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この本はタチヨミ版です。
はじめに
『百の怪談を聞いたとき、あなたの前にも怪奇現象が訪れる』
江戸時代からの古い言伝え。
この本は『友達の友達から聞いた……』という、『誰か知らない人が話した、嘘か本当かわからない話を集めた本』ではありません。
私が見た。
私が体験した。
娘が言った。
母が遭遇した。
みんなが見た……。
そう、この本に載っている話は、すべて実際に見聞きした不思議な話、奇妙な話、怪奇の話なのです。
なので、あえてこの本には九十九個の話しか載せていません。
え? そんなことでは、百物語の意味がないではないか……?
いえいえ、大丈夫です。
だってあなたも持っているでしょう?
百話目の怪談を…………。
私が幼少期に住んでいた長屋は本当に古く、いつから建っているのか、大家ですら把握していないような物件だった。
玄関はガラスの引き戸。入れば石を置いただけの三和土に、五十センチ以上はある上がり框。四畳半と六畳の部屋の奥には、申し訳程度の台所とお風呂。そして、汲み取り式便所。
そんな、古くボロボロの長屋だったのだが、玄関の前と横に、猫の額ほどの小さな庭があったのだ。
庭といっても、後ろの住人が外に出るためにそこを通ることもあるし、本来の役目は、ただの土がむき出しの通路だったのだろう。
だが、幼い子どもにとっては、家の前で気兼ねなく土いじりができる、遊びの空間だった。
私はそこに花を植えたり、泥遊びをしたり、ときには深い穴を掘り、落とし穴を作ったりもしていた。
そんなある日、私はたまたま見ていたテレビ番組に影響され、「発掘ごっこをしよう」と、いつになく深く土を掘ることにしたのだ。
深くといっても、六歳に満たない子どもが小さなスコップで掘っていくだけのこと。日が傾く頃になってようやく、三十センチほどの深さの穴が出来た程度だったのだが……。
その時、スコップの先が、なにか固いものに当たったのを感じた。
石……ではない。
硬い陶器のような物が埋まっているようだ。
発掘ごっこをしていた私は、興奮した。
本当にオーパーツを発見したのかもしれないと思い込み、全力でそのモノを掘り出しにかかったのだ。
そして三十分後。
「出たっ!! ……けど、なんだろう?」
血のように赤い夕日に染まりながら、汗だくになって掘り出したそのモノは、土に汚れて色も定かではなかったが、どうやらふたをしたツボのような物だということがわかった。
世紀の大発見をした気持ちになった私は、喜び勇んでそのツボを母に見せにいった。
「ねえ、じょうもん時代のツボをはっくつしたよ!!」
「また変な物を見つけてきて……」
私にツボを渡された母は、首をかしげながらそのふたを開けようとした。
母は、たかだか三十センチほどの深さに、縄文時代の地層があるはずもないとわかっていた。
ただ、親として、その庭の持ち主として、母はツボのふたを義務的に開けたのだ。
そして彼女は中に入っているものを確認し――――絶叫した。
私が掘り当てたそれは、骨壺だったのだ。
その後、両親は警察や大家に調査を依頼したのだが、この土地が墓地として使われた歴史はなく、一体誰の骨なのか、なぜここに骨壺が埋まっていたのか、今なお不明のまま、警察に保管されることとなった。
今思うと、これが私の怪奇の始まりだったのだろう。
あの日開けてしまった骨壺は、私にとってのパンドラの箱だったのだ……。
ある晩のこと、私は尿意を感じて目を覚した。
時刻は夜中の二時。
当時、小学二年生だった私は怖いのを我慢し、一人でトイレに向かうことにした。
前話で述べた長屋のトイレは、狭い台所を抜けた先の突き当たりにあったため、トイレに向かう途中で、台所の小さな窓から外を見ることができた。
――と、窓の向こうに、ぼんやりとした明かりが映っているのが見える。
「あ、後ろのおうちの人、まだ起きていたのだ」
みんなが寝ていると思っていたこんな夜中に、ご近所さんとはいえ、人が起きているということがわかるのは嬉しいものだ。
『後ろの家の住人が起きている』ということに元気づけられた私は、さっさとトイレに入り、何気なく用を足しながら上を見た。
トイレの上部の壁には、小さな換気用の窓がついている。
