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左の薬指にあう指輪を探している

宗像ちよこ

choco出版



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  この本はタチヨミ版です。

 この店を訪れるのは今日でちょうど五回目だ。
「いらっしゃいませ」
 店の奥から柔らかい声音とともに店員の女性が毎回笑顔を送ってくれる。女性の声に応えるようにして軽く頭を下げると、すぐ脇にある飾り棚の中をのぞき込む。先週見たばかりの棚だけれど、商品一つ一つを確認するように眺める。そうやって見ていくと、思いがけず気になるものに出くわすことがある。
 新しく入荷した商品だろうか、いや、もしかしたら前回は見落としてしまった品なのかもしれない。思いを巡らせつつ、右から左から眺めてみる。こんな風にゆっくりとする買い物が好きだ。
 わたしがじっくりと棚に並ぶ品をチェックしているあいだ、店番をしている女性は黙々と何ごとかをしている。手仕事なのだろう、視線はいつもうつむいて、手元に集中しているように見えた。そんな様子をこっそりとうかがいつつ、わたしは自由に店中を見て歩く。
 この店では店員が馴れ馴れしく近寄ってくることがなかった。わたしは、それをとても心地よいと思っている。
 度々訪れても、「毎度どうも」なんて声をかけてこないところがよい。もし、「今日はいかがいたしますか?」なんて店に入って早々に言われたら、踵を返したくなってしまう。わたしはそういう性質だった。
 たぶん、自意識過剰なんだと思う。どんなに頻繁に通う店であったとしても、それがたとえ店員と顔見知りになっている店だとしても、自分の行動が見られていると感じるとどうしても、監視されているかのような印象を強く受けてしまう。
 だから物理的にも心理的にも、わたしは買い物に一定の距離を必要とした。距離は、わたしにとって気持ちのいい買い物をするための必須条件だった。
 気持ちよく買い物ができるかどうかはとてもだいじなことだと、わたしは常々考えている。同じものを買うのだとしても、目で見て触ってゆっくり確かめたいし、店での細かなやり取りもストレスなく気分よくしたい。もっと言えば、そういうことをぜんぶひっくるめて、すべてに納得したうえで買い物がしたい。
 そこをテキトーでいいなんてしている人が多いから、テキトーな店が増えてしまったのではないかと、買い物をしたくないような店に出会う度に考える。
「テキトー」は、「ちょうどいい」という意味の「適当」ではない。いいかげんだったり、ちゃらんぽらんだったりする、悪い意味での「適当」だ。
 まるで親しい友達かなにかに話すような馴れ馴れしい物言いをする店員。品物を見る隙を与えることなく、目線を先回りして商品説明を始めてしまう店員。数打ちゃ当たるとでも言わんばかりに、次々とまくし立て、見せられるおススメの品々……。それらはぜんぶ、「テキトー」な店で過剰に発生する煩わしいできごとだと思っている。
 この店でならばそんな面倒な目には合わず、気持ちよく買い物ができる。これまでの四回の訪問で、わたしはそう確信した。ここ何カ月のあいだ、どうしようか悩んでいる買い物も、この店でならできる気がする。
 そんな確信をもって今日、わたしはこの店にやって来た。


 *

 凛子は左の薬指にあう指輪を探していた。人避けのために指輪をつけようと思っていたからだ。
 相手が男性であろうと女性であろうと、凛子は好意をアピールされるのが苦手だった。誰かに好意を持たれるのは嬉しいけれど、一定以上の好意を示されると、喜びはあっという間に苦痛に変わってしまう。そう感じる性質だった。
 思い返せば、昔からなにかを断ることが不得手だったと凛子は思う。
「トイレ、一緒に行こう」
 小学生の凛子は、そんな風に声をかけられると、たとえトイレに行きたくないときでも、「行かない」とは言えなかった。
 よく言えば控えめな、公平な目で見ると消極的な凛子の性格は、凛子がとても恥ずかしがり屋なところに由来していたのだと思う。
 凛子は思ったことを言葉にするのが苦手だった。
「りんちゃん、美味しい?」
 たまにやってくる祖父母が手土産のお菓子を凛子に食べさせては、必ず聞いた。



  タチヨミ版はここまでとなります。


左の薬指にあう指輪を探している

2016年2月9日 発行 初版

著  者:宗像ちよこ
発  行:choco出版

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宗像ちよこ

日常生活をテーマに、エッセイ、散文詩、小説を書いています。
身の回りのふつうのこと、さりげないこと、大切なこと、疑問に思うことを、できるだけ簡単な言葉で簡単な文章で書きます。
そうして作った作品が、読んでくださった誰かの心に、小さなお土産を残せるように、誰かにちょっぴりきっかけを作ることができるように、そんなことを考えて書き物をしています。

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