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涙を誘う 超怪奇体験

秋本あまん・朝業るみ子

SiriusA2



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  この本はタチヨミ版です。


   泣虫な幽霊

看取る者もなく、ひっそりと死んだ遊女
 昔、沖縄県那覇市に、辻と呼ばれる遊郭があった。
 今でいうところのソープランド街のようなものだ。
 現在はバーやスナックが並ぶ歓楽街へと変わり、かつての遊郭を改造した料亭が点在してる。 小さなバーの二階や路地の奥はこんもりと暗く、華やかな娼婦街だった頃の、「ジャリ」と呼ばれた遊女たちの暮らしをしのばせる。

 ところで、沖縄には「ウタキ(御嶽)」と呼ばれる特別の磁場のスペースが、町中や郊外を問わず散在さんざいしている。
 「ウタキ」は、ノロ・ユタと呼ばれる、ちょうど東北のイタコのような巫女みこたちが神や諸霊と交信する場所であり、神や霊が降臨する聖域である。
 この聖域は昔と同じ場所に現在もあって、神のゆるしのないものが入ると祟りがある、と畏れられている。
 霊力が強い「ウタキ」などは、特別なノロやユタ以外の人間は、今でも何人をも阻むという。
 辻の中にもまたウタキがあり、そのすぐ隣にもかつては大きな遊郭ゆうかくがあった。
 その遊郭は特に大きく、本島の別の地域や周囲の離島から、貧しい少女たちが大勢口減らしのために家を出されて働きに来ていた。
 そういう少女たちの一人に、ムメという美しいジャリがいた。
 子供の頃に売られて来て年は十七、八歳。色が白くきれいな顔立ちをしていたが、シャイで口べたなため、お客がなかなかつかなかった。
 ジャリの才覚というのは、容姿に恵まれていることも一つだが、なんといってもねや(ベッド)の技術と話術だった。からだが丈夫であるというのも大事な才能だった。弱い者は、ちょっとした拍子に寝込んでしまい、その結果お客にも不義理をすることになるからだ。
 ムメもまた決して丈夫なほうではなく、寝込むことも度々だった。金持ちの贔贋ひいき客がついていたわけでもなく、そこへもってきて寝込んでしまっては、身の回りのものもろくに用意できず、ムメの人気は何十人もいたジャリの中でも最下位に近かった。
 もともとシャイで口べたなうえに、成績が悪いとあって、ムメは日に日にふさいでいった。オドオドとした態度は、客からもさらに敬遠される。
 悪循環が重なって、ムメはノイローゼのようになってしまった。
 同僚のジャリたちや、店の者たちはそれなりにムメを気づかなかったが、ある日風邪をこじらせて寝込んでからは、ノイローゼも手伝って起き上がれなくなってしまった。
「ムメちゃん、お客さんからグルクン(沖縄の県魚)をいただいたから、いっしょに食べようね」

 姉さん格(先輩)のジャリが心配して部屋を覗いても、本人にしてみれば申し訳なさばかりが先立ち、また、お客を取れないことを責められているようにも思えて、元気になれるはずもない。
 悪気はないのだが、売れっ子で大ざっぱな性格のジャリなどは、ムメの寝ている部屋のすぐ横を、今日は何人来た、だの、きれいな着物を買ってもらった、だのと自慢気にはじゃいで通り過ぎていく。
 ムメの心はますますふさぎ、ふさぐほどに病状も悪化して、とうとうある雨の降りしきる日、苦しいとも痛いとも言わず、誰にも看取みとられずにひっそりと亡くなってしまった。
 訃報を聞いて実家から駆けつけた両親や兄弟たちは、遺体に取りすがってワアワア泣いた。だが、遊郭にはよくある話だった。店主たちは冷ややかで、ジャリたちも明日は我が身と思うのか遠巻きに眺めるしかなかった。
 亡くなったジャリの部屋は一刻も早くきれいにして、次の仕事につなげなければならない。ひっそりとした弔いの後、沖縄の慣例に従い、ムメの遺体は身の回りの品々といっしょに慌ただしく駕籠かごに入れられ、店を出て墓地まで運ばれることになった。
 人足が駕籠を担いで歩きだした時だった。
「ちょっと、ちょっと待って」
 息を切らして後から追いかけて来るジャリがいる。
「これ部屋に落ちてたから。いっしょに入れてあげなきゃっ」
 それはムメが床についている部屋の前を、大声で自慢話をして通り過ぎていった、あの売れっ子のジャリだった。
 ジャリは、持って来た一本のかんざしを無造作に駕籠の中に放り込んだ。
「可哀想に、髪もきちんと結ってあげなかったのかねえ」
「豊かな髪をしてあんなにきれいだったのに」

