spine
jacket

───────────────────────



北急電鉄物語

米田淳一

米田淳一未来科学研究所



───────────────────────




  この本はタチヨミ版です。

 目 次

機関士と新釜

軽すぎる重いモノ

マル

風の砂利列車

構内灯

消された乗車記録

機関士の肖像

特殊警笛

勝ち/負け

機関士の本分

検車の神様

北急最悪の日

奇跡の機関車

幻の車両

精算窓口

プロフェッショナル

真なるもの

見習運転

最後の鉄狼

幸運の罐

記念運転

機関士と新釜

 北急電鉄相模大川機関区詰所は、その日の甲種輸送の話でもちきりだった。
「新釜EH、は途中千葉市川を経由してきて、いつものように御殿場線戸田とうちの新戸田を結ぶ短絡線を経由してくる」
「その間の牽引機は」
「カシ釜だ。ハンドルは梅沢が握る」
「梅沢さんですか」
 若き機関士・来嶋は声をあげる。
「何いってるの。まあ梅沢さんはちょっと気難しいところもあるけれど、あの人の仕業は随一だわ。お召運転の指定機関士でもあるし。あなたも梅沢さんから学ぶところは多いわよ」
 来嶋の指導機関士である神村が咎める。神村は女性機関士である。この機関区では中堅よりちょっとベテランのほうの機関士だ。
「それはわかっているんですけど」

 相模大川基地は大川電車区・米田重工大川工場とともに大川機関区が同居している。
「来た!」
 来嶋は機関区の手すきの者の並ぶ甲種列車見物の中で声を上げた。
「え、あっちへ?」
 甲種列車は構内を機関区から別の方向へ外れて行く。
「EHは重工さんで改装する。だからこっちにはすぐこないわ。それと17日はあなたの勤務変更、よねでん線の派出所の泊まりに決まったから」
「え、その日、EHの試運転の日じゃないですか。試運転の湘南島線から外されるなんて」
「さあね。あなた、この前、ハイフン(EF-Y500)の周遊列車ブラウンコーストエクスプレスBCE仕業で『ゴッツン』やったでしょ。アブソーバーでたいしたことはなかったんだけど、テレメトリーでばれてるわよ」
「じゃあ、自分、BCE運転士から外されるんですか」
「さあね」
 神村は冗談めかしたが、来嶋は落胆してしまった。

 泊まり勤務のため、北急本線から宮ヶ瀬湯本へ同乗し、そして小倉嵐山派出所にさらによねでん線の小型車への同乗で向かう。

「あれ、神村さん? なんでここへ?」
 来嶋はよねでん線小倉志井派出所の詰所で、彼女の姿を見て口にした。
「いやね、あれからあともさらにいろいろ乗務の変更があって」
「乗務割に変更が書いてあったんですけど、なんでですか。神村さん本線の仕事じゃないですか?」
「まあ、これは偉い人達が判断した結果らしいわ」

 その晩、みなが食事当番の作ったハンバーグを食べて、「夜の業務研修」という名の泊まり勤務の駄弁りが始まる頃だった。
「到着報告します」
 梅沢の大きく明瞭な声が聞こえた。
「回9908列車、小倉志井到着しました」
「ご苦労」
 助役との受け答えは、機関士としての鑑のように無駄もよどみもない。

 そのとき、梅沢が振り返った。
「来嶋、お前にプレゼントを連れてきた。表を見てみな」

 そこにいたのは、EF-Y500と、新釜EH510だった。
「一応よねでん線にも釜は入れるからな。地方線とはいえ、釜の軸重には耐えられる」
「でも今日の試運転は湘南島線のはずじゃ?」
「湘南島線は新釜めあての人間ですごいことになっているらしくて、臨時に疎開しての試運転だ」
 梅沢の声に、来嶋は変化を感じていたが、それ以上に現場で鉄拳制裁があったころに若き日々を過ごした梅沢に、すっかり気後れしていた。
「まあいい」
 そういったあと、梅沢は思いもかけないことを口にした。
「EHの新しいキャブに乗ってみろ」
「いいんですか」
 来嶋は物怖じしている。
「ああ」

