだった。

 それからというもの、家庭教師として雇ってくれたご家族のサポートもあり貯金を始め、家族で住んでいた部屋を引き払わねばならないこともクリアできた。
 フィンドホーンへ手紙を書き、Experience WeekとTouch the Earthという3ヶ月のプログラムに申し込んだ。
 最後には仕事でも私の代わりにもっと店の助けになりそうな人が現れ、すべてがほぼ同時に進行する中で私の気持ちも確信に変わって行った。
 決心してから1年半ののち、とうとう私は日本を出発した。

Findhorn Foundation (フィンドホーン・ファウンデーション)とは
スコットランド北部にあるキャラバンパークから始まったコミュニティです。
そこにコミュニティの創始者であるアイリーン、ピーター、ドロシーの三人が住んでいました。
あたりは刺だらけの植物gorse(ハリエニシダ)の生える砂地でしたが、植物の精霊や風景の天使とともに畑を作ると巨大な野菜がとれるようになったのです。
やがて人を引き付ける為の"巨大野菜"はとれなくなったけれど、コミュニティは年々大きくなり、今では世界中から人が集まる精神世界のエデュケーション・センターとしてそこにあり続けています。

*この日記は1998年当時のものです。
本文中の*コメントは今回編集時に書き足した補足となります。
また、かなりの年月が経っており写真の許諾をとることができないため、人物写真は極力省いています。
文中に出てくる書籍や情報は巻末にまとめました。

1998年4月

 羽田を発ってから6時間、タイで一度給油のために機を降りて、再び搭乗してからまた眠りに落ちた。
 目覚めるといったいどのくらい時間が過ぎて、今どこを飛んでいるのかさっぱりわからなかった。まだ機内のほとんどの人は眠っていた。窓のカバーを開けてみると、雪をかぶった山脈の上を飛んでいた。空はうっすらとあかく明けはじめている。やむことの無いエンジン音が暗い機内に振動していたけれど、窓の外は高度数千メートルの光景、ただただ無音の天上世界が広がっていた。

 南回りでイギリスを目指し21時間、文字通り "時空を越える旅" も終りに近付いた。乗り物で長距離を移動するとき、ふと違和感を覚えることがある。果たして私は物理的に空間を移動しているだけなのだろうか、と。
 オランダのスキポール空港に到着したが、乗り換えに50分しか時間が無い。しかし荷物を一度ピックアップして、チェックインし直さなければならないことに気づき焦る。 而して、スキポール空港は想像以上に広かった。予定していた便には到底間に合わずキャンセル待ちで次の便に乗り、スコットランドはアバディーン空港へと向かった。

スキポール空港へもうすぐ着陸

Aberdeen アバディーン

 空港に降り立つと外国人は数えるほどしかいなかった。
イミグレーションで往復のチケットや預金証明、コースの許可証を出して待つ。
どのくらい滞在したいのかと尋ねられ、3ヵ月のコースの後に旅行する予定だから、帰りのチケットの日付までビザが欲しいと申し出た。ポンとビザのハンコは押され入国。
 さて、今夜の宿はどうしたものか。
 空港のインフォメーションで紹介してもらうと B&B ベッド&ブレックファスト にタクシーで向かった。この街に2泊する予定だ。まだまだ真冬といってもいい気温で、曇り空の厚い雲の下、石畳に石造りの街並は灰一色だった。
 到着して荷物を置くと、あてもなく街をぶらぶらした。図書館、ショッピングセンター、スーパー。
 B&Bは仕事で来ている工事関係者やビジネスマンで満室だったのだが、 女性だというのでお嫁に行った娘さんの部屋を急遽使わせてもらえることになり宿泊できたのだった。
 家は日本と変わらずこじんまりとしていた。毛足の長い絨毯敷の部屋に、洗面所とカプセル式?シャワーブースがあった。小さな給湯器からはちょろちょろとお湯が出る。そしてトイレの水はうまく流れず、しかもなかなか溜らないので困った。

 朝は朝食室でいただく。テーブルには花柄のクロス、白いお皿とフォークにナイフ、ナプキンが用意されている。ホストの奥さんは話好きで、前に来た日本人の話などしてくれる。見せてくれたゲストブックにはこれまでに泊まった人のコメントがたくさん書かれていた。
 今日は明日の目的地フォレスまでのバス便を確認すると、港の方へ歩いた。橋を渡った先に小さなカフェを見つけたのでひと休み、ソーセージロールを食べた。
 夜は小さなゲスト用のキッチンで居合わせた見知らぬおじさんと一緒にご飯を食べた。この時洗剤で洗った食器を水切りするとそのまま濯がずふきんで拭いてしまうということを目にして驚いた。

 出発の朝、タクシーが来るまでお茶でも飲みなさいと言ってホストのご夫婦が奥の居間に通してくれた。
 ソファに腰掛け犬とくつろいでいたご主人が、アバディーンはスコットランドの中でも寒い所なのだよと教えてくれた。
 これからどこに行くのかと訊かれたので、おそるおそるフィンドホーンに行くのだと答えると、「そのコミュニティのことは聞いたことあるわ」と驚くふうでもなく二人は答えた。そして「また帰りにお寄りなさい」と言ってくれた。

Forres フォレスへ

 バスに乗り移動する。フィンドホーン・ファウンデーション、キャラバンパークの位置するフィンドホーン村と Experience Week 体験習慣で過ごす Cluny Hill クルーニーヒル への入口となる街。
 大きな観光バスに乗り込んだが、車中は気のせいか冷えて来た。そのうち温かくなるだろうと思いつつ震えていたのだが、空気口から出てくる風はやはり冷たい。窓の外には雪までちらついて来た。
 すると客の一人が運転手に何か告げて席に戻るとやっと温風がでてきたのだった。まちがえて送風か冷房になっていたらしい。
 バスはいくつかの小さな街の 目抜き通りhigh street を通ってゆく。雪の降る中、石造りの小さなお店や教会が並んでいるその様は、中世に迷い込んだみたいだった。

 Forres フォレス もまた、石造りの建物が並ぶこぢんまりとした街だった。スーツケースをゴロゴロひきずってツーリストインフォメーションのドアを開ける。案内の女性は慌ただしく次々訪れる旅行客や電話の応対をしていた。順番を待って宿の希望を伝え探して予約してもらえるように頼むと、折しもイースターの週末、B&Bはどこも予約でいっぱい。荷物を預けてカフェで休むことにした。
 戻ると彼女の願かけ(指を組むサイン)通り宿は見つかった。

 窓からは通りを挟んだ目の前に大きな公園が見える。芝生は青いけれど、木々はまだ裸のまま眠っている。
 今日もインフォメーションへ。近くにある醸造所とBrodie Castle ブローディ城を教えてもらい、観光した。

 翌朝ダイニングで一緒になった女性もまた、フィンドホーン・ファウンデーションへ行くのだとホストに紹介された。彼女は国連の職員で、仕事でフィンドホーンとかかわるため滞在するのだそう。
 タクシーで行くから一緒にと誘われたけれど、お言葉に甘えて荷物だけをお願いして、私は公園を抜けながら歩いてクルーニーヒルを目指すことにした。

Experience Week 体験週間

 世界中から様々な理由でここへやって来た人々が、グループで一週間を過ごす。言わば一週間の運命共同体である。
 グループとして最初のセッションは Angel Meditation エンジェル・メディテーションだった。この一週間、グループ全体を、そして自分を見守り導いてくれるエンジェルを呼ぶ儀式のようなもの。
 部屋の中央には花で飾られたキャンドルに火が灯され、私たちは円になり、インスピレーションに導かれて小さなエンジェルと言葉の描かれたカードを一枚引く。
 私が引いたエンジェルは "Spontanety自発性" だった。初め耳にしたその単語、説明を聞いても意味をなんとなくわかったようなわからないような、心許ないスタートを切ったのだった。
 そして自己紹介をしたのだが、私は亡くした友人のことを話すと堰を切ったように涙があふれてしまった。5年近く経っていたが、まるで昨日のことのように反応してしまい、自分でも訳が分からずに泣き続け、周りを困らせてしまった。

 朝のTaizeテーゼ(テゼ共同体で歌われている賛美歌や聖歌で多くはラテン語のようだ)を歌い、そしてサンクチュアリでの瞑想から一日は始まる。
 一週間の時間割表を手に、sycamore西洋カジカエデ、beechブナなど木の名前のついた部屋を移動してはグループワークショップをしたり、デパートメントでの仕事(奉仕)に参加して過ごした。

 雪の中森へ、荒波のたつフィンドホーンの浜辺にも足を延ばした。
 そして時差ボケもなおらず夜のワークは睡魔との戦い、日記を書く余裕もない内に Experience Week は終ってしまった。
 最後に、フォーカライザーが皆に聴かせてくれた歌−− Experience Weekでの体験が歌われたその曲は、私たちがまさにこの一週間に体験したことそのままだったので、おかしくてみんなで笑いあった。

