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第三十七章
温泉がある建物から四人の男女が出てきた。なぜか、不機嫌そうな表情だった。他の人たちは疲れが取れたと、良い風呂だったと喜びの表情を浮かべているのに、四人の男女は、表情だけでなく言葉にも表していた。
「出るのが遅いって」
「でも、私たちが出てきたら居なかったわ」
「当然だろう。あまりにも遅いから入りなおしたのだよ」
「だからって、何でまた温泉に入るのだよ」
「だって、温泉にまだ入って居るって言われたから、ゆっくりと温泉に入るって思ったの」
「なら言付けでもしてくれたらいいだろう。また、入るってなぁ」
「だって、そこまで気がつかないわよ」
「それで、また、出てきても居なくて、待っていたから体がだるくなったのだぞ」
「だから、ごめんって謝っているでしょう。もうしらない」
明菜は、新の隣から後ろを振り向いて、雪の所に行った。その雪は、先ほどの新と明菜と同じように謝罪をしていたのだが、昌は頷くだけだったので、雪が謝っているだけだった。もしかすると本当に体がだるくて湯冷めでも下のだろう。
「雪。新って、まだ、許してくれないのよ」
「昌さんも、頷くだけなの」
「それは、許しているって意味でないの?」
「もういいから、お腹も空いたし、少し横になりたい」
「そうね。お腹も空いたし、新なんて無視して長老の家に行きましょう」
二度目に風呂に入った時に、酒宴の準備が終わって風呂に入りに来た人がいたのだ。そして、その場所も教えられたのだった。
「何だよ。俺は悪くないぞ」
昌は、二人の女性に支えられる様にして歩き、その後を、新は愚痴を呟きながら、子爵の後を追う様に、同じ建物の中に入って行った。そして、中に入ると、盛大な接待を受けている子爵を見るのだった。
「遅かったな」
四人の男女を見かけると、子爵は声を掛けてきた。
「遅くもなりますよ。二度も入ることになったのですからね」
「ほう」
子爵が、理由を聞きたいと感じたのだろう。新は、全てを話だした。すると、子爵に付きっきりでお酌をしている。膳を運んだ女性が話に入ってきた。
「女性の気持ちが分からない人ね。その子が何故、温泉に入って綺麗になりたと思っていると思うの。それだけでなく、二度も入ったのは湯上りを見せたいのよ。好きな人にね」
「好きな人って、俺に?」
「あなたか、もう一人の男性ね」
「それもないだろう。血は繋がってないが兄妹だしな」
「そうなの」
「そうだよ。意味なんてないだろう」
「そうなのかな」
と、その後に、女性が何かを言って様なのだが、殿下が現れて聞き取れなかった。
「良いのだ。良いのだ。無礼講なのだから構わずに楽しんでくれ」
部屋の中は、それぞれに気の合う者どうしが適当に寛いでいたのだが、それでも、上座と思える場所だけは綺麗に整われていた。その場に座って暫く様子を見ていると・・。
「殿下。そろそろ、宜しいのでないでしょうか」
春香は、耳元で囁いた。
「良いのだ。我の言葉では楽しい雰囲気を壊しそうだ」
集まった人たちは、酒宴を初めていたのだ。それでも、二割くらいの者は、殿下が来るまでは膳に手をつけない者がいたが、何も言わずに皆の様子を見て笑みを浮かべていたので、無礼講だと言われた事を思い出したのだろう。酒宴する人たちの中に入って行った。
「ですが、殿下は、感謝の気持ちを伝えるのには、自分にはなにもないから言葉で伝えるしかないと、その言葉を考えるために酒宴の席に遅れたのですよ」
「良いのだ。皆が楽しんでいる笑みを消したくない」
「そこまで、言われるのでしたら何も言いません。それでしたら膳だけでも楽しんでください。私で良ければ御酌をしますよ。もし宜しければ共に飲みたいと思います」
「それは、ありがたい。一緒に飲もう」
言葉を伝えると同時に、杯を春香に差し出した。
「旨い」
「それでは、私も・・・・殿下。何て事を、その様な気遣いは無用です」
春香が手酌で飲もうとしたのを取り返して注ごうとしたのだ。
「だが、男だけで飲んでいる者たちは、語らいながら交互に注いでは飲んでいるだろう」
「その様な者たちはいますが・・・・」
春香は何て言えば迷ってしまった。女性に好かれない者と言うべきか、殿下は特別と言うべきなのか、どちらの言葉も殿下を傷つけると思ってしまったのだ。
「殿下。今日も計画の通り成功したのでしょうか?」
「失敗だった」
「殿下。そうではありません。民も、支配する人々も両者の関係を断ち切って独り立ちしなければならないのです。それが、今回は、多くの民は戦が起きていようが関係なく祭りを続けていました。これは、計画の成功と思っていいことです」
「そうなのか」
「そうです」
暫く無言で、酒宴の様子を見ていた。
「殿下。良い話が御座います」
「それは何だ?」
「御酌をしてみては、どうでしょうか?」
「長老。なんて事を言うのです。閨の相手を探すなんて」
「ですが、そろそろ御相手を探す時期とも思います。それとも、春香さんが、御酌返しをしますか、それなら喜んで祝福しますよ」
「そんな、そんな、私では釣り合いがとれません」
「もう良い」
不機嫌そうに呟いた。その様子を見て、春香が何かを思い出した様に声を掛けた。
「あっ、ですが、殿下。子供の遊びの様に、御酌遊びをしてみては、どうでしょう。私も良くしました。まあ、私は食が細いので常に負けていましたけど、楽しい思い出です」
「どうするのだ」
「簡単ですよ。水を飲み交わすだけです。初めの一杯ごとは、好きか嫌いかを表すのです。そして、好きなら相手の盃を交換して飲むのです。ですが、別の意味あいでも使用するのです。男と女が諍いをした場合。異性同士なら殴り合いなどできませんので、子供やお酒が飲めない物は水を飲み続けるのです。参ったと言うまでね。そして、異性同士なら相手の盃を取って飲んで、飲み返したら結婚を承諾したことにもなるのです」
「だが、喧嘩などしたいと思わんぞ」
「普通は賭け事ですわ。負けた方が小金などを渡すのです」
「ほうほう、賭け事か、一度はしてみたいと思っていたのだ」
この言葉で、長老は残念がり、春香は、何故か嬉しそうにしていた。
「それでは行ってくるぞ」
室内は突然に会話の声が消えた。殿下が突然に立ち上がったからだ。そして、何があったのだ。いや、何かが起きると無言で視線を送った。
「えっ」
「何?」
四人の男女も何が起きたのかと、視線を送っていたが、原因の本人が、明菜の正面に立ち止ったのだ。
「殿下さま。何でしょうか?」
明菜は、顔を引きつりながら何とか声を絞り出した。
「勝負を申し込む」
「勝負。何で?」
「おい明菜、何をしたのだ」
「何もしていないはずよ」
「我は、明菜さんに御酌遊びを申し込む」
「えっ?」
「我が、もし負けた時は首飾りを渡す」
「私が負けたら・・・そうね」
何を掛けるか、暫く悩んだ。あまりにも長くて殿下は・・・。
「良い。我が負けるはずがない」
「そう。それで、どの様な遊びなのです」
「それは・・・・・」
春香に言われた事を、そのまま伝えた。だが、結婚の承諾の話だけはしなかったのだ。
「分かりました」
「だが、我は男だから大きい杯で、明菜さんは、小さい方で良いぞ」
「それでは、杯が小さいので、私から飲みます」
「それで良いのだな。なら盃を取れ、我が注ぐ」
「はい」
普通なら断るのだが、明菜もほろ酔い程度の酒を飲んでいたので、普通の判断が出来なかったのだろう。一回目から一気飲みした。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。私が、御酌をする番ね」
「頼む。注ぐが良い」
殿下も、同じ様に一気飲みした。それから、六回目が終わろうとした時だった。明菜が信じられない言葉を吐いたのだ。
「面倒ね。その盃を頂戴ね」
「何をする?」
殿下の手から杯を奪い取った。そして、自分の盃に酒を注ぐと、奪い取った盃に注ぐのだ。そ行為を六回続けると、満杯になった。
「面倒だから」
その殿下の盃を、自分で一気飲みしてしまった。
「おおおお」
「これで、殿下も六回分を一気飲みしてね」
「参った。そして、その申込みを受ける」
「勝ったのね」
安心したのだろう。その場で体が崩して寝てしまった。それ同時に、建物が崩れると思う程の歓声が響いた。だが、その声は男性だけで、全ての女性は、明菜に鋭い視線を向けた。その中でも、春香の視線は人を殺せると思える程の殺気を放っていた。その視線には理由があったのだ。殆どの女性は高値の花と諦めていたのに、よそ者に奪われた怒りもあったのだが、それよりも、誰一人として殿下に御酌遊びも、恋心を伝える視線さえ向けなかった。と言うよりも出来なかったのだ。殿下の同時に里に現れた。春香が、その日の内、全ての里の独身女性に御酌遊びで勝負をしたのだ。自分が勝った場合は、殿下に恋をする好意も向けるなと、宣言したのだ。そして、それだけでなく、分かれ際に・・・・・。
「殿下には、私が酒に強いのは内密にして欲しい」
「それは、御酌遊びでの暗黙の了解だから心配するな。里の男は、全ての女性が酒を飲めるとは思っていないのだ。勿論、そちらも、内密なのは分かっているだろうね」
「当然だ」
と、この様な理由があったのだ。
「殿下。おめでとうございます」
長老が喜んで近寄ってきた。
「ありがとう。我も眠くなってきた。寝る事にする。後を頼むぞ」
「はい。承知いたしました」
「それと、明日からは、皆と共に食事がしたい。この建物で?」
明菜の酔いつぶれた姿を見ながら満面の笑みを浮かべた。
「あっ、招致しました」
「春香。どうした?」
「えっ、何でしょうか、何か御用でも?」
春香は、想像もできない事が起こり、我を忘れていた。それだけでなく、涙を堪えている様に感じられたのだが、殿下は何も気が付いていなかった。
「寝ようと思う。寝室の準備をして欲しい」
「はい。直ぐに用意を致しますので、この場でお待ちください」
「どうしたのだ。共に行っても良いぞ」
春香は聞こえていないのだろうか、振り向きもしないで出て行った。それと当時に、春香を追う様に、殆どの女性も部屋から出て行った。
「春香さん。待って」
「私たちがするから、今の気持ちでは何もしたくないでしょう。だから、私たちに任せて」
「大丈夫だ。気にするな」
「それにしても、酷いわね。閨を共にした人を無視なんて」
「その様な事はない」
「私、がっかりだわ。あの様な人だったなんて」
「何か誤解しているようだな。殿下は何も悪くはないぞ」
「でも、殿下に内緒にしてまで、御酌遊びをしてまで好きだったのでしょう」
「そう考えるのは勝手だ。あれは殿下の警護に支障ない様にしただけだ」
「そう」
春香が片方の瞳から一粒だけ涙を流した。それを、皆は見なかった事にした。それ程まで強気な態度をしているが、好きなのが感じたのだろう。それ以上は何も言わずに部屋に戻って行った。春香が一人で泣きたいと思ったのだろう。
「何か変な事を言ってごめんね。今から一時間後に用意ができるって伝えておくわ。だから、殿下を迎には来なくていいわよ」
「それなら、良いでしょう?」
春香は無言で無視する様に寝室に向かった。それでも、女性たちの話は聞こえていた。そして、女性たちの言葉に甘えたのだろう。一時間を過ぎても春香は現れなかった。
第三十八章
「春香。春香。どこに居るのだ?」
今までなら、決まった時間になるとお越しに来るのに来なかったのだ。それにだ。言葉を掛けても現れない。何が合ったのかと不審を感じていた。
「殿下。何か御用でしょうか?」
「何かあったのか?」
「何も御座いません。それよりも御用があったのでは?」
「済まないが着替えたいのだ。それと、明菜の所に行くので道案内を頼む」
「承知しました。それで、どの様な服装が良いでしょうか?」
「そうだな。春香が教えてくれた花園を見せる気持ちでいる。だから、動きやすい服装が良いと思うのだが、軍服は、どうだろうか?」
「それでは、室内着で宜しいかと思います。ですが、ネクタイは必要と思います」
「それにしよう」
「畏まりました」
春香は着替えを用意して、殿下に着せ始めた。その時、殿下の表情を見て、笑みを浮かべていたからだろうか、一瞬だが、不機嫌そうな表情を浮かべると、手に力がこもり、ネクタイを締められるだけ結んでしまった。
「苦しい。春香。苦しい」
「殿下。女性と会う場合は、ネクタイを緩めるのは失礼な事なのです」
「何故だ?」
「それは・・・緩めると言う事は、邪な気持ちがあると判断されるのです。それで、普通の男性は、息苦しい程まで締めるのが礼儀なのです。それで、女性は安心するのです」
とっさに出鱈目を言った。だが、自分が思う本心の気持ちだった。
「そうだったのか、頼む。もっと絞めてくれないか」
「承知しました」
「終わったのか?」
「はい」
「そうかぁ。案内を頼む」
「はい」
と、返事を返すと部屋の扉を開けた。すると、声を掛けられた。
「春香殿。具合が悪いのだろう。顔の表情に表れているぞ」
誰が見ても、春香の表情は具合が悪いとは思わないが、不機嫌な表情だと判断は出来た。まるで鬼の様な表情を浮かべているのだ。だが、殿下に向く時は満面の笑みだった。
「そうでしょうか?」
「部屋で休んでいた方が良いのでないか、我が、道案内をする。会う用事もあるのでな」
「そうだな、昨夜も迎いに来られなかったな。それに朝も来なかった。大丈夫なのか?」
「昨夜は、酒の匂いで酔いました。朝も酔いが醒めなかったようです」
「それでは、案内は良い。休んだ方が良いだろう。案内は、天猫殿に頼むからな」
「殿下。ありがとうございます」
春香が部屋に入るのを確認すると、一人と獣は屋形から出て、明菜たちが寝泊まりしている館に向かったが、案内など不要なのだ。あの戦馬車を目印に探せば直ぐに分かるはずなのだが、まあ、自分で探すなど、殿下にしたら考える気持ちもなかったのだろう。
「天ちゃん。どうしたの?」
天猫は、四人の匂いで感じたのか、それとも、馬車が見えたのだろう。殿下を一人置いて走り出した。
「特に理由は無いが、殿下を連れて来た」
「えっ。要件は何なの?」
「知らん」
と、言った後に、首を後ろ向けた。殿下が来たと教えたのだろう。
「天猫殿。突然に走りだしては困るだろう。迷う所だった」
「雪でしたな。明菜は居るだろうか?」
「居ますよ。今馬車の中で衣服を選んでいます」
「そうですか、なら、用事があるので入らせて頂くぞ」
「はい。えっええ、ダメですよ。着替えているのですよ」
「ダメか?」
「はい」
雪は、余りにも当然の様な話し方だったので頷いてしまったが、直ぐに否定したのは当然だった。だが、不思議そうに、殿下は首を傾げていた。
「分かった。待つ事にする。椅子を用意してくれないか」
「家に中に入りませんか、飲み物など御用意を致しますよ」
「良い。椅子が無いのだな。立つ事にする」
天猫は不思議そうに見ていたが・・・・・・・・。
「殿下。我の背に座って構わないぞ」
「そうする」
何の疑問も無いのだろう。天猫の背に腰を乗せて足を組んだ。
「キャー。何なの、何をしているの?」
「明菜に見せたい物があるのだ」
明菜が驚くのは当然だ。馬車から出て見ると、天猫の背に腰かけた殿下がいたのだ。
「行くぞ」
「待って」
「何だ?」
「一人では行きたくないのです」
「そうか、天猫殿。護衛を頼んでよいか?」
「構わんぞ」
「できれば、雪と一緒になら行ってもいいです」
「そうか、構わんぞ」
雪は、殿下に見えない様に、明菜に首を横に何度も振って行きたくないと伝えた。だが、返事を聞かずに歩きだした。それを、信じられにと思う表情を浮かべながら明菜は、早歩きで追いかけた。雪は、直ぐに追いかけたかったのだが・・・・・。
「新。昌さん。殿下に呼ばれたから出かけてくるわね」
「どこにだ?」
新の返事など聞かずに走って追いかけた。そして、明菜の隣まで追いつくと。
「殿下。どこに行くの?」
明菜が、雪の疑問を問いかけてくれた。
「花を見に行く」
嬉しそうに行き先を言うと歩き出した。だが、共に一緒に歩くと言うよりも、まるで、町で迷った人を案内する様に先頭を歩いているのだ。それも、里の奥へ、奥へと、里の水源と言われる池なのか湖なのか不明な場所へ。二人の女性は、恐怖を感じて来た。歩けば歩くほど人と出会わなくなり、それと並行して里を取り巻く霧も濃くなるのだ。
「着きました」
「えっ」
殿下の背中だけ見ていたので意味が分からなかったが・・・・・。
「うぁあ」
「綺麗」
「そうだろう。春香が里の女性と友達になり、私に教えてくれたのだ」
水仙の花が一面に咲いていた。
「え。まさか、あれ、墓石でないでしょうね」
「違う。春香の話では記念碑らしい」
「見て来ていい?」
「良いぞ。だが、足元に気をつけろ。ある程度までは人工の地面だが、所々に穴が開いているのだ。それに、先がどこまであるか不明なのだ」
雪は、慎重に足元を確かめながら歩きつくと、少しの間、調べると驚いていた。
「天ちゃん。チョット来て」
「何だ?」
猫だから水に触れるのが嫌なのだろう。ピョンピョンと数回で辿り着いた。すると、早く水から出たい素振りをしている天猫の耳元で囁くのだった。
(これ、地面の中を走る所で見た物に似ていない?)
(えっ、そう言えば・・・・似ているな)
(この事を、新と昌さんに知らせて欲しいの。それと、この里は何か変よ。だから、後で私も明菜も探すわ。その前に、里を探って見てって伝えて)
天猫は、雪の話を聞いて暫く記念碑と思われる物を見つめた。そして、驚くのだ。
「分かった」
また、同じ様に飛び跳ねて岸に着いた後、体に付いた水をなめていたのだが、雪の視線に気が付き渋々と走り出した。
「天猫殿は、どうしたのだ?」
「お腹でも空いたみたいよ」
「そうなのか、ならば、我たちも食事しに戻ろう」
「そうしてくれると嬉しいわ」
また、殿下は先頭を歩きだした。その後ろで雪は、明菜に、天猫に言った事を囁いた。
(似ていたの?)
(そっくりだったわ)
「どうしたのだ?」
何か、不審を感じて振り向いた。
「何でもないわ。朝食は何かって話していただけよ」
「それほどまで空腹だったのか、それならば急ごう」
「殿下。ごめんなさいね」
「良いのだ。その後にでも、春香が教えてくれた良い場所を案内しよう」
「はい」
「楽しみしています」
そして、特に何もなく長老の屋敷に着いた。すると、長老と新と昌が話をしている所を見るのだった。
「何をしておるのだ」
「あっ、殿下。二人から暇つぶしに何か良い所はないか、と聞かれていたのです」
殿下だけが、何を真剣に話をしているか想像もできなかった。だが、四人の男女は違っていた。普通の会話をしているが、雪が片目を瞑り合図を送るのだ。すると、新が片手を振って無いと、昌は首を振って答えるのだ。
「おおっ帰って来たのか」
「うん」
「食事は食べたの?」
「まだ食べていない。今ほど食事の用意ができたと言われたところだ」
「そうなの」
「一緒に食べるのだろう」
「うん」
「殿下。私たちは、先に食べてきますね」
「構わん」
「それでは失礼します」
「そうそう、明菜。食べ終えたらだが、また、春香が教えてくれた良い場所を案内する」
「え。あっ、楽しみしています」
明菜は断ろうとしたのだが、雪から肘を突かれて仕方なく承諾した。
(何で行かないとダメなの?)
(仕方ないでしょう。男たちが役に立たないのだし、天ちゃんに付いてって頼むからね)
(分かったわよ)
(ごめんな。そうそう俺達も、雪に案内されて記念碑を見てくるよ)
建物の中に入る少しの間に囁き合っていた。それから屋敷に入り食事を食べるのだが、明菜は、不機嫌な表情を表していた。
第三十九章
初めて殿下が、明菜を誘ってから四日が経っていた。
「もう嫌。何かと言うと、春香に教えてもらった所だ。って、何かと春香、春香と言うのよ。そんなに、春香が好きなら一緒に居たらいいのに」
「そうなの。でも、暇さえあれば、明菜の所に来るでしょう。明菜が好きなのかも」
「そうかなぁ」
「そうよ。だから、もう少し里の中を案内してもらってよ」
「わかったわよ」
また、同じ様に朝食を食べ終えると、殿下が明菜を誘いに来る頃だった。
「今日は、もういいだろう。四日も経ったが変な物は記念碑だけしかなかったのだし、行かなくてもいいぞ」
「どうしたの?」
「殿下を連れて行ってくれると、里の人も関心が殿下に向くから、また、あの記念碑を調べに行けますよ」
「昌は黙っていろよ」
「何を怒っているのよ」
「怒ってはいない。ただ、意味がないと言っているだけだ」
「もう、黙っていて、そろそろ、こちらに来るわよ」
明菜は視線を向けた。その先は、上座で食事を食べている者を見た。
「明菜。どうしたのだ。喧嘩している様に見えたのだが?」
「殿下。暇だから連れて行けって言っているのですよ」
「駄目だ。だが、喧嘩は困る。それなら、春香に暇つぶしが出来る場所を案内させる」
そう言うと、上座で食事の片づけをしている春香に視線を向けた。
「いいの、いいのよ。気にしないで温泉にでも行かせるからねぇ」
明菜は、鋭い視線を向けた。その視線には・・・・。
「新がゴチャゴチャ言うからよ」
と、視線に込めたはずだ。
「それなら、良いのだな?」
「今度は、どこに?」
「それなら、また、霧の花壇にでも行くか?」
「ああ、それは、駄目って言うか、その、あの飽きたわ」
明菜は、慌てた。それは当然だった。雪、昌、新が行くはずだからだ。
「そうか、なら・・・」
「いいの。適当にブラブラしましょう」
「それで良いのか?」
「はい」
そう言うと、早く屋敷から出たいのだろう。殿下の腕に、自分の腕を絡ませて玄関に向かった。後ろの方から、男の不満を表す声が響いた。恐らく、新だろう。
「何だ。腕を絡ませるなんて恥ずかしくないのか、それとも、殿下が命令したのか?」
「いいじゃないの。腕くらい組んでも」
新と雪が言い争っている間に、殿下と明菜は屋敷から出ていた。
「昌、まだ食べているのか、置いていくぞ」
新は、八当たりの様に声を上げた。その言葉で、昌は、早く食べようと、少しでも
多く口に入れて食べ終わろうとしていた。
「何を言っているの。新が速いだけでしょう。ゆっくり食べるのは体に良いのよ」
「むむ・・む」
「なんで、そんなに気分を壊しているの。なんか変よ」
「別に気分なんて壊してないぞ。明菜の努力が無駄になるってことだよ」
「もう少しで食べ終わるから、それよりも、周りの人が変な眼で見ているよ」
「あっ」
「まぁ、私、食べた物を片づけてくるわね」
雪は恥ずかしそうに顔を隠した後、自分が言った通りの事をするが、新も、言い訳のつもりなのだろう。同じ様に片づけを初めていた。全てが片付け終わる頃に、昌も食べ終えた。時間が惜しいのだろうか、それとも、言い争いの理由でも聞かれるのを恐れたのだろう。三人で、昌の食器を片づけていた。それが終わると、逃げる様に屋敷から出て行った。
「遅かったな。明菜は出かけたぞ。んっ、どうした?」
天猫が、玄関の門の所で待っていた。
「もう、恥ずかしかったわ」
「すまない」
「僕が、食べるのが遅かったからだよ。ごめんね」
「そうなのか?」
「もう、忘れるからいいわよ。それよりも、天ちゃん。ごめんね」
「怒りを感じるほどではない。まあ、気にするな」
「ありがとう」
「それよりも、また、記念碑に行くのだろう」
「私と、昌の二人で行けば、何か反応がありそうなの」
「そうか、何かを感じたのだな」
「それに近いわ。私が行くとキラキラと光るのよ。昌の場合いも、そうだったみたい。それも、私と違って右側だったあらしいの。だから、二人で行けば光る場所が全て点るかもしれないと考えたの」
「ほうほう。それは楽しみだな」
三人の男女と獣は、同じ期待を胸に抱いて歩き出した。当然、明菜が殿下を他に導いてくれた為に、誰一人とも会わずに霧の花壇に着くことができた。だが、向かう途中で、足音の様な音が聞こえたと思い。天猫が後ろを振り向いたが、気のせいだったのだろうか?
「あれだな」
天猫が畔に着くと呟いた。
「そうそう」
「行ってみよう」
「うん。新と天ちゃんは待っていて、昌と、二人で行ってくるわ」
だが、居るとは思えない。人の声が響いた。
「待て、何をする考えなのだ」
その声は、長老の声だった。
「えっ、誰?」
「誰だ?」
三人の男女と獣は、それぞれの表情を変えて驚きを表した。
「それには触るな。まだ、時期が早いのだ」
「それなら、これが何なのか分かるのね」
「そうだ。お前らが想像している事に近いかもしれない」
「なら、今なさった方が良い事になるかも知れませんよ」
「駄目だ。少し考えてくれないか、霧が晴れて、砂嵐も竜巻も消えたら隠れ里にならないのだ。誰にでも里があるのが分かるのだぞ。そうなれば、殿下が隠れる場所がなくなる」
「うぅ」
三人の男女と獣は、直ぐには返事をする事が出来なかった。悩んでいたのだが、赤い感覚器官が久しぶりの会話を初めていた。
(我々の指示もなく、赤い感覚器官の指示よりも早く、この場所に二人で来たのだからな)
(赤い感覚器官も時の流れの不具合を修正するのだ。何も無ければ指示もしないだろう)
(それもそうだな)
(それならば、もう我々の指示も無用だろう。普通の感覚器官として眠りに就かないか?)
