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鹿児島にはその地理的な要因や歴史から、数多くの伝統・民俗芸能が各地に残っており、鹿児島の文化の大きな特色の一つとも言えます。また、同時に現代アートの潮流としては、3.11東日本大震災以降の社会状況の急変により、自らの足元やこれまでを見つめるリサーチ&プロセス型プロジェクトが重要視されています。そこで、KCICでは2015年度の「地域×アート」シリーズとして、日本各地・アジア圏に根付く民俗芸能の調査・研究・分析を続けているコンテンポラリーダンサーであり振付家の手塚夏子さんをお招きし、鹿児島市内のいくつかの伝統芸能・民俗芸能を見学、リサーチしていただきました。企画を通して「うた」や「踊り」といった人間にとっての普遍的な表現活動が、どのように地域の文化として時代や人々と結びついているのかを探りました。そして現代を生きる私たちにとっての「うた」、「踊り」はどういう在り方をするのかを考えました。
今年度のリサーチをもとに、2016年度は実際にワークショップ形式で現代に生きる私たちの「うた」と「踊り」を、市民のみなさまと共に制作・発表をすることを目指します。
2016年3月
かごしま文化情報センター(KCIC)
私はコンテンポラリーダンスと言われる、現代的な変わったダンスをやっています。みなさんはダンス、と聞くと何を思い浮かべますか?まずは社交ダンスでしょうか?あるいはヒップホップ?アイドルが歌うときの振り付け、コマーシャルのダンス、モダンバレエは習っている方もいるかもしれませんし、舞踏とか聞いた事のある方もいるかもしれません。それらのどのダンスとも違いますが、舞踏と呼ばれるものが、見かけ上は近いのかもしれません。私は、ダンスをやっていながら、体をコントロールする才能があまりありません。どちらかと言えば、不器用すぎてうまくきれいに動けないのです。それで、私は自分の体をとことん観察することで、自分にいったい何ができるのか?調べようと思っていろんな実験を始めました。例えば、体の小さな一部分に意識を強く向けたら体に何が起きるのか?やってみたら、不思議なことが起きました。一部に意識を集中したせいで、意識を向けてない他のところが勝手に反応して動き始めたのです。自分でも予想外の結果でした。そうやって、自分の体を観察したり実験したりする作品を作っているのが私のダンスです。
そんな私がどうして民俗芸能の調査をするようになったのか?と言えば、私が家族とともに少し田舎に引っ越し、そこでお囃子に出会ったことがきっかけでした。江戸囃子の流れを引き継いだそのお囃子は、笛と太鼓と鉦の演奏ですが、中でも太鼓を叩いているおじいさんがとてもカッコよくて、その音が私の中の深いところを揺さぶる感じがしました。それでどうしても習いたくなって、保存会の方にお願いして練習に参加させていただくことになったのです。それからというもの、そういった長く体を通して伝わってきたものに触れたいという気持ちがどんどん強くなりました。また、私がやっている「ダンス」は何にも繋がっていないような気がして、私自身の立っている場所がわからないという気持ちになりました。それからというもの、長く続いてきた芸能と私を隔てているものがいったい何か?ということについて考え続けています。
伝統芸能と呼ばれているものの多くは、もともとは特定階級のためのものだけではなく、大衆のための祭儀や催事もたくさん含まれていたけれども、「伝統」という枠組みに入れるために特定の形式に系統化して伝承しているものが多いように感じます。民俗芸能は、どちらかといえば農村、漁村、都市の祭りや神社の行事という形で、人々の生活、習俗、信仰と強く結びついていて、とても多様なありようがそのまま残っているように感じます。ただ、そこをはっきりと線で引いたように分けることは難しいとも思います。私が興味があるのは、古くから人々を通して繋がれてきた、しかしそれぞれの時代に揺り動かされて少しずつ変化してきている、枠組みに収まりきらないような多様な芸能のありようです。「民俗芸能」という名前は便宜上、必要なのでそう呼んでいますが、名称や分類には限界があるように思います。
