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「今の世では忘れられた昔の物語」(赤い感覚器官(赤い糸)と羽衣)
第一章
この世でも、いつの過去や未来の世でも伝説の都市と言われ続ける都市がある。代表的な都市は、西洋ではエデンと、東洋では崑崙(こんろん)と言われている。そんな都市が世界に点在する。その姉妹都市が日本にもあったのだ。知られているのでは、天の鳥の船や天岩戸である。それだけではなく、発掘の途中であるだけでなく名称も存在しないが、仮定の段階で言うのならば、北海道、青森王朝のことであった。だが、今は、いや、永遠に発掘されないはずなのだ。その理由が、空、陸、水中を自由に移動できるだけでなく、宇宙までも飛べ、遠い天体まで航行ができたことが不運だったのかもしれない。簡単に移動が出来るため停留と言うべきなのか、陸地に簡易的な固定をしたのも要因だった。それだけではなく、頑丈な造りだと思われていたことで災害などの対処が想定されていないのが誤りであり。その場所的にも問題があった。北海道と青森を繋ぐように海上にあったために人工的に海流の流れを変えたことが原因で、多くの伝説の通りの大地震と津波に飲み込まれた。だが、船の様な都市なのだから飛び立てば良いと思われるだろうが、この災害の時に最大の不遇が起きたのだ。部族同士の戦いの最中だったこともあり、船が、いや、都市を浮上するための起動をするよりも、勝機がない部族は他の部族が浮上するための起動阻止を考えて共倒れを狙った。勿論というべきなのか、災害と同時だったことで殆どの船や都市が海の底に沈んだのだ。それでも、小型の村の規模の船であり。その小都市が、両手の指で数えられる程度だったが脱出に成功した。その一つが、現代で言うのなら宮城と山形の中間地点に落ちたのだ。それは、現代でも言われている。東北の空白の歴史なのである。
それから、長い時の流れが過ぎて無人の都市となった。いや、正確に言うのならば周辺の村に直系の子孫が一人だけが生き残っていた。その者は、黒野(くろの)卓(たく)と言う。それと、混血の千人くらいの人々(全てが老人)がいた。おそらく、その都市は、未だに機能はするらしいが操作方法を忘れて放置されているようだった。
そんな村から一台の白い馬車が走り出て来る。それに、乗る二人の者は、卓と裕子(ゆうこ)だ。御車に座る女性は、機械人形なのだが、専門的な技術者や高度な医療を取得した者が調べなければ分からない。それほどまでに人に似ている者が、真剣な表情で馬を操る。もう一人の卓と言われる。その青年は、嬉しそうな表情をしているのだった。
「裕子。今日も、伝説の祖母を迎いに行く前に、砦に行くのだろう」
「そうですね。今回も仙人の霞の饅頭(せんにんのかすみのまんじゅう)を買って行った方がいいですね。私が通行手形の許可書を取りに行く合間に買ってきて下さい。勿論、御主人様が食べる分も買ってきていいですからね!」
「そうするよ」
この一台の馬車の行先は、架空とされる龍を祭る。龍神王朝(りゅうしんおうちょう)別名では富士山麓文明と言われている。その国の最北端の砦だった。住民は二万もいる。どちらかと言うと、砦と言うよりも都市であり。大きな街道がある立地的に良い場所だが、木々に囲まれた平地の頑丈な塀に囲まれた都市だった。そんな砦に、そろそろ着こうとしていた。
「裕子。ここまでで良い。後は、歩いて行く!」
「もう、また、ですの!」
「何を言っているのだ。もう成人だぞ。保護者などいらずに一人でも買い物はできる!」
「そんなに、私と一緒だと恥ずかしいのですか・・・・うっうう」
「まただ。幼い頃は分からなかったけど、今なら直ぐに嘘泣きだと分かるよ!」
「えっ!」
「だって、表情が硬い。本当に、裕子は、演技が下手だな!」
「まあ・・・そうですか・・・表情が硬いですか・・・・それで、造られた物だから恥ずかしいのですね・・・そう言う理由でしたか・・・・」
「裕子。違うよ。そう言う意味でないよ。ただ・・・子供だと思われたくないだけ・・」
先ほどは、幼子が無邪気に両腕で顔を隠しながら必死に演技をするが、その泣き声には笑いをこらえる声色だった。だが、主の一言で言葉を無くすだけでなく、心が奪われて顔の表情からも温かみが消えたのだ。それは、まるで、電源が切れた自動人形としか思えなかった。いや、本当に裕子は、見た目は四十歳くらいの女性に見えるが、人工的に造られた。自動人形だった。それも、造られてから一万年は過ぎている。だが、伝説の都市の末端の機械のため千年くらいしか記憶がなかった。本体である伝説の都市は休止しているのか、それとも、壊れて機能が停止しているのか、それは、確認は取れない。もし都市の機能が正常なら一万年の前の事でも知り得る。だが、代々の口伝の歴史と一冊の書物で語り継がれてきたのだ。書物の方は、一人の女性と言うべきか、歳の若い時もあれば、老婆の時もあるが、裕子よりも歳上の老婆が大事に保管していたために選ばれた者しか読めなかったのだ。それでも、老婆は、人工物ではないのだが、普通の人とは変な言い方だが、伝説の祖母と言われ、人類を造りだした人々の最後の人と言われ、神と崇められる人で、裕子より年上であるが血の通う人間なのだった。
「裕子は、どこも変でないよ。僕と同じ人だよ。誰も、造られた人形なんて思わないよ。だから、ねぇ。だから、元に戻ってよ!」
卓は、裕子の様子を見て涙を流すのだった。
「御主人様。何を泣いているのです。だから、まだ、心配なのですよ」
「良かった。死んだかと思った!」
「何を言っているのです。御主人様の子供を見るまで死にませんよ」
先ほどの無表情の反動か、豪快に笑うのだった。その声は、少々距離があるはずなのだが、城門の立哨している者にまで届く程だ。すると、一人の男が駆けて近づいてきた。
「先ほど、狂った魔女の気勢の様な声が聞こえましたが、大丈夫でしたか?」
「そうでしたの。大丈夫ですわよ。おほほ!心配してくれて本当にありがとう」
裕子は、先ほどとは別人のように淑やかに礼を言うのだ。
「おっおお・・・その・・・お気をつけて!」
裕子の様子は一瞬で変わった。言葉使いもだが高貴で気品があるだけでなく、看護婦的な神秘的な雰囲気を感じさせる。そんな女性は見たことなく、男は、見惚れてしまったのだ。
「もう、馬鹿ね。わたし、わたし、裕子よ」
「裕子なのか!」
「そうよ!」
「そんな白い服を着て、結婚式でもするのか!!」
「何を言っているのよ」
「それにしては、坊ちゃんは、普段と変わらないような服ですね」
「もう、だから、裕子と一緒だと、嫌なのだよ。坊ちゃんと言われるから!」
大きな溜息を吐きながら独り言のような愚痴をこぼすが、裕子だと分かると、一人、二人と馬車の周りに多くの人が集まってきたのだ。
「どうしたのです。今日は特に綺麗ですよ」
「何を言っている。裕子さんは、いつも綺麗だろうが!」
などと、男たちが集まっては自分に好意を向けようと、褒め称えるのだ。それでも、卓は、都合が良いと思ったのだろう。一人で馬車から離れて砦の中に入って行った。普段の裕子なら適当にはぐらかして、少々強引に態度を表すのだが、今日の裕子は、厳粛な場所にでも行くためか、服などに一つのしわも付けられない。そんな様子で抵抗ができない感じだった。そのために、保護者であり。護衛でもあるのに、卓を一人で行かせてしまった。
「御主人様が、馬車の中にいない!」
裕子が気付いた時には、卓は砦の中に入り。目的の仙人の霞の饅頭の店が見える所まで着いていた。すると・・・。
「痛い!」
卓は、今までに感じたことのない痛みを感じて患部に視線を向けた。すると、今まで、左手の小指に巻きついて動かなかった器官・・・それは、赤い感覚器官であり。赤い糸と言うのだが、初めて動いたのを見たが方向を示していたのだ。何を示すのかと、視線を向けると・・・・。
「あっ・・・何て綺麗な人なのだ!」
その先には、二十歳くらいの女性と十歳くらいの弟だろう。二人が見えた。それも、女性だけは、特に鮮明に見え、弟と辺りがぼやけて見えたのだ。それは、誰が感じても運命の女性との出会い。そう感じるはず。勿論、卓も感じたのだ。それだけでなく、女性から視線を逸らせることができなかった。まるで、姉と弟の様子がコマ送りのように見えて、今の状況を忘れないように脳内に焼き付けるようだった。
「あっ」
卓は、弟が転んだのを見て、即座に駆け寄ろう。としたが、姉は弟が泣くのを宥めるだけでなく、左手に持っていた。その大きな包から饅頭を取り出して中身を捨てた。何をするのかと、そのまま見ていると、包まれた薄布を広げて血を流している患部に巻きつけたのだ。
「おおっ何て、美しいだけでなく、気丈であり、心が優しく、機転が利く人なのだろう」
そして、今度こそ、近寄ろうとしたのだが、かなり裕福な姿の青年が、突然に現れて何か意味が分からないが興奮を表しているのだ。そして、姉と弟に何かを頼んでいるようだった。その様子を真剣に見ていると・・・。
「御主人様!」
「うぎゃおおお!」
後ろから言葉と同時に、肩を叩かれたのだ。
「どうしたのです。何を驚いているのです!」
「裕子か、驚かすなよ!」
「それで、仙人の霞の饅頭は購入したのですか?」
「いや、まだ、買っていない」
「それは、良かったわ。何かね。お偉方様が、突然に現れたらしくて、まだ、通行手形の許可申請に時間が掛かるの。だから、仙人の霞の饅頭は、裕子が買ってきますので・・・」
「・・・・」
卓は、周囲を何かを探すように見回すので、裕子は、不審を感じた。
「御主人様。何をしているのですか?」
「居ない!」
「誰の事ですか?」
「いや・・・その・・・えっと・・・名前が・・・分からない」
「裕子さん。順番が来ましたよ!」
「御主人様。何と言ったのです。聞き取れませんでした。もう一度、誰と言ったのです?」
「・・・・・・」
裕子の親衛隊の様な感じの男が話し掛けた。それで、卓の話が聞こえなかった。そう感じて怒りを感じたが、卓の前で怒鳴ることもできるはずもなく、再度、丁寧に、穏やかに頼むのだったが、卓も名前を知らないのだから言えるはずもなかったのだ。
「ふぅ、裕子。何も気にするな。許可書を貰ってこい。僕は、仙人の霞の饅頭を買ってくる。急がなければ、迎えの時間に間に合わなくなるぞ!」
「そうでした。直ぐに戻って参ります」
「ああっ分かった」
裕子は、急ぐとは言うが、まるで、優雅と言うべきか、寸法が小さい服を破かないようにと歩いている様な感じで、ゆっくりと、ゆっくりと向かうのだった。
「裕子さん。もう少し急ぎましょうよ!」
「分かっているわよ!」
「これでは、いつ、戻って来るか分からない・・・う~む」
(探してみるか・・・北西の方向か・・・・どこかの建物の中にいるのだろうか・・)
卓は、赤い糸を見ては、悩みながら仙人の霞の饅頭の店に行き、行列の最後尾に並び、キョロキョロと首を振って周囲を探していた。だが、あの女性を探し出せず・・・。
「お客様。どうしました?」
「あっ、何でもない」
「そうですか、それでは、何個をお求めでしょうか?」
「一箱が折詰用で、後は、ばら売りの物で・・・十個を袋に入れて欲しいですね」
「畏まりしました。少々お待ちください」
本当に少々の時間で手わされたが、ふっと、裕子が帰っているのかと、馬車が置いてある方を見ると、先ほどの姉弟らしき二人が視線に入った。それも、砦の門から出ようとしていたのだ。そのために、少しでも急ごうとして店員に一枚の銀貨を手渡し、釣りは要らない。そう伝えると駆け出したのだ。後で、購入した価値の物は銀貨の価値の半分の値段なので、結子に、釣りは、どうしたのかと、問われるのは確実だが、今は、そんなことを考える気持ちなどあるはずもなかった。だが、卓は駆け続けたが、馬車に着く頃には、姉弟は人混みに隠れて見失うのだった。それでも、息を整えながら周囲を見回していた時・・・。
「御主人様。どうしました?」
裕子が、卓の後ろから声を掛けるのだった。
「いや、何でもない」
「そうですか、それでは、馬車に乗ってください。直ぐに行きますよ」
裕子は、御車台に乗り、主人を馬車の中に座らせると、馬車を走らせた。普段なら直ぐに仙人の霞の饅頭を食べたい。そう話し掛けてくるのだが、今日の主人は大人しかった。
「どうしました?」
「いや・・・その・・・」
卓は、今頃になって、銀貨の釣銭のことを思い出したのだ。
「仙人の霞の饅頭なら食べていいのですよ」
「あっああ・・・ありがとう。そうしようかな・・・・でも・・・その・・・」
「どうしました。まさか、子供の時のように釣銭でも落としたのですか?」
「あっ!」
「まさか、本当に落としたのですか!」
「いや、急いでために釣銭をいらない。そう言ってしまったのだ」
「御主人様!」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「その銀貨を稼ぐのに、皆は、どのようなことをしているか、お忘れですか!」
「分かっている」
卓は、伝説の都市の村に住む。その一族の長であるが、村の住民と言うか、部下と言うか、信者と言うのが一番近いかもしれない。その者たちの傭兵の働きで得た。その金銭からのお布施で生計を立てていたのだ。その部隊は近隣ではかなり有名で、白紙(はくし)の部隊と言われて恐れられていた。強さもだが、装備の名前に由来していた。紙の兜、紙の盾、紙の鎧、紙の剣。全てが白い紙で出来ていたのだ。それは、伝説の都市の遺品の一つなのだが、他にも伝承では、一瞬で一つの国を焼き尽くす程の巨大な光の矢や人が手に持てる光の剣に光の槍など様々武器があったのだ。それだけでなく、空を飛ぶ船や海の底まで潜れる船と時の流れを飛ぶ機械があり。過去、未来を行き来した。などと、お伽話のようなことが伝わっていた。普通なら笑い話として聞き流されることだが、証拠と言える物が、紙の武器と武具なのだ。その仕組みや利用方法は簡潔に伝わっていた。時の流れを行き来する時の不具合が原因であり。要因であったと言うのだ。時の流れには自動修正する働きがあり。過去の物を未来に、未来の物を過去に持ち込むと、物質は元の時間に戻ろうとする働きがあり。その物質の時間が止まるのだ。その武具で例えるなら紙と墨と筆を利用方法で、筆は、未来から過去の持ち込まれた物、紙が現在の物、墨は過去から現代に持ち込まれた物、一番の要な物は水だった。南極などの地下にある。長い時間を氷として存在した物や洞窟などの流れのない水には、時の流れの不具合を起こさせる力が蓄積される。その四点を利用して紙に文字を書くと、紙の組織の崩壊する時の流れが止まりダイヤモンドのような硬度になるのだ。その四点と使い方の方法が伝説の都市に残されていたのだ。
「それが、分かってするのですから余程の事があったのですね。これ以上は、何も言いません。ですが、皆は、年寄りの兵の集まりです。それでも、傭兵として戦うのは御主人様の将来を考えての蓄えなのですよ。それだけは、絶対に忘れないで下さい」
「ああっ本当に済まない。許してくれ」
「はい。勿論です。許します」
「ありがとう」
「もう食べて良いのですよ。仙人の霞の饅頭が固くなりますわ」
裕子は、これ以上は何も言わずに手綱を操作するのだ。卓も、仙人の霞の饅頭を味わっているのか、馬車の外の景色に夢中なのか、暫くの間は無言だった。すると、街道に一つの立て看板に、黒髪国(くろかみこく)の城下。と書かれてあるのを見付けたのだ。
「御主人様。そろそろ、城下に入ります。身だしなみを整えて下さい。どこで、誰が見ているか分かりませんので、もしも、伝説の祖母様の耳に入れば・・・」
「最後まで言わなくていい。それを考えるだけでも恐ろしい。直ぐに整えるよ」
裕子は、馬車の中で主が着替えていることもあるだろうが、それにしては、少し慎重そうに操作するのだ。恐らく、その祖母から人の上に立つ者は、何事も上品にしろ。そう常に高圧的な言葉で言われているに違いない。そのまま馬車は進み続けて城門の前に着いた。入り口は、大小の二つの門があるが、大門に並ぶ者は、誰一人としていなかった。特別な者以外は通れないのだろう。小門の方では、検問のために何十台もの馬車や荷馬車が列を作っていた。その最後尾に並び、暫くの間を待っていると、城門の上の方から階下に居る部下に指示を叫ぶ言葉が聞こえる。誰かを先に通せと言っているようだった。指示された数人の部下は、その馬車に駆け出すと同時に、一般の周囲の者たちも誰なのかと、視線を向けるのだ。
「伝説の都市の姉弟様。黒髪の初代様がお待ちですので、正門からはお入り下さい」
下士官らしい男が、最上級の位の者にでも話し掛けるように礼儀正しく丁寧な態度を表すのだ。その間に、下士官の部下たちは周囲の馬車を移動させて、命じられた馬車を正門の道に誘導させていた。
「開門!」
裕子の馬車が正門の前に着くと、先ほど城門の上から指示を下した。その同じ者が、また、城門の上から違う指示を下した。馬車が通り抜けると、直ぐに大門は閉じられた。その道は、両側に高い壁のような塀に挟まれて正面には王宮が見えた。だが、正面の王宮に向かわずに離宮に向かったのだ。すると、立ち番なのか、一人の高齢の者が立っていた。
「お久しぶりです。初代様は、馬車の中で待っていますよ」
「えっ・・・待ち合わせの時間には、まだ、あると、思うのですが・・・・」
「気を落としているのです」
「何故に・・・」
「初代様の自室から、この場所まで来るのに三十分も掛かったのです。姉弟様を迎いするためにですよ。ですが、立っていられない程まで体が衰えている。とは、考えもしていなかったのでしょう。ですから、自室での軽食・・・その・・・・仙人の霞の饅頭は諦めたのです」
普通の者なら五分も掛からないことだった。
「そうでしたか、それでは、どの様な接客すれば、宜しいのでしょうか?」
「それは、裕子殿が、常に考えていることです。お分かりでしょう」
「えっ」
「裕子殿は、造られてから・・・」
「裕子。そんなことよりも、これ以上は、祖母様を待たせられないよ!」
偶然なのか、卓は、高齢の男の話を遮り、裕子の腕を掴んで引っ張った。
「そうですね。御主人様。直ぐに行きましょう」
「馬車は頼む。祖母様は離れの後ろだな!」
「そうです」
卓は、高齢の男に問い掛けた。頷くのを見ると、裕子の手を掴み駆け出した。二人が後ろに回ると、何台かの馬車が置いてあったが、直ぐにでも出せるようにと、西門の通りの正面に待機している。その馬車だと、即座に判断して向かうのだった。
「祖母様。迎いにきました」
高齢の男の話を信じて、卓は、満面の笑みで喜び溢れた気持ちを伝えたのだ。だが・・。
「遅いぞ。早く乗れ!」
一瞬、本当に老婆なのか、それを忘れる程の高齢の武人特有のドスの利いた声を聞くのだ。その声を聞いて、卓は、恐れを感じると同時に笑みは消えて顔が引きつるのだ。
「裕子。早く御車に乗って走らせろ!」
「承知しました」
「どうしたのだ。卓も早く乗れ!」
裕子は、何一つとして悩むことをせずに即座に御車台に乗ったが、卓は、内心の気持ちと現実の隔たりで放心していたのだ。だが、普段の祖母と同じだったことで、別の気持ちで安堵し大人しく従うのだった。だが、直ぐに微笑んでしまうのだ。
「卓よ。どうしたのだ。何か嬉しそうだな!」
「はい。嬉しいです!」
老婆の正面に腰かけて微笑を浮かべていた。
「何か楽しいことでもあったのだな。それを話してみろ!」
「それは・・・・・」
祖母が元気だからだと、それを言えるはずもなく、適当な話題でも上げようと、暫く考えていた。すると、祖母が・・・。
「どうした。お前の話を聞いてやると、そう言っているのだ。早くしろ!」
祖母が、催促するのだ。それで・・・・。
「それが、この都に来る途中で蜃気楼のような物をみたのです」
「ほうほう、絶世の美女でも見たのだな。どんな女だった!」
「その場所に行ったことも、見たことも無い。そんな場所の城を見たのです。ほんとうに綺麗でした」
「ほうほう、それは、良いことだ。その城の小窓から美女がいたのだな。出会いの予感かもしれないぞ。それで、女性の髪は何色だ。黒だと良いのだが、どうなのだ?」
「女性は、見えなかったかな。でね。吸い込まれるように城の上空に浮かぶのだよ」
「ほうほう、おそらく、羽衣の感覚器官が目覚めた。その効果で浮いたと感じたのだな。それで、近寄ったのだから絶世の美女が見えたのだろう。どのような女性だったのだ!」
「それでね。それでね」
まるで、卓は、幼子が夢を見た事を語るようでもあり。少女の特有の夢の話とも思える。まあ、どちらにしても、成人の者が聞いても詰まらない話を長々と続けるのだ。だが、老婆の方も聞く気持ちがないのだろう。所々で、聞き飽きたとは言えずに、女の話題を聞きたいために、適当な時間が過ぎる毎に、それで、女は、女は、出てこないのかと問い掛けるのだ。だが、老婆の一言で、驚くのだ。その言葉とは・・・。
「お前は、もう成人の男だろう。まだ、痛みを感じないのか?」
祖母は、卓の話を聞き飽きたのだろう。自分で話題を変えた。
「痛み?」
「左手の小指の感覚器官のことだ!」
「あっああ!」
「運命の相手を感じたのだな。でかしたぞ!」
「たぶん、そう思う」
「それで、どんな女だったのだ。乳はでっかいのか!」
「そんなの見えるはずないよ。遠くなのだから胸なんて・・・・」
「それでは、尻は見えただろう。尻は大きいのか?」
「もう女性の尻なんて見ないよ。てっ、言うか、遠くなのだから尻なんて分からないよ」
「遠くからでは、尻の大きさも、胸の大きさも見えないのか、う~む。それでは、安産型ではないのか、それで、どんな女性だった。化粧が濃い女性はやめておけ、そんな女性は仕事ができぬぞ。それに、愚痴をこぼす女はやきもち焼きだ。側室も持てぬぞ!」
「そそっ、側室なんて持たないよ!」
「卓よ。そう言うことを言うのではないぞ。一族の長で生まれたこともだが、一族の最後の男子であり。子を残せる最後の一人なのだ。子孫を残さなければならないのだぞ!」
祖母は口数も多いだけでなく口も悪いが、卓のことを真剣に考えてのことだった。
「ごめんなさい」
「良いのだ。だが、運命の相手が名前も素性も知らないのなら大変なことになるぞ」
「あの人が、僕の運命の人なら過酷なことでも耐えられるよ。でも、綺麗で優しい人だから・・・そんな人が、本当に、僕の運命の人なのかな・・・それが、分からないよ」
「間違いない。左手の小指の赤い感覚器官が感じて知らせたからだ。絶対だ!」
「本当に!」
「それで、もう少し詳しく教えてくれないか!」
「はい。髪は後ろで縛っていて長さは肩より少し下くらい。色は黒でした」
「ほうほう、黒髪か久しぶりに興奮してきたぞ!」
「でね」
卓は、女性を見た状況から何があったのか、その全てを伝えた。
「ほうほう、饅頭の包をかぁ、その機転の良さ。わしの若い頃に似ている。卓、良い女を見付けたな。だが、一つ、いや、二つか、心配があるぞ。わしのように胸が大きく、尻も大きいと良いのだが・・・」
「・・・・・・・」
卓は、あの女性も祖母と同じ人になるのかと、不安そうに祖母を見つめていた。
「祖母様。そろそろ、伝説の都市に着きます。御用意を整えて下さい」
「ほう、分かった。だが、随分と早い。それ程まで、卓の運命の相手の話が嬉しくて、時間が早く感じたのだのだな。まあ、良い。いつもの場所に停車してくれ!」
「承知しました」
裕子は、馬車を操って馬車の停車場に向かった。現代で例えるのならトラックの荷台と並行に作られた。荷卸し場所に近かった。いや、当時の用途でも同じだろう。だが、驚くことに、馬車だからだろうか、人が降りられるようにと細長い自動歩行の床が扉の前に着くのだ。それと、同時だった。祖母が座る長椅子の下に細長い鉄の板状の物が入り。祖母の長椅子を持ち上げて、そのまま建物の中に入るのだ。その様子を二人は見ていたが、驚くこともなかったので、何度も見ている様子なのだろう。そして、無事に中に入ると、二人も同じ建物に入って行った。裕子と祖母は、緊急治療室らしき所に入り。体の調子を調べるはずだ。だが、卓は、性格から考えて、二人の検査が終わるまでの時間つぶしに書庫室などの資料室にでも向かったはずだ。
「裕子。少し熱いぞ!」
「また、水温微調整が狂ったのね。少し待ってください。直ぐに調整します」
透明なバナナのような形の浴槽に、祖母は、上半身を起こして叫んでいた。その浴槽の端の両方の先には管が繋がり、注水と排水の役目なのだろう。そして、バナナを半分に切ったような物が上方にある。それが、降りてきて密閉すると思えた。
「どうしたのだ。完了の緑色の電気が付かないぞ!」
祖母は、水深五センチの浴室のような所に横になり。上方を見た。様々な色の豆電球らしき物がある。その中の一つが、警報を知らせるように赤い電球が点灯していたのだ。
「脈拍が高すぎます。おそらく、先ほどの熱い湯に体が反応した結果でしょう。心身ともに落ち着くのを待ちますので、そのままお待ち下さい」
祖母は、横になり目を閉じて、数分後、機械的な確認の音が鳴った。その時、一瞬だけ目を開けて、赤い電球が緑に変わるのを確かめた。すると、上方の蓋がゆっくりと降りてくる。安心したからなのか、それとも、眠気を感じているのか、また、目を瞑るのだ。それが、合図だったのか、ゆっくりと、液体が注入され続けて満水に満たされるが、暴れる様子がないのだから液体の中でも呼吸が出来るのだろう。その様子を見て、卓は・・。
「裕子」
「御主人様。何でしょうか?」
今までの卓は、建物には一緒に入るが、操作室や治療室にも入ることがなく、書庫室か伝説の都市の中を散策していた。だが、今日に限って制御室に入って来たのだ。
「祖母様だけが出来て、なぜ、村の年寄りの連中には出来ないのだ。それに、あの液体はなんだ?」
「それは、簡単に言いますと、透明なバナナのような容器は女性の子宮と考えれば分かりやすいと思います。その中の液体は、女性の身体の中で作られる羊水と同じ物で、母体の中の胎児と同じ状態になるように造られているのです。ですが、違う点は、微弱な電流が流れていることと、電圧を変える事だけでなく電気が掛かる時間で若返ることも老ける事も可能だと言うことです」
「それなら、村の年寄りの者たちにも使わせてあげたい」
「御主人様のお父様もお母様も、これを初めて見ると同じことを言いました」
「そうなのか?」
「はい。ですが、これは、祖母様の専用なので他の人が使用しても何の効果もありません。もう少し正確に言いますと、祖母様は、第一文明の血筋の最後の生き残りですので・・・」
「その話なら裕子から聞いた。この地球には、今までに四度の文明が起きて滅んだ。現在が第五の文明だと言うのだろう」
「そうです。上空の月が箱舟であり。他の天体から地球に来たのは教えましたね。その者たちが起こした文明が、第一の文明です。それでも、文明は時が過ぎる程に衰退しましたが、第四の文明までは同じ遺伝子を持つ人々でした。ですが、種の限界だったのか、子孫を残せなくなったのです。その理由は解明するよりも子孫を残す方法の方を優先した結果が遺伝子操作です。この地球に存在していた種の遺伝子を組み合わせて造られたのが、御主人様や他の種族です。猿、猪、虎、様々な遺伝子を使って種が造られたのです。現代まで生き残ったのは、猿の遺伝子の種族だけです。ですが、四色の髪の者がいますね。それは、祖母様を含めて、最後の生き残りである。四人の遺伝子を使われて新たに造られた人々なのです。今では混血が多く、御主人様のような・・・・」
「裕子。それは、何度も聞いた。なぜ、祖母様だけなのだ?」
卓は、裕子が、まるで、機械がデーターを垂れ流している感じだったのを戻させた。
「それは、第四の文明人は、長命な人達でした。元々なのか、箱舟で旅をするために人体を改良した結果なのか、それは、分かりません。そのために、祖母様たちの細胞の遺伝子には限界はなく常に新しく無限のように細胞が作られるだけでなく細胞の劣化もないのですが、脳だけは、決められた容量の頭蓋骨だったために限界があり。肉体が若くても死ぬことになるのです。御主人様の種は、細胞の限界を与えられたのです。おそらく、創造主たちと同じでは、自分たちの種が滅ぼされる。と、危険を感じたのでしょう。だから、祖母様と同じように人工子宮に入って羊水に浸かっても効果がないのです。それでも、誰も試された人は居ませんが、もし使用した場合、仮定ですが、治癒能力の活性はするかもしれません。ですが、無理な細胞の活性限界を促進させることで癌細胞が発生してしまうでしょう。恐らく、正常な細胞よりも癌細胞の方が最も活性するはず。そうなると、死期を早める可能性が高いのです。だから、誰にも勧めないのです」
「死期を早める可能性があるのか、それでは、駄目だ!」
「そろそろ、羊水の電気分解が収まりそうですので退室してもらいます」
「あっ!」
先ほどまで、電気分解のために小さい無数の泡が発生していたために人体は見えなかったのだが、今は、泡の発生も少なくなり人の裸体が見えだしたのだ。
「書庫で時間を潰すのをお勧めします。少し後に、紅茶と菓子をお持ちしますので寛いでいて下さい」
「ああっそうだな。そうする」
卓は、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに制御室から出て行った。直ぐに、書庫に入り。先ほど聞いたことを確かめる考えなのだろう。数冊の本を手にして読むのだった。数十分が過ぎると、裕子が、本当に紅茶と菓子を持って現れた。すると、卓は、慌てて違う本を開いたのだ。
「御主人様。何の異常もなく、そろそろ、治療が終わります。ですが・・・」
「分かっている。衣服を選ぶのに時間が掛かると言いたいのだろう」
「そうです」
卓は、女性だから仕方がないって肩をすくめるのだった。
第二章
都市には様々な利用施設はあるが、全てと言って良いほどに電力を必要とする施設だったために利用はできなかった。だが、壊れているのではなく、電力の供給を復帰すれば起動する。だが、都市に訪れる者は、誰一人として興味がなかった。遊園地のような施設もあるが、一人で乗っても楽しくないだろうし、遊戯の機械も使用方法も分からないのだから只の箱でしかない。他の様々な施設も見て不思議な気持ちにはなるが、手に触れたいとまで思う人はまれだ。それでも、書庫室と言うよりも、図書館と言う方が適切と思えるほどの本の数がある。その書庫室だけは利用する人がいた。確かに、本なら目の前にある物を手に取って開くだけだから良い暇つぶしには最適だとも思えるからだ。だが、卓や村の者以外の者は、年に一人くらいが訪れる程度だった。そんな、広い書庫室には、一瞬では数えられない程ある椅子と机が置いてあった。その中の二つの椅子に、卓と裕子が腰かけていた。
「御主人様は、本当に図鑑が好きなのですね」
「動物の写真なら何回も見ても飽きないな」
「今でも、犬か猫を飼いたいのですか?」
卓は、裕子の言葉が聞こえないくらい真剣に図鑑の頁をめくるのだ。だが、裕子は、気分を壊すこともなく、再度、聞くこともなく、卓の顔の表情が変わるのを面白そうに見るのだ。まるで、母が子供に接するような感じだった。
「あっ、今何か言った?」
「いいえ。あっ、紅茶がないわね。おかわりを持ってきましょうか?」
「うん。お願いする」
裕子は、言葉を掛けずに、卓の視線に気付くように置いた。それに、気づき一口飲むことで感謝を表したのだ。そんな、やり取りを分厚い図鑑を最後まで見るまで続けられて図鑑を閉じると、一時間が過ぎていた。
「祖母様。今日は遅いね」
「部屋に行って様子を見てきましょうか?」
「うっ・・・・・・ぅ。そうだな。見てきてくれないか!」
卓は悩んだ。勝手に部屋に入ることは、気分を壊すのではないのかと、それと、老婆だと言うことを思い出し心配になったこともあるが、裕子なら適当な理由を考えだして許されると、そう思っての考えだった。裕子は、丁寧に、退室の礼儀とは、少々大袈裟だが深々と頭を下げて、祖母の部屋に向かうのだった。そして、礼儀を送られ方は、図鑑に興味が向いていたために気づくことも見送ることもしなかった。その行為は、何も心配していないことを意味した。この行為が、後に良いことになるのだ。
「祖母様」
裕子は、少しの気がかりを感じて、制御室に寄って確かめるのだ。
「まさか、感づかれたのかしら?」
裕子は、卓に、祖母にも、機械と言うか設定の異常を伝えていなかったのだ。五年前までは、設定の三十代が可能だったが、一年を過ぎるごとに、一歳ごと若く設定しなければ機械が作動しなかったことだった。確かに、二十五歳では誤魔化せないかと、考えながら祖母の部屋に行った。その途中、他に異常は無かったのだが、歳以外でも何か異常があったのかと、不安と叱責を受けることを不安と恐怖を感じていたのだ。
「祖母様。裕子です」
扉を叩き返事を待った。いや、待つこともなく、直ぐに扉が開けられたのだ。
「何時、来るのか、何時、来るのかと、お前を待っていたぞ!」
「すみません」
「何を怒っているのか、分かっているようだな!」
「はい」
「卓は、何をしていた。待ちくたびれて怒りを感じていたか?」
「いえ。図鑑に夢中です。後、二、三時間は、時間を忘れて見ているでしょう」
「そうか、本当に、動物が好きなのだな。たしか、特に、猫が好きだったな」
「はい。そうです」
「猫は、死んだのだったな。だが、嫁を探すために旅に出たと、そう思わせたはずだったな。それでは、まだ、猫が帰って来ると、そう思っているのか?」
「分かりません」
「そうか・・・・むっう。まあ、それは、良い。では、そろそろ、理由を聞かせろ!」
祖母は、一瞬だが、卓に、時間が掛かると伝えに行かせるかと、思ったが、自分のことを優先することに決めた。
「はい。その前に、飲み物でも御用意を致します」
