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マクラム通りから下地線へ、ぐるりと

荷川取雅樹



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次
私小説のようなもの

   素晴らしい日曜日         1976年・春

   心、ぽとり         1979年・春

   午前二時のフースバル      1979年・秋

  世界が愛で殺される前に       1983年・春

  マクラム通りから下地線へ、ぐるりと 1983年・夏

 「アミが無免でパクられたってよ」    1984年・夏

   窓の雪はため息のように   1987年・冬・東京

第三十三回琉球新報短編小説賞受賞作品                                                              前、あり(加筆・修正)

第一回 RBC SFファンタジー大賞作品                                                              病院鬼ごっこ(加筆・修正)





   素晴らしい日曜日         1976年・春

 ぼくの寝ぼけた頭を100%覚醒させるような歌だった。
 朝のNHKのニュースが、イギリス人が歌うビューティフル・サンデーという曲が大ヒットしていると伝えていた。流れた時間はおそらく数秒。歌詞の意味はもちろん、小学四年生のぼくにはタイトルの意味さえ理解できなかったが、その英語の曲は一瞬でぼくの好きなものランクの上位に踊りでた。当時、英語の曲部門の二位につけていた、アメリカのバンド、ベイシティローラーズのあの曲を超えたかもしれないと思っていた。
 当然、学校ではこの話題で持ちきりだろうと思っていたが、違っていた。誰も知らなかった。ニュースを見たやつはいたが、それほどでもない反応にぼくはがっかりした。もっぱらの話題といえば、相変わらず、チャップリン小劇場だった。
 1976年にNHKで始まった、チャップリン小劇場は衝撃的で、民放のない宮古島の少年女子たちの心をがっちりと捉えた。わしづかみだった。クラスの男子の半分はチャップリンのモノマネが出来た。ステッキをついて異常なガニ股で歩くあれだ。その後も、バスター・キートン小劇場、ハロルド・ロイド小劇場と続いたが、中でももっとも衝撃的だったのはバスター・キートンだろう。とんでもないアクションをまったく表情を変えることなくやってのける様は狂気としか言いようがなかった。それでもこっちは爆笑で、悲壮感を伴う不思議な感動さえ覚えた。当時のぼくらの最大のヒーローはウルトラマンでも仮面ライダーでもなく、チャップリンであり、キートン、ロイドだった。今思うと、かなり不思議な現象だったと思う。サイレント映画時代の大昔のアメリカの喜劇役者を、1970年代日本の南端にある小島の子供たちが崇め奉っていたなんて。
 話を戻そう。ビューティフル・サンデーである。
 ぼくは必死で、ビューティフル・サンデーがどんなに素晴らしい歌なのかを力説したが、関心を向ける者はいなかった。それはそうだろう。聴いたのはわずか数秒なうえに、タイトルさえおぼつかない始末なのだから。それに極度のオンチだ。だが、そのヤギの交尾のような歌声に耳を傾け、辛抱強く曲の判別をしていた者がたったひとりだけいた。
 その女の子はおそろしく勝ち気な女の子で、いじめられても絶対に泣かない子だった。クラスにはYというモンスターみたいなやつがいて、そいつは女子なら分け隔てなく、誰彼構わずいじめて泣かしていたが、あの、男子がドン引きするようないじめにも、涙を見せることはなかった。髪をジョキジョキ切られようが、雑巾の水をランドセルに流し込まれようが泣かなかった。
「うちにあるよ。そのレコード」
 女の子は少し恥ずかしそうに言った。らしくないなとは思ったが、ぼくはすぐに嬉しくなって飛び上がって喜んだ。
 貸してとは言えなかった。そこまで親しくはない。そのかわり、歌ってと言った。きっとぼくよりうまいはずだし、他のやつらにも聴かせたかった。ビューティフル・サンデーがどんなに素晴らしい歌なのか少しでも知ってもらいたかったし、女の子ともこの素晴らしい歌を共有、共感したかった。でも、女の子は「いやよ」と一言残し、立ち去ろうとした。ぼくはあわてて引き止め、思わず言ってしまった、
「じゃあ、聴かせてよ、レコード」ろくに口をきいたこともない女子に。
「いいよ。それじゃ明日うちに来て。土曜の午後はピアノのレッスンがあるから」
 まさかの展開だった。ぼくは一瞬、固まってから、問題点を一つ上げた。
「おまえの家知らないよ」
 女の子は首を傾げて頬に指を当て、少しだけ考えると、すぐに解決策を導き出す。
「Kが知ってる。一緒に来たらいいよ」と、廊下でチャップリンのモノマネで十メートル競争中のKを指差して、さっさと行ってしまった。ぼくの数倍の頭の回転の速さだ。話しかけてきたときの、恥ずかしげなあれはなんだったのだろうと思った。

