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小説

伊達 辰人丈

浮草書房



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     小説

                       伊達 辰人丈

 手と手のしわを合わせて

「マグネット」

 義理の兄が繰り出す奇妙な間合いが、一番ダメなタイミングで私のハートをえぐる。今ここで笑ったら、地域住民全員の信頼は愚か、同世代の友人たちですら、今後私と普通に付き合っていくかどうかを考え直すかも知れない。

 読んでて感じたのは、「上手にツボをついてくるなー」ということ。
 自分の趣味に走ってしまうんじゃなく、すごく読者を意識して作ってる気がしました。

「疲弊しきってる時に読むと、こういうレビューがマジで一番凹む」
「こいつが意識してるのは読者じゃなくて市場だろ。俺は己の欲望に忠実な人間の書いた物しか読みたくないんだ」
 義理の兄はいつも頑なにそう言って、何を読んでも最後のページまで辿り着くことは愚か、ほんの数頁繰るのにも難儀していた。 
 ではそもそも本など読まなければよいのではないか?

「本当そう思うよ。ただこればっかりはどうしようもないんだ。気が付くと読み始めているんだ。そして違和感を感じなかったことがない。だから自分で書き始めたんだ」
 義理の兄は今、小説という題名の小説を書いているらしい。

 文章表現上、自分にジャストフィットする世界がどこかにあることを信じて、あるいは信じられないが故に、彼の冒険は始まったのだった。

「言葉にした途端、全てがFになる。読んでないが、多分FAKEのFだろ。あ、FICTIONか。作中そうでないとしても、メタファーとしては絶対意識してるだろ」
「意外でもなんでもない指摘なんだが」
「マールボロ」

 全ては急にマルボロのCMだったことにされちまった悲しみに。

「どうでもいいよ」

 小説が大嫌いだった。
 だから、短歌でも詠もうか?
「いいねえ! 」
「かつてこんなに盛り上がったことなくない?! 」
「テンションたけえ~(笑)」
 こんだけぶっ殺したいフィーリン中々ねえ~
「フィーリン? 」
「ヤマハ」
 
 モグワイの 水をかけたる フィーリンの
              ギズモになりし iモードかな

「形式とは何と偉大なんだろう」
「確かに、そこに何かがあるような気がする。思うに日本人は皆これに助けられて、自身の空虚を省みずに生きて来れたんだ」
「違えねえ」

 どこからともなく短歌に飢えた荒くれ者どもが西から東から北から南から集まってきた。凄まじい数の改造車、改造バイクの群れがそこここにその数を増して来ている。
「給水所はどこ? 」
「有森!? 」

 マラソンの 振り上げる手の イサマシの
               メダル属性 褒めてやりたし

 短歌、それは至高の言語ゲームだ。意味など、一垓年、いや一不加説不加説転年後には元があろうとなかろうと、どうなっているやも知れぬ。
 
 バラモンの クシャトリアらの バイナラの
                村の時間の バイシャ スードラ

「ここには何もない」

 開けた途端にそのドアを閉じ、老師は赤子となった。
「そういえばにんじんになったルナールってのもいたわね」
「あの長者番付ナンバーワンの? 」
「saw」
 
 たらちねの お前の母ちゃん ジグソウの
               衣ほすてふ 筆談ホステフ
 
「韻を踏むどころの騒ぎじゃない。これはもう、一種の断食だぜ」
「お前、例えを間違ってるってことはないか? 」
「どう間違うっていうんだ? リンゼイ・ケンプの元で10年踊ってたんだぜ? 」
「知らん」

 そこでハンドクリームが切れた。
「まだ読んでないんだけど、円城塔ってこんな感じなの? 」
「知らねえよ。だったら何だよ」
「いや、どうなんかなあと思って」
 多分掠ってもいない。少なくとも誰にも甘えてはないんじゃないの?
「俺が甘えてるだと? 」
 安心しろ、お前には理解者は一生現れん。
 
 いや、概念がどうのとか、おぎやはぎの矢作でさえ言い出してる昨今だぞ?

「よせ、そんなんじゃない」
「じゃあ何だってんだよ? 」
「短歌さ」

 荻窪で ハチミツ買って ハム買って
             フーファイターズと マッハ文朱

「…何を言ってるんだ? 」

 こんばんは。同潤会アパートです。
「ほら、文字って究極のフェティッシュじゃない? 」
「じゃあこの5枚のカードから選んでよ。『筋』『球』『顔』『尿』『神』」
「うーん… 」
「分かった! 」
 突然、終戦直後からタイムスリップして来たかと思うようなボロボロな身なりの坊主頭の見知らぬ少年が、横から出てきて言った。