 私が参加したのは英語での体験週間だったけれど、もう一人日本人の男性がいた。そして同じ週に寺山さん率いる日本からのグループも滞在されていて、時折ご一緒させていただいた。とても心強かったのを覚えている。

 ある日パークからの移動中、白バスで寺山さんと乗り合わせた。その時、「吉沢さんはどうしてそんなに英語が通じるのかな?」というようなことを尋ねられた。
 私自身乏しい英語の理解力に途方にくれていたので、なぜそう言われるのか不思議に思いながら−−以前語学サークルに参加していたから、あるいは英語のテープやラジオを毎日聴いていたからでは?と答えたけれど、彼は首を横に振るだけだった。
「他に理由があるのだよ」と無言で静かに笑っていらした。

Friday Dinner

 金曜日は1週間のコースやワークショップが終る日。
 いつもはブッフェ式の食事もこの日はナイフやフォークはセットされ、料理もサーブされる。
 アルコールも解禁。週に1度、魚か肉料理(どちらか選べる)が出される日でもある。もちろん"Vegan"や"Nondairy"の人の為の料理もあるので御安心を。
 皆が晴れやかな顔で、ドレスアップしてディナーを楽しむ人も。

 土曜日、皆それぞれの場所へと帰って行く。ハグして別れを惜しむ。
いつもは静かなクルーニーも、エントランスは去る人、新しくやって来た人とその荷物で溢れせわしない。
 私も荷物をまとめ、パークへ移動する。これから3ヵ月間をそこで過ごすのだ。
 数日前、私はこれから参加するプログラム "Touch The Earth" のフォーカライザーとインタビューを済ませていた。
 その時フォーカライザーの一人であるクライフは、「ガーデンの花達がポンポンと開いて歓迎している。あなたが来るのを待っていたよ」というメッセージを受け取り、「緑の山と谷が続く風景がみえる。それは---あなたの旅はまだまだ続く長いものであるように思える」とクリスティーナは教えてくれた。
 私は瞼の裏に何か浮かばないかと集中したけれど、何も見聞きはしなかった。

clunyのダイニング

Beehive 蜜蜂の巣

 そう名付けられたキャラバンが私の宿となった。ルームメイトはキンバリー(アメリカはコロラド・ボルダーからやって来た)。
 そして同じくボルダーから来たマリーナ、イギリス出身で南アフリカ在住のレイチェル、カナダから来たマージョリー、イギリス南部に住んでいるヘレンの6人が Touch The Earth のメンバー。

 一 日のスケジュールはこんな感じ...
瞑想 - Taize singing - 朝食 - class(tea)class
   - 瞑想 - 昼食 - class(tea)class - 瞑想 - 夕食
 瞑想やテーゼは自由参加。夕食後はフリー。
 一年を通して夜や週末にはレクチャーやワークショップ、ダンス、ギャザリングが開かれている。そして新月と満月には瞑想 がある。
 バスで移動する人はメッセージボードにサインシートがあるので、前もってサインしておくのを忘れずに。クルーニーヒルとパーク、二つの場所をバスで行き来する。
 「Bus to the park!」 そう聞こえたら乗り遅れないように。

1998年当時の
The Parkの地図

1st Week

 これからの三ヵ月のために引いたエンジェルは "Freedom" グループのカードは "Truth" だった。
20 Apr.
 目的を意識するために、5つの問いかけにそれぞれ短い瞑想をし、見えたものを絵に描く。
Where am I coming?
 露草 tears, pain, seeking... 露草は亡くなった友と結び付いている)
Where am I now?
 光の糸でできた繭玉  Whole
Where am I going?
 雲上の朝焼け calm, moment, quiet, fly, flow
What do I need to fulfill my potential?
 木、人、大地、空、花、空気 link, connection すべてはつながっている
What could block way?
ネガティブな妄想、busy, occupied...

21 Apr.
 数人の輪の中で目を閉じて、文字通り"身を任せる"というワーク。
"もっと全体重をかけてよりかかっても大丈夫" と声をかけられたが、私にはできなかった。
 それは私が"人を信頼していない"ということ。気づいたら悲しくなり、クルーニーの図書室で泣いた。

Findhorn Bay

Tea with Eileen

 Eileenはオリジナル・ガーデンにほど近い小さな家に住んでいたが、普段見かけることはほとんど無かった。
 ポストオフィスの中にアイリーン宛の私書箱のようなものがあり、手紙を書いてそこに投函すれば読んでもらえることは知っていた。
 
 会って話をすることができるとは思っていなかったが、この日はクリスティーナがお茶の時間をオーガナイズしてくれていた。
 
 彼女は杖をつき、付き添人に手を支えられ、ゆっくりと歩いて来た。
 ひとりひとり、自己紹介しながら彼女と言葉を交わした。
 私は日本から来たこと、亡くした友がここへ私を導いたことを話すと、
 「あなたはとても勇敢ね。こんな遠くへひとりでやってくるなんて。」
 「あなたの友達はこの世での使命を終えたのよ。だから次の世界へ旅立ったの。悪いことじゃないのよ。」
 そう言ってハグしてくれた。

Ritual and Celebration

24 Apr.
 フィンドホーンのコミュニティには世界各国さまざまなバックグラウンドを持った人々がやって来るので、宗教に限らずいろんなものを信仰したり--持ち込むことになる。

 今日は Ritual and Celebration 、ネイティブ・アメリカンの儀式をした。
 真っ暗な地下サンクチュアリへ四つん這いになって入る。
 中では薬草を焚き、何も見えない中ディジリドゥの音と呪文のようなものを聞く。そして胎内である地中から梯子を登り、天井の穴から地上に生まれ出る。

 そしてそのまま名前を探す旅に出る。自然の中を歩いて自分の名前に出会うのだ。
 私はあざみの株を見つけた。まだ寒いのでタンポポのようにひろげた葉は地面に貼りついている。これから茎が延びて、ここでの3ヵ月が終る頃には花を咲かせるはずだ。
 あざみはスコットランドの象徴でもある。"Thistles" という。
 希望をこめて私はその名をもらうことにした。

Cullern Garden 妖精が笛の音にのって春を告げる
せがまれてこの木のまわりで "さくら" を歌った

The Game of Transformation
トランスフォーメーション・ゲーム

 とうとうゲームをする日が来てしまった。
 説明を受けた時点で、一日かけてのゲームに参加するのは私の英語力では無理だろうと容易に想像できた。だからこの時ばかりは参加したくないと意思表示したのだけれど、クライフは説得にやってきて、結局逃げることは出来なかった。

 ゲームをはじめる前に、目的・意図を決めて紙に書き、自分の席の正面の壁に貼り、ゲーム中も目に入るようにしなければならない。これがとても大事だと言う。
 purpose : I intend to discover the course of my pain and how to heal it.
 dedication : I intend to give my openess. (ゲームをするにあたってわたしが差し出そうとするもの)
 ゲームは地上に生まれ出るところから始まり、 physical - emotional - mental - spiritual 4つのレベルを生きてゆく。数日をかけてじっくりゲームするものなのだが、今回は1日限りで行けるところまで。
 双六のようなのボードゲームと同じしくみで、止まったマスに書いてある指示に従ってカードを引き、カードの内容について感じることがあったらそれについて話してゆく。他の参加者も受け取ったメッセージを伝えるなどして理解を助けることになる。

 ゲーム中に私が引いたカードは次の通り。
Gurdian Angel : Creativity, Surrender, Synchronicity
Angel card : Adventure, Integrity
Awareness : Suppleness, Excercise, Nature, Resilience
Set back : You feel a need to be always proving yourself to others at the expence of takinng time to really listen and communicate.
Selfishness, Protection, Attachment
Last card : Insight - Personality is radiant with openess.

