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旅は何時になると終わるのだろうか(四人の男女と獣に係わった人たち)
序章
晴天の空に輝く太陽は、街道を進む人々に、適度の温かさと明かりを与えようと輝いている。何故か、その太陽を好んで避けているとしか思えない人々がいた。それだけでなく、人からも避けているとしか思えなかった。耳を澄ませば、人の話し声が聞こえる距離に街道があるのに、何故なのか、道なき道を歩いているのだ。もしかすると、その理由は、男女の会話を聞けば分かるかもしれない。
「ねね、新(しん)。この方向で合っていると思う?」
「でも、二人が、この方向だって言うのだし嘘では無いだろう?」
「でもねぇ」
二人の会話が聞こえたのだろうか、先頭を歩いていた。男女の一人が振り返った。
「あの鳥かも知れないわ」
「え、またなのかぁ」
新は、心底から嫌気を表した。
「だって、鳥を助けろ。そう頭に響くのですもの」
と、雪(ゆき)は、声を上げた。だが、頭に響く内容とは違っていた。
(危険、危険です。方向が違います。早く正しい方向に進んでください)
もし人なら発狂寸前の叫びなのだ。だが、雪は気が付かないでいる。人の声と違って頭に響く感じは穏やかな感じなのか、そう思うだろうが違うのだ。可なりの頭痛を感じるはず、酷い場合は失神する程なのだ。なら何故、普通のような状態で居られるのか、それは、痛みを忘れる程の想いがある為に我慢が出きるのだろう。それは、晶(あきら)の想いがあるからだ。
(違う方向です。北東に向かってください。危険、違う方向です。危険です。このままでは修正ができなくなる場合があります。方向を変更してください)
赤い感覚器官は、赤い糸とも言われ、連れ合いが居る方向を示すが、それだけではなかった。結ばれる為に試練を与えるのだった。その理由は、自分たちも分からなかった。感覚器官は、問い掛けに答えるはずもなく。指示だけを、頭に響くように伝えるだけなのだ。だが、その修正をするのが、新と明菜(あきな)だった為に愚痴を呟いていたのだ。
「仕方ないでしょう。赤い糸が助けろと言うのよ。うっう」
晶と雪が突然に顔の表情を歪めた。頭痛を感じたのだろうが、我慢ができなくなり。悲鳴を上げると、頭を抱え、その場に座り込んでしまった。
「晶。雪さん。どうした?」
「何でもないの。早く修正するように頭に響いただけよ」
「分かったよ。鷹から鳩を守るのだな。明菜も手伝ってくれよ」
「仕方ないわね」
この様に、二人の苦しそうな表情を見ると、助けたくなるのは、人として当然だろう。
「晶さん。そうよね」
「うん、そう聞こえるよ。でも、今は痛みが消えたから大丈夫だよ。今度は、晶だけで修正するから安心して見ていて」
「・・・・・・・・。嫌、駄目だ。俺と明菜で修正するから見ていてくれ」
新は、晶の「安心して」の言葉を聞き、一瞬の間だが、過去の事を思いだしたのだ。修正しようとすると、自分が言った話しと違う事をするのだ。例えの例を挙げるのならば、魚を捕まえると言ったのに、何を考えての行動なのか熊と格闘した時もあったのだ。それで、二人に任せると、新、明菜たちの傷が増えるのだ。酷い場合には命の危険を感じた事もあった。だが、この様な事になるのは仕方なかったのだ。違う方向に進み、指示と違う事をするので、地球の意思か、時の流れの意思か、嫌、その両方だろう。晶と雪が行動すれば、修正の手助けをしようと周囲が反応するのだ。本来の修正する状態に導き、殺生する物などを招くのだった。
「でも、晶の修正なのに悪いよ」
「何も気にしないで見ていてくれ。後ろで見守ってくれるだけで勇気が出るからなぁ」
「分かった」
その言葉を聞くと、新と明菜は、直ぐに行動を起こし、勿論、直ぐに鳥を捕まえてきた。
「ただいま。捕まえてきたよ」
明菜は満面の笑みを浮かべ、昌と雪の所に戻ってきた。その様子を見て、雪、晶は驚きの声を上げた。
「手際がいいわね。本当に凄いわ」
「凄い」
新は、捕まえた鳥を二人に見える目線まで上げながら近寄ってきた。
「それで、この鷹を食べれば良いのだろう」
「そうよ」
「うん、うん」
「でも、何時も思うのだが、成仏させるだけなら食さなくても?」
「駄目。殺生は、身を守る時と、食す時だけだよ」
「そうだな。変な事を聞いて済まなかった。だが、鷹だぞ。食えるのか?」
「修正してくれて本当にありがとう。なら、早く食べましょう」
そして、四人は、夕食には早い時間だが、休憩のような気分で食べながら楽しい会話を始めた。それから、話しも尽きようとした頃に、新が、話題を挙げた。
「それで、今度は、どの方向に進むのだ」
「あっ、北よ。そうよね。晶さん?」
雪は左手を、腕時計を見るように上げ、小指の赤い感覚器官が示す方向を見ると、新一に伝えた。だが、赤い感覚器官の示す方向は南に示していた。と、言うよりも常に、晶の方向を指すのだった。
「えっ、なに、雪さん?」
晶は、飲み物のお替りを作ろうと、歩き回っていたのだ。勿論、その間も、雪の赤い感覚器官は、晶を指し続けた。
「雪が、晶の赤い糸の方向は、どの方向を指しているのか聞いたのよ。確か、南の方向と言ったのよね。そうよね。雪さん?」
明菜は、今までの疑問を感じていたので、嘘を言って試した。
「そうそう、南よ。晶さんの赤い糸の導きの方向は、どの方向なのでしょう?」
「あっ、南だよ。同じだね。だから方向が同じだから一緒に行動ができるね」
二人は動揺していた。もし、本当の事なら確認の為に、二人の左手の小指にある赤い感覚器官の方向を確かめるはずだ。それをしないと言う事は嘘を伝えたのだろうか。
「ねえ、雪さんの方向は同じなの?」
明菜が不審そうに問い掛けた。
「微妙に違うけど、南の方向よ」
「そうなの、でも、先ほどは、雪は、北の方向を指しているって言ったのよ」
「明菜、いい加減にしないか、俺と、明菜には無いから確かめたいのは分かるが、嘘を付くはずが無いだろう。自分の運命の相手を探す旅なのだぞ。嘘を付いて違う方向を探すはずもないだろう。それにだ。木なら動かないが人なのだぞ。常に動くのだ。少々方向が変わっても変でないだろう。
「そうね。ごめんなさい」
晶、雪は、新の話を静かに聞き、そして、自分の赤い感覚器官を暫く見ていたが、突然に顔を上げたと思ったら、晶は、雪を、雪は晶を見詰めていた。それは、赤い感覚器官の方向を見たのか、赤い感覚器官を持つ者を心配したのか、それは、分からなかった。だが、この様に、赤い感覚器官の導きの方向を、此れからも嘘を言い続けるのなら、旅は何時になっても終わる事は無いだろう。
第一章
二人の男女は、真夜中だと言うのに、部屋の窓から悲しそうに夜空の月を見ていた。だが、視線の先を確かめると、月ではなくて空中に浮かぶ何かを見ているようだ。これが現代なら未確認飛行物体かと、想像する者もいると思われるだろうが、そうではなかった。まあ、この時代では、そのような名前では呼ばれない。親しみを込めて、天鳥船神と呼ぶだろう。そのような遠い昔だったからだろう。空も人口の粉塵などで汚れてないから空気もすみわたり、綺麗な月が見える。それだけでなく、中空に浮かぶ何かが見えるのだ。
「また、嘘つきだと言われたのかな?」
「そうだと思うわ」
「この状況を見せる事が出来れば、誰も嘘つきなんて言われないのになぁ」
「そうね。でも、無理よ。院長が許可するわけがないわよ。でも、内緒の方がいいかもよ。もしかすると、化け物って言われる可能性があるわ」
「そうかなぁ」
二人の男女は、夏野新(なつのしん)と夏野明菜(なつのあきな)だった。視線の先は、夏野晶(なつのあきら)。同じ苗字だが、兄妹ではない。今から十五年前に、今居る建物の玄関に三人が捨てられていたのだ。なら、苗字、名前が分かるのなら親を探し出せないのか、と思うだろうが、苗字は、建物の院長が、夏の日に捨てられていたから、夏野と付けたのだ。だが、不思議な事に、名前だけは、衣服に縫い付けられていた。心底から子供たちを愛していたからだろうか、それとも、名前に大事な理由があるのか、それとも代々の由来があるのか、いや、普通に考えるのなら後で引き取る為に分かるようにしたのだろう。
「それを言われたら、晶は耐えられないわよ」
「それにしても不思議だ。なぜ、空に浮かぶのだ。それに、赤い感覚器官が見えないかなって、尋ねるけど何だろう。それを言うから嘘つきだと言われるのになぁ」
「浮かぶ理由は分からないけど、赤い感覚器官って言うのは、赤い糸の事だと思うわ」
「ああ、運命の人だけに見えると言うやつだろう」
「そうよ」
新と明菜だけでなく、誰も知るはずがないのだ。勿論、晶にも分からない。だが、本人も知らないはずだが、月を見ると気持ちが安らぎ、懐かしい気持ちになるのだろう。それで、落ち込むと、少しでも近くで見たいために空に浮かび一人寂しく泣いていたのだ。確かに、懐かしい気持ちになる理由は分かる。今から7500万年以前には、地球には月と言う衛星は無かった。その時、人類が居なかったのだから分かるはずもない。だが、初めは、小さい点のような星が、月だった。そして、千年の月日が経つと、今のような月になったのだ。だが、月は箱舟だった。その為に、地球に生存していた巨大生物は、重力の圧力に耐えられなくて絶滅してしまった。だが、箱舟の人々は、地球の生物を強制的に滅ぼす考えではなかったのだ。ゆっくりと時間を掛けて地球に近づき衛星とする考えで、それなら、生物などは新しい地球の環境に耐えられると計算では出ていたのだが、絶滅してしまった。晶が、箱舟の直系の子孫ではないだろうが、類似する所が二点あった。背中に蜉蝣のような羽があり、その羽の事を羽衣と呼び、左手の小指に赤い感覚器官があったのだ。だが、背中の羽は飛ぶと言うよりも重力の軽減が出来る機能器官なのだ。そして、赤い感覚器官は、赤い糸と呼ばれ運命の連れ合いだけに見えが、武器の機能もあり、その時だけは運命の相手でなくても見える場合があった。そのような理由の為か、絶滅した哀れみだろうか、絶滅した生物の遺伝子を使い、擬人や獣人などを作った。その子孫が人類の先祖だ。それだけではなく、地球文明の基礎も創ったのだが、今の世には、痕跡も殆ど残っていないのだ。それだけでなく、晶が最後の生き残りかもしれないのだった。
「今日は帰りが遅いなぁ。呼びに行った方が良くないかぁ」
「泣いていると知っていて会いに行くの。良した方がいいわよ」
「だが、誰かに見られでもしたら・・・・・・」
「大丈夫よ。今まで、誰にも気付かれなかったわ。ねね、そろそろ消灯の時間よ。今日は、帰って来るまで待たないで、先に寝ましょう」
「俺は、もう少し起きているよ。明菜は帰れ、扉が閉まったら部屋に戻れないぞ」
新が言っている事は、施設の規則で、十一時になると男女が、部屋の行き来が出来ないように扉が閉まり、灯りも消すのが規則だった。
「そうね。まあ、私は、新の部屋に泊まってもいいのだけどね。兄なのだし」
「そうかぁ。晶が心配なんだなぁ」
新は、明菜が悩んでいる姿を見て思い悩んでいた。だが、明菜の話には続きがあった。「でも、新も男だし、妹だとしても、男って狼になると見境がないでしょう」
「馬鹿やろう。自分の部屋にさっさと帰れ~」
新は怒りを表した。
「私は自室に帰るけど、一人で晶の所には行かないでよね。新も寝なさいよ。分かったわね。それでは、おやすみ」
明菜は、眠そうに欠伸をしながら、新の部屋から出て行った。それでも、新の部屋の灯りが直ぐに消える事が無かった。それ程まで心配なのだろう。恐らく、晶が自室に帰るまで部屋の明かりが消えるはずがないだろう。それは、何時になるか分からない。
「新、まだ起きていたの?」
自分が原因で起きていたとは感じてない。本当に不審そうに問い掛けた。
「うん、何か眠れなくてなぁ。月を見ていたよ」
「月は綺麗で、何か安心するよね。僕も眠れない時は、月を見るよ」
「そうかぁ。何か眠れない事でもあったのか?」
「何もないよ」
晶は、月を見たお陰で、悩みが消えたのだろうか、眠そうに大きな欠伸をした。
「俺も、眠くなってきたよ。おやすみ」
新は、晶の欠伸が移ったのだろうか、同じように大きな欠伸をした。いや、違うだろう。晶の安心した表情を見て安心したに違いない。だが、この時、晶の表情だけでなく、少しだけでも、窓の外を、いや、もっと遠くに視線を向けていたら何かに気が付き眠気が飛んだはずだろう。だが、それは、仕方が無い事かもしれない。十五年も誰にも見付かっていない為の安心感だけではなかった。院長であり。この地の領主でもある。作間源次郎(さくまげんじろう)は、孤児院の為に館を建てたのでなく、夏だけの避暑として建てたのだ。だが、十五年前に、三人の幼子が玄関に捨てられた時から町の人々の暮らしが貧しいと分かり。せめて、孤児だけは育てようと考えたのだ。そのような理由もあり、町から離れた所に建っているので、誰も来るはずもなかったのだ。その為に安堵の気持ちがあったのだろう。それで、一人の女性が森から町に帰れるのが分からなかったのだった。なら、その女性は、晶の姿を見たのか、何故、森に居たのか、その女性は誰なのだろう。
第二章
女性は、鏡雪(かがみゆき)と言う女性だ。歳は、現在十六歳。両親は、記憶も残らないくらい幼い頃に亡くなり。そして、今まで育ててくれた祖母も三日前に亡くなって殆ど食事も取らず、家から出る気持ちも無かった。自分の気持ちでは、何時までも生前の楽しい気持ちだけを考えたいのだが、四日も経つと、周りの人々も許してくれない。強制的に現実の事を考えなくてはならなくなるのだ。そのような気持ちになった時だった。ある男性が訪れたのだった。その人物は、この地に住む人なら誰もが知る人物だった。それは、当然だろう。この地の領主なのだからだ。なら何故と、鏡雪も不審よりも驚いていた。
「鏡静(かがみしずか)のお孫さんの鏡雪さんだね」
「はい、領主様」
「私は、あなたの祖母、鏡静の知人。いや、それ以上だ。私の乳母なのだよ」
「えっ」
「祖母から何も聞いていないのか?」
「はい。あっ、それでも困った事があれば領主様に相談しなさいと、でも、それは、常識的な事だと思っていましたので、挨拶に出向こうと考えていただけでした」
「そうかぁ、何も伝えていないのか」
「はい」
「それなら、それでも良い。私が来た目的は、私の施設で暮らすかと聞きにきたのだ。当然、知っていると思うが孤児は、私が引き取って育てている。どうだぁ、一緒に暮らすか?」
「ですが、私は成人と言われえる。十六歳になりましたよ。孤児と思われる歳では無いと思うのですが・・・・・それ知っていて言われるのですか?」
「そうだぞ。だが、無理に誘っているのではない。だが、何か仕事が出来るのか?」
「・・・・・・・・」
「祖母のように占い師、祈祷は無理だろう。今すぐ返事を聞くつもりはない。又、明日でも来ることにするが、その時には返事を聞かせえて欲しい。最後に言うが、引き取っている孤児は、勉学など将来に役立つように教えている。それを、考えの一つとして欲しい。ただの施しでないからなぁ。それにだ。良い人材を育てる事は、領地の繁栄にも繋がるのだ。乳母の子供だとしても特別の扱いはしない考えだ。だから、皆より歳が上だとしても気にしないで将来に役立つ事を憶えなさい」
雪の祖母は、赤い感覚器官を持つ者だった。だが、武器の機能はなく、補助機能としての感覚器官だった。それで、簡単な探し物など。だが、祈祷が主な仕事だったのだ。それは、可なりの確立で水を探す事が出来たのだ。それで、井戸を掘る時は必ず頼られていた。その事を領主の作間源次郎は言っていたのだ。
領主が帰ってから雪は思案していた。確かに、今の自分では何も出来ない。野垂れ死する可能性が高いだろう。良い誘いなのだが、祖母から聞いた。赤い感覚器官が知らせる導き、運命の相手を探す旅がしたいのだった。それでも、一人で旅が出来るはずもない。金に余裕があれば、男装でもすれば旅が出来るだろうと思いがあるが、今の状態では無理だった。それで、家で考えても何も浮かばず、祖母との楽しい思い出しか浮かばない。このままでは考えも出来ず。寝る事も出来ないので、深夜を歩いていたのだ。そして、考えてもいなかったのだが、何故か、領主が言われた施設に足が向っていた。そして、施設の建物を見る前に、綺麗な月を遮る雲と思っていたのが、違っていたのだ。月よりも綺麗で魅力的な物だった。それに、視線を奪われて見続けた。それも、当然だろう。その物に風や光が当たると七色の虹のように光が屈折して綺麗に光るのだ。雪は知らないが、もしかすると、晶の涙に光が屈折したのか、羽衣の屈折だったのか、それは、確かめようがなかった。それでも、高度の為か月の光が強すぎなのか、それとも、深夜の暗闇の為か、それが何なのか分からなかったが、綺麗な物だったから見続けた。誰に聞かれても、本心から正体が知りたいから見ていたのではなかった。だが、何分、何時間だか分からないが、それが、少しずつ高度を下げてきたのだ。そして、それが、現実に存在する物体だと分かり驚くのだった。そして、高度が下がり続け、施設の方に向かい、明かりが灯る窓に近づくと、深夜の暗さと月より明るくなった窓の光で人影だと分かり、心臓が止まるほど驚くのだった。それ以上は確かめようとせずに、自宅に向かった。それも、満面の笑みを浮かべてだ。その表情からは、明日の領主に伝える答えが現れていた。そして、自宅に着くと、楽しい気持ちを忘れない為だろうか、それとも、先ほどの事が夢に現れると思っているのだろうか、直ぐに床に入った。そして、興奮して寝られなかったのだろうか、遅い時間に寝たはずなのだが、普通の家の人達が、旦那が仕事に出かける前に、調理する音が響く頃には起きていた。それでも、食事の用意をするのでなく、湯浴みの用意がしていた。恐らく、領主が何時に来られても良いように支度の用意をしていたのだろう。
