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運命の泉 (左手の小指に赤い感覚器官(赤い糸)と羽衣)
第七十二章
ある時間になると、法螺貝の音が響いた。その響きは人によって自分の運命を感じる鎮魂曲とも、気持ちを奮い立たせる響きと感じる者もいたのだ。だが、様々な感じ方をするが、この法螺貝の音を聞いて、良いか悪いかの違いはあるが運命が変わるのは同じだった。
「第一連隊は、出陣を開始します」
部隊ごとの伝令者が、天幕の中に居る者に聞えるように叫び声を上げた。そう叫ぶ声は何分毎に聞くことができた。もし上空から見ることができたのなら大蛇のような、と言うよりも巨大な竜の動きと感じるはずだろう。その竜の向う先は西都市である。
その竜が向かう。西都市では誰一人として気が付く者がいなかった。それなのに、少々の騒ぎが起きていたのだ。ここ数日で、第3号街道の中継拠点を構築するために必要な物資を運ぶ部隊の行き来があった。だが、今回の部隊は物資よりも駐屯する部隊の交代に向かう者たちが歓喜の声を上げて騒いでいたのだ。そんな中で新だけが寂しそうに落ち込んでいた。
「新殿。元気がないようですが、何かありましたか?」
「えっ・・・・・あっ・・登殿」
新は驚いて顔を上げた。
「どうした。具合でも悪いのか?」
「いいえ。悪くないです」
「まさか、拠点に行きたくないのか?」
「いいえ」
「そうだよな。東都市が近いから休日の時は遊びに行ける。それで、皆も喜んでいるし、それは、新殿も同じ気持ちなのだろう」
「はい」
「それならいいが・・・・・些細なことでも何か悩んでいるのなら相談してくれよ」
登は、新の普段と違う様子を見て声を掛けたのだが何も答えてくれず。もしかして熱でもあるのかと額に手を触れたのだが、触れられていることに気が付かないほどに何かを考えているようだった。もし熱でもあるのなら医者を呼ぼうとしたが、熱は無くて安心したが、病気でなければ一つだけ思いつくことがあった。それは、故郷を懐かしんでいるのだろう。もし思いが当たっていた場合は、一人にさせて自分で解決するしかなかった。それでも、心配になり、もう一度、自分の額の温度を確かめて、また、手を額に触れたのだ。
「あっ」
一分は額に触れていたかもしれない。本当に病気なのと心配するほど鈍い反応だった。
「熱は無いようだな」
「ああっ、大丈夫です」
「そのようだな。それで、一時間後の九時には出発するからな。もし何かあるのなら、その前に言ってくれよな」
「大丈夫です。一緒に行きます」
「うん。そうか、わかった」
新が何かを吹っ切れたような笑みを浮かべるので安心して、その場を離れた。だが、それは、精神の安定であり。何かを決定した表情だったのだ。
「また、コップの水で試してみるかな」
そんなことを思いながら何気なく空を見たのだ。すると、ポツリ、ポツリと・・・・。
「雨?」
なぜか、雨雲が一つもなく、何の予兆もしめすこともなく雨が降ってきた。不思議そうに見詰め続けて、一つの水滴を口に入れてしまった。すると、誰かの意思を感じられた。だが、悪意は感じられずに、体全体を包むような優しさを感じるのだ。そして、その感じに心得があり。つい、言葉にしてしまった。
「美雪さん?」
「そうよ。そうよ。美雪よ。新さんなのね。やっと声が聞こえた」
「ひさしぶり、元気そうだね」
「元気よ。元気よ。新さんも元気よね。怪我も無いわよね」
「大丈夫だよ。徴兵の任務と言っても戦いは無いみたい」
「そう、良かったわ」
「なんかね。監視と補給の警護みたい」
「そうなのね。それなら命の危険は無いわね」
「だから、何も心配しなくていいよ」
「うん。わかったわ」
「ねね、それよりも、何か、寒さで震えているように感じるのは気のせいかな?」
「今まで泉の水を身体に浴びていたのよ。如何しても、新の声が聞きたいから・・・何度も泉の水を飲んでも駄目だったから・・・・罰が当たるのを覚悟でね。泉に飛び込んだの」
「それで・・泉には意識があり。泉から出て欲しいために、羽衣の感覚器官と共鳴して雨として僕のところに降って来たのかな?」
「そうね。そうよ。そうかもしれないわね」
嬉しくて興奮している。そんな感情を新は感じた。
「駄目だからね。今度したら何が起きるか分からないよ」
「分かったわ・・・・ねね」
残念そうに落ち込む。そんな感情を感じた。その後、新に躊躇いながら問い掛けるのだ。
「何かな?」
「わたしと話したくなかったの?」
「そんなこと無いよ。美雪さんと話したかったよ。何で、そんな事を言うの」
「偶然の結果で、やっと話ができたのに、わたしのことよりも泉のことを心配しているように感じるわ」
「それは、美雪さんの身体を心配しているからだよ。この会話も、身体に支障ないか本当に心配しているのだよ。このような状態の会話なんて普通は出来ないのだからね」
「そうだけど、何か悲しくて、わたしは会いたくて、会いたくて気が狂いそうだったのよ」
新は、美雪の悲しみの感情を感じて、気持ちを落ち着かせようとした。
「ねね、美雪さん。贈り物は届いた?」
「届いたわよ。今も身に付けているわ。でも、金のネックレスなんて高かったでしょう」
「給金が高いからね。何も心配しなくていいよ」
「どうしたの。大きな溜息を感じたわよ。もしかして無理して買ったの?」
「違うよ。ネックレスしている姿を早く見たいなって思っただけ」
「もう~ばかぁ」
「ごめんね。でも、必ず帰るから大人しく待っていて。今回のような泉に飛び込むなんてことはしないでよ。風邪なんて引かれるのは嫌だし、もしかしたら命の危険だったかもしれないのだからね」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟でないかもしれないよ。この今降っている雨が泉の水だったとしたら、美雪さんも飛ばされたかもしれないよね」
「えっ・・・あっ・・・」
美雪は、自分の何も考えで行動した事と、新の例え話しで恐怖を感じた。
「そうでしょう」
「うん。気をつける。だから、あたしからだけが行動するのでなくて、新さんからも・・・・・」
「何、聞えない。美雪さん。何て言ったのか分からないよ。聞えない。もう一度・・・・」
泉から出たからか、新の頭上から振り落ちる水滴の量が減り始めた。そのためだろうか、まるで電波障害が起きているかのような感じで、会話が聞きづらくなってきた。それで、先ほど恐怖を感じて泉から出たのだが、新との会話がしたいために、恐る恐ると、また、泉の中に片足を入れた。
「これで聞える?」
「何とか聞えるよ」
「良かった」
「でも、もう、そんなに時間は無いと思う。それに、こちらも、そろそろ出発しなければ・・・・それでね」
「うん。何々?」
「僕は、必ず生きて里に帰るからね。そして、結婚を申し込むから・・・だから、無茶なことはしない。それは約束して」
「うん。無理はしない・・・・から・・・・」
「美雪さん。今、何て言ったの?」
「・・・・・・」
完全に、新の頭上から振り落ちる水滴が止んだ。
「どうした?」
「えっ?」
「突然に大声を上げて夢でも見ていたのか?」
「えっ」
新は、一瞬だけだが理解できなかった。美雪との会話をするために意識を集中していた。それで、自分が美雪のいる村にいると錯覚していたのだ。そのような理由で、登が後ろから言葉を掛けてくる。その者も、今居る場所も忘れていたのだ。
「あっ・・・登さん」
「雨も止んだようだ。そろそろ出発するぞ」
「分かりました」
「先に行っているぞ。直ぐに来いよ」
(美雪さんは、最後に何て言ったのだろう)
「新殿。何をしているのだ」
新は、電波障害のような細切れとなった。その言葉を思い出していた。だが、そんな時間のゆとりは無かった。登の隊が整列を終えて、直ぐにでも出発しようとしていたのだ。それでも、美雪が伝えようとした言葉が気になり。何が起きても必ず里に帰るだろう。もしかすると、いや、必ず、時の流れの自動修正の意思か、それとも、運命の神が過酷の運命をさせる。その原動力となるために、些細な楽しい思い出を作らせたに違いない。
「はい。直ぐに行きます」
登は、新が駆けてくる姿を見ると、出発の号令の指示を伝えた。
「身体の調子でも悪いのか、もし悪いのなら残ってもいいのだぞ。どうする?」
「大丈夫です」
「そう言うなら良いが、本当に無理はするなよ」
「はい」
隊の一斑が行進した。その後を付いて行くように新と登は歩き出した。そして、二班、三班と何班も後に続いた。なぜか、皆は軍隊行動の一つであり。戦いになる可能性もあるのだが、嬉しそうに笑みを浮かべながら行進するのだ。勿論、その理由は、西都市が近いことで、手紙を出すことも、返事の手紙を早く読めるだけでなく休みの時は気晴らしに遊びにも行けるからだ。それでも、顔の表情だけで気持ちを表すが、決して騒ぐことはないのは、大人だからと言うよりも軍の規律だからだろう。そんな、人々の思いを感じる。隊列と人々の様子でも確信できることだが、まだ、誰一人として、北東都市の軍が近づいていることを知らないまま進み続け、登たちの隊は中継拠点に着こうとしていた。
「新殿」
「何ですか?」
「何か胸騒ぎを感じるのだ。新殿は何も感じないか?」
「何も・・・・・でも何故です?」
登の突然の問い掛けに驚いた。
「都市から出る時、新殿の様子が変だと感じたから・・・もしかして何かを隠しているのかと思ったのだ」
登は何て言っていいのかと悩んだ。
「あっ・・・・あの時のことですか、あれは、何でもありませんよ」
美雪との会話を何て伝えていいのかと悩んだが、突然のことだったのために誤魔化すことしか考えられなかった。
「新が、そう言うなら何も問題は無いな。だが、何か感じたら教えてくれよ」
「分かりました」
なぜか、新の感覚器官は何も答えない。もしかすると、美雪のことで胸が一杯のためなのか、それとも、これから、新に伝えるのか、それは、分からないが、そろそろ、東都市の監視塔からでも、北東都市の軍が見える所まで近づいていた。
第七十三章
人の気持ちを和ませる響きに、人々は誘われるように向うのだった。敵の罠ではないのかと思われるだろうが、その響きは金槌、ノコギリ、鉋掛けなどの大工道具を使用する時の音だった。
「予定の通り進んでいるようだな」
「何が予定通りなのですか?」
「中継地点の建設のことだ」
「えっ・・どうして分かるのですか?」
「この響きを聞いて何も感じないか?」
「何か楽しそうに感じると同時に、力強さも感じますね」
「そうだろう。それは、予定通り以上に計画の通り進んでいる安心感と、交代が終われば自由を満喫できる。その感情が大工道具を使用する時の音に表れているのだよ」
「ああ、そう思って聞くと、そう感じますね」
「そうだろう」
「はい」
「新殿は、交代要員として来たのも、この時間帯に来たのも初めてだろう。中継拠点に着いたら驚くぞ。だが、尻込むなよ」
「はい」
新は、返事はするのだが、何が起きるのかと恐怖を感じていた。その感情が隊に伝わったかのように、登以外は何か気持ちが沈んでいた。そして、そろそろ、中継拠点に着こうとしていた時だった。
「東都市の竜二郎殿ではありませんか、この様な所で、どうされました」
中継拠点の門の前で、東都市の竜二郎の部隊が待機していたのだ。
「何か嫌な気分を感じて、登殿の意見を聞いてから帰ろうとしたのだ」
「嫌な噂を聞いたのですか」
「そうだ。北東都市の主が、自分の都市の支配権を売ったらしい」
「えっ・・・それでは・・・」
登は驚きのために直ぐには心の中の思案を口にできなかった。
「思いは同じだ。恐らく、新たな都市を作るか、戦費の工面だとしたら全戦力で勝負に来るぞ。それも、最後の戦いだと考えているはずだ。そして、最後の相手と考えているのは西都市のはずだろう」
「確かに」
登は殺気を表しながら頷いた。
「だが、それは、いつになるかは分からない。それを、相談したくて待っていたのだ」
「そうでしたか」
「ああ」
「それでは、対策は後で考えるとして、先に部隊の交代を済ませましょう」
「駄目だ。それでは、今まで待っていた意味がない」
「えっ」
「そうだろう。交代をしてしまって、それぞれの都市に帰ることになる。それでは、戦力が半減するのだぞ」
「そうですが、まず、二部隊が街道を塞いでいます。一度、中に入りましょう」
「ああ、そう言う意味か、そうだな」
登と竜二郎は副官に的確な指示を伝えると、二人で建物の方に歩き出した。
「あっ新殿も来てくれないか?」
登は、何かを思い出したかのように、新に身体を向けた。
「そうだな。一緒に来て欲しい」
もっともだと、竜二朗も頷いた。
「僕が居ても役に立たないと思います。作戦も考えられないし、問い掛けられても答えられませんよ」
「何かを見て、何かを感じたら答えてくれるだけでいい」
「それなら・・・良いのですが、ですが、今・・・体が火照っていると言うか、だるいと言うか、変な気持ちなのです。だから、お役に立てられるか不安なのです」
「熱でもあるのか?」
新は、何て答えていいのかと悩んでいた。登は、そんな様子を見て、新の額に手を当てた。予想の通り熱は無かったので安心して手を離した。
「熱は無いようだなぁ。もしかして故郷の想い人のことでも考えていたのでないのか?」
「そんな人がいたのか、ほうほう、それで、熱を・・・ほうほう」
「想い人?」
(美雪さんに熱があるのかな・・・まさか、泉に入ったために風邪を引いたのか、それで、僕の身体に熱を感じているのか?)
「はっはぁ~」
「想い人のことを考えているようだな」
新の言葉と様子で、冗談で言ったことが本当だったと、安心すると同時に馬鹿馬鹿しくなったのだろう。二人の隊長は、危険な考えは脳裏から消えていた。
「ああっ新殿は何も感じて無いようだ。北東都市の主は、戦を諦めて新都市でも建設しているのでないのか?」
「俺も、そう思えてきた。あっ」
「どうした?」
「登の交代部隊は、都市に帰してもいいかもしれないな。それで、何も危険な情報が無ければ、俺たちの部隊も都市に帰るとするよ。まあ、少々のことなら、俺たちの交代部隊も居るし、大丈夫だろう」
「そうしてくれると助かる」
建物に入るまでもなく、歩きながらの会話で考えを決めてしまった。
「それでは、俺の隊に適当な言い訳を伝えて待つことにする」
「すまない」
「気にするな」
片手で簡易的な礼儀をすると、自分の隊に向かって行った。
「新殿」
「何でしょう?」
「呼んで済まなかったが話は終わった。身体がだるいのなら休んだ方がいいぞ」
「はい」
「料理長は居るか?」
「はっ、何の御用でしょうか?」
自分の班や交代要員が、直ぐに仕事の交代をしないのか、なぜ、都市に帰れないのか、と様々な苦情を聞いては、それに答えていた。そんな時に、登に呼ばれて、安堵の表情を浮かべて駆け寄ったのだった。
「新殿の身体の調子が悪いみたいなのだ。薬と適当な食事と寝床の手配を頼む。それと、交代要員を西都市に帰してもいいぞ。だが、北東都市が不審な行動をしているらしいのだ。その情報が正しいのか、出来る限りでいいから調べて欲しいのだ」
「承知しました」
登は、新が料理長の後を付いて行くのを見届けると、中継拠点の中を歩き出した。建物などの建設の進み具合を確かめるために歩きだした。そして、全ての確認が終わる頃・・。
「登殿。全て指示の通りに終わりました」
「そうか・・・それで、新殿の様子は大丈夫なのか?」
「恐らく、今までの疲れが出たのでしょう。ゆっくりと身体を休めば大丈夫でしょう」
「そうか、ご苦労だった。それで、直ぐに出発するのか?」
「はい。そうしたいと思います」
「分かった。そうしてくれ、だが、気をつけろよ」
「はい。情報の方は出来る限り速やかに、適した部下を向わせます」
「わかった」
「出発することに致します」
登の簡易礼を見た後に、自分の隊が待機している方向に歩き出した。
「西都市に帰るぞ」
「承知しました」
部隊の七割の者たちは不満そうにしていた。それでも、残りの三割は都市に帰るのを楽しみにしているのだろう。いや、それとも、只の普通の声量での部隊の士気の向上のためなのかもしれなかった。
「それでは、出発だ。行くぞ」
料理長が率いる徴兵隊員と交代要員は西都市に向うのだった。勿論、その途中での篝火の点検は忘れるはずがなかった。そのお蔭で北東都市の密偵に見付かり、部隊の鉢合わせの危機は間逃れたが、北東都市の二大部隊は森の道の完全封鎖の陣形を整え終えていた。
「何があった?」
早馬で、都市に到着の日時を知らせに行った者が、予定よりも早く帰ってきたのだ。
「北東都市の部隊が、森の道を塞いでいます」
「何だと?」
「間違いなく、北東都市の部隊です」
「直ぐに登殿に連絡だ」
部隊中に響く声で叫ぶことで、登の所に知らせに行く者を選んだ。すると、・・・。
「それでしたら、敵部隊を見てきた。自分が行ってきます」
「そうしてくれるか、それでは、頼むぞ」
息を切らせて話をしている。そんな部下に深々と頭を下げて頼むのだった。
「承知しました」
心身ともに疲れているのだが、上官から頭を下げられては疲れを忘れるほどの嬉しさだったのだろう。直ぐに、自分の馬に駆け寄った。だが、自分が疲れている以上に馬も疲れている姿を見て他の馬を探そうとするのだが、嬉しそうに身体にすりよって背に乗るように求めてくるのだった。
「愛馬よ。頼むぞ」
常になら嘶きを上げて駆け出すのだが、疲れているのか鳴かずに駆け出した。もしかすると、頭の良い馬なので、疲れを悟られると、馬の世話役の空(くう)に引き止められると思っているかもしれなかった。
「この場に待機する準備をしろ。それと、周囲の警戒も怠るな」
馬の姿が消えると、部隊の者たちに指示を伝えた。そして、心配なのだろう。
「頼むぞ」
囁きのように呟いた。その言葉は誰にも届かなかった。だが、その思いだけは届いたのか、男と馬は無事に中継拠点に着く事ができた。
「登殿は、登殿は、どこでしょうか?」
ふらふらと、今にも倒れそうな状態だった。それでも、立っていられるのは、任務と思っているからに違いない。
「急ぎの用件なのだろう。馬は預かるから知らせに行け。恐らく、宿舎にいるはずだ」
「ありがとうございます」
「礼などせずに、さっさと行け。緊急なのだろう」
「はい。すみません」
ペコペコと頭を下げて、緊急なのか思える様子を表しているのには、恐らく、愛馬の様子が心配なのだろう。だが、そんなことをしていられないのに、気が付き宿舎に走りだした。そして、扉を開けると同時に叫ぶのだった。
「登殿。登殿は、どこですか?」
「誰だ。何を騒いでいる」
一階の喫煙所に居たのだろう。それも、何度目かの建設の進む具合を見回り、やっと一本目の煙草に火をつけたところを邪魔された。そんな苛立ちの表情を浮かべて現れた。
「忙しいところを邪魔してすみません」
鬼のような表情を見て、用件を伝えるよりも謝罪をしてしまった。
「あっ・・・料理長と共に帰らなかったのか?」
「いや、その、共に行ったのですが、その・・その・・・」
「一人で何をしに帰ってきたのだ。それよりも、まず、落ち着け」
「はい。はい」
指示の通りに、大きく息を吸い込んで吐き出した。
「何をしに帰ってきたのだ」
「それが・・・・・」
「あっああ・・・私用で戻ったのだろう。言い難いことなら問い掛けないことにする。だから、早く戻るのだな」
「それが・・・お待ちください」
登は用件が済んだと、喫煙所に戻ろうとしていた。
「まだ居たのか。いつか言うつもりだったが、俺以外の時でもおどおどとしているのか?」
「いえ、その、料理長の使いできました」
詰め寄られて、答え安い方を選んだと思えた。
「なんだと、なぜ、それは早く言わないのだ」
「すみません。すみません」
「それで、何があった?」
「森の道の出口を北東都市の部隊が塞いでいるのです」
「なぜ、それを早く言わない。それで、部隊の規模は?」
「二大部隊、いや、三大部隊程の規模でした」
「それ程の・・・・むむ・・竜二郎殿の予想が当たったか」
登は顔を青ざめた。
「何て知らせたら良いでしょうか?」
「それよりも、竜二郎殿を呼んできてくれないか?」
「承知しました」
登の指示を受けてから辺りを見回した。すると、人垣に囲まれているのを目に入り。恐らく、中心にいるのは竜二郎のはずだと感じて走り出したのだ。
第七十四章
一人の男が人垣の中を泳ぐように進み続けていた。そんな波となる人たちは、中心にいる者の話しで、海の中を漂うクラゲのように翻弄されていた。
「あっ・・・あのう・・・登隊長から・・・あの」
モグラ叩きのモグラのように人垣の上から顔を出しては叫んでいた。だが、なかなか気が付いてくれなかったのだが、やっと、目的の者との視線と視線が合うことができた。
「どうした。登の部下だろう。何か遭ったのか?」
隊の長が言葉を掛けたからだろう。人垣は、まるで、開幕の舞台が始まるのを見るかのように、男を中心にして開かれた。何度も飛び跳ねていたからだろう。直ぐに言葉は出なかった。
「違うのか?」
「そうです。登隊長が直ぐにお会いしたいと・・・・ですから・・・」
「分かった。今直ぐに共に行こう」
直ぐには行けない。と伝える考えだったのだろうが、男のオドオドする態度を見てしまっては、思いを言葉にすることが出来なかった。
「ありがとうございます」
「構わない。大体の予想はしていたことなのだ」
独り言のように呟きながら登の所に行くのだった。
「お呼びしてすみません。竜二郎殿」
「やはり、悪い知らせなのか?」
登は、周りの人たちに分からないように頷くのだった。
「内容が内容なので中で話をしませんか?」
「そこまでする必要はないだろう。それに、落ち着いて考えている時間もないはず」
「確かに」
登は一瞬だけ思案した。それは、立ち話をしていれば世間話し程度の会話だと考えた。
「それで、何があったのだ?」
「森の道を二、三大部隊の規模で塞いでいるのです。都市の方の情報はまったく分かりません。恐らく、都市の方にも相当な数の部隊が包囲しているはずです」
「それは、当然だろう。だが、そこまでの規模で来たか」
「お力を貸してくれますか?」
「当然だろう。だが、森の道を塞ぐ兵士の規模だけでも、俺たちの兵力よりも上だな」
「そうなります。こちらは、中隊が四つですから二大部隊と考えても、恐らく、敵の方が上になるでしょう」
「そうだな。同等と考えるのは危険だ。それに、補給部隊なども必要だ。それを省くと、兵員の数が少なくなるぞ」
「だが、今回は、兵員を省く事はできない」
「むむ・・・・全軍で行き、都市まで無理やりでも突破するしかないか」
「何も作戦を考えずに突破できますでしょうか?」
「それでなのだが、その部隊の旗の色と模様は分かれば教えて欲しい」
「分かるか?」
登は隣い居る者に視線をむけた。その者は使いに来た男だった。
「むむっ確か、蒼の旗色に黄色の絵が描かれていました。その模様は・・・」
「蒼の旗か・・・・もしかして、蛇と鳥の絵柄(紋章)ではなかったか?」
悩む姿を見て、その者が旗色を言うと、何か思い出したかのように問い掛けたのだ。
「あああっ間違いありません。そうです。蛇と鳥の絵柄でした」
「それなら、西都市の部隊が都市に入るだけなら何とかできるかもしれないぞ」
「本当ですか」
「ああ、その両家は、親の敵とでも思っていると感じる程に仲が悪いのだ」
「なぜ、それが分かるのです。旗の色なら確かかもしれませんが、模様までは、今の話しでは確実とは思えませんよ」
「もし、模様が違っていても、同じ蒼の旗なら何とかなる。それはな・・・・」
「はい」
「特に、北東都市ならば、領地別に旗の色が決まっているのだ。それも七色で色分けをしている。我が東都市で例えるなら近衛隊と都市内の部隊は黒地に金の模様だ。そして・・」
竜二郎は、自信満々に話しだすのだった。
その話の続きは・・・・現代的に例えるのならば首都の警護が近衛隊の黒の旗で、渋谷区、新宿区などのように別々に旗色が決められていた。その中の市、町(個人の領地)で模様(紋章)が使われていたのだ。それで、竜二郎が良い考えだと思った理由は、同じ旗の色でも血族ではなかった。そのために、競争意欲からの諍いが多くて共同の作戦など出来る筈がなかったからだ。それだけでなく、指揮の誤りと感じたのだ。普通ならば指揮の指示を下す。その見易さと作戦指示を伝えるために、旗の違う血族や知人で共同作戦をするはずなのだ。それが、同じ旗の色なのが分かり。間違いなく成功すると思ったのだ。
「それだけでなく、我が騎馬隊を信じろ」
「そうでした。最強の騎馬隊の力なら西都市に帰れるでしょう」
「そうだろう。安心してくれ。そして、あの執事に計画を考えてもらうしか、西都市を守ることはできないだろう」
「執事・・・ああ、小津殿ですね」
「ああ、小津と言うのか、その者の知恵を借りるしかないぞ」
「ですが、良い知恵を出してくれる保障がありません」
「だが、登殿の部隊が都市に帰らなければ、都市は間違いなく占領されるぞ。それにだ。あの執事なら良い知恵は考えてあるはずだ。恐らく、計画準備は完了してあり、登殿が帰ると同時に実行するのかもしれないぞ」
「そうかもしれません」
「だから、今直ぐに出発の用意をしろ」
「お力を貸して頂きます」
「何度も言わなくて良い。三十分で用意を終わらせろ」
「はい」
「全部隊で西都市に帰るぞ。即座に出発の用意だ」
登は声が嗄れるほどの叫び声を上げた。それに応えるように中継拠点の全てに届く大声量だった。そして、西都市の部隊員の叫びが消えると・・・・。
「我が、東都市の部隊は、西都市の危機を救いに行くぞ」
竜二郎が叫ぶのだった。この叫びには、二つの都市の部隊の声で、もしかすると、街道中に届くかと思われる響き声だった。その勢いのまま準備を速やかに終わらせて、西都市に向かうのだった。だが、急がなければならないはず。それなのに、西都市の徒隊が先頭で、東都市の騎馬隊が後からなのだ。
「心配そうだな」
登は、自分の隊の不安な表情と竜二郎の顔を交互に見ていたのだ。その様子を見て、竜二郎が声を掛けた。
「自分の隊の半数が徴兵された者たちですから心配なのです。もし宜しければ、作戦を教えてくれませんか?」
「作戦と言うほどのことではない。徒隊だけの軍だと思わせたいだけだ。その場合は通常の戦を考える武将なら遠投用の弓を放ち終えた後、剣での戦いに変えるだろう。その変えようとする時に、騎馬の全軍で敵を翻弄させるのだ。その隙に都市に入ってもらう考えだ」
「なるほど、素早く動く騎馬隊では遠投用では役に立たない。それだけでなく、剣を抜く余裕も与えさせない。そう言うことか」
「そうだ。少々の間だけ矢を防いでもらうことになるが問題はないだろう」
「はい。何をするか分かるのなら耐えてみせます」
「長い時間ではない。だが、一番の重要なことだが、俺の掛声と同時に全ての兵は街道の端に移動して、馬が走れる場所を開けてもらわなくてはならないぞ」
「承知しております」
登は簡潔に答えるだけでなく、鋭い視線で意気込みも伝えた。そして、片手を振って料理長を呼んだのだった。何を言われるか想像ができていたのだろう。三人の伝令者を連れてきたのだ。
「指示を全部隊に伝えて欲しい」
料理長だけに伝えるのは時間の無駄と考えたのだろう。三人の伝令者にも聞えるように指示を伝えた。
「承知しました。今すぐに伝令者を走らせます」
料理長は、三人に視線だけで指示を伝えた。その気持ちが伝わり直ぐに駆け出したのだ。
「新殿。何が遭っても側から離れないでくださいよ」
全ての心配事は終わり。後は実行だけだと安心したのだろう。優しく新に言葉を掛けたのだ。もしかすると、新に伝えることで何か不具合があるか、それを確かめたかったのかもしれない。それに、気が付いているのか、新は・・・・・。
「はい」
満面の笑みで思いを返したのだ。その笑みを見て、誰一人として微かな不安も感じる者はいなくなった。それから、不安が消えたからだろうか、少々だが徒隊の移動速度が速くなった。この速度の結果は、勿論、新の笑みのお蔭だ。それは、美雪と新が結ばれるための運命の修正の一つであり。また、新たな赤い感覚器官の運命の修正の始まりでもあった。
「承知しました」
隊は街道を同じ速度で進み続ける。だが、その中の一人の男が駆けては止まり。又、駆けては止まり。と慌しく何かを伝えているようだった。そして、今度は全速力で先頭の方に駆け出したのだ。恐らく、登に何かを伝えに行くのだろう。
「全ての者に指示の伝達が終わりました。指示があれば直ぐにでも実行できます」
「ご苦労。その時は指示を伝える。それまで待て」
「承知しました」
深々と頭を下げると、自分の班に戻って行くのだった。
「今回の篝火の点検と補充で最後だ。後の残りは帰りにする。それよりも、街道の出口に急ぐぞ。俺の歩調に合わせろ」
普段なら偵察を送るのだが、街道の出口に必ず敵が待ち構えているのなら危険で出せないだけでなく、偵察する意味がなかったのだ。
「登殿。そんなに急ぐ必要はないぞ。もし、出来ればと言うよりも、北東都市の軍が朝食を食べ終える頃に、偶然に鉢合わせしたと装いたいのだ」
「だが、西都市が攻められている可能性があるのだぞ。少しでも早い方が良いと思うのだが・・・・違うか?」
「正直に言おう。北東都市と交戦した場合は、俺の隊も、登殿の隊も走り回らなければならない。そのために、途中で休息した方が良い。それよりも、騎馬隊が自由に駆け回れるためには、日が昇っている時でないと意味がないのだ」
「あっ、そうだった。すまない」
「やっと、落ち着いたか、これで、まともな判断が出来るようになったようだな。もしかすると、正気を失うほどの想い人でもいるのか?」
「からかわないでくださいよ」
「すまなかった」
二つの部隊は、時間的に余裕が無い為に、行進し続けながら作戦予定を全ての隊に知らせたのだ。そして、街道の出口から一キロ手前で行進は停止した。その理由は・・・。
「登殿。御待ちしていました」
料理長の部隊が待機していた。直ぐに挨拶に現れたのは、部下たちが周囲を監視していたから出来た事だった。
「この場で明日まで休息をする」
登は自分の部隊に指示を叫んだ。その後、竜二郎と新に視線や腕の仕草で共に付き合って欲しいと伝えたのだ。
「料理長」
「何でしょうか?」
「食料の物資はあるか?」
「あります」
「四部隊に行き渡るほどか?」
「豪華とは行きませんが、空腹を満たす程度ならあります」
「安心したぞ。料理長、済まないが、皆に食事を食べさせてくれないか」
「構いません。それでは、自分が指示を伝えてきます」
「それでは困る。誰か他の者に頼んで欲しい」
「達也。達也は居るか?」
登からの指示を聞き、達也に向けて手を振ったのだ。
「料理長殿。何の御用でしょうか?」
「全ての者に食事の用意を頼む」
「はっ、ですが、先ほどは火を熾すことは、敵に見付かるために危険だと・・・・」
「今と先ほどでは違う。四部隊が待機しているのだから危険は無いだろう」
「承知しました」
達也が指示を受けて駆け出した後、五分が過ぎると所々で火を熾す煙が上った。
「任せても大丈夫だろう」
「その様ですね。それでは、天幕の中へ」
「ああ」
登の返事で四人の男達は天幕に中に入った。直ぐに竜二郎が話しだすのだった。
「日の出と同時に出発ですか」
竜二郎から全ての作戦を聞かされて、料理長は不審を問い掛けるのだった。
「そうだ」
「ですが、街道の出口を突破したとして、都市の周りにも部隊が居る可能性は高いですぞ」
「確かに、こちらの都合の良い考えの作戦だが、それに懸けるしかない。もし困難な場合は退却の指示を伝える。その時は死ぬ気持ちで逃げろ。次の機会の時は北東都市から万全の準備をして戦おう」
「それは、都市を放棄しろ。その可能性も考えろ。そう言うことですか?」
「もしもだ」
「新殿?」
三人の男たちは、言葉を口にした後、新に答えを求めた。
「大丈夫ですよ。成功するはずです」