 こういったカードにかかれている言葉の意味一つ一つを、レイチェルとマージョリーがわかるように助けてくれた。
 ゲーム中のシェアで、私の第4から上のチャクラが開いたと告げられた。それまでずっと詰まっていたのだろうか、、、
 普段のシェアリングで話すことの無かった深い部分もゲーム中では露わにしなければならず、それは時につらい作業でもある。引いたカードたちはどれも共時性を示し、私自身に問いかける。
 私には見えないけれど、そこには本当に天使がいてこの変容のプロセスを助けているとわかるだろう。
 遅々として進まないゲームだった。それもまた人生の縮図であったけれど、私は大きく助けられ、この時たてた目的が3ヵ月間の滞在の道標になった。
 体験出来たこと、させてくれた皆にとても感謝している。

広場にメイ・ポールを立てて
私が写っている写真のほとんどはヘレンが撮ってくれたもの。彼女は写真が好きでいつもカメラを手放さなかった。

The Park に住む人々

 ある日、ヘレンの友人ブリッタの家を皆で訪ねると言うので一緒について行った。
 彼女は Barrel House ウィスキー醸造の大きな樽を再利用したエコハウスの一つに住んでいた。当時パークの外れに数棟のバレルハウスが建っていた。ビーチへ行くにはこの家の間の小道を抜けてゆくのが近道だった。

 ブリッタはフラワーエッセンスのオフィスで週に3日程働いているのだそうだ。かつて彼女が大病を煩った時に勧められたのがフラワーエッセンスだったと言う。以来10年以上エッセンスを摂っているのだそうだ。
 話題が Perelandra Rose Essences のことになり、「試して見れば?」と勧められ、各自選んで見ることに。
 彼女はいつも、必要なエッセンス、そして量をペンデュラムを使って決めていた。ブリッタはペンデュラムを使う事は誰にでも出来ることだと言う。
 あまり気楽に言うので、試してみることにした。
 ブリッタの言うとおり、糸を摘んで真鍮の振り子を真妙な面持ちで垂らす。心の中で"Yes"と唱える。おもりがかすかに揺れている。
「日本語で言ってみて」というので「はい」と唱えると揺れが大きくなった。練習すればもっとはっきり容易に動くようになるという。

 その後、浜で拾った小さな巻貝に穴を開け、糸を通して振り子を作った。私はそのペンデュラムがいたく気に入り、それ以来いろんなことを尋ねては練習するようになった。

近くの農場の子山羊たち。ここでは山羊のぐあいが悪いとフラワー・エッセンスを与えるのだと聞いた。

Permaculture パーマカルチャー

 パーマカルチャー、それは色んな要素を含んでいるのだけれど、共生と循環を目指す創造的な農法、と言ったら良いだろうか。
 私は土地や庭を持たず実践するには至らなかったけれど、それはただの農法ではなく、有機的に自分の "環境" をデザインするという希望があると思っていた。

 この頃、カラーン・ガーデンでも一部の畑でこの方法を実践していた。畑ではダリアを植える為のベッドのマルチングを手伝ったりした。
 ある日この方法を自分の家の庭に取り入れ実験を始めて間もないクレイグを訪ねた。
収穫のすべてを採りきらず残すこと、木製のパレットを自然に朽ちるのを待つこと、たまねぎを植え、マルチング、手で除草、ダッチホーで除草した畝を比較してみることなど実践していることをシェアしてくれた。

 最後にハーブとサラダ野菜の小さなガーデンを作るためのマルチングを施し種を蒔いた。


牡牛座の満月

 ユニバーサル・ホールではパーク中の人々が集っての Wesak Festival があった。
 チベット仏教のマントラのを唱える。
 会場中のマントラがひとつの節にのって気が遠くなるほど繰り返され、共鳴、そして反響し、高揚を覚えた。
 その中を順にホールの中央へと進み、彼の地で巡礼者がするのと同じように五体投地で祈りを三度捧げた。

Gorseの花が咲く人の手の入っていない砂地

 クルーニーで朝食をとっていた時、向かいに座った男性が話してくれた。
「僕がここへ来た時、あたりはゴースの花の匂いで満たされていたんだ。ココナッツのような香りがして夢のようだった。今は気温が低いから匂っていないけれど、暖かくなればそうなるよ。そのことがとても印象に残っているんだ」
 その頃私は、普段もスピリチュアルなことを話さねばならないのではと萎縮していたのだけど、そんな風に普通に話せば良いのかと、少し気が楽になったのを覚えている。
 おぼろげな記憶ながら、今思えばそれも助け舟だったのだろう。

Flower Essences フラワー・エッセンス

 以前からバッチ・フラワー・レメディを使っていたのだが、ここフィンドホーンでもフラワー・エッセンスを作っていることをブローシャーで知った。
この時期、世界中で一斉に花開くように、各地で様々なエッセンスが作られ始めていたのだ。
滞在中に触れる機会があるといいなと淡い期待を持っていた。
Touch the Earth のプログラムの中でフラワー・エッセンスについて学べるとは来るまで明かされていなかったから、知った時はとても嬉しかった。
 ここに来ると決めたときから、私の意志、意図以上の何かが働いていることを私は学んでいた。
 
12th May. Apple
 アップル のフラワー・エッセンスを作った。
 その幹を見るとわかるように、過去とのつながりを意味するという。
 Beauty, Love, Freshnessなど、どの花にも共通するクオリティ以外の、その花にしか無い特別のクオリティをメッセージとして受け取るのだという。

 いろんなセッションで必ずといっていい程ある、"短い瞑想でメッセージやイメージを受け取る"感覚を、私はここへ来てようやく感じるようになった。見よう見まねで心や頭に浮かんだこと、なんとなくそう思う、といったことを言ったり書いたりしていた。

個性的な枝振りが、私はこの地に根ざしたScotsよ!と言っている気がした

 これから作るエッセンスにする花を選ぶ時、私には丹光の中に5枚の花弁の花のシルエットが浮かんだ。梅か桜か...桜に固執しているようだ、とやりすごして、ガーデンで見かけ気になった珍しい花の名を言ったのだが、アップルを作ることになった。
 そう、リンゴも5枚花弁だった。
 木のそばに座り絵を描いている間、花とは対象的に古木を思わせる幹や枝に惹かれていた。
 言葉以前、イメージ以前のおぼろげなその "感触" を信じて汲む練習が必要なのかもしれないと思った。

木の近くに置き、太陽の光で花の波動を水にうつします

 Project day、マリーナ、ヘレン、そして私はプロジェクトにフラワー・エッセンスを選んだ。
 フィンドホーン・フラワー・エッセンスのオフィスはパークの入口近くにあり、その昔、アイリーンが瞑想をしていた公衆トイレがあった場所だった。
 普段は小さなオフィスでエッセンスのボトル詰めや、発送の手伝いをした。ボトル詰めの作業はとても楽しかった。
 スポイトの先から水滴が落ちるたび、ピン ピン と響く音に耳を澄ませて静かに作業に集中する。

 14th May.
 今日は特別に、マリオンがあるガーデンに連れて言ってくれるという。
 大きなお屋敷の手入れの行き届いた屈指のガーデンが、年に一度、一番美しい時に公開される。今週末には一般に公開されるという素晴らしいタイミングのそのガーデンへ。

 10メートルはあろうかというシャクナゲの大木が鬱蒼としげる中、花を見上げて歩く。シャクナゲはネパールの国花だそうだ。スリランカあたりにも生息すると言う。きっと海を渡りイギリスへ持ち帰られ、園芸種となっていったたものなのだろう。日本の高山に咲くものとは雰囲気がまるで違う。
 どこまでも続くゆるやかな丘に畑、いつも見ている風景からは隔絶された秘密の森の中。
 
 日本風の庭園のように整えられた池のほとりへ。
 太陽の光に水面はきらめき、風が吹き抜ける。木の橋に腰かけてピクニック・ランチ。
 
 このお屋敷には Goddess stone ゴッデス・ストーンと呼ばれる3柱の石があった。カーヴィングを施されたスタンディング・ストーンだった。
 この石にはいったいどんな意味があったのだろうか。

水色は深く、森の写し鏡となっていた

Group Time

15th May
 グループにについてどう感じているか、というディスカッションの時間。
 話題は私がグループにとって特別な存在だということ。そのことが、一番にとりあげるべきことだという。

 どう思うかと聞かれても、私には答えようが無かった。
 言葉が不自由なことに対するコンプレックスと孤独、それに苛立ち、、、それらのことに毎日顔を突き合わせることで手いっぱいで、その場にそのまま居ることだけに意味を見出そうとしていた。
 そう思った途端こみ上げてきた感情は、言葉になるのを待ってなどいられず、勢いあまって涙を押しだしてしまった。ディスカッションはいかに皆で私をサポートするかということに終始して、その状況に反発のようなものを感じていた。

 後になってみれば、それはポジティブな提案だったのかもしれない。けれども正直に言うと、自分の中の葛藤は自分で解決するものだと思っていたし、そのように言われるまでグループにとっての問題だとは思っていなかったのだ。
 そのことに落ち込みはしたけれど、いつも皆のサポートを感じていたし、フラワーエッセンスはこの時も私を助けてくれた。

Visit to Erraid エレイド島を訪ねて

 マージョリーとヘレンのキャラバンでお茶をご馳走になりながら、エレイド島滞在に向けてエンジェル・カードを引いた。
"enthusiasm" 天使がビーチで遊ぶ様子が描かれている。
 自分の部屋に戻ってエッセンスを選んでみた。
Daisy "I am calm and centered and feel safe in my world"
    私は穏やかに心の中心にいます。そして世界の中で安全だと感じています。

 Erraidまでの道のりは遠く、お尻が痛くなるほど長い距離白バスに乗って、最後はMull島からボートで島に着いた。

 コミュニティは思ったよりこじんまりと小さかった。目の前に畑と、羊を飼う囲いがある。
 島全体が湿原で、岩とヒースの丘が連なっている。

Hanging Rock

 フリーの夕方、クライフに誘われるまま Seal Bay へ。湿地の中の道無き道を、長靴でずんずんと進んで行った。すると野兎が驚いてすごい速さで駈け逃げてゆく。

 遠くの岩場近くに何頭ものあざらしが海面から頭だけ出して浮いている。
「見ている筈のこちらの方が見られているようで可笑しいんだ」とクライフは笑った。
 その後別れてひとり丘の向こうを目指す。時折り羊のつけた道をたどりながら。丘の上からは白い砂の浜が見えた。今度はそこをめざして歩く。思うままに歩いた。