 見送りに出ていた他のジャリたちは、その、あまりにぞんざいなとむらわれ方を哀れに思った。そして、結い上げた髪に、今投げ入れられた簪を刺していた頃のムメの姿を思い浮かべると、皆で抱き合って泣いた。

トン、スー、トン、スーとその足音は近づいて…
 喪が明ける頃には、何事もなかったかのように、店は元の活気を取り戻していた。
 ムメが寝ていた部屋はすっかり手を加えられて、新しく入ったジャリが使うようになっていた。
 新しく入ったそのジャリは、特別美人というわけではないが、明るく活発な女だった。その部屋からは、いつも客とのはしゃぎ声が聞こえて来る。彼女はあっという間に売れっ子になっていった。
 ある雨の夜のことだ。
「ああもう、こう次から次へじゃくたびれちゃう。ちょっと休ませてよ」
 新人ではあっても、売れっ子になれば、多少態度が大きくてもたいていのことは大目に見てもらえる。
 新人のジャリはお客が酔ったのを見計らって、階下の台所まで降りて来て油を売り始めた。
「ちょっと何か食べさせて」
「あいよ、じゃあこれでもお上がり」
 賄いのおばさんが作った総菜そうざいをつまみ始めた時だった。
「ギャーッー! アフワワ」
 階上の部屋で、一人で酒を飲んでいたはずのそのお客が、半裸のまま、転げ落ちるように階段を降りてきた。
「何だ?」
「何かあったの?」
 いったい何事かと、各部屋からジャリやお客たちがぞろぞろと顔を出した。
「……で、で、で、でた……」

 男はワナワナとまだ震えていて、皆が見ている前でへたりこんでしまった。 

 「すぐ戻って来ますから」
 ジャリは調子よくそう言って出て行ったものの、なかなか戻って来ない。
 客の男は仕方なく一人でちびちびと泡盛あわもり(沖縄焼酎)の猪口ちょこを口に運びながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。
 糸のような雨がそぼ降っているせいか、騒ぐ客もいず、向かいの遊郭から小さく三線の音が零れて来るほかは、何の音もしない静かな夜である。
「……遅いなあ」
 男は待ちくたびれて、いつのまにかほろ酔いのままこっくりこつくりと船をこぎ始めた。やがて半分眠りの中にいる男の耳に、入り回のほうから何やらかすかな物音が聞こえて来た。
 トン、スー、トン、ス
 それは馴染み深い、男が待ちびている物音だった。
 トン、スー、トン、スー… …
 絹擦きぬずれの音をさせながら、ジャリが廊下をゆっくりと歩いてくる足音である。足音はだんだん近づいて来て、部屋の前でピタリと止まった。
 ……やっと来たか……
「待ってたぞ、遅いじゃないか」
 ジャリを迎え入れようと、男がふらふらと立ち上がった、その時だった。
 音もなく向こう側から戸が開いた。
「ギャー!」
 男の酔いはいっぺんに覚めてしまった。