新は、三人の男に問われて、何て答えて良いのかと悩んでいた。何か不吉な嫌な気分を感じるが、それを伝えることは出来なかった。それと同時に、計画は成功するとも感じていたからだ。それに、行動を起こす前に不吉なことを言うのは止めた方が良いだろう。と考えていたのだ。
第七十五章
日が昇り辺りが明るくなり始まるのと同時だった。第3号街道とも、親しみを込めて森の道とも言われる街道を大勢の部隊が西都市の方行に行進していた。その者達は、恐怖からだろうか、殆どの者が無言で歩くだけでなく、自分では気が付いていないだろうが、精神の安定のために違いない。まるで、決められた時間でもあるかのように大きな溜息を何度も吐くのだった。そんな雰囲気に耐えられなかったのか、それとも、一番身近な者だからか、いや、占いとでも感じているのか、登が新に言葉を掛けた。
「新殿。怖いか?」
「はい。少し怖いです」
「そうだろう。そろそろ、森の道の出口が見えて来る。勿論、北東都市の軍が待ち構えているのだ。俺も他の者も怖いのだぞ」
「えっ」
「あっはぁ。驚くことではないだろう。生死を懸けた戦いだぞ。誰でも怖いのは当然だ。だが、俺や、料理長は、いや、指揮官は怖くても無理に笑う者や勝つと自信満々の表情を浮かべるのだ。だから、新も出来る限りでいい。もう少し気持ちを解してくれないか、指揮の影響もあるが、そんなに怯えてしまっては、いざと言う時に身体が動かなくて危険だ。確かに、絶対の保障は無いが徴兵隊は守って見せる。俺達を信じて笑ってくれないか?」
「はい」
新は、故意にしたのか、恐怖を消すことが出来なかったのか、顔面神経痛のように片方の表情だけが笑みのように浮かべた。
「ぶっははは」
登は、新の顔を見て爆笑した。
「えっ」
新は、驚いた。もしかすると、この笑みも運命の修正なのだろうか、全ての隊の者が笑みを浮かべて恐怖からの緊張が解けたのだ。これが合図だったかのように十分後・・・。
「北東都市の軍です」
「そうだな。合図を鳴らせ」
「承知しました」
登の指示で法螺貝の音が鳴り。それは、東都市の最後尾まで聞こえる音が響いた。
「何か変な陣形だな。何かの作戦か?」
普通なら街道の出口に扇状に並び、全ての兵が弓を放てられるように陣を置くのが普通なのだが、北東都市の部隊には秩序が無いように思えた。それは、まるで、報奨金をちらつかせて好き勝手に戦え。そんな状態に感じたのだ。
「遠目人。弓矢の種類が分かるか?」
遠目人とは、隊の中で眼が一番良い者で、敵の陣形や武器の用途を確かめる者だった。
「長距離用です」
正確的に弓を見ていたと言うよりも、敵の様子を見ていた。全ての者が座って足で弓の弦を引いて矢を放とうとしていた。
「全隊員は上空を警戒。盾を頭上に構えろ」
法螺貝の音が三度も変わった。それぞれの意味があった。恐らく、一度目は敵の警戒。二度目は盾の指示。そして、最後の指示は、隊の後方でいつ走り出すかと待機している。東都市の騎馬隊に道を開ける指示を受けて、西都市の隊は行進しながら後方から少しずつ街道の端に隊員の移動をさせる。その指示だったのだ。
「バララ、バララ、バララ」
雨のように矢が降り注いだ。
「耐えろ。行進続行」
指示のように行進し続けた。まるでアルマジロがのろのろと動くようだった。耐えに耐え続けた。恐ろしい矢の降り注ぎだが、誰も矢の犠牲になる者はいなかった。それほどまで、盾の防御の構えだったのだ。そして、そろそろ、短距離の矢が届きそうな距離に近づいた時だった。この瞬間を、登と竜二郎は待っていたのだ。
「道を開けろ」
西都市の部隊は街道の左右の隅に移動した。そして、土煙を最大に上げながら騎馬隊が駆け出したのだ。北東都市の軍まで五十メートル。短距離と長距離の弓矢に変えるか迷う所だった。そんな距離のために騎馬隊に矢を放つことが出来たとしても当たるはずもなく。とっさに短距離の弓に変えようとしても間に合うはずもなかった。それに、もし、扇状に部隊が並び、全ての兵が弓を放てられる陣だったならば騎馬隊の速度も少しは落ちて何人かに矢を当てることもできただろう。もしかすると、部隊戦力から安心して指揮官がふざけた命令でも出したかのようなのだ。その指示は、まるで、街道を占守できた者には賞金を出す。そんな個人ごとの仲間のような点々と固まる陣形だった。これでは、掃除機が所々にあるゴミを吸い込むような感じで安易に陣形を崩す事ができた。それほどまでに安易に蹴散らしたのだ。
「今だ。西都市の門まで死ぬ気で走れ」
竜二郎が叫んだ。
「うぉおおお」
西都市の全ての隊員は指示に従った。それも死ぬ覚悟で駆け出したのだ。だが、先ほどは砂塵に隠れることで、森の道の出口で待ち構えている敵に発見を遅れることが出来た。それだけでなく、殆どの敵を騎馬隊で蹴散らせることが出来たのだ。だが、今度は逆に砂塵のために北東都市の新たな敵の発見が遅れた。それでも、まだ救いはあった。北東都市の部隊は強力な弓を引くために地面に座っていたのだ。それだけでなく、長距離用の弓で都市の中に少しの時間も空けずに夢中で矢を放ち続けていたのだ。そのお蔭で、西都市の部隊の発見が遅れただけでなく、即座に、短距離用の弓矢に変更ができなかったのが救いだったのだ。だが、辺りを見回せば、全てが敵の部隊では予定通りに門までは着けるはずがないだろう。そして、恐れていたことが・・・・・。
「行進を停止。盾を上方、右翼側にも構えて防御だ」
「バラバラ、バラバラ」
矢が当たる音で音楽が奏でられると感じるほどの矢の嵐だった。それも、あらゆる角度から放てられるのだ。時間が過ぎるにしたがい盾と盾の隙間から矢が飛び込んでは人に当たるのだ。まだ、致命傷の者いないが時間の問題だと思えた。
「何をしている。止まっていては狙い撃ちされるぞ」
竜二郎が騎馬隊で移動しながら言うのだった。登は、その言葉を聞いて唇を噛み締めながら最後の手段を叫ぶか迷っていた。
「何をしている。早く動け」
その言葉で決断した。
「料理長。徴兵隊を囲え」
即座に部隊は動いた。徴兵隊を囲うように円のように陣形を作った。そして、登は配置を確認すると、・・・・・。
「徴兵部隊を庇いながら門まで一列に並ぶのだ。先に徴兵隊を都市に入れるぞ。急げ」
指示の後、盾で防御しながら移動するのだった。その陣の姿は、まるで、大根の桂剥きのように薄いだけでなく長い陣だった。その端であり先頭の者たちは西都市の門まで駆け出した。それに逸れないように他の者も続けて駆け出して列を作るのだった。一分、二分と時間が過ぎると、桂向きのように薄い長い陣だったのが、盾の絵柄の着物の反物のような厚みの長い陣に変わった。
「徴兵隊は上方からの矢を防御しながら門の中に急げ」
駆け出すと言うよりもゆっくりの歩きで、一人、二人と都市の中に入るが、それと同時に、途中で一人、二人と怪我人が増え出した。だが、徴兵隊以外の者達が矢に当たっても死ぬ気で守っている姿を見ては、痛みなど感じないのだろうか、その場で止まる者は誰も居なかった。そして、全ての徴兵隊が都市に入る前に、防御が崩れて、料理長の部隊から倒れる者が現れた。そうなると、次々と倒れる者が増えて、徴兵隊からも倒れる者が出てきたのだ。
「何をしている。防御が崩れてきたぞ。気合を入れろ」
料理長は叫び、倒れた者の所に行っては指示をしては補佐に入る。それを繰り返ししていた。
「登隊長。新殿」
登と新は一番後方から様子を見ていた。すると、料理長が一番可愛がっていた。隊で一番の年少の者が叫びながら二人の居る後方に向って駆けて来るのが見えたのだ。登と新は、何かが起きたと、その言葉に耳を傾けるのだった。
「何があった?」
「それが、はっはぁ。それが、はっはぁ」
息を整えているのか、それとも、信じられないことでも起きたかのような話し方だった。
「落ち着け、落ち着け、何があったのだ?」
登の言葉で安堵したのか、それとも、息の整えが出来たのかもしれない。
「登隊長。新殿。礼二隊長が、敵の矢に当たり亡くなりました。それも、徴兵隊を庇うためでした」
「何だと」
「礼二殿?」
「そうです。料理長のことです。それと、猛も亡くなりました」
「うそ。嘘だ」
新は、料理長と猛が亡くなったと聞くと、狂ったように泣き叫んだ。
「僕も、僕も、力を出して守らなければ、守らなければならない」
何を考えているのか、突然に水筒を取り出して左手に水を掛けたのだ。
「何をしている」
「守らなければ、守らなければ」
「守る?。新殿。何を言っているのだ」
新は、料理長と猛の命が消えたことで我を忘れていた。
「守る」
新は別人のような渋い声を一言呟くと、泣き顔から無表情でぼんやりとしていた。まるで、死んだ者を追いかけるように身体の中には心が無いようだった。それでも、逆に、左手の赤い感覚器官は激しく動いていた。その動きは、自我があるような動きだったのだ。
「登殿。徴兵隊は自分が守ります。だから、他の者は徴兵隊を気にせずに自分の身を守るように指示をしてください」
「えっ」
登は、別人のような声にも驚いたが、言っている意味も理解できなかった。
「信じて下さい。必ず守ります」
新は駆け出すと同時に叫んだ。
「徴兵隊は、盾と剣を捨てろ。弓だけを持って、自分の後に続け」
新は簡潔に指示を伝えた。
「えっ・・・矢の嵐が止んだのか?」
誰も、言葉に従う者はいなかった。それでも、新の叫びと同時に矢が盾に当たる音が急激に減ったのだ。何かある。良い作戦でもあるのだろう。と、新が下に集まった。
「登殿。自分の隊に指示をして守ってくれ。徴兵隊のことは考えなくて構わん」
「えっ・・・・・ああ、陣を渦巻き陣に変更だ」
新の指示で徴兵隊は動き出した。
「おお」
登は驚きの声を上げた。何を見たか、それは、信じられない光景を見たのだ。走り回るだけなのに矢に当たらないのだ。それだけでなく、攻撃までして敵を引き受けてくれるのを見た。新と徴兵隊は、船の艦隊戦のように一本槍のように進み出した。それは、先頭の新は巨大戦艦のように全ての敵からの防御を引き受ける。後の者は攻撃に専念して敵を叩く。そんな艦隊戦のよう動きを見て、登は驚きのあまりに何も思考が出来なかったのだ。
「徴兵隊は、俺の後を一列で付いて来い」
再度の呼びかけを新はした。
隊の長さは二百メートルあるだけなく、敵陣に向ってジグザクと走り回るのだ。敵と正面を向いた時は、死ぬ気で走って敵を誘い。剣が届く範囲まで近づくと、即座に反転する。
だが、最後尾まで指示が届かないために敵の矢の嵐に遭うはずだろう。そう思うのは当然だが、それが良い方行に向いていたのだ。三分の一は新の指示で即座に従って敵を誘うのだったが、残りの三分の二の者は、自分の前列の者の真似をするので丁良いくらいの時間遅れの指示が伝わり。敵を個別に狙える。そんな、上手い具合に指示の伝達が伝わるのだ。その者たちは敵に向って斜めや真横になる列の者たちが、敵に向って弓矢を放っていたのだ。確かに、良い作戦ではある。だが、偶然の結果なのだから普通なら長く持たない。それが長く続くのは、新の左手の小指の赤い感覚器官が延びては縮むだけでなく曲がりくねって、全ての矢を叩き落としていたからだった。
「登殿。竜二郎殿。今だぞ。直ぐに都市の中に逃げろ」
新の指示に従い。二つの部隊は都市の中に逃げたことで全滅は回避された。それでも、新は走り続けて、敵を撹乱しては敵を倒し続けた。だが、時の流れの自動修正の意思なのか、新は、血の臭いなのか、血を見たからだろうか、正気を失っていた。
「新殿。もう良いぞ。都市の中に入れ」
登と竜二郎は、門を閉めずに叫び続けるのだったが、新は・・・・・・。
「仇を討つぞ。よくも、よくも、友達を殺したな」
完全に正気ではなかった。何度も同じことを呟きながら左手を左右だけでなく上に下にと回して、まるで、部隊の指揮をしているように見える。だが、それは、違うのだ。左手を振り回していたのは、新の意思と、時の流れの意思である自動修正からだった。左手の小指の赤い感覚器官は、その意思を受けて動くのだ。その動きは敵の矢だけでなく敵の体も貫いていた。時間が惜しいからだろう。身体から直ぐに抜かれ、敵の生命力を直ぐにでも消滅させるために体外に血を噴出さた。そして、血に飢えた獣のように次々と別の者の身体を貫いては敵を倒していた。そんな、新の状態を見て・・・。
「駄目だ。新を止めなければ、まさか、血を見て狂ったか?」
「確かに、正気とは思えない。助けなければ」
「なぜです。敵を撹乱させるだけでなく、多くの敵を倒しているのですよ。このまま続けば敵を撤退させる事が出来るかも知れません」
部下の一人が、不審を感じて問い掛けたのだった。
「見て分からないのか?」
「そうだぞ。時間の問題だ。何時、自滅してもおかしくない状態だ」
「えっ・・・自滅・・・まさか・・・登殿・・・竜二郎殿・・・なぜ?」
部下の問いかけは当然かもしれない。だが、登と竜二郎なら指揮している経験から敵の部隊の配置や自分の部下の力量などから判断して勝機がわかる。その理由は、その場の雰囲気や戦いから天候からも予想ができるのだ。今の新の勝機は良い方行に向いているが時間の問題だと感じるのは当然だった。人の体力の限界からも戦い続けられないはず。それだけではない。想像を絶する敵の数もある。確かに、今は偶然の結果で、敵も撹乱されて乱れている。それも、そろそろ、作戦は見抜かれて陣形も整い始めている。その様々な判断から限界だと、二人の指揮官は判断したのだ。
第七十六章
西都市の周囲では、まるで、竜が低空飛行で砂塵を巻き上げながら飛んでは、地表にうごめく餌と思っている生き物を食べている。北東都市の部隊には、そう感じるのだった。
「よくも、よくも」
新は駆け回る。新が頭で他の者たちが胴体と感じられた。それは、まるで、疲れを感じるはずのない。架空の生き物の竜になったかのようだった。だが、登と竜二郎が判断したかのように他の者たちは疲れを表していた。
「突進を敢行する」
「うぉおおお」
隊の叫び声を聞き、自分の身体の後ろに隠れているのを確認後・・・・。
「続け、続け」
再度の命令後、一瞬だが振り向いた。その時、列から食み出ている者たちを心配と同時に、最適な配置場所に来たとして指示を下した。
「敵が見える他の者は右翼側に向けて射手。矢を敵に放ち続けろ」
その指示は新を先頭として最後尾まで伝わるのだが、時間差あるために、まるで、蛇が地を這うような波打つ動きだった。それだと、指示の伝達の遅れで敵の標的になる。そう思われるだろうが違うのだった。新の指示の通りに動く者、遅れても体の後ろに隠れられる者ならば予定される行動を起こせるのだ。その狙いは、敵に向って突進する。威嚇だけの目的だった。敵からは刀や槍での接近戦をするのか、それとも、新を盾として弓矢の攻撃かと、迷わして敵部隊を撹乱させて惑わすのが目的だった。それ以外の者たちは湾曲して列から食み出てしまうが、敵が撹乱している姿が見えて絶好の射手の的だったのだ。それだけでなく、先頭の新が左手の小指の赤い感覚器官で、何が起きたのか、と恐怖の表情を浮かべて倒れる姿や自分の手元の武器が落とされるのを見ては、驚きが倍増するのだった。その新の動きが竜の頭であり。胴体が徴兵隊の者たちだったのだ。
「駄目だ。隊が崩れる前に助けに行くぞ」
竜二郎が言葉にした通りに、隊に隙間が生じてきた。このまま続けたら、一頭の竜でなく、二頭、三頭の竜になって隊が崩壊すると感じたのだ。
「確かに、そうなるのは確実だ」
「俺の騎馬隊で、新の撹乱の作戦は続ける。その間に新殿を正気にさせて、徴兵隊を都市の中に避難させてくれ」
「分かりました。後の、作戦の続行を頼みます」
「気にするな」
「それでは、竜二郎殿。お気をつけて」
「ああっ、登殿もなぁ」
登に手を振ることで感謝を表した後、同じ手で部下にも出発の合図を送ったのだ。
「うぉおおおおおお」
騎馬隊は、一頭の指揮官が乗る馬の後を追った。直ぐに追いつけないのは操縦の連度もあるだろうが、辺りは敵、敵しか見えず。部下達は恐怖を感じているに違い。だが、その死の恐怖を消そうとして心の底から叫び声を上げているはずだ。それだけでなく、再度の恐怖を思い出さないように隊長の背中だけを見るのは、まるで、渓谷の釣橋を渡るのに一歩を踏み出した勇気が、谷底を見てしまい恐怖が湧き上がったのと同じはずだろう。
「続け、続け」
「うぉおおお」
竜二郎は、部下に叱咤の声を上げた。その指示は、自分に迷わずに着いて来い。と言うよりも、叫び声を上げ続けろ。その叫び声で新を正気に戻すためでもあり。新の部隊に援軍が助けに来た。と知らせる目的なのかもしれなかった。
「どこだ?」
敵が多いだけでなく敵が混乱しているために安易に見つけられなかった。先ほどは都市の決まった地点からであり。遠くからなら探すことができたのだが、新は変則的に動いているために探し出すことができなかった。そんな、竜二郎は、苛立ちを感じていたのだろうか?。
「うぉおおお」
騎馬隊は指示の通りに叫び続けた。だが、そんな、部下の気持ちが分からないのだろう。竜二郎は聞えていないかのように新を探すのだった。
「新殿。どこだ。新殿。どこだ。どこだ?」
そんな時だった。
「竜二郎殿。そのまま真っ直ぐに走り続けてください。新殿が向ってきます」
登が叫んだ。だが、聞えるはずがないが、新が都市に戻ったとでも感じたのか、都市の方行に視線を向けた。それが偶然にも、登が叫びながら指差す方行を見たのだ。
「許さん。許さんぞ」
新の叫び声が辺りに響いた。勿論、竜二郎の耳にも届いていた。
「新殿。もう止めて都市に入れ」
騎馬隊は、新の姿を見つけると、徴兵隊と並行するように近寄った。その姿は、竜の雌が大事な連れ合いの怒りで我を忘れているのを正気に戻そうとしているようだった。
「邪魔だ。どけ」
だが、新は我を忘れたまま敵を、敵をと、倒す相手を探し続けた。すると、新の耳に、目の前の光景がぶれた陽炎のように違う場所が同時に見えるのだった。それは、美雪の村が襲われる場面、親しい村人が殺される場面、美雪が、二親が襲われる場面と、赤い感覚器官が敵の身体に刺さると、次々と場面が見えるのだ。それでも、又、敵の身体に貫き血が噴出して命を奪うと、一つの場面が修正された。その者の命を助けることができた。と、感情的にだけ感じるのだった。だが、終わらない。左手の赤い感覚器官は、正確に矢を弾き返すだけでなく、敵の身体に貫いては引き抜き、又、新たな敵の身体を貫いていた。
「後ろを見てみろ。皆は、もう走るのは限界だぞ」
「敵は、敵は、俺の友を殺した者は、誰だ。どこだ?」
「いい加減にしろ。徴兵隊の全員を殺す気持ちか?」
「殺す?」
その一言で、新は反応を表した。だが、左手の小指の感覚器官は動き続けていた。
「そうだ。このままでは全滅だぞ。直ぐに都市の中に入れ」
「全滅?」
気持ちが此処にあらず。そんな返答だった。
「そうだ」
「都市に?」
「そうだ。いい加減にしろ。都市に直ぐに入れ」
「直ぐに?」
「そうだ。いい加減にしないと、騎馬隊の全軍は西都市に帰るぞ。まだ、死人は出ていないが、可なりの数の怪我人が出ているのだ。それにだ。まだ、死んだ者は都市の中の地面に放置したままなのだぞ。それでいいのか、家族に会わせる事もしないのか?」
「放置・・・・・家族・・・・」
「正気に戻れ」
竜二郎は、喉が潰れるほどの叫びを上げた。だが・・・・・。
「あっ・・・・」
新は正気に戻らず。竜二郎は、皆の命を守るために新を無視して、自分が考えていたことを決断するしかなかった。
「駄目だ。騎兵隊は、俺と新を残し、徴兵隊を援護しながら都市に帰れ」
「・・・・・・・」
徴兵隊の者たちは、新に視線を向けた。
「死になくなければ、俺に従え」
皆の命を助けたい。その気持ちが心の底から湧き出している。それが、伝わったのだろう。それと、女性の声が聞こえたのだ。美雪は、新から重く、暗く、温かさも感じない。氷のような冷たい。まるで別人の感情を新から感じて、思いを送り続けていたのだった。
その想いと、皆の命の重みを感じて正気に戻ったのだった。
(新さん。私の言葉が聞えないのね。それに、新さんの声も聞こえないわ。でも、温かい心は戻ってくれて良かったわ。また、新さんに話しかけるわね。元気でね)
「皆で都市に帰るぞ」
美雪の言葉は聞こえないが、それでも、想いは伝わった。そのお蔭で、新の声は小さいが正気だと感じる声色だった。
「正気に戻ったようだなぁ」
「俺の隊は気にせずに、先に騎馬隊は都市に帰ってください」
「ああ、今の状態なら大丈夫だな」
「そんなことを言っている時間などない。早く都市に帰れ」
「ああっ、そうさせてもらう」
「俺たちも都市に帰るぞ」
「騎馬隊も都市に向かえ」
二人の声は重なって大きくなり、二つの部隊の末端まで指示が届いた。だが、敗走のように一目散に逃げる訳ではなかった。赤い感覚器官と撹乱作戦に、竜二郎の騎馬隊の援護で、命を落とす者は、誰一人として居ないまま都市に帰ることができたのだ。だが、騎馬隊の方では、可なりの怪我人が出ていた。
「新殿。皆、無事だったか?」
「・・・・・・」
登は、新の所に駆け寄り無事を確認した。だが、新は無言で何かを考えているのか何も答えなかった。疲れていると感じて、そのままにした。それよりも、徴兵隊の様子も気になったのだろう。だが、無事なのを見て安心したのだったが、騎馬隊の矢の傷が酷いことに何も言うことができなかった。だが、それでも・・・・。
「竜二郎殿。本当に済まない」
「新殿と、徴兵隊の者たちは無事なのか?」
竜二郎は自分の怪我や部下の怪我よりも徴兵隊を気にしたのだ。
「はい。不思議なことに、誰一人として怪我人もいません」
「それは、良かった・・・・それより、新は元気がないようだが大丈夫なのか?」
「疲れているのだろう」
「そうだな。初めて戦ったのだろう」
「ああ」
「なら、無理もない」
誰も指示もなく、心底から感謝の気持ちを伝えたいのだろう。徴兵隊の全ての者が、東都市の騎馬隊の所に駆け寄った。
「疲れただろう。早く休め」
「私たちよりも、隊長や騎馬隊の人たちの方が心配で・・・心配で」
徴兵隊の者たちは済まない気持ちからだろう。休もうと思う者はいなかった。
「無事で良かったな」
「こんな傷なんて直ぐ治る。気にするな」
「そうだぞ。俺たちは騎馬隊だ。こんな傷なんていつもの事だ。だから、何も気にするな」
登と竜二郎は、そんな部下達の様子を見て、指揮官として命令を伝えたのか、それとも、新が他人事のように都市の外の様子を耳で感じ取っていたので怒りを感じたのだろうか、自分の部下達に命令を下した。
「早く怪我の治療をしろ。直ぐに戦いになるか、東都市に帰るかもしれないのだ。あまり時間はない。少しでも体を休めておけ」
「それは、徴兵隊も同じだ。身体を休める時は少しでも休め」
部下達に伝えると、、又、新に言葉を掛けた。
「新殿。料理長たちと、猛の別れをしよう」
「誰が悪いのでない。戦いとは・・・・・」
「それよりも、早く建物の中に入って」
無表情のまま命令口調で、竜二郎と登に言うのだった。
「お前な。それよりも、とは、どう言う意味だ」
「新殿。本気で言っているのか?」
二人の男は、部下の怪我したことや部下が死んだことを侮辱された。そう感じるのは当然だった。その怒りの感情を我慢できるはずもなく、新に掴みかかる勢いだった。
「十分後。風向きが変わると、矢の嵐が来る。だから、直ぐに建物の中に避難しろ」
「えっ?」
「その予想はしていた。たが、十分間では、混乱は収まらないはずだ。それよりも、今直ぐに、訂正しろ。そして、謝れ」
「竜二郎殿。新が言っていることは本当のはずです。直ぐに建物の中に避難しましょう」
「だが、あの言い方は・・・」
登の真剣な表情を見て怒りの感情と言葉を飲み込んだ。それと、都市の市民たちの出迎えが少なかったのと、至る所に無数の矢が刺さっているので信じるしかなかった。
「直ぐに建物の中に避難しろ」
「騎馬隊も退避だ。それと、自分のことだけでなく馬も忘れるな」
「全ての者だ。直ぐに建物の中に非難しろ」
都市の市民たちは、また、矢の嵐になるのは当然だと感じているのだろう。直ぐに建物に非難したが、隊の者たちは、二人の隊長を置いては行けない。それを感じ取って・・・。
「何をしている。直ぐに避難しろ」
「隊長も避難してください」
「俺は最後に行く、気にするな」
全ての者が建物の中に非難した。その後、本当に十分後と言われた。丁度の時間に嵐のように矢が降ってきたのだ。
第七十七章
西都市には恐怖の嵐が再来した。新が予言のように言ったが、都市の中を見回せば、誰一人として嵐の再来は当然だと思っていたのだ。それを証明するかのように、登と竜二郎の部隊が帰ってきても、殆どの者が建物から出ようとしたかった事と、辺りの建物から木々までがサボテンのように矢が刺さっていたのだ。それを見れば、何時、再来する。そんな予想よりも、今直ぐに再来すると考える方が当然だったからだ。それと、一つ不思議な事があった。時間を計っているように三十分だけ矢の嵐が続くと、今度は一時間だけ何の攻撃もしないのだ。都市の住人は矢を作っているのだと思っていたが、戦の経験がある者なら精神的な攻撃だと考えていた。恐らく、二つの考えだと、一つ目は、都市の住人が精神の狂いから都市の中で自滅する。二つ目は、勝てないと考えて白旗を上げて都市から出てくる。そう考えての作戦に違いない。と、そう思案していたのだ。そんな、建物の中に避難して何度目の矢の嵐だろうか、新は、まるで、窓から外の雨でも見ているかのように外の様子を見ていた。
「新殿。そんなに窓の近くでは危ないぞ」
「・・・・・」
新は、振り向いたが、登の顔を見るだけだった。
「あっ・・また、矢の嵐が止んだのか?」
「・・・・・・」
「泣いていたのか・・・・俺が作戦を誤ったのだ。新殿や徴兵隊が悪いのでないのだぞ」
「・・・・」
何一つとして返事を返さずに見続け続けるだけだった。
「お別れをしようなぁ。それと、都市のために働いた結果なのだ。英雄として葬儀してもらおう。それを、主様に許可をもらってくるからなぁ。待っていてくれよ」
「・・・・・」
新の心は殺戮の感情しかないかのように何も関心を示さずに無表情だった。だが、それでも、登の話を聞いた後には頷くのだから人間的な感情は、まだ、微かにあるようだった。そんな様子を見て、登は建物から出ようとした時だった。
「登殿。少し話したいことがある」
「何でしょう。竜二郎殿。あっ・・ですが、主様に伝えに言った後でも良いかな?」
「それは、丁度よかった」
「良かったとは?」
「我が都市部隊の協力要請の返事だ」
「それだけなら、今でなくても」
「まあ、その話も含めてだ。俺も一緒に行って、西都市の主と直接に話しをした方が簡単に終りそうだからな」
「だが、面会ができるかは分からないぞ」
「まあ、それでも良いぞ。だが、その時は言付けを頼むけどな」
「それなら構わないぞ。なら、一緒に行こうか」
「新殿は、一緒でなくていいのか?」
「あっ・・・・・・やめておこう」
新に視線を向けたのだが、外に視線を向けて何かを見ているようだった。恐らく、亡くなった者の事を思い出しているのだろう。それで、言葉を掛けることを躊躇った。
「だが、新殿の思い付きや考えなどを期待しているのだろう」
「それは、そうなのだが・・・・あの様子では・・・・・」
「あの様子では、連れて行っても役にたたないか?」
「いや、そう言う意味でない。同じ村の者や知っている者が死んだのだ。少しそっとしてやりたいだけだ。今まで他人のことに命を掛けて振り回されていた。だから、今は気持ちが落ち着くまで好きにさせたい」
「そうか、そうだな」
(結局、連れて行っても役にたたない。と同じことでないのか)
などと、思っているが顔には出さないで、頷くだけだった。
「竜二郎殿。すまない」
「構わないぞ」
「それでは・・・・・・矢が止んだ。今行くしかない」
まるで、雨が降っているか確認するような気軽さで建物の外を見るのだった。
「そうだな」
二人の隊長が、この場から居なくなる。そうなると、新だけが残ることになるのが、徴兵隊の者たちは心配でもあり。何か遭った場合の対処を考えると怖いのだろう。確かに戦の前までは、新のことを心優しい青年と思っていたが、あの先ほどの戦いを体験したのだ。それで、新は普通の者ではない。そう感じてしまうのは当然だった。そんな、皆の気持ちを言葉にされなくても、二人の隊長が皆の感情を感じ取れるのは、長い戦の経験で当然のことだった。
「あっ」
「ん?」
「あっああ」
二人の隊長は、一瞬で部下達の感情を感じ取り、無言で頷き合うのだった。
「新殿。もし来られるのなら一緒に来てくれないか?」
「俺からも頼むよ。なぁ、新殿」
「構わないです」
「達也。後を頼むぞ。何か起きた場合は知らせに来てくれ」
「承知しました」
この場にいる者たちの安堵の声を聞いて、安心したかのように、三人は建物から出るのだった。行き先は勿論、この都市の主の館だ。
「ゆっくり歩くのでなく走らないのか?」
竜二郎は、空を見ながら言うのだ。まるで、矢の嵐を恐れているかのように早口だった。
「そうだな。まだ、時間はあるが、館の帰りに降られると困るな。急ぐ方がいいな」
まるで普通の雨が降るような緊張のない言葉なのだが、それは、新が落ち着いて辺りを見回しているから矢が降る時間は、まだ先だと、それで、安心しているのだろう。
「急ぐ?」
何かを考えでもしていて、登の最後の言葉だけが頭に残ったかのように問い掛けるのだった。それを、二人の男は聞くのだったが、新の承諾の返事と感じ取った。
「ああ、館まで走るぞ」
「ああ」
二人が駆け出すと、新も後を追った。そして、三人は走り続けて開放された門を抜けた。この辺りには矢が届いていない。それなのに、走るのを止めないのは、少しでも早く西都市の主に知らせに行きたいからだろう。
「登です。至急の御用です」
「待っていたぞ」
登は扉を叩くと、直ぐに小津が現れた。
「右の扉を開けておいた」
指示だけを伝えると、奥に消えようとしたので・・・・。
「新殿と竜二郎殿も共ではいけないのでしょうか?」
「・・・・・」
主に問うか迷っている時だった。建物の奥から言葉が聞えた。
「小津。構わんぞ。共に会うから通すが良い」
「ですが・・・・」
「それ程までの都市の危機なのだろう。それが分かっているから会うのだ」
「承知しました」
小津は普段と変わらない声色で返事をするが、顔の表情では嬉しさを表していた。まるで、孫が正しい行いをして褒めている時のような笑みを浮かべていたのだ。
「小津殿」
「お許しが出ました。さあ、三人で入りなさい」
三人は扉を通り抜けて、主の自室に繋がる廊下の外扉の前で待った。すると・・・・・。
「それで、至急の用件とは?」
小津が扉を開けて現れたのだ。
「分かっていると思いますが、このままでは、都市の門が破壊されて侵入されるか、都市の内部で崩壊するか、他にもありますが、結果は都市の壊滅しかありません」
「そこまで深刻なのか?」
主は自室から出ないが、声だけが聞こえてきた。
「はい。今すぐにでも、恐怖から逃げようとして都市の門を壊しかねません。ですから、その回避のために、小津殿の知恵をお借りしたくて参りました」
「そうだったか、それで、小津。良い考えるあるのだろう」
信頼している部下の言葉を嬉しそうに期待した。それに不満だったのか、竜二郎が・・・。
「それよりも、まず、西都市からの代表として聞いて欲しいことがあります」
「何だ?」
「東都市の代表として伝えたいことがあります。我が東都市の軍は、西都市が都市を放棄する場合なら力を貸しますが、他の軍事行動の場合なら協力はしません。それだけでなく、この会見の後は、東都市に撤退する考えであります」
「竜二郎殿。考え直してくれ。お願いだから頼むから力を貸してくれないだろうか」
「気持ちは分かる。だが、外にいる戦力を考えれば都市を守り抜くのは無理だ。まだ、都市を放棄した後に、奪い取る方が簡単だ」
「本気で言っているのか?」
