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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

澪標 二年目の抱負 小桜店子

人肉ソーダ 風理

八十八番の詠 志野きき

好きな食べものは肉じゃがです 肉馬鈴薯

未知なり 肉馬鈴薯

律儀の光は眩しすぎる コスミ・N・タークァン

雪男と雪女 CO2

明日の朝から 二三竣輔

彼岸の悪鬼 大久保智一

音 やっさん

秋のおと 味玉

悪友と哲学者の行進曲 第七話「隣人」 二三竣輔

表紙イラスト k氏

あとがき

澪標 二年目の抱負

小桜店子

澪標 二年目の抱負

『澪標』をはじめて一年が経ちました。今年で二年目に突入します。
 昨年は色々なことがありました。BCCKSを利用して電子雑誌『澪標』をセルフパブリッシング。Amazonや楽天など、複数の電子書籍ストアで配信をすることができました。BCCKSではオンデマンド印刷版も制作し、紙書籍でも販売をしております。
 また、オンデマンド印刷版とは別に、同人誌版も制作。文学フリマやコミックマーケットなどの同人誌即売会で頒布を行いました。冬に開催されたコミックマーケット89では、はじめての完売。多くの方に『澪標』を届けることができたと思います。
『澪標文庫』も創刊しました。毎月作品を出して頂いた二丹菜刹那先生の作品集『永久とわのように長く、一瞬のように短いものだとしても』を制作。コミックマーケット89で先行して頒布を行い、真っ先に完売しました!
「身を尽くす会」の主要メンバーは、都内のとある大学で文芸創作や出版編集について学んでいます。程度に差があったとしても、専門的に学んでいるだけあって、創造力や編集力を持ち合わせている人が多いです。
 技術の進歩により、誰もが「表現」を「発信」できる時代。この学生達の「力」を多くの人に読んで、見てもらいたい。その想いから、『澪標』は創刊され、定期的に出版を行ってきました。
 今、「二年目の抱負」として私達が決意するべきものは何か、考えてみました。技術の進歩により、誰もが表現を発信できる時代に私達は生きています。
 そして、人間は「表現せずにはいられない生き物」だと、私は思います。誰かの賞賛を得るためでなく、純粋に「描きたい」という想いから、幼少時に絵を描いた記憶のある人は少なくないはずです。
『澪標』や「身を尽くす会」は、そういった想いを発信できる雑誌・サークルを目指していきます。
 また、伝統的な商業出版以外の方法で作品を世に送り出すことの研究にも取り組んでいきます。
 現時点で私が考えていることとしては、昨年は「書籍」や「雑誌」というパッケージに囚われすぎていたかな、ということです。
 伝統的な商業出版以外の方法で作品を世に送り出すなら、それに適したパッケージというものがあるはずです。そして、それは「書籍」や「雑誌」といったパッケージではないかもしれません。
「描きたい」という想いから絵を描き、発信していくとして、そのメディアはいったい何が適切でしょうか。書籍、雑誌、Webメディア……案外、一番適しているのはアルタミラ洞窟のような壁画かもしれません。
 冗談はさておき、「アルタミラ洞窟の壁画」のように、表現したいという想いからなる創作物を、ダイレクトに発信できる方法を模索していきたいと考えております。
 何はともあれ、今年も学生(もしくはその関係者)の瑞々しい作品を、どんどん出版していきますので、どうか『澪標』や「身を尽くす会」の出版物を応援よろしくお願い致します。