「お客様の中に、どなたか乞食でフェミニストの方はいらっしゃいませんか! 」

 その一言で、時空の裂け目が一つの形を帯びた。

「え? 」

「いや、世代の話をしてたの。ちょうど俺ん家も先輩ん家も親が高齢でさ。父親が60代後半から70頭くらいで、いわゆる団塊の世代って奴だから。深山さん所はもっと若そうだよね。イメージだけど。」
「そうですね。うちの父は50歳丁度です。母は46歳で。」
 きりっとした眉。うっすら緑がかった黒い瞳が知性を醸しだす深山の顔。
「親の歳即答出来る子に悪い子はいないよ」
「先輩。またじじ臭いこと言いますね」
 薄暗い部室。男二人で話しているところに彼女が来てくれたことで、その場が俄かに活気づいた。
「じじ臭いっていうか、じじいだよ。気分は」
 先輩の見た目は映画監督の周防正行に似ている。彼は言った。
「あのね、今の日本の世の中を作ったのは、よくも悪くもその世代な訳じゃない? 高度経済成長期なんて言われてさ。で、このちょうど今70代位の団塊の世代の人たちって、病院なんかでもその世代の人たちだけを対象にした対応マニュアルが作られるくらいに性格に傾向があって、その特徴っていうのが、今の時代でいうとちょっとした厄介者に該当することばっかりなの」
「へえ。どんな傾向なんですか? 」
「例えば、思いこみが激しくて、自分のやり方が絶対だと信じていて、臨機応変さに欠けるみたいなことが言われてるんだけどね」
 ていうかそれはまさにうちの父親の特徴だ。
 ストーブの上のお湯がしゅんしゅん言っていたので、新聞紙の上に移しながら深山は思った。
 家の父は世代的には一回り下になる。
 それ、人間全般の傾向なんじゃないだろうか?

「だけど、俺はそれを全部肯定するべきだと思ってるって話をしてたの」
 今度は先輩がそう言いながらお湯をコップに注ぎ、二人にパスする。
「…何で全部肯定するべきだと思ったんですか? 」深山が聞いた。
「え? ああ。なぜかって言ったらさ、その世代って戦争を体験してるんだよね。第二次世界大戦を。直に。何なら本当に空襲や原爆を体験してる人だっているでしょ、凄く幼い頃に」

 それが何故、彼らの後の振る舞いを全て肯定する根拠になるのだろう。

「で、『火垂るの墓』じゃないけど、幼い子どもたちが沢山巻き込まれて行った。その子どもたちこそが彼ら団塊の世代な訳じゃない? 当時の親たちはね、そこで思ったと思うんだ。『この子たちだけは、今後一生何不自由なく、幸せになれますように』って。で、3、4歳で食べ物もなくて毎日泣いてたり、子どもが子どもの面倒見たり、凄く惨い死を目の当たりにしなければならなかったり、そんな目に遭わせてしまったっていう自覚のある当時の大人たちの、それこそ霊というか魂が、その後ずっとずっと彼らを見守って来たと思うんだよ」
「先輩、その辺のことをテーマに新作書きたいんだって。俺に話すことで形になるんだ、またこれが」


 さっきから 先輩の話 聞いている
            それは二年の 高橋君かな

 黙って聞いてはいたが、深山にとってそれぐらい年配の人たちの歴史とか背景とか、正直現実感は無い。ただ、格差と今の社会の話としてなら興味はある。先輩は続けた。
「バブルっていうのはその最大の埋め合わせっていうか、ご褒美で。何も考えなくてもその世代が横一列に繁栄を謳歌出来るようにっていう願いが強く籠められてて、当然、一人一人が実存の問題になんて向かい合わなくていいようになってたんだよ。そういう時代は。そんなこと考えるなんてちゃんちゃら可笑しいっていうのがその世代にとっては前提になってる所があったと思わない? 」

 実存の問題って、わたし的には「人はいかに生きるべきか」っていう風に解釈してるんですけど、それでいいのかな。だとしたら、先輩や高橋くんのご両親は、そういうことを全く考えなかった、考えなくても良かった、もっと言うと考えること自体ダサかった、そういう時代に生きていたということが言いたいってことでOK? それでもってそれは、幼い時代に過酷な戦争体験をさせてしまったという上世代の霊的な物が、埋め合わせ的に用意した恩恵なのだと。

「そう。深山さん、まとめサイト作るセンスあるんじゃないの? 分かりやすい」

 まとめてはみた物の、それが何なんだろう。わたしには分からない。

「いや、重要だよ。例えば最近のisisの問題。誰もが報復は愚かだって分かっていながら、それ以外の方策を先導する力は弱い。さっきの話と共通するのは、一見迷惑をもたらしているかに見える側のバックボーンを見ようよってこと。僕も無力だけど、心持ちだけははっきりさせておこうと思って」