「あの方は、何て言う人なのだろう。領主様の館に行けば会えるのかな、もしかして、息子さんなのかな、会えたとしても話しも出来ないわね。でも、館でなく、孤児院の建物だったわ。なら、友達になれるかしら、えへへ」
雪は、夢心地で体を洗っていた。領主への失礼のない身支度の用意と言うよりも、まるで愛しい人に会う為の勝負支度のようだ。
「領主様は、何時頃に来るのかな、もしかして、私の昨日の態度で気持ちが変わったのかな、なら、家で待つのでなく、私が館に出向いた方が良いのかな」
領主でなくても、普通なら早朝から出向く者は居ないだろう。そのような思考判断も出来ない程に、名も知らない者に惚けていた。雪は、自分でも気が付いていないだろう。深い溜息を八回も吐くと、外に出て領主が着ているかと、何度も確かめるのだ。そして、何十回目だろうか、そろそろ、昼が過ぎようとしていた。又、外に出たのだが、先ほどとは違う大きな溜息を吐いた。今度は領主が迎えに来ないと思ったのだろうか、がっくりと肩を落として諦めようと考えている様子だった。
「はっぁー、何か食べようかな」
楽しい希望だけで何も考えられなかったが、その希望が叶わないと思ったのだろう。突然のように空腹を感じて食事の用意を始め、食べた終えた後は、新たな楽しい希望を夢描いているのだろうか、それとも、何もする気持ちが起きないのだろうか、いや、祖母が何かを答えてくれると思っているに違いない。目を開けながら夢を見ているかのように、祖母の仏壇を見詰め続けた。
「祖母は、何かを答えてくれたのか?」
「えっ」
雪は、声に驚き振り返った。作間源次郎は、無断で家に上がって来たのか、と思うだろうが、違っていた。何度も呼びかけたが返事が無く、何かが遭ったのではと心配になったのだ。そして、雪の表情を見て不審を感じた。
「泣いているようだが、それ程までに施設で暮らすのが嫌なのか?」
「えっ」
雪は、作間源次郎に言われるまで、自分が涙を流しているのに気付いていなかった。
「何かを考えているのなら、言ってくれないか、出きる限りの事をしよう」
「いいえ、私の所に来て頂けないのかと思ったのです。私は、喜んで施設で暮らします。そして、いろいろな知識を憶えたいのです」
「そうか、そうか」
「はい。これからお世話になります。よろしくお願いします」
「なら行こう」
「あっ、少し待ってください」
「ん?」
雪は、位牌などを鞄に入れようとしたのだ。それを、作間が見た。
「この家に二度と帰らない考えなのか?」
「えっ。あっ、はい、そうです。住まないのにお金を払う余裕がありませんから」
「大丈夫だ。安心しなさい。この家は、私にとっても思い出の家なのだ。私が買い取り、今の状態を保存する考えだったのだ。安心して好きに使って構わないぞ」
「何故、そこまで親切にしてくれるのです」
「私の乳母だと言う事は話しをしたな。だがな、何一つ、私の家に頼る事をしてくれなかった。それで、やっと、私を頼りに来てくれた事が、本当に嬉しかった。それなのに、それが、亡くなる三日前の日だったのだ。雪が将来に困らないように勉学を教えて欲しい。そう言われたのだ。私は、その願いを、全力を持って叶えられるようにする」
「うっううううう」
雪は、祖母の思いが心に伝わり、余りの嬉しさで涙を流した。
「泣く気持ちは分かる。それでも、そろそろ泣き止みなさい。私は、乳母の気持ちに答える為に厳しく教育するぞ。その時の為に涙をとっておくのが良いと思うぞ」
「はい。そうですね。宜しくお願いします」
作間の厳しい言葉で泣き止んだが、それでも、その後に続く言葉には温かみを感じて、雪は笑みを浮かべて返事を返した。
「なら良いな、行くぞ」
作間は玄関の方向に指差した。恐らく、外に馬車が停めてあるに違いない。
「はい」
だが、外には何も無く、雪は、作間が現れるまで立ち尽くした。
「どうしたのだ?」
「馬車がありませんね?」
「そうだが・・・・・・変かぁ?」
「歩きで行くのですね?」
「歩きでは嫌か?」
「いいえ、変ではありませんが、領主様が疲れるのではないかと、思ったのです」
「私は大丈夫だ。それに、言ってなかったが、私の事を院長か、作間と言いなさい」
作間は時間が惜しいのだろうか、頷くのを確かめると歩きだした。その後を、雪は話しを聞きながら付いて行くのだった。
「はい、分かりました」
作間は、馬車が嫌いでも、経費の削減でもなかったのだ。それなら何故、と思うだろうが、自分の領地の様子を、自分の目で確かめたいのもあるが、人々からの相談の言葉や楽しい普通の会話がしたかったのだ。まあ、普通なら領主が歩いていても領民が声を掛ける者がいないのが普通なのだが、施設を始めてからは、話しを掛けて来る者が多くなった。勿論だが苦情などでは無い。領民の子供にも無料で教育を教えるからだ。それでも、初めの間は、孤児を学ばすのに採算を取る為に始めたのだろうと、などの陰口を言う者もいた。今では誤解する者はいない。だが、働き手が減って困る家もあると思われるだろうが、そのような事は無かった。施設の教育の一部として、田畑などの仕事を無料で手伝いをして覚える。この教育のお陰で仕事が捗り、学問も学べると、皆が喜んでいたのだ。
「領主様。私の息子が学問は楽しい、楽しいと言っています。本当にありがとうございます。何か、私達でお役に立てる事があるようでしたら言って下されませ」
「領主様。あっ作間様。私達の息子に勉強を教えてくれてありがとうございます。昨日なんて、美味しい菓子を食べたって喜んでいましてねぇ。あの様な楽しい笑いは久しぶりでした。もし良ければ、私の漬物でも食べてください」
領民の母親が、何度でも頭を下げ、そして、些細なお礼をしようと近寄ってきた。
「良いのだ。気にするな。だが、漬物は頂こう。ありがとうなぁ」
「勿体無い言葉です。ありがとうございます」
普段なら領民も沢山集まるのだが、雪が供のように後を歩くので、遠くから頭を下げるだけだった。それでも、普段のように立ち止まれば近寄って来ただろうが、作間の方も早く施設に行き、雪を、皆に会わせたいのだろう。簡単な挨拶だけをして立ち去るのだった。
「領主様が手荷物など、見っとも無いですから、私が持ちます」
「構わん。だが、領主とは言うなといったはずだぞ」
「済みません。これからは気をつけます。許してください」
「分かれば、それで良い」
暫く歩き、森と言うか、館や施設の広い敷地に入ると、誰にも会う事もないからだろうか、無言で歩く事になる。それの静けさが、雪には不安を感じ、段々と気持ちが沈んできた。作間が表情を見たのなら何か言葉を掛けるだろう程に青ざめていた。
「そろそろ、施設に着くからな。雪、お前が施設では一番の年長だからな。皆に会ったのなら一言で良いから挨拶でもしなさい」
その様子に気付かないまま、ますます落ち込む事を言った。
「如何したのだ?」
何も返事が聞こえてこないので、後に付いて来ているのかと不安になり後を振り返った。
「如何した。そんなに青白い顔をして具合が悪いのか?」
雪が心配になり見つめていたのだ。返事が返らず、同じ言葉を掛けようとした時だ。雪がぽろぽろと涙を流し出したのだ。
「如何した。やはり家に帰りたいのか?」
「私、これからの事を考えると・・・・・・・・不安で・・・」
「そうかぁ」
「それに、挨拶なんて・・・・・」
「雪の事を考えたのだよ。歳が一番上だし、始めに、良い挨拶をしていれば溶け込めると思っただけだ。それ程に悩むな」
少しの会話だけだが、雪は安心したのだろうか、それとも、この施設に入ろうと考えた。あの月と男性の姿を見た場所だから気持ちが向上したのだろうか、顔色も元の状態に戻っていた。そして、作間が、又、話しを掛けて来た。
「今見えている建物が、これから住む施設だぞ」
施設は二階建ての建物だった。ビジネスホテルのような機能を重視の物で、元々の用途は、使用人と客人の付き添いなどが泊まる部屋だろう。本当の客人と言える者は、見栄えがする建物の本宅に泊まるはずだ。
作間は、雪を安心させるように話しを掛けてきた。だが、直ぐには施設には向かわずに、作間が生活する本宅に向かった。恐らく、その前に、詳しい規則などを教える考えなのだろう。その後に、皆に、夕飯の時でも紹介させる考えなのだろう。
第三章
雪は、想像の通りに本宅で全ての規則など知らされ。夕食の六時まで本宅で時間が過ぎるのを待った。それから、作間の後を付いて行き、食堂に入ったのだ。外から見るよりも施設の大きさに驚いた。その中でも食堂の設備が整い綺麗な事に驚いたが、それ以上に子供の多さに驚いたのだ。100人は居るだろう。全てが孤児でなくても、殆どの子供が孤児だと思えたのだ。何故、と思うだろうが、それは、同じ服装の子供が多いからだ。恐らく、作間が与えた物だろう。それでも、子供達は、目が綺麗で将来の夢に希望を感じていると思えた。その姿を見て、雪は何一つ不安を感じる思いは全て消えた。
「私は、鏡雪です。歳は、皆よりも年上の十六歳です。宜しくねぇ」
簡単な挨拶だったが、皆は、拍手で挨拶の返事を返した。皆は、同じ孤児だと思い、温かく迎えたのだろう。そして、食事を始めた。子供だからだろうか、先ほどの綺麗な瞳が、食事の喜びからだろう。それ以上に嬉しい表情を浮かべ食べ始めた。
「ご馳走様。また、明日も元気に働いて、いろいろな事を学びましょう」
と、食事が終わると、作間が声を上げた。皆は、元気に返事を返した。その言葉を聞いた後、安心したのだろう。
「何時もの通りに、食事の片付け、掃除、風呂に入り、早めに寝るのですよ。それと、雪さんの部屋割りの方は、皆に任せます。仲良くしてくださいね」
と、全てを伝えると、作間は本宅に帰って行った。勿論、孤児でない子供は、片付けと掃除を済ました後は、友人に挨拶をした後は家に帰って行った。その後は、女性だけが、雪の周りに集まり、部屋割り、簡単な予定などを冗談なのを交えながら伝えるのだった。すると、元々、女性が先に風呂に入る決まりなのか、それとも、雪の気持ちを解す気持ちからなのか、それは分からないが、女性が半分に分かれ風呂に入る事になった。雪は、小さい風呂なのかと思ったが、想像とは違っていた。皆で入れる広さがあるのだ。何故だろうと問い掛けたが、男性が覗きに来る可能性があるから、交代で見張ると知らせられたのだ。この一言からか、それとも、風呂場だと開放感があるのだろう。皆が自分の身の上を話しだした。まあ、ここまでなら普通の子供もするだろうが、その内容が変わっていたのだ。驚くだろうが、孤児なら当然と思える。身支度など食事の二の次だし、女性が女性らしい姿などするはずがないからだ。まあ好んで女性らしい姿をして仕事をする者もいるだろうが、それは稀だ。それで、初めて身支度する人が多かったのだろう。歯磨きの磨き方から洗顔の方法を教えるのだ。それも自慢のように、嬉しそうに話しだすのだった。
「雪は、お母さん、お父さんの記憶はあるの?」
初めて会話をして、世話をするように様々な事を教えてくれる。そして、一番の友人になり、同室にもなる。櫛涙(くしるい)が、嬉しそうに問い掛けてきた。恐らくだが、両親の事を聞きだして、自分の理想の両親と重ねて、空想を楽しみ、自分の両親は理由があったのだろうと思い描きたいのだ。
「私は、幼い頃に両親が亡くなったので記憶がないの。でも、祖母と暮らしていたから悲しい思いはしなかったわ」
「そうなの。なら良かったわね」
皆が突然に話しを止めたので、不審に感じた。その理由は数日すれば分かる事だった。雪がまだ、恵まれた生活をしていたのだと感じたのだ。
「そろそろ、出ましょうか、他の人も待っているのだしね」
涙の一言で、一人、二人と浴室から出て行く。雪は不審を感じて問い掛けた。
「ねぇ。涙さん。私、皆に気分を壊すような事を言ったのかしら?」
「私もだけど、孤児だから普通の生活をした事がないのよ。羨ましかったと思うわ」
「あっ、なら、嫌われたわね」
「そうでないわ。恥ずかしかったのよ。殆どの施設に住む子はね。石鹸を始めて使った人が多いのよ。皆がいろいろ教えていたでしょう。だから、雪が普通の暮らしをしていたと思い。普通の人なら分かる事を教えたから、恥ずかしくなっただけ、大丈夫だから気にしないでね」
「うん。ありがとう」
「そうそう、部屋を案内するわ。あっ、明日は、私達が後から風呂に入るのよ。後、掃除とか、いろいろな事は、明日、教えるね」
「はい、お願いします」
「ああ、それとね。施設の二階が女子専用なのよ。消灯は十一時で鍵が閉まるから一階と二階の行き来は出来なくなるわ。ああ、それとね。一つの部屋に四人で寝るの。後二人は風呂から上がって来たら紹介するわね。でも、ねね、普通の暮らしをしていたのでしょう。なのに、荷物は鞄が一個なのね。まあ、あるだけ良いけどね。殆どの子は身一つなのよ」
「そうなの?」
「そうよ」
「ねえ、涙。食堂には百人くらい居たでしょう。全ての人が住めるくらい部屋があるの。それとも、他にも建物があるの?」
「ああ、半数は帰る家あるからね。皆は無料だから習いに来ているのよ。と言うか、食事を食べに来ているって思った方がいいかもね」
「そうなの?」
「でも、施設に居る人達は真剣よ。施設を出たら自分の力で生きて行くのだしね」
「私も同じです。この施設で勉強して、祖母のように、自分の力で生きて生きたいのです」
「そう、凄いお婆ちゃんねぇ」
「うん」
雪は、祖母が亡くなってからは、忙しい日々だった為に、ゆっくりと悲しむ事も出来なかった。それでも、これからの生活の目途が立ったから安心したのだろうか、それとも、祖母が亡くなってから初めて優しくされて、今頃になって悲しみを感じてきたのだろう。今にも泣きだすかのように目が潤んできた。
「でも、雪さんを見ていると、何となく分かるわ。優しいお婆ちゃんだったのね」
「うん」
「もう我慢しなくていいの。好きなだけ泣いていいのよ」
涙は家族の記憶は無かった。それでも、嫌な事や辛い事が会った時は涙が枯れる程に泣いていたのを思い出した。そうすると何故だが分からないが、全てを忘れる事ができた。それを思い出し、雪に言ったのだ。だが、今では、施設で親しい友ができた。それからは、泣く事で悲しみを忘れるのではなく、温かい手の温もりで頭を撫でられるのが、一番の特効薬だった。勿論、同じように、雪の頭を撫でて気持ちを和らげようとした。暫くすると、笑いながら階段を昇って来る声が聞こえてきた。
「風呂から上がって来たみたいねぇ」
雪が、笑い声に驚いたので、優しく声を掛けた。
「もう大丈夫よ。ありがとう」
「そう、なら良かったわ」
涙が、安心すると同時に、扉を叩く音が聞こえてきた。
「入っていいわよ」
「どうしたのよ。扉を閉めているなんて、何かあったの?」
施設では、普段は扉を開けておくのが普通だった。だが、扉を閉める場合は、個人的な用事などで閉める場合があるのだ。その時は、扉を叩いて入れなければならなかった。
「あっ、ごめんなさい」」
部屋に入り、雪が泣いていたと分かると、自分も初めて施設に来た時を思いだしたのだろう。大声を上げた事を謝罪した。
「気にしないでください。自分の部屋でもあるのですからね」
「うん。そうだけど、あっ、ねね。雪さんでしたわよね」
「はい、そうです。よろしく」
「ああっ、ごめん。まだ、紹介してなかったわね」
「そうよ。私は、紅香織(こうかおり)」
部屋に入って直ぐ怒鳴り声を上げた。その女性だ。そして、興味深そうに三人の女性を見ているだけで、無言な女性も自分の名前を伝えようとしていた。
「私は、帯恵子(おびけいこ)」
「鏡雪です。よろしくねぇ」
「ねね、雪さん」
「帯さん。何です?」
「両親の記憶は無いって聞いたけど、祖母と暮らした記憶はあるのでしょう」
「そうだけど・・・・・なぜ?」
「あのねぇ。風呂に入っている時ね。雪さんの話題が出たの」
「あっ、雪でいいわよ。それで・・・どんな話題なの?」
「思い出の食べ物の話しなの」
「え?」
「この施設ではね。土日は、領主様の料理長が作ってくれるのだけど、他の曜日は、教育の一つとして、私達が作らないと行けないのね」
「うぁああ、そうなの。何か楽しそうね」
「そうよね。それでね。今までは、孤児でない生徒の親に習った料理を作って食べていたの。だけど、その子たちと喧嘩って程ではないけど・・・・・あのね」
「もう、私が言うわ。帯が言いたいのはね。孤児の子と両親がいる子と言い争いがあったのよ。まあ、私達が悪いのだけどね。それって言うのが料理の話なの。料理のメニューを考えている時に、同じ料理で飽きたってね。言ってしまったの。まあ、親の自慢の料理を貶されたから怒ってしまってね。なら、お前らの思い出の料理を作ってよ。そう言われても言い返す事が出来なかったのよ。それは、当然よね。両親の記憶が無いって事は、思い出の料理もあるはずがないもの。と言うよりも施設に入る前は、まともな料理も食べた事なんてないからね。だから、帯が言いたいのは、雪の思い出の料理を教えて欲しいと言いたかったのよ。帯、そうよね」
「うん」
「雪の思い出の料理も食べてみたいわ。けどね、それで、見返したいの」
「ああ、祖母には教えてもらったけど、もしかしたら、皆が食べた事があるかも、それでも良いのなら教えけど、本当にいいの?」