 二〇一六年一月一日
 身を尽くす会 代表 小桜店子

ジュワッと爽快、香る禁断

人肉ソーダ

風理

<新作読み切り・小説>

人肉ソーダ

 ある研究者が、画期的な味の炭酸飲料を発明した。人間の肉の味がする、というものだ。しかも、それには一切人間の肉の成分が含まれていない。人々は大いに驚き、不思議がり、怪しみながらも、未知なる味に興味をそそられ、1つ、また1つと、その炭酸飲料を購入していった。
 人肉ソーダと名付けられたその炭酸飲料はとても美味だった。だが、それ自体は不思議ではない。狼やライオンなどは、人間の味を覚えると他の肉には目もくれなくなるという。つまり、人間の肉は美味いのだ。それはおそらく、共喰いであっても同じことなのだろう。
 本当に不思議なのは、人々が抱く感想だ。どうやら、人肉ソーダは飲む人によって味が微妙に変化するようで、あるサラリーマンは、それを懐かしい味と言った。かつて味わったことがあるような、安心する味だと。ある少女は、キスの味と言った。それは愛する人と交わす口づけのように、甘く、刺激的であると。またある老人は、馴染み深い味と言った。毎日かかさず続けてきた日課のように、自分の部屋で吸い込む空気のように、身体が受け入れやすい味であると。ハンバーガーの味がすると言う者もいたし、タバコの味がすると言う者もいた。十人十色の感想があったが、更に不思議なことに、彼らには共通点があった。それは、皆が皆、飲んだ直後に笑顔になったということだ。
 柑橘類を思わせる爽やかな香りと、口を洗い流すような弾ける強炭酸。そして飲む者全員を笑顔にする、摩訶不思議な人肉の味。そんな新時代のソーダは瞬く間に世界中に広まり、そして世界中の人々を笑顔にした。
 発売から2週間が経ち、研究者の元には沢山の記者たちが押し寄せていた。彼らは口々に問う。
「どうやって人間の肉の味を出しているのですか?」
 研究者は、なんだそんなことか、と事もなげに答えた。
「酸で口内の肉を溶かしているのですよ。ソーダそのものに人肉は含まれていませんが、飲み込む時には、何の味もないソーダに人肉の味が付加されている、というわけです」
 研究者の突飛な冗談を聞いて、記者たちは一斉に吹き出した。
「気さくな方だ。そんなこと、あるわけないじゃありませんか」
 彼らは笑う。顔の半分ほどもある口を、目いっぱい広げて。

〈了〉

難波江の芦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき

八十八番の詠

志野きき

<新作読み切り・小説>

八十八番の詠

 叶わない恋だな、と好きになった日、痛感した。
 その人の左手の薬指に指輪が光っていたのを、四月に私は見ていた。生徒にからかわれるのが恥ずかしかったのか、次の日にはもう彼は指輪を外して教壇に立っていて、みんなもうそんなこと忘れているけれど、私はしっかりと覚えていた。
 骨ばった細長い指にはめられたばかりのまだ馴染んでいない指輪、右手首のぴかぴかした腕時計、結び方がぎこちないネクタイ、教師にしては少し長すぎる襟足。「結城一馬です」と自己紹介したあとの、ふにゃり、と笑ったあの猫みたいな笑顔。
 私が彼と出会ったときに印象的だったのは、そんなことだった。