手塚夏子プロフィール
神奈川県横浜市に生まれる。現在、福岡県糸島市在住。
1996 年より、マイムからダンスへと移行しつつ、既成のテクニックではないスタイルの試行錯誤をテーマに活動を続ける。2001 年より自身の体を観察する『私的解剖実験シリーズ』始動。2002 年、私的な実験の小さな成果が「私的解剖実験 -2」に結晶。同作品はトヨタコレオグラフィーアワードファイナリストとして同年 7 月に上演。その後、ニューヨーク、シドニー、ベルリン、ポーランド、ジャカルタなど各地での交流や上演を行う。また、独自の手法でコンテンポラリーダンスに取り組むアーティストと対話をし、彼らの手法について思考し体で試行する「道場破り」や、体をテーマに建築家や鍼灸医など様々な職種の方とのトークをし、観客を巻き込んでの実験を試みる「からだカフェ」など、自主企画も多数。2010年より、パートナーの大澤寅雄氏と共に国の枠組みを疑って民俗芸能を観察する試みであるAsia Interactive Researchを始動。2011年には、関連するプログラムとして民俗芸能調査クラブを立ち上げ、STスポットと共に継続して取り組んでいる。2013年、関東から福岡県へ活動拠点を移行させる。
スケジュールの関係で、芸能そのものはたくさん見れずに、断片だけを見せていただくような感じになってしまったのですが、それでも端々から続けて繋げてこられた方々の温度、その向こう側にあったであろう先人たちの心意気を感じ取ることができました。
最初に「中山町下虚無僧踊り」の練習を見学させていただきました。鹿児島や沖縄にもある棒踊りのひとつですが、虚無僧の扮装がとても特徴的でなぞめいていました。いわれにはいろいろあるようですが、その芸能を続けてこられた皆さんのお顔にとても誇り高く、包容力のあるやさしさを感じました。子供たちが主に参加していて、彼らを見守り励ましながら指導する大人たちの眼差しがとても温かくて、お話をさせていただいたときにもヨソモノであるわたしさえ、そこに入れていただける懐の深さを強く感じました。
武術の心得が必要な武士の時代には、農民にもちょっとした心得があったのだろうか?あるいは必要なときのために芸能として継承することで技術を育んでいたのかしら?いろいろな想像をしてしまいました。
また、ある一定の芸能がいろいろな地域に広まっている様は何を意味しているのかしら?テレビも映画もない時代に人々が何かを楽しみにする感覚がそこにはあるのかもしれない。そしていろいろなところに芸能のエッセンスが流れて伝わっていく、そこに芸能の脈動みたいな力を感じました。
次に、花尾町で開催された「花尾神社 秋の大祭」を見学しました。消防隊の音楽、「花尾の太鼓踊り」、「西上の太鼓踊り」、「大平の獅子舞」、「蟻の花尾詣」などを市民の皆様と共に見学しました。
オープニングの消防隊の音楽も長く続けていけば少しずつ伝統芸能になっていくのかもしれない。そう思うと、民俗芸能はどんな風に始まるのだろう?という疑問も湧いてきます。
私たちはもうずっと続いている先にある何かを見ることしかないので、想像するのは難しいですよね?でも私が想像したのは、その時々に起きている何かに反応したんじゃないかしら?ということと、そういった反応したエネルギーが伝染していくんじゃないかしら?ということです。
たとえば、生活している人々に降りかかってくる何か、災害や、経済的に苦しくなるようなこと、それらから当時力を振るっていた統治者の抑圧であるとか、そういったいろいろなことの中で生きていくのはとても大変でエネルギーのいることですよね。
だから人々はそれらにあらがうようにエネルギーを増幅させなくてはならなかったのではないだろうか?あるいは、見えない神聖な何かに心の底から祈らずにはいられなかったのではないだろうか?そして芸能をしていく中で人と人が絆を深めながら、辛い気持ちをはねとばしたり、空腹や辛い日々の何かを笑い飛ばしたりしながら芸能と共に生きてきたのではないだろうか?