これがErraidスタイル。島を歩くときは長靴で。
決して砂を渡らないように、そう注意を受けた。満ち潮になったとき、戻ることができなくなるのだそうだ。

 朝、ふと瞑想中に思った。
 "英語が思うように話せない"というプレッシャー、コンプレックスは簡単に解けそうにない。
 この状態を越えなければ何も始まらない。そんな風に決めつけていたけれど、この"葛藤"が私に必要な課程なのだと気付いた。
 ごまかしの効かない、偽ることも出来ない−−思ってもいないことを口にしてしまったり、こう言ったら人はどう思うかなんて小細工が出来ないというこの状態が、"私"の姿勢を問うている。
 本当に言いたいこと、伝えたいことは、そう多くは無い筈だ。内へ目を向けてゆこう、もっと深く。

 ここに来てから特に気になっていたこと。
 冷え症がおおいに影響しているにしても、私の服の着方はまるでプロテクションのようだ。風から、日差しから、水から、土埃から身を守ろうと必至である。
 カナダのChurchillではマイナス34度の外気の中で凍る空気にも背筋を伸ばして立っていたのに...
 今は、西の海から吹いて来る少々冷たい風におびえているのはどうしてなのか。Kimが自然は鏡だと言っていた。強い風が吹くとき、自分はどう感じ、向かい会うのか。

 夜明けと日没、どうして鳥はこのとき鳴くのだろうか?
 昔から気になってはいるのだが、どうしても答えがやって来ない。とても大事なことなのに。
 夕焼けを見る為に外に出た。23時、日は沈んでも西の空は明るい。

Dualism

19th May
 エレイド島での滞在4日目、Touch the Earth のプログラムも半ばを迎え、あらゆる出来事に翻弄されていた私もようやく落ち着いて来た。
 瞑想で特別な光が見えたり特殊な体験をしているからといって、成熟した人間だという意味にはならない。どこにいても、人同士の小さなすれ違いから誤解や軋轢は生まれてしまう。
 それでも、フィンドホーンという場にいるとき、私たちは大切な人にするように、良心から流れ出る愛を表現しようとする。 "良きもの" であろうとすることは素晴らしいことだと思う。ただ、いつもそのように目覚めていることはやはり難しい。ただ、それだけのことなのだ。
 そして、同じ目的を持った人のコミュニティを一歩出た時、それはいっそう難しいものとなるだろうけど、私はその勇気を持てるだろうか。

 ここへ来る時、私はまわりのほとんどの人に本当の理由は伏せてきた。霊性についてオープンに話すことはためらわれたし、どこか日々の暮らしや人々が信じる人生を生きることに夢中になれない自分がいたからだ。
 幼い頃、ホームドラマを見ていて、"人が生きているのは一生家族や周りの人たちと諍いを起こしたりすったもんだするためでは無い筈だ" と強く思っていた。
 私は隠れた信仰を持つ者のように自分のことを感じていた。

ケルトの文様が刻まれたHigh Cross

Isle of Iona アイオナ島

 今日は日帰りでアイオナ島へ。ここは聖なる島として有名で、たくさんの巡礼者や観光客が訪れる場所だ。
 abbeyに入ると鼓動がいくらか速くなった気がする。そのまま奥へと進み、ひとつのステンドグラスの前へ。
 abbeyもまた、リトリートやプログラム、ワークショップで世界中の人々を受け入れている。カフェでは奉仕として働きながらここで過ごしている日本人の女性がいた。話すことはできなかったけれど、お互いに目で軽く挨拶をした。

 あまりにも短い滞在で、Well of North Wind やアイリーンが過ごした小屋まで足を延ばすことはできなかった。
 海岸には美しいマーブルの石。たくさんの小さな貝殻を拾った。
 そしてこの島は、St. Coumba という聖人に縁の場所なのだということを知ったのだった。

St.Columba
小さなデイジーが咲く草地に、愛らしい牛たちはくつろいでいた。

Erraidの夜

 その夜はレイチェルとゆっくり話をした。
 エレイドのコミュニティではキャンドルを作っていたのだけれど、その静かな仕事が私は気に入っていた。日本に帰ったら田舎に住んで、キャンドルやペンデュラムを作って暮らすのはどうか。
 そんな話をしていた私に、彼女は拾っておいた貝殻をくれた。そして「キャンドルを作ることは光を作ることだし、素晴らしいわ」そう言ってくれた。

 そして、ヒーラーである彼女は、「私には痛みがある。あなたにも痛みがある。けれどもその痛みを癒すことが重要なの。もしあなたがその人を信頼できなければ、"愛している"とはいえないもの」と言った。
めずらしくその夜は結婚とか、男性とのリレーションシップについて話した。

 私の不信感はいったいどこから来ているのか。
 それは私が怖れているからだ。
 ならば何が怖れの原因なのだろうか? そんなことを横になってからも自問し続けていた。

とこしえに 風に吹かれし 島に燃ゆ 
ともしびもまた 船にのせよう

Let's Cook!

 金曜の夕飯は私が作ることにした。皆がバター抜きの食事を作ってくれたお礼にデザートを作ろうと思った。
 あずきがあったので "あんまん" を作ろうとして、前の晩から豆を水につけておき、国際電話で友人の家に電話して、レシピをメモした。
 いざ作る時になって、小麦粉がパン用の強力粉しかないことがわかった。あんまんに使うのは薄力粉。なんとかなるだろうかと作り始めたけれど、思ったよりも粘りが強い。仕方無いのでテーブルに叩き付けてパン生地のようにこねてみる。

 すると、その音を聞きつけてやってきたマリーナが手伝ってくれるという。やがてふたりで奇声をあげて生地を投げはじめると、皆が何事かと集まって来た。

 一応生地を寝かせてみたけど時間も足りないし、そのままオーブンで焼くことにした。
 "あんまん"ならず "あんぱん"にしようという訳だ。その間にスープを作り、先にマシューがつくってくれていたチャイニーズ風サラダで食事が始まった。最後のあんぱんをオーブンに入れるとすっかり夕食は終っていた。
 ところが、皆スープを残していたので変に思い飲んでみると、、とっても苦かった。味見した時は確かに平気だったのに。原因は大量に入れたワイルドマッシュルームだった。時間が経つにつれ苦みが出て来たのだ。
 
 それでもちょっと堅めのアンパンは喜ばれて、帰りのおやつの分まであった。 帰る時マシューが、"あんな風に一緒に料理した人は今までいなかったよ" と笑った。
 私も本当に楽しかった。

対岸からErreidを振り返って

Get Back to Findhorn さあ、帰ろう

 荷物をボートに載せて、私たちは長靴の指定。帰りはなんと、対岸まで歩いて渡って帰るという。そう、引き潮で海は浅瀬に変わっていたのだ。
 ここからまた長い白バスの旅が始まる、そう思うとちょっと気が重かった。

 Park で名前を探す旅に出た時 "thistle" という名をもらった。けれども、その名は "Park" という限られた場の中での私の名前。そんな風に感じていた。
 ここへ来て、新たな、でも本質に近い名前を見つけた。

 島の東端まで行ってみたい、という衝動があった。そこをめざして歩いていた。
 海の色はあまりにきれいで、底の岩が透けて見えた。そのときは、羊の警告を受けてそこから先へ行くのはやめて引き返すことにしたけれど。

 小さい頃に見た夢。見知らぬ場所への憧れ。
 遠くへいってみたい。空を飛ぶ−−飛行機にのって。
 役に立つとか立たないとか、そういうことでなく、私は旅人の魂をもって生まれた。
 一生旅を続けるのかもしれない。

"地の果てを旅する人"
 それが私の新しい名前。

この砂丘を越えた向こうに・・

Lesson

 出発前、あわててゴミをコンポストに出したり空きびんをリサイクルに出したりして、出かける前に手紙がきていないかオフィスに見に行こうかどうしようかと迷っていた。
 私はYorkに行こうとしていた。待ち合わせの時間はせまっていたけどどうしても気になって、オフィスに行った。けれども、私宛の手紙はなかった。
 そして戻ろうとした瞬間に、ジェーンに呼び止められた。
「日本からの手紙なのだけど訳してくれない」と言う。そこにはアイリーンが立っていた。

 今でなくてもいいと言われたが、1週間戻らない予定だった。私は気が動転しながらも、その場でその手紙を訳し始めた。
 その日本人からの手紙には、彼女の過去生について書かれていた。そしてアイリーンと同じように突然ガイダンスを受けるようになり、そのことを「日本語でいいから手紙を書きなさい」とガイドに言われたという。
 私は正直驚いた。どう伝えたらいいのだろうか? その手紙の内容に戸惑ったが、とにかく私にできる限りの言葉で、繰り返し彼女に伝えたのだった。

