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川が呼んでいる

鳥越 厳之

Bird LanD出版



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  もくじ

    プロローグ

 一   谷の春
 二   緑の炎
 三   流れる水の音
 四   深い淵
 五   緑の海の底
 六   森の銀河
 七   神の宿る森
 八   誰かが呼んでいる
 九   深く緑に沈む森
 十   変わらないものがある
 十一  呼んでいるのは森
 十二  夏が過ぎていく
 十三  秋はどこからやって来る
 十四  風の知らせ
 十五  緑に別れを告げる日
 十六  秋の音が聞こえる
 十七  内なる秋が走りだす
 十八  秋が止まらない
 十九  谷を揺らす風
 二十  乾いていく秋、冬の到来
 二十一 ひとすじの流れ
 二十二 吹雪
 二十三 めぐる春

    エピローグ














 プロローグ

 わたしはこの谷の森に住むツキノワグマ
この物語を語らせてもらう。何せ、この谷のことを一番良く知っているのは、わたしだから。
その髪の長い子が初めて谷にやって来た時も、危なく出くわすところだった。怖がるといけないので姿を見せないでおくことにしたが、その子の名前がアキだということも後で知った。
アキはここにやって来て、ひとり川に向かってつぶやき始めた。いや川と話をすることができたのかも知れない。

 わたしは、この谷の季節の移ろいとアキが川と話していたことに、ちょっぴりの想像力を付け加えて、物語を語ることにする。












  一 

 谷に吹く風は冷たい空気の中に
明らかに温かい層を混じり込ませている。
ナラの森の若芽がふくらみ、ヤマザクラの花びらが風に舞う。
おや? 枝先で翼を広げ、何十もの白いハトの群れが
飛び立とうとしている・・・ 
なんだコブシの花か、あんなにたくさん付いている。

確かにこの谷にも春が訪れている。






 アキを初めて谷で見たのは、そんな日だった。

背筋をのばしてちょこんと、まるでイスにでも腰かけているようにして
谷川を見つめていた。
時々不安そうにあたりを見回しながら。

「来たよ・・・」

そうつぶやいたような気がした。









  二 

 この多彩さは何だろう?
森の緑は、木々の枝先が風に揺れて銀色に光るところから始まる。
その森が少しずつ芽吹き、若い緑に覆われる。
しかしそれは単なる緑とは違う。
それぞれが生まれながらに持つ緑を主張し始めるのだ。
裏葉(うらは)白緑(びゃくろく)鶸色(ひわいろ)萌黄(もえぎ)

今、森がもえている。新緑という緑の炎に包まれて。





「川が呼んでいる・・・」

そんな気がした。
アキは谷川に急いだ。 
あたりを見回すが誰もいない。

谷川の水に手をつけた。
「冷たい・・・」











  三 

 見えない水の流れが谷底から聞こえる。
水は不規則に並ぶ段差を勢いよく流れ落ち
そのたびに岩にぶつかり音をたてる。
大きく 小さく 高く 低く 近く 遠く 速く 遅く
それぞれは単調で意表をつく音は一つとしてないが
それらが響き合い谷を包む。
まるでオーケストラの奏でるシンフォニーのように。
谷川を流れる水の音
これほど単純で、これほど複雑な音楽が他にあるだろうか。




 アキは川の中にいた。
足を踏み出す方向を注意深く見極め、一歩一歩瀬を進む。
突然、あたりを見回した。
「 聞こえる・・・」
アキは川の中で立ちつくす。
そっと目を閉じる。
聞こえる、いくつもの川のささやきが
全てを受け入れようと全身の力を抜いた。
やがて全方位から満ち潮のように川の声が押し寄せてくる。

自分の体の中を、川が流れ通り過ぎていくのがわかった。





  四 

 この谷を上ると、見上げるほどの滝がある。滝の下には深い淵が広がっている。今日のアキはその淵まで川を上って行った。
おや? 何か持っている。何と竿を伸ばし始めた。釣りをしたことがあるのだろうか?
淵の両側からは、広葉樹の枝が張り出して淵を覆っている。
流れの浅い所を選んで、上手に淵を回り込んだ。枝の張り出しの少ない場所にしゃがみ込むと、竿を低く淵に投げ入れた。その瞬間!