佐和白さわしろ
「はい」
「悪いんだけど、これ、準備室まで持ってきてくれるか」
「はい」
 結城先生の声は優しくて耳触りが良くて、聞いていて眠りそうになる。教師には向いていないんじゃないかと思う。それに加えて先生は甘いから、寝ている生徒を怒ったりはしない。結果的にみんなのなかに、「先生の授業は寝れる」なんて共通意識ができてしまって、先生の授業は始まりこそ勢いがいいものの、開始十分で眠気に満ちた、ふんわりした空間になってしまう。教科が古典だから、尚更みんな呪文みたいに感じて寝てしまうんだろう。
 板書を終えて振り向いたとき、困ったように笑う先生の顔を、私は知っていた。普段先生に向かって好きだとか付き合ってよとか冗談三割本気七割で言う、短いスカートの女の子たちは、こんな顔を知らないだろう。
 先生は困ったように笑った後、私と目が合う。真面目に授業を聞いているのは、私を含めた数人だけだから、別に特別なことではない。でも先生は、なにか用事があるといつも私に頼む。
 席を立って、教卓に集められたノートを持った。四十一人分あると、さすがに重い。二人休んでいるから、正確には三十九人分だけど。
「いつも悪いな」
「いえ、暇なので」
「佐和白は真面目に授業聞いてくれるから、ついな」
 私が先生の授業を真面目に聞くのは、少しでも自分を印象付けたいからだった。そんな、無粋な感情からだった。
「数学は苦手なので、寝ています」
「そうか。俺も数学は苦手だったなあ」
「でも先生になってる」
「うん、だから数学なんてできなくても大丈夫だ」
「なるほど」
 他愛もない話をしながら準備室まで歩いていると、すれ違う女の子たちがみんな、先生の腕にすり寄る。シャツのボタンをふたつも外して、だらしなくぶら下がったリボンの隙間から、下着がちらちらと見えていた。この寒い気温のなかで、ヒートテックを着なくても平気なのか。
 女の子たちは揃いも揃って髪の毛を茶色く染めてパーマをかけていた。爪は凶器になりそうなくらい長く、彩られていた。ピンクやら紫やらオレンジやら、目が痛くなりそうだ。片手にはシャネルの香水の形をしたケースにはめられたiPhoneが窮屈そうにしていて、終始ピロリン、と鳴ってはLINEの通知で画面を埋め尽くしていた。だぼっとしたカーディガンを着て、スカートがカーディガンの裾に収まっている。スカートから伸びた細い足は健康的に日に焼けて、夏休み、どれだけ外にいたのかを物語っていた。
 先生とこうやって歩いているときに、こんな女の子たちと遭遇するのが、一番つらかった。
 短くて太い足を隠すような膝丈のスカートに、冬場はタイツを履いて誤魔化して学校指定のセーターはぴったり自分に合ったサイズを着て、爪は丸く切り揃えて、ポケットのなかの裸のiPhoneは一向に鳴らない。なんとふてぶてしいことだろう、と、自分でも思う。
 でも、私は自分を可愛く見せる術も知らないし、仮に変身しても、こんなに巧みに言葉は出てこない。今だって、先生が出してくれる話題に返事するだけで精一杯だ。
 そんな私を、女の子たちは電車のホームにいるサラリーマンを見るような目で見た。なんであんたがここにいるのよ、と言われているような気持ちになった。
「先、行きますね」
 私が先生に頼まれたのは先生の話し相手になることではない。このノートを、準備室まできっちり運ぶことだ。
 女の子たちの視線から逃げるように、私は階段を小走りに上った。
 登り切ったときには、息が上がっていた。
 先生の机にノートを置いて、鉢合わないように遠回りして教室に帰った。