そういった人々の生きる力が紡いできたもの、それが今私たちの見ることができる民俗芸能と言えるのかもしれません。
また、「お上」に従って、あるいは「お上」に見せるようにして行う芸能もあったかもしれない。今回見た秋の大祭の中ではそういった傾向も感じました。ただ、歴史に様々に翻弄されて今の形に落ち着いたのであって、おそらく、辿っていくとまた違った時代には自治的な芸能であったり、差別されている立場の人々が生きる為に行った芸能であったり、あるいは「お上」に反発するような芸能であった時期もあったのかもしれません。
実際にどのような変遷を経てきたかを知ることはできませんが、思いを馳せながら私たちが生きる時代についていろいろ考えるヒントにはなると思いました。
最後に、「岩戸の疱瘡踊り」を継承されている岩戸洋子さん、岩戸タツコさん、岩戸キヌエさんにお話を伺いました。
この疱瘡踊りは400年前くらいから始まったとされていて、第二次世界大戦の頃に途絶えてしまったのですが昭和32年頃に末吉清吉さんという方の発案で当時のお母さんたちが覚えている方に習い、再開しました。サッキョンと呼ばれる人が先導して顔をかくして邪気を払うように踊ります。おもしろおかしくなくてはなりません。お伊勢さんは面白いのが好きだからです。このへんは、いろいろな国や地域でも面白くすることで病気を治したりする力があるとか、様々な理由で面白くする工夫があるようです。
疱瘡踊りが流行った頃は天然痘(疱瘡)が蔓延し、とても大変な時代だったようです。それで、病気の原因となる邪気を祓ったり、治るように祈祷する意味があったのかもしれません。
印象的だったのは3人のお母さんたちがとてもあたたかくて楽しい方達だったことです。彼女たちがお嫁にきてすぐに、この芸能の練習をした頃のお話もうかがいました。練習に行くことはとても楽しいことだったそうです。もちろん厳しさもあったけれど、家族も応援してくれて子供を見てくれたり家事に協力してくれたりしながら芸能の練習にいそしんでいたようです。
現在は、やはり世代間によって感じ方、考え方の違いはありますが、それでも人々がそういった楽しい空気を共有して繋がっているのはとても素敵です。この先もこの地域は豊かさをつなげていけるのだなあと、うらやましく思いました。
そして芸能がうまれるときに、やはり思いを馳せてみました。天然痘の蔓延という困難な現実の中で人々が自分たちの生きる力を強めたり、悲しみを受け止め、乗り越えたり、体の芯から祈ったりすることで、人と人の間から湧き上がるように歌や踊りが立ち上がってくる様を。
現代を生きる私たちは、何かが起きたときに、そういった反応をすることはほとんどなくなってしまいました。また、芸能を共に繋げていく喜びや楽しみを失ってしまった地域がほとんどかもしれません。現代の娯楽であるテレビやインターネットをすることでその瞬間は楽しいかもしれませんが、共に生きる心強さを感じる機会はどんどん薄くなっていくように感じます。
芸能を繋げていくためにはきっとたくさんの人が少しずつ時間を割いたり心を割いたりすることで成り立っているのでしょう。便利で、時間を短縮する方向に動く時代の流れとは少し違う価値観がそこにはあって、でもそのことの価値は失って時間が経ってしまった私たちには、少しわかりにくいかもしれません。
でも、私は思うのですが、人々は少しずつ虚しさや無力感や孤独感を感じているのではないでしょうか?自分が感じていることが何かもわからなくなってしまうような無力感があって、エネルギーを持って何かに向き合うことがどんどん難しくなっていってしまう。この先の未来に自分が何かできるという確信を持つのが難しい。そんな私たちが現在起きていることをどう感じているか、もう一度そこに向き合って、人と人の間からエネルギーを湧き上がらせるような芸能を立ち上げることはできないでしょうか?そんな思いを新たにした鹿児島での民俗芸能リサーチでした。
最後に、ご協力いただいた民俗芸能に関わるみなさま、KCICのみなさま本当にありがとうございました。
参考文献:
「鹿児島市の文化財-鹿児島市内の指定文化財の解説-」
(2010年3月発行)
「郡山郷土史」(2006年3月発行)
伝承地:鹿児島市中山町下
http://www.kcic.jp/traditionalarts-map/komusouodori_cyuzan
