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進水式
第2回クリエイティブメディア出版 えほん・児童書コンテスト「ほほえみ賞」受賞作品
関谷俊博
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「今度、新しい船を造ることになった」
夕食のとき、父さんは言った。
晩酌を重ねた父さんの顔は、すっかり赤くなっていた。
父さんは、この街の小さな造船所で、働いている。
本当に本当に小さな造船所だ。
「どんな船?」
あまり期待もせずに、ぼくはたずねた。
「小型のクルーズ船だ」
だいたい思ったとおりの答えが返ってきた。
「大型客船、だと良かったんだけどな」
父さんは肩をすくめた。
「うちの造船所じゃ、これがせいぜいだ」
ぼくは本当にがっかりした。これじゃ夢の持ちようがない。
「だが、物は考えようだ」
「なんだい? 物は考えようって」
「船も小さいが、船を造る人数も少ない。自分が造った船って気分が出るんじゃないか?」
つくづく、ぼくはがっかりした。
「父さんには夢とかないのかよ」
「夢なんて持てるかよぅ」
父さんは笑った。
「クルーズ船をつくることになったんだってね」
あくる日、教室に入ると、ルリが声をかけてきた。
「お父さんから聞いたわ」
父さんと、ルリの父親は、同じ造船所で働いている。
「大型客船だと良かったのにね」
ルリは、父さんとそっくり同じことを言った。
「この街の造船所じゃ、そんなこと無理さ」と、ぼくは言った。
「大型客船をつくれるような街なら、母さんがいなくなることもなかったかもしれないな」
「いなくなった?」
「二年半前、母さんはいなくなった。ぼくが中学にあがったばかりの頃さ。知らないのかい?」
「大人たちが噂してたのは知っているけど、詳しくは知らないわ。いなくなったって、どういうこと?」
「母さんはこの街を出ていったのさ」
吐き捨てるように、ぼくは言った。
「父さんとは別の男の人と一緒に」
ルリは黙りこみ、やがて口を開いた。
「どうして、そんなことができるのかしら?」
「こんな魚くさい街が嫌になったんだろ。ぼくもときどき嫌になるもの」
「だからって」
「この街には猫と魚とカモメしかいないって、良く言ってたよ」
「猫と魚とカモメで十分じゃない」
「ぼくは嫌だね。大きくなったら、絶対にこの街を出てってやるんだ。父さんみたいにこの街で一生を終えるのは嫌なんだよ」
「そうかなあ。いい街じゃない。私はずっとこの街にいるつもりよ。この街で大人になって、この街で結婚して、この街でお母さんになるの」
ぼくはあきれて、ルリを見た。
「ルリはよく平気だな。そんなで」
「私は魚好きだし…」
「なんの話をしてるんだよ!」
「だって魚はおいしいよ」
「いいよ、もう!」
ぼくは言い放った。
「とにかく、ぼくはいつかこの街を出てやるんだ! 絶対に父さんみたいにはならない!」
ルリはきょとんとしていた。
それがまた、腹立たしかった。
クルーズ船の建造は、順調に進んでいった。
父さんは、ときには休日にまで現場に出て、クルーズ船の建造に打ちこんでいた。
こんなちっぽけな船に、どうしてそんなに夢中になれるのか、ぼくは不思議だった。
そんなとある日曜日。今日は久しぶりに父さんは休みだった。トーストとスクランブルエッグで、簡単な朝食をとっていると、父さんがぼくにたずねてきた。
「おまえ、高校はどうするんだ? 来年は受験だろう?」
迷ったが、思いきって、ぼくは口にだした。
「ぼくは東京の高校を受けたいんだ」
「東京の高校?」
父さんの顔がくもった。
「どうして、東京の高校へなんか?」
「この街を出て、一人暮らしをしたいんだよ」
「よせよせ。うちに仕送りする余裕なんてないぞ」
「もう、いいよ! どうせそう言うと思ったよ!」
「おい、どこへ行くんだ?」
何も言わずに、ぼくは家をとびだした。
めちゃくちゃに走るうち、ぼくは港まで来ていた。
静かにたゆたう海。平凡で退屈な風景。
カモメが一羽、ふわふわと、浮かんでいる。カモメは港をぐるりと旋回し、また戻ってきて、ぼくの目の前でゆらゆらゆれた。
このカモメは、港から出て行きたいと思ったことは、ないんだろうか?
何もかもが、ぼくは嫌だった。
「完成したよ。クルーズ船」
ある日、また晩酌をしながら、父さんは言った。
「ルリちゃんの親父さんが、だいぶ頑張ってくれてな」
「そう」
「ルリちゃんの親父さんは、気のいいやつだ。あんな人と一緒に働けて、父さんは幸せだよ」
母さんに逃げられて、それで幸せなのかよ。そう思ったが、口には出さなかった。こんな脳天気だから、逃げられるんだ。
「あの親父さんの娘なら、父さんも安心だ。おまえ、将来、ルリちゃんと結婚したらどうだ?」
「やだよ」
どうしてルリとなんか。どこをどう間違うと、そんな話になるんだろう?