「指揮官として考えてくれないだろうか」
「指揮官?」
「そうだ。俺は、これ以上、部下を怪我させる命令を出せない。勿論、部下を失うことなど出来ないのだ。だが、援軍として西都市にきたのだ。東都市の名誉と誇りとして、西都市民は守りたい。そのためなら無茶だと思う命令は出せる。それが、都市の放棄が最良だと考えたのだ」
「主様の御前で失礼ではないか」
小津は怒りを我慢している。それが、はっきりと分かる表情で言うのだった。
「謝罪を致します」
西都市の主が居る方行に向けて深々と頭を下げた。
「小津。構わんぞ。意見の一つと考えた。それだけ、深刻な状況だと分かったぞ」
「・・・・・・・・」
小津は、不満そうに、竜二郎を見詰めるのだった。
「それで、小津よ。何か良い考えは無いだろうか?」
「この状況では・・・・・・あるとするならば・・・」
「良い考えがあるのか?」
「あるとするならば・・・・主様の本になら可能性が書かれているかもしれません」
「あの本か」
「そうです」
「本・・・・本・・・・本」
本と言う言葉を聞いて、新の体は痙攣した。この言葉が、新が結ばれるための修正の起点なのだろう。今の状態になる前なら目の前に映像や指示を感じるはずなのだが、別人と同じ状態だからだろう。それで、時の流れの意思は、新の体に無理やりに修正の指示を入れる様子に感じられた。
「新殿。大丈夫か?」
「登殿。落ち着いてくれ、俺は大丈夫だ」
「なら、いいが」
「本とは、もしかして、その内容は、代々の家宝のことが書かれていないか?」
「なぜ、そう思う?」
殺気を感じる。低い声だった。
「ただの勘だ」
「そうかぁ。本は読んでいないが、その家宝のことが書いてあるかもしれない」
(恐らく書いてあるだろう。恐らく、金庫の中にある物を言っているのだろう)
「主様。この新と言う者は、何かと勘が鋭いのです。今まで何度も危機を救ってくれたのです。ですから新の言うことを信じて欲しいのです」
主が、如何わしい占い師とでも思っている。そう感じる表情に思えて話を掛けたのだ。だが、主は、誰も知るはずのない事を言われて驚いていたのだ。
「預言者なのか?」
「そうでは無いのですが・・・・・何て言えば良いのか・・・その・・・」
「まあ。良い。時間もないことだし、言われたように本を読んでみる。その間に、四人で良い作戦があるか考えてくれないか」
「西都市の主殿。我が、東都市の考えは」
「作戦を考えてくれないか、考えるだけでも出来ないと言うのか?」
東都市の主は、自分の指示が承諾しないためと言うよりも、時間が無いために少々無理やりに、竜二郎の言葉を遮った。
「分かりました」
竜二郎は、歳の若い主だから自分の考えに従うとでも思っていたのだろう。だが、支配者とは歳で判断できないことが分かった。それ程までの殺気を感じる視線だったのだ。
「小津殿。何か考えはありますか?」
登は、新と竜二郎に問い掛けても答えないと思ったと同時に、小津なら良い考えを出してくれるのではないかと、救いを求めるように声を掛けたのだった。
「大軍で攻めてきて一気に攻め落とさないのは、出来る限り無傷で欲しいからだ。だから、竜二郎殿の言う通りに、都市を放棄したら戦いはならないだろう」
「待ってくれ。小津殿も、竜二郎と同じ考えなのか?」
「何も考えが浮ばない。せめて、向こうから交渉してくれば何か考えも浮ぶのだが、済まない。本当に済まないが、主様の考えを待つしかない」
四人は無言になってしまった。そして、祈るように東都市の主が居る部屋を見詰め続けるのだった。
第七十八章
東都市の主は、窓から離れて本を手にしようとして手を伸ばした。今までなら愛読書に視線と同時に手も一瞬伸ばすのだが、今は、一冊の本にだけに気持ちが集中していた。そして、今までは執務とでも思っていたかのように本を手に取っていたのだったが、今の状態は、まるで愛読書を読むように木の葉のしおりを抜くのだった。
「これだけの内容なのか、嘘だろう」
驚くのは当然だった。その内容とは・・・・・・。
(この手に持つ者よ。願わくは、自分の先祖が手にして欲しい。と書くが、子孫の間違いと感じるかもしれないが、決して間違っていない。先祖に読んで欲しいのだ。それで、もし、希望の通りなら東都市の周りには、北東都市の軍勢が押しかけているだろう。それも、攻め滅ばされるのが時間の問題。そんな状態のはずだ。それを回避するには、この文書を読んでいるのだろう。それで、確認するが、三冊の本とは別に付属品の確認して欲しい。それが、無ければ何も行動を起こせずに、西都市は壊滅する。その付属品は以下の物だ。筆、墨、硯、水が入っている小瓶と紙片があるだろうか?。まあ、付属品があると断定して話を進める。まず都市の中から五人の絵師を探すのだ。その者たちは必ず居るから安心すると良い。だが、一人は絵師らしく見えるが、他の四人は絵師には見えない。それだけでなく、指師(ゆびし)と言われている。文字の通りの指先で絵を描く者たちなのだ。まあ、その者たちを信じて任せるのだぞ。それで、肝心の絵柄だが、全ての塀の内側を使用して龍の絵を描くのだ。それを描き上がれば何か起きるだろう)
と、今まで違って簡潔に一ページだけに書かれていたのだ。
「小津。済まないが部屋に来てくれないか?」
小津に相談を聞くしかなかった。今までの本の内容なら作戦だと考えられる。だが、今回の内容も都市を守るための作戦らしい。だが、何も知らない。新、登、龍二郎に本に書かれてあることを話した場合は、この都市の状況のために頭が変になったと思われるのは確実だからだ。
「何でしょう。ご主人様」
「内密の話しなのだ。近くに来てくれないか?」
「あっ・・・はい。・・・・・何がありました。ご主人様」
小津は、主が幼い子供のように何かの言い訳を考えて欲しい。そんな様子だった。それで、驚きと同時に昔を思い出して嬉しくなったのだ。
「それがなぁ。あの三人に何て指示していいのかと困っていたのだ」
「それ程の奇抜な内容だと、そう言うことですか?」
「そうだ」
「その内容を教えて頂けませんか?」
「ああっ教えなければ分からないな」
本の内容を小津に教えた。
「塀に龍の絵を描け・・・・・。何ですか、それは、冗談でしょうか?」
「本当か、嘘か分からないが、試さなければならないのだ。だが、何て言って指示を伝えて良いのかと悩んでいたのだ」
「確かに、その通りです。今のまま指示をした場合は、主様の人格が疑われます」
「そうだろう」
「それでしたら、北東都市の主の家系は、龍を奉じている。と嘘でも言いましょうか?」
「奉じる?」
「そうです。異国の噂で踏み絵のことを聞いたことがあるはずです」
「ああ、神の絵や模った物を踏めない。それで、信者か確かめる。あれのことか」
「そうです」
「だが、同じ国の者だ。直ぐに嘘だと分かるのではないか?」
「それは、大丈夫でしょう。戦いには何かと運気を頼るのが普通です。ですから、神格的な物を好んで傷つけたくないはず」
「そうだな。それでは、小津。それで頼むぞ」
「承知しました」
小津は主から墨、硯、水、紙片を手渡された。そして、大事そうに確りと抱えて三人の所に現れた。
「小津殿。それは・・・・なんです?」
抱えてきた物を見て不審を感じたのだ。この緊急事態では何の役には立たないからだ。
「む・・・むむ」
小津も主から聞かされなければ同じ反応する。だが、今の緊急事態を回避する重要な物だった。それでも、何て言って絵を書かせるかと複雑な表情を浮かべていたので、登は問い掛けたのだった。
「あ・・・・うっ・・・・ああ・・・そうそう、一つの可能性を考えたのだ」
小津は悩んだ。だが、何も浮ぶこともなくて、仕方なく、主に話した踏み絵の話をしようとした時だった。
「その物の使い方が分かる」
「えっ」
新が突然に、小津の言葉を遮った。
「この物のことか?」
小津は不思議そうに、新に問い掛けた。
「そうだ」
「その使い方は?」
「俺が、この場で見せた方が早いだろう」
「少し待ってくれ。ご主人様に許可をもらう」
「小津。気にするな。家宝を渡しても構わない」
「承知しました」
何から渡して良いかと、迷っていると・・・・。
「筆と水をくれないか」
「はい」
新は手渡されると、直ぐに筆を小瓶に入れて筆を塗らすと直ぐに抜き出した。何をしているのかと、三人の視線など気にせずに、先ほど入ってきた扉に糊を付けているかのように筆を走らせたのだ。
「紙片をくれないか」
「あっ・・はい」
小津だけでなく、この場の者は不思議そうに見詰め続けた。
「あっ」
「えっ」
「うそ」
新は、筆で塗らした扉に紙片を押さえつけて手を離した。なぜか、紙片は落ちることなく、のり付けしたかのように紙片は落ちなかった。
「何があったのだ?」
「それが、主様」
この都市の主は部屋の中で様子を窺っていたのだが、三人の驚き声を聞いて、外の様子を見ようと小窓を開けた。そして・・・・・。
「紙片が扉に貼り付いているな」
見た状況をそのまま言葉にした。
「硯と墨をくれないか」
紙片が扉から剥がれる。そんな心配など微塵にも考えていない様子で、硯に水を入れて墨を磨りだした。
「墨を作っているようだな」
「はい。ご主人様」
新は、適度の墨を作ると、先ほどの紙片に・・・・・・・。
「施錠」
と、二文字を書いた。
「ほう」
三人の気持ちを代表のように都市の主は言葉を漏らした。
「扉を開けてみてくれ」
登は、新から視線を向けられて指示に従った。
「えっ・・・あれ?」
「どうしたのだ。登、扉を開けて構わんのだぞ」
「それが、開きません」
「何だと?」
「小津も手伝って開けてみろ」
「何をしても開かない」
「登。扉を蹴りつけてみろ」
「ですが・・・・」
「構わん。壊してみろ」
「承知しました」
一度目の命令は冗談だと思ったのだろう。だが、二度目は即答で答え終えて、七歩くらい下がった後に軽く準備運動までしたのだ。確かに命令されたのは分かるが、あれ程まで本気で扉を粉砕する気持ちを表さなくても良いと思えた。
「何をしている。早くしろ」
その言葉で、扉に向って走り出し飛び蹴りをしたのだ。この場の一人を除いて、扉が粉砕されると思ったのだが、予想に反して粉砕する音が聞えずに、まるで、鋼鉄の門扉でも蹴ったような鈍い音が響いた。
「凄いぞ。何をしたのだ?」
「・・・・この理由を知りたいのだな。良かろう。教えてやる。今から遠い未来に、偶然にも時を逆流させた者がいたのだ。それだけなら何も問題は無かったのだが、その者が、未来の物を過去に、過去の物を未来に持ち帰ってしまったのだ。おそらく、水は遠い過去の時の流れが止まった水だろう。勿論、墨も硯も紙片も同じ、過去か未来の物だろう。それで、時の流れの不具合が発生して、この、今のような状態になったのだ」
「・・・・」
「分からんか、そうだな。川の流れが時の流れとしてだ。どんなに小さい物でも未来から過去に持って来ると流れが止まる。反対に過去から未来に持ち帰ると、その物は過去に帰ろうと働くのだ。この原理の応用で、紙に墨で絵や文字を書くことで、その物の時間が止まり、鋼鉄ように硬くも重くもなる。そう言う理由だ」
「おお、そう言う意味か、あっああ分かった。うん。うん。分かったぞ」
「そうですね。ご主人様」
登と龍二郎の二人だけが、意味が分からずに困惑していたが、他の者は何をする。そして、その結果が分かったのだ。
「登。都市の内側だけで良い。塀に龍の絵を描くのだ」
「この扉と同じことをする考えですか」
「そうだ」
「ですが、主様。二点の原因で出来ません」
「その原因は何だ?」
「矢が雨のように降り注ぐのを知って、外に出て絵を描く者はいないと思われます」
「確かに恐怖を感じるな。ふっ・・・む・・・少々の時間が掛かっても良いのだ。完成すれば、矢の恐怖は消えると思うのだが、何とか成らないのか?」
「何とかしてみます。ですが・・・」
「ああっ最後の原因だな。それは、何だ?」
「私たちは、どこから出たら宜しいでしょうか?」
「確かに、そうだな。開けることも壊す事も出来そうにないからな」
小津は大人しく聞いていたが、主が困っている姿を見て、新に問い掛けたのだ。
「新殿。扉を元に戻せないだろうか?」
「簡単だ。雨で書いた文字が流れ消えるのを待てば良い。だが、急いで消そうとして水をかけても消えないぞ。天から降る雨だけが消える」
「えっ」
新以外の者は、驚きで言葉を無くした。それを楽しんでいるのか、皆の表情を見た後に。
「そして、もう一つは、先に書いた物を2本の線で消し、解錠と書き足せば良いだけだ」
「登。それを試してみろ」
「承知しました」
新からまだ墨で染みっている筆を手渡されて、指示の通りに書いた。すると、紙片が木の葉のようにひらひらと地面に落ちた。そして、恐る恐ると扉を開けてみた。
「開いたな」
「はい。主様」
「それでは、登。頼むぞ」
「承知しました」
「それで、竜二郎殿。この作戦を試しても良いだろうか?」
小津は、主の代理のように問い掛けるのだった。
「このような心が躍る作成なら試してみたい」
「済まない。感謝する」
「何も気にする必要はない。この作成なら成功するだろう。もし、これで失敗するようなら・・・俺は・・・この都市を見捨てて逃げ出す」
「その時は、俺も一緒に頼む」
「何を言うのです。ご主人様」
小津は、主の信じられない言葉を聞いて叫んでしまった。
「この神懸りな力を使っても駄目なら諦めるしかないだろう」
この言葉を、この場の者たちは無言で聞き、頷くのだった。そして、真っ先に、自分の用件は済んだと感じたのか、新は開いている扉を通った。その後を慌てて、登と竜二郎も付いて行った。その姿を見て、小声で祈るように・・・・。
「登。頼むぞ」
「ご主人様。安心しても大丈夫かと思います」
「そうだな」
第七十九章
新、登、竜二郎の三人が、西都市の主の建物から出て町に帰る。町に入ると大きな溜息と同時に不安そうに顔色を変えるのだ。逸れは、当然の反応かもしれないのだ。全ての都市民と言っていいだろう。雨のように降る矢の嵐が怖いからだ。
「さて、この状況で、絵師を探さなければならない。探せたとしても何て言って外で絵を描かせるかだ」
「確かに、そうだな。だが、新殿が、先ほどの実演を見せたら簡単ではないのか?」
「そうなのだが、何度も見せられる程の水の量はないのだ」
「そうなのか」
二人の男が真剣に悩んでいた。そんな、二人の気持ちに答えようとしたのか、いや、そうではないだろう。二人の問い掛け合いの言葉が耳に入り、機能的に答えたと思える口調だった。
「俺が、先ほど実演した程度のことで良いのならば、今の水を桶一杯に薄めても十分な効果が期待できるぞ」
「えっ」
「そうなのか?」
「ああっ・・・・・そうだ」
二人の男が驚いた。その様子を見て、なぜ驚くのかと、新は悩んだ。その後・・・・。
「もし先ほどの実演をして欲しいならしても構わんぞ」
「頼む」
「水は良いのだが、桶一杯の墨を作るのは面倒だと思うぞ」
「そうだが、そろそろ矢の嵐が来る時間だ。そうなると不安のまま建物の中にいることになるのだから良い時間潰しになる」
「そうだな。そんな皆の気持ちを解すのにも良い見世物になるだろう」
「急いだ方がよいぞ。そろそろ、矢の嵐が来る頃だ」
新は、予言のように呟いた。
「ああっ、そうだな」
登が頷くと、三人は駆け出して、皆が待っている建物に避難した。
「隊長」
「達也。何か遭ったのか?」
「いえ。登隊長の安堵した表情なので良い知らせが聞けるかと、そう思ったのです」
「あっ・・・確かに、主様から良い作戦を授かったぞ」
一瞬、自分の表情を引き締めようとしたのだろう。だが、全ての心の中を悟られた。そう感じて、何一つとして隠さずに満面の笑みで思いを伝えるのだった。
「隊長。本当ですか?」
「ああっ、だが、作戦が成功すれば、都市は救われるはずだ」
「それ程の・・・・・決死の作戦だと言うことですか?」
真っ青な表情を浮かべた。そんな達也の表情を見て、竜二郎が笑うのだった。
「部下を脅すのではないぞ」
「えっ」
「確かに、戦うより過酷かもしれない」
「隊長。それは、どのような作戦なのですか?」
「それは、口で言っても分からないだろう。新殿に実践してもらえば分かるだろう。だが、その前に、墨を作らなければならない。適当な五人を選抜してくれ。それと、一番の重要なことは、絵師をできるだけ多く探して欲しい」
「墨?。絵師?」
「そうだ。今の矢の嵐が止むまでに用意しなければならないのだ。これは冗談ではない。作戦に必要なことなのだ」
「承知しました。直ぐに準備を致します」
「頼む」
直ぐに五人が選ばれて、登の前に現れた。そして、登は指示を伝えたのだ。それは、腕が疲れるだろうから五人が交互に硯で磨って墨を作れ。一瞬、五人は惚けたが、桶一杯の分量と聞いて戦いの方がましだと、そんな顔の表情に表していたが、直ぐに作り始めた。登は、済まなそうに様子を見ていた時だった。
「登隊長。この場には、誰一人として絵師が居ません」
「やはり、そうか」
「他の避難所や都市の市民たちを探せば居ると思われます」
「う~む」
「それでしたら、今直ぐにでも、命を懸けて探して参ります」
「そこまでする必要はない。新殿が実演する時にでも探してくれ」
「承知しました」
登の言葉で、達也は安堵した。そんな二人の気持ちを知らない回りの者たちは・・・。
「あの五人は何をしているのだろうなぁ」
「俺、絵が描けるかって聞かれたよ。それに使う墨でないのか?」
「そうそう、絵師を探しているらしいぞ」
「俺たちが、何かするかもしれないのか?」
「それは、ないだろう。何をするか知らないが、絵師がするのだろう」
徴兵隊と都市の市民は、不安な気持ちを感じていたのだ。それでも、登が何かの秘策を考え出した。これで助かるかもしれない。そんな気持ちで祈るように五人を見ていた。それでも、都市の外には正確に数えることも出来ない兵士がいるだけでなく、今も矢の嵐が降り注ぐのを見ては心底から安心できないでいた。そんな時だった。
「新殿。何を?」
五人は墨を作ると桶に注いでいた。その様子を新は頷きながら様子を見ていたのだが、突然に桶の中に右手を入れた。そして、親指と人差し指で墨の粘り気を確かめているような仕草をしていたのだ。
「登殿。墨の具合を確かめたい。直ぐに障子紙の用意を頼む」
「分かった。直ぐに用意しよう」
達也に指示をした後、直ぐに新に手渡された。すると新は、特に場所も用途も考えていないか、その場で障子紙を広げたのだ。何をするのかと、皆が見ている前で・・・。
「繊維の老化が進む時間よ。止まれ」
と、新は、障子紙をまるで習字する用紙のように書いたのだ。
「えっ」
皆が驚くのは当然だ。だが、本当の驚きは、これから始まるのだった。
「なぜ?」
新は、障子紙の縦側の短い方を手に持ち、そのまま持ち上げた。すると、長い凧のように硬く形を保っていたのだ。この状態を無理に作るとしたら凍らせた場合が近いだろう。そして、何をするのかと、見ていると、凧のような障子紙を頭に載せて外に向って歩き出したのだ。
「新殿、待て。危険だ」
「やめろ。戻れ」
「死にたいのか、出るな」
「建物から出るな。戻れ」
登だけでなく、この場の皆が叫んで止めようとした。その言葉が聞えないのか、建物の外は矢が降り注いでいるのに微塵にも止まる気持ちがなかった。
「出るな~」
「やめ~ろ~」
殆どの者が叫びと同時に目を瞑った。と、同時に無数の金属と金属が当たるような甲高いが響いた。その音に驚いて目を開けるのだが、何が起きているのかと更に目を見開くのだった。それは、当然だろう。新の頭上と言うよりも障子紙が鉄板のように矢を弾いているのだからだ。
「新殿。実験は成功した。直ぐに建物の中に戻れ」
「あっ直ぐに戻る」
「ふぁ~」
登は安堵の声を上げた。
「寿命が縮んだぞ。無茶をするな」
「あっ済まなかった。むっ・・・・・ん」
新は返事を返すが、視線障子紙に向いていたので、儀礼的な挨拶としか思えなかった。
「登殿。墨の濃度が足りない。もう少し濃くしてくれ」
「ああっ、そうする。だが、理由を教えてくれないか?」
「構わない。障子紙を見てくれ」
新は、障子紙を床に置いて、指で示した。
「どれどれ。お~凄いな」
「凄いな。無数の矢の痕がある。良く弾いた物だな」
登と竜二郎の二人が真っ先に見たが、何が悪いのか、何が変なのか分からなかった。
「これでは、駄目だ」
「なぜ駄目なのだ?」
登が真剣に問い掛けた。そして、新も脳内では分かっているのだが、それを、何て言葉にして伝えようかと、考えながらゆっくりと話し出したのだ。
「何と言うか繊維が崩壊して消えるまで決まった時間があるのだ。その時間を止めた場合は繊維に傷一つ付かない。だが、今回の場合は全ての材料が揃ってないために傷は付くのは考えていた。だが、あの障子紙の痕跡は傷でなく凹んでいた為に駄目だと言ったのだ」
「そう言うことか、良く分かった」
直ぐに、達也に指示を伝えた。その指示を聞いて、五人の男達は大きな溜息を吐いた。苦情を言いたかったのだろうが、新の障子紙の奇跡を見た後では、全ての苦情は心の底に飲み込むしかなかった。それから、新は何度も墨の濃度を確かめては、その度に何度も外に出ては、障子紙の凹みを確かめるのだった。
「新殿。これくらいで良いのではないか?」
「納得できないが・・・・仕方がない。だが、絵を描いて考えていた。そのような状態になるか、それが、不安なのだが・・・・・心配しても仕方がない。恐らく、大丈夫だろう」
新は、悩み、又、悩みと、答えていた。
「俺から見ても問題はないと思うぞ。これ以上は墨が足りるかと感じてしまう。本当に、ありがとう。これで賭けるしかない」
新以外の者から障子紙を見た場合は、傷など見えなかったのだ。皆の内心ではダイヤモンドでも傷も付かない。それほどまで完璧な状態と感じていたのだ。
「登殿が、そう言うなら構わない。俺も何とかなるのではないかと思えてきた」
「そう言ってくれると、ありがたい。安心ができるぞ」
「それよりも、絵師を探し出せなければ、今までしたことが無駄になるぞ」
「それは・・・そうだが、今・・・この場で考えても・・・必ず都市の市民の中にいるはず。それを調べるのも矢の嵐が止まなければ何もできない」
「確かに、そうだった。すまない」
「話は終ったようだな」
竜二郎が、二人に近寄った。
「ああ」
「良い考えを浮んだのだが・・・・良いだろうか?」
「ああ」
「矢が止んだ後では、遅いように思うのだ。そうだろう。矢の恐怖が消えるのではない。それならば、障子紙を矢避けとして都市の中を歩いて探しては、どうだろうか?」
「奇跡を見せて効果を信じ込ませる。そう言うことか?」
「そうだ。障子紙で矢を弾けば恐怖も消えるだろう」
「そうだな」
この返事の後に、二人の隊長は部下に指示を下した。数人で障子紙を頭上に掲げて矢を防ぎながら全ての建物に訪れて絵師を探せ。そう命令を下したのだ。そして、二人の隊長の全ての部下は都市中に散った。すると、矢の嵐で建物などを壊す音よりも、金属と金属との衝突音が他の音を覆い隠すように響くのだった。
「それは、何ですか?」
それぞれの建物にいる者たちと話をしようと建物に近づくが、言葉が届く距離になると、窓などから顔を出して話しかけて来るのだ。よほど、矢の恐怖よりも障子紙に関心が向いているのだろう。確かに、それは、当然かもしれない。この当時の最強の盾でも矢の嵐では直ぐに役に立たなくなるはずだ。
「ただの障子紙なのだが、詳しい原理などは分からないが物の時間を止めるらしいのだ。まあ、魔法みたいな感じだと思うぞ」
「確かに魔法ですね。それで、何をしているのですか?」
「えっああっ、そうそう、絵師を探しているのだ。知らないか?」
突然の問い掛けに正確なことを言えるはずもなく、やっと、悩みながら答えた後には、自分が何のために矢の嵐の中に居るのかと、忘れてしまうほどだった。
「そうですね。自分の家は陶器屋ですが、陶器の絵柄を描く者なら知っていますが、絵師のような複雑な絵が描けるか分かりません」
「その者で良いのだ。頼むから紹介してくれないだろうか?」
「構いませんが・・・・障子紙の下に入って触ってみたいのです。駄目でしょうか?。もし触る事ができるのでしたら、自分が案内しましょう」
「それは、助かる。だが、気を付けてくれよ」
「気にしないで下さい。このような不思議なことを体験せずに生きるのなら死んだ方がましです。勿論、矢に当たる覚悟はしていますし、もし矢に当たって死んだとしても構わないと思っています。言葉だけで駄目でしたら念書を書きましょう」
「そこまでする必要はない。だが、急いでいるのだ。その者に会わせてくれないか」
「直ぐに行きましょう」
障子紙の下に入ると、言葉では道の案内はするが、口調は少々興奮気味で、目線と手の触れ方は、まるで初めて女性の肌に触る時のようだった。恐らく、一生忘れないはずだろう。この男にとっては直ぐに目的の家に着いたと感じただろう。案内された家の男も家族も同じように驚くだけでな障子紙に関心を示して同じように直接に触りたい。そう言うのだった。勿論、頼み事は一つ返事で承諾するのだった。そして、案内された者たちも同じ様に障子紙に関心を示し、他の障子紙を持って絵師を探す者たちも、考えていたよりも簡単に絵師を探すことができた。と言うよりも、絵と関わる者ならプロも素人も関係なく想像以上に集まってしまったのだ。
第八十章
登の指示から正確な時間は分からないが、指示を出した本人が驚く程の時間しか過ぎていなかった。それなのに、想像していた以上の者たちが集まっていた。それも、興奮気味で騒がしく収集ができない。そう感じるほどだった。勿論、その興奮の元は障子紙だ。
「集まってくれたことに感謝する」
この都市で、登のことを知らない者は居ない。だからではないだろうが、皆は口を閉じて、何を言うのかと待った。
「まだ、何をするか聞かされていないだろう。何をするか恐怖を感じているはずだが、これだけは伝えなければならない。都市を守るための最後の戦いではないのだ。主様と小津殿の作戦を実行するだけだ。それは、塀に竜の絵を描くだけだ。確かに、描く者たちは恐怖を感じるだろうが、矢の嵐が収まった時だけ描いて欲しいのだ。勿論、それでも、恐怖を感じるだろうが安心して欲しい。その時は、あの障子紙で上方を防ぐ事を約束する」
「・・・・・」
「それと、最後に、竜の絵を描くのは、都市での記念として残すのではない。障子紙の効果を見たら分かるだろうが、都市を守り。敵に勝つためだ」
「うぉお~」
西都市、東都市の隊員は興奮を表して勝ち鬨のように叫ぶのだが、絵師たちは自分たちの結果で変わるために喜ぶことは出来なかった。いや、それとも、心の中で他のことを考えているようにも思えた。その真剣な表情には、どのような竜の絵柄を描くか、考えると同時に、一生涯で一度の最高の絵にしたい。それだけしか考えられないはずだろう。
「絵師たちは、新の下に来てくれ。以上だ」
新は集まった者たちに言うのだった。筆は一本しかなく、誰か一人に輪郭を書いて、他の者たちは、自分たちの手や指を筆の代わりにして塗る。そう伝えたのだった。当然、不満を叫ぶが、筆が増えるはずもなく承諾するしかなかった。それでも、絵師たちは、自分の職業としての意地からだろう。手と指で複雑な表現方法が出来るのか、と考えている感じだった。だが、絵師として素人の登には、何を複雑な表情を浮かべているのか問い掛けるのだった。
「龍の絵を描くのは、それほど難しいことなのか?」
「いいえ」
「何を悩んでいるのだ。もしかして輪郭を描く者を選ぶのが難しいのか?」
絵師の皆が、何か考えているように難しい表情をしていたので、登は問い掛けた。
「それは、一番の年長でもあり、都市で一番古くから続く絵師の家元しかいないでしょう」
「あっ・・・承諾した」
一人を除いて頷くのだった。その者が何か言葉にしようとしていたが、皆が頷く姿を見て、言葉を飲み込んだようだった。
「それでは、何も問題はないのだな」
「後は、絵師としての内容だけです。自分にお任せ下さい」
「頼む」
登も、その者も、それぞれに話をする相手がいるのだろう。急ぐように別れて向った。
「新殿。絵柄は我々が決めて良いのでしょうか?」
「構わない。だが、出来ることなら塀の門に竜の口が描かれると良いのだが・・・・」
「そうでしたか・・・・・それでしたら、簡単な絵柄でも描いて見せましょう」
「それは、助かる」
他のことに興味を感じたのか、それとも、何かの指示でもする考えで立ち去ろうとしたのだが、絵師の家元に引き止められた。すると、驚く事に、その場で描いて見せたのだ。勿論、使用したのは普通の墨と紙片でだ。
「おお、描いていた通りの絵柄だ。これで頼む」
「分かりました。その通りに致します」
新に見せた。その後に、絵師の仲間にも見せるのだった。すると、少々興奮を表したのだ。それは、絵師たちから見ても驚く絵柄だったようだ。
「先生」
「家元」
「長老殿」
「師匠」
「名誉絵師長殿」
「老」
様々な呼び名で言う者がいたが、最後の友好的な言葉に反応したのか、それとも、返事をしなければ、永遠に続くとでも思ったのだろう。老人は疲れたように返事を返した。
「何だ?」
「このまま何も考えずに指や手の平で塗ると、この絵柄を台無しにしてしまう。皆が同じ様に考えているのです。何か良い方法があれば教えて頂けないでしょか?」
「ああ、それなら、鱗を手の平と考えて同じ向きにする。それと、微妙な部分は指で書いてくれないか、最後の仕上げは、わしが整える」
「おおっ、手の平の形を鱗のようにですか、それは、最高の考えです。自分には思いつきませんでした。さすが、先生です。むっむ、絵師として良い参考になります」
「ああ、精進するのだな」
どうでも良いかのような返事だったが、儀礼的な言葉だと考えたのか、それとも、先生と言うのだから心底の気持ちだとしても、手の掛かる弟子なのかもしれなかった。
「ありがとう御座います」
嬉しそうに破顔するのだから手の掛かる弟子だと証明しているようだった。そして、他者たちは同じ態度しか表さなかったが、良い考えなのは同じだったのだろう。それぞれの手の大きさを見比べて、どの位置が適切かと考えていた。
「どうした。何か不機嫌そうだが何かあったのか?」
新は、絵師たちの会話が聞え、何か問題があるのかと問い掛けたのだった。
「いいえ。絵柄を考えていただけです」
「それならいいが・・・・そろそろ、墨の用意も終るだろう。それに、矢の嵐が止む時間だ。そしたら、直ぐに絵を描いて欲しいのだ。何か言い争いのように思えたが、間に合うのだろうな」
「はい」
などと、皆が、それぞれで、別々の話題で話をしていると、知らない間に雨の様に降り注ぐ矢の飛ぶ空気を切り裂く音だけでなく、様々な物に当たる音も消えていたのだ。
「止んだようだな」
真っ先に気が付いたのは、登だった。そして、皆が外を見てみると、先ほどまでの辺りの様子は針ネズミのようだったのが、今では地獄の針の山のように屋根、壁、地面と、歩く隙間も無いように矢が刺さっていたのだ。
「絵師の皆たちよ。竜の絵を頼むぞ」
登が指示を言うのだが、外の様子を見て、絵師たちは恐怖を感じて動けなかった。
「隊員は、指示の通りに実行だ」
同じ様に恐怖を感じているようだが、さすがに兵だった。一瞬だけ悩んだだけで、登の指示を実行したのだ。三人組みで、二人は障子紙を上方に掲げるようにした。残りの一人は、障子紙の下で立ち、絵師たちに手を振って中に入れと言うのだが、外の様子を見て歩ける状態ではないと、目で訴えていた。その様子を感じ取り、登が兵に首を振って先に行動で示せと言っているようだった。それに、従って外に出るのだが、障子紙の中で手を振っている者が、絵師の恐怖を取り去ろうと考えたからだろう。地面に刺さる矢を抜いて歩き安そうにした。その行為は塀まで続けると、元の建物に戻って来た。
「そこまでしてくれて本当に済まない。後は、本物と感じるほどの絵を描いてみせる」
