spine
jacket

───────────────────────



豊かな文章

シケイン

シケイン出版



───────────────────────


     豊かな文章
                    シケイン


 嗚呼 何ということだろう

 何と 豊かなんだろう

 ごらん このたゆたいを

 豊か過ぎて 父さん 何の言葉も出ない

 出てるじゃないか とは 言わないで欲しいんだ

 ごらん 空にたなびく長い煙と 風にはためく大きな布を

 巨大な川や 滝を

 まばゆい星たちを

 海を

 おお おお

 豊かなイメージが 無限に広がる

 イメージが 貧しいんじゃないかって?

 そんなことは ないさ

 地球 宇宙 惑星

 動物 植物 人間

 昆虫 

 豊か過ぎて 父さん 今 芳醇だ

 ストイック という言葉に宿る 真剣さ

 リリシズム という言葉から溢れる 叙情

 色んな ウォッチ

 放り込んできたな という おまえの推察

 少なくとも ここで 豊か という言葉 そのものを使うのは

 だめだろ という おまえの考え

 全ては やさしい音に つつまれる

 この うねりに 身をまかせれば

 全ては 赤子の 初めて見る世界に

 母親の胎内の 心音に

 合唱コンクールの 歌声に

 吹奏楽部の 演奏に

 クライマックスシリーズの 興奮に

 世界中のスポーツ選手の 素晴らしい身体能力に

 世界中の天才の 驚くべき才能に

 子供たちの 無邪気に

 大人たちの 憂慮に

 何ちょっと まじめぶってんだよ という

 おまえの いらだちに

 今日もまた 豊かで 芳醇な 一日が 終わる

 夕暮れ時で しんみりしてるんじゃないかって?

 真夜中さ

 太陽が 昇ってきた

 やっぱり 豊かだ

 生 ある限り

 命の 律動

 脈拍

 もういい もういい

 チョメチョメ してる?

 おい ババア

 あふれ出る ユーモア

 読みごたえしかない

 読みごたえしかない








             2.


「お母さん、この詩みたいの何? 」

 大森たお。12歳。
 2032年、暮れの大掃除で、古いカレンダーの裏に筆ペンで殴り書きされた詩のような物を見つけ、母親のいちかに報告した。

「え!? 懐かしい! それどこにあったの? 」

 大森いちか。35歳。
 広告制作事務所で働きながら、女手一つで娘を育ててきた。

「押入れのすみ。」たおは言った。

「これねえ、昔パパがふざけて書いたの。それこそお正月に。でも完全にふざけるんじゃなくてね、少しは感動させたかったんだって。その時のこと今でもよーく覚えてるよ。」

 いちかの夫、たおの父親、大森貞行は、たおが5歳の時に病気でこの世を去った。まじめだが内に秘めた妙な遊び心を持った人物で、時折そんな面を見せては周囲を困惑させることがあった。

「え、これお父さんが書いたの? 」
 たおが驚きつつ、でも少し嬉しそうに言った。

「そうよ。どう思った? 」
「えー、何か凄い。お父さんて、こういう字書く人だったんだね。」
 
 たおが父親の文字を見るのはこれが初めてのことだった。上手いのか下手なのか分からない、味のある字だとたおは思った。
 PCやスマホの普及で、中学に入る頃には誰しもほとんど文字を書くことはなくなっていたが、たおは幼い頃にエンピツや筆で文字を書いていた頃のことを思い出し、頭の中でその頃の自分や友だちや先生の書いていた文字と、今見ている父親の文字を並べてみた。

「変な字でしょう? 自分でも字が下手だって気にしてたけど。」
 
 いちかはその時の夫の情けない顔を思い出してふき出しそうになった。

「下手だとかは思わないけど、何か不思議な字だよね。確かに。」
 たおも、文字を見たことで、わずかばかり残っている父親との記憶を思い起こしていた。中でも父と母に手を引かれてファミレスに行くのが大好きだったことと、その場面が強く思い浮かんだ。

「ハンバーグ好きだったよね。」
「そう、よく覚えてるね。」
「忘れないよ。ほんのちょっとしか覚えてることないんだし。」

 たおには別に、父を早くに亡くした不満を母にあてこすろうという思惑などなく、自然に出た表現としてそう言っただけだったが、いちかは少し気に病んだ。

「ごめんね、たお… 」

「あー、何々? そういう意味じゃない。ごめん! 全然違うから。本当に、ただ単に覚えてることが少ししかないっていう意味だから。」

 娘がそう言えば言うほど、いちかには彼女が健気に思えて涙が出そうになる。
「お母さん、マジで怒るよ。そんなことよりね、これ意味を教えて欲しいんだけど。」
 そう言って、たおはカレンダー裏に書かれた、ある文字の部分を指で差しながらいちかに聞いた。