「それでいいの。料理よりも、何故、その料理を作ったのか、自慢の話しが聞きたくなかったのよ。当然よね。親の自慢や、誕生日の祝いの話しなのだしね」
「なら・・・・・私も同じですよ」
「いいのよ。親が居る子はね。知っていて当然だと思ってなのか詳しく教えてくれないの。でも、悔しいし、恥ずかしいから問い掛ける事ができなかったの。だから、雪の思い出の話しが聞きたいのよ」
「いいわよ。何が聞きたいの?」
「少し待っていて、皆を呼んでくるからね」
その言葉の後に、帯は、部屋の外に駆け出した。
「皆が来るわね。それなら、この部屋では狭いわ。談話室に行きましょう」
涙が嬉しそうに提案した。
「私は、何処でも良いわよ」
「なら行こう」
雪は、涙と香織の案内で部屋を出た。そして、談話室に案内された。だが、特別に何かがあるのではなく、三十人が座れる広さがあるだけだった。
「ねえ、この部屋って何をする所なの?」
「元は、布団などが入っていたの。今は、各部屋に布団とか必要な物は移動したから空き室になったのね。それで、談話室として使っているだけよ」
雪が問い掛けている間に、一人、二人と部屋に集まってきた。雪は、緊張していた。それも、当然かもしれない。人が集まって来たからではなかったのだ。皆が、雪の話しを期待して興奮していると分かる様子で、部屋に集まって来たからだ。
「雪さん。そんなに緊張しないで、尋問するのでないのよ」
「ふぅう~」
雪は、涙の気遣いには大きな溜息を吐く事しかできなかったが、それでも、何かの返事を返そうと、何度も頷いていた。だが、雪の思いとは別に、皆に、問い掛けの合図と思われてしまい。次々に話しを掛けられていた。まあ、難問でないので、問い掛けの答えはできた。もし、この様な場所や皆の真剣な表情でなければ笑ってしまう様な問い掛けだったのだ。それは、誕生日って特別な事をするの。から始まり、初潮の祝いなど、普通の人なら誰でもが分かる内容だった。だが、皆は馬鹿ではない。施設には教師がいる。当時でなら博識と思われる知識はある。だが、誰もが知ると思われる事は教えるはずもなく分からないのだ。それでも、問い掛ければ教えてくれるだろうが、聞く方が恥ずかしくて聞けないのだ。皆は、最後の機会だと思っているのだろうか、幼い子供のように問い掛けるのだった。この時からだろう。雪を普通の事を教える教師とでも思っている態度なのだ。その部屋の片隅で、夏野明菜だけが無言で視線を向け続けていた。まるで何かを言いたいような視線だった。誰もが、時間が経つ程に感情が高ぶり、明菜の視線には気が付かないで話し続ける。このままでは、明日の朝になっても終わりそうにない。その様に感じられたが、その時に、消灯の合図の鐘が響いた。
「雪先生。あっ、ごめんなさい。雪さん。また、明日も話を聞いてくれますかぁ」
帯恵子が、内心の気持ちを口に出してしまった。
「良いわよ」
雪は、驚いたが、満面の笑みを浮かべて返事を返した。
「良かった」
部屋の中に居る。皆が同じ気持ちだったのだろう。安堵の声が部屋に響き渡った。
「料理の作り方は、明日にしましょう」
「はい」
また、先ほどと同じ様に、部屋中に言葉が響いた。
「消灯よ。寝ましょう」
櫛涙の言葉で直ぐに、皆が部屋から出て行く。そして、談話室の灯りが消えた。
「ねえ、涙さん」
雪が自室に戻る途中で、涙に問い掛けた。
「何です。雪さん?」
「あの、談話室の隅で、無言で、私を見ていた人が居たわよね。その人、誰なのかなって、もしかしたら、私が気に触る事でもしたかと思ったの」
「談話室の隅で無言だった人ねぇ。誰だろう・・・・・・・・ああ、明菜の事ね」
「その人って、どんな人なの?」
「大丈夫よ。何も心配する事はないわ。そうねぇ。何て言えばいいかなぁ。女子の責任長とでも言う感じかな」
「若いのに凄いわね」
「あのね。明菜と新、それと、晶はね。この施設を作る原因になった人なのよ」
涙は、自室の前で立ち止り、話を始めた。
「そうなの?」
「この施設は、当時はね。領主様の別荘だったの。それが、十五年前に、三人の子供が玄関に捨てられていたのよ。それが、明菜、新、晶なのよ。皆は、領主の隠し子だと噂をしているわ。でね。その三人の教育と生活する場所として、この建物が使われたのよ」
「そうだったの」
「そうよ。正式に、何時から孤児や教育を教える場所になったのか、それは分からないわ」
「そうなの」
「でも、明菜は良い人よ。もし、消灯後でも勉強がしたい時や、一人で考えたい事でもあるなら、相談をしてみなさい。明菜は個室で生活しているから何時でも聞いてくれるわよ」
「えっ、明菜さんだけが個室なの?」
「いいえ。明菜、新、晶さん達だけなの。その様な待遇だから隠し子かなって噂なのよ」
「そうよね。それなら、そう思われても仕方ないかも」
「そうでしょう」
雪は、全ての不安を相談したからだろう。気持ちが落ち着き大あくびをした。
「寝ましょうかぁ」
「うん」
そして、二人は自分達の部屋の扉を開けた。その時には、室内の灯りは消されていた。それでも、声を掛ければ、帯と紅が返事を返しただろう。だが、返事も灯りも灯さずに、自分の寝具に入り、寝る事にした。
第四章
東の空には日の出が現れていないが、時間的には、そろそろ見える頃だ。まだ、暗くて寒い。起きるには早い時間なのだが、女性は窓から外を見ていた。日の光を楽しみしているのだろうか、なら何故、溜息を吐くのだ。それ程までに朝日が見たいとは、顔の表情からは感じられない。だが、何か、人生最後の決心を決める日の様な、恐れや不安が現れていた。それでも眼光は、期待、喜びが感じられた。その女性とは、鏡雪だ。恐らく、新生活の初日であり、深夜の月の光に輝く者に会える。その喜びで、早く目が覚めたのだろう。
「如何したのです。雪さん?」
「あっ、起こしてしまいましたか?」
雪は、涙の言葉に驚き振り返った。
「いいえ。違うわ。起きる予定だったの。そろそろ来る頃なのよ」
「えっ、誰が?」
「そんなに大きな声を上げないで、二人が起きるわ」
「あっ、ごめんなさい」
「付いて来て、でも大声は上げないでよ」
「はい」
涙は囁くと、部屋の扉のノブを掴んだ。
「ごめんなさい」
「いいのよ。おはよう」
「おはよう御座います。また、お願いに来ました」
扉を開けると、一人の女性と言うよりも女の子が、本当に済まなそうに立っていた。
「分かっているわ。何も気にしなくていいのよ」
「ごめんなさい」
「おはよう」
何故、部屋の前で待っているのか分からないが、表情では困っているのが分かり。雪は挨拶で慰めようとした。
「あっ、雪さん。おはようございます。私、匙裕子(さじゆうこ)です」
「宜しくねぇ」
「雪さんも手伝ってくれるのですかぁ。本当にごめんなさい」
「良いのよ。なら行きましょう。雪さんも付いて来てね。ねね、もう男子の方は仕事を手伝っているの?」
「来ています。でも・・・・・」
「分かるわ。薪割りと湯を沸かすくらいしか出来ないしね」
「う・・・・ん」
「でも、本当に気にしなくて良いのよ。まだ料理ができなくて当然の歳なのだからね」
「え、料理を作るの?」
「そうなのよ。今月は施設に居る者だけで作るのよ。そして、月曜が裕子の部屋なの」
「そうなの」
「ねね、雪さん。今日の料理は作る物が決まっているけど、来週はお願いよ」
「はい。でも、昨夜の話では、今日から作るのでないの?」
「あっ、そうね。夕飯を頼まれるかもね」
今までの会話は、涙と雪と裕子たちが厨房に向かう間のことだった。そして、近づくにしたがい、興奮を表す様な。いや全く違う。戦場のような人の叫びに武器の音だろうか、金属の音に、合図の音だろうか、木槌の音が聞こえて来るのだ。
「何をしているのだろう?」
雪が誰にも聞こえないように囁いた。その囁きが聞こえたのか、涙が興奮を表した。
「やっているわね。この叫びが聞こえるから手伝いたくなるのよねぇ」
誰かに言ったのはでないだろう。涙は呟くと早足で調理室に向かった。その後を、雪は恐々と、裕子は済まなそうに後を付いて行った。
「えっ?」
雪が室内を見ると、驚きの余りに立ち尽くした。それも当然と思える。調理室の壁には血痕が無数にあるだけでなく、室内にいる男女七人の衣服にも血が付いているのだ。まるで、猟奇的な殺人現場の様な室内だった。それだけでなく、皆は目が血走り興奮していた。その様子だけで判断すれば人間の肉でも調理しているのではないかと、思うくらいだった。
「もう、何で朝から豪勢な料理を作らないと行けないの。朝は、納豆と海苔に味噌汁とご飯でいいのよ。でも、卵料理もあると嬉しいけどね。もしかして、また、帰宅の子たちと喧嘩でもしたの?」
涙が一心不乱に料理を作っていたが、その隣で大人しく話しを聞いていた。その御手洗明子(みたらいあきこ)が、何かを伝えようと囁いていたが気が付いてもらえず。左腕の肘で、涙の左手を突っついた。
「何をするのよ。危ないでしょう」
怒りを感じるのは当然だろう。真剣に料理を作っている。そのフライパンを持っている左手を突っついたのだからだ。
「なに?」
明子の視線の先を見て、何を言いたいか気が付いた。
「雪さん。驚いたでしょう。この帳場には考えられる全ての道具があるのよ」
この時代にしては驚きの事なのだ。涙が言った事は大げさではなく、海外物が殆どない時代に、海外の調理道具まであるのだ。それで驚き立ち尽くしていると思ったのだ。
「人の・・・・・・」
雪は、自分が驚いている意味を伝えようとした。それは、人の肉でも調理しているのかと、声に出そうとしたのだ。
「人の・・・・・。ああ様子ね。皆は真剣でしょう。仕方ないのよ。喧嘩したのでしょうけど、明子が本当に嫌ってないのが、皆が分かるから協力しているのよ」
雪が途中で飲み込んだ言葉を、涙が勝手に判断して言葉を繋げた。
「なに言っているのよ。あんな男なんて嫌いよ」
「誰も男なんて言ってないわよ」
「馬鹿、涙姉さんなんて嫌いよ」
「それで、何があったのよ。こんな料理を考えるなんて」
「明日は、健二(けんじ)の誕生日なのよ。何か作ってあげるって言ったのに、親に好きな料理を作ってもらえるって言うから・・・・なら、食べた事も考えた事もない料理を作って、親の料理よりも美味しいって言わせようとしただけよ」
「でもね」
涙が話を掛けようとしたが、明子は耳に入っていないのだろう。そのまま話し続けた。
「女子の皆が、祝いをしてあげるって言ったのに、親の料理の方が美味しいから要らない。なんて馬鹿にしているわよ。涙姉さんも思うでしょう」
全ての女子と言っているが、恐らく、明子一人で浮かれ騒いでいたに違いない。
「あのね」
「だから、意地でも食べてもらうの。絶対に美味しいって言うはずよ」
「はい、はい。わかったわ。分かりました」
涙は、話しを聞いているのが馬鹿馬鹿しくなり、料理に専念した。明子は話を聞いてもらえず、頬を膨らませていたが、何も分かっていないのだ。健二が言った意味は、豪華な料理が食べたいのではないのだ。母が息子の為に料理を作り、息子が喜ぶ姿を想像する。そんな嬉しそうな表情を浮かべる母の姿。その母の笑顔の表情が見たいのだ。
「皆が来る時間よ。メイン料理以外の準備の用意をしてよ。料理の方は、そろそろでき上がるから盛り付けは、皆が来てからね。そうそう掃除も忘れないでよ」
「はっあぁ」
今日の料理の当番の人々が、いや、男性が嫌気を感じた。それも当たり前かもしれない。雑用をさせられ、やっと一息できると思ったのに、掃除を催促されたのだからだ。
「雪さん。そろそろ、全ての用意が終わるから、先に席に着いていていいわよ」
雪は、壁や床などの血痕(鳥、牛などの食用の血液だった。恐らく、包丁を振り回して飛び散ったのだろう)などの汚れが落とされたから安心したのだろうか、それとも、美味しそうな料理の香りで、嫌な思考が消えたのだろう。何故、正気に戻ったのか、その判断はできないが、それでも、一番の安らぎは、涙の一言だったかもしれない。
「うん、そうします。でも、何も手伝えなくてごめんなさいね」
「いいのよ。これから長い付き合いになるのだし、気を使わなくていいわよ」
「ありがとう」
雪は、広い食堂室に入り、一つの椅子に腰掛けると、室内を見回した。その視線の先には、様々な当番表から成績の上位の発表などが貼られていた。そして、張り紙の中の一つを見て笑みを浮かべてしまった。それは、子供たちが、自分の目標から自己紹介が書かれていたが、それだけでなく、自分を紹介する似顔絵が書かれていたのだ。似ているか分からないが、特徴だけは描かれていた為に笑みを浮かべてしまった。その張り紙だけでも子供たちが学ぶ雰囲気が感じられ心底から安らいだのだろう。その事には、雪は気が付いてないはずだ。そのお陰だろう。先ほどの地獄のような部屋の様子など忘れ、料理当番以外の、朝一番に食堂室に現れた人に、気持ち良く満面の笑みで挨拶ができた。
「おはよう」
「あっ、おはよう」
男性は、挨拶されないとでも思っていたのだろうか、驚きの表情を浮かべていた。その表情に、雪は驚いたが、この男性が、先ほどの話題の人物だった。
「宜しくねぇ。鏡雪です」
「よろしく。あっ俺、健二と言います」
「健二?」
雪は、聞いた事があるような気がして、少し考える仕草をしていた。それを見て、健二は、内心の気持ちを言葉するか思案していた。
「もしかして、御手洗さんの友達?」
「やっぱり、俺の悪口を言っていたのか?」
「違うのよ」
「俺、帰る」
「待って、本当に違うのよ」
「健二。来ていたのね。昨日は言えなかったけど、誕生日おめでとう」
二人の話し声が聞こえたのだろう。それで、愛する人の声だと感じて出てきたのだ。
「俺、帰る」
「えっ、何で、待ちなさいよ」
「私が悪いの。私、御手洗さんの名前なんて出すから・・・ごめんなさい」
「何で、私の名前を出すと帰るのよ」
健二は、何て言って言いか、自分でも分からないのだろう。顔を真っ赤にしながら頬を膨らませて、御手洗明子を睨んだ。
「何でもいいわ。でも、健二のお母さんよりも美味しい料理を作ったはずだから朝食だけは食べてから帰ってよ。必ず美味しいと言うはずよ」
「え、その事だったのかぁ」
健二は、柔和な顔に戻ったと言うよりも、不審そうに明子を見詰めた。その視線に耐えられえなくなり、視線を逸らすと、心の思いとは違う事を呟いていた。
「ふん。私は、誰の誕生日でも料理は作るわ。健二が特別では無いからね」
「ありがとう。食べてから帰るよ」
健二は、自分の思い違いと分かったのだが、自分が呟いた事を変える事ができなかった。だが、本当に嬉しくて笑みを浮かべながら頷いていた。
「そう。なら料理が並べられる前に、美味しい紅茶を飲ませてあげるわ。これは、誕生日のお祝いだからね。変な考えをしないでよね」
「うん。待っている」
健二は、調理場からクスクスと笑い声が聞こえたからか、それとも、明子の真っ赤な顔を見たからなのか、恥ずかしそうに頷いた。二人の様子は、誰が見ても両思いと感じる様子だった。そして、雪は、二人の会話の邪魔をしないように静かに食堂室から出て行った。その時、大声を上げそうになったが、食堂室の入り口で様子を見ていた。数人の友人たちに口を押さえられて防ぐ事ができた。
「お待たせ。ミントの紅茶よ」
「ありがとう」
「美味しい?」
「うん」
「お替りならあるからね」
「うん」
そして、二人が無言になると、仕方なさそうな表情で、涙が料理を持って現れた。
「この料理は、明子の希望した料理なのよ。何で朝なのに、この料理なのかしらねぇ」
「もう、さっき理由を話したでしょう。涙さんの・・馬鹿」
「明子。何処行くのよ。据わって居なさい。直ぐに明子の料理も持って来るからねえ。一緒に食べなさい」
良い雰囲気の時に、場違いな人が食堂室に入ってきた。それも、大声を上げながらだ。
「うぁああ、今日の朝食は豪華だね」
食堂室の入り口なら誰かが止めただろうか、調理場に居る人たちは、二人の様子を見ていて気が付かなかった。その為に、叫び声を上げながら入って来た者を止める事ができなかったのだ。
「あああ」
「えっ」
「あの馬鹿」
数人の男女が、人それぞれの怒りの叫びを上げた。だが、その中の一人だけが違う叫び声を上げたのだ。それは、雪だった。
第五章
雪は、場違いの者を見て、驚きの声と同時に痛みを感じたのだ。始めの気持ちでは、場違いな者に怒りの感情だと思ったが、そうでは無かった。始めての感覚だった。嬉しい様な苦しい気持ちが心を満たしてきたのだ。そして、何なのかと思考している時に、また、同じような感覚を感じた。今度は、左手の小指の赤い感覚器官からだと分かり。左手に視線を向けたが信じられなくて、確かめる為に腕時計を見るように手を上げた。
「嘘・・・・・嘘よ」
運命の相手との出会いで、左手の小指の赤い感覚器官が覚醒したので、自分でも見られたのだ。そして、左手の小指の赤い感覚器官が、ある男性の方向に刺しただけでなく。その男性が進むと、それを追うように動くのだ。
(運命の相手の方向が分かりました。指示を指している方向に進みください)
(頭が痛い。何なの、頭の中で言葉が響いた様な気がしたわ)
(北東の方向に運命の人が居ます。進み下さい)
「誰なの。運命の相手って、えっ、誰の事なの。あなたは誰なの?」
雪は、頭の中で聞こえる声に問い掛けるが返事が無い。それは、当然だろう。赤い感覚器官は、自分の体の一部なのだから答えるはずがない。それは、脳髄が腕を動かすように指示を伝えるような感覚なのだ。普通は、自分の体を動かす指示が聞えるはずがないが、赤い感覚器官だけは指示を示し、脳髄に響くのだった。
(赤い感覚器官が話しをしているの。そうなのね?)