「そうだな。頼む」
裕子が飲み物を持って来るまで椅子に座ろうとしたが、室温の自動調整が扉を開けたことで変わったのか、それとも、今まで裕子が来るのを、いつか、いつかと怒りを我慢して待っていたことで寒さを感じなかったのか、ただ、長い時間、裸体でいたことで寒気を感じたのか、寝具の上に敷いている毛布を体に巻きつけて椅子に座るのだった。
「今まで、なにゆえに何も言わなかった。なぜ、三十歳の歳に戻さなかったのだ?」
「そのことは、今から全てをお伝えします」
裕子は口を開かず、祖母を見つめるだけだったが、紅茶を口にする様子を見て、やっと話を始めたのだ。祖母の気持ちが落ち着いたと感じたからに違いない。それで、ゆっくりと口を開き話し出した。それは、五年前から始まったと、その時に年齢の設定が三十歳では確定が出来なかった。その時は仕方なく、二十九歳だと実行できたために何も伝えなかった。それは、何て伝えて良いかと考えたからだ。だが、あれから、人体の異常が始まり一年毎に若返りを繰り返して調整に一歳毎の設定を変え続けた。あれから、五年が過ぎたことで、祖母の身体が限界にきていると分かったのだ。そして、このままなら後、四、五回が限度だろう。と伝えた。それでも、子供の身体でも良い場合なら何回か増える。そう予測の考えを伝えたのだ。祖母も予想はしていたのだろう。裕子が考えていた程まで驚くことはなかったが、今まで永遠と思える時間を生きていたのだ。時には、自殺も考えたこともあっただろうが、今では、死ぬ気持ちがないのも分かるし、死の恐怖も感じているのだろう。その気持ちは、裕子も同じだった。祖母の誕生から何十年、いや、何百年も後に造られたが、裕子の身体も今直ぐにでも機能が停止する可能性がある状態なのだ。
「祖母様?」
裕子は、祖母が何も話し掛けないので心配になり問い掛けたのだ。
「あっああ、分かった。わしにも寿命が来たのだな」
「はい。その可能性が高い。そう思います」
裕子は、祖母の視線が一点を見つめて動かないために、何を見ているのかと後ろを振り向いた。その先には、寝具があり。その他は、壁に二着の服が掛けられてあるだけだった。
「胸と尻がきつくて二着しか着られるのがなかったのだ。まあ、三十歳だと人体機能が完成されて動きやすいのだ。それに、引力に負けて胸、尻が垂れ下がる年齢でもあるのだが、大人として色気を表すような・・・まあ・・・良い服が沢山あったのだが・・・・」
「それでしたらお直し致しましょうか?」
「いや、その服の用途で残りの命を決めろ。それが、天命なのだと、今考えていたのだ」
「軍服と旅装服が・・・・・・ですか?」
「ああっ軍服を着て黒髪国に戻り。そして、旅装服を着て旅に出ろ。そう言う意味だと思うのだ。それが、わしが最後にしなければならないことだろう」
「天命などと言わずに残りの人生を楽しんで下さい」
「それより、若返りが、五回が限度なのだな?」
「はい。ですが、年齢を下げれば、限度の数が変わります」
「そうか・・・・今は、たぶん、二十五歳だろう。その五年後だとして、一年で一歳の調整をして二十歳になるのか、それに、微調整したら十代か!」
「はい」
「それは、無理だ。それでは、酒も飲めんのだろう」
「肉体的には、何も問題はありません」
「そういう意味ではないのだ」
「それでしたら、若返りではなく、0(ゼロ)歳から始めては、そして、十歳になった時に全記憶を取り戻しては、それなら、若返りが必要ありませんので・・・・」
祖母は、裕子の話を聞いていなかった。
「今から・・残りの人生を楽しむ・・・か・・・・・」
「ですから、祖母様、若返りでなく、0歳からの再生なら何も問題は・・・」
「いや、決めた!」
「なにを・・ですか?」
「軍服を着るぞ。裕子よ。白紙(はくし)部隊の全軍で出動する。直ぐに準備させろ!」
白紙部隊とは、兜、鎧、盾、剣と、下着と軍服以外は、全てが白い紙で出来ていた。そのために、白紙部隊と言われていた。だが、只の紙で戦いの役に立つのか、そう思うだろうが、ダイヤモンドよりも固く、紙の様に薄くて軽いのだが、ごわごわして少々気持ちが悪いのだ。それよりも、只の紙がなぜ、それは、未来、過去を自由に移動が出来ることで、時間の流れの不具合(その時代に不規則な物や人である)を出来るだけ正常な時の流れを元に直そうと、時間の流れに意志があるかのように自動修正をする。その結果、難点が起きた。いや、利点が発生したのだ。不具合が元の場所に戻ろうとする働きが起きるが、同じ不具合が重なると、物質を形成する物が消滅するまでの時間が止まるが人為的な指示を与えるまで永遠に形が変わらない。
「承知しました!」
(仕方がありません。5年以内に、もう一度、お話し致しましょう。もし再生を希望するのならかわいい赤ちゃんでしょうね。勿論、大事に、大事に、裕子が、お育てしますよ)
「どうしたのだ。早く行かぬか!」
祖母は、裕子の言ったことは聞こえていたと思える表情だった。それも、再生とは、別人になる。それは、嫌だと、そんなことを思っている表情なのだった。
「なんでもありません。それでは、実行してきます」
裕子は、簡易礼を返すと、部屋から飛びだし、その勢いのまま制御室に向かった。室内に入ると、迷うことなく、ある一つのボタンを押すのだ。だが、何も変わった様子がないのだ。それでも、安堵の表情を浮かべながら制御室から出た。向かう先は、卓の所のはずだと思われるが、ゆっくりと、ゆっくりと、何かを思案しているかのような歩き方なのだった。もしかすると、あまりにも静かだからボタンを押したことの実行がされてない。とでも思っているのか、それにしては、機械を信じている足取りだ。実行されていれば、建物の外と言うよりも、この隣接する村の全域に呼び出しを伝える目的なのだ。まるで、ダムの放水の警報のような音が響いているはずだが、ボタンを押した本人は別としても、卓、祖母は何も気が付いていない。それ程までの防音が設置されている建物なのだろう。
「祖母様?」
書庫の入り口の扉が開いた。現れたのは、男性なら一目で心が奪われるだけでなく、女性なら神を呪う程の女性だ。なぜ神は、この様な顔も胸も尻も完璧な女性を作り上げたのか、その一つでもあれば、と全ての女性は願うはず。だが・・・・・。
「そうだ。だが、この姿で、祖母とは呼んで欲しくないぞ!」
この女性の声色であり。男言葉で全てを台無しにする程だった。その話し方で、男は正気に戻り、女性なら笑ってしまう程の話し方だった。いや、逆に、男らしい話し方だったことで、女性が惚れてしまうかもしれない。だから、卓が、悩むのは当然だった。
「えっと・・・・」
「亜希子(あきこ)と、呼んでくれ!」
「亜希子様?」
「卓よ。亜希子で、良いぞ」
「はい。亜希子ですね。そう呼びます」
「それで、裕子は、まだ、戻って来ないのか?」
「そうですね。でも、祖母様・・でなくて、亜希子を呼びに行ったのですが、裕子とは会いませんでしたか?」
祖母の鋭い視線で、名前を言い直した。
「会ったぞ。だが、少々用事を言っただけなのだがなぁ」
今出てきた扉と卓を交互に見て、祖母は、不審そうな表情を浮かべていた。
「探してきましょうか?」
「いや、良いぞ。また、図鑑でも見ていたのだろう。わしに気にせずに読んでいてくれ」
「んぅ・・・・いえ、喉が渇きませんか、酒以外でしたら用意しますよ」
卓は、思案した。行為に甘えようかと、だが、椅子にも座らずに、入って来た扉に気持ちを向いているために、確実に、それも、かなり急いでいると感じたのだ。それで、八つ当たりでも受ける恐れがあったために、まず、席に座らせようとしたのだ。
「そうだな。ミントの紅茶でも飲みたくなった」
「それでは、御用意しますので、席に座ってお待ち下さい」
「分かった」
卓は、透明な扉に向かって歩き、自動で開いたので中に入った。その中は簡易的な給湯室なのだった。湯が沸くまでの時間を潰す目的なのか、何気なく側面の窓を見ていたが、外の空気でも吸う気持ちにでもなったのか、窓を開けて見ると、耳の鼓膜が破れるかと思う程の何かの警報が聞こえるのだ。すると、湯を沸かしていることなど完全に忘れた様に給湯室から飛び出した。
「亜希子!」
「どうしたのだ?」
透明な扉が自動で開閉して音を遮断したのだった。
「外で、何かの警報が鳴っています!」
「ああっ、そのことなら気にするな。わしが頼んだ結果だろう。それより、湯を沸かしているのだろう。大丈夫なのか?」
「あっ、そうでした。直ぐにお持ちします」
湯が沸いたかの確認よりも騒音と感じたのだろう。窓を閉めた。すると・・・。
「御主人様。私が、飲み物なら御用意を致しますので席に座っていて下さい」
裕子が現れたのだ。
「裕子か!待っていたぞ。遅かったが何かあったのか?」
「それが・・・・」
卓は、裕子の困り顔を見ながら二人の邪魔をせずに祖母の前の席に座った。
「どうしたのだ?」
「出発するのに、数時間は掛かるかと思われます」
「何だと!なぜなのだ?」
裕子は、祖母の怒りを恐れて、おどおどと話を始めた。まず、初めに、警報(集合の知らせ)を鳴らして、暫くの間、皆が集まるのを待っていたが、数十分が過ぎてから、やっと、一人の老婆が現れたのだが、支度に時間が掛かると言うのだ。それに、耳が遠い者もいて警報が聞こえない者がいると、それを聞いて、驚きを感じたのは当然だろう。裕子の人工聴覚は最低の段階に調整しなければ人口聴覚が壊れる程なのだ。だから、不審を感じた。この警報の騒音の中で、なぜか、老婆は、普通に会話をしているのだ。これが、人の神秘と言うのか、老人特有の都合の良い事は聞こえるが、都合の悪い事が聞こえない。その人体機能のことを考えていた。もしかすると、人工に作られた物にはない。人の機能の防御からくる慣れなのかと考えていると、まだ、老婆の話には続きがあった。家に居る者なら聞こえるから良いが、釣りや畑などの収穫しに行っている者がいるらしく、探さなければならない。それに対しては仕方がない。と祖母に全てを伝えた。だが、それ以上は口を閉じて、この先の対応について何て言うか困っていると・・・・。
「この警報が聞こえないのか。嘘だろう!」
祖母は、驚きと同時に、裕子の話が終わったと感じて思いを吐き出した。
「あっまだ、話の続きがあるのですが・・・・」
「なんだと!まだ、他にも理由があるのか!」
「それが・・・」
老婆の話しでは、武具を作るためには紙を作ることから始まり。紙の切断から墨、特別な水と、様々な物を用意して作らなければならない。御指示であり出立の全ての用意を整えるまでには、三日から一週間は・・・・と、裕子の言葉を最後まで聞かずに、祖母の怒鳴り声が響いた。だが、何を言っているのか分からず。祖母も、少し落ち着いた後に・・・・。
「なんだと、ふざけるなよ!二時間もあれば十分だろうが!」
「ですが、捜索するにも、それなりの時間が掛かるかと・・・・」
「老人は、と言うか、あの者たちの性格が分かっていない。年老いたことを理由にして面倒な要件だと、のらりくらりと、時間を引き延ばして、自分たちが行動しなくても事が終わるのを願っているのだ!」
「・・・・・」
裕子は、何も返事に答えることをせずに、先ほどまで同じ老人だった者の話を信じて頷くのだった。
「裕子。お前は、あの老人の集団の所に出向き。迅速に終わらせるために指示して来い」
「承知しました」
裕子は、不安を表した。その内心は、自分が行っても老人たちを急がせることの役に立つのかと、だが、それは、祖母に違った意味で伝わったのだ。
「わしと、卓は、この場で適当に時間を潰している。だから、護衛の任務は一時的に解いても構わん。何も気にする必要はないぞ!」
「あっ・・はっはい。承知しました。直ぐに、御命令を遂行してきます!」
裕子は、書庫から退室した。だが、駆けだすことはせずに悩みながら歩いている。それは、村人たちが居る場所を考えているのだ。普通なら警報が鳴れば、村の奥の洞窟の中の建造物であり。船と言うべき物であり。都市と考えるべきか、などの問題よりも、その手前の広場に集まるのが決まりだ。だが、現れたのは老婆が一人だけだった。あの伝えが本当ならば村人を捜索しているのか、いや、先ほどから時間は過ぎているために捜し出したはず。そんな、時間が過ぎている。そう結論を出して向かった先は様々な物を製造する作業場だった。今頃は、紙の生産が終わり、様々な用途に合うように切断しているか、武器や武具の作成にかかっているはず。そう考え、全ての思案の結果が出た後は迷わずに走り出した。だが・・・・。
「なぜなのよ!何一つとして作業した様子がないわ。なら、皆は何をしているの?」
建物の中に入って見ると、全ての機械には布が被されてあり。長い間、誰の手にも使用されずに放置されたことで布の皺も消えて埃も被っている感じだ。それに、室内も人が入った痕跡もないのだ。裕子は、そのまま茫然と立ち尽くした。だが、周囲には警報が鳴り響いているからか、脳内が機械だからだろうか、正気を取り戻したかのように、次の候補の場所に向かった。すると、人の会話の声が聞こえてきた。それは、裕子が機械であるから分かったことだった。
「わははは!」
「・・・・・・・・・」
裕子は、驚きと怒りで言葉を失くした。村の人々の様子は、何もなかったかのように普段の生活をしていたのだ。ある者は、家の前で長椅子を出して将棋をする者や井戸端会議の老婆たちと、信じられない光景を見たのだ。
「何をしているのです。警報が聞こえないのですか?」
「えっ・・・・ああっ鳴っているな」
今気が付いたかのような驚きを老人たちが表すのだ。
「勿論、支度は終わっているのですよね!」
「何の事だ?」
「この警報の意味が分からない。そう言うのですね。この警報が鳴った場合は、速やかに広場に集まる。それは、決まりごとのはずです。それなのに、自分たちの勝手な我が儘のために、一人の老婆だけを寄越して嘘を伝えるだけでなく、今度は、何も知らない。そう言うのか!」
「ちょっと、待ってくれないか、その老婆とは、あれか?」
裕子は、二人で将棋をしている者に話を掛けた。その一人が、ある方向を指差したのだ。
「あっ・・・えっ?」
裕子は、指差す方向を見た。そして、自分が会った老婆だったが・・・。
「あの老婆のことか?」
その老婆は、何かを叫びながら何かを探しているようだった。裕子は、何て言っているのかと、人工的な聴覚を微調整しながら聞き取った。すると・・・・。
「夫の名前を叫んでいるようですね」
「ああっそうだ。あの老婆は、何か驚くことがあると、昔を思い出して、もう亡くなったはずの夫を探し回るのだ。だから、何を言ったのか、何を伝えたのか、わしらは、本当に分からないのだ」
「老婆のことは分かりました。ですが、なぜ!」
「裕子殿でしたね。初めてお会いします。本当に噂の通りに、本当に若い」
先ほどから黙って将棋盤から目を離さなかった。もう片方の老人が話を掛けてきたのだ。
「そんなことよりも、警報が鳴っているのに、なぜ!」
「そのことなのだが、その確約とは、いつ、決められたことなのだろう。わしは、諜報の活動が多くて、村には長居できなかったのだが、噂では、裕子殿は、不死と聞きます。何千年、いや、何万年ですか、永く生きている。そう噂ですが・・・」
「何が言いたいのです」
「それは・・・その確約とは・・・・わしらが生まれる前ですか、それとも、最近のことですか?・・・・最近ならば・・・・・わしらが呆けたのですかな?」
「えっ!」
「わしの呆けた頭の記憶では、卓坊ちゃんの父君と母君が亡くなった。とされる。その日・・あの大勢の者が徴兵された。あの大きな戦の後から・・・何かの指示を聞いた記憶がない・・・・だけでなく・・・・警報の意味も聞いた記憶がないのだが、それは、いつの確約です?」
「えっ・・・あっ、確か・・・・あっ、いや、最近に確約したことではありません。ですが、この警報を聞いて、何が遭ったのかと、調べる気持ちもないのですか?」
裕子は、言われたことに悩んだ。そして、いつ、何年に確約したか伝えようとしたのだが、祖母の言葉を思い出して、都合の良いように誘導されていると思ったのだ。
「足や腰が悪くて、動くことよりも、何かが起きたのなら誰か現れるだろうと、待っていたのだ。それ程の歳なのだ。許してくれないか?」
「分かりました。それでは、今からお伝えします。祖母様。いや、黒髪の初代様のご命令です。至急に、全軍で長期の出兵の用意をするのです」
「祖母?・・・・初代様?・・・・誰だ?」
「おそらく、亜希子殿のことだろう」
「あの魔女!」
「あの鬼神!」
「亜希子殿に会える。また、あのふくよかな揺れる胸が見られるのか!」
人それぞれの祖母との思い出を口にした。
「ふっう・・・・仕方がない準備するか!」
隊長か長老なのか、先ほどから裕子を尋問するかのような話し方をしていた老人が立ち上がって皆に向かって叫ぶのだ。そして、戦と聞いて浮かれ騒ぐ様子を見て、裕子は思うのだ。この人たちって、足腰が悪いとは思えないわ。これから、絶対に何を言われても信じないわ。と、心に誓うのだった。いや、人工的な脳内の機器の記憶に、この老人たちの言うことは、何も信じられない。そのように修正を保存させた。
第三章
周辺の村では祭りのような様子だった。これ程まで戦の用意で浮かれ騒ぐならば、なぜ警報の指示に従わなかったのかと、裕子は悩むのだった。だが、この理由はあった。裕子は気づいていないが、祖母の命令に理由があった。今まで何度も若返ったが、戦の指示がなかった。それが、警報が鳴り。村の者たちは呼び出しでなくて避難だと感じたのだ。それで、祖母と卓を守るつもりで警報を無視したのだった。そして、先ほどの全軍での長期の戦いと聞いて、祖母と共に人生最後の戦いをすると、覚悟を決めての態度の現れだった。
「人の心変わりには、本当に、私の様な機械には分からないわ」
裕子は、作業状況を見回っていた。一番肝心の白紙部隊の武具の作成が気に掛かり様子を見るために足を向けるのだ。材料の白紙は在庫があったらしく生産はしていなかったのだが、鎧の作成のために、一人一人の寸法を測っては切り抜いて折り紙のように折って服や鎧を作成するのだ。機械人形の裕子では、そこまで繊細に出来ないらしく驚くのだ。次の行程で腕や足の関節などの部分の硬度の固さは、専用の墨と筆で、大硬度(だいこうど)、中(ちゅう)硬度、小(しょう)硬度、微細(びさい)硬度と、文字と数字を書くことによって様々な用途の箇所の固さを調整して鎧を完成させていた。それを見届けると、次は、兜の行程を確認に向かった。今度は、切断はせずに、折り紙の兜と完全に同じで、最後の仕上げで大硬度と額に当たる所に書くだけだった。そして、武具の要であり。最大の禁忌でもあり。武具での花形でもある。刀の作成方法は、誰もが知りたいはず。だが、村でも知る人は少ない。それでも、別室で作成しているが、鍵の掛かった部屋の中で缶詰と言うわけでないのだ。村人以外の者なら刀の作成方法が一番知りたい。そう思うだろうが、村では一番の不人気の仕事だった。武具の中では一番地味で職人の技と感じる。腕の見せ所がないのだ。だが、今までは折り紙が主流だったが、刀の作成の行程は、紙で作られるのは同じだが、刀の大きさや長さ形は、個人個人が好きな形に切って、刀の硬度を作る職人に渡すのだ。もう一つ違う点は、今までは文字で硬度を作成していたが、刀の場合は、墨に漬け込んで繊維まで染み込ませるのだ。それなら、今度は、文字は必要がないのかと思われるだろうが、文字は勿論と言うべきか必要である。だが、書くのでなく、同質の硬度の鑿(のみ)で超高度(ちょうこうど)と書くのだった。それを見て、裕子は・・。
「作業のお頭(かしら)様。一つ聞きたいのですが良いでしょうか?」
裕子は、機械だから情報の取得が何よりも優先するのか、それとも、理解が出来ない驚きのためだったのか、自分でも驚く言葉が口から出ていた。
「なんだ。構わんぞ」
頭は、慇懃無礼に答えた。
「刀を超高度まで固くしたら折れないのでしょうか、刀とは、鉄の柔軟性が大事と聞いたのですが、紙の刀は違うのですか?」
裕子の話を聞くと、驚くことに破顔した。だが、直ぐに話し出さないのは、何て伝えて良いのかと考えているようだった。
「確かに、鉄の刀では、硬度が高すぎると折れる。硬度が低いと、刀は曲がって役に立たない。だが、わしが作っている紙の刀は、紙の原子の運動である。その原子が風化するまでの時間を止めるために折れることはないが、墨が剥げ落ちた場合や墨の成分が雨などで薄くなる場合だけでなく、削った文字が消えれば、普通の紙に戻るだけなのだ。それだから、鉄の刀の作成とは違うのだぞ」
頭は、滅多に居ない弟子候補と思ったのか、いや、他の武具の作業工程の者と同じく作り方を教えたくて仕方なかったのだろう。それが、果たせた喜びなのか、先ほどよりも穏やかな表情を表していた。
「ありがとうございます。良い勉強になりました。仕事の邪魔をしてすみませんでした」
「構わんぞ。また、見たくなれば、いつでも来なさい。わしは、作治と言う。何かあれば、作治と叫ぶと良いぞ」
「そうさせて頂きます。それでは、また、後ほど・・・・」
裕子は、深々と頭を下げて退室した。その後、馬の宿舎に向かった。そこは、祭りのように大勢の人が集まっていた。まあ、白紙部隊の一番の人気職でもあり。職人技を要求する物でもある。それは、何だと思われるだろうが、一頭だての馬車の作成だった。勿論と言うべきだろう。全て紙で作られてある。それに、今までの行程の全てを要求される物でもあったのだ。
「何台の馬車を作る予定なのでしょうか?」
今までの行程では、予定の時間内に終わりそうだったが、馬車の方は、時間的に間に合うのかと、裕子は、心配になり問い掛けたのだ。
「千台を作る予定だ!」
「えっ、全ての者たちの馬車を作るのか!」
「そうだが、何か?」
「ですが、まだ、十台しか作られていません」
「その十台は馬車の見本だ。今、馬車の部分ごとに作っているのだ。一台の組立など三分もあれば出来る。まあ、時間的に間に合わないと言うのなら組立の時に手を貸してもらう。だから、何も心配するな。何とかするぞ!」
頭は、手を休めるのも時間も惜しいと思っているのか、言う事だけ言うと、黙々と作業を続けるのだった。裕子は、心配になり。頭の通りに一台を作るのに三分だけで作れるのかと工程の作業を見るのだった。初めは、今までと同じように寸法を測り、切断しては折り紙のように折る。どの箇所なのか分からないが、馬車の四方の囲い。天井などと何枚かあり。そして、驚くことに、どのようにして繋ぐのかと見ていると、墨を糊の様に付けては繋げていたのだ。これなら、他の行程の者が終わった場合は手助けできる。だが、最後の文字を書く硬度だけは、数人の頭だけで自分の手や目で確かめながら文字を書いていた。
「分かりました。お頭様に全てお任せします」
裕子は、祖母に知らせに行くのかと思われたが、少し離れた所に行くと、立ち止まった。まるで、周囲を監視する自動録画機のようだった。皆は、裕子の様子も居る事も気づく者は少なかった。それでも、見られている殺気を感じたのだろう。全体の二割の者だけが作業をして、他の者は浮かれ騒いでいたが、時間が過ぎる毎に作業をする者が増え、ある程度の時間が過ぎると騒ぎが収まり全員で作業をするのだ。
「もう日が暮れたぞ。何をしているのだ。あまりにも遅すぎるぞ!」
突然に、祖母が現れると、辺りに響く程の怒声を上げた。すると、大勢の者がいっせいに振り向いた。勿論と言うべきか、裕子も待機状態から全機能が動いたために、キュ~と音を鳴るのだ。まるで、人が驚いて声を上げたのと、同じに思えた。
「祖母様!」
「亜希子と呼べと、言っているだろうが~」
裕子は、叫びながら駆けだした。だが、祖母の叫びは、裕子を吹き飛ばす程の威力を感じられた。それが、本当だったのだろうか、前かがみで倒れたように思えた。だが・・・。
「お許しください。数々の命令を実行できませんでした」
裕子は、土下座をした。祖母は、驚くが、それは、裕子にだけではなく、この場の皆が同じように土下座をするからだ。
「・・・・」
祖母は、意味が分からず。皆を見つめた。
「亜希子様。これが、最後なのですね?」
一人の老婆が思いを我慢できなかった。他の者たちも、老人だから感じ取れることだったかもしれない。もう祖母の命が限られている。それで、何をするか分からないが、何事かを起こすために、自分たちを全軍で出陣させる。この考えもあり。老人たちも、全ての武具を新調して何事にも対応できるように考えた結果だった。祖母のはなむけの気持ちもあるが、祖母の最後と考えた。その戦う場所が、自分たちの死に場所だ。そう決めたのだ。
「何を言っているのだ。わしの最後の戦いになるはずがなかろう。そんなことよりも、裕子。警報が煩いのだ。さっさと止めてこい!」
「承知しました」
「それと、卓も呼んで来い。直ぐに発つぞ」
裕子は、駆けだした。そして、再度の祖母の言葉で立ち止まり振り返るのだ。祖母の話が終わると、頷き、後は、今までの失態を挽回しようと全力で走り去った。
「亜希子様」
「何だ?」
「今回の旗は、何の家紋を描きましょうか?」
一人の作業の頭が言った後に、全ての頭が筆を持って興奮を表していた。
「家紋ではなく、二文字で、黒髪とだけ書け!」
「それで、国でなく、黒髪の一族の頭首の味方に付くと言うことですか、それは、面白い」
まるで、井戸端会議でもしているかのように、皆が、勝手に話を始めた。それも、警報が響く中の会話だったために怒鳴りあっているようで会話の内容も分からず。自分を無視している感じでは、祖母が怒りを感じるのは当然だった。だが、最後の戦いだと思う感情と、この後、無理をさせる可能性もある。そう思うと、警報が止み、二人が戻るまでの少しの時間までなら我慢しよう。そう感じていたのだ。だが、警報が止み、気持ちが緩んだ。
(警報が止んだ・・か・・それでは・・いや、もう少し我慢しよう)
この場の騒ぎは終わりそうにない。それに、一人で騒ぎを見るのも馬鹿馬鹿しくなり。周囲を見回していると、武具などの状態を確かめたくなった。そして、完璧な出来上がりだと、思いながら歩き回った。
すると、何か足りない物があることに気が付くのだが、他の場所にあるのかと、ある者に問い掛けた。だが、騒ぎ声が大きく聞こえないのだった。さすがの、祖母も我慢の限界を超えて叫ぶのだが、誰も気が付かなかった。そんな時・・・。
「亜希子様。どうしました?」
裕子と卓が帰ってきたのだ。祖母も怒りのあまりに、裕子が戻ってきたことも話も耳に入らない。だが、老人たちを鎮める気持ちなのだと、裕子は、感じ取ったのだ。
「ギィーーーーー」
裕子は、大きく口を開けると、黒板を爪で引掻いたような音が響いた。この音は、全ての人が嫌いな音だと考えて作成したのだ。さすが人間を知り尽くした。人口頭脳の判断の結果で、裕子以外の皆の者が耳を押さえて、誰も声を出す者はいなかったが、裕子に、何事なのかと視線を向けた。それでも、一番初めに正気に戻ったのは・・・・・。
「裕子!お前は何をしていた。まだ、物資の積み込みは終わってなかったのか!」
「はい。確認が終わっていません。今直ぐに済ませます」
裕子、祖母が命令をする必要もなく、祖母の言葉は伝わっていたことで、皆は、いっせいに動き出して残りの準備を始めた。結局、祖母の予定の通りにはいかずに日が暮れたのだった。
「ちぇ、このままなら夜の出発か!」
「亜希子様。今からの夜の出発は危険です」
「何だと!だが、急ぎたいのだ。その理由は分かってくれるのだろう」
自分の状態を知っているから瞳を潤ませた。その理由を叫びたかった。自分の命が短いのだと、だから、頼むから急いでくれ、と言うこと、それは、裕子だけが知ることだった。そんな裕子は、祖母の耳元に口を近づけ・・・。
「人としての時間が無いのは分かります。ですが、御老体だった頃のことを思い出してください。夜目は、どうでしたでしょう」
裕子は、祖母だけに聞こえるように、耳元で囁くのだった。
「ふぅ・・・・ああっ分かった。明日の早朝に出発する」
「うぉおお~宴会の準備だぁ!」
老人たちは、祖母の命令を聞くと安堵したのだ。すると、人としての欲求が目覚めたのか、少々騒ぎ始まり。誰が言い始めたのか分からない程に同じ言葉を叫ぶのだ。
「お前ら!まさか、酒宴をしたくて故意に遅らせたのか!」
「亜希子様。それは、ありえません。皆は、真剣に終わらせようと仕事をしていました」
「だが、この用意の良さ。それに、もう飲み始めている者もいるのだぞ」
「亜希子様。本当に、皆は・・・・」
「それは、いいのだ。ただ、不思議に思っただけだ。それに、今更になって命令の撤回は無理だ。もし、そんなことを言えば暴れかねない」
などと、祖母は、裕子と話をしていると、ご機嫌取りのつもりなのか、二つの杯と酒を老婆が持ってくるのだ。裕子は、飲み食いしても意味のない体だが笑みを浮かべて受け取るのだが、祖母は、裕子の顔色を見て飲むか決めるようだった。そして、大きく頷くのを見て喜んで杯を受け取ると、一気に飲み干したのだ。これでは、酒の味に負けて、皆と同じに酔いつぶれるまで飲むのは間違いないだろう。この宴に、これっぽっちも興味を示さない者がいた。勿論と言うべきだろう。それは、裕子と卓だった。酒を飲んだ姿だけは自分を本当に生み出してくれた同じ人種だと思えないからだ。卓も、一度だけだが、父親の代わりの義父が形だけでいいから息子と酒を酌み返す気持ちを思い出にしたい。そう、泣いて頼まれて飲んだが、不味い味だけでなく酔った姿を見て人格を失ったのかと思う醜態を見たからだった。二人は仕方がなく、この場から離れて、書庫に戻ろうとする時だった。
「卓ぼっちゃん。久しぶりですね。本当に大きくなった」
「もしかして、刀鍛冶の作治殿か?」
「はい。はい。そうです」
よれよれと、今でも倒れそうなほどまで酔った老人が、二人の前に現れた。酒の匂いに嫌気を表しながら適当に挨拶して逃げようとしたのだが、嬉しそうに腰に差してある剣を差し出すのだ。普通とは変だが、老人たちが持っている物は、真っ白の紙で何も知らない者が見たら孫が遊びで作った刀とでも思うだろう。だが、目の前にあるのは、下地の白の紙など見えないくらいの一筆書きの卓の家の紋章だった。そして、老人は、柄を見せて笑みを浮かべるのだ。どうしたのかと、確かめると・・・。
「鳳凰の絵柄にする考えだったのですよ。でも、坊ちゃんの小さい頃を思い出してね。お守りの絵なら猫がいいだろうと、眠り猫にしたのですよ。あの飼っていた猫に似ているといいのですがね。どうでしょう。もし、飼い猫に似てなくても可愛がっていたのは猫です。卓坊ちゃんの命を守ってくれることを祈りながら描きましたぞ」
「ありがとう。そっくりです。この絵なら大丈夫だよ。本当にありがとう」
「それと、刀身も見て欲しい。これ以上の絵は描けない。人生最後の最高傑作だぞ」
見事な一筆書きの二頭の昇り竜の絵柄だった。
「凄い!」
卓は、それ以上の言葉が出てこなかった。それ程までの見事で神秘的で生き生きとしているだけでなく、今直ぐにでも動き出して天空まで飛び出しそうな出来栄えだった。
「あっ、待って下さい」
「・・・」
卓が、紙の刀の出来栄えに見惚れている間に、老人は、皆の所に戻ろうとして歩き出したことで、裕子は、卓に気付かせようとしたのと、老人を引き止める気持ちで言葉を掛けたのだ。
「私に教えてくれた。あの刀を作る話を御主人様にも伝えて下さい。男ですので喜ぶと思います。駄目でしょうか?」
「ん?・・・ああっ、そうしよう。ありがとう」
老人は、振り向く、その一瞬の間の表情には、もう何も思い残すことはない。そんな表情を表していたのだが、振り向き終る頃には、その感情を隠そうとしたのか、先ほどの様に酒に酔っている表情に戻っていた。直ぐに、卓は、老人が心配になり駆け寄るのだった。
「刀の話し楽しみにしているね。それで・・あの、人生最後の最高傑作って言いましたが、まさか、形見の気持ちでないですよね」
「えっ・・・・はっはははぁ。まだまだ死ぬ気持ちはありませんよ」
老人の一瞬の言葉の詰まりは、卓には気が付かなかったが、裕子は、感じ取った。もうこの村には二度と帰って来られない。恐らく、これで、卓とは、最後になるだろう。その覚悟の気持ちなのだろう。と受け取った。
「なら、よかった。また、会った時に、感謝の気持ちとして肩でも揉みますね」
「ああっ楽しみしているよ」
「また、今度ね」
卓は、安堵の表情を浮かべた。そして、裕子と共に手を振りながら書庫に向かうのだ。
「・・・・」
卓は、書庫に入ると、真っ先に、刀を貰った人のことを知ろうと、写真の思い出の日記帳を探し出して開くのだ。そして、本を見付け何ページかを開くと、ある写真に目を止めるのだ。
「どうしました?」
「えっ・・・あっ・・・」
「お父さん。お母さんの写真を見ていたのですね」
「うん・・・・でね。裕子」
「何でしょう。御主人様」
「お父さん。お母さんのこと・・・何でもいいから聞かせてくれないか?」
「そうですね。先の御主人様は、徴兵されて戦死されましたのは知っていますね」
「ああっ、知っている。だが、なぜ、徴兵されたか分からない」
「それでは、四つの国と御主人様の村のことから話しましょう」
「ああっ」
裕子は、ゆっくりと、卓の表情を見ながら話を始めた。
四つの国々があり。一つの国に一つの種族で髪の色も違っていた。国名も髪の色で呼ばれていたのだ。黒髪の国、金髪の国、赤髪の国、白髪の国、とあった。それと、四つの国の者を純血族の末裔と言われていたのだ。そして、末裔と恭しく呼ぶ者たちは、四つの国に隣接する国の者で、混血の民、雑種の民、などと蔑まれていた。それぞれの民族の昔話な的な確証のない物語では、聖都(現代ではエデン、崑崙などの楽園のことだ)であり。都市のことである。全ての人が住んでいたが、人口の増加で純血族だけが残り、混血の者たちは追放されたと、だが、年月が過ぎると、純血族の者たちも同じような理由なのか、聖都を放棄して種族ごとに国を興す。それが、四か国のことだった。だが、聖都の周囲にある村は、卓や老人たちのことだが、王族か神官などの末裔と思われていた。それは、村に住む者が主張していただけで信じる者は村の者だけだった。その結果、四か国の戦の調停と言う名目で徴兵され続けて、今の様な寒村の状態になってしまったのだ。だが、裕子の脳内の機器の情報であり。都市の本当の記憶ではないが、それでも、裕子は、偽りを述べたのではないのだ。たしかに、幾つかの都市が、この地に着陸してからの情報だったからである。
「それで、お父さんとお母さんの役割は・・・・。白紙部隊の指揮官でもしていたか?」
「お二人は、徴兵されましたが、最後まで剣を持たずに戦場を駆け回り停戦と戦いの回避を説得し続けた。そう言われています」
「剣を持たずに戦場を駆け回った。そう言われているって、裕子は、二人を最後まで護衛をしなかったのか?」
「確かに、二人の御主人様の護衛をしていました。ですが、何度かの停戦の交渉で四か国の主は疑心暗鬼になり。四国は、混戦状態に発展してしまったのです。その原因が、二人の御主人様が引き起こした。停戦案のことだと、そうお考えになられて、わたしと、二人の御主人様も別れて、三つの国に向かったのです。黒髪の国は、祖母様に託しました。それで、停戦はしたのですが、二人の御主人様とは、それ以降はお会いしていません。風の便りで戦いに巻き込まれたと、そう聞いたのです」
「それでは、今でも生きている可能性もあるのだよね」
「もう十年も前のことです。もし生きているのでしたら・・・・村に・・・御主人様に会いに来られるはず。それが・・・ないのですから・・・」
「そうだな。そうだな・・・そう・・だな」
卓は、涙を堪えた。裕子は、その姿を見て、禁忌を犯すような固い表情を浮かべた。その後、柔和な表情を浮かべた。まるで、母が泣く息子を宥めるようだった。
「御主人様。私は、先代の二人の御主人様の母親であり父親であり。警護者でもあったのですよ。当時は、明菜様。新様とお呼びしていました」
「そうだったのか」
「はい。成人前の明菜様は、お転婆でした。木に登るし、喧嘩はするし、新様をよく泣かしていましたね。料理も洗濯も出来ない人でしたが、武術は好きで村の人に習っていましたよ。それとは違って、新様は、本を読むのが好きでしてね。皆は、性別を間違って生まれてきた。そう言っては、皆で笑っていましたよ」
「そうなんだ」
「はい。それでも、明菜様は、歌が上手い人でしたよ。御主人様が泣き出すと、必ず歌を歌っていました。すると、直ぐに泣き止んで笑顔を浮かべましたね。そうなると、新様も笛を吹いて一緒に楽しまれていましたよ」
「母の歌に、父の笛か、それは、聞いてみたかったなぁ」
「うっ・・・御主人様」
裕子は、卓の言葉で悩んだが、それも一瞬で表情が変わり。
「先代の二人の御主人様と、決して破らない。そう約束しましたが破りましょう」
「えっ!」
「明菜様の歌声と、新様の笛の響きを聴かせましょう」
「えっ、それは、本当か!」
「はい。ですが、今日だけのことです」
「でも、その約束の理由を聞いてからにするよ。何と約束した?」
「あの最後の分かれる時、もしもの場合、卓様を成人まで育ててくれ。それと、この先から卓様の前では、機械人形と思われることはしないでくれと、優しい母性のような温かみのある姿だけを見せて、優しい子に育ててくれと、そう言われたのです」
「・・・・・」
「今日だけ、お約束を破ります」
裕子は、椅子に座っていたのを突然に立ち上がり、人とは不自然な様子で直立したのだ。
「十五年前に録画された音を再生します」
そして、自我のない機械的な言葉を吐いた。すると、口を開いていないのだが、裕子の胸の辺りから歌声が流れた。それは、若々しく優しい歌声だった。その歌に合う優しい笛の音色も一緒だった。催促していないが、同じ歌が何度も流れ続けた。二親の歌を忘れないためだろう。目を瞑って聞いていたが、何度目だろう。卓は、目を開けた。すると、裕子の表情が、今までに見たこともない。温かみが消えていることに、今頃になって気が付いた。なぜか、寒気と同時に、前の優しい姿が二度と見られなくなる。そう感じたのだ。
「もういい。裕子!もう止めろ!」
卓は、三度くらい同じ言葉を言っただろう。そして、四度目には泣き声に変わっていた。裕子は、その声色に、やっと、気が付いた。
「どうしました。御主人様!」
「今までの優しい裕子に戻らない。そう感じたよ。だから、歌よりも裕子が心配だ。だから、もういい。もう一生忘れないほどまで聴いたよ。本当にありがとう」
「歌を聴かせるくらいで、わたしは壊れませんよ」
「そうだったのか、でも、もういい。眠くなった」
「そうですね。個室の用意をします。少々お待ちください」
「いや、一緒に行く」
裕子の後に、卓はついて行き。部屋に入ると、後ろから裕子が寝具の整えを見ていた。
「寝具の用意が整いました」
「ありがとう」
卓は、感謝の言葉を掛けてから寝具に中に入ると、目を瞑った。すると、直ぐに寝息を立てた。おそらく、歌を聞いたことで気持ちが落ち着き、今まで夢と写真でしか見た事のない両親と、歌で感じた空想の理想の現実の両親を重ねながら楽しい夢を見ているに違いない。裕子は、そんな、主人の寝姿を見ていると・・・・。
「二人の先代の御主人様。お約束を破ったことをお許しください。それでも、二人が杞憂していた。機械人形が育てたのでは人間らしい感情が芽生えない。それを心配していましたが、心根がやさしく強い男の子に育ちましたよ。それに、二人の良いところだけ似た良い子です」
裕子は、二人と最後に分かれた方向を向いて深々と頭を下げるのだった。
「それでは、わたしもご飯を食べて寝ましょうかね。そうそう、充電のことをご飯と教えたのですよ。本当に、また、お会えることが出来るのなら全てを話したいですね」
人らしい言葉、態度、性格、先代の命令でしてきたことだが、何十年と卓と共に過ごしたことで、人と同じ心が芽生えた。そう考えなければ納得ができない様子なのだった。そして、卓と裕子は知らないことだが外での老人たちの宴は深夜まで続くのだ。
第四章
都市の中に警報が鳴り響いた。だが、火事も地震も発生していない。
「何だ!」
卓が驚いて目を覚まし隣室に視線を向けた。裕子に助けを求める。と言うか、卓を心配しているのだろう。いや、今の状態の原因が何事なのかと、全てを知っている。そう思う者がいる。その者が隣室にいて、直ぐにでも扉から現れるだろう。その者を待つのだ。だが、隣室の主は・・・・。
「九時には・・・まだ・・早いわ。と体内時計が知らせているけど・・・まだ・・・七時のようね。でも・・・警報が鳴っている。非常事態なの?」
食事を食べて満腹状態の子猫のように眠気を感じているようだ。これは、本当に信じられないことだが、機械人形でも寝ぼけることなどあるのだろうか、だが、それだけ、高度な精密な機械人形なのを証明とも言えた。このままでは、また、目を瞑って寝てしまうかもしれない。そのことを知っているために都市の本体の機能は末端機能の裕子に指示を下す。
「電源供給を強制切断!」
裕子の全機能は飽和状態だったために余分な箇所にも電力が行き渡ことで人が夢を見ているかのような状態だった。だが、時間が過ぎるごとに一般状態の時には必要のない箇所には供給されず部品ごとにも飽和状態から熱が消え始めた。まるで、人が背伸びして体の全機能を目覚めさせるように、裕子の全機能も正常の状態に戻るのだった。
「御主人様!」
警報が響き始めてから二分後のことだった。裕子は、正気に戻り。隣の部屋に駆け込んだ。すると、待っていたかのように、卓は、着替えを終えて寝台の上に座っていた。
「裕子!」
「御主人様。御無事ですか!」
「ああっ大丈夫だ。それよりも、何事なのだ!」
「都市には何の障害がありません。おそらく、亜希子様が、緊急の用件のために警報を鳴らしたのでしょう」
「それなら、急がなければ!!」
「それは、当然ですね。これ以上、もし遅れた場合は、考えたくないことが・・・」
「こんな問答をしている暇もないぞ。行くぞ!」
「ですが、御主人様。御髪を整えることも洗顔もまだです」
「そんな時間などないだろう。行くぞ!」
「はい」
祖母を心底から恐れているのだろう。卓は、紙の刀である。紙刀(しとう)だけを手に持ち、部屋から出ると、祖母がいる建物の外に全力で駆け出して向かったのだ。主の様子とは違って、裕子は、機械人形だから後からでも追いつける。とでも思っているのか、冷静に、部屋にある最低限の荷物を持って追いかけるのだ。
「遅い。遅いぞ!」
祖母は、憤慨していた。だが、卓は、謝罪も言えないほどに息を整えているだけだったが、主を助ける気持ちで、裕子は謝罪の言葉を掛けた。
「まあ、良い。出発の知らせではないのだ。朝食が出来たのでな。誰かを呼びに行かせるよりも警報を鳴らした方が早い。そう思っただけなのだ」
「・・・・」
卓は、祖母の話で言葉を失くした。すると、祖母は、何も感じないのか、食事だけに関心が向いているかのように食卓に向かった。たしかに、卓でも、結婚式のような大規模の立食宴会の食卓には興味を感じるのは当然だが、洗顔くらいは済ませたかったな。と、不満を表していた。それでも、祖母は、直ぐ後ろにいると思ったのに立ち尽くしている。そんな、卓に向けて嬉しそうに手を振られては、卓でも食卓に向かうしかなかったのだ。
「美味いだろう。わしが作ったのだぞ。この料理は冷めては美味くない。それでな、早く食べさせたくて警報を鳴らして呼び出したのだ」
「はい。美味しいです」
「そうだろう。そうだろう。お前の父と母も好物だったのだぞ」
祖母は、卓が、昨日の記録写真帳を見ながら嬉しそうな、悲しそうな複雑な表情を浮かべていたのを思い出していたのだ。たしかに、父と母の記憶も思い出もない。それで、二人の親の代わりに思い出を作らせようとする気持ちと、写真と同じ物を食べさせることで、近親感を味あわせることができると思ったのだ。それに、二親が好きだった物なのだから息子も好きだろうと、励ます気持ちもあったのだ。
「父と母の好物!」
「ああっそうだぞ。写真にも写っていただろう」
「これが・・・こんな味だったのか・・・美味しい!」
卓は、祖母の話を聞いていなかっただけでなく、二親と一緒に食べていると感じているのだろう。嬉しいのか悲しいのか、涙を流しながら食べ続けた。その様子を見てしまっては、祖母は、何も言わずに立ち去るが、都市の出入り口で様子を見ている。そんな裕子に視線を向けて、後は、任せる。そう仕草を送るのだった。
「御主人様」
「裕子・・・・どうした・・・・あっ、裕子。この料理は作れるかな?」
「作れますよ」
「それなら、今度、・・・・出来れば・・でいいから・・・・作ってくれないか」
「分かりました」
卓は、恥ずかしそうに言った。素直な裕子の返事を聞くと、欲と言うべきなのか、一食だけでは足りないとでも思ったのだろう。そんな、裕子の態度を見て甘えたのだった。だが、まだまだ、足りずに・・・・・。
「父と母は、他に、どのような料理が好きだったのだろう」
「それは・・・ですね」
裕子の普段の会話に使用している記録媒体にはなかった。強制でなく普段の命令であった場合では、記録が存在しません。と断るのは正常の機能だった。だが、特例の機能もあった。現在では使用していないが、特に、幼児や幼子の育成には機械的な流れ作業のような簡単な対応ではなく、全機能の記録されている。その全ての記録媒体を使用するのだった。それでも、かなりの過負荷を与えるのだが、視聴感覚の機能の反応で、幼子の場合の対応を求められたのだ。それ程の反応の理由は、卓の無邪気な笑顔が理由だったのだ。
「父の方は、右側の食卓にある。塩だけの質素な肉料理が好物でした。母の方は、中央の食卓にある。同じ肉料理でも甘めで見た目が綺麗な物が好物でした」
「あれと、これだね」
卓は、二点の料理が置かれてある。その食卓に行き、裕子の指し示す料理と同じなのかと、手に取って見せるのだった。
「そうです。御主人様」
「美味しいね。でも、母に似たのかな?・・・甘い料理の方が好きだな」
「御主人様が、お酒を飲むようになったら少々味の好みが変わるでしょう。ですから、両方に似ていると思います」
「そうなのか、でも、酒か・・・・不味い」
裕子に言われて酒を一口飲んでみた。だが、美味しくなかったのだろう。水を何口も喉に流し込んでいた。
「ぐははは!坊主には、まだ、その味は早いぞ」
この場の者は、酒のつまみのように裕子と卓の様子を遠目から見ていた。卓が、酒を飲んで不快な様子を見ると、約一人を除いて全員が爆笑するのだ。勿論、その一人とは卓のことだが機械人形の裕子も数に入っていなかった。周りを見てみると、皆は、朝食を食べ終えており、酒宴と思っていたが、一人も酔っている者がいなく酒宴と思っていたことと違っていた。それよりも、卓が食べ終わるのを待っていたことに気付くのだった。
「出発するぞ!。準備は良いか!」
祖母は、周りの全ての者が朝食を食べ終わると、一人で馬車の中に入って、御者である裕子を待つのだ。すると、それぞれの者たちも自分の馬車の御者席に座るのだ。だが、皆は、部隊長であり。紙で作る全ての行程の頭の号令を待つのだ。
「それでは、御主人様。わたしたちも・・・・」
「これ以上、祖母様と白紙部隊を待たせられない。でも、裕子!支度は終わっているのか!」
「勿論です。完璧に整えておきました」
「では!裕子、行こう!」
槍隊の百人が先頭に、卓と裕子の紙の馬車と祖母の乗る紋章付きの紙の馬車があり。その後に、祖母の警護隊の紙刀隊の二百名に、七百の二頭の馬で引く戦車であるが、荷馬車の兼用でもあった。合計、千人の老人部隊が乗る千機の戦車の大部隊だった。だが、老人の集団だとしても白紙部隊と誰らにも恐れられていたのだ。
「裕子」
「何でしょう。御主人様!」
「もう普段の口調に戻っていいよ」
「ですが、これから戦が始まるのです」
「でもね。戦が始まる時か、危機を感じた時でいいよ。常に、身構えている口調では、いざって時が分からないし、戦いの前に疲れてしまうよ」
「分かったわ。そうそう、亜希子様から頂いた。仙人の霞の饅頭まだ食べてなかったわね。今食べる?」
裕子は笑みを浮かべた。それは、卓が知る。普段の裕子の表情で安堵するのだった。
「うん。食べる」
卓は、嬉しそうに手に一個、また、一個と持ち、右、左と交互に口に入れて頬張るのだった。そんな、姿を見ると、裕子は、笑い顔を隠すために馬車の外に顔を向けて、暫く、外を見ていた。すると、驚くような表情を浮かべると、懐から封筒を出すのだった。
「どうした?」
「砦の国境警備隊が来ました」
「問題が起きそうなのか?」
「大丈夫ですよ。何も問題はないでしょう。通行手形の申請は取得していますしね」
「でも、普段なら共が数十人なのに、今回は、白紙部隊の全軍なんて通行手形の範囲に収まらないはずではないのか?」
「御主人様。大丈夫ですよ。祖母様の・・・いや、亜希子様の紋章を見れば、誰も手出しなど出来ません」
「でも、四か国以外の国では、祖母様。あっ、亜希子さんの権威も通用しないのでは?」
「あっ教えていませんでした・・・・か・・・な?」
「いや、教えてもらったはず。憶えていないだけだよ」
卓は、自分では記憶がない。だから、教えてもらってない。そう言うつもりだった。でも、裕子の笑みを浮かべながら昔を思い出している。今の表情は、幼い時、足し算や引き算と九九を覚える時に、あれあれ、と、自分でも間違いを考える様子で、共に遊びながら教えてくれたことを思い出していた。その今の表情が同じだったと感じたのだ。それ、だから、教えてくれたことは確かなことだった。と思ったのだ。
「そうでしたか・・な?・・それでは、四か国が他から攻められないのは、祖母様。あっ!」
「裕子。祖母様で、もう、いいよ」
「はい。祖母様の威光は、四か国よりも他国の方が、恐れと言うよりも、心底からの親愛の情と言いますか、人類の祖と言うよりも、自分達を生んでくれた。自分の親よりも親密に本当の産みの母と思っているのですよ」
「え?」
卓は、驚いた。
「四か国は、自分たちが種族の長だと思っているから祖母様を親戚くらいにしか思っていないのです。でも、他国の者たちは、今、言ったように思っているため、祖母様が命じたことはたがえることはありえません。ですが、この四か国と他国との均等は、祖母様が生存している時だけのはずです・・・・ですから・・・」
「えっ・・・なら・・・祖母様の命が・・・・そろそろ尽きる・・・あははは、ありえない。今でも殺しても死なないような様子では・・・でも、白紙部隊の全軍の出動とは何か事を起こす考えだよね。そうだろう?」
「どうでしょう。でも、本気で、御主人様と運命の出会いの旅には一緒に付き合いたいと思っているのは本気だと思いますよ。もしかしたら、今回の目的は・・・」
「まさか、この部隊って、僕の運命の人を探すための部隊なのか?」
「どうでしょうか・・・むむ・・・ですが、何かの覚悟は決めているはずです。今では誰も作れない。色付きの薔薇の文様の紙刀(しとう)を持参しましたからね。まあ、御主人様。黒髪の国に着いたら分かることでしょう」
「それは、困るなぁ。こんな部隊では恥ずかしいよ。ボンボン育ちの貴族様が后を探す遊びみたいだよ。普通の人なら好きだと言っても信じてくれないどころか笑われてしまうよ。何とか、祖母様を説得できないかな?」
「それでは、子供の頃に飼っていた。あの猫のように一人で行く気持ちだったのですね」
「えっ・・・裕子・・・えっ・・・裕子は・・・一緒・・・」
「あっ、国境警備隊が来ましたわ。先頭の者と何か・・・揉めているようです」
馬車の移動が止まったのだった。そして、先頭を見てみると、大勢の者たちが争っているのが見えたのだ。それで、卓は、一人で行かなければならないのか・・・・と裕子に問い掛けようとした。その答えを聞けずに終わったのだ。
「御主人様は、この馬車から出てはいけません。裕子が戻って来るまで大人しくお待ちください。良いですね」
「・・・・・」
裕子の最後の言葉には殺気を放つ程の言葉だった。その言葉で、卓は、何一つとして言うことができずに頷くだけだった。そして、裕子は、頷くのを確認すると馬車から降りて列の先頭の方に駆け出して現場に向かった。やはり、予想の通り、二つの部隊は、剣を抜きあって睨み合っていたのだ。
「白紙部隊を止めるとは、本気ですかな?」
「この大部隊の行動の理由を聞いているのです。戦いをするために、部隊の行進を止めたのではない。恒例の送り迎いでしたら少数で十分だと思いますぞ。ですが、理由しだいでは、我が部隊名でもある。二刀部隊の噂は御存じのはず。名前だけでなく、二刀流の武術集団ですぞ。噂では、白紙の剣は鉄の剣も切ると噂だが、二刀の刀を同時に切れますかな?。一つしか切れない場合は、二本目は、御老体の体を切り裂いていますぞ!」
「何だと!」
前列の数人の者たちは、老人とは思えない程の怒声を吐くのだ。その声に刺激されて他の白紙部隊も一歩進み戦う構えを整えた。だが・・・・・。
「何をしているのだ。祖母様の許可もなく鞘から刀を抜いたのか!」
「お許しを願います!」
「直ぐに鞘の中に戻すのなら許そう!」
白紙部隊の全員が刀を鞘に戻した。皆が戻すのを確認すると、裕子は、返事に答えてから、国境警備隊の方を向いた。
「こちらも悪いが、本当に感心するぞ。百人程度で、白紙部隊の全軍に戦いを挑むのだからな!」
「何を言うか!誰が相手でも、我らの砦の周囲の秩序と安全は、我が部隊の務めだ!」
「でも、無許可ではないのよ。通行手形を見せるわ」
「それが、本当なら見せて頂きましょう」
裕子は、先ほどから一人で交渉し続ける者に通行手形を手渡した。
「え!」
手形の内容には備考欄があり。参加人数は未定と、そして、役人の署名に無制限の許可を許すと書かれてあったのだ。
「どうしました?」
「この行列は、儀式の参加のためでしたか、確かに、申請の許可されております。本当に行列を止めてしまったこと本当に申し訳ない。儀式に支障はないでしょうか?」
「大丈夫ですが、大部隊の軍事行進でなく、儀式の参加の行列と、訂正してくれるのね。勿論、何も問題がないのだし、通してくれるわよね」
「はい。当然です」
「それは、よかったわ。それでは・・・」
裕子は、卓がいる馬車の方向に振り返って、歩き出そうとしたが・・・・。
「ですが、この辺りは物騒ですので、黒髪の国境までは護衛しましょう。ただの儀式の参加の行列なのですから何も問題はありませんよね。まさか、黒髪と合流して・・・我が国を・・・」
「ふっはぁ~断ることは出来ないのでしょう」
人とは、本当に面倒だと、あきれたのか、裕子は、人みたいに大きな溜息を吐くのだった。
「善意の護衛に断る理由があるのなら別ですが・・・・・何か問題でも」
「何もないわ」
(これだから、御主人様に見せられないのよ。人の心の裏表をね。これを見せたら人間不信になるわ)
「それでは、我らの部隊が先導しますので、後から付いて来て下さい」
「護衛を宜しく頼むわね。それでは、わたしは馬車に戻るわ」
「・・・・」
卓が乗る馬車に戻ろうと、裕子が、そう思うと、何も返事がないので・・・・。
「私が居る意味がないわね。それでは、行くわ。それと、もう祖母様の命令が無い限り鞘から刀を抜かないのよ」
裕子は、二つの部隊にと言うよりも、歩きながら首だけを向けて伝えるのは、機械人形でも欲求不満の解消で苛立ちを吐き出す的な感情があるようだった。もしかすると、卓を馬車から降ろしたくなかった最大の理由は、この殺気を放つ人間臭い感情を見せたくないためだったのかもしれない。そして、馬車の扉の前に着くと、トントンと叩くのだった。卓からの返事がないために・・・・。
「御主人様。どうされました!」
何かが起きたのかと、扉を壊す勢いで開けた。すると・・・・。
「良い夢のお邪魔は致しません」
静かに扉を閉めて、馬車の歩調で裕子は歩くのだ。勿論、聴覚を最大にして起きた場合のことを考えていたのは当然だった。結局、卓は起きずに、黒髪の国の境に着くのだ。その判断が出来たのは、国境警備隊の者たちが立ち止まり。道の両側に並んだ。それ以上は進めない理由もあるが、これから何をするか分からないが、白紙部隊の無事と敬意を込めての礼を送っていたのだ。その少々の騒ぎで、主が起きたことを感じて、裕子が馬車にいないことに驚き窓を開けるのだ。
「外にいたのか!」
「御主人様。何も心配することはありません。まだ、国境を越えた所ですので、ゆっくり馬車の中でお寛ぎください」
「ああっありがとう。でも、裕子は、乗らないのか?」
「乗りますよ」
卓が窓を閉めると、裕子は扉を開けて馬車の中に入った。
「僕が寝ていたから外にいたのでしょう」
「違いますよ。御主人様」
「それなら、いいけど・・・・でも、これからは、何も気を使う必要はないからね」
「そうさせて頂きます」
「それに、僕は食事をするからいいけど、裕子は、電気と言う物で動くのでしょう。だから、あまり、頻繁に動いていたら動けなくなるよ。都市や村と違って・・・」
裕子の笑い声で言葉が途切れた。だが、卓は、不快ではなく安心したのだ。
「あははは、御主人様。わたしは、何も供給しなくても、二、三年は、動けます。心配してくれて嬉しいですが、何も心配しなくても大丈夫ですし、都市の小型監視機械が、常に適当な場所を飛んでいますので、緊急に必要の場合は、その小型機械からも供給もできます。だから、何も心配しなくても大丈夫なのですよ」
「そうなのか!!」
「はい。御主人様。心配してくれて、ありがとうございます」
「何も問題がないのなら・・・それで・・・良かった」
卓は、また、運命の相手を探す旅の共をしてくれるのか、それを問い掛けることはできなかった。だが、さすが、機械人形と言うべきか、長年の蓄積している卓の身体的な状態で、何か問い掛けたいことがある。それを感じ取ったのだ。それでも・・・・。
「心配事は、亜希子様のことですね」
「あっああ・・・」
「確かに、白紙部隊の全軍での理由を考えていたのです。この部隊なら作戦によって小国くらいなら攻め滅ぼすことが出来ます。まあ、それは、考え過ぎね。亜希子様なら黒髪の国だけでなくても、他の国でも無理なことや余程の難問でなければ思いは通るはず。それでも、何か面倒なことが起きる。それは、覚悟した方が良いと思います」
裕子は、勘違いしたまま確率の問題を解くように話しに集中していた。そのために、卓の様子を見ることなく最後まで話を終えるのだ。
「・・・」
卓は、内心の気持ちを言えないために、ふて寝をしていたが、裕子の話が終わる頃には本当に寝てしまったのだ。
「御主人様。ん?・・・寝てしまわれましたか・・・」
裕子は、卓の寝顔を見ながら・・・・様々なことを思案し続けた。そして、もし面倒なことが起きた場合は、祖母の命令だとしても、それを無視して、二人で運命の人を探す旅に出たい。いや、出る。そう心の中で格闘していたが、主の笑顔を見られる以上の喜びはなく、その笑顔が見られるのなら何でもする。そう誓うのだった。その誓いを証明するかのように嬉しそうに見続けた。それも、驚くことに外が騒がしくなるまで、数時間は笑顔を見ていただろう。
(起きてしまうではないの。むむ、もう誰なのよ)
裕子は、ゆっくりと立ち上がり、馬車の扉を開けようとしたのだ。
「どうした。裕子?」
裕子の足音で目覚めたのではなかった。それでも、自分が原因だと思って、本当に済まなそうに俯くのだ。
「外の騒ぎを鎮めようと・・・・・」
「そう、それなら、気にしないで行っていいよ」
「承知しました。気兼ねなく行って参ります」
裕子は外に出て、部隊の前方を見ると、黒髪の国の国境警備隊が、まるで、傲慢な力士から嫌がる学生に無理矢理に手解きをしているようなのだが、学生のような相手の方では、突進を止められず後ろに下がるだけ、それでも、言葉で勝とうと叫び続けているようだった。そんな様子を遠くから見ていたが、部隊の行進が止まっていないのだから無視して馬車に戻ろうとしたのだが、あまりにも、国境警備隊が可哀想になり、近づいて何を言っているのかと様子を見るのだ。すると、警備する者だからだろうか、いや、部隊長だからだろうか、態度とは違って威圧的な声色で・・・。
「初代様の行列でも、この規模では軍隊と同じです。黒髪の国に入れることは出来ません。自分たちの里にお帰り下さい!」
「煩い。本当に煩い奴だな!」
「我らのことを無視するとは、初代様の意志とは思えない。本当に初代様の一行なのか?」
「何だと!」
ついに、我慢の限界を超えたのだろう。槍を構えて威嚇する者や警備隊の身体を押す者まで現れたが、警備隊の方は、何も抵抗せずにされるままに後ろ、後ろと下がるのだ。警備隊の方は、何が起きても、初代様と思える行列の者たちに触ることも、自分たちの原因で行進を止めることも出来ないのだ。それ程まで、恐れを感じると同時に、初代様と呼んで、神のように敬っていたのだ。
「何を揉めている」
裕子は、何気なく、何も知らない振りをして現れた。だが、卓の許しはあるが、少々不機嫌そうな表情を浮かべたのだ。それは、交渉を自分に有利にするためでもあった。
「あっ裕子殿!」
「それが、我らを、これ以上は進ませない。そう言うのだよ。本当に困った者だ!」
槍隊の隊長が、息子のような歳の部隊長だからだろう。小馬鹿にする態度を表して挑発するのだった。
「なぜだと言うのだ。祖母様は都市に帰るだけだぞ。もしかして、都市に帰られては困るような理由でもあるのか?」
裕子は、自分の問い掛けの言葉が何て返って来るのか、その思案の結果は出ていたのだが、卓の寝顔を見る楽しみを邪魔されたことで、少し、からかって見たくなったのだ。
「この数での戦支度では、都市の秩序が保てません。宜しければ、戦支度の理由をお聞かせ願えませんでしょうか?」
「まあ、理由を言えと言うなら教えよう。だが、考えてもいなかったことだぞ。村の周囲に接する国々の通行許可や行動計画書の申請は取得しているのだが・・・まさか、自分の黒髪の都市に帰るのに、許可書が必要だったとは考えてもいなかったぞ」
「えっ・・・・あっ・・・その・・・初代様が、都市に帰るのに何も許可など必要などありませんし・・・裕子殿の命令だと言うのなら断ることは出来ません」
「それなら、何も問題はないのだな」
裕子は、自分の命令に従え。その言葉を言えば、誰も逆らえないのは、初代である祖母の妹か、娘なのかと、思われているからなのだ。それを否定したかった。自分は、機械人形なのだと、人を助けるために作られたのだと、だが、この世の時代では、誰も理解できるはずがなかったのだ。
「ですが・・・その・・・自分にも役目と言う・・・・その責任がありまして・・」
「何をするのか、それは、知らないが、好きなようにして構わんぞ」
全ての問題が解決したと思い。裕子は、馬車の方を振り向き歩き出した。途中で、部隊長の話の続きがあったが、振り向きもせずに、手を振ることで許す指示を伝えた。その後は、主のことだけを考えて馬車の中に戻る気持ちなのだろう。
「それでしたら、何か御用が御有りの場合に、直ぐに対応できるように数人の部下を置いて行きます」
「感謝する」
この部隊長の最後の言葉は、裕子と言うよりも、槍隊の老人たちに伝えていたのだ。自分たちは妥協したのでない。最後まで抵抗して、裕子に要求を承諾させたのだ。と、鼻たかだかとしていたのだ。その気持ちは部下たちにも伝わり。先ほどまでは、勇猛な戦士の集団として有名な白紙部隊と、誰が共に行動するのかと不安を表していた者たちが嘘のように自分から命令を託してくれと求めるのだった。直ぐに三班に分かれて、白紙部隊と共に行動する者、砦に知らせに帰る者と、部隊長と他の場所の国の境を巡回する者たちに分かれたのだ。
第五章
黒髪の国の国境警備隊を先頭に、白紙部隊は進み続け、ある枯れた河川に着くと・・・。
「祖母様。思い出の地です」
「ありがとう」
あの警報が鳴り。真っ先に現れた。あの老婆が、祖母の馬車に近づき窓越しに言葉を掛けたのだ。驚くことに、祖母に対して禁句の言葉を吐いても怒りの言葉を吐くのでなく感謝の言葉述べられた。驚きは、それだけでなく、記憶が無いはずの老婆が、記憶があるように言葉を掛けたのだ。
「まだ、忘れていなかったのか!」
「はい。祖父が、口癖のように話をしてくれました。お前は、祖母様が治めていた。この村で生まれたのだぞ。と・・・・それに、名付け親・・・だと言うことも聞きました」
「そうか、そうか・・・・今日は、ゆっくりと、この地を見る気持ちだ。皆に休憩をして構わん。そう伝えてくれないか・・・・頼む」
「何度も、何度も、この河川の跡に来ていますが、どこら辺に村があったのかは分かりません。それでも、祖母様が言った言葉を一言葉も忘れずに、祖父が、楽しそうに話をしてくれたのを思い出します」
はやり、呆けているのか、祖母の命令を伝えに行くのではなく、思い出を話し始めるのだ。だが、祖母は怒るのではなく、二人は、同じ方向を見つめていた。だが、同じでも目の前に浮かぶ光景は違っていた。老婆は、自分の祖父の話を思い出しての空想の光景であったが、祖母の光景は、何十年、いや、何千年も前の光景のはずだろう。確かに、この河川が枯れる前には黒髪の都市はまだなく、初期の黒髪の村と言われた地があった。その頃には、まだ、数十人の祖母と同じ同族がいたのだ。その頃の楽しい思い出から村が消えてまでを走馬灯のように見ているに違いないのだ。それでも、涙を流しているのだから口では言えない悲しいことでもあったのだろう。
「ごめんなさい」
「どうしたのだ?」
「わたしの思い出の話を聞いて嫌な昔を思いだしたのでしょう。本当にすみません。でも・・嬉しくて・・・・」
「そうではないぞ」
「だって、涙を流しているわ」
「本当に違うのだ。何も気にする必要はないぞ」
祖母は、本当のことを言っていた。本当に老婆の話などまったくとして聞いていなかったのだ。だが、嬉しい思い出ではないが、自分が、涙が流れていることには驚くのだった。
「そうだぞ。涙には嬉し泣きというのもあるだろう。それで、あっそうそう、祖父とは何て名前だったかな。教えてくれないか?」
祖母は、適当な言い訳を考えだした。
「名前?ああっそうねぇ。言ってなかったわね。槍の宗次郎(そうじろう)よ」
「えっ・・・まさか、敦子(あつこ)なのか?」
「はい。敦子です。でも、なぜ?」
「敦子が歩けるくらいまで子守りをしていたのだぞ」
「本当ですか?」
「ああっ本当だとも。そうだ。馬車に乗るとよいぞ。昔の話をしてやろう!」
「嬉しいのですが・・・・・私の馬車もありますので・・・・それに、記憶がないのだけど、時々らしいけど呆けるらしいから・・・・教えてもらっても忘れるかもしれないわ」
「そんなことなど心配するな。忘れたのならば、また、教えよう。そのほうが楽しみだぞ。そうだろう。何度も新鮮な驚きを感じられるからな!」
「うっうう、ありがとう。でも、皆が、こっちを見ているわ。出発しないのかと心配しているみたい。だから、わたしのことよりも早く都市に戻りましょう」
老婆は嬉しくて泣き出したのだ。だが、周りの人たちのざわめきを聞いて、自分の我が儘で貴重な時間を潰せないだけでなく、都市での要件にも支障をきたす。そう感じた。それで、直ぐに、自分の馬車に戻ったのだが、出発する気配がなく、その代わりに、騒ぎは収まらすに、数人の者が、祖母の馬車に近づくのだ。その様子を見て、敦子は・・。
(何て失礼なの。本当に祖母様の部隊の人とは思えないわ。祖母様の願いを叶えるための部隊であり。それを叶えるために尽くす。それなのに、貴重な時間を邪魔するなんて!)
老婆である敦子が怒りを感じるのは当然だった。出発の予定された時間になったとしても、祖母を敬う気持ちで遠くから見守っていたのだった。それなのに、礼儀を無視されたことに我慢できなかった。勿論、思考よりも体が反応したのだが・・・・・。
「あっ!」
敦子は、驚きの声を上げて立ち尽くした。
「良い。畏まる必要はないぞ。警護のために来たのだろう。共にいることを許すぞ」
白紙部隊の衣服を着た。黒髪の国王が居たのだった。
「どうしたのだ。お前など、呼んではいないぞ!」
「祖母王様(そぼおうさま)に直ぐにでも会いたかったのです。それで、城では待ちきれずにお迎えに来たのですよ。それなのに、喜んでくれずに怒鳴られるとは悲しいです」
「何を言うか、白紙部隊の全軍だったことで神官よりも早く会い。そして、適当な会話で様子をみながら対応策でも考えたい。そんな、考えなのだろう」
「素直な気持ちが分かってくれないとは悲しいです」
「それなら、理由は知らなくても構わない。そう言うことだな。黒髪の国の王よ」
「それと、これは、違います。それに、子供の時のように、雷(らい)」君(くん)と言ってくださいよ。いや、この歳ですから、雷とだけの方がいいですね」
「まあ、良い。早く馬車に乗れ!」
国王と言われるが、貴賓のような雰囲気はないが、超が付くほどの金持ちの世間知らずな雰囲気が感じられた。それと、もう一つ付け足すのならば、国王でも、金持ちとして生まれてこなくても、優しい声色と話し方に女性みたいな顔立ちなら男にも女にも好かれ楽しい人生を過ごせただろう。だが、一番適さない国王として生まれてきてしまったのだ。おそらく、これから、波瀾万丈の人生を過ごすことだろう。
「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」
「それにしても、久しぶりだな。何年ぶりだ?」
「そうですね。五年はお会いしていませんね」
「そうか、五年か・・・」
「はい。私が国王になってからは、もしかして、私の補佐的なことで忙しかったのではないですか・・・いろいろと、外交や神官たちの対応をして忙しかったのではないかと、そう思っていましたよ。ですが、白紙部隊の全軍で都市に入るのはやりすぎですね。これでは、今まで黒髪の国の軍が、国王の一族を擁護していましたが敵になる可能性が高すぎますよ」
「まあ、都市に着いてから言うつもりだったが、この場で、はっきり言おう」
「なっなんでしょう」
「わしを神とする宗教を廃止にする。お前一人で国を治めよ」
「まさか、私の妃になってくれるのですか?」
「何を言っている。そんな気持ちもないくせに!」
「今の姿を見れば、どんな男性も骨抜きになりますよ」
「まあ、今の外見だけを見れば、そう思う男もいるだろうが、わしの名前を知れば気絶するかもしれないな」
「私は、本気で妃になって欲しいのですよ」
「分かった。分かった。嬉しいぞ」
「やっと、三十歳になりました」
「何を言っているのだ?」
「男は、三十歳にならなければ美味しくない。そう言ったのです。お忘れですか?」
「そんなことを言ったか?」
「はい。私が十歳の時に、三十歳になって美味しそうな男なら結婚してやろう。とね」
「まさか、それで、妃を娶らなかったのか・・・・あっ・・だが、卓の母が結婚する時もそんなことを言っていたな。たしか、初恋だったと言って・・・・泣いたはず」
「あははは!」
「まあ、それは、良いとして、国名が変わっても構わんか?」
「構いません。と言うか、国王の身分など誰かにあげたいくらいですよ」
「確かに、分かるぞ。身分もなく、好きなように時間を過ごして、好きな所に旅に行って人生を終わらせたい」
「そうですね。王など面倒なことだけが多くて、命も狙われるし、本当に、誰かに譲渡できるなら渡したいくらいだ」
「まあ、お前みたいな坊ちゃん育ちには、旅暮らしは無理だ!」
「それは、いいとして、そろそろ・・・・何をするのです・・・何を考えているのです」
「それは・・・・」
二人は、笑い終わると、馬車の外に聞こえないくらいの声で囁き合うのだった。
「・・・・・」
「それを本気で実行する気持ちなのですか、まさか、自分が自由に旅に出たいだけで、それを考えたのではないでしょうね」
「まあ、その気持ちがまったくないとは言わない・・・だが、今のこの国の状態では、数年後には、神官に国を乗っ取られるか、軍の飾りとして扱いされる可能性があるぞ」
「でも、なぜ、今のこの時期なのです?」
「一番の理由は、十年後には、白紙部隊は消えて無くなる。その意味は分かるな!」
「はい。白紙部隊の皆さんは高齢ですからね。十年でなく、五年が限度でしょう」
「分かっているではないか、それで、宗教を廃止して、わしは旅に出る。そして、何かが絶対に起きる。国内だけでなく国外も!」
「それでも、白紙部隊が、卓の護衛を放棄して黒髪の国に尽くしますかね」
「それは、大丈夫だ。わしが常に、卓の傍から離れずに護衛する」
「本当に、卓には、優しいですね。嫉妬したくなります」
「本気かどうか知らんが嬉しいぞ」
「ですから、本気だと言っているのですがね」
「冗談は、それくらいにして、本当に、何かが起きるぞ。それを証明するかのように、卓が恋をしたのだ。時の流が変わったのだ。そう言う血筋なのだぞ。おそらく、卓の両親の時よりも複雑かもしれないのだ!」
「ほう、あの本の虫が、女を好きになったのか、それは、大変だ!」
「笑える冗談ではないぞ」
「分かっております。神の祖母様が消えて、その宗教の教祖であり伝承者の卓までが、一般の者になるのでは、何も起きないと考える方が変でしょうね」
「分かっているではないか!」
「それにしても、本当に人迷惑な求婚の方法ですね。それだから、卓の一族は滅亡したのでないのかな?」
「それは、仕方がないことなのだぞ!」
「まだまだ、都市までには時間があります。その話をしてくれますか」
「そうだな。良いだろう。それは、なぁ・・・」
「はい」
上空に浮かぶ月は、神話や口伝書に聖書にも書かれてある箱舟なのだ。と話を始めた。すると、雷は、見えるはずもないのに、馬車の天井を見上げるのだ。一瞬、クスリと、祖母は笑った後に、また、話を始めるのだった。今度は、本当の神話を教えよう。だが、他言するな。その最後の言葉には殺気を感じて、本当のことを話すのだと、気持ちを引き締めた。そして、祖母の口を開くのを待ち、その出た言葉は・・・・・。
「今から七千五百万年に遡る・・・・・それは・・・・」
「祖母王様って、そんな昔からの人だったのですね」
「何を言っているのだ。わしを化け物とでも思っているのか!」
「・・・・・」
雷は、否定も肯定もできなかった。噂では千年以上は生きていると噂だったことで、十分に化け物だと思っていたからだ。いや、不死の神だと思っていたのだ。だが、答えなければならない。そう感じて口を開こうとしたのだ。
「もう良い。口を開かずに黙って聞いていろ!」
頷くのを見ると、月の住人は・・・と話を始めた。
今から七千五百万年まで遡る。その時代の地球には月(衛星)が無い為に、地球の重力が今の十分の一しかなかった。その理由で、現代でも生命の一つの謎と述べられている。時より、化石などでしか発掘されない巨大な生物の世界だった。だが、なぜ、謎かと言われているのは、もし、過去に飛び、その生物を現代に連れてくることができたとしても、現代に現れたと同時に死ぬとされているのだ。現在の重力では強すぎて圧縮されて潰れるからだ。それなら、現代の陸上では最大の像と同じ大きさなら生きられるかと思われるだろうが、大小の大きさの意味ではなく、低重力でなければ生存できない。という意味なのだ。だが、月が天文学的な確立で偶然に地球の衛星になったのではなく、ある銀河の惑星の衛星だったのを長い宇宙の旅ができるように造り替えて地球に向かったのだ。それでも、月は、単なる宇宙を移動する宇宙船ではなく、聖書に書かれている箱舟だったのだ。なぜ、それ程まで大掛かりなことをしたかと言うと、子を思う親の気持ちからだったのだ。まだ、普通の親と子なら何も問題はなかっただろうが、王家の血筋では障害者では許されなかったのだ。それでも、王家の血筋では、誰かが権力を得ようとする者たちに祭り上げられる可能性があり。父親でもある王は、血の涙が流れるほどの悲しみに耐えて、ある星(地球)に赴任させた。正確には移住なのだが、星を箱舟にするほどの科学技術がある文明でも、その星は地球を観測するのが精一杯の遠い星だった。そのために、父である王は、子との別れは死別と同義だったために苦しんだが送り出したのだ。それでも、千年の長い時間を掛けて箱舟は無事に地球に到着した。だが、距離的には五百年もあれば十分の距離だったのだが、倍以上の時間を掛けたのには理由があった。地球の環境を壊さないために計算されてゆっくりと到着する予定だったのだ。元の惑星では、重力が強かったために重力が弱くても十分だったからだ。だが、何度も計算した結果のはずなのに、月が巨大過ぎたのだろう。衛星としては安定したのだが、地球の地軸がゆっくりと狂い。南極と北極の極が移動して太古の地球の生物は殆どが絶滅したのだ。だが、箱舟には元の惑星の全種類の生物の雄と雌の一組が積まれていたことで、箱舟の電算機が答えを出し第二の計画を実行することになった。地球を母星の重力に変更して無事に地球で第二の故郷として繁栄を謳歌した。その種には、左手の小指に赤い感覚器官と背中に蜻蛉の羽に似た羽を持つ種族だった。この時の感覚器官である赤い糸は、運命の相手だけに見えるのではなく誰にでも見える感覚器官だったのだ。それも、動物の角とかと同じ身を守る物で、勿論と言うべきか、羽衣も飛ぶ高さを少々伸ばす程度のものであった。過去や未来に多次元を飛ぶための羽でも感覚器官ではなかった。それでも、文明は謳歌すれば衰退は必ず来る。いや、種族の限界ではなく、環境の汚染で地球に住めなくなり月に戻ることになったのだ。これが、地球での第一文明の滅亡だったのだ。それは、ある古代文明の世界観と重なる。第一の時代の終焉だったのだ。そして、月日が流れて地球の環境が元に戻る頃になると、月では限られた空間のためだろう。原因不明の疫病と出産の低下などから地球に降りなければ種族が絶滅すると考えた結果で、再度、地球に降りて文明を開いた。それが、第二の時代だった。この時代から今の地球の人類と赤い糸と言われる感覚器官を持つ者が現れる原因が起きる。種族としては二度目の出産の低下が起きた。この時は、種族としては限界だと、誰も認めるしかなかったが、それでも、大人しく絶滅したいなど思うはずもなく、いや、正気の精神状態でなかったのだろう。だが、それでも、様々な産業の担い役は必要で、動物の遺伝子と自分たちの遺伝子を組み合わせて獣人を作った。これが、事実上の第二の時代の終焉であり。第三の時代の始まりでもあったのだ。この時代になると、純血の人々は数える程度になり。他の獣人は全て絶えてしまい。自分たちの遺伝子を使用した獣人だけをわが子のように慈しむだけでなく、専用の都市まで建設して共に暮らすのだ。だが、その獣人たちを次の地球の種の頂点にしたいために獣人戦争が勃発するのだ。結局、勝者はなく第三の時代は終焉した。いや、勝者が存在したと考えるべきなのか、猿の遺伝子を持った者。獣としての力もなく、外見だけは自分たちと同じだったために擬人と呼んで共に暮らすことになった。そして、禁忌だったのだが、擬人と純血の人々と結ばれた人々が増えに増え続けて地球上の覇権者となり。第四の時代が始まった。そんな世界の中で、旧人類と言うべきか、遺伝子を提供しなかった純血の種族だけで都市を作り細々と暮らす一族もいたのだ。信じられないことだが、擬人は、その都市を攻めたのだ。一度や二度は撃退したのだが苛烈をきわめる戦闘なり。生き残るための手段として様々なことを思考した。その中の一つ、偶然の研究の結果で時の流を自由に行き来できる装置を発明したのだ。未来には、自分たちの種族は滅亡していることが分かり。月である箱舟が地球に到着する以前の過去なら時の流の不具合にならないと判断した結果で、一つの都市を丸ごと過去に飛んだ。だが、失敗し、都市は、異次元から出られなくなった。それでも、異次元から脱出しようと様々な研究をしたが失敗する。その中の一つの研究で、無茶な時の流を飛んだことが原因で過去の地球の地軸が移動した。この研究の発表があるまでは、先祖が月を方舟として造って地球に訪れたのが原因であるとされていたが違うと判明するのだ。今更になって様々な禁忌を犯したことを悔やんでも遅く、時の流が複雑に絡み合ったためか、神からの天罰なのか、時の流を修正する役目を担うことになるのだが誰一人として拒否はできない。その理由に、自分の運命の相手との出会いだけでなく、子孫を残すため、家族と暮らすために時の流の修正が必要になったのだった。当初は、自分の子のために自分の命を生贄のように捧げていた。長い間、捧げた結果で神から許されたのだろうか、それとも、異次元の空間で生活したために人体が進化したのだろう。左手の小指の赤い感覚器官が、運命の相手を探す導きと、時の流の修正の導きを示すようになり。背中の蜻蛉のような羽。羽衣だが、過去、未来、多重世界に飛ぶ力を得たのだ。正常な空間の地球には、その一族の流れの一派と擬人だけが残り、完全に擬人が地球の覇者となり。第四の時代が終焉したのと同時に現代の文明である。第五の時代が始まり。今の現代まで続く・・・。
「あの本の虫の優男が、それ程までの過酷な運命なのだな。ふむ、それで、祖母王様!」
「何だ?」
「今の世は、第なに文明なのでしょうか?」
「我々や卓の一族は、過去に飛んだ方の末裔なのでな。地球に残った同胞のことは分からない。結局、我らの種族も我を残し皆が滅んだ。地球に残った方も同じような事を繰り返して滅んだと思うぞ。再会したとも聞かない。もし月に行けば詳しいことが分かるだろう。だが、それは無理なことだ」
「そうでしたか・・・・」
「それよりも、これから、何かが起きる。それも、卓を中心に、だから、わしは、卓の護衛もだが、一番の肝心なことは、卓の運命の相手を見定めなければならないのだ!」
「それでは、感謝しなければなりませんね。白紙部隊の全軍での行動は、私を守る気持ちと、黒髪の国を守ることですね。皆を代表として頭を下げます。有難うございます」
「今までの話しで、それを感じ取れたのか、良い男になったな。少しは味見がしたくなる程度の男にはなったようだ」
「有難うございます」
深々と頭を下げるが、頭が上がることはなかった。おそらく、何かの試案をしているのだろう。そんな、雷の様子など気にせずに、祖母は、なぜか、馬車の扉を開けた。ただ外が見たかっただけなのか、それとも・・・・。
「気持ちの良い。美味しい空気だ」
馬車の窓からは、森林の清々しい空気が入ってきた。その空気を吸うと、気持ちがすっきりして思考の幅が広がったこともあるが、気持ちが落ち着いたのだ。
「試案して悩むよりも、周りを見ろ。そして、感じろ。そうでないと、何かを無くすぞ!」
「はい。そうでした」
祖母は、言うだけ言うと、窓の外を見るのだった。もしかすると、恥ずかしかったのかもしれない。真面目な言葉だった。と言う理由もあるが、それよりも、雷が窓の外を見る振りをして、自分の顔を見ていたのだ。それも、愛しそうな熱い視線だったが、気付かない振りを通しながら片手を振って出発の合図を伝えた。雷も悟られていないと思っているからだろう。見つめ続けるのだ。二人の気持ちを悟ってのことではないが、静かに馬車は走り出し、黒髪の国の都市に着くまで行列は止まることも、二人の時間を邪魔しない程度の馬車の走る音だけが響くのだった。そして、何事もなく、黒髪の国の都市の城門を過ぎるのだった。すると、都市民の盛大な歓声を聞くのだが、普段なら道の両側に大勢の都市民が手を振って出迎えてくれる。だが、変なことに、普段なら点々と数えるくらいの兵士が立っているだけなのだ。だが、まるで、暴動でも起きるとでも思っているのか、歓声を上げている者が見られない程の大勢の兵が並んでいるのだ。それは、何かを隠すためのような誰にも見せたくない物か、人なのか分からないが、白紙部隊と祖母は不審に思うのだ。
「これは、お前の指示なのか?」
祖母は、馬車の中から外を見ている。そんな、雷に問いかけた。
「祖母王様から問いかけられては、正直に答えるしかありませんね。そうです。指示を下しました。いや、正確に言うのでしたら、軍の幹部と私と言うべきでしょう」
「予想はしていたが、他国の間者から隠すにしては大げさ過ぎるし、これでは、目立って意味がないぞ。それにだ。間者なんて者は、何をしても無駄だと、まだ、分からんのか!」
「むむっ・・・・その・・ですね・・・一番に知られたくないのは、神官たちなのですよ」
「何だと!」
「祖母王様。神としての座を降りる。そう宣言すれば騒動が起きます。それも、白紙部隊の全軍が都市に来たと分かれば、神官たちは、直ぐにでも祖母王様をお守りしようとするのは建前で、自分達の目的のために神輿にしようと行動を起こすことでしょう。すでに、名目は用意されているでしょう。白紙部隊と軍が武力で強制的に祖母王様を神の座を下したとね。白紙部隊が承認できるはずもなく、武力がある者は武力で抵抗するでしょう。その勘違いから起こる。馬鹿げた騒動を防ぐためです」
「馬鹿な。だが、様々な軍事行動を抑えるために白紙部隊の全軍で来たのだ。だから、安心しろ。わしは、誰にも脅されていない。それを伝える。まあ、誰も、堂々と宣言すれば分かるだろう」
「まあ、祖母王様を知る者なら分かるでしょう。ですが、人とは、神を捨てる。その行為も理解もできないのですよ。それに、祖母王様を神と思う。その信仰で、人々の心は救われているのです」
「分かっているぞ。お前が王位を譲渡したい。その気持ちと同じだと、だが、誰も分かってくれない。だから、わしは、神として、皆の心の拠り所になろうとしたのだ。それだけでなく、わしの種族は滅亡したが同じ結末にならないように導くこともした。勿論、何か分からない何かを求められた時にも、そして、何かを強く求められる者にも助言をしてきた。だが、叶った者がいたのか・・・分からないが、でも、叶うように願いながら助言はしてきた。だが、正直に言うつもりだ。わしに、何かを求めても、神ではないのだから求めても無駄だと教えなければならないのだ!」
「そのことで、都市に着く前に来たのです。突然に神を辞めるとか、宗教の廃止では人々は混乱では済まずに発狂するかもしれません。ですから、神の位を譲渡とか、予言を作って時が訪れるまで長い眠りに就く、とか、何か考えはないでしょうか、それをお願いにきたのです。勿論、今までの通りに好きなように生活を楽しんで構いません。ですから・・」
「う~む。好きなように・・か・・・そう思われていたのか・・・まあ、お前には正直に言った方がよいな。わしは死期が近いのだ」
「えっ・・・・えっ?」
驚く表情を見て、自分が今までしてきたことに愕然としたのだ。確かに、普段の生活の用品も食事も、王族と同等、いや、それ以上だったかもしれない。だが、誰となく、問われ、願われて、その答えには何日も悩み。解決しようと真剣に悩み。そして、様々な努力してきたのだ。その答えが出るのに何日も悩んだこともあった。それが、気まぐれの遊びだったと思われている。その驚きの表情には泣きたくなった。だが、自分の直系の子孫であり。見捨てることは出来なかった。だから、黒髪の国だけは救いたくて計画を立てた。
「本当なのだ。だが、最後は看取られたくない。それで、旅にでて、そのまま忘れて欲しかった。だが、仕方がない、今までの住居を残して、わしが、寝ているとしろ。いや、黒髪の国を救う算段をしている。として、深刻的な危機が訪れる時まで起きない。そう伝えるのだな。それだと、王族だけで守り通せるか、神官にも伝えるべきなのか・・・・」
「王族だけの秘密にします」
「そうか、だが、秘密が露見した場合は、正気を失くした神官たちの騒動を収めることが出来るのか?」
「何とかするしかないでしょう。あっ、それでしたら、祖母王様。巫女神官長と言う新しい役職を設立して宜しいでしょうか、それも、王族からだけ選抜される役職です」
「構わん。好きにしろ。だが、わしは、数日後には旅に出る。二度と帰ってこないぞ。勿論だが探すことも許さない。もし連れ戻そうと使者を遣しても殺してでも逃げるぞ!」
「構いません」
「それなら、構わん。これで、話を終える。だが、この後に書簡を渡すが、今回の旅に出る対応策としての行動は確実に実行してもらうぞ」
「分かっております。我が国の残る道であり。卓の赤い感覚器官の運命の修正であり。運命の相手を探すためですね」
「ああっ、そうだ」
二人の話が終わる頃には、白紙部隊の全軍が城内に入るのだった。すると、都市の兵たちは直ぐに駆け出して白紙部隊の後を慌てて続いた。まるで、臭いものに蓋でもするように城門が降りるまで、大勢の人で城門を作るように詰め寄って隠すのだった。
「皆の者、ご苦労だった」
城門の扉が地面に落ちる音が聞こえると、雷が馬車から出てきた。
「はっ任務完了しました!」
部隊長らしき者が、雷の前に現れると、畏まって答えた。
「貝(かい)男爵。無理なお願いをして済まなかった。迅速に遂行してくれたことで、無事に何事もなく城内に入れたぞ」
「それでは、通常の警備体制に戻しても宜しいのですか?」
「ああっ構わんぞ。ゆっくりと休んでくれ。それと、慰労の気持ちとして、夜に酒を用意しよう。だが、警備には支障のないようにしてくれ。それは、男爵に任せるぞ」
「感謝致します」
男爵は、深々と感謝の気持ちを伝えて、部下の所に戻ろうとする時、仲間内だけで分かる合図で、酒宴の許可が下りたと伝えた。と同時に感謝の気持ちを態度で表したのだ。
「お迎えの準備が整ったようです」
迎える時に会った。高齢の男が、籠の前に立ち畏まっていた。その姿を見てから機転を利かせたのではないが、雷は、馬車の中にいる祖母が降りてくるのを手を差し出して待っていた。
「かよわい女性ではないぞ。そんな気遣いは無用だ!」
「余計な気遣いでした。すみませんでした」
「まあ、良い。だが、まさか、あの高齢の男のように妻を娶らずに執事になる。などと、変な理由をつけて独身を通す。などと、申すのでないだろうな。それは、許さんぞ!」
「いいえ。その気持ちはありません。あの方のように皇族の地位を捨ててまで、祖母王様に尽くす気持ちはありませんし、実子と遊ぶ楽しみがありますからね。そろそろ、妻を娶ろうと、考えていました」
「なら、良い。では、行くぞ」
何か不満でもあるのか、馬車から降りる時も、離宮まで歩く時にも、道に八つ当たりでもしているかように甲高い靴の音を響かせていた。
「卓、裕子も何をしているのだ。さっさと中に入るぞ!」
「はい。ですが、雷様を見送る前に、自分たちが離宮に入るのは失礼ではないでしょうか?」
卓が、おどおどと、祖母と雷に視線を向けていた。
「何も気にする必要はないぞ。早く来い!」
「はい」
「それに、直人よ。執事としての考えかもしれないが、わしには帰りの輿は必要ない。そう言ったはずだぞ。自分の足で歩けるのだからな!」
「余計な気使いでした。お許しお願い申しあげます」
「あっ忘れていた。白紙部隊は、好きに寛げ、勿論、酒宴をしても構わんぞ。いつ死んでも不思議でない高齢の者に楽しみを奪うのは可哀想だからな。まあ、酔っている方が腰などの痛みを忘れて動きやすい。そう言うのだろう。だが、城門の外に出るのは許さんぞ」
離宮まで歩いていたが、何かを忘れたかのように振り向くと、白紙部隊に指示だけを伝え、また、直ぐに振り返って、急ぎ歩きで建物の中に消えていった。勿論だが、その後に、雷、執事、卓、裕子と、慌てて付いて行ったのだ。
第六章
離宮に入ると、直ぐに執事は建物の奥に消えたが、大きな大広間があり。祖母の癖なのか、それとも、富裕層の者は、執事か案内人の召使いが現れるまで勝手に座って待つのが礼儀なのか、祖母と雷は、当然のように椅子に座って雑談を楽しんでいた。そんな様子を裕子と卓は、落ち着かないのだろう。きょろきょろと、周りを見ては、二人に視線を向けていたのだ。今までは、扉を開けると、同時に、執事が立っていたことが多いが、今までの祖母は、自分の住居なのだから何もきにせずに直ぐに自室に向かうのだ。勿論、裕子と卓も共に誘うのだ。もしかすると、雷がいるから王族と言うか富裕層の礼儀に合わしているのかもしれなかった。数分後に、執事が、二人の女性を連れてきた。身なりから、身の回りの世話などをする使用人だった。
「初代様。無事の御帰りに安堵を致しました。直ぐに自室の寛ぎの用意を整えます。少々お待ちください。その前に、何かの飲み物と軽食の用意を致します」
やはり、今までとは違う様子と、二度の挨拶の出迎えに、卓は驚くが、これは、雷がいるために正式な礼儀なのだった。執事は、二人の女性に、どのような客人なのかと会わせることで個別の対応の格付けを教えるのだった。それか、何かの考えがあるのかもしれない。
「その必要はない。直ぐに旅支度の用意をしろ。もう離宮に戻る気持ちも暮らす気持ちもない」
「えっ初代様。お待ちください。そんな、突然に無茶苦茶な!」
雷は驚いた。
「何を言っている。今まで話をしていただろうが!」
「それは、たしかに、白紙部隊の全軍での警護をしてくれるのは嬉しいのですが、それでも、暫くは滞在してくれると、それも、都市の騒動が収拾した後だと・・・・」
「それでは、今まで話をしたと言うのに記憶がないのだな・・・・仕方がない。直人よ」
「何でしょうか、初代様」
「正式な書簡の作成の用意を頼む」
「畏まりました」
「それも、護衛も付けず、野宿、食事も釣りや狩りなどで済ますなんてことは物語とは違うのです。無理ですから考え直して下さい」
「お前は、先ほどまで話していたことは、何かの本の物語とでも思っていたのか、それにだ。その様な旅の暮らしは経験をしているのだぞ。まあ、何百年も前のことだが無理ではないぞ。何を言っても気持ちは変わらない。直ぐに出発する。それより、これから、わしが、渡す書簡のことは必ず実行しろよ。もしもだが、旅の途中の噂を聞いて、書簡の通りに終わらせてなければ、どうなるか、それは、分かるな!」
雷は、久しぶりに、祖母の鋭い視線を見た。それは、子供の頃にふざけた悪戯などした時に死ぬほどの説教をされたことを思い出したのだ。
「はい。必ず実行します」
その言葉を待っていたのか、偶然なのか、直人が戻ってきたのだ。
「初代様。お待たせしました。書斎に用意を整えておきました」
「あっわかった。雷、行くぞ」
祖母は書斎に向かった。雷は付いて行くのだが、何度もため息を吐いていた。どのような要求の指示なのか、それを考えると頭が痛くなるほどのことだと思っているに違い。それから、少し遅れてから直人が歩き出すが、直ぐに振り向き二人の女性に、裕子と卓の接客を頼むと、それを伝えると、安心したかのような感じで書斎に向かうのだった。しばらく、扉の前で待つが、入室の許可を頂き中に入ってみると、まるで、補修の授業でもされているような二人の様子を見たのだ。本当に頭の出来が悪いのだろうか、かなり真剣に取り組むのだ。そんな時に、祖母が、入室の許可を忘れていたのか、直人に気付くと、今から雷に言ったことの全てを書き留めろと言うのだった。室内は、かなりの、大きな説教のような会話だったのだが、直人は、この二人のことを想定していたために、二人の部下の女性に指示をしたのだろうか・・・・。
「これ、本当に美味しいね」
「私には分からないことですが、御主人様が美味しいと言うのだから美味しいのでしょうね。私の分もどうぞ」
書斎での様子は知らない。裕子と卓は、二人の女性の使用人から飲み物から始まり、菓子に果物を食べながら会話を楽しんでいたのだ。そして、一時間は過ぎただろうか、雷が一人で大広間に現れた。それも、青白い顔を表して手には三センチ位の厚みの書類を手に持っていた。
「ご苦労さまです」
「・・・・・・・」
裕子と卓は、最上級の礼をするが、雷は、気が付かずに通り過ぎて離宮から出て行った。
「国王陛下!お待ちください。上着をお忘れで御座います」
その後、直人が上着を手に持ちながら駆け足で過ぎ去り、祖母は笑いながらのんびりと現れた。
「陛下など勿体無い。まだ、雷君とか、雷ちゃん。と呼ぶにふさわしいぞ」
「・・・・・」
卓は、祖母の言葉を聞いて外に耳を澄ましたのだ。さすがの祖母でも国王を馬鹿にしたことを言ったのだ。不敬罪だと叫びながら離宮の中に駆け込んでくるはず。そう考えるのは当然で、玄関の扉が開けられたままの外の様子と祖母の姿を交互に視線を向けていた。
「卓、どうしたのだ。そんな青白い表情で具合でも悪いのか?」
「えっ・・・だって・・・不敬罪」
「あははは!何を言うのだ。本当に腹が苦しい。わしは神なのだぞ。わしを憤慨にさせる方が不敬罪だろう。あははは!腹も痛くなってきたぞ!。んっ、直人よ。どうした?」
祖母は、心底から本当に楽しそうだった。その笑い声を止めたのは、卓と同じように青白い顔で現れた直人だが、祖母の笑顔を見てほっとするのだった。
「初代様の笑い声を久しぶりに聞きました。本当に喜ばしことです」
「卓が、面白いことを言うのだ。わしが、不敬罪なのだと、あははは!」
「あっ陛下のことですね。たしかに、そのことで、自分は、もう初代様の側でお使い出来ないかもしれません」
「何を言っているのだ!」
「これで、執事の資格が失うことになりました」
「あの雷の様子の原因は、わしだぞ。お前らに関係ないだろう!」
「そうではありません。陛下、いや、客人に上着も渡せずに帰らせた。それが、原因なのです。これで、明日にも、執事組合から資格の取り消しを知らせる使者がきます」
「わしが、その使者に説明しよう」
「そうではないのです。私が王族であり。元貴族なのが原因なのです。父が亡くなった時に借金がありまして爵位を売りました。その時、父の友人が、将来を心配して執事になれるようにしてくれたのです。ですが、執事の者たちは、血へどを吐くくらいの努力をして、やっと、執事になるのですが、自分は、貴族として生まれ育ってきたことで何も努力をせずに執事になった。そう思われているのです。それで、執事組合の者から恨まれているのです」
「ふ~ん。なら・・・・」
(そうだったのか、わしを忘れることができずに執事になったのではなく、父の借金のためだったのか、それなら、今回は、良い機会かもしれない)
「・・・・」
直人は、祖母の言葉を待った。
「良い機会だ。今まで尽くしてくれた感謝として残りの全額の借金を払おう。それに、爵位の復活と残りの生涯を苦労せずにすむ程度の金銭も与える。ゆっくりと自分の人生を楽しめ」
「初代様。自分は爵位や金銭など興味はありません。それでも、爵位が消えて落ち込んだのは二度と初代様と会えない。それが、分かった時です。ですが、執事なら初代様の側にいられる。そのために執事になったのです」
「お前も馬鹿だな。なら、丁度良いだろう。その使者に会う前に、今直ぐに旅に出ることにすれば、使者にも会わず。執事の返納の書簡を受け取れないのだ。それで、時期を考えて他国で更新すれば何も問題はない。それに、これから、いろいろと騒動が起きるだろう。他のことなどに構っていられないはずだ。だから、何も心配せず。直ぐに用意をしろ!」
「はっ承知しました」
「ちょっと、待ってください。その旅って、僕の運命の相手を探す。あの赤い感覚器官の修正の旅ですか!」
「そうだが、何か問題でもあるのか?」
「本当に共に来るのですか、確か、運命の旅とは一人で行くのでないのですか?」
「まあ、人それぞれと言いたいが・・・・共と言うが、共とはお前である卓が、わしの旅の共をするのだぞ。運命の旅は次いでだ。それを、分かっているのか?」
「えっ・・・それって・・・・僕は・・・」
「何を言っても無駄ですよ。御主人様。諦めてください」
裕子は、まるで、出来の悪い弟を宥めるように頭を撫でながら耳元で囁くと、卓は、嫌々と頷くのだった。そんな、卓の気持ちも知らずに、祖母は、直人や使用人に旅の準備のことで指示を叫び続けていた。散々と叫び続けたことで疲れたのだろう。卓と裕子が座る席に腰かけてきたのだ。それから、何分後だろうか・・・。
「旅の御用意が整え終わりました」
直人が、少々疲れを表した表情で知らせに現れたのだ。
「遅かったな。もう少しで尻が椅子にくっ付くところだったぞ!」
「それは、済みませんでした」
「まあ、良い。それよりも、直人よ。お前も用意をしてこい」
「終わっております」
直人は、不思議そうに首を傾げた。
「その服装で旅に出るのか?」
直人は、綺麗に織り目が付き、何一つとして乱れのない執事の制服を着ていたのだ。
「はい」
「お前が、それで、良いのなら構わん。では、直ぐにでも出発するぞ!」
直人が頷くのを見ると、祖母は、卓と裕子に視線を向けた。
「はい。亜希子様」
「・・・・・」
裕子と卓は、いや、卓は、何もかも諦めた。そんな様子で椅子から立ち上がるのだった。その様子を見て、何を思ったのか、祖母は・・・・。
「安心しろ。わしが、お前に相応しい女性なのか、確かめてやろう。あっはははは!」
「えっええ!ちょっと待って下さいよ。相応しくなかったって判断したら何をする気持ちなのです。その女性は、神が最高の相手だと選んでくれたのですよ。それを祖母様の好みに合わないからって結ばれないようにぶち壊す気持ちなのですか!」
「いや、結ばれるように手助けするが、ついでに、ただ、お前に相応しい女性にするために調教してやるだけだぞ」
「・・・調教・・・・」
卓は、自分が口から出した。その言葉の意味を何通りも思案し続けていた。
「何を呆けているのだ」
「亜希子。調教などお辞め下さい。お願いします」
卓は、祖母の足にすがり付いた。
「なっななぁ嫌らしい。邪なことでも考えているのだな。これだから、男と言う奴は馬鹿なのだ。どんな想像をしているのだ。礼儀作法に決まっているだろう」
「そんなこと考えていませんよ。でも、礼儀作法でしたか、それなら、安心しました。先に馬車に乗っていますね」
「・・・・・だが、姫の礼儀作法には、枕絵の知識も覚えることもあるのだぞ。ふっふふ」
卓は、安心したのだ。だが、祖母の話を最後まで聞かずに、裕子が待つ馬車の中に駆け込んで旅のことで希望に満ちているに違いないが、祖母の最後の言葉と笑みは、この先の旅と言うだけでなく、様々不幸が卓に降りかかる。と、誰が見ても感じられることだった。その始まりと考えられることがあった。いや、裕子と卓が乗っている馬車の外から聞こえてきたと言い直すべきだろう。
「それでは、初代様。本当に御者人も侍女などの使用人を一人も連れて行かなくて宜しいのですね」
「ああっ、そうだ。卓が嫌がるからな」
「それでは、執事のわたくしの一人だけ・・・」
「すまない。直人よ」
「いや、執事としての腕の見せ所ですから構いません。ですが、三台の馬車を操れません。それでも、荷物を減らすことはできませんので三台の馬車を繋ぐしかありません」
「大丈夫なのか?・・・・減らしたくはなかったが、仕方がない。減らしても良いぞ」
「ご安心ください。二頭でなく四頭で馬車を引けば十分ですし、木造の馬車でなく紙の馬車ですから重量も減りますので大丈夫でしょう」
「えっ、三台の馬車!四頭の馬!亜希子、待って下さい」
卓は、馬車から飛び出した。すると、卓が乗る馬車に四頭の馬を繋げて、他の馬車の方には列車のように二台の馬車を連結させていた。貴族流では御忍びで質素を装っているらしく家紋も書かれていないが、一般の人が思う御忍びよりもかなりの大がかりで大貴族の豪華な観光旅行の有様だったのだ。それでも、見た目だけは飾り付けはしてないが様々な生活用品や衣装などの必要の無い物が多くあるとしか思えなかったのだ。
「どうしたのだ?・・・ん?・・・卓?」
「少し大がかり過ぎませんか?」
「そうだろうか?・・・・なあ、裕子よ」
「亜希子様、何でしょうか?」
「卓の父の時の運命の修正の時は何台の馬車で行った。たしか、裕子と二人で一台の馬車だったはずだな?」
「はい。そうです」
「だが、二人と言っても、衣、食に寝台として使ったのは卓の父だけのはず」
「はい。そうです」
「なら、卓、今回の旅は四人になるが、必要なのは三人だぞ。馬車の三台では必要最低限の台数ではないのか?」
「うっ・・・・それは・・・・」
「それでは、何も問題はないな。早く馬車に乗れ!出発するぞ!」
卓は、地面に座って願いでているが、礼儀と言うよりも土下座をしている気持なのだろう。もし出来れば、裕子と二人で行きたい。その気持ちが表れているのだ。祖母も気持ちは分かっているはずなのだが、一瞥するだけで馬車の中に入り椅子に腰かけたのだ。それでも、卓は土下座を崩そうとはしなかった。
「卓よ。甘えるのも程ほどにしろ。わしと裕子は、お前が一人で旅に出る。その言葉を待っているのだぞ。だが、お前は父と違って武術も旅もしたこともなく一人で村も出たことがない。それで、仕方がなく、一人で旅が出来る。それを確認したら裕子もわしもお前が思った通りの旅をさせてやろう。だから、今は、さっさと馬車に乗れ!」
「御主人様。これは、練習です。直ぐに運命の相手が見つかることはないのです。でも僕は違うと、既に会えた。そう言うでしょうが、様々なことが起こり。御主人様の父は、村に戻るまで三年もかかりましたよ」
たしかに、裕子は本当のことを言った。だが、父の時は一か月だけは一緒にいたが、その後は、一人で旅に出た。と主の気持ちを考えて言わなかった。
「三年!そんなにも・・・」
「だから、早く乗れ!」
「はい」
卓は、自分の方が我が儘を言っていると感じて大人しく馬車に乗るのだ。そして、三人が馬車に乗ると、直人が、出発の願いを祖母に言うのだった。勿論、即答で許すのだったが、目的地が分からず、直ぐに、直人は、祖母に行き先を聞くが、そのまま国境まで向かえ、その間まで少し待てっていろ。そう言われるのだった。
「それで、卓よ。左手の小指の赤い感覚器官は、どの方向を指しているのだ?」
「えっ・・あっ・・西に向いています」
卓は、腕時計を見るように左手の小指を見た。確かに、西の方向を指していたが、裕子にも祖母にも、その器官は見えていなかった。
「直人よ。西だ。西の方向の街道を進め!」
「承知しました」
その言葉の後は、誰も話をする者はいなかった。これからのことを考えてのことだと思う。だが、あまりにも卓が呑気に窓の外を見ているので、裕子と祖母から旅の注意から始まり、運命の赤い感覚器官の修正の忠告や助言を卓に教えるのだった。そんな、馬車の外には、驚き、泣き声などの全ての喜怒哀楽の感情の言葉が漏れるが、直人は、聞いている余裕はなかった。国境から都市に向かう時は一本道だったはずなのだが、都市から国境に出る時には街道を進んで来る部隊を攻撃する手段のため、まるで、空から見ると、魚の背骨が街道で、背骨に繋がる小さい骨に見える所が木々に隠れた塹壕(ざんごう)だったのだ。常に兵が配置されているのではないが強固な陣地を他国の間者などに見せることで戦の抑止なるだろうと考えた結果だったのだ。その結果、陣地は、帰りの街道は迷路であり。標識を確かめて進まなくてはならなかった。そのために、直人は、馬車の操舵だけに集中していたのだ。そして、やっと・・・。
「共同街道に入りました。このまま西で良いのですね」
直人は、なんどか同じ問いかけをした。それは、仕方がないことなのだ。十字路のために待機するしかなかった。間を開けて何度か問いかけた時だった。
「直人よ。何か呼んだのか?」
「はい。確認のためにお聞きしますが、西とは、龍神王朝の国境の西の砦ですね」
「そうだ。まあ、昔は、そんな名称を使っていたが、今では言わないがな」
「承知しました。到着までゆっくりと御寛ぎください」
「ああっお前も、適度に休めよ」
「はい。その時は、皆さまにも紅茶のご用意を致します」
直人は、感謝の気持ちを言うが、祖母からの返事がなかった。だが、直人は・・・・・。
「今日は本当に良い日です。これで何度目でしょうか、初代様の笑い声を聞くことができました。一生、この日を忘れません。それに、最高の旅立ちの日だと思います」
執事は、馬車の中から笑い声が聞こえてくることで楽しい気分になりながら馬車を操った。
第七章
直人が御者する馬車は、黒髪の国から始まり。竜神王朝の国境を通り過ぎ辺りは木々しか見当たらない街道を進み続けていた。そろそろ、祖母の思い出の地でもある枯れた河川、今では街道になっていた道を走り続けていたが、この渓谷は、普通の旅人や軍隊でも襲われる危険もあるのだった。勿論、逃げ道もないために立ち止まらず。少しでも早く通り過ぎようと考えるのは当然のことだったのだが、直人は、誰の命令を受けてもいないのに街道から外れて、渓谷の山道へと進むのだった。
「あっ痛い。直人さん。東へ、向かってくれませんか!」
直人が、東に馬車を向けた時と同時に、卓の体に痛みが全身に走った。そして、誰かしらない他人だが、でも、親しみを感じるような言葉を感じたのだ。それは・・・。
(卓よ。東に向かへ)
「やはり、感じたか、それだと、わしの行動とも重なるのは確実だな」
「えっ」
卓は、意味が分からず、驚きの表情で祖母を見た。すると、祖母は、大きく頷くのだ。
「卓、安心しろ。馬車は東に向かっているぞ」
卓は、また、驚きを感じた。なぜ、分かったのかと、そんな、驚きだった。
「お前の心を覗いたのではない。わしが行きたかったのだ。それが、重なっただけだから何も心配するな」
「あっ、はい。はい」
祖母の言葉の意味が分からず。だが、祖母に返事をしなければならない。そう思って少々だが怯えながら頷くのだった。
「裕子。お前は、体の機能の調子が悪いだろう。何パーセントの稼働が出来る?」
「はい。一般の行動に支障はありませんが、機能の性能で言うのでしたら半分の機能を動かすのが限界です」
「戦闘は無理と言うことだな」
「はい」
「分かった。それでは、全機能の調整をする。それと、部品がある場合は交換もしよう」
「確か、以前に、それは、禁止されていると・・・・・・まさか・・・」
「ああっ、そのまさかなのだ!。この先のことなど、わしは、知らん。何とかなるだろう」
「ですが、調整しだいでは、まだまだ、先があります」
「まさか、亜希子!」
卓は、恐ろしい考えが頭の中で過った。
「卓よ。何も心配するな。お前の寿命が尽きる前に死ぬ気持ちはないぞ」
「安心しました」
「亜希子様!」
「何も言うな」
「・・・・・・」
裕子は、頷くだけで何も言葉にしなかった。数分の沈黙の後に、馬車止まると、直ぐに扉を叩く音がした。誰かなのかは直ぐに判断はできたが、なぜか、不審を感じるのだ・・・・。
「初代様・・・・」
直人の言葉には、助けを求めるような声色だった。
「分かっている。直ぐに外に出るから少し待っていろ」
祖母だけが馬車から降りて、考えていた通りのことだったのだろう。直人に向かって頷くと、直人は直ぐに御者の席に戻るのだった。
「あっ、危ない。亜希子。何をしている~戻れ!」
卓は、祖母が何をするのかと、見ていたのだ。直人と挨拶をすると、しばらく、右手側の崖を見ていた。おそらく、以前は、大量の水が流れる滝で街道になっている河川の跡に大量の水が流れていたのだろう。その光景を想像していると、卓は、もしかしてと思っていたが、本当のはずはないと、信じていたのだが、まるで、夢遊病のように崖の方に歩き出すのだ。それだけでなく、直人も後を追うかのように馬車をゆっくりと進めるのだ。
「直人!。何をしている。馬車を止めろ。それよりも、亜希子を止めろ!」
もう、後、数歩で崖に落ちる。そう思う時だった。祖母が歌を歌いだした。だが、歩くのを止めない。そして、空中に一歩を踏み出すと、卓は、目を瞑った。だが、歌が途切れない。それなら、踏み止まったのかと感じて、卓は、ゆっくりと、目を開けると・・・・・。
「あっああああ!」
卓は叫び声を上げた。それは、当然の驚きだ。祖母が崖から落ちるはずなのに、空中を歩いているだけでなく、その後に、馬車も空中を走っている。とは少し違うが、ゆっくりと進んでいた。目の前で起きている光景の仕組は分からないが、祖母の歌の音程に合うように透明な空中の道は色を変化するために仕掛けは歌に何かある。そう思うのだった。
「おっおおお!」
今度の驚きの叫びは興奮を表していたが、先ほどとは違い喜びが感じられた。それは、卓だけが初めて見る光景だったからだ。今までの人生でいろいろなことを見聞きしたが、例えようのない建物であり。空中に浮いているだけでなく夢でも見ていると錯覚するくらいの美しく過ぎて見惚れていた。そして、空想するのだ。城と言うような殺伐でなく、温かく住みやすさを感じるのだけでなく、建物の全てが透明で光り輝いていたのだ。その都市の住人は、女神か妖精が住んでいるはずだと、そう思い。心も思考も奪われていた。
「御主人様。この都市は、亜希子様の生まれ育った所でもありますが、わたしや、他の様々な機械人形が作られた所でもあるのです」
祖母が生まれた所、それは、地球の第一文明でもあり。箱舟である月で地球に来た者たちの直系の子孫である者たちが造った都市だった。そして、卓が生まれ育った村にある都市は、第二文明の遺産であるが、目の前に見ている都市の複製された都市だったのだ。だが、完成度は二割くらいで、形だけを真似た。別の物だと考えるべき都市だったのだ。
「亜希子が生まれ育った所で、裕子が作られた所?」
「そうです。これで、最初で最後の機会です。忘れないように目に焼き付けてください」
「そうだな。こんな空中に浮かぶ都市など簡単に見られる訳がないな」
「そう言う意味ではないのですよ。御主人様。もう、この時を過ぎた以降は、誰も見ることが出来ません。この世、いや、この先の未来でも、人類の代表者として見て欲しいのです。この都市を開けることが出来る。もう唯一人の者。それが、亜希子様なのですよ」
「分かったよ。裕子の言う通りに、その気持ちで見るよ。教えてくれてありがとう」
「いいえ。感謝などしないでください。当然のことを言っただけなのです」
「うん・・・うんうん。そうだね」
卓は、今までのことを思い出した。そして、裕子は、常に正しいことを言って導いてくれた。「何をしている。早く来い!」
祖母は、広大な敷地の中心に立っていた。その場所は、卓が住んでいた村があった所であったが、卓には、何の用途なのか想像もできなかった。だが、白線が細かく引かれてあるが、現代の人なら車などの乗り物の駐車場だと想像ができるだろう。
「この都市は、月から地上へ住むための都市だった。それも、黒髪の一族だけの都市だ」
「この都市に、僕たちの祖先が・・・・」
「いや、正確に言うのならば、それは、違う」
「えっ」
「この都市に住んでいたのは、わしの血族であり。卓や黒髪の国の者たちは、わしが遺伝子を提供した一族なのだ」
「同じことではないのですか?・・・・・・あっ痛い!」
「痛みを感じたか、赤い糸の修正だな。今の話題は言うことではないようだ。それに、わしが考えていた通りに、あれを手渡さなければならないようだ。そのための試練なのか・・・・いや、修正の行動をしなければならない。卓、好きなように行動をしろ!」
「えっでも、初めての所で、何も分かりません」
「それが、修正なのだが、まあ、この都市は、卓の村にあった都市と中身は同じだ。極端なことを言うが、あの卓が利用する書庫室の紅茶や湯飲みの置き場所も同じだと考えてもいいぞ」
「本当なのですか!」
「ああっ紅茶の中身は違うが、この世の物とは思えない味だぞ。飲みたければ飲んでも構わない。好きなように探索するがいい。その間、わしは、裕子の体の調整をする」
「はい」
「直人よ。お前も好きにしていいぞ。おそらく、また、零度の冷たい麦酒でも飲むのだろう。勿論、構わんぞ。好きなだけ飲むのだな」
「ありがとうございます」
祖母は、直人が自分の行為の感謝と、主を見送るために頭を下げているのを見ると、裕子に「後について来い」と、伝える視線を送った。その視線に気が付き、裕子も歩き出した。すると、直人は、足音が聞こえない距離を測っていたのか、都市の玄関の扉を開けた音が聞こえたのか、頭を上げると、同じ入口に向かったのだ。何歩か歩くと、卓が後ろからついて来ることに気が付くのだ。そして、振り返った。
「卓様。どう致しました?」
「いや、どこに行こうかと・・・・」
「そうでしたか、ですが、わたくしの後について来ても意味はありませんよ」
「そう・・・です・・・ね」
「それでしたら、不思議なことや謎と思うことや困りごとなど、何かの全ての問いの答えが、この都市なら全てを知ることができます」
「う~ん・・・・・謎でしたら、地中から想像もできない大きな生き物の骨が発見されています。皆は、何も不思議に思わず。その骨を薬の材料に使用していますが、その姿などを知りたいです」
「それでしたら、資料室、いや、図書室が良いかもしれませんね」
「えっ本当に分かるのですか、そんな資料があるのですか?」
「おそらく、あるでしょう。でも、その前に、一つお勧めの場所もありますぞ」
「えっ?」
「この都市には、この世の全ての飲み物や食べ物があります。その施設の機能を見て、食しただけでも都市の凄さを感じるはずです。この都市には、この世の全てがある。そう確信するはずですよ」
二人は、都市の中の話をしながら歩いていたことで、玄関の自動扉が開いて中に入るのだが、話題が、話題だったので、初めに誰もが驚く自動扉の開閉には気が付かずに中に入ると、夢中になると周囲のことなど忘れる。そんな卓でも、廊下が、二方向に動くことには驚きの声を上げるが、直人が、向かう方向の動く廊下に、手を引っ張って導いてくれたことで安堵して、また、問いかけるのだった。
「もしかして、その扉の所?」
「この部屋に入りますよ」
二人は、同時に声を上げた。卓は、村にあった都市では食堂として利用していた所だったので、この都市でも同じかと迷ったが、直ぐに通り過ぎると感じたので、思わず、言葉にしたのだった。そして、二人は、初めて自動階段を乗り降りする者のように一歩を飛んで、食堂ではないのだが、向かう部屋の扉の前に飛び降りたのだ。
「何か、疲れますね。この様なことを常にしていたので、嫌気がさして都市を放棄したのでしょうか?」
「どうだろうか、確かに、この都市での暮らしは疲れると思うのは同じ気持ちですよ」
「ですよね」
「それより、中に入りましょう」
「はい」
また、扉が自動に開いて驚くと同時に、室内の方に興味が大きく向いて言葉を飲み込んだのだ。まるで、室内は、舞踏会のような華やかな内装なのだった。
「この部屋って食堂なのでしょうか?」
「それは、分からないが、昔の人々は派手だと言うか、無駄な飾りをするのが風習みたいな感じでしたからね」
「ああっ馬車や船などの無駄な飾りなど、確かに、そう感じますね」
「まあ、わたくしは、適当に飲んでいますので、適当な料理の絵(写真)を見て料理を選んでみては、どうでしょうか?」
卓は、直人の話を聞いて周りを見回した。すると、壁に料理の写真が並べてあった。それも、無数の数で、もしかすると、この部屋で食事会でも開き、その優勝でもした料理のように思える様子だった。そして、一つの料理に興味を感じて、利用方法を直人に聞こうとしたのだろう。振り向くと同時に、偶然に右手が料理の写真をかざしたのだ。
「この料理をご注文ですか、有難うございます。今は、非常事態のために無料で提供中です。何個をご注文でしょうか?」
「えっ」
卓は、直人と音声が聞こえた方向を交互に見た。だが、直人は音声が聞こえなかったのか、いや、聞こえていたことでの行動なのか、また、同じ飲み物だが度数の無い麦酒を注文していたのだ。その様子が、絵に向かって手話で会話している感じだったことで、一瞬、微笑むのだが、手話ができないことに悩んでいた。だが、手をずらしたことで、立体の緑色の数字が表れたのだ。適当に指や腕を動かして試案している中で、指で数字を空中で描いたのだ。
「個数は、一個ですね。少々お待ちください」
「おっおおお!」
一分くらい過ぎると、壁から小さな扉が開いて料理が出てきたのだ。この想像はしていたので叫び声が出るほどではなかったのだが、料理が写真と同じだけでなく、保存食での材料と作り置きの物だと思っていたのが、天才料理人が最高の材料で、今調理を終えたとしか思えない。そんな、驚きの料理だったのだ。
「何を叫んでいるのです。何かありましたか?」
直人が、卓の声に驚いて心配になり近寄ってきた。だが、卓は、少し恥ずかしそうに俯いているだけで返事を返すことがなかった。
「すごい料理です。驚くほどの料理ですが、わたくしでも作れませんし、何の素材なのかも分かりませんよ」
「・・・・・」
「冷めない間に食べた方がいいですよ」
「はい」
「あっ、そうそう、執事の長年の経験から飲み物を選んできましょう」
直人は、恥ずかしさの意味を一瞬で理解した。驚いたことでの恥ずかしさよりも何かの花を模る食べ物に、男なら少女趣味と思われて他人に見られたら恥ずかしくなるような料理だった。
「これは、ミントの紅茶と言います。気持ちを落ち着かせる働きもあるますが、口の中をすっきりする働きもありますので、違った料理の味わいを確かめるには適した飲み物です」
「ありがとう。その料理は、僕のと、同じですね」
「そうですよ。わたくしも味わいたくなりましたのでね。そのために麦酒でなく、このミントの紅茶にしたのです」
「そうなんだ」
「そうですよ」
卓は、直人の優しい気持ちと、ミントの紅茶で気持ちがほぐれたのだろう。今までの不安と、これからの不安を全て話すのだった。
「その答えの一部ならきっと、この都市で分かるかもしれません。代々の血族が経験したはずですから何かの記録はあるでしょう。ですが、運命の人と結ばれるための修正とは意味が分かりませんが、結局は恋愛だと思いますから、どれくらい、その女性のことを想っているのか、その想いを相手に伝えられるのか、それだけだと思いますよ」
「想いですか・・・・一度も話をしていない人の・・・・想いですか・・・・」
「はい。全ての想い。感情、いろいろありますが、まあ、まだ若い女性だから突然に感情をぶつけても困るでしょう。そうですね。夢とか興味があることでも話して、まず、心を解してあげれば、その女性の気持ちを自分に向けさせることができますよ」
「興味を向けさせる・・・ですか・・・・」
「はい。そうですね。初代様は、この都市に来ると、毎回二時間は必ず居ます。今回も同じでしょうけど、ですが、裕子様の整備もありますから・・・二時間以上、いや、倍の時間と考えた方が宜しいでしょう」
「そうなのですか、四時間ですか…・四時間・・・・」
「この都市なら様々な恋愛に関する資料があるでしょうから女性に興味を持ってもらう。そんな話題を考えるのも良いと思いますし、そんなことを考えていたら時間など、あっという間に過ぎますよ。それに、この都市に来られるのは、おそらく、これが最後の機会です。その気持ちを忘れず時間を過ごすのが良いでしょうね」
この最後の言葉がまずかったかもしれない。運命の相手との思いの距離を縮まらすための赤い感覚器官の指示で都市にきたのだが逆に離れることになる。それは、この都市の情報を知ったために、最低の時の流の修正に費やす月日が考えていたよりも多くの時間が掛る。その原因が起きることになるのだった。
「はい。そうですね。分かりました。その気持ちは忘れません」
「うん。そこまで意気込まなくても・・・・まあ、わたくしは、ここで麦酒でも飲んでいます。勿論、度数がないので安心してください」
「むぅ・・・本物のお酒を飲んでもいいのでは・・・ないのかな・・・」
「わたくしは、本物のお酒は飲めないのです。だから、何も気にしなくていいですよ。さあ、時間が勿体無いですから行きなさい」
「あっ、はい」
卓は、直人の言葉がなければ時間が限られていることを忘れていただろう。それほどまでに、美味しそうに飲むために心底から酒が好きなのだと感じたのだ。おそらく、下戸だと言うのも嘘で安心させるためだとも思ったのだ。その気持ちを素直に受け取って、ある目的の部屋に向かった。その部屋は、村にある都市では図書室だが、扉を開けると・・・。
「えっ」
驚きのあまりに立ち尽くした。
第八章
室内を見ると、村にあった都市と同じ室内の大きさだった。だが、思っていたのと違って本棚が一台もなく、勿論、本があるようには見えない。まあ、現代人が室内を見るのなら電算機器が数百台ある。それが、分かるはず。だが、卓には、まるで簡易な仏壇に見えた。直ぐに、部屋から出ようとしたのだが・・・・。
「初めてのご利用になる方ですね?」
「ひっ!」
卓の目の前に幽霊のような透明な人が突然に現れたのだ。驚くのは当然であったが、現れる一瞬の前に柔和な声が聞こえたことで、一言の悲鳴だけで正気を失うことも駆け出して逃げ出すこともなかったのだ。
「機械操作が出来ませんでしたか・・・それとも、閲覧禁止と表示が出て閲覧が出来ませんでしたか・・・わたくしは、D君(でぃくん)と言いますが、わたくしと共に閲覧でしたら禁止を緩めることも閲覧許可の申請許可も迅速に実行が出来ますが・・・共に閲覧を希望しますか?」
この二十歳頃の柔和な微笑みの男性の幽霊みたいな者と言うか立体映像は、室内から五分も経たずに退室する者に反応するように設定されていた。
「えっ・・・と・・・・その・・・はい。希望します」
卓は、言っている内容の九割も意味が分からなかったが、自分の知りたいことの手助けをしてくれる。それを感じ取り少々考えた。その答えは、人に接するように深々と頭を下げてお願いするのだった。
「承知しました。それでは、八番の席に座り下さい」
「えっ」
卓が、意味が分からず立ち尽くしていると・・・・。
「何か困った場合は、D君とお呼び下さい。出来る限りの対応を致します。それでは、わたくしがご案内しますので後を付いて来てください」
このD君と言う者は、時間が過ぎるごとに対応が決められている。その都度の訪問者の反応を示した後に、ゆっくりと歩き出すような感じで移動する。そして、先ほど指定した席まで来ると、恭しい様子を見せて、卓が席に座るように勧めて座るまで何も言わずに動く様子もなかったのだ。おそらく、障害者や老人などが気分を壊さないように何分でも、どんなに時間が過ぎても、席に座ったことの反応が現れるまで見届けるはずだ。そう感じられた。
「何の閲覧を希望でしょうか?」
「歴史が知りたいです」
「いつの時代でしょうか?・・・どのような歴史でしょうか?・・・」
「む~ん」
「それでしたら一般的な歴史の流では、どうでしょうか?」
「あっ、それが、観たいです!」
「承知しました」
「おおお!!」
突然に机の上空に立体的な映像が出たことで、飛び上がるほどの驚きを表したのだ。
「どうされました?」
「いいえ。なんでもありません」
卓は、まるで、女子更衣室を偶然にでも見てしまったかのような恥ずかしさと、謝罪と同時に興味心を抑える気持ちで、何度も何度も頭を下げて謝罪をするのだった。
「拡大過ぎましたか?・・・縮小しましょうか?・・・」
「いいえ。このままで十分です」