 戸口に、女が立っていた。
 髪をぼうぼうに振り乱し、ガリガリに痩せて真っ青な顔をした見知らぬ女だった。
 女はねめつけるように、部屋の中を隅から隅まで長い時間をかけて見回している。
 逃げようにも男のからだは金縛りにかかって身動きもできない。
 どれくらいの時間、男はそうやって女を見ていただろう、やがて……女はヌーッと首を伸ばしたかと思うと、しがみつくような目で男の顔を覗き込んで来た。
 近くに寄られてみると、ただの女の顔ではない。その鼻には、かんざしが突き刺さっている。縦に走る鼻骨を直角につらぬいて簪は刺さっており、その傷口と鼻の穴からダラダラと血が流れている。
 女は、突き刺った簪を抜いて欲しいとでもいうように、さらに男に顔を近づけた。
「ひーっ!」
 自分の悲鳴で我に返った男は、ころがるようにして部屋を飛び出した。
「あ、あそこに、あそこに……」
 二階を指さしながら、いつまでもワナワナと震えている客を店の者が介抱したのだが、客はその後ショックのためか床に伏してしまった。
 誰が何を聞いても、鼻に簪を突き刺した女が来た、恐ろしい恐ろしいと繰り返すばかりである。
 とにかく、何かがデタことは確かだから、これはユタに聞いてみるしかない、ということになり、翌日、店の者が霊力の高いユタを呼んだ。
 ところが……。

 奥の間で念仏をとなえて精神集中をしたユタが、依代よりしろ(自分のからだに霊を憑依ひょういさせる巫女みこ)になったところ、降りて来たその霊は泣いてばかりで、さっぱり要領を得ない。
 こういう場合、降りて来た霊は、何か自分の言い分を話すはずである。
 たいていは自分が訴えたい恨みつらみを、とうとうと話すものだが、この霊はただシクシクと泣いているばかりだ……。
「ムメに違いない」
「そうだ、きっとムメちゃんだ」
 誰とはなしに、店の者たちははかった。
 あの部屋はムメちゃんの部屋で、言いたいこともあるだろうに、泣いてばかりで話をしないのもいかにもあの娘らしい。

 いいかげんなほうむられ方をして、髪もってもらえなかったのが辛くて化けて出たのだろう。きっと駕籠の中に放り投げたかんざしが遺体の鼻にでも当たったに違いない……。
 店の者は家族をもう一度呼び、新しい棺を墓前に供えて、大勢のジャリたちと一緒にもう一度丁寧にムメのとむらいを行った。
 ムメの霊も感謝して満足したのか、その後二度と現れず、店もその後長い間繁盛したという。


  天袋のトランク

霊能力抜群の姉弟
 世の中には、好むと好まざるとにかかわらず、どうしても見てしまう人、というのがいる。
 長野県在住の石田(旧姓・城山 )たまきさん(当時32・仮名 主婦 )、城山裕一くん(当時28・仮名 歳会社員)姉弟も、そんな「見てしまう人 」たちである。
 彼らが見るのは、なにも霊だけではない。
 裕一くんのほうは、いわゆるUFOの類も頻繁に目撃している。
「いちばん新しいのは、実家の近くのお地蔵さんの真上で見たやつかなあ。お地蔵さんの横の道を歩いてたら、突然頭の真上に来てたんです。大きさは、飛んでる高さがよくわからなかったからはっきりしないけど…窓のようなものがあって、人みたいなのがのぞいているのまではっきり見えたんですよ。 あれが人間と同じ大きさだとしたら… そうだなあ、家一軒くらいの大きさはあったかなあ」
姉の環さんも、裕一くんほどはっきりではないが、それらしきものをよく見たという。もっとも環さんの場合、中学生になって生理が始まってからは、ぷっつり見なくな ったそうだが。
「ふつう歩いているときなんかでも、めったに空なんか見ないじゃないですか。それが、UFO見るときっていうのは、どういうわけかふっと目が空に行ってるんですよ。無意識に上を見ているんです。まるで、こっちを見ろって誘導されてるようなんです。あれってテレパシーなのかな。
 たとえば、山とかに雲がかかってるじゃないですか。そんなことよくあることで当たり前なんだけど、どういうわけか、そのときだけ見ちゃってるわけ。
 で、ああ雲だ、とか思ってると、その向こう側からなまり色のものすごく大きな光る円盤みたいなのがグーンとせり出して、ビューンと飛んでいったりする」
 おまけに裕一くんのほうは、これもどういうわけか、鳥類に言葉をしゃべらせる天才なのだそうだ。