棒踊りの一種であるが、棒、小太刀、扇子と三種の持ち物を自由にあつかって、隊形や踊りにリズミカルな変化を持たせ、勇壮活発に踊るところなど、鹿児島内のこの種の踊りの中でも異色なものである。
「歌い手」「ハタツキ」「踊り手」で構成され、踊り手は虚無僧と棒つかいに分かれている。虚無僧は、扇子を持ち、右腰に尺八、左腰に小太刀を差し、棒つかいは、カスリの単衣に白鉢巻き、タスキ、ワラジ履きで、樫の六尺棒を持っている。
踊りは、「庭入り」に始まり「引き庭」で終わるが、気合いのこもった迫力のある踊りである。
虚無僧は、踊りのたびに扇子、尺八、小太刀にと、つぎつぎに持ち物を換えていき、最後に左手に尺八、右手に小太刀を持って打ち合うという風に変化するのが特色で、数多い棒踊りの中でも洗練されたものの一つである。
由来は、豊臣氏滅亡にあたり、主家の再興をはかり、農兵をおこそうとして、有水善右衛門重政という人が教えたものであるという説と、王政復古の気運が盛り上がった頃、幕府の密使が虚無僧に扮してこの地にきた時に、虚無僧が無礼な振る舞いをしたので農民たちが腹を立て、持ち合わせていた天秤棒でこれを討ち果たしたということにより踊りが始まったとする説がある。
伝承地:鹿児島市花尾町
http://www.kcic.jp/traditionalarts-map/hanaonotaikoodori
慶長12(1607)年に花尾神社の祭りに奉納されたのが始まりと伝えられ、9月23日の例祭で踊られる。
鹿児島にある他の太鼓踊りと同様に、朝鮮の役からの島津義弘凱旋記念、また士気の鼓舞のために踊ることになったといわれている。また、花尾神社に祀られている丹後局等の慰霊をなし、それと共に病害虫や風水害など防除を祈って太鼓踊りを奉納したという説もある。
鳥居より境内まで道楽を奏しながら進み、境内に入って隊形を整えて、「口の庭」「中庭」「楽」「末の庭」の4種類の庭踊りを行う。
陣笠を被り京花染の美しい陣羽織を着た鉦打ちと、大きめの鍬形を付けたカブトに高さ5メートルほどの矢旗を背負い、胸の前に太鼓を抱えた踊り子からなる。
この踊りは「花尾楽」とも呼ばれ、近隣に伝播して各地の郷土芸能に多く取り入れられている。古い花尾神社と結び付き、太鼓踊りとしては古形のものといえる。
伝承地:鹿児島市東俣町西上
http://www.kcic.jp/traditionalarts-map/nishikaminotaikoodori
もとは、島津家ゆかりの「一之宮神社」で奉納されており、400年以上の歴史をもつといわれている。
勇壮で華麗な踊りが特徴で、関ケ原の合戦への出陣及び朝鮮遠征の時、兵士を激励するために島津義弘公が作らせたといわれている。昭和の初期には、毎年五穀豊穣・病害虫防除祈願や、一之宮神社の島津忠久公主祭奉納のため踊られていた。
踊りは、「初庭」「中庭」「末庭」の三部構成で、途中、高く響き渡る「入れ鉦」が入る。
鉦の者は陣笠・白鉢巻・陣羽織・股引き・足袋姿に草履ばき、腰に刀を差し、手には天保の時代に作成された銅製の鉦を持って踊る。
太鼓衆は、太鼓と重さ約10キロの矢旗を身に付け、飛び跳ねながら踊る。踊りの形は、円形・縦・左右に激しく動きながら踊る。
出陣の時の踊りということもあり、動きが速く、勇猛果敢な踊りである。
伝承地:鹿児島市花尾町大平
http://www.kcic.jp/traditionalarts-map/oohiranoshishimai
鹿児島県下にある数少ない獅子踊りの一つである。南西諸島の民俗芸能の雰囲気を感じさせる獅子の姿も珍しい。
前踊り(手踊り一つ、棒踊り三つ)と後踊り(獅子舞)から成り、踊り手と獅子、子獅子、捕り手、場取り(サッキョン)、ほら貝、太鼓、鉦、歌い手で構成される。
かつて農家に獅子が現れて農作物を荒らし、農家の主人をかみ殺した。そこで、息子が武芸を習い、父の仇を討つというストーリーが元となっており、悪霊の代表としての獅子の退治を演劇化したものとされる。仮面をつけた場取り(サッキョン)もついて雰囲気を盛り上げる。
獅子頭は竹ヘギで編んだものに紙を貼り、金紙や銀紙を貼って仕上げる。大きく開いた口の中には歯と舌もあり、アゴの下には鈴をつける。背の毛はシュロの皮などを重ねて作られる。
芸能が風流化・芸術化していく中で、この獅子舞は原初形態を見せていて、民俗学的にも貴重である。
伝承地:鹿児島市花尾町岩戸
