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読売新聞社が主催する「全国小・中学校作文コンクール」は、皆様のご支援により、65回の歴史を重ねることができました。
本コンクールは、戦後の復興途上にあった1951年(昭和26年)、子どもたちの考え方やものの見方、感じたことを文章で表現してもらうことを目的に創設されました。テーマや枚数に制限を設けず、自由に書いてもらうことを特徴に、今回も国内外から3万5095編の応募がありました。これほど多くの作品をお寄せいただいたことに感謝申し上げます。
各都道府県と海外部門に分けての審査、さらに2度にわたる中央審査を経て、文部科学大臣賞をはじめ各部門の優秀作品を決定しました。この作品集に収められたどの作品からも、作者のひたむきな思いが伝わってきます。戦後70年を機に第二次世界大戦を振り返った作品や、介護など現代の社会を反映したテーマに真剣に向き合う作品が、数多く寄せられました。
自分の体験や思いを、自分だけの言葉で書き残しておくことは、小、中学生の皆さんにとって、きっと「宝物」となることでしょう。本コンクールの応募者が、今後も、書きたいという気持ち、伝えたいという気持ちを持ち続け、新たなテーマに挑戦していくことを願っています。読売新聞社は、紙面と紙書籍版、電子書籍版の作品集で、多くの方に受賞者の力作を読んでいただきたいと考えております。
最後になりましたが、多くの作品を慎重に審議していただいた審査委員の先生方、ご後援いただいた文部科学省と各都道府県教育委員会、ご協賛いただいた東日本旅客鉄道株式会社、東海旅客鉄道株式会社、西日本旅客鉄道株式会社、株式会社イーブックイニシアティブジャパン、ご協力いただいた三菱鉛筆株式会社の各位に厚く御礼申し上げます。
2016年3月
読売新聞社
おっきぃおばぁちゃんとのおもいで 新潟県・佐渡市立畑野小学校三年 笠井 美愛 14
すてきなしわ 富山県・富山市立堀川小学校三年 樋口 頌子 22
大好きお母さん 石川県・金沢市立味噌蔵町小学校三年 福村 綾 30
大すきな剣道 福井県・福井市明新小学校三年 川瀨 乃音 32
国蝶・オオムラサキ 山梨県・山梨学院大学附属小学校三年 山田 千裕 34
親切は返って来る 岐阜県・高山市立宮小学校三年 西本 音々 38
ぼくとおじいちゃん 静岡県・焼津市立焼津南小学校二年 山田 修翔 42
はじめてのる守番 愛知県・西尾市立室場小学校三年 野呂 香菩里 44
努力の山の頂上には 新潟県・新潟大学教育学部附属新潟小学校五年 古泉 修行 50
辛い過去を乗りこえた先に 富山県・舟橋村立舟橋小学校六年 島木 琴子 76
涙のピアノコンクール 石川県・金沢市立富樫小学校四年 寺尾 くるみ 82
わたしと少林寺 福井県・福井市明新小学校五年 山崎 紗愛 86
私の本当に必要な物は何か 山梨県・山梨学院大学附属小学校五年 長谷部 愛惟 88
あの人は0点 岐阜県・下呂市立東第一小学校四年 北村 心 92
伝統工芸から学んだこと 静岡県・浜松市立東小学校六年 影山 裕斗 96
あきらめなくてよかった 愛知県・岡崎市立六ツ美中部小学校六年 伊東 利紗 100
人魚 新潟県・新潟明訓中学校一年 小川 遥菜 106
お弁当はプレゼント 富山県・富山市立堀川中学校二年 松田 わこ 130
思いやる事の大切さ 石川県・金沢大学附属中学校二年 森 智香 134
山が死んでいる。 福井県・福井市明倫中学校三年 安井 万智 138
祖父が僕に双眼鏡をくれたわけ 山梨県・北杜市立甲陵中学校二年 飯塚 寛文 142
逆に考えて経験を積む 長野県・長野市立広徳中学校三年 湯山 亜依 146