「セキセイインコとかオウムとか、九官鳥とかカラスとか、人の声真似をする種類はたくさんいるけど、当たり外れみたいなのがあって、中にはいくら教えても何年も喋らないっていうのがいるでしょう?
 でも、そういう鳥でもウチへ連れてきて裕一に世話をさせると、一週間くらいでたいてい二言、三言は喋れるようになるんですよ。
 それがきっかけになるのかもしれないけど、元の飼い主のところに戻してからもどんどん言葉を覚えるみたいです。
 私ですか? 私はそういうのは全然だめですけどね」(環さん)

 これは、そんな不思議な姉弟が、子供の頃に体験した話である。
 当時、環さんは十一才、裕一くんは八才だった。
 城山家は、父母・祖父母・父方の叔父、それに二人の姉弟の総勢七人という大家族だった。
 今は改築して庭の一部が貸し駐車場になっているが、その頃は戦前からある広い庭の、大きな木造家屋に住んでいた。
 居間の大きな窓からは欝蒼うっそうとした森のような庭と、祖父が丹精たんせいしていた岩造りの池が見渡せた。
 同居していた叔父のとおるにいさん(二人は叔父をこう呼んでいた)は当時大学生で、市内の国立大学に通っていた。
 近所でも評判の、おだやかで優秀な青年で、姉弟は小さな頃からよく勉強をみてもらっていたという。
 とくに、姪とはいえ年が近い環さんは、この叔父を兄のように慕っていた。
 ところが、徹にいさんは大学二年になったばかりの頃から白血病にかかり、一年あまり病院を出たり入ったりした末、ついに帰らぬ人となったのである。
「お葬式を出して、ちょうど四十九日を過ぎた頃だったんですが… 夜中に私がトイレに起きたら…」
 旧家・城山家のトイレは、L字型をした長い廊下の、角のところにあった。

 ある晩環さんが用をすませて廊下をとぼとぼと戻ってくると、縁側に、裕一くんが起き出してきてたたずんでいた。
「トイレ空いたよ 」
 と、環さんが言うと、そうじゃない、と裕一くんは言う。
 そして、縁側えんがわのガラス戸の向こう、生け垣の手前のけやきの木を指して言った。
「ほら、あそこに徹にいさんがいる… 」
「?…あっ!」
 欅の木の高い枝に、ジーンズにTシャツ姿の徹にいさんが腰掛けていたのである。
 真っ暗闇の中でも、徹にいさんの姿は光るような感じではっきり見えていた。
 徹にいさんは、二人のほうを向いてにこにこしながら、めいっぱい手を振っていたという。
「僕もはっきり覚えてますよ。怖いとかは思わなかったなあ。
 姉ちゃんと二人で、徹にいさん、まだこの家にいるんだな、とか言って…。そしたら欅の上から徹にいさんが、僕たちに、もう部屋に入って寝ろっていうふうに、あっちに行けっていう動作をしたんです 」
 二人はまだ子供である。深夜だったので異常に眠かったのも確かだ。
 徹にいさんに言われるまま、その夜はそのまま布団に入って寝てしまった。
 翌朝 ――
 城山家の朝食は、庭が見渡せる大きな窓のある居間でとる習慣だった。
 窓を背にした、テレビが一番見やすい特等席が祖父の席、その隣が父、祖母や母は給仕がしやすい廊下側で、子供たちの席はちょうど窓が真正面に見える場所だった。
 全員で卓を囲んで朝食をとっている最中だった。
「あれ?」
 今度は姉の環さんが最初に気づいた。