雪は、何度目の響きなのか憶えていないが、やっと、自分の体の機能だと判断ができた。
(それにしては変よね。運命の人に会えれば、相手の赤い感覚器官が見えるはずよ。なら、目線に入る男性でなくて、本当に方向を示しているの?)
「如何したの。顔が真っ青よ。大丈夫。まあ、あの男の行動を見れば怒りを感じるのは然だけど、本当に大丈夫なの?」
「えっ?」
雪は、思考に夢中で何を言われたのか分からなかった。それでも、今の思考は一時間以上に感じられたが、時間にしたら一瞬だった。
「本当に大丈夫?」
「ありがとう。大丈夫よ。ねね、あの男は誰なの?」
「あの男は病気よ。最近は言わなくなったけど、前は、毎日のように女性に、赤い感覚器官が見えるよね。そう聞くのよ」
「嘘」
「そうでしょう。何の物語を読んだのか知らないけど、本当に運命の人に会えれば糸が見られるって信じているのよ。あの馬鹿。まあ、この施設を作る原因になった。三人の一人だから面と向かっては、誰も何も言わないけどね」
「三人の一人?」
「有名な三つ子よ」
「三つ子?」
「そうよ。夏野新。夏野明菜。夏野晶よ。そして、あの馬鹿が、夏野晶よ。残りの二人は良い人だけどね。二人が来たら紹介するわ」
「ありがとう」
「うぁあ。あの馬鹿、私たちを見ているわよ」
夏野晶は、驚きの表情で声が聞こえた方向に視線を向けた。だが、それは違うようだ。方向は同じだが、自分の左手と人が集まっている方向を交互に見ているのだ。その様子は、雪と同じだった。恐らく、左手の小指の赤い感覚器官が示す方向を見ているようだった。
「ねえ、あの人、晶と言うのよね。どんな人なの?」
「一言で言うなら変態よ。でも頭は良いのよ。まあ顔も良いけどね。それに、私たちの学び舎は三班に分かれているのね。その幼年組みの監督官なのよ。面倒見が良くて優しいから好かれているみたいよ。まあ、ある程度の歳を超えると、変態と分かって係わりたくなくなるらしいけどね」
「だから係わらない方がいいわ。まあ相談するのなら残りの二人にしなさい」
「うん。ありがとう。そうするわ」
「このままだと、あの馬鹿は、二人の邪魔をするわ。仕方がないから、私たちも一緒に朝食を食べましょう」
「うん。そうね。お腹も空いたし食べるわ」
そして、この館での生活が始まった。と言うよりも運命の出会いの旅が始まった。いや、手がかりが始まったと言うべきだろう。
「なら座りましょう」
雪は承諾するが動かずに晶を見ていたので、肩を叩き食堂室に入るように勧めた。一人が入ると、二人、三人と席に座りだした。それでも、晶が来てから現れた人たちは何があったのかと、不審を感じていたが、食堂室の中にいる晶の姿を見てからは、又、何かしたのだろうと、入り口で待っていたのだ。それでも、何も問いたださずに中に入ったのは、空腹だったからではないはずだろう。
「あっ、ごめんなさい。紹介がまだだったわね。私、鏡雪です」
「私は、布今日子(ぬのきょうこ)よ」
「よろしくね」
「こちらこそ。あのね。皆が来てから一緒に食事を食べるのよ」
「そうよね。皆で食べる方が美味しいわよね」
「もう少し時間が掛かりそうね。あっ、そうそう。私、お茶でも持ってくるわ」
雪は一人になると、皆に隠すように左手の小指の赤い感覚器官に視線が向く。その方向に視線が向くのだ。
(やっぱり、晶の方向に向くわね。本当に運命の相手なの。なら何故、私に何も言わないの。同じなら方向を示しているはず。何故なの?)
雪は、左手と晶を交互に見ていた。それで、今日子が、両手にお茶を持って早歩きで駆け寄って来る姿を気が付かなかった。
「どうしたの。晶を見ていたようだけど、まさか、何かされたの?」
今日子は、二つのお茶を食卓に置くと同時に、晶に鋭い視線を向けた。
「いえ、何でもないわ。ただ、先ほどの男女の気持ちが分からないかしらって思ったの。もしかしたら、人の気持ちが分からない人なのかしらって見ていたの。でも、子供には優しい人なのねえ。沢山の子供が周りに集まって笑っているわ」
「そうね。まだ、気持ちが幼いのよって言うか、子供そのものねぇ」
「そう、なら子供と思って接すればいいのかしらね」
「そうね。それが正しい判断かも」
「ありがとう。何か気持ちがスッキリとしたわ」
「そう、何なのか分からないけど、気持ちが落ち着いたのなら良かったわ」
「それだけでなくて、お茶も美味しいわ。そのお陰もあるわ」
「そう、よかったわ。私は、自分用のお茶などは持ってないの。友達には、いろいろな飲み物を持っている人がいるから、給料が貰えるまで飲ましてくれるように言ってあげるわ」
「給料がもらえるの?」
「そうよ。それだから、私たち孤児は不道徳な仕事とか、迷惑をかけるような事をしないのよ。仕事も勉強の一環で手伝うだけだけど、ふざけて適当な仕事をするようなら怒鳴られるだけでなく、この館に住めないのよ」
「そうよね。真剣な気持ちで頑張るわ」
雪は、顔色が真っ青になり心底からの心構えを感じているようだ。
「まあ、そこまでの心構えなら大丈夫よ。一人でなくて皆で仕事をするのだからね。それに、給料と言ってもお小遣い程度なのよ。がっかりしないでね」
「そんな事は考えてないわ。そうでしょう。私みたいな子供にお金を頂けるだけでも驚いているのに、がっかり何てしないわよ」
「そんなに怒らなくても分かったわよ。ぷっふふ」
雪の真っ青の表情から真っ赤に変わる表情を見て、今日子は笑ってしまった。
「もう酷いわ。笑うなんて・・・もう」
「雪も笑っているわよ」
「うん。ここでの生活を考えると嬉しくて嫌な事を忘れてしまいそうなの」
「なら良かったわ。これからも宜しくねぇ」
雪と今日子は、席から立ち上がり握手をした。そして、椅子に座ろうとした時だった。
「そろそろ朝食を始めてもいいかな?」
二人の女性は、会話に夢中で周りの事が見えなかったのだ。それで、作間源次郎は話しが終わったと感じて、二人に声を掛けたのだ。その声に驚き周りを見回すと、皆が席に座って笑っている姿を見て、顔中だけでなく耳まで真っ赤になって俯いた。
「話しを聞いていたよ。雪さん。もう皆と仲良くなったのですね。安心しました。これからは、先ほどの話しの通りに頑張ってくださいね」
雪と今日子は頷く事しかできなかった。その様子で返事ができないと分かったからだろうか、作間は話を続けた。
「食事の後は、鏡雪さんの紹介をしようと思っていましたが必要ないようですね。それに、これからの生活などは、私が言うよりも皆と楽しく学んだ方が良いようですね」
作間が悲しそうな表情を浮かべたように感じたのだろう。皆が静かになり。雪と今日子も真っ赤な顔も普通に戻り、顔を上げる事ができた頃だ。
「それでは、食事を食べましょうかね」
「はい」
皆が唱和した。その言葉を聞いて、作間が頷いた。
「頂きます」
と、作間が食事の挨拶をすると、皆も同じように挨拶をして食べ始めた。だが、皆は無言で食べている。豪華な料理なので食欲の為だろうか、それとも、作間が決めた食事の規則なのだろうか、それは、分からない。それでも、晶の班なのか、それとも、食事の時は、好きな者が集まっているのだろうか、晶の周りだけが囁きのような声で会話をしていた。
「晶さんが何時も言っているでしょう。私、何時になれば見られるのだろうと待っているの。でも、毎日が苦しいの。これ程までに愛しているのに運命の人では無いのよね。本当に赤い糸ってあるのかなって思い始めたの。でも、晶さんは持っているって、相手が現れるのが楽しみだって言っているでしょう。私には無いけど相手が現れれば見られるって言ってくれたけど、毎日が苦しいの。だから正直に教えて欲しいの。本当に運命の人の赤い糸が見られるって、本当に見られるのよね?」
この女性は、筆順子(ふでじゅんこ)と言う。晶に会う度に言うのだ。心底から好きな男性が居て、何時か赤い糸が見られると思っているのだ。想いが成就するまで、晶に問い掛けるだろう。そして、晶は常に同じ事を言う。それで、順子は安心するのだ。まあ、晶が安心させる為に同じ事を言っているかは、晶に聞かないと分からない。だが、晶の話す時の表情で判断するのなら違っているはずだ。ただ、自分に現れるだろう。理想の赤い糸を想い浮かべているだけと感じられるのだ。それでも、その笑みで殆どの女性、いや、幼い子供は本当の事なのだと信じて納得してしまうのだ。
「ぶっ、げほげほ、ごほごほ」
その囁く声は、作間まで届いていない。それでも、近くの者には会話が聞えたのだろう。その内容で食べた物を噴出すのを我慢する者が、晶の周りに数人いた。
「又、同じ事を聞いているよ。でも、誰なのだろうなぁ好きな人って?」
「晶も例の話を始めるぞ」
「うんうん。そうだなぁ」
「そろそろ言うぞ。ぐふふ」
晶の話は楽しい話ではない。恋焦がれている者や晶を好きな人なら楽しい話しだろう。
「晶さん?」
順子は、楽しみに待っていた。
(どうしたの。私は何度も話を聞いたけど、運命の糸の話しを聞くたびに気持ちが安らぐのよ。だって、それは、晶が心底から思っている運命の出会いの場面の理想なのでしょう。私も、赤い糸が見えれば同じようにしよう。いや、同じようになったら嬉しいと思えるから忘れないように何度も聞きたいの。でも、今日の晶さんは変よ?)
普段の晶なら満面の笑みを浮かべて即答するのだが、何故か今日は、食事にも会話に関心がないような態度で、自分の左手の小指と雪を交互に見ているのだ。
「順子さん。赤い糸って見えないかもしれないですね。でも、相手が居る事を痛みで伝えるかもしれませんね」
「ぶっ、げほげご」
「え」
近くの席に座っている男性と順子が驚きの声を上げた。
「今日の晶は変でないかぁ。今の問いも変だが、何時もよりはまともに思えるぞ」
「そうだなぁ。普段よりは正気と思える答えだ。熱でもあるのか?」
この数人の男性の声は、順子、晶には届いていないようだ。
「嘘。と言う事は、私が毎日、ある人を思うだけで痛みを感じるのは運命の相手だと、運命の神さまが教えているのですね。そうなのね。うぁあああ」
順子は興奮を表した。それと同時に、話しを聞いていた男性が大声を上げたのだ。
「な~んだ。晶の口癖の赤い糸って、やっぱり嘘かぁ」
「食事中に何を騒いでいるのだ」
作間が席を立ち上がり、怒り声を上げたのだ。
「あっすみません。驚いて声を上げてしまったのです。ごめんなさい」
「何があったのです?」
「晶が嘘つきだった事が証明されました」
「何だと」
作間は、誰に問い掛けたのか、まったく分からないが、怒りを表した。
「待って、晶は嘘を付いてないわ」
雪が席から立ち上がり否定した。
「でも、赤い糸など無いから見えないって、俺は聞いたぞ」
「詳しく知らないから、そう言うのよ。もともと、赤い糸って伝説なの」
「なら嘘と同じだね。伝説なのだろう」
「そう言うのね。なら話しをしてあげるわ」
「本当に聞いてみたいが、そろそろ朝食の時間も終わりだ。残念ですね」
男性たちは、人を馬鹿にしたような笑い声を上げた。
「あっ、作間さん。私に少し時間を頂けないでしょうか?」
「自己紹介を兼ねて話をしてみなさい」
「作間さん。貴重な時間を頂きありがとう。私を知っている人も居るでしょうね。昨夜から生活するようになった。鏡雪です。よろしくお願いしますね」
雪は、皆に視線を向けた。
「挨拶なんていいから、早く話をしてくれよ」
「そうね。分かったわ。伝説とは、祖母から聞いた話なの。それは・・・・・・・・」
雪は、悲しそうな表情を浮かべた後に、祖母との昔の楽しい事でも思い出しているのか、それとも、伝説とは、それ程までに気分を好調させる話なのだろう。そして、鮮明に思い出そうと、少し間だけ目を瞑り、嬉しそうに話を始めた。
第六章
それは、雪が、幼い頃に初恋が失恋に変わった時に、祖母が慰めてくれた話しだった。
「私が聞いたのは、男女の赤い糸の伝説なのです。何時の頃なのか教えてくれませんでした。もしかしたら、祖母も知らなかったのかもしれません」
「そうですか、それで・・・・」
作間は、祖母と聞き興味を示した。
「咲(さき)と龍次(りゅうじ)の話しです。ある日の、ある村が舞台です。その村は閉鎖的ではないのですが、滅多に人が訪れない辺境の村なのです。そんなある日の事です。村に旅人が現れたのです。その男性は、ボロボロの服を着ていたのですが、それでも、服の模様とか素材で裕福な育ちだと感じられたらしいのです。恐らく、元は貴族で、戦争で領地を奪われてしまい。追っ手から逃げる途中で部下とはぐれたのだろう。その様に村人は感じたのですが、不思議な事に、一月が過ぎても誰も迎えが来ませんでした。それでも、村人たちは、男性を持て成したのです。貧しい村で、誰一人遊んで暮らせる生活でなかったのですが、食事は、村に住む人々から少しずつ集め、接客なども、自分達の休憩を取らずに持て成していたのです。疲れはしたでしょうが、迎えが来れば礼金が貰える。その礼金で、盛大な祭りをしようと話し合っていたのです。そして、日数が過ぎれば過ぎるほど、男性の様子が変だと感じたのです。始めは、貴族だからだろうと思っていたはずです。それでも、一緒に生活していれば、少しは男性の事が分かるでしょう。まあ、分かったと言っても素性が全て分かったのでなくて、男性が記憶喪失なのだと感じられたのです。村人は、記憶喪失では、領地や部下に知らせて迎を呼ぶ事ができないと、心底から残念だと感じたはず。その時です。男の持て成しを止めようと話題に上がったのです。村は貧しく、誰一人として遊んでいられないからです。それでも、村人たちは身ぐるみ剥いで村から叩き出す事などしませんでした。村人の優しい気持ちもありましたが、男が、何一つ愚痴を溢さずに村の手伝いをしたからでしょう。新しい村人として接してくれるようになったのです。そして、月日が流れ、男性にも想い人ができたのです。その女性は、同じ村に住む村人の一人です。何故か男性は、挨拶を交わす事しかできませんでした。自分では養えないと思ったのでしょうか、幸せにできないと思ったのでしょうか、それとも、記憶喪失が本当で、記憶を取り戻すのが第一だと感じたのでしょう。その様子を見て村人は悲しみを感じたのです。男性は、村で一生暮らす気持ちがないのだと、本当の村人になる気持ちがないのだろう。そう感じたはずです。これでは、誰も、二人の仲を取り持とうなど一人もいませんでした。男性は、そのような話題など気が付いていないからでしょう。女性と会うと、笑みを浮かべて挨拶をするのです。そして、照れ隠しなのでしょうか、自分の左手の小指を見て微笑むのでした。そのような日々が続き、男性が村に現れて二年が過ぎた時でした。神も二人を祝福しようとしたのでしょうか、何十年か振りの豊作だったのです。これなら祭りが行えると、村中の人が浮かれ騒いでいたのです。男性は、普段と変わりありませんでしたが、それでも、祭りには興味を感じていたのでしょう。その証拠のように祭りの準備には誘われる前から参加していたのですから楽しみしていたはずです。それなのに、祭りの当日は、参加するのでなく見ているだけでした。それが、突然に駆け出したのです。皆は、その様子を見て、やはりな、と呟いたのです。男性が進む先は、想い人が数人の男性に囲まれていたからです。女性が襲われていると思ったに違いありません。心底からの心配だったのでしょう。女性の名前を叫びながら駆けよったのですが、男性の考えと違い。女性は笑みを浮かべ、手を振ったのです。それでも、目の前で表情を見ていれば助けを求めていると微かに感じるはずです。でも、男性は、女性の笑みを見て恥ずかしかったのでしょうか、それとも、男性たちの馬鹿にしたような視線を避けたかったのでしょうか、俯きながら近寄ったのです。そして、男性は・・・・・。
「楽しそうなお祭りですね」
と、一言だけ呟くのでした。
「そうですよ。祭りを楽しみましょうね」
と、女性が返事を返すのと同時に、数人の男性たちは笑いを堪えるように噴出すのでした。
「この男は駄目だよ。ダンスの誘いなんてするはずがないよ。俺たちの誰かに決めた方がいいって」
この村では、と言うよりも、この地の人々は、男性が女性にダンスの相手を頼み。それを承諾する事は、結婚を承諾したと同義だったのです。男性は、その会話を聞いて驚いたように女性に顔を向けるのです。まるで、この場にいる男性に決めるのですか、そんな表情でした。そして、女性が口を開けて言葉にしようとした。その時・・・・・・。
「私と一緒に踊ってくれませんか」
と、男性が大声を上げたのです。女性は恥ずかしそうに俯くのでした。そして・・。
「はい、心底から楽しみにしていました」
女性は、満面の笑みを浮かべた後は、嬉し涙でしょうか、それとも、今までの恋する気持ちからの胸の痛みを思い出したのでしょうか、瞳から涙が溢れ止まらなかったのです。
「涙の理由は私ですね。許してください。済みませんでした」
涙を流す女性が、咲です。そして、何度も謝罪をする男性が、龍次なのです。この二人の男女が、伝説の二人なのです。男性は、いや、龍次は、何度も頭を下げるのです。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と、自分が悪いと感じて謝るのです。咲は、その姿を見て、嬉しいのか、楽しいのか、自分でも分からなくなり微笑んでしまうのです。その周りにいた男性も、咲に片目を瞑る者、笑う者、手を叩く者がいましたが、一つだけ共通する事があったのです。それは、龍次を騙して、咲にダンスを誘うように企んだのでした。見事に成功したので、人それぞれの興奮を表していたのです。
