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*この本は更新型です。
新作品のWeb公開に合わせ、随時更新いたします。
朝。男は肩に鞄をかけると、釣り竿と大きなバケツを持って出かけます。
階段に通じるドアを開け、らせん階段に足をかけます。長い長いらせん階段を規則正しいリズムで登り切ると、そこは雲の上です。
男は雲の切れ間へと歩を進め、足をぶらりとさせて雲の端に腰をかけました。そして鞄から餌入れを取り出すと、釣り針に引っかけて下の空におろしました。しばらくして糸がぴくぴくするので引き上げてみますと、赤と青の風船が釣り糸に絡まっています。男は苦心してもつれあった糸をほどき風船をバケツの取っ手に結びつけると、また釣りに戻りました。
もうしばらくして、今度は大きく竿が傾いだので、男は張り切って引っ張り上げました。かかっていたのは、色鮮やかな鯉のぼりでした。
「今は冬だぞ。いったいどのくらい泳いでたんだい」
男は背丈より長い鯉のぼりを丁寧にたたみ、お尻の下に敷きました。
「どうも今日は当たりが悪い」
なおも辛抱強く獲物がかかるのを待ちますと、さっきよりも重い感触です。今度こそはと竿をあげると、釣り上げたのはセーラー服の少女でした。顔を真っ赤にして怒っています。
なんでも、自殺しようとビルの屋上から飛び降りた瞬間、釣り針に引っかかって引き上げられたとか。
「そりゃあ悪いことしたな、じゃあここからやり直してもらっていいぜ」
少女はぐっと言葉に詰まって、雲の隙間からこわごわ下を覗きましたが、その高さにぶるぶると首を横に振りました。ビルの屋上でもやっとの思いで飛んだのです。あの怖さをもう一度、何十倍もの高さからやり直すなんてできません。
「飛び降りないのなら手伝ってみるかい」
男はもう一本の釣り竿を少女に渡しました。
「手始めに、餌はこれで」
男は小さなエビが入った容器を足で押して寄越しました。その隣で、男はバケツから生きたネズミを取り出し、自分の針の先に刺しました。少女が見守る横で、ネズミはぽいっと雲の下に投げられてぶらぶらと浮いているのでした。
「なにやってる。早く投げろ」
「あの……何を釣ってるの」
「鳥だよ」
「ネズミで鳥を釣るの?」
「肉食の大物狙いなんだよ俺は」
言われるままに少女が釣り糸を垂らしてみますと、じきにぐいぐいと引っ張るものがあります。少女ひとりの力では竿を取られそうだったので、男と二人がかりで引き上げると、その大物はマンボウでした。尾びれに針を引っかけたまま、うらめしそうな丸い目で男を睨んでいます。
「なんだよ。またお前かよ」
男はうんざりといった様子で針をはずします。
「何回引っかかりゃ気が済むんだよ。この辺りは迂回して行けって言ったろ」
「ほぉーい」
マンボウは雲から空に飛び込むと、尾びれをぱたぱた振りながら西の空に去っていきました。
なおも二人が釣りを続けていると、やっと男の針に獲物がかかりました。
「カモメか」男は少々不満そうでしたが、
「あまり旨くないんだけどな。まあ釣果なしよりいいか」
ばたばたと暴れるカモメの足を縛る男を少女はじっと見つめて、
「カモメって、海の鳥よね」と聞きました。
「ああ」
「海、近いの?」
男は首をかしげて、
「マンボウの通り道だし、近いんだろう。これは雲だから流されてるけどな。たぶん、あっちのほうだよ」
男が指さす方向にも雲の原っぱが続くだけでしたけど、少女は歩くうちに雲の穴を見つけて、そこから下界を見下ろしました。穴から覗けるぎりぎりの場所に、きらきら光る大きな水が見えました。男は興味ないらしく、釣り竿を持ったまま眠そうにしています。
「いいなあ。行きたいなあ。海」
「行けばいいさ」
男のつぶやきに少女は穴から顔を上げました。「行ける?」
「行けない場所なんてないよ」
日が傾くまでに男が釣ったのは、結局カモメ一羽だけでした。
少女はうつぶせに寝そべり、ずっと雲の下を見張っていました。
「あ、マンボウさん!」
向こうの空から、昼間のマンボウが泳いで来るのが見えました。
「おーい、おーい!」
少女が一生懸命呼んでもマンボウは気がつかないようです。男は手近の釣り針をバケツに結んであった風船に突き刺しました。
バン! バン!
マンボウは目だけをちろりと動かすと、二人のいる雲に寄って行きました。
少女は、マンボウが海に帰るついでに、一緒に連れてってくれるよう頼みました。マンボウは「ほぉーい」と体を縦に揺らして頷きました。
少女がマンボウの背中にまたがり、しっかりと尾びれをつかむと、マンボウはバランスが取りにくいのか左右に揺れながら、海の方角へと帰って行きました。
「さて、こっちも終いにするか」
男は道具を片付けてカモメを背負うと、バケツと竿を手に、雲の原っぱを戻りました。長い長い階段を降りて家にたどり着くと、カモメの羽をむしって料理をしました。やっぱり旨くないなあと言いながら食事を終えると、針箱を出して昼間の鯉のぼりに縫い物を始めました。鯉のぼりは綿を詰められて、やがて新しい布団になりました。
ぴゅるるるる、
と。警笛を鳴らしながら嵐がやってきます。
鳥釣りは嵐にそなえて窓をしっかりと閉めました。ドアも閉めて、風で開いてしまわないように横木を渡しました。それから思い出して、たまにやってくる猫のために開けてある穴をふさぎました。
頑丈に戸締まりをすませると、鳥釣りはろうそくを灯して本を読み始めました。そこへドアをごんごん叩くものがあるので、誰かいるのかいと聞くと、がるるる。と、唸り声が聞こえました。
がるるる。
鳥釣りも挨拶をして、横木を外すとドアを開けて熊が入ってきました。
「どうしたいこんな嵐の晩に」
「いや、ねぐらの近くの崖が崩れそうになっててさ、直すのが間にあわなかったから、鳥釣りさんとこに避難させてもらおうと思って。ほら、はちみつ酒も持ってきたよ」
「ああ、そりゃいいね。飲みながら嵐をやり過ごそうか」
鳥釣りと熊が椅子にかけようとすると、ドアがごとんごとん鳴るので、
「風かね」と熊が言うと、
「風だろう」と鳥釣りも答えました。
それからはちみつ酒をとぷとぷとカップに注いで、時間をかけて飲みました。
「うまいだろう」
「うまいねえ」
またごとんごとんとドアが鳴ります。
「雨も強くなってきたようだね」
「そうだな」
すると今度はがつんがつんと音が激しくなったので、鳥釣りがドアの前まで行って耳をすますと、
「開けて開けて」
聞き覚えのない声に首をかしげながらドアを開けると、びしょ濡れのレインコートを来た男が立っていました。
「郵便配達です」
「郵便?」鳥釣りは首をかしげました。「俺に手紙など書くやつはいない」
「僕じゃないかな」と熊が口を出しました。「いちど手紙ってものをもらってみたいと思ってたんだよ」
「残念ながら」郵便配達は申し訳なさそうに言いました。「受取人は鳥釣りさんです」
鳥釣りは筒状に丸めた葉っぱを受け取りました。結んであったひもをほどいて葉っぱを開いてみましたが、虫が這った跡が点々と白く残っているだけです。
「何て書いてあるのかわからない」
郵便配達はレインコートのポケットから虫めがねを取り出し、葉っぱをのぞきこんで読み上げました。
「あ・ら・し、……ああ、『あらしがきますよ』ですな」
「知ってるよ。そんなに濡れてるじゃないか」
「そう言われましても。手紙にそう書いてあるのですから」
郵便配達は文句を言いました。
「それに、まだ続きがあります。『か・い・た・ん・ち・ゆ・う・い』? なんのことでしょうな」
「階段注意だ」
鳥釣りがぽんと手を打って叫びました。
「ああいかん。階段をしまうのを忘れていた」
鳥釣りがあわてて奥のとびらを開けると、そこには雲へ続くらせん階段が雨に濡れていました。見上げると、はるか上の方が大風に揺られてかしいでいます。
階段のすぐ横には丸いハンドルがついていて、鳥釣りがそのハンドルをぐるぐると回すと、雲へと伸びているらせん階段がしゅるしゅると縮んで下りてきます。ハンドルを回し続けてくたびれた鳥釣りは、熊に交替してもらいました。熊が腕が痛いというと、また鳥釣りが回しました。それでようやくらせん階段のてっぺんがみんなの肩の辺りまで降りてきました。
ばりばりばり、
と空が割れるような音がして、雨がいちだんと強く壁をたたき始めました。
「階段があのままだったら雷にうたれていたかもしらんな」
鳥釣りはほっとため息をついて、郵便配達に椅子をすすめました。
「やあ助かったよ。すっかり階段のことを忘れてた。お礼にムクドリのパイでもご馳走するよ。熊特製のはちみつ酒もあるよ」