家元とも、先生とも言われた。最年長の老人が礼を述べた。その後、真っ先に障子紙の下に入るために行動を起こした。その勇気は、恐らくだが、老人の長年の経験と言うよりも、若い者たちと比べると、死の感覚が鈍いだけでなく、残りの寿命を全て使ってでも最高の絵を後世に残したい。そんな感情なのだろう。その気持ちを絵師たちは感じ取り、やっと歩き出すことが出来たのだった。それでも・・・・。
「震えているようだが安心しろ。もし矢の嵐が降るようなら俺たちが防ぐからな」
誰から見ても、まだ、絵師たちは怯えている。そんな歩き方だったのだ。それで、安心させなければ建物の外に出ることが出来ない。それで、言葉を掛けたのだ。
「はい」
まるで、証明するかのように、たった、一言しか言葉が出ないようだった。
「絵柄は決まったのだろう。どんな感じなのだ?」
「はい」
たったの数百メートルを歩くだけなのに、まるで、死を覚悟したかのような表情なのだ。もしかすると、都市の命運、都市の全ての人の命を守る。そんな気持ちなのか、それとも、人生の最高傑作を描く。その意気込みだけなのかもしれない。
「ごめん。そうだったな。軽い気持ちで聞いて済まなかった。お前も、絵師たちも、俺たち兵と同じに真剣の戦いなのだな。がんばってくれよ」
「はい。あっ」
軍人の命を掛け合う時の、意気込みと誓いを表す仕草をしてくれたことに驚いたのだ。
「永遠に都市に残る。最高の絵を描きますよ。期待していてください」
都市として人としての最高の栄誉と同じ、戦士の誓いをしてくれたことに、嬉しさから恐怖は完全に消え去った。その絵師の声と態度で、辺りの兵も同じ様に戦士の誓いを絵師にしたのだ。これで、全ての絵師たちから完全に恐怖は消えるだけでなく、唯一の心配だった。手が震えての絵の失敗も消え去ったのだ。などと、している間に、やっと、塀に着く事ができた。後は、兵たちは上空からの矢を心配するのと、障子紙掴んだ手を離さず、上げた腕を何が起きても下ろさないことだった。だが、一人の老人が輪郭を描かなければ何も始まらない。
「御老人。何か手伝うことはありますか?」
「・・・・・」
少しでも早く描くこと、そして、間違いなく筆を走らせなければならない。そのために言葉が耳に入らないのだろう。確かに、他の絵師たちは、老人が終らなければ何も出来ないからだ。だが、まだか、まだか、と見ているのではなかった。素晴らしい絵柄、驚きの筆の速さ。と、感心していたのだ。だから、誰一人として時間が過ぎるのを忘れていた。
「はっはぁ。はっはぁ。はっはぁ」
老人は、立ち止まって息を調えていた。そして、自分の走らせた筆の痕跡を見続け、皆は、老人の言葉を待った。誰が見ても完璧な絵だと感じるのだが、老人は息を整え終わっても、目だけは真剣に壁に穴が開くのではないかと思えるほど見るのだった。
「御老人?」
「先生?」
「うむ。これで良いだろう。後は、皆の手や指の模様の後に修正すれば良いだけだ」
「先生。大丈夫ですか?」
老人は、最後まで言葉にしたのだが、その途中では貧血のようにふらつき、全てを話し終えると、その場に倒れたのだ。老人だから体力的に問題があった。と言うよりも、矢が降ってくる恐怖と間違いが出来ない。その二つの理由で極限までの精神を使い切ったようだった。それを知っていたかのように、新が後ろから支えるのだった。
「家元殿。建物の中で少し休もう」
「・・・・・・」
「新殿。御老人を頼む」
登だけが言葉を掛けたが、絵師たちも視線で見送るが、直ぐに手や指で模様を書き始めたのは、心配してないからではなかった。老人のしたことを無駄にしない。それが、一番の老人に応えることだったからだ。
「少しでも腕を下ろすのは許さんぞ。死ぬ気で耐えろ」
登は指示を下すが、部下の誰一人として腕を下ろす者は居なかった。それなら疲れを感じていないのか?。そう感じるだろうが、たかが障子紙でも、腕を上げたままの状態では疲労を感じるのは当然だった。だが、耐えられたのは、兵としての教育と言うよりも、絵師たちが描いている竜の絵が素晴らしく、少しずつ変わる状態に目を奪われていたからだ。
「はい。承知しました」
登の言葉で正気に戻った。それなら、疲れを感じて腕を下ろす者が居ると思われるだろうが、絵師たちの顔から流す汗に、両腕がパンパンに張っている様子を見ては、命を掛けた戦いと同じだ。自分たちも死ぬ気で耐えなければならない。そう感じたのだった。そして、絵は完成した。いや、まだ、九割だった。
「家元を呼んで欲しい」
「完成したのか?」
「ああっ、これ以上は、家元の指示がなければ何も出来ない」
「分かった。この場で待っていろ」
「はい」
家元の次に歳を取っている男が、登に完成したと伝えるのだった。
「俺は、御老人の様子を見てくる。絵師たちの警護を頼むぞ」
「承知しました」
部下たちに指示した後、一人で家元が休んでいる建物に向った。
「不具合でもあったか?」
「いえ。新殿。御老人は大丈夫か?」
新が窓から声を掛けてきた。
「ああっ、椅子で休めるようになったのだ。恐らくだが、大丈夫だろう」
「それよりも、何も防ぐ物を用意せずに、大丈夫なのか?」
「ああっ、時間はまだある。大丈夫だ」
「いつ矢の嵐が飛んで来るか分からないのに凄い勇気だな」
「まあ、戦の感だ」
「そうか」
新と登が話をして居る時だった。
「時間が無いのだろう。わしなら大丈夫だ。塀まで連れて行ってくれないか、頭では問題は無いのだが、障子紙が無い。そう思うだけで体が動かないのだ」
「それは、当然の反応だ。それでなければ、俺たち兵員の仕事が無くなる」
「どうする?」
「何がだ?」
「俺一人なら、もし矢が飛んで来たとしても、自分と、家元の命は守れるが、一緒に来るか?」
まるで、新は、指先で傘を差しているかのような仕草をするのだった。
「いや、戦の感を信じるよ。先に走って行くから気にするな」
「分かった」
「わしも、新殿と一緒なら歩けそうだ」
先ほど、神がかり的な障子紙を作った本人が目の前にいる。そう思いだけで体の機能が活発しているのか、それとも、本当に神秘的な力が老人の体に入ったからなのか、やや足取りは不安だが、自分の力で歩いて塀に向っていた。そして、何事もなく着くのだった。
「先生、大丈夫ですか?」
「ああっ、後は、最後の仕上げだけだ」
先ほど使っていた。筆を取り、墨を染みらせて、門に描かれた頭部の目に瞳を描き入れたのだ。そして、竜の右手に持つ玉に名前を入れると、満足そうに頷くと同時に、全ての絵師たちに体を向けた。
「右手に持つ玉の中に、自分の名前を入れろ」
「でも」
「何をしている。時間が無いのだぞ。早くしろ」
絵に名前を入れる。それは、独り立ちと言うこともあるが、都市の一番の絵師と共に名前を書ける。それは、絵師として最高の栄誉だった。
「これで、完成だ」
竜の絵に小指一つの痕跡でも残した。全ての参加者が名前を書き終えると、その絵に生気を吸い取られたのか、それとも、心身ともに疲れ切ったのか、その両方なのか分からないが、方膝を地面に付いて体を休めたのだ。
「大丈夫か?。御老人」
「これ程の大きい絵は始めただから少し疲れた」
「それでは、建物の中に避難しよう」
「ああっそうしたい」
「これで、最後の任務だ。絵師の皆が建物に入るまで手を下ろすなよ」
「承知しました」
登の命令に従い。全ての絵師を無事に建物の中に非難させた。これで、計画の準備は全てを終えることができた。この後、何が起きるかは誰も知らなかった。
第八十一章
兵や絵師が完全に疲れを癒す前に、予想された丁度の時間に矢が空気を切り裂く音が響いた。だが・・・・・。
「矢が空中で跳ね返るぞ。いや、空中に止まっているようにも見えるぞ」
建物の中で避難していた。誰なのかは分からなかったが、同じ言葉を建物内に響いた。
「何だと?」
「本当です」
強度のある透明なビニールが空中にあるかのように無数の矢が刺さっていたのだ。その数が増えるにしたがい。その透明な物は形を現し始めた。それは、まるで、透明な竜に似ていた。都市の中に居る者だけが、塀に描かれた竜と瓜二つだと感じるのだ。そして、全ての描かれた通りに輪郭を現すと、右手の玉が光り始め、空にも竜に似た黒雲が現れたのだ。すると、玉の光と、黒雲からの雷が繋がり始めたのだ。
「何が起きているのだ」
誰の言葉と分からない。皆が同時に叫んだ言葉だった。
その現象の理由は、都市の主の子孫が無理やりに、歴史上では初の時の流れを戻って来た事で、時の流れが不具合を発生していたのだ。だが、時の流れの意思は、自身では何も出来ないのだ。それは、人のように固体的な意思でないからだ。例えで言うならば、山から海まで流れ落ちる川の流れのように上から下に流れのような感じが近い。そして、川の流れに偶然に塞がれた石が不具合の原因に近い。その石が取り除かれなければ、どこに川の流れが変わるか分からない。これが、時の流れならば百八十度に未来が変わってしまうのだ。その修正に時の流れの意思は新を選んだ。新も新の一族も時の流れでの不具合の一つだったのだ。そして、新、その一族は子孫を残すために自分の不具合を修正して子孫を残すのだった。もしかしたら、時の意思が、新の一族を誕生させたのか、それは分からない。だが、新の時の修正を利用して正しい修正に戻す働きだった。それが、透明な竜と竜のような黒雲であり。雷であった。だが、遠い未来から不思議な伝承を調べられるよになり、人が勝手に思う理屈では、長い塀に竜の絵を描いた。その墨が原因で、その時の不具合が大きかったために時の流れの自動修正が反発した結果なのだ。と、未来人は、そう結果を出すはずだ。
「これが、主様の考えていたことなのか?」
「小津殿。西都市の主の考えは、踏み絵と似た事をするのでなかったのか?」
「俺も、そうだと思っていたのだが・・・・・・何が起きているのか分からない」
「まあ、これで、不吉な現象だと感じて退却してくれると良いのだが・・・」
そんな夢のようなことを登と竜二郎が話をしている時だった。
「何だ」
目が眩み、耳の鼓膜が破れるほどの音が響いた。
「何が起きたのだ」
それほど凄い雷が落ちた。それも、北東都市の軍営の真ん中に落ちたのだ。
「雷が落ちたのか?」
「ああっ間違いなく雷が落ちたはずだ」
「凄い音と光だったなぁ」
「ああっ又、もう二度、いや、一度でも敵陣に落ちてくれないだろうか、そうなれば、戦意が完全に消えるだろう。そうなれば助かるのだがなぁ」
「そうだな。だが、偽物でも竜が現れ、雷まで落ちたのだ。これで、小津殿が良い交渉をしてくれるだろう」
「そうだな」
「おっ」
上空で雷が落ちる前兆のような光が幾つも走り音が鳴った。
「また、落ちるぞ」
今度は、狙ったように敵陣の部隊ごとに幾つも落ちるのだった。まるで、飛行機からの絨毯爆撃のようだった。もう、この状況では、北東都市の誰一人として戦う気持ちなど有る者は居なかった。完全に陣形は崩れ、一般兵だけでなく部隊の指揮する者まで、少しの鉄片も残さないように裸で戦場から逃げ出した。だが、可笑しなことに北東都市の本陣には一度も落ちなかったのだ。もし、人為的なら本陣の真ん中に一度の雷が落ちるだけで戦意が消えて撤退するか、陣形が総崩れして好き勝手な方行に逃げ出したはず。だが、雷は一度も落ちる気配がなかった。
「登殿。今が最高の機会だと思うが?」
「何がだ?」
「今すぐに攻めて、大将を生け捕りにした方が良くないか?」
「そこまでする必要はないだろう。小津殿が良い交渉をしてくれるはずだ。それにだ。いつ雷が落ちるか分からない状態なのだぞ。戦いなど出来るはずがないぞ」
「雷のことなら心配する必要はないぞ。そろそろ、雷は収まるはずだ」
「なぜ、それが分かるのだ?」
「恐らくだが、右手にある玉を見てくれ」
「玉だと・・・・むっ光っているが・・・・・意味が分からないが?」
「雷が落ちる度に光の輝きが薄くなっているのだ。このまま光が消えれば雷は落ちなくなるはずだ。その時に攻めるのが絶好の機会だと思う」
「確かに、始に見た時よりは薄くなっているな」
「登殿。俺も新殿の考えの通りに戦いに行くのは賛成する。絶好の機会だと思うぞ」
「うぅむ。だが、無理して戦わなくても、小津殿が良い交渉をすると思うが・・・・・」
「それは、まず無いだろう。交渉とは、相手から申し込みがあれば出来るのであって、こちらからの交渉では良い結果にならない。もし仮に交渉を願った場合は、負けを認めることになるだろう。だから、小津殿からは交渉しないはずだ」
「だが・・・・何も作戦もなく攻めるのも・・・・・暫く待ってから・・・小津殿に相談してからでも問題はないと思うのだが・・・それに、怪我人も多い。これ以上、怪我人が増えては、もしも又、戦いになった場合は防げないぞ」
煮え切らない態度だったので、少々怒りを我慢しながら説得しようとしていた。
「その為に、北東都市の主を人質にする考えなのだぞ。それにだ。命令で無く自主的に参加を求めては、どうなのだ。恐らく、友の仇を取りたいと、殆どの者が参加するはずだと思うのだがな」
竜二郎も部下の仇を討ちたかったに違いない。その同じ気持ちの新も説得しようとしていた。その時だった。
「隊長。本陣以外の敵部隊は総崩れです。今が絶好の好機です」
「何をしている。雷に当たるぞ。危険だから降りろ」
「自分たちは、まだ戦えます」
「お前はまだ怪我が治っていないだろう」
「左腕の矢傷くらい。何でもないですよ」
「分かった。分かった。だから、塀から降りろ」
「分かってくれましたか」
名前も直ぐに出てこない。そんな末端の兵の一人が放電している塀に登って叫ぶのだった。登は、そんな、たいして力がないだけでなく、命令で一番先に命を落とす可能性がある末端の兵を気遣っていたのだ。それなのに・・・・。
「料理長の仇を討ちましょう」
「本気なのだな」
「はい」
もしかすると、そんな末端の兵だから功績を挙げたいのかもしれない。だが、涙を流してまで言う言葉には心底からの悔しさを感じられたのだ。登は、この兵の気持ちで考えを変えたのだった。だが、・・・・・。
「それならば、決を採る。もし一人でも手を上げない者が居た場合は、小津殿の指示が出るまで都市の中で様子を見ることにする」
「それでは、今から攻めに行くのに賛成の者は手を上げろ」
殆ど同時に、全ての隊員が、いや、意気込みからだろう。徴兵隊と竜二郎の部下である。西都市の者まで手を上げていたのだ。
「登殿。人の心とは情で行動するのだ。それは、敵も同じで、今が我々の勝機だと言うことだ。恐らく、戦いらしい戦いにもならないはずだ」
「ああ、そうだな。俺にも勝機を感じてきた。恐らく、北東都市は二度と攻め込む力はなくなるだろう」
「ああ、これで、安心して都市に帰れる」
「まだ、気を抜くな。結果は出ていない」
「だがな、今の内に少しでも、皆の興奮を抑えておかなければ、戦でなく殺戮になるぞ」
「掠り傷くらいの怪我人の場合は、敵意が強いだろう。排除しなければならないな!」
「そうだな。興奮が助長する可能性があるから当然だろう」
「今回は戦いでなく、敵の攪乱であり。人質を確保することだ。無理に戦力を集める必要がない。それのほうが機動力も早くなり。敵も恐怖を感じてくれるだろう。
「嫌がっていた割には、いろいろ考えていたのだな」
竜二郎に頷いた後、皆に視線を向けながら大きく息を吸い込んだ。恐らく、大声を上げるための準備だと思えた。
「これは、お前達に言ったのだぞ。今までの話は聞えていたか、これからすることは敵討ちでなく、作戦を実行するのだ」
「承知しました」
「良し」
人の血が見られる。そんな興奮状態な獣の様な表情だったのが、今の登の言葉で普段の機械的な命令がなければ何も行動を起こせない。人形のような表情に戻っていた。
「それで、提案なのだが」
「何だ。新殿」
「三つの部隊は、別々に行動しないか?」
「登殿が良いのなら俺は構わんぞ」
「俺も構わん。その提案を実行しよう」
新は、二人の頷いたことで・・・・・。
「敵部隊の攪乱することに専念する。その状況を利用して、俺は敵陣の中から何人かの者達を探さなければならない」
「そうだと思っていた。だから、誰にも気にせずに好きに行動するがいいぞ」
「我が東都市も、新殿とは違う方行から敵部隊の攪乱をしよう。その隙に、登殿は、北東都市の本陣に向かい。北東都市の主を確保して欲しい。だが、隊の消耗を覚悟してまでする必要はないぞ。もし逃げる場合は逃がせ」
「ああっ分かっている。これ以上の隊の消耗は出来ない」
「済まないが、俺は徴兵隊の皆と話したいことがある。この場を離れて構わないか?」
「構わないぞ。俺たちも作戦の指示をしなければならない。だが、計画の内容は知らせてくれなければ困るぞ」
「ああっ分かっている。玉の光が消える前には戻って内容を知らせる。俺のは作戦と言うのではない。動き方を教えるだけだ。作戦の方は二人に任せたい」
「分かった」
「ああっ、それでなければ困るところだったぞ」
新は、登と竜二郎の所から離れ、徴兵隊が集まる室内の一画に向った。すると、何人かの者から頭を下げられて何かの頼み事を言われているようだった。恐らく、自分も戦いに参加させてくれ、と頼んでいるのだろう。それを真剣な表情で横に首を振ると、頼み込んだ者たちは泣き崩れた。新は、それ以上は関心を示さずに他の者たちに指示を伝えていた。その内容は、先の都市に入る時のような動作と行動をしてくれ。そう伝えているに違いなかった。全ての者が頷くと、新は、登と竜二郎の所に戻るのだった。
「早かったな。終ったのか?」
「ああっ、全て伝えてきた。それで、作戦は考えたのか?」
登が心配そうに言葉を掛けてきた。新は何も問題が無いと頷いた。
「ああっ、だが、小津殿のような作戦らしい作戦ではないがな」
「それでも、構わない。急がなければ、そろそろ、玉の光が消えるぞ」
「そうだな。登殿と考えた事なのだが・・・・・」
登と竜二郎は話しだした。
それは・・・・、本当に作戦とは思えないことだった。竜二郎の騎馬部隊が横一列に並び敵を蹴散らす。その後に、新部隊が、登の部隊を隠すようにして本陣に近づき、無傷の登の隊が本陣に攻め込む。その後は、騎馬隊が左に分かれて敵同士の連携を伏せぐと同時に退路を確保する。新の部隊も騎馬隊とは反対の右に分かれた後には好きな行動をする。
「と、言うことなのだが・・・・問題は、新殿が都市に戻る時のような指揮をして欲しい。あれが、実行できれば、登の部隊は無傷で本陣に突入ができるのだ、大丈夫だろうか?」
「何も問題は無い」
「良かった。なら、後は・・・」
竜二郎は、監視塔から外を見ている。自分の部下に視線を向けた。その部下は塀に居ては、雷が落ちるかもしれない。その恐怖でなく、塀からだと周囲とやや遠くを見ることができる。それとは違って、監視塔では塀が邪魔で近くは見えないが、遠くの様子を確かめることができる。それで、登っていたのだ。
「隊長の想像の通り。本陣以外は、裸同然で四方に逃げる考えしかありません。騎馬で蹴散らせば、今以上に四方に逃げようと急ぐのは確かなことです」
「そうか、分かった。都市の中には雷が落ちることはないだろうが、危険なのは確かだ。直ぐに降りて構わんぞ」
「承知しました。あっ」
「その返事に聞きなれてしまったのだな。我が隊も、その返事で統一するか」
「そのような事はありません。本当に、本当に済みませんでした」
「分かっている。分かっている。ははっははあ、早く降りて来い」
竜二郎は、隊の緊張を解す気持ちだったのだろう。それは、考えた以上に成功した。自分の隊だけでなく、登の隊と徴兵隊の者たちの緊張もほぐれて、仲間意識が芽生え、共同作戦の成功は間違い。そんな雰囲気を感じられた。そして、十分後に、玉の光が消えた。
第八十二章
雷が雨のように降り注ぐと言うべきか、絨毯爆撃といった方が近いかもしれない。それが、今、止んだ。だが、空中には、まだ、竜に見える黒雲も透明な竜の形も矢が刺さったままだった。それでも、雷の光と音は、まるで竜の怒りが消えたように静まっていた。
「時間が来たようだ」
新が真っ先に玉の光が消えたのが分かり。登と竜二郎に伝えた。
「そうだな」
「門を開けろ。蹴散らすぞ。西都市の騎馬隊の力を見せてやれ」
「うぉおおおお」
西都市の兵は掛け声を上げた。兵の声を聞きながら真っ先に竜二郎は扉を抜けた。それを追うように部下達も走り出した。
「隊は横に並べ」
全ての部下が門から出ると、部下に指示を下した。その後に、新の徴兵隊が続き、登の隊も続いたのだが、驚く事に辺りには無数の刀や鎧が転がっていた。騎馬隊は簡単に避けて走るのだが、後を続く歩兵ではかなりの障害物となったのだ。だが、それは、敵である北東都市の兵達も同じだった。まるで、案山子を倒すように簡単に、騎馬隊に蹂躙されるのだった。やっと死ぬ気持ちで逃げても、後から来る。新と登の隊で命を狩られるのだ。この状態を他の北東都市の兵が見れば、敵の兵に立ち向かうはずもなく、この場から逃げることしか考えられないのは当然だった。
「これなら、簡単に済みそうだな」
竜二郎は、当初の計画よりも簡単に敵を蹴散らせる事が出来たために、予定よりも新と登の隊との開きがあることに不審を感じなかったのだった。その勢いのまま敵の本陣のまじかまで迫ると、計画の通りに左側に曲がり、少し前まで左翼に展開していた敵を蹂躙しに向った。だが、この少しの距離が離れていたためと、本陣に雷が落ちなかったのと、近衛部隊の精鋭のためだろう。騎馬隊に攻め込まれ蹂躙される。その恐怖を与えるのが作戦の予定が、少しの時間と距離が開いたために恐怖が消えてしまったのだ。それだけでなく、正常な思考判断まで戻り、北東都市の主を安全な場所に逃がす考えだった。だが、自分の都市を売ったはずなのだから行き場所がない。そう思うだろうが、一箇所だけ逃げる場所はあった。北東都市の最後の戦いのために、全ての物資と人員の待機場所であり、作戦名称では隠れ陣と名称された所だった。
「新殿。後は、自分がしたいように動け」
新は、頷くことだけで返事に答えた。
「うぉおおお」
西都市と北東都市の掛け声が重なったが、徴兵隊だと侮られたのか、それとも、心底からの恐怖を克服したからだろうか、その判断は、新と登には分からなかったが、西都市の徴兵隊の掛け声は辺りに響かなかった。それでも、作戦の予定の通りに進める気持ちと、新の赤い感覚器官の修正をする気持ちに変更が出来るはずもなく、新と徴兵隊は、敵本陣を避けるように右に曲がり、元と言うべきか右翼の兵を蹂躙しに向かった。北東都市から見た光景は、まるで、蹂躙のあまりから人の血と臭いに狂い。指揮系統が乱れた軍と感じ取られてしまい。登の隊は攻め込むが侮られてしまったのだ。だが、主を逃がすための護衛として、殆どの兵が随従したために互角な戦いをするのが精一杯だった。
「行け。突破しろ」
「負けるな。主様が安全な所まで撤退するまで踏ん張れ。死ぬ気持ちで耐えるのだ」
両陣営は押し切ると思えば、押し戻され。それの繰り返しだった。それでも、少し少しと北東都市は後退し始めた。だが、武力に負けたと言うよりも、程よい時期をみて撤退する考えだと思える後退だった。その敵の作戦には、登も感じ取っていた。部下達は、敵陣を突破する考えだったが、登の思案では、そろそろ限界と思えた。敵の九割の陣が崩壊して都市は守れたこともあるが、これ以上、敵を追い込めると危険だと考えた。それでも、いつ頃、後退の指示を叫ぶかと迷っている時だった。
「登殿。力を貸しにきましたぞ」
竜二郎の騎馬隊が左翼の陣を崩壊させて戻ってきたのだ。
「良く来てくれた」
登は安堵した。すると、北東都市の軍は陣を守ろうとしたが・・・・それは数分後・・・。
「陣を後退する」
その指示は、登の耳に聞えないようだったが、何かの指示が下されたのは判断が出来た。
「近衛隊長」
北東都市の軍の後方から援軍が現れた。登は、陣の建て直しの指示だと感じたのだ。
「追うな。陣からの保持に専念しろ」
その指示が、竜二郎の耳にも届くと、騎馬隊を敵陣に向って走り出して、登の隊の援護に動いた。そして、正気だと感じる言葉で・・・・・。
「戦の決着がついたのだ。もし逃げるなら追わない。どうする最後まで戦う気持ちか?」
「・・・・・・」
「味方の九割は、地面に横たわるか、方々に散ったぞ。もう良いだろう。陣を引け」
「・・・・・・・」
騎乗から叫ぶが、北東都市からの返事は無かった。だが、竜二郎が馬を止めると・・・。
「刀を納めろ。撤退する」
北東都市の近衛隊長だろう。指示を叫びながら竜二郎の目の前に現れた。
「済まない」
一言を口にした後、頭を下げたのだ。
「主に伝えろ。西都市には竜の加護がある。二度と西都市の領地を侵すことをしない。その確約の書面を寄越すのならば、戦死者たちの弔いを許す。これは、東都市が約束しよう」
「・・・・」
近衛隊長でも即答できることではなかった。
「竜の加護を証拠するように、今回の戦いでは西都市と東都市からは、誰一人の戦死者は出ていない。それを主に伝えて、戦いは無駄だと主を諫めるのだな」
「この場のことは感謝するが、諫めるほどの悪い主様ではない」
「分かった」
「撤退だ」
竜二郎は怒りを表した。その様子は感じ取ったはずなのだが、武人としての意地だろう。堂々と背を向けて歩き出すのだった。西都市も東都市も普通なら勝ち鬨を上げて、敵を見送るのだが、かなりの疲労を感じていたので無言で見詰め続けるだけが精一杯だった。確かに、誰一人として戦死者は居ないが、後、一時間も戦いが続けば、疲労で刀を振ることも出来なかっただろう。
「終った」
「ああっやっと終ったな」
登と竜二郎は安堵した。だが、何かが足りない。それに、一瞬の思案の後に・・・・。
「新殿は?」
登が竜二郎に問い掛けた。
「そう言えば、都市の周りの敵を蹴散らした後、俺に徴兵隊を預けて一人で敵を追いかけたなぁ。大丈夫だろうか?」
「何だと・・・なぜ、一人で行かせた。まだ、子どもみたいな者なのだぞ」
「新殿なら大丈夫と思ったのだ。先ほどまでの戦いを見れば、俺の隊の一番の使い手よりも強いだろう。それで、一人で行かせたのだ。だが、今考えると、無茶だった。本当に済まない。共に探しに行こう」
「ああっ、確かに、先ほどの様子を見れば、俺も頼ってしまう」
「そうだろう」
「それで、どの方行に行ったのだ」
「あっちだ」
竜二郎は、右手で方行を示した。
「行こう」
「あっ」
今すぐに、二人は行動しようとした時だった。向う方行から新が現れたのだ。
「無事だったようだな」
「ああっ、そのようだな。本当に無事でよかった」
新も気が付き、二人が、と言うよりも、三つの部隊が集まっている所に向かってきた。だが、何か落ち込んでいるような悔しいような複雑な表情を浮かべていたのだ。その様子を見て、登は駆け寄るのだった。
「何があった?」
「倒さなければならない者を逃がしてしまった」
「そんな相手など良いだろう。もう今回の戦いで、北東都市は西都市には攻めては来られるはずがないのだぞ。都市の中が落ち着けば、主様から感謝の気持ちを寄越すだろうが、俺からも感謝の気持ちを伝えたい。本当にありがとう。まあ、共に酒を飲みたいが、まだ、無理だろう。ああ、そうだ。あの饅頭だけでなく、好きな物を好きなだけ食べさせよう」
新は、始のうちは話を聞いているようだったが、途中からは聞いていなかった。登の会話の内容に興味がない。と言うよりも何か思案をしているようだった。
「ありがとう」
何の話しだったか分からないのだろう。だが、何かを食べさせてくれる。それだけが、頭の中に残り。それで、感謝の言葉を言ったのだった。
「いろいろ話しもあると思うが、皆も疲れているのだ。まずは部隊の解散をするとして、後は、都市の中で話をすることにしては、どうだろうか」
「そうだった。全てが終ったと思って・・・・つい」
「わかった。わかった。新と登は話があるようだ。この場に二人は置いて全部隊は都市に帰るぞ」
皆は安堵しているが、塀の上の竜と空の黒い竜のような雲は、まだ、存在していた。もしかすると、消えない理由は、これから何か起こる予兆なのかもしれない。
「本当に、先に帰るぞ」
「ああっ、頼む。少し新殿と話しをしてから帰る」
「えっ」
新の驚きは、登と二人で残されることでもなく、内心の気持ちが分かったからだった。
「違うのか?」
「その通りだ。北東都市が攻めて来ないのならば、こちらから探してでも倒さなければならないのだ」
「そこまでする必要があるのか?」
「自分には、あるのだ」
「今までしてきたことを続けると言うことだな。だが、今回は手伝えないぞ。都市の中を見ただろう。あれを片付けることになるだろう。それに、都市の復興もある」
「恐らく、一緒に行くことになるはずだ。だが、その前に片付けるのが先なのは分かる。その証拠に空中に竜が存在する」
「そのような話は後でするとして、まずは、食事にしよう」
新の体の機能が空腹を知らせた。赤い感覚器官からは殺気が消えた。先ほどまでは、修正を図る為に別の人格にさせたのだ。だが、きっ掛けは、料理長と猛の死で、内心では強い者になりたいと願ったのだろう。それでも、何時まで維持できるか不明だった。
「あっああ」
新は微かな表情だが、恥ずかしそうに頷くのだった。
「まあ、炊き出しだからトン汁とカレーライスと決まっているが、嫌いではないだろう」
「ああっ、だが、料理長の料理なら炊き出しでも美味しいのだがな。もう一度だけでもいいから食べてみたかった」
「そうだな」
二人は、料理長のことでも考えているのだろう。都市に入るまで無言だった。
「酷い状態だな」
「えっ、あっ、そうだな」
登の独り言のように呟いた。その言葉に、新が反応したと言うよりも、足元にある無数の弓矢を踏んで、その痛みで正気を取り戻したようだった。
「話は終ったのか?」
竜二郎が言葉を掛けてきた。
「ああっ終ったよ」
竜二郎を先に返して正解だと思った。徴兵隊を炊き出しの指示を出して、自分の部下と都市の武器商人で弓矢の片付けをしていたのだ。それだけでなく、武器商人の話を聞いていると、弓矢を買い取るための値段交渉をしていたのだ。だが、私利私欲ではなく、その金額の全てを建物の修理や市民の援助費にするだけでなく、その金の流れで様々な商人たちを動かして町の活性化に繋げたのだ。恐らく、全ての都市の者に仕事と金が流れるようにしたのだろう。もし、この考えが実行されてなければ、都市を捨てる者が多かっただけでなく、都市の外にある甲冑の奪い合いが起きて、西都市の外と中で収拾つかないほどの騒動が起きていただろう。
「外の甲冑や刀も買い取れるのでしょうか?」
「それは、少し待てくれないか、北東都市が戻ってくるかもしれないし、甲冑や亡骸を交渉の材料にする可能性もあるのだ。まず、都市の中を片付けてから様子を見よう」
「弓矢よりも金になるのですが・・・はっはぁ。仕方ありませんね」
商人たちは本当に残念そうに頷くのだった。それから、たいして片づけが終っていないのだが、食事が出来た。と、言葉と鉄と鉄がぶつかる音が響くのだった。勿論、皆は直ぐに手を休めて、食事をもらうための列が出来るのだった。結局、その日では終る惨状でなく、それでも、足元が暗く見えなくなるまで続けている時だった。
「我は、今回の全てのことを都市の責任と考えた。我が頭を下げることで気持ちが休まるのなら頭を下げる。本当にすまない。今回のことを許して欲しい。勿論、今回のことで亡くなった者は、都市葬として葬儀する。兵士の場合は二階級特進とする。だが、徴兵された者、都市の市民に交易などの一般の者には、弔慰金だけでなく、二十年間の生活保障金を保障しよう。勿論だが、怪我人も生活保障する考えだ」