(それは、二度と目覚めない眠りって意味なのだろう)
(そうなるだろう)
(残念だが、そうするしかないな)
(やはり、そう感じるのだな)
(そうだ。このままでは、我々が時の流れの不具合になると感じた)
(もう目覚める事は無いが長い楽しい夢を見よう)
(そうしよう。そして、ありがとう。を言う。楽しい関わりだったぞ)
(疲れや、不満もあったが楽しかったぞ。おやすみ)
(ありがとう。おやすみ)
「痛い」
「うぅ」
二人は、久しぶりの痛みを感じた。と言うよりも赤い感覚器官があるのを忘れている様だった。だが、少し変と感じた。それは、何か重しが取れた様な軽く感じたのだ。そして、何故か、悲しく感じて自然と涙が零れ出たのだった。左手が軽くなった時点で繋がりが切れて、二度と目覚めない眠りに着いたが、もしかすると涙が零れたのは最後の導きの指示なのか、体の器官が別れを惜しんだのか、それとも、本人の心の思いが悲しんだのだろうか、それは、分からない。だが、今までの中では最適な時の流れの修正だった。
「それほどまで、過去が知りたいか、そして、それに触れたいのか」
「えっ」
三人の男女と獣は、意味が分からず驚いた。
「わかった。必要な時期が来た場合は必ず教える。それでは駄目だろうか?」
(それほどまでに親の事が知りたいのか、それは嬉しいことだ)
「分かりましたわ。それでいいわよね。ねえ、昌さん」
「雪さんが良いなら、それでいいよ」
「ありがとう。そうそう、感謝の気持ちとして、どこか行きたい所はないかな、あるなら案内しよう。
「・・・・・」
「無いか、それなら、里の見所を案内しよう。付いてきなさい」
何故か、突然に喜びの表情を浮かべると、口が滑らかになり話し続けた。それから、自分の子供に自慢するかの様に里を案内した。長老は楽しいのだろうが、三人の男女と獣は歩き続けるだけでなく、里の自慢を話し続けられて疲れを感じていた。
「どうしたのだ。空腹でも感じたのか?」
「いや、その」
「うんうん。空腹なのはわかる。時間も時間だしな。案内が楽しいのは分かるが、昼食を食べに行こう。食べ終えたらまた案内するからな」
「・・・」
「うんうん。何も気にする必要はないのだ。まだ、里の良い所がある。だから安心して食事を食べに行こう。食事が終わればまた案内してやろう」
(この爺さん。こんなに疲れる人だったのか、それとも老人とは人の気持ちも分からず。自分勝手なのだろうか)
この思いは、長老以外の人も獣も同じ気持ちだった。だが、食事を食べるのに屋敷に戻ることには、否定する者も獣もいなかった。
「雪。どうしたの、可なり疲れた表情して何かあったの。まさか?」
「明菜が思う事はなにもなかったわ。ただ精神的にも肉体的にも疲れただけ」
「そう」
長老の屋敷の前に着くと偶然なのだろうか、それとも、長老も殿下も食事の時間を守っただけなのか、それは分からないが、四人の男女は合流した。
「今日は、どのような昼食なのだろうか、明菜も楽しみだろう?」
「そうですね。殿下」
明菜は関心が無い様な態度を表していた。だが、眼球から放たれる視線では興奮を感じられた。その視線の先は殿下ではなくて、三人の男女と獣に向けられていた。
「ならば、行こうではないか、昼職は用意されているはずだ」
と言うと、明菜の手を掴み屋敷の中に入ろうとして歩き出した。
「あの。その、ちょっと待って」
明菜は声を上げるだけでなく、もう片方の手を仲間に振っていた。この様子を見れば、誰もが嫌がっていると思うはずなのだが、殿下は手を離そうとはしないのだ。それだけでなく、不審そうな表情も浮かべずに歩き続けていた。当然、男の力だと理由もあるが、明菜の方も強い態度を示す事も出来ないでいた。
「天ちゃん」
「何だ」
「何とかならないかな?」
「まあ、それはなぁ。お前達も飯にしたらどうだ」
天猫は困り顔を浮かべるが違う事を口にした。もしかすると、殿下は性格も態度も人の接し方も悪い人ではないのだが、もしかしたら軍略以外では、自分の考えを否定する者がいなかったのだろう。特に女性は喜んでとまで行かないが、それとなく接してくれたので、明菜の考えや態度が分からなかったのは仕方がないだろう。
「でも、明菜が・・・・・」
「どうしても嫌なら、それなりの態度を表すだろう。雪なら別だが、あの明菜だぞ」
雪と晶は、明菜の性格を分かっていたからか、それとも、食事を食べるだけ、なのだからと考えたのだろう。二人の後を追う様に館に入って行った。
第四十章
元長老宅の大広間には、今までの通りに殆どの里の者が席に着いていた。残りの者は食べ終えた後に交代で食べていた。まあ、長老宅と言っても里の公会堂なのだろう。それでも、食事は、それぞれの家で食べれば良いと思うだろうが、もしかすると里の規則か仕事などの連絡事項などを知らせる為もあるのだろう。それでも変だと感じるだろうが、食料の節約が一番の理由と思われる。それぞれの家で違う物を食べるよりは同じ物を大量に作る方が節約になるはずだからだ。この様に、他の里や町の様に変わった規則があったから今まで誰にも見つけられる事がなかったのだ。里の変わった習慣にもなれたはずの、雪と新と晶なのだが、大広間の入り口で驚きのあまり立ち尽くしていた。
「なんだ。あれは・・・・何故だ。何故・・・明菜が・・あの場所にいるのだ」
三人の男女の視線の先には、上座に座る。殿下と、何故か明菜が座って居たのだ。そして同じ上座なのだが、少し離れた所で不機嫌そうに春香が座っていた。
「どうしました。座って待っていたのですよ。さあさあ」
数人の里の女性が手を引っ張る様に席を勧めてきた。仕方なく席に着くのだが、新だけが、ぶつぶつと独り言の様に呟いて不満を表していた。
「新。何か理由があるのよ。昼食を食べ終えてから理由を聞きましょう。ねえ、だから早く食べましょう。それに、何か食べるのを待っているみたい。そう思うわ」
「・・・・・・」
新は、仕方なさそうとも、何か考え付いたとも思える複雑な表情を浮かべて食事を食べ始めた。その様子を見て、雪と晶も安心して食べ始めた。まあ、里の者は、料理が口に合わないのかと思っていただけなのだろうが、新には違う考えが頭に中に充満していた。それが証拠の様に、空腹の獣の様に一気に食べ終えた。そして、何を考えているのか、その場に立ち上があったと思うと、叫び声の様な声を上げたのだ。
「殿下。お酌遊びを要求する」
「うぉおお、まだ時間的に酒を飲むには早い様だが、まあ、良いだろう。喜んで受けよう」
殿下の最後まで話を聞かなくても、興奮を表す雄叫びの様な声で誰もがお酌遊びをすると分かったのだろう。食事の交代を待っていた人が喜んでお酌遊びの用意を始めた。
「それで、何を賭けるのだ。私は、腰の短剣を賭けるぞ」
誰が見ても高価と分かる物なのもあるが、殿下の喜び溢れた表情を見て、大広間に居た人だけでなく食事の補助などしていた者まで集まってきた。そして、新の言葉を待っていたのだ。新は、周りの人が見えて居ないのだろう。それでも、殿下に遊びでも勝負を要求したからだろうか、死を覚悟した様な様子だ。だが、口から出た言葉は信じられない言葉だった。
「俺が負けた時は俺の命だ。殺すなり、一生好きな様にして構わない。だが、俺が勝った時は、俺の明菜に近づくな、言葉を掛けるのも許さない。見るのを駄目だ」
思いの全てを言い終ると、新は大広間の真ん中まで歩き座った。
「分かった。短剣の値打ちから考えるなら妥当だろう。だが、負けた時は本当に命を貰うぞ。その覚悟は本当だろうな」
「当然だ」
殿下は、もしかすると初めて怒声と命令をされたのかもしれない。回りの者が止めるのを躊躇う程の表情を浮かべていた。その表情を見ても、新は堂々と承諾したのだ。
「キャッ」
と、明菜と雪が興奮の叫びを上げた。何故か、その様子を見て、春香だけが怒りの表情を浮かべていた。それだけでなく、気持ちを落ち着かせようとしていたのだろう。自分が食べた食器を片付けようと持っていた皿に、力を込めて精神の安定を努めようとしていた。だが、女性の力では割れるはずがないのだが割れた。それだけでなく、紙をクシャクシャにするかのような感じで、皿を粉々にしてしまったのだ。すると、我慢をぶつける物が無くなったからだろう。
「待ちなさい。何て失礼な事を言うの」
「お前には関係ない。黙っていろ」
「黙っていません。たしか、新と言いましたわね」
「そうだ」
「今の話を聞きましたが、新にも殿下にも関係ないことです」
「なんだと?」
「何を言っているのだ。春香。どうしたのだ?」
「あなたよ。何を他人事の様な態度をしているの。原因はあなたでしょう」
明菜は、誰の言葉も聞えていなかった。それは当然だろう。新が結婚の申し込みしたのと同じだったからだ。
「えっ」
「あなたにお酌遊びを申し込みます」
「春香。何を言っているのだ。酒も飲めないのに控えていろ。そして、俺がお酌遊びで勝つ所を見ていろ。分かったな。これは命令だ」
「嫌ですわ」
「何だと」
「ほう、これで原因が殿下だと証明されたようだな」
「何だと、直ぐにお酌遊びだぁ。そして勝った後は、この短剣で死刑にしてやる」
二人の男が、叫び声と同時に杯を手に取った時だった。
「殿下。その杯を貸して」
「新。その杯をよこして」
二人の男が「ふざけるな」とでも言う積もりだったのだが、鋭い視線と相手に死を感じさせるほどの声色のために何も言えなかった。その様子を見て、一人の里の女性が気を利かせて杯を二人に用意して差し上げたのだ。そして、二人の男が誰からお酌をするかと視線をぶつけ合っていると・・・・・・・・。
「新。この酒を頂くわね」
「えっ、その、待ってくれ」
「何を嫌だと言うの?」
「あの」
「ならいいのね。ありがとう。そうそう勝負を挑んだのだから、あなたから飲むわよね」
「当然よ」
「待てって。春香は酒が飲めないだろう」
「勝負なのよ。黙っていて」
「はい」
殿下が仕方なく頷くと、明菜が春香の杯に酒を注いだ。それも、楽しそうに笑みを浮かべてだった。
「そうそう、酒を飲む前に決めておかないと、私が勝ったら何をくれるの?まさか、殿下って言わないでしょうね」
「当然よ」
「なら、金貨五十枚でいいかしら」
「いいわよ。ですが、私が勝ったら殿下に近寄る事も話しする事も許さないわ」
「それでいいわ。さあ早く飲んで」
春香は一気に飲んだ。まるで水を飲む様だった。
「あなた。お酒が飲めなかったのでないの?」
「飲めるわよ。それでなければ勝負するはずないでしょう」
「嘘をついたのね」
「あなたに嘘をついた覚えは無いわ」
「むむ」
「さあ、今度はあなたの番よ」
「分かっているわよ。飲むわよ」
新と殿下は二人の様子をみていた。新は飲めるのが分かっていたからだろう。心配はしていないようだが、殿下は心配していた。それだけでなく、明菜が一杯で降参する様に祈っている様に思えた。
「ふぁあ。久しぶりに飲むと美味しいわね」
「明菜は、酒が好きなのか」
「酒は好きですわ。殿下。ですから勝負は諦めた方がいいと言ってくれませんか」
「何を言っているの。直ぐに酒を注ぎなさい」
明菜に注がれて飲み始めた。だが、今度はゆっくりと飲んでいた。その時だった。
「殿下。お酒を用意した方が宜しいですか?」
「まだ、あるようだぞ。あの瓶一本で十分だろう」
「そうではありません。殿下のお酌遊びのお酒です」
「ああ、直ぐに用意してくれ」
「はい。畏まりました」
里の女性は、直ぐに酒を持ってきたのだが、明菜と春香の視線の戦いを気にしながら殿下と新が座る中央に恐る恐ると置いた。
「味わって飲むと美味しいわね」
「何を強気で言っているのよ。倒れる前に参ったと言ったほうがいいわよ」
「私の事より、あなたの番よ。まさか飲めないのかしら?」
「大丈夫よ。まだまだ飲めるわ」
「そう、それは楽しみですわね」
春香は酒瓶を取りあげて、明菜に杯に酒を注いだ。その様子を見て、男二人も勝負をするのを思い出したようだった。
「俺から勝負を挑んだのだ。さあ注いでくれ」
「わかった」
と、二人の男もお酌遊びを始めた。だが、誰も二人の男のお酌遊びには興味を向ける者は居なかった。それは当然かもしてない。隣で二人の女性が飲み続けているからだ。恐ろしい事に十杯、二十杯と、二人の女性は飲んでいるのに酔った様子がなかった。それでも始の内は祭りとでも思った様に騒いでいたのだが、ここまでの酒量では、そろそろ大人でも負けを認める量なのだ。それで、心配する者や励ます者などの言葉から囁きの様な声が聞こえてきた。
「お姉さま頑張って」
「里の女性の中では一番の酒豪なのよ。負けるはずがないわ」
と、里の独身女性の声が聞こえてきた。春香とお酌遊びをして負けた者だろう。その声援は増えていった。それと同時に、四人のお酌遊びの勝負にも拍車がかかった。
「面倒ね。茶碗で飲むわ。それでいいわよね。春香さん?」
「望む所よ。そして、あなたに勝って、殿下と結婚するの」
「お前は、我と結婚したいと思っていたのか、商売と軍略だけが楽しみと思って居たのだが、そうでは無かったのだな。本当なら、我は嬉しいぞ。そして、我がお酌遊びに勝って、正式に、我から告白をしよう。楽しみにしているがよいぞ」
二人の女性と同じく、男達も同じ茶碗で飲むと言うのだが、新は飲み干した後、殿下は、二人の女性が飲み干したのを見て、自分も飲もうとしたのだが、途中まで飲んで倒れてしまった。皆は驚いて様子を見ようとしたのだが、驚きは、まだ先にあった。春香は、勝負が途中なのに突然に立ち上がると、殿下を抱え上げて歩き出したのだ。皆は、何が起きたのかと様子を見ていたが、誰も後を追う事はしなかった。行く先が想像できたからだろう。その行き先は、誰もが、殿下の寝室に行くと思ったからだ。
「終わったな」
「なら、私の勝ちなのね。でも、新が居るって事は勝負を続けないと駄目よね」
「待て。俺は、お前を助けるために勝負したのだ。殿下が好きなのか、なら仕方が無い。だが、俺はお前が好きだ」
と、叫ぶと明菜の杯を奪い取った。そして、一気に飲み干した。
「飲むか、飲まないか、今決めろ」
「遅いのよ。何時言うのかと長い間待っていたけど、本当に遅いわ」
新は、明菜に杯を渡した。飲めないと、降参すると思ったのだが、一気に飲み干した。
「そうか、遅かったか・・・・・分かった。俺の負けだ。好きにしろ」
新は、ガックリとうな垂れた。
「馬鹿ね。好きに決まっているでしょう」
「キャー」
と、大広間の全ての人たちが興奮の叫び声を上げた。
第四十一章
明菜と新は、周りの雰囲気など無視する様にして呑み続けていたが、先に新が、酔い倒れ、次に明菜も酔い倒れた。残された晶は、新を抱えて自分たちが寝泊りしていた所に向った。当然、雪は明菜を抱えられるはずもなく、人に頼んで寝室まで運んで貰った。
「お母さん。今日はお祭りなの?」
「そうよ。二組の結婚式なの。それも殿下のねぇ」
「なら、甘菓子も食べられるの?」
「そうだね。だから、里の皆は忙しいから邪魔はしないのよ」
「なら、僕も手伝おうか?」
「いいのよ。友達と遊んでいなさい」
母親は、側にいれば、あれこれと声を掛けられては仕事にならないと感じたのだろう。その思いは、他の子供がいる親たちも同じ気持ちなのだろう。自然と子供たちだけが集まる事になったのだ。初めの間は、親たちの様子や祭りの準備を見て居たのだが、それにも飽きたのだろう。何時もの様に子供たちは同じ遊びを始めた。その様子を見て、親たちは安心したのだろう。仕事に集中し始めた。そうなると、年頃の男女が会話を始めたのだった。それを咎めようと視線を向けるが、当時の自分たちも同じだったのかと、笑みを浮かべて何も言えなかった。
「結婚式の祝福の踊りの時って誰か決めているか、もし良ければ俺と踊ってくれないか?」
「いいけど、それよりも、早く結婚式の準備が終わらないと踊りなんて無理なのよ」
若い独身の男女の話題は、結婚式よりも、その後の祭りにあった。別名、収穫の前夜祭とも、成人祭、運命の出会い祭など様々な名称で言われている。その中の運命の出会い祭にあったのだ。名称の様に、独身の男女が祭りで出会う。まあ、殆どの者が前の日に踊りの相手を決めるのだが、それでも、祭りの最後まで相手が変わらずに踊り続けていられた場合は結婚の承諾をしたと思われて居たのだ。他にも収穫の前に、結婚した者、子供が生まれた家族などの収穫の分配などの知らせもあった。この様な理由で里の中は騒がしいのだが、何も知らない者が数人いた。それは、殿下と春香、そして、四人の男女だった。
「うぁあ、頭が痛い。気持ちが悪い」
「あれだけお酒を飲めば当然ね」
「もう少し声を低くして、頭に響くの」
雪は普通に話しをしているのだが、痛いと言われて仕方がなく囁きの様に話しかけた。
「新も同じ様な状態でしょうね」
「そう。それより外が騒がしいわね」
明菜は、まだ酔っているのだろうか、雪の話よりも他の話題を言っていた。それとも、外の声が頭に響くだけなのか、それは本人に聞かないと分からないことだった。
「そうね。何か祭りの様に思うわ」
「ええ。私は、もう酒は飲みたくないわ」
「そう」
(昨日の様子を見たら、誰も勧めないと思うわよ)
雪は、関心なさそうに頷くだけだった。
「ねえ、新と晶は見舞いに来た」
「えっ、何を言っているの?」
「そう、来なかったのね。薄情な人ね」
「もしかして昨日の事は憶えていないの?」
「酒を何杯か飲んだのは憶えているけど、飲んだ理由も途中もまったく記憶が無いわ」
「そう、なら」
「あああ、勝者は、誰なの。私は金貨が貰えるの?」
「もう。それよりも、大事な事があるでしょう」
「金貨より大事・・・何なの?」
「新から告白されて、承諾したでしょう。憶えていないの?」
「うそ」
「本当よ。里の人がお祭り見たいに騒いでいるのは、もしかしたら、殿下と春香の結婚式の準備よ。それと同時に、明菜と新の結婚式も同時にすると思うわ」
「うそ」
「だから、本当だって、間違いないと思うわ」
「どうしよう」
「そんなに動揺するって事は、もしかして新が嫌いで、酒を飲んだ事で思ってもない事を言ってしまったの。そう言う事なのかしら?」
「まあ、嫌いではないわ。何て言うか、結婚するには、まだ歳が早いって言うかねぇ。ほら、その、私たち兄姉でしょう。変かなって思うのよ」
「でも、血は繋がってないでしょう」
「まあ、そうなのだけど、って言うか結婚式って何時よ。早くしないと結婚させられるわ」
「えっ、結婚式をしない積もりなの?」
「そうよ。新なんて酒の勢いで適当に言ったのよ。と言うよりも、私の記憶に好きだと言われた記憶もない結婚式なんて、そんなの嫌よ」
「でも、このままだと結婚式をすることになるわよ。どうする気持ちなの?」
と、その時だった。
「明菜。明菜」
新と晶は、扉を壊す様な勢いで現れた。と言うよりも晶に支えられている。そんな、新が悲鳴の様な声を上げていたのだ。
「何なのよ。大声を上げて、頭が痛いでしょう」
「聞いていないのか、俺達は結婚式をあげるらしいぞ」
「そうみたいね。新が、私に告白したらしいわよ」
「らしいな、酒を飲んだ前後の記憶がないのだ」
「そんないい加減の気持ちで告白したのね」
「新さん。何て酷い事を言うの」
雪は、我慢できなかったのだろう。声を上げると同時に、新の頬を叩いていた。
「・・・・・・」
そして、雪は、明菜に視線を向けると、声も出ないほどに悲しみの表情を浮かべながら涙をボロボロと流す姿を見た。
「明菜。お願いだから泣かないで」
雪は、明菜を抱きしめて慰めようとしていた。
「明菜。あのな」
「新さんの馬鹿。今直ぐに部屋から出て行ってよ。顔も見たくないわ」
「雪さん」
「晶さんも。一緒に出て行って」
雪は、明菜の心の思いを代弁したのだった。
「うっうう」
「そうそう、少し待っていて。新さんとの結婚式を断ってくるわ。あんな人だと思わなかったわ。だから、何も心配しないで、明菜は悪くないって、新が酷い人だと理由を言ってくるわ。ねえ、もう泣かないでね」
「うん。でも、結婚式はするわ。女を泣かしたら、どうなるかって教えてあげるわ」
「どう言う事なの?」
「結婚式をして、最後の本当の最後に殴って断るのよ」
「そうね。それが良いわね。私も何か手伝うわ」
「ありがとう」
「懲らしめてあげようね」
「うん、うん」
明菜は、やっと笑ってくれたので、雪は喜んだ。その時に扉を叩く音が響いた。
「誰?」
「春香です」
扉越しに声を掛けて、暫く待っていたが返事がなく、再度、春香は扉を叩いた。それでも、明菜は、不機嫌そうな態度を崩さないので、雪は仕方が無く扉を開けた。
「ごめんなさいね。それでも、同時に結婚式するのだし、一緒に服装や、他のいろいろと相談しようと思ったの。それと、二日酔いと思って良い薬も持ってきたわ」
「そんな事、殿下と二人でしたらいいでしょう。でも、薬だけは持っておくけどね」
「まあ、男だからなのか、殿下などの高貴な人なのでしょうね。男が女性の服などに興味も見る気持ちがない。明菜さんと相談でも相談してこいと部屋から追い出されたのです」
「何か性格が変わってない?」
「まあ、それほどまで喜んでいるのでしょうね」
明菜は、自分と同じ様に気持ちの悪い者を見たかのように立ち尽くす。雪に囁いた。
「ねね、一人で行くのって恥ずかしいでしょう。一緒に見に行きましょうよ」
「嬉しそうね」
「そうね。明菜さんは嬉しくないの?」
「別に、告白されたのでもないし、私が好きなのかも分からないのよね」
「なんで?」
「昨日の事は全て忘れているのよ。もう私、昨日の事を聞いて喜んだのが馬鹿みたいだわ」
「それは、会い許せないわね。私に良い考えがあるわ」
「どんな?」
「それは・・・」
「待って」
(雪って良い人なのだけど、あの昌を好きな子なのよ。もしかすると昌に計画を言う恐れがあるの。だから、耳元に囁いて)
明菜は、雪に視線を向けたと思ったら、春香の言葉を遮って耳元で囁いた。
「と、言う事なのよ。良い考えでしょう」
「ぐへへ、それは、良いわね」
「新殿。明菜から頼まれたのです。新殿は女性を弄んだ最低な男であり。全ての女性の敵だと、それで、私が、明菜の代理で勝負を申し込みます」
「まさか、御酌あそびの申込ですか、もう飲めません」
「いいえ。剣か武道での勝負です」
「俺が女性を殴れと言うのか?」
「それは構いません。勝負なのですから気にしないで下さい」
「俺が構うのだが」
「それで、勝負は、三本勝負です。二勝した者が勝ちです。一試合目は、武道で、二試合目は、剣で、三番目は、負けた方が好きな戦いをする」
「商売の道徳を学び、軍略も知略があるが、女性なのだ。戦いたくはない」
「気にするな」
「地面に叩きつけるだけにしてやる。防御を取れよ」
新は昨夜の事を少しでも覚えているのなら普通の女性でないと分かるはずだった。酒豪であり。殿下が酔って倒れたのを抱えあげて寝室に運んだ女性なのだと言う事を、やはり、春香は達人と思う動きだった。一歩も動いているか分からない完全の円の動きで新の攻撃を避けるだけでなく、新の攻撃力を倍に返す技で攻撃するのだ。数分も経たない間で勝ち目がないと、明菜に視線を向けるが、悪魔の笑みの様な表情を浮かべながら見ているのだ。新は、長年の付き合いで分かっていた。あの笑みでは何を言っても無駄だと言う事を、それなら、春香を説得しようと思い。構えのまま視線を向けたのだが無表情なのだ。何て説得するかと、構えのまま思案していた時だった。勝負が付いたとでも思ったのだろう。本の一瞬だが、明菜に視線を向けた時の表情が、明菜と同じ悪魔の笑みを浮かべたのだ。これは、駄目だと感じた。恐らくなのだが、春香から武道精神と商魂を叩き込まれてなければ、明菜になるだろうと即座に判断ができた。これは、元の精神は同じだと悟り諦めるしかないと判断した。
「戦う気持ちがないのなら、私から行く」
当然の結果だった。新は、春香の攻撃を一度もかわす事ができず。殴られて蹴られ続けたのだった。新が参ったと言う時だった。
「もう許すわ。春香、もう止めて」
「本当に良いのか?」
「もう良いの。昨日の事は忘れるわ。どうぜ、兄妹なのだし結婚は無理だったのよ」
「明菜。そんなにも俺を思っていたのか、酔った時に何を言ったのか知らないが、この場で、俺の思いを伝える」
「えっ、なにを・・・・・」
「女性にも勝てない情け無い男だが本当に良いのか、あの、それとだが、俺が昨日の晩に告白したのだろう。これで二度目になる。だが、酒の為に適当な気持ちで言ったのではない。幼い頃から好きだったのだ。だが、兄妹だからと気持ちを抑えていたのだ。それで、酒を飲んだ事で、何か気持ちが吹っ飛んで言ったと思うのだ。だから、嘘ではない。それでも良いのなら結婚してくれないか?」
「はい。いいです。喜んで申込を受けます」
明菜は、傷、切り傷、打撲、などを撫でながらだが恥ずかしそうに頷いた。二人は気が付いていないが、もう一人頷く者がいた。同じ頷きなのだが、笑みまで浮かべていた。それも、他人の祝福を喜ぶ笑みでなく、自分の思いが満たされただけでなく、他人を虐待して喜ぶ異常性欲者の笑みに感じられた。その笑みを浮かべていた者は、春香だった。
第四十二章
里を常に覆っている深い霧から歓声が聞える。恐らく、里の全ての者が集まっているのだろう。それは分かるのだが視線の先が誰なのか何をしているのか分からなかった。それでも、人々は歓声を上げて祝福している様に感じられた。そして、誰の祝福の言葉を返しているのか分からないが、時々、女性の感謝の言葉が聞えてくる。霧に隠れて見えないのだが、二人の女性らしい。それも苦しさを我慢しているのだが、何故か、声色からは喜びが感じられるのだ。それだけでなく、周りの人々に聞えない様に囁きあってもいた。
「春香の計画が上手く行って良かったわ」
「当然だろう。男のプライドを徹底的に落として、後は、女性の優しさを与えれば、どんな男性も恋に落ちるのだ」
「そうだったわね」
「信じていなかったのか、自分は、軍略でも商売でも計画が失敗したことがない。たかが、一人の男の意識を変えるなど簡単な事だ」
「うん。信じていたわ。と言うよりも。私は必死だったの。だって、結婚式の準備をしているのに、相手が結婚しないって言われるなんて、女性としてのプライドが許さないわよ」
「確かに、そうだな。なら、後、三回くらいは蹴るのだった」
「あれで十分だったわ。本当にありがとうね」
「いいのだ」
「もしかして、殿下にも計画を実行したの?」
「まさか、殿下は特別だ。自分は、殿下が思っている事を全て叶えてきただけだ」
「そうなの」
明菜は、先ほどの事と矛盾していると思った。だが、思いと違った事を言葉にした。
「殿下と結婚ができて良かったわね。おめでとう」
「ありがとう」
そして、二人の女性は、溜息を吐きながら右側にある椅子に視線を向ける。それも苦しそうに向けるのだ。
「それにても、頭の飾り大き過ぎない。気を抜いたら首の骨が折れるかも」
「そうね。でも、結婚式の女の衣装って豪華って普通でしょう」
「そうだけど、でも、女性が席に座って男性を待つって変でない?」