始まりは、ある海に浮かぶ大都市が大災害に遭って逃げるように複数の都市が飛び上がるが煙を上げながらふらふらと・・・ある川に都市が墜落した。小さい湖になり川の流れが変わり、その周りに小さい村々が作られて広がっていった。都市は、この都市だと直ぐに分かる映像だったが、突然に真っ黒にになって途切れると、文字が出て読めなかったのだが年表だろうと思えた。今度は突然に視点が上空から都市と周囲を見えるように変わった。だが、この都市ではなく大災害が起きる前の大都市だと思えた。その視点は、高くもっと高くと上がり続けて高度から地表を見せていたが、ついに、丸い地球を映した。それから、視点は衛星である月に変わり、月が二つに輪切りされた。輪切りされた中は、丸い形の都市に、様々な施設に田畑などが映し出されたかと思うと、元の丸い月に戻り。月が凄い速度で動き出した。月が宇宙船のように航行しているのだろう。一瞬、土星が映し出されたかと思うと、数千光年が移動する宇宙の様々な他天体の太陽、衛星などがコマ送り的に見せた。突然、双子星の惑星が拡大に現れた。と思うと、今までは無音だったのが若い女性の音声が出た。
「私たちの祖先は、双子星の母性である水球(すいきゅう)から同じ水の惑星である地球に移住してきたのです。そして・・・・」
「D君!」
卓が、疑問と同時に、内心で叫びを我慢ができなくなり。叫んだ。D君は、その質問に答えるために映像と音声を止めた。
「何でしょうか?」
「球体の輪切りのって、上空の月ですか?」
「はい。そうです」
「それで、それで・・・・D君」
「何でしょう?」
「この続きも、今まで見たのも本で読みたいけど、ありますか?」
「えっ・・・・・・本とは、紙で作られた束の集まりですか?」
「えっ、あっ、はい。そうです」
卓は、本と言って驚かれたのも驚きだが、本を知らないのなら何で情報を伝えて、何で知識を得るのかと、その驚きの方が大きかった。
「やはり、ここに居たか、だが、目当ての物は一つもなかっただろう」
祖母が一人で現れた。卓は、あっと言う間に二時間が過ぎたことを知らなかった。それだけでなく、裕子は、と不審を感じると同時に心配したのだ。
「はい」
「わしの子供の頃の時代には、紙の本は一冊もなかった。その机から情報を得るのだ」
「この幽霊劇場で?」
「幽霊劇場とは、面白いことを言う。その机、いや、幽霊劇場での情報量は、村にあった都市の本の数の十倍以上の情報があるのだぞ」
「えっ・・・・これが!」
「そうだ。この世の謎、不思議、難問などの答え。全ての答えがある」
「おおおお」
卓は、驚きと興奮で叫び声を上げた。
「裕子は、まだ、まだ時間がかかる。その間まで幽霊劇場で情報を得てもいい。だが、その前に手渡したい物がある。先ほど、一冊の本もない。そう言ったが一冊だけあるのだ。われらの歴史書なのだ。卓には、できることなら代々の使命として語り継いで欲しい。我らと違った未来にするための導きとしての教科書であり。我らが存在した証拠なのだ。その後なら裕子が目覚めるまでの時間の許す限り幽霊劇場を見ていいぞ。だから、わしに少しの時間をくれないだろうか、その本を渡すだけなのだ」
もう卓は、抑えきれない程の興奮を表していたのだ。それを宥めようとして、祖母は深々と何度も頭を下げた。この様子を見れば、祖母を知る者なら後々のことを想像すると、風邪で高熱を出している者でも一瞬で熱が下がる。それ程まで低姿勢な態度をしてまでの願いなのだ。
「あっ、でも、そんな重大な使命は果たせません」
「卓の子孫の誰かが必要としてくれるだろう。それで、良いのだ」
「それでしたら本を頂に参ります」
「済まない。感謝する」
祖母は、卓が、動く廊下に無事に乗るのを見届けると、目的の方向に体を向けた。まるで学校の教室とも集合住宅とも思える両側を見ながら進み続けて五分くらい過ぎただろうか、祖母は、ある一つの扉の前に立ち、卓に視線を向けた。それは、この部屋に入る。そう言っているようだったのだ。
「ここですか?」
「ああっそうだ」
祖母が先に入り、卓が後ろから部屋の様子を見ると、一般的な家族の四人が住むに適した感じの室内だった。だが、家族がと感じたのは、先ほどまで見た室内よりも生活感が感じられる部屋だったからだ。もしかすると、祖母の個室か、家族と住んでいた住宅だったのか、そう思えたからだ。
「ここで待っていろ。直ぐに来る」
「はい」
本当に三分も経たずに、一冊の本を持って現れたのだ。
「これだ、大事にするのだぞ・・・では・・・・一人で戻れるな。後で、裕子と共に迎いに行くから好きなように時間を潰していろ」
「はい。分かりました」
卓が、一歩、室内から出ると、自動で部屋の扉が閉まって祖母だけが室内に残った。直ぐに自動廊下に乗って移動することで、室内からすすり泣く声は届くことはなかった。やはり、祖母の家族の住居だったようだ。もしかすると、父と母のことでも思い出しているのだろう。そして、何も知らずに満面の笑みを浮かべた。その笑みからは、直ぐにでも幽霊劇場の続きが見たい。そんな、心の思いを表しながら部屋に戻るのだった。
「D君!」
「はい。何でしょうか?」
卓は、部屋に駆け込んだ。室内に入ると、直ぐに名前を叫ぶのだった。人なら耳を塞ぐほどなのだが、D君には、何もなかったように機械が反応しただけのような無表情だった。。
「さっき見た。幽霊劇場の続きが観たい」
「・・・・・少々お待ちください・・・・・・あっ、先ほどのお客様ですね」
「えっ、はい」
「それでは、映像の続きを流します。先ほどの席には一人で行けますか?」
「はい」
卓が席に座ると同時に・・・・。
「続きとは、この映像ですね」
「はい」
卓は、幽霊劇場を夢中で観ていた。だが、何か不満そうにD君に視線を向けた。
「どうされました?・・・希望する物ではありませんでしたか?・・・一番の人気のあるものなのですが・・・・・」
D君がと言う訳でないが、本体の電子脳では、都市に住んでいた一般的な統計で、双子星から地球に向かうまでの旅の映像が一番の人気だったのだ。それで、疑問に思ったのだが、卓の知識の範囲では太陽系にある惑星の数も名称もしらない知識では面白さの理由が分からず。そのために、身近に感じることを知りたかったのだった。
「この都市の歴史が知りたいです。それか、上空の月のことでもいいのですが・・・駄目ですか?・・・それでしたら・・・・この都市の無人になった理由でも・・・」
「構いませんよ。それでは・・・この映像では、どうでしょうか?」
その映像は、月が輪切りから始まった。そして、映像と同時に、また、若い女性の声が流れてきた。月の住人達は、直ぐに地球に降りなかったのは、地球が自分たちの重力や環境が適してなかったために都市型の船を地上に下し、月と地上との中継の拠点とした。主な役目は地球環境の調整であり。移住するための人体機能の調整と検査などだった。それから、何年か過ぎた頃に、人体的に地球環境に適した者たちから地上に降りて生活を始めた。それが、世界中にあったとされている。伝承や伝説の楽園と伝わる都市だが、卓の村にある都市の母都市のことだったのだ。だが、この中継都市の無人になった理由が、七割の者が地上に降りたが、残りの二割の者は調整に残り。一割の者が月に帰った。その一割の者が月に帰ったことで、原因不明の病気が蔓延して月には生存する者が消えた。地上に移住した人々は、月との連絡も途絶えたことで月には帰ることはできなくなったが、都市の機能と同族を守るために一族の血族だけ入れるように月の機能設定を変更したのだ。その最後の生き残りの一族が祖母なのだと、卓にも分かった。ここまで、若い女性の声が途切れて、前回の時の映像の墜落した都市の映像に繋がるのだった。
「亜希子・・・」
卓は、これから後、祖母との接し方を考えた。今までの通りでいいのか・・・・・そんな祖母は、自分が育った時の個室で、卓と同じような幽霊劇場を見ていた。それも、家族の記録映像を見ていた。
「お兄さん・・・・・お兄さ・・・ん」
祖母は、悲しみを我慢ができずに涙を流していた。だが、映像は止まらずに流れていた。母船が海に沈む時、小型の船。いや、小型の都市の船が避難する。それも、煙や火が出ながら飛び続ける。その一つの都市が、兄が乗っているのだ。その都市が爆発せずに地面に降りた。その確認の映像だった。
「今回も電子手紙は一件も受信されていない。これが、最後の機会なのに、もう寿命が尽きると言うのに、本当に、お兄さんは亡くなったの・・・・・でも、他の人々も全てが亡くなるなんてありえない。なぜ、誰も連絡をくれない。なぜ・・・・なぜなのだ!」
祖母は、現状を忘れていた。当時は、生存者は居ただろう。たしかに、連絡をよこさないのは変なのはわかる。だが、都市と都市の連絡番号ではなく受信で待っているのは、兄の個人の番号だから誰もと思うのは変だった。それを忘れるくらい年月が過ぎているだけでなく自分の寿命が近い。それは、他の都市の人々も当然で、誰一人として生きていない。その考えを忘れるほどに焦り、そして、感情が高ぶっていたのだ。
「ピ・ピ・ピ」
「受信の音だ。やっと、着た!」
祖母は、満面の笑みを浮かべ、直ぐに、電子手紙の受信を開いた。
「・・・・」
件名には、完了。と、だけ書かれてあり。文面には、新規の転送あり。一件の電子手紙の受信がありました。詳細を開封しますか・・・・・。と、あり。祖母は、興奮で手が震えて操作が出来なかった。当然の反応だったのだ。千年、万年と、それ以上に待っていた。念願の初めての電子手紙だったのだ。そして、数分の時間が過ぎても指示がなかったことで、機械が自動の反応を実行した。すると、文字が流れてきた。「何の反応がありません。そのために、音声の反応に切り替えます。文字が流れますので、はい。いいえ。で、答えて下さい」と・・・・。
「一件の電子手紙の全てを音声でお知らせしますか?」
「はい」
「それでは、再生を開始します」
「亜希子様!」
裕子が、室内に入ると同時に叫び、その同時に、電子手紙の再生も開始された。
「一件の電子手紙、件名、完了・・・」
「・・・・」
「これは、何ですか、音が鳴っています。自分の脳内に記録されている中で、このような機能はありません。これは、新たに機能を追加したのですか?」
「・・・・・うるさいぞ。黙れ。内容が聞き取れないだろう!」
「はい」
「え・・・・え!」
祖母が驚くのは当然だった。目の前の機械からの音声と、後ろにいる裕子の体からも同じ音声で同じ内容が聞こえるからだ。祖母と裕子の二人は、音声が停止するまで無言だった。裕子は、驚きと、祖母の命令で無言だが、祖母は、驚きもだが、期待が裏切られたことで怒りも感じるが失望したのだ。それでも、自分がしたことを思い出したのだ。祈るような微かな気持ちから裕子の体の機能に、都市の自分の個室に届く電子手紙の転送を追加したことだった。その二通の電子手紙とは、指示を追加したことの完了の電子手紙と裕子の調整の完了を知らせる。その二通の電子手紙だったのだ。
「亜希子さ・・・・ま。許可もなく室内に入ったことの謝罪をします。それでは、改めて出直して参ります。簡単な謝罪ですが、失礼しました。即座に退室を致します」
裕子は、恐る恐ると答えた。すると・・・。
「構わん。直ぐに、卓の所に行くぞ!」
祖母は、怒りを感じる怒声だが、無理しているように感じるのだ。裕子が機械だから体調の変化を感じて、なぜか、声色には悲しみを微かに感じられたのだ。
「ですが・・・・全身機械の自分でも分かります。この都市、いや、この自室とは最後の機会になる可能性が高いはず。その感情は分かります。ですから、様々な思い出を・・・・」
「黙れ。それ以上、一言でも声を発したら壊すぞ!」
祖母は、裕子の言葉を遮った。それも、血は流れていないが、機械に流れる潤滑油が凍るほどの殺気を放ったのだ。
「・・・・・」
裕子は、自分が邪魔であり。駆動音も消すために機能の停止をしようかと、思考していると、祖母が・・・。
「では、行くぞ!」
「承知いたしました」
祖母の後に、裕子は、遅れないように動く廊下に飛び乗った。まだ、恐怖を感じていた。
「体の機能の調子は正常に戻ったようだな」
だが、突然に、祖母が振り返った。その表情には笑みを浮かべていたのだ。
「はい。関節の擦れ合う音は消えました。ありがとうございます」
普段の祖母だと感じて、先ほどまで不安を認識していたはずの電算機器の思考は消え去り正常の状態に戻った。
「卓を守ってやれよ」
「はい」
祖母は、思いを伝えるだけ伝えると、裕子の返事も聞かずに前方を向いた。それは、卓がいる部屋の方向だった。そして、卓が居る部屋の前に立った。
「先ほどのことは、卓には言うなよ」
「はい。承知しております」
「なら、よい」
祖母は、頷くと、一歩を踏み出した。すると、扉が自動で開いた。
「卓!出発の時間だ。まだまだ、見聞きしたいのは分かるが、今直ぐに行くぞ」
「はい。待っていました」
「そうなのか?」
「大丈夫です。満足な時間も過ごせましたし、自分としては十分の情報を得られました」
「なら、良かった。行くぞ」
卓との話が終わると、直人に視線を向けようとしたが、もう隣で控えていた。
「はい。畏まりました。直ぐに馬車の用意をして参ります。その時間の間まで室内で飲み物でも飲みながら寛いで下さい」
直人は、準備と言うが、卓が、幽霊劇場を見ている間に気づかれないように抜け出して馬の飼葉などや飲み水の補給や食料などの補充は終わらせていた。ただ、玄関の近くに馬車を移動するだけだったのだ。それも、五分もあれば十分なのだが・・・・・。
「遅い!」
祖母は、憤怒を表していた。
「御主人様。都市だけで飲める。炭酸飲料と言う物があります。おそらく、この世の人々なら千年、いや、二千年後くらい過ぎなければ作れない飲み物です。ですから、一度、お試ししてみては、どうでしょうか?」
「それ程の飲み物なのか!そうする。そうするよ。飲みたいよ!」
「それでは、どうぞ」
「ありがとう」
「亜希子様。麦酒に致しますか、それとも・・・」
「あれ、あれ、あれれ・・・飲めない。なぜ?」
卓は、初めての飲み物を手に取って見た目の炭酸の泡をみて驚いていた。本当に飲み物なのかと思うと同時に好奇心が勝ったのだろう。恐る恐るとしながら瓶の入口に口をつけて傾けるが中の液体が出てこないのだ。なぜなのかと不思議に思いながら何度も同じことを繰り返していたのだ。
「御主人様。それは・・・」
「裕子。わしにも同じのを持ってこい。飲みたくなったぞ。直ぐに持って来い!」
本当に飲みたいのかは疑問だが、裕子が、卓に飲み方を教えようとしたのを言葉で止めた。そして、同じのを頼むのだから自分が教える気持ちなのだろう。
「お持ちしました」
「卓よ。見ていろ。このように飲むのだぞ」
現代で例えるのなら、いや、現代でもないだろう。昔に人気のあった硝子できた入れ物に硝子の玉で栓をする炭酸飲料と似た飲み物だった。
「おおおっ凄い!」
祖母は、飲み口の二つの凹凸(おうとつ)を下にして、瓶の中にある硝子玉を凹凸に引っ掛けて中身の液体を美味しそうに飲むのだった。
「驚かずに早く飲んでみろ。今までに味わったことのない味だぞ。おっ、ゲップ!」
「・・・・・」
卓は、ゲップする姿を見て慎みがない。そんな視線を送るのだが・・・。
「早く飲んでみろ!」
祖母は、まるで、お前もゲップを出すぞ。出た後の姿が見たい。そんな笑みを浮かべた。
「はい」
恐る恐ると、瓶を下にしたり、斜めにしたりと、中の硝子の玉を動かして、やっとの思いで一口を飲むと、驚きの表情を表して、玉が動かないようにチラチラと見ながら何度も何度も飲み込むのだった。
「どうだ!」
「ひりひりするような不思議な味がするし、さっぱりする感じが美味しいね。この飲み物なら何度も飲んでも飽きないかも。うっ、ゲップ」
卓は、ゲップが出たことで恥ずかしそうに俯くのだ。それでも、飲んだ後の喉に感じるビリビリの刺激を何度も飲んで楽しんでいたが、ゲップが出るたびに恥ずかしそうにしていたのだ。その姿を見て、祖母も、大きく目を見開いて驚いていたが、直ぐに何かを思い出したのだろう。それも、少女時代の嬉しくもあり恥ずしさもある。子供の頃の失態の思い出と卓の様子が重なって、今の自分に気付くと照れ隠しのように微笑みを浮かべて誤魔化している感じだった。
「卓、気にする必要はないのだぞ。ゲップが出るのが普通なのだ」
「そうなのですか?」
卓は、祖母の言葉を信じないと言う訳ではないが、裕子なら絶対に嘘を言わない人なので、問いかけるような視線を向けた。すると、本当ですと、何度も頷くのだった。
「裕子。もう二つ持って来い。今度は、栓を開ける必要はないぞ」
「承知しました。少々お待ちください」
裕子は、直ぐに同じ物を持って戻ってきた。そして、二人に手渡した。卓は、瓶の口に栓をしてある硝子玉を指で押しては落ちないのが不思議そうに何度もしていた。その様子を見ていた。祖母が、くすくす、と笑って見ていたが、裕子が、教えても宜しいでしょうか、と視線を向けるので、嬉しそうに首を横に振った。
「卓。この飲み物を開けるには、これが必要なのだ」
そう言うと、凸(オス型)の道具を見せて、栓の開け方を見せた。
「おおお!」
幼子のように目をキラキラと輝かせて喜ぶのだった。直ぐに、道具を手にして同じように栓を開けて、先ほどよりは硝子玉を上手に固定させて飲むのだった。
「・・・・・」
祖母は、初めのうちは面白そうに微笑んでいたが、直ぐに何かを悩む表情を浮かべたのだ。
「裕子。直ぐに直人を呼んでこい」
「承知しました」
「どうしたのです。亜希子?」
裕子が、直ぐに駆け出して部屋から出る姿を見て不思議そうに祖母を見たのだ。
「何でもないぞ。少しの用を思い出しただけだ。直人が来れば要件を済ませてくる。裕子と部屋で待っていろ。勿論、先ほどの飲み物を飲んでいて構わんぞ」
「どうされました。初代様!」
裕子と卓、いや、正確には卓に聞こえないように直人の耳元で囁いた。
「以前の時のように冷蔵庫を持って行きたいのだ。今回は、小型の物で構わんのだが、どこに収納したか憶えているか?」
「たしか、あの部屋にあったかと、そう思います」
「分かるのだな。それでは、行こう」
「わたくし一人で十分で御座います。卓様と一緒にお待ち下さい。準備ができ次第にお迎いに伺います」
「だが・・・・」
「これは、わたくしの仕事ですから何も問題はありません」
「分かった。冷蔵庫に入れる物は瓶の容器の炭酸飲料だけで構わんぞ」
「承知しました」
祖母は、部屋に戻り。直人だけが移動廊下に乗り。また、馬車がある。都市の外に出るのだった。それから、祖母と卓は、適当な会話で時間を潰していたが、そろそろ一時間が過ぎようとした時だった。
「用意が整いました。何時でも出発ができます」
扉が開けられても中に入ることもなく、直人が満面の笑みを浮かべて知らせるのだ。
「分かった。行こう」
祖母の一言で、皆は都市から出て、馬車に乗り込むのだった。
「向かう先は、どちらでしょうか?」
「卓。西でいいのだな?」
「はい」
「直人よ。西だ。龍神王朝の西の砦に向かへ」
「承知しました」
第九章
卓、結子、亜希子、直人の四人の一行は、隣国の龍神王朝の西の砦に向かった。卓の左手の小指にある。赤い感覚器官の運命の修正の指示でもあるが、祖母にも、訪れる目的があったが、誰にも伝えてはいなかったのだが、時間的に急ぐ理由もなく観光が目的のような自由で気楽な旅を装っていた。それでも、この時代の旅は、現代のような安全な旅ではなかったが、近隣諸国では、祖母の家紋の威光もあり。白紙部隊の復習の怖さも知っている。そのために、祖母の馬車を襲うような馬鹿な者はいない。そのため目的地である。西の砦には無事に着くのだった。
「この紋章は、黒髪の国の初代様!」
普段なら裕子や卓が乗っている白紙の馬車なら陽気な挨拶をしながら話を掛けてくるのだが、連結している一つの馬車には、祖母の紋章があるので敬う気持ちもあるが、気性が激しい。と言う噂もあるので関わりを避ける人が多かった。それでも・・・・。
「止まれ。止まれ!」
砦に入る前には馬車は止められた。この数人の者たちも関わりたくはなかっただろう。
「通行手形はお持ちだろうか?」
直人は、裕子から手渡されていた。通行手形と直人が所持する書簡を懐から取り出した。それと、同時に、裕子も外の声が聞こえたからだろう。馬車の中から現れた。
「裕子殿でしたか、それにしては、三台の馬車の連結とは大掛かりですね。黒髪の国の発行の通行手形の明細には、一台の馬車だと書かれてありますが・・・・」
「それは、これから、許可の変更の手続きをする目的もありまして砦に来たのです」
「そうでしたか、まあ、たしかに、初代様の紋章が本物であるのでしたら許可など必要はないのですが・・・・・本当に中に・・・・」
城門の兵士が、馬車の中に聞こえないように裕子に囁くのだった。
「はい。馬車の中に、たしかに・・・・」
「裕子殿。済まないが、自分では対応が出来ない。この場で少々お待ち願いたいのだ。その間、何か適当な理由を初代様に伝えてくれないだろうか」
先ほどの囁きよりも、もっと小さい声で気持ちを伝えるのだった。
「それが、仕事ですからね。構いませんよ」
「ありがとう。後ほどでも、何かのお礼をするよ」
男は、感謝の気持ちを伝えると、砦の中に駆け出した。裕子と卓は、少々の騒ぎになると感じて、直人に後を託すと、砦の中に入っていた。手形を見せたこともあるが、徒歩だと言う理由もあるし、頻繁に訪れていることもあるために特に注意も受けなかった。そして、数分後、礼服姿で勲章を何個も付けている。部隊長らしい中年の男が数十人の部下を引き連れて現れた。
「お待たせしてすみません。自分は、砦の全ての兵を任されている。勝次(かつじ)と言います。これから、砦の主である。拍(はく)拓斗(たくと)様の所まで・・」
「お前、今なんと言った!」
祖母は、馬車の外での直人と男たちの会話が、耳に届くことで憤慨のあまりに小窓を開けて叫ぶのだった。
「えっ・・・拍、拓斗様の」
「その前だ。砦の主とは、どう言う意味だ。この地の領主は黒野(くろの)志乃(しの)のはず。まさか、領地と家督を継ぐだけでの目的だったのか、愛している。そう言ったのは嘘だったのか?。それでは、すでに、領地から志乃を追い出したのか!」
「おおおっ何て謝罪をしていいのか・・・済みません。自分の口癖なのです。その・・普段から主様から・・・このようなことの注意の小言を言われているのですが・・ですから・・決して、主様と奥方様の不仲ではないのです。それに、実質的に執務を行いますのは主様ですし、奥方様は、国々などの賓客の御接待を中心の公務を行っておりますので、屋敷からは出ることは殆どあるません・・・・ですので・・・」
「分かった。もう気にするな」
顔色を黄色や青などに変えるだけでなく、緊張で何て言葉にしていいのかと、言葉を選んでは悩みながら全身の箇所から冷や汗を流していた。祖母は、仕方なく・・・・。
「分かった。お前の好きな所に案内しろ。それで、構わん。だから、少し落ち着け!」
「はい。承知しました」
男は、深々と頷くと、片手の仕草で部下に命令をした。それは、馬車を囲め。と言う意味だった。だが、護衛と言う感じよりも、馬車を隠すのが目的のような行進だった。城門をくぐり砦の中へ入ると、直人は馬車を止めて三台の連結から一台の馬車だけをはずして城門から見える適当な場所に放置した。それは、裕子が、この後のことを直人に託す時に頼まれたことだった。適当と言っても、裕子と卓の馬車だと、城門の何人かの兵士なら分かることだった。
「裕子と卓が取りに来る」と、一人の兵士に託くす。その後は、部隊長の指示の通りに進むのだった。道の両側には店が並んでいた。それも、旅人が利用する主体の飾り付けのない実用的な商店街だった。そのまま進み続けると、元々、砦の規模の時に使用された境だったのかと感じる。簡易な検問所があったが止まることはなく行進は進み続けて中に入った。すると、人々も華やかな服装で旅装服の者はいなく、店の様子も客を呼び込む目的なのだろう。開放的な営業で店の構えも華やかだった。おそらく、砦の住人であり。民家、商店などの職業別に区切りされているのだろう。そして、道の奥の正面には大きな建物があり。それが、目的の場所であり。様々な役所的な働きの建物だろう。その建物の後ろには一般的な人は入れない。広大な敷地があった。代々の墓所であり。軍兵の訓練所があり。その奥に領主の御殿と思える建物があったのだ。
「何の騒ぎだ!」
砦の主である。拍が、二階の窓から顔を出した。馬車から降りてくる者の姿を見ると、一瞬だが膠着するほどの驚きを感じたが、即座に駆け出して外に出るのだ。
「初代様。拍です。どうされました?」
「まあ、二人に頼みたいことがあったのだ!」
「二人・・・あっ、志乃ですね・・・あっ・・」
「そうだ。会えないのか?」
「チョットしたことがありまして、屋敷には帰っていないのです」
「チッ、もう浮気をしたのか!」
「違いますよ!」
「まあ、興奮するな。出来れば、直ぐにでも三人で話したいのだ。拍の仕事は何時ごろになれば手が空くのだ」
「直ぐにでも屋敷にご案内します」
今すぐにでも手を引いて連れて行こうとしたのだが、祖母は、直人に視線を向けた。
「あっ直人も、いや、執事も連れて行きたいのだ」
「私的な屋敷ですので・・・」
「駄目なのか!」
「・・・・いや・・・いいでしょう」
拍は、ニヤリと、一瞬だけだが笑みを浮かべた。祖母は、直人に視線を向けていたので気が付かなかった。そして、笑みを誤魔化そうとしたのか、いや、ただ、急ぐための普段からの癖のような指示なのか、その判断は本人と部下にしかわからないことだったが、素直に部下たちは、馬車の移動から保管と馬の世話の指示を承諾するのだった。
「それでは、行きましょうか」
「ああっそうしよう」
「そうそう、初代様。新居を建てたのですよ。元の黒髪の国の黒野家の領地と龍神王朝の西の砦を統合して大領地の領主らしい屋敷を作りましたから気に入ると思いますよ」
「ほうほう」
「どうぞ、こちらです」
祖母は首を傾げた。屋敷に案内するはず。それなのに、砦の扉の中に案内するのだからだ。だが、中に入って見ると、正面には可なり豪華で大きな階段があった。一階の兵舎などの作りと二階の作りは天と地ほど違っていた。
「まあ、ここは正門ではないのですが、一般の者や使者などが通る所も作らないと、そう思いましてね。この様な作りになったのです。まあ、自分の公務の時など外に出なくて助かっていますがね」
「そうか、まあ、いいが、後ろ向きながら歩いて転ぶなよ」
そわそわと落ち着かずに、まるで、一般の者が念願の家を建てた時のように自慢したいだけなのか、それとも、内心の気持ちを隠そうとしているのだろうか、そんな内心は、誰も分からない。だが、祖母は、そんな、拍の様子を冷たい視線を向けていたが、二階に上がると、右側が、拍の執務室なのだろうが向かわずに、三人は、左に曲がり長い廊下を進むのだった。
「ほう」
祖母には見慣れているのか、直人だけが、天井から下げる豪華な照明器具を見て驚きの声を上げた。そして、三人は、一分は歩いただろうか、すると、突き当りに扉が見えてきたのだが、拍だけが立ち止まって、不思議そうに首を傾げてから駆け出した。おそらくだが、扉が開いていないからだろう。だが、扉開けようとしたが開かないために、少々不満を表しながら呼び鈴を鳴らした。
「・・・・・」
扉が開くことも、何の返答もなかった。一分、二分と過ぎると、拍は、苛立ちを隠すことができずに扉の前でうろうろと歩き出すのだ。もう一度、押そうとすると・・・。
「どのような御用でしょうか、元(もと)御主人様」
「ななっなぁ、元とは、どういう意味だ!」
「同じ仲間ではなく、同じ家の者でもない。勿論、国も違う敵国という意味らしいです」
「それは、妻が言ったのか!」
「妻・・・もしかして・・・・姫様のことですね」
「そうだ」
「姫様は、泣いておられました。ですが、仕方がないが、元旦那様の言葉に従う。と、ですから扉を国境の境にする。そう決めたの。そうおしゃっておりました」
「えっ・・・・意味が分からない。何か言ったか?」
「はい。確かに!」
「何と言ったのだ!」
「俺は潔白なのだ。そう何度も言っていることが信じられないのか、なら、俺の命令に従えば良い。何も疑うな。黙って俺に従え。それが、出来ない。そう言うのなら離婚だぞ!!」
と、まるで、警察が、裁判の証拠に使うため、犯人が言った言葉を書き留めたかのような言葉の列の証明を纏めた。そんな紙を見せながら読み上げたのだ。
「えっ」
「そんなことを言ったのか!」
祖母は怒り。拍の首を掴んだ。
「確かに、一つの言葉、言葉ごとなら言った記憶はありますが、今の話を続けて言った記憶はありません」
「えっ・・・どういう意味だ」
「確かに、説得と説明を話すのに三時間くらいは話したと思いますが、その時間の合間に、その言葉を使った記憶があります。例えば、そう言うのなら・・・・離婚・・・だぞ!」
「この三つの言葉には繋がりがありません」
「だが、証拠の紙まであるだろうが!」
「ですから、もう一度、自分の目で読んで見てください。言葉、言葉の後に点々があるはず。その中間が抜けているのです。その点々の空白は、妻が言った言葉が入るはずです」
「えっ・・・証拠の紙をみせろ」
拍の言葉に問いかけの視線を向けるが、直ぐに答えは執事が持つ紙だと感じて、冷たく体を刺すような鋭い視線を向けた。
「どうぞ」
「・・・・・えっ・・・この点々と空白はなんだ?」