和式便器の両脇に脚を乗せて立てば、大人なら窓から外を見ることができるだろう。
そんな、普段は閉まったままのその小窓を見ていると、ふっ……と、白い人影が横切っていったのが見えたのだ。
「あ……」
白い横顔が窓の端から端へと、スーっと滑るように横切り、消える。
「トイレの窓なのに、ずいぶんとそばを通るんだなぁ」
そのときは寝ぼけていたのもあり、後ろの家の住人が通ったのだと思い込み、私はそのまま布団へと戻り、再び就寝してしまったのだが……。
翌朝、学校を終えた私は、帰宅すべく家の裏をひとり歩いていた。
昨晩遅くまで明かりがついていた後ろの家は、今は寝ているかのように、静まり返っている。
私は、昨夜、トイレで人影を見たことを思い出した。
足を止め、家の裏を見上げれば、そこにはトイレの小窓がある。
そして、気がついた。
この長屋は玄関の上がり框がかなり高い位置に作られており、家の中は外よりもかなり高い位置になる。
そのせいで感覚が狂っていたのだが、家の中で、さらに大人が一段高い便器の横に足をのせて、ようやく顔を出せる位置にあるトイレの窓。
その窓は、家の外から見ると、二メートル以上の高さに位置しているのだ。
つまり、夜中に見たあの横顔の男は、身長が二メートル五十センチ以上あるか、もしくは……宙に浮いていないと、あの窓から顔が見えるはずがなかったのだ。
前記で少し触れた、我が家の後ろの住人……というのが少し変わっていた。
我が家を含め、長屋に住む三世帯は子どものいる貧乏家族だったのだが、後ろの家だけは、初老に入りかけた女性と、息子にしては年上の、だが、夫にしては若過ぎる男性との二人暮らしで、あまり生活感もなく、その家に出入りする猫を時折見かけるだけだった。
ドブもむき出しの、ある意味スラムのような地域だったため、後ろの家に出入りする野良猫たちはネズミを狩り、その断片を食べ残していることすらあった。
だから学校から帰ると、首のないネズミの死骸がその家の前に置かれていたり、ときには、その初老の女性がネズミの死骸を家の前、つまり私の家の後ろで燃やしていたりしていることもあったのだ。
当然、母からは、家の後ろを通らないようにと言われていた。
そんなある日、台所の向こう側が妙にきな臭いことに気がついた。
パチリパチリと、何かがはぜる音もする。
そっと窓から外を覗いてみると、後ろの家の女性が焚き火をしている。
「やあね。また、ネズミでも燃やしているのかしら。あんたも窓からこっそり覗くのやめなさい」
焚き火に気がついた母は眉をひそめ、窓を閉めてしまった。
だが、私はそれより先に見てしまっていたのだ。
女性が燃やしていたのはネズミではなく、家に出入りしていた……猫だったのだ。
飼っていた猫が死んでしまったから焼いたのか、一体なぜ家の前で焼いていたのか……。
わからないことの多い出来事だったが、どうしても想像もつかないことが一つだけある。
しばしば焚き火をしていた後ろの住人だったが、猫を焼いて以来、いつまでも、いつまでも、その家の前の土だけ黒く焦げたままになってしまったのだ。
雨が降っても、雪が降っても、何年経っても、その黒い焦げ跡が消えることはなかったのだ。
それ以来、私は後ろの家の前を通ることをやめた。
高校一年の春、私は同じ市内のアパートに引っ越すことになった。
三棟同じ形のアパートが並んでおり、建物と建物の間には舗装された細い通路まである、少し大きめのアパートだった。
アパート専用の通路の突き当たりには高い塀があり、向こう側が見えない作りになっていたのが気になったが、きれいなアパートで、引っ越しが嬉しかったことを覚えている。
高校受験のために、家の下見に行けなかった私は、引っ越しの前日に一人でそのアパートへ向かった。
アパートといっても、一棟八世帯が住むことのできる、大きな建物だ。
きっと多くの人が住んでいる。そう思っていたのだが……。
――静かだった。
すぐ向かいに神社があるからだろうか。
それとも、アパートの駐車場のすぐ横に、葬儀場があるからだろうか。
通路に子ども一人いるわけでもなく、窓から声が聞こえるわけでもない。
アパートの前の道路も車通りが少なく、全体的静かな土地だったのだ。
(お昼時で、みんな出払っているのかな?)