http://www.kcic.jp/traditionalarts-map/iwatonohousouodori
手ぬぐいで顔を覆った女性の踊り手20名位、太鼓2名で一組となり、前踊り(手踊り)の後に太鼓打ち及び太鼓持ち6組位で三味線の音楽で踊る。傘踊りもある。後踊りは、黒衣の3名がシベ(御幣)を持って踊る独特のものである。
構成は大シベ持ち、踊り手、太鼓、拍子木、三味線、メン(サッキョン)であり、今は全員女性であるが、昔は太鼓は男性が担っていたこともある。
由来としては、江戸時代に疱瘡(天然痘)が流行し、多くの死者も出たことから、人々はこの伝染病を非常に恐れ、集落の入り口に道切りの縄を張り、塩・米の他に胡椒を吊り下げて悪霊払いをした。それでも入ってきたときのために、疱瘡踊りをして軽減と治癒を祈ったものとされる。
歌詞には伊勢信仰と疱瘡の軽減を祈る趣旨が込められ、また、大シベ・小シベから神への切実な祈りも感じ取れる。
1) 「中山町下虚無僧踊り」を後世に残していくことが大切な理由についてお聞かせください。
この踊りは第二次世界大戦中に一度途絶えていましたが、終戦後、古老たち数名が苦労されて復活されたとの話を聞いています。その後今まで多くの先輩達により引き継がれて来た為、今後も引き継いでいきたいと思います。
現在は中山町下の4町内会の会員であるなしを問わず、広い地域からの参加を受け入れています。
2) 「中山町下虚無僧踊り」をやっていく中で嬉しい、楽しいと感じるのはどんなときですか?
私は昭和35年頃から町内会の青年団に参加し、そこで総勢20名~30名で踊りの練習をしていました。先輩指導者から叱られた事もありましたが、練習後の飲み会が楽しかったです。
現在は孫のような小学生から大人まで、三世代が一緒になって踊りの練習をして、その後白山神社に奉納したり、小学校の総合学習に参加する事が嬉しいです。
子どもたちにとっては、練習はきつかったりするけれども、踊りが済んだ後のお菓子などの褒美が嬉しいようでした。子ども同士が誘い合って、踊りの練習に参加するといったこともありました。子どもが踊れば、指導者も自然と集まります。
3) 「中山町下虚無僧踊り」を伝えていくことが難しいと感じるのはどんなときですか?
踊り子や歌い手を集めるのに一苦労することと、高齢化による指導者不足が懸念されます。また、今後は道具の作り手がいなくなる可能性が大きいです。
4) 「中山町下虚無僧踊り」が始まったとき、その時代の人々はどんな思いでやりはじめたと想像しますか?
発祥した時のことはわかりませんが、一度途絶えた踊りを復活させた、古老たちのこの踊りに対する情熱は大した事だったと思います。
5) 現在の保存活動の状況についてお話ください。
子ども達が踊りに参加し始めたのは4年位前からで、それまでは大人の男性だけでしたが、現在では女の子も参加しています。子ども達が一生懸命練習している為、今後も踊りが続く事を願っています。
6) 今の子供達に伝えたい思いをお話しください。
地域の年寄りを大事にして、今の虚無僧踊りを子どもや孫に継承してもらいたいです。
1) 「大平の獅子舞」を後世に残していくことが大切な理由についてお聞かせください。
「大平」という地域で先祖代々受け継がれてきた伝統ある郷土芸能を伝承していくこと自体、地域住民の誇りです。また、今日まで指導・助言等を頂きながら支援していただいた地域外の方々への感謝の念と、現在伝承活動に参加している保存会員、平成2年に小学校の協力のもと発足した「花尾文化財少年団」や、地域外に住む子や孫たちが受け継いでいることを思うと、この踊りの由来などを説明しながら今後も後世に残していくことの大切さを感じます。
2) 「大平の獅子舞」をやっていく中で嬉しい、楽しいと感じるのはどんなときですか?
毎年開催される「花尾神社 秋の大祭」時において、奉納踊りとして出場することを会員皆の目標に掲げて、夏休みに入る7月下旬ころから練習を始めます。大平地域内には小・中学校に通う子もいない今日、この時期になると地域外から「花尾文化財少年団」の子どもたちが練習に参加し、合間に子どもたちの話し声、歓声が練習会場に鳴り響くときや、1年ぶりに会う私ども大人たちへ学校のことやお友達との遊びの状況を話してくれる時間が嬉しく頼もしく感じる瞬間でもあります。
3) 「大平の獅子舞」を伝えていくことが難しいと感じるのはどんなときですか?