 ガックン
 グググッ

 いきなり竿がしなった。おどろいて後ずさりした。竿が淵の中へ引き込まれそうになる。このまま強く引き上ければ釣り糸が切れてしまう。アキは竿をしならせたまま、魚の動きに合わせて淵の周りを動き回った。
 
 どのくらいたっただろう。魚が水面からはねた。
信じられない! 四十センチはある! きっとこの淵の主にちがいない。
はねた後、魚は意外にもおとなしくなった。時間をかけて慎重に手元に引き寄せた。
しばらく迷っていたが、水中でそっと魚体を両手に抱いた。
魚に抵抗する気配はなかった。

「アマゴ・・・」

 その体は銀色に輝き、いくつもの円形のマークの上に赤い斑点が鮮やかに浮かび上がっていた。
アキは、じっと見とれていた。
その美しさと威厳を前に言葉が見つからない。
やがて両手を魚体から放した。
自由になったアマゴは、しばらく佇んでいたがゆっくりと淵の底に帰っていった。



  五 

 カッコウが鳴いている。
どこかのどかでちょっぴり寂しげだ。
谷底から、ふと見上げた光景に目を見張る。
この谷は深く、頭上に大きな空間が広がる。
その天井全面を緑が覆っているのだ。
まるで一枚一枚ていねいに仕上げられたステンドグラスのように
そこに十時の方向から太陽がさす。
緑のステンドグラスを透過した光が谷底に届く。
チラチラと影が揺れ、緑の海の底で光が目に染みる。
これほど心地よく目に染みるものを知らない。









 あの日以来、アマゴのすむ淵へ行っては川と話すようになった。
と言ってもアキの一方的なひとり言だが。











  六 

 やがて夏のある日のこと
アキはいつもの谷から帰る途中、夕立で一休みしている間に眠ってしまった。すっかり日も暮れて、森が暗い闇に沈んだ頃に目をさました。
森に切り取られた空には、夏の星座が光っているが
しばらくの間、何が起きているのか見当もつかなかった。
確かに森にいる。けれど同時に自分の体が夜の空に浮かんでいるような気がした。
暗闇に目が慣れると、信じられない光景が広がった。
森じゅうの地面がヒメボタルに埋めつくされ、そのど真ん中にいたのだ。





「森の銀河!」
思わず声をあげた。


 森の銀河を漂う星々は、それぞれ独自の意志を持ってまたたいている。
時に不規則に、時に何かに指揮されるように
それはだれにも予測がつかない物語として
くり返しクライマックスを創り出していく。
音もなく森の銀河の物語は続いた。









  七 

 谷にやって来る途中にスギの森がある。
樹齢六〜七十年か、大切に手入れをされてきた森だ。手を廻しても抱えきれない大木がゆったりと立ち並ぶ。スギの高さは優に三十メートルはあるだろう。
このところ天気がぐずついている。
夜半から明け方にかけて雨が降り、日の出とともに徐々に天気が回復する、そんな日のことだった。谷川の水があまり増えていないのは、夜の雨がさほどではなかったからだ。

 その森で決定的なできごとに出合う。






 アキはスギの森に足を踏み入れる。
雨上がりの森は、満たされた霧に色を消された世界。
その所々で、大木のシルエットが濃淡をつけて天に向かって浮かび上がる。
突然雲の間から、いく筋もの光が大木を斜めにかすめ地上に差し込む。
思わず息をのむ。
何という美しさだろう。
見上げる大木の森がつくり出すダイナミックな空間
そして劇的な光景
人がつくり上げた森にもかかわらず
そこに人を越えた何かが宿るのを感じた。









  八 

 その日以来、はっきりと川の声が聞こえるようになる。
確かに誰かが呼んでいる。振り向くと淵の底を大きなアマゴがゆったりと泳いでいた。
すぐに、この前のアマゴだと気づいた。







 思いきって声に出した。

「わたしを呼んだ?」

――お前の名前は

「・・・アキ」
「・・・あなたの名前は?」

――アマゴに名前などない 老アマゴとでも呼べばいい


 自分の話す言葉が通じる。しかもアマゴが話しかけてきたのだ。
胸がドキドキして言葉が続かない。






  九 

 見上げると空を覆う暗い緑。
春に萌え出た緑は、時の経過とともにその厚みと濃さを増す。やがて視界から意識から消える。
そうか! 今深く緑に沈む森の中にいるのだ。
圧倒的な存在ゆえに、緑の存在を忘れていた。