「自分は結婚式だけでなく、普通的な振舞いや行事は詳しくないのだ。父からは商売規則だけ憶えれば問題がないと言われていたのだ。だが、自分は、軍隊も必要だと思い家を飛び出したのだ」
「なら軍隊に入隊したの?」
「それはない。だが、女が軍隊に入れるのなら入隊していた。だが、旅をしながら金銭を稼ぐと、何故か軍関係に当たるのだ。それで、金額を上乗せの変わりに軍関係の様々な事を習得したのだ」
「それで、あの体術を学んだのね」
「まあ、自分でも軍関係だけでなく、様々な習得は片寄りがあると思う。それでも、確かに、この結婚式は少し変だと感じるのは分かる。まるで、何かの代わりの人形に思える」
春香が思っていた事は本当の事だった。結婚式と同時に収穫の祭りも兼ねているからだ。この二人の女性の服だけでなく、座っている場所は祭壇なのだ。収穫を司る神に見立てて踊りから様々な物を捧げるのだ。それを、二人の女性は知らないのだった。
「そうね。もしかしたら何かの神さまの姿を真似たのかもね」
「そうかもしれない。神が好きな様に動かれたら災難が訪れるからな」
「あっ、それで、神様に気づかれない様に、動けない程まで着飾らせるのかもね」
「神とは大げさだが、今は自分たちが主役なのだ。堂々と振舞おう」
「一生の間に一度あるか無いかの事だしね。そうしましょう」
明菜と春香は適当な事を言っていたが、真の事だった。
「それにしても、新たちは遅いわね」
「そうだな」
遅すぎると思うのは当然と思うほどまで過ぎていた。この場に居る里の者たちは歳が若い者しかいなく、その者たちの思いは、自分たちの連れ合いを探す事と、祭りを楽しみ気持ちだけが心が占めていたのと、収穫の儀式や結婚式の儀式の進行が分からない事にもあったのだ。それでも、飲み物や食べ物が無くなると不審を感じる者が現れるだろう。それほどまでの時間の遅れは、何故かと言うと、二人の女性の連れ合いに原因があったのだ。
「俺は、そんな事を言えない。と言うか嫌だ」
「我も、嫌だ。なぜ、様と言う敬称を使わなくてはならないのだ。これは最大の侮辱だ」
始は数人の年配者が、二人の男を説得していたが、頷いてはくれなく。誰か説得してくれる人は居ないかと一人二人と連れてきて説得するが駄目だったために、殆どの里の者が集まってきてしまった。それだけでなく、長老には伝えたくなかったのだが、この様な騒ぎになれば耳に入るのは当然だった。
「殿下。父上様と母上様が、この場に居たとしても様をお使いなさらないのですか?」
「それは・・・・長老殿。言い過ぎではないか?」
「それでしたら、長老の自分は親と思ってくれないのですか?」
「うっう」
「それに、この場に集まってくれた人たちは、親と思ってくれないのですか?」
「分かった。分かった。言うから許してくれないか」
「新殿は?」
「はい。突然に言いたくなりました。ハッハハ」
新は、ただ一人の同胞が簡単に裏切った為に頷くしかなかった。
「それでは、直ぐにでも支度をすまして、二人の想い人の所に向いましょうか」
「そうだな」
殿下は即座に頷いたが、新は、まだ嫌なのだろう。渋々と頷いている様だった。そして、支度が終わると、二人の女性が待つ場所に向った。
「来たわ」
「そうみたいだな」
先ほどまでの苦々しい表情からは想像もできない喜びの表情を表した。
「遅くなってすまない」
「殿下。私は、少しも待っていません。まだ少し早すぎると思う時間です」
「そう言ってくれるか、嬉しいぞ」
「殿下。席にお座り下さい」
「そうだな」
長老に言われて恥ずかしそうに座った後に、暫く間だが正面に居る里人を見つめた。何か考えでもある様に視線が止まらず。そして、再度、長老に視線を向けた。その視線の理由は「開始してくれ」と言う。心の思いに、長老は気が付いたのだろう。
「二組の結婚式と同時に収穫の祈りの儀式を始めよう」
長老の挨拶が終わると歓声が響いた。その後、祈りから始まり、様々な捧げ物が並べられて踊りも始まった。二組の男女は気が付いてないようだが、やはり、結婚式と言うよりも儀式としか思えない様子だったのだ。まず、第一に、様々な農産物の名前が出るのだが、二組の男女は疑問にも思わずに頷いている。それよりも、名前を読み上がると人が、年配者が消える方に不審を感じていた。当然かもしれない祝福されていないのかと思うからだろう。ついに、長老を残して、最後の年配者であり既婚者が消えてしまった。
「それでは、殿下。新殿。二女神に御言葉を御願いします」
長老は両手を開き、右手で殿下に、左手で新に音楽の指揮者の様な合図を送った。
「・・・・・」
殿下と新は苦々しい表情を浮かべた。それだけでなく、両耳を赤くするのだ。恐らく、恥ずかしい事をする指示なのだろう。長老は待っていたが予定の行動をしないために、また、同じ指示を送った。すると、渋々と、殿下は立ち上がった。そして、大きな溜息を吐くと、さらに、顔中を真っ赤にさせた。
「女神さまと結婚が出来て最高の幸せ者です」
と、春香に言うと、里人の歓声が聞えたからなのか、予定されていたことなのだろうか、後ろを振り向いた。
「この幸せを皆に分け与える事が出来るのならいいのですが、それは、出来ません。その代わりに自分が、女神さまを説得して豊作の約束をお願い致します。きっと豊作の約束をしてくれるでしょう。自分たちは愛し合っているのですから、女神様は、必ず豊作の願いを聞いてくれるはずです。それだけでなく、もう一人の女神様も結婚なされるのです。その者も、我と同じ気持ちのはず。きっと、豊作祈願をしてくれるでしょう」
「・・・・」
「ゴッホン」
長老は、待っていても、新が何も言わないために催促した。同じ様子で話しだすのだが、大勢の前で話すのになれてえないのだろう。どもりだけでなく、台詞も間違えながら話をやっとの事で終わらせた。
「二女神の無言の答えは、確約が約束されたと同じだ。それでは、踊を捧げよう。嬉しい気持ちを伝えよう。さあ、踊ろう。明日の朝まで踊ろう」
「うぁあああ」
今までの中では最大の歓声だった。それは当然だろう。主役の四人と長老を除いて、他の者たちは、これから始まるのが目当てで集まったからだ。ならば、場違いな事でも、収穫祈願を妨げる事でもない。もしかすると、これから始まる事が一番、的確かもしれない。
「なにが始まるのだ」
殿下は、若者たちが片付けを始めたので終わったのかと感じたが違っていた。広間の中心を開ける様に端に退けると、女性が中心に集まり輪を作ったのだ。その輪を囲む様にして男性も和を作った。すると男性が正面にいる女性に声を掛ける。何人か満面の笑みを浮かべて頷く者がいた。その様子を正面の男性が見ると、女性の手を掴み広場から外へ駆け出していた。
「・・・・・・」
殿下は、その様子を見ているのだが、何が起きているのか分からないでいるが、他の三人の男女は、何をしているのかと分かった。
「キャー」
「もしかして告白しているのね」
「こんな祭りがあるのか、いいな」
「新。何よ。私では不満だと言いたいの?」
「まさか・・ああ、雪と晶がいるぞ」
新は誤魔化そうと、何か無いかと視線を動かしていたら驚くのを見たのだ。それが・・。
「うそ。どこよ。祝いの挨拶もしないで何をしているかと思っていたのよ。本当なの?」
「あれね」
春香が、明菜よりも先に見つけて指を指した。
「あの者たちは、何をしているのだ?」
「何て言えばいいでしょう。そうですね。告白遊びとでも言う感じです」
「告白・・・あああ、相手に好きだと言う事だな。変ではないか、許婚の顔でも忘れたか?」
「殿下」
「何だ?」
「私が殿下に言った事をしているのですよ。もしかして許婚が忘れられないのですか?」
「居ると聞いているが会った事はない。もう他の者と結婚しただろう」
「その人と会いたかった。結婚したかった?」
「会って見たかったが、春香より美人だと思えないな」
「もう。もう、しりません」
「長老。何時まで、この席に座ってなければ行けないのでしょうか?」
新は、二人の話が聞きたくなかったのか、ただ、明菜と二人になりたいだけか、それは、分からないが、長老に話しを掛けた。
「まあ、式も豊作祈願も終わったと同じですし、この状況では主賓を忘れているだろう。もう席から離れても構わないぞ。まだ祝って欲しいなら別だが」
四人は同時に首を横に振った。
「それなら、わしも年寄りの集まりに行きたいと思っていたのだ。行かせて頂くかな」
「長老。気にしなくて良いぞ。我も部屋に戻りたいと思っていたのだ」
「そうですね。殿下」
「俺たちも行こうか」
「そうね」
明菜の頷きの言葉で二女神の祭壇の様な壇上から人が消えた。それに、誰も気が付かないまま、踊は続けていた。もしもだが、あの赤い感覚器官が、まだ自我があったのならば、次の事を言うだろう。この里で、赤い感覚器官の時の流れの修正は、殿下と春香を結び付かせる事もあった。それを指示もなく完了したと、喜ぶだろう。だが、今は、存在しない。それだけでなく、今の楽しい雰囲気は長くは続かなかった。一人の兵士が霧の里に入ろうとしていた。少しくらい休んでも大して変わらないと思うが、それでも、走り続けていた。敵なのかと思うだろうが違う様だった。兵士の服装が、子爵の元部下であり、今では領主をしている。あの者の服装に似ていた。
「長老殿か、子爵殿は居るだろうか、至急の用件があると伝えて欲しい」
「どうした?」
子爵は、二組の結婚式を見ていただけでなく、踊まで見ていたようだ。だが、素面でないので、もしかしたら、酔い始めて動くのが面倒だったかもしれない。
「子爵殿」
「何かあったのか?」
「市民が蜂起しました」
「領主は何か言っていたか?」
「その事なのです。今回は手を貸す事が出来ないと、そう伝えて欲しいと言われました」
「なんだと、それだと、この国か」
「そうです」
「どの都市だ」
「西の都市です」
「国境の都市だな、下手したら戦争になり兼ねないな」
「可能性があります。ですが、主様は、弓隊だけなら出せると」
「そうだろう。民兵だからな。正規軍は無理か」
「はい」
「戻らなくて良いのだろう。長老たちと話をする。付き合ってくれないか」
「はい。ですが、水の一杯だけでも頂けないでしょうか」
「長老の屋敷に着けば好きな物が飲める。少し我慢してくれよ」
子爵は、相手の返事を聞かずに歩き出した。その後で、男は大きな溜息を吐くと、人生の全てを諦めたかの様な表情を浮かべて歩き出した。
「長老。長老は居るか?」
「何だ。騒がしいぞ」
長老の屋敷の中では同じ様な歳の男女が酒盛りを楽しんでいたのだが、子爵の一言で水が刺されて雰囲気は変わった。
「酒盛りなどしている場合ではない。西の都市で市民が蜂起したぞ」
「市民が・・・・蜂起だと」
「そうだ」
長老も他の者も、子爵の言葉で酔いが醒めたようだ。
「どうするのだ。長老よ。まだ準備が整ってないぞ」
「皆の衆。そんなに動揺しないでくれ、まず、春香殿に話をしようでないか?」
「そうだな。何と返事が来るだろうか?」
「今の状態の春香殿に言っても、頭に入るだろうか」
「大丈夫だろう。だが、何と間が悪い。結婚式当日に、勿論、長老が伝えに行くのだろう」
第四十三章
「仕方が無いだろう」
「そうだな」
ある程度の年配者の特有の思考か、危機など忘れて酒の肴としての話題にされていた。
「仕方が無いだろう。言いに行ってくるか、だが、今あるグラスの中の酒だけは許すが、再度、注ぐのは許さんぞ」
「分かっておる。少しは信じて欲しいものだな」
「なら、良いが」
長老は、元自分の寝室だった。その部屋に向かった。すると部屋の扉の前で天猫が寝ていた。そのまま声を掛けないで入ろうとしたのだが、扉を開けるには起こすしかなかった。
「見かけなかったが何をしていたのだ?」
「外が騒がしかったのでなぁ。静かな場所を探していたのだ」
「そうか、中に入りたいのだが避けてくれないだろうか?」
「構わんぞ。入れ」
すんなりと場所を移動したので警護とかではなかったようだ。それだけでなく、本当に眠そうに背伸びまでするのだから、寝場所を探していたと感じられた。
「何かあったのか?」
天猫と長老の会話が聞えたのだろう。春香が部屋から出てきた。
「春香殿。忙しい所をすみません。少し里の外が騒がしくなりました」
「殿下。長老の話を聞いてきます。終わりしだい部屋に戻ります」
春香は、頭を下げた。それは、許可を得てとも、ただ、部屋から出るのに挨拶とも思えた。それから、天猫にも頭を下げて、殿下の警護を頼んだ後、長老と並んで歩き出した。
「やはり、一杯で我慢が出来なかったようだな」
「長老。待っていたぞ」
「春香殿。御呼びしてすみません」
「それで、何があったのだ?」
「西の都市で市民の蜂起がありました」
子爵は、春香に、自分で分かる全てを伝えた。
「本当なのか?」
「はい」
「そうか、仕方がない。まだ、時機は早いが都市を奪い。そして、殿下の拠点にする」
「ですが、今回は、領主の力は借りられませんぞ」
「弓隊だけで十分だ。そして、子爵が言った通り、四人の男女の力が本当ならば、だが」
「あの子たちの力を借りるのか?」
長老は、何故か、怒りを感じていた。
「力を借りられたら、必ず勝てるでしょう」
「四人の子供たちには、わしから言う。それで断られた場合は諦めて頂きますぞ」
「長老殿。考え過ぎかもしれないが、四人に頼みに行くのだな」
「四人には全てを話します。そうしなければ・・・ならないはずです。その理由は、春香殿の考えにあります。春香殿は、四人を部隊の盾にする考えですね」
「そうだ」
「その戦い方は、一度、失敗しているのは分かっていますか?」
「その一度とは、殿下の父君の時の戦いだな」
「そうです。ですから、全てを話してから協力を頼みます」
「分かった。頼むぞ」
「それでは、失礼」
長老は、返事を濁らせた。それだけでなく、何か心の思いを押し隠しているようだった。
その四人の男女は何をしていたかと言うと、新と明菜なら結婚したからではないだろうが、作間の所に帰らずに、里に住むと考えていたのだ。そのために住む家を探していた。残りの雪と晶は、二人の結婚式のお祝いに行って、その祝福の踊だと思ったのだろうが、そうではなくて、耳を覆いたくなる告白の嵐の踊を見てしまい。恥ずかしくなり逃げてしまった。長老は、その心理には分かるはずはないが、里で一番の興味を感じて、行きたい場所は想像がついていた。
「やはり、この場所に居ましたか」
「長老」
と、雪と晶は、霧の花壇にある記念碑の前にいた。何故か、心が落ち着くと言うのか、懐かしさを感じるのだ。まるで、自分たちの両親の墓標と思えば一番近い気持ちだった。それ程の気持ちで記念碑を見ていたので、長老の言葉に気が付かず、驚いて振り返ったのだ。
「や、や、約束は守っていますわよ。ただ、見ていただけです」
雪は、長老を見て動揺した。
「その様だな」
「・・・・」
「その事は信じていたので、何も気にする必要はないぞ」
「何て言ったらいいのか、見ていると心が落ち着くの」
「そうか、そうか」
長老は理由が分かる。そのような様子で頷いていた。
「・・・・」
「それで、わしが来たのは、この記念碑の様子を見に着たのではない。四人と言うか、二人に頼み事があったのだ。恐らく、この場に居ると思って来たのだ」
「頼み?」
「遠まわしに言わずにする。戦が始まるのだ。手を貸してくれないだろうか」
「いいわよ。手を貸すつもりで居るからね」
「だが、軍師の考えでは、部隊の先頭に立たせて盾にする考えなのだ」
「軍師。ああ、春香さんね。そう、先頭で矢などを叩き落とせばいいのでしょう。晶さんと一緒なら大丈夫よ。安心して」
「僕は死ぬ気持ちで、雪さんを守るから好きなように動いていいよ」
「信じているわ。晶さん。あの時の門の戦いの時みたいに守ってね」
長老は、自分の瞳から涙を流しているのに気が付いていないようだ。それだけでなく、雪と晶に視線を向けているが、違う者を見ているようだ。
(あの時と同じだ)
長老は、過ぎた昔と今の二人を重ねて見ていた。
(あの時も、幸子の絶対の防御と誇られた赤い感覚器官と、駿足に飛び走る最速の剣戟と謳われた。薫の赤い感覚器官だったはずだったのに、幸子の一瞬の油断で矢が当たり。陣形が崩れてしまった。まさか、幸子と薫の、あの場面が見えるのは時の流れの意思か、同じ事になると伝えたいのだろうか?)
「ならば」
と、内心に隠す事ができずに声を上げてしまった。
「長老。どう致しました?」
「ギャ。変な声を上げないで下さいよ」
「すまない。それで、なのだが、記念碑に触れても良いぞ」
「でも、あれ程まで駄目って言っていたのに、なぜです?」
「その代わりに・・見た場合は、先ほどの言葉を守ってもらう」
「先ほどの言葉?」
「そうだ。死ぬ気持ちと言っただろう。もしだが、失敗した場合は、里が消える可能性があるのだ。恐らく、里の不思議とされている。霧も晴れ、竜巻も全て消えるはずだ」
「えっ」
「そうなれば、今までのゲリラ作戦が出来なくなる。必ず都市を奪わなくてはならない。それだけでなく、春香殿の計画が成功するまで、殿下を守り続けなくてはならない」
「そっ・・それは・・無理ですわ」
「僕にも無理。一生なんて無理です」
「それでも、今回の戦いは、わたしが守って見せますわ」
「それは、僕も同じ考えです」
「晶さん。それでは、行きましょう」
二人は、と言うよりも、雪は怒りを表していた。恐らく、長老は見せる気持ちが無いから言ったと感じているのだろう。長老は、この場から消える二人を見続けた。
「今回は本当に見せる気持ちだったのだが、短気な人だ。誰に似たのだろう」
長老は意味不明な言葉を吐いた。もしだが、二人に聞えていたのなら止めえられたとしても、無理やりに記念碑に触れただろう。
「やれやれ、何か疲れた。温泉にでも入るとするか」
戦の前だが、長老は自分で戦に行く訳でないからだろうか、それとも、元々の性格か、何も心配ごともない。のほほんとした気持ちでいた。それは、長老屋敷に着くまでだった。
「長老。どこに居たのですか、お探していたのですぞ」
「何があったのだ」
「領主から書簡が届いたのです」
「何か不都合があったと言うことだな。それで、春香殿は・・・?」
「大広間で、皆と思案しています。ですから直ぐに」
「分かった。直ぐ行く」
長老は、大広間に入ったのだが、想像とは違っていた。会議でもしているのかと思ったのだろうが、皆は無言だったのだ。そして、何があったのかと問い掛けた。
「春香殿。領主殿からは、何と言う知らせだったのです?」
「市民の蜂起は本当なのだが、裏があったのだ。書簡には、領主の謀反の疑いを確かめる為らしいのだ。それで、弓隊も出せなくなったと書かれていた」
「それでも、行かなければならないのですか」
「そうだ。市民を一度でも期待から裏切っては終わりだ」
「だが、領主の弓隊がなければ、里の兵だけならば千人も居ないぞ」
「それは分かっている。当初の計画では、都市から兵を追い出して、市民だけの自冶権を認めさせる考えだったのだが無理になった。それでも、蜂起した市民だけでも助けたい」
「そうですな」
「もしだが、各国の旗があれば良い計画があるのだが・・・・」
「旗ならば、都市に入れれば何とかなるのだが、そして、都市から出れば渡す事もできる」
「そうなのか?」
「はい」
と、子爵は頷いた。その後、雰囲気を壊す声が響いた。
「お腹が空いたわ。今日の夕食は何かしら?」
「おっ、これが噂の作戦会議だな」
「お邪魔のようね。出ていましょうか?」
「そうだな」
「待て。お前らにも関係あることだ。座って話を聞け」
「・・・・・・」
「おい。あの二人は、どこにいるのだ?」
「分からない。もしかすると・・・・」
新が言うと、その後を長老が付け足した。
「さっきまで、わしと話をしていた。そろそろ来るだろう」
「それでは、話を続ける」
「チョット待ってよ。それよりも、何か忘れていません?」
「何を?」
「わたくしの、金貨五十枚よ」
「それは、なんだ?」
「約束したでしょう。忘れたの?」
「約束だと・・・・」
「そうよ。お酌遊びで、わたくしが買ったでしょう。その賞金よ」
「何を言っているのだ。結婚が出来たのだから帳消しでしょう」
「それは、それ、これは、これ、わたくしは、そのお金で豪華な新婚旅行をするのよ」
「ほうほう、これから戦だと言うのに旅行に行くのか?」
「そうよ。さっさと終わらせてから行くわ。だから、先に金貨をよこしなさい」
「ほうほう、今までの話を聞いていなかったのか?」
「聞いていたわ。簡単な事でしょう。子爵が都市に入れた場合は、即、旅に出るわ。駄目な場合は残念だけど、その都市で新婚旅行の代わりに金貨五十枚を使って豪遊するわ。まあ、その時は欲求不満を解消するために、子爵を召使にしてあげるから、暇の時でも、都市を出たり、入ったりするのね」
「・・・・・・」
「と、言う考えなら、何も問題はないでしょう」
皆は沈黙した。だが、明菜は、自分の考えが否定されたと感じたのか、それとも、沈黙に耐えられなかっただけか、大声で問いの答えを求めた。
「わはははは」
春香は、涙を流しながら笑っていた。想像を絶する事を言われえて呆れたのか、もしかすると新婚旅行など出来ないのが分かり切っていたので悔しいのだろうか、その涙の理由は分からないが、暫く、大広間には笑い声が響いていた。
「春香殿」
長老は、笑いにも耐えられなかった事もあるが、大広間にいる人々からの視線に気が付き、自分が収拾するしかならないと感じたのだ。
「長老。安心してくれ、自分は正気だ」
「本当に大丈夫ですか?」
「ああ。それと、明菜。金貨五十枚でなくて百枚をやろう。それで、豪遊でもして、子爵を好きな様に使って構わない」
「春香殿。何て言う事を・・・」
「これが、一番の作戦だろう」
「作戦ですか?」
「そうだ。子爵には理由が分かるな」
「はい。分かります。これ程の作戦は無いでしょう」
「なら、何時頃に、殿下と現れた方が良いかな?」
「都市には日の出と同時に入りたい。そして、偽の五国の旗を作るのに夕方まで掛かるでしょう。ですが、五枚が出来上がって同時では遅い。一枚作製しだい旗を掲げなければならない。ですから、都市の周囲に数人は居て欲しい。その者たちの連絡で時間を決めて下さい。まあ、予定通りに進んでくれるといいのだが」
「わかった。都市の領主たちも、二、三日は様子をみるだろう。それだと、明日の夕方には鎮圧する部隊を動かすはずだ。だから、連絡が来ても、来なくても、殿下と兵を連れて夕方には行く。だが、最期の連絡する者とは途中で会うだろう。その知らせによっては・・・」
「分かっております。その時は、出きる限りの人を引き連れて逃げます」
「それは、最終手段だぞ」
「はい」
子爵は畏まった。
「長老」
「はい。何でしょうか、春香殿」
「自分は、殿下に報告に行く。後は、子爵の指示で準備を頼む」
その頃になって、雪と晶が現れた。慌しく食事の準備をする者や長老と子爵の指示で動き回る者がいたのだが何も理由を聞かずに、新と明菜の隣に座った。すると、満面の笑みを浮かべながら明菜は話し掛けてきた。
「あのね」
先ほどまで話しをしていた事を全て、二人に伝えた。
第四十四章
子爵と四人の男女は、朝と言う時間よりも真夜中と思われる時間に里から出ることになった。明菜だけが起きるのが早いとか、準備の用意は全て揃っているのかと騒いでいたが、馬車に乗り出発すると安心したのだろうか、すぐに寝てしまった。
「騒がしくて、ごめんな」
「良いわよ。長い付き合いだしね」
「ゆっくり寝かせて欲しい。昨夜は興奮して寝てないのだ。それほど楽しみなのだろう」
「そうよね。事実上の初夜になるのだしね。新も楽しみでしょう」
「しらん」
「寝ていてもいいぞ。着いたら起こしてやるから・・・・?」
「・・・・・・・」
「寝たのか、やっぱり、まだ子供だな。だが、安心しろ。お前らの楽しみの邪魔はしない」
里に行く時と同じ様に竜巻などが起こった。当然だが、馬車を避けるように過ぎるので何も支障がなかった。それでも、都市に着く間に、一つ驚く事があった。
「お待ちしていました。領主の指示で、都市まで案内を致します」
驚きとは、一人の男が立っていたからだ。
「その様なことをしても大丈夫なのか?」
「私は、最近になって家臣なりましたので大丈夫だろうと・・・・・」
「そうか、案内よりも頼みたいことがある。私が居た都市に行き無事を伝えて欲しい」
「ですが、領主様は、案内をしてくれと・・・」
「私を助けるためにきたのだろう。それが、一番助けになるのだが・・・・・駄目か?」
「承知しました」
姿が消えるのを見届けると・・・。
「やれやれ、あれが一番信じられない部下だな。追い出せたと言うことは、知らせえる事が出来れば、当初の通りの部下を出せると言う意味だな。だが、必要はないだろう」
後は、子爵でも眠気を感じるほど何事もなく、都市が見える場所まで来る事ができた。
「何の御用でしょう」
都市の門番が検問していた。
「主様の新婚旅行だ」
「だが、今は治安が保たれてないのだ。他の都市が良いと思うぞ」
「言いたくはなかったが、権益違反になる場合があるぞ」
「何故、一介の旅人が何を言っている」
「私でなく、主様さまの身分にあります。ですから、馬車の紋章を見てください」
「え。紋章だと・・・これは・・・」
「入れてくれるだろう」
「すみませんでした。てっきり傭兵だと勘違いしていました。中の主様には内密に頼む」
「大丈夫でしょう。寝ているはずですので、私が黙っていれば問題はないです」
「そうか、なら、これで頼む」
「いいえ。都市の警護や私たちの気遣いからと思っています。お礼は私の方です」
「そうか、そうか、そこまで言うのなら貰っておく」
検問兵が、金を渡してきたが受け取らずに、逆に、渡された倍の金額を渡した。
(受け取ってくれたか、これで、都市の出入りは何とかなりそうだ)
「さて、どこにするか、教会では寄付金だけ高いだけで質素になる。やはり、式場か宿屋の貸し切りしかないが、まず、建物を見てからにするか、それにしても、市民の蜂起とは、どの程度なのだろうか?」
この都市は初めてだが、殆どの都市の作りは、領主館を中心に外に行く程みすぼらしい作りだった。だが、南の正面門から北の裏門の通り沿いは一番の繁華街で、その通りを歩けば大抵な物が見付けられる。それが、分かっているから通り沿いの中で一番の豪華な建物を探す考えなのだろう。それと、恐らく、市民が蜂起したのは、西か東の地区のどちらかだろう。それか、両方かもしれない。
「あれにするか」
子爵が目に留めたのは貴族の豪邸と思える物だった。市民が経営をしているのでなく都市が管理する物で、他国の貴族や豪族などの招待客が利用する物だったが、都市の役所で申請すれば市民でも借りる事ができる。だが、今の子爵のように当日に申請しても借りる事はできないが、佐久間家の名前と、馬車の紋章を見せれば滞在者が居なければ借りられるだろう。それは、建物の正面を通った時に無人なのが確認できたので、他を探す事もせずに役所に向かった。そして、その建物は直ぐに探す事ができた。