 私が先生を好きになったのは高校二年の秋だった。
 修学旅行の二日目でちょうど生理が来てしまって、生理痛がひどい私はホテルでおとなしく寝ていることになった。友達はたくさん写真撮ってくるね、と嫌な顔一つせずに応じてくれた。この二日目は班別で市内を自由散策する予定で、私はそれをすごく楽しみにしていたのだけれど、この痛みにはどうしても勝てなかった。
 養護教員の青井先生のところへ駆け込むと、先生は残念だな、と言いながら「G組、佐和白花菜、ホテルで休養」と手元のファイルに記入して、カイロを渡してくれた。
 青井先生は男性で、私は最初、少しだけ警戒していた。でも、毎月ひどい顔をして保健室にやってくる私を見て、何も言わずに何時間でも休ませてくれて、すぐにその警戒は解けた。その代わり、ズルでサボりにいくとしつこく怒られた。たくさん話もしてくれて、私の恋愛相談なんかもよく乗ってくれた。クラスのあの子が気になるんだけど、というと、俺もそいつ気になってたんだよね、なんて言ったりもした。保健室の常連はもうみんな知っていることなのだけれど、青井先生はいわゆる同性愛者というやつで、男の子が気になっているというのはあながち冗談ではない。でも、ちゃんと恋人はいるらしい。よく分からない。
 でもとにかく、良い先生だった。だからこのときも青井先生は、またなにかあればすぐ電話しろよ、と優しく言ってくれた。
 布団に包まっていると携帯が震えて、見てみると友達からのLINEだった。私を気遣う文面で、ありがとう。少し落ち着いたよ、とだけ返事して、また布団をかぶる。
 朝よりは気分が落ち着いた分、なんでこんな日に、という気持ちがこみ上げてきて、少し涙が出た。すごく楽しみにしていたのに。何度も計画を練ったのに。なんで今日なの。
 枕を濡らしていたら、部屋のチャイムがピンポーン、と間抜けに響いた。青井先生がなにか持ってきてくれたのかも、と思いながら、ドアを開けた。こんな顔を見たら、青井先生なら慰めてくれる。
 でも、ドアを開けた先にいたのは青井先生ではなかった。
「ひどい顔してるぞ、大丈夫か」
「……結城先生」
「青井先生から佐和白が体調悪くて部屋で寝てるって聞いてさ、そういや朝飯のときいなかったなと思って。なんも食べてないだろ? コンビニのだけど、おにぎり買ってきた」
 そういう結城先生の手にはコンビニの袋が下げられていた。
「ありがとう、ございます」
「泣いてたのか?」
「あ、いや、別に、なんでもないです」
 慌てて目尻の涙を拭って、袋を受け取ろうと手を伸ばした。なぜか、こんな顔を見られるのが恥ずかしいと、そう思った。青井先生なら平気なのに、結城先生に見られるのだけは耐えられなかった。
「あんまり無理しないで、なんかあったら言えよ……と思ったけど、青井先生の方が頼りになるか」
「それは否定できないです」
「だよな。じゃああれだ、まあ、青井先生を頼りなさい」
「はい」
「じゃあまたな。夕飯の頃には出て来れるようにな」
「頑張ります」
 結局、気持ち悪いのは治らなかったけれど、先生のくれたおにぎりは、なぜだか食べられた。私の大好きなツナマヨ味だった。
 次の日なんとか回復して、三日目、四日目と無事に修学旅行の日程に参加できた。友達から二日目の話をたくさん聞いて、私も行ったみたいな気持ちになれた。
 結城先生にお礼を言いたかったけれど相変わらず先生は人気で、また学校に戻ったらお礼を言おう、と決めた。
「佐和白」
「はい」
「ノート、お願いできるか?」
「はい」
 修学旅行が終わって数日、中間試験が近い時だった。私はまた、提出物の運搬係に指名された。準備室へ行く途中で修学旅行の話になって、私はやっと先生に話を切り出すことが出来た。
「二日目のおにぎり、ありがとうございました」
「ああ、気にするな。三日目からは参加できて良かったよ」
「はい」
 やっとお礼を言えてほっとしていたら、バタバタと騒がしい足音がした。
「一馬くん!」
 どこからそんな声出てるの、と言わんばかりの甘ったるい声が響いて、私は条件反射のように逃げ出した。角を曲がっても、声はいつまでも私の耳に聞こえてくる。
「修学旅行の二日目なんでいなかったの? 眼鏡橋にいるよって言ってたのに!」
「ああ、ごめんな、ホテルで青井先生とちょっと話していてな」
「それ職務怠慢だよ一馬君!」
「よくそんな言葉知ってるな」
 階段を駆け上がって廊下を歩いて、ようやく声は聞こえなくなった。だけど、先生の言葉だけが耳の奥で繰り返されていた。
 淡い期待が胸をかすめて、そんなわけはない、と自分に言い聞かせた。
 絶対に、私のためなんかじゃない。
 そんなことをするほどの価値を、私は持っていない。
「佐和白、大丈夫か?」
「え、あっ、はい」
 頭の中でぐるぐる考えているうちに足は止まっていて、準備室にノートを置いて逃げる前に先生に追いつかれてしまっていた。
 名前を呼ばれて我に返って、自分が準備室の目の前まで来ていたことに気付いた。あともう少しだったのに。
「いつもありがとうな」
「いえ、大丈夫です。これくらい」
 先生に、確認する勇気はなかった。聞けるはずもなかった。「あの日、私のためにホテルにいてくれたんですか?」なんて、どんな女の子なら聞けるというんだ。髪を茶色く染めて、大きなメンズサイズのカーディガンを着て、短いスカートを履けば、聞けるようになるんだろうか。
 私は淡い期待を拭えないまま、その感情を抱いたまま、準備室を出ていった。