「本当ですか。じゃあ仕事も終わったことだし」郵便配達はうれしそうに答えました。
「そういや誰からの手紙だったんだ」
郵便配達は葉っぱを裏返してしげしげと見ましたが、差出人の名前はありませんでした。
「なあ、鳥釣りさん。この手紙、僕がもらってもいいかい?」熊が遠慮がちに言いました。「手紙って、出したことももらったこともないんだよ」
「かまわんよ。はちみつ酒をもらったし、階段をしまうのを手伝ってもらったからな」
熊は鳥釣りから手紙を受け取ると、そうっと丸めて筒状にして、元のひもで結びなおしました。
「ああわかったよ鳥釣り、この手紙を出したのが誰か」熊がとつぜん叫びました。「ほら」
熊が差し出したのは、葉っぱの手紙を結んだひもでした。ひもはこよりで出来ていて、こよりの開いた部分には、小さな小さな稲妻の形が、『かみなり』という字とともに書かれていたのでした。
いつものように、鳥釣りが雲の上から釣り糸を垂らしていますと、熊が大きなバスケットを提げてやってきました。
「下は暑くてたまらなくてさ。夕方までここで涼もうと思って、お昼ごはんも持ってきたよ」
バスケットの中にはたっぷりのサンドイッチと魔法瓶が入っていました。
「サンドイッチの具はなんだい」
「たまごサンドイッチと、鮭とレタスのサンドイッチと、いちじくジャムとハムのサンドイッチだよ」
「きゅうりはないのかい」
「僕はきゅうりは食べないよ」
熊は鳥釣りの隣に腰をおろして、カップにお茶をそそぎました。
「きゅうりのサンドイッチが好きなんだけどな。きゅうりしか入ってないやつ」
鳥釣りはバスケットの中をのぞきこみながら、未練がましく言いました。
「鳥釣りさん。糸引いてるよ」
見ると、竿がぴくぴく動いています。鳥釣りは立ち上がって注意深く引き上げました。
かかっていたのは、ペンギンでした。
「なんだってこんなのが釣れるんだ」鳥釣りはいまいましそうに言いました。「ペンギンなんてお呼びじゃないんだよ」
寒い国に住んでるはずの、飛べないはずの鳥なのに、どうして鳥釣りの竿にかかったのかと、ふたりは首をかしげました。ペンギンはきょとんとした様子でじっと鳥釣りを見上げています。
「料理して食べちゃえばいいじゃない」
熊は、たまごのサンドイッチをもぐもぐしながら言いました。
「こいつは、なんか不味そうだ」
そのとき、じっと立っていたペンギンが、ぐえっと魚を吐き出しました。
「それに、生臭いものは苦手だ。熊にやるよ」
熊はペンギンが吐き出した魚を拾って傷がついてないのを確かめてから、「ぼく、これでいいや」と言いました。
後ろでがさごそ音がするので振りかえると、ペンギンが餌のエビを食べようとしています。待て待てとペンギンを後ろから捕まえた鳥釣りは、ペンギンの尾羽の先っぽから、金具のようなものが出ているのを見つけました。
「何だこれは」
鳥釣りが引っ張ってみると、金具らしきものは上のほうへ滑って、ペンギンの背中をまっすぐ半分に開いていきました。ファスナーだったのです。金具はペンギンの頭のてっぺんで終わって、そこからペンギンの白黒の皮がぺらんとはがれ、中から同じ色の、少し小さなペンギンがあらわれました。そのペンギンの尾羽にもやはり同じような金具がついています。それも持ち上げてみますと、またもやペンギンの背中が割れていきます。そして中からもっと小さいペンギンが。
「あれあれ」
次々ペンギンの皮をむいていって、最後の皮がはがれたあとに立っていたのは小さな生き物でした。
「きみ、ペンギンじゃないね」
「はい……わたしはカワウソです」
カワウソはぶるぶる震えながら、ことの起こりを話し始めました。
「わたしは体が小さくて泳ぎも下手なことから仲間うちでいじめられていたので、生まれ育った川を出てさまよっていたところ、ペンギンにならないかと誘われまして」
「ペンギンに?」
「はい。ペンギンスーツを着て南極を目指そう、と言われまして。ペンギン協同組合を名乗ってましたが、たぶん中身はペンギンではないのでしょう。わたしは寒がりなので断ったのですが、あれよあれよという間に無理やりスーツを被せられてしまってから、自分がカワウソだということを忘れておりました。そのまま南極に向かおうとしていたのですが、この暑さです。寒がりのわたしもまいってしまって、いっそ南極まで泳いで行こうと手近な崖から飛び降りたはずがこちらに……」
カワウソはいっそうぶるぶると震えて、
「あの、わたしは、これからどうなってしまうのでしょうか」
鳥釣りと熊は顔を見合わせました。
「とりあえず食べられることはないな。俺は鳥しか食べないから」
「僕は魚をもらったしね」
熊がそう言うと、カワウソはほっとしてやっと震えがおさまりました。
夕方になって熊とカワウソは一緒に帰って行きました。熊のねぐらのそばに川があるので、カワウソは近くに家を作ることにしたのでした。
「魚もとれるよ。それでその魚を、時々分けてくれてくれると嬉しいなあ」
ふたりが雲を降りたあとも、鳥釣りは釣りを続けました。カワウソのおかげで仕事がはかどらない一日でしたが、カワウソが残していったペンギンの皮をためしに餌にしてみると、これまでで一番大物のオオワシが釣れたので、鳥釣りもその日はご機嫌で家に帰りました。
雲の上も、寒くなってきました。この日はとくに冷えたので、鳥釣りはマフラーを巻いて釣りをしていました。
お昼すぎに熊がやって来ました。
「冬眠のしたくで忙しいんじゃないのかい」
山が色づきはじめるとすぐに冬がやってきますから、冬眠する動物たちは食べ物をためこむのに大忙しです。
「うん。そろそろだよ。だから鳥釣りさんが大漁だったら、おこぼれに預かろうと思ってさ」
「今日のところはあいにくだな」
鳥釣りは空のかごを見せて言いました。ちょうどその時、鳥釣りの竿が引いたので上げてみると、リスが尻尾を引っかけられていました。
「ドングリを隠してるところだったのに」
リスはぷんぷん怒っています。
「すまん」鳥釣りは素直に謝ると、
「もう一回竿で下ろそうか」と言いました。
「冗談じゃないわ。わたしを餌にする気なの」
ますます機嫌を悪くしたリスに、熊は
「あとで僕のバスケットに乗って降りればいいよ」と声をかけました。
熊がお茶をふるまって三人はひと息入れ、鳥釣りはまた仕事にかかりました。すると今度はすぐに獲物がかかりました。釣り上げてみると、それは真っ白なサギでした。
「あれ、これは何だろう」
サギの片足には細い糸が結んでありました。目をこらしてもやっと見えるほどの、金色の糸です。鳥釣りと熊は糸をたぐり寄せてみますが、寄せても寄せても糸の終わりがありません。
そろそろ糸を引く腕も疲れてきた頃、ずんと糸が重くなったと思うと、身体に糸がからまった別のサギが上がってきました。そのサギに続いてまた別のサギが。ぜんぶで五羽のサギが引き上げられました。どれも足や胴体にに糸をからませて、動くのに難儀していました。
「手伝ったんだから、僕にも何羽かちょうだいね」
熊は大漁なので大喜びです。
ばたばたと暴れるサギを縛ろうとして、鳥釣りは鳥たちの下に大きな巻き貝がひとつあるのに気がつきました。
「これは、大きなカタツムリだね」
つぶやいた熊のことばにかぶせるように、
「カタツムリなどではない」と怒った声が聞こえました。
「貝がしゃべったぞ」
「貝ではない」と、巻き貝の口から何者かが顔を出しました。「これはわしの家だ」
「わっ。大きなヤドカリさんだね」
「ヤドカリではないぞ」
その生きものは、灰色の頭をねじのようにぐるぐると回しながら、貝殻から体を抜きました。なるほどヤドカリのようなハサミは持っていません。けれど二つの目は顔からニョキッと突き出しており、胴体は針金のように細いのに手足はがっちりとたくましくて、やはりどこかヤドカリに似ているのでした。
「おまえら、わしの家をどうするつもりだ」
「家? この貝が?」
「この巻き貝はわしの家で、この鳥どもはわしの馬だ! 寒くなる前に南に渡ろうと引っ越しの最中だっていうのに、手綱をこんなにぐちゃぐちゃにしおって」
どうやら、サギたちの足に貝を結びつけて空を渡っていたようです。
「じゃあこのサギは食べられないみたいだね」
こっそりと熊が鳥釣りに耳打ちしました。
「おかげで家の中がめちゃくちゃだわい。責任とって片付けてくれ」
ヤドカリのような生きものはいきり立って言うのですが、鳥釣りの頭も入らないような巻き貝の中をどうやって片付けろというのでしょう。
「わたしがお掃除してあげようか」