「すまないが、役所の手続きはできるだろうか?」
役所の正面門に、二人の警備人が立っていたので声をかけたが、視線を向けるだけで直ぐに返事をしてくれなかった。まだ、日が昇って間もないからか、戦車の様な馬車のために不審を感じているのだろう。子爵は、仕方が無いと感じて御者席から降り、袖の下を握らそうとした。
「何かあったのか?」
交代の時間だったのか、それとも、門にある灯りに馬車の姿が見えて不審に感じたのかもしれない。二人の男性が建物の中から出てきた。先ほどの男性は疲れていたのか、それとも性格なのか、可なり話し難かったが、現れた二人の方が話し易そうだった。
「我が主様の新婚旅行のために、館の借用の申請にきました」
「今何時だと思っているのだ。後で出直してくれ・・・・・」
「あっ、作間家・・」
片方の秘書か、警護人の上司らしき者が驚きの声を上げていた。
「そうです。作間家ですが・・」
「特例として鍵を渡す。申請は開館してからで構わない」
部下に肩を叩きながら話した後は、建物の中に戻っていた。
「そこで待っていろ。直ぐに鍵を持ってくる」
「ありがとうございます」
と、子爵に言うと駆けて建物の中に戻って行った。言葉の通りに直ぐに現れた。
「開館したら来てくれ。それと、馬車の置き場がないので徒歩で来てくれないか」
「勝手な御願いを聞いてくれて有難う御座います」
「何時でも使用できる様にしているが、もしもだが人手が必要なら、隣の建物がよろず商い屋をしている。良い人だから声を掛けてみたらどうだ」
「そうします。それでは失礼します」
二人の警備人は最期まで無言だった。恐らく、市民の蜂起に関係していると感じた。普段は警備など居ないのだろうが、役所なので襲われると感じての事だろう。
「着きましたぞ」
役所で渡された鍵で、門の鍵を開けて敷地内に入ると、四人の男女に声を掛けた。
「もう着いたの。まだ眠い」
「うぅうう」
「まだ、暗いぞ」
「寝具のある部屋はどこだ?」
四人の男女が、それぞれの愚痴を言いながらも建物に入って行った。
「ほう」
建物に入ると、あまりの驚きで眠気が消えた。それは当然だろう。四人だけでなく、普通の者でも建物の中にある絨毯を片足だけでも踏みしめると、天空にある雲を踏んだ様な感じを味わうのだ。足元に向けていた視線を正面に向けると、それ程まで横幅が必要なのかと思える。三階までの螺旋階段があった。
「まだ眠いでしょう。好きな部屋で寝るのも、館を探検するのも構いません。私は、様々な手続きと、計画の実行の準備をしてきます」
四人の頷きを見ると・・・。
「それで、朝食は少し遅くなります。そうですねえ。九時頃になると思います。その事は、となりの館のよろず屋さんに伝えておきます。もしも私が帰ってくる前に来た場合は、指示してくれて構いませんが、計画の事は話題にするのも駄目です」
「分かった。誰が聞いているか分からないからだろう」
「そうです」
「分かったわ。もう眠いの。寝ていいでしょう」
「あっ、それと、私の行動を隠す意味で、新と明菜さんは、我が侭に振舞ってください」
「えっ」
「ぐへへ。寝た後にでも楽しみを考えるわ」
「新婚旅行です。二人は主役ですから好きにして下さい」
そう言うと、眠いのか、それとも、精神的に疲れてきたのだろうか、欠伸とも溜め息とも思えるものを吐くと、首や肩を回しながら建物から出て行った。当然、隣の建物に向かうと思ったのだが違っていた。時間的に早くても繁華街に向かうと思ったのだが、裏路地へ裏路地へと進んで行った。進むにつれて店舗なのか空き家なのか分からない感じの物が増えてくる。その中でも倒壊寸前で、半分壊れている看板には不動産と書かれている建物の前で立ち止った。
「すまないが頼みがあるのだ」
と、扉を叩きながら声を上げていた。すると、人が居ないと思ったのだが、灯りが点くのと同時に声が聞こえてきた。
「誰だ。こんなに早い時間に・・・」
「すまない。至急の用件なのだ」
「あっ、若様」
「久しぶりだな。この都市で不動産をすると、あの時分かれる時に言っていただろう」
「若様は、貴族の称号を剥奪されてから何をしていたのです。分かれて直ぐの時には、都市に用事があると、若様が心配で探し回ったのですよ」
「すまなかった。旧王宮で、市民に礼儀作法を教えていた」
「そうでしたか、お辛かったでしょう」
子爵は、自分の境遇に涙を探してくれて嬉しかったのだが、それよりも時間が惜しかったので、話を戻そうとした。
「それよりも、今は、殿下に仕えている」
「ご無事でしたのですか、嬉しい事です」
また、泣き出しそうだったので、直ぐに頼み事を言わなければならないと感じた。
「それで、殿下を助ける為に五カ国の旗が必要なのだ。出来れば本物が欲しいが偽者でも構わないのだ。何とか手配できないだろうか?」
「偽物で良ければ一枚作るのに一時間・・・だから、早くても五時間は掛かります」
「それで構わない。一枚でも出来れば持って行きたいのだ。一時間後でいいのだな?」
「まだ、寝ているので無理でしょう。そうですね。一枚目は九時まで作らせます」
「すまない。それと、聞きたい事があるのだ」
「なんでしょう」
「市民が蜂起したと聞いて来たのだ。だが、それにしては、蜂起していると思えない」
「その事ですか、それは、商人の一部が契約違反だと騒いでいるのです。その商人たちは少ないが自分の兵まであり。契約の通りの金額を払わない場合は武力で訴えると叫んでいるのです」
「それならば、一般の市民は関係ないのだな?」
「いいえ。その商人たちが武力で訴えれば、殆どの市民が蜂起するでしょう。あの噂の市民だけの自由の国を作る為に行動するでしょう」
「まだ早い。どうすれば止められるのだ」
「まだ、早い?」
「そうだ。全ての都市とまでは無理でも数個の都市が必要だ。このまま、一つの都市だけで蜂起しても鎮圧されて終わりだ。だから、止めなければならない」
「まあ、今回だけなら領主が契約の通りの金額を払えば収まるはずです」
「分かった」
「まさか、旗の使用方法は・・・」
「そうだ。殿下の宣言がなかったからだ。だから、旗だけでも同じ事を起こす。それならば、同じ状態となり金額を払うはずだ」
「すべての理由がわかりました」
「それと、商人と面識があればいいが、噂の国を作るために様々人々が行動している。だから、その時まで力を蓄えて欲しいと、そう伝えて欲しい」
「分かりました」
「それでは、九時に来る。頼むぞ」
(変わったな、いや、私が主だったので笑みだけ見せていたのか・・・かもしれない)
落ち込んでいるようにも、あの者を信じていいのか、そう思う。複雑な表情を浮かべた。
「遅い。遅いわ」
子爵は、四人は寝ていると思い。音を立てずに玄関の扉を開けたのだが、明菜の叫び声が聞こえて、驚いて正面を見ると、新と晶が立っていた。それでなくても、明菜に好きな様に振るえと言えば寝るはずがなかった。
「他の二人は居ないようだが?」
「この時間では眠いのでしょう。寝ていると思うわ」
明菜は、どうでもよいと思われる口調だった。その隣で新が欠伸をしているのには、気が付いていない様だった。だが、気が付いていたとしも無理に付き合わせただろう。
「遅いわ。どこに行っていたの?」
「もしかして食事の事でしょうか?」
「そうよ。それと風呂ね」
「分かりました。それでは、よろず屋に行って来るとします」
「何時になるか聞いてくるのも忘れないでね」
「承知しています」
子爵は、明菜の視線を感じたのか、それとも、元貴族としての礼儀が体に染み付いているのか、完璧な礼儀を返して建物から出て行った。
(はやり、起こすしかないか)
「えっ」
よろず屋の玄関に着き、扉を叩いて起こそうとしたのだが、驚きの張り紙を見たのだ。
「緊急の御用がある人は裏口の扉を叩いてください」
と、書かれた文字を読み上げた。そして、頭を掻いて気持ちを落ち着かせると、ホットしたのだろう。笑みを浮かべてしまった。
「ここか?」
(なんだ。屋敷の勝手口の目の前か、それで、あの張り紙なのか)
裏口に来ると、扉の上方に小さい鐘があり。扉を叩くか鐘を鳴らすかと悩んだが、ある物なら使用した方がいいだろうと思い。鐘を鳴らした。直ぐに表れるだろうと思ったのだが、扉が開かれなく、もう一度、鐘を鳴らそうとした時だ。何か物に突き当たる音と崩れる音が響いたので鳴らさずに待ってみた。
「待ってくださいよ。今出ますから」
鐘の音で驚いたと言うよりも、声色からは逃げられたら困ると慌てているようだった。
「何の御用ですか」
先程の声と違い。上ずった声で笑みまで浮かべていた。
「朝早くてすまない。隣の屋敷を借りた物だ」
言葉と同時に指先で後を示した。その言葉を聞くと表情でもハッキリと分かる表情を浮かべて肩まで落とした。その様子を見て仕方がないと思ったのだろう。
「それと、頼み事もあるのだ。ある都市の人物に連絡して欲しいのだ。至急して欲しいので、ある程度の金額を払う」
「はい、はい。直ぐにでも出来ます。直ぐにでも出来ます」
その男は笑みを浮かべた。もしかすると、屋敷の用件は毎月の金額は決っていて前払いされているのだろう。そして、他の用件があると感じて笑みを浮かべたのだろう。
第四十五章
「都市の用件は、館の食事と浴槽の準備が済んだ後に頼みたいが良いだろうか?」
子爵は不機嫌な気分を感じていた。それは当然だろう。
「構いません。構いません」
「それでは、五人前の料理を頼むが、先に簡単な物でいいので二人分の用意を御願いする」
「分かりました。分かりました」
男が同じ言葉を二度も言うので、馬鹿にしているのかと思うからだ。だが、清清しい営業の微笑みを浮かべているので、癖なのかと思うことで聞き流す事が出来た。すると、男は、急ぎの件だと思ったのだろう。直ぐに建物中に消えた。少しの間だが、子爵は、その場で待っていた。もしかすると、鍵や食事などの要求を聞きに来ると思ったのだが、出てくる気配がなく玄関に戻った。何をするのかと思ったが、それは、馬車の荷物を下ろして屋敷の中に入れる事だった。
「居た。居たわ」
「起きていたのですか、朝食でしたら今作っています」
雪と晶は、玄関の前に立っていた。
「そう楽しみしているわ。ねね、それよりも、書庫の様な部屋があるのだけど、鍵が閉まっているのよね。その鍵ってあるの?」
「あると思います。少し待っていてください」
子爵は、ポッケトから鍵束を取り出して書庫と書いてある物を探した。
「あった」
「貸してくれます?」
「いいぞ」
この言葉を聞くと、雪は、子爵の元に駆け寄り鍵を受け取った。
「新。行きましょう」
鍵を、新に見せる様に振って見せた。
「うん。いいよ」
「早く、早く行きましょう」
雪は、新の片手を掴み館の中に入ったのだが、正面の階段の左脇の隅に掛けられてある絵に自然と向くと歩き出した。新は手を握られていたので一緒に行くことになった。
「やっぱり、新さんの言った通り、あの記念碑よね」
「うん。僕には、そう感じた。雪さんも同じに見えるなら何か嬉しい」
「何をしているの」
明菜が声を掛けてきた。恐らく、食事が出来るまで空腹を紛らわせるのに、館内を歩いていたのだろう。勿論、隣に新がいるが、眠そうな感じだった。
「この絵って、記念碑にみえない」
雪は、期待一杯の視線で話を掛けてきた。
「そう思えばね」
「ねぇ、なら、霧が晴れたら、絵の様に城みたいな建物がでるのかな」
その絵には霧も花壇も無く、墓石の様に綺麗に整備されていると言うよりも、立てられた直後に思える。だが、その後の風景には、水面の上に浮いている城の様な物が見える。
「どうでしょうね。でも、この絵って可なり古く感じない」
「そうね。絵柄だけに興味を感じていたから気がつかったけど、油絵の具なのかな、ひび割れが酷いわ。本当に古そうね」
「もしかして、あの記念碑は作り直した物かな?」
「そうとしか思えないわね。だって、新品見たいな輝きだったわよ。最近の物でしょうね」
「そうだな、普通の金属なら霧や露でボロボロになるからな」
「でしょう。それほどまで大事にされて作り直しているのなら理由や何か伝説でもあると思ったから・・・・・えへへ、鍵を借りてきたの」
「おお、そうなのか」
「新と明菜はいいの。好きなことをしていて、計画の誤魔かしとしても新婚旅行なのだからね。一生の間の一度の事なのだから良い思い出にしてよ」
「ありがとう。そうするわ。でも、何か分かったら直ぐに教えてね」
「うんうん」
雪は、晶の手を引いて地下の書庫室に向かった。
「ねね、新も行きましょう」
と、明菜も新の手を引いて階段の上に視線を向けた。新は、嫌々な表情を浮かべるが、その表情からは初夜となる可能性はないだろう。最近まで兄妹なのだ。恐らく、少し先に起こるだろう事の、大人のママゴトに違いない。
「もう、晶さんも気が付いて、出来るだけ二人だけにしてあげないと・・・もう、新婚旅行なのよ。そして、今日は初夜なのよ」
「そうだね。でも、雪さんが楽しそうだったから・・・」
「なら、私が悪いって言うの?」
「いや、その」
「でも、いいな」
晶が、何て答えていいのかと迷っている時に、雪は、二人の様子が気になって、階段の下と言うよりも、書庫室の扉の前から階段を昇る姿を見ていた。
「何か言いました?」
「いいえ。何も言ってないわ」
「なら良かった。書庫室に入るか?」
「うん。そうね」
「ねえ、雪さん。この中から探すのかな?」
晶が驚くのは当然だった。恐らく、書庫の大きさは地上の建物と敷地の全てと同じと思える広さと思えた。そして部数は、見た目で十万冊は超えているはずだ。
「そうね。これなら必ず有ると思うわ」
「探せたらあると思うよ」
「有るはずだから大丈夫よ」
雪は、期待で気持ちが膨らんでいるが、晶の問いかけとは違う返事を返していた。
「種類別に分かれているといいな」
「そうね。神話関係から童話でもいいわね。もし出来れば建築の設計図が理想ね」
「僕が探して、僕が片付けるのだろうなぁ」
「さあ、探すわよ」
雪は、掛け声を上げると、本棚に向かい。本を手に取り始めた。
「これは、違うわね。これも、違うわ」
晶は、自分の想像と一致したから驚いているのではなかった。雪の様子に驚いたのだ。自分の想像では、雪が適当に選んだ本を読むのに夢中になり、自分が本を探しながら片付けると想像していたのだが、あの優しい雪が、本を手に取って違うと、元に有った場所に戻すのでなく、自分の後ろに投げては、また、掴むのだ。
「雪さん。何をしているのです」
「えっ、本を探しているのよ。そう見えない?」
雪は、自分の後ろに立っているだろう。その晶からの問い掛けに答えるが振り向きもしないで、本を手に取ると、投げる。それ繰り返していた。
「探しているのは分かるのだけど、なぜ、投げるのですか?」
「変な事を言うわね。必要が無いからよ。晶さん。本当に変よ。どうしたの?」
問いの答えを言っているが、本を探して題名が違うと投げながら答えていた。
「何か、今の様子を見ていると、明菜を見ていると錯角するからかな」
「えっ、どう言う意味なの?」
「雪さんは、女性らしい人だと思っていたから・・・・まさか、本を投げるなんて・・」
「わたくしって、明菜さんよりも女性らしくないの?」
雪も、明菜が一般の女性と違うと思っていたようだ。
「女性らしいとか、女性らしくないとかではないのです。女性って、本などの物にも花や動物にも優しく接する人だと思っていたから・・雪さんは、そう言う女性と思っていたよ」
「嫌いになったの?」
「そうではないよ」
「わたくしってね。攻撃的の赤い感覚器官でしょう。何かに心底から夢中になると、今見たいになるみたいね。自分でも気が付かなかったわ。晶さん。ありがとう。嬉しいわ」
「僕、雪さんは怒ると思ったから、何で、嬉しいのかな?」
「それは、そうよ。それほどまで、わたくしに興味を感じてくれたのでしょう」
「うん。感じていたよ」
「それだけ?」
「えっ?」
「何でもないわ。本を探しましょう」
「うん。なら、僕が本を持ってくるから読んでいて、違うなら片付けるし他にも持ってくるからね」
「ありがとう。そうするわ」
晶に言われて本を読み始めた。晶は、自分から言ったからだろう。夢中で数冊の本を探し出して、雪が座る机の隅に置いた。そして、偶然を装う様に横顔を見た。
(可愛いな)
「どうしたの?」
「えっ、」
「あっ、本を持ってきてくれたのね。ありがとう」
(もう、偶然を装わなくても、見たいなら好きなだけ見ていいのに、もう)
「また、探してくるね。あっ」
「子爵さん」
地下室にある一つだけの扉から子爵は、二人の男女を見ていた。
「お邪魔したようですね。すみませんね」
「いいえ。その様な事はないわ」
「そうですね。雪さん」
「うん。うん」
「それで、子爵さん。何か用があるなら僕が聞きます」
「いいえ。何もありませんよ。ただ、朝食の用意が出来たのを知らせに来ただけです」
「そうでしたの。ありがとう」
「地下室での用があるのなら食事を持って来てもいいですよ」
「いいえ。食堂室に行きましょうか、ねえ、晶さん」
「そうですね」
「それでは、先に行って朝食の用意しておきます」
「はい。本にしおりでも挿んだら直ぐに行きます」
「・・・・・」
「あっ、晶さんは、先に行っていていいわよ」
「いいよ。雪さんと、一緒に行きたいから待っています」
「そう、終わったわ。行きましょう」
「うん。行こう」
地下の書庫室に居たからだろう。明菜の悲鳴の様な声が聞こえ無かったのだが・・・・。
「ハンモックで寝たいの」
「ですから、お客様。最新であり。一番の人気の商品です」
「それでは嫌なの。いかにも量産品って安物みたいだしね」
「そう言われましても、ああっ、もしですが、材料があれば希望に近い物が作れるのですが、今は戒厳令がひかれていますので材料の調達が出来ないのが残念です」
「ああ、それなら大丈夫よ。私たちは戒厳令がひかれていたけど都市に入れたわ。だから、子爵に頼んだら持ってきてくれるわ」
「そその様な事が出来るのですか、凄いですね」
商人の男は、驚いてどもってしまった。それは当然だろう。それは、出来ないと遠まわしに言ったのだが、明菜には分かって貰えなかったからだ。
「材料があれば、出来るのでしたわよね」
明菜は、鋭い視線で睨みつけえた。私が満足できない物を作ってきたら殺すぞ。その様な視線だった。当然、商人は恐怖を感じた。
「仕方が無いですね。材料を取ってきましょう。それで、何が必要なのでしょうか?」
「はっぁ」
大きな溜め息を吐いた後に、仕方なさそうに必要とされる材料を、商人は言った。
「一つ御願いがあるのですが?」
「どの様な事でしょう?」
「検問から出る時には、自分の名前と、店名は内緒にして欲しいのです」
「構いませんよ。安心してください」
「それでしたら、安心しました」
「そうですね。材料は九時までには持って行きますよ」
「それなら、出来上がりは十二時までには出来るわね」
「えっ、そ・・それは・・・」
「持ってきてよ」
「はい。承知しました」
商人の男は、何を言っても無駄と感じたのだろう。仕方なく承知した。その言葉を、よろず屋の男は壁に寄り掛かりながら待っていたのか、それとも今来たのだろうか、子爵に向かって頭を下げた。それは、朝食の準備が終わった。と言う意味だった。
「朝食の用意ができたそうです」
この言葉から本当に、子爵の忙しい日々と新と明菜の新婚の儀式が始まった。
「それでは、約束の物は店で待っています。明菜さま。新さま。失礼します」
雪と晶は、客が居るので声を掛けるのを控えていた。だが、客が帰ると言うので、言葉にしようとしていた思いが爆発した。
「うぁああ、明菜さん。ハンモックで寝るのね。いいわね」
「うぁあ、脅かさないでよ。何時から聞いていたのよ」
「そうね。量産品は嫌だ。辺りかな」
「そんな前からいたの。もう、驚かさないで、今度は声をかけてよ」
「そうする」
「おい、食べながらでも話は出来るだろう。はぁ、腹が減った。なら、先に行っているぞ」
「今行くわよ」
「晶さんも行きましょう」
「うん。行く」
四人が席に着くと、雪が真っ先に「結婚おめでとう」と、二人に声を掛けた。その後、少し遅れてからだが、晶も祝いの言葉を忘れていなかった。
「ありがとう」
二人の今の相性を示すように言葉が同時だった。この言葉を聞いて、雪は笑いを堪えた。
「どうしたの。料理を見て笑っているけど、何か思い出でもあるの?」
「普通のビーフシチューとパンにオレンジジュースよね?」
「料理では無いわ。二人の返事が同時だったから結ばれて当然と思ったの」
「ありがとう」
新は、恥ずかしいのだろうか、それとも、空腹だったのだろうか、もしかして、また、返事が当時になるのを恐れたのだろうか、食べるのに夢中だった。
「それで、どうだったの?」
「えっ、何が?」
「だって、あの絵の資料か何かを探していたのでしょう」
「あっ、また、後で探すけどね。でも、無理かもしれないわ。だって、十万冊はありそうなの。この敷地と同じくらいはありそうな書庫なのよ。無理かも」
第四十六章
「うそ」
「本当よ」
「それでは、自分はハンモックなどの用件に出かけていいでしょうか?」
子爵は、二人が食べ物を口に入れた一瞬の間を選んで言葉を掛けて来た。
「ああ、良いわよ。何かごめんね」
「気にしないで下さい。好きに振舞って良いと言ったのは本当ですから構いません」
子爵は駆け出したい程まで急ぎたい気持ちだった。脳内では、五件の行動の順番を思案していたのだ。それは、隣のよろず屋の男のところに行くか、館を借りる申請に役所に行くか、知人に頼んである旗を取りに行くか、明菜の件のハンモックの材料を取りに都市から出るか、思案していたが、真っ先に旗と決めたようだ。それなのに・・。
「館の中では不味いと思いましたので待っていました」
「何だ。忙しいのだが」
二人の男は、館の中での態度とは驚く程に違っていた。
「あの都市に知らせるのですが、内容の確認でして、ふへへ」
「もう一度だけ言う。旧王宮に居る者に、子爵は無事に計画を進行している。それと、兵士が尋ねて来るはずだが、その者の様子を探れ、もしだが尋ねて来ない場合は気をつけろ。そして、この者だけしか来ない場合は、一言で良いから何らかの手段で教えてくれ」
「ハイ。ハイ。確かに、俺の記憶の通りでした。ふへへ」
男の用件は、内容ではなかった。右手の平を上にして上下に振るのだ。金を寄越せと言う意味だった。子爵は仕方がないのもあるが、時間が惜しかったので銀貨を一枚渡した。男は不満そうな表情を浮かべるが、子爵が、自分と話しする時間も惜しいとの様子を感じ取り仕方なく諦めたようだ。
「もう良いのだな、それでは頼むぞ」
(申請は後だな、旗を取りに良く)
子爵は駆け出した。すると驚く事に、元使用人の男が旗を手に持って向かって来るのだ。
「持ってきてくれたのか」
「はい。もう子爵さまの事は都市中に噂になっています」
「なんだと、それで何と?」
「そうです。凄く滅茶苦茶な傲慢な女性に仕えているってね」
「ああ、その事か」
「それで、都市の外に出て材料を探しに行くと聞きましたので、少しでも早くお届けしようと、外で使用するのですよね。間に合いましたか?」
「十分すぎる程に間に合った。だが、この事は内密に頼むぞ」
「分かっております。安心してください」
また、子爵は駆け出した。男が心配そうに視線を向けているが、気が付かない程に真剣に正面門に向かって行った。
(命を掛けないで都市から出る方法があるのを祈っています)
「やっぱり来ましたね。噂はあなた方と思っていましたよ」
「そんな噂が流れているのですか、何か恥ずかしいです」
「外に出たいのだろう」
「はい」
子爵は俯いて言葉を待った。瞳を見せると、殺気を感じると考えたからだ。それほどまでに外に出たい思いがあるからだ。
「あの紋章と、そこまでの娘の忠誠を考えると許すしかないだろう」
「ありがとう」
「だが、気をつけろよ。西の門では市民の蜂起が起きているから塀には近寄るな。矢が飛んで来るかもしれないし、何時、都市を包囲する軍隊が来るか分からないからな」
「ありがとう」
「あっ、待て」
子爵は心臓が飛び出るほどまで驚いた。
「何でしょう」
(まさか、旗に気が付いたか?)
「ハンモックの材料だろう。それなら東門の真東を探せ、すると川がある。その辺りの蔓は丈夫で良い材料になるはずだ」
「そこまで噂が広まっているのですか?」
「あの男の店では作れないからな、金を使って都市中の職人に声を掛けているよ。市民も大変だな。そこまでの信用を大事にするのなら、だが、間違いなくふっかけるだろう」
「そうでしょうね。ありがとう御座います」
無事に都市から出る事ができて安心したのだが、これからが大変だった。里の間者がいるはず。それを探さなければならないのだ。自分の考えでは、ハンモックの材料を探しているのに気が付き、近寄ってくれたら助かるのだが、もし駄目なら森の中を探す事になる。それは、祈るような気持ちでいた。
「これか、確かに強そうな蔓だ。それよりも、俺を見つけてくれよ」
祈る様に呟くと、木に絡まっている蔓をなるべく切らない様に外し始めた。それを外すと丸めて縛る。それを何度か繰り返すのに夢中になっていると声を掛けられた。
「手伝いましょうか、子爵さん」
「おっ、頼む」
「驚かせたみたいですね。すみませんでした」
「気にするな、これを頼む」
子爵が引っ張ると、男が絡まった蔓を解す。この様なことを何度か繰り返していた。二十束くらいだろう。作り終えた頃に手を止めて、その場に腰を下ろした。
「疲れただろう。大丈夫か?」
「大丈夫ですよ」
「それでだ。旗を持ってきたのだが、数人でも構わないから都市から見える場所で振って欲しいのだ。今は二枚しかないが近隣の国の旗を全て揃えるから頼みたい。それと、殿下では危険だから誰か身代わりを立て、その側で天猫どのに控えて欲しい。これで、六カ国の包囲作戦が成功するはずだ。成功すれば市民の蜂起も解散されて、今までの通りに領主も市民に金銭を払うだろう。そうなれば、今回の騒動は終わる」
「承知しました。ですが、適当な自分流のやり方で実行します」
「構わない。それでは、俺は行く。あっ、それと次に会うのも、この場所にしてくれ」
「分かりました」
その返事を聞くと、子爵は、蔓を背負えるだけ担ぐと、正面門に向かって歩き出した。
「良い蔓があっただろう」
「これ程の丈夫な蔓なら良い物が出きるはずです。ありがとう」
「気にするな。ん?」
「どうした?」
「直ぐに門の中に入れ」
子爵には何が起きたのか分からなかったが、門の中に入って、完全に門が閉まる頃になると意味が分かった。太鼓の音と同時に、一人の兵士が慌てた様子で現れたからだ。
「班長。西門に、二種類の旗が現れました」
「分かった。第一級の警戒態勢だ」
子爵は一瞬、笑みを浮かべた。第一の計画が成功したから安心したのだろう。館の方に歩き出したのだが・・・・・。
「待て」
「・・・」
(俺は、それ程の殺気を放っていたか、それとも、この場には不釣合いの笑みだったか?)
