spine
jacket

───────────────────────



小説

伊達 龍人丈

浮草書房



───────────────────────


     小説

                       伊達 龍人丈


 大丈夫? そんなに大上段に構えて。
 心配性の姉にそう言われても、私は父親譲りの頑固が心底身についていたようで、全く聞く耳を持たなかったらしい。当時の記憶があまりないので母の言葉を信じる他はないが、確かにその頃は自分の考えをより具体的にすることだけに拘っていた気がするから、私がそんなことをしていたとしてもおかしくはないだろう。
 今、小説という題名の小説を書いている。
 改めてその一文を読む。
 何処の誰がやったことだとしても、小説という題名の小説を書くことのあざとさに頬がひくつく。
 これは小説、フィクションであると読み手に敢えて意識させることは、興を醒ますので避けるべきという意見がある。私はそれで醒めてしまう読み手を、その人のためにもあらかじめある程度フィルタリングしたかったので、そんな習性が多数の読者に元よりあるなら大歓迎だったのだが、そのフィルターに今、自分自身が掛かってしまったのを感じて狼狽していた。
 一方で、十三歳の私があっけらかんとしたためたその文章を読み、我ながらよくやってくれたとも思った。幼いからセーフという訳だ。
 常識をわきまえてる筈の人間がやってはいけないとされるあらゆる行為は、若さや無垢で時にいとも容易く乗り越えられることがある。ただ、乗り越えられているか否かの判断は、自分でしない方が賢明というか、他人が認めてくれた時こそ有効なので、今はただ沈黙しようと思う。さもなければ、この歴史はご破算だ。
 ただまあこうしたことはほとんどは上手く行かない物なのだとも思う。何故なら肝心の作品が上手く出来はしないからだ。例えこんな物が流布したって、数学における証明の失敗にも似た残骸が人目を漂うことになるだけだろう。
 作っている最中、書いているという姿、その事実が創作のピークになる表現にうんざりしているという人がいた。もっともらしいが、その人の拘りもまた同じ所にあるに違いないというメッセージをその発言から受け取ってしまう。

 私は小説が嫌いだ。

 そもそもそういう縁遠い所からここへやってきたのだ。
 こことはこの紙の上のこと。いや、紙に見立てた白というべきか。
 ただただ文章を書くだけで完結するなんて、そんな御目出度いことは無いと思っていた。世紀の間、次々と新しい表現が世の中に溢れて、もはや幼い頃からそれらに触れている人が世の中枢になってきてさえいるのに、絵も音も色も形も匂いも持たない表現形式を選ぶということの無謀さといったらない。怖くはないのだろうか? 単純にそこまで構えることはなくとも、退屈だからという理由で退けていた。主語オチは?。

 あんな物は愚か者たちの遠吠えだ。

「わたしバカよね。おバカさんよね。後ろ指、後ろ指、ザメンホフ」
「おい! 」

 華麗なツッコミに歓声が上がる。                        
「本当にバカだよね。誰かがよく調べもせずに書いたことが過去に誰かが言ってたこととおんなじだったとしても、情報が被っている部分だけを間引いて受け取ればいいだけの話じゃない。全部同じだったら聞かなきゃいいし。でも例えば知識としては同じなんだけど、伝え方が面白いとか内容が全く入ってこないとか、何か付加価値があればそこは買えるかも知れないし、とにかく本物だとか偽者だとか、前提を知らな過ぎるとか言って、何かを阻んでいる奴の言うことなんて、聞いてる時間が勿体ないよ。そいつこそが世界一の無駄でしかない」

 偽物が本物のふりをするのと、本物が偽物のふりをするの、どっちが大変なんでしょうね。

「知らねーよ糞野郎。ゴメン、言い過ぎた」
「おいおい、穏やかな風のようだな」
「誰だ貴様は? 」
 そのパルテノン神殿から突き出た蚤の市のような切先をさっさとしまってはくれないか?
「出た出た。ハイパーメディアナンセンスのお出ましだ」
「よせ、そんなんじゃない」
「じゃあ何だってんだよ? 」
「ARだ」
「そういう視覚や聴覚に依拠する物って他人のフェティッシュが混じってきちゃう気がして、見るのはいいんだけど、所有したいとは思えない」
「…何を言ってるんだ? 」
「ほら、文字って究極のフェティッシュじゃない? 単純な記号の羅列に過ぎない物から風景や人物や物語を読み取らせてしまう訳だし。しかもそこには個々の人生が反映した思い込みすら投影されうる。こんなメディアちょっと他にないでしょ? そのことに気付いてから、文字の形でコンセプトを残して置ければ何でもいいやって考えられるようになったんだ」