自意識と私 岐阜県・瑞穂市立穂積北中学校二年 田中 優衣 150
夢の跡 静岡県・静岡サレジオ中学校二年 高田 愛弓 154
返信 愛知県・岡崎市立甲山中学校一年 谷口 琴音 194
第65回全国小・中学校作文コンクール 地方審査入選者名 200
第65回全国小・中学校作文コンクール 地方審査委員名 212
※掲載作品は、原文を尊重しながら読売新聞の表記に従って字句など若干の手直しをしています。
梯 久美子(ノンフィクション作家)
石崎 洋司(児童文学作家)
新藤 久典(国立音楽大学教授)
堀 敏子(元東京荒川区立第三瑞光小学校副校長)
田中 成(元東京都杉並区立西宮中学校長)
中原 國明(元東京学芸大学国語教育学会長)
小学校低学年 4883点
小学校高学年 8081点
中学校 22131点
合計 35095点
主催:読売新聞社
後援:文部科学省、各都道府県教育委員会
協賛:JR東日本、JR東海、JR西日本、イーブックイニシアティブジャパン
協力:三菱鉛筆
新潟県・佐渡市立畑野小学校 三年
「美愛、どこ行くんだっちゃぁ。お昼ねしん子は、わぁりぃ子だ。」
おっきぃおばぁちゃんは、いっしょにお絵かきをしたりブロックでも遊んでくれたけど、すぐにそう言ってわたしをねかせようとしました。だからわたしはママに、「今日はおばぁちゃんの家に行っててね。」って言われるのがすごくいやでした。
(めんどくさいのかなぁ。ほんとうはわたしのこときらいなのかなぁ。)
わたしはそんなことを思いながら、でもそれをおっきいおばぁちゃんに聞くこともできなくて、いつもしかたなくギュッと目をつぶってねたふりをしていました。
(外で遊びたいのになぁ。でも外に出るとおこるしさぁ。あーつまんない。早くママおむかえに来ないかなぁ。)
そんなことを考えながら、けっきょくいつもいつの間にかねていました。
目がさめると、おっきぃおばぁちゃんは細い目をさらに細くして、にっこりわらってわたしの頭を何回もなでてくれました。おっきぃおばぁちゃんの手は、しわくちゃでごわごわしているのに、いつもふんわりとあったかいふしぎな手でした。小さいころ車のじこでこっせつしたわたしの右足も、いつもそのふしぎな手でやさしくなでてくれました。ときどき、なでながらなみだがこぼれていることもありました。
「おっきぃおばぁちゃん、ちち、もういたくないよ。たまに少しいたくなるけどね。」
とわたしが言うと、おっきぃおばぁちゃんはブツブツと何か長い言葉を言っていました。その時は何を言っているのかまったくわからなかったけど、今思うと、もしかしたらおっきぃおばぁちゃんは、かみさまにおねがいをしてくれていたのかなって思います。わたしの足が大きくなるとともにまがったりしませんようにって。
わたしが小学生になってからは、あんまりおばあちゃんの家に行かなくなりました。だからたまに行くと、おっきぃおばぁちゃんはすごくよろこんでくれました。そして小学生になって、わたしがおっきぃおばぁちゃんのきらいだったところがすきになれたことがひとつあります。それは、ほいくえんのころわたしに昼ねばかりさせたおっきぃおばぁちゃんのこと。学校の先生が、よくねる子は体もじょうぶになるし頭もよくなるって言った時、わたしはすぐにおっきぃおばぁちゃんのことを思い出しました。
(きっとわたしのことを大切に思ってくれていたんだね。)
ある日ひさしぶりにおばあちゃんの家に行くと、いつもげんかんにすわってまっててくれるおっきぃおばぁちゃんがいませんでした。わたしがおばあちゃんに
「さっちゃん、おっきぃおばぁちゃんは。」
と聞くとおばあちゃんは、
「おばぁさんは今日は調子がわるくて、おへやにおるっちゃ。」
と言いました。
(また、ひざがいたいのかなぁ。)
わたしはすぐにおっきぃおばぁちゃんのへやに行きました。