それまで熊の肩に乗って見物していたリスが声をかけました。
「おお、それがいい。そっちの大きい二人は、もつれた手綱をほどいておいてくれ」
偉そうに言い残すと、その生きものとリスは巻き貝の中に入っていってしまいました。鳥釣りと熊は仕方なく、からまった金色の糸をほどきにかかりました。けれど熊はあまり手先が器用でないので、途中でやめて鳥の見張りをすることにしました。五羽のサギたちは時々逃げだそうとしましたが、金色の糸を引っ張って押さえると、縛ったりせずともおとなしく座りこむのでした。それは不思議な糸で、目に見えないほど細いのに、強く引っ張っても切れたり毛羽立ったりしないのです。
二人が苦労してやっと糸のからまりをほどき終わると、リスたちが巻き貝から出てきました。
ヤドカリ似の生きものはすっかり機嫌がなおったようで、
「わしと一緒に南に来ないかね。きみみたいな掃除上手がいてくれると助かる」とリスを誘っています。
「暖かいのはいいけれど」リスはふさふさのしっぽを振って答えました。
「でもやめておくわ。もうすぐに眠たくなっちゃうもの。それにわたし、寒い中でぐっすり眠るのが好きなの」
「そうか。残念じゃな」
その生きものはリスに手を振ると巻き貝に戻りました。それから貝の口から頭だけを出すと、何やら知らない言葉でサギたちに向かって叫びました。するとサギが皆立ち上がって、はばたきの準備を始めたのです。何度か羽の運動をしてから、次の号令を受けてサギたちは一斉に飛び立ちました。巻き貝を真ん中にきれいに整列して、南の空へ飛んでいきました。
サギの群れを見送ってから、
「ねえねえ。巻き貝のお家の中はどんなだったの?」と熊はリスに聞きました、
「それがね、とっても広いの。居間に寝室にお風呂まであるの」リスは話しながらくしゃみをしました。
「どの部屋もひっくり返っててお掃除大変だったわ。しっぽをハタキがわりにしたから埃っぽくなっちゃった」
「うちの風呂で洗っていけばいい」と鳥釣りが言いました。
「今日はもう釣れそうにないから一緒に帰ろう」
空っぽのかごと釣り竿をかついで、三人はらせん階段を下りていきました。
そういうわけで、きょうの獲物はなんにもなしです。
「やあ鳥釣りさん、久しぶり」
鳥釣りがふり向くと、熊がやって来たところでした。丸めた布団を肩にかついでいます。
熊は布団をよっこらしょ、と肩から下ろしました。
「寝ぼけて、布団にお茶をこぼしちゃったんだ。しばらくここに干させてよ。下はお天気が悪いんだ」
「そりゃいいが。今年はずいぶん早起きだな」
「こないだ温かい日が何日か続いただろう。あれで春かと思って起きちゃった」
熊はぬれた部分がお日さまに当たるように布団を広げると、乾いてる部分にあごを乗せて、ふうとため息をつきました。
「雲の上はいつもいいお天気だね」
「そりゃあそうだ」
熊は寝そべったまましばらく乾き具合を見ていましたが、本当ならまだ冬ごもりしている時期なので、そのまま寝入ってしまいました。時おり軽いいびきをかいています。その寝息があんまり気持ちよさそうなので、鳥釣りもつられて眠くなってきました。竿を置いて熊に近づくと、干したての布団のいいにおいがします。鳥釣りは熊の隣に寝そべると、そのまま吸いこまれるように眠りに落ちていきました。
二人が寝入ってすぐに、郵便配達が上ってきました。
「熊さん、ここでしたか。お届け物ですよ……おや。おやすみ中ですな」
郵便配達は布団のそばにかがんでもう一度声をかけてみましたが、ふたりともぐっすり眠っていて起きてくれません。仕方がないので、郵便配達は持ってきた小さな包みを熊の枕元に置きました。それから鳥釣りの竿が置いてあるのを見ると、そばに行って手に持ってみました。ちょっと竿を揺らしてみたりもしました。そうやってしばらく鳥釣りの真似をして満足したのか、郵便配達は糸をたらしたままの竿を置き、ふたりを起こさないようにそっと帰っていきました。
郵便配達が帰ったあと、雲の上では鳥釣りと熊のお腹が上下しているだけでしたが、しばらくして、雲の切れ間からちらちらと顔を出すものがありました。あたりの様子をうかがって、誰もいないと知るとそろそろと雲の上へとよじのぼり、現れたのはペンギンでした。ペンギンが下に向かって合図をすると、続いてもう一羽がはい上がってきました。
二羽のペンギンは眠っているふたりをのぞき込み、目を覚まさないことを確認すると、熊の小包を取りあげて勝手にほどきました。しかし出てきたものが気に入らなかったのかすぐに放り出し、今度は鳥釣りの釣り道具を物色し始めました。バケツや餌入れをひっくり返して、何かを探しているようでした。一羽が糸の垂れたままの釣竿に気付き、引き上げようとしましたが重すぎました。そこで二羽そろってくちばしで一生懸命引っ張りましたが、糸は予想外に長く、引いても引いても終わりが見えません。ペンギンたちが疲れてきた頃、ようやく雲の上に釣り上げられたのはマンボウでした。今度は背びれに針が引っかかってしまったのです。ペンギンたちは巨大なマンボウにびっくりして飛び上がり、逃げ出しました。とはいえ足はあまり速くありませんでしたが。二羽はぺたぺたと走って雲の切れ間までたどり着くと、穴に飛びこむようにして去っていきました。
残されたマンボウは針を取ってもらいたくて鳥釣りたちを呼びましたが、ふたりはいっこうに目を覚ましません。
マンボウがもがいているところへ、今度はカワウソが上がってきました。
「鳥釣りさん、川魚のフライを作ったので召し上がりませんか……おや、マンボウさん。何をやっているんです」
カワウソは背びれの針を見つけると、マンボウを寝かせてそっとはずしてやりました。
「はい、取れましたよ。気をつけてお行きなさい」
「ほぉーい」
ぴらぴらと空を泳いでいくマンボウを見送ってから、カワウソは鳥釣りのバケツや餌入れが荒らされていることに気付きました。
「マンボウさんが暴れた拍子に散らかったんでしょうかね」
しょうがないですね、とカワウソは散らかった道具を元通りに直してやりました。それから鳥釣りと熊を起こそうとしましたが、ふたりは身動きもせずにすやすや眠ったままです。
「あれ。これはなんでしょう」
鳥釣りの体のかげに小さな包みを見つけました。ほどけていたので開けてみると、中身は目覚まし時計でした。でも、針が一本しかありません。
「壊れているのでしょうかね」
カワウソは時計を包みに戻すと、雲を下りていきました。川魚のフライを置いていくのも忘れて、持って帰ってしまいました。
りん。
りんりん。
りんりんりん。
鳥釣りと熊は目を覚まして、同時にあくびをしました。
「ずいぶん寝てしまったみたいだな」
「僕、魚のフライを食べる夢を見たよ」
熊は時計を手に取ると、ぽんと叩いてベルの音を止めました。
「なんだいそれは」と鳥釣りが聞くと、
「春告げの時計だよ」と熊は答えました。「これが鳴ったらみんなを冬眠から起こしにいくんだよ」
熊は立ち上がって布団を丸めると、肩にかつぎました。
「しばらく忙しくなるよ。じゃあまたね。鳥釣りさん」
熊は先に帰っていきました。
一人になった鳥釣りも、お腹がすいたので帰り支度を始めました。熊と同じように、魚のフライが夢に出てきたせいでした。
「あーあ、今日はなんにもない日だったなあ」
鳥釣りは大きな伸びをして、ひとり言を言いました。
今日は獲物が多めに釣れたので、鳥釣りはいつもより早めに雲を下りました。ところが家のドアを開けたとたん、餌入れがないことに気がつきました。雲の上に忘れてきてしまったようです。もう日が暮れかけていましたが、餌の残りが入ったままですし、やはり取りに戻ることにしました。
らせん階段を上りきると、もう暗くなっていました。雲の上でもやっぱり夜です。それでも下と違って、雲の上は星や月との距離がとても近く、ランタンの明かりがなくても、月が足もとを照らしてくれます。夜のきいんとした冷気に、鳥釣りはぶるると震えました。
さて餌入れは、と釣りをしたほうへ探しに行きますと、何やら黒っぽいものが落ちています。餌入れの他にも忘れ物をしただろうかと近寄ってみますと、ペンギンがうつ伏せに倒れているではありませんか。鳥釣りはそっとランタンをかざして、ペンギンの尾羽の先を照らしてみました。見覚えのある金具がありました。
(ははあ、ペンギンスーツだな)
鳥釣りはカワウソを釣った時のことを思い出し、ちょん、と背中をつついてやりました。
ペンギンはぴくりと動いて起きようとしましたが、鳥釣りが尾羽をつかんでいるので逃げられません。すぐに力なく伏せてしまいました。