 アキは少しずつ老アマゴと会話ができるようになる。それがうれしくてたまらなかった。

「いつからこの淵に住んでいるの」
――さあな だいぶになろう

――それよりなぜ このワシを生かしてくれたのか

「そうしなさいと川の声が聞こえたから」

――どの道あとわずかの命 生きていてもしょうがないと思っていたが
  生かされた意味を考えねばならんのお

「生きるのに意味がいるのかな」




  十 

 朝からジリジリと鳴くセミの声。それを中和するせせらぎの音。
午後の空にモクモクと入道雲が沸き立たつ。
谷の森の木陰の何と心地よいことか。



――今この谷に見えるものは何じゃ
「えっ?」

――アキの目に映るものを聞いている
「えーっと
 人の背よりも高い岩がゴロゴロしていて
 太い枝をいっぱい広げたトチノキに、せいたかのっぽのケヤキ
 目の前の深い淵と、空から降りてくる滑り台のような滝
 何か、深い森の底にいる気がする・・・」

――昼間の光はワシらにはまぶしすぎて ほとんど景色などわからない
  大抵は岩かげにひそんでおる

「夜は?」
――その滝は ちょうど東の方角にあっての
  満月の夜
  滝の真上に登ってくる月の光で映し出される世界がちょうどいい
  じっいとながめていると時がどこかへ行ってしまう

「美しいってこと?」
――ああ アキが今見る光景は はるか昔に見た光景でもある
  ここにはすぐに消えてなくなるものなどない



  十一 

 何のにおいだろうか? 
早朝の谷川の水におい、土のにおい、草いきれ。
何の光だろうか? 
クモの糸が朝露にぬれて、真珠の首飾りのように水滴を連ねて光らせる。



 アキは老アマゴに尋ねる。

「アマゴが川上を目ざすのはどうして?」
――んん

「広い海に行くほうがうんと楽なのに
    つらくて険しい川上に上ろうとするのはなぜ?」

――確かにワシの仲間には海へ下るものもおるが・・・
  はて どうして川上なのかのお

――それよりアキこそ 何で川を目ざしてやって来るのじゃ

「川が呼んでいる気がする」

――ほう

「初めはそう思ってたけど
    だんだん呼んでいるのは森だという気がしてきた」

――森か・・・森の呼ぶ意味がわかるのか

「森には何があるんだろう?」

  十二 

 昼下がりの陽の当たる谷川。
色なのか光なのか? 何かが違って見える。
まぶしくて水面を見ていられない
あの刺すような真夏の反射光はもうない。
明るいくせにどこか物悲しい色がする。

夏が過ぎていく。



 老アマゴに尋ねる。

「体にある丸い印のこと」
――これか
「何でそんな印がついているの?」

――アキは星空をながめることがあるか
「あるよ。今は琴座に白鳥座に鷲座、夏の大三角形も見つけられる」

――真夜中に天空に浮かぶアンドロメダの方角を見るといい
  ワシはあれを見るたびに思う
  あそこには一兆個の恒星からなる渦巻銀河がある
  ワシの体の丸い印は きっといくつもの銀河を映しておるのじゃ

「それじゃ体の赤い斑点は?」
――天の川に浮かぶ無限の星々かのお

「どうして星なの?」
――われわれアマゴ族と天の川とは深いつながりがあると・・・
  昔聞いた気がする

「ふうん」




  十三 

 あい変わらず谷川の水は多い。
大きな岩が流れを阻み、流れは激しい水しぶきをあげて抵抗する。
その脇を縫うように上流へ進むと
やがて何段にも分かれた岩場につき当たる。
空から滑り降りてくるジェットコースターのような滝
アキがやって来る深い淵のある場所だ。







 この森に秋の兆しがあるだろうか。
気の早いヤマザクラの何本かが、鮮やかに葉の色を染めている。
谷の急斜面を登り尾根から眺めてみよう。
確かに見渡す緑にもう力はない。
光は和らぎ空気は乾き
夏の蒸せるようなエネルギーもない。
森が深く緑に沈む時期は過ぎてしまったようだ。



 秋はどこからやって来る? 
外からやって来るのか、それとも内からやって来るのか?



  十四 

 いつの間にかススキが穂を出している。 
出始めの黄緑色が今は赤褐色、やがて穂先から白く枯れていくだろう。
見上げると真っ青な空、刷毛で掃いたように流れる筋雲
高い空を何かが急ぐ。
風の知らせか・・・


――アキにアマゴ族の伝説を話してやろう

   われわれの住む地上
   空のかなたにある天上
   地上には豊かな森 果てしない海がある
   地上を流れるのは地の川
   天上には天の川
   かつて地上と天上は一つにつながっていた
   地の川と天の川はつながっていた