この後にも、話が続くのだが、これ程までの保障をしても大丈夫かと思われるだろうが、都市民の移住の阻止と交易人の確保のためなら西都市が保有する全ての財を使っても必要なことだったのだ。それでも、利点はあるのだ。都市の力を他の都市に見せることと、北東都市に、今回のことで最低限の西都市の被害を知らせることに繋がるのと、和平交渉の時に、賠償金の請求をすることが出来るからだ。だが、普通なら葬儀などの儀式が整った時に述べるだけで、突然の訪問はありえないことだった。その訳は、本を読んだことで保障の話しと、饅頭屋を一時的に保護するのでなく、末代まで存続させなければならない。そうか書いてあったのだ。今回は珍しく理由まで書いてあり。それは、これより遠い未来で、過去を調べるための道しるべと、未来から来る者の目印にするために必要だと書いてあったために、饅頭屋だけを保護できるはずもなく、西都市の全てを救済することになってしまったのだ。
第八十三章
北東都市の大部隊が崩壊したことを、周囲の地域に伝わるのは一日もあれば十分だった。その驚きは、北東都市の兵士たちよりも、匿う村や町の住人だった。
「北東都市の大部隊が、西都市に負けたらしいぞ」
「嘘だろう。そのことを村長は知っているのか?」
「それは、誰に聞いた?。確かな情報なのか?」
「ああっ、西都市からの交易人だから確からしいぞ」
「このことを兵隊さん達は知っているのか?」
「知っていれば、戦いの準備や訓練はしないだろう」
「確かに、そうだな」
「それって、本当なのか?。俺、さっきだけど、頼まれた荷物を持って行った時に、隊長らしい人から聞いたのだけどよ。西都市では戦いが続いているから近い間に部隊の再編をして、再度、西都市に攻めるらしいって、でも、大部隊が崩壊して負けたなら解散するのかな?」
「どうだろう。でも、解散したとして帰る場所ってあるのか?」
「貴族様なら領地があるだろう。そこに帰るのでないか?」
「村長に聞きに行かないか」
「そうだな。村長なら何か聞いているだろう」
「そうしよう」
村民の殆どの者たちは同じ気持ちだったのだろう。この場の者が村長の家に行ってみると、殆どの村民が集まり騒いでいたのだ。
「俺も変だと思っていた。そうだろう。武人の象徴でもある武器も持たずに裸で逃げて来たのだからな」
「そうだ。そうだ」
「それに、戦いに行くというよりも砦や矢倉なんて建てて、この村に落ち着く考えのようだろう」
皆が騒いでいる中で、一人の男が心配そうに言葉を掛けてきた。
「村長。俺は、売った代金がもらえるなら居てもらっても構わないぞ」
「まあ・・確かに、良いお得意さんができた。そう考えれば村も潤うから居てもらったほうが良いかもしれない。でも、何か気に食わないって言うか・・・もしかしたら何か適当な理由を付けて、税を取られるような気がする・・・・・何か不安だ」
「それなら、皆で行こう。俺、代金をもらいに行くところだったけど、一人で不安だった。皆で行くなら安心だし、皆も良いお得意さんができたと分かれば安心だろう。なぁなぁ、だから、皆で行こう」
「わしは、ここまで言われたら一緒に行くしかないが、皆は、どうするのだ?」
「長老が行くなら行くしかないだろう」
「そうだな」
「うんうん」
中年の男の言葉で、長老が承諾した後は、皆も頷き、貴族と名乗る者たちの砦に共に行くことになった。その向う間に、中年の男以外の者も代金立替をした者が多かったと分かるのだった。
「分かった。分かった。わしが、支払いは何時になるのかと聞くから安心しろ」
「それは、良かった。長老殿なら安心だ。宜しくお願いします」
「分かった。分かった」
などと、皆の思いを聞き終えた頃、小さい丘の上の砦が見え、そろそろ着こうとする時だった。森の中から人が歩く音が聞えてきたのだ。皆が何かと不安を感じて立ち止まった。
「団体で、砦に何か用件でもあるのかな?」
見張りをしていたのだろうか、五人の男が現れたのだ。
「はい。隊長殿に、ご用件がありまして・・・・」
五人の中で小隊長らしい者が話を遮って問い掛けてきた。
「それにしては・・・手ぶらとは変だな?。まだ、いろいろと、注文した荷物が来るはずだと、隊長から聞いていたのだが?」
「そのことで、隊長殿に話があったのです」
「そうだったか、隊長は忙しい方だ。俺が代理で聞いてやろう」
「それでは・・・・困ります」
「何だ?」
中年の男が、先頭に現れて思いを言うのだが、最後まで勇気が残らずに、最後の大事な用件は、恐怖のために言葉にならなかった。そして、男を見るに見かねて、長老が後を続けたのだ。
「その・・隊長が忙しいのは承知しております。勿論、私たちは、直ぐに話ができるとは思っておりません。適当な所で、忙しい御用件が終るまで待つ気持ちなのです。それですので、そのように隊長殿に伝えて頂けませんか?」
「俺が聞くと言っているのだ」
「ですが、そこを何とかして頂けないでしょうか?」
「なぜ、会えぬか教えよう。先ほど、斥候から西都市が落ち武者狩りをしていると噂を聞いたらしいのだ。だから、用心のために隊長は砦から出られないのだ。それだけでなく、これから、西都市との再戦する作戦も考えなければならないのだ。ここまで言えば分かるな。だから、俺が聞くから話をしてみろ」
「俺、誰でもいいけど、でも、目の前に兵隊さんではお金を持っているとは思えないから、だから、隊長さんの用件が終るまで待つよ」
「ここまで言っても分からんのか、それなら、話を聞くのはやめた。さがれ、さがれ」
「そんな、代金を払ってくださいよ」
「触るな」
小隊長は、中年の男が自分の服に触ると同時に、刀を抜き、中年の男を切り殺した。
長老は、中年の男の体を支えて、容態を見るが、誰が見ても無駄だと感じて、悲鳴を上げながら村の方に駆け出した。だが・・・・・。
「な・・・なんてことを・・・・な・・・なぜ?」
長老が一人で、理不尽だと、小隊長を見詰めるのだった。
「さがれ。と、言ったのに近寄るからだ」
「謝罪はないのですか?」
「俺は、さがれ。そう言った」
「謝罪はないのですね・・・・・・分かりました。それでは、隊長殿に伝えてください。もうこれ以上、一粒の米でも用意はできません。そう伝えてください」
「なんだと~ぉ」
「切り殺しますか、この男のように殺しますか?」
「俺が済まなかった。許してくれ」
今にも直ぐに切り殺すような感じだったが、長老の怒りの視線に恐怖を感じたのか、それとも、上官だけでなく、この部隊の長に叱責を受ける。それを感じたのだろう。自分の非を認めたのだった。
「許せることではないですが、その話が本当なら隊長殿と話をさせてください」
「分かった。この場で待っていろ。だが、隊長殿と話ができるか分からんぞ」
「分かりました」
一時間くらい過ぎると、先ほどの男が戻ってきて長老に書簡を渡すと、無言で、また、森の中に入ってしまったのだ。
「えっ?」
長老は、仕方なく、男を引きずるように少し歩くと、何人かの村の男が木の陰から出てきた。そして、切り殺された男を二人で抱えながら村の方に無言で歩くのだった。何も言えないのは、一部始終みていたからと言うよりも、長老の無言で考える表情を見て、これから村は最悪な状態になる。そう思ったからだった。
「何だ?」
そろそろ、長老宅に着きそうな時だ。長老たちを無視して何頭かの馬が通り過ぎた。
「村から出て行くのか?」
「それは、ないだろう。だが、出て行ってくれないかな」
中年の男を抱えていた。その二人の男が希望を口にしていた。それは、当然かもしれない。生きている者でなく死体なのだからだ。すると、先ほどの何頭かの馬が戻ってきたのだ。やはり、無視して通り過ぎるが、一瞬の表情を見た。いや、見たような気がしただけか、それでも、馬鹿にしたかのような笑みを浮かべている。そんな感じを、長老と、二人の男は感じた。やはり、嫌な感じは本当で、その証拠のような物を数分後に見ることになるだけでなく、先ほどまでの微かな希望も吹き飛ぶことになるのだ。
「なぜ、なぜ、わしらが何をしたと言うのだ」
長老は、遠くからは何か分からないが、玄関に入るのに邪魔な物があるのに気が付くのだった。そして、立て札だと感じて、近寄って読んでみると、心臓が止まるほどの内容が書かれてあったのだ。
「長老。何て書かれてあったのです」
文字が読めないのでなく、長老が立て札の正面に居たので読めなかったのだ。
「この村を、領地として支配すると書いて・・・・・ある」
その場で、長老は倒れてしまった。
「長老。大丈夫ですか、確りしてください」
直ぐに、長老を家の中に入れて、床で休ませた。そして、中年の男の死体も丁重に客間に横に寝かせた。直ぐに男の家族に知らせたいが、長老が言ったことが気になり。何をしていいのか分からなくなっているのだろう。長老が寝ている隣で呆然としていた。この立て札に書いてあることは、始から予定されていなかった。本当に再戦を考えていたのだ。何日かすれば、陣の建て直しの知らせが来るか、自分の領地だった所を取り戻す。そのどちらかを実行する考えで、村の者とは衝突を避ける考えだったのだが、中年の男を殺したことで、正常な思考が消えて、全てを武力で揉め事を収める。それしか、結論が出なかったのだ。この村だけの不幸かと思われるだろうが、そうではなかった。武人とは同じ思考なのだろう。様々な原因はあるだろうが、結果的には同様に逃げ込んだ先の村や町を武力で自分たちの物にしてしまうのだ。
「済まない。もう大丈夫だ」
「ですが、もう少し休まれた方が・・・・・」
と、言葉を掛けるが、男たちの瞳には、これからの、村の危機を救うために何をしたら良いのか、それを、訴えていた。
「直ぐに村人を集めてくれ、皆で会議を開きたい」
「はい」
直ぐに村人は集まってくるが、誰一人として良い考えを言葉にすることができなかった。
「使いを出すしかない」
「長老殿。誰に出すと言うのです。近くの村に助けを求めても助けてくれるだろうか?」
「わしが考えているのは、西都市の主に援助要請と北東都市の主に解決を頼むのだ」
「また、軍人を呼ぶのか、今以上に酷い状態になるのではないか?」
「それに、西都市に援助要請をする。その費用は、どうするのだ?」
「あの砦の者たちに騙されて、これ以上の金などない」
長老の提案に、皆の、それぞれの思いを言うのだが、何も解決ができる内容ではなかった。それで、長老は仕方がなく・・・・・。
「わしが、費用を出そう」
「おおお」
皆は、これで問題は解決した。そう感じたのだろう。喜びの声を上げていた。
「それで、誰に行ってもらうか、それを決めなければならないのだ」
「・・・・」
皆は、左右に首を振り、誰か行く者がないかと、見回していた。
「最低でも、西都市に行く者と北東都市に行く者で、二人は必要だ」
「・・・・」
長老は、一人一人に視線を向けるが、向けると逃げるように下を向くのだった。
「誰も行く者はいないのか・・・・・・・それなら、わしが決めても良いのだな」
「・・・・・・」
長老は、がっくりと肩を落として思案した後に、村民に失望でもしたのか、少々怒りを感じる声色で問い掛けるのだった。その口調に恐怖を感じたのだろうか、それとも、長老が言ったことに承諾するしかないことに気が付いたのだろうか、まるで、自分が指名されないようにと、神に祈るように頭を下げるのだった。
「分かった。指名をするのは止めよう。何か他の方法で決めることにする」
「あのう・・・・長老殿」
男は、指名される前なら何かの約束をできる。その気持ちもあっただろうが、現状で悩みがあり。それを解決したいために、手を上げたようだった。
「何だ?」
「俺、使いに行ってもいいけど・・・・行くから頼みを聞いて欲しい」
「それは、何だ?」
「妻と子供の面倒と・・・・・仕入れ代金を都合してくれませんか?。俺、仕入れ代金を・・・あの貴族たちに貸してしまったのだ。倍にして返すって言うから・・・だってよ。店の商品を買う時は気前良く払ってくれたからよ。貸し手も大丈夫かと思ったのだよ」
「あっああ、分かった。何とかしよう」
「ありがとう御座います。必ず、村の助けに来てもらいます」
男は、どうしたら良いのかと悩んでいたのだろう。嬉し泣きまでして村のために要請を頼みに行くことを承諾するのだった。
「俺も」
「俺も行きたい」
男と同じ気持ちだったのだろう。二人の男が手を上げた。
「お前たちも同じことなのだな」
「はい」
「はい」
「それなら、使いに行く費用と報酬と合わせて、金貨五枚では足りないか?」
「間に合います」
「十分です」
「それほどまで頂けるなら十分です」
確かに、驚くほどの値段だった。西都市は二日、北東都市でも三日もあれば着く距離だ。中銀貨三枚もあれば十分な旅費なのだ。それを、金貨五枚では、この場にいる全てが行きたい。そう言う値段だ。それを証拠のように悔しそうに顔を歪める者が殆どだった。
「だが、このような状況だ。命の危険もあるかもしれない。十分に気をつけて行ってくれ」
「はい」
三人は、真剣な表情と言うよりも、少し怯えたように同時に頷いた。金貨五枚分の危険があるかもしれない。そう感じているのだろう。
「それで、念の為に同じ書状を三人渡す。何かあった場合は三通の手紙があるのだから手紙を渡してでも命を大事にするのだぞ」
「はい。そうします」
「それでは、三人を残して、解散してくれ」
長老の言葉で、三人の男を残して解散した。そして、長老と三人の男は長老宅に入るのだった。直ぐに、三人の男たちは安堵した表情で現れて、それぞれの家に向った。恐らく、報酬と旅費の金額を貰ったのだろう。その金額の殆どの家族に渡すはずだ。
「これが書簡だ。頼むぞ」
一時間くらい過ぎた頃に、三人の男たちは旅支度を終えて長老宅の扉を叩いた。すると、待っていたかのように直ぐに長老が現れて、三人に書簡を渡すのだった。
「行って参ります」
「頼むぞ」
三人の男たちは、西都市と北東都市に向うために村から出た。
第八十四章
西都市の地面や建物に無数の矢が刺さっているのだ。その回収は次の日の夕方で終った。だが、都市の中を自由に歩ける程度で、建物などの修復などは終るはずがなかった。それでも、都市葬をするには支障はなく、明日の午後に催すことが決められた。
「ご主人様。そろそろ、正午になります」
小津は部屋の扉を叩き、言葉を待った。
「ああっありがとう」
主が部屋から出てこないのは本を読むのに時間を忘れている。そう感じて、少々待った。すると、返事が聞えたので安堵はしたのだが、驚いている声色だった。長い付き合いだったので、中の様子が手に取るように分かったのだ。おそらく、慌ててネクタイが結べないと感じたのだ。だが、なるべくなら自分で結んで欲しい。そんな気持ちもあったので、少々の時間を待つのだが、無理だと感じて問い掛けるのだった。
「支度の準備を手伝いましょうか?」
「ああっ頼む」
(やはり、本を読んでいて時間を忘れていましたか)
「あっ」
部屋の扉を開けて中の様子を見ると、小津が驚くのも当然だった。主が軍の礼服に着替えていたのだ。それも、ネクタイを結べないのだろう。何度も結ぼうとしたと分かる。ネクタイに複数の折り目が見えたのだ。
「わたくしにお任せください」
「頼む」
小津は、主に近寄り簡単にネクタイを結ぶのだった。
「済まなかった」
「何時でも御用をお待ちしております」
「あっそれで、挨拶状は出来ているのか?」
「はい。こちらにあります」
懐から手紙のような物を取り出し、主に手渡した。
「あの、料理長が亡くなったのか・・・嘘だろう。信じられないぞ」
「本当です」
主が、挨拶状を読んで驚きの声を上げたのは当然の反応だった。その気持ちを慰めようと、震える手を掴んだ。それで、安心したのだろうか、また、続きを読み始めた。
「われよりも、歳下の者も亡くなったのか」
「そうです。徴兵隊の中の一人です」
「われが、皆に言った償いで足りるだろうか?」
「十分だと思います」
「なら・・・良いのだが・・・・」
「ご主人様。そろそろ時間になる頃です」
「分かった。出よう」
屋敷の正面玄関から出て、外を見ると、立ち止まった。
「ご主人様。どうしました?」
「あれの事なのか?・・・・竜というのは?」
「そうです。ご主人様」
「塀に描いた絵が、上空の竜なのだな」
「はい」
「信じられない。本物と考えて良いくらいだぞ。あれを見ただけでも、敵は逃げ出すだろう。まだ、自分が見ても信じられない光景だ。だが・・・・」
「何でしょうか?」
「竜が消えないのと、二頭と言うのか、二匹と言うべきか、それは良いとして、何で一頭の絵を描いただけで、二頭が現れるのだ」
「もしかすると、白竜と黒竜の二頭は・・・」
「おおっ、白竜、黒竜と言われているのか、ほうほう、それで」
「はい。もしかすると、どちらかの片方の影でないでしょうか?」
「そう、噂が広まっているのだな。だが、われは、雄と雌のつがい。そう考えたいがな」
「それは、楽しい考えですね。それで、子でも残してもらい。末代までの守護神にでもなってもらえば最高ですね」
「そうだろう。それでは、行こうか」
まだ、子供だと証明するかのような本当に嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。だが、町に入ると直ぐに笑みは消えて、背伸びした大人の笑みに戻るのだった。
「これ程までに酷い被害なのか?」
屋敷と庭は、矢が殆ど届かない都市の奥にあるために気が付かなかったのだ。
「そうです。これでも、矢の回収だけは済ませました。その前は、まるで、地獄の針山と思うほどの状態だったのです」
「そう・・だったの・・・・か」
小津が言った。その地獄を都市に重ねて想像しているようだった。
「はい。ご主人さま。そろそろ、行かなければ式に遅れます」
「そうだった。済まなかった」
二人は、庭から出て都市に入った。供も乗り物にも乗らないで歩くからか親しみを感じるだけでなく、都市の救済に可なりの費用を出したこともあるのだろう。深々と会釈する者や遠くから道を譲るのに端に寄って笑みを返す者も居た。そんな人達や自分の都市で安全だから小津と二人だけなのかと思われるだろうが違っていた。あまり人付き合いが好きでなく、回りに警護人などを置くのも嫌で、常に最低限度の使用人だけで過ごしていたのだ。まあ、現代で言えば、引きこもりに近い状態だったのだ。それでも、小津と一緒でなら最低限度の公務には顔を出していたのだ。それなら、馬車などで移動した方が良いだろう。そう思うだろうが、人々が自分のことを何て思っているのかと思いと、自分がしている政の結果を肌で感じたい思いがあったのだ。
「お待ちしておりました」
登が声を掛けてきた。そして、竜二郎も挨拶に来たのだ。
「今回の葬儀では、東都市の者まで同列に加えて戴き心底から感謝しております」
「我が都市のことで命を落としたのだから同然のことだ。何も感謝する必要はない」
「恐縮です」
「あっああ」
「ご主人様」
竜二郎の感謝の気持ちに答えていると、登と小津に式の開始を知らされた。
「わかった」
都市葬と言っても極端に大人数で仰々しい儀式ではなかった。広場の中心に弔う者を棺おけに入れて置かれているだけなのだ。だが、その棺おけを隠すように都市の紋章入りの布が覆いかぶされていた。その布が使用されることが最高の名誉なことだったのだ。近くで見れば、亡くなった者の名前と戒名が刺繍されているのが分かるはずだ。式が終った後は、家族に手渡されて、恐らく、末代までの家宝とされるだろう。その棺おけの手前に、登と竜二郎が畏まり、その脇を西都市と東都市の隊長と副長が何かの補佐をするために待機しているようだった。そして、少し離れた所で全兵士が警護するように一般の者たちを隔てていたのだ。
「・・・・・・」
都市の主が無言のまま一人で歩くのは、この場での主役は亡くなった者だと証明するかのようだった。そして、登と竜二郎の所に近づき二人の肩を叩くのだった。それは、立つことを許すことなのだろう。二人は立ち上がると同時に、亡くなった者たちの業績や人柄などを主に教えるのだった。主が、何度が深々と頷くのは、一人一人のことを聞かされて、その者たちの慰労と、何の懸念も無く休んで欲しい。その気持ちを表しているはずだ。全ての者の生前の話が終ると、弔う者の中では最上級の身分の者、この場では、料理長になるが、棺おけの前で長い合掌をしていると、小津が静に近寄り主に花束を手渡した。その花を棺おけの上に置いた。それが、合図だったのだろう。控えていた隊長と副官たちは、料理長の棺おけを抱えて歩きだすと、都市の主も続くのだった。その後を、小津、登、竜二郎と続き、他の一般兵も続くのだ。他の残された棺おけは放置するのかと思われるだろう。だが、それは違う。他のは一般的な葬儀をするために残されたのだ。もしかすると、料理長も一般の葬儀で大勢の者たちに送られたかったかもしれない。それでも、最高の名誉なのは確かなことだったのだ。そして、最後尾には、料理長の家族が涙を流す者、涙を堪える者と続いて、主の庭にある歴代墓所に向うのだ。もしかして、一緒に列に加わられるのか?。そう思われるだろうが違うのだ。だが、ある意味、列に加われるのは確かなことだ。都市の主の歴代ではなく、数少ない都市の英雄の列に入るのだ。まるで、歴代の主を守るようにも、都市の未来や都市の人々を見守り続ける。それを証明するかのような堂々とした生前の写しの彫像の下に眠ることになるのだった。
「西都市の主様。夫も心安らか、いや、違うでしょう。誇りに思って永遠に都市を守ってくれるでしょう」
「そうだな」
棺を土に埋め、彫像を移動させると、婦人が主に感謝の言葉を掛けたことで、全ての葬儀が終わり。それぞれの帰る場所に向った。その頃、一般の葬儀では、多くの者が泣いていた。その中に、新も同じ村の棺の前で泣いていたのだ。
「新殿は何も悪くない。精一杯できることをした。それに、泣いていると、死者も安らかに眠れないぞ。死者に心配を掛けるのか?」
先ほどまでは、感情が無いような様子だったのが、同じ村民の亡くなった者の顔を見たからだろうか、新は突然に泣き騒いだのだ。それで、心配になり。同じ村の者や徴兵隊の者たちが慰めていた。
「うぉおおお」
新は狂ったように泣き叫んだ。だが、泣いても泣いても気持ちが治まらずに、自分が殺したのと同じだ。と考える同時に、精神安定のためだろうか、その感情は、自分でなく北東都市の軍人に向くと、怒りの感情は膨らみ続けて爆発しそうだった。だが、なぜか、懐かしくて温かい気持ちを感じたのだ。もしかすると、脳内の思考が、感覚器官が、救いを求める結果で、赤い感覚器官に結びついたのか、まるで、母が子供を落ち着かせようと、温かくて柔らかい手で頭を優しく撫でられているような感覚を感じたのだ。
「えっ・・・・誰?」
だが、母ではないと思ったが、誰なのかと考えていると・・・・・。
「新さん。どうしたの?。何か変よ。なぜか、寒気を感じるような無数の針に刺されているような感じで怖いわ」
女性の優しくて温かい言葉を聞いていると、怒りと悲しい気持ちが優しく包まれて、二つの感情が段々と治まってきた。そして、気持ちが鮮明になり。
「美雪さん・・・・?」
「そうよ。美雪よ。何かあったの?」
「えっ。何も無いよ。どうして?」
「今は違うけど、さっきは、怖かった。まるで別人のようだったわよ。何か遭ったの?」
「そうかぁ。でも、何も無いよ」
「そう」
感情と感情のつながりだからだろう。新が嘘を言っているのは分かるが追及はしなかった。それを言うと、新が困ると思うからだ。
「それよりも、美雪さんの方こそ無茶なことをしていませんか?」
「無茶って、どんなこと?。私・・・運命の泉に一日に三度のお祈りをしているだけよ」
最低限のことだと思っているのだが、もしかして違うのかと、恐る恐ると問い掛けるのだった。だが、返事がなく、再度、言葉にしようとした時だった。
「心配してくれて、ありがとう」
「わたしに出来ることは祈るだけ、無事でさえ居てくれれば、新さんを感じられなくても我慢ができる。それに、話が出来て本当に嬉しいわ」
「僕も嬉しいよ。美雪さんと話しができて嬉しい」
「本当に何もなかった?。前は、怒られたから・・・あのう」
「何もないよ」
「それならいいけど・・・・そうそう、猛は元気?。新さんの邪魔をしていないと良いのだけど、それが、心配だわ」
「猛は・・・」
新は、笑みを浮かべて楽しそうに話しをしていたのだが、猛と言葉を吐くと、苦しそうに顔を歪めた。まるで、その言葉を忘れていたのを思い出したかのようだった。
「どうしたのは?。何て言ったの?聞えないわ?」
美雪は、何度も同じことを言うのだが、まるで、突然に電話が切れたかのように会話が途切れた。だが、繋がっているような感じはするために、泉から出ることは出来なかった。
「駄目だ。村には帰れない。でも、村に帰りたい。それには、最低でも敵討ちはしなければならない。だが、許してくれるだろうか?。それだけでない、血まみれの手で、美雪さんに触れても言いのだろうか?」
新の言葉は、美雪には届かなかった。まるで、受話器に伝わらないように手で塞ぐようにして思案していたからだ。だが、口からは言葉として出ていた。
「新さん。どうしたの?」
新の意思なのだろう。美雪とは繋がっているが届くことはなかった。それでも、聞えるのを待ち続けた。
「新殿。それは違う」
達也が、新の言葉が聞えて話を掛けてきた。
「新殿?。そう言われているの?」
美雪が問い掛けるのと、達也が新の肩を叩くのと同時だった。その時、新は驚いたことで、美雪と新の繋がりが切れた。
「新殿が悩むことはない。悪いのは北東都市だ。だから、何も気にしないで村に帰っていいのだぞ。それに、血まみれの手などと思うな。頼むから言わないでくれ。俺もだが、想い人も悲しくなるぞ。その血は、俺たちの命と、新の命の替わりに流れた血だからだ」
新は、納得したのか、ただ、首が疲れただけか、それとも、答えの出ない問いを考え始めたのか、それは、分からないが、そろそろ、葬式の儀式が終ろうとしていた。
第八十五章
人なのか動物なのか判断が出来ない。そんな響きが運命の泉を中心にして広がっていたのだ。だが、動物なら別なのだが、この運命の泉には、村の者が徴兵されてからは運命の泉に近づく者がいなかった。なぜ?。そう思うだろが、運命の泉の不思議な力を信じないのでなく、その逆だったのだ。前に見た内容を信じたくない者や見た内容が変わるかもしれない恐怖で、村の女性たちは訪れなかったのだ。それでも、ある家族だけは、近くに住んで居る。その意味もあるが、まるで、運命の泉の宮司のように頻繁に訪れていた。
「美雪は、まだ、戻らないのか?」
「そうよ。また、泉にでも行っているのでしょう」
「一人で大丈夫か?」
「幼い頃から遊びに行っているのよ。心配しなくても大丈夫と思うわ」
「そうだが、食事の時は帰ってきただろう」
「一緒に昼を食べたいだけでしょう」
「そう言う意味ではないぞ。女の子なのだし・・・・・何かあったのかも」
「はい、はい。分かりました。探してきますわ」
夫が言い訳をしているのが、言葉を詰まらせたことだけでなく、片目だけを何度もまばたくので分かっていたのだ。それでも、女性は仕方なく調理を終えた鍋などを洗うのを止めて、娘を迎いに行くのだった。その頃には、響きが止んでいたが、今度は、人か大型の動物が激しく動く水しぶきの音が響いていた。その音には、まだ、誰も気が付いていない。
「それなら・・・俺も」
「あなたは、家に居て、誰も居なかったら変に思うでしょう」
「むぅ・・分かった」
夫が渋々と頷く姿を見て、嬉しそうに家から出るのだった。家に一人で残された夫の方は、落ち着いて待っていることが出来ないのだろう。連れ合いが途中で止めた片づけを始めたのだ。もしかすると、嬉しそうに家から出たのは、夫の行動が手に取るように分かっていた。その笑みだったのかもしれなかった。
「新さんの家に行くのは許していないから泉の方に間違いないわね」
そう呟くと、もう見つけた気持ちなのだろう。何も迷うことなく歩き出した。すると、何か音が聞えて雨でも降り出した音なのかと上を見るが、雨が降りそうな感じではなく安堵すると同時に嫌な不安を感じて、娘の名前を叫びながら走り出したのだ。
「キャ~」
驚くのは当然だった。運命の泉の中央で娘が溺れているとしか見えなかったのだ。勿論だが、何も考えることもなく直ぐに泉の中に入って、娘を岸まで引き上げた。
「大丈夫。美雪、大丈夫なの?」
娘が息をしているのに安堵したが、名前を読んでも返事がなく体を揺すりながら何度も名前を呼び続けたのだ。
「あっ・・・お母さん。何で居るの?」
新との感情の繋がりで一種の記憶障害を起こし、何が起きたのか、なぜ、岸辺で母に抱かれているのかと、思い出そうとしていた。
「それよりも、何で馬鹿な事をしたの?。新さんに会いたくないの?」
「えっ・・・・馬かなことって?」
美雪は、意味が分からずに驚くのだった。
「まさか、新さんが亡くなったって知らせでも来たの?」
「お母さん。何を言っているの?」
「だって、何か理由があって自殺しようとしたのでしょう?」
「えっ・・・・・えへ」
母の言葉で驚くが、邪な考えを思い付いたような笑みを浮かべるのだった。
「違うの?」
「う~ん」
「そう・・・もうしないと約束できる?。それなら、お父さんには内緒にするわ」
「うん」
「それで、何があったの?」
「運命の泉の力で、新さんと話をしていたのだけど、突然に話が聞えなくなって、でも、泉の水を飲めば、また、話ができる。そう思って飲んでいたのだけど・・・・・・」
まだ続きはあった。
(突然に足が攣って、それで、溺れている見たいに見えたらしいけど、片足で跳ねれば息はできたから死ぬことにはならなかったはずなのよね)
と、恥ずかしい気持ちもあるが、このまま黙っていたら自分が思っていることを許してくれるかもしれない。そう考えていたのだ。
「それで、新さんが亡くなったかもしれない。それで、命を絶とうとしたのね」
「・・・・・・・」
何て返事をしていいか迷って言うと、母が勝手に思って話を始めた。
「そうなのね。これからも、泉には来る気持ちなの?」
「はい」
「まあ、運命の泉の力は、何て聞えるか知らないわ。でも、美雪が聞えるなら本当なのでしょう。でも、また、聞えなくなる場合もあるでしょう。その時も、今回のような馬鹿な考えをしない。そう約束してくれるわね。絶対に出来るわよね」
母は、いや、村の誰一人として、本当に運命の泉の水を飲んで、遠くに離れた所にいる。その新と会話ができるなど誰も信じていなかった。だが、皆は、会いたい思いで、幻覚のような声が聞こえるのだろう。そう思っていたが、誰も言わなかったのだ。それが、心の支えだと思っていたからだ。
「もし・・・新の家・・・掃除などを出来たら・・・気持ちが紛れるかも」
悩みながら苦しみを堪えるように言うのだが、それは、嘘の演技なのだ。
「そう・・・・・分かったわ。何とか、お父さんを説得してあげるから本当に止めてよ」
「はい」
「でも、説得できなかったからって、もし馬鹿なことをしたなんて言ったら家からも出られなくなるからね。分かっているわよね」
「はい」
「それでは、家に帰りましょう。でも、濡れた服は何とかしないとね・・・・・・」
母は普段の状態に戻っていた。何かを考えているようだが、娘の母である。既に考えは浮んでいるようだった。美雪は、何を言われるのかと怯えていた。
「そうそう、温泉に入りましょうか、最近は一緒に入ってないからね。久しぶりに入りましょう。着替えなどは持って来るから外で待っているのよ」
「はい」
いつもの母では逆らえるはずもなく、美雪は頷くしかなかった。そして、親子は、昼の
食事の内容などを話しながら家に帰るのだった。勿論、家に着くと、母の指示に従い。外で待つのだが、その間、父親が愚痴を漏らす声を聞くが、連れ合いの楽しみを邪魔することなどできるはずもなく、母親は嬉しそうに玄関から出てきた。
「お待たせ。行きましょうか」
「はい」
美雪は、食事を済まして直ぐに部屋に戻りたかった。そして、朝まで待てば、新の家で過ごせる。その返事を聞けると考えていたのだ。それなら、二親を誤魔化せると考えていたのだが、このまま、母と一緒ではうやむやにされるのではないか、そう考えながら後ろから着いて行くのだった。
(無言ね。もしかして説得を考えているのかしら?)