「まあ、とにかく、明日の午後は進水式だ。船の名前も決まったよ。パシフィッククルーズって言うんだ」
嬉しそうに、父さんは笑った。
気づくと、ぼくは父さんと二人、ボートにのっていた。
あたりはまっ白で何も見えなかった。霧…霧だ…。こい霧があたりをおおっている。
やがて父さんは、ボートをこぎだした。
「父さん…どこへ行くの?」
ぼくは父さんにたずねた。
「魂の島さ」
父さんの声には何の感情もこもっていなかった。
「魂の島…」
「東に海で死んだ男たちの魂が集まる島がある。そこへこれから行くのさ」
海は凪いでいた。オールをこぐ音だけが、ぎしぎしとひびいた。
「なに言ってるんだよ、父さん!」
ぼくは叫んだ。
「そんなところへ行って、どうする気だよ!」
「おまえこそ何を言ってるんだ。郁弥」
あいかわらず、心のこもらない声で、父さんは言った。
「おまえはあんなに街を出ていきたがってたじゃないか」
濃い霧はオールにもまとわりついて、ボートはなかなか前に進まなかった。
「だから郁弥。行こう。父さんと一緒に」
「いやだ!」
ぼくは叫んだ。
「行くんなら、父さん一人で行けよ!」
そのときぼくは、自分の声で目がさめた。夢を見ていたのだ。
どうして、こんな夢を見たんだろう?
考えながら、リビングに入っていくと、父さんが作業着に着替えていた。
「日曜なのに仕事なのかよ。クルーズ船はもうできたんだろ」と、ぼくは言った。
「まだ片づけなければならないこともあるからな。ルリちゃんの親父さんと、二人で出勤だ」
作業着に袖を通しながら、父さんは言った。
「とにかく午後からは、クルーズ船の進水式だ。それまでには、終わらせるよ」
「そうか…進水式か…」
「進水式には、おまえも来るだろう? 郁弥」
「ああ」
興味はなかったが、いい加減に、ぼくはうなずいた。
「きっと来いよ」
父さんは笑って出かけていった。
家にいてもすることがなかったので、ぼくは海へ出た。
海は今日も凪いでいた。
防波堤を猫が一匹歩いていた。
まったくその通りだ。
この街にいるのは、猫と魚とカモメだけ。
馬鹿にしたようにニャアと鳴いて、猫は横をかすめていった。
あの猫。追いかけていって、蹴とばしてやろうか。
そのとき、スマートフォンが鳴った。
ルリからだ。
「はい」
しばらく間があって、ルリの声が聞こえてきた。
「大変よ」
ルリの声は暗かった。
「あなたのお父さんが重機に挟まれたわ」
ぼくは病院へと駆けた。
駆けるぼくのすぐそばに、またあのカモメがやってきて、しばらくぼくについてきては、はなれていった。
病院では、ルリとルリの父親が、すでにぼくをまっていた。
「郁弥くん! こっちよ!」
ルリが、ぼくの手を引いて、父さんのいる病室まで案内した。
父さんは、集中治療室のベッドに横たわっていた。
「すまんな。郁弥」
ぼくの顔を見ると、父さんは言った。
「とんだヘマをやらかしたもんだ」
息をするたびに、父さんの胸は大きく上下した。
「こんなことになっちまうなんてな」
「父さん!」
「心拍数低下! 血圧も低下しています!」
看護師が、悲鳴をあげるように、医師に叫んだ。
父さんの目は、しだいに輝きを失っていった。
「郁弥。どこだ?」
「ここだよ! ここにいるよ!」
ぼくは、父さんの手を、かたく握りしめた。
「ああ、郁弥。おまえの顔がもう見えないや。ちくしょう」
父さんは弱々しく笑った。
あくせく働くだけで、何もないと思っていた父さん。
「夢なんて持てるかよぅ」と笑っていた父さん。
だけど、その父さんにも、夢があったことを、ぼくは知った。
「見たかったなあ…進水式…」
それが父さんの最期の言葉になった。
それから一時間後、父さんの息は静かに止まった。
病院をとびだしたぼくは、大きくカーブした湾岸道路を夢中で駆けた。
潮の香りとカモメたち。
荒い息づかい。
やがて小型客船が見えてきた。
あれが父さんの遺した夢の客船。
ぼくは駆けた。
父さんが遺した夢をつかもうとして。空と海の向こうに、夢をつかもうとして。
(了)
あとがき
最後まで読んでいただきまして、有難うございます。
この小説は僕が以前に書いた同タイトルの詩が元になっています。
あの子は駆けている
大きくカーブした湾岸道路を
潮の香りとカモメたち
荒い息づかいと胸の高鳴り
やがて大きな客船が見えてくる
あの子の母親は
あの子と父親を置いて
ほかの男と街を出ていった
あの子の父親は
この街の造船所で
重機に潰されて死んでしまった
きょうは父親が遺した船の進水式
だからあの子は駆けていく
父親が遺した夢をつかもうとして
空と海の向こうに
夢をつかもうとして
郁弥くんはこれからどのように生きていくのでしょうか。
関谷俊博
作者紹介
埼玉県朝霞市生まれ。城北高等学校、明治学院大学法学部を卒業後、国松俊英に師事し、童話創作を始める。著書として「台風ヤンマ」(新風舎刊)「チョコレート虫の飼い方」(国土社刊「ぼうしにのる魔女」所収)等。
※この作品の著作権は、作者である関谷俊博に帰属します。無断転載等を禁じます。
2016年3月7日 発行 初版
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