ドアを開けたしゅんかん、わたしの足がきゅうにズシリと重たくなりました。なんだか、ただひざがいたいだけじゃないように見えたからです。おっきぃおばぁちゃんは、しせつからかりた動くベッドの上にいました。
「おっきぃおばぁちゃん、どうしたの。」
「おー、美愛きたのんかぁ。」
おっきぃおばぁちゃんがいつものようにわらっていたのはそこまででした。
おっきぃおばぁちゃんは、わたしが会いに行くと、「しにたい」という言葉を口にするようになりました。わたしは、すごくびっくりしたしとてもかなしくなって、前におっきぃおばぁちゃんがわたしにしてくれたように、こんどはわたしがおっきぃおばぁちゃんのいたむ足をなでてあげました。
「美愛はやさしい子だなぁ。美愛、ありがと…。ありがと…。」
おっきぃおばぁちゃんの目からたくさんのなみだがこぼれていました。そのなみだは、なかなか止まりませんでした。
おっきぃおばぁちゃんは、ごはんもベッドの上で食べるようになりました。どうしてか自分でもよくわかりませんが、わたしはおっきぃおばぁちゃんのそのすがたがこわくて、げんかんからおっきぃおばぁちゃんのへやまでの五歩が五十歩にひょいって開けられたドアが重たい鉄のドアみたいにかんじました。ときどき、ガミガミうるさくて、でも元気がよくていつもよくわらっていたおっきぃおばぁちゃん。会いに行くたびにだんだんしょんぼり小さく見えて、小さくなりすぎたらもしかしてしぬということなのかな。しぬとどうなるのかな。とか、まだまだ考えなくてもいいことなのに、わたしの頭の中はそんなことでいっぱいでした。だからわたしは、そんなおっきぃおばぁちゃんのすがたをもう見たくなくて、おっきぃおばぁちゃんのへやに行かなくなりました。
ある日ママがおっきぃおばぁちゃんに、足がひえないくつ下っていうのを買ってきたので、それをママとわたしではかせてあげることにしました。おっきぃおばぁちゃんのへやに入っても、わたしはママの後ろからおっきぃおばぁちゃんを見ていました。ママが、
「ちぃちゃん、反対がわの足にくつ下をはかせてあげてくれる。」
と言いました。わたしは
(えーっ。)
って思ったけど、おっきぃおばぁちゃんの足が少しでもよくなるならって思って、ゆう気を出してはかせてあげました。氷みたいにつめたい足、アザだらけの足。黄色くてふわふわしたくつ下でつつんであげました。おっきぃおばぁちゃんはとてもよろこんでくれて、ひさしぶりに細い目をさらに細くしたえがおを見せてくれました。
わたしは、八才になる前に少しおくれて七五三のしゃしんをとりました。おひめさまみたいになったわたしをおっきぃおばぁちゃんにも見てもらいたくて、パパとママとわたしで会いに行きました。おっきぃおばぁちゃんはわたしを見て、
「どぉい、うつくしいっちゃぁ。おねえさんげぇになって。」
と、にっこりわらいながらポロポロとなみだをながしていました。なき虫なおっきぃおばぁちゃんと、しゃしんをとりました。できあがったしゃしんには、わたしが大すきなえがおの何倍もかわいいえがおのおっきぃおばぁちゃんがうつっていました。そのしゃしんは、わたしがおっきぃおばぁちゃんととったさいごのしゃしんになりました。
ある日の夜、おっきぃおばぁちゃんがきゅうきゅう車でびょういんにはこばれました。三人のお姉ちゃんとるすばんをしていたわたしのむねは、ドクンドクンと大きな音がなりました。いつかも思ったあのこわいという思いがまたやってきました。パパから、おっきぃおばぁちゃんは入いんすることになったけどだいじょうぶだというれんらくがきました。ドクンドクンと大きな音がなっていたわたしのむねは、いつの間にかトクントクンといつもの音にもどっていました。