美雪にしては長い時間に感じた。だが、家の裏にある。五分くらいも歩けば着く所なのだ。その温泉は、娘が生まれてから村の共同風呂まで山を下りるのが可愛そうだと思うと同時に、当時の自分たちが女湯を覗いていたのを思い出して、まだ、未熟な娘の体でも他の男たちに見せたくない。それが、最大の理由だった。その理由を妻は、娘が父親と一緒に入らなくなる頃に知ることになるのだ。だから、夫を何かの説得や無理な願いを聞いて欲しい時には、それを口にするのだった。
「ねえ、美雪」
「何?」
「最近、お父さんに冷たくない?」
「そうかな」
「そう・・・・・そうそう」
「何?」
「この温泉を作った理由って教えてあげようかぁ」
「山に下りるのが大変だからでしょう。違うの?」
「当時はね。わたしが美雪を抱っこして山を下りるのを大変だからだと思っていたの。でもね。違うのよ。共同風呂って女性は知らないけど、男性にだけ代々に伝わる。のぞき窓らしき物があるらしいの」
「本当なの?」
「本当よ。場所まで教えてくれないけど、男性側の風呂から覗けるらしいの。だから、教えても確認はできない。それで、諦めたけどね。でも、怒ったわよ。他の男たちに私の裸を見せていたのって、でも、それは、無かったみたい。お前が入浴している間は、のぞき窓に体を寄りかかって隠していたってね。確かに変だったのよ。風呂に行く場合は、一人で行くなって何度も言われていたからね。それを知ったから作ってもらったのだけどね。本当の動機は違っていたのよ。それは、美雪がお父さんとお風呂に入らなくなった頃ね。お酒を飲んで酔って居る時に、独り言を聞いてしまったの」
「何て言ったの」
「それがね」
「うん」
「未熟な娘の体でも他の男には見せたくないために風呂を作ったのに・・・・・共同浴場では、まだ一緒に入っているらしいのに・・・もう一緒に入ってくれないのか・・・・それなら作るのでなかったなぁ。って言ったのよ」
「まさか、お父さん。私の体を見たいの?」
「そう言う意味ではないけどね。当時は、娘が背中を流してくれた。それが、一番の楽しみだ。そんなことを言っていたわ」
「そう」
「でも、わたしのためでなく、娘のために作ったって聞いた時は、頭に来たわよ」
「そうでしょうね。お母さんなら怒るでしょうね」
「だから、何かある時は、そのことを言えば、無理なことでも許してくれるの」
「そうなんだ」
「美雪。だから、新さんの家で過ごすことは許してくれるわよ」
「本当」
「うん。もう、これ以上は言わないけど、絶対に馬鹿なことはしないでしょう」
「しないわ。しないわよ。だって、あれは・・あっ」
美雪は、興奮して、つい、本当の事を口から出そうだった。
「何?」
「泉の水を飲む時は入らないで飲むようにするわ。それだけでなく、水で体を清める時も注意するわ」
「それなら、いいけど」
「約束するわ。もう、何か濡れた服を着ているから寒くなってきたの。早く一緒にお風呂に入りましょう」
「そうね。そうしましょう」
二人は粗末な着替え室に入った。室と言うよりも竹で作られた塀を四方で囲むだけの物だった。温泉の方は自然に生えている木々で辺りからは見えないようになっている。そんな、自然の風景を楽しめる。現代人なら泣いて喜ぶような本格的は露天風呂だった。だが、この時代では質素と言うべき物だ。それでも、個人用の風呂があるのは贅沢だったのも確かなことだった。
「熱くない?」
「大丈夫よ。お母さん」
「それなら、良かった」
「お母さん。熱いの嫌いだからね」
「本当に丁度良い温度ね」
「でしょう」
美雪は、母が手を入れて温泉の温度を確かめながら浴槽に入るのを見て、嬉しそうに頷くのだった。
「良い湯ね」
「そうでしょう。もしかしたらお父さんが、丁度良い温度に調整してくれたのかもね」
「そうかもしれないわね」
二人の親子は、嬉しそうに父であり。夫である男の悪口のような過去の思い出を言いながら温泉を楽しむのだった。だが、この温泉の温度が変わっている。この不思議なことは村にこれから起こる兆候だった。それだけでなく、まるで証拠のように、普段よりも明るく不気味な赤い月が出ていた。
第八十六章
山中を何かに怯えるように動き回る集団がいた。集団だけでも何かの行事か迷子の子供でも探しているのなら分かる。だが、その集団は、裸体同然の姿で歩き回っているのだった。もしかすると何かを探しているのか、そして、川沿いに近い場所で何かを見つけたのだろう。突然に数十人の者たちが素手で地面を掘り始めた。
「もう少し深く、そして、大きく掘れ」
その集団の最上級者ではないのは雰囲気で感じ取れる。恐らく、指揮系統では中間で作戦を直接指揮する者だろう。大声を上げて指示を伝えていた。
「承知しました」
数十人の者たちは同時に返事を上げるが、心底から疲れを感じているような様子なのだった。もしかすると、仲間の死体でも埋めるのか、まさかと思うが、まるで、自分たちが入る墓でも掘っているかのような疲れや不満を表していた。
「もう少し急ぐのだ。完成が遅くなれば、自分たちが入る時間がなくなるのだぞ」
不思議なことに、自分たちが入る。そう聞くと、嬉しそうに笑みを浮かべる者までいるだけでなくて、穴を掘る作業も早くなるのだった。指揮官の言葉を最後まで聞いていないのか、いや、聞えないほどまで夢中なのだろう。黙々と掘るのだった。やっと掘り終わると、今度は、川から水を引き入れるように小さい堀を作り、穴に水を入れる作業を始めた。
「大事なことを伝えるのを忘れた」
集団の最上級者ではないが、先ほどの者より上官の者が、慌てた様子で現れた。
「何でありましょうか、上官殿?」
穴を掘る者たちは、直接に言葉を掛けられるはずがない。そう感じているのだろう。耳には届いているはずだが、聞えないように作業を続けていた。
「温泉が流れている筒は壊さずに、村の者には気付かれない程度に穴を開けて、湯を引いて湯殿を作るのだぞ」
「承知しました」
「完成したら直ぐに知らせに来い。分かっているだろうなぁ」
完璧な返礼なのだが、裸だからだろうか、まるで漫才でもしているかようだった。皆が微笑もしないのは、この場の全ての者が裸だからだろう。
「まだ終らないのか?」
威勢のいい声と同時に態度も表していたが、上には上がいるのは当然で、まるで、猫のように機嫌を取るように上官に近寄っていた。
「もう少々で完成を致します」
「そうなのか、それなら、そのように領主殿に報告するのだな。俺はお前を連れて来い。そう命令されただけなのだ」
まるで他人事のように話すのだった。この男に命令した者は、今のやり取りは聞えないが、大声を上げればと届く距離であり。全ての様子を見られる距離でもあるのだった。それでも、報告に行くしかなかった。
「もう少しの時間で完成します」
「そうか、何時間だろうと構わないのだ。心配なのは、これから、村に援助を申し込むことなる。それだけでも、村人たちに迷惑を掛けることになるだろう。それなのにだ。生活に必要な用水路や唯一の楽しみの温泉に入れなくさせたくないのだ」
「指示の通りに致しますので、何も心配することなくお待ち下さい」
「頼むぞ」
「承知しました」
深々と頭を下げた後、湯殿の作業現場に戻るのだった。直ぐに進み具合を見て回った後に、温泉の流れる推量を確認したのだ。頷くのだから村の湯殿の推量も温度も支障が出ない程度なのだろう。勿論、村人の誰ひとりとして、温泉が途中から抜かれているなど分かる者はいなかった。その証拠に、美雪の親子が入浴したことで証明される。だが、その証拠は、この場の者も村人の誰ひとりとして気付くことがなかったのだ。そして、戻って来ると、手を休めているので注意しようとした時だった。
「湯殿が完成しました」
「ご苦労だった。ゆっくり休んで構わんぞ」
そう部下から言われた後に、労いの言葉を掛けるのだった。
「完成したようだな」
「はい」
湯殿の辺りで何かする用事も感心を引く物もないのだ。当然、視線は湯殿が完成するまでの一部始終を見ているのだから作業する手が止まれば完成したことが分かるのだった。それで、先ほどの上官が問い掛けなくても分かることをわざわざ聞きに来たのだ。
「領主殿。湯殿が完成しました。直ぐに入れますぞ」
まるで、自分が真っ先に入りたい。それほどの興奮を表していた。
「ご苦労だった」
領主と言われた男は、下着を脱いで一人で入るのだった。ゆっくりと寛いだ後に、湯殿から上がった。先ほどまで寛いでいたのが、まるで嘘かのように、幹部の部下に指示を伝えるのだ。直ぐに村に行くために身支度を整えろ。だが、指示をした者も部下も裸なのだ。支持を直ぐに実行が出来ることは、湯殿に入り汚れを落とすことしかできない。直ぐに指示の通りに、二人、四人と浴槽に入って汚れを落とすと上ってきた。
「用意が整え終わりました。直ぐにでもお供する事ができます」
「それでは、行こう」
「はっ、お供いたします」
領主が歩き出すと、直ぐに後を続くが、もしかしたら何か不満があったのだろうか、少々どすの利いた声で、部下たちに待機を命じた。領主と上官が見えなくなると、下士官の者が、二人、四人と上官が居ないからだろう。ゆっくりと湯船で寛いだ後に、部下たちも湯殿に入ることを許した。階級が下になるほど人が増えるからだろうか、湯殿に入る数が四人、八人と倍になり。そして、その倍と、又、倍と入浴する者が増えていった。この状況を領主と部下はしらないはず。いや、楽しみがあれば部隊からの脱走はしない。そう思って安心しているはずだ。そして、偶然なのか、それとも、時の流れで定められたことなのか、領主と部下たちが歩いて村に進む所は、道でもなく、勿論だが、獣道でもない。未開のジャングルのような場所を無理やりに草木を避けながら歩くのだ。その場所は、新が村に入るために通った所と完全に一致するのだった。
「何て言う村なのか分かるか?」
「分かりません」
領主の一人を囲むようにして、草木を避けて歩いていた。もしかすると、何もすることがないからだろうか、領主は沈黙を破る声を上げた。
「それは、変ではないか?。この辺りに村があるのだろう」
「はい。間違いなく近くに村があります」
「間違いないのだな?」
「その証拠に、用水路や温泉を引く筒があったので間違いありません」
「そうなのか・・・・分かった」
何か思案しなければならないことがある。そんな様子で頷くのだった。
「領主殿。どうしました?」
「人に頼む時とは、どうしたら良いのだろうか?」
「えっ」
供としてきた。全ての者が領主に顔を向けたのだ。それに、気が付いてないのだろう。そのまま話を続けていた。
「金があるのなら取りに来いと言える。だが、金も無い。担保も無く。返せる当てもない。そんな者に何かを貸すはずもない。それだと言うのに人に頼んだこともないのだぞ。確かに、人に頼む時は頭を下げるらしいが・・・・・・それだけで済むはずがない。むっむむ」
「領主殿。我々は、労働を提供できます。それで、賃金を頂きましょう」
「労働かぁ。農地などを耕すのだな。だが、労働力が足りない。そのような事があるだろうか?」
「可能性はあります。様々な村から徴兵されていると噂を聞いておりますので、人員が足りない可能性があります」
「父上が居てくれたら、賃金などの交渉はできただろう。だが、父上からまだ何も教わっていない。ハァ~。交渉が出来るだろうか?」
「・・・・・・」
主が大きな溜息を吐いたことで不安になったのだろうか、それとも、自分たちに交渉をしろ。そう言われるのを恐れたのか?。その無言には、その他の理由もあるはずだろう。だが、この場には、領主を助けることが出来る者は、誰も居なかったの確かなことだった。それでも、今の状態でも誰も袂を別れないのは、先代と同じ、いや、先代以上に、人の上に立つ器だと思われているからだろう。その証拠が、温泉を作る時の的確な指示で証明されたのだ。それだけでなく、他人を心配する優しい気持ちも感じたからだ。
「お前ら何をしている?」
山菜でも採りにきたのか、いや、その様に装っているだけかもしれない。それは、鋭い威嚇を感じる声色だったからだ。
「・・・・・・・」
主を守ろうと囲う。と同時に、主に視線を向けた。
「どこに行こうとしているのだ?」
「驚かせて済まない。この近くの村の者なのか?」
領主は、自分が代表だと示すように問い掛けるのだった。
「この近くに村はない。道が無いのが証拠だろう。今歩いて来た所を戻るのだな」
男は、この者たちの理由など問答無用で、この場から一歩も進めさせる気持ちは無かった。だが、この怒声で何か遭ったのかと近寄る者が居た。
「どうしたの?。何があったの?」
「近寄るな。戻れ?」
男は、危険を感じたのだ。まだ、村に入るための正式な道なら問題はない。だが、獣も通らない場所を無理やり進むのだ。何か邪な考えがある。そう思うのは当然だったのだ。
「頼む。我らを助けてくれないだろうか?」
女性の声が聞こえ。村があると核心したのと、女性なら正直に助けを求めた方が得策かと考えたのだった。
「子供の声が聞こえるわよ」
「何も気にするな。直ぐに戻れ」
この男とは長く連れ添っているのだろう。それで、何かを隠していると感じて、言葉などでは納得するはずもなく、自分の目で確かめる。そう考えているようだった。
「子供が助けを求めているのよ。気にするわよ」
下着姿の男達を見て、言葉を無くしてしまった。
「だから、言ったのだ。早く戻れ」
「何を言っているのよ」
怒りの感情を表しながら連れ合いに近寄り、耳打ちするのだった。
(もしかしたら、新さんのお迎えの一行かもしれないわよ)
「なぜ、そう思う?」
(何が遭って、裸になったとしてよ。自分たちの家か屋敷に帰らないって有り得る?)
「確かに」
「ねぇ、あなたたちは、どこから来た人なの?」
「我は、北東都市の西部一の領主である。苗字は、丹であり。公爵である」
「えっ」
「公爵様?」
二人の男女が驚いたと同時に、不審を感じて、耳元で囁きあうのだった。
(もしかして、新さんを探している人たちなのかな?)
(それにしては、日にちが経ち過ぎではないか?)
(何か理由があるのよ。だから、裸なのでないの?)
「・・・・・・」
裸の者たちは、北東都市と名乗ったことに恐怖を感じた。それは、当然だろう。落ち武者狩りがいるかもしれないからだ。だが、名乗るのは、この場合は必然だったのだ。そして、周囲を警戒しながら二人の男女の密談を無言で見つめ。何かの言葉があるだろうと、良い返事を期待して祈るように待つのだった。
第八十七章
北東都市の軍勢は四方に散り散りに分かれ、どの隊がどこななのか、それは、誰も分からなくなっていた。その中の数人の一行が、丹公爵が率いる隊に近づこうとしていた。それも、誰が家臣か主か分からない様子なのだ。確かに、裸なのだから見た目では分からない。そう感じるのは当然なのだが、そのような事ではなく、戦で負けた後を証明するかのような態度と言葉使いで分かる有様だった。
「どこに行くのだ?」
「戦に負けたから逃げているのですがねぇ」
「だが、東都市の領地に向っているように思うのは考えすぎか?」
「北東都市には向かってないが、近いですね」
「危険だろう。なぜ、我が北東都市に向わないのだ?」
「向わないのは、北東都市の方が危険だからだよ」
「なぜなのだ?」
「俺たちは、北東都市を売った金で最後の戦いをしたはず。それだから都市に戻れるはずないだろう。もし帰ろうとしても、都市に着く前に落ち武者狩に襲われて、良くて捕縛、運が悪ければ殺されるはずだ」
「うっうっ・・・・その可能性があったか?」
「はい」
(そんなことも分からないのか?。だが、まだ、甘ちゃんと一緒にいるのは、北東都市の主が何らかんで力を取り戻し軍の再編させた時に参じる場合か、北東都市の市民が貴族たちの領地を運営する時に、何かの支障が起きた場合に貴族の救済処置が執行されて共同で運営する可能性があるからだよ。その両方の可能性があるから、今でも貴族様のお守りをしているのだよ。だが、その前に・・・・)
「先ほど話をした。あれは確かなことなのか?」
「あれ・・・とは?」
心身の疲れから思い付くことを何でも言葉として不満を解消していたために、何を言ったのかと記憶がなかったのだ。
「チッ、貴族が始めて市民と結婚した話しだ」
舌打ちをした後に、問い掛けるのだった。
「ああっ丹家の話しかぁ。それなら間違いないぞ・・・・・それが・・・どうしたのだ?」
「その家族と一緒なら北東都市に帰れる可能性があるのだ」
「そうなのか?」
「ああっそうだぞ。貴族と違って一般市民は感情で物事を考えるからな。恐らく、今では自分たちの家族と思っているだろう。そして、市民の風向きしだいでは市政を運営する者たちは、その人気にあやかり投票を稼ぐ手段にするだろう」
「そうなのか、それは、想像もできなかったことだな」
「それよりも、丹家の親子が無事ならいいが・・・・・・いや、部隊が無事だといいなぁ」
「大丈夫ではないか?。雷が落ちる前に、部隊が崩壊して方々に散ったのだからな。それでも、あの恐ろしい雷を見ては、俺たちと同じ裸だろう。それだと、子供が風邪を引いていないか、それが、心配だがな」
男は、つい、本心が言葉に出てしまい。慌てて、訂正するが、仁は、聞いていなかったのか、呆けているのか、いや、正確な返事を述べたようだった。
「だが、丹家が、この方行に逃げたのは確かなのか?」
「俺の部下が共にいるから確かなことだ」
詳しい理由は言わなかったが、視線の先には、木々に文字のような物が刻まれているのを見て、頷くのだから適当な言い訳でなく、正確に後を追っているようだった。もしかすると、全ての隊に部下を忍ばせているのか不明だが、不気味な笑みから判断すると、忍ばせている。そう判断したほうが良いだろう。
「それにしても、いつまで歩き続ける。空腹を感じたし、疲れたぞ」
「何だと・・・・あっ・・・・休むとするか」
元と言うか、今まで主人のように接していた者に怒りをぶつける寸前だったが、元からの部下たちも疲れを表していたので、言葉を飲み込んだ。
「この場で、休憩を取ることにする。準備をしてくれ」
「良かった。やっと休める」
数人の部下たちは、安堵を表して火を熾す者、水や食べられる者を探すのだった。その時、最上上級者のに、笑みを向けて感謝の気持ちを伝えていた。だが、それには気が付かずに、直ぐに、その場に腰を落とすのだった。
「座らんのか?」
何かを探すように歩き回り。突然に立ち止まり。何かを読んでいるようだった。そして、直ぐに、何かの答えを探すように地面を見ながら歩き出したのだ。
「子供の方は無事のようだな」
丹の部隊の足跡を探しているようだった。それで、人数を確認後、子供の足跡があり。安堵したようだった。だが、これを書き残した者も、この男に知らせるのなら足跡の近くに残したらいいだろうと思われるだろうが、それでは、何を書き残しているのだと、共に行動している者たちに怪しまれるからだった。
「どうした?」
何か悩みながら現れたので、仁は問い掛けたのだ。
「この先に、村が在るらしい」
「ほうほう、それは助かるな・・・・うっう~む。服と食事が何とかなるといいのだがね」
「少々の木の実と水です。どうぞ、食べてください」
「ありがとう」
部下たちが葉っぱで何個かの湯呑を作り、その中には複数の木の実が入っている物と水が入っていた物を手渡された。
「すまない。お前らの分もあるのか?」
「はい。隊長」
「そうか、なら、頂くぞ」
人間らしく、状況が変われば接し方も変わる。そんな男だったが、部下には優しいのだが、もしかすると、心底からの軍人なのかもしれない。空腹と疲労は、軍としての行動をするのに支障があると考えているのかもしれない。だから、この様な最低な状況でも逃げずに共にいるのだろう。それは、仁のような身分がある者は奉仕されるのが当然だと思っている者と比べれば、いつか、報われる。そう感じているに違いなかった。
「仁殿。どうぞ」
「ありがとう」
そんな様子に気が付かない。仁は、何も考えてないのか、よほどの空腹だったのだろうか、無言で食べ始めた。
空腹と疲労で、皆は無言で食べていた。だが、何かを問い掛けたい。そんな様子で、ちらちらと、隊長に視線を向けていた。それに、気が付いているのだが、良い作戦などあるはずもなく。気が付かない振りをしていた。
「そろそろ、行くぞ」
どこにとは、誰も聞くはずも無く、隊長を先頭に歩き出した。そして、一時間以上は歩いただろう。すると、馬鹿騒ぎとまで行かないが、男同士の酒宴のような騒ぎ声が聞えてきた。その声を聞くと、仁も隊長以下の者たちは笑みを浮かべていた。おそらく、食事だけでなく酒も飲めるかもしれない。そう感じているに違いなかった。そして、心の思いが我慢できなかったのだろう。一人の男が、仁だけが・・・・。
「人が居るのか?」
「静にしろ。敵かもしれないのだぞ」
怒り声を上げていたが、それでも、九割は表情で一割だけの叫び声だった。
「すまなかった。許せ」
「・・・・・・・・・」
仁の返事に答えると、会話が続くと思ったのだろう。無視をして、部下に視線を向けた。
「隊長」
「誰か様子を見て来い」
「はい」
「・・・・・」
皆の視線は小柄で無表情の男に向けられた。この場に居る者では一番の偵察に適した男と感じられた。だが、その男は感情が無いのか、それとも、命令に従いたくないのだろうか、正式な命令をされるまで動こうとはしなかった。
「頼む」
「承知しました」
やはり、適任だった。無言であり。無音で直ぐに消えたと思ったら、直ぐに戻って来た。たしかに、正確な言葉の内容までは分からないが、男達の声が届くのだ。五分もあれば、偵察して戻ってこられた。
「北東都市の同胞でした」
「その確証は?」
「同じく、裸体でしたので、間違いないはずです」
「そうか、それで、何をしている所だった?」
「温泉に入っておりました」
「そうか、そうか、裸体か、それなら間違いなく同胞だな」
「行くのだろう。それでは、早く行こうではないか」
同胞だと聞くと、仁だけが立ち上がり、自分の思いをぶちまけた。
「はっあぁ。隠れても意味がない。今ので声が届いただろう。温泉に入りに行くか」
だが、思っていたよりも騒ぎが収まるのでもなく変わった動きもなかった。もしかすると、向こうでは、騒いでいるために声が届いていなかったのだろう。それを証明するかのように、驚きに声を上げたのだった。
「誰だ?」
「あっ・・・・まだ、温泉に入っていない者がいたのか?」
「早く入れ。温かいぞ」
「感謝する」
(あなたの出番ですよ。堂々と名前を名乗ってください)
仁が感謝の言葉を述べると、隊長は、仁の耳元で囁くのだった。
「偉そうだな。何番隊だ?」
「われは、北東都市の上級兵士の仁と言う者だ」
「知っているか?」
「知らん」
名乗った後でも、自分の武勇や代々の家系の話を続けた。だが、誰も聞いていなかった。
「隊長。それくらいで良いでしょう。それで、隊の指揮官は、どこにいるのだ?」
「村に交渉に行ったよ。もし今直ぐに追いかければ追い着くはずだぞ」
何人かの男が、指先で向った方行を示した。
「そうなのか。なら、隊長。直ぐに追いかけましょう」
「あっ・・・うん。うん。そうだな。直ぐに追いかけよう」
仁は、突然に話を遮られたことだけでなく、何を追いかけるのか、聞いていなかったので意味が分からず。頷くことしか出来なかった。
「俺と隊長だけで行く。他の者は、温泉に入れてもらい。休んでいろ。それで、宜しいですね。隊長殿?」
「あっああ、そうだな。構わんぞ」
「それでは、行きましょう」
まるで、駄々をこねる子供を連れて行くように示された方行に早足で向った。すると、本当に言われた通りに、息が切れを感じて体が疲れを感じる頃に集団が目に入った。
「丹公爵。探しましたぞ。ご無事だったのですね」
時の流れは変わらないのだろうか、それとも、新の時の流れの修正の途中なのだろうか、この村に、現れて欲しくない者たちが来てしまったのだ。
第八十八章
運命の泉では、また、一人の女性が祈りながら水を飲んでいた。それも、何度も、何度も飲んでいたのだ。だが、苦しい表情ではなく、何かを期待する。飲めば必ず叶う。そんな表情を浮かべていたのだ。だが、今の女性の祈りは叶わなかった。それでも、確実に少しずつだが願いに近づいていた。目にも見えず何の予兆もないのだが、それは、村に訪れる男たちが、完全装備で武器を持って訪れるのでなく、裸体で現れたのが証拠だった。だが、この証明は、誰にも分からないことだったのだ。
「誰だ?」
「自分は、こちらの、仁上級兵士の命令で探しておりました」
「仁?・・・・・・誰だ?」
丹公爵は、問い掛けを呟くと、隣の部下が耳元で囁いて教えるのだった。
「ああ、この作戦を考えた者だな」
「そうです」
堂々と、答えるが、自分の作戦ではなかった。北東都市の主と同じ歳の側使いであり。主の話し相手の役目がいたのだ。役目と言っても気分を解すだけの役目で、殆どは、主の愚痴を聞くだけだった。その青年が、凄い夢を見たと、あまりに現実過ぎる夢だったので主に話をして良いのかと、仁に相談されたのだ。そして、全ての夢の話を聞き終えた。それは、まるで、予言のように感じたので計画書を書いて主に提出した。勿論だが、青年には、主に夢物語を話して良い。と伝えるのは忘れるはずがなく。主は側使いの話しと計画書に驚き、計画を実行することになったのだ。だが、人が関わるごとに人員は変更されてしまい。今の状況になったのだ。
「それで、探していた理由はなんだ?」
「えっ・・・その・・・」
「まあ、後で、ゆっくり話を聞くことにする。それよりも・・・・・」
丹は、二人の村人に視線を向けた。その視線に女性は気が付いた。
「新さんを探しに来たのでないのね」
女性は、残念そうに呟くのだった。
「えっ・・・誰か逃げてきた者がいるのか?」
「詳しくは分からないわ。記憶が無いの」
「会わせてもらえないだろうか?。もしかすると知人かもしれない」
「貴方たちだけなの?」
「いや、小隊規模の兵員はいる」
「みな、裸なの?」
二人の男女は夫婦なのだろう。それも、女性の方が主導権を握っているようだった。
「そうなのだ」
男女が考えている時に、丹は、その場で片膝を地面に付けたのだ。
「頼む。我が名を担保として、部下たちの衣服と食料を分けてくれないだろうか?」
「ご主人様。何て言うことを、直ぐにお立ち下さい」
「良いのだ。今の我には何の担保もないのだ。あるとすれば、我が家名の代々の実績の名誉としての信頼と我が将来性だけしかないのだ」
「・・・・・・・・・」
(服と食事だけならいいのでないの)
(お前の願いは聞きたい。それに、同情の気持ちも分かる。だが、小隊ほどの人数がいるのなら危険すぎて村には入れられない。それは、分かるだろう)
「それだけでなく、ある程度の人員がいるのだ。だから、何かの奉仕活動もできる。それで、頼むから分けてくれないだろうか」
丹は、片膝では誠意が伝わらないと思ったのだろうか、やや、土下座する感じて両膝を地面に付けたのだ。
「若様。何をしております。お立ちください」
「そうです。若様。そこまでする必要はないのです」
「若と言うな。もう丹家の当主なのだ。当主だからこそ、部下の生活を守らなければならない。だから・・・今出来ることをしているのだ。我を、ここまで逃がすために・・・何人の部下が死んだか・・・・償うこともできない。だから・・・我にできることは・・頭を下げることしかできない」
「かっこいいわ」
「えっ・・・チョット待て」
女性が色っぽい声を上げたので嫌な予感を感じたのだ。
「良いわよ。衣服と食料だけなら分け与えますわ。でも、きっちりと働いてもらいますよ」
「それで、構わない。期待以上の働きを約束しよう」
「あっああ、勝手に決めてしまった。村長に何て言えばいいのだ」
「安心して欲しい。女性が村の代表ではないのは分かっている。もし村に入り、正式な代表の村長が許可しなかった場合は、この場の約束は無かったと諦める。その気持ちを受け止める覚悟はあるのだ」
「それでしたら、何の問題もないです。どうぞ、村長と話をして決めてください」
「感謝する」
男は、これ以上は何も言えなかった。それでも、最後の抵抗として・・・・・。
「ですが、若様だけと言いたいですが、供は一人だけでお願いします」
「構わない」
軽く会釈するような感じて頭を下げたのだった。
「若様。お待ち下さい」
「若様と呼ぶなと言っているだろうがぁ」
膝を地面に付けたことに怒りを感じているのか、それとも、単に部下になめられた。そう感じているのか、だが、これが作戦だとするなら将来有望な領主になるだろう。それを証明するかのように男が謝罪するのだった。
「公爵様。すみませんでした」
「軍の規律のことを言っただけなのだ。若様で構わんぞ」
「あっ・・はい。それでしたら、私たちが村まで案内しますので、二人だけで後からついて来てください」
「承知した」
「領主様。わたしが先に行き安全を確かめます。それでは、行きましょう」
「あっああ、そうしよう」
四人の男女は、森の斜面を登っていた。道や歩いた跡は無いのだが、先頭を歩く男女は、まるで道があるかのように平気で歩くのだが、何か考えながら遠回りしているように感じるのは、後ろから来る者が歩きやすい道を選んでいるからに違いなかった。
「大丈夫ですか?。もう少しゆっくり歩きましょうか?」
「何も気にしなくて構わんぞ。十分に付いていける」
「分かりました。確りと、後について来て下さいね」
そのように言うのだが、声色で無理をしているのが分かるのだろう。先ほどと同じように歩きやすい道を探しているようだった。
「まだ、心配しているの?」
「武器を持たなくても、兵士を村の中に入れたくない」
「そんなに心配なら・・・・あの人達に頼んでみる?」
「確かに、適任だが、何かことが遭ってから頼みたい。それに、二人の昔を知る者がいては面倒なことになるかもしれないし、村の最後の要みたいな人達だから知らせない方がいいだろう」
「そうね。普通の農民だけと思わせた方がいいわね」
「そうだろう」
「それでも、この人たちのこと知らせるだけはした方が良くない」
「そうだな。それとなく様子だけでも見てもらうか」
男女は、後ろの二人に聞えないように囁き合っているが、山歩きに疲れているだけでなく、後を付いて行くのに必死で普通に話していても聞き取れるはずもなかったのだ。などと歩いていると、傾斜を登り終え、眼下には家や畑などが見ることができた。
「ほう・・・・良い村だな」
感極まる声を上げたのだ。
「いい眺めでしょう。土地も肥えているから良い作物も実るのよ。でもね。ここまでするのに、何代もかかったのよ」
「ほうほう、そうなのか」
「それが本当に大変だったからでしょうね。忘れてはならないこととして物語として残っているのよ」
「それは、これからの人生の参考のためとして聞きたい話しですな」
「我も聞きたい。教えてくれないだろうか?」
「そうね」
嬉しそうに笑みを浮かべた。だが、物語を話したいからではなく、視線の先には連れの男に視線が向いていた。その男は、片目を瞑って返事を返すと、村とは反対の方行に立ち去るのだった。恐らく、村の危機かもしれないと、そう感じて、村長と美雪の二親に伝えに言ったのだろう。女性に返した合図の意味は、なるべく、遠回りをして村に入ってくれ。その合図に違いなかった。
「仕方ないわね。いいわよ」
「すまない」
「そうね。何から話をしたらいいのかしらねぇ」
「そこから話しが始まるのか、もう少し近年代頃からが・・・・」
「おおっ・・・この地の村人は、初の国家を造った。あの天祖国の末裔なのか?」
同行してきた供の話を遮るように驚きの声を上げたのだ。供の男は、気分を害することもなく、逆に笑みを浮かべているようだった。まるで、世間を知らない金持ちの子供が騙されているのを見て、世間の常識を教えるか迷っているようだった。
「領主様。辺境の村などでは、外界から伝わった情報を村から村に伝わる過程で、代々の伝承と思いこみ、自分たちの伝承として定着しまうのは多いことなのです。ですから、信じない方が宜しいと思われます」
「そのような場合もあるのは知っている。だが、この女性は、初代天祖国王の子供の名を知っているだけでなく、それが、双子の男女だと知る者は王家だけの口伝だけに伝わることなのだ。偽りの王家と人々は言うが、女性の系図では確かに繋がっているらしいぞ。それは、知っているのか?」
「・・・・・・・・」
「だが、それは、口伝だから証拠がないために公表しないのだろう。と、言った後に、お前が言った仮説を笑いながら教えてくれたよ」
「そうでしたか」
「だが、誰から聞いたかと言うと、北東都市の主様が一度だけ、先代の西都市の葬儀の時に、今の領主に会い。その時に本を読むのは楽しいのか?。そう聞いたらしいのだ。すると、本の虫になった理由とは、この地の王の即位式の時に皇太子から双子の男女の話を聞いた話しらしいぞ」
「えっ・・・・」
供の者は、自分の少々の知識を口にしたことを恥ずかしくなり無言で俯くのだった。
「気分を壊したと思われるが、自分は信じる。最後まで話を聞かせてくれないだろうか?」
「いいわよ」
女性は、笑っていた。だが、その笑いには何通りの意味があった。それでも、計画の通り。いや、それ以上に、二人を村長宅に案内するまでの時間稼ぎが出来たのだった。
第八十九章
一人の男が、山の中を夢中で走り続けていた。まるで、親の危篤の知らせでも聞いたかのようにだ。そして、目的の場所に着いたのだろう。扉の前で息を整えていた。
「ん?・・・・美雪。少し自室に行っていなさい」
「突然になんでよ」