「ここで何をしてるんだよ。カワウソの仲間か?」
ペンギンは答えません。そういえば、と鳥釣りは思い出しました。ペンギンスーツを着ている間は鳥だから話せないんだ。
そこで鳥釣りは、尾羽の金具を引っ張り上げてスーツを脱がせました。一枚脱いでもう一枚、その下にももう一枚……五枚ほど脱いだところで、タヌキのようなリスのような生きものがあらわれました。スーツの最後の一枚を脱ぐとき、その脇の下がびろびろと広がるのを見て、鳥釣りは目をぱちくりさせました。まるで座布団のようでした。
「……モモンガ?」
「ムササビ!」
鳥釣りの言葉に、ムササビは太い尻尾をばちんばちんと打ちつけて怒りました。
「どうしていつも間違えられるんだろ。モモンガより、ムササビの方がずっと大きくてたくさん飛べるんだよ」
「知らなかったんだ」と鳥釣りは謝りました。
「それで、ペンギンスーツを着たムササビが、どうしてここにいるんだい」
ムササビはぴくっとすると、首を回して自分のからだをすみずみまで眺めました。
「ああ、どうしよう」
困ったムササビが首を回しすぎたので体も一緒に回転し、ムササビはその場でぐるぐると回り始めました。
「どうしようどうしよう」
鳥釣りがぽかんと見ていると、どこにいたのかペンギンがもう一匹飛びこんできて、ムササビの周りをこちらもぐるぐると回り始めました。
ペンギンは右にぐるぐる。
ムササビは左にぐるぐる。
ばらばらにぐるぐるぐる。
「目が回っちまう」
鳥釣りは回り続けているペンギンを捕まえると、こちらもペンギンスーツを脱がせました。するとまたしてもムササビが出てきました。スーツを剥かれた二匹はようやくぐるぐる回るのを止めて、ひしと抱き合いました。二匹は夫婦だということでした。
「ぼくたち、旅行好きなもんだから」と、雄ムササビは言いました。
「このスーツを着れば南極へ行けるって誘われたの。ペンギン協同組合のペンギンに」と、雌ムササビが説明しました。
「で、いざそのスーツを着たら、自分がムササビだってことも忘れてしまったの」
「南極に行くこともね」と、雄ムササビが付け加えました。
「その代わりに任務で頭がいっぱいだったね」
「任務って?」と鳥釣りは聞きました。
ムササビたちは顔を見合わせて、
「ペンギンスーツの回収」と、声をそろえて答えました。
「へえ?」
ムササビたちの話では、ペンギン協同組合はペンギンスーツがよそ者に渡るのを嫌がっているというのです。事故や何かで脱がされたスーツは見つけて回収せよとの命令で、どうやらこの雲の上にもひとつあるらしいと聞いて何度か探りにきたのだけど……。
(カワウソが着ていたスーツのことだな)と鳥釣りは考えました。
「ペンギンスーツはもう、ここにはないよ」
全部切り刻んで、鳥釣りの餌に使ってしまいましたからね。
それを聞いた雄ムササビがまた、「どうしようどうしよう」とひとりで回り出したので、つられた雌ムササビもその後ろを回り始めました。今度は同じ方向にぐるぐるぐるぐると。
鳥釣りは首をかしげました。
「あんたたち、今はペンギンじゃないんだから任務はいいんじゃないか?」
雌ムササビがぱたりと立ち止まり、雄ムササビは奥さんの背中にどすんとぶつかりました。
「そうよ、もうペンギンじゃないわ、わたしたち」
「そうだ。ぼくらはムササビだね」
「南極へ行くのはやめましょう」
「うん。山に帰ろうね」
そこでムササビの夫婦は鳥釣りにお礼を言うと、並んで雲から飛び降りました。風に乗って夜空をスイーと降りていくムササビの飛行は見事なものでした。
「さて。俺も帰るか」
ムササビたちを見送った鳥釣りは、二匹の置いていったペンギンスーツを両手一杯に抱えました。これでしばらく釣りの餌に困ることはありません。鳥釣りはほくほく顔でらせん階段を降りていきました。餌入れのことはすっかり忘れていたのですけど。
びゅうびゅうと風が鳴いています。
雲の上は風の吹くほかは何ごともなく、鳥釣りは鼻歌を歌いながら釣りをしておりました。いつも遊びにやってくる熊やその友達は、冷たい冬のあいだは眠っているのです。熊が持ってきてくれるおやつがないのは残念でしたが、こんなふうにひとりきりで無心に糸を垂らしているのも悪くないものでした。
毛布にくるまって気持ちよく歌っていた鳥釣りが、ぱたりと歌い止みました。メロディの続きを忘れてしまったのです。どうだったか思い出そうと鳥釣りが顔を上げると、すぐ目の前に風船がありました。真っ白い風船にはひもが結ばれていて、鳥釣りは考える間もなくとっさにそのひもをつかみました。ひもの先には小さな金属の輪っかがついています。
「おうい」
下から呼ぶものがありますのでそちらへ向くと、白い風船がもうひとつ、またひとつと鳥釣りのほうへと飛んできます。「おうい。拾ってくれえ」
鳥釣りはあわててあっちこっちと風船をつかまえました。全部の風船を手にして立っていると、雲の上に誰かが上ってきました。鳥釣りは風船が邪魔で前がよく見えませんし、上ってきた誰かはこれまた白い風船で体が囲まれていて、どんな人だか様子がまったくわからないのです。
「いやありがとうありがとう」
白い風船のかたまりから、男の声がしました。風船の間から二本の手がにょっきり出てきたと思うと、風船を両側にかき分け、そこから丸い眼鏡をかけた小さな顔が現れました。
よく見ると男の服にはびっしりとボタンが縫いつけられていて、そのボタンのひとつひとつに風船の輪っかが引っかけられています。男は鳥釣りから風船を受け取ると、ひとつ目はお腹、ふたつ目は首の後ろ、みっつ目は膝小僧というふうに、それぞれ場所が決まっているかのように丁寧にボタンに引っかけました。
「たくさん膨らませすぎたな。高度の調節が難しくてさ」
男は風船の束を気球がわりに飛んでいたのだそうです。
「いやしかしこんなに飛ばされるとは思ってなかったよ。これじゃ地面を行くほうが安心だな」
男は風船を売っているのだそうで、商売道具を拾ってくれたお礼に一本やるよと言いました。鳥釣りは風船など欲しくなかったので遠慮しましたが、男は強く勧めます。
「いいからいいから。どれかひとつ」
選べと言われても、どれも同じ白い風船です。
「じゃあこれを」
鳥釣りは男の肩から揺れている一本を取りました。
ひもを鳥釣りが握ったとたん、白い風船はぽっとピンク色に染まりました。風船の丸みが見る間に平らになり、むくむくと形を変えて、最後にピンク色のマンボウになりました。
「ちょっと振ってみなよ」
そう風船売りが言うので鳥釣りがひもを揺すってみると、風船のマンボウが甲高い声を発しました。
マチビトーシバシマテシバシマテ
鳥釣りは振るのをやめて風船売りを見ました。
「なんだって?」
「待ち人。しばし待て、しばし待て」
風船売りはゆっくりと言いました。
鳥釣りがもう一度振ってみると今度は、
ネガイゴトーイズレカナーイズレカナー
「願いごと。いずれ叶う、いずれ叶う」
風船売りはまた言い直しました。「いいのを引いたね。幸先がいいよ」
「そうかい?」
鳥釣りは風船を釣り用のイスにくくりつけました。風船売りがもう空を行くのはやめるというので、地上へ降りるらせん階段を案内してやりました。それからまた雲に戻ってきて、釣りの続きを始めました。
それからしばらく、鳥釣りはマンボウの風船を持って雲に上りました。風に揺れる風船を見ては、ちゃんと結ばれているかを確かめたり、時々ひもを引っ張っては、「マチビトー」「イズレカナーゥ」とマンボウのお告げを聞いて過ごしました。そして誰かいないかときょろきょろするのでしたが、誰も風船を見ることのないまま、そのうちしぼんでしまいました。
春は、まだまだ先なのでした。
ある朝、目が覚めた鳥釣りは髪がずいぶんと伸びていることに気がつきました。鳥釣りは一度気になり出すとずっと気になってしょうがないので、久しぶりに床屋へ行こうという気になりました。年にいっぺんかにへんは床屋に行くことにしているのです。伸ばし放題の髪なのでいつものように自分で切ってもいいのですが、その床屋にはひとつ楽しみがあるのでした。
森の奥の川沿いのひらけた場所が、ユメクイの床屋でした。
鳥釣りが訪れると、一つしかない椅子の上で、山猫がぷしゅーぷしゅーと寝息をたてていました。
「いらっしゃい鳥釣りさん」
店主はひげそりクリームを片手にあいさつしました。
「ちょっと待っとくれよ。こちらはもうすぐだから」
店主はブラシを持つと、猫のひげにクリームを塗りつけ、カミソリを立てて一本一本を丹念に磨きあげました。