大人の保存会員も高齢となり、次第に踊り自体から遠のいていかざるを得ない状況が歴然としてあります。当地区にはここ十数年転居や転入による人の増加はない状況です。
伝承活動の根幹は、踊り手の確保は当然のことですが、その踊りをいかに正確に伝承していくかということで指導者育成が急務となっている現状があります。踊り手=指導者の形態がいつまで続くか大変心配で大きな課題となってきています。
また、当保存会員は「井の中の蛙」ではなく、あらゆる機会をとらえて他の団体の練習の様子、芸能鑑賞、意見交換の場や交流をぜひ取り入れて、これからの「大平の獅子舞」について期待します。
4) 「大平の獅子舞」が始まったとき、その時代の人々はどんな思いでやりはじめたと想像しますか?
踊りの内容から判断することになりますが、5月から6月にかけては田植えに始まり7月から9月には、病害虫、自然災害やイノシシ・鹿などの獣から稲穂や水田を守り、10月から11月上旬においては収穫の時期となります。当時は現代みたいな娯楽施設や新聞・テレビ・ラジオ・携帯電話・インターネットなどの情報網やバイクやマイカーなどの交通手段も発達していない中で、余暇をいかに楽しく過ごすかと考えたときに、こういう一連の農作業を「踊り」に変え、地域の氏神様と慕われている花尾神社の奉納祭りで披露し、酒宴の場を持つなどして今日に至っているのではないかと思慮されます。
5) 今現在の生きている時代について感じることをお話しください。
30年~40年前にこの現代社会を誰が想像できたでしょうか。「産めよ・育てよ」の終戦後のベビーブーム時代に生まれた年代は、日本列島改造論を打ち出した国の政策を忠実に実行し、世界に類をみない日本の高度経済成長が成し遂げられました。その過程で自然環境や人間社会の環境も様変わりし、各種技術の進展は目まぐるしいスピードでIT時代・飽食時代の現代社会を確実に構築してきました。反面、携帯電話、スマートフォンやテレビゲームなどで孤独を楽しむ時代となり、我々が野山で同僚、先輩や後輩と戯れていた風景はどこにも見当たらない状況です。また、少子高齢といわれる中で躾と称して幼い子どもへの虐待や、高齢の身となった親に対し実の子からの虐待を受け尊い命を落としてしまったという悲しい報道を聞かない日はありません。物の豊富さは感じますが、人が「相手を思いやる心」を持てなくなった現代社会に警鐘を鳴らしたいです。
6) 今の子供達に伝えたい思いをお話しください。
踊りを通して学んだ、「失敗を恐れない」「やればできる」「感動を忘れない」を胸に刻み、日々の生活の中で実践しながら成長してほしいです。さらに、踊りの練習以外の通学路や、学校内で顔を合わす機会があり子どもたちから先に「おはようございます」「こんにちは」「夕べはありがとうございました」のあいさつをいただくと大変気持ちのいいものです。大人の世界でもあいさつはとても大事なことと言いつつも、なかなか率先してできない者もいます。
あいさつは「されるものでなく、するものである」ことを一生大事に持ち続けて欲しいです。
1) 「岩戸の疱瘡踊り」を後世に残していくことが大切な理由についてお聞かせください。
何百年も前から伝え継がれてきた貴重な芸能であり、岩戸地区にこの踊りがあることで和が保たれていると思います。
この踊りの稽古をするために、保存会の7~8割の人が寄り合います。稽古の後は顔を合わせてお茶を飲んだりすることで、コミュニケーションが図られ、仲間意識ができ、集落の人が仲良しになっていろんなことがうまくいきます。お茶飲みの機会が多いほどその集落はまとまるといいます。かつてと今とでは少し違いはありますが、形は変わっても伝え継いで行ったほうが良いと思います。
2) 「岩戸の疱瘡踊り」をやっていく中で嬉しい、楽しいと感じるのはどんなときですか?