「つながっていた・・・ どういうこと?」

――天上を流れる天の川の終わりは 天の滝となって地上に降り注いで
  おった
  そこが森だというのじゃ

――そして森から流れ出るのが地の川 終点が海
  その海から なんと海の滝が天に昇っていたというのじゃ

「えっ滝が天に昇る?」

――そうじゃ その滝が天の川に注ぎ 天上を流れておる
  こうして地上と天上は一つにつながっていたというのじゃ

――これがアマゴ族に伝わる世界の有様なのじゃ




  十五 

 シラキの実が黒くなりかけ、葉をサーモンピンクに染めている。
ついに時がやって来たか。
一本一本の木々の変化は僅かだが、黄味、赤味がかるもの
森は再びそれぞれの個性を主張し始めた。

内からやって来る秋は、緑に別れを告げた。





――森と海の伝説を話すとしよう

  地の川を流れるのはイノチ
  天の川を流れるタマシイ
  二つの川の流れを森と海が変える
  イノチのふるさとは森
  タマシイのふるさとは海

「森には何があるの?」

――天の川を流れるタマシイの降り注ぐところが森
  そのタマシイをイノチに変える力が森にはあるのじゃ

――そしてイノチは水となって現れ 
  地の川を下り地上を生で埋めつくす
  やがて地の川は海へと通じる





  十六 

 カサッ カタン ポトン コロン コトン・・・
秋の音が聞こえる。
乾いたものを弾く、硬いものを叩く、水に落ちる、落ちて転がる
落ちて割れる・・・
耳を澄ますと聞こえる。
森中の動物は、それが何の音か知っている。







「海はどんなところ?」

――地の川の終点 海は生にあふれておる
  じゃが それ以上の死が海には存在する
  地上の生が死をむかえ 
  海はイノチがタマシイに姿を変えるところじゃ
  そのタマシイが海の滝を昇り 天の川へと注がれ流れ続ける

――こうして森から地の川 海 天の川そしてまた森へと
  くり返し くり返し イノチとタマシイがめぐり合うのじゃ









  十七 

 誰かが出発の合図を鳴らした。水音が歓声をあげる。
谷の森は短距離と長距離ランナーの混在するレースでごった返す。
早いものはすでに葉の色を真っ赤に変え、ゆっくり走り出すもの
いまだ緑に留まるもの。

森の内なる秋が走り出した。





――アマゴ族は かつて森に降り注ぐ天の滝を昇り
  天の川へと自由に行き来しておった
――天の川の子 アマゴとして 天の川を泳ぐことを許された
  唯一の種族なのじゃ 

「天の川はどんなところ?」

――地の川を流れる水とは違って 天の川には乾いた水が流れ
  まるでキラキラと輝くガラスの川のようだとさ

「それを、人は星と呼んでいるんだね」

――そのガラスの流れを泳ぐと 
  このとおり体中に赤い斑点がつくのじゃ

「その斑点が天の川を泳いだ証しなんだね」


  十八 

 どこまでこの森は、秋の鮮やかさを増すのだろう。 
青白く光る滝、色を変えた落葉樹
ふり返るとその合間から、陽に照らされた谷の木々が浮かび上がる。
イタヤカエデのカツラの黄色、ナナカマドのモミジの赤・・・ 
ついに森が炎をあげ始めた。 

秋が止まらない。



――アキは忘れかけていたものを思い出させてくれた
  アマゴ族は川上をめざすことを 魂に刻み込まれた種族なのじゃ 

――ワシは待っておる

「何を?」

――森に天上から降り注ぐ天の滝が現れるのを 
  それを昇ることが 再びワシの生きる希望なのじゃ

「いつ現れるの?」

――遠からずじゃろう

「もどれないかも知れないよ・・・」
「命を落とすかも知れないよ・・・」

――ワシはこれまで充分生きて来た それで満足だ
  昇ろうとして力つきるかもしれない 
  じゃが それは大したことではない
  希望があるかぎり死ではない



  十九 

 アキは川の中にいた。
いつもの淵ではなく、浅瀬に立ち遠くを見つめていた。
すでに谷川の水は刺すように冷たい。
空気は暖かさをどこかに置いてきた。 
聞こえるのは水音だろうか風の音だろうか。

突然、ものすごい何かが谷を走り抜ける。  ゴオーッ ゴーオオ
アキの長い髪を、谷の木々を揺らす。

次の瞬間
ミズナラの大木がシャアシャアと軋み
褐色に光る大木の葉が、一枚残らず空に吸い込まれていく。 
ブナの林がザワザワと騒ぎ立てる。
林じゅうの葉という葉も後を追う。
まるで渡り鳥の大群が一斉に飛び立つように。
立っていられない、耳を塞ぎ身をすくめる。

