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絶対ふざけない男
オードリー・ヘップバーン
ある朝、浜松町の駅ビルの1階で、紙袋と折りたたみの椅子を持ち、どてら姿にナップサックを背負ったおじさんが、周りに聞こえるように声を出しながらフロアを右往左往していた。
「ちょっともういいかげんにしてくれよ! こっちは朝早くから来てちゃんとやってんだからさあ。」
「どうされました? 」
すかさず警備の人がおじさんの元へやって来た。
「だから、ここで朝5時から並んでんだよこっちは。それでこの対応はないだろっつう話よ! どうなっとるんだよあんたんとこの会社は! 」
おじさんは妙に強気だ。 が、その辺りにおじさんの言う列らしい物はどこにも出来ていなかった。
「申し訳ありません。わたしはこちらの会社様の人間ではありませんで、警備の者です。」
「警備? あのね、警備の方に用はないんで、ここの会社の対応を知りたいっつうことなんで。」
おじさんは、会話をするまで彼が警備員だと気付いてなかったようだ。目が不自由なのだろうか。
「何かこちらで大きな声を出されている方がいるので様子を見てきて欲しいということで伺いました。見た所他に人がいらっしゃらないのでお声がけしたんです。…いかがされましたか? 」
とても丁寧な応対をする警備員。しかしおじさんにとっては少し慇懃に感じられないこともない。
「余計なことすんなよ。」
「はい? 」
「あんたに話したって仕方ないんだろう? こっちは噂を聞いて来てるんだよ。5時からぁ! 」
どんなに警備員が優しかろうが、何か始終横柄に声を荒げるおじさん。関わるのを避けたいので、皆その場から数メートル避けて通っている。
「噂、ですか? 」
彼は何かの噂を聞きつけてこの場に来たという。
「そうだよ。何か文句アル・カポネ。がっはっは。」
思いつきの駄洒落をかましてご満悦だが、警備員は冷静だ。
「どのような噂でしょう? 」
「それをあんたに話してどうにかしてくれんのか? お話にならんね。」
「とにかく他にご来場の皆様のご迷惑になりますので、特に用件が分からない場合は一旦お引取り頂くよう通達しろと命じられております。」
「知らねえよ。」
「では、知ってもらいます。」
この警備員も何か一癖ありそうだ。
「何だおめえ。気に食わねえなあ。」
「はい、皆さんそうおっしゃいます。」
「てめえ、ふざけてんのか? 」
「決して。」
「決して何だよ? 」
「ふざけてなどおりません。」
「ふざけてるだろうがよ。追い出そうとしてんだろ? なーんにも悪いことなんかしてないこの一般市民のオレを。当然の権利を得ようとして、決まりに則って朝早くからちゃんと並んでたオレを、排除しようっていうんだろうがよ。これがふざけてなくて何がふざけてんだこら。」
「とにかく、一旦ここを離れましょう。これは私の勝手な意見ですが、どんな要求にしても、訴え方が暴力的に見えたら、通る物も通らなくなってしまうと思います。悪いことは言いませんから。」
ほんの数分前に比べて人通りが増えてきた。このビルの出勤のピーク時に差し掛かって来たらしい。
「調子のいいこと言いやがって。そうやって言いくるめやがって。どうせお前らグルなんだろ? 会社と関係ないとか何とか言いやがって。結局会社の命令で動いてんじゃねえかよ。」
「いえ、私の所属する警備会社がこちらの会社と契約を交わしているだけです。」
「どうせエドモンド本田とミッツ・マングローブなんだろうがよ。」
「はい? 」
「シコってんじゃねえよ。」
「とにかく、移動して頂きます。こちらへどうぞ。」
そう言って、警備員が彼の手を引こうと触れた瞬間、始まった。
「痛たたたたたたたたたた!! 」
おじさんの得意技なのだろう。触られた瞬間に骨折または脱臼させられたフリ。これでその場を凌いで来たことも一度や二度ではないと思われるほど、それは堂に入っていた。
「見事ですね。」
「バカヤロウ! お前が、痛てて! 何しやが、痛! やめろこのやろう! 」
一人で大暴れしているおじさんだが、通りすがりの人の目には、確かに警備員が加害者に見えなくもないかも知れない。ただ一部始終はHD画質の防犯カメラでずっと撮影され続けている。
「落ち着いて下さい。私、危害を加えるつもりはありません。」
「痛い痛い痛い! 放してくれえ! 」
その時ふいに、金髪で青い瞳のアメリカ人らしき若者がおじさんに寄って行き、その耳に顔を近づけて悪戯っぽく言った。
「お前、噂になってるぜ。」
「うわあ!、なんじゃお前は? 」
おじさんも面食らっている。
「いい加減にしなさい! 」
遂に警備員が怒った。
「何なんですか一体! 」
「ちっ。」
おじさんが舌打ちして、痛がるのを止めた。いつの間にか外国人青年が消えている。
「ここへ今日朝5時に、並んだ順から5000万くれるっつうことで並んどったんじゃ、うちら。こんな大事な約束反故にするって、これどういうこと? 」
「はい? 」
おじさんの説明に思わず警備員が聞き返した。言い方がムカつくのだ。そしてそんなうまい話、ある訳がない。「うちら」と言ったが、どう見てもおじさん一人である。
「何か、勘違いされてるようですね。」警備員が嗜めた。
「勘違い? 最高じゃないか! オレが芳醇だって? 上等だね! 」
何を言っているのか全く分からない。これには警備員もたまらず、勤務中にも関わらず思わずiPodのスイッチを入れる。キュウソネコカミの新曲が流れ、気が充填する。
「オレの知る限り、アンタ最悪だ。」一転して警備員の言葉づかいが荒くなる。
その顔は怒気に満ち、どす黒く鬱血している。
「何だこのやろぅ。ちゃんと来てるんだから5000万くれっての! 権利だろうが! 」
おじさんは多分ふざけていない。
警備員が棒立ちになった。
「おい、あんた、ただの警備員なんだろ? あんたじゃ話になんねんだよ。この会社のオーナー呼んきてくれ! 金くれよ! 」
「お前、何言ってんだ? 」
「お前って何だお前って! あんたの立場でお客にそういう口の聞き方していいのか? 」
だが、警備員は全くひるまなかった。
「警備員が本当に警備している物が何なのか、教えてやろうか? 」
眼が完全に行ってしまっている。
「…所詮、お前はそこまでの男か。」
突然、おじさんの顔に、全てを知り尽くした男の表情が宿った。
「何? 」
この豹変に、思わず警備員も一瞬ひるむ。
次の瞬間、物凄く重い拳の一撃が警備員の右頬を襲った。
「ふぐぅっ! 」
よろけ、地面に突っ伏す警備員。
「何しやがる! 」
「ぶん殴ったのさ。」
絶対ふざけない男(完)
2015年10月13日 発行 初版
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初めまして。 薄い本をいっぱい出したいです。