 その時、parkにいた日本人は私ひとりだった。どうしてあの時オフィスに行かなければならなかったのかを、わたしは理解した。
そして、その時 "なぜかそうしたい事" を後にまわして、"しなければならない(と思い込んでいる)こと" を先にしていた為に、本来いるべき時・場所をふいにしてしまっていたかもしれないこと−−日々起こるちいさな共時性のサインを見逃してしまうパターンとして体験したのだ。

 瞑想とはなんなのか? 私には実感がなかった。
 実は、目を閉じて静かに内観するものと仏教の修行として、そしてニューエイジの本で読んだ知識としてはわかってはいたが、日本での生活の中にその習慣は無かったし、それ以上の内なる体験をしたことはなかった。ここへ来て初めてするようになったのだ。
 徒に目を閉じてみても気持は静まらず、次ぎから次ぎへとおしゃべりのようにいろんな事が頭をよぎる。あるいは、何かを問いかけ続けた。そして毎日瞑想をしていてもその状況からあまり進展は見られなかった。
 そんなことからある瞑想のグループに参加してみることにした。インド人のマスターが率いているグループだった。
 フランソワーズというフランス人の女性が、私とともに週2回向かい合って座り、誘導してくれた。特に何をするでもなく一緒に座って静かに目を閉じて呼吸に集中するだけだったけれど、誰かがいることで、ひとりの時よりは早く落ち着くような気がした。
 ヨークへは、その瞑想グループのセミナーに誘われて行くことにしたのだった。

時間も忘れて静まるときには、いつも青紫から濃いピンクの雲のようなものがまぶたの裏に現れては消えていった。

Yorkshire Dales  ヨークシャー・デイルズ

 週末を使ったセミナーが終り、せっかくなので寄り道しながら帰ることにした。
 すこしだけスコットランドと街の雰囲気が違うのは、家が煉瓦でできているからだろうか。
 Post bus (名前の通り郵便配達の車がバスも兼ねている)に乗ってHAWSに来た。村の細い坂道に入っていったり、ポストごとに停車するので、のんびり時間がある人には良い乗物だ。

 一番近いコースを歩いてみることにした。このあたりはペナンウェイという有名なトレッキングコースの一部だった。
 歩きだしたがあいにく雲が迫っていたので、ショートカットして丘の斜面の羊のつけた道を早足で歩いた。たくさんのうさぎの穴、ケルンや鳥の巣があった。

2nd June
 あいにく雨に風となった。今日はせっかくのMarket Dayだというのに。ミニバスは遅れたけれど、予定通りの列車に乗りSettleまで来た。
 Settle セトル でも雨の中、人々は買物に来ていた。おばあさんはレインコートを着て、頭にはビニール製のスカーフを被り手にはカートを引いている。
 今日は歩くことをあきらめてSkipton スキップトン に足を延ばし、ポスト・バスでMalham マラムまでやって来た。
 雨と風は止む気配もなく、仕方無く宿を探す。Dale HouseというB&Bに泊まる。ここは御屋敷といった感じで、通された "Indian Room" と呼ばれているこの部屋がとても気にいった。
 夕食をpubでとり、その後ダイニングルームでCDなど聴かせてもらう。Nina Simonの曲だった。部屋に置いてあった DalesMan という冊子を何気なく手に取ったら、"Green Man" について書いてあった。とても興味をそそられる。

Malham Cove マラム・コーヴ

 正面に見えた円形ステージのような岩屏風がマラム・コーヴと呼ばれるところ。地図は持っていたものの、よく読まずに逆路を行った。
 登った断崖の上は石灰岩が浸食されてできた不思議な景色で、映画"嵐が丘"の舞台だった。(確かジュリエット・ビノシュ主演の)あたりは一面霧で覆われていた。
 すれ違う人も少ない。少し不安になる。

 そして−−コースを逆に辿ってしまったために、しめくくりに滝の脇の岩壁をよじ降りなければならない状況に陥ってしまった。
 来た道を引き返す決心も付かず降りられるか試してみたものの、オーバーハング気味になっていて、上からはどこに足を置いて良いのか見極めることができない。
 しばらく躊躇していたところへ、下に人がやってきた。そして真中のコースをとるようにとアドバイスしてくれながら私が降りるのを助けてくれた。
 歩く前にはやはり説明をよく読むべきだと深く反省した。

 York Minstarの案内人は誇らしげに歴史を語った。街は大きく観光客はひしめいていた。私は人混みを避けたくて、城壁の上を街を上から眺めながらぐるっと半周くらいした。気持ちが良い。

 特急列車で Edinburgh へ移動する。
 もちろん、まずは坂道の上に見える公園のような高台を目指した。大きくて歴史を感じる街だけれど、歩くには1日で十分だった。
 安ホステルでとなりのベッドだったチェリーとレストランでパスタを食べた。
 翌朝早くインバネス行きのバスに乗って、短い旅を終えた。

Inner gardening インナー・ガーデニング

 北の端のflower bedの前に私は座った。花の苗はまだ小さく、地面は湿っていた。
 チャイムの合図で目を開き、飛び込んでものをノートに書き留める。
 私が受け取ったものは−−まぶしさ、北西からの風、地面の冷たさ、日差しの熱、小鳥の言葉 − 問いかけ、そして花の色、あるがままにそこにある、いること。

 「どうして裏側のような場所を選んだのか」と訊かれた。
 ガーデンの境界−フェンスがそこにはあった。 人の居ない所、人と違う道を選んだ。
 その頃、ガーデニングという行為にもまた私はネガティブになりつつあった。
 デザインのため、人間の美意識や満足のためでなく、"植物の望む所" にもし植えることが出来たなら、そのアクションは聖なるものになりうると思っていた。
 キャンドルのまわりにタンポポが飾ってあるのを見ながら、野の花はあるがままで美しいと口にしていた。
 「あなたの内にどんな花が咲いているのか?」と訊かれると涙が溢れた。
 私は自分のことをデザインされた花だと思ったからだ。両親、文化、国、社会、慣習に。
 もっと違う色、もっと違う姿になりたかった。 望むように生きたい。そんな感情が湧いて来た。 このとき、以前に引いたカードが "freedom" だったことを思い出した。始めて意味を持ってこの言葉が響いた気がした。

 午後、畑で作業しながらスチュワートと話していたら、"なぜ私は日本を選んで生まれて来たのか" という問いが口をついて出ていた。彼は頷きながら、「それを知ることは難しいね」と言った。

Difficulties

9th June
 朝6時、意識は覚めているのに身体は起きるのを嫌がった。
 セッションは Biodynamics 農法 の話しだったが、彼の言葉を理解するのは難しかった。
 私にわかったのは、有機農法で使うコンポストはあくまでもbody levelで働いるが、バイオダイナミックで用いられる "プレパレーション" は spiritual level に働きかけるものであるということだった。

 昼はバンガローで食事をとり、キンバリーと話した。
 彼女は私のインナー・ガーデニングでのシェアを聞いていて、クリシュナ・ムルティの本を読んで見たらいいのではないかと勧めてくれた。そしてアーユルヴェーダやインドについて話したあと、スパイラルやパターンの話しになった。

 午後はなぜか作業ではなくガーデンのサイモンとグループ・シェアの時間になった。私は "アチューンメント" に参加したいと申し出てみた。
 毎日ガーデンで働いているにもかかわらず、私達はコアの部分に触れられずにいたからだ。私がここへ来た理由のひとつは、エナジーを通して、実際に人と植物が影響しあっていることを確かめたかったからなのだ。
 夕飯時、レイチェルが言った。「We have no time」
 自分の望むことをした方が良いと、私もそう思っていた。

The Great Invocation
グレイト・インヴォケーション

 Gemini fullmoon 双子座の満月 グレイト・インヴォケーションというイベントがあり、この日、世界中のこういったグループが同時に瞑想を行うのだそうだ。
 ここでは10ヵ国語でinvocationを唱えることになり、私はその祈願を日本語で読み上げた。他の言語のなかで、日本語は究めて異質な響きだった。
 オランダ語を唱えた女性が、「日本語で聞くことができてとても良かったわ」と言ってくれた。
キンバリーも褒めてくれた。私はとても穏やかな気持ちで部屋に戻った。

Ragged Robin ラギッド・ロビン

 夜中、吹き出すように蕁麻疹が出て全身がかゆくなった。こんなふうになったのは10年ぶりのことで困惑した。
 ワイルド・パンジーと白湯をとって、どうして今ごろ出たのかをじっと考えていた。けれどもなんとか薬を飲むことなく、ただ収まるのを待った。
 思えば仕事も予定もキャンセルして "身体のために休む" 為に自分の時間を使う−−そんなことは大人になってからずっとしたことがなかった。いつも仕事をする為に薬で押えたりしていたのだが、今はそうする必要はなかった。急がなくていいのだ。
 そのことが、とても気持ちを楽にしてくれた。