 高校三年生にあがっても、この気持ちが消えることはなかった。むしろ月日が重なるにつれて、どんどん膨らんでいった。担任が先生じゃないと知った瞬間、私は絶望したし、でも古典の担当が先生だと分かったとき、嬉しくて涙が出そうだった。
 気が付けば先生を目で追って、授業中、目が合うだけでその日は一日幸せだった。
 青井先生に相談もした。
「人のものを奪うのも、なかなか楽しいもんだよ」なんて笑っていた。
「そんなこと考えてないし、そもそも私にはそんな魅力ないです」
「いや佐和白は可愛い。僕が言うんだから間違いないね。なんでそんなに自分を卑下してるんだよ」
「先生に群がる女の子たちみたいじゃないからです」
「それが可愛いって誰が決めつけたんだよ。結城に好みのタイプでも聞いたの?」
 青井先生はそう鋭く私の心に踏み入ってきて、私は崩れ落ちないようにするのに必死だった。
「佐和白、好きならちゃんと堂々としてろ。逃げるな。可愛くないとか言うなら、可愛くなれ。可愛くなろうとする女の子ほど、可愛いもんはない」
 この人は、よく人の心を傷付ける。言われたくないことを言ってくる。メンタルケアとか、本当にできなさそうな人だ。
 だけど、青井先生に話した後は、不思議と力が湧いてくる。ハッとして、自分がなにをしてこなかったのか、なにをするべきなのか、明確になる。
 私は、逃げていたのか。他の女の子たちからも、自分からも、きっと、先生からも。
「来週までに変わってこい」
「それは無理でしょ」
「大丈夫、お前ならできるよ。佐和白、可愛いからね」
 この人は、欲しい言葉も言ってくれる。彼の恋愛対象が女性だったなら、私は青井直人を好きになっていただろう。
「まあミラクルが起きるとしたら、文化祭だな」
「いやだからミラクル起こす気はないってば」
 青井先生はそう言って、笑顔で親指を立てた。


 それからいろいろ調べて、少しずつ変わり始めた。友達には驚かれないために好きな人ができたことだけ伝えた。生まれて初めてダイエットをして、スカートの丈を少しだけ短くした。髪を染めたらほかの女の子たちと同じなってしまうから、代わりにトリートメントしたりヘアオイルを塗ったりして綺麗にして、毎朝ストレートアイロンで整えてから家を出るようにした。
 高校二年の冬の私に、教えてあげたい。私だって、少しは変われたよ。
「ほら僕の言った通りじゃん。可愛くなったよ」
「可愛くなったつもりはありませんけどね」
「なんでそういうこと言うかな」
「見た目と一緒に中身までついてくるとは限らないですから」
「ほかの女子とは違う、佐和白らしい感じになってるよ」
 青井先生は私を純粋に褒めてくれて、こっそり嬉しかった。
「試験にならないかなあ」
 早くテスト期間になってほしかった。テストが近付けばノートの提出がある。そしてそのノートを運ぶ時間が唯一、私が先生と話せる時間だから。
「あと三週間くらいだろ、頑張れ」
「うん、頑張る」
 青井先生は私を励まして、あとは言動だな、とぼやいた。聞こえてるから、それ。