「いいから自室に行っていなさい。それで、いいと言うまで出ては駄目よ」
「えっ?・・・・・なんで?」
「いいから言うことを聞きなさい」
二親から意味の分からないことを言われて迷った。だが、声色は普段と同じなのだが、玄関の方に視線を向ける。その殺気を感じて大人しく従うしかなかった。
「誰かしらね」
娘が自室に入ったのを確認すると、穏やかな声色だが笑みは消え去った。
「何の用だろうか?」
「楽しい会話は期待できないわね」
「そうだな」
二人は、まるで猫のように無音で歩き、母親は玄関の方へ、父親の方は窓から抜け出した。そして、まるで時間を計っているかのように同時に訪問者の前に現れたのだ。
「ひっ」
「殺気を放っていたぞ。何の用だ?」
「何かが遭ったの?」
「あっ」
二人から首に短剣を当てられては、言いたくても言えるはずもなかった。
「武器は持っていないようね」
夫の方は、首から短剣を一ミリも移動させなかったが、女性の方は何の合図の指示されていないのに安心して任せられると思ったのだろう。短剣を収めると、訪問者が武器を持っていないのを確かめるのだった。そして、確認の言葉を聞くと、夫の方も首から短剣を移動させるが、両手で短剣をあそぶのだった。その好意は、誰が見ても不審な行動をした場合は短剣を投げて急所に刺す。訪問者に向けての脅しだった。女性は、訪問者のことは、夫に任せて、無言で周囲を警戒するのだった。
「村の危機なのです」
「何が遭った?」
訪問者は、心底から許しを求めるように言葉を喉から搾り出した。その言葉を聞き夫の方は両手で短剣をあそぶのを止めた。だが、片手で遊ぶのだった。まるで、扇のように顔を仰ぐのは、全てを話せ。そう指示をするようだった。ナイフは収めてくれないが、敵意は消えたと思ったのだろう。何が起きたのか、全てを正直に話すのだった。
「裸の兵隊だと・・・・・冗談を言いに来たのか?」
「周囲には、誰も居ないようね。それが、本当なのか、チョット調べてくるわ」
「ああっ頼む」
猫科の動物のように体を捻らせたと思うと、無音で走り出すのだった。
「う・・・そ・・」
訪問者の男は驚いたが、夫の方は見慣れているかのように平然として、直ぐに訪問者に体を向けるのだった。
「村長には、知らせたのか?」
「まだです。一緒に行こうと思って、真っ先に、この家に来ました」
「そうだったか、済まなかったな」
「自分が悪いのです。何も気にしないで下さい」
「だが、先ほど見たことは内緒だぞ。勿論、俺のこともだがな」
「あっ・・・はい・・・・・全て忘れました」
自分の精神の安定のために忘れたいことだったが、今の言葉で思い出してしまった。そして、また、精神の安定のために無理やり忘れようと努力をしたのだった。
「それは、よかった。感謝するぞ」
「何のことでしょう?」
「うん、うん。冗談はいいとして、村長には何て報告する考えなのだ?」
「この場で見たこと意外は話す考えです」
「そうか、まあ、長老は、全てを知っていることだから話してもいいが、その後は、今回のことには係わるな。何か嫌な予感がするのだ」
「村の一大事になるのなら・・・・」
「何もするなと言うのでない。皆と一緒に何も知らない振りをして村の警護をして欲しいのだ。恐らく、村長は数人の者たちにしか知らせないだろう。だから、裏方の働きは、俺らに任せてくれて構わない。そう言うことだ」
「・・・・」
何て答えていいのかと、迷っているようだった。
「それでなのだが、今直ぐに村長の所に知らせに行ってくれないか。その時に、村長には、後から二人で行くから対策は、その時に話し合おう。そう言って欲しいのだ」
「奥方様が帰って来るまで待っていても構いません」
「もう様子を見て帰ってきたらしい。だが、戦闘服でなくて、私服の服だから衣服が乱れているので恥ずかしくて出てこられないのだろう」
「えっ・・・・・もう帰ってきたのですが?」
「ああっ」
「どこです?」
驚きを表した。その後は首を左右に振って捜すのだった。
「いや、服の乱れでなくて、衣服が破けているのかもしれない。それで隠れているはずだ」
「それは、もしかして、あいつら・・・」
「心配してくれているのは嬉しいが、そうではないのだ」
「えっ」
「体を限界以上に動かすから、それに、衣服が耐えられるはずもなく破けるのだよ」
「えっ・・・・衣服が破けるのですか?」
「ああっそうだぞ」
「あっすみません。直ぐに、この場から消えます」
恥ずかしくなる歳ではないのだろうが、どこかの木の陰で女性が裸で隠れている。それを考えたのだろう。何度も頭を下げては、自分が居ること事態に迷惑を掛けていたことに謝罪するのだった。
「構わない。それよりも、長老には伝えるのだぞ。それと、約束も守ってくれよ」
「分かっています。本当に失礼しました」
男は、直ぐに駆け出して、この場から消えた。すると・・・・・。
「隠れている理由が分かっているのでしょう。それなら、服を持ってきてよ」
「そうだったなぁ。だが、俺は、お前の衣服が裂けた姿を見て、戦意が消えただけでなく、惚れたのだし、久しぶりに見てみたい気持ちだったのだが」
「馬鹿なことを言ってないで直ぐに服を持ってきてよ」
「わかった」
先ほどまでは、声だけで居場所が分からなかったが、今の殺気を放つ言葉で場所を特定できたのだが、視線は直ぐに家に向けると、駆け出したのだった。
「ここに置くぞ」
妻が隠れている木の根元に服を置くと、直ぐに振り向くのだった。
「ありがとう」
「早いな、着がえたのか?」
首に腕を絡ませてきたので振り向くのだった。
「どうした?。着がえないのか?」
「馬鹿ね。見たかったのでしょう」
「確かに、そうだが・・・・」
「何?」
「いい女だな」
「当然でしょう・・・もしかしたら、今だけでなく何度も見ることになるかもしれないわ」
「そんなに危険な者が来たのか?」
「そうよ。この村の危機的な状態になるかもしれないわね」
「そいつは、誰だ?」
「コウモリよ」
「何だと、あの自分の気分次第で敵にも味方にもなる。あいつか?」
「そうよ。コウモリの名の通りに、自分のことだけ、どこにも属さないのよ」
「そうだな。あいつが村に来たとなると、嫌なことが起きそうだ」
「でもね。良い物を見てきたわよ。コウモリも裸だったのよ。面白くて笑いを堪えるのが大変だったわ」
「あの、コウモリが、よほど急激に状況が変わったのだな」
「そうね。それなら考え過ぎかしら」
「少し様子を見よう。立ち寄っただけなら直ぐに帰るだろう」
「そうね。私たちもだけど、コウモリも昔のことは隠しているかもしれない。それが知られた。と、なれば、騒ぎを起こすかもしれないわね」
「そうだろう」
「そうね」
「俺は、長老に知らせに行く」
「わたしも行くわ」
「美雪を一人残すのは心配だ。家に残っていてくれ」
「はっあぁ。家に残ります」
大きな溜息を吐くことで、娘が何をするか想像が出来たのだろう。
「だろう」
「はい」
妻の満面の笑みを見た後、全てを任せられる。そう安堵したのだろう。そして、長老宅に向かったのだった。それから、三時間くらいだろうか、過ぎた後に、疲れたような不満のような複雑な表情を浮かべながら帰ってきたのだ。
「何があった?」
「ふっはぁ。変装をしろ。そう長老に言われたよ」
心底から嫌だと、大きな溜息から表れていた。
「うぁはははは、そうか、そうか」
「笑い事ではないぞ」
「ひげを剃り。長髪でも被ったらどうだ。優男に見えて悟られないだろう。それに、わたしは、その頃のお前に一目惚れをしたのだからな。もう一度、見られるのなら見たいぞ」
冗談のように言うが、男言葉を使うのは、恥じらいを隠している。そう感じられた。
「そうは思えなかったが、そうだったのか?」
「見たいわね」
「妻の、その笑みを見ては断れないな。好きに飾ってくれ」
自然の流れだろう。二人は抱き合うのだった。その様子を一人の女性が見ていた。
「もう、そんなことをするために、わたしを自室に閉じ込めたの?」
「いつから見ていたのよ」
「好きに飾ってくれって、聞えたから来てみたのだけど・・・・まさか・・・まさかね。娘を追い出した。その理由が、これでは・・・本当に、熱々で恥ずかしくなるわ。もう・・ほどほどにしてよ」
「何か、誤解しているようだが、あのな、美雪」
娘は、怒りを表しながら自室に戻るのだった。それを、父親が引きとめようとしたのだが、連れ合いが手で口を塞ぎ、耳元で囁くのだった。
「いいのよ。何を言っても、誤解が解けるとは思わないわ」
「だが・・・・」
「それなら、昔のあなたの姿を見せた方が、機嫌が直るかもいれないわよ」
「女心とは、そのような者なのか?」
「むぅ・・・・そうかもね」
「それで、機嫌が直るなら問題はないが、あの者たちのことは知らせるか?」
「それは、気にしなくていいわ。村長が、何かの理由を考えて、皆に知らせると思うわ」
「そうだな」
「それよりも、伸びたひげを剃って、髪を束めましょう」
「好きにしてくれ」
着せ替え人形のように動かなくなった。自分の連れ合いを好きなように弄ぶのだった。
「顔にしわはあるけど、まあ、若い時の様子になったわね」
「動いてもいいか?」
「いいわよ。それでは、美雪を呼んでくるわね」
「ああっ、そうしてくれ」
「美雪。良いものを見せるわよ。出てきなさい」
連れ合いの有無など関係なしに、即座に、娘の部屋に駆け出して扉を叩くのだった。
「なによ」
扉越しからも分かる。娘の不機嫌そうな声を聞くのだった。
「チョット、面白いのを見せるから出てきなさいよ」
「さっきは自室に入れって言って、今度は出ろと言うの?」
「笑うわよ。それとも、驚くかもね」
「はい、はい。分かりました。出ればいいのね」
娘の手が扉から出てくると、勢い良く引いて、その勢いのまま居間に連れて行くのだった。すると、予想の通りに反応をするか娘の様子を見るのだった。
「お父さんなの?」
「ああっ、そうだ」
「わっ若いわね。別人と思ったわ」
「初めて、会った時はね。栄養の偏りみたいな感じで、もう少し顎が細かったわ」
「うぁああ、今よりもいい感じ」
「でしょう。でしょう」
二人の親子は、まるで、少女のようにはしゃぐのだった。その姿を見て、男親は、笑みを浮かべて頷くのだが、それは、娘の機嫌が直っただけでなく、身近な者が見ても、殺気を感じるのか、それだけでなく、以前と比べて、別人の様子かを確かめる考えがあり。それが、身内で成功したことで安堵もあるのだった。これで、間違いなく、裸の兵隊には悟られるはずがないだろう。
第九十章
女性が満面の笑みを浮かべながら後から付いて来る者に話を掛けるのだった。だが、恋人や友人と話す時のような嬉しそうな笑みとは掛け離れていたが、現代なら添乗員が天職だと思えるほどの完璧な接客の仕方と笑みなのだ。これは、贔屓でなく、この場で、女性を見たならば、誰もが認めることだろう。それなのに、案内される者たちは不満を感じ始めたのだ。だが、案内される方から考えると、当然の要求かもしれなかった。
「すまない」
丹公爵は、疲れ、苦痛、恥ずかしさと、様々な感情が絡み合う。そんな声色を喉から吐き出した。
「何でしょう?」
「この村の歴史には興味を感じている。もっと詳しく聞きたい気持ちなのだ。だが、そろそろ、長老宅に案内してくれないだろうか?」
「あっ」
女性は何を言われるのか、と、身構えるような驚きを表した。だが、内心では・・・。
(そろそろ、時間稼ぎは限界かしら)
「衣服を着ていないために、草木の葉などが体に当たって痛い。それだけでなく、少々空腹も感じてきたし、部下達も待たせているために、少しでも早く長老と交渉をしたいのだ」
「そうよね。体には沢山の切り傷も出来ているわね。早く手当てしなければならないわ。本当に、そんなことも気が付かなくて、ごめんなさい」
「謝罪する必要はない。こちらが、無理を頼んだことなのだ。そんな、気持ちを感じさせて、こちらの方が謝罪するべきだった。本当に済まなかった。許して欲しい」
「うっうう・・・領主様。何て勿体無い・・うっうう・・お言葉をありがとうございます」
「直ぐに村長の所に行きましょう」
(でも、この位の時間稼ぎで十分かもしれないわね。駄目な時は駄目なのだし、何とかなるでしょう。それに、裸で歩いている姿を見た村の人が、長老に知らせに行くわよ)
「すまない。案内をお願いする」
「気にしなくていいわよ。でもね。私は長老の所に連れて行くだけ、何て言われるかまでは責任は持てないわよ」
「それで、構わない。交渉が決裂したとしても何も責任を感じなくてよいのだ」
「それならいいけど・・・・・ねね」
「何だ?」
「長老と交渉が決裂した時は、どうするの?」
「食事だけでも食べさせてもらって、この村から出て行く考えだ」
「食事も駄目だと言われたら・・・・・そんなことは言わないと思うけど・・・・ね」
「その場合も大人しく村から出て行く考えだ。何も心配する必要はないぞ」
「長老は優しいから大丈夫よ。だけど、拒否された場合は、食事だけは何とかしてあげるわ。魚や三菜が採れる所を教えてあげるからね」
「その時は、頼む」
「良いわよ」
などと話しをしていると、長老の家が見えてきた。
「あれが、長老の家よ」
一番大きな建物を指差すのだった。
「ほう、あれなのか」
女性の案内で村の様子を見た感じでは、豊かと思える様子を感じたのと、村長宅も予想していたよりも大きくて何個かの蔵もあった。このような貴族からの支配されてない村では、飢饉などの恐れから食料などを長老が管理しているのが普通だった。それが、証拠のように蔵の周りには塀などの囲いがなく、村の財産だと証明するかのような感じで解放的だったのだ。そして、丹は、自分の貴族的な思考判断に気が付いてないが、生粋の貴族なのだから仕方がないだろう。その思考で村の状態を一瞬で判断して安堵するのだった。まあ、貴族とは合理的に徴収するのが貴族の仕事なのだから当然だったかもしれない。
「あっ長老様」
「あの御老人なのか?」
「間違いないわ」
長老宅に向って近寄っていくと、同じ道の先で人物が待っているのが見えた。女性には誰なのか、その人物の確証は出来たようだが、丹には、まだ、男性なのか女性なのか判断は出来なかった。それでも、お辞儀でもしているのかのような様子を見て、老人だろうと判断したのだった。
「我らが来るのを知っているのか?」
「かもしれないわね」
「なぜだ?」
「案内している時に、何人かの人と会ったでしょう。一枚の下着だけで歩いているのを見たら不審を感じて知らせに行くのが普通だと思うわ」
「そっそうだな。すまなかった」
「いいのよ」
(時間稼ぎは成功したようね)
女性は安堵して、長老に手を振りながら駆け寄るのだった。この距離では男性か女性なのか判断が出来る所まで近寄った。老人は同じように手を振って挨拶を返したのだから目は悪くないのだろう。その様子を見て、二人の男は、その場で立ち止まってお辞儀を返したのだ。もしかすると、丹は、交渉する前に、少しでも印象を良くしようと考えての挨拶だったのかもしれなかった。そのお蔭で、女性は、長老に簡単に状況の報告が出来た。
「悪い人ではなかったわよ」
「ご苦労だった」
「はい」
「それでは、もう少し付き合ってくれないか?」
「分かりました」
「二人を中に案内して欲しい」
「はい」
そう一言だけ返事を返すと振り向いた。そして、二人に来るように手を振るのだった。
「自分が、この村の長老です。どうぞ、中にお入り下さい。直ぐに浴室に入れますので、その後に、着替えを済ませてから話を聞きましょう」
「もう浴室が用意されているのか?」
「温泉ですから何時でも入れますよ」
「ああっ温泉か、そうだな。それなら、何時でも入れるな」
「そうです。ゆっくりお入り下さい」
「済まない」
「それと、空腹でしょう。その間に、簡単な食事でも用意をしておきます」
「感謝する」
二人の男は本当にゆっくりと寛いだようだった。それとも、交渉するために話し合いでもしていたのか、服を着て一時が過ぎてから現れたのだ。
「少し、大きかったかな?」
「いや、動きやすくて良いぞ」
「そうですか、それなら良いですが・・・・・どうぞ、お座りください」
座ろうとしないので、言葉を掛けたのだ。
「交渉するのは、我なのだが、長老と対面の席では、歳の若い我では失礼でないかと・・・・」
「何も気にしないで構いませんぞ。好きな所にお座りください」
「すまない」
「あっ胡坐でも構いませんぞ」
「ありがとう」
小さい膳の前に、丹は胡坐で、部下は正座で座るのだった。恐らく、主の交渉が上手く行くようにと、礼儀を貫いたに違いなかった。
「何か話があるのは分かっています。その話が終ってからでは食べづらいかもしれません。まずは、食事を食べてからに致しましょう」
「何度も気遣って頂き感謝する」
「・・・・・・」
「長老の言葉に甘えて、食事を頂こう」
「はい」
部下は食べない気持ちだったのだろう。だが、主が許したことで食べ始めた。それでも、今までの礼儀が台無しになる食べ方だったのだ。それは、丹も同じだった。それでも、まだ、丹の食べ方には貴族の雰囲気が感じられた。
「お代わりは、好きなだけありますぞ」
長老は、食べ終えた姿を見て、空腹が満たされてないと感じたのだ。
「長老殿。好きなだけあるのでしたら、他の部下にも食べさせたいのだが良いだろうか?」
「それが、話しの内容ですかな?。それでしたら、何も問題はありませんぞ」
「いや、他にもあるのです」
「そうでしょうな。それでしたら、何の話か聞かせて頂きましょう」
「はい」
丹は、今までのことを全て伝えた。その後に、提供できる全ても伝えたのだった。
「正直に聞きますが、この村の者が、敵方に知らせるとは考えなかったのか・・・な」
「それは、考えていた。だが、このままの状態では何も出来ずに餓死すると考えての結果なのだ」
「そうでしたか・・・・確かに労働力は不足していますので、食事と衣服で労働力を提供してくるのでしたら喜ばしいのですが・・・・・問題は期間です。それと・・・・定住する者には許可して欲しい。それには、抵抗があります」
「それなら、一月期間では、どうだろうか?。それで、一月の衣食住と一週間分の食料では釣り合わないだろうか?」
「むっむむ」
「勿論だが、落ち着く所が出来た場合は、提供してくれた金額の倍を払う」
「それでは、正直に言いましょう。村を占領されるかと心配しているのです」
「何を言うか、そのような考えはないぞ。貴族の誇りを捨てる気持ちは無いのだ。礼には礼で返す。それと、もし同族が村を攻めてきた場合でも、我らは剣が無くても、素手でも貴族の誇りに懸けて村を守るぞ」
「はっああぁ」
「駄目だろうか?」
「それでしたら、一週間分の食料と衣服を提供しましょう。落ち着いたら返してくれたら宜しいのですが、駄目でしょうか?」
「そこまで、我らを信じてくれないの・・・・・・だな」
「分かりました。信じましょう。丹殿の言葉でなくて、今流している涙を信じるのですぞ」
丹は、戦に負けても、父親が亡くなっても涙を流さなかったのだが、村長の言葉に心底から悔しかったのだろう。ポツリ、ポツリと涙を流した。その涙を見ては、村長は信じるしかなかった。だが、これが大人だった場合は信じなかっただろう。
「すまない。本当に感謝する」
「これだけは、約束して欲しいのですが?」
「何でしょう?」
「貴族様とは扱いません。同じ村人と同じに接します。宜しいですかな?」
「当然のことだ。村人と同じ仕事をする。何一つとして気を使う必要はない」
「分かりました。後は、何も言うことはありません」
「書類を作成して書名しても構わんぞ」
「この村では、いや、他の村でも、そのようなことは必要ありません。言葉と言葉で約束したのですから必要はないのです。信じられないかもしれませんが、もし、これが、村人が違えた場合は、死ぬと同じことなのですぞ。貴族様にも同じことが言えますよね。たしか、命に懸けて・・・・いや・・・なんでしたかな?」
「剣に懸けて誓う」
「そうそう、そうでした。そうでした」
「それでは、今直ぐに部下を連れてきても構わないだろうか?」
「勿論です。その前に、まだ、満腹にはなってないでしょう。十分に食べてからでも迎えに行っては、どうでしょう」
「後は、部下と共に食したい」
「そうですか、それでは、食事と衣服を準備しておきましょう」
「すまない」
席をたった時に、重大なことを言うことを忘れていたことに気が付いた。
「あっあああ、お待ちを・・・・」
「何だろうか?」
「数人なら住む場所はあるのですが、その・・・・むむ」
「簡易的な物で構わない。寝るだけだし、軍事行動の場合は、簡易的な建物を作るからな何も気にする必要はない。ある程度の敷地を貸してくれるだけで良いぞ。あっああ、そうそう、村の入り口でも良いぞ。邪な考えの者たちが来た場合を考えて、その者たちを撃退しようではないか、良い考えだろう」
「それは、良い考えです。そうして下さい」
「うん。守ってみせるぞ」
「はい。お願いします」
丹は、歳相応の満面の笑みを浮かべて喜んだ。
そして、先ほどの女性に案内を頼むのだった。勿論、見せたくない所に行くのではないかと感じて女性は即答するしかなかったのだ。今度は近道を案内した。丹は、皆を連れてでは時間が掛かると思ったのだろう。だが、考えた以上に短時間で長老宅に着いたので驚くのだった。だが、驚きは他にもあり。それは、考えていたよりも多くの食材を長老が用意してくれたことだった。その好意に甘え、食事を作る者、簡易的な寝床を作る者、衣服の用意する者に分かれて行動するのだった。この日の夜までには寝床が完成するはずもない。だが、その理由ではないだろうが、朝まで誰も寝る者は居なかった。それは、やっと人らしき状態になったことの喜びだろう。それから、また、何時間が過ぎただろうか、簡易的な寝床が完成して、皆は、その中で眠るのだった。
第九十一章
村の名称を言われても村民にしか分からない。そんな山の奥の村に下着姿の集団が現れて三日が経とうとしていた。その者たちは、翌日の朝から仕事をさせる予定だったのだがが、一人として使えなかった。それで、仕方がなく午後まで待って仕事をさせたのだが、まったくと言って良いほどに使い物にならなかった。それでも、武士道の精神なのか、只たんに、使い物にならない。それが、悔しかったのだろうか、他の村人は、日が昇り、日が暮れると仕事が中途でも家に帰るのが普通なのだが、その者たちは、一日の予定の仕事を意地でも終らせるのだった。確かに、命令する者が指示すれば止められないのは分かる。だが、それよりも、何か、村人たちが怠けた者たちに向けて言う言葉が気に入ったようだったのだ。日が暮れるて村人が帰る時に、自分たちも誰かに言いたいのか、本心からなのか、「働かない者は、食うべからず」と、大声で叫ぶのだ。その言葉を聞くと、村人は笑いながら帰るのだ。たしかに、村人から比べると、その者たち全てが半人前では笑いたくなるだろう。その言葉を又、数時間後に聞える。そんな日の長老宅で・・・・・。
「本当に、若々しくて別人のようだぞ。その姿では奥さんは喜ぶと思うが、娘さんは、お父さんと呼びづらいのではないのか?」
「長老殿。冗談は、そのくらいにして本題に入りませんか?」
「すまない。許してくれないか、若い良い男と感じた村の娘が話を聞こうとしていたのでな。お前には相手と娘が居ることを教えるつもりだったのだ」
「それは、感じていましたが、奥さんと話題が出た時に女性は消えましたよ」
「確かに、そうなのだが、会話を途中で区切るのは変だろう」
「はい、はい。そうですね。長老殿」
「それで、何か心配なことでも遭ったのか?」
「あの男が言われた通りに、皆と一緒に普通に作業しているのが変だ。絶対に、何か邪な考えをしているはず」
「それでも、今まで様子を見ていて、何の変な様子は無いのだろう。もしかすると、年月が過ぎたことで、人間が丸くなったのではないのか?」
「ありえない」
大きく首を横に振りながら即答するのだった。
「うっう・・・むぅ。だが、半人前だが、真面目に働いているのだろう。何の理由を付けて追い出すのだ?」
「・・・・」
「まあ、予定された期間が過ぎても居るようなら村からは出て行ってもらうが・・・それまで、あの者たちの監視を頼む」
「ですが、本当に邪な企みがあった場合は、対処に遅れることになる。それでも、構わないのですか?」
「まあ、だが、村の様子を探ることも、武器を探すか、武器を作っているような様子もないのだろう。それに、貴族の坊ちゃんも一緒に働いている。そう聞いているが・・・」
「その貴族や部下たちではなく、傭兵の者たちのことなのです」
長老の言葉を遮るように叫んだ。
「落ち着け、声が大きすぎる」
「すみません」
「言いたくないことだが、昔になにかあったようだな。私情が入り過ぎているようだ。だが、それだと、監視の見落としもないだろう。引き続き頼むぞ」
何か予定の時間があったのだろうか、いや、これ以上の話は聞かない。その意思表示だろう。立ち上がって部屋を出ようとしていた。
「ですが、お待ちください」
「これで、話は終わりだ。何か理由があった場合なら話は聞くが、また、同じ内容なら無視するぞ」
「長老殿」
長老の立ち去る姿を見て、足に縋り付く勢いだった。
「会話の楽しみの話題としてなら良かった。こんなにも感情的とは、本当に残念だ」
長老から冷たい視線を向けられて、うな垂れるしかなかった。それでも、この場で待っていれば戻って来てくれる。そう思ったのだろうか、居住まいを正して待つのだった。すると、五分も過ぎない頃に・・・・・・。
「失礼します」
長老と同じ年配の女性が、おどおどと現れたのだ。
「奥方殿?」
「ごめんなさいね。待っていても会わないって言っているわ」
「ですが、奥方殿。自分は・・・」
「それに、同じ家に居ると思うと、気分が悪くなるから直ぐに帰らせろ。そう言っているのよ。何で、そんなに、怒っているのかしらね」
「分かりました。明日でも出直します」
「ごめんなさいね。そうして下さい」
男を家の外まで案内した。そして、男は丁寧な挨拶をした後に、自分の家の方に向って歩き出すのだった。だが、その歩き方は、不満と言うよりも、自分自身に向けての不信感を表しながら歩くのだ。まるで、夢遊病の様だった。
「どうしたの?」
「あっ」
家の前まで来たのも気付かずに、自分の連れ合いから言葉を掛けられて、今居る場所に居ることに驚くのだった。
「長老に、あの男が大人しくしているのには何か考えがある。それほどの危険な男だと分からせるつもりが怒らせてしまったのだ」
「確かに、今の男の様子だけを見ての判断では危険な男には感じないわ」
「確かに、そうだ」
「もしかしたら、年月が過ぎた事で気持ちも考え方も変わったのかしらね」
「やはり、そうなのか?」
「その証拠のように下着一枚の姿で村に来たのよ。本当に以前の男では想像も出来ないことだわ。もしかしたら、本当に別人なのかも」
「確かに、俺たちが知る。あの男なら他人の命を犠牲にしてでも、下着姿になるはずがない。もし作戦だとしても、自分が下着姿になるはずもない」
「もしかしたら、あの若い貴族に惚れ込んだのかしらね」
「確かに、俺から見ても、良い若者であり。良い指揮官にも、良い貴族にもなるだろう。そして、この若様の姿を見れば、親も立派な貴族なのは間違いないだろう」
「そうね」
「俺たちも、この村に訪れる前に、あの様な若様の親に会っていれば将来を託したくなるだろう。それにしても・・・・・・」
男は、突然に顔を歪めた。
「どうしたの?」
「新殿の陣営が負けたのか?。それとも、あの若様は、新殿の敵側なのか?」
「それか、まったく別の戦いかもしれないわね」
「それなら良いのだが、可能性は低いだろう」
「そうね。まあ、あの男のことは必ず何か行動を起こす。そう考えて注意するとして、それよりも、何が起きて下着一枚で逃げ出したか、それを調べるのが先ね」
「そうだな。この村まで被害が広がっては困るし、新殿の情報に繋がるかもしれない」
「そうね」
「俺は、引き続けて陰から様子を見るが、お前は、あの男に接触してくれないか?」
「顔を見られたら・・・・私って分かりそう」
「まだ、出会った当時・・・・のままの姿だから分からないだろう」
「途中で話をとぎらせたのには、嫌な感じに思ったけど、確かに、当時と今では違うわね。今では、殺気を放つなんてことは出来ないから分かるはずがないわね」
「あっ・・・ああぁ・・・そうだな」
「なに、違うと言いたいの?」
「違う。そんなことは思うはずがないだろう」
妻の殺気を避けるのに疲れたのだろうか、それとも、娘に悟られるとでも思ったのか、玄関の方に視線を向けた。すると、娘には優しい母だと思われている。そう思っているからだろう。無理やりに怒りを抑えて、笑みを浮かべようとしていた。すると・・・・・。
「二人して何をしているの?」
娘が玄関の扉を開けて、二親の所に近寄ってきた。
「イワナの様子を見ていただけよ。ねえ、お父さん」
「ああっそうだぞ」
「それは、嘘ね。なんか、ここ数日って様子が変よ。本当に何かあったの?」
「何もないぞ」
「まさか、新さんに何かあったのね?」
「考えすぎよ。本当に何もないわ」
「でも・・・何か・・・・でも・・・・絶対に何か隠しているわ」
娘は、今まで疑いを感じていたが、今の雰囲気で確信に変わったのだろう。適当な言い訳では引き下がらない。そう態度を表していたのだ。
「もう仕方がないわね。先に言うけど、新さんのことではないわよ」
「待て、全てを話すのか?」
「そうなの?」
「仕方が無いでしょう」
「やっぱり何かを隠していたの?」
「でも、まったくと言って、新さんに関係が無い。という事でもないわね」
「えっ、何があったの?」
「まずは、そんなに慌てないで話を聞いて」
「うん、うん。それで、それで?」
「村に沢山の兵隊が居るわよね」
「うん」
「その兵隊は、新さんの味方の方なのか、敵方なのか、それを調べているのよ。それも、二通りの方法でね。普通に、一緒に働いて聞きだす方法と、私や、お父さん達は、誰にも知られない様に隠れて探っているの。村人が居ない所では、本音を口にすると思ってね。だから、兵隊さん達には悟られないように、この作戦に関わる人たちは家族にも内緒にしているの。それを証明するように、少しでも武術などの心得がある村人は、兵隊さんと接しないようにしているでしょう。それは、村の武力を隠すためと、武器庫などを知らせないためなのよ」
「そう」
「これで、隠していたのは全てよ。分かってくれた?」
「うっうん」
「それと、私やお父さんのような村の要の武人のことは内緒にしてね。ありえないと思うけど、もし、村を占領しようなんて考えていた場合は、この村は戦いになれて居ないと思わせていたいのよ。分かるでしょう」
「そうね。そんなことを考えていたとしたら、武器の確保と、戦いになれた人を真っ先に倒すことを考えるわね」
「そうでしょう。その代り、少しでも、新さんの情報を知ったら直ぐに教えるわ」
「うん。どんなことでも必ず教えてよ」
「だから・・・・美雪」
「分かったわ。もう、これ以上は何も聞かない。勿論、誰にも言わないわ」
「ごめんね。でもね。美雪は普通にしていて良いの。それと、全てを話したことですし。これで、安心して本格的に調査ができるわ。だから、この家には帰らなくてもいいわ。私たちも任務で毎日は帰ってこれないかもしれないからね。そうそう、前から言っていたでしょう。新さんの家で掃除なりして帰りを待ちたいって。それを許してあげるわ」
「待て。チョット、待ってと言っているのだ」
「キャー、本当にいいの」
「いいわよ」
「俺は許さんぞ」
「まあ、新さんが帰ってくる前に、一品くらいは料理を憶えなくては駄目よ」
「うん。友達にでも聞くわ。それで、何度も作ってみるから大丈夫よ」
「俺の話を聞けと言っているだろう」
「そう、それなら、時々様子を兼ねて家に行ってみるわ。その時に毒見してあげるわね」
「おかあさん。毒見とは酷いわ。わたしでも食べられる料理くらいは作れるわよ」
「俺の・・・はっはぁ。話を聞けと・・・・はっはぁ」
女性特有と言うべきか、この二人の女性は特別と言うべきか、夫であり、父でもある。男の言葉など耳に入らないかのように興奮の度合いを高めていくのだった。
「ねね、おかあさん。それなら、今すぐでもいいの?」
「いいわよ」
自分の興奮を抑えきれない。そんな様子で家へ駆け出すのだ。だが、目的の家は、誰も居ない空き家なのだ。それを知っているはずなのに、それでも、新をまじかに感じたいからだ。例え、一つとっても新との会話を思い出したいからだろう。今では、一秒でも過ぎるにしたがい記憶は消えて行く。だが、新の家に行けば、忘れて行く記憶でも思い出すことができる。それだけでなく、新と一緒にいるような、まるで、新と過ごした日々が昨日のように思いさせる。それに、新の温もりが部屋に残っているはず。それを肌で感じるだけでも、楽しい気持ちになれるからだった。
「俺は、ゆるさんぞ」
二人の女性の会話が途切れたからなのか、それとも、自分の限界までの大声だったからか、やっと声が相手の耳に届いた。
「あんな嬉しそうな顔を見て駄目だと言えるの?。わたしは無理だわ」
「だが・・・・だが・・・」
「それに、あの男や兵士が、私たちの娘と知って人質でも取られたら、どうするの?」
「確かに、あいつらに知られるのはまずい」
「そうでしょう」
二人の親は頷き合うのだった。そして、娘は直ぐに家から出てきた。少々大袈裟と思える荷物を背負うだけでなく、両手にも持っていたのだ。だが、二親は何も言わずに手を振って見送るのだった。