 11th June
 再びかゆくて目が覚めた。すこし食べる量を減らすことに決める。
 project dayでエッセンスのオフィスへ行くと、Ragged Robin のエッセンスを作ることになった。
Purity, Inner Purification,
 皆にすすめられて最後にボウルに残ったエッセンスをすべて飲み干した。マリオンはエッセンスをつくるとき、必ず必要としている人に出会うという。このときは私だったのだと思った。

 ワイルド・パンジーとラギッド・ロビン違いはなんだろうと考えた。多分、じんましんが起きたときの心も体もパニックに近い一時的な混乱のためにワイルド・パンジーは必要だったのだと思う。からだの浄化、という意味においてはラギッド・ロビンが適切だったのだろう。

 午後の作業中、マリーナが私に「コースが終ったら、ここで働いたら?」と言った。私はできるなら英語を自由に話せるようになってから(希望的観測)門をたたいてみたいと想像した。そして日本で勉強するよりイギリスで勉強する方が良いにちがいないと考えていた。

久しぶりの良い天気、午後は海へ。
"フィンドホーン海の音" をウォークマンで録音した。

Last Month

 起きる直前、夢を見ていた。巨大な原子力発電所の人々のすさんだ心。私達はこの街から出て行けと追われていた。
 目覚めると空軍の戦闘機の音が轟いていた。この音のせいで見たのだろう。
 Parkのすぐ隣はイギリス空軍の基地だった。瞑想をしている人々の上空を演習の戦闘機が飛んでいるのだった。
 特に紙飛行機みたいな型の機はすさまじい爆音だった。ジェット機の比ではない。

 午後はクルーニーに滞在していたかずみさん、ヒロ、ヒデ、ミハとForresのカフェで話をする。
 おいしそうな見かけを裏切る重度の甘さに皆閉口している。私はいつもシュークリームかスコーンしか食べないことにいていた。
 話題はグリーンマンと古事記の関係など。
 知り合ってから2ヵ月の間ほとんど話すこともなかった彼らと、その分を埋めるように話をした。

Next Sign

 午前中はe-mailをチェック。ここでの滞在終了後に行く英語学校の資料請求の手続き。
 夕方キンバリーと話していてEurythmy オイリュトミー、Steiner シュタイナーの話しになって、彼女は Emerson College のブローシャーを私に見せ、ここにも英語のコースがあると教えてくれた。

 土曜日にクルーニーで見たのと同じものだった。良く読んで見たら、オイリュトミーや他のものも体験できるようだった。
 あせって一度簡易ポストに入れた資料請求の手紙を回収して、夜中にエマーソン・カレッジへe申し込みなおした。
 すると鍵をかける当番が私を追うようにやって来て、後ろめたいことはひとつも無かったけれど、真夜中にいったい何しているのかと不審に思われたに違いないと思うと、なんだか可笑しかった。

Inverew Garden インヴァリュー・ガーデン

 クライフの企画で、みんなでバスに乗ってouting。 インヴァネスから下道を行くこと3時間半!
 インヴァリュー・ガーデン はNational Trustが管理している広大な敷地のガーデンだった。
 栽培が難しいといわれているヒマラヤの青い芥子が咲いていた。
 しかし、雑草一本ない完璧に手入れされたガーデンでも、私の心は素直に喜べなかった。毎週配達に行く度に見るのを楽しみにしていた "雑草ガーデン" 商船大学の裏手にあった空き地が恋しい。

メコノプシス・ベトニキフォリア
日本では花博の時に話題になった。気候があっているのかここでは屋外でのびのびと育っていた。

Ionna Pennywort アイオナ・ペニーワート

 今日はBrittaと一緒に働いた。
 彼女は写真、名前などのデータが無くても(その人に必要な物を)ダウジングで知ることが出来ると言った。その人を思い浮かべて、ダウジングを信頼することが大切だと言う。
 私がペンデュラムの動きがゆっくりで小さいのを相談すると、「Just breathing」と言ってフーッフーと息を吐いて見せた。そうすることでenergyが外に向かって出されるらしい。
 Brittaの話は続く。
Flower Essenceにもいくつかのレベルがあり、より高いレベルのものは "Crystal Flower Essence" なのだそうだ。

夜中エッセンスを選んでみた。明確にするために次のことを紙に書いてからダウジングした。
Angel : Freedom
Focus : Language, connect with higher self
結果はIona Pennywortだった。

 いつからか私は耳鳴りに悩まされるようになった。 そして耳鳴りから逃れられないことからフォーカスが自分の不調に常時向いていた。影にとらわれ、pesimisticで感傷的になっていた。そういえば、その朝覚えていた夢は "カトラリーで喉をブスブスと刺される" というものだったので、合点がいった。

*耳鳴り自体は小さい頃から自覚症状があった。けれども、この時始まった耳鳴りはかなりひどく、わんわん響いて耳をふさぎたくなるようなものだった。その後もずっと症状は続きいろいろ調べたり医者にかかったりしたものの、よい解決法は見つからなかった。数年前になって、耳鳴りではなく耳管開放症だとわかった。原因は英語を聞きたくないという心因的なこと、そして悪化したアレルギーによる鼻炎が引き金になったのだと思われた。今でももともとの耳鳴りはあるし完治したわけではないのだが、アレルギーを抑えていれば、耳の不調もあまり感じなくなった。そして、アレルギーそのものも、遅延性の小麦・グルテンアレルギーであったことも最近になってわかった。イギリスに行って以来、毎日小麦主食の食事だったことで悪化したのだった。それと、この時のルームメイトは小麦を消化できない体質だった。

Japanese Dinner

 朝のセッションで早速心の闇を見てしまう。
 それでも午後は気をとりなおして "Japanese Dinner の夕べ" を手伝う。
 私は肉じゃがとデザート用の餡を担当。10人以上の人が馴れない料理にキッチンの中を右往左往した。ヒデが立派なお品書きを用意した。

 食事が始まるとKimがアナウンスをしてくれて、ホールから皆の歓声が届いた。そして何人もの人がお礼を言いにキッチンにやってきた。
 食事を作る人の気持が良くわかった。普段キッチンの人に感謝の気持を伝えたことなど無かったことに気づく。

 Living in Community のメンバーが、"大きな栗の木の下で"を振りつきで歌って皆を楽しませた。なんだかじんときてしまった。
 エキサイティングなディナーが終わると、その日はスロバキアの人々がこれから発つという。
 皆で見送ることにした。
 私はもしかしたら2年前にバンクーバーで会ったPheobeを訪ねてスロバキアに行くかもしれなかった。そんな話をたまたま通訳の人に話すと、名刺をくれた。困ったことがあったら電話するようにと。

Company

20th June
 すっかり寝坊した。早起きしてBurgheadにいくつもりだった。
いい天気なのでフォレスに出ると、ミハとヒロに会った。二人はElginに行くと言う。冒険に出かけるには遅かったので、一緒に行ってCarryを食べた。

 夕方ミハと話していて、目の前にある問題が少し開けた気がした。良い関係、良いことだけの人生を性急に望み過ぎる。今の私にはまだまだ study が必要なのだ。
 自分を責めずに、ネガティブな自分が存在することを認めた上で、決心し、行動し、悔やまないように、そうするべきだと感じた。

Confession

 週末、洗濯してマリオンの本を読み始める。
 夏至の瞑想に出た後ミハとホットタブに行き、一緒に夕飯を食べた。
 ミハが、「日本で会っても私たち4人は友だちにならなかったよね」そう言ったのを聞いて、大笑いした。私もそう思っていた。
 けれどもアデリアーナが言った通り、人は変わるのだ。現に変わったのだ。それぞれの違いを認めて、お互いを受け入れることができた。
 3ヶ月がたっていたけれど、心を開くことができたのだと思った。

Trees for Life Project

 Glen Affric、 Trees for life の現場を歩いた。
 そこは土ではなく岩盤で出来た山だった。この岩に根を張って、Scots Pine スコッツ・パインが森を作っていたのだ。
 人は300年の間に木を伐り尽くし、森林を1%にまでしてしまった。
 そして今、木を植える。100年後の森の復活を目指して。

 このプロジェクトを手がける彼女には、原始の森の姿が見えるにちがいない。
 もしこのプロジェクトの重要性が事前にわかっていたら、素直に参加できたかもしれない。それが少し残念だった。

*当初エレイド島の2週後にこのプロジェクトへの参加が予定されていたのだが、自由参加だということだった。この時メンバーは皆体力的に疲れていて、結局全員が参加をとりやめたのだった。けれどもやはりここを見て欲しいと、日帰りのツアーとなった。

Everyday Miracles

23th June
David Spangler の Everyday Miracles (まわりにいっぱい奇跡が起こる本 日本語版題名)を読み始める。私がここへ来るまでの "奇跡" についても思い出すことができた。
 もっと何がしたいのか、何を望んでいるのかを明確に自覚すること−−思い描くことが私には必要だ。受け身ではなく、先に "何か" を発信すること。