「監視小屋の隣にある台車を使っていいぞ」
笑みを浮かべながら台車を指差していた。
「ありがとう。使わせてもらうよ」
全ての蔓を台車に乗せ終わると、偽りなのだが、嬉しそうに笑みを浮かべながら手を振った。だが、行き先は屋敷でなく、元使用人の所だった。
「どうでした」
男は、子爵を待っていたのでなく、偶然だったのだ。自分が用意した旗での騒ぎなのは分かっていたので、何が起きるのか、何が起きたのか興味を感じて店の前で様子を見ていたのだ。それで、子爵に会ったので声を掛けたのだ。
「良い出来だった。また、出来ているか?」
「はい。一枚出来ております」
「ならば、持って行く」
「あっ、蔓なら、俺が、あの店に持って行きますよ」
「そうしてくれるか、助かるよ。はっ、申請に行くか」
「もしかして役所に行くのですか?」
「そうだが、何かあるのか?」
「あの所長は少し変わっているから、でも、申請だけなら問題はないでしょう」
「うん。確かに変わっているかも」
(あの警備人のことか、時間外だからと思ったが、常に横柄な態度なのだな)
「頑張ってください。また、早く出来上がる場合は持って行きます。館に居るのですよね」
「そうだ。なら、後は頼むぞ」
ゆっくりと歩いて行こうとしたのだが、何か背筋が寒気を感じたので、役所よりも屋敷に戻ろうと決めるしかなかった。
「やはり、今度は何だ?」
数十人が屋敷に入りたくて待っているようだった。
(今度は何だ。何が起きているのだ。はっ、やれやれ)
「何をしておるのかな、この屋敷に何か用があるのか?」
「この館の姫様が、魚を所望と聞きまして持参したのです」
「魚?」
「そうです。あっ、また、追い出された。何の魚を所望なのでしょうね」
最後尾に並んでいる人に問い掛けたのだが、その者の話を最期まで聞かずに、館の玄関に駆け出した。その途中で、並んでいた者の何人かに順番に並べと叫ばれたが、その言葉を無視して館に入った。
「何をしているのですか?」
明菜が玄関ホールの真ん中に机と椅子を持ち出して椅子に座っていた。それだけでなく、机の上には本を開いて、次々と客が持って来る物と見比べては首を横に振っていた。
「絵本に描いてあった。幻の魚を食べたくて探していたの」
「ほう。これですか」
子爵は、明菜の後ろに立って後から絵本を見た。
「分かるの?」
「皆、帰った。帰った。皆さんが持ってきた物にはありません。帰って下さい」
明菜の我が侭で集まって来た者たちには、礼儀的に物を確認した後、丁重な態度で帰るように御願いしていた。それでも、殆どの者たちは不満を表していたが、物が違うと言われれば帰るしかなかったのだ。
「分かりますが、絵本に描いてあるような化け物ではありません。考えて見てください。鹿や人を食べる川魚なんて聞いた事がありますか?」
「だから、幻の魚なのでしょう」
「その魚の模様などで判断するなら岩魚としか思えません」
「実在するのね」
「はい。ですが、噂に流れている化け物の理由は、恐らく、臆病な魚で釣るのが難しく、何でも食べるからだと思います」
「そう、釣れないのね」
「まあ確かに、まれに巨大と思える程に成長した物も釣れますが、鹿や人は食べません」
「巨大な魚でなくてもいいのだけどね」
「それほどまで食べたいのなら考えてみますが、その理由を聞いてもいいですか?」
「今日は初夜になるのです。その日を忘れないためです。何か心に残る変わった食べ物なら、新は忘れないと思ったからです。だって、男の人って自分の誕生日も忘れるのが殆どらしいわ。だから、今日の日だけは絶対に忘れて欲しくないからです」
「それは、誰から教えてもらったのですか?」
子爵が不審に思うのは当然だった。誰かに会ったと思えないし、先程までは、その様な様子もなかったのだ。突然の思い付きとしか思えなかったからだ。
「その、あの」
「どう致しました」
「人から聞いたのでなくて、本に書いてあったの」
「本ですか。それで、本を広げて見比べていたのですね」
「そうよ」
「他の者たちは、どこです?」
「地下の図書室だと思うわ」
「奥様を置いてですか」
「何もせずに椅子に座って見詰め合うのって嫌なのだって、それで、暇つぶしに本を見てくるって言われたわ。男の人って、そう言う者でないの?」
「どうでしょうか、独身ですのでわかりません。あっ、それと、役所に借り館の申請に行ってきます。それと、岩魚は考えておきます。それで、宜しいですか?」
「わたくしは、はい。としか言えませんわね。男の人ってゆっくり座っていられないのね」
「私は、特例かと思います。使用人と同じですので・・・それでは、失礼します」
子爵は、問いに答えているが、頭の中では、行動計画の順番を考えていた。それで、時間が掛かると思ったのだろう。話の途中のような返事を返して、役所に向かった。
「何の御用でしょうか?」
やはり、あの警護人がいた。まさか、一日中いるのかと考えたのだが、恐らく偶然だろう。館の申請に来たと伝えている時に、また、慌てて秘書のような者が現れたのだ。
「お待ちしていました。役長が、御用件があるそうです。どうぞ、こちらへ」
時間が惜しいとは言えずに、後に付いていくしかなかった。案内された扉を開けると、興奮が押さえられない。そう思う程の態度で近寄ってきた。
「噂を聞きましたぞ」
子爵は、噂の心当たりが可なりあるので、相手の言葉を待ってから態度を決める。そう考えているようだった。
「自分も食べてみたいのだ。都合できないだろうか?」
「食べてみたい?」
「隠さなくてもいいだろう。もう都市中の噂だぞ。幻の古代魚を食べるのだろう」
「あっ、その事ですか」
子爵は一瞬だが目眩を感じた。だが、これは使えると感じた。そして、試しに・・・。
「噂になってしまいましたか、それで、岩魚とは知っていますか?」
「知らない。それが、古代魚なのか?」
「まさか、あの幻の魚を捕まえるのですか?」
秘書と思える。あの男が興奮を表して主の言葉を遮るように声を上げてしまった。
「幻の魚なのか。それが、古代魚なのだな。食べて見たいぞ。どんな事をしても食べる」
「ですが、都市から出られませんので釣れません」
「都市から出るのか・・・・・・。一つ聞くが命の危険があったとしても出たいか?」
今は都市に戒厳令が命令されている。それを守らせないとならない自分が許可を出せない。だが、珍味が食べたい欲求もあり。そこで思考が働いたのだろう。命を掛ける気持ちならば、何が起きても責任を取る理由がないと考えたようだった。
「はい。命を掛けます」
「わかった。自分が独断で許可証を作製してやろう」
第四十七章
「だが、分かっているだろうな、仮に一匹だけしか釣れなかった場合でも・・・」
「分かっております。その一匹は必ず持参します。ですが、幻の魚なのです。釣れない可能性が高いのです。その場合でも許して頂けるのでしょうか?」
子爵は話を遮り、自分に都合の良い様に話を進めた。
「むむ、仕方が無いだろう。だが、都市から出ると言う事は命の危険があるのだぞ」
「それは、分かっております。幻の魚を釣るのですから覚悟はあります」
「わかった。許可証を発行してくれ」
隣で畏まっていた。秘書と思える男に指示した。
「それでは、直ぐに発行します。それと同時に、館の申請も作製しますので、私の部屋に一緒に来てください」
子爵と秘書は、同じ様に深々と退室の礼をすると部屋から退室した。そして、秘書室に行き、子爵は二枚の書面を頂くと、急ぐ様に館に帰ったのだ。
「今度は何だ」
子爵は頭を抱えた。その場で悩みたかったが、早く旗を渡しに行きたかった。それに、早く騒動を収めなければ、計画の支障になりかねなかった。
「何をしている?」
「お待ちしていました。ハンモックをお届けにきたのですが、設置の場所に困っていたのです。明菜様と言う人でしょうか、館内に設置を希望しているのです」
「それなら、館内に設置してくれないか」
「ですが、借り館の許可書もないそうですし、有ったとしても、館内に設置するなら館内の変更の許可書も必要です。あるのでしょうか?」
「もしかして、この書類か?」
「ほうほう、始めて見ました。全ての許可の自由とは凄いですね」
「それなら、ハンモックの設置が出来るのだな」
「はい。直ぐにでも設置します」
「頼む」
(そろそろ、旗が出来上がる頃だ。館に入らず行った方がいいな)
その様に思案している時だった。
「忙しいなら後にしますが・・・・一枚ですが旗が出来上がりました」
「持ってきてくれたのか、すまない」
挨拶は声を出して言ったのだが、用件は、子爵の耳打ちで伝えた。
「いいえ。また、出来上がりましたら直ぐにお持ちいたします」
「あっ、それと、釣竿が欲しいのだが、直ぐに用意できるか?」
「何を釣るのでしょう。それで、釣竿を選ばないとなりません」
「岩魚と言い魚なのだが、その釣竿の用意は出来るか?」
「出来ますが、可なり釣るには難しい魚ですよ」
「やはり、そうか」
「至急にでも欲しいのですか、それなら、自分の物をお貸ししましょう」
「すまない。頼む」
「構いません。それでは、直ぐにでも行きましょう」
「あっ、すまないが少し待ってくれないか、中の者に出かける用事を伝えてくる」
「俺の事は気にしないで下さい」
「ありがとう」
急ぎ足で館に入った。明菜が居る場所は想像できたので、先に地下室の書庫に行き。三人に用件を伝え、新に借り館の許可書を渡した。その後、明菜と新の寝室に向かった。
「私は、岩魚を釣りに行きます。何かの用件や困り事は帰ってから聞きますので待っていて下さい。至急の用件がある場合、前の岩魚の時の様に、新さんに頼み下さい」
「分かったわ。だから、釣ってきてね」
「約束は出来ませんが、がんばってみます」
明菜に伝えた後、館の外に出て行った。当然、男は待っていてくれた。
「それでは、行こう」
男の店に行く途中で歩きながらだが渓流の釣りの手解きを受けていた。そして、店に着いて自室に案内されると、子爵は驚いて部屋の中を見回した。歩く所がないだけでなく壁にも釣り関係の道具が溢れていた。それ程まで、自分の安らぎの物があるのに、なぜか、男は懐かしそうに見回すだけだった。子爵は、その姿をみると貴重な物なのかと感じて断ろうとしたのだが、男は、何ヶ月ぶりに部屋に入ったと言うのだ。時間に余裕はないのだが、変だと感じて問い掛けた。すると、釣り馬鹿だったために想い人に嫌われた。と言うのだった。全てを話しすると恥ずかしくなったのだろう。一番高価な物だが釣り易いと言いながら手渡した。その態度は断る事ができない程に釣り魂が感じられた。
「ありがとう。借りていくよ」
と、玄関を開けた時だった。中年女性が立っていたのだ。
「あのう。主様はいらっしゃいますか、旗をお持ちしたのです」
「ありがとう。待っていたのだ」
子爵が受け取ろうとしたのだが、泥棒か痴漢とでも思われた様な悲鳴を上げたのだ。
「何をするのです?」
「どうした?」
「旗を持ってきてくれたのだが渡してくれないのだ」
「あっ、静香さん。なぜ、この場に居るのです?」
「旗を持ってきたのです。それよりも、釣りは止めたのでなかったの?」
「釣りを止めた?」
「静香さん。その男性に旗を渡してください」
「良いわよ」
「それで、釣りの事は分かるまで話します」
「別に、全ての道具を売るって言ってくれたのに嘘だったわ。もう、聞きたくないの」
「チョット待て」
「いいや。ぼちゃん。いや、子爵さん。私は用事があるので、後ほど」
子爵は、この場から無理やりの様に追い出された。まあ、子爵は、時間に余裕がないのだから直ぐに気持ちを切り替えて正面門に向かった。
「また、来ましたね。やはり、古代魚の噂は、あなたの連れでしたか」
「もう、ここまで噂が流れていましたか」
「恐らく、都市の全ての人が知っているはずです」
「嘘だろう」
「それでも、今回は都市の外に出せませんぞ」
「なら、この書面では駄目でしょうか?」
「おおお、都市の出入りの許可書ですね。それに、都市の領主の家紋入りですね。これを、どうしたのです?」
「役所の長らしい人から頂いたのです」
「又、あの方は何かをして役職の移動したのですか」
「あの役長は、領主の息子なのか?」
「そうです。あの方は、自分の興味以外は、何もしない人ですから前の役職で揉め事を起こして役職の移動されたのでしょう」
「それでは、岩魚が釣れませんでしたでは、済みそうにないな」
「かもしれません。ですが、努力しての証拠として小魚でも持って行きなさい。無茶苦茶な人ですが努力した者には許します。ですが、嘘で誤魔化そうとした者には許す人ではないですよ。だから、岩魚は無理でしたが山女しか釣れなかったと正直に言った方がいいぞ」
「ありがとう」
「だが、市民の一部と他の国が邪な考えをしている様なので気をつけろよ」
「すまない。気をつけるよ。ありがとうなぁ」
子爵は、心底から心配してくれることに済まないと感じていた。それでも、前回と同じ川のほとりで釣りをしながら待っていた。それも、餌を付けずに擬似餌と言う物で何度も投げては糸を巻くのを繰り返していた。それから、一時間くらいだろうか、周りの気配を忘れるほどまで夢中になった時だった。
「今度は釣れましたか?」
「今来たのか?」
「いいえ。暫く様子を見ていました。誰か来るか様子を見ていましたので」
「そうか、旗を持ってきた。後、一枚だな」
「そうですね。直ぐに渡してきます」
「頼む」
子爵は、旗を渡すと釣りの道具を片付け始めた。何故か、今回は落ち込んでいるようにも思えた。自分でも気が付いていないのだろうが、一匹も釣れなかったからかもしれない。
「釣れなかったようだな」
今回は、市民の蜂起と城壁の外で他国の旗が現れたのを知っているために、本当に危険と感じていたのだろう。城壁の上から様子を見ていてくれたようだった。
「難しいですね」
「そうだろう。初めてなら、誰か釣りになれた者が一緒でないと無理かもしれないぞ」
二人は話をしている間に城門が開けられた。
「そう言うものなのか」
「まあ、小さくても幻の魚と言われてからな」
「そうか、無理か」
「まあ、少し時間が過ぎてから、もう一度してみるのだな、何か一匹は釣りたいのだろう」
「そうだな、持って行かなかった場合が恐ろしいからな」
「まあ、竿を借りた者に、釣り方を聞いてみるよ」
子爵は話が長くなると感じて、手を振ることで話を締めくくってみせた。確かに、釣って来なかった場合は何か言われるだろうが、魚に負けたと感じて悔しい気持ちもあった。
「居るか」
男の店に着いて扉を叩いた。本当なら館に直ぐに帰らないと行けない。恐らく、また、何か嫌な物事の嵐になっているはずなのだが、最後の旗なのと、自分では気が付いてないが魚が釣れなかった事で、自然と足が向いて男の店に来たはずだ。
「ん?」
(まさか、先程の女性か)
耳を澄ますと、女性の怒鳴り声の様な声が聞こえてきた。そして、失礼と思ったのだが、急ぐ理由もあって扉を開けてしまった。
「済まないが急ぎの用件なのだ。頼むから出てきてくれないだろうか?」
また、何か揉めている声が聞こえたが、男が現れてくれた。
「何があったのだ?」
「チョット高価な釣り道具を買ってしまった」
「良いから要件を済まして直ぐにきなさい」
理由を話そうとしたのだが、女性の言葉が聞えると、最期の旗を渡すと女性の所に帰ってしまった。子爵は釣りの事を聞こうとしたのだが諦めるしかなかった。仕方なく、自分で開けえた玄関の扉を閉めて、また正面門に向かった。
「来たのか、もう少し時間をずらした方が良いと思うぞ。それに、また、他国の旗も増えてきたので心配もあるのだ。それでも行くか?」
「主の用件でなく、自分の気持ちなのだ。魚に負けた様で気持ちが治まらないのだ」
「そこまで言うなら仕方が無い。それに、許可書があるので強制的に止めさせる事もできないが、騒がしくなった場合は直ぐに逃げて来い。直ぐに門を開けるからな」
「すまない」
「気にするな。今度は釣れるといいな」
「まあ、祈ってくれ」
「がんばれよ」
子爵は駆け出した。最期の旗だからだろうか、いや、顔の表情から判断すると、子供が始めて竿を買ってもらったかのような笑みだった。何度か、森の中を流れる川に来ていたが、ゆっくりと歩いて周りに居るかも知れない者に分かるようにしていたのだが、今は違っていた。夢中に駆け続けて川に向かうのだ。そして、魚が居ると思う場所を探して竿を垂らすのだ。だが、簡単には魚は釣れてくれない。
「魚が居ないのだ。そうだ。魚が居ないから釣れないのだ。場所を移動するべきか?」
釣れないからだろう。八つ当たりする物も人も居ないので叫んでしまった。
「こんな浅い川に魚がいるはずもない。居たとしても小魚で針が大き過ぎるに違いない」
愚痴を叫んでも何度か、投げては糸を巻き戻す。それを繰り返していたが、突然に立ち上がった。釣り場所の移動をしようとしたのか、それとも、本来の目的を思い出したのだろう。
「釣れませんか?」
男は声を掛けてきた。今来たのだろうか、それとも、釣りの邪魔をしないように様子を見て、言葉を掛けるのに頃合を計っていたのだろう。
「釣れない。この様な浅瀬では魚が居ないのだ」
「魚は居ますよ。見えないですか?」
「嘘だろう。見えるのか?」
「はい。魚は居ます。光の屈折で見えないのでしょうか?」
「・・・・・」
鋭い視線で川を見るが、魚が見えない。
「もし良ければ竿を貸してくれませんか、岩の回りに魚がいます。釣れるかもしれません」
言葉では自信なさそうな感じだが、竿の振り方や目標する所に擬似餌を落とす事ができた。誰が見ても素人でなく、可なりの年季があると思えた。
「おおお」
子爵は叫んでしまった。当然だろう。魚が居ないと思っているだけでなく、簡単に魚が釣れてしまったのだ。
「釣れました」
「魚は居るのだな」
「そうですね。子爵殿。剣術と同じに殺気を消して周りの雰囲気を感じるのです。そして、魚の気持ちを考えて見てください」
「殺気を放っていたか?」
「はい。鋭い殺気でした。もう一度しますので見ていてください」
男は愛しい我が子を探す様に穏やかな表情とも、無邪気な子供の様にも思える表情を浮かべると、魚が泳いでいると囁き、その場所に擬似餌を落とした。また、先程の様に直ぐに魚が釣れるのだ。だが、何となく言っている意味が分かった。そして、出来るだけ同じ様にして川に視線を向けた。子爵は言葉にしないが笑みを浮かべた。それに、男は気が付くと、無言で竿を手渡し、目線で竿を投げて見ろと伝えた。
「おおお、これが、魚の引きなのか、心地よい感触だな、これを一度でも味わうと止められないかもしれないな」
「釣れましたね。それでは、私は最期の旗を持って帰ります」
「うん。頼む。それでは、都市に戻るか」
と、子爵は、男に言うが、なぜか、立ち上がらずに居なくなるのを見続けるだけだった。そして、見えなくなると、一瞬だが無邪気な表情を浮かべて竿を振ったのだった。
「変だ。釣れないぞ」
首を傾げながら何度も竿を振っては糸を巻くのだが釣れない。自分では気が付いてないが殺気も放っているし、注意をされたことを何一つしていなかった。していなかったと言うよりも、釣った時の感触だけを思って投げていたのだから釣れるとは思えなかった。それでも、子供と違って大人だからなのか、無邪気に日が暮れるまで釣りに夢中にはならなかった。
(遊びは、ここまでだ。帰るか)
大きな溜め息を吐くと、釣りの道具を片付けて都市に向かって歩き出した。
第四十八章
「ほう、釣れたようだな」
城壁の上から声を掛けられた。
「二匹だが」
子爵は、紐に吊るしてある二匹の魚を掲げて見せた。
「どれどれ、見せてみろ」
興奮したように叫ぶと城壁から消えた。恐らく、城門まで降りて来るのだろう。はやり、城門が開かれると、あの気安く話し掛けている班長が立っていた。
「岩魚なのか確かめてやるよ」
「見てくれ」
「おお、岩魚だぞ。良かったな」
「これが岩魚なのか」
「俺も、これで安心したよ。何も問題なく館長に会えるだろう」
「そうだな。それでは、新鮮の内に持っていくよ」
「そうだな、それが良いだろう」
また、館に寄らずに役所に向かった。今回は、真っ先に向かって喜びの声や様子が見たかったのだが、役所の長に渡す事になるので寄らずに役所に言ったのだ。不思議な事に、また、無愛想な警護人がいるのだ。まさか、二十四時間も警護しているのか?
「役所の長らしき者に来る様に言われたのだ」
心の思いを聞いて見たかったが言わずに用件だけを伝えた。勿論、門を開けてくれたが無言だった。そして、建物の中に入り、何度か訪れた事がある。役所長の扉を叩いた。
「構わない。入りなさい」
秘書の声でなく、本人らしかった。
「失礼します」
と、扉を開けると・・・。
「ほう、釣れたようだな、それは、岩魚なのか?」
直ぐに声を掛けられた。
「はい。岩魚です」
「ほう、簡単に釣れるのだな。確か、初めてなのだろう」
子爵が返事を返そうとした時だった。廊下を走る靴音が聞えたと思うと、扉を開けて人が入ってきた。
「ぼっちゃま。あっ、役所長。近隣国の全ての旗が掲げられています」
「そうか」
「・・・・」
子爵は、秘書の顔を見続けた。
「それで、釣れた感触や釣り方を教えてくれるのなら魚は寄越さなくていいぞ」
「何を言っているのです。また、釣り馬鹿を始めるのですか、何度、役職が変わったと思うのです。釣りと分かると仕事を放り出してまでしたがる。それでも、一度でも釣れるなら良いですが、釣った事がないから恥ずかしいと、父君が泣いたのを忘れたのですか?」
「わかった。わかった。職務の時は忘れる。それで、何を急いでいたのだ?」
「ああ、市民の蜂起になった中心の人物から手紙と声明を述べているのです」
秘書の者は、手紙を渡すと同時に声明を伝えた。それは、今まで通り、兵糧に必要な食料と様々な保管の代金を寄越さない場合は、都市の外にいる五カ国の旗に向かって矢を放つと、領主に脅迫したのだ。たかが、旗に矢を放つだけで脅迫になるのかと思われるだろうが、それは、宣戦布告と同じだったのだ。兵士が放とうと、都市の市民が放とうと関係ない。都市の中から外に放たれるのが問題なのだ。それが、旗に命中してしまえば、即、戦争に発展する。それを、恐れていたのだ。
「大事だな。父上には知らせたのか?」
「坊ちゃんが解決すれば、城に戻れるのですぞ」
「何を馬鹿な事を言っているのだ。直ぐにでも父上に知らせて市民の安全が先だ」
「ですが・・・坊ちゃんの最期の機会かもしれません。それでも・・・」
「そうだ。直ぐに、これは命令だぞ」
秘書は、涙を流していた。恐らく、最期の機会が消えたから悔しいのかもしれない。
「この都市の市民は、良い領主に守られて羨ましいですな」
「自分の事なら違うぞ。事実上では、継承争いから抜けているはずだ」
「そうですか」
「気にするな」
「一つ聞いて良いですか?」
「なんだ」
「釣りが好きなのですか?」
「好きだ。一度も釣れた事がないがない」
「でしたら、初心者の私でも、魚が釣れるように指示してくれた者が居ます。その師匠を紹介したいと思いのですが、どうでしょう?」
「その様な者が居るのか?」
「はい。居ます」
「その者の名前を教えてくれないか?」
「その者は、可なりの臆病者ですので、突然に訪れたら逃げるかもしれません」
「そうなのか」
「そうそう、良い考えがあります。賞金付きの釣り大会は、どうでしょうか?」
(もしかしたら、俺が旗作りを頼んだ為に、彼女と喧嘩になったのかもしれない。違うとしても、何かで礼を返そうとしたのだ。この機会で仕事をもらうか、ひょっとしたら、初の宮廷釣り師として仕えられるかもしれないぞ)
「面白そうだな」
「それで、普通の市民は毎日釣りをしたいが出来ないのが多いのです。特に連れ合いが居る者だと、その相手の許可がいるのです。ですが、招待状があれば言い訳を考えなくて参加できるはずです。それと、年齢と性別も関係ない方が良いと思います」
「そう言う者なのか」
「はい。それと、この様な戯言に適した者でもあるのです」
「どの様な仕事でも任せられる者か、それは仕えて欲しい」
「そうです。それでしたら紹介状でも頂けたら連れて来られます」
「その様な物は必用ない。釣り大会の計画書を持ってきた。そう言えば分かるよう伝えておく。それでは駄目なのか?」
「それで宜しいです」
「それでは、我も用事に手を掛ける。お前の主に魚を持って行くといいぞ。釣った魚が腐っては勿体無いぞ」
「それでは、失礼します」
確かに、来た時と比べると忙しそうに人が動いていた。それを邪魔しないように建物から出て行った。それと、楽しみとは変だが、正面門の警護人は当然の様に立って、出入りの人を威圧するように視線を向けていた。もしかして双子なのかと一瞬だけ考えたが、それよりも、館が恐ろしい事になっているはず。そう感じて急いで向かった。
「なにをしているのですか?」
「掃除をしています」
「そういう意味でなくて、私を憶えていますか?」
「いいえ」
「確か、静香さんですよね」
「どこで会いました。それに、なぜ、わたくしの名前を?」
「釣り道具を借りに行った時にお会いしたと・・・」
「お会いしま・・・・・・したかしら・・あああ」
「思い出してくれましたか」
「あの、気障な親父ね。自分では色男と思っているだけならいいけど、昔の恩人だと難癖つけて、ただで釣り度具を借りただけでなく、面倒な仕事もいろいろと遣らせて一銭も払わない人ね。今度は、この屋敷の人に難癖を付けにきたのでしょう。そうわ、させないわ」
静香は、一気に思いを爆発させた。吐き出した内容は、あの男が言ったのか、それもとも、静香の勝手な思い込みだろうか?
「凄い言われようだな、俺が本当にしてきた様に思えてくるよ」
「なによ。本当の事でしょう。違うと言うなら一銭でも払ったって言うの?」
「それは、用件が全て終わってから適切な金額を払う気持ちだったのだが・・・」
「気持ちでしょう。それは、ただ働きと言う事なの。元貴族様は、当時は使用人に月額で払っているからって好き放題させるけど、今は普通の人になったのなら分かるわよね。金額的に割が合わない職業だと言うことにね」
「償いとして良い仕事だと思って紹介しようとしたが、割が合わないのだな」
「まず、見合った金額を払ってから償いとして紹介するのが当然でしょう。それも、分からないのね。元貴族様って、もしかして元使用人を回って難癖つけて生きてきたの」
「そうだな、先に頼むのに前金か、全額の値段を払うのが当然だった」
「分かってくれたらいいの。だけど、もしかして、その償いと言う名目で仕事をさせては高い紹介料を取る気持ちでしょう」
「待て、それは考え過ぎだ。金は確かに払う。そして、紹介の方も興味が無いのならしなくていいのだ。ただ、天職になるかと思っただけなのだぞ」
子爵は、なぜか怒りを感じなかった。それは、女性だからなのかと自分でも考えてみるのだが、違うと答えが直ぐにでる。そして、内容を頭で整理すると所々に、自分が常識的でない事をしたと、自然とすまないと感じて頭を下げてしまうのだ。
(元貴族だから普通とは違う思考なのか、自分は普通と違うのか?)