そんなことを考えながら、明日から住むことになる部屋を見上げていた私は、ふと視界に白い影を感じ、目線をそちらの方に向けた。
アパートの突き当たり、高い塀に顔を向けた状態で、白髪の老婆が車いすに座っていたのだ。
高いコンクリートの塀は灰色一色で、白い服を着た、白髪の老婆とのモノトーンの光景は、どこかこの世の物とは思えないものだった。
(うわ……薄気味悪い……)
しかし、もしかしたらご近所さんかもしれないと思った私は、一、二歩近づき、小声で挨拶をすることにした。
「初めまして、今度ここに引っ越して来ることになった――」
「ね……かし……ど……ね…………」
私の言葉を挟む隙もなく、老婆はブツブツと何かを呟いている。
小さく途切れがちな老婆の声は、風に流されよく聞こえないが、まるで息継ぎをしていないかのように、ずっと何かを呟き続けているのだ。
(ボケちゃってるのかな? 一人で放置して大丈夫かな……)
私は不安になって周囲を見回したが、老婆を見守っているような人影は見当たらない。
「あの……えっと……失礼します……」
対応に困った私は、適当に挨拶を切り上げて、その場を去ろうとした――その時、風が向きを変え、老婆の声をはっきりと届けてきたのだ。
「ねえ わたしは どこに はいるの かしら?」
老婆が私の方をくるりと向き、震える手で壁を指さしながら言っている。
戸惑う私に、老婆はなおも同じことを繰り返す。
「ねえ わたしは どこに はいるの かしら?」
顔中が乾燥して白くなっているのに、老婆の赤い目だけは別の生きもののように、ぬらりと光っていた。
「ねえ わたしは どこに はいるの かしら?」
「ご……ごめんなさいっ!!」
何度も同じことを尋ねる老婆に恐怖を覚え、私はそのまま、逃げるようにしてその場を去ってしまった。
翌日、引っ越しのドタバタで老婆のことをすっかり忘れていた私だったが、一段落したついでに、自分の部屋から初めて外を見回した。
アパートの一番奥の、さらに突き当たりに位置する私の部屋からは、昨日、車いすの老婆がいた場所がよく見える。
さらに、老婆が指さしていた高い塀。
その塀の向こう側が、大きな、古い墓地であることに、そのとき気がついたのだ。
このアパートは葬儀場と、神社と、墓地に囲まれたアパートだったのだ。
あの老婆は塀の向こうの墓地を指し、自分が入る墓地を尋ねていたのだろう。
不思議なことに、後に、引っ越しの挨拶に近所中を回ったのだが、誰一人として、あの白髪の老婆を知る者は、いなかったのだった……。
引っ越したてのアパートでは、しばしば不可解な出来事が起こった。
一番困ったのは、夜中に、勝手にラジオが鳴ることだった。
普段ラジオを聞かない私は、CDラジカセのスイッチをCDのところに合わせたままにしている。なので、ラジオが鳴り出すこと自体おかしいのだ。
それなのに、夜中の十二時過ぎ、大抵私が眠りについた後に、突然、大音量でラジオが鳴り出すことが頻繁にあったのだ。
爆音に飛び起きて、電源を消そうとすると――音も電源も消えている。
元々電源は、オフになったままなのだ。
だが、スイッチの切られているCDラジカセが『ブッ……ブブブブッ……』と、ノイズを走らせ、『では……夜のニュー……ですが……』と雑音の混ざったラジオを流す。
二~三分もすると、音は止り、何事もなかったかのように部屋は静まり返る。
そんなことが月に二~三回、半年以上も続いていたのだ。
タチヨミ版はここまでとなります。
2016年3月18日 発行 初版
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ホラー・恋愛小説・ファンタジーの三柱を好む。
執筆活動意外にも、イラスト作成・ゲーム作成・アクセサリー作りなど、行動が多岐にわたり、本人の収集もつかなくなっている。
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装丁 望月いづみ
イラスト作成からデザインまでこなす一児の母。
ジャンルを問わず幅広い活躍をしている。
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