*17年前のことを、本当に忘れてしまっていた。だからこの作業が必要だったのだろう。
トランスフォーメーション・ゲームに参加して、思いつくままにこの本を読み始めた。しかし、今回日本語で読んでいるにも関わらず、私にはとても難しく感じられて最後まで読めていない。当時も最後までは読んでいなかったのかもしれない。

Rowan ローワン

24th June
 今日はフラワー・エッセンスのオフィスでの作業。
 Angel : Forgiveness
 Blessing : Cooperation
 Wild Card : hummingbird
 作業の前にはいつもアチューンメント、そして3種類のカードを引いていた。

 今朝は訪問客が多く、少々せわしない感じで仕事をしていた。
 するとマイアミから来たという家族がオフィスの前のベンチに来ると、なかなか去らなかった。
 私たちはどうしても皆彼らが気になって仕方なかった。するとブリッタが Rowan のエッセンスを持ってきて皆に摂る様に勧めた。そして作業に戻った。
 ふと気づくと彼らはいなくなっていた。私たちはあれほど気になっていたのにいついなくなったのか気づかず、すっかり存在さえ忘れていたのだった。
 
 Rowanのメッセージは forgiveness 。ブリッタはエッセンスの意味についてはまったく気にしていない。いつもペンデュラムとエナジーを読むことで選んでいた。
 最近明け方に小鳥が屋根を歩く音に悩まされていたのが、このエッセンスを摂ったらそれが無くなったことをその時思い出したのだという。

 昼、ブリッタとcafeでランチをとった。
 彼女の昼食はケーキひと切れだった。なぜなのか聞いてみたら、"体がそう言う" のだという。
 メニューの中でケーキの文字がスポットを当てたように明るく見えるそうだ。食事に限らず、すべてのものごとに対して、エナジーを読むことが大切だと彼女は言った。
 蜜蜂のリサーチというのがあって、危険な日には蜜蜂は飛んでいないという。そういうセンサーが私たちの中にもあり、ペンデュラムを使わなくても感知出来るようになるらしい。
 ペンデュラムを使うことはセンサーを訓練することになるとのことだった。

 ホメオパシーや、その他ハーブ等の薬は第3チャクラまでに効くものだと言う。
よりphysical bodyに近いので、その土地のものが良く働くが、フラワー・エッセンスは全てのレベルに作用し、またどこのものでも良く効くだろうということだった。
 ただこんなことも言えるという。フィンドホーンは北からのもので、オーストラリア・ブッシュの南からのものと両方とることでバランスをとるという方法もあるのだと教えてくれた。

 午後は Pottery Studio を覗いてみた。
 ここではワーク・セッションの時に置いている花を飾ることのできるキャンドル立てを作っていた。
 ケティが今日はなんだか調子が悪く、ひとつも作品が作れず、そしてひとつも売れなかったとぼやいていた。
 ここの焼きものと日本のものと何が違うのか考えていた。グレイズ 釉薬が薄いようだ。まるで水彩絵の具の様に見えた。そのため、エッチングの細かい削り後もきれいに残るのだろう。

Snowdrop スノウドロップ

25th June
 昨日からフラワー・エッセンスのプログラムで日本のグループが Minton House に滞在していた。マリオンの好意で一日参加させていただいた。
 午前中はチャクラとボディ・システムの関係について。
 チャクラ瞑想についてのメモ
 crown chakra − Rose Alba
 Base chakra − Lotus

 午後にはペンデュラムを使ったチャクラのバランシングについてのワークだった。イレギュラーな動きをしたチャクラではそのままチャクラを動かし続けていると、やがてペンデュラムは正常な円を描くようになる。チャクラがバランスされるのだという。

 そして、直観でエッセンスを選ぶという方法を皆で体験した。エンジェル・カードを引く時のように、ラベルが読めないように二重円に並べたエッセンス・ボトルの中から1本を選ぶ。
 私が選んだのは Snow drop だった。2週間後にはここでの滞在を終えることを意識していた。
 選んだばかりのIona Pennywort に Snow drop を加えて摂ることに。
 その後、全てのエッセンスについての解説が夜まで続いた。
*この後も数日ご一緒させていただいた。皆さん、お元気だろうか・・

Remembering

26th June
 ランチタイムにAnanachukの話を聞いた。彼女は4年間イヌイットの村に住んでいたのだと畑で一緒になった時に聞き、ぜひ話を聞かせて欲しいと約束していたのだ。
 その日はかんかん照りで、彼女は午前中の畑仕事で大分消耗しているようだった。他の日にしようかと聞いてみたが、大丈夫、思い出すことは私の助けになるからとゆっくり話はじめた。

 まず始めに、「そうそう、そこはこの地球上で最も美しい土地なの」と言った。
 そして凍らせたカリブーの肉やマルカックという動物の肉はとても美味しく、体があたたまると言った。
 けれども、飛行機の排気ガスにカドミウムが含まれていて、それが地衣類に不着してしまう。カリブーは地衣類しか食べないので、それが問題になっているそうだ。そのため、最近では調理した肉をたべるようになったのだそうだ。
 彼女は次第にいきいきと彼の地のことを思い出しながら、話を続けた。

 私はカメラマンの星野道夫氏のことを知っているかと尋ねると、大きく頷いた。そして彼の死について、"深いところでその死を受け入れたのだろう"と言った。

 私は彼の言葉に深く影響を受けていた。私自身も数年前にオーロラを見に出かけ、極北の空気を少し体験した。そしてイヌイットの人々のアートには強く惹かれるものがあり、北の大地にはなにがしかの縁があるのだと感じていたのだ。

 夕食のとき、レイチェルと話していて気づいた。
 今週に入ってから、私は話し疲れたと感じる程 "話して" いた。用もないのに話しかけたりさえしていた。
 エッセンスが働いているのだ。うっかり見逃すところだった。

Seeds

28th June
 ランチタイムにナンシーさんに会う。彼女は闇について、そしてsophiaについて話した。sosite
1995年の重要性について。

 夕食後はマルコ・ポガチュニックのレクチャー。その後プログラムを受講していたヒロにとめどなく話し続ける。inputが多くて混乱気味だったため、ローズ・ウォーター・リリーを摂った。

*ナンシーさんが誰なのか、どんなことを話したのかは思い出せなかった。sophiaとはマルコの本にも出てくる新時代を担う女性意識のことだろうか。この後エマーソン・カレッジでもこの名を聞く。そしてこのことについて本を書いた人に出逢い本も持っているが、冒頭部分を読んだだけだった。フィンドホーンから持ち帰り、読めていないマルコの本3冊、Perelandraの本4冊!これも宿題だ。

Responsibility

29th June
 キッチン横のハーブ・ガーデンで作業。一度ガーデンをデザインしたら、維持する為の手入れをし続けなければならないということ。ここはたくさんの人がキッチンへの行き来に通ってはいたけれど、ハーブ達はあまり活用されていなかった。それを見たマージョリーが申し出て、ここの手入れをすることになったのだ。

 作業をしながら雑草について考えていた。
 大木はよりストレスの少ない方に枝を張る。近くの木どうしよけあっているが、草や低木にはそそういう感覚が無いように見られる。
 もともと空間が無いのが原因だけれど、2種の木がよじれるように絡み合ってひと所に茂っている。
 草はと言えば、わずかな隙間をめがけて伸びている。早春の雑草は草丈も短く地を這う様に成長する。すばやく地表を覆うためだろうか?
 夏の雑草は草丈も長く、高く、より短期間で勢いをもって成長する。
 いつだったかレタスの畑で雑草とりをしたけれど、雑草はレタスを支えているような気がして抜かない方が良いのでは?と思った。

 でも、通路に張り出したカレープラントを苅っている時、花屋のときの"仕事"の感覚が一瞬よみがえった。仕事を優先するとき、私は簡単に征服者に変わってしまう。鉢植えやベランダで植物を育てる時にも感じるジレンマだった。

 バンガローの窓辺に背の高いFoxgroveが咲いていたのが、風で倒れてしまっていた。起こしてやるべきかと尋ねたら、答えはNoだった。どうしてだろう?

Weeds 雑草

2nd July
 エッセンスのオフィスに行くと、新しい花を植えたいのでプランターの雑草を抜いておくように頼まれた。さあ、どうしよう。しばらく座って眺めたあと、ペンデュラムで抜いてもいいかと尋ねたらいいとの答えだった。10分後に戻ってくるから、それまでに準備してくれるよう雑草に頼んだ。
 戻るとブリッタが来ていて、他にすることがあるからと雑草とりはしなくて良いことになった。

 夕方、マルコ・ポガチュニック氏に雑草について聞いたことをヒロが話してくれた。雑草のスピリットは collective 集団意識なので、もし抜いても他の場所にうつるので問題ないということだった。
 中にはtransformationをもたらす為に生えているものもあって、抜くことはそれを助けることになる場合もあるらしい。
 それから、抜くときの心持ち−−ネガティブなのか、ポジティブなのかは影響するという。
 木には先に切ることを告げ、準備の時間を与える必要があるのだそうだ。
 それらを聞いて少し安心したが、いずれにしろ、私はペンデュラムで聞くという方法を見つけた。

*なぜこの頃それほどまでに雑草に投影をしてしまったのか、、もっとも以前から、栽培された園芸植物も、高山植物も、野の花も雑草も、どれも同じだという気持ちがあった。高山植物だから手折ってはいけないとか、茶の湯には野の花でなければ、雑草だから抜かなければ、ということを聞くとどこか反発を覚えていた。

遅ればせながら、最近ドロシー・マクリーンの "樹木たちは こう語る" を日本語で読んだ。特に人間と植物の働きや関係性について多く語られていた。当時この対話を読んでいれば・・

Forres で High Land Game が開かれた。

Help!