「岩戸地区は踊りがあっていいね」と違う地域の人から言われるのは嬉しく、自慢であり誇りです。練習していて失敗しても、ほとんど笑顔で、喧嘩になることはありません。また、稽古の後はお茶請けやお茶菓子、昔はお煮しめやお漬物を食べたりしていました。だんだん仕事の忙しい人は早く切り上げようという風潮がありますが、それでもお茶の一杯くらいはみんなで飲みます。わきあいあいとお茶を飲みながらお話をすることや、踊りが上手になって褒められるのは嬉しいことです。
また、花尾神社での本番で、それぞれの郷土芸能のテントが立ちますが、岩戸の疱瘡踊りのテントの中にいること自体が嬉しいことです。
3) 「岩戸の疱瘡踊り」を伝えていくことが難しいと感じるのはどんなときですか?
時代の流れで住民の絶対数が減り、踊り子や三味線の弾き手が少なくなっていること。この踊りは20人~30人いないと成立しませんが、人数が少ないため踊れない状況です。以前は、先踊りが20代、後踊りが30代など、年代で分けていましたが、今は70~80代でも踊り子にならざるを得ない状況です。太鼓も重いため、足腰が痛いと大変です。
また、医学が発達した現在、不治の病や怖いことに対して神様に頼るということ自体をしなくなったということもあるかと思います。これまで稽古の時などに疱瘡踊りの中身のことにはあまり触れずに踊ってきたということもあるかもしれません。実際に天然痘の本当の怖さやいわれを自分の心に持っているかどうか、ということが踊りにもあらわれると思います。心が動けば、体も自然と動くものだと思います。
4) 「岩戸の疱瘡踊り」が始まったとき、その時代の人々はどんな思いでやりはじめたと想像しますか?
薬も治療法もない、そういう病気に対して、なんとかして死なないようにしたかったのではないでしょうか。想像を絶する怖いことに対して、畏れ、おののき、すがるような気持ち、心底神に祈るしかなかったのだと思います。
何かせずにはおれない気持ちから、あちらの村で疱瘡踊りをやっているらしいと聞きつけ、教わり伝わって来たのではないでしょうか。
天然痘自体は昭和30年代に撲滅されたことになっていますが、それはそんなに昔のことではありません。何百年もこの踊りが続いてきたということはそれだけ長い間、苦しんでいた人がいたということだと思います。人々の中に、また病気が来るかもしれない、防ぎたいという気持ちがあり、自分たちの村に入って来ないように、祈りを込めて踊らないと気が済まなかったのではないでしょうか。
天然痘自体がない現在、エイズやSARSなど新しい、治療法のない病気を例にとって想像するしかないと思います。
5) 今現在の生きている時代について感じることをお話しください。
互いに思いを馳せることができる、心のつながる地域であってほしいと思います。
また、伝統芸能だけに縛られず、何か楽しいことを企画して、それを続けていくと、繋がりを作ったり、仲間意識を育てることにつながると思います。今の働き盛りの大人が力を合わせて助け合うと、下の年の人が見習い、それを子どもが見習います。今を大事にしてほしいと思います。
ですが、結局は自分。自分たちが元気でいること。一言では解決できないですが、まだまだどうしたらいいか考えています。今までのことだけにこだわらず、新しい何かを発案して何かできないかなと、いつも思っています。
6) 今の子供達に伝えたい思いをお話しください。
子どもたちは郷土芸能を踊る中で、郷土の良さを体験することになります。大人が、子どもたちに郷土芸能について知っていることを教えますが、そのためには、まず大人が郷土芸能や地域の文化について、知らなければならないと思います。
また、今生きている大人達が隣近所同士仲良くすることが地域を続けていくことになり、それが子どもたちにつながっていくのだと思います。
子どもたちには、豊かな自然の中で、楽しい思い出をたくさん作ってほしい。山の中で走り回って遊んだり、人と一緒に遊ぶことは大事です。それが大人や、おじいさんおばあさんでも良いのです。人間として、人との関わりを持ってもらいたいです。明るい夢にむかって、大いに羽ばたいてください。
本書の作成にあたり、多くの皆さまにご協力をいただきました。
一部ご協力者のお名前を記載させていただきます。
(順不同、敬称略)
中山町下虚無僧踊り保存会のみなさま
田島 勲
大平晴男
岩戸美孝
岩戸洋子
岩戸タツコ
岩戸キヌエ
日髙加正山
2016年3月25日 発行 初版
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