「つまみ出せ! 」
 十三歳の私が残した物は、今の私の想像を緩やかに越えていて少しほっとした。鮮やかなイメージと会話の応酬に、流れるように読み進めることが出来た。
 しかし、問題はあった。これだと内容的に何でも良くなってしまう。それでは皆、いつまでもは付き合うことが出来ないだろう。

「よし、サラダバーで発狂してみよう」
「それがいけねえんだろ? 」
 目の前にタンバリンが差し出された。
「これを使って、思いっきりやってみろ」
「何を? 」
「パリコミューン」
 知性と解されるか、ユーモアと解されるか、それとも死んだ時間と目されるかで世界が分岐する。

「ここで何か固有名を叫びたい! 」

「まあハメ時ではあったな。だがやったらそこまでの物でしかないだろう」
 そろそろ一人一人の顔がおぼろげになってきてもいい頃だ。
 周囲の顔という顔に徐々にフォーカスがあっていく感覚がある。
「こんばんは」
「こんばんわ」
 道行く人が挨拶を交し合いながら続々とすれ違っていった。

「ここは? 」
 その中の一人が、唐突に気が付いたように、立ち止まって声を上げた。
「さあ。気付いたらここにいたんですよ」
 隣の人がそう返した。

「オレもだ」
「僕も」
「私もです」
「あたいもだね」
 皆、口々にそう言い合い、一斉にお互いの顔を見合わせていた。

「こんばんはってことは、夜なのか? 」
 一人が言った。
「でも、別におはようでもいい気もするな」
「確かに真っ暗ではないな」
「明るくもないだろ? 」
「でも互いの顔は見えてるだろ? 」
「顔? 」

 目、鼻、口、眉、輪郭。

 そして皆、自分がここで一体何をしているのかを考えていた。

「何、これ? 」

 皆がそう言う。最近特に言う。それは各メディアのバラエティ番組でのメソッドとして入ってきた。今やってることがどの文脈に、どのパターンに回収したらいいか分からないということが何かユーモアを醸し出すという前提の、自分を含めた状況へのツッコミのフレーズ。

「何、これ? じゃねえよ。何故お前がそれを問える? 勝手に超越すんな」
「はあ? 」
「一生何の疑問もなく這いつくばってやってろ。ってこと。疑問持っていいのは少なくともお前ではない。散った散った」
 そいつは即座に霧のような靄の中に消えていった。

「…あの、ザメンホフって何すか? 」
 気の弱そうな青年が聞いてきた。
「じいさん、ばあさん、ザメンホフって言ってな。あるいはルドヴィコ・ザメンホフ。ユダヤ系ポーランド人の眼科医・言語学者で、現在のところ最も広く使われている人工言語エスペラントの創案者だよ」
 こいつは誰なんだ?
「本当っすか? 」
 疑問を差し挟む余地がない。
「ああ。たった今ググッて出てきたネタだけどな」
「それがなんなんすか? 」
「今までオレの人生と全く無関係だった物が、今この瞬間に第三者によって何かあると目される関係にまで昇華したかも知れない瞬間を準備した、そのための小道具だ」
 つまらない。お前の話は本当につまらないと、和算の大家、関孝和がまさに和算について教えた時、常にそういう反発にあったという。

「嘘だろ? 」
「嘘だと思うなら調べてみろ。絶対本当の意味での正解には辿りつけないはずだ」
 言ってることはドリーミーなのに、その言葉を受け取ってる時の感じは非常に現実的。というかまさに現実なのだからしょうがない。

 足は屈伸気味に、両手を思いっきり顔の前でクロスさせ、

「カラヴァッジオ! 」

 もらったぜ。2083年度流行語大賞。
「その時期そこまで社会が停滞しているとは思えない」
「滅亡もありうるだろ」
「かなぁ」

 誰もが考えていた。
 自分はここで今、一体何をしているのか?

小説

2015年12月7日 発行 初版

著  者:伊達 龍人丈
発  行:浮草書房

bb_B_00140687
bcck: http://bccks.jp/bcck/00140687/info
user: http://bccks.jp/user/135482
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

UNO千代

初めまして。 薄い本をいっぱい出したいです。

jacket