 来嶋はEHのキャブに登った。
「すごい! 運転士シートやマスコンにまだビニールが掛かってる!」
 真新しい新型機関車の運転台。その香りも独特な尖った香りだ。
 梅沢はふうと鼻を鳴らすと、言った。
「そのビニール、お前がとるんだ」
「えっ」
 来嶋は口を半開きにして声を漏らした。
「お前にとらせたかったんだ」
 梅沢は微笑んだ。
 いつも、それも乗務の時は特に険しい顔の彼が見せないできた、とても柔和な顔だった。
「これからはお前のような機関士がうち、北急電鉄の主役になる。このEHと一緒に、お前も育っていけよ」
 そこで来嶋はようやく気づいた。
「まさか、梅沢さんも」
「ああ。EFハイフンは、俺が同じように、カバーを取った」
 来嶋はうなりそうになった。
20年前、まだ俺が、バカでヘタクソでそのくせ思い上がっていた、まるでお前のようなときだった」
 梅沢は笑った。
「次の伝統を、お前が作っていくんだぞ」
 二人は、頷いた。
「次の20年、お前に託すからな」
 来嶋は、その重みを受け止め、敬礼で答えた。

 その掲げた手の手袋が、燐光のように月明かりで輝いていた。(了)

軽すぎる重いモノ

 北急相模大川工場には、日々様々なものが持ち込まれる。
 定期検査のための入場車輌。
 接触不良と思われる不具合の機器。運転機械から動力装置。
 工員たちはみな、明るく声を掛け合いながら、鉄道を、道を支える使命を、皆それぞれに感じながら励んでいる。
 もちろん、時にはくさってしまうこともあるし、またひと仕事終えたあとの工場近くの繁華街で酒でため息を漏らすこともある。
 それを含めて、この北急電鉄は、生きた鉄道なのだ。

 その北急相模大川工場に、一つ、真っ黒の鋼の塊が運ばれてきた。

「職長、なんすかコレ。『シラ10』って」
「ああ。これは支線よねでん線の沿線自治体に保存されることになってな。その前に整備することになったんだ」
「でも、これ、大物車なんですか?
 こんな大して重くもなさそうな積荷で。
 だいたい重量種別がキじゃなくてラなんていう大物車、聞いた事ないですよ」
「ああ。だから珍しいのさ。
 それも、よねでん線の、とある区間での歴史が詰まってる」

 よねでん線の開通を、心から喜んだ町があった。
 清流の鮎料理が自慢で、遠くの神社への参詣街道の宿場町だったその町は、すっかり鉄道時代に乗り遅れてしまった。
 海沿いの鉄道省の本線は、容赦なくその町から人々を遠ざけた。
 閑古鳥の鳴く町で、人々は必死に鉄道を引いて欲しいと陳情をした。
 しかし、町の人口は減り、宿場の宿帳は真っ白。
 町は着実に死に向かっていた。

 そのとき、よねでん線の敷設が突然発表された。
 この町を通り、内陸部から川沿いを宮ケ瀬湯本へ向かう、電化鉄道。
 当然そんなものが最初から軌道に乗るワケがなかった。
 難工事を避けるために線路は山を回避し、勾配をできるだけ避けたが、それでも敷設費は跳ね上がった。
 それでもその町の人々は、工事の人々に期待し、毎日、米を、魚を、漬物や野菜を工事拠点に届けた。

 そのなかで、一番の難関が、底なし田んぼと呼ばれた泥濘区間だった。
 国分寺の時代からの水田は、素晴らしい水稲を産む美田だったが、それを一部埋めて徹よねでん線には、恐ろしいほど頑強な抵抗を示した。
 路盤をつくる土砂は投じても投じても沈み込み、苦闘の末にできた路盤に立てた架線柱は、朝に立てると夕方には倒れてしまう。
 それでもよねでん線は、それの闘いながらの開業を選んだ。