「もう謝るのはいいですから、気持ちが分かりましたから顔を上げてください。初めてのお祭りでしょう。一緒に楽しみましょうよ。ねえ、龍次さん」
咲の安心したような嬉しい表情を見て、周りに居た男性も、一人、二人と咲と龍次から離れて行く。恐らく、自分の本命の相手にダンスの誘いを言いに行くに違いない。中には、告白した男性もいるだろう。それでも、想い人の所に向かったのは確かでした。そして、咲と龍次は、自然と祭りの中に入り、人々の中に溶け込みました。皆は時間を忘れるかのように楽しみ、夜遅くまで祭りは続いたのでした。明日の仕事に支障は無いのかと疑問に思う人もいるでしょうが、稲などの刈入れは全て終わっているのです。明日、一日くらい休んでも誰一人として文句を言う人はいるはずもないのです。それでも、夜の暗闇が増すにしたがい人が少なくなるのは、家に帰るのではないですが、それでも、祭りが終わりなのは確かでした。勿論、咲と龍次も祭りの場から離れるのでした。明日の事など考えるはずもなく楽しい祭りの余韻を楽しむのです。ですが、二人は、いや、全ての村人は気が付かないのです。今日だけが、村人全てが集まる事ができのだと、思い出にしか残らない最後の日だったと明日分かるのです。
「ブボ~ブボ~」
日の出と同時に法螺貝の音が響くのです。何事かと目を覚まし音が聞える所に、人々は向かいました。その殆どは既婚者だったのは仕方ないでしょう。その他の人々は音など耳に入るはずもなく眠り続けているのです。だが、それは、音が止むまでだったのです。その音が村の運命が変わる響きでした。集まった人々は、その場で驚きの話を聞く事になるのに、まだ誰も考えられるはずがありません。皆は話を聞く前までは、客人が来たのかと、少し興奮を表していたのです。
「集まって来たな。それでは、領主様の言葉を伝える。健康な成人男性全てを兵として徴兵する。それを知らせにきたのだ。この場にいる者は、村中に、今の言葉を知らせなさい」
目線だけでは何人かと数えられない人が集まった時でした。数十人の兵士の中でも、隊長らしい人が声を上げたのですが、皆は、呆然としていました。恐らくですが、皆の脳内の中では、劇の口上とでも思っている様でした。
「何をしている。何故、皆に知らせに行かないのだ」
村人は、誰も、動かず、人によっては笑みを浮かべている者もいたからだろう。隊長らしい者は、心底からの怒り声を上げた。
「領主様の思いを知らせに来てくれたのですね。ありがとう御座います。領主代理殿と、御呼びすれば宜しいのでしょうか、私は、この村の村長をしている、佐上(さがみ)と言います」
「領主代理で構わないぞ。それで、何が言いたいのだ?」
「村人が集まらないのも、この場の者たちが失礼な態度をしているのは、理由があるのです。昨日、何年か振りのお祭りを行なったのです。それで、気持ちが高ぶり、また、夢心地なのでしょう。お許しくださいませ」
「我らは、昨夜が祭りだと思い朝早くに来たのだ。この時間では、誰も逃げる事ができないだろう。と、そう考えたからだ。隣の村と同じ企みなどお見通しだ。だから、直ぐに成人男性全てを、この場に連れて来い」
「領主代理殿、この村の者は、村から出た事が無いのです。皆は、この地でしか生きられないのです。ですから、村の外のことなど分かりません。勿論、逃げようなど考える者もいません。ですから、領主代理殿、少し時間を頂けないでしょうか?」
「時間だと?」
「そうです。昨夜と、今日の昼までは、全ての仕事は休みと決めていたのです。それでも、今日の昼には、私の家に集まり、これからの農作業などの計画を決める予定でしたので、昼まで時間を頂けないでしょうかと、お願いをしているのです。勿論、当然な事ですが、領主代理殿たちも御疲れでしょう。昼まで休まれては、どうでしょう。豪華とは行きませんが、直ぐにでも食事の用意を準備いたしますよ。それだけでなく、領主代理殿が、酒を希望でしたら酒も御出します」
「ほう、酒を出すのか、飲まして襲う考えかぁ」
「領主代理殿、それは、余りにも失礼な言い方ですぞ。訂正して欲しい。この村に住む者は、誰一人として邪な考えなど思う人などいません。領主様が、兵を希望すると言うのなら誰一人として拒む者などいません。はっきり言いましょう。数時間の家族の思い出、別れの時間を欲しいと言っているだけですぞ」
「分かった。わかった。済まなかった。我らも疲れているのだ。疲れから言ったのだと思って許して欲しい。我らも昼まで休むとしよう。皆に食事の用意をして頂けるのだったな。楽しみにしているぞ。それで、昼までで良かったのだったな。先ほどの話を信じるぞ」
領主代理も言い過ぎと思ったのでしょう。苦笑いを浮かべながら謝罪をしていましたが、最後の一言だけは、人を殺せると思える程の鋭い視線を放っていたのです。領主代理たちから考えれば当然の殺気のはずです。部屋に押し込んで、家に火でも焚かれたら逃げようがありませんからね。
「それでは、村の衆、解散だ。解散。昼には家に集まってくれよ。それと、この場に居ない者たちの家には知らせも忘れないでくれなぁ」
村長の話の後には、村人たちも何かを言いたそうな様子だったが、誰一人として何も言わずに、この場を離れた。そして、昼が来たのです。領主代行たちは、死を感じる程の長い時間だったでしょう。食事を食べながら毒は入ってないだろうかと、考えながら食べるのですから、それだけでなく、突然に背中から襲われるのでないかと、いろいろと考えていたのでしょう。それでも、領主代理は戦の経験が長いからなのか、護衛がいるからなのか、さっさと食事を食べ終えて寝てしまったのです。それでも、村人の気持ちからでは、時間が経つのが早すぎると感じたでしょう。集まった村人は、村長の家の前で、領主代理が起きるのを通夜のように静かにと言うよりも、自分の葬式のように無言で待っていたのです。村長は、領主代理が起きようが関係ないのかもしれません。それとも、自分が言った事の心配だったのでしょう。昼が過ぎると直ぐに玄関から現れたのです。そして、一人、一人の顔を見ると言うよりも、村の成人男性が来ているのかと数えているようにも思えました。全ての人を確認した後は、何度も頷いた後に話し出したのです。
「皆の衆、話は聞いている者もいるだろうが、今日の朝、領主代理殿が村に来て、村に住む全ての成人男性を徴兵される事になったのだ」
「それは、違うと、先に言っておく。病気、一人息子、親が病気の者などは、徴兵はしない。だが、するかしないかは、領主の代理として来た。俺が決める。それを、これから調査する。だが、嘘を言った者は、先ほど言った理由でも徴兵を強制する」
「・・・・・・・・」
「それでは、剣術、弓を経験ある者は、右に、無い者は、左に並べ」
一名の除き、全てが右に並んだ。
「ほう、この村は戦争経験者が多いのだな」
「いえ、領主代理殿、そうではありません。弓なら狩で皆が使えます」
「そうかぁ。人を殺した者は居ないのだな」
「はい。領主代理殿、直ぐに徴兵したとしても兵として役に立たないでしょう」
「それは、俺が決める事だ」
「はい。済みませんでした」
領主代理は、村長の話も聞かずに、部下が居る方に視線を向けた。
「加賀(かが)。村人の弓の腕前を確かめろ。そして、部隊配置を決めておけ」
「承知しまいしました」
村長は、二人の会話を聞いて青ざめました。このままでは、全ての成人男性が連れて行かれると感じたのです。
「領主代理殿、お話したい事があります」
「この場では駄目なのかぁ?」
「あっ、話と一緒に見せたい物があるのです」
「そうかぁ。分かった。加賀、夕方までには出発するぞ。用意しておけよ」
「はい、承知しました」
加賀の返事を聞くと、領主代理は、村長の勧める部屋に入ったのです。何をするのかと言いと、村の為、村人の為に最後の決断をしようとしたのです。領主代理に、農作業などの計画行動書を見せようと考えたのです。これを見せれば、何人の人手が居るか分からせる事ができるだろうと考えたのでした。今思えば、毎年、毎年、村人から書類作成など作る必要が無いと苦情を言われていたのですが、心底から作って正解だったと思ったのです。それでも、書類を見せただけで、直ぐに承諾してはくれませんでした。村長は、根気強く説得をしていたのでしょう。説得を始めてから二時間も掛かって出てきたのです。その頃には、丁度、村人全ての腕前を確かめるのが終わった頃でした。
「加賀、使えそうな者は居たか?」
「お帰りなさいませ。村人たちが自慢していたように弓の腕前は、まあまあ使える程度ですが大丈夫と思います。ですが、一名だけが、何の武道派なのか分かりませんが、武道の基礎の形が感じられました。少々鍛える機会があれば、剣と弓の腕前は正規兵を抜く可能性があります」
「ほう、その男性は誰だ」
「その者は、記憶が無いらしく、皆に記憶なしの龍次と言われている者です」
「長老、先ほどの話しは認めよう。だが、龍次と言う男性は連れて行くからな」
「心得ております」
「なら良い。あっ加賀、この村に四日間いる事に決めた。その間に、村人を使えるように訓練しておけよ。それと、お前が気に入った男も鍛えてみろ」
領主代理は、長老と話しをしていたのですが、突然に思い出したように部下に話を掛けたのです。何か嬉しそうに笑みを浮かべていました。
「はっ、承知しました」
領主代理と加賀が話をしているのを、村人は何か言いたそうに見ていたのです。その気持ちを少しでも和まそうとしたのでしょうか、まるで祭りの前夜祭のような嬉しい笑みを浮かべたのです。
「村の衆。領主代理殿の気持ちで、村の成人男性の全てでなく半分で良いそうだ。それを決めるのに、くじ引きで決めるのが平等だと思うが、どうだろうか?」
村人は驚きと安堵の気持ちを声で表しましたが、それは直ぐに消えたのです。当然でしょうね。自分が徴兵されるかも知れないのですからね。
「異議が無いのであれば、くじ引きで決めるぞ。それでは、直ぐに用意するので少し待っていてくれ、それが終わりしだい帰っても構わない」
村長は直ぐに家の中に入ったと思ったら箱を抱え現れたのです。これでは、何かの仕掛けがある不正のくじ引きと思うでしょう。そうでは無いのです。農作業などの役割を決める時に、ちょくちょく使われていた物だったのです。
「それでは、普段の通り一列に並んでくれ、勿論、私も家族もくじを引くから安心して欲しい。それで、私の家族が、もし、くじが外れたとしても、私の長男は、志願して徴兵に出ると、必ず約束する」
村人は、直ぐに帰りたかったのでしょう。長老の言葉を最期まで聞かずにくじを引いたのです。そして、喜びの叫びを上げる者、青ざめる者と様々でした。何人目でしょうか、龍次の順番が来たのです。ですが、長老は、龍次が箱の中に手を入れようとした時です。
「龍次は、くじを引かなくて良い。先ほどの話しは聞えていただろう」
龍次の耳には届いていなかったみたいでした。本当に驚きの表情を浮かべたのです。
「聞えていなかったか。領主代理殿は、龍次を徴兵に必要だと言われたのだ」
「気にしないで下さい。記憶喪失なのに、村の一人として接して暮らせてくれたのです。私は、村の為に何かをしたいと思っていたのです。これで、やっと村の為に役立つのですから嬉しいですよ」
「本当に済まない」
「気にしないで下さい。私は、もう帰って良いですね」
「構わない。だが、明日の朝は、私の家に来てくれよ」
「分かっています」
龍次は、心底から疲れたように自宅の方向に歩いていったのです。その途中の帰り道にある。巨木の前で、咲が待っていました。
「龍次さん。どうでしたの?」
「私は、徴兵に応じます」
「まさか、志願したのですか?」
「私は、領主代理に気に入られたようです」
「でも、村に帰ってきますのでしょう?」
「はい。私の帰る場所は、この村ですから」
「なら、私は、龍次さんが帰って来るまで待ちます。良いですよね?」
「私は、本当に嬉しいのですが、私は、戦争に行くのですよ。もし帰って来たとしても何かの障害があるかもしれません。だから、咲さんは、私を忘れた方が良いと思います」
「私の事が嫌いなのでないのでしょう。私が好きなのでしょう。私は、どのような姿でも、龍次さんを好きよ。気持ちが変わらないわよ。えへへ」
咲は、龍次が戦争に行くと聞き、不安を感じました。それでも、今、龍次と一緒に居られる気持ちから笑みを浮かべたのですが、思いもしなかった事を言われ泣き顔になったのです。でも、本心を伝えれば、共に喜んでくれると、そう思って伝えたのです。
「ありがとう」
「えへへ、私も心配だったの。他の村や町に行ったら綺麗な人に出会うでしょう。私の事など忘れてしまうのでないかなってね」
「大丈夫ですよ。咲さんよりも綺麗な人はいませんよ。安心してください」
「そうですの」
「そうですよ。それなら私から渡したい物があります」
「何でしょう?」
「今から渡す物は、咲さんを守ってくれる物ですし、私の一番大切な物です。それに、その物は、私の無事を知る事もできます」
「何でしょう」
「それは、羽衣と言う物です」
そう伝えると、両手を背中にまわし何かを取る仕草をした。
「?」
咲は、龍次の仕草を見続けた。
「これです」
「?」
咲には、一瞬何も無いと感じたのです。それでも、注意して見ると、透明だけど、時々夕日の光に反射するのが見えたのです。
「透き通って綺麗ですね」
「これは、私の背中にある羽なのですよ」
「そうなの?」
咲は、信じていなかった。龍次は、背中に何かあるような仕草をしたけど、それは冗談だと思ったのです。初めて見る物でしたが、異国の物。いや、町なら普通に売っている物と思ったのでした。
「これは、常に身に着けて下さいね」
「はい。大事にします」
「それと、一つ聞きますが、赤い糸って分かります?」
「キャー。分かるわよ。でも、男の人が話題にするなんて始めて聞きましたわ。運命の人にしか見えないと言う、左手の小指の糸ですよね」
「そうです。羽衣を身に着けている時だけ赤い糸が見えます。それだけでなく、私の無事も確認が感じ取れますし、赤い糸の方向が示す方向に、私が居ます」
「えっ?」
咲は驚きの声を上げた。
皆は不思議に思うはずです。でも、人は創造主に似せて作ったと、聞いた事があると思うけど、でも、背中の羽。羽衣はあるのです。そして、左手の小指の赤い糸だけは、普通の人には普段は見えないわ。でも、あるのです。見えないだけなの。もし、羽衣が手に入る事ができれば、誰の左手の小指に見えるのです。
第七章
皆が、咲に赤い糸が無いのかと不審そうな表情をしているのを見て、解説をするように話を始めた。そして、無言で続きの話を待っていると感じ取り、また、物語の話を始めた。
「その様な事ができるの?」
「そうですよ。できると言うよりも感じ取る事ができます」
「それにしても、透明で綺麗ね。始めて見るわ。何でできているの?」
咲が驚くのも当然だろう。まだ、石油の製品など無い時代だ。もしあれば、ビニールと同じ製品なの、と問い掛けたはずだろう。
「虫の羽に近いと思います」
「それで、どうすればいいの?」
「体に身に付けてくれればいいのです」
「身に着ける?」
「肩から垂らしてみてください」
「これでいいの?」
咲は、恐る恐ると感じるような、驚きのような感じで、羽衣をマフラーの様に左肩から垂らしてみた。すると、体が痙攣したような動きをした後、左手の小指に痛みを感じたのだろうか、左手を時計でも見るように顔の目の前に上げた。
「え、これ何?」
咲は、自分の左手を見て驚きの声を上げたのです。当然でしょう。小指には、真っ赤な毛糸のような生き物のような物がピクピクと動いているのです。それでも、恐怖や険悪感などが感じ無かったのですよ。それもそうでしょうね。目の前に居る愛しい人の感覚を感じたのですからね。そして、目を瞑ったのです。
「うん。分かるわ。目を瞑っても、居る場所が感じるわ。何か手を繋いでいるような感覚を感じる。それに、何か浮いているような感覚も感じるのよ。不思議だわ」
「そうでしょう。咲さん。目を開けてみて」
「はい。キャッ」
咲は、龍次の言葉の通りに目を開けたのです。それは、驚くのは当然でしょうね。自分が空中を浮いて、龍次を見下ろしているのですからね。それも、羽衣を中心に透明な膜のような物の中に居たのです。
「その羽衣があれば、赤い糸と透明な膜が現れるのです。赤い糸は、私を感じる事ができて、膜は、咲さんを危険から守ってくれます。感覚が慣れれば空を飛ぶ事もできますよ」
「このような大事な物を、私に渡して、龍次さんの身の危険は守れるの?」
「大丈夫ですよ。それは、片羽です。もう片方の羽を持っていますからね」
「分かりました。私、羽衣を龍次さんと思って帰って来るのを待ちますわ」
「本当ですかぁ」
「もう馬鹿ぁ。子供のように無邪気に喜ばないの」
「済みません。本当に心底から嬉しくて、本当に嬉しく・・・・てぇ」
「泣かないの。気持ちは分かったわ。もう私が心配したのが馬鹿みたい」
「心配してくれていたのですかぁ」
「同然でしょう。村を出れば、他の村や街には綺麗な女性に会う機会があるでしょう。そうなったら、私の事なんて忘れて村に帰って来ないかも・・・・そう思ったの」
「そんな心配しないで下さい。私は必ず帰ってきますよ」
「うん、そうね。でも、浮気しても良いから必ず帰ってきてよ。遊びなら許すからね」
「浮気なんてしませんよ」
「でも、戦争って相手の命を奪うのよ。そのような命のやり取りをしていたら優しい心が消えてしまうわ。だから遊びなら許してあげるから優しい心を無くさないでね」