 翌日の午後、ぼくとKは女の子の家の門の前で、どうしたらいいかわからず、ただ、突っ立っていた。
 Kは女の子と親しいわけではなく、家が同じ地区にあり、家庭訪問の際に先生を家に案内したとき女の子も一緒で、先に女の子の家に寄ってから自分の家に行ったため、彼女の家の場所を知っているというだけだった。この話(ビューティフル・サンデーを女の子の家に聴きに行く)をしたときには、─イヤだよ。よく知らないし、それに、あいつなんだか恐いんだもん。と嫌がったが、強引に説き伏せここまでやってきた。
 ─で? どうすればいい? 門入って玄関開けて呼ぶの? なんて呼べばいい? さん付ける? 
 ぼくたちはいつまでもヒソヒソと話し合った。女の子の家はなんというか、お金持ちの家なんだけど、そういうケバケバしさはなくて、なんだか洒落た感じだった。アメリカ風といったらよいだろうか。しかし、そんなに大きいというわけではない。門のすぐ向こうに洒落たドアが見える。そして、まったく人の気配がなかった。それも、ぼくたちに声をかけるのをためらわせた。
 Kは本来なら、強引に連れてこられたのだから、そんなのおまえが考えろとか、やっぱり帰るとか、ぼくを突き放すこともできたが、バカなのでそんなことに思い至らない。ぼくのほうも突き放される可能性なんて微塵も頭をよぎることもないぐらいのバカなので、なにも決められない。
 ─どーする? どーしよ? 
 突然、ガチャリとドアが開いて、ぼくらは驚く。女の子が顔を出して、イラついた表情でぼくたちを見ていた。
「よ」ぼくは反射的に手を軽く上げた。
「いいから、早く入って」
「う、うん」
 バカふたりはおずおずと、洒落た家へ入っていった。