「どういうことですか? 」
「あれ、今の全然伝わってなかった?」
 とはいえ昨今の時事の問題になったので、深山の集中力は少し上がっていた。

「だから、一見自分の手が届かないように見える問題についても、態度というか、意志だけはハッキリしておこうってことかな」
 先輩、何か急に凛々しくなって…
「じゃあ先輩はisisについてどういう考えを持ってるんですか? 」

「端的に言って、童話の『北風と太陽』でいうなら『太陽』路線で行かないとどうにもならないと思う」
「太陽? 」
 深山はその童話を知らなかった。

「こんな話なんだけど… あるとき、北風と太陽が力比べをすることにした。そこで、通りかかった旅人の上着を脱がせることができるかという勝負を始めたんだ。…まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとしたんだけど、寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまったので、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。次は太陽の番で、太陽は燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れなくて、今度は自分から上着を脱いじゃった。だから勝負は太陽の勝ち。これが『北風と太陽』の話」

「小さい頃聞いた覚えあります」

「…じゃあ何で今全部話させた? まあいいけど。物事に対して厳罰で臨むか、寛容的に対応するかっていう話だね」
「で、先輩はisisに対して寛容的であるべきだと」

「だってさ、生まれたときから不遇で、その不遇を世界に蔓延る不平等のせいだって教え込まれてたら、そんなもん教え込まれた元凶を怨むに決まってるじゃない」

「そうですか? 」
「まあ見てきた訳じゃないから、多分に想像で物を言ってしまってるけど、小さい頃から物に恵まれなくてさ、お腹すかして寒い思いして、病気も治らなくて身近な人がバタバタ死んじゃって、それでいきなりグローバル経済が回ってる側の生活を映像で見せられて、それが何の上になりたってるか、自分らの側の生活を搾取して成立してるんですってやられたら、誰だってスイッチ入るよそりゃ」

「そんな感じなんですかね? 」
「大雑把に言ってそういうことなんじゃないの? 」

「じゃあ先輩はどうするべきだと思うんですか? 」

「彼らにも生まれた瞬間からグローバル経済がもたらす豊かさの部分を享受させるべきだと思う。しかもアメリカ的な悲惨な格差を持った物じゃなくて、日本型の。それこそ日本がそうしてもらったんだもん。第二次大戦中の日本の軍部なんて、思想的にはisisに近いだろ? 宗教色がないだけで」

 深山は、先輩が良いことを言っているようで、その言葉が何となく完全には腑に落ちずにいた。その正体を突き止めたくて、先輩へと言葉を紡いでいった。

「じゃあ先輩は、その先輩の理想の対処法を実現するために何をしてるんですか? 」

「何も。強いて言えばまずこうして考えをまとめて口にしてる。それさえ重要だと思ってる。だって現実には相手の陣地に爆弾落として民間人殺してる最中だから」

「デモに行かれたりとか? 」
「時には行くけど、でもそれよりも、確信犯でやってる連中を止めさせるにはどうしたらいいのかなってことをもっと政治的に権限を持ってる人が考えてくれるように仕向けられないかなってことを結構考えてる」

 この人、酔うとデカい事を言うって聞いてたけど、本当だったんだ。深山はそう思いつつ、先輩の言ってること、そのアイデアには基本賛同した。ただし、先輩が言ってる前提が正しかったとしてで、そこは自分なりに掘り下げて行かなければならないと思い始めていた。

「でもなあ… 」
 ずっと黙って聞いていた高橋が声を上げた。

「そういうことも含めてさあ、これ、今一体何してるんだろう。オレら」
「何? どういうこと? 」深山が聞いた。

「いや、全員絶対死ぬのにさ。嫌なこと辛いこといっぱいあって。それは楽しいこともあるけど、これって何のためなんだろうってもうずーっと考えててさ」

「これって、何のことですか? 」 深山がお湯を冷ましつつ言う。

「いや、全部だよ」

 全部って…全部? 

「じゃあ止めちまえと言われて、止めれる? 」

 先輩が言った。

 止めるって、ぶっちゃけ死ぬってことだろうか。

「それはないんですけど… 」

 深山は何故だかそれ以上高橋に何かを聞いてみようという気が起きなくなった。

 高橋はふいに深山の顔を見た。

 美しい

 時空の裂け目がまた曖昧な極少の粒子へと拡散した。


「あれ、今、何考えてたんだっけ? 」

 この見知らぬ人同士が絶えず大量に行きかう場所で

 そこを通りぬける誰もが考えていた。



 自分たちは今、一体ここで何をしているのか?

                       (両津)

小説

2015年12月8日 発行 初版

著  者:伊達 辰人丈
発  行:浮草書房

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UNO千代

初めまして。 薄い本をいっぱい出したいです。

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