この女性に係わると、誰でも自分の行いに悩んでしまうのだ。
「それで、良いか悪いか判断してあげますから話をしてみて下さい」
「この都市の領主の血族の仕官だ。将来は、宮廷釣り師になれるだろう」
(どうだ。これ以上の紹介口は無いだろう)
「何て酷い話しでしょう。わたくしの大事な家の人を高級釣道具で破産させる考えなのね」
静香は、本当に酷いと泣いてしまった。
(なぜだ。なぜ、そうなるのだ?)
「子爵様。今の話は本当なのですか?」
「そうだが、誰だ?」
「若様。自分です」
「お前か~ぁ。この女は何だ」
子爵は、八つ当たりの様に大声を上げてしまった。
「悪い人ではないのですが、少し思考が人と違う。そう思う人です」
男は、本当に困って何て言えば良いかと思案しながら思いを伝えた。
「聞きたい事があったのだが、この女性が言っていたことは本当で、お前の思いなのか?」
「何て言っていたのでしょう。自分は、また、静香が何かしたと思い。近寄って見ると、宮廷釣り師と聞えてきたのですが、その、恐らく、凄い勘違いを言ったのでしょうね」
「そうか、そうそう、宮廷釣り師のことなのだが・・・・」
子爵は、会話が成立することに安心して、女の事は忘れたいと思考が働いた様だった。そして、全てを、男に伝えた。
「そっ、それは、本当なのですか?」
「そうだ。全て本当だ。もし気持ちがあるのならば、計画書を持って行けば、それでいい」
これから後に、直ぐに計画書を持って行き、領主の御曹司に絶賛されるのだ。そして、当然の事だが、釣り大会は成功して、他の都市でも催される。その祭は他の五カ国の都市でも開催されるだけでなく、春香の国の理想の建国と重なるのだ。この計画のお陰で、他の国の王族も象徴としての存在にして残り。新たな国となる。それは、まだ、誰も想像もしていなかった。
「ありがとう御座います。ありがとう御座います」
男は、何度も頭を下げながら嬉し涙まで流していたが、開いている両手では、片手で静香の口を塞ぎ、もう片方では暴れる体を抑えていた。そして、一歩、一歩と後ろ向きで下がりながら自分の家まで帰って行った。
「がんばれよ」
子爵は、二人に向かって片手を振ったが、後は、関心を示さずに建物に入るのだった。
「遅いわよ」
「幻の魚を釣ってきました」
「見せて、早く見せてよ」
「これです」
紐に吊るしてある二匹の魚を掲げて見せた
「小さいわね。新。本当に、この魚なの?」
「同じです」
本に書かれてある文章と岩魚の絵で本物と判断した。
「それで、二匹だけなのね」
「それは、幻の魚ですから、二匹も釣れたのも奇跡です」
「そう。それで料理方法は?」
「塩焼きが良いと思います。それでは直ぐにでも調理してもらいます」
「誰に?」
「よろず屋の者にですが・・・」
「その人は居ないわよ。用事が出来て都市から離れるって、二、三日は帰って来ないって」
「それにしては、飲み物や食べ物が用意されていますね」
「そう言えば、居ないわね」
「誰が?」
「綺麗な人で、料理や掃除が上手いのですが、人としての性格が致命的な者かな」
「もしかして・・・」
「夕飯はカレーライスですわよ」
「そう、あの人」
女性が、紙袋を抱えて玄関から現れた。その者は、静香だった。
「あなたは、この館の人なのですね。先程の事は雇い主と思って忘れます」
「ねね、その様な事はいいから、これ、これね」
明菜は、手でコップと見立て、何かを飲む仕草をした。
「そうですか、なら、温かい物にしましょうか、それとも、冷たい物がいいかもね。オレンジ、いや、ブドウにしましょうか、ミックスがいいわね。そうしましょう」
子爵は付き合っていられないと、感じて岩魚を渡した。
「塩焼きがいいだろう。それと、紅茶を頼む」
「まっまっまぁ。何て事を言うのでしょう。女性に串刺しの料理を頼む何って欲求不満なのね。もしかして、私と結ばれたいと考えているのね。それも紅茶まで頼むなんて」
「チョット待て、なぜだ。魚の塩焼きを頼むと欲求不満になるのだ。それに、結ばれたいだと、それだけでなく、紅茶まで意味があるのか」
子爵は、話を途中で遮った。何も言わなければ何を言われるかと恐れたからだった。
「まっまっまぁ」
「お前の頭の中の作りは、どうなっているのだ。頼むから冗談と言ってくれよ」
頭を掻き回しながら理性を抑えようとしていた。その様子を、新と明菜が楽しそうに見ていたが、そろそろ、限界を超えて、自分たちも巻き込まれると感じたのだろう。晶と雪がいる地下の書庫に向かって歩き出した。
「子爵も馬鹿ね。あの手の人には、本人に答えを出させるのよ。それも、会話にならないようにすればいいの。あれでは、絶対に彼女は出来ないわね。もしかして、人付き合いが下手なのかしらね。礼儀を教えている人とは思えないわ」
「それだけ、真面目なのだろう。ほっとくのが一番だ」
「まあ、そうね」
第四十九章
「雪。晶。探していたのは見付かったの?」
晶が口に人差し指を当てながら近づいて来た。明菜は、その意味が分かり囁きで聞いた。
「ごめん。それで、有ったの?」
「無い」
「でも、真剣に読んでいるわよ」
「断片的に書かれてあるのはあるのだけど、それが夢を見たのか、白昼夢なのか、夢としか考えられない物を見たのか、奇想天外な物が多くて判断が出来ないのです。それでも、何作の内容を繋ぎ合わせてみたら面白いって、雪さんが言うから、でも、殆どが、神に会った。神の城を見た。と、神話として終わるのです」
「神話ね」
「面白そうだな。俺は好きだぞ」
「晶さん。他にも有るなら持って来て・・・明菜さん。新さん。何時から居たの?」
雪は、晶が探し出した本を全て読み終わり、他にも有るのなら御願いしようとして視線を向けた。すると、明菜と新が居るので驚いたのだ。
「今は、それだけ、直ぐに探すから待っていて」
「いいわ。少し休憩しましょう」
「何だか邪魔したようだな」
「そんな事は無いわ」
「おおまかでいいから聞かせてくれないか?」
「何を?」
「あの絵の事、神話ならあったのだろう」
「そう、いいわよ。それは・・・・全ての本が作製された年代も、書かれた出来事の年代も不明なのですが、殆どの書き出しは、意志がある様な竜巻が現れた。で、始まるのです」
雪は話し始めた。
「それだけでも、あの村と思えるな」
「そうでしょう。それで、その書き出しの本だけを読んでいたのです」
「そうか、それで?」
「続きは、今思えば、で始まります。竜巻は、全ての人々を追い払う様に近づいては離れて、それを繰り返していたのでしょう。著者たちは運が良かったのか、悪かったのか、飛んできた石に当たった者や逃げる途中に足を挫いて倒れた者が、竜巻に巻き込まれる。そこで巻き込まれて死んだと思ったらしいのです。ですが、目を開けて見ると、周りは濃い霧に包まれていたのですが、目を凝らすと巨大な湖に浮いている城を見たのです。この世の物とは思えない程に美しいので、暫く、見ていたのですが、自分を待っている家族の事を思い出して、この場に居たら帰れなくなる。それで、死に物狂いで歩き回って霧から出られたのですが、安心と同時に疲れて倒れたのです。そこに、探し回っていた仲間に救出された」
「あの村の事だな」
「でしょう。殆どの本は、今の内容なのよ。あの絵の事はないわ。有るのか無いのか調べないとわからないけどね」
「この本の冊数では、俺では三度くらい生き返らないと読めないかも」
「新でなくても、一生掛かっても読めないわよ」
その時、思考判断は普通と違う。同じ人なのかと思う。その女性が、飲み物と菓子を持ってきた。なぜ、料理などの間の計り方は完璧なのか分からない。もしかすると、仕事だから思う気持ちを心の底に押し殺しているのか、そう思うしかなかった。
「・・・・・・・」
その女性は、静香は無言でテーブルの上に飲み物と菓子を置いた。他の男女四人も無言なのは当然だろう。一言で無限と思う勘違いの会話が続くのだからだ。
「それでは、夕飯は七時に用意しておきますので、食堂にお越しください」
「・・・・・・」
と、言った後は、会釈をして書庫から出て行った。
「あの絵、もしかしたら城に住んでいた者が書いたのかもしれないぞ」
「なぜ?」
「その者は、二度と城に帰れないと思ったのか、それとも、次の主の道標の為か・・・」
「絵なら時が過ぎても証拠になるわ」
新は、明菜が突然に叫ぶので話を止めて、何度も頷いた。
「でしょう。なら、描いて貰いましょう」
「描く。何を?」
「結婚したって証拠の姿絵よ。一生の記念にしましょうね」
「何故、その様な物が必用なのだ」
「まっまっ、わたくしと結婚は嫌だったのね」
「そうではないが」
「なら、いいでしょう。行きましょう」
嫌がっている。そんな様子の、新を連れて書庫から出て行った。すると予想はしていたが、先程と同じ様に子爵は、静香に遊ばれているようだった。
「ねえ、子爵さん」
「何でしょう」
「豪華な結婚衣裳と画家を呼んで欲しいの」
「画家ですか?」
「そうよ。わたくし達の結婚衣裳の姿を描いて貰うの」
「分かりました」
子爵は頷いた。だが、その隣で静香が騒いでいるのに、今の子爵は無視していた。これは、仕事だと思って無視できるのか、それとも、遊ばれていたのでなく、遊んでいたのは、子爵だったのだろうか?
「なら、直ぐ手配してね」
「はい。至急に手配してきます」
そう言うと、館から出て行った。
「静香さん」
「何でしょう」
新は、何を言われても言いように構えたが、明菜が体を洗うような仕草をして伝えた。
「はい。浴室の準備ですね。承知致しました。一時間ほどお待ちください」
「用意が出来るまで書庫にでも行く?」
「疲れそうだからいいよ」
「そう」
「二人だけで部屋に行かないか?」
「いいわよ。もしかしてスケベな事でも考えているの?」
「馬鹿やろう。館に人が居るのに、そんな事が出来るか」
「そう。いいわよ。でも、少し残念」
「本当に襲うぞ」
「馬鹿ね。本気にしないでよ。でも、初めてなの。その時は雰囲気を作ってね」
「当然だろう。安心しろ」
「うん。楽しみしているわ。それでは行きましょう」
「そうだな」
新は、明菜から手を握られるとは思わずに驚いてしまった。それでも、嬉しかったから思いを隠すためだろう。明菜を引っ張るようにして階段を上がっていたった。
「可愛い」
明菜は、心の思いを囁いた。新には聞えていないと思っているだろうが、もしもだが、新の耳を見ていれば真っ赤になっているのが分かったはずだ。そして、二人で部屋に篭るが色っぽい会話でなく、一生の記念に残る絵だ。衣装などの事で楽しい喧嘩をするはずだ。
その頃、書庫では・・。
「無いわね」
「ねね、雪さん。今度は違うジャンルでも持ってくる?」
「そうね。そうしましょう」
雪と晶は、確かに興味を感じる絵を見て知りたい欲はあったが、これ程までに夢中にさせる絵とは思えない。それは、二人は感じていない。自分の欲と思っているだろう。だが、まるで、本能か、遺伝子の記憶からの指示とでも考えないと分からない程に、夢中に探していたのだ。
「雪さん」
「何?」
「今、思ったのだけど、僕たちと同じく、あの絵を見てから調べ始めて本が出来たのなら、
何冊探しても欲しい本は無いと思うのは考え過ぎかな」
「そうなると、探すのが無駄って事になるわね」
「ごめんなさい。でも、探すのが嫌になったのでないよ」
「あっ、そうなら本より絵か絵巻を探してみましょう。あの絵の他にも不思議な物が有るかもしれないわ。そう思わない?」
「そうだね。探そうか」
二人は、部屋中を探し回った。だが、それらしき物は無かった。
「晶さん。何かありましたか?」
「無いよ。雪さんは?」
雪は首を横に振るだけだった。
「やっぱり無いのかな」
「ねね。この館って誰でも借りられるよね」
「そうだと思うわ。何で?」
「それでも、お金がある人だけだから、本を持ち出したり売ったりはしない。だから、値打のある本もある。それで、建てられた当時から書庫で、今も当時のままだったら世界遺産的な書庫や絵などを隠す部屋があるかも」
「それなら、所有者が変わった時に値打のある物は移動したでしょう」
「そうかもしれない。だけど、あの絵が値打物なら、まだ残っているかもしれない。逆に、値打が無かった場合、あの絵は売れない物だから他にも残っている可能性があるはず」
「そうよね。その可能性があるわね」
「それと、鍵も古いけど、そのキーホルダーも古いよね。それに番号が書いてあるけど始めは鍵の個数と思ったけど、もしかしたら暗証番号かなって、この考えは変かな?」
「そうね。でも、館の全てを探すのは大変よ。新と明菜にも手伝ってもらうしかないわ」
「大丈夫。たぶん、書庫にあるはず。それでないと、番号を書いた意味がないし」
「どうしてなの?」
「それは、暗証番号なら鍵が使用できる部屋でないと意味がないからかな」
「ああ、そうね。他の部屋の鍵に暗証番号を付けても意味が無いわね」
「でも、本当に四桁の数だけ鍵がある可能性もあるけどね」
「可能性で探すのだし、可能性で終わってもいいでしょう。でも、僕、僕と何時もなよなよしても男の子ね。考えもしなかったわ。さすが、男の子ね」
「それは、褒めてないでしょう」
「褒めているわよ」
「僕は、雪さんに命の危険があったら死ぬ気で守る気持ちがあるのです」
「うん。ありがとう。ネズミや虫が出そうだから、その時は助けてね」
「その時でも助けるけど、そう言う意味でなくて」
(告白のつもりだったのだけど、僕で無いのかな、でも、赤い感覚器官は、雪さんに向いているのに、何故なのだろう。もしかしたら、赤い感覚器官も決められた言葉があって、それを、言わないと、一生、結ばれないのかな?)
「そう言えば、作間さんの所でも、男の子たちは宝探しゲームで遊んでいたわね」
晶は、長い付き合いなのに、まだ性格が分かっていなかった。今の様子では、普通に会話をしている様だが、頭の中での思考も心も、宝探しゲームが全てを満たせているのだ。それで、何を言っても無駄だと言う事に、気が付いていなかった。
「そうだね。でも、今回は途中で諦められないよ。そうでしょう。雪さん」
「前回と、今回は違うでしょう。あの時は子供の遊び、でも今は、絶対に探し出して、全ての謎を解かなければ、絶対だ」
言葉では穏だが、表情と行動は違っていた。目は獲物と定めた狼の様に、行動は欲望で満ちた心を持つ理性を無くした人の様だった。その状態のままで、一時間ほども探したのだが、なぜか、それらしき物が無かった。
「壁にも、本棚にも仕掛がないわ。勿論、金庫もないわ。なぜ、まさか、天井なの。それとも、床なの?」
一キロの道を全力で走り終えたような様子で、雪は不満を表していた。
「そうだね。天井と床だね。でも、床は、足首が埋まる程の厚い絨毯の下を捲るのは大変と言うよりも無理かも、なら、僕の考えは間違っていたのだね」
「あるわ」
「天井なら無理だよ」
「いいえ。床だと思うわ。そうよ。絶対にあるわ」
「でも、どうやって探すかだな」
「簡単よ。持ち上がらないのなら、モグラの様に潜ればいいのよ」
二人は、モグラの気持ちを感じながら、モコモコと絨毯を波立たせて進むのだった。
「晶さん」
雪からは疲れた表情が感じられなかった。だが、晶は、もう腕を動かせない程まで疲労を感じていた。「僕の勘違いだったみたい。諦めよう」と言う考えだったのだ。その時に声を掛けられて安心した。雪が諦めてくれると、だが、なぜか、声色からは興奮を感じられたのだ。それで、心配になって返事を返した。
「どうしたのですか、もしかして、腕が痛いのですか?」
「有ったわ」
「えっ」
「晶さんが考えた通りだったの。間違いないわ。これが、そうなのよ」
真下にある。赤く点灯する小さい物を見ながら言うのだが、晶に伝えていると言うよりも、自分の感情が抑えられない叫びとも思えた。
「どうしたのです。今行きます」
「早く、鍵を下さい」
二人は同時に叫んでいた。恐らく、自分の叫びで相手の言葉は耳に入らなかっただろう。
「雪さん。大丈夫ですか?」
先程までは動かなかった両腕が、なぜか、雪の危機だと感じて動いたのだ。
「大丈夫よ。それよりも。これが、見えるでしょう。早く鍵をください」
「えっ、なにが・・・・・・・・あっ光っている」
怪我がないかと心配して腕や体だと、最後は足と見たのだが、雪の鍵の一言が耳に入ると、疲れて動かなかった腕が、自分の意思に関係なく、雪の言葉に従って鍵を手渡した。だが、まだ、驚きが続く、雪の視線の先に十個の点灯物には、十までの数字が明記されていたからだ。そして、雪は、手渡された鍵に付いている。キーホルダーに書かれてある。四桁の数字を記憶すると、人差し指で四回押した。すると、荷物専用の昇降機の様に、二人を乗せたままゆっくりと下に動いて止まると、突然に眩しさを感じた。
「嘘でしょう。あの地下の都市みたい」
だが、地下鉄の駅とは違っていた。上の書庫室の半分くらいの広さに、本棚と壁の全面に隙間なく絵が掛けられていた。そして、本棚には本が無く、巻物が並べてあった。
「あっ」
雪と晶は、探していた物があったと、壁の絵に興味を感じた。
絵には、森に囲まれた古い一軒の館の絵と、その館の周りに家などが増えていく絵があったので、この都市の成り立ちと感じた。それでも、職人芸の様な絵だけでなく幼い子供の絵と思えるのもあったのだ。恐らく、家々の子供たちの絵と思われた。
第五十章
「もしかして、これって?」
「そうみたいね。地下都市で見せられた。戦の痕だね」
「この都市が、主戦場跡?」
「そう考えるのが正しいかもね。隣の、霧の絵なら里よね。でも、泣いている子供や大勢のけが人が歩いているわ」
「もしかして、霧の里人たちは、元、この都市の住人かもしれない?」
「そうみたいね。でも、泉に浮かぶ城に関係する物はないわね」
「そうだね。もしかして巻物にならあるかも」
「探してみましょう」
二人は壁に掛けられていた。その最後の絵を見て納得して頷くと、本棚の巻物に関心が向いた。そして、手に取って開いて見た。文字だと想像していたのだが、幼稚な絵柄で大人の姿が描かれていた。恐らく、子供が描いた物だろう。その理由に興味を示さないで次々と巻物を解いた。何巻も解いては、また、解いても想像していた物が出て来ない。全てを見たのでないが、大人の絵だけでなく、子供や動物の絵もあったのだ。
「これって・・・・まさか?」
ある一つの巻物を開くと、開いたまま固まった様に動かなかった。それ程までに、何を驚いたのか分からないが、巻物を探すのも止めてしまった。
「雪さんも見た。もしかして、この巻物は亡くなった人を偲ぶ物かも」
雪が手にしているのは、片足がなくて体には包帯が巻かれていた。それでも、何かを見ている様に微笑んでいた。晶も体に包帯が巻かれていたが幼い子供だった。だが、寝台の上で寝ているのだが、同じ様に微笑んでいた。
「それか、願掛けかもしれないわ。怪我や病が治って欲しいから描かれているのかも」
「僕も、そう思うよ」
「見なかったとして、部屋から出ましょうか」
「うん。もしかしたら、前に来た人も同じ気持ちだったのかも」
「そうね」
そして、二人は来た時と同じ様に荷台の昇降機の上に乗った。暫く待っていたが動く事は無かった。
「もしかして、また、点灯物を押すのかも」
「押すのね」
「待って。同じ数字にしてください。僕の考えが当たっていたら同じ数字でないと、二度と開けられないかもしれない」
「そう感じるのね。分かったわ」
その考えは当たっていた。閉じる時に、次に開ける数字が決められていたのだった。それを本能的に感じたようだ。勿論、晶の言った様に動き出して、二人の上に、そして、元の状態に戻った。
「これから、何をしますか?」
「そうね」
晶は、モグラの気持ちを感じながら話を掛けていた。出てからでも良いと思うのだが、もしかすると、絨毯の下が不快だから紛らわせるために、愛しい人の声が聞きたかったのかもしれない。その気持ちが分かっているのか、それとも、同じ不快な気分を感じていたのだろうか、動くのを止めて、晶の顔を見詰めた。暗くて見えないはずだが・・・。
「体中が汚れていると思うわ。凄く不快な気分だから、まず、風呂に入ってから考えるわ。晶さんも風呂に入った方がいいわよ」
「そんなに汚れている?」
「えっ・・・・・・見えないけど、絶対に入ってね。だから、急いで出ましょう」
雪は、暗闇の中で、二人だけだと感じたからか、それとも、暗くて何も見えないから聴覚が鋭くなったのだろうか、自分の心臓の鼓動と一緒に、晶の鼓動が聞えたように思えて恥ずかしい気持ちになった。まるで、体と体が触れ合っていると感じたのだろう。それで、直ぐにでも出たいと感じて、手足を早く動かした。絨毯から出ると、晶から逃げたかったのか、ただ、風呂に入りたかっただけか、直ぐに、書庫から出た。
「まっあ、まっあ、まっあ、何て姿でしょう。そこから動かないでください。直ぐに、浴槽の準備をしますから、絶対に書庫室から出ないで待っていて下さい」
室内の掃除が終わっていなかったのか、それとも、時間を持て余していたので、もう一度していたのだろう。それが、雪の姿を見ると、悲鳴を上げた。
「はい」
書庫に戻ろうとした時と同時に、本当に直ぐに現れた。
「用意が出来ました」
まるで、子供が拾ってきた子犬を連れてきたような様子で、雪を浴室に放り込んだ。当然、犬は、晶で、雪が、子供だ。犬と思われている。その晶は、直ぐに玄関から出されると、バケツで水を投げる様に流されて洗われた。晶は、直ぐに風呂には入れてもらえないと判断したのだろう。自分で洗うよ。そう伝えると、逃げるように井戸に向かった。その様子を、二階の窓から見る者がいた。
「あいつらは、何をしているのだ」
新は、晶が井戸の水で体を洗い。そして、馬車に駆け込む姿を見ていた。
「遊んでいるのでしょう」
「それは分かるのだが・・・俺たちの旅の目的は、雪と晶を結び付けるはずだったよな」
「あっ、そうだったわね。忘れていたわ」
「酷いな。だが、あの二人は本当に赤い糸が繋がる運命の相手なのか?」
「それだから旅に出たのでしょう」
「そうだ。明菜」
「何?」
「雪は、自分に赤い感覚器官があると聞いたか?」
「いいえ。誰も聞いた者は居ないと思うわ」
「そうか、誰か好きな人がいる。そんな話を聞いた事があるか」
「それもないわね」
「考えたくない事だが、赤い感覚器官があるとして、旅の理由は、晶でなく他の者を探しているのではないか?」
「どうでしょうね」
「あの晶が、作間さんの所を飛び出してからは、それとなく思いを伝えているぞ。それと、俺が考えていた旅の目的は、赤い感覚器官があるか、あったとして繋がっているかだ。もしもだが、晶も雪も、違う相手が運命の相手なら旅の目的も変えなければならない。そうだったとしたら、俺は、晶の相手を探す旅に付いていくぞ。明菜は、どうする?」
「私はね。二人が運命の相手だと思うわ。そして、晶は誰が好きで、赤い感覚器官は、誰を指しているのか。それを聞き出して、雪だと言われたとします。それを、雪に伝えようとしても、口が動かないか、もしも動いたとしても言葉にも声にもならないかも、それか、言葉となったとしても、雪の耳には聞き取れないかもしれない。そう思うの」
「晶の変わりに伝える事が出来ないのだな」
「そう思うわ」
「それなら、好きな相手だけ聞いてだ。俺たちが告白できるように舞台設定したら、俺が晶に雪なのか確かめる。当然、明菜は、雪に聞くのだ。それなら、どうだ?」
「新にはわからないのね。そうだ。作間さんから聞いた話しを教えるわ」
「居間の話しに関係あるのか?」
「あるわ。何年前かな、あたしね。好きな人がいたの。その人と一緒に遊べれば良かったのだけど、その子の親にね。親なし子と遊ぶのは駄目って言われて泣いていたの。その様子を作間さんが見ていたらしくて頭を撫でてくれたの。その時、ある本の話をしてくれたわ。それは、人には、運命の神が決めた。生きる役目があるって、また、頭を撫でながら」「あの女性の役目は、子を残すだけの役目なのだ。だから、自分の子が、孫を抱かせるまで全てが敵と感じているのだぞ。それだけの役目なのだ。だが、お前は違う。子供を生むだけでなくて、運命の神が決めた。時の流れの中で重要な役目があるはずなのだぞ。だから、運命の神の試練であり。重要な役目が終わらない限り結婚が出来ないかもしれない」
「そう、作間さんに言われたわ」
「なら、晶と雪は、運命の神が決めた。何かの重要な役目が終わらない限り結婚ができない。そう言うことなのだな」
「それに、僕、僕の軟弱な晶よ。運命の神が決めた人生の舞台設定がなければ、告白どころか、接吻だけでなく押し倒す事も出来るはずがないでしょう」
「そうだな」
二人は、晶の様々な事を想像して笑ってしまった。
「何をしているの?」
晶は、笑い声が聞えて上を見ると、新と明菜が、自分を見ていた。
「晶こそ、何をしている?」
「汚いから水を掛けられた」
「その様な事をしていると、雪に嫌われるぞ」
晶は、顔を真っ赤にして俯いた。その姿を見て新と明菜は笑ってしまった。
「そうね。女性とは、その様な思考だね」
「お前も女性だろう」
「だから、汚いのは嫌いよ」
二人は、笑いながら室内に戻りながら・・。
「晶の想い人は、雪で間違いない」
「そうね。運命の時の流れの神は、どの様な設定を考えなのかしらね」
「簡単な事柄ならいいが」
「簡単でなくてもいいから、二人が嬉し泣きする姿が見たいわね」
(だが、神って残酷で冷たいからな、明菜が想像している楽しいことならいいが)
新は、明菜が楽しいことでも想像しているのだろう。その嬉しそうな笑みを見て何も言えなかった。そして、二人は無言で見詰め合い。他の事など考えられずに楽しい時間を過ごすはずだ。その頃、晶は着替え終わり館に入ると・・・。
「浴室に入れるようになりましたので、どうぞお入りください」
「えっ、もういいよ」
「まっ、まあ、もしかして」
「わかりました。入ります。入ります」
新は、何を叫ばれるのかと恐怖を感じて指示に従うしかなかった。そして、浴室に駆け出した。その様子を、雪は楽しそうに見ていた時に、子爵から声を掛けられたのだ。
「一人なのか、明菜と新は、どこに居る」
「部屋だと思うわ」
子爵は、画家を連れてきた。その後には様々な衣装を持った人々が並んでいた。
「そうか、なら、出て来るまで待つとするか」
少し悩んだ後に、画家には館の中で花嫁衣裳が一番似合う場所を選んで欲しいと告げた。その後に、玄関広間に衣装を人形に着せて並べること指示をした。雪が、その様子を、目を輝かせながら見ていたので、花嫁本人だと思われるだけでなく、新も現れたので少しの騒ぎがあった。その騒ぎに驚き、新と明菜が現れた事で納まったが、雪と晶も画家に惚れ込まれて描くことになったのだ。
「全ての館の室内と外の景色を見ましたが、今立つ階段を背にした方が美しい」