「大丈夫ですよ。咲さんが思っている。心も気持ちも変わらないで帰ってきますからね」
「うんうん」
咲は、嬉しくて涙を浮かべながら頷いていたのです。普通の恋人同士でしたら抱きついて接吻でもするのでしょうが、龍次は、咲の頭を撫でながら謝るだけだったのです。
「咲さん。そろそろ家に帰らないと、叔父さん。叔母さんに怒られないかな」
「はっあぁ。大丈夫と思うわよ。ねね、それよりお腹が空いたでしょう。私が何か作ってあげようかぁ」
咲は溜息を吐いたのです。当然でしょうね。だって、戦に行く前の思い出を作ろうとして待っていたのですから、まあ、それでも嬉しい事を言われたし、大切な物を頂いたけど、やっぱり接吻くらいの甘い思い出が欲しいのは、女性でも分かるのに、軟弱な天然の龍次では分からないのでしょうね。それで、天然の龍次でも分かるように食事を作ると言う理由で、龍次の家に泊まる気持ちだったのに分からないのですから、怒りを感じる溜息を吐いても当然でしょう。
「嬉しいですが、結婚前の女性が男性の部屋に居るのが分かると、叔父さん、叔母さんが怒る。いや、心配するような気がします」
「龍次さん。私と居るのが嫌なの。それとも、本当に嬉しいなら自分の思いを表して、私に抱きついて気持ちを表して欲しいわ」
「咲さん。気分を壊してごめんなさい。私は、心底から嬉しいのですよ。でも、戦に行くのです。もしかしたら死ぬかもしれないのですよ。その時、咲さんが、私意外な人と結婚する時に迷惑が掛かるような気がしたのです」
「もう馬鹿。私は、龍次さん以外の人と結婚する気持ちはありませんわ。そんな他人行儀な考えよりも、抱きつくなり接吻でもして思い出を下さい。それだけで、私は一生、龍次さんだけを考えて生きて行けます。もう、馬鹿。女性の私に、このような事を言わすなんて、うっう、わあああ」
咲は、龍次に怒りを感じた。そして、泣き出してしまったのです。
「ごめんなさい。咲さん。本当にごめんなさい。もう泣かないでください」
咲の思いとは違うけど、龍次が抱きついて慰めてくれたのです。それで、涙は止まったのですが、龍次の気持ちは慰めるのでなくて、私が、この場から駆け出して逃げ出すとでも思ったのでしょう。それでも、咲は嬉しかったはずです。
「もう痛いわ。何処にも行かないから大丈夫ですから少し力を緩めてください」
「あっ、ごめんなさい」
龍次は、驚いて直ぐに、咲の体から両手を離した。
「凄い力だったわ」
「本当にごめんなさい。それで、もし、今からでも良いのでしたら、その・・・」
「何です?」
「咲さん。今からでも良いのでしたら夕飯を作ってくれませんか。私も、その料理を思い出に、どのような戦でも生き抜いてみせます」
「いいわよ。なら龍次さんの家に、直ぐに行きましょう」
「はい」
「何をしているの。時間が無いのよ。早く行きましょう」
咲は、龍次の言葉を聞くと直ぐに歩きだした。直ぐに後に付いて来ていると思ったのでしょう。それが、龍次は呆然と立っている姿を見て言葉を掛けたのです。勿論、満面の笑みを浮かべて、龍次は、咲の所に駆け出したのです。そして、二人は嬉しそうに、食事の話や今までの思い出などの話をしながら家に向かったのです。勿論、家に着けば直ぐにでも、龍次の為に料理を作り、一緒に食べるでしょうけど、そのまま二人は、朝まで思い出を作るはずです。
「龍次さん。おはよう」
龍次が戦の訓練の疲れで寝てしまったのですが、咲は寝る事はできなかったのです。それも当然でしょう。これで長い間、龍次と会えないのですからね。でも、それだけでは無いでしょうね。愛しい人だから目覚めるまで寝顔を見ていたかったのでしょう。
「あっ、おはよう。咲さん。もう起きていたのですかぁ。早いですね」
寝起きで、脳内は、まだ夢の中いるのでしょう。自分で何を言っているか分かってないようでした。そして、数十秒後・・・・・・・・・。
「ごめんなさい。昨夜は、徹夜で思い出を作ろうと、私から言ったのに・・・・。知らない間に寝てしまって本当にごめんなさい」
「いいのよ。戦の擬似体験って大変なのでしょう?」
「まあ、楽しくはないですね」
「そうでしょう。いいの。それよりも早く顔を洗ってきて、一緒に朝食を食べましょう」
「うんうん、食べます。食べます」
龍次は、咲に言われた全てを終わらせて席に座りました。すると、少し早過ぎるとでも思ったのでしょうか、咲は、龍次を見詰め続けるのです。
(まさか、顔を洗わずに水でぬらしただけ、それに気が付いて不潔な人って思ったのかな)
龍次は、咲の視線に耐えられず、本心を打ち明けようとした時だ。
「ねえ、龍次さん」
「ごめんなさい」
「えっ、如何したの?」
「何でものないよ。それで、何を言いかけたのですかぁ」
「あのね。朝食を食べ終えて、龍次を送り出した後にね。叔父さんと叔母さんにお願いしようと思うの」
「お願いですかぁ」
「そうよ。三日後には徴兵されて村を出るのでしょう。その間だけでも、龍次の家で生活するのを許してもらうの」
「え・・・ええ」
「嬉しくないの?」
「嬉しいよ。でも、結婚もしてないのに許すはずないよ」
「龍次は、何も心配しないで喜んで待っていればいいのよ。私が心底から御願いすれば、誰もが赦してくれるのは分かっているでしょう。だからねぇ。大丈夫だからね」
「う・・・・・・・・ん」
(それって、脅迫って言うのでないのかなぁ。何か後で困る事が起きそうだ)
「龍次は何も心配しなくいいのよ。さあ、朝食を食べましょう。今日は、忙しい一日になりそうだわ。この家も掃除しないと駄目だしねぇ」
「・・・・・・・」
龍次は、無言で食べていたのです。何か一言でも言えば何倍も返って来るのが分かっていたし、それよりも、徴兵された人達が教育させられる。その集合時間が近づいているからだったからです。
「美味しい?」
「うん」
「お替りは良いの?」
「うん、お腹がいっぱいです」
「そう、もう行くのね」
「うん」
「私、昨日の所で待っているね」
「でも、危ないよ。夜遅くなるかもしれないし。もし本当に家に居るのなら家で待っていた方が良くないかな」
「大丈夫よ。私は少しでも早く会いたいから昨日の場所で待っているわ」
「そうかぁ。なら、そろそろ行くね」
「あっ、ちょっと待っていて。昼食も作っておいたのよ。持っていってね」
「うぉおおお。ありがとう。それでは、行ってくるね」
「うん、いってらっしゃいませ」
咲は、嬉しそうに見送るのですが、まだ知らないのです。これが最期の会話で、それだけでなく、龍次の満面の笑みを見るのも最後になるかもしれない事を、それを知らずに、忙しい一日になるのです。真っ先に叔父と叔母を説得と言うよりも脅迫しに家に帰り。それが終わると龍次の家の掃除と洗濯。そして、夕飯の用意まで終わると夕方が過ぎていました。咲は、忙しかった為に、朝から何も食べていないのに気が付いたのです。それで、夕食を食べられる程度に少しだけ食べてから例の待ち合わせ場所に向かいました。勿論、当然ですが、何時間も待っても龍次が現れるはずもありませんでした。その理由を知るのが、朝まで待ち合わせ場所で待ち続けて、通りかかる村人に言われてから分かるのです。その内容を聞いて泣き出してしまうのです。領主代理の話しでは勝ち戦だったが、戦では何が起きるか分からない為に、予備兵力の為だと聞かされていたのですが、何故か、突然に予定を変更して徴兵された人々が村を出発したのか、それはですね。村に緊急の領主の使いが現れたのです。突然に戦況が変わり味方が撤退をしていると、それで、至急に徴兵した兵員が必要だと知らせに来た事を聞かされたのです。それでも仕方なく龍次の家で、徴兵の契約期間を待ち続けました。予定された半年が過ぎると、徴兵された村人が一人、二人と帰ってきましたが、何故か、龍次だけは帰ってきません。それから、また半年が過ぎて徴兵されてから亡くなった人々の一覧表と労い金が届いたのです。その中には龍次の名前が無かったので喜び安心したのですが、無事に帰ってきた人々に龍次の事を聞き回りました。それで、知ったのです。龍次は徴兵隊としてでなくて正規兵として戦ったと、それを聞いて驚いたのです。それだけの驚きではありませんでした。正規兵だと最前線だから命があるはずがないと、だから、早く龍次を忘れて新しい恋をしなさいと説得されたのでした。でも、咲は、龍次が生きているのは自分で分かると叫んだのです。説得した男は、叫び声に驚いて説得を止めたのでなくて、好きな気持ちが忘れられないのでしょう。そう思ったはずです。その男は、最期に、咲を安心させる為なのか、本心なのか分かりませんが、領主様は、心優しい人だから正規兵としての戦いでも生き残れる作戦を考えてくれるだろうと、笑いかけてくれたのです。咲は、その理由が後から気になり他の人に聞いてみました。皆が領主は優しい人だと言うのです。今回の戦は、領民を守る戦いだから徴兵隊は最前線には出さない。それだけでなく半年の期間で村に返すし、労い金も十分に渡すと、その約束は本当だったと喜んで話してくれたのです。それだけなの。再度、咲は聞いたのです。すると領主は最期に領民を守る気持ちだが、敵は村を襲う可能性もある。皆が無事に村に帰れたら、今までの経験を全ての村人に伝えて、村単位で対策を考えて欲しいと、我々の村まで心配してくれていた。と、喜んで話してくれたのです。咲も子供の時は優しい領主様だと思ったけど、今思えば作戦だったと思えます。咲は、それから一年、二年と待ち続けたのです。村人たちは、咲に会えば新しい恋を勧めました。でも、龍次は生きています。必ず戻ってきます。と病気のように呟くのでした。それから、また一年が過ぎると、村人の説得が聞きたくないのでしょう。龍次の家から出ないようになりました。そして、龍次が村から消えてから六年後、咲の姿は、髪は伸び放題で衣服は破れ、まるで浮浪児のような状態になってまで、龍次を待ち続けていたのです。それが、突然、何を思っての行動なのかと、村人は驚いたのです。何年も長い間、咲は、龍次の家から出なかったのに、古い巨木の前で立っている姿を見かけたのです。もしかしたら、やっと龍次を忘れる事が出来たのだろう。そう思い。村人は見なかった振りをしたのです。そして、全てを忘れて、前のように挨拶をしてくれた。その時には、笑って迎える気持ちでした。そして時間が過ぎて、今日の日が終わる深夜、咲と同じような服装の男性が、咲の前に現れたのです。咲は、満面の笑みを浮かべながらお帰りと話しを掛けたのですが、その男は、私の事ですかと返事を返したのです。龍次は、また、記憶を無くしていたのです。それでも愛しそうに、咲は話しかけました。誰かをお探しですか、と、すると男性は、左手の小指にある赤い糸の様な物が、方向を示しまして、何か、その方向に進むと気持ちが穏やかになり、楽しい気持ちになるのですよ。それで、この地まで来ました。貴女の左手の小指にある物と同じ物です。そうなのと、返事を返すが、心の中では、神様ありがとう。また会わせてくれて。それだけでなく記憶も無くしてくれて本当にありがとう。六年も待たせた記憶があれば、龍次は、二度と笑みを見せてくれなかったはずですからね。それだけでなく、また、始めから恋愛ができるのですから本当に心底から嬉しいです。そのように神に感謝していたのです。そして、祖母は、話が終わると、赤い糸が見えないとは、良い事なのよ。と話しをかけてくれました。何故なのと聞くと、赤い糸が見えると言う事は、その人は、過酷な恋愛をすると言う事なのよ。と、祖母は笑って慰めてくれたのです。
全てを話し終えると、皆が、興奮を表して喜んでくれました。勿論、晶の悪口を言っていた男性たちも興奮を表して、次のように声をあげたのです。
「赤い糸って、俺たちにもあるのかぁ」
「見えないのが普通なのか」
「なら、晶が見えるって事は、過酷な恋愛を経験すると言うことだよなぁ」
「それは、大変だなぁ。晶よ。ごめんなぁ。本当にごめんなぁ」
この男性たちが、帰宅者たちの中心的な人たちで、この者たちに好かれると言う事は、帰宅者たちとも仲良くなれると同じだった。これで、寮に住む者も帰宅者たちとも仲良くなれたのです。この場では、まだ、雪が分かるはずもなかった。それよりも、男たちが謝罪していると言うのに、その本人の晶は、何を考えているのか、不思議そうに雪を見ていたのです。
「俺たち、晶は、女性に歓心を向かせるために、赤い糸が有ると、嘘を言っていると思っていたよ。でも、今の話が本当なら、いや、雪さんが嘘を言うはずがないから本当なのだろう。だから、赤い糸を信じる事にした。それで、今まで俺たちは、晶に酷い事をしてしまったが赦して欲しい。本当に済まなかった」
「・・・・・・・」
「晶さん。許してあげないのですか?」
晶が無言だった為に、雪は問い掛けた。
「雪さん。何故、そのような事を言うのです。私は、何も気にしていませんよ。だから全てを赦します」
「なら、握手しなくては駄目よね」
「えっ誰と?」
「晶。お前って本当に良い奴だったのだな。今まで俺たちがしていた事を遊びとしか思ってなかったと感じたよ。何度も言うが本当にごめんなぁ。これから良き友達でいよう。もし俺たちに出来る事があれば何でも言ってくれ、過酷な恋愛になるのだろう。がんばれよ」
「そうだぞ。過酷な恋愛になると決まっている。一人で悩む事はないのだぞ」
「うんうん、そうだよ。何でも言ってくれよ。友達なのだから協力するよ」
「ありがとう」
晶は、そう呟くと同時に、涙をぽろぽろと流し始めた。その姿を見てしまった。新と明菜は、直ぐに、晶の所に近寄った。
「晶、大丈夫か?」
晶の無事を確認すると、周りの者たちに鋭い視線を放ったのだ。
「新。チョット待ってくれ。俺は、俺たちは謝っていただけだ。本当だ」
「それが本当なら、何故、涙を流す。その話を信じると思うか」
「新さん。それは本当よ。でも、ちょっと言い過ぎだったようにも思うわ」
「何の話をしていたのだ。それに謝るとは何だ?」
男達は慌てて訳を話し出すが、新の殺気を放つ視線で、自分を守る言葉しか出てこなかった。新は、その話しでは意味が分かるはずもなかった。そして、問い掛けるような視線で、雪を見た。
「分かりました。私から話をするわ」
そして、雪は全てを話した。
「晶、馬鹿だなぁ。泣くほどの事ではないだろう。本当に、雪さんのお伽話しのように連れ合いを感じてだなぁ。晶が赤い糸の導きの旅に出る事になった場合は、必ず一緒に旅をしよう。そして、見つけ出すまで手助けしてやるよ。だから泣くな」
「私も行くは、新と晶では、計画的な旅など出来るはずないもの。三日で所持金が消えるわ。だから、私が管理をしてあげるわ」
「うぁああ、それは楽しそうね。その時は、私も旅の仲間に入れて欲しいわ」
雪が、満面の笑みで話しに入ってきた。そして、その一言を聞いた者が、心の悲鳴のような声を上げたのだ。
「何を騒いでいる」
作間源次郎が怒鳴り声を上げた。
「済みません」
「なんだ。新。明菜。晶が中心で騒いでいたのか、本当なら三人が止める立場だろうがぁ」
「済みません。雪さんのお伽話しで興奮してしまったのです」
「分かった。今回の事は忘れよう。だが、旅が如何のと、聞えたが旅に出たいのか?」
「あっ、お伽話しの通りに赤い糸が現れ、赤い糸が導きを示したらの場合ですよ」
「そうか、だが、旅を現実にするのなら費用を貯めなくては駄目だぞ。うむ、そうだな。最近、収益が伸びていないなぁ。もし収益を伸ばす事ができた場合は、特別報奨金を出そう。それを繰り返して貯めれば、旅の費用も直ぐにでも貯まるだろう。頑張るのだな」
作間は、笑みを浮かべていた。まるで、子供を持つ父親のような笑みを浮かべるのだ。その笑みから判断するのなら、子供が高価な物が欲しいと駄々をこねる様子を見て、手助けしようと考えているとしか思えなかった。
「はい。頑張ります」
作間の話が終わると、皆は同時に興奮を表した。
「良い返事だ」
作間は、嬉しそうに頷いた。
この日を境に、子供達は、授業を受ける熱の入り方が違っていた。だが、今までが不真面目だったのではない。皆は、将来の夢を見る事が出来たのです。作間の話を聞くまでは、親の仕事を引き継ぐだけと思ったのに、旅を赦すと言う事は、仕事も自由に選べる事を赦した事になる。そして、皆は驚き、迷い、興奮して、様々な夢を思い描く事になったのです。親は戸惑う事になるが、自分の子供が希望の笑みを浮かべる姿を見る楽しみが出来たのです。
第八章
子供達が夢を思い描く事になった。あの日から五年が過ぎたのです。
「特別報奨金の上位は、今年も、あの四人かぁ」
食堂の壁に紙が貼り付けてあったのです。それは、数百人分の名前と金額が明記してあった。五年前までは、百人にも満たなかったのが、職業の選択が出来ると噂になり、今では、日々の食事に困らない者までも学びに来るようになったのです。
「それは仕方ないわ。晶は意気込みが違うでしょう。当ても無い旅に出る費用を貯めるのよ。それだけでなく、少しでも早く旅に出なければ、自分の人生の連れ合いが、晶を待ちきれなくて、他の男性と結ばれるかもしれないしね」
「そうかも、新と明菜が旅に一緒に行くのは分かるぞ。三人は兄弟なのだからな。でも、何故、雪さんまでも一緒に旅に出るのか、それが分からないよ」
「意外と、晶の運命の相手かもしれないわよ。そう思わない?」
「思いたくもないなぁ。でも、何故、そう思う」
「女性の感って言うよりも、五年前を思い出してごらんなさいよ」
「五年前?」
「そうよ。五年前、あなたたちが、晶を苛めていたでしょう」