「ほら、あれ!」
 つんつん、と、隣でみそ汁をすすっている弟を小突いた。
「あ!」
 池の後ろの松の木の枝に、昨夜と同じTシャツにジーンズ姿の徹にいさんがいたのである。なんともリラックスした表情で、居間の中をのぞき込んでいる。
 二人のほうを見て何かを指さしたので、そっちを見ようとしたら、そのとたんに消えてしまったという。
「どうせ大人たちは信じないだろう、と思って、私も弟も黙って普通にしてて、そのまま学校行ったんです。それまでも、『あれ見て』『ほら』とか言っても誰も信じてくれませんでしたから 」
と、環さんが言えば、
「特に親父は気が小さくて、そういう話をすると本気で怒りましたからね。今思うと、あれは怖いからですよね」
 と裕一くんも言う。

天袋から出て来たもの
 裕一くんが間近で徹にいさんを見たのは、この日学校から帰ってきてからだった。そして、これが本当に、徹にいさんとの永遠の別れになってしま った。
「僕が学校から帰ってきて、自分の部屋にランドセル置いて、勝手口から遊びに出ようとして、仏聞を…その頃仏聞を突っ切ると勝手口への近道だったんです…仏聞を突っ切ろうとしたら:…」
 昼間でも薄暗い仏間の隅に、庭で見たときと同じ、ジーンズにTシャツの徹にいさんが寂しそうに立っていた。
 裕一くんが目を合わせると、微かに、オイデオイデをしたという。
 吸い寄せられるように近づいていくと、徹にいさんはニッと笑って、

「天袋のトランク 」
 と、ひとこと言って、ふっと消えていった。
 徹にいさんなので見えているうちは恐ろしくはなかったが、目の前で本当に消えられると、やはり少し怖かったという。
「それから、形見分けみたいなことをするんで、大人たちがいろいろ徹にいさんの持ち物を整理してたら、押し入れの天袋にしまってあった、旅行用の大きなトランクの中から、B5のノートが何冊も出てきたんです。
 何だと思います? それ、マンガだったんですよ。
 劇画調っていうより、どっちかっていうとギャグ系かな。中学から高校にかけて徹にいさんが描いてたもので、きっとその頃マンガ家になりたい、とか思ってたことがあったんでしょうね。 もちろん、それは僕と姉ちゃんがもらうことになって、今でも大切にしてます」
 結婚した姉の環さんにはもうすぐ子供が生まれるが、このマンガは、生まれてきた子供にも読ませるつもりでいる。


  愚痴を聞いてくれた幽霊

エスカレートするストーカー
 広島県在住の塩沢梨花りかさん(当時26・仮名 インテリアデザイナー)は言う。
「最近になってやっと調子が戻ってきました。
 それまでの三年間くらいは、生きる屍状態で、ほんとうにどうやって暮らしていたか、自分でも不思議なくらいです。
 それがやっとこういうふうに話ができるようになったのは、もちろん友だちや家族やお医者さんや、まあ周囲の人の、変な言い方ですけど生きている人たちのおかげもありますが、私の場合なんていうか、死んだ人にも助けられてたところがあるんですよ」
 塩沢さんの不幸は、他人の嫉妬を買ったことから始まった。
 少し長くなるが、彼女の悲惨さを伝えるために、詳しく書いておきたい。
 塩沢さんはインテリアデザイナーとしてキャリアを積む一方で、ある油絵のアーチストの熱狂的なファンでもあった。
 とはいえ、いくらキャリアウーマンでも、高価な油絵やアクリル画はそう簡単に買うわけにもいかない。
 出版された画集はほとんど手に入れ、リトグラフも二枚ほど買ったが、それ以上はとても手が出なかった。



  タチヨミ版はここまでとなります。


涙を誘う 超怪奇体験

2016年3月6日 発行 初版

著  者:秋本あまん・朝業るみ子
発  行:SiriusA2

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