「それで、構わないわ。新もいいわよね」
「それと、お二方は、あの階段下の架空の絵を背景にしたら似合いそうですね」
新に興味無さそうに視線を向けた後に、承諾だけを確認すると、雪と晶に嬉しそうに視線を向けた。だが、正確に言うなら雪にだが、もしかすると、明菜にも雪にも興味がなかったのかもしれない。四人の男女と言うか、女性にと思える視線を向けて衣装を選んで欲しいと言うのだが、その待つ間に階段の絵と架空の絵を書き出したからだ。その事には、二人の女性は服を選ぶ事に夢中で、二人の男は着る毎に似合うか聞かれて褒める事に気持ちが集中していたから気が付いていなかった。この騒ぎは、静香が夕食の知らせを言いに来るまで続いていた。
「夕食の準備が出来ましたので食堂室に来てください」
聞えていないと感じたのだろう。同じ言葉を叫んだ。当然、子爵と四人の男女は、即に食堂室に駆け込んだのだが、静香を知らなかったのだろう。丁重な態度でお帰りを伝えられたが、画家は、二人に階段の下の絵を選ぶ程の感がある者だ。静香から殺気でも感じたのだろう。逃げる様に館から出て行ったが、衣装を持ち込んだ者たちは、衣装を置いて帰れないと告げたが応じるはずもなかった。それでも、静香の訳の分からない理屈を聞くと悲鳴を上げながら逃げ出した。皆が消えたのを確認すると、静香は、食堂室に向かった。
「他に御用がないのでしたら帰らせて頂きます」
誰も文句を言うはずもなかった。ただ、表情では給仕はしないのかと表していたが、子爵だけは安堵していた。もしかしたら、帰らせるために思案していたかもしれない。そして、皆が食事を食べて、食後の飲み物を飲んでいる時だった。
「この都市に来た目的は全て計画の通りに済んだ。後は、一週間を都市で過ごすだけだ」
「そう、大変だったわね」
明菜は、返事を返すが、まったく感情が感じられなかった。
「それで、これからの一週間のことを話し合いたい」
「ねね。絵の完成って何時の予定なの?」
「三日の予定らしい。午前中に新と明菜。午後から雪と晶と考えているらしい」
「そう、三日なのね」
雪は、一日で出来るとでも思っていたのだろうか、残念そうな表情を浮かべた。
「わたくしは、三日でも四日でも気にしないわ。それよりも、残りの日数で何をするかよ」
「観光でもしますか?」
「そうね。でも、予定を考えないで、その場、その場で楽しみましょう」
と、子爵の後に、明菜が三人に向かって、承諾以外は許さない。そうとしか思えない殺気を感じる視線を向けたのだ。だが、この時、都市の行政機関の様々な場所が慌しかった。
「様々な所で対応を求められているな。もう、これ以上は警備隊では対応が出来ない。直ぐにでも王宮に知らせて指示を求めなくてはならない。場合によっては軍隊を動かし鎮圧するしかないだろう」
「ですが、坊ちゃま」
「何をしている。矢が放たれて旗に刺さったら、いや、旗に向かって放たれても全面戦争だぞ。何よりも、都市の市民を守るのが第一だろうが、直ぐに父上に知らせろ。そして、兵の派遣を要請するのだ」
「・・・・」
涙を流しながら主を見詰めていた。
「まだ居たか、直ぐに知らせに行け」
「・・・・」
二度目の指示を言われては行動するしかなかった。人生に何一つとして希望が無い。そう感じる様な感じで、とぼとぼと歩いて扉を開けようとした。
「あっ、それと、後で良いのだが、釣り大会の申請も頼む」
「この様な状態で、釣り大会を開催するのですか?」
「市民たちも暇だから変な事を考えるのだ。まあ、釣り大会でもすれば気持ちも晴れるよ」
「はっあ、やれやれ。王宮に軍隊の要請した後、市民の鎮圧した後にでも申請しておきます。それで、宜しいですね」
「構わない」
目の上の瘤が消えたからだろうか、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。それとも、何かを考えているのだろう。それでも、笑みを浮かべるのも筋肉が疲れを感じた頃だ。飲み物を頼もうとして、鈴を鳴らそうとしたが、目の上の瘤が居なかったのに気が付いて、誰かに頼もうと部屋から出た時だった。
「だから、役所の長を呼べと言っているのだ」
第五十一章
役所の受付には、何人者の人が同じ言葉を怒鳴るように叫んでいた。
「ですから、今出掛けております。そう、何度も言っているでしょう」
「何時来ても同じ対応だろう。今回は至急なのだよ。都市の未来とまでは大げさだが、人の命に係わる問題なのだ。頼むから上の者と話をさせてくれ」
受付の女性は、常に同じ対応をしていたのだろう。だが、今回は、本当に留守だと、誰でも分かる表情だったのだが、叫ぶ者たちも、それに気が付かないほど焦っていたのだ。
「何があった?」
「あっ、坊ちゃま」
「ん?」
「失礼しました。役所長代理、何でもありません」
女性は、仲間内でのあだ名を口にしてしまい。真っ赤な顔で訂正していた。
「代理でも構わない。頼むから話を聞いてくれ」
「構わない。上で話を聞こう」
「良かった」
「だが、役所の長は本当に留守だ。願いが叶うかは分からんぞ。それでも良いのだな」
「構わない。我々の話を聞けば直ぐに行動してくれるはずだ」
「そうか」
と、頷くと、先程の女性に、自分の分だけでいいから飲み物を頼んだ。もしかすると、話を聞くのが次いでで、飲み物が欲しかっただけかもしれない。それ程まで興味が感じられない。本当に他人事の様な態度だったのだ。そして、自分の執務所に入っていた。この部屋を選んだだけでも、話を聞くと思えなかった。自分の後から何人もぞろぞろと付いてくる者たちが座れる席もあるはずもなく、もしかしたら、全ての者たちが部屋に入れるかも疑問だったのだ。
「それで」
自分だけが椅子に座り、他の者が部屋に入れるかも確かめもせずに問い掛けてきた。
「今回の苦情の事です」
「苦情?」
「市民の蜂起で噂になっている事です」
「ほう、市民の蜂起が起きているのか、それなら軍隊の要請をしなくてはならないぞ」
「待ってください。そこまで大事でないのです。何て言えばいいか、殆どの商館は代替わりをしていまして、契約証文と違うと騒いでいるのです」
「ほうほう、値上げ交渉と言う意味なのだな」
「それとも、違うのです」
「ほうほう」
「証文では、都市が攻められた場合は、倉庫の物は全て都市に売る事。それなのに、今回は兵の数も少なく包囲している国も少ないので、今回は好きにしていいと言ってくれたのです。それは、高値で売れる可能性があるので嬉しいのですが、都市から出る事は出来ませんので商売にならないのです。そこで、まだ若いからでしょう。脅迫とは違うのですが、チョットした交渉を考えてしまったのです」
「ほうほう、どの様な交渉だったのでしょうか?」
「何て言えばいいのでしょうか、若い者たちなので、倉庫の全てを引き取らなければ、旗に向かって矢を放つと言ってしまったのです」
「それは、大事だな。軍隊が出なければ収まらないだろう」
「ですが、突然に倉庫の全ての物を引き取ると書状が来まして」
「それは、良かったではないか」
「ですが、心配な気持ちがあるのです」
「ほうほう」
「市民の蜂起などと噂が起きてしまったので、軍隊が鎮圧するらしいと耳に入りまして、もしもですが、出きれば蜂起など無かったとしたいのです。それを聞いていただければ、今回の請求は半額で構わないと考えているのです」
「ほうほう、それなら何の問題もないだろう」
「そうなのですが、警備隊の話しでは軍隊の要請しており、蜂起した者は全て捕縛した後死刑にすると叫ばれているのです。それで、我々が来たのは穏やかに納めたいのです」
「だが、何も無かったことにするのは無理だろう」
「それで、どの様なことをすれば穏やかに収めて頂けるでしょうか」
「それなら、良い考えがある。釣り大会を催そう。それで、貴族が勝った場合は、蜂起した全ての者を都市から追放の処罰と同時に、今回起きた騒動の経費を払う。都市側が勝った場合は、今回の経費全てを払う。では、どうかな?」
「それだと、破産すると感じて、殆どの商館は都市から逃げると思われます」
「だが、今考えたのだが、釣り大会の経費は都市側が払うだろう。それと、大会をしたとして、それに係わる商業利益は、今回の経費の倍になると考えられるぞ」
「えっ」
「貴族と言う者たちは、全てに完璧にするために惜しみもなく金を使うぞ」
「ですが、全ての貴族が参加するとは思えません」
「それは、都市の王の嫡男が出席するのだ。全ての貴族が参加するだろう」
「その皇太子様に招待される伝手がありません」
「その皇太子とは、目の前にいるだろう」
「えっ」
「喜んで参加する考えだぞ」
「ありがとう御座います。直ぐに大会の用意を致します」
「だが、少し待て、大会の知らせが発表した時にして欲しい」
「畏まりました」
「それと、今すぐに警備隊に投稿しなければ、この計画は無理だぞ」
「分かっております」
「それなら、直ぐに行動して欲しい。紅茶が冷めてしまう」
受付にいた女性がお盆を手に持ち、部屋に入れないと手を振っていた。その言葉を聞くよ。安堵の表情を浮かべながら急いで建物から出て行った。そして、ゆっくりと二杯目の紅茶を味わっていると、慌てて部屋に駆け込んできた者がいた。
「直ぐにでも軍隊を動かせます。指揮をするための用意を御願い致します」
「それは、解決した。蜂起した全ての市民が警備隊に投降するらしい」
「えっ」
「それよりも、直ぐに釣り大会の許可を申請してくれないか」
「はっあぁ」
がっくりと肩を落として、心底から疲れた表情で部屋から出て行った。そして、三日も過ぎると、釣り大会の開始日が一週間後と決定した。その頃の、男女四人は館の中で・・・・・。
「なっなに、これは・・・」
明菜は怒りを爆発させて、雪は意味が分からないのだろう。絵を見詰めていた。新と晶は絵を見ていないので分からないが、想像だけは膨らませていた。
「まさか、裸体で描かれているのか?」
「それなら、まだいいわよ。人物が中心なのだからね」
「えっ、どう言う意味だ?」
「見たら分かるわ」
新と晶は、二人の女性が怒りを堪えて、両手で震えながら持つ絵を見た。
「えっ、結婚の記念の絵だったよな」
「そのはずですね。もしかして、雪さんが構図を変える指示をしたのですか?」
「馬鹿やろう。二人に声をかけるな」
晶には感じていないのだろう。二人の女性が数秒も我慢できないほどの怒りの限界を、新は、出きれば逃げたかったのだ。それでも、何故、二人の女性は我慢しているのかと言うのは、画家が、子爵から料金を貰って部屋から出てくるのを待っていたのだ。
「それでは、気を付けて帰ってくれ」
「大丈夫ですよ。金なら腹巻の中ですから落としませんよ」
「そうか、世の中で一番に怖いのは女だと思うぞ」
「女ですか、自分は、芸術だけに生涯を使いますので結婚はしていません」
「そうか、無事に館から出られるのを祈っているよ」
「えっ、何て言いました?」
「何でもない」
画家は、渡された金で新たな画材を買う気持ちで浮かれていたのだろう。扉を閉めながら言われた事が聞こえ無かった。そのまま浮かれながら階段広間を通り玄関に向かって歩き出した。同然、男女四人に会い。笑みを浮かべながら会釈をして帰ろうとした。
「待ちなさいよ」
「そうよ。この絵は何なのよ」
二人の女性が怒るのは当然だった。明菜の考えでは階段を背景に、新と自分が花嫁衣裳を着て寄り添いながら幸せの笑みを浮かべた絵柄を考えていたのに、背景のはずの階段が中心に描かれて、自分たちは小さくて性別も分からないほどの絵なのだ。それは、雪の絵も同じだった。いや、もっと酷かった。それは、二人の男女は花嫁衣裳も着ていないからだ。これで、怒りを感じない者がいたら、人の思考が無い宇宙人だろう。
「サインが小さかったかな書き直しますか?」
この画家は、人付き合いが下手なのか、それとも、自分の絵以外は興味も関心もないのだろう。誰が見ても、二人の女性が怒りを表しているのに、何も分かっていなかった。
「サインだって、ふざけないでよ」
二人の女性は我慢の限界だったのだろう。手に持っていた絵画を頭にぶつけた。綺麗に裂けて二重の額の首輪になった。
「何て事をするのだ。今まで描いた中で人生の最高傑作と思える絵画だぞ」
「うるさい」
「黙りなさい」
「はい」
やっと、自分に怒りを向けられているのに気が付いた。
「あなたは、わたくしたちの貴重な三日間を台無しにいたのは分かっているわね」
「そうよ。一週間しかいられないのに、それだけでなくて、一番許せないのは、女性の夢を壊したことだけは、絶対に許せないわ」
「そうよ。それに、二時間も動かないで、とは、何の意味があったのよ」
「だ、か、ら、ねぇ~」
「なっななんでしょう」
「館から出さないわよ」
「命だけは助けてください」
「あんたの命なんていらないの」
「そうよ。絵を完成するまで館から出さないし、休憩も食事も取らせないって事よ」
「ですが、画材が無いと描けません。注文しても一週間は掛かると思います」
「それは嘘ね」
「本当です。信じてください」
「だって、目が泳いでいるわ。それは、嘘だと言っている様に感じるわ」
「と言うかね。嘘だろうが、本当だろうが関係ないの。死にたくなければ絵を描きなさい」
「絵を描きますから命だけは助けてください。お願いです」
画家は泣き叫びながら、二人の女性の足にすがった。
「初めから、そう言えば良かったのよ。水くらいなら上げるから頑張りなさい」
「うっううう、はい。はい。うっうう」
「騒々しいですね。何事ですか?」
「丁度いいところに着たわ。今すぐに画材を買ってきて」
「やはり、思っていた通りでしたね。それで、何が必要なのでしょう」
「お願いです。助けて下さい。お願いします。お願いします」
「私では、どうする事も出来ません。助かるには絵を描くしかないですよ」
「でも、一日では無理です」
「それは、私に言われても、二人に聞いてみろよ」
「言ったら殺されます」
「そうだろうな、でも、頑張れよ」
「何を、二人で、こそこそ話しているの。直ぐに画材の道具を買ってきなさいよ」
「分かっております。直ちに買って参ります」
「何をしているの、あなたは、下書きでも描いていなさい」
「そうよ。わたくし達が気に入った下書きができるまでね」
画家は、一緒に出ようとしたのか、助けを求めたのか、その両方かもしれない。そこまで恐ろしかったのだろう。その気持ちから、子爵の足にすがった手を離さなかったが、二人の女性に襟首や腕を捕まえられて手を放すしかなかった。
「何でもしますから助けてください」
「安心しなさい。絵を描いてもらうだけよ。でも、描き上がるまで部屋からは出さないわ」
「閉じ込めておける部屋ってある。わたくしたちが寝たら逃げるわよ」
「それは、大丈夫よ。館とか作るお金持ちって、必ずお仕置き部屋ってあるはずなの」
「お仕置き部屋?」
「まあ、牢屋みたいな部屋よ。地下にあるはずね」
そして、二人の女性は、嫌がる画家を引きずる様にして地下の階段を下っていった。当然とは違うが、明菜の話しの通りに本当にあったのだ。
「ひぃひぃいい」
明菜の人を見ているとは思えない冷たい視線と、お仕置き部屋に投げ込まれた事で恐怖が倍増したのだ。だが、画家は、まだ気が付いてない。これから、今よりも、恐ろしく苦痛を感じる事になる。それは、絵が完成されるまで監禁されるのだ。恐らく、本当に水だけ与えられて、腕が腱鞘炎になるまで描かされ続けえるのだ。もしもだが、書き上げて館から出えたとしても腱鞘炎で絵が描けないかも知れない。それか、同じ様な絵を何十枚と描かされたために、二度と絵なんて描きたくない。そう思うはずだろう。だが、今はまだ分かるはずがない。それで、扉を叩きながら「助けてくれ」と叫んでいたが、何十分くらい過ぎた後、喉が渇いたのか、諦めたのだろう。叫ぶのを止めた。
「静かになったわね。紙と鉛筆を渡すから下絵を描きなさい。今度は、わたくし達が中心の絵よ。その絵が気に入れば待遇を考えてあげるわ」
「はい」
と、返事を返すと、即座に絵を描いて見せたが、明菜は怒声を上げた。
「わたくしをからかっているのね。良く分かったわ。一時間後に、もう一度だけ来て上げるわ。その間に何枚も描きなさい。その中で気に入った物を選ぶわ。もしもだけど、又、同じ様な絵を描いたら殺すわよ」
「はい、はい」
画家は、明菜の言う意味が分かり、その絵を描き上げたら自由になれる。その明るい微笑みを見て、明菜も穏やかの気持ちのまま一時間を待つ事にした。そして、丁度、一時間後にお仕置き部屋に現れた」
「下絵が出来たのね。なら見せて」
「どうぞ、どうぞ」
明菜は、渡された何十枚の紙を手に持つと、一枚、二枚と絵を見るたびに、手が震えてきた。まるで、何かを我慢する様に、そして、最期の一枚の絵を見ると・・・・・。
「なぜ、人物がマッチ棒の様に小さいの。本当に死にたいの?」
「小さい?」
画家は訳の分からない理屈を話し出した。だが、明菜が納得するはずもなく、仕方が無いので、画家に、円や三角に様々な絵文字などで理想の絵を描いて見せた。
「この様な配置で描いて」
第五十二章
明菜と雪は、手に持っているノートを見て興奮を表していた。
「そうよ。これ、これなのよ」
「ふっふふ、褒美として一杯の水をあげるわ。それと、子爵が帰ってくるまで休憩を許します。ゆっくり休むのね。その後は、二枚の絵が描き終えるまで休憩は無いわよ」
「それにしても、子爵さんは遅いわね。画材は届いたのに何をしているのかしら」
「もしかして、気を利かせて花嫁衣裳の手配をしているのかしらね」
「また、着られるのね。嬉しい」
「そうね。でも、少し遅すぎるわ。新と晶に迎に行ってもらいましょう」
「そうね」
明菜と雪は、二人の男が寛いでいる部屋に言って、迎いに言って欲しいと言った。当然、男二人は嫌がるが、無理やりの様に館から叩き出す様に追い出した。そして、二人の女性が思っている通りに、花嫁衣裳を手配した後、釣り大会の計画の作成のために、ある男に引き止められていたのだが、殺気でも感じたのだろう。要点だけを簡単にアドバイスすると、直ぐに館に向かった。その時、子爵を迎いに来たが貸し衣装屋には居なく、何処に居るのかと商店街を探し続けていた。そんな、心底から疲れた。二人の男と出会うのだった。
「探したぞ。何をしていたのだ。やっと、絵が描き終わるまで休めると思ったのだぞ」
「そうだよ。雪さんも別人の様に怒りを表しているから、早く絵を描き終えて欲しいのに」
「すまなかった。だが、絵を描き終えた後、残りの日数の予定の準備をしていたのだ」
二人の愚痴が聞きたくなかっただけか、本当なのか嘘なのか分からない事を言った。
「また、何かするのか、俺は計画が終わるまで館でゆっくりと休んでいたいぞ」
「そうだね」
「そうでしたか、それでしたら、明菜さんと雪さんに提案してみましょう」
「気にしなくていいぞ」
「そうそう、予定を考えたのでしょう。楽しみだな」
様々な愚痴の様な思惑の様な事を呟いていると、館に着いていた。急いで中に入って見ると、花嫁衣裳を着た姿で不似合いな表情を浮かべていた。それは、何に向けてなのか分からないが、怒りの表情を浮かべた姿が目に入ったのだ。
「雪さん。どうしたのですか?」
「明菜。まさか、画家が逃げたのか?」
「あの画家の馬鹿が悪いのよ」
「そうなの。晶さんが一番似合うって言ってくれた。あの花嫁衣裳が借りられてしまって着られなくなったの」
「あっはぁ。そうだったの。残念だったね。でも、今のも良く似合うよ」
晶は、心底から安心した。自分のことでなく服だったからだ。それと、怒りの顔から普段の表情に戻ってくれたことにもあった。
「明菜も同じ事で怒っているのか、それだったら、その服も似合っているぞ」
「私が怒っていたのは、雪の衣装よ。それよりも、自分が選んだ花嫁衣裳も忘れたのね」
「忘れていない。普段着よりも似合うって意味だよ」
新は、完全に忘れていた。だが、それを言えるはずもなく考えられる言い訳を叫び続けた。それは、明菜が納得するまで言い続けるのだった。その様子を見て・・・・。
「二人は忙しそうだね。先に描いてもらおうかぁ」
「そうね」
「着替えて来るから、先に行っていて」
「は~い」
晶は、画家に構図から様々な事を指示したのだから着替えて画家に見せなくても描ける。そう思っていたが口では何も言わなかった。まあ、嬉しい笑みを見たから言えない気持ちもあったのだろう。そして、着替えて部屋に出ると、子爵が待っていた。何かと思ったが、直ぐに、二枚の画材を手渡された。それを手に持って、画家が居るお仕置き部屋に向かった。途中で、新と明菜が言い争いをしているのを見たが、無視して通り過ぎるのは当然だった。一秒でも雪を待たせたくない気持ちだったし、巻き込まれるのも嫌だったからだ。
「ごめんね。待たせたね」
雪には丁寧な挨拶をするが、それと同時に、鉄格子の隙間から二枚の画材を入れた。
「少しね。でも、晶さんの素敵な姿を想像していたから・・時間を忘れていたの。でも、わたくし、今回は化粧していないから・・・・」
「そうか、ありがとう。でも、化粧していなくても本当に綺麗だよ」
「本当?」
「うんうん」
「・・・・」
雪は、恥ずかしくて俯いてしまった。
「そろそろ、描いてもらおうか」
「その前に、二人だけよ。その・・こっ、告白はしてくれないの」
正確に言うなら画家がいるので、三人だった。その事を忘れているようだった。
「雪。絵は希望の通りに描いてもらっている」
雪が、思いを伝える。と言うか、晶の想いを聞こうとした時に、明菜の叫び声の様な大声で、最期まで言葉に出来なかった。
(げっ、雪が怒っている。良い雰囲気を壊したみたいね。どうしよう)
「何を寝ているの。起きて絵を描きなさいよ。雪が怒っているわよ」
「えっ、わたくしは怒っていないわよ」
「もしかして、私たちの事で怒っていたの?」
「違います。あの、化粧もしたかったなって思っていただけなの」
「そうよね。この画家が全て悪いのよ」
「おい、今度、また、変な絵を描いたら一生の間、お仕置き部屋での生活だからな」
新は、二人の女性の不機嫌な顔を見るのも嫌だし、振り回せられるのも嫌だったので、少し脅す気持ちもあったのだろう。それで、一生と脅したのだ。画家も、四人の男女は住民でないのだ。ある程度の日数が過ぎれば出られると考えるのが普通なのだが、心底からの恐怖のために、そこまで思考できなかったのだろう。
「希望の通りに描きますので、ですから描き上げたら出して下さるのでしょうね」
「希望の通りの絵だったら」
明菜の視線を見て、画家は本当に殺されると感じた。
「ひっひひっひ」
悲鳴を上げながら何度も頭を下げていた。恐らく、「命だけは助けてください」と言っているのだろう。
「明菜、そのくらいで許してやれ。絵が描けなくなると困るだろう」
「そうね。早く描いてね」
画家は、始めに、雪と晶を描きますと、言うと死ぬ気で鉛筆を走らせた。画材と二人の男女を交互に見ていたが、もしかすると、人物が居なくても良いと思える描き方だった。だが、高速とも思える描き方は、四人の男女の視線を感じての恐怖からだったので、居なかったら出来ないはずだ。そして、三十分が過ぎると、雪と晶に下絵を見せた。よく、この時間まで明菜が我慢できたのは、神業の様な鉛筆の捌きとしか思えなかった。
「キャー。凄いわ。ねね、晶さんも見てみて」
「本当に凄いね。本当に、もう描けたのか?」
雪は、鉄格子から画材を渡されて悲鳴を上げた。普通なら描き上げた速度に驚くのだが、画材に描かれた絵を見てからなので、絵柄だけに興味を感じたのだろう。
「それで、良ければ色を塗りたいので宜しいでしょうか?」
「うんうん。お願いします」
雪の喜ぶ笑顔を見て、横から覗いた。
「上手いでしょう。初めから、この様に描けばよかったのよ」
「そうね。でも、この感じで色が塗れれば良いのだけど」
もしかすると、一番恐ろしいのは、明菜でなくて、雪かもしれない。先程の神業を見たのなら、何の問題もないはずだが、それでも念を押すのだ。人としての優しい感情がないとしか思えなかった。
「大丈夫よね。画家さん」
頷く事しか出来なかった。
「今度は、私たちの番ね。あっ、そうそう、新。椅子を持って来てよ。座っている所を描いて欲しいわ。雪みたいに、手を握り合って見詰め合う姿もいいけど、やっぱり、花嫁は慎み深く上目遣いで旦那様を見るのが当然の姿よね」
「はいはい」
(どう考えても、疲れたから座りたいとしか思えないぞ)
思いを口にするはずもなく、新は椅子を取りに行った。
「雪さんも疲れたでしょう。椅子を持って来ようか?」
「大丈夫よ。三十分も過ぎたら、又、わたくしの番でしょう。だから待てるわ」
「そうか、でも、椅子が欲しい時は言ってね。直ぐに持ってくるからね」
雪と晶は、本当に人の気持ちがあるのかと、考えたくなる言葉を吐いていた。それとも、愛とは、自分たちの事しか考えられないのだろう。そうとしか思えなかった。その会話が終わる頃に、新が椅子を持ってきた。
「うぁああ。新と私って本当に愛を感じるわ。だって、欲しい椅子を言わなくても、書庫室の骨董の椅子を持って来てくれるのですもの。嬉しいわ」
「そうだろう」
(怒鳴り声を覚悟で一番近い書庫室の椅子を持ってきたが、何故か喜んでいるぞ。話を合わせた方が得だな)
「座ってみてくれないか、嫌なら交換してきてもいいぞ」
「うん」
「どうだ?」
「座り心地がいいから、これでいいわ」
「そうか、なら、描いてくれないか?」
新は、明菜の頷きを確認すると、画家に描く指示を出した。当然だが、先程と同じ、嫌、違う。それ以上の神業の速度で鉛筆を走らせた。それから、雪と晶の絵よりも数分早く描き上げて、二人に手渡したと同時に、雪と同じ様に、新と明菜も喜びに悲鳴を上げた。
「これで、宜しいのですね。これで、信じてくれますね。ここから出してくれますよね」
四人の男女に泣き声を上げながら、祈る様にして視線を交互に向けていた。
「うん。信じてあげます。後は、色を塗るだけね」
「出してくれないのですか?」
「出なくても、後は、色だけでしょう。がんばってね。直ぐに終わるわよ」
雪は、何も問題が発生していないと感じていた。そして、画家は、始めて女性の笑みは怖い。そう感じて、二度と女性の絵は描かないと心に誓った。それと同時に、二枚の絵を描き上げた後も、また、前の通りに腕が動いて欲しいと神に祈った。
「そうね。こんなに早く描けるなら、このお仕置き部屋のままで描いてもらうわ」
「そそっ、そんな」
「もしかしたら、このお仕置き部屋には、神懸かり的な力が宿っているのかも」
「せめて、水だけでも飲ませてください」
二人の女性は興奮してはしゃいでいたので、男たちの声は聞こえていなかった。
(鬼だな。水は、晶にでも頼むか)
「晶。水を持って来て与えてくれないか、俺は、色を塗る画材を持ってくるからな」