「悪いけど、かまどからタオル取ってもらえるかい」
鳥釣りがかまどにある鍋のふたを開けると、タオルがいっぱい湯気を立てています。
「あちち」
蒸しタオルは火傷しそうで、鳥釣りはお手玉しながら店主にタオルを渡します。店主は熱々のタオルを平気で受け取ると、山猫のひげを拭いました。きれいになったひげは、きゅるると弦楽器の音をたてました。
「ほい、おつかれさま」
いびきが止み、山猫はぱちりと目を覚ましました。店主の差し出した鏡を見て、
「うむ、いいひげだ。顔の毛も、注文どおり刈ってくれたね」
「もちろん。ご注文どおり、きっかり0・8ミリ短くしておきましたよ」
山猫が満足して帰っていくと、店主は空いた椅子をぽんぽんとはたいて、タオルをぱんと鳴らしました。
「鳥釣りさん、お待たせ」
床屋の店主はバクでした。
見た目はのっそりしているバクですが、なかなか床屋の腕はよいのです。そしてバクの床屋にはもうひとつ、すばらしくよく眠れるというおまけがついてあるのでした。床屋の椅子に仕掛けがあるのだと言う者もいますが、ほんとうのところはわかりません。ただ、すこし具合の悪いときでも、散髪ついでに床屋の椅子に座れば、ふんわり心地の良い眠りに落ちるのでした。そしてぐっすりと眠って、目覚めたときには体もしゃんとしているのです。
もちろん客はみな、店主が夢を食べていることは知っています。悪い夢を食べてもらいたくて床屋にやって来る客もいます。いい夢を食べられるのを惜しがる客もなかにはいますが、散髪してもらう駄賃ですから文句はつけません。それに、ほんとうにここの椅子での眠りは極上なのでした。
そんなわけで、バクの床屋は繁盛していました。
「ずいぶん伸びたねえ」
鳥釣りが椅子に座ると、店主がケープを肩にかけました。
「冬にいちど来たんだが、店をやってなかっただろう」
「ああ、あのときはお腹をこわしちゃってねえ」
「おかしなものでも食べたのかい」
「どうもね、夢を食べすぎちゃったみたいでさ」
椅子の背もたれに体をあずけると、真上にひろがる木の葉がこすれて木陰の音をさせます。それに川のせせらぎも加わって鳥釣りの耳をくすぐります。木漏れ日がちらちらと、寝かしつけのおもちゃのように眠りへと誘っています。
鳥釣りは眠気が近づいてくるのを感じましたが、まだもう少し店主と話していたい気もします。
「夢でお腹をこわすのかい」
「夢ってひとつひとつは小さいんだけどさ。食べてから腹のなかでふくらむんだよ。それに食い合わせもあってさ」
「食い合わせ……?」
鳥釣りはあくびを噛み殺しながら聞きました。
「そうさ。夢にも味の釣り合いってものがあってだ……」
店主はまだ話し続けているのですが、その低い声からはしだいに意味が失われて、まるで心臓の鼓動のように体に染み込んでいきました。風がそよいで頬をさらりとなでると、鳥釣りは柔らかな闇のなかへとゆっくり落ちていきました。
ぱしっという音にまぶたを開けると、店主が蒸しタオルを手にのぞき込んでいました。
「終わったよ、鳥釣りさん」
すがすがしい気分で鏡を見ると、背中まで伸びていた髪の毛がすっぱり短くなっていました。顔もぴかぴかです。ただひとつ残念なのは、また話の途中で眠ってしまったことでした。
「話のつづきは夢のなかでしてるよ」
「へえ」
店主の返事に、鳥釣りは驚きました。どんな話を?
「それは覚えちゃおらんよ。だってほら、その夢は食べちゃって俺の腹のなかだろ」
だったら誰も聞いていないじゃないかと呆れる鳥釣りに、
「その話を覚えてるのは、夢のなかの鳥釣りさんと、夢の中の俺だけなのさ」
バクの店主はそう言って、おかしそうに笑うのでした。
この冬はいつもの年に比べて格段に寒かったので、鳥釣りも釣りを休むことが多くなりました。毎日らせん階段から雪を落とすほかは、保存しておいた肉や野菜を食べながら、家にこもって過ごしました。秋口から集めておいた木を使って作り始めたひじ掛け椅子が、今日やっと完成したので、鳥釣りは背もたれにクッションをならべて、満足げに椅子にもたれました。熱いお茶を入れて、読みかけの本を開きました。寝る時間まではまだまだありました。
屋根も壁の外も厚く雪におおわれて、本のページをめくる音とお茶をすする音しか聞こえません。窓の外もしいんとしています。雪が音を吸い取っているのです。
鳥釣りはふうっとため息をついて、読み終えた本を閉じました。夢中で読みふけっていたのでずいぶん時間がたっていました。冷めてしまったお茶をすすって、鳥釣りは首をかしげました。先ほどからのしんとした静けさがなくなって、小さな音が近づいてきます。
しゃくしゃく。ざりざり。ごりごり。
音の行方に耳をすましていると、音はやがて壁に突き当たりました。最初は小さかった音はしだいに大きくなり、家の壁を揺らしました。
がりがりごりごり。どっしん。
がつんがつん。どっしん。
鳥釣りがびっくりして外に出てみると、何者かが家を囲む雪の壁をたたいているのでした。夕暮れの光に目を凝らすと、とても大きなモグラでした。突き出た鼻の上に黒メガネをかけています。手には大きなスコップ、背中にリュックを背負っていました。
「あんたか。家を揺らしてるのは」
モグラはスコップを下ろして鳥釣りを見ました。
「おやこれは失礼。てっきり冬眠なさっているものだと」
「何事だい」
モグラは、自分は彫刻家なのだと言いました。
「こちらの雪がとてもよい雪だったので、どうしても雪像を作りたくなりまして」
「だからって家を壊されちゃ困る」
鳥釣りは顔をしかめて雪のかたまりを見上げました。家のまわりに積み上がっていた雪の壁は、山になって固められ、スコップででこぼこに削られています。
「せっかく興が乗ってきたところだったんですがねえ。しかたがない……」
モグラが雪のかたまりを壊そうと振り下ろしたスコップの先が、窓のひさしにがつんと当たりました。
「ああすみません。わたし目が悪いもので」
鳥釣りはため息をつきました。
「いいよこのまま作っても」
完成したら何ができるのか、見てみたい気持ちになったのでした。どうせ春までひまなのですから。
「ただし家を壊さないでくれよ。見張ってるからな」
鳥釣りは服をたくさん着込むと、家の中から椅子を持ち出してきて、モグラが雪を固めたり削ったりするのを見物していました。モグラの目がよく見えないために時々窓ガラスを割りそうになるので、注意するためです。寒くなってくると家に入って、熱いお茶を入れました。そしてポットとカップを持って戻ってきました。モグラにお茶をふるまうと、また椅子に座って雪像が形になるのを眺めました。よく見えないはずなのにモグラの仕事はすばらしく丁寧で細やかで、そのうえ素早いのでした。
「そりゃあ早く作らないと、春が来てしまいますからね」
モグラが自分の背より高いものを作りたいというので、鳥釣りは脚立を家から持ち出してきました。モグラはお礼を言って脚立に上ると、小さな刀で雪を削っては落としていきます。シャリシャリと削られた細かな氷が、モグラの下で脚立を支えている鳥釣りの頭を白くしました。
「さあ出来上がりです」
モグラの声がしたので鳥釣りは頭を上げました。
家の横には、雪でできた柳の木が立っていました。白い幹から細い枝々が天へと伸びて、伸ばしきれなかった枝の先がしなやかに垂れ下がり、柔らかな針金を思わせるその枝からは平らでとがった葉っぱが風に揺れているようでした。
「いい出来だ」
鳥釣りが感心するとモグラは誇らしげにうなずきました。
「この冬いちばんの出来栄えです。こんないい雪はめったにないですからな。おかげでいい仕事ができました」
鳥釣りは今夜泊まっていくように誘いましたが、モグラはいい雪を探している旅の途中だからと断りました。
「急がないと、春になってしまいますからね」
それから毎日、鳥釣りは雪の柳を窓の外に見ながら過ごしました。朝起きたときと寝る前に。食事のあいだや編み物をしながら。本を読むときにも、ふと目を窓の外にやるのでした。白い柳は日の光を浴びるときらきらと輝き、鳥釣りの家の中まで明るくしました。
柳の輝きは日に日に増していき、その時間もだんだんと長くなっていきました。
やがてとうとう柳の葉が落ち始めました。秋の葉のように赤や黄色に染まって落ちるのではなく、溶けて形を失った、透明な水となって落ちるのです。垂れた細い枝の先からぽたりぽたりと音をさせて、柳の葉は一枚また一枚と溶け落ちていきました。柳の下の雪は落ちてくる水で穴が開き、地面が顔を出しました。
ある日、いつもと違うぱきぱきという音がしたので見に行くと、枝のほとんどが折れて落ちていました。葉っぱも枝もなくした柳の幹はただの氷の棒のようです。鳥釣りが触れると指先の冷たさを残して消えてしまいました。ずんぐりしていた幹もすっかりやせて、じきに全部溶けるのでしょう。
そのとき、
りん、りんりん、と、遠くから聞こえたような気がしました。
きっと、春を告げる時計が鳴ったのでしょう。鳥釣りはしばらく耳を澄ましてから、家の中に戻りました。久しぶりにらせん階段をのぼることにしたのでした。
鳥釣りの家のドアには、下の方に小さな穴が開いています。それは特別に、猫のために開けた穴です。
このお話に猫なんて出てきたっけ? いいえまだ登場したことはありません。この猫は鳥釣りの家に住んでいるわけではないのです。たまにふらりとやってくるだけの、そしてその姿を探せばもういない、たいへんな気まぐれ屋なのでした。だから猫の出番はここからです。
夜、鳥釣りが家に戻ると、猫が目玉焼きを食べていました。
「やあ、来てたのか」
鳥釣りは後ろから声をかけましたが、猫は片耳をぴくりとさせただけで、鳥釣りのほうを見もしません。卵の黄身をすくい上げるのに夢中なのでした。卵を食べ終わると、猫はじゅうたんの上に移動しました。鳥釣りが読みかけていた本を見つけて、寝そべってその本を読み始めました。
「しおりははさんだままにしておいてくれよ」
鳥釣りの注意に、猫は黒いしっぽを振って答えました。
猫は無口でした。そして騒がしいのが嫌いでした。だから熊が遊びに来たときなど、黙ってドアの穴から出て行ってしまうのでした。熊が挨拶をする間もなしに。客が帰ったあとに戻ってくることもあれば、そのまま季節が変わるまで来ないこともあります。いつ来ても、まるで我が家のように勝手に食事を作り勝手に部屋の隅で眠っているのです。猫があまりに静かなので鳥釣りも慣れてしまって、猫がいてもいなくても気にならないのでした。そんなふうなので、鳥釣りが次に気がついた時には、猫は本を開いたまま眠っていました。本の半ばほどにはさんであった葉っぱのしおりは、本から落ちて猫の枕になっていました。鳥釣りは鼻を鳴らしましたが、とても遠慮がちな鼻息でしたので、猫は知らずにすうすう寝ておりました。
そこへ、熊が訪ねて来ました。籠いっぱいに栗を入れて。
「栗をたくさん拾ったんだよ。ゆでて食べようよ」
鳥釣りは猫をちらりと見ました。猫はまだすうすう寝ています。いつもならノックの音だけで起きて出て行ってしまうのに、今日は目を覚ましません。猫を見て、熊は目を丸くしました。熊が喜んで叫ぶより先に、鳥釣りは口の前に人差し指を立てました。熊も前足で口をふさぎました。
ふたりはできるだけ音をたてないようにお湯を沸かして栗をゆでました。鍋を火から下ろし、鳥釣りがお茶を入れている間も、猫はぐっすり眠っています。
「よほど疲れているんだね」
熊は猫を気にしながら、ゆでたばかりの栗をひとつ、木のスプーンですくいました。
「まだ冷めてないぞ」
「大丈夫だよ……あつつ」
熊がつかみそこねた熱々の栗がテーブルにバウンドして宙を飛び、猫の背中に落ちてしまいました。
「ああっ、猫さんごめんよ」
熊と鳥釣りはあわてて猫のもとに駆け寄りましたが、猫はまだ気付かずに寝息を立てています。
熊が猫の背中を探りましたが、栗は見つかりません。
「熱くないのか?」
熊は首をかしげました。
「熱くないよ。冷やっこいよ」
鳥釣りも猫の黒々とした毛並みに指を入れてみますと、さらりとした黒い毛の下にはひんやりとした空気があるばかりで、猫の体に触れないのです。さらに手を差し込むと、爪の先がちりちりとして凍りそうになったので、鳥釣りは手を引っこめました。
「ね。冷やっこいでしょ」
鳥釣りが触ったところからは、暗い穴に粉砂糖のような星がちらちらと光を放っていました。ふたりがのぞき込むと、そのうちのひとつの星が次第に大きくなって、近付いてきたかと思うとぽん!と猫の背中から栗が飛び出しました。鳥釣りが拾った栗は、氷みたいにカチコチに冷えておりました。
そのとき猫が口をもぐもぐとさせたので、ふたりはつま先立ちでテーブルに戻りました。猫がうっすら目を開けると、鳥釣りと熊は山盛りにした栗を次から次へと口に運んでいるところでした。ふたりは猫を気にしてないふりをしましたが、猫のほうは熊がいるのを見てきまりが悪そうでした。
猫はえへんと咳払いをして、ゆっくりぐうんと伸びをしました。そして熊のほうを見ないようにしながら、すました顔でテーブルを通り越してドアの穴から出て行きました。
熊は猫を見送りたくて窓から顔を出しましたが、走って行ってしまったのか、それとも夜の闇に溶けてしまったのか、黒猫の姿はもうまったく見えないのでした。空にはさっき見たような小さな星ぼしが熊を見下ろしているばかりでした。
地上では雨がいく日も降り続いていました。せっかく春告げの時計が鳴ってみな起き出してきたというのに、毎日ざんざか降りでみんな飽き飽きしていました。
ある日、熊のねぐらにカワウソがやって来て、いっしょに鳥釣りさんのとこに行かないかと誘いました。
「雲の上はいつでも晴れだもの」
熊はサンドイッチを作って、カワウソはお茶のポットを用意しました。鳥釣りの家に急ぐ途中でリスのお嬢さんを見かけたので一緒に行かないかと声をかけました。
「クルミのクッキーを焼いたところなの」
「じゃあそれも雲の上で食べようよ。お日さまに当たったほうがぱりっとしておいしくなるよ」
リスはちょっと考えて、それもそうねとカワウソの肩に乗らせてもらいました。小さなクッキー(リス用ですから)はサンドイッチのバスケットに入れました。ピクニックを楽しみにして鳥釣りの梯子をのぼると、誰もいませんでした。
「あれえ。鳥釣りさんはいないのか」
みんなはがっかりしましたが、食べながら鳥釣りを待つことにしました。クッキーは焼きたてだし、お茶が冷めてしまってはいけないですからね。けれどおなかがいっぱいになっても鳥釣りは上ってきません。
「少し昼寝でもして待とうよ」と熊が提案しました。久しぶりのお日さまが気持ちよくて眠たくなったのでした。
みんながうつらうつらし始めた頃、
「鳥釣りさーん、鳥釣りさーん」と大きな声でよぶものがありました。まだ起きていたリスが返事しました。
「鳥釣りさんはいないわよ」
「おや。お留守ですか。鳥釣りさんにお届け物なのに。困ったなあ」
郵便配達でした。
「誰から?」
熊とカワウソも目を覚ましました。
「鳥釣りさんですよ」
「誰が鳥釣りさんに送ったの、って聞いたんだよ」
「ですから鳥釣りさんですよ。鳥釣りさんから鳥釣りさんへ」
郵便配達は荷物のあて書きを見ながら答えました。
「でも、鳥釣りさんはここにいないわよ」
みんなは首をかしげました。
「鳥釣りさんは迷子になったんじゃないかな」
熊がぽんと手をたたきました。
「自分を荷物にして送ったんだよ。そうすれば家に届けてもらえるじゃないか」
「この中に鳥釣りさんが入ってるんですか?」
カワウソはびっくりしました。
「それにしちゃ小さすぎます」
郵便配達は小さな箱を振ってみました。
「折りたたまないと入らないよ」
「それは大変だ」
「早く出してあげないと」
熊は郵便配達から箱を奪いました。
「ああ駄目ですよ。受取人しか開封できないことになってるんですから」
「鳥釣りさんがこの中にいたら自分で開けられないじゃないか」
熊とカワウソが箱のふたを開けると、中には緑色の粒がたくさん入っていました。
「豆ですね」
郵便配達はいくつか手に取って眺めてから言いました。カワウソがよく見ようとして郵便配達の腕を引っ張ったので、その拍子に豆がひとつぶ落ちました。
「おっと」
雲の上を転がる豆を、カワウソはあわてて追いかけました。豆が止まったところで拾おうとすると、ぽん、と音をたてて豆が芽を出しました。
「あれあれ」
みんながびっくりしている間に芽はぐんぐん伸びてきます。途中からはつるの重さに耐えかねたのかする空に向かって伸びるのをあきらめ、雲の上をはい始めました。
「おっとっと」
カワウソがあやうく足を取られそうになりました。
「このままじゃ、雲が豆におおわれちゃうよ」
熊は伸び続けるつるの端をつかむと、雲の外へ放り投げました。ぽーん。
すると豆はもっと広い場所へというふうに、するすると下へ下へと降りていきました。雲の上はすっかりきれいになりました。つるの根元である豆は雲にしっかり根付いてつるを支えていました。
「驚きましたな」
郵便配達が豆の詰まった箱にそっと蓋をしながら言いました。