6th July
 午後フラワー・エッセンスのオフィスで働く。
小さな子どもがマリオンに助けを求めて来た。Karma Clear を持って彼女はすぐ出て行った。
 
 ブリッタが、今日は皆モンキーフラワーを求めているといって不思議がった。多分、皆がそれぞれ同じ cosmic energy を感じて、同じエッセンスを必要としているのだろうとも言った。
ここには毎日のように世界中から注文が入る。

Lime ライム

 キンバリーが頭痛だというので、「フラワー・エッセンスを試してみる?」と聞いた。手をつないで目を閉じた後、私がペンデュラムで選び、次に彼女もペンデュラムに尋ねてみた。
 結果は同じLimeだったので、安心して彼女にすすめた。

 エッセンスの適応にあったチャクラやボディ・パーツとの直接的な関係は無いように見えたが、少し前に彼女が引いたオラクル・カードのキーワードが "ハーモニー" で、それはLimeのキーワードでもあった。
 5分後、夕食を摂りながら彼女は頭痛は消えてしまったと言った。

 翌日、彼女は私にもカードをすすめ、引いてみることにした。
"WITNESS" 目撃者、証言 という意味のカードだった。
このカードは私という人間が何者なのかを教えてくれた。

Inner Gardening 再び

7th July
 私の中のガーデンには辿り着けなかった。暗闇の中にいた。宇宙に浮いていたのか、それとも地中にうずくまっていたのか。私は何かをただ待っていた。

 雑草取り− judging、killing
 カレープラントを苅ったこと− resposibility
 ホースミネラルを与える− care、support、energy to grow

 それらのことをシェアして十分と思っていたら、カイドーは問い続けた。けれどもマインドはシャットアウトした。答えるかわりに涙が出て来た。
 そんな私に対して、彼は「Green Peace のほうが向いてるんじゃないか」とジャッジし、一言で片付けようとした。私が答えたくないと思ったことが彼には聞こえたのかもしれない。

 まわりも迷惑だろうけど、泣いてしまう自分を私自身もてあましていた。いったいどこからこんなに涙が湧いてくるのか。
 キンバリーが泣くこともクレンジングだからいいのだと言った。マージョリーはガーデンより山や自然のあるところに行くといいのかもねと言って私を慰めてくれた。

*極北地域での過去生があったことをおぼろげながら自覚していたのだが、そのこともガーデニングそのものへの抵抗(人間のすること、創造活動より神の創造である自然の方が偉大だと思うこと)に関係したのだと思う。なぜなら、大きな意味において、私は過去・ルーツを探しにそ旅をしていたからだ。

カイドーとは再度フィンドホーンを訪れた時にも会い、ちょっとしたことがあった。その時私は彼は元々皮肉屋なのだと悟った。わざと大げさに言い返そうと思ったが、そう思える自分は当時の様にめそめそした自分ではないことを喜んだ。

もうひとつ、やはりガーデンでディーバとアチューンメントしながら植物を育てるというそのコアの部分に触れられる機会は与えられなかった。Experience Weekに参加するには手紙を書いても断られることがあったように、アチューンメントに参加するには私にはまだ早いと判断されたのだろう。ただ、その学びこそが、今必要とされているのであり、もっとオープンにされるべきものなのではないだろうか。
ここから先は、自分でやってみるしかないのだろう。

Blessing!

Harebell へアベル

9th July
 Harebellのエッセンスを作った。 "abandance" がメッセージ。
 Mother をゴクリとまわし飲みして、余ったエッセンスをすれ違う人々に、家に、ガーデンにと振りまいた。

 ここを去る前に、とアイリーンに手紙を書いてポストに入れた。

completion

10th July
 最後のディナーにキンバリーとのり巻きを作った。
 その晩の会話にはほとんど加われず、居続けるのが苦痛だった。まるでそれまでのプログラムに関係のない世間話だった。そして食後にクリスイティーナが持って来たマニキュアでの遊びは私には無意味だったので席を立った。残念ながら、最後まで彼女との間にあった溝は埋められなかったし、そのことで皆にきちんと挨拶する機会を失ってしまった。

 部屋に戻ってキッチンを掃除していると、ゴミ箱に捨てられたAppleのエッセンスを見つけてしまった。
 お別れにキンバリーにエッセンスを作ろうと思っていたのだが、それも無駄だとわかり疲れて眠ることにした。
 明日はスッキリさっぱりここを後にしたいと思う。

 半年の予定で日本を出て来た。ここを出た後は旅行をする予定だった。そう、何処にでも行けるけれど、ただ通り過ぎるだけの旅行をすることよりも、なんとかしなければという気持ちが強くあった。でも、次に自分が何をしたいのかわからなかった。
 わかっているのは、"このままでは日本に帰れない" ということだった。

*クリスティーナは女性としてもうひと花咲かせたいと言っていた。私には女性性を謳歌することに興味がなかったし多分怖れてもいたのだろう。だから彼女のことを理解できなかったのだ。プログラム後半は、彼女と顔をあわせることを避けていた。いつか謝ろうと思いつつ、まだできていない。

2年後、キンバリーは日本を訪れた際にくれたメールで、オーストラリアでフラワー・エッセンスの勉強をしていると教えてくれ、私を驚かせた。物事にはタイミングというものがやはりあるのだろう。

Original Garden

まだ、旅の途中

11th July
 朝9時、コミュニティセンターでバスを待っていると、クライフが来て話し相手になってくれた。彼は、私は言葉がちゃんとわかっていたよと慰めてくれた。初めてインタビューのためにパークに来たときも、ユーモアで笑わせてくれたのを覚えている。

 思い思いの場所へと散ってゆく仲間とハグして別れ、私も白バスに乗った。ここからアイルランドを経由して、旅をしながらイギリス南部にあるエマーソン・カレッジへ向かう。

ドロシー、ピーター、アイリーンの三人が暮らしたキャラバン

Winter Solstice 2015

 17年も昔の日記でした。けれども、この道をふたたび進む為に、この作業を通して思い出すことが必要だったのです。
 
 この12月、ある人の助けを借りてやっと長年の謎が解けました。それは亡くした友人と私の過去についてです。そして、過去は多重録音されていました。いろんな層の事実が存在するのです。
 もちろん、たくさんの人に助けられてこの "奇跡" は起きたのです。それがなければ、この後何年もまた迷っていたかもしれません。

 最後はこの冬至間に合わせる様に、重い腰をあげ作業を続けることをサポートしてくれたのは、この春に北海道ニセコでつくった "ふきのとう" のエッセンスでした。
 
 とにかく、ここからまたはじめます。
 そして、当分必要なものはすべて揃っています。

 心からの感謝をあなたに
 

書籍、情報等

Findhorn Foundation  https://www.findhorn.org/
各国のサイトがFacebookにもあります

『旅をする木』星野道夫 著 文藝春秋

『フィンドホーンの魔法』ポール・ホーケン 著 山川 紘矢 , 山川 亜希子 (翻訳) 日本教文社

『フィンドホーンの花』アイリーン・キャディ 著 山川 紘矢 , 山川 亜希子 (翻訳) 日本教文社

『聖なる予言』ジェームズ レッドフィールド 著 山川 紘矢 , 山川 亜希子 (翻訳) 角川書店

『NATURE SPIRITS & ELEMENTAL BEINGS』
 Marko Pogacnik 著 Findhorn Press

『樹木たちは こう語る』ドロシー・マクレーン 著 山川 紘矢 , 山川 亜希子 (翻訳) 日本教文社

『まわりにいっぱい奇跡が起きる本』
 デイヴィッド・シュパングラー 著 高橋裕子 (翻訳) 日本教文社

『FINDHORN Flower Essences』MARION LEIGH 著 Findhorn Press
『フィンドホーン フラワーエッセンス HANDBOOK マリオン・リー 著
 http://www.findhornessences.com/

『The Original Angel Cards: Inspirational Messages and Meditations』 
 Kathy Tyler, Joy Drake 著 Narada Productions Inc,US

『THE TRANSFORMATION GAME』Innerlinks
日本トランスフォーメーションゲーム協会 http://www.transformationgame.jp

Trees for Life  https://www.facebook.com/treesforlifeuk

One's Diary
Findhorn 1998

2015年12月22日 発行 初版

著  者:Ryoko Yoshizawa
発  行:Journey on

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Ryoko Yoshizawa
吉沢良子

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