「分かった」
その言葉を聞くと、新は画材を取りに扉を開けて出ると・・・・・。
「この変な道具を早く片付けて下さい。掃除が出来ません」
「はい。直ぐに」
「・・・・・・・」
静香が、仁王立ちしていたのだ。その姿を晶も見てしまったので、部屋から出る勇気も水をお願いする事も出来なかった。そのために画家は、コップ一杯の水も飲めなかった。
「描きます。描きますから、完成したら出してくださいね。本当にお願いしますよ」
誰も返事を画家に返さなかった。その代わりの様に姿勢を整えたのだ。それは、無言で描きなさい。全ての答えは描き終えた後だと言っている様だった。だが、本当に神懸かりな。力があるのかもしれない。何故かと言うと、両手で色を付けているのだ。右手は、雪と晶の絵を描きながら、左手では、新と明菜の絵を描いていたからだ。さすがに、鉛筆の様な速度ではないが、それでも、一時間と少しくらい過ぎた頃には・・・・・。
「でっ、出来上がりました。完成です」
と、画家が言葉を吐くと同時に倒れてしまった。恐らく、疲れ果てて気絶したのだろう。
「なかなか良い出来よ。やれば出来るでしょう」
「そうね。早かったし、今度は一人姿の絵でも描いて欲しいわね」
「雪。それは良い考えね」
と、二人の女性は興奮を表していたが、それは無理だと、画家の両腕が痙攣している事で、誰にでも分かるはずだった。それでも、結局無理やりに画家を起こして描かせるのだ。そして当然の事だが、画家は悲鳴を上げながら二枚の人物画を描かされる。その後、また描かされる雰囲気になるのだが、画家が、我を忘れた様に泣き続けるので、仕方なく館から出されたのだ。だが、この騒ぎは、雪と晶は気が付いていないが、赤い感覚器官の時の流れの修正の一つ、画家の描く執念と言うか、生涯の間に夢の絵を描く題目とでも言うのだろうか、その思いの題目を変えるのが修正だったのだ。修正が出来なかった場合は、複数の女性の運命が変わっていた。その複数の女性たちは、画家に見合いに必要な姿絵を描いてもらうのだが、表情が判別できない絵だったために、縁組が上手く行かなくなり、二度、三度目と縁組をして結婚する事になるのだ。そして、時の流れが狂い、その子孫が戦争の引き金を起こしてしまうのだが、生涯の間で夢の想いを描く想いが変わったことにより、戦争が回避されるのだ。これで、この都市に来た全ての役目が終わった事になった。
そして、館の中が静かになり、新と明菜、雪と晶たちに分かれて楽しいそうに会話をしているのを見ながら、子爵が本を読みながら眺め、静香は掃除をしている時だった。
「手紙が届きました」
と、隣に住んでいる。よろず屋の男が駆け込んできた。
「手紙だと・・」
子爵は驚きの余りに、本を読んでいた所にしおりを挿むのも忘れるくらい驚いて立ち上がっていた。当然、本を落とすのだが拾う気持ちも忘れていた。
「そんなに驚くなんて、何処かに置き去りにでもしてきた。その彼女からの手紙でしょう」
「まあ、そのような感じだ」
「えっ、本当なの?」
「何て酷い。女の敵よ」
明菜と雪は、からかう様に、暇つぶしの相手ができたとでも思っている様子だった。
「部屋に居る。もし用事があった場合は、扉を叩いてくれ」
「・・・・・・」
「よろず屋。一緒に部屋に来てくれないか」
「構いませんよ」
子爵は、真剣な表情で部屋に向かった。よろず屋の男は、その後を新たな仕事があると感じて邪な笑みを浮かべていた。そして、二人の男は部屋の中に入って行った。
「もし至急の手紙を出すのでしたら、前の料金よりも倍の値段になります。それは、分かって頂けますよね。今着いて休まずにお届けしたのですから・・・」
「・・・・・・・」
子爵は、無言で読み続けていた。それ程の内容だった。それは・・・・・第一に、報せに来る者が来ない。それと同時に、警備を固めた事。第二は、子爵がいる都市に、五カ国の国が兵を差し向けたと書いてあった。第三には、子爵の考えの通りに、全ての国の間者が一つの組織の可能性がある。と書かれてあった。
「呼び止めて済まなかった。返信は送らなくても大丈夫のようだ」
第五十三章
「そうですか、分かりました。それと、もし送る場合と、何かの御用がありましたら店にいますので宜しくお願いします」
「そうする」
と、言うと、客人の様な接客の態度で、裏口まで見送りに行った。
「本当に済まなかったな、これで許して欲しい」
「これだけ頂けたら、何も問題はありません」
「なら良かった」
子爵は、残りの料金の他に、感謝の気持ちとして料金の上乗せをして手渡した。
「何しているの?」
「料金を渡していただけだ」
「それで、返事は書いたの?」
「緊急の知らせでなかったからな。急いで送らなくても大丈夫だろう」
「それって、どこかの街に置いて来た彼女からなのでしょう。それなら・・・・」
「わぁはははは、そんな女性が居れば喜んで書くよ。まあ心配してくれたのだな。読んでみたら殿下に知らせる事だ。だが、緊急に知らせえる内容でもなかったよ」
子爵は、涙を流すほど大笑いしてしまった。もしかすると本心なのかもしれない。だが、その後は、誰かに聞かれるとでも思ったのか、普段よりも声を落として伝えた。
「そう」
「そうだ。せっかくの機会だ。都市の中の観光でもするか?」
「いいの?」
「もう大丈夫だ。全ての計画が終わったからな」
「そう。でも、まさか、試作品を試すとか、試食品を食べるって観光でないわよね」
「そんな事がしたいのか?ならば手配をするぞ」
「嫌よ」
「普通は、そうだろうな」
「観光って何をするの。子爵と会った。あの都市では、そうだったから・・・・」
「祭が開催されているなら祭だろうけど、普通なら買い物かな?」
「この都市は詳しいの?」
「始めただ。観光案内でも頼んでみるよ」
「観光するの?」
「えっ、あの・・」
静香が「観光」と聞えて話を掛けてきた。だが、明菜と子爵は何とか誤魔化そうと考えるが、直ぐに言葉に出来るはずもなかった。それでも、何とか誤魔化そうとした。
「そうそう、明菜さん。他の者たちは何をして居る?」
「えっ。あっ、あっ」
「都市で一番美味しい所や服などの安い店を知っているわよ」
なぜか、静香は、今まででとは違い。おっとりと恋をしている女性の様な声色に変わっていた。もしかすると何かが頭に当たって正気に戻った様に思えた。
「えっ、ええ」
「何か変な物でも食べたの?」
「意味が分かりません。それよりも、案内料が頂けるのならお勧めを教えますが・・・」
「案内もしてくれるの?」
「勿論です。ですが・・・料金によりお勧めが違います」
「子爵さん。払えそうですか?」
「まあ、何とかしましょう」
「それでしたら直ぐに出かけるのですね」
静香は、一人で興奮していた。
「今からでなく、明日で最終日ですから楽しみを取って置いて、今日は、計画を立てては、どうでしょうか?」
「子爵が、そう言うなら・・・」
「それでしたら、明日は残りのお金を全て使っても構いませんよ」
「うぉおおおお」
明菜と静香は喜びの悲鳴を上げた。この雄叫びの様な声を聞いて、新と晶と雪は、何が起きたのかと視線を向けた。だが、静香が居るのと、子爵と晶が相談していると思って、恐る恐ると近寄ってきた。
「どうした?」
雪と晶は、ある程度まで近寄ってきたが、それ以上は進まないのと、二人にすがる様な視線を向けられて、新は仕方なく声を掛けた。
「明日、買い物に行くのを決めたからね」
「それでは、明日の計画を決めましょう」
静香が、一番の興奮を表したので、誰も止めらないと思ったのだが・・・・。
「それは、自由ですが、静香さんには、夕食の用意を先にして頂けませんと困ります」
子爵は、静香が仕事を忘れているとしか思えず。思い出させる事にした。
「むっむむむ。仕事ですから安心してください」
誰が見ても、安心できる表情を表していなかった。それでも、この場の人たちは違う心配を感じていた。それは、食べられる物を作れるのかと思ったのだ。だが、その心配はなかった。もしかすると手を抜きたかったが、献立でも決っていたのかもしれない。それが分かるのは、数時間後だった。それまでの間の時間は、良い案内をして欲しいからだろう。浴室の準備を手伝い始めた。数時間後、全ての用事を終わらせると、久しぶりの労働での疲れを取る気持ちもあったのだろう。早めの入浴を済まして湯上りの体の火照りを冷やそうと、椅子に座って休んでいる時だった。静香が姿を現した。
「夕食の準備が出来ました」
「今回は、私も一緒に頂きます。明日の事で伝えたい事もありますので、それでは、行きましょうか」
皆が、一緒に食堂室に向かう途中に、自分たちが自慢するように手伝った事を伝えた。
「全ての仕事は終わっていますわ。もしよければ、一緒に食べませんか?」
と、明菜が夕食を勧めた。
「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」
子爵は主人よりも先に食べるはずがなかった。だが、同席は許されているが主人より先に食べるはずもなく待っていた。だが、四人は、事実上は主人なのだから、静香を待たなくてもいいのだが、もしかすると最低の食事の常識とでも思っているのか、それとも、一緒に食べるのが一番美味しいと分かっているのだろう。静香が用意を終えて席に座るのを待っていた。
「お待たせ致しました」
「それでは、食べましょう。頂きます」
真っ先に声を上げたのは一番の空腹を我慢していた者。それは明菜だった。よほど空腹だったのだろう。視線は食べ物から話さずに体に流しこんでいると思う様な食べ方だったが、ある程度まで食べると体と気持ちが落ち着いたのだろう。
「美味しいわね」
と、話を掛けてきた。子爵は食べながら会話するのは礼儀に反すると思っているのだろう。視線を向けるだけで答えた。その代わりに他の者が答えた。
「ありがとう。そうそう、明日で最期なのでしょう。好きな物があるのなら作って差し上げますわよ。何でも良いですから言って下さいね」
「それなら、この都市の名物がいいわ」
「そうね」
「その方がいい」
「思い出になるからいいですね」
「それなら、得意料理ですので楽しみしていてください。もし宜しければ昼は、わたくしの弁当でも用意を致しましょうか?」
「それが、いいわね」
「承知しました。それで、見て楽しむのならいろいろありますが、問題は、何の店に連れて行けば良いのでしょうか?」
静香は、何故か死を覚悟したかのような態度で話し出す。今の様子も前の様子も普通ではない。それでも、様子が変わった原因は何の店か分からないが行きたい場所があるのだろう。それは、誰にでも分かる事だ。明菜と雪は真剣に迷って返事をしないので・・・・。
「都市の事は何も知らないので名の知れている店を案内して下さい」
「そうだね。知っている店に言っても意味ないでしょう。そうでしょう。雪さん」
「そうですね」
男たちが変わりに答えた。だが、二人の女性たちはしぶしぶ頷き、子爵は、無言で食べながら視線だけで答えていた。この男たち以外は楽しんでいる会話は食後の後も続き、新が欠伸の声を響かせるまで続いた。女性たちは不満を表したが、子爵の一言で・・・・・。
「少し早いが部屋に戻って休んだ方がいいと思いますよ。ここ何日で、気持ち的には感じてないでしょうが、体は疲れていると思います」
この言葉で、普段よりも早く部屋で休む事になった。当然とは変だが、子爵の言う通りに体は本当に疲れていたのだろう。横になると寝てしまった。その頃になると、静香も食器などの洗い終わり館から出る所だった。
「今日もご苦労だった。明日も頼むぞ。それと案内の方もお願いするからな」
「ひっひっひっひ」
顔を真っ赤して、何か変な妄想でもしているのだろう。
「それでは、手を出しなさい。少しだが感謝の気持ちを渡しておこう」
「わたくしには想い人がいるのですよ。夜伽でもしろと言う考えなのね」
また、変な思考が始まるのを、子爵は恐れた。
「いいから手を出せ」
「きっやぁ」
「これは、前金だ。案内が良ければ、また後金を渡す気持ちがあるぞ」
静香が手を出さないので仕方なく、自分から手を引っ張って手の平を向かせた。と同時に、悲鳴を上げそうだったのだが、手の平の金額を見ると悲鳴が止まった。
「えっ頂いていいのね。これで、服を買おうかしら、それとも、装飾品などもいいわね。ぐへへへ、それとも、あの人の釣り道具しようかな、したら、一生に残るほどの沢山の、ぐへへへ、愛してくれるかもしれないわね。どうしましょう。どうしましょう」
「明日は少し早く来るのだぞ。それと忘れずに案内を頼むからな」
また違った妄想が始まり。踊りながら館から出て行った。そのために子爵の言葉は聞えないようだったが、後金との言葉だけは耳が微かに動いたので聞えていたはずだ。当然、早く仕事を済ませて買い物に行く為に、明日は普段より早く館に来るだろう。
「まあ、あの喜びの様子では早く来るだろう」
玄関の扉を閉めれば一日が終わる。その安心からだろう。欠伸が自然と出ていた。
「自分も可なり疲れている様だ。少し早いが休むとするか」
子爵が玄関の鍵を閉めると、自室に帰り扉を閉めた。
「カッチリ」
この時、鍵音に似た音が、ある場所で響いた。この館の者も、どの国、町、村の人々も、誰一人として機械音を聞く事も、これから、何が起きるのか想像できる者も居なかった。
「カッチリ、カッチリ」
同じ機械音が増えてきた。
「カッチリ、カッチリ、カッチリ」
始めは、鍵の開け閉めか、それとも時計の音かと思ったのだが、時間が過ぎる毎に、音も増え、大掛かりな駆動系の音が多くなってきた。そして、この場に人が居た場合は耳を塞ぎたくなる程まで大きくなった。そして、これ以上は、駆動系の限界かと思われた頃に、別室では、人の言葉なのだが機械的な響きと思える声が響く。
「起動は完了しました。実行指示を与える前に、音声認識が必要です。一時間以内に音声認識が無い場合は、停止起動に入ります」
機械的な響きは、同じ内容を繰り返していた。それは、十分、三十分、四十分と時間が過ぎるが、答える者が居ないと思った時だった。
「停止起動は解除、その後は、休止起動を解除後に通常起動を完了しなさい。そして、都市の自爆、じば・・」
「都市の自爆」と指示をするのだろうが、途中で終わってしまった。その先もあるのだろうが、不思議な事に言葉が切れた。それ以上に不思議と思われるのは、最新の器機の起動をさせるのに、支持を与える方は磁気テープに似た物だった。もっと正確に言うと、蓄音機だった。それもプラスチックの容器で記録と再生する物としか思えなかった。だが、途中までの指示だったが、正確に起動を始めた。そして、都市は少しずつが目覚め出した。古い機械だから時間が遅いのか、それとも、周囲の影響を自動的に感じての起動とも、都市の機械の不具合を自動修復しているとも思える感じだった。そして、この都市から一番近いところから影響が現れてきた。
「何故、霧の濃度が薄くなっているのだ。このままでは霧が晴れるぞ」
都市の影響を始めて感じ取ったのは、霧の隠れ里の長老だった。だが、殺気や不審を感じたのではなかった。普通の朝の日課だった。始めの目的は都市機能の点検と休止状態の確認だったのだが、何十年と過ぎると、健康を保つための散歩になっていたのだ。
「このままでは、都市が起動するだけでなく、里を隠せなくなる。だが、なぜ、起動する場合は、人の言葉でと設定したはずなのだが・・・」
長老は愕きで立ち尽しているのか、それとも、今度の対策の思案のために答えが出ずに、精神的から体が固まって動けない様にも思えた。そして、怒りで体の自由が戻ったようだ。
「あの婆だな、こんな仕掛をしていたのか、道理で死ぬ時に笑ってやがったのか」
自分が戦った記憶であり。明菜、雪、新、晶の親の戦いでもあった。別名では、十人神の戦いとも言われていた戦いだった。その時に、最期の生き残りの長老が都市機能を封じるために鍵を設定したのだった。
「あの四人を直ぐにでも呼び戻さなければ」
そう呟くと、長老は気持ちでは駆け出しているのだろうが、歩いていると変わらなかった。そして、少ししたら休むので普段の通りに歩いた方が早いと感じられた。それでも、老人の特有なのか、恐ろしく早起きだったのが救いだった。やっと、元長老宅に着いた頃は、まだ、数人だけが起きているだけで、朝食の準備だけでなく作る者たちも起きていない状態だった。それ程の時間なのに鐘を鳴らした。さすが、緊急事態を知らせるだけはある。良く響き、村全ての人を起こしたと思える人々が集まってきた。
「長老さま。何事ですか?」
集まった人々は、それぞれの思いで、武器を持つ物や火事だと感じてバケツを持って現れたのだ。殆どの者は、火事としか考えていなかったのだろう。バケツを持ち者が多かった。それから、皆は気持ちが落ち着いたのだろう。周りを見て不審を感じたのだ。
「霧が薄くない?」
「そうだな」
「早朝は、こんな感じなのか?」
皆は、鐘の音の原因で騒いでいたが、又、違う不審を感じて騒ぎ始めようとした時だ。
「気が付いていると思うが、このままでは霧が晴れる」
長老は、ここまで戻るのに体力は殆ど使い切ったと思われたのだが、声だけは、まだ、年寄りとは思えない大声だった。
「長老さま。霧が晴れたら、村は、どうなるのでしょう?」
「終わりだ」
「えっ」
「霧が晴れて数日で、村に接する国々が、自国の領土にするために攻めて来るだろう」
「逃げるしかないのですか?」
「一つだけ考えがある。至急に、あの四人を連れ戻すのだ」
「村一番の馬の乗り手の、自分が行って参ります」子爵から旗を渡された者だった。
第五十四章
「瞬(シュン)頼む。痛いだろうが急いでくれ」
男は、自分の馬でもないのに、馬に鞭を打ちながら涙を探していた。恐らく、今まで一度も鞭を使用したことがないのだろう。それだけでなく、愛馬の様に愛しく思っているのだろう。いろいろな理由があるが、その中でも村で一番の早い馬だからでもない。自分と同じ名前なのが一番の理由だった。だから、鞭を使うのは自分に打っていると感じるから涙まで流すに違いない。その思いが馬にも分かるのだろうか、霧で数メートル先も見えないのに、全力で走り続けているのだ。馬も男も怖いだろうが、男は馬を信じて怖いと感じてない。ただ、時間だけを気にしている様なのだ。それ程まで馬を信じている気持ちが馬にも分かるのだろう。野生の本能だけを頼りに全速力で走り続けていた。それで、男は、長老の指示で走っているが、四人が、どこに居て、どの方向なのかと分かっているのか不思議に思うだろう。だが、この男には都市だけでなく館に居る事まで分かっているのだ。それは、子爵から直接に旗を手渡された者だったからだ。それだけでなく、子爵が脅されているか、それとも間者なのかと、本当に信じられる者なのかと、館まで行くだけでなく一日の行動も調べていたからだった。
「苦しいだろう。だが、我慢してくれ。村人の命が掛かっているのだ。頼むぞ。頼む」
だが、どんなに急いでも馬に乗ってまま都市には入れない。近くの森まで行き、後は壁をよじ登るしかないのだ。その様に思案している間に、霧を抜け、砂地も抜けて、そろそろ、目的の森に着こうとしていた。
「瞬、ありがとう。もういいぞ」
言葉分かるのか、いや、気持ちが分かったのだろうか、乗っている主を気遣いながらゆっくりと止まった。
「ごめんな。疲れただろう。後は帰っていいからな」
瞬は、馬の激しい息遣いを落ち着かせようと、馬の背を撫でながら気持ちを伝えていた。
「ありがとう。後は、ゆっくり帰れよ」
少し、息切れが落ち着いたと感じて安心した。本当なら落ち着くまで居たかったが、時間が惜しいのだろう。言葉だけ掛けると、都市が有る方向に駆け出した。馬が走るほどの速さではないが、人としたら可なり早い。村のためと言うよりも、自分の妻や子のためなら命を懸ける。その意気込みからに違いない。
「さて、また、塀を登るか」
瞬は、二本のナイフを器用に塀の裂け目や隙間に刺しながら登って行った。それは、地面を這う様に簡単そうに見えるのだが、何故か、不満そうな表情を浮かべたかと思うと、笑みを浮かべるのだ。
(瞬(シュン)が居れば、塀の半分を飛び、その背の上から半分跳べば簡単だったのだが、帰すのでなかった。いや、あれ以上、無理をさせられない。鞭の痛みも我慢してくれたのだ。その気持ちを返すぞ。褒美のにんじんをやるからな。楽しみにして待って居ろよ)
と、考えていた。普通なら妻や子の事を思い出すのが普通だと思うのだが、それほどまで、馬が心配なのか、それとも、自分では気が付いていないが、家族以上の愛情が心の中にあるのかもしれない。
「ほう、数人の旗を持つだけの兵でも、この警備なら作戦は成功だな・・・それとも、この兵の数なのは・・何か、あったのか?」
塀を登り続けて、顔一つ分だけ出せる所まで来た時だった。歩く気配を感じて見回した。
「不審を感じるが、それよりも、あの方たちを村に帰ってもらうのが先だ」
気持ちでは、直ぐにでも都市の中に入りたいのだが、警備の者が見回りしているので上がれないでいたのだ。それでも、一分、二分と過ぎると焦る気持ちが膨らんできた。その気持ちを抑えて上がる機会を思案していた。
(この男が上司に敬礼を返す。その一瞬の間しか機会は無いな)
何が機会かと言うと、警備する兵達は与えられた所をロボットの様に規則的に歩き回って終わると、異常がないと報告していると思われた。その一瞬だと感じたのだ。
「よし」
その考えは成功したので、意思とは関係なく声が出てしまった。馬鹿なことをしたと、焦ると同時に、都市側の壁に死ぬ気持ちで張り付いた。もしかしたら、兵士が調べに来るのかと暫く悩んだのだが、考えすぎだと心を落ち着かせえて、塀を登って来た時と反対のやり方で都市の中の地を踏んだ。後は、地面の上を、身を隠しながら走るなど簡単なことだった。勿論、何の問題もなく館の玄関の前に着いた。それでも、息を整えないと扉を叩くことが出来ないほど疲労していた。
「ドン、ドン、ドン」
子爵の部屋が玄関から一番近いからだろうか、それとも、四人の男女は聞えているが無視しているのか、それは分からないが、仕方なく玄関まで出てきた。
「なんだ。早く来いとは言ったが早すぎるぞ。それにだ。裏口の鍵なら渡したはずだ」
子爵は、静香だと思っていたが、なぜか扉を叩くのをやめない。不審を感じて扉を開けるか迷ったが、開けない限り扉を叩くのを止めないだろう。仕方なく扉を開けた。それしか選択がなかったのだ。だが、扉を開けて立っていた人物は、旗を渡した人物だった。
「失敗したのか」
「いいえ。計画は順調です。成功と考えて良いです」
「なら、まさか、岩魚を持ってきたのか?」
「いいえ。長老が御呼びです。と言うよりも村の危機なのです」
「危機?」
「ですから、直ぐに村に来て下さい」
「俺だけでいいのか?」
「正直に言うと、四人の子供たちが必要なのです」
「やはり、そうか、それで何が起きているのだ?」
「訳を話す時間も惜しいのです」
「あの四人は、理由を話さないと行かないぞ」
「村に覆っている霧が晴れるのです。それだけでなく、不思議な建物が見えるのですよ」
「霧が晴れる。それだと、村を隠せないぞ。そうなれば必ず攻められる」
「ですから、至急に村に帰って欲しいのです」
「わかった。直ぐに出よう。その間まで適当に椅子にでも座って待っていてくれ」
(だが、あいつらには何て言うべきか・・・・)
と思案しながら二階に上がっていたのだが、珍しい事に起きていて部屋から出るところだった。それも、雨か雷か、いや地震だろうか、起きる予感を感じるほど珍しい者を見た。
「子爵さん。おはよう」
「えっあっ、明菜さん。おはよう」
子爵は、顔を引きつりながら挨拶を返した。この早起きと、喜び溢れる笑みは、今日の予定の観光だろう。それが行けなくなったと言った後の表情は見たくも想像もしたくない。
だが、伝えなくてはならない。それも、出来れば個別に説得した方が精神的にも楽なのは確かなことだった。一人でも苦痛なのだ。それが、二人でステレオ、三人集まってサラウンドで怒鳴られるのは精神的に耐えられない。恐らく、三人では死ぬ気持ちを味わうはず。
「あら、明菜さん。おはよう」
雪でも、明菜が起きているのに愕くのだ。それ程に珍しいことを証明されたと同じだ。
「雪さん。おはよう」
「あっ、子爵さん。おはよう御座います。それでも、どうしたのです?」
「その・・・・・」
さすがと言うべきだろうか、それとも普通なのだろうか、明菜は喜びの余りに何も気が付いていないが、雪は部屋の前に、子爵が居る事に不審を感じていた。何て言うべきかと悩んでいる時に、想像もしたくない声が響いた。
「おはようございます」
普段は裏口から無言で入って仕事をするのだが、今日は、案内とは名ばかりの客分の気分なのか、玄関から興奮した様子で現れた。と思ったら駆け足で階段を上ってきた。
「もう、こんなに早くから起きて、興奮の余りに起きてしまったのね」
「そうなのかも、えへへ」
「わたくしも、洋服とか想像していましたわ」
三人の女性の会話は途切れなかった。子爵は何とか話しを逸らして村に帰る事を言いたいのだが、出来るはずもなかった。その気持ちに気が付いたのか、それとも、本当に驚いたのだろうか・・・・・。
「子爵殿。この絵は何ですか、この建物が見えたのですぞ」
「何の事だ?」
意味が分かったのだが、子爵は、子供でも分かる素人の演技の様な驚きを表して、話題を変えようと真剣だった。
「えっ」
「建物が見えるの。えっ、それって、どこで見えたの?」
「何の話?」
静香は、意味が分からず問い掛けた。
「それは、ですね」
話題が逸れて喜んだが、誰も、子爵の話を聞く者は居なく、悲鳴の声の元に駆け出した。
「それは、どこなの?」
「本当に見たのね。その場所に、今直ぐに案内して」
「それは・・・・」
静香が居るので、言う事は出来なかった。それを伝える様に、静香に視線を向けた。
「待ってよ。今直ぐって何よ。買い物には行かないの?」
「ごめんね。行かないわ」
雪は、心底からすまないと感じているのだろう。目線も合わせる事が出来なかった。
「だって、あんなにも楽しみしていたでしょう」
明菜は、始めは怒りを感じていたが、落ち着いたと言うよりも理由が分からずに、泣きそうな表情を浮かべた。
「本当に、ごめんなさい。でも、あの都市に行くと、謎や疑問が全て分かる様に思うの」
「えっ、嘘。なぜ、そう思うの?」
「なんとなくだけど、一つでも問いがあるのなら確かめてみろ。そう心で感じるの」
「なにそれ、赤い糸が指示をしているの?」
「えっ、うんうん。そうよ。そうなの。そうなの」
雪は嘘を付いた。それが証拠の様に満面の笑みを浮かべた。笑みを浮かべたくなるのも当然だろう。赤い糸と言えば、誰も逆らえない必殺拳と同じだからだ。
「仕方が無いわね。今回は諦めるわ。その為の旅なのