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 目 次

二月のある日

予報では

八幡神社

御神木

境内のベンチで

高野山へ

奥之院

金剛峰寺

山を降りて

植樹の神様

ここは木の国

山桜の話

もうひとつの語り

古の言葉

ブラックショコラ

和歌山城

ただひたすらに

終わりに

二月のある日

 消え入りそうに小さな声で話しかける存在に気がつきました。
 その主は桜の精霊でした。そして私を迎えに来たと言うのです。

 三月二〇〜二八日の頃という情報を頼りに、「アマミ」という名の付く場所で桜の咲くところをを探しました。
 するとアマミとは奥河内の山間の里、「天見」であることを突き止めました。
 彼岸休みを使うか、その次の週末を使うかカレンダーを睨んだのですが、週の半ばがちょうど満月でした。
 フラワー・エッセンスを作るには月の暦も重要です。
 それに、本格的に咲き始めてからでは、花見客のいる場所でエッセンス作りはできないだろうと考えて、私は彼岸の節目から満月へ向かう時期に咲き始めた桜のエッセンスをつくろうと決めました。

予報では

 ちらほら桜が咲き始めていると耳にし安堵していたのだけれど、このあたりの桜は例年だと四月上旬に咲くのだとも知っていました。

 しかし寒の戻りで風は冷たく、天見の駅に降り立ったもののソメイヨシノと思われる桜のつぼみは硬く閉じていました。
 やはり山桜をさがさなければならないのかも・・・

 まずは地図を見て気になっていた八幡神社へ足を向けました。
 ここには大銀杏があるのだそう。
 天見川の支流に沿って谷間の細い道を登ってゆくと南天が、そして石垣の上には梅が盛りと咲いていました。

八幡神社

 大きく曲がると赤い橋が見え、その橋のたもとには勘進杉がどっしりと構えていました。
 この橋を渡った先、山の南斜面に見えるのが八幡神社です。

 京都の岩清水八幡宮の別宮だそうで、古くからこの地域は岩清水八幡宮の神領と言われており、分霊が勧請された伝承に基づき縄かけ神事が今でも行われています。
 榊が吊るされた変わった注連縄で、川の上を渡し、勧進杉と柿の木にくくり付けられていました。

御神木

 拝殿への登り口では大きなクスノキが迎えてくれました。
 小さな坂を登り石の鳥居をくぐると、宮は山の南斜面に貼り付く様に鎮座していました。
 参拝を済ませると、奥まったところに銀杏の木が。
 大銀杏は谷へ迫出しその根は地表に現れ、がっしりと岩盤を掴んでいます。
 この銀杏もクスノキも、樹齢四百年、六百年とも言われてるそうです。

 家の近辺の小さな神社では、幹の途中でバッサリと裁断された木の幹が立っているのを目にしていました。
 駅前の欅の木などはムクドリの大群が止まり木にするため毎年のように刈り込まれます。
 それらの木々は、防犯や落ち葉、人の事情で切らざるを得ないなだと思いますが、残念なことです。
 私が住んでいた十年の間にも、周辺では年々林や大きな木が減ってゆきました。
 もう少し郊外へ行くと大きな木を見ることができるのですが、それでもそのような木が残っていることは稀なのです。
 そして、見上げたくなるような立派な大木が、この山間の小さな社にはありました。

 遠くに木を眺めていると、安心します。
 近寄ってその広げた枝の下に立ち、仰いで手を伸ばします。
 同じような写真ばかり撮っては溜まってしまいます。

境内のベンチで

 腰掛けて、このご神木たちに意識を合わせてみました。

あなたのことを待っていました
桜を呼びに行かせたのは私です
遠くまであなたを呼んだのには訳があります
あなたに聞いて欲しいことがあるのです

このあたりはやがて水に沈むでしょう
ですからその前に伝えたいことがあったのです

私たちはここに長いこと根を張っています
それは偏にあなたたちのためでした
人よりも長い命の中で私たちが見て来たのは、
人の営みが自然を変えてゆくことでした
ですからあなたに聞いて欲しかったのです

私たちの故郷もまた、遠い星なのです
そこから種として運ばれて来たのです
私たちは草花に比べ、より大きな知性を宿しています
その知性は人を勇気づけるものです
長く生きる者に必要な智慧を、私たちは示しています

この山の谷間の風の通り道に私たちは立っています
風が情報を運んでくれるのです
ですから私たちの終わりの時を知り
私は伝えたかったのです
あなたがたと同じ様にこの星にやってきた旅人だと
私たちもまた想い出すのです
遠い故郷を
なつかしい星の音を

 木や草花にアチューンメント同調するという試みは、*フィンドホーン共同体へ行って以来していました。   *スコットランドにあるスピリチュアル・コミュニティ
 初めて"言葉"としてメッセージを受け取ったのは諏訪大社の上社を訪ねた時のことでした。
 諏訪大社の境内には四方に立つ御柱があり、その柱となる木を切り出す御柱祭りがあります。
 そんな社の境内には大きな杉の木がありました。
 その木に同調すると、ペン先ではなく胸に涌くように言葉が浮かんできました。
「私は見ている」
 けれどもさまざまな事情から、私はこのような試みを封印しました。
 そして十年が経ち、再び繋がりを求めると時間はかかりましたが、自然は応えてくれたのです。

 さて、どうしたものかと考えあぐねていました。
 桜のフラワーエッセンスを作りに来たものの、その目的は反故になってしまったのです。
 この山間地が水に沈むとはどういう意味なのか、本当にこれが私の知るべきことだったのか。 私のつくりだした苦しい言い訳ではないのか。
 小一時間、谷間を吹き抜ける風の中にいた為に身体は冷えきっていました。
 それ以上メッセージを聞くことは叶わず、山桜を探し歩く気にはなれませんでした。

高野山へ

 駅まで戻り少し冷静になると、電車の路線図の先には高野山が。
 そう、ここは高野街道の途中。
 このまま高野線に乗り進めば高野山へ辿り着けるのです。

 そういえば昨年は開創一二〇〇年で、春には訪ねてみようかと思いながら遠路の煩わしさのほうが勝り、実現しませんでした。
 その頃読んでいた本の中に、弘法大師の持ち込んだ密教には景教(古いキリスト教)のエッセンスが流れ込んでいると書いてあったこと、このあたりの山には水銀の鉱脈があるらしいことに興味を持ったのでした。
 これも何かの縁なのでしょう。

 橋本で四十分の待ち合わせ、手持ち無沙汰で待合室で隣に腰掛けていたお遍路さんの姿の男性に話しかけました。
 御年数えで八十歳、十一度目の四国八十八ヶ所巡拝を終えてついでに高野山へ登るのだとおっしゃいました。

 真田丸で話題の九度山を通り過ぎ、電車は幾重にも続く線路のカーヴをなぞってキーキーと音をたてながら、山へと分け入ります。
 見上げると斜面にへばりつくようにして家や畑があるのに驚いたりしながら話を聞くうち、あっという間に時間が過ぎてゆきました。

 密教そのものについて何の予備知識もなく高野山へ行こうとしていた私に色々教えてくださって、時間がないなら奥の院と金剛峰寺を、できれば宝物殿も見て行きなさいと言われ、極楽橋の駅で別れました。
 

奥之院

 弘法大師の御廟がある所、そして戦国武将や有名人の墓所でもあると聞いてはいたけれど、行くことはないだろうと思っていたのです。
 しかし、です。
 ここに来ると決めた後、ここへ道案内されたのです。
 まっすぐバスで奥の院へ向かいました。
 
 午後の日差しの中、大勢の人が参詣していました。
 少し安心して、手水舎で手を清め大きな参道を進むと、両側に名だたる企業や団体の供養塔、個人の墓が並び、中には阪神大震災、東日本大震災の被災者のための供養塔が立っていました。
 その傍らに、ブータン国王が鎮魂のために植樹された幼木も。
 しばし手を合わせました。

 やがて道は二手に別れ、そこから左手に進路をとり進んでゆくと鬱蒼とした杉木立の中へ。
 この地の杉の木の大きさに、圧倒されました。
 天を突く様に聳える姿は、まるでその時が来たらロケットのように爆音をたてて宇宙へ発射しそうに思えました。
 例えが場にそぐわない気がするけれど、そんな気がしたのです。
 そして足下には黙ったまま苔むした石塔にお地蔵さん、無数の墓石。

 御廟をお参りして線香をあげ、御朱印をいただいて道を戻りました。
 こうまでしてここに石を置こうとする人の願いとは、真言密教のエッセンスとは何なのでしょうか。
 何も知らずに来たものの、ここが"特別な地"であることだけは肌で感じることができました。

金剛峰寺

 金剛峰寺に足を踏み入れると、想像と違って檜皮葺きの屋根に彫られた龍が守る本坊は落ち着き払っていました。
 入口で先に御朱印をお願いすると、「よう、お参りやした」と手渡されました。
 
 いくつもの広間を飾る美しい襖絵に鶯張りの廊下、昭和になって造られたという日本でも最大級の石庭の蟠龍庭、昔も今も財と力を持っているのだろうと容易に想像ができます。
 新別殿でお接待のお茶と菓子をいただいて一休み。

 ちょうど一回りして戻ると十七時、追い立てられる様に寺を後にしました。
 本来なら宿坊に滞在すればもっと見るべき所があるのだろうけど、今日はここまで来れたことで良しとして、また出直しです。

 それよりも今朝羽田でモーニングを食べて以来、ほとんど何も口にしていませんでした。
 ついさっきいただいた茶菓子の”ふやき”は大好きなのですが霞のような食べ物で、腹の足しにはなりません。
 ここで何か食べておかないと夕飯抜きになってしまう。
 急いで食堂をみつけなければ。
 金堂と伽藍の前を素通りして千手院前まで戻り、やっと食堂でうどんをいただくことができました。

 日暮れ時の山で真冬に逆戻りしたような気温の中、寒さに耐えながらバスを待ちます。

山を降りて

 帰りのケーブルカーで、ベルギーから来てひとりで旅している女性と知り合いました。
 紀見峠に着くまで彼女とおしゃべりし続け、小さな駅で私は電車を降りました。
 駅の外にでると点々と街灯があるものの、真っ暗で頼りにはなりません。
 ほどなくして暗闇に目が慣れた頃、急坂に息も切れ切れ宿に到着。

 お茶を淹れて一服してから温泉へ。
 五時起きして横浜からここまで、一日中冷たい風に吹かれて長い一日でした。
 アルカリ性のつるりとした湯に首まで浸かると安堵しました。
 久しぶりの畳にお布団、糊のきいた真っ白なシーツと枕カバー。
 ひんやりした中に身体を滑り込ませると、すべては明日に預けて眠りに着きました。

植樹の神様

 ここへ来る前に、繰り返しいくつかのメッセージを受け取っていました。
 ひとつは明日香村に関するもの、もうひとつはオオヤツヒメノミコトに関するものでした。
 そのため、二日目にどちらへゆくかについてずっと悩んでいました。
 直前に奈良県明日香村へゆこうと決めては来たのですが、昨日の流れを踏まえてどうするべきか考え直すことに。
 今朝受け取ったメッセージはこのようなものでした。

 私たちのもとへあなたが来たことは希有なことです
 あなたのしていることに意味を持たせず、ただ直観にしたがうのです
 後に本当の意味は明かされるでしょう
 昨日あなたが見たものは、すべて大事なものです
 あなたをここまで連れ出すために、私は桜を使者としたのです
 ですから、桜に感謝してください
 まだ咲かぬ桜でも、あなたを歓迎しています
 あなたにこの一帯の桜の景色を見せたがっています
 いつかまた、来てください

 そして、オオヤツヒメノミコトの祀られる神社へいくようにとも。
 大屋都姫神社がありましたが、兄神の神社である伊太祈曽神社へ向かうことにしました。
 伊太祈曽いだきそ神社の御祭神は須佐之男命スサノオノミコトの子である五十猛命イタケルノミコト、大屋津比売命オオヤツヒメノミコト、都麻津比売命ツマツヒメノミコトです。
 日本書紀によると須佐之男命が髭を抜くと杉になり、眉毛が楠となったとあります。
 そして木種を日本の国中にもたらすよう息子イタケルノミコトに命じます。
 妹神のオオヤツヒメノミコト、ツマツヒメノミコトとともに国中に撒くと、よく育ったのが木の国(紀伊国)であり、最後にこの地にお鎮まりになったのだと言われているそうです。

 日本書紀は読んだことが無く、この兄妹三神のことを私は知りませんでした。
 けれども少し前からクスノキのメッセージを受けとっており、特にクスノキの植樹活動について調べていましたので、植樹の神様と聞いて繋がりを感じました。
 和歌山と言えば、須佐美、十一面観音、という言葉も昨年から繰り返し耳にしており、今回のことでいずれゆくことになるだろうと確信しましたが、南紀白浜より南にあるその地を目指すには、改めて出なおさなければばならないことは明白でした。

ここは木の国

 遠くに山が連なって里山の風景は続き、線路添いには瓦屋根の家や古い商家が見えました。
 橋本でJR線に乗り換えてから、和歌山駅までは一時間ほどでした。
 ここから更に貴志川線に乗り換えます。

 プラットホームで一日乗車券を買うと、目の前に真っ赤な電車が止まっていました。
 おもちゃ電車でした。
 二両編成の電車内にはガチャガチャやおもちゃのショーケースがあり、椅子や床は木でできていて、クッションが置いてあります。
 乗ってからわかったのですが、これがあの猫の駅長たまがいることで有名なローカル線だったのです。
 私の目指す伊太祈曽は、約二十分ほどのところにあるようです。

山桜の話

 私は桜を見つけて嬉しくなり「あなたはフラワー・エッセンスになってくれますか?」と尋ねました。
 すると「いいえ、でも話しましょう」と応えてくれました。

私の役目は、ここにあり、静かに見守っていることです
ただただ静かにここに居ることなのです
私もこの境内の木の一本として、御神気を育てているのです

あなたにお話したいことはまだあります
私の声を人々に届けてください

この時を忘れないでください
私たちが共に静かに暮らしていたこの時を
私には残念でなりません
この時は長く続かないでしょう

長い年月のなかでこのように静かな時を過ごせたことに
感謝しなければなりません
そして、大地を鎮めるのです
大地への感謝のことだまを響かせてください
それがすべての災いを避けるでしょう

あなたの心をこの時に響かせるのです
黙っていてはいけません
あなたがたの言葉は、そのようにあるべきなのです
心の音を響かせるのです

どうかそのように伝えてください

大地がなければ私たちは立てず
私たちがいなければ、あなたがたは立てないでしょう
そのことをどうか忘れないでください

あなたが伝えてくれることを望みます

もうひとつの語り

ここへよく来ましたね 私の声が聞こえますか
 
 桜とはなし終えた後、別の声が聞こえて来ました。
 男性的で大きな存在です。

私は伊達イダテの神 
あなたをここへ呼びました
この良き日にあなたに伝えよう
紀の国をこのまま残さなければなりません
この国(日本)がながらえるためにも

私はこの地を、木々を守っているが
あなたが見てきた様に、人の手は山の頂まで及んでいます
山は息吹をうしないつつあります
大地は力をなくし、地龍をしずめることができなくなったのです
地龍は私の国を睨んでいます

人々の気が木を強くします
人が感謝の気を捧げ、木が氣を送る
そのような循環が必要です

 ここで集中が途切れました。
 昨日に続き、受け取ったメッセージをどうしたら良いのか、少し重いものを胸に感じていました。

古の言葉

 境内には須佐之男命スサノオノミコトを祀る祇園神社がありました。
 この神社の由緒とされている伝承、そして出雲から和歌山にスサノオノミコトが来たという話のもとは日本書紀、続日本紀、そして風土記によるようです。
 私はこれまでに日本書紀を読んだことはなく、このいわれは知りませんでした。
 そして古事記に記されているスサノオノミコトの記述は荒御魂を記しているともとれますが、かなり不名誉なものです。
 どちらの記紀に伝えられていることも真意を知ることはできませんが、言霊が言葉の中に生きていた時代に書かれたこの書物を古の人の感性で読む、うたうことができたならと思わずにいられません。
 