やがて何ごともなかったよと
谷は水音をたて、森は静まりかえる。
見上げると空じゅうがキラキラと輝き
スローモーションビデオのように
水面に岩の上に降りかかる。
いつの間にか 谷じゅうが落ち葉で埋めつくされていた。


何かが終ろうとしている。








  二十 

 空が丸見え 
シジュウカラの鳴く金属音が谷にこだまする。
フカフカ
地面を踏むと心地よい。
森が枯れ葉のじゅうたんを敷きつめる。
カサカサ  
足元で静かに秋が乾いていく。







谷の木々はすっかり葉を落とし骨格だけを残す。
これからやってくる試練に備え、森は身辺の整理を終えた。
谷の空気も完全に入れ替わる。
もう誰もやって来ない。


まもなく谷は雪に閉ざされ
冬が本当の姿を現すだろう。





  二十一 

 凍てつく晩のことだった。
手をかざせば切れそうな三日月が鋭く光り、西の空に沈んだ。

谷川の水音さえ硬く冷たく響き
不気味なうなり声が一晩じゅう森を支配する。
夜の闇が空に広がり、森の全てから暖かさを奪い取る。

天上で蜃気楼のようにプレアデス星団がもえる。 
あれは何だろう?
ちぎれた雲だろうか、舞う雪だろうか、それともつむじ風か 
キラキラ光る細かいガラスのかけらのような
そのかけらがパッと無限に広がったかと思うと
次の瞬間シュッとひとつの渦になり
アッという間に散らばり見えなくなる。
それを何度もくり返す。

やがて天上から地上へ、ひとすじの流れが現れ始める。
流れの真下は、アキがやって来る滝のあたりだ。
流れは、その滝に直結して天上と地上とを縦に結んで
森じゅうを青白い光で包んだ。
地上から放射していた空気の流れが、一気に天上から谷に降り注ぐ流れに変わった。


ついに伝説の天の滝が現れたか。
アキには見えているだろうか。


どのくらい時間がたったか
何かがぶつかりぶつかり激しい閃光を放ちながら
天の滝を昇って行ったように見えた。 
それが冬の花火のように残像を残して夜の闇に消えた。


  二十二 

 吹雪の音が、横なぐりに谷を切り裂く。
谷の命は、全て死んだふりをして 
全てが凍りつき雪に埋もれ、コソリとも音を立てない。
いや、かすかに吹雪のとぎれとぎれに聞こえる 
あれは川の音
川の音だけが谷の生きている証し。


積もった雪が地吹雪で舞い上げられ、地上と空の境がなくなる。
ホワイトアウト
かろうじて昼と夜だけは判別できるが
何日経ったのかさえわからない。






冬が何かを試し続ける。
意識がもうろうとしていて
アキはどうしているだろうか・・・
春はやって来るのだろうか・・・








  二十三 

再びめぐる春

空から滑り降りてくるジェットコースターのような滝
その上にもなだらかな滝が続き、長い岩盤を小刻みに水が滑り落ちる。 
さらに登り続けると、急峻な谷の景色が一変する。
これまでの渓流が小川に変わった。
すでに雪解けは終っている。


何という光景だろうか。


滝の上に広がる谷の森は、見渡す限りドングリのなる広葉樹の森
やっと芽吹き始めたばかりだ。  
その森の中を流れる春の小川
どこかで見たなつかしい風景
ここには、何ともいえない早春の躍動感にあふれている。
ここには、ドキドキするほど新たな命にあふれている。


おや? 誰かが川の中を歩いている。


川はサラサラと音をたて
柔らかな風に吹かれて、谷の森が草原のように揺れて
その枝先が銀色に光って

ああ、青空がまぶしい・・・











 エピローグ
 
 老アマゴはどうなったかって?
 天の滝を本当に昇ったのかって? 
実のところ、わたしは一度も老アマゴを見たことはない。
天の滝は確かに見えた気がするが、それが本物かと問われれば目の錯覚だったかも知れない。
 そもそも老アマゴはいたのかって? 
それも本当のところは、アキに聞いてみないとわからない。まあ、それはかなわないことだが。
 
わたしはこの谷の森に住むツキノワグマ
       そろそろ物語を語り終えることにしよう。







































   人は希望があるから生きていける

川が呼んでいる

2016年2月8日 発行 初版

著  者:鳥越 厳之
発  行:Bird LanD出版

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川が好きです。森が好きです。

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