「ここんとこ。」

 色んな ウォッチ 
 放り込んできたな という おまえの推察

「これ、どういう意味なの? 」

「…ああ、これは多分、妖怪ウォッチのことと、iウォッチのことだと思う。お母さんもハッキリは分かんないけど。」

 あの日、貞行はお酒を沢山呑んで、お正月から一つ景気付けのために一筆したためるのだと急に言い出し、実行に移したのだった。最初は大真面目にやる気でいたくせに、すぐにふざけたくなって、結局それは、笑わせようとしているのか何なのか分からない物になって、いつも通りその場を微妙な空気にした。

「妖怪ウォッチってあの? 」
 子供時代に誰しも通る、息の長い作品だが、貞行がこれを書いた頃はブームから数年が経ち、ひと段落付いている頃だった。

「そう。何か人が忘れた頃に、その忘れてる何かを皆に思い出させたがる人だったのよね。」
「何それ? どういうこと? 」

 具体的に言えと言われると、中々例を思いつかない。でも、まさに今、中々に何かを思い出せないでいるまさに今のこの感覚のことを言っていたのだなあと、いちかはちょっと思った。

「例えばね、そのものズバリは思い出せないんだけど、何かはぼんやり浮かんでて、ここまで出てきてるのに、後少しで思い出せない! ていう時ってない? 」

「ある! 超ある。」
 たおにも通じたらしく、乗ってきた。

「どんなことが思い出せなかった? 」

「うわあ…今度はそれが思い出せない…グルグルするなあ… 」

「ね、面白くない? 」
 いちかも話しながらその感覚を思い出して、ワクワクしていた。

「パパ、そんなことばっかり言ってたのよ。お仕事は普通のサラリーマンだったけど。」
「そうなんだねー。凄い! 」

 この場にはいないけど、父の何か才能の一端に触れた気がして、たおは嬉しかった。

「え、え、じゃあここは? 」
 またしても たおが文字を指差した。

 豊か過ぎて 父さん 今 芳醇だ

「あー、はは。」
 いちかは力なく笑った。
「何々? 」
 たおが食いついてきた。

「パパね、何か仰々しい熟語が面白いって言ってたの。仰々しいって分かる? 」
「分かんない。あ、何か、強そうってこと? 」
「そうね、大げさで物々しいって意味だから、物々しいだけ取り出せば強そうってことも言えるかも。でもまあ、大げさなってことね。」

 まさか今になってこんなに夫の頭の中を再びなぞるようなことをすることになるとは思わず、いちかは本当に楽しい気分になっていた。貞行は存在その物が楽しい人だった。

「大げさな熟語って? 」
「んー、例えばさっきの芳醇とか、…激写とか、襲撃とか? 」
「えー何それ? 全然分かんない。」たおが笑いながら言った。

「実際に書いてみたら分かるかな… 」

 いちかはテーブルの上にあったタブレット端末でメモ帳を開き、声に出しながら「げきしゃ→『激写』」「しゅうげき→『襲撃』」「ほうじゅん→『芳醇』」と、打っては変換していった。

「パパの名誉のために言っておくと、今は適当にお母さんが言葉チョイスしちゃったんだけどね。」
「それじゃあ伝わんないじゃん。ていうかでも、何となく分かったかも。」
 いちかは何だかまじめに聞いてるたおが可笑しくなってきた。

「何か、凄そうな言葉っていうの? そういえばパパ、テレビのニュースとか見てて、誰も笑ってないところで一人でニヤニヤしてたりとかよくあったわね。」
 夫にそういう時に話しかけてもこちらの声は何も聞こえていなかった。

「何か、ヤバい人みたいじゃん。」
「実際、ヤバい人だったのかもね。」
 そのヤバさに魅かれて一緒になったのかも知れないなあと、いちかは改めて思った。

「パパ、嫌な気持ちが吹き飛んだって言ってたよ。」
「え?」
「この詩みたいなやつ書いたときに。」

 貞行は、仕事や日常生活の愚痴のようなものを全く言わない人間だった。その代わりに、彼の頭の中で何らか変換された言葉がこういう形になったのかも知れない。

「何かでもイライラしてる感じじゃあないよね。この詩。」
 たおが言った。

「どんな感じがする? 」

「何か… ゆったりしてる感じかな? 」
「そっか。」

「だから、パパがこれを書いてイライラとかモヤモヤとか吹き飛んだっていうのがちょっと分からないかも。」
 いちかにも本当のところはよくは分からない。でも、

「たおにはまだ分かんないかも知れないけど、パパ、これ多分ふざけて書いたんだよね。お正月に書初めするって、普通結構まじめなこと書くから、そのこと自体をからかいたかったんだと思う。お酒も沢山飲んでたし。たおも、思いっきりふざけた時ってスッキリしない? 」

「する。」
「でしょ? 」

 しばらく、何も言わずに二人でその古いカレンダーの裏に書かれた文字の群れを見ていた。

「…チョメチョメって… 」
「ん? 」

 静けさを破って たおが聞いてきた。

「これ、何かエロい意味なの? 」
 詩のラストの部分。畳み掛けるように俗な表現が並んでいた。

 もういい もういい

 チョメチョメ してる?