ブラックショコラ

 境内で静かな時間をゆっくり過ごした後、神社の前にあった小さな古墳を歩いてみました。
 古墳は山となり、木々が生い茂っていました。

 駅まで戻ると、小さなカフェでジェラートを食べました。
 地場産の果物や野菜を使ったものだそうですが、私は炭入りの真っ黒なショコラにしました。
 晴れて昨日よりだいぶ暖かく、のどかな昼下がり。
 これから明日香を目指し関空へ戻るのはやはり無理があります。
 電車を待つ間どこへ行こうか思案しましたが、思いつくどのアイデアも答えは「いいえ」でした。
 
 結局和歌山まで戻り駅ビルでラーメンを食べると、新たな行き先を決めて経路を調べて足を延ばすのはせわしいと感じていました。
 それにこの旅でしなければならなかったことは、ほぼ終えた様にも思えました。
 比較的近くてすぐに行ける和歌山城へ向かい、市内を歩くことに。
 

和歌山城

 城に到着すると桜の木がたくさんあり、まだ咲いてはいないもののお花見の準備も整っているようでした。
 そして石垣の上には見事な一の橋の楠がありました。
 お城と言えば"松"と思っていましたが、この城内には楠がたくさん植えられていました。

 天守閣へ昇ると、和歌山港、そして山深い半島を分けるように紀の川によって作られた扇状地に広がる市内が見渡せました。
 四時を知らせる鐘は、「てんてんてんまり てんてまり」のしらべでした。
 鞠と殿様という歌だったんですね。
 続きは憶えていませんが、小さい頃に歌った記憶がありました。

ただひたすらに

 帰りは歩いて駅へ向かうことにしました。
 ところが、これが結構距離がありました。
 途中、かまぼこ屋さんを見つけ焼き板とごぼうの天ぷらを買いました。
 店のおかみさんが、私がぶらぶら持ち歩いていた水のペットボトルがお酒に見えたと言って笑っていました。
 ぶらくり町を過ぎたけれど、ここから更に二キロメートル。
 再びバス通りへ出ましたが、なんとなく意地になって歩き通しました。
 ああ、疲れた。

 少し早いけれど、空港へのバスに乗ることに。
 この時間なら、海に夕陽が沈むのを見られるかもしれないと思ったのです。

終わりに

 旅の途中、何かに呼ばれる様にして訪ねた場所がいくつもあります。
 大抵後になってからでないとその意味はわからないのですが、そういうことはめずらしくありませんでした。
 けれども今回は、先に言葉がありました。
 受け取った言葉を信じて見知らぬ土地へ出かけるなど、初めての試みであり、冒険でした。

 この旅の中で私が受け取ったメッセージとして綴った言葉は、その地の気に触れて私の中に湧いたものです。
 聞こえたと書いていることもありますが耳からではなく、頭に浮かぶのでもなく、胸の一点に現れる・・やはり湧くというのが近い表現かもしれません。
 そしてなかには警鐘ともとれる内容もあり、私自身しばらくの間当惑していました。
 けれども、いつどこで何が起きるかということはもはや問題ではないのでしょう。
 今や天災はカレンダーに記されたイベントのように、日本中あらゆる場所で頻繁に起きています。
 地球規模での変化が始まっていることを私たちは肌で感じとっています。
 大事なことは、生きとし生けるもの、目に見えないものを問わず、八百万の神に感謝を持って生きることができるかどうかということに尽きるのかもしれません。
 人の発する感謝の気が自然を強くもし、支え、ひいては私たちが生かされるのだということです。
 そのために、特に私のような大都市圏に住む者に何ができるかを、少しずつでも考え行動していくことが必要なのだと思うに至りました。
 また、受け取ったメッセージの主の名については、私の理解を助ける為のある種方便であるのだろうと推察しますが、あえて受け取ったまま残しています。
 どうかご自身でサニワし、広い心で受け止めていただければ幸いです。
 
 ありがとうございます。
                  二〇一六年 清明     吉沢良子

春分の旅 二〇一六

2016年4月5日 発行 初版

著  者:吉沢良子
発  行:Journey on

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