 一番列車がその泥濘区間を超え、その宿場町にやってきた。
 その町では、一本列車がつくたび、花火を上げて大いに歓喜に湧いた。

 交通は、鉄道は、文化を運ぶ。
 しばらく閉ざされていた交通が、蘇った。
 人々は喜んでよねでん線に乗った。
 小さな車輌でも、小さな車内に一杯になっても、人々の笑顔は電車の中に満ちていた。

 しかし、その区間では、なおも戦いはつづいていた。
 保線区は毎日、大きすぎる軌道狂いを補正するために大きな労力をさいた。
 架線柱はすぐ傾くため、架線はすぐに狂い、また自動張力調整もなかった時代、電力区は必死に毎日架線を張り直した。

 その戦いの中、よねでん線は、苦しいながら、人々を運び続けた。
 乗客もどんどん増え、また死に瀕した宿場町も、遠く都心からやってくる釣り客や鮎料理、そしてさらに遠くの神社へのお客が戻り、息を吹き返した。

 しかし、その限界はあっさり訪れた。
 当時のよねでん線の電車は、当然抵抗制御、しかも変電施設は貧弱で、よねでん線では慢性的な電力不足で運転は徐々に曲芸を強いられ、曲線勾配での起動不 能も起きるようになった。

 そこで、当時の社主は決断した。
 変電所を増強しようと。

 しかし、その変圧器を運ぶには、その泥濘区間を超える必要があった。
 当時甲線・乙線と呼ばれていた軸重制限の基準すら満たせないその区間を超えるためには、特別な方法が必要だった。

「それが、その区間専用に作った軸重の特別に軽い大物車による輸送だった」
「それがこのシラだったんですね」
 職長はうなずいた。
「だがな、交通一般にも、鉄道にも、原罪がある。
 人々をつなぎ、人々を救う鉄道も、逆に文化を吸い上げてしまい、沿線を画一化してしまう作用がある。
 相模野をこえたよねでん線沿線には、様々な文化があった。
 それをよねでん線はむすび、人々をつないだが、でもその結果、沿線文化という名前の画一化をしてしまったかも知れない。
 このシラによる変電所増強を拒んだその底なし田圃の抵抗は、それを表していたのかも知れない。
 毒にならない薬はない。鉄道も同じことだ」
 職長は、寂しげにこの小さな大物車を見つめた。
「でも、だからといって、現代社会は薬なしにはまわっていかないんだ」
 その言葉に工員は、考え込んだ。
 鉄道が、陸蒸気から、新幹線、そしてリニアになっていく。
 生み出した笑顔は、決して少なくない。
 だが、それによって失われていくもの。


「でも、前に進むしかないんだ。色々話はあるが、道は常に、前にしかないんだ」

 工員は頷いた。

「僕がこのシラの整備、手伝います!」
「なにいってんだ、ヤスリがけすら満足にできないのに。新米のお前に」
「だからこそです!」
 職長はふん、と鼻を鳴らした。

「文化財だぞ。気をつけてやれよ!」

「はい!」

 若い工員を見送るその職長の微笑みを、工場の大屋根から降る陽光が、かすかに輝かせていた。

<了>

マル

 雨の中を走るその列車は遅れていた。
 が、運転士の来嶋はブレーキハンドルを握ったまま、すっと息を吸って、精神を集中し、切迫するすべての条件をあえて無視した。
 その寸時の静かな境地に達したとき、その「壁」がはっきり見えるのだ。