「この豆は鳥釣りさんのご飯なのでしょうか」
「こんなの食べたら、口から豆が出てきちゃうよ」
下をのぞき込んでいたカワウソの肩で、リス叫びました。
「見て! 鳥があんなに」
二人がカワウソの後ろから見ると、雲から垂れさがるつるにびっしりと豆がなっています。そしてその豆にありとあらゆる鳥たちが群がっているのです。どうやら鳥たちはこの豆が大好物なのでした。きっと鳥を釣る餌なのでしょう。あまりにたくさんの鳥がいっぺんにつるを引っ張るので、この雲まで揺れ始めました。
「ねえ、この雲落ちちゃわない?」
熊が心配そうにつぶやいたとたん、ぐらりと雲が傾いて、カワウソがひっくり返りました。そのはずみで肩に乗っていたリスも転がり落ち、危ういところで郵便配達の足に引っかけられて止まりました。怒ったリスのお嬢さんはつるの根元に駆け寄ると、太くなったつるに歯を立てました。ガリガリガリガリ。
そりゃあ鋭いリスの歯です。豆のつるはすぐにちぎれてしまいました。ちぎれたつるはするりとすべり、地上へと落ちていきました。豆をあさっていた鳥たちは驚いて散り散りに去っていきました。
箱の中にはまだ豆がいっぱいです。まだこぼれたりしないように封をすると、サンドイッチを敷いていたナプキンで包んで固く結びました。
「鳥釣りさんが戻ってくるまで、こいつはうちで預かっておきましょう」
郵便配達は箱を腰のかばんにしまいました。
「それにしても、鳥釣りさんはどこにおられるんでしょうな」
「もうすぐ日が暮れちゃうね」
見れば西の方角がうす赤く染まり始めています。
「戻りましょ」
「下の雨はあがりましたよ。明日はきっと晴れるでしょう」
「それはよかった」
みんなはわいわいと雲の階段を降りていき、雲の上はしんと静かになりました。
鳥釣りが町に来たのは、新しい釣り針を求めてのことでした。
なじみの釣り道具屋を訪れると、壁に張り紙がしてありました。
「しょうばいにあきたので、とうぶんつりをしてくらします」
店じまいしてしまっていたのです。
「困ったな」
釣り針がなくては仕事になりません。店にまだ誰か残っていないかしらと、ガラス窓から中をうかがっていると、
「釣りの道具をお探しではありませんか? ひょっとして」
そう声をかけるものがありました。振りかえればそこにいたのは、しゃれた上着に鳥打ち帽をかぶった黒猫です。鳥釣りはびっくりしました。家にやって来る無口な猫にとてもよく似ていたからです。けれど帽子の猫が大きな口を広げてにやりと笑ってみせたので、猫違いだと思い直しました。
「ほかの店を知ってるのかい」
「なにを隠そうわたくしの店が釣り道具屋でして、実は」
黒猫は身振りとしっぽを使ってあっちの方角を指しました。
「開店したばかりでしてね、こうしてお客様を探して回っているのですよ。ちょっとばかりわかりづらい場所にありますのでね。なにしろ」
妙な話し方をする猫だ、と鳥釣りは思いましたが、釣り針は必要なのでとにかく行ってみることにしました。
案内された猫の店は、たしかにわかりづらい場所にありました。家と家のあいだの細い道を通って、溝を飛びこえ、錆びかけた柵をくぐったそこが猫の道具屋でした。高さのちぐはぐな戸棚がいくつも並んでいて、釣り竿や鳥の剥製やらが天井からぶら下がっています。気をつけないと釣り糸や剥製の羽が頭をくすぐるので、鳥釣りは身をかがめなければなりませんでした。
「いらっしゃいませ。ようこそ、わたくしの店へ」
猫の店主は鳥打ち帽をとるとお辞儀をしました。
「どういったものでしょうか。お探しのものは」
「釣り針だよ。鳥を釣る用の」
黒猫の話し方が鳥釣りにも移ってしまったようです。
「なるほどなるほど」
黒猫は戸棚の扉を開けて、小箱をひとつ、取り出しました。
「おすすめはこの釣り針ですな。エサいらずの」
鳥釣りは釣り針をひとつつまみあげると、針は小さな羽根を生やしてぱたぱたと音をたてました。
「というと?」
「獲物に向かって飛んでいくのですよ、針がみずから。近くを飛んでいるものであれば、どんな鳥であろうと」
鳥釣りは箱に釣り針を戻しました。きっとマンボウが引っかかってしまうだろうと考えたのでした。釣り針が羽ばたいて箱から逃げ出そうとするのを、店主がふたをして捕まえました。
「じゃあこちらなどいかが。『縛り足』の釣り糸です。けっして逃がしません。かかったら自動的に鳥の足を縛り上げますので」
鳥釣りは首を振りました。ムササビ夫婦や風船売りがまちがって縛られてしまったりしたら大変ですから。
「普通の針はないのかい」
「実用的な品揃えをモットーとしておりますので、当店としては」
「つまりないんだな」
「残念ながら」
しかし猫はあきらめずに、別の引き出しから金属製のネズミを引っぱり出しました。子猫のおもちゃかと鳥釣りはたずねました。鳥釣りの知る黒猫は遊びそうにありませんが。
「とんでもない。これでもエサでございますよ。たいへん食いつきがよろしいのです。大型の鳥に」
「鳥がこんなおもちゃを食べるもんか」
「鳥に噛みついて離さないのです。エサのほうが」
「危ないな」
「左様で」
店主は残念そうに言いました。あまりしょんぼりして見えたので、危なくないエサなら買ってもいいと言うと、猫の目が見開いてきらきらと輝きました。
「そういえば、とっておきのがあるのです。仕入れたばかりの。たしかこのへんに」
黒猫は引き出しを片っ端から開けて、最後の戸棚の一番下の引き出しから麻の袋を出しました。結んであるひもを注意深くほどくと、緑色の豆がたくさん入っています。
「この豆は大好物です。どんな鳥も。そのうえ、育てれば増えるのです。鈴なりですよ。日光をたくさん浴びれば」
「それなら問題ない」鳥釣りは受け合いました。「ひとつかみ、もらうよ」
「ありがとうございます!」
店主は喜びに尻尾をぴいんと立てました。
「豆はお宅まで送っておきましょう。わたしがお客様のかわりに。ひと粒でも落としてしまっては大変ですからね。鳥がたかって」
そうして支払いをすませると、鳥釣りはまた釣り針を探しに出かけたのでした。
猫の道具屋でめぼしい釣り針が見つからなかったので、鳥釣りはなじみの釣り道具屋に向かうことにしました。橋を一本渡ったところにあるその町に立ち寄るのは数年ぶりのことでした。
町の入口に立った鳥釣りは驚きました。町が緑色に様変わりしているのです。どの建物にもびっしりとツタがからまり、まるで一本のツタが道なりに家々を呑みこんでいったように見えるのでした。
妙だな、と鳥釣りはひとりつぶやきました。通りにはほかに誰のすがたもありません。覚えのある道をたどって釣り道具屋へ行くと、はたしてここもまたツタに覆われているのでした。ツタのすき間にかろうじて店の看板が見えたので、鳥釣りは扉をたたきました。が、厚いツタにさえぎられて手応えがまるでありません。鳥釣りはもう一度、力をこめてツタごと扉をたたきました。するとぱりんという音とともに、なにかを破った感触がありました。その部分のツタが動いたと思うと、不機嫌な声が聞こえてきました。
「ひとの家をノックする時は手加減するもんだ」
ツタの壁の向こうからにゅっと手が出て、ツタをかき分けてその下から店の飾り窓が現れました。飾り窓のガラスがは割れていて、怒った店主の目がにらんでいました。
「なんだ、どこの乱暴者かと思ったら鳥釣りじゃないか」
もじゃもじゃとしたヒゲをはやしてはいましたが、以前と同じ店主のようです。
「呼び鈴が見当たらないからってこの挨拶はないだろう」
鳥釣りは謝って、釣り針を買いに来たんだと言いました。
「いったいこの有り様はなんだい」
「見ての通り、ツタに閉じ込められてるんだよ」店主はじっとしてると埋もれそうになるので、ツタをかき分けながら話します。
「たぶん誰かが新種のツタを持ち込んだんだろうよ。それがあっという間にはびこったのさ。もう何か月もこんな具合だ」
「ツタを払えばいいじゃないか」
「無駄だよ。切っても切っても伸びてくるんだ。一時間で切る前と同じまで伸びていたら根負けもするさ。釣り針と言ったな?」
店主は商品を手に戻ってくると、ツタのすき間から鳥釣りに渡しました。鳥釣りはいつもの針であることを確かめて、ツタの葉越しに代金とガラス代を払いました。
「泊まれる宿はなさそうだな」
「この先の港町に行けばいい。バスはまだ通ってるから。ここの生活はあそこからの行商人に頼ってるんだ。事情をわかってるから泊めてくれるだろう」
「それにしても、いつまでそうやって暮らす気だい」
「枯れるのを待つしかないだろうな。家ごと燃やすわけにもいかんし」店主は笑いました。
