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サマソニ

キム・ギドク

サマソニ書林



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      サマソニ
                     キム・ギドク


 その左膝の脇に出来た小さな痣に気付いたのは、一週間程前のことだった。
始めは小さく泥が跳ねた跡のようで、何か汚れが付いたのだとばかり思っていた。

 だが、違った。

 風呂に入り、何度こすってもとれず、それは本当に少しづつではあるが、色素と面積を日に日に増やしていった。

 このまま行ったら、いつかはこれに体中覆われてしまうのではないか。
そんな恐怖が頭をよぎり始めた頃から、更に事態は少し深刻になった。

 痣の中心から、鈍い痛みを感じるようになったのだ。

 日々、何をしていても、片時も離れることの無い痛みは、例え鈍くはあっても耐え難く、ある日、勤めを早退し、皮膚科へ向かった。


 痣を一目見て、医者は言った。

「あなた、サマソニに行きましたか? 」

「は? 」

「サマソニ。」

「何です? 」

「サマソニ。」

 この医者は狂っているのだろうか? 見た目は三十代後半くらい。男性。黒縁のメガネに不精髭。髪型はお世辞にも整えてるとは言いがたいが、その乱雑さを自身で気に入っている節が伺える。

「行ったんじゃないですか? サマソニへ。」

「…だったら何なのですか? 」
 
 行っていた。

 彼の言う「サマソニ」が、2000年から毎年8月に開催されているロックフェスティバル、サマーソニックのことなら、2003年、英ロックバンドの最高峰、ブラー、2010年にはガンズのスラッシュのステージにB'zの稲葉が飛び入りした伝説のステージ、2005年には食中毒にあったスタッフの姿等も見ている程に通っている。


「怖くはないですか? 」

 出し抜けにそう言われても、どう答えていいかまるで分からない。
 
「あの… 何なんでしょう? 」

「はい。じゃあ、これならどうです? 」

 医者の机の目の前にある、カルテなどを貼るホワイトボードに、まさにレントゲン写真のように加工された薄い板が一枚貼られた。

 …確かに静かな恐怖を感じる。
 縦にやや圧縮されたような明朝体。私の記憶が確かなら、漫画『ドラゴンヘッド』でタイトルに使われていたのと同じ書体。

「…まあ、これは、少し怖いです。」

「でしょう? 」

 しかし、だったらどうだというのか… ただ、このやり取りの間、不思議と例の膝の痛みが和らいでいることに気が付いた。

 医者は続けた。

「では、こちらではどうでしょう? 」

「どうって言われても… 」

 二つに気持ちが引き裂かれる。馬鹿馬鹿しい。でも、確かに今痛みを感じていないということは、これは何か治療法の一つなのかも知れない。

「先程よりは、怖くない? 」

「…はあ、若干慣れたっていうか。」

「そうですか。…では、これは? 」

 明らかに恐怖心が少し消えていた。だが、その瞬間、再び痛みが襲って来た。恐怖心と痛みは反比例の関係にあるようだ。

「すみません。あなた今、痛みを感じていましたね? 」

「はい。パネルが変えられた所から、また少し痛み始めました。」

「そうですか。濁音が入ると怖くなくなる傾向があるようなんです。」

 それが分かっているのなら、そういうの見せてくれなくていいのに。

 さっきから、どこからこのパネルを出してきているのだろうと思っていたのだが、彼の足元の紙袋の中に何枚か入っているのが見えた。
 全部見せていくのだろうか。

「もう少しだけお付き合い下さい。では、こちらでは? 」

 痛い。濁音が入っていないのに。
 というか、この方法に慣れてきてしまって、もはや恐怖心が沸かなくなっているのかも知れない。

「痛いです。」

「え、これで痛い? おかしいな… 」

 まずい、彼の信念が揺らいでいる。医者が致命的なミスを犯すのは大概こんな時ではないだろうか。

「こちらならどうです。」

 激痛が走った。

「ごめんなさい! 」
 私の苦悶の表情に気付いて、すぐにパネルを下げてくれたが、医者は焦りを隠さなかった。

「おかしい。こんなはずでは… 」

 例え心でそう思ったとしても、そんなに動揺したそぶりを患者の前で見せるのは、プロとしてどうなのか? 私は憤っていた。そして、これ以上この療法に身を委ねる必然性を感じなくなっていた。

「もう一枚、もう一枚だけ、見てください。」
「いや、もう結構です。」
「え? 」

「あの、見て、どうなるんでしょうか? この痛みは、ある程度の恐怖心が湧いた時に中和する、ということは分かりました。でも、四六時中恐怖心を感じているなんて、そっちの方が頭がどうかなってしまいそうです。結局あなたはこの病気を治せるんですか? 」

 さっきまであれ程気後れしていたのに、淀みなく一気にそう言い放つことが出来た。医者の弱気に対して怒りが湧いたためだ。何が自分を後押しすることになるか、本当に分からない。医者は言った。

「治せるか、治せないか、半々です。次の一枚であなたがどう反応するか、それで決まると思うので、申し出させて頂きました。いかがでしょう? 」
 そこまでいうなら、ダメ元でやってみないこともない。けど…

「待って下さい。これは一体何という病気なんですか? 他にもこういう方は多くいらっしゃるんでしょうか? 」

「最近、徐々に増えておいでです。『若年性サマソニ恐怖&痣イタイ症』。私はそう呼んでいます。」

「…&? 」

「&。」

「帰ります。」

「待ってください! 」

 ふと横目で見ると、医者の手にあるパネルの文字が見えた。

 痣が疼いた。

          サマソニ(了)

サマソニ

2015年10月17日 発行 初版

著  者:キム・ギドク
発  行:サマソニ書林

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UNO千代

初めまして。 薄い本をいっぱい出したいです。

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