 目の前に北急相模大川駅の、デパートのビルが上にある大きな駅舎が迫る。
 列車はその前の制限速度60キロの分岐器に向かい、その乗客が鈴なりの急行ホームの先端、出発信号機は赤信号になっている。
 来嶋は目をさらにかっと見開いた。
 遅れ30秒、減速勝負だ!
 今では少なくなった木のハンドルのブレーキ弁に手を添え、集中力を高め、そしてイメージを浮かべ、操作した。
 チン! というベルがその古風な竹色のペンキで塗り込められた機器むき出しの運転台で響く。
 同時に後付けされた表示器の「HM-ATS・パターン接近」の警報が点灯する。
 普通の運転士だったら、ブレーキハンドルを引いて減速をぐっとかけるところだ。
 ATSシステムの設定したブレーキパターンは壁のようなもので、その壁は安全に停車させるための限界であり、その壁へ突入することはATSによる自動ブレーキ最大強度作動をまねく。
 その壁がなければ、間違いなく列車は赤信号で止まれず、オーバーランする。
 普通の運転士は、それを分かっていて、常用最大ブレーキを掛けてパターンへの接近を防ぐ。
 ところが、来嶋はブレーキをあえて緩めた。
 そして、ブレーキの強めと緩めを華麗に使い分ける。
 パターン接近警報のベルが狂ったようにチンチンチリリンとなり続ける。
 まさに限界域でのブレーキである。
 安全とダイヤ厳守の極狭い境目でのブレーキングを、来嶋は運転の難しい旧式車・北急旧5200形を自由にあやつって実現する。
 鳴り響くパターン警報が止まったとき、列車はピタリと相模大川の上り急行ホームの停止位置に止まった。
 しかし止まったのは列車だけではなかった。
 0秒、マルと呼ばれる、ダイヤ通りの到着時刻を示す懐中時計の針も、0秒にピタリと止まった。
 1秒の狂いもない、完全な運転だった。


「運転引き継ぎます。遅れなし、運転機器異常なし」
「引き継ぎました」
 来嶋はホームで運転をかわり、相模大川運転区に戻った。
 今日の運転仕業はこれで終わりだ。

「来嶋くん」
 女性ながら指導運転士である神村が迎えた運転区のデスクでのことだった。
「現業部監査室の梅沢さんが呼んでるわよ」
「え、なんで?」
 来嶋は怪訝な顔をしてしまった。
「たまたまCTC室であなたのブレーキングを見てたらしいの」
 CTC、中央指令室にはこの北急電鉄のすべての列車の運転状況がリアルタイムで確認できるモニタがある。
「そんな。ダイヤ厳守は運転士の命じゃないですか」
「そりゃそうだけど、相手は梅沢さんよ。お召列車運転もしてきたこの北急最高峰の運転士、甲組運転士だもの。
 それが『あんな運転はマルではない!』とお怒りのご様子」
 神村が茶化す。
「マルじゃないですか。あれで30秒も『取った』んですよ」
「でもパターン接近鳴りっぱなしの運転というのはよくないわ」
「でも」
「でも、はナシよ」
 神村は息を吐いた。
「あなたは確かにセンスがあるわ。
 でも、それ以上のものが、運転にはある。



  タチヨミ版はここまでとなります。


北急電鉄物語

2015年12月1日 発行 初版

著  者:米田淳一
発  行:米田淳一未来科学研究所

bb_B_00140707
bcck: http://bccks.jp/bcck/00140707/info
user: http://bccks.jp/user/127155
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

YONEDEN

 YONEDENこと米田淳一(よねた・じゅんいち)です。  SF小説「プリンセス・プラスティック」シリーズで商業デビューしましたが、自ら力量不足を感じ商業ベースを離れ、シリーズ(全十四巻)を完結させパブーで発表中。他にも長編短編いろいろとパブーで発表しています。KDPでもがんばっていこうと思いつつ、現在事務屋さんも某所でやっております。でも未だに日本推理作家協会にはいます。  ちなみに「プリンセス・プラスティック」がどんなSFかというと、女性型女性サイズの戦艦シファとミスフィが要人警護の旅をしたり、高機動戦艦として飛び回る話です。艦船擬人化の「艦これ」が流行ってるなか、昔書いたこの話を持ち出す人がときどきいますが、もともと違うものだし、私も「艦これ」は、やらないけど好きです。  でも私はこのシファとミスフィを無事に笑顔で帰港させるまで「艦これ」はやらないと決めてます。(影響されてるなあ……)

jacket