「わたくしは、執事の業務もあるますので、その合間の合間は書き留めることができません。ですから、耳に入ったことだけを書き留めたのです。ですが、本当に言ったことですし、姫様が涙を流していたのは確かです。そして、先ほど、わたくしが言ったことを何度も言葉にしながら今でも泣いているのです」
「まあ、まあ、夫婦のことだから何て言っていいか分からんが、会わせてもらえないだろうか、今の状態を慰めたい気持ちもあるが、他にも要件があって訪れたのだぞ」
「そうでしたか・・・それでは・・・ですが、この場の全員ですかな?」
「そうだ」
(確かに,あいつは、よく泣いて騒いだ。泣くと人の話を聞かないし、変なことだけ聞こえて、それで、又、泣いて騒いでいたな。もしかすると、拍は、悪くないのかもしれない。だが、この執事には記憶がないが・・・扱いが上手い。まるで、幼子から知ってそうだが・・・)
「それでは、少々のお待ちを・・・・これから、許可の返事を聞いて参りますので、この扉を閉じさせて頂きます」
この執事は、一瞬の間で右側を一瞬だけ向いた。それは、近くに、女主人がいるのだろう。そして、誰の面会も嫌だと、無言で首を横に振ったか、手で合図でも送ったことでの承諾したことを実行するために適当な会話で誤魔化している。それを感じたのは、祖母だけだった。直ぐに行動した。扉を閉められては、二度と開かない。それを一瞬で判断して閉じる扉に右足を入れて邪魔をするのだった。
「何をなさるのです」
「わしを知らんのか、と言うよりも、おーい、志乃よ。わしらの話を聞こえているはず。今ならまだ許す。だから、直ぐに出てくるか、この男に、今直ぐに部屋に入れるように指示を言え!」
「扉が壊れてしまいますから落ち着いてください。それで、少々お待ち下さい。その間は扉を開けたままに致します。ですから、安心してお待ちください。直ぐに、直ぐに、返事を頂いて戻って参ります」
祖母は、扉からは足を退けなかったが、両手で扉を開けようとしていた。そんな、無謀な行動だけは止めた。それでも、不安なのだろう。顔だけでも入れようとしていたが・・。
「大人しくお待ちください。必ず戻って参ります」
慇懃無礼に答えるのだった。
「あっああ」
祖母は、執事の態度から自分の行動に気が付いて恥ずかしかったのだろう。まるで、少女のように顔を赤らめた。その頬の熱が冷めるまで待つこともなく、靴音が聞こえてきた。
「姫様がお会いしたいとのこと、ご案内致します。貴女様の指示の通りにしたのですからお怒りを鎮めて下さい。宜しくお願い致します」
「分かった。分かった。だから、早く中に入れろ!」
執事は、扉を開けたが仁王立ちで立ちはだかった。特に、祖母に願い事を頼み、その返事しだいでは、主の指示でも逆らう覚悟のようだった。
「そんな真剣になるな。夫婦の喧嘩などに関わる気持ちはないぞ」
「そうでしたか、失礼しました。どうぞ、中へ」
「それで、どの部屋なのだ?」
廊下には、数室のような部屋があり。祖母には分からなかった。
「それでは、私がご案内を致します」
執事は、四人を案内するために先頭で歩き出した。広い廊下を何度か曲がると、広間に出た。その中心の寝台のような豪華な椅子に座って本を読みながら紅茶を飲んでいた。まるで、他人事のような状態であった。
「初代様。久しぶりです。子供の頃に会った姿のままで本当にお若いですね。今度、わたくしにも若返りの美容器具を使わせて下さいよ」
「先ほどのわしの声が聞こえなかったのか?」
「何でしょう。先ほど執事から要件がある。そう聞いたわ。でも、初代様の声ですか・・・・何でしょう」
「まあ、それは、良い。それよりも、離婚を考えているのか?」
この場の者は、志乃との全ての交渉などは、祖母に全てを任せる。その気持ちなのだろう。無言で二人の様子を見ていた。
「うっううう、初代様。あの人が浮気をしたのです。公衆の面前で女性と話をしていたのです。それだけでなく、その女性を馬車にも乗せたのですよ。うっうう、わあああ!」
祖母は、鋭い視線を拍に向けた。直ぐに志乃に視線を戻して頭を撫でるのだった。
「それは、許せんのだろう。分かるぞ。わしが間に入って必ず離婚を承諾してやろう。だから、安心しろ。だからなぁ、もう泣き止むのだ」
「離婚なんて嫌ですわ。あの様な方でも好きなのです」
「そうか、そうか、寛大な気持ちで許すのだな。子供の時は気付かなかったが良い女になったのだな。うんうん」
「それは、無理です。庶民の奥方ならば、それでも構いませんが、わたしは、領地を持つ姫なのです。公的には謝罪を瓦版の者を呼んで書かせなければなりませんし、私的には心底からの謝罪を要求します。気持ち的に許しているのですが、これが、身分のある者の公私としてのけじめなのです」
「何か、普段の言葉でなく丁寧なのだが・・・執事にでも何か言われたのか?」
「えっ・・・えっ・・そんなことはありませんわ。わたしが考えた事ですわよ」
「そうか、それで、何をやらせたいのだ?」
(嘘だな。執事に言われたのか、さて、何を言われたのだろうか)
「それは、わたしの目の前で土下座をしてもらい、股の下をくぐってもらいます」
「おい、その姿を瓦版の者に見せるのか!!」
「はい。何か変ですか?」
「おい、それは、変という以前に、これでも、こいつは男なのだぞ。男のすることではない。それに、民を導く指導者なのだぞ。そのような身分の者が民の目の前で土下座だけでなく女性の股の下をくぐらせるなど、考えられんぞ!」
廊下と広間の入口で、拍は、二人の女性の話を聞きながら何度も頷いていた。
「えっ・・と、えっ・・と、あっ、でも、わたしも女性として辱められたし、領主としての身分も地に落ちました。だから、許せないのです。その名誉を回復するために必要なことなのですわ。そうでしょう。そうでしょう。うっうう」
志乃は、自分の執事に視線を向けては、悩み、悩み続けて、執事が頷くと、その姿で安堵したのだろう。すると、脳内の記憶する感覚器官が活性でもしたかのように、すらすらと言葉にしては話すのだ。そして、言葉に詰まると、本当に泣いているのか、その判断は分からないが、祖母に抱きつくのだった。
「わたし、わたし、初代様。うっうう」
祖母も女性なのだろう。
「そうだな。浮気は悪いな。うんうん。この場ならいいだろう。今直ぐに、拍に、土下座をしてもらおう。それなら、許せるだろう。それなら、いいだろう」
祖母は、志乃に問いかけているというよりも、自分で頷き、自分で判断して結果をだした。そして、ゆっくりと、拍に視線を向けるのだ。そんな、視線を向けられても承諾ができるはずもなく横に何度も首を振った。だが、何度目かの視線のやり取りの結果で、ついに、我慢の限界が来たのだろう。承諾しなければ殺すぞ。その視線には耐えられるはずもなく、上下に、大きく頷くのだった。
「志乃。もう泣き止め。拍が、今直ぐに土下座をするぞ」
「本当ですのねぇ!!」
志乃は、破顔した。
「うんうん。そうだ。そうだぞ」
祖母は、志乃の笑顔に喜ぶが、同性だから気が付かいのか、いや、夫だけが、夫婦となったことで親密な関係になったからだろう。何かを、夫だけが邪な笑みを感じ取ったのだ。
「・・・・」
「拍。早く、こちらに来い!」
「本当にするのですか、わたくしは、浮気など・・・」
「言い訳などせずに、さっさと、土下座をしろ!」
拍は、嫌々と歩き出し、納得できない。と表情を表しながら志乃と祖母の所に行くのだ。それと、同時に、志乃の執事も悟られないように歩き出した。そして、音を立てずに隣室の扉を少しだけ開けた。まるで、隣室に人でもいるのか、人が顔だけ出して覗けるには十分の開け方だった。
「何に怒りを感じているのか知らんが、自分が悪いのだろう。志乃よ。済まない。この姿で気分を直してくれないか」
「きゃああ!」
「うぉおおおお、本当に土下座をしたぞ。これで、瓦版の一面は決まった!!!」
隣室から数人が歓喜の表情を表して現れた。おそらく、町の瓦版の者だろう。
「え」
祖母、拍、執事の直人が驚くのだった。
「これは、当然のことなのです。領地の広さからも身分の位も格でも、姫様が、拍殿の下になるなど許されないことなのです」
「・・・・」
三人は、驚くだけで、何も言葉にすることは出来なかった。
「お前らは、さっさと戻って瓦版の記事を書いて、領地の全ての者たちに瓦版をばら撒け!」
数人の男立ちは広場から駆け出して出て行くのだった。
「拍。まさか、お前は浮気をしていないのか?」
「浮気などしていません」
「いや、わたしの執事が見たと聞きましたわ。嬉しそうに女性に声を掛けて、一緒に馬車に乗ったのを確かに見たと、そう聞きました。間違いなく浮気ですわ」
「ああっ姉弟のことか、あれについては潔白だ」
「でも、欲情丸出しの馬鹿な姿をしていたと、そう聞きましたわ」
「欲望丸出しの馬鹿な姿だと、何と下劣なことを俺は潔白だ。それよりも、まあ、俺の話を聞け!興奮するのは当然なのだぞ。それはな、絹の新しい商売の方法を考え出したからだ!」
「密室の馬車では、今の話が本当か分からないわ。それに・・・」
拍は、志乃の話を最後まで聞かずに・・・・。
「待て、待て、それなら、その姉弟を探し出して、潔白だと証明してもらうしかない!」
拍は、無実だと叫んだ。
「そこまで言うのでしたら、わたしの目の前で証明して下さい」
「分かった。それでは、今直ぐに、部下に命令を出して探し出す。でわ。失礼する」
拍は、自分の感情を思い切り叫ぶと、直ぐに、広間から飛び出して廊下を走り続け、自分の執務室に戻った。
第十章
執務室は、いや、砦の中は人々の様々な思いからくる混乱状態を起こしていた。その原因とは、瓦版の者たちが土下座のことを伝え回ったからだ。その中でも、士官、隊長などの階級の者たちは執務室で待っていたのだ。
「隊長は、嫁を貰ったのでなく婿になったのですか?」
「何を言っているのだ?」
「我々の階級は保障されるのですか。仮にも保障されても、奥方側の部隊の下に置かれては、我らの出世の道は断たれるのですか?」
「その困る様子では、まさか、最悪の結果を考えたくはないのですが、我々は解散されて奥方側の部隊だけが残る。そう言うことになるのですか?」
「何を言っているのだ?」
「これです。この瓦版ですよ」
十枚くらいの違う瓦版の屋の物を手渡すのだった。
「なっなっなな!」
拍が驚くのは当然だった。まだ、五分も過ぎていないのに、瓦版が砦の全ての者が手にしているのだ。そして、窓の外から聞こえる。人々の歓声や狂気の怒声のような歓声や騒ぎは、すでに、瓦版が砦中に、いや、それだけで済むはずがなく、志乃の領地の全てにもばら撒かれている証拠だろう。
「拍様。我々の待遇は保障してくれるのですよね」
「まさか、解雇ですか、そうなれば、俺は、離婚されますよ」
「それとも、傭兵に格下げですか。拍様。俺たちを助けて下さいよ!」
人が多すぎて、誰が何と言っているのか分かるはずもなかった。だが、さすがの、拍も怒りをぶちまけた。まあ、部下に八つ当たりもあっただろうが、それは、仕方がなかった。
「そんなことを言う前に、姉弟を探し出せ。それが、無実の証拠になるのだ。その二人を探し出せば全てが解決する」
「はい」
流石と思う程の軍の組織だった。我を忘れるほどの混乱をしていたが、上官の命令を聞くと、正常の思考に戻った。そして、どのような人物か詳しく問うのだった。
「もう一度だけ言うぞ。二人とも癖毛のない真っ直ぐな黒髪をしていた。黒髪の国の血族の者か、初代様の枝分かれの子孫なのかもしれない。そして、一番の特徴は、遠い異国の騎馬民族の系列で、交易を生業にしている種族だろう。それも、一族が総出で行動するはずの本格的な交易人のはずだ。それも、女性や子供でも馬に乗るのに適した服装だった。だから、特に女性の衣装で大きな切込みがある。太腿がむき出しの女性を至急に探せ!」
「承知しました」
拍は、部下の返事に普段より頼もしく感じた。当然かもしれない。自分たちの将来がかかっているからだ。その覚悟は、軍の組織の階級が下がるほど任務に熱の込められ方が違っていた。それは、当然だろう。上官などは降格か賃金が変わるぐらいだからだ。おそらく、末端の兵士は解雇されたら死活問題だと奮起していた。
「キャア!」
「何をするの!」
「もう~何があったと言うの?」
砦と領内は兵士たちの反乱、いや、欲望にまみれた視線で判断するならば、今世紀最大の怪盗の宝が隠された地図でも発見されて血眼になって探しているようだ。民家、商店など全ての家に押しかける者、通行人にも尋問する者もいた。そんな者たちに、女性、子供、老人、成人男女でも何も抵抗ができずに悲鳴を上げて逃げ惑うしかできなかった。特に女性たちは、乱暴などはされなかったが、下半身を邪な嫌らしい視線を向けられて恥ずかしさを感じていたのだ。それでも、今までの砦の兵士たちは、人情味が熱く、兄貴のような頼れる兵士たちの変わりように驚きを感じていた。そんな状態の中で、一人の少年の男の子が何かを知らせにでも行くかのように何度も転びながら走り続けるのだ。そして、何度目かの転んだ時に数人の者たちが振り向いた。その時、一人の女性と目が合った。
「おねえちゃん。逃げて!」
その言葉に従ったのではないだろう。この場の者は、特に女性は、様々な方向に逃げ出した理由は、子供の後ろの方から正気とは思えない兵士たちが近づいてきたからだ。それでも・・・。
「・・・・・」
数人の女性は、少年を助けようと、一瞬だが考えたのだろう。だが、怪我をしたかもしれないが、少年を無視するしかなかったのだ。その後方から近寄ってくる男たちから自分の身の安全が大事だと感じて、少年の言葉の通りに逃げたのだ。だが、数人の兵士が通り過ぎると、裕子と卓だけが少年に駈け寄った。
「大丈夫か?」
卓は、屈んで手を差し出した。すると、少年は、少々怒りを感じているのか・・・。
「大丈夫です」
拍の手を払った。その様子を見て、裕子は、恐怖を感じて錯乱でもしていると感じたのだろう。戦う意識がないことを証明するかのように両腕を後ろに組んで屈むのだった。
「膝から血が出ているわ。男の子ね。偉いわ。でも、本当は痛いでしょう」
「こんな怪我なんて、何でもないよ。大丈夫だよ」
裕子の優しい声色を聞いて、二人の姉が何度も言っている同じ言葉だったために裕子と姉が重なって見えた。まるで、姉が言っていると錯覚して、姉の口癖が思い出されたのだ。「後継ぎの男なのだから確りしなくてはならない」その言葉で感情が高まって痛みが消えたのだ。
「偉いわ。本当の男の子ね。そうそう、それなら、ご褒美をあげないとね。まずは、私の手を貸さなくても一人で立てるかしら・・・歩けるかしら?」
「勿論だよ。一人で立って歩けるよ」
「それでは、私に付いて来て!」
裕子は、少年が立ち上がると同時に辺りを見回した。まだまだ、危険から脱したのではない。だから、危険から逃げようとして蔵に視線を向けた。すると、卓と少年の手を掴みながら走り出した。勿論だが蔵に向かったのだ。そんな、三人の様子を家と家との隙間から見る者がいた。その者とは・・・・。
(わたしを逃がすために戻ってきたのでしょう。それなのに、もう~あんたが居なくなって、どうするのよ)
少年の姉だった。そして、三人に悟られないように後を付いて行くのだった。
「この騒ぎが収まるまで蔵の中に居ましょうね」
「む~まあ、はい」
少年は不満そうだった。その様子が、裕子には家族と離れた寂しさだと感じたのだ。
「安心しなさい。家族のことなら騒ぎが収まったら探してあげるわ。あっ、そうそう、ご褒美をあげる約束だったわね。それでは、目を瞑って待っていてね」
少年は、素直に従った。
「・・・・」
裕子は、右の懐に腕を入れて何かの包みを出して、ある物を二個掴んで少年の手のひらに握らせたのだ。すると、驚くのは当然で、目を見開いて手のひらを開いたのだ。
「何だ。飴じゃないか」
「あっ、俺の貴重なミント飴じゃないか!」
「御主人様。そのようなことを言わないのです。褒美なのですから、それなりの物を与えるのが当然だと思います。それに、また、作ってあげますからね」
卓の誕生日とか、何かの祝いなどの時に作るのだった。それで、たしかに、ただの飴だが、作る時も数が少なく貴重と言えば貴重だった。
「そんなに貴重な飴ならもらえないよ」
手の平の上にある。二個の飴を見つめて言うのだった。
「何も気にする必要はないよ。誇っていいことなのだから素直に褒美を貰って食べな」
「うん。お兄ちゃん。ありがとう。お姉ちゃん。ありがとう」
拍は、貴重な飴が食べられなくなった残念な気持ちよりも、一人っ子だったことで兄弟が居たらと、特に弟が欲しい。そう思い続けていたのだが、その夢が叶った気持ちで嬉しくなった。
「飴を食べ終わる頃には騒ぎも収まっているでしょう。その時にでも、家族を探してあげるわ。それにしても変わった服ね。この砦の人なの?」
裕子は、少年を安心させるために満面の笑みを浮かべながら問いかけるのだ。
「この砦には住んでないよ。でね、一年中を好きな村や町に行くのが仕事でね。商人と言うらしいよ」
「商人なのね。大変ね。男の子だから重い荷物とかも持って手伝うのね」
少年は、裕子の笑みの効果なのか、いや、飴の両方で心身ともに口も滑らかになったのだろう。誘導尋問されているとは気付かずにすんなりと情報を話していた。
「重い物もあったけど、売る目的の商品ってないよ。そうだね・・・村などに行った時に頼まれごとを持って行ったりしているけど、姉ちゃん達は・・・・何かを探しているみたいだね」
「お姉さんがいるのね。そうだとしたら、お姉さんと、二人だけで砦に来たのね」
「そうだよ」
「お姉さんって・・・ん・・・どうしたの?」
少年は、本当に嬉しそうに話をしていたのだが、突然に顔を青ざめて怯えるように体を震えだした。まかさ、誘導尋問に気付いたのか、と、裕子は、落ち着かせようとして、少年の頭を撫でた。
「お姉ちゃんが・・・・お姉ちゃんが・・早く知らせないと・・怖そうな大勢の人がお姉ちゃんを探していた。それを知らせないと、それに、僕を心配して探しているかも・・・何も知らないで、僕を探していたら・・・・怖そうな人たちに捕まってしまうよ!」
「落ち着いてね。大丈夫、大丈夫よ。何とかしてあげる。そうそう、待ち合わせ場所とかあったのでしょう」
「それが、それが、うわぁあぁああ!」
少年は、泣き出してしまった。人と言う特性か、いや、未成熟な獣などの野生の本能から発生する危機回避の人体の能力の一つだろう。その泣き声が周囲の一キロの範囲に響くのだった。
「俺も手伝うよ。だから、泣き止んでくれ!」
「そうよ。隠れている意味がなくなってしまうわ」
裕子と卓が、何もできずにうろたえていた。その様子をハラハラしながら見る者がいた。
(嘘ではなく本物の泣き方だわ。これでは、一時間は泣き止まないわ。どうしよう。どうしよう。あの二人に姿を現せないと駄目なの。でも、そうしないと、あの凶暴な男たちに見付かってしまうわ。どうしよう)
「もう~駄目だわ!」
我慢の限界を超えた。すると、叫び声を上げたと同時に走り出していた。
「お姉ちゃんよ。タッちゃん、大丈夫!」
「えっ!」
「止まりなさい!」
卓は、驚きのあまりに立ち尽くしたが、裕子は、卓と少年を庇うように立った。女性から殺気を感じたからだ。
「早く逃げなさい。お姉ちゃんの言うことが聞こえないの!」
女性は、裕子の一歩手前で立ち止まった。それも、攻撃にも防御にも対応できる構えであり。今直ぐにでも戦いが始まる予感を感じたが、卓には、ありえないことだが、一瞬だけだが、ある女性の顔を思い出して、目の前の女性と重なると、叫んでいた。
「裕子、待て。戦いの構えを解くのだ」
「ですが!」
「確かに、この女性は、この少年の関係者だ。それを、思い出した。だから、構えを解け!」
「えっ・・・お前は、誰だ!」
「お姉ちゃん。無事だったのだね」
少年にとって、この女性の殺気は安堵を感じるもので泣き叫ぶのを止めた。
「泣き止んだわね。早く、お姉ちゃんの後ろに来なさい」
「待ってよ。この人たちは良い人だよ」
今度は、少年が、裕子と卓を守るように、姉の前に立つのだった。そして、裕子は、卓が普段と違う様子を感じ取って、一つの思考から答えが出た。
「まさか、御主人様。この女性が!」
「そうだ。別人としか思えないが、運命の相手だ!」
「まさか、お前は、赤い感覚器官の持ち主なのか?」
「そうです。ですから、落ち着いて下さい」
「それが、本当ならば定められた以外の殺生はできない。それに、わしが、その相手ならば生涯を守り通す。そう言うことになるな!」
「そうです。だから、何の危険もありません。落ち着いて下さい」
「ああっ分かった」
(それにしても、本当に、赤い感覚器官を持つ者がいたのだな。夢物語だと思っていたぞ)
女性は、ぶつぶつと呟き、昔を思い出している感じだった。だが・・・
「えっ、何と言いました。聞き取れませんでした。何と言ったのです?」
「わははは。そうか、そうか、何でもない。なんでもないぞ。それなら、戦う構えを解こう。それと、礼も言わなければならないな。弟を助けてくれて、感謝するぞ」
女性は、何かを隠すかのような感じで馬鹿笑いをするのだった。
「なにしているの。笑っている時ではないよ。早く蔵に隠れよう。お姉ちゃんを怖そうな大人たちが探しているのだよ」
「そうだな。お姉ちゃんが悪かった。そうしよう」
(こいつら、妹の知り合いか・・・わしを双子とは知らないらしい。それに、お頭が弱いのか、マジで赤い糸の夢物語を信じているのか、では、やはり、妹の知り合いか・・わしを妹と勘違いしているらしい。だが、何か楽しそうな感じがする。わしの正体がばれるまで楽しむことにするか、まあ、それに、坊ちゃん風だが、良い男だしな。もろ好みだ)
「もう早くしてよ。もう、お姉ちゃん中に入ろう」
少年は、姉の手を引いて蔵の中に入った。卓も続いて入ったが、裕子だけは、周囲を見回して安全を確認した後に、三人の後に続くのだった。
「それにしても、ねえ、タッちゃん。男たちが、女性を探しているのは感じたのだが、なぜ、わしだと思ったのだ?」
「お姉ちゃんの着ている衣服だよ。太腿がむき出しにしている女を探せって言っていたよ。そのような服を着るのって、僕たちの種族の女性しかいないからね」
「まあ、馬にまたがって乗る女性は、わしら一族の女性だけだな。だが、確かに、この服は目立つ。何とかしなければならんか!」
「気に入るか分かりませんが、わたしの服をお貸し致しましょう」
「良いのか?」
「構わないのですが、馬車まで戻らなければならないのです」
「遠いのか?」
「はい。二区画くらい先です」
「その距離では、誰にも見付からずには無理だ。う~まあ・・・見せる下着だから腰から下の衣服を脱いでもよいが・・・・」
「ああっ・・・この服を腰に巻いて下さい」
卓は、女性が下の衣服を脱ごうと迷っていたので、自分の上着を脱いで手渡すのだった。
「良いのか?」
「構いませんよ」
「すまない。喜んで借りるぞ」
「おっ・・・・かえてって目立つね」
少年から見ても違和感があるようだ。
「私の肌なら砦の人たちも普段から見慣れているから大丈夫でしょう。それに、寒さを感じませんしね。だから、安心してくださいね」
裕子は、上下に繋がっている衣服を腰だけを残して引き裂いた。その上着の部分を女性に手渡した。その代わりに、卓の上着を手に取り肩から羽織るのだった。確かに、男性の上着を腰に巻くよりは違和感はなかった。これで、馬車まで行く気持ちにはなったが、危険を避けるために、もう少し騒ぎが落ち着いてから行くことにしたのだ。無言で辺りの様子を聞き耳を立てるが、それでも、四人の内心の関心は、向かいに座っている相手のことだった。だが、自分たちの思いを口にしたら、この場の助け合う均等は崩れるだけでなく、戦いになる危険を考えて無言を通すのだった。
「そろそろ、大丈夫だと思うわ」
「そうだな」
裕子が周囲の状況から判断した。それを女性も納得して頷くのだ。卓と少年は、女性たちに絶対の信頼を預け、その顔色を見て頷くだけだった。
「腕を組んでも宜しいでしょうか?」
「勿論だ。構わんぞ。もし言われなければ提案する気持ちだった。男たちのように些細な喧嘩をしたが、熱い友情が芽生えた。それを装うのだろう。そうでなければ、二人の女性の衣服が破れて歩くなど、それ以外に考えられないだろう。それと、わしは、夏美だ。宜しく」
冬実は、夏美だと思われていたので、妹の名前を使った。
「そうですね。他の選択肢もありますが、わたしは、怯えて泣くなど嘘でもできません」
「それは、わしもだ」
などど、笑いながら道を歩いていることもあるが、砦でも有名な裕子が一緒なら誰も不審を感じる者はいなかった。だが・・・・・。
「裕子殿。初代様がお待ちです。至急とのことですので、私どもと一緒に・・・」
四人が馬車に近寄ると、辺りで隠れていたのか、偶然なのか、三人の黒野家の軍服を着た者たちが現れた。
「えっ!」
裕子は驚いた。それよりも、姉弟は、この場から逃げようと辺りを見回した。
「至急とのことですので、私どもと一緒に・・・・」
「分かりました。それでは、御主人様。私は、直ぐに御要件を済まして戻って参りますので、御友人とゆっくりと時間を過ごして下さい」
「いや、卓様も、ご一緒にお願いします。それに、その女性と少年も御友人でしたのなら、初代様に紹介した方が喜ばれるかと思われます」
「チッ」
裕子は、舌打ちを漏らすのは当然だった。先ほどから必死に、自分だけで行きたいと伝えているのに、卓だけでなく、姉弟も同行することになったからだ。
「あっ・・至急とは言いましたが、着替えの時間は十分にあります。ごゆっくりと・・・」
裕子だけでなく、誰が見聞きしても首を絞殺したくなるほど慇懃無礼だった。だが、四人は、その感情を我慢して馬車の中に入った。
「ごめんなさいね。何とか理由を考えて、二人で行くわ。だから・・・」
「いえ。初代様とは、黒髪の国の初代様のことなのか?」
「そうです」
「それなら、共に行きたい。それに、正直に言うと、砦の兵の様な殺気もなく、黒野家の兵なら正気のようだし安全かもしれない」
「構いませんよ」
二人の女性は、話をしながら着替えを始めるので・・・。
「外で待っているよ」
卓は、恥ずかしいのだろう。顔を真っ赤にして言うのだ。
「外に出るのか・・・どうしたのだ。好きな女性の裸体は見たくないのか、わしなら見られても構わんぞ。まあ、裕子殿が恥ずかしいなら仕方がないが・・・」
「御主人様。そうでしたか、男性の性のことまでは脳内に情報がありませんでした。わたしも構いません。じっくりと見て下さい。本当に気が付かなくてすみませんでした」
「なっなっなな!」
「まあ、男なのだから当然だ。恥ずかしいなどと誤魔化せずに、見ろ、見ろ。どこが見たいのだ。ほれほれ!」
男性だとしても喜んでいい状況なのか、少し悩むが、姉の方は、途中まで着ていた服をひらひらと、裸体を見せたり、隠したりとしていただけでなく、見たいと思われる場所まで見せようとするのだ。そして、その行為が正常だと判断した。裕子は、同じようにして卓に見せるのだった。その脇で、裸体を見ることが、何が楽しいのかと、弟は、不思議そうに笑って、三人の様子を楽しんでいたのだ。
「ああっ、その歳では見ても楽しくないか、ほれ!」
冬実は、卓の手を掴むと、自分の胸に手を押し付けた。
「ぎゃああ!」
卓は、想像も感覚も理解ができない未知の感触を味わい悲鳴を上げてしまった。まあ、この様な強制的な異性との接触には、この後に精神的外傷になる可能性が高いはずだ。
「失礼な奴だな。それより、なぜ、わしを探しているのかが、それが、少し気がかりだが・・」
卓には、冗談だと笑って誤魔化すが、直ぐに、裕子に真剣な表情を向けた。
「亜希子様。いや、初代様なら必ず助けてくれるはず。もしかすると、理由も会えば分かるかもしれません」
「それしかないか・・・・だが、何かの理由を知っても協力をするとは思わないでくれよ。それに、逃げたくなったら逃げるぞ!」
「勿論です。でも、伝説の初代様に会える。そんな、機会は、これで、最後ですよ」
裕子は、少し言葉の語尾を強くしたのは、祖母の命が限りある。それも、数えるくらいの年月だと分かっているため会わせたかったのだ。
「そうだな。一生に一度のあるかないかの機会かもしれない。会ってからでも遅くないな!」
「それに、一番安全かもしれませんよ。外の三人って相当な達人に思えますし」
「ほうほう、感じていたのか、だが、我々よりは格下だぞ。だが、驚くのは、裕子殿の腕などを触った感覚では相当な鍛え方だ。それに、女性とは思えないほどの骨の骨格もしている。そうとう鍛えたのだろう。わしより強い。わしに鍛え方を教えてもらいたいものだ」
「まあ、何かの機会でもあれば理由を教えましょう」
裕子は、その理由を教える機会も、もし言ったとしても、機械人形だと伝えたとしても理解もできないはず。それを分かっていたのだ。
「さて、行くか」
姉は、弟の手を握って馬車の外に出た。そして、裕子も・・・。
「御主人様。亜希子様の所に行きましょう」
「・・・はい」
卓は、何かに悩んでいるかのように頷くと、馬車の外に出た。
第十一章
三人の黒野家の軍服を着た者たちは、四人が馬車から出て来ると、それぞれに、挨拶をするが、特に、卓の様子が変だと感じた。その理由が、馬車と荷物が心配だと判断したのだ。その気持ちを解そうとして、主人と祖母の面会の要件が終わる前には、砦まで馬車を持ってくると約束をした。だが、卓の不安が消えないが、男は何も気にせずに一人で歩き出した。残りの二人は出発の合図だと感じたのだろう。四人に、男の後を付いて行くように伝えた。そして、二人の男は、四人の後から警護も兼ねているが、逃げないための用心だと思えた。だが、確かに、まだ、周囲では、大勢の男たちの女性の捜索は続いていたのだ。時々、男たちが、上官に、姉弟に、指さして問いかける姿が何度かあった。上官も探している女性かと不審を感じるが、それよりも、黒野家の軍服を着た者たちとの関わりを避けたかったのだろう。部下には他の場所を探せと叱咤するのだった。そんな様子を見ながら、裕子と姉弟は安堵していた。だが、卓だけがブツブツと独り言を呟いていた。