 おい ババア

 あふれ出る ユーモア

 読みごたえしかない

 読みごたえしかない

「あはは。…さあ。あんまりっていうか、ほとんどそういうこと言わない人だったけどね。でも、どうかな。」

「結構ひどいよね。ババアとかさ。」
 たおは少し呆れ顔を浮かべながら文字を見下ろしていた。

「これはね、ラジオとかテレビに出てたあるタレントさんがね、年配の女性に声をかける時にわざとこういう風にキツい言い方をして、それで逆に凄く喜ばれてるっていうのがあって、そのことだと思うんだ。」
 貞行はタレント、毒蝮三太夫さんの大ファンだった。

「ババアって言われて嬉しい人なんているの? 」
「フフ。多分言われたことが嬉しいわけじゃないよ。言ってる人が楽しませようとして、わざとありえないこと言ってるのがみんな分かってるから、楽しい気持ちになるんだよ。」

「そうなの? 全然分かんない。」
 たおは父親に似ず、ひねった冗談などまるで言わない。ただまっすぐそのままで物事を捉える力には、たまにいちかもハッとさせられることがある。それが子供ならではの物なのか、本人の持っている才覚なのか、いちかにもまだ分からなかった。


「思い出しちゃった。こんな豊かな文章見たことがあるか? って、パパこの紙をお母さんの方に差し出しながら言ってたの。」

「ええーっ? そういうこと普通自分で言うかな? わたしなら恥ずかしくて言えないよそんなこと。」
 たおは口を片手で覆って言った。単純に自分で自分を褒めて誇示するような恥ずかしさとして伝わったらしい。

「だから、それがユーモアなんだよ。パパなりの。次のところに書いてあるでしょ? あふれ出るユーモアって。」

「ユーモアって? 」

 いざ簡単に説明しようと思うと難しい。が、いちかはこういう時、出来る限りすばやく、平易な言葉でたおに示すよう心がけていた。娘に語彙を増やすチャンスだ。

「人が思わず笑っちゃう様なおかしいこととか。変なこととかも入るかな? そこちょっと分かんないけど、大体分かる? 面白だよ。オモシロ。」

「ギャグとか? 」
「そう、ギャグもユーモアの一部。」

「これ、ギャグなの? 」
 たおが紙を持ち上げて言った。

「…じゃないのかな? 」
 だと思う。

「お母さんはこれ見せられた時、笑った? 」

 どうだっただろう。

「んー、笑って… ないかな。」
「どう思ったの? 」

「んー… もうっ… って感じ。」
 いちかは言いながら笑ってしまった。

「パパ、スベってるじゃん。」
 たおも笑った。

 いつか、この文章を書いたお正月とは別の日に、貞行が言っていたことをいちかは思い出した。

「それに出会った人は、ワクワクしたり、楽しい気持ちになったり、まるで急に古い友だちに出会ったような気がして、ドギマギしたり、時めいたり。とにかく魂を揺さぶられるそれに、出会いたいんだ。」

 夫はそうはっきりとは言ってなかった。美化されてる。じゃあいちかは思い出し損ねたのだろうか? 

「パパって寒い人だったの? 」

 そう言うたおの目からは、自分の父親がそんな人であって欲しくないという懇願と、単純な好奇心とが伺えた。

 もう三十年近くも前から、面白くないことを言って座を白けさせるようなことをサムいと言うが、いちかはいまだに慣れない。


「寒いっちゃ寒いわね。」
 使うのだが。

「ええーっ。…何かがっかり。」
 言いながらもたおの顔にはゆったりとした微笑みが浮かんでいた。

「本当に。じわじわ来る人だったわね。」

 その言葉に二人して軽く笑った後、静寂が訪れた。

 そして、楽しいことも、驚きも、くだらないことも、たわいのない思いつきも、悪ふざけも、座を凍らせる寒さも、何もかも無効にしてしまう死という物のどうしようもなさに、いちかは改めて向き合わされて愕然とした。


「どうして… 」

 無意識に出たその言葉の先をそれ以上漏らさないようにするためか、いちかは両手で咄嗟に口を覆っていた。

 涙が溢れた。


 いやいやいやいや、ないだろう。
 大人がまず泣いてどうするのだ。いちかは何とか気持ちを立て直そうとするが、後から後から、しばらく涙は溢れ続けた。

 いつの間にか、たおがいちかの左手を握っていた。

「大丈夫だから。」

 たおはまっすぐ前を見ながら言った。

「え? 」
「大丈夫。でしょ? 」

 娘の目が今度はまっすぐ自分の顔を見上げている。
 自分だってよっぽど辛かったろうに、彼女は全く涙を見せてはいなかった。
 

「そうだね。」

 いちかは左右の涙を軽く手の甲でぬぐって、気丈な笑顔で娘に応えた。


 二人は、静かに年末の大掃除を再開した。


                  豊かな文章(了)

豊かな文章

2015年10月25日 発行 初版

著  者:シケイン
発  行:シケイン出版

bb_B_00139585
bcck: http://bccks.jp/bcck/00139585/info
user: http://bccks.jp/user/135482
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

UNO千代

初めまして。 薄い本をいっぱい出したいです。

jacket