休みの日に、パパとママとわたしで、おっきぃおばぁちゃんのお見まいに行きました。びょう室に入る時、わたしはまたこわくなって、でもそれをパパとママには気づかれてはいけないような気がして、自分のうでをギュッとつねってがまんして入りました。ベッドでねているおっきぃおばぁちゃんを見たしゅん間、むねがこわれそうなくらいいたくなりました。ほんとうにねたきりになってしまったおっきぃおばぁちゃんのそばには、ねながらお水がのめる道具、紙おむつ、おしりふき。おっきぃおばぁちゃんが赤ちゃんになったみたいですごくいやなかんじがしました。
その日の夜、ねる前にママが言いました。
「ママはね、こう思うの。人は赤ちゃんで生まれてきて、いろんなことをがんばって大人になって、おじいちゃんおばあちゃんになる時にまた赤ちゃんみたいになって、生まれる前のお空にもどっていくの。」
「体は大人だけど、ごはんをひとりで食べられなくなったり、トイレにひとりで行けなくなったり、うまくおしゃべりができなくなったり。」
「赤ちゃんがこまっている時に、おこったり知らんぷりしたりする人なんていないでしょ。よろこんでお世話してあげるでしょ。だからおっきぃおばぁちゃんにもそうしてあげなきゃ。」
わたしは、ママの言っていることがすごくわかるようで、すごくむずかしいなと思いました。でも、今すぐにおっきぃおばぁちゃんに会いたいって思いました。
何回目かのお見まいの日、おっきぃおばぁちゃんはひと言も話しませんでした。いつもは話せなくても、パパの話にゆっくりと頭をたてかよこにふって、へんじをかえすのに、その日はそれもできませんでした。おっきぃおばぁちゃんの近くによっていたわたしのほっぺを、目をとじながらずっとさわっていました。ねたきりになっても、おっきぃおばぁちゃんのしわくちゃでごわごわしている手は、元気なころとかわらない、ふんわりとあったかい手でした。はなれるのはとてもかわいそうだったけど、おっきぃおばぁちゃんに
「バイバイ。またくるね。」
と言ってそっとはなれると、おっきぃおばぁちゃんはさみしそうに手をそっとさげました。その日は、今までできてたバイバイのハイタッチもできませんでした。
それからしばらくして、おっきぃおばぁちゃんはすっかり体のちっちゃいおばぁちゃんになってしまいました。心ぞうもこきゅうもちっちゃく弱くなってしまいました。だから次の日、ママとわたしと三人のお姉ちゃんでお見まいに行きました。おっきぃおばぁちゃんは体を全部使って、ただゆっくりいきをしているだけでした。ママがかおをなでて話しかけても、ピクリとも動きませんでした。三ばんめのお姉ちゃんは、おっきぃおばぁちゃんのおでこをなでながらないていました。
「おばぁちゃん、こんなにちっちゃくなっちゃって。」
お姉ちゃんがそんなことを言うから、わたしまでなきたくなりました。でもないちゃったらもうおっきぃおばぁちゃんと会えなくなりそうな気がしたので、びょう室の天じょうを見てごまかして、がまんしました。だって、一ばんなきたかったのは、きっとおっきぃおばぁちゃんだと思ったからです。
そしてついにおっきぃおばぁちゃんが、生まれる前のお空の世界へもどってしまう日がきてしまいました。おっきぃおばぁちゃんはとくべつしつみたいなところにうつされました。みんなおっきぃおばぁちゃんをなでながら、やさしく話しかけていました。夕方、おっきぃおばぁちゃんのぐあいが少しおちついてきたので、ママとわたしは家に帰ることにしました。パパは子どものころ、おっきぃおばぁちゃんにそだててもらったので、ずっとそばについていたくてのこりました。それからしばらくして、あんなに心ぱいしていたパパも、おっきぃおばぁちゃんは明日までもちそうだと言われたみたいで、一回かえってきました。そして、パパがシャワーをあびている時、パパのけいたいがなりました。わたしは、ビクッとして体がきゅうにさむくなりました。おっきぃおばぁちゃんのいきがとおくなりました。