(変だ。赤い感覚器官が違う方向を示している。目の前の女性ではない。そう伝えている感じがする。でも、この女性のはずなのだが、なあ・・・・・)
卓は知るはずも、赤い感覚器官が伝えようとしていることが分かるはずもなかった。この女性は双子の姉妹の姉だった。なら、この姉も左手の小指に赤い感覚器官があるはず。その感覚器官で運命の相手か分かるはず。それなら、卓を暇つぶしの玩具とでも思っている。そう思われるだろうが違っていたのだ。確かに、あるにはあるのだが、色が白くて枯れた草木のように垂れていた。それは、まるで、血が通わない血管のようだったのだ。この状態は、祖母の一族が生きている頃が多くて、子供が作れない者や死期が近い者だった。だが、祖母の頃は種としての限界だったが、姉の場合は、ある都市で生まれ育った環境が原因だった。完全密閉の永久的に稼働するはずのエネルギー炉が原因であり。もし突然な人災での稼働休止や自然災害の事故などでも、自動で周囲の時間を止めて時間軸に隔離のはずだった・・・現代の文明で例えるのなら原子力の炉が故障して汚染物質が漏れたために障害のある体になってしまった。それと同じことだった。だが、妹の方は、父の教育方針で殆ど村にも都市にも帰ることもなく行商を続けたことで体が汚染されず健康に育つのだった。それでも、父や母が亡くなった(正確に言うなら夫婦で、近所の様子を見るだけの旅だと、何も心配するな。そう言って旅に出てから帰らなかった)その後のことだった。確実に両親が死んだとされて以来は、親の愛情を求める気持ちから泣き続ける。それを宥めようとして、村人は、両親の仕事などを簡単な夢物語として話してくれたことや親の仕事の正式な引き継ぎからも分かる。そして、大人になって仕事をしていると、本当の行商の目的も分かるのだ。この村に代々と伝わる。母船の都市の修復と都市の中いる人々の救出するための情報と部品の調達だったのだ。それも、現在でも製造ができない超古代文明とでも言うべき遺産の探索でもあった。それなら、なぜ病気なのに姉は弟と一緒なのかと言うと、妹が、都市を救う手がかりを見つけた。と、村に簡単な要件だけの手紙が届いた。その文面の後に、まるで、全てを弟に伝えた。とでも言うかのように、この砦の宿に弟を残した。と、また、一人で行ってしまったのだ。
「何か、お前を探している感じがするぞ。まさか、犯罪でもしたのではないだろうな!」
後方の二人の男が、姉に問うのだった。
「失礼だぞ。わしが犯罪をする者に見えるのか!」
「お姉ちゃん」
弟が、人差し指を唇に付けながら小声で言うのだった。
「ごめん。目立ってはならなかったな。つい、なあ」
「もう良いよ。それより、このままなら夜になるかも・・・ねえ、お姉ちゃん。宿屋で待って居なくても、次姉(つぎねえ)ちゃんに会えるかな?」
「大丈夫だぞ。この砦には居ない。それに、この騒ぎでは砦に入れないだろう。まあ、わしが居ると考えて他の場所にでも向かったのだろう。だから、安心するといいぞ」
「次姉ちゃんに会いたいな」
「わしと一緒だと、嫌だと言うのか?」
「違うよ。でも、そう言って直ぐに怒る・・・うっうう」
「姉弟の喧嘩ですか?・・・・もう駄目ね。タッちゃん。手を繋いであげるわ。おいで!」
「うん」
姉に恐る恐ると視線を向けた。すると、不機嫌そうな表情を浮かべるが、それでも、頷く姿を見て、弟は喜んで、裕子の手を握るのだった。だが、姉は、何かを考えている。そんな感じで虚空を見るのだった。
「・・・・」
「幼い子って、怖がりだから常に手を繋いであげないと、駄目なのよ」
「・・・・」
「もういいわ」
姉は、裕子の話を聞いているのか、ただ、頷くだけだった。だが、そんな、裕子の言葉を聞いて弟は意味が分かっているのか、その判断はできないが嬉しそうに何度も頷くのだった。その姿を見て、卓が何か言いたそうに裕子に視線を向けるのだった。四人の不仲を感じて案内する先頭の男が、この先、何か支障がでると感じたのか、一つの咳払いをしたことで、この場の一時的の秩序を保った。などとしている間に、前方には大きな門が現れた。
「ほう」
卓は、この近辺には来たことがなく、先ほどの裕子の言葉など忘れて門の凄さに驚くのだった。その時、先頭歩く男が立ち止まった。立ち番の二人に視線を向ける。その中の一人の男が向かって来るまでの時間を潰すだけだったのか、それとも、立ち番の者に問いただす気持ちだったのか、もしかすると、人の視線に気付いたのか、砦の旧市街地にある。砦の主の執務室がある方角を見るのだ。
「砦が心配ですか、何か理由は知りませんが女性を探しているらしいですよ」
「そうか、まあ、好きにさせていろ。それより、主様は?」
「客人と何かの相談をしております」
「そうか、まだ、終わっていないのだな?」
「はい」
「それは、良かった。門を開けてくれないか、それと、客人を連れてきたとの報告も頼む」
「承知しました」
もう一人の立ち番に視線を向けると、その男は頷くと、門を叩くのだ。すると、少しの間の後に、錠が解かれる音が聞こえると、門が開かれた。そして、一行は門をくぐった。
「他の方たちは?」
初めに会った。立ち番の男が、他にも部下がいるはずだと、その者たちが戻ってきた時の対応を問いかけたのだ。
「客人たちの馬車を持ってくるはずだ。その馬車の世話を頼む」
「承知しました」
門から館まで歩いて五分はかかるくらいの庭があり。客人と言われた。その四人は、いや、姉だけは除いた。三人はと言うべきだろう。心を奪われたかのように見るのだ。もう少し言い直すのならば、裕子は、おそらく、何か事が起きた場合の対処方法を試案している感じで見ている様だった。そして、やっと、館の玄関に着いた。
「自分たちは、ここまでが仕事です。後は、館に入り、執事が案内します」
先頭の男が立ち止まると、直ぐに大きなため息を吐いた後に、伝える言葉が決まっていたのだろう。それが感じられるように何も感情が込められていない。だが、門の所に帰る途中で大きなため息を吐いた様子は、子供の子守に疲れた。その様な感情が背中越しから感じられた。
「本当に失礼な奴だ」
「どうしました。館の中に入りますよ」
男の感情を四人の中で姉だけが感じたことだった。そんな、男の背中越しを見ていたことで、他の三人は扉を開けて中に入っていたのだ。だが、裕子が扉を閉めようとしたのだが、一人の姉だけ入らないので問いかけたのだ。
「あっ、すまない」
四人は、館の中に入り。当然のことだが、姉が最後だったことで扉を閉めた。勿論とは変だが、庭の豪華さから考えたら当然のことなのだが玄関の広間を見ても圧倒して立ち止まってしまった程に豪華過ぎた。
「そろそろ、ご案内しても宜しいでしょうか?」
何人も執事がいるのか、それとも、玄関だけの案内人なのか、ただ、執事の普段の経験からなのかもしれないが、客人の興奮度の冷めるのが、想定からは遅かったために言葉を掛けたようだった。
「あっ」
「それでは、ご案内します。こちらです」
執事は、自分に気が付いたことで、やっと、自分の仕事を始めたのだが、先ほどの客人の気持ちを考えていたのなら廊下の飾りや絵などの解説などするのかと思えた。玄関の広場は、男性的で拍の好みかと思えたが、廊下などの内装は、女性的で妻である志乃の好みに合わせた内装だと思えた。だから、拍が本心から志乃を愛していると感じられたのだ。などの理由で、説明したら褒めなければならない。確かに、拍は主人だが生理的に嫌いな人物なのだろう。それに、執事は、庭は別にしても館の中は、女性的な内装だから説明が難しいこともあるが、館の主の話題の一つと思えたので何も言わなかったのだろう。
「こちらです」
四人に伝えた後に、執事は、扉を叩いた。部屋の主が待ち構えていたかのように直ぐに扉は開けられた。だが、その部屋は、四人には分からないことだが、拍が土下座した部屋だったのだ。室内を見る余裕もなく・・・・・。
「待っていたぞ!」
「うっわ!」
祖母が、卓と裕子に駈け寄った。
「亜希子!」
「亜希子様。御用があったのではないのですか?」
「ああっそうだぞ。その理由のため、卓の署名と裕子の知識が必要だったのだ」
「署名ですか・・・・まあ、亜希子が必要だと言うなら構いませんよ」
「御主人様。署名など簡単にするのではないのです。だから、署名を書くのはお待ち下さい。まず。亜希子様。その理由を教えて頂けませんか」
「構わんぞ。と言うよりも、お前の記憶媒体で最近の保存された情報で不明な物があるだろう。その情報のために呼んだのだ。だから、読んでみろ」
「わ・・・かり・・ました・・・ありました・・・今読んでみます・・・・・」
裕子は、直立不動になったことで別機能が起動するのだろう。その状態で目を瞑った。
「卓には、理解できないだろうが、ゆっくりと説明している暇はないのだが、裕子が納得したら良いのだろう?」
「はい」
「時間が掛り、すみません。今、読み終わりました。たしかに、亜希子様の計画は納得が出来ることです」
目を開けると、謝罪のつもりなのだろう。頭を下げるのだ。そして、亜希子の目を見て承諾するのだった。
「それなら、今直ぐに、その情報を紙に書いて欲しいのだ。勿論、出来るだろう!」
「はい。出来ます。それでは、紙と筆の用意をお願いします」
「ああっ大丈夫だ。もう用意はしてある。だから、直ぐに初めて欲しい」
「はい。分かりました。一時間もあれば書きあがります」
「一時間・・・かぁ・・・・それでは、わしと志乃は、別室で待たせてもらう。その・・つもりなのだが・・・・その前に、その二人は、誰で、何の要件で一緒に来たのだ?」
「友人です」
裕子は、誤魔化すためだろう。大きな声で簡潔で即答したのだ。
「そそっ、そうなのか、手違いで呼んでしまったのだな。では、接待をしなければ失礼だろう。わしらと一緒に・・・・」
「人見知りする人なので一緒で構いません」
裕子が怒鳴る声を初めて聞いて驚くのだ。そして、自分の話を最後まで聞かずに遮ることにも驚いて頷くしかなかった。
「お前の友人と言える人を始め聞いたぞ。まあ、友人とは、そう言う者だろう。わしにも友人は居た。笑い、泣き、怒ったこともあった。だが、皆、先に逝ってしまった。本当に良い友人だった。それが、お前にも出来たのか、喜ばしいことだ。大事にするのだぞ」
「はい」
「もし困ったことなどがあったのならば、お前の友人ならわしにも友人だ。どの様なことでも相談に乗ろう。そして、どんなことでも、わしが必ず助けてやる」
祖母は、感涙するのだった。だが、裕子は、ハラハラと人口心臓が高鳴っていた。出会いなどの説明を求められたら断れない。だが、卓の運命の相手と天秤を掛けた場合を考えたら、自分の脳内の電算機は何と答えるだろう。その答えが出る前に、別の答えが出た。
「領主の黒野様が不機嫌な表情を浮かべています。これ以上は待つのが耐えられないのでしょう。これ以上だと、亜希子様に迷惑を掛ける。それが、心配なのですが・・・」
「あっそうだったな。わし自信が考えた最大の持て成しをしたかったが残念だ。だが、わしが許す。わしの名前を出して最大の持て成しをしてやるのだぞ」
「はい。心底から嬉しい言葉です。ですが、ですが!」
「ああっ分かっている。せめて、名前・・・・」
直人が、裕子の困る様子を見てられずに・・・・。
「ですが、初代様。領主様がお待ちだと思います」
「分かった。わしは行く」
祖母は、やっと、志乃の方を振り向いてくれて一緒に部屋から出たことで、裕子は安堵するが、もし強制的な命令と言われたら答えるしかなかったのだ。そして、おそらく、これが、人と同じ感情の思考を表すことになったのは最初で最後だろう。
「わしのために済まない。心の底からの感謝をする。だが、最大の持て成しは勘弁してくれないか、それでも、わしらを持て成さなければ気持ちが収まらない。そう思うのならば一杯の紅茶と菓子パンの一つでも頂ければ十分だ」
「承知しました」
領主と一緒に行ったと思っていた執事が隠れていたのか、いや、ただ、目立たないように壁にでも立っていたことで気付かなかったのだろう。まさか、聞き耳を立てていたのかと、この場の者は冷たい視線を向けた。だが、もしかすると、祖母の先ほどの言葉であった。名前を出して持て成す。その言葉で待機していたとも思えた。それにしても、態度と言葉から判断すると、まるで、この部屋の主の様に女性の召使いを呼びだす気持ちなのかと、見ていると、やはり、女性の召使いを呼び出して、紅茶と菓子パンを客人に人数分用意する様に指示をした後に、領主がいる部屋に向かうのだ。やっと、部屋に残されたのは、四人と召使いだけになった。
「ありがとう。もういいわよ。後は、わたしたちが勝手にするわ。だから、自分の仕事に戻っていいわ」
冬実は、召使いが邪魔だから何とか出来ないかと、その視線を裕子に向けた。その視線を向けられた方の裕子は穏やかな口調で召使いに伝えるのだった。すると、素直に従って女性の召使いは退室した。だが、余程の要件でもあったのだろうか、部屋から出て扉を閉めた後には、人が駆け出す音が響いた。それには、誰も分かるはずもなく、気にもしなかったが、四人だけになると、冬実が、卓と裕子に鋭い視線を向けた。
「お前らは何者なのだ」
「それは・・・」
卓は、裕子に視線を向けて、何て言って良いのかと悩んだ。
「わしは、てっきり、伝説の初代の思想を伝える。伝承者か信奉者かと思ったが違うはずだ。まさか、巫女と神官なのか!」
二人に問うと同時に、人が走る音が響き渡り。不審を感じて聞こえる方に視線を向けると、荒らしく扉が開いた音を聞こえて何事かと驚くのだった。
第十二章
現れたのは一人の男だった。それも、この場にいる者は誰一人として男のことを知らないはずなのだが、男は、一人の女性に向かって話を掛ける。というか、その女性も意味が分からないことを叫ばれて首を傾げていた。
「待て、待て!俺が先約だと言っているのだ。だから、俺が教えよう。そうだろう。絹に関する情報と特許の譲渡の引き換えで良かったはず。それで、次の日に会う約束したが現れなかったから面倒なことになってしまったが、まあ、それは良いとして、初代様に関する情報と聖地などの情報を教えると約束したはずだ。それで、契約書を書いてくれる。そうですよね。夏美さん」
「えっ」
(なぜ、妹の名前を知っている。こいつは、誰だ?)
冬実は、首を傾げて思案に思案を続けたが答えが出るはずがなかった。
「俺だ。俺を忘れたのか?・・・・まあ、それは良いとして、まず先に頼みたいことがあるのだ。我が妻に、あの時の馬車での様子を証明したいのだ」
「あっ・・その・・憶えていますわよ。おほほほっほほ!証明したいのですね。おほほ!」
(たしか、夏美って意味もなく笑っていたはず。そして、可愛い子ぶって両手を握って顎に付けるはずだった。こんな感じでよかったはずだが・・誤魔化せた・・・・だろうか?)
「俺を憶えているのですね。安心しましたが・・・そんなに、何が面白いのですか?」
「何を言っているのです、おほほほっほほ、変なことを言うわね。普段からですわ。おほほほっほほ、それで、何か、御用ですか?」
「いや、それは、その・・・だから・・・まずは、男女の関係でないことの証明を・・・」
「もしかして、初代様のお話しでしたら、直接にお会い出来ますので直接に聞きます。そう言うことなので宜しいですよね。おほほほっほほ!」
「そう言うことならば、もう良いのだが、ただ、夏美さんとは二人で馬車の中でいたが何もやましいことがなかった。それを証明して欲しいだけなのだ。勿論、絹の話は聞きたいがあきらめるし、何の見返りも求めずに、初代様のことも話すつもりだ」
「もう一度だけ言いますが、初代様のことは直接に会って聞きますので何一つとして協力はできません。それですので、直ぐにでもお帰り下さい」
冬実は、先ほどまで妹を馬鹿にしている感じだったが、さすがに、同じ血族を貶められたと感じたのと、本当は妹が好きなのだろう。だが、一番の不快感は、このような男の不倫の相手だと思われただけでなく、自分の尻拭いもできず。女性に助けを求めるような男が嫌いだ。はっきり、と分かるほどに険悪を表したのだ。
「待ってくれ。何か、誤解をしている」
「何を誤解と言うのだ。自分の浮気がばれたために、わしと言う女性を代用にして浮気をしたことを誤魔化す考えなど、男として最低だ!」
冬実は、妹の振りなど忘れて怒りを爆発させた。
「それは、誤解ですよ。本当に浮気などしたことがないのです」
「だが、わしを奥さんに会わせて、お前とは手も握ったこともない。そう言わせたいのだろう。違うのか?」
「たしかに、そうです。そのために約束を反故にしても、夏美さんを探したのです」
「お前だったのか、砦中の騒ぎの原因は、やはり、わしを探していたのか!」
「騒ぎ?」
「何も知らんのだな。砦の中では、男たちが殺気と邪な目線で女性の下半見を見るのだぞ。それも、女性が怖がって家から出てこない場合は家の中まで押しかけるほどだ」
「まさか、ありえない。信じられんぞ。俺は、そんな、命令は出してないぞ!」
裕子と卓は、突然に現れた男を不審に感じた。たが、二人の会話のやり取りを聞いていると怒りが膨れ上がるが、三角関係の愛情のもつれとしか思えなかったために関われないでいたのだが、卓は、この先の人生での男女間の参考する気持ちなのか黙って見ているだけだった。裕子は、祖母の命令されたことを夢中で作業するだけだった。だが・・・。
「・・・・・」
そんな、裕子は、作業の手を休めず。それでも、祖母の知人であり。この館の主の夫らしい人のために直ぐにでも知らせるべきかと考えたのだが、まず、祖母と志乃の様子を確認するために人工聴覚を最大にしたのだ。その二人の話の内容によっては直ぐにでも伝える考えであったために人工聴覚から判断材料を得ようとした・・・。
祖母が一時間の暇つぶしをすると言われて、志乃が選んだのは、数ある室からなぜか隣室だった。そのまま祖母も続いたのだったが、室内に入って見ると、この館にある部屋の中では一番小さいと思えた。八畳くらいで一つだけある大きな窓だが固定されて開閉ができない。それに、部屋の中央には小さい食卓と四客の椅子と、小さい本箱があるだけだった。すると、祖母に椅子を勧めるのでもなく、窓と正面になる椅子に志乃が座ると直ぐに窓に視線を向けた。祖母は、窓の景色を見て楽しんでいるのだろうと思って邪魔しないようにと、静かに隣に座ったのだ。それでも、志乃の横顔を見てみると、もしかすると、大事な悩みでもあり。相談したいことでもあると感じて、志乃が何か話しかけるまで待っていた。それも、数分後のことだった。
「わたし・・・気分が落ち込むと・・・一人でこの部屋の窓から外を見ているの・・・・」
「そうか」
「でも、見えるのは、広い芝生の庭だけ・・・・それで、空想を楽しむの・・・いや、違うわ。初めは、いろいろと実現する考えだったの。でも、結婚して、この新居が建てられて、拍に、建物の中を案内されたわ。この部屋だけが建物から突き出ていて、そのために、庭の全てが見られるのだって、そう聞いたわ。それで、どうしてと聞いたら、わたしと初めて会った時に、父のように好きなように庭を造りたい。そう言ったことを憶えていて、女性は、あまり外に出られないだろう。だから、外に出なくても好きなように指示ができるし庭を見る楽しみもあるよ。それなら、わたしと一緒に考えましょうね。そう言ったわ。すると、満面の笑みで、いいよ。そう言ってくれたの。だから、良い考えが浮かんだら教えるつもりだったの」
「そうか、そうか」
「それで、この部屋で暇さえあれば考えていたわ。それで思い付いたのが、一般の人も入れる公園もいいわね。特に、子供たちが安心して遊べる公園が作りたい。わたしも楽しいし、噂では子供の誘拐なども多いらしいわ。この庭なら警護人もいるでしょう。それだから安心すると思ったのね。それとは逆に、貧しい人の中には、毎日の食事でさえ食べられない人が居るらしいわ。せめて、子供だけでもささやかな食事になるけども食べさせようかと、その時に簡単な勉強でも教えようかと思っていたのです。そうすれば、子供の親たちは安心して働けるでしょう。だから、良い考えだと思って、まず、簡易的な小屋を建てて炊き出しからでも始めようと、拍に提案しようとしたら、蚕を育てる建物を作る。と、先に言われて本当に悲しかったわ。そうでしょう。だって、二人で様々なことを考えるって言ったのに、庭だけでなく、領地も豊かにして、誰もが住みたい都市にしよう。そう約束したのに、何から何まで、拍が一人で決めてしまうから・・・でも、拍の理想の都市にする気持ちが少しだけど感じられたから何も言わなかったわ。それなのに、それなのに、町の人たちに噂になるような綺麗な女性と逢引している。その噂を聞いてから拍にたいしての怒りを我慢ができなかったのです」
「それで、あの瓦版なのか」
「はい」
「たしかに、砦の連中は、志乃のことなど籠の鳥のような飾りとしか思っていないようだった。だが、志乃。あの瓦版は、あれは、やり過ぎだ!」
「でも、でも」
「気持ちは分かる。まあ、済んだことだし、もう気持ちは済んだのだろう」
「はい。すっきりとしました」
「それなら、よかった。それで、頼みたいことがあったのだ。もう一人で部屋から窓の外を見るなんて暇がなくなるぞ」
「まあ、面白そうですね。それは、何です?」
「簡単に言うと、わしの黒髪の国をお前の国の傘下に入れたいのだ。勿論、全ての手続きの書類はある。それをお前の本国の王に渡せば済む。だが、それは、書状を読んだ相手が信じれば無条件で承諾してくれるだろう。それで、保証人として、二人の署名を欲しくて来たのだが、この騒ぎに遭ったのだ。一つ聞くが、志乃だけの署名でも十分だ。この地域を治めることを許された貴族だ。だが、拍は、この国の王から国境を守るために派遣された部隊長でしかない。だが、複雑なのは、志乃の一族と同じに、代々砦の継承された部隊長だから特例の権限がある。それでも、貴族と部隊長だから拍は家臣みたいな者だ。それでも、二人は結婚したのだから同格にはなったが・・・・」
「はい。たしかに、同格になりました」
「もしもだが、拍と離婚する。いや、しなくても、お前が、この地域の全ての権限が欲しい。そう思うのなら、これは、よい機会だぞ。お前の署名だけ書いて手続きをすれば済むぞ。どうする?」
「・・・・」
志乃は、目を瞑って試案していた。それでも、祖母は、待たずに話を続けた。
「わしが一筆を書いてもいいし、まあ、裕子とわしが居れば、砦の、二、三部隊など敵でもないし、白紙の部隊の全軍も直ぐにでも出動もできるのだぞ。だから、何も心配する必要はない。だから、お前がしたいようにしてやるぞ」
「・・・・・・・」
祖母は、直ぐに答えが出せるはずがないのは分かっていた。だが、内心の思いと違って即答した場合は、志乃を諌める気持ちもあったのだ。そんな、志乃と祖母が無言になったからか、広間の騒ぎが耳障りになってきたのだ。たしかに、無言でなくても、騒ぎ声が段々と大きくなった。
「少し、待っていろ」
「・・・・」
祖母は、志乃の返事も聞かずに広間に向かった。そして、理由も聞かずに叫ぶのだ。
「騒がしいぞ!」
広間に現れると同時に、怒声をあげたのだ。
「亜希子様。お話の御邪魔でしたか、本当にすみません」
「拍。お前だったか、何しに戻ってきたのだ!」
「俺が、浮気をしていない。その証人です。その証人がいるのですよ」
「どこに?」
「俺の目の前ですよ」
「とうとう、とち狂ったか!」
「狂っていません。本当にことです」
「まあ、まあ、それは、済んだことだからいいとして、隣室に志乃がいる。お前がすることは紅茶と菓子でも持って行き、志乃にたわいのない冗談を言って笑わしてみろ」
「えっ・・・・なぜ?」
「不思議がるよりも試してみるのだ。そして、この先の夢でも行動計画などの話をしてみるのだな。それで、おそらく、全てが解決するはずだ」
(これで、志乃も、わしが言ったことの答えも出るだろう)
拍は、しぶしぶと、二つの紅茶と志乃の好きな茶菓子を用意して隣室に向かった。祖母は、向かう姿を見ると、一人で頷き、満足そうに納得していた。おそらく、隣室での結果が予想できたのだろう。すると、それを証明するように笑い声が聞こえてきた。
「仲直りしたのですね。良かった」
真っ先に言葉にしたのは、卓だった。そして、祖母は、ニヤリと、邪なことでも考えているような笑みを浮かべるのだ。
「何かを誤魔化そうとしているようだな。もしかして、その女性のことではないのか?」
「えっ、そんな、そんな、そんな感情はないです。絶対に、そんな思いもないです」
「裕子が、友人など言うから変だと思ったのだ。先ほどは慌てていたが、落ち着いた気持ちで女性を見ると、以前に、卓から聞いた。その者と同じ容姿ではないのか?」
卓は、否定をすれば、するほど、内心の気持ちが顔に現れて、顔だけでなく耳まで真っ赤にするのだから本当だと言っているようだったのだ。
「遅くなりましたが、わたしは、夏美と言います。隣にいるのが、弟の達也です」
弟は、長女の顔を見た。なぜ、自分の名前を名乗らずに、次女の名前を語るのかと、不思議そうに視線を向けるのだ。だが、その理由を教えるのでもなく、何も聞くなと、鋭い視線を向けられたことで、何も言わずに俯くのだった。
「お前も、卓と同じに、左手の小指に赤い感覚器官を持つ者なのだな」
「えっ、あっ、はい。赤い感覚器官を持つ者です」
「それで、何か、感覚器官は反応しているのか?」
「それは・・・・」
「ああっ済まない。女性が正直に言うはずがなかったな。女性としては恥ずかしいことだったな。それに、たしか、赤い感覚器官の修正の結果の後には、お互いの感覚器官が反応をして女性は女性らしく、男性は男性らしく、まるで、別人のような性格になり、感情も変化して愛情も芽生える。そう聞いた。まあ、わしは、動物のさかりの様で信じていないがなぁ」
「・・・・」
「まあ、様々なことを問いかけてすまなかった。わしにも左手の小指に赤い感覚器官はあるのだが、不妊症のために武器と防御としてしか反応しないのだ。そのために、人から聞いたことしか分からないのだ。だから、許して欲しい」
祖母は、深々と頭を下げて謝罪した。
「何も気にしないで下さい。わたしも、何も赤い感覚器官の反応がないのです。おそらくですが、まだ、未熟な子供なのでしょう。まだ、愛と言う感情が分からないからだと思います」
「そう言ってくれると、本当に助かる。ありがとう」
「いいえ」
「それなら、赤い感覚器官が指示を伝えるまで共に行動してみては、どうだろうか?」
「う・・・・・むぅ」
姉である冬実は、即答できずに、様々なことを試案していた。
(共に行動すると、夏美でないことを悟られるかもしれない。だが、妹の運命の相手なのだ。危険だが、夏美と再会できる。それが、最短なのかもしれないが・・)
などと、最終的に出た。その結果が・・・。
「はい。お言葉に甘えて、共に行動をしたいと思います」
「何か顔が引きつっているぞ。もしかして、何か困ったことでもあるのではないのか?」
「いいえ。あっ、ただ、弟が幼いので・・・旅では当然の・・・・最低の役割分担である・・・その・・・誰でも出来るはずの・・・簡単な水汲みも出来ません」
「そんなことを気にしていたのか。それなら、何も心配する必要はない。全てを裕子と直人に任せ、わしらは楽しい旅をするだけでよい。だが、感謝を忘れなければよいのだ。それでも、堅苦し言葉を言うのではなく、二人に、笑みを返すだけでよいのだぞ」
「若い女性と年寄りに・・・」
「ああっそうだ。特に裕子は、あのような見掛けだが、家事だけでなく、武術から剣術など全てを会得している。誰にも負けんぞ」
「夏美さん。安心してください。もう仲間ですから弟さんも、御主人様と同等に思い。何が遭ってもお守りする気持ちです」
「そこまで、甘える気持ちはないです。わたしも、それなりの武術の心得はあります。自分と弟くらいは・・」
祖母は、冬実の言葉を遮った。
「いや、裕子に任せた方がよい。それなりの武術では、裕子の邪魔になるだけだ」
「はい」
冬実は、一言だけ返事はするが、承諾したのではなく、この場の雰囲気を感じて内心の気持ちを押し隠したのだ。祖母は、その気持ちに気が付かずに、裕子に問いかけた。
「終わったのか?」
「はい。脳内に記憶してある全てを書き写しました」
「そうか、そうか、ご苦労だった。感謝するぞ」
裕子と卓が座る食卓に向かい。その食卓の上にある。可なりの枚数の用紙を一枚、一枚と丁寧に手に持ち確認するのだった。
「・・・・」
「ふむ、ふむ・・・・ふむ・・・・」
裕子と卓は、祖母の用紙を見る表情を見て、その完成の度合いを判断するのだった。
「うん。完璧だ。ご苦労だったぞ。あっ!」
祖母は、これ以上にないほどに満足顔を浮かべると、直人に視線を向けた。何かの指示でも伝えようとしたのだろう・・・なのだが・・・・。
2016年3月31日 発行 初版
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羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。