第九十二章
どんな村でも職業別の掛声の歌や旅人から習うなどして、村に様々な歌が歌われていた。だが、軍歌が歌われて村中に響き渡るなど一度もなかったのだ。それでも、殺伐とした感じではく、なぜか、村人が楽しい気持ちにさせるのは、歌う者たちが戦よりも農作業の方が心底から楽しい。その嬉しさが体から溢れるだけでなく、歌にも気持ちが表れているのだろう。
「俺・・・このまま村に住んでもいいなぁ」
「好きな女でも出来たか?」
「ああっそうだ。あの女性と暮らせるなら畑仕事で一生が終わってもかまわない」
「そうか・・・・お前は?」
「まあ、そう思う女はいるぞ」
「俺も、同じだ」
「この村って本当に美人が多いよなぁ」
「うん。うん。俺も、そう感じていたよ」
「それは、言えている」
「だろう。だろう。俺が村に住みたい。そう思うのは確かだろう」
一人が手を休めると、返事をするのと同時に手を休めて会話に入るのだった。そんな様子を見て、一人の男が近づいてきた。その男とは・・・・。
「そうだなぁ。美人が多いのはわかる。俺も住みたい。その気持ちも分かる。だが、手を休めるな。また、今日も定時では終らんぞ」
「たっ隊長殿」
後ろから突然に言葉を掛けられて驚くのだった。
「まあ、よそ見する気持ちは分かる。俺もチラチラと女性を見てしまうからな」
「隊長殿も?」
「俺だって、男の作業を見る監督よりも、女性を見ていたいぞ」
「隊長殿。それは、ちょっと・・・・酷いですよ」
「すまん。すまん。だが、正直に言うとなぁ。俺も女性たちと話をしたい。その気持ちは俺よりも、お前らの方が凄く思っているはずだ。だから、お前らが、村の女性にちょっかいをかけてないか、その監視が一番なのだぞ」
「えっ」
「どう言うことです。隊長殿?」
「分からないか?」
「分かりません」
「仕方が無い。そうだな。そろそろ休憩だし、手を休めて、俺の話を聞け」
「はい」
男の言葉で小隊ごとの班が、ぞろぞろと集まって来た。
「なぜです。もしかして、村の住人でないからですか?」
「それもあるのだが、一番の問題は、俺たちが兵士だからだ。体に染み付いた血の臭いがするからだ」
「そんな、どの町でも兵士と言えば、一番人気の結婚相手の候補ですよ」
「それが、町と村の違いなのだよ」
「俺たち、俺たちは・・・・」
「お前達の気持ちはわかる。だが、普通の村なら人を殺す職業なんて無い。特に女性たちは、俺たちを怖がっているのだ」
「・・・・・・・」
がっくりとうな垂れる者は、考えていたよりも多かったからだろう。
「だがな、もし村に永住したい者が居るなら相談には乗ろう。それには、印象を良くするためにも、村の者たちよりも働く。それを見せなければならない。それだけでなく、武術などの殺気を感じる汗でなく。健康的な土の匂いを感じる汗を流して殺気を消すしかないだろう」
「・・・・・・」
男達は、自分の両手の臭いを嗅ぐ者、体の臭いを嗅ぐ者がいた。その姿を見て・・・・。
「お前らはまだ良い方だぞ。俺なんか、そんな汗を流しても体に染み付いているからな。恐らく、無駄だろう。その証拠に、俺の睨みを見て怯えない者はいるか?」
隊長は笑いながら言うのだった。
「そうですね。隊長の睨みは怖いです」
皆は、気分が解れたかのように共に笑うのだった。
「隊長殿。何か言っている意味が分かりました」
「そうか、そうか、それは良かった。がんばれよ」
「はい」
そんな話をして居る時だった。女性が大きな荷物を何個も持って道を進んで来るのだった。この道を来る者は、長老宅か、村の厄介者の元兵隊たちに用があるだけなのだ。
「隊長殿。あの女性の手伝いをして宜しいでしょうか?」
「駄目だ。俺も手助けしてやりたいが、女性は迷惑と感じるだろう。それに、俺たちと話をした。となると、悪い噂が流れるかもしれない」
「分かりました」
「だがな、向こうから話を掛けてきたのなら喜んで力を貸してやれよ」
「あっ・・・はい。ですが、俺たちに話しかけてくる女性は、少し歳が過ぎていますね」
「まあ、そう言うなって、向こうの女性方も女気がないと思ってきてくれているのだぞ」
「確かに、菓子や料理は上手いですね」
「そうだな。女性たちが来るなら、そろそろ来る頃だな」
「俺たちが見た感じでは、隊長殿が目的で来ている。女性がいると思いますよ」
「もし本当だとしても、俺は駄目だ。人の血が体に染み付いている」
「そう言っていますが、隊長殿も楽しみしているように思えましたよね」
「それは、お前たちもだろう」
「はい。楽しみですよ。隊長のにやけた顔を見るのが、ですがね」
「あまり、からかうな」
「それにしても、今日は、女性達は来るのが遅いですね」
皆は、などと、女性の話題を上げていた。だが、この場では、誰一人と気が付いていないが、一人の女性が忍者のように忍んで話を聞いていたのだ。
「末端の兵たちは本気で農作業に専念しているのね。隊長格も同じようね。これでは、やはり、指揮官より上の階級を探るしかないわね。それは、良いとしても、美雪を一人暮らしさせるのは、失敗だったかしら、こんなにも狼が居るとは知らなかったわ。でも、まあ、私の娘なのだから大勢の男達に好かれるのは、当然だけどね」
様々な表情をして悩み、驚き、そして、楽しんでいるようだったが、長老宅から娘と数十人の女性たちが出てきたことで、また、完全に気配を消したのだ。
「おっおお、お前らぁ。喜べ女性達が来たぞ」
「隊長も嬉しそうですね」
「うっ、まあ、俺は・・・お前らだって言いたいことを言っていた割には、本当に嬉しそうな表情を浮かべているだろう」
「隊長も、俺たちと同じだって分かって嬉しいのですよ」
「本当ですね。先ほどの女性も一緒に来るぞ」
「おっおお」
「あっ残念だ。来た道を戻ってしまった」
「そんな、がっかりした顔をするな。女性達に失礼だぞ」
女性達が近づき、自分たちの話が聞える。そんな距離だから口を閉ざしたのか?。それとも、食べ物の匂いに負けて、涎が垂れるのを防ごうとして口を閉ざしたか?。だが、女性達が近づいて来るのを見続けるのだ。もしかすると、それぞれの別の理由もある。そう思える視線だった。
「どうしたの?」
「そうですよ。そんなに見詰められると恥ずかしいわ」
女性達は、同じように話しかけるのだった。
「あっ・・・済まない。失礼だった許して欲しい」
「いいのよ。でも、どうしたの?」
「何がだ?」
「珍しく仕事を休んでいるから・・・・いつもは、私達が、「そろそろ休みにしたら・・・」そう言ってから集まるのに、今は皆が休んでいるからよ」
「ああっそれはなぁ。仕事や訓練では慣れてくると、直ぐに手を休めるだけでなく、無駄話を始めるのだ。それを注意していたのだ」
「隊長殿。本心を言いましょうよ。そろそろ女性達が来る頃だから待っていたってね」
「何を言うのだ」
部下に鋭い視線を向けた。だが、女性達が居る場では怒鳴る事はしない。それが、分かって居たのと、女性に気を引きたい気持ちと、この場の雰囲気を変えようとしたのだ。
「そうでしたの?」
「あっああ、確かに本当だ。いつも食事や飲み物を頂けるので、持って来てもらう物の分配だけは、自分達でするべきかと思ったのだ。だから、休んでいてくれ」
「まあ、そうだったのね」
「わたしたちも本当のこと言うとね。この場所の作業は、わたしたちの担当なのね。だから、暇だと言うのでないけど、他の班から見たら遊んでいると思われるかもって、それでね。お茶と茶菓子を兵隊さんと、他の班にも配っていたのよ。だから、何も気遣う必要はないのよ。ねえ、皆?」
「そうそう」
「うんうん」
「そうよ」
何人の女性も同じ様に頷く者。同じ返事をする者と、嘘ではないと証明するのだった。そして、冗談や様々な会話が始まるのだった。勿論、飲み食いも始まっては、聞き耳を立てている者からしては、馬鹿馬鹿しくなるのは当然のことだった。
「この様になっては、この場に居ても意味が無いわね。美雪の様子を見て、指揮官よりも上の階級の者たちの様子を探って見るしかないわね」
誰にも気配を悟られないで、女忍者の様に消えた。そんな移動の仕方だった。
「美雪。長老様からの許しは出たの?」
「お母さん」
美雪は声がした方に体を向けるが、誰も居なかった。
「どこ?」
「それよりも、許しは出たの?」
「出たわよ。でも、そろそろ、皆と同じように仕事をしなさいって」
「それは、当然ね」
「それと、夜は女性一人では危険だから長老の家で寝泊りしなさい。そう言われたわ」
自分が考えていたのと、違ったために憤慨していた。
「当然ね。でも、家に居るより良いでしょう」
「むむっ・・・・そうね」
何か言いたそうだったが、家に帰れ。そう言われるのを恐れている。そんな感じだった。
「また、様子を見に来るわ。だから、安心して、新さんのことでも思いながら楽しい気持ちで掃除をするのね」
「お母さん」
「・・・・・」
娘の問い掛けは聞えたが返事を無視して、長老宅の裏口から中に入るのだった。
「長老殿」
家の中に入るのでなく、戸口で待つのだった。
「やっと来たか。旦那の方は感情的で困っていたのだ」
「すみません。感情が入りすぎました」
「それで、どうなのだ?」
「何かの企みは無いようですが、指揮官より上の階級の考えを探らないと安心できません」
「そうか・・・・・探れそうか?」
「村の門の前ですから隠れる所がなくて、どう探るか思案しています」
「そうか・・・・まさか、その考えで選んだのか?」
「それは、無いでしょう。もし村人から襲われたらと、それを考えた場合は隠れることも、戦う態勢も取れませんからね。もし良い点があるとしたら村の外から来る者と真っ先に会えるくらいです。だが、それは、村の外の者と共同で、この村を襲う場合です。裸で来るくらいですから無いでしょう。それよりも、この村を襲う者が来た場合は、この村を守る。それを考えて選んだと思います」
「そうなのか」
「これから探れるか試してみます。恐らく無理でしょう。それで、こちらから、行動を起こして、出方の様子を見たいのです」
「何をするのだ」
「簡単なことです。主と指揮官の上の階級の者だけで、食事会か酒宴でも開いて正直に何が起きたのか、それを問い掛けて欲しいのです。今まで探った様子では、恐らく、正直に答えてくれるでしょう。もし答えなくても、不審を向こうに与えれば、主と指揮官より上の階級たちは相談でもするでしょう。それを、私が聞きだします。それも、出来れば、夜にして欲しいのです。朝には長老が何かの答えを出して行動を起こす。そう思わせて欲しいのです」
「何とかしよう。だが、旦那の方は、傭兵達が心配だと言っていたが、大丈夫なのか?」
「もし隊の主と行動が一緒なら同じ行動をするでしょう。もし違う場合は、何かの行動をするはずです。それを探ります」
「分かった。これから、隊の主に会ってみよう」
「お願いします」
裏の戸口から女性は消えた。
第九十三章
村の様々な所では、労働の疲れをを取ろうと、少しの休憩をしていた。そんな時の冗談なのか、愚痴なのか、人の悪口でも聞えてきたのかと、思われるようにも、誰かを探しているかのようにも思える様子で、長老が家から出てきた。村人は、そんな、長老の姿を見ると、手を招く者や会釈する者とかが居た。自分に用事でないと分かると、また、雑談の始めるのだ。それでも、視線では、どこに行くのかと見るのだった。
「畑仕事は大変でしょう」
隊の主に向けて言葉を掛けた。
「だが、楽しいぞ」
「それは、それは、ですが、村の入り口付近は、滅多に耕さないので地面が硬いでしょう」
「そうなのか?」
長老と話がしたかったのか、休憩をする頃合いだったのか、手の仕草で皆に休憩をする命令を下した。
「はい。もしかしてお邪魔してしまいましたか?」
「なぜ、そう思うのだ?」
「他の畑では、皆が休憩しているようですので、そう感じたのですが?」
「いや、今から休憩を取るところだったのだ。何も気にする必要はないぞ。それよりも、なぜ、滅多に耕さないだけでなく、地面が硬い。そう思うのだ?」
「それは、村の入り口に豊かなの作物が実っていたら豊かな村だと思われるからです。それだと、交渉も上手く行きませんし、邪な考えを起こす者もいるからです。ですから、人に踏み固められているだけでなく、耕さないために硬いままなのです」
「ほうほう、交渉とは、そう言うものなのか?」
「はい」
「それに、人の心理も良い勉強になった。心底から感謝するぞ」
「いいえ」
「それで、何か、御用でもありましたかな?」
「それなのですが、何と言いますか、今頃になってすまないと思うのですが、皆さんの歓迎会をしたい。そう思いまして、日時の相談にきたのです」
「そうでしたか、それでしたら何時でも構いません」
「それなら、明日の夕方からは、どうでしょう?」
「構いません」
「明日の夕方に、湯殿もは入れるようにしますので、仕事が終わりしだい。わしの家に来て下さい」
「喜んで伺おう」
「まあ、食事と少々の酒ですが楽しんでください」
「おお、酒も出してくれるとは、久しぶりに飲めると、皆も喜びましょう」
「そのように喜んでくれるのでしたら、出来る限りの酒を用意しましょう」
「感謝する」
「明日。お待ちしております」
長老は、用件をすますと、自宅に向った。途中で村人から言葉をかけられるが、簡単な挨拶で済まして家の中に入るのだった。すると・・・。
「長老殿。どうでした?」
「酒を出すと、そう言ったら喜んでいたよ」
「長老殿の酒ですね。すみません」
「構わない。それよりも、わしや婆さんの酌では・・・・喜んでくれないだろう」
「あっああ、そうですね。それでは、これから、何人かに頼んできます」
「頼むぞ」
「ですが、長老殿。勿論ですが、長老殿には酌はしなくて良いと、皆に伝えておきますよ」
「残念だなぁ」
「当然です」
「分かった。分かった。明日の夕方だから頼むぞ」
「それでは、これで・・・・」
(娘にでも頼むかな)
今度は、突然に消えるのでなく、ゆっくりと、何かを考える様子で裏口から向った。それでも、外に出ると、誰に見られると思っているのだろう。また、突然に消えたのだ。
「美雪。居る?」
「何?」
「せっかく、料理を教えようとしたのに、何って何よ」
「お母様。ごめんなさい。料理を教えて下さい」
「まあ、いいわ。教えてあげる」
「うんうん」
「それで、何を作ろうとしていたの?」
「カレーでも作ろうかと」
「そう、それなら、わたしが野菜を洗うわ。美雪は、野菜を刻んで」
娘は返事を答えるよりも、野菜と包丁に神経が向いていたために無言だった。その様子を見て、母は驚くのだった。娘は、手術をするような真剣な表情で包丁を握り、普通のジャガイモなのだが、なぜか、国家予算位のダイヤでも触っているかのような慎重さで皮を剥くのだ。だが、震えているからだろうか、ジャガイモの七割が皮と同時に剥いてしまうのだ。それを見て、母は笑いを堪えるので精一杯だった。少し、気持ちが落ち着くと、やっと声が出せるようになったのだろう。それでも、言葉には笑いが込められていたのだ。
「あんたって不器用だったの?知らなかったわ」
「ぶぅぅう。だから、一人で料理の勉強がしたかったのにぃ~」
別人のように頬を膨らませて不満を表すのだった。
「本当に家に帰ってきなさい。料理の勉強と言う基準でないわ。こんな料理の作り方を誰かに見られたら家の恥よ」
「そこまで言う」
「そう言うけどね。一人で暮らすっても料理が出来なければ餓死よ。あんた死にたいの?」
「ぶぅぅう」
「誰かに見られる前に家に帰るわよ」
「えぇぇええ、今すぐは無理よ」
「なんでよ」
「都江おばちゃんが料理を食べに来るし」
「先輩が来るのね?」
「うん」
「直ぐに断りなさい」
「無理よ。わたしの料理を食べた後に、もし物足りなければ、代々伝わる家の隠し味を教えてくれるって言ってくれたの。だから、今からでは断れないわよ」
そんな親子で言い争いをしていると・・・・・・・・・。
「美雪ちゃん。料理は出来たかしら?」
玄関から長老の奥方の声が聞こえてきた。
「実家に帰ることになったって断りなさい」
「そんなことを言ったら帰ることになるでしょう。絶対に嫌よ」
「何を言っているのよ。家に帰るの」
「嫌よ」
親子の言い争いは納まるのではなく、だんだんと声が大きくなり。その声は玄関まで届いてしまった。それも、聞こえて欲しくない相手に確りと届くのだった。
「どうしたの?。ねえ、美雪さん。もしかしてお母さんも、いらっしゃるの?」
老婆は、問い掛けても返事がなく、何があったのかと心配しながら一歩、また、一歩と恐る恐ると、声が聞こえる方に近寄るのだった。
「どうしたのです?」
「あっ」
「あら」
長老の奥方は、何をしているのかと台所を覗いた。すると、驚く姿の親子を見つけるのだった。そんな、二人は自分の手で口を塞ぐしかなかった。そして、真っ先に口を開いた者は、助けを求めるように叫ぶながら抱きついた。
「都江おばちゃん。ちょっと聞いてよ」
「どうしたの?」
演技なのか、本当の涙なのか、それは、分からないが、長老の奥方は、まるで、本当の娘のように泣き叫ぶ娘を、優しく頭を撫でて落ち着かせようとしていた。そんな様子を見て、実の親は演技かと思っているのか、それとも、本当に娘を悲しませてしまった。そう思わせる表情と、もう一つの表情もあった。娘を思ってのことで、自分の欲求を解消するためにしたのでない。それを説得しよう。そう思える複雑な感情を表していた。
「先輩。いや、奥方様!」
「待って、泣いている者から話を聞くわ。落ち着かせないと駄目でしょう」
「・・・・・・」
「落ち着いて、ねえ、美雪ちゃん。何があったの?」
「おかあさんが、突然に・・・」
「お母さんから何をされたのね。大丈夫よ。守ってあげるからね」
長老の奥方は、獣でも見るような視線で、美雪の母を見るのだった。
「あっああ、終わりだわ」
視線を向けると同時に、指差すのだった。その先には・・・・・・。
「あら、美雪ちゃん。人形かな?。それとも、動物かな?。でも、駄目でしょう。食べ物で遊んでは駄目よ。それは、お母さんが怒るのは当然ね」
「ぶっうぅう」
二人の大人に言われて、頬が破裂するのではないかと思うほどに膨らませて不満を表すのだった。
「先輩。娘は料理を作っていたのです」
「えっ」
自分の人生が終ったかのように肩を落とすのだった。だが、言われた方は何を言っているのかと、意味が分からない。そんな表情を浮かべながら母親の顔と野菜の残骸を交互に見るのだった。
「あはっははぁ。わたしは身内の恥を隠そうとしていたのですよ」
笑って誤魔化そうとしたのか、いや、自分の正気を取り戻そうとしたのだろう。その気持ちは、長老の奥方にも伝わったようだった。
「そうだったの」
「はい。そうです。先輩」
「それで、美雪さんは、家で料理の勉強するのでなくて、この家で料理を勉強するのね。それも、自分の母親でなくて、誰に習うのかしら」
長老の奥方は突然に口調を変えた。まるで、厳しい教師のような声色だった。
「そうよね。独学では難しそうね。誰に習うのかしらね」
「えっ」
美雪は、二人の変わりように驚くのだった。その娘の姿を見て笑みを浮かべた。その笑みは、自分よりも長老の奥方の方が厳しい教え方をする。そう感じたからだった。
「先輩。娘を宜しくお願いします」
「構いませんよ。しっかりと教えますわ」
「えっ・・・お母さん。この家に居ていいの?」
「もう、隠す意味がないでしょう。好きにしていいわよ」
「それでは、美雪さん。行きましょうか」
「えっ・・・どこに?」
「丁度良いことに大勢の味見役さん方が、いらっしゃいるわ」
「えっ・・・・どこに・・・行くのです・・・かぁ~」
「あっ・・・もしかして・・・・これは、丁度良いことになりそうだわ」
長老の奥方に突然に腕を掴まれて連れて行かれる。そんな、驚く娘の姿を見ながら微笑むのだった。その笑みには、奥方が何をするか分かった。それを証明する笑みだったのだ。
「ちょっと、都江おばあちゃん。どこに行くの。ねぇ、ねぇ」
「兵隊さんたちの所よ」
「なんで!」
「それはね」
美雪は、悲鳴のように叫ぶのだが、奥方は、諭すように優しく微笑むのだった。
「はい」
「沢山の料理を作っているからお手伝いができるからよ。それに、一番の理由は、兵隊さんたちなら何でも喜んで食べてくれるわ」
「それって・・・・」
「長老の名前を出せば、強制的に実験台になってくれるわ」
「おばあちゃん。それって・・・・」
美雪は、今までは、ニコニコと常に微笑み。優しく接してくれたのに、先ほどからも、今の様子も別人を通り越して、まるで鬼と感じてしまい。心底から恐怖を感じたのだった。
「美雪さんは孫と同じですもの。その子が料理を憶えたい。そう言うなら、どんなことでもするわ。だから、安心して料理の勉強をしなさい」
「はい」
恐怖を感じているために、頷くことしか出来なかった。
「まあ、始は、大量のキャベツの千切りだけをしなさい。包丁の恐怖を克服するのでなくて、包丁の速度、正確に切ることを憶えるのですよ。兵隊さんは、喜んで食べてくれるから何も心配しなくていいわ」
美雪を引きずるようにして、簡易的な寝床の前に連れて来て入り口の前で待たせるのだった。その様子は、まるで、飼い主を待つ犬のようだった。直ぐに、奥方は出てきたことで、何て言って許可をもらったか想像ができたのだ。間違いなく、男性だけの料理では味気ないだろうから、女性の手料理を食べさせる。そう言ったはずだ。
「許可を取ってきたわよ。行きましょう」
奥方が、美雪の手首を強く握って、簡易的な調理場に引きずるように連れて行くのだった。美雪は、愚痴など言えるはずもなく、勿論、拒否することも出来なかった。そして、調理場に着くと、手を離してくれたが、その場にいる兵隊たちに、大量のキャベツの用意を指示するのだった。
第九十四章
太鼓を叩いているような音が周囲に響いていた。その響きで、ある人は絶望を感じ、ある人は爆笑する者もいたのだが、その中で、一人の者だけが、顔を青ざめているのだが心底から応援しているのだった。
「なによ。笑いに来たの?」
「良い包丁捌きの音ね」
「でしょう。もう四時間もキャベツの千切りをしているのよ。音だけでも良く聞えないのなら死にたくなるわよ」
「それで、何を作っているの?」
「知らないわよ」
「それにしても凄い上達よね。わたしの目を見ながら話をしているのに包丁を動かして刻むのだから驚きよ」
「それで、何しに来たの?」
「ちょっと、お願いに来たの」
「何よ。早く言って」
「明日の夕方にね。長老宅で食事会があるのよ。それに、出て欲しいの」
「あっああ・・・・それには、おばちゃんに食事を作るように言われたから出るわよ」
「そう言う意味でなくてね。兵隊さんたちにお酌をして欲しいのよ」
「手が開けば、お酌くらいならしてもいいわよ」
「ありがとう」
「それにしても、キャベツの千切りだけ、こんなにも・・・ねぇ、刻みすぎでないの?」
水の桶に五杯もあった。その隣には、キャベツが三十個くらい積み重ねてあったのだ。
「たぶん、そこにある。全てのキャベツを千切りにすると思うわ」
「大変ねぇ」
「やっぱり、笑いに来たのでしょう」
「違うわよ。心配だから様子を見に来たのよ」
「そう言うけど、でも、笑っているわ」
「それは、兵隊さんたちが可愛そうだからよ」
「まあ、いいわ」
「そうそう、多分ね。このキャベツの後に、ジャガイモが運ばれてくると思うわ」
「今度は、ジャガイモを刻むの?。でも・・・・何で、分かるの?」
「それはね。長老が奥方様を怒らせた時の献立と同じだからよ」
「もしかして、おばちゃんは、わたしに怒りを感じているの?」
「誰に、怒りを感じているか、それは、分からないけど、不機嫌なのは確かかもね」
「でも、わたし・・・何をしたの?」
「まあ、少し安心していいかも」
「何で?」
「作る方か、食べる方か、どちからに怒りを感じている。と思うわ。でも、一番の苦痛を与えるのは、作る方よりも、食べる方だと思うわ」
「確かに、不味い料理って喉を通らないわね」
「そうね。そう言うことは、自分が作る料理は不味い。そう思っているのね」
「むっ・・・・・・まあ・・・・」
「まあ、いいわ。それ以上は聞かないわ」
「どこに行くの?」
「他の人にも当たってみるわ。でも、あなたはお酌に来ると思って予定に入れておくわよ」
内心とは違う事を言った。その内心は、今なら兵達が何を考えているかの探りをする絶好の機会だと感じたのだ。辺りでは娘の料理が食べたくない。その殺気と似た感情を放っているのだ。だが、誰も拒否ができないのだ。それで、がっくりと俯き、娘と視線も合わしたくない。そんな様子なのだ。これなら、野菜を持って歩けば娘の関係者と考えられて、誰も視線を合わす者は居ないだろう。なぜかと思われるだろうが、関係者から娘の耳に入れば、気分を壊しかねない。もし気分を壊した場合は、想像もしたくない料理になる。それを心配しているからだ。
「ん?。なんで、キャベツを持つの?」
「虫食いが多いから捨てるのよ」
「あっありがとう」
母が立ち去る姿を最後まで見るのではなくキャベツの千切りに集中したのだ。勿論、母の行き先はゴミ捨て場所ではなく簡易の寝床であり。小さい小屋だった。その中には兵士達の上官と主が居る。その場所に恐る恐ると近寄った。予想の通りに、出会った兵たちは視線を避けて逃げるように去るのだった。
「心配したけど、大丈夫みたいね」
首を右、そして、左と何かを探るように視線を向けるが、誰も変な様子の女性の行動には気付く者は居なかった。
(後は、夜に来る時の隠れ場所を探すだけね・・・・・あの場所にしましょう)
すんなりと、隠れる場所も探し終えて、内心で考えていると、目的の場所に着くのだった。すると、直ぐに建物の陰に隠れて中の様子を探るのだった。
「・・・・・」
建物の中から漏れてきた言葉には、甲高くて興奮しているかのような喜びを感じる言葉だった。明日の接待で久しぶりに酒が飲めることを楽しみにする者。この先、何一つとして軍事の行動計画が無い事に安堵する者。戦に負けて帰る場所もないのだから村に住みたいと言う者。と、主が無言で聞いていることを良いことに様々な提案を言う者がいた。部下達の言葉が途切れた時に口を開くのだった。何をするにも、まずは、村の為に役に立つ事をしてからだと締めくくるのだった。その言葉を聞いた後に女性は壁から離れて安堵するが、直ぐに、苦々しい表情を浮かべて辺りを見回すのだった。
「まだ、安心できないわ。傭兵達が何を考えているか探らなければならない」
探す者たちの居る場所が分かっているのかのように別の小屋に歩き出すのだった。その途中で信じられない声を聞いた。確かめるために視線を向けると、探していた傭兵達の嬉しそうに畑仕事をしながら喜びの声を上げていたのだ。女性は、信じられなかったのだろう。人違いかと思ったのか、目が悪くなったのかと思ったのだろうか、目を擦って治そうと思ったのだろう。その後に、再度、確認するために視線を向けるが、清々し表情で汗を流しながら地面を耕しているのだ。二度、三度と、見るが、その姿には偽りの様子が感じられなかった。
「まあ、今日は良いわ。明日、酒でも飲んだら本性を表すかもしれないわね」
正気のような言葉を口にした。その後、先ほどのことが思い出して、正気が保てなくなったのだろう。忘れようと、あれは、幻だ。いや、何も見ていない。まるで、夢遊病の状態で歩き出すのだった。恐らく、行き先は考えていないはずだ。そして、どのくらい歩いただろうか、女性を見た者が変だと感じて言葉を掛けてきたのだ。
「ねえ、大丈夫?」
「ねえ、ねえ、どこに行くの?」
何人かの女性が声を掛けるのだった。そして、何人目だろうか、やっと反応した。
「えっ?」
「どこに行くの?」
「あっ・・・・あの・・・あっ・・・長老殿に頼まれたのよ」
「何を?」
「明日の夜に兵隊さん達の労いとして酒宴を開くことになったのね。それで・・・」
「うぉおおおお」
兵達は、酒宴を聞いて歓声を上げた。それで、女性が何を言おうとしたのか聞き取れなかったために、女性の班長らしき者が人差し指を唇に当てて黙らせた。
「それで、何て言おうとしたの?」
「長老からね。男性だけでは味気ないから話し合いてをしてくれる女性を探して欲しい。そう頼まれたの。でも、女性にお願いするだけでも失礼でしょう」
「そうね。確かに、なんで、私に話が掛かるのよ。って怒る人もいるわね」
「そうね。男に不自由しているから声が掛かった。何て思う人もいるかもね」
「うぉおおおお」
兵隊は、男に不自由と聞いて興奮と期待の声を上げたのだった。
「馬鹿ね。あなた達のような人がいるから変な誤解を女性たちが受けるのよ」
「・・・・」
兵たちは口を閉じたが会話の続きを期待して待つのだった。
「それで、悩みながら歩いていたから様子が変だったのね。それで、誰かにお願いをしたの?。もしまだなのなら、私たちが話し相手になってもいいわ」
「えっ」
「皆・・・・・良いわよね」
自分の班の全てに視線を向けるのだった。
「今も似たような事しているし、私はいいわよ」
班の長と副長が承諾すれば他の者も従うしかない。だが、拒否はできる。それを伝えるためと、嫌がる者がいないかと、班長は視線を向けた。すると、誰も嫌がる表情の者はいなかったので安堵するのだった。
「今の様な時は、興奮と期待の声を上げていいのよ」
女性の班長が兵隊達に駄目だしをしたのだ。
「ぅぉぉぉぉぉぉ」
「声が小さいでしょう。私たちでは不満だと言うの?」
「うぉおおお」
兵達は、喉が嗄れるほどの声を上げたのだった。
「それで、良いのよ」
「ねぇねぇ班長」
「なになに」
「この服では失礼よね」
「そうね。酒宴だし・・・・旦那さんに怒られるようなら・・・・今の服装でもいいわよ」
「大丈夫だと思うわ。班長の指示だと言えばね」
「それが、狙いなのね。なら、お酒を飲むのも許しましょう。好きな服装で好きなだけ飲みなさい。私が許します」
「キャ~」
女性たちの叫ぶ声の後は、興奮した女性たちの話し声が響き渡った。そんな状況で、兵隊達は、隊長から仕事の開始の指示を聞くのだった。今までなら労いの言葉を言ってくれるのだが、明日の夜に何を着て行くかで盛り上がり続けたからだ。それでも、兵隊達は久しぶりに女性の満面の笑みを見たことで疲れが取れた。と同時に、明日の夜の酒宴を楽しみにしている様子で仕事を始めるのだった。それと同時に、一人の女性が安堵の様子を表しながら会釈して立ち去ろうとしていた。その様子を見て、女性の班長も軽く会釈することを忘れはしなかった。だが、女性の安堵は酒宴のことでなく、この場に居る誰一人として分かるはずが無いのは当然だった。女性は何も言わず。誰一人として悟られないようにしたのだから当然だろう。それは、全ての兵隊達の本音を聞くための酒宴であり。その全ての計画が完了したことの安堵だからだ。そして、これから向う先は、計画の完了を知らせるために長老宅に向うのだった。
「長老殿」
珍しく、玄関から長老を呼ぶのだった。
「おっ来たか!」
「全ての計画が完了しました」
「それを知らせに来たのか?」
「それもありますが、これから計画に使う用品を保管して欲しいのです。それと、誰にも悟られずに着がえる所がありますでしょうか?」
「なら、わしの書斎を使うと良いだろう。あの部屋なら建物の後ろだから誰からも見られずに窓から入れるぞ。勿論、誰も入っては来ない」
「ありがとう御座います」
「かまわない。それでは、窓の鍵を開けてこよう」
「それでは、用意する必要がありますので失礼します」
「ああ」
何度も頭を下げながら静に扉を閉める。そんな女性の姿を見て普通なら心配になるのだろうが、それは、誰が見ているか分からない演技であり。自信満々の笑みを浮かべているので安堵するのだった。その自信の笑みを証明のように忽然と消えたような動きで移動したのだ。行き先は自宅で、先ほどまで使用していた迷彩服などを持ってきて長老宅の書斎に置くためだった。
「もう来ていたのか・・・・それにしても凄い道具だな」
「これでも最小限度です」
「その道具を使用すれば、人には見付からないのだろう」
「ですが、それだけでなく殺気と云うか、人が放つ気配も消さなければなりません」
「良く分からないが大変そうだが頑張ってくれ」
「安心してお待ち下さい」
「わしは言葉だけの感謝しか言えないが、本当に夫婦で村に住んでくれて感謝しているのだぞ。その前までは村の警備もずさんで、わしも村人も夜になると怯えていた。だが、村の警備を整えるだけでなく村を守ってくれている。本当に感謝しているのだ」
「長老の気持ちは十分に分かっていますわ。ですが、少々予定がありますので、長老の感謝の言葉は後ほどゆっくり聞かせて頂きますわ。ですから、今は、これで失礼しますわ」
長老の癖と言うのか、年寄りの特有というべきか、昔の思いや感情が高ぶると話が長くなるのだった。それを回避するために緊急の用事があると嘘を付くのだった。本当は何も予定がない。いや、娘に料理を教える。と言うか、何を作るのか確認したかったのだ。もし料理を食べて死人は出ないだろうが、腹を壊して酒宴が中止になると計画に支障がでる。それを防がなければならないからだった。
「あっああ、すまなかった」
「いいえ。それでは、明日の夕方に、又、お邪魔致します」
長老は頷き、女性が窓から出る姿を見送るのだった。
2016年4月30日 発行 初版
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羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。