「さっきまでだいじょうぶだったねかさー。ふざけるなさー。」
パパの目はなみだでいっぱいでした。いつもはこわいパパ、ドシーンと大きいパパ。でもその時だけはふわっととんでしまいそうな、小さくてよわいパパに見えました。もう夜おそかったので、パパとママだけびょういんに行きました。三人のお姉ちゃんとわたしは、ひとへやにかたまっていました。目をとじると、おっきぃおばぁちゃんのかおがあたまにうかぶから、わたしはこわくてなかなかねむれませんでした。
そしておっきぃおばぁちゃんは、大すきでとても大切だったパパやみんなにかこまれて、お空へもどっていきました。
おっきぃおばぁちゃんのお見おくりも、おつやもおそうしきも、わたしにははじめてのけいけんでした。だから、これでもう会えなくなるとかわたしにはよくわからなくて、みんなみたいになみだが出ませんでした。心は、かなしくてさみしくてシクシクないているのに、心とあたまがべつべつに動いているみたいでした。
おっきぃおばぁちゃんへ
おっきぃおばぁちゃんの、しわくちゃでごわごわしている手が、どうしてふんわりとあったかかったかわかったよ。ママの手もね、いつもがんばっているからすごくガサガサしているの。でもね、そのガサガサの手でなでられてもいたくないの。いつもふんわりあったかいよ。おっきぃおばぁちゃんといっしょだよ。わたしのことが大すきでとても大切だから、なでる時にまほうがかかるんだって。おっきぃおばぁちゃんもきっとそうだったんだね。あとね、七月になってから家にね、メスのくわがたとメスのかぶと虫がきたよ。みんなにはないしょだけどね。わたしはもしかしたらおっきぃおばぁちゃんかなって思ってるの。家のにわにもうすぐさきそうなひまわりも、もしかしたらそうかなって。
おっきぃおばぁちゃん、美愛の心の中で、これからもずっといっしょだよ。
(指導:鼻崎恵子教諭)
富山県・富山市立堀川小学校 三年
しわばあは、わたしのひいおばあちゃんです。わたしが生まれた時から顔にも体にもしわがたくさんあったのでずっとしわばあとよんでいます。
しわばあは、大正七年生まれの九十七才です。しわばあは一人では歩けないし、目もほとんど見えません。だから自分のことがあまりできないので今はしせつでくらしています。しわじいはもう三十年くらい前にしんでしまいました。
しわばあは子どもが五人いて、わたしのおばあちゃんはしわばあの五番目の子どもです。しわばあとは、同じ富山市でくらしていますが、わたしは学校があるので、なかなか会いに行けません。とくに冬は、わたしと妹のかぜがうつってしまうと、わたしたちならかんたんになおるかぜでも、しわばあはとてもおもいかぜになってしまうので会えません。
わたしがようち園の時、わたしはおなかのかぜをひいているのに気づかないで、しわばあに会いに行ってしまったことがありました。すると、しわばあにそのかぜがうつり、長い間入いんしてしまいました。その時から冬だけは、しわばあに会いに行くことができません。クリスマスやお正月には手紙を書いたりおり紙のプレゼントを作っておばあちゃんからしわばあにわたしてもらっています。
だから、あたたかくなると少しでも多くしわばあに会いに行くようにしています。夏休みが始まってさっそくおばあちゃんとお母さんと妹と四人でしわばあに会いに行きました。会ってすぐしわばあの手をにぎると、細いその手はつめたくてひんやりしていて、なんだかとても気持ちよかったです。
しわばあは、この前会った時よりも少し小さくなったみたいでした。もうすぐ身長も体じゅうもわたしがこえてしまいそうです。もう足はわたしのほうが太いです。
妹のゆいは、この前までしわばあの顔を見るといつもないてばかりいました。わたしは