「苛めていたと言うかだなぁ。嘘みたいな話をして女性に人気があったのが癪にさわるだけだった。別に嫌いではなかったぞ」
「そうよね。晶だから赤い糸とか運命の相手って話題にしても、女性たちは話を聞いてくれたでしょうけど、他の男が言えば、頭が変になったとしか思ってくれないわよね」
「そんな話題をしなくても、当時の女子、いや、今でも、一言だけ好きです。と言えば、女性は一言で承諾するだろう」
「確かに、顔も良いし優しいからね。好きだった人は多かったと思うわ」
「それで、ちょっと言い返しただけだよ」
「まあ、あなたたちは、当時好きだった女の子が、晶の運命の相手の話を聞いて、赤い糸が見えないからって断られたのが原因だったのでしょう。でも、今は、雪さんが好きなのでしょうね。でも、女性ってね。一途に思わってくれるのがいいのよ」
「何故、それを知っているのだ」
「女性ってね。男性から告白されたとか、男性に告白するとかって良く話題にするのよ。まあ、男性に、その話題をするのは禁句とされているけどね」
「えっ、あっ」
食堂で、男女二人だけで話をしていたが、話題の四人の男女が現れた。すると、男は、雪に熱い視線を向けたのだ。
「雪が好きなのね。もういいわ。馬鹿。涎を拭いたらみっともないわよ」
「えっ、ちょっと待ってくれ」
男は、本当に涎を流していたのではないが、雪が現れてから目が垂れ、鼻の下が伸びていたのは確かだった。
「明菜おはよう。凄いわね。五年連続で女性では一番よ。それにしても、合理化って言うか、無駄を省くと言うのかな。いや、節約術なんのでしょうね。それで、浮いたお金の五割を貰えるのだから凄いわ」
「何を言っているのよ。五割を貰えるのは、皆も一緒でしょう」
「そうだけど、でも私達は、仲間の集まりだから五割でもね。分配するから安いのよ。それを、明菜たちは一人で考えて行動までするでしょう。それが凄いのよ」
「まあ、好きな事をしているだけよ。それに、まあ、晶の将来の為って思うと死ぬ気持ちなって出来るのかもね」
「普通は死ぬ気になっても出来ないって、でも、初めて報奨金をもらった時は嬉しかったけど、でも、それで、作間さん。あっ、いや、領主様は損をしないのかなって思ったわ。私、もしかしたら施設の閉鎖をするから貰えたのかと心配していたのよ」
「気を使わなくてもいいと思うわ。意外と、作間さんと言われたいのかも知れないわよ。だって、そう言われると、笑っているようにも思える時があるの。それと、節約術なんて思ってないでしょう。ケチとはっきりと言ってもらってもいいわよ」
「そんな事は思っていないわよ」
「でもね。私も好んでケチになったのでないのよ。新と晶は旅の費用を貯めなければならないのに、私が言わないと、浪費する事しか考えないのよ。なんで男って、この地に帰って来られるのか分からないのに、何故か、荷物になる物を欲しがるのか不思議でしょうがないの。私だって女よ。女性の必需品だって欲しいのを我慢しているのに」
「そうだったの。ねね、それよりも旅って何時になったら出発するの。もうお金は可なり貯まったのでしょう」
「私は何時だっていいのだけど、肝心の晶がね。何時、旅に出るのか考えて無いのよ。自分の運命の相手を探すって忘れているのでないのかなぁ。新。晶、何を他人事のように無視しているの。二人の事を言っているのよ」
「そうなの。あっ、そうそう、雪も赤い糸が現れたのだってね」
雪は、突然に怒りがこみ上げてきたのだろう。その様子を見て女性は、自分に八つ当たりが来ないように、まるで逃げるように雪に話を掛けた。
「もう噂になっているのね。そうよ。半年くらい前かなぁ」
「なら旅に出るのでしょう。晶と一緒に行くの?」
「一緒でも良かったのだけど、晶さんは何時になるか分からないから一人でも旅に出るわ。本当は直ぐにでも行きたいのだけど、いろいろな引き継ぎがあるから、でも、もう、作間さんには伝えて承諾をもらったの。だから、そうね。遅くても半年以内には出発する予定よ。でも、出来れば一緒に行きたいの。女性の一人旅って危険らしいって噂を聞くわ」
「え」
新。晶。明菜は、雪の言葉に驚き、真実なのか確かめる為に、雪の目を見た。
「雪。今の話しは本当なの?」
「あっ、ごめんなさい。私ちょっと用事があるのを忘れていたわ。今度ゆっくり話を聞かせてね」
「チョット待ってくれ、俺も行くって置いて行かないでくれよ」
四人の男女が、特に雪と明菜が怒りを表し始めたので、女性は知りたい事だけを言うと、好きだった男を一人残して逃げるように食堂から消えた。そして、一人、二人と食堂の扉に現れるのだが、指導役のような男女の争いが聞え、誰一人として中に入る勇気がある者はいなかった。それでも、時間が過ぎるにしたがい食堂の入り口に人が集まる。前列にいる者は理由が分かるが、後列の方では、何故、食堂に入れないのかと騒ぐ人も現れた。そして、作間が現れる時間になってしまったのだ。
「何をしているのだ。早く食堂に入らないか」
作間は、そろそろ食事の時間だと言うのに食堂に入らないのか、そして、何故、長い行列を作り待っているのか、不審を感じるよりも怒りを感じて叫んでいた。
「あっ作間さんだぁ」
「私たちも入りたいのです。ですが、入り口に人が集まって入れないのです」
作間の恐怖の為だろうか、その場にいた者は、それぞれの言い訳を叫んでいた。
「退きなさい。調べに行きます」
その言葉が廊下に響くと同時に、並んで待っている人々は廊下の両脇に避けた。それでも、人が多く廊下も狭い為に、まるで佐久間は、救急車が無理やりに道を進むようにして人々を掻き分けて進んだ。
「何故、食堂に入らないのです。食事の準備が遅れているのだとしても、まず、食堂に入り席に座りなさい」
「でも、その、あの」
人々は、食堂室の男女の内容が分かっている為に引き止めようとしたのか、内容が分からないとも感じ取れた。それでも、自分たちには怒りが向かない事だけを心配していたのは同じだった。
「何が会ったのです。何が有るのですか?」
問いかけながら叫び。そして、食堂室に入ったのだが、叫び声の人に驚くよりも叫び声の内容が心に衝撃を受けた。
「新。晶。明菜。雪。お前たちは食堂室を密談するために独占していたのか、それも、その内容は旅の事かぁ。そんなに旅に行きたいのか」
「あっ、え」
「密談では・・・その」
「もう良い。今直ぐに旅の準備をしろ。そして、直ぐにでも旅に出ろ。もうお前たちの姿を二度と見なくない。直ぐに消えろ。良いな」
作間が怒りを感じるのは分かる。様々な待遇などは、全ては、新。晶。明菜。この三人の為に始まったのだからだ。それでも、自分の所から何時かはいなくなるのは分かっていたのだ。それで、他には無い理想の地を住みたい場所を作れば帰って来ると考えたから様々な事をした。それなのに密談してまで旅に早く出たいのかと、作間は思ったのだ。
「作間さん。あの・・ですね」
四人の男女は、特に、新。晶。明菜には、作間を親と思っていたのだ。それなに、二度と顔を見たくないと言われた。それで、何て謝罪して良いのかと考えたのだが、何一つ喉から言葉が出てこなかった。
「ああっ行きたくても旅立てない理由があった。旅の費用が無かったのだったな。好きなだけやるから早く消えてくれ。会計所に行って好きな金額を言えば渡すように伝えておく。だが、明日の朝まで居た場合は、こちらで馬車を用意して叩き出す。それを憶えておけ」
「作間さん。いや、領主様。私たちの話を聞いてください。責めて、一緒の食事だけでも」
「黙れ。顔を見たくないと言った筈。今日は、本宅で食事を取る事に決めたのだ。お前たちだけで食べ終えて、直ぐにでも旅に出ろ。この建物から消えろ」
皆は初めて見たはずだろう。領主としての怒りを、その鋭い目線を、それは、まるで鋭い弓矢が、心臓を射抜くように体に感じたのだ。その為に、一言も声に出せずに、皆は静かに、領主を見送る事しか出来なかったのだ。それで皆は仕方なく、領主の席が空席のまま食事を始めた。勿論、誰一人として話し出す者がいるはずもなかった。当然だろう。今日で、この施設の閉鎖が決ったと感じたのだからだ。皆は、食事を食べ終えた後は、新。晶。明菜。雪に簡単な別れの挨拶をしたのち、施設から出る為に、自室で片付けを始めた。その姿を済まなそうに視線を向ける四人の男女だけが食堂に残った。
「私達も自室に帰って旅の支度をしましょう。今日は早く寝て、明日の日の出と同時に旅に出ましょう。勿論、お金なんて貰わなくていいわよね」
「そうだな」
「そうね。貰わない方がいいわ。私達は、お金が欲しくて施設にいたので無いって分かってくれるかもしれないしね」
「うん、うん」
四人の男女は、同じ考えだと頷くと自室に向かった。何も言わなかったが、明日の日の出の時間に施設の玄関で待ち合わせ。それは、当然の思考だった。それが、作間が許すと思われる時間だからだ。それに、玄関なら本宅が見える。もし、機会があれば、作間の姿が見られると思ったからだった。だが、四人の男女は、今は想像もできないが、明日の朝になると驚く事になるのだった。そして、・・・・・・・・・・・・・・。
次の朝、四人の男女は同時と思える位の時間に玄関に現れた。
「おっ、馬車が用意されているぞ」
「おはようございます。領主さまの御命令で馬車を用意してお待ちして居ました」
確かに、玄関の扉を開けると、馬車が用意され、筆頭の執事が待っていれば驚くのは確かだが、新が驚いたのは他にあった。
「変わった馬車ね。初めて見るわ」
「それは、そうだろう。俺も有るとは聞いた事が有ったが、本物を見るのは初めてだよ」
驚くのは当然だ。鉄の馬車は存在していた。それは、戦車とも言われ移動して敵と戦うのではなかった。余りにも重くて速度が遅い為に、後方支援の砲台と考えてくれれば分かり易いと思う。だが、最近の話だが補給部隊が襲われる事が多い為に護衛部隊を付けるよりも、補給馬車を強化する考えが持ち上がったのだ。普通の馬車に鉄板を貼り付けただけの物だったが、まだ極秘のはずだったのだ。それなのに新は、その話しを、何処で知りえたか分からないが、その新兵器が目の前に有れば驚くのも当然だろう。
「凄い馬車なの?」
「最新式の軍で使用する馬車だよ」
「そろそろ、馬車に乗って出発して頂けないでしょうか?」
「完全に日が昇るまで居ても駄目ですかぁ。目に焼き付けて思い出にしたいの」
「それに、海(かい)さん。俺達は、いつ帰るか分からない旅に出るのです。買い物でないのですから馬車は必要ないですよ。徒歩で行きますから」
筆頭の執事が話を終えると、普段は表情を変えないのに何故か困り顔で、本宅の書斎がある窓に視線を向けた。四人は、その様子に釣られ同じ視線の所を見た。
「あっ」
四人の男女は驚きの声を上げた。
作間が窓越しから四人の男女を見ていたのだ。それも鋭い眼つきだった。その様子だけで判断するのならば、本当に旅に出るのかを確認しているように思えた。それで、四人の男女は、今までの感謝の気持ちだろうか、それとも、本当の親と思っているのだろう。自分達の気持ちを伝えようとして、満面の笑みを浮かべながら手を振って喜びを伝えようとしたのだが、作間は表情を変える事はしなかった。
「領主様の指示です。馬車をお使い下さい」
執事は、作間が表情を変えないのが命令の続行だと感じて、再度、同じ言葉を吐いた。
「そう見たいですね」
新が代表のように答えた。その後、寂しそうに辺りを見回した。もう一生の間、この地に住む事も帰る事もできない。その様に感じたのだろう。
「それでは、行こうかぁ」
「そうね」
「うん」
「海さん。さよなら」
それぞれの思いを言葉にすると、四人の男女は馬車に乗り込んだ。そして、一人だけ馬車の中を通り抜けた。その者は、新で御車をする為だった。
「座ったかな・・・」
馬車の中で落ち込んでいた。当然だろう。育ての親だが、本当の親と思っていたのだからだ。それが、まるで他人を見るような視線を向けられたのだからだ。
「なら行くよ」
新は、馬車の中を振り向いて、三人が座っているのを確認すると馬に鞭を打った。三人の気持ちを考えて馬車はゆっくりと走りだした。少し走り出すと、何故か馬車が止まったと同時に、新が立ち上がり後を見た。中の三人も不審を感じて馬車の外を見た。
「お父さん。今までありがとう。行って来ますね」
新は後方からというよりも、作間が窓から覗いていた方向から感じたのだ。温かい気持ちを、もしかしたら自分達が乗る馬車を見続けている。その思いは当たっていた。作間は息子や娘の旅立ちを嬉しそうに見ていたが、突然に馬車が止まったからだろう。直ぐに表情を変えた。馬車が止まり、四人が、作間が居る窓に視線を向けると、一瞬だけだったが笑みを見たが、直ぐに表情を冷たい表情に戻したのだった。だが、四人は一瞬だったが作間の笑みを見ることが出来た。それで、四人は嬉しくなり同じ言葉を大声で伝えたのだ。四人は何時までも作間を見続けはしなかった。作間が恥ずかしくなり窓から消えるとでも思ったのだろう。そして、直ぐに馬車の中に戻ると、直ぐに馬車は走り出した。
第九章
「ねね、何処に行くの?」
住み慣れた家を出て一時間位だろうか過ぎると、我慢の限界とでも思うような態度で、明菜が愚痴をこぼした。
「南だ。学校でも話題に上がった。あの街に行こうと考えているよ」
「本当なの?」
「晶。雪さん。それでも良いだろう。その後は、二人の運命の相手を探すからな」
「いいわって言うよりも、私が行くべき方向は同じみたいよ」
雪は左手を動かした。腕時計を見るように赤い感覚器官を見たのだ。
「おお、同じで良かった。それで、晶は違う方向なのだろう?」
「え。おお、同じ方向だよ。気にしなくていいよ」
赤い感覚器官を持つ二人は嘘を伝えた。それでも、雪は考えようによっては嘘ではなかった。確かに赤い感覚器官は、自分の正面にいる晶の方向を向いていたのだ。それは南だったからだ。
「うぉおお。なら何も心配は無いな」
新は喜びの声を上げると、馬に鞭を打った。
馬車の中は喜びの声で充満していた。これから向かう街の事。これから始まる旅での思い描く様々な土地の話題。だが、三時間も過ぎれば会話も途切れ、馬車が揺れる度に体が悲鳴を上げる。それを紛らわす為だろう。馬車に積んであった様々な物を調べ始めたのだった。
「うわぁああ~見てみて凄いわよ」
明菜が興奮を表した。それも当然だろう。毛布が掛かっていたので椅子と思っていた物が、様々な品物を入れる桐箱だった。その中には武具や武器が入っていたが、それだけでなく、様々な食料や旅装服などの衣服が入っていたのだ。
「凄い。武器まであるぞ」
「そうね。それは必要かもね。でも、地味な服が多いわ。これを着ないと駄目なの?」
作間は心配していたのだ。四人は旅の費用だけを考えていたので、他の用意する物を考えて無かった。そのために馬車の用意から旅支度の全てを準備していたのだった。
「そうかぁ。でも、旅歩きしている者を見ると、その服と似た物を着る人が多いぞ」
「そう言われれば、そう見たいね。皆が同じような服を着ているわ」
と、新が答えると、雪が馬車の外を見て頷いた。
四人の男女は親に捨てられた者たちだ。不幸な生い立ちだが、作間の庇護のお陰で常識が無く。まるで、何処かのお城で生活している。お坊ちゃまと同じように世間知らずなのは仕方が無いだろう。
「ねね、武器なんて持っていたら襲われる危険ないかな」
晶が心配そうに問い掛けた。
「晶、大丈夫よ。強そうにしていればいいの。これからは、ぐずぐずと落ち込むのは駄目だからね。その様にしていると襲ってください。と言っているようなものよ」
明菜が、偉そうに講釈を述べた。
「ねね、街には何時頃に着く予定なの?」
「そうだなぁ。早くて夕方。たぶん、夜になると思うぞ」
「えっええ、そんなに掛かるの。嫌よ。急いでも夜になるのなら休憩にしましょうよ」
「私も疲れたわ。休みましょう」
「そうだよ。お腹も空いたし休もう」
別に新が仕切っているのでは無いが、楽しそうに馬に鞭を打っている姿を見て問い掛けてみたのだ。そして、新が言葉を聞いて振り返って馬車の中を見ると、三人の疲れた表情が目に入った。
「そうだな、休もうかぁ。でも、もう少し待ってくれよ。川がある場所が良いだろう」
新は提案した。だが、馬車の中からは不満のような感じの返事が帰ってきた。それでも、新は走り続けた。そして、太陽がはっきりと移動したと分かる程の時間が過ぎてから、やっと馬車は止まった。
「やっと休めるのね」
馬車が止まって中から出てくると、三人は、それぞれの愚痴をこぼした。
「ごめん。直ぐにでも川が見付かると思ったからだよ。でも、これで湯も沸かせるし食事が取れるだろう」
「それだけが救いね」
「お詫びとして魚でも釣ってくるから赦してくれ」
「はい、はい。釣ったらね。晶は湯を沸かして。雪さん。私と一緒に馬車の中にある物で何か料理をしましょうよ」
「そうね。保存できるのは後で食べるとして、日にちが置けない物を早く食べなくちゃね」
「でも、執事さんが用意したはずよ。なぜ、傷む食材を馬車に入れたのだろうね」
「作間さんの指示で入れたのでしょう。だって、四人が好きな食材がほとんどですもの」
「げぇげげ」
「きゃ~」
「どうしたのです?」
晶は悲鳴が聞えて馬車の中を見た。それと同時に、新の叫びと同時だった。
「大丈夫かぁ~。何があった」
「弁当があるのよ」
「生の物だったら腐っているわよね」
「そうね。執事さんも弁当があるって、それだけでも言ってくれたら良かったのに」
「意外と、日帰りで帰って来るって思っていたのかな?」