 その三週間はあっという間にきたのだけど、ちょうどノートを提出する授業の時に、私は学校を休んでしまった。月に一回くる、憎らしいような、ありがたいような、でもできれば避けて通りたい生理のせいだった。
 今日は先生の授業があるからどうしても行きたかったのに、動けないくらい痛くて、お母さんにも心配をされた。休みなさい、と言われて、それに抵抗できるほどの気力はその時の私にはなかった。
 次の日学校へ行ったけど先生の授業はなくて、というか明日からテストだから、昨日の授業がテスト前の最後の授業だったのだ。
 唯一先生と話せる貴重な時間を、自分からダメにしてしまった。
 ひどく落ち込んで、少し変わった自分の姿に先生がどんな反応をしてくれるか、楽しみにしていたことに気付いた。
 その日は一日気分が下がる一方で、しかも明日からテストで、明日なんてくるな、と憂鬱になっていた。
「あ、佐和白」
 帰りのホームルームを終えて、帰ろうと立ち上がったところで担任の先生に呼び止められた。
「お前、昨日休んだろ」
「はい」
「結城先生がな、テスト終わるまでにノート出したらそれ成績につけてくれるらしいぞ。お前指定校狙ってるんだから、出しといた方がいいんじゃないか。結城先生もなんかそんな感じのこと言ってたぞ」
「分かりました。ありがとうございます」
 また、期待が胸をかすめる。
 少し前に指定校推薦を狙っていることを、私は先生に言っていた。私の成績は可も不可もないから、三年の成績でなんとかしたいんです、と話した。
 でも、先生は教師として当たり前のことをしているだけだ。きっと私が真面目に授業を受けるから、なにか救済処置をしようと思ってくれたのだ。
 期待するな。何も、期待するな。どうせ違うのだから、期待する分だけ、辛くなる。
 そう自分に言い聞かせた。
 ノートは結局、古典のテストがあった日にこっそり準備室に置いて帰った。別に会いたくなかったわけではなくて、ちょうど先生がいなかったのだ。
 スカートを短くして髪を手入れしたって、私は先生に確認することなんて出来ないのだ。
 見た目ばかり変えたって、結局、私自身はなにも変わっていない。




 六月のある水曜日の一時間目、先生はなにか箱を持って授業にやってきた。半袖のシャツを着るにはまだ少し肌寒いけれど、セーターを着るには暑い時期だった。朝からずっと強く雨が降っていて、みんなびしょ濡れで登校したから、教室に雨の匂いが残っていた。
「このクラスは他と比べて少し進みが早いから、今日はちょっとお休みというか、授業とは関係ないことをやろうと思って」
 そう言いながら私達に見せてくれたのは「百人一首」だった。
「百人一首っていうのは、その名の通りで百人の歌人の和歌を一人一首ずつ選んでつくった歌集のことなんだ。そのなかでも、藤原定家が京都の小倉山の山荘で選んだと言われている百人一首のことを小倉百人一首って言って、これが今でいう一般的な百人一首になってる」
 黒板に藤原定家、小倉百人一首と先生が板書する。
「百首載せたプリントを作ったから、どれか好きな歌とかあれば覚えて損はないと思うぞ」
 いつもは寝ている人もみんな起きて、配られたプリントを眺めた。プリントには漢数字がふられて、その下に和歌がかかれ、さらにその下に歌人の名前が記されていた。
 中学生の時にも覚えさせられたなあと思いながら、その記憶がほとんどなくなっていることに驚いた。
「先生はどれが好きなんですかー?」
「え、俺? 俺は……そうだなあ」
 生徒にそう話をふられて、先生はプリントを見ながら少し考えた。それから、
「十二番と五十番かなあ」と答えた。



  タチヨミ版はここまでとなります。


澪標 2016年01月号

2015年1月24日 発行 初版

著  者:二三竣輔(編・著) 小桜店子(編) 風理(著) 志野きき(著) 肉馬鈴薯(著) コスミ・N・タークァン(著) CO2(イラスト) 大久保智一(著) やっさん(著) 味玉(著) k氏(表紙イラスト) 野秋智(表紙撮影)
発  行:身を尽くす会

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身を尽くす会 説明
二三竣輔


身を尽くす会は、電子書籍と同人誌をメインに文章表現作品の製作、販売を行っている団体です。主にアマチュアの方の作品を外部に向けて発信し、将来のプロ作家の発掘と輩出、それによる文学界のより一層の進化、これらを目的とした活動を行っております。

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