 家の中はひんやりとしていて、薄暗く、やはり洒落ていた。あの当時の家の中はみんな薄暗かったような気がする。電力事情が関係していたのだろうか? わからない。そんな気がするだけで、違うのかもしれない。
 別世界だなとぼくは思う。うちのあばら屋とは大違いだ。
 おじゃましまーす、と靴を脱ぎ、洒落たリビングに向かう。(と書いてはみたが、お邪魔しますと言って他人の家にあがるなどという常識があったかどうか疑わしい)女の子は、落ち着きがなくキョロキョロしているぼくたちに「誰もいないから大丈夫よ」と言いながら先導した。
 リビングには洒落たソファーの向こうにでかいステレオがあって、ぼくたちはその前にぺたりと座った。裏に面したリビングの入口から、青々とした芝生の庭が見えた。
 女の子はステレオのラックに手を伸ばすと、そこからレコードを一枚抜き取る。それを見ていたぼくは、あそうか、レコードを聴きに来たんだと思い出す。
「これでしょ」
 女の子は少し恥ずかしそうにぼくに見せてから、中のレコードを抜き取り、ジャケットをぼくに渡し、自分はステレオにレコードをセットする作業に入る。Kのほうはといえば、最初からまったくビューティフル・サンデーなんかに興味がないので、ソファーにもたれて、ちんちんをかいている。
 そういえば、ぼくたちがレコードを聴いていたあいだKは何をしていたのだろう? そのへんの記憶がまったくない。かなり長い時間だったのだが、さぞや退屈だったに違いない。いまさらながら、申し訳なく思う。けど、長い長い音楽鑑賞の後(あるいは途中)、女の子の母親が帰ってきて、ぼくとKは、その上品で気さくな接し方に、ポーッとなり、差し出された、めったにお目にかかれないアイスココアで心を射抜かれ、庭でも遊ぶように促され、キレイな芝生の庭で三人転げまわっていると、ナイスミドルとしかいいようのない容貌の父親も帰ってきて、ぼくとKが異常に興味を示していた手押し式の芝刈り機の仕組みを、バカにもわかるように辛抱強く懇切丁寧に説明してくれたりしたばかりか、芝を少し刈らせてもらい、ぼくとKはその機能美にメロメロになったりしていた。こんな大人たちに会ったのは初めてで、新鮮な驚きがあった。なので、Kにとっても悪い日じゃなかったはずだ。
 話を戻そう。ビューティフル・サンデーである。
 ぼくは女の子に手渡されたレコードジャケットを両手で持って、途方に暮れていた。
 ─これは誰だ? 
 どう見ても日本人である。マッシュルームカットっぽい髪型がイギリスといえばそうだが、その他すべての要素が、この男が日本人であることを示している。
 ─これは誰だ?
 田中星児である。
 田中星児が、紅白のストライプのピチッとした長袖のシャツで、腰に手を当てて、少し眩しそうな表情で、どこか斜め上を見ている。すごくかっこつけているようだが、まったくかっこよくはなかった。この後、ぼくが、この紅白男が、あの田中星児だと認識できたのかは覚えていない。田中星児は、おかあさんといっしょの初代の歌のおにいさんで、知ってはいるはずだが、少なくとも、見せられてしばらくの間は誰だかわからなかった。数日後、日本語版も大ヒットしているという情報は入ってきたが、この時はわからない。女の子が少し恥ずかしそうにしていたのは、持っているレコードが英語の本家ではなく、これだったからなのだろうか?
 ─ぼくはどーしたらいいのだろう? この状況を。
「そうそうこれこれ」
 話を合わせることにした。同じ曲には違いないし、日本語版もなかなかいい感じだし、なにより歌える。ぼくが好きな英語の曲部門ダントツの一位のイエスタデイみたいに、耳で聴きとって、カタカナで書き出さなくてもよいのである。Yesterday all my troubles seemed so far awayを、イエスタデー、オーマイチョボージンゾファーロウェーという無茶苦茶な英語で口ずさまなくてもよいのである。
 ─うん、これでいい。それはそうと、これはなんだろう? ぼくはラックから一枚のレコードジャケットを抜き取る。すごく見覚えがある超クールな五人のお兄さんたちがこっちを見ている。そしてぼくは、うわ! と声を上げる。女の子が驚いてこっちを振り向く。
「これって、あれじゃない? ベイ、ベイ」
 実はグループ名もうろ覚えだった。
「そうよ、ベイシティローラーズ」
 ぼくはもう一度、うわーと声を上げる。
「知ってるの?」
「うん、NHKのヤングミュージックショーで何度か見たよ。アメリカのバンドなんかが出る番組。この前は、なんかだいず化粧した人が口から血出したり火吹いたりしてた。怖いけど、目が星の人なんかはカッコよかったよ。あ、あれは違う番組だったかな。とにかくすごかったよ」
「キッス」
「え?」
「その火を吹いたりしてるバンドの名前」
「へー」
「聴く?」
「キッス?」
「ベイシティローラーズ」
「もちろん聴く!」
 ぼくたちはこの後、何度も何度もベイシティローラーズを聴いた。あの曲が、セロリナイではなくサタデーナイトだともわかった。もうひとつ知っている曲も、二人だけのデートという曲だとわかった。新しく、バイ・バイ・ベイビーという曲も教えてもらった。それに、このバンドがアメリカではなくイギリスのバンドだということも。
 いろいろ教えてもらった後、ぼくは、女の子が、もう一回聴く? というサインである、指を一本立てる仕草に、うんとうなずくぐらいのコミニケーションしか取らず、曲にノリノリなって身体を揺らしたり首を振ったりするわけでもなく、ましてや、歌うわけでもなく、ステレオの前で身動きもせず、ただ、じっとして聴いていた。第三者から見れば、ケンカでもしたのかと思うのかもしれないほど、ぼくらは無口だったし、笑ったりもせず、深い深い水の底に住む水生生物のように寡黙で無表情で静謐だった。
 でも、楽しかったのだ。少なくともぼくはものすごく楽しかった。
 そう、あの日は間違いなく、すば、すば、すば、素晴らしいサンデーだったのである。
 それにしてもあのときKは……
                                    ─了─



  タチヨミ版はここまでとなります。


マクラム通りから下地線へ、ぐるりと

2016年2月26日 発行 初版

著  者:荷川取雅樹
発  行:

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