新が悩んでいると、明菜は四個の弁当を開けて見た。
「違うと思うわ。中身を見たら執事さんの気持ちが分かると思うわ」
そう四人に伝えながら弁当を渡した。それも弁当の箱に名前が書いてあるかのように手渡すのだった。
「うっおお。もう食べる事は出来ないと諦めていたのに、最後と思って味わって食べるぞ」
四人の男女は自分の好物が入っている弁当を手に取った。その後、新は、もう見えないが、今まで住んでいた。その思いの詰まった館の方向を向いて頭を下げていた。
「でしょう」
「うんうん」
明菜は嬉し涙を流しながら新と同じ行動をした。残りの二人は、新や明菜ほど大げさな気持ちを表さなかったが、それでも感謝の気持ちを館の方向に向けるのだった。そして、それぞれが心底からの感謝をした後、焚き火の前に腰を下ろした。
「湯が沸くまで待っていられない。俺は先に食べるぞ」
新だけが、待ちきれずに食べ始めた。
「馬鹿ねぇ。これが最期かもしれないのに、味わって食べたいと思わないのかしらね」
明菜は、新の姿を見て、冷たい視線を向けた。
そして、湯が沸き紅茶を作ると、三人は美味しそうに食べ始めた。好物だからなのか、それとも、執事の料理が美味しすぎるのか、殆ど無言で食べていたのだが・・・・・・。
「きゃぁ~痛い。痛い」
「大丈夫なの?」
雪が突然に悲鳴を上げた。
「何なの。これは何?」
「どうしたのよ?」
その姿を見て、明菜が不思議そうに視線を向けた。その姿はまるで苦痛の表情と言うよりも驚きの表情だったのだ。
「洞窟が見えるのよ」
「洞窟?」
「何処よ?」
「それに、知り合いとは思えない。そんな人の話し声と言うよりも、誰か、いや、私に問い掛けているような感じなの」
雪の目には焚き火が見える。だが、焚き火と重なって幽霊の様な状態で洞窟が見えるのだった。それだけでなく、脳内からの響きなのか、耳から聞えてくるのか分からないが言葉と思える内容だった。
「何て言っているの?」
雪に苦痛を与えていたのは赤い感覚器官だった。それは当然かもしれない。自分の目の前に人生の連れ合いであり。雪の運命の相手が居る。それだけならまだ良いが、何年も近くで共に生活をしているのに、まったく進展していないからだ。女性の雪は悪くない。晶が告白をしないだけでなく、手も握らないので、赤い感覚器官が怒りを感じて自我を芽生えたのだった。
「東の方向に進めって言っているみたいなの」
「脅迫かぁ?」
新は、怒りを感じ大声を上げていた。
「チョット違うみたい。怒りを感じるけど温かい気持ちって言うか、何か、新や明菜に説教されている感じが近いかも、もしかして、父が居れば父に説教されている感じかも」
「そうかぁ」
新には理解はできなかったが、雪の顔の表情を見て安心を感じた。
「雪は、行ってみたいの?」
明菜も同じ様に感じ取り、問い掛けた。
「うん、行ってみたいわ。でも、一人では怖いわ」
「なら、皆で行こう・・・・・・・ん?」
今まで、雪の事が心配で、晶の事に気が付かなかったが、明菜と同じ様な状態なのだ。だが、何故か苦痛の様な、何かに悩んでいる表情で、誰の言葉も耳に届いていない有様だ。
「晶・・・大丈夫かぁ?」
晶も雪と同じ状態だったのだ。だが、内容が全く違い。それだけでなく、冷たくて恐怖を感じる内容だった。それは、少し時間を遡る。雪が悲鳴を上げたのと同時だった。その内容かと言うと、晶が赤い感覚器官との会話を聞いてくれると分かってくれるだろう。
「雪が、運命の相手を探しに行くようだぞ」
「えっ、誰?」
「俺かぁ。俺はお前であり。お前で無い者だ。だが、何時でも共に居る存在だなぁ」
「皆には聞えていないみたい。誰?」
「そんなに怯えるな。俺は、左手の小指に有る。赤い感覚器官だ」
「えっ?」
「お前が告白もせず、手も繋がないから嫌気を感じたのかも知れないぞ」
「え」
「それ程に驚くな」
「うっ」
「心底から好きなのだろう」
「はい」
「私の指示の通りにしたら結ばれるだろう。それでだ。今、お前の目に何かが映っているはずだ。その獣に会え。方向は、俺が導いてやるから安心しろ」
「まさか、この獣を倒せ。とは言わないでしょう」
「分からない。お前の行動、言葉を選び間違えれば怒りを感じて襲うかもしれない」
「人の言葉を話すのですか?」
「それは、例えばだぞ。だが、その獣を倒せば、雪の方から告白されるのは間違いないがなぁ。如何する退治してみるか?」
「そんなの無理です」
「おお、お前が悩んでいる間に、三人は行く事を決定したぞ」
「新さん。本当に行くのですか?」
「雪の話しを聞いていたのか。大丈夫だろう。洞窟を見に行くだけだしなぁ」
「えっ?」
晶には、新の意味が分からなかった。それは当然だろう。左手の小指が話しをした内容と違うからだ。
「晶も行くと言うし、直ぐに出かけようかぁ」
「荷物は、このままで大丈夫?」
明菜が心配そうに問い掛けた。
「大丈夫だろう。雪が何かを感じたのだし、それなら近くだと思うぞ」
「近くも遠くも無いわ。一キロくらい見たい」
「その様な事も分かるのか、まあ近い方だろう。行こう」
「あっ待って、今感じたのだけど、生物の殺生はするなって、それに、木の枝も折っては駄目って感じたわ」
「それって、虫もだよなぁ」
「うん。そう見たい」
「それは難しいと思うぞ」
「そうよね。でも、大丈夫よ。私が先頭に歩くから、その足跡を同じ様に付いて来て」
「それでは、雪を守れないぞ」
「御願い。今回は、私の指示に従って、何か嫌な思いを感じるの」
「そこまで言うのなら指示に従うけど、何か殺気などを感じたら直ぐに逃げろよ」
「それは、分かっているわ。何か合ったら助けてくれるって思うから先頭を歩けるのよ」
「そう言うのなら大丈夫だなぁ。行こう」
「はい」
二人の女性は、完全の信頼を感じたのだろう。満面の笑みで答えたが、晶だけが不審を感じる表情で頷いていた。
(変だ。さっきの言葉を感じたのは幻覚だったのかなぁ。そうかも、この会話が聞えているのなら何かを言うはずだし。でも、言葉では無いけど、赤い感覚器官が、東に進めと伝えている様に感じる。もしかしたら、自分の恐怖心で行きたくないから幻覚を見た。それだけでなく、幻聴を聞いたのかもしれない)
四人は、行動を起こした。これが、赤い感覚器官の本当の行動の始まりだった。
第十章
誰でもが通る。そんな街の近くにあるような広い街道では無いのだが、それでも、旅人が多く通るのは間違いない。その様な街道沿いにある川原で、四人の男女は普通の旅人がする様に、少しの仮眠をとり、食事を食べ終えると、直ぐにでも旅に出るだろうと思えた。だが、少し様子が違っていたのだ。一人の女性が悲鳴を上げたからだろう。仲間は顔の表情を変えた。そして、四人は、何と結論を出したのか直ぐに行動にした。その気持ちが、周囲の森や生物に影響したのだろうか、鳥どころか虫も鳴くのを止めた。それだけでなく、偶然と思えるが風も止み。何一つの音を聞く事は出来なかった。もしかすると、悲鳴が原因でなくて、四人の可笑しな歩き方だったのかもしれない。それは、まるで、地雷原を歩く様な慎重な歩きだった。
「この歩き方って少し疲れるなぁ」
四人の男女は、女性を先頭にして慎重に一歩、一歩と歩いていた。だが、それだけなら何も問題が無いのだ。その問題とは、先頭を歩く女性の足跡に少しのずれも無い様にして足跡に重ねて歩いていたのだ。
「御願い静かにしていて、今、意識を集中しているの」
雪は、他には何も考えられないのだろう。普段の様子と違い。殺気を放つ様な冷たい視線を向けた。
「・・・・・・・・・」
三人の男女は、普段の雪と違う為に、頷くだけで返事を返した。
「新。邪魔をしないの。あのね。私たち見たいに足跡を踏むだけでないの。雪は、命が有る者がいないか確かめているのよ。それに、今の話しは酷いわ。まあ、たかが、虫などの命って思っているのでしょうけど、ふざける様な態度はよしなさい。もしも踏み外したら如何するのよ。雪がしている事が無駄になるのよ」
明菜は、気を使ったのだろう。雪に聞えないように囁いた。
「そうだなぁ。悪かった」
新は神妙に頷いた。だが、新が呟いた気持ちも分かる。愚痴でも呟かなければ精神が持たなかったのだ。大袈裟だと思うだろう。確かに、雪の足跡を踏むだけだ。だが、足跡には蟻などがいて当然の気持ちだからだ。そして、踏みしめた後に、何が起きるのかと考えると、胃が悲鳴を上げるくらいの痛みが走るのだ。それでも、先ほどまでは、呟くと少しだが発散ができたのだが、次からの一歩には、それがない。後、何歩かで胃の痛みで倒れるかもしれない。そう、感じた時だった。
「今、指示が聞こえたわ」
「何て言っているのだ?」
雪は立ち止まった。当然、三人の男女も立ち止まるが、雪には、ある一点を真剣に見続ける気持ちしかなく、他の事。そして、当然だが、三人の男女の言葉など聞こえるはずがなかったのだ。それでも、言葉の内容が分かって返事をしたのではないが、何かの音を聴き逃すのではないかと、一言だけ声を上げた。
「待って」
雪は耳を澄ました。そして・・・・・・・・・・・・。
(世界と時の流れの修正をするのです。その場所は間もなく左の方向に見えてきます)
と、頭に響くような声を感じた。
「間もなく着くって」
雪は聞こえた言葉を簡潔に、三人伝えた。
「それだけかぁ」
胃の痛みから逃げるためだろうか、真っ先に、新が問いかけた。
「そうみたい」
「直ぐに着くのでしょう。早く行きましょうよ」
明菜は、雪の足跡からはみ出ないようにするからだろう。まるで、極細の平均台の上にいるような不安定な状態だった。そのためだろう。怒りのような声色で催促した。
「はい」
雪は驚いたように返事を返すと、先程と同じように歩きだした。だが、五分も歩かずに驚く物でも見たのか、突然に立ち止まった。そして、左の方向を指差した。
「あれ・・・・・・かも?」
雪は、焚き火の前で見た。その時の光景を思い出した。今でもハッキリと幽霊のような陽炎のような映像を忘れるはずがなかった。それと、まったく同じ景色だったので、驚きのあまりに、指差したが直ぐには言葉が出てこなかったのだ。それも、当然のはずだ。現実にあるのかと、疑心暗鬼だったのだ。
「見えないわ。もう少し前に進んでよ」
「ああ御免なさい。もう目的の場所に着いたから足跡には気を使わなくてもいいと思うわ」
「もう~それを早く言ってくれよ」
「疲れたわ。ほう、この場所に来いと言われたのね?」
雪以外の男女は安心したのだろう。それぞれのやり方で体の疲れを解していた。それでも、雪の前には出なかった。だが、恐怖のためではない。何時でも何かあれば行動に移せる気構えはあったのだ。それでは何故と思うだろう。それは、この場まで着いて、虫を一匹でも殺した為に全てを台無しにしたくなかったからだ。
「ねね、それで、この場所で何をするの。それとも誰か来るの?」
明菜は好奇心のあまりに辺りを見回しながら問い掛けた。
「分からないわ。でも、絶対に来ないと駄目のように感じたの。それで、この場所に来れば何かが起きるか、何かまた、声が聞こえるような感じがするのよ」
四人の男女の中で、一人だけが心底からの恐怖を顔に表わしながら辺りを見回していた。
(この場に獣が現れる。現れるはずだ。何時だ。何所からだ?)
それは、昌だった。その様子を見て、新が言葉を掛けた。
「そんなに怯えて・・・・・・・・如何した?」
「うぁああああああ」
昌は、突然に肩を叩かれて驚きの声を上げた。そして、心底からの覚悟を決めたような鋭い目で後ろを振り向いた。その姿や声を聞いて、新も驚き、昌を見ると心配する表情に直ぐに変わった。
「何を、そんなに驚いている。本当に如何した?」
「ふー、何でもない」
昌は、安堵の息を吐いたが、新には何も言えなかった。それは、当然だろう。雪と違う内容で同じ場所に来たのだからだ。仮に言ったとしても信じてくれるはずがない。そう考えたからだ。
「そうかぁ。なら良いが・・・・・・・・・なぁ雪、これから、どうする?」
新は、昌が落ち着いたと感じて安心したのだろう。そして、雪に体を向けて、今一番の考え事を問いかけた。
「うぅう、分らないわ。何が現れるか、何かが起きるか」
「そうかぁ」
「・・・・・・・・・」
雪は、また、洞窟の方に視線を向けた。
「ねね、雪。雪の運命の人が現れるのでしょう。ねね、この場所なのでしょう。そして、色男が現れるのでしょう?」
「なぜ、色男だと思うのだ」
「新は馬鹿ね。雪の顔や姿を見たら分るでしょう。釣り合う人が、普通の男だと思うわけなの。まあ、性格は分らないけど、外見だけは絶対に良いはずよ」
新と明菜だけが浮かれ騒いでいた。雪は、二人の姿を見て呆れていたが、昌だけは怯えるように辺りを見回し続けていた・・・・・・・・・・・その時だった。
「我の・・眠りを妨げる者は・・・・・誰だ?」
洞窟の中で響く特有の声が聞こえてきた。
「ん?」
「現われたの?」
新と明菜だけが声を漏らした。
「・・・・・・・・・」
そして、雪は不審そうに耳を澄ました。それは当然の反応に思えるのだ。異国の人かと思う片言にも感じるが、それだけでなく、可なり年配と思える話し方だったからだ。
「主様と同じ感覚を感じたが別人か」
また、年配と思える声が響いた。
「「猫?」
真っ先に驚きの声を上げて心底から安心したのは、新だった。それもそのはずだ。美男子か、それとも、獣が現れるのか、そして、獣なら退治を覚悟していた。人でも殺気を放つ不審人物なら戦って、三人を守らなければならないと覚悟していたからだ。
「猫なの?」
「猫よね」
「今・・・・・・の言葉って、まさか猫が・・・・まさか、そのはずがないよなぁ」
新は猫を見続け、独り言のように呟いた。
「新、それは当然でしょう」
「そうだよなぁ。明菜・・・・・なら誰の声だ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
(雪は、不審そうに猫を見続けた。
「なあぁ。昌、雪も聞こえていたかぁ?」
新は、二人が無言だったのは猫が話した。その驚きと感じて悩んでいると思い。二人に問い掛けたが、二人は、内心の思考のために聞こえていなかった。
そして、一人だけ、真っ青の昌は・・・・・・・・・・・・・・。
(まさか、この獣を退治しろと言うのか?)
昌の眼には、雪が見ている視線の先には、猫でなくて獣が見えていたのだ。それも、雄ライオンのように猛々しく、尻尾が伍本もあり、何故だが、獣の毛は、トラ模様だった。
「雪さん。明菜、新、自分の後ろに隠れて」
昌は、獣の姿をハッキリと確認した後、無心で雪を庇うように飛び出し、両手広げた。恐らく身体全体で、獣の攻撃をかわそうとした。
(自分の目には獣としか見えないが、猫と言うのが本当なら退治できる。猫なら・・・・・猫なら大丈夫だ。猫なら退治できる)
雪を守ろうと立ちはだかったが足が震えていた。その恐怖を抑えるために、猫だと思うように心の中で何度も同じことを呟いた。
「昌・・・・・・どうした?」
「ん・・・・・・・・」
「え・・・・・・・・・・」
三人の男女は、昌の様子を見て、それぞれの驚きの声を上げた。
「ほう、俺と戦うと言うのだな。良いだろう。相手をしてやろうではないか」
猫は笑ったような感じに見えた。だが、それは、野生の感で自分よりも弱いと感じたのだろう。まるで、ネズミを見て楽しみながら食すと思っている笑みだった。
「待て、昌、駄目だ」
新は恐怖を感じて昌の行動を止めようとした。猫が話をする驚きよりも、猫の笑みの表情から鋭い殺気を感じたが、それよりも、可なりの殺人的な能力があると、新は、本能で感じ取ったのだ。
「待ってよ。まさか、この猫を殺す考えなの?」
雪は、昌の殺気には何も感じなかったのだが、新の殺気を感じ取ると、猫の前に立ち、そして、両手を広げて戦いを止めようとした。
「やめた。やめた。又、寝る事にする。もう騒ぐのでないぞ」
猫は、女性に戦いを止められたことに、気持ちが萎えたのだろう。洞窟に帰ろうとして歩きだした。その時だ。雪は不審そうに後ろを振り返った。
「今の言葉は、猫ちゃんが話をしているの?」
「そうだが」
「言葉を話せるのね」
「これ以上。我の気分を壊させるな。我は、主様と同じ感覚を感じたから起きたのだぞ」
「何の事なの?」
「お前が持っているのと同じ、左手の赤い感覚器官のことだ」
「なぜ、それを・・・・・・」
「お前らは何も知らないのだな。それでも、お前らは赤い感覚器官を持つ者なのだろう。まさか、我を挑発して、我の本来の姿を確認する考えなのか?」
「何を言っているの。意味が分らないわ」
「一言だけ聞くが、我を殺しに来たのか?」
四人は、驚きの表情を表した。
「その表情では、違うようだな。だが、赤い感覚器官の指示は何なのだ?」
獣は、不審そうに四人を見つめ問いの答えを待った。だが、四人の男女は何も言うことが出来なかった。それは当然だろう。この旅は、神が考えた指示でもなく、世界の修正でも時の流れの自動修正でもないのだからだ。雪と昌の赤い感覚器官が考えた旅なのだからだ。だが、この事実を神が知りえたら驚きを感じるはずなのだ。赤い感覚器官には、自我なのあるはずもないからだ。それが、有るのだから二人には重大の訳があるのか、それとも、赤い感覚器官を持つ、最後の生き残りの男女なのだろうか?・・・・。
2016年4月6日 発行 初版
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羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。