(どうしてなくのかなぁ。しわばあはしわしわでこわいのかなぁ。せっかく会いに来たんだから、ニコニコしていたほうがいいのに。)
と、思っていました。でも今回は、妹はなかなくなっていました。
(よかったなぁ。ゆいちゃんえらいね。)
わたしはほっとして、妹をほめてあげたい気持ちになりました。
しわばあは、わたしと妹のことをなかなかおぼえてくれません。おばあちゃんやお母さんの名前もわすれてしまっているみたいです。だから、会いに行くたびにさいしょからわたしたちの名前と年れいを言わなければなりません。
それでも、しわばあはわたしと妹のことをとてもかわいがってくれます。目がよく見えていなくても、
「おぉ、大きくなった。かわいい、かわいい。」
と、言ってくれます。
そして、しわばあは毎回わたしたちに何かをくれようとします。それがビスケットの時がありました。しわばあは、「ビスケット」のことを「ピスケット」と言っています。おもしろくてちょっとわらってしまいました。
わたしは、
(どうしてビスケットなんだろう。)
と思っていると、おばあちゃんは、
「むかし、ビスケットは一番のおやつだったんだよ。」
と、教えてくれました。わたしは、
「ありがとう。ビスケットもうもらったからだいじょうぶだよ。」
と言っても、しわばあはわたしたちが帰るまで、
「ピスケットはどこだ。」
と、言っていました。
また、おこづかいをくれようとする時もあります。しわばあは、ズボンのポケットをさがして中に入っていたティッシュをくれました。わたしは少しこまってしまったけど、しわばあのあたたかい気持ちがうれしかったので、そのティッシュをもらって帰ってきました。
「ちゃんとお礼を言うんだよ。」
と言ったお母さんはわらっていたけど少しかなしそうな顔をしていました。
しわばあは今のことはわすれていても、みんながわすれてしまっているようなむかしのことをおぼえていたりします。
「今、しょうちゃんは何をしてる。」
と、しわばあが言いました。わたしはびっくりしたけど、自分のことをおぼえていてくれたんだと思ってうれしかったです。わたしが
「小学校に通っているよ。」
と言うと、
「えっ、そんなばかなことがあるもんか。」
と、今度はしわばあがびっくりしているのです。話をよく聞いていくと、しわばあが言っている「しょうちゃん」は、しわばあのお兄さんのしょうぞうさんのことでした。しょうぞうさんは、何十年も前にしんでしまっていて、おばあちゃんも会ったことがないそうです。わたしは、
(きっとしわばあはお兄さんに会いたいんだろうなぁ。)
と、思いました。
今とむかしがごちゃまぜになってしまっているしわばあだけど、わたしには小さい時からずっとやさしいままのしわばあです。そんなしわばあの九十七年間はどんなふうだったのか、おばあちゃんやおばあちゃんのお姉さんに話を聞いてみました。
しわばあはわかいころ、カラフトという北海道よりまだ先のしまでくらしたこともあったそうです。そして、けっこんして子どもが生まれて、せんそうが始まったそうです。
せんそうでしわじいはフィリピンに行ってしまい、しわばあは一、三、五才の子どもと富山でるす番していたそうです。七十年前の八月二日の夜中、空しゅうのサイレンが鳴って、しわばあはとなりの人にきょう力してもらって、三人の子どもをつれてとにかくくらいほうに走ってにげたそうです。なぜなら、くらいところは田んぼで家がないのでばくだんが落とされないと思ったからだそうです。
わたしは、せんそうの話を聞いていてもよくわからなかったので、図書館やしりょう館でそのせんそうのことを調べてみました。
その空しゅうで富山はとても大きなひがいをうけました。二千人い上の人がしんでしまい、まちの九十九・五パーセントがやけてしまいました。