「ツタと綱引きするから、みんな腕力だけはついたとさ」
鳥釣りはお礼を言って、港町に向かいました。
「鳥釣りさーん」
港町でバスから降りた鳥釣りを遠くで誰かが呼んでいます。辺りをきょろきょろする鳥釣りに、声は「上、上!」と叫びます。鳥釣りが見上げると、二枚の座布団が風を切って落ちてきます。いいえ、よく見ると座布団ではありません。2匹のムササビが鳥釣りめがけて降りてくるのでした。
「やっぱりね!」
「鳥釣りさんだったね!」
いつかのムササビ夫婦でした。
「どうしてここに?」
鳥釣りとムササビ夫婦はおたがいに尋ねました。鳥釣りは緑の町から来たことを話しました。
「あの町にはよく行くよ」と雄ムササビが言いました。
「屋根や煙突もツタのおかげで飛び移るのが楽なの。ツタの森みたいで楽しいのよ」と雌ムササビが続けました。
「君らにはよくても、俺は困ってるんだ」
鳥釣りは、今夜の宿を探していることを話しました。
「それはよかった!」
ムササビ夫婦は手をつないでその場でひと回りしました。
「ぼくたち、旅行好きなもんだから」
「わたしたち宿屋を始めたのよ!」
そこで鳥釣りは、その夜はムササビたちの宿屋に泊まりました。あくる朝になるとムササビたちが、
「ハイヤーを頼んでおいたよ」
「波止場で待っていてね」
と言うので、鳥釣りは朝から波止場で待ちました。
波止場では何人かが釣り糸を垂らしていました。中の一人が「釣りかい?」と尋ねてきましたが、鳥釣りは首を振ると、ただじっと立っていました。「竿を貸そうか?」と声をかける人もいましたが、鳥釣りが「魚は釣らない、釣っても食べない」と答えると、変な顔をして自分の釣り竿に戻るのでした。長いことそうやっていたあと、疲れたのか首をさすっていた鳥釣りがあっと叫びました。釣り人が振りかえると鳥釣りは空に向かって手を振っています。見ればなにやら光るものがこちらへ近付いてくるのです。それが大きなマンボウであることを知って、釣り人は驚いて竿を落っことしました。おまけにその魚が口をきいたので、釣り人は道具もなにも置いてその場から逃げ出してしまいました。
「やーあ、とーりーつりさーん」
「ハイヤーってお前のことか」
「まーんぼー・はいやーだよー」マンボウは誇らしそうに反り返りました。
「みーんな、かえりまってるよー」
「ああ、思ったより遅くなった。雲まで乗せてってくれよ」
「りょーかーい」
辺りの釣り人たちがぽかんとながめる中、鳥釣りはマンボウのからだによじ登って背びれにつかまりました。
「おーおいそぎでいーくねー」
マンボウは大張り切りで、飛び立ちました。尾びれをぱたぱた揺らしながら。
ようやっと鳥釣りが帰ってきたので、みんなが雲の上に集まりました。
「おかえりなさい鳥釣りさん」
熊にカワウソ、リスのお嬢さんと郵便配達、めずらしいことに無口な猫までがやって来ました。熊は金色のガラスびんを抱えています。
「冬ごもりに取っておいたハチミツを持ってきたよ。お茶に入れようね」
「そんなにたくさん飲むんですか?」
「ハチミツをつければ何でもおいしくなるじゃないか」
熊はそう言うとビスケットをハチミツにひたしてかじりました。
「わざわざ冬ごもりの日を延ばして来たのよ」
リスは寒いからと、郵便配達のポケットから出ようとしません。
「鳥釣りさんが帰ってきたから、鳥のシチューが食べられるね」
熊がうきうきしているので、鳥釣りはしかたなく釣りの用意を始めました。
新しい針をつけながら、鳥釣りは猫から餌を買ったことを思い出しました。道具屋に配達を頼んでいた豆です。小包が届いてないかと聞くと、みんなは顔を見合わせました。
郵便配達がカバンから小さな包みをそうっと取り出しました。
「これはね、鳥釣りさん。危ないものですよ」
熊も声をひそめました。
「あんなの食べたら鳥釣りさんのお腹がはじけちゃうよ」
みんなも口々に、例の豆の恐ろしさを語りました。無口な猫だけはひとり黙々と、スプーンでハチミツをすくってなめておりました。あの豆が鳥たちの大好物だという話は、(いささか説明不足ではありましたが)本当だったようです。鳥釣りは釣りをするのも忘れて、ひとり考え込みました。
ある晩のこと。緑の町の釣り道具屋を、郵便配達が訪れました。
「こんばんは。お届け物です」
「こんな夜遅くにかい」
「鳥釣りさんからご主人に頼みたいことがあるそうで」
以前よりも増えたツタのせいで窓が開かず、店主は手紙と小包を受け取るために、長いハサミでツタを刈り取らなければなりませんでした。店主は手紙を読むと、小包の中身を確かめて首をかしげました。
「書いてあることはわかったが、この通り、家の外に出られないんだがね」
「窓のすきまからでいいんですよ……たぶん」
郵便配達は自信なさげに言いました。店主はもう一度手紙に目を通すと、鳥釣りから送られた豆をひと粒つまみ、手を伸ばして郵便配達との間にぽとりと落としました。家の反対側にある窓からももうひと粒。どちらも落ちた音はしなかったので、地面には届かずツタの葉の上にでも落ちたのかもしれません。
「これでいいのかい」
店主が戻ってきたときには、郵便配達の姿はありませんでした。
次の朝早く、何やら壁の外からぱちぱちと音がします。窓を開けたところ、外壁に貼りついていたツタの葉に、太い豆のつるがからみついて、緑の壁がさらに分厚くなっているのでした。豆の弾ける音に加えて、風の音も激しくなっています。
ざざざざざ
ざざあざざあ
嵐でも来るのかと店主は目をこらしました。ツタと豆のすき間から空が暗くなってきたことがわかります。けれどそれは嵐ではありませんでした。鳥の大群が空を埋めつくしていたのでした。店主は怖くなって慌てて窓を閉じました。彼の子どもたちが外を見たそうにするのを叱りつけ、全ての窓のカーテンを閉めたとたん、家が揺れ始めました。間一髪でした。その後何時間も、釣り道具屋の家は鳥たちの攻撃を受け続けました。クチバシが壁に刺さる音、それに鳥の羽音と鳴き声でそれはもうひどい騒ぎで、店主たちは生きた心地もしませんでした。鳥たちが豆を食い尽くし去った頃には、もう日が落ちかけていました。
「おひさまだ!」
いつもよりも窓の外が明るいことに気付いた子どもたちが飛び出してきました。夕焼け空でさえ、もうずっと見ていなかったのです。久しぶりに自由に走り回る子どもたちの叫ぶ声が、通りに響きわたりました。釣り道具屋を長い間閉じ込めていたツタは鳥たちにずたずたにされ、家の周りに積もっていました。
あくる日、釣り道具屋が町の人々に豆を配って回り、鳥を呼び寄せることで町じゅうのツタがきれいさっぱり消え去ったのでした。
町の人々が喜びながらツタを掃除していた頃、雲の上では鳥釣りが悔しがっていました。鳥釣りは大漁をねらって、釣り糸を垂らして獲物が食いつくのをずっと待っていたのです。なのに、緑の町へ向かう鳥たちは豆を目指してまっしぐら、帰りの鳥たちは豆でお腹いっぱいになっていて、どちらにしても鳥釣りの竿には目もくれなかったのでした。当てがはずれた鳥釣りでした。
初出
「鳥釣りの一日」Webサイトnote 二〇一五年二月二三日
「あらしのばん」Webサイトnote 二〇一五年五月一日
「ペンギンの正体」Webサイトnote 二〇一五年八月九日
「冬支度」Webサイトnote 二〇一五年十一月一八日
「ひるね」Webサイトnote 二〇一六年三月六日
「偽ペンギン」Webサイトnote 二〇一六年七月四日
「鳥釣りと風船」Webサイトnote 二〇一七年一月一三日
「ユメクイの床屋」Webサイトnote 二〇一七年十月二日
「鳥釣りと彫刻」Webサイトnote 二〇一八年二月二八日
「冷やっこい猫」Webサイトnote 二〇一八年九月二四日
「鳥釣りの豆」Webサイトnote 二〇一九年五月三日
「猫の道具屋」Webサイトnote 二〇二〇年一月一日
「緑の町」Webサイトnote 二〇二〇年十一月二五日
「まちぼうけ」Webサイトnote 二〇二〇年十二月一九日
著者・戸田鳥(とだ・とり)
書店リンク
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2015年12月2日 発行 初版
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神戸生まれ。 学生時代より児童文学を学ぶ。 長い休みを挟みつつ創作を続け、2014年より、Webサイト「note」を中心に作品を公開。