わたしは、本にのっていたその時の空しゅうのあとがのこっているお寺のつりがねや石ひを見に行きました。わたしがさわってもびくともしないくらい大きくてかたくておもいつりがねは、空しゅうのばくだんのはへんが当たって下のほうがかけていました。それほどはやいスピードでばくだんがとんできたら、こわくて動けなくなってしまうと思います。
また、石ひはばくだんのねっ風で、ほってあった文字がとけて読めなくなっていました。石がとけるほどの火でまちがのみこまれてしまうと、やっぱりにげるところがないと思いました。わたしの今すんでいる家のすぐ近くで、七十年たってものこっている空しゅうのあとを見て、とてもおそろしいと思いました。そして、少しさがすと意外と近くにせんそうのあとが見つかるんだな、と思いました。
また、夏休みに開かれた写真てんで空しゅうのあとのまちの写真を見ました。富山のまちは、家もお店もほとんどがやけて何もありませんでした。写真にはそのやけあとの中を何人かの人がぼんやり歩いていました。その人たちは、家がやけてしまったのかもしれません。家族がしんでしまったのかもしれません。わたしは家がないくらしも、家族がいないくらしもしんじられないくらいつらいことだと思います。
(その時のみんなはどんな気持ちだったのかなぁ。)
(どうしてみんながこんなかなしい思いをするせんそうをしたのかなぁ。)
わたしにはいくら考えてもわからないことばかりです。だから、これからたくさん本を読んだり、勉強してせんそうのことをもっと知りたいと思いました。
そしてせんそうが終わると、しわじいが生きて帰ってきたそうです。
「しわじいが帰ってきたとき、どうだった?」
としわばあに聞くと、
「そりゃぁ、なみだが出るくらいうれしかったさぁ。」
と、言いました。わたしは、ほとんどわすれてしまったしわばあでもおぼえているくらいうれしかったんだなぁ、と思いました。でも、しわじいはせんそうで左ひじに鉄ぽうでうたれたあとがあって、左手がふ自由だったそうです。わたしは、しわじいにもせんそうの話を聞いてみたかったです。
せんそうが終わってからも食べるものが少なくて、ごはんにいもの葉やつるをまぜてなんとかおなかをいっぱいにしていたそうです。わたしは、そんな中を一生けんめい生きてきたくろうがしわばあのしわになっているのかもしれない、と思いました。
しわじいはけがをおいながら生きて帰ってきてくれて、しわばあは空しゅうの中を生きぬいてくれて、わたしのおばあちゃんが生まれました。そして、わたしのお母さん、わたしといのちがつながってきました。
今、しわばあからビスケットもおこづかいももらうことはないけど、わたしは生まれた時にしわばあからとても大きなプレゼントをもらっていたのだ、と気づきました。そして、しわばあのしわはくろうばかりのしわではなく、いのちをつなげたすてきなしわだったんだなぁ、とかんじました。わたしのいのちも次のいのちにつなげなければなりません。そのために、わたしのいのちを大切にしたいと思いました。
わたしはこの夏休みに少しだけしわばあのくろうやせんそうのことを知ることができました。
「今も世界のどこかでせんそうがおきているんだよ。」
と、お母さんから聞きました。大切ないのちが今もどこかできえていくと思ったら、やっぱり、
(なぜ人はせんそうをするんだろう。)
(どうしたらもっとみんながしあわせになれるんだろう。)
と、考えました。
そして今度しわばあに会いに行った時には、心をこめてこう言いたいと思います。
「しわばあ、ずっと長生きしてね。」
(指導:高多利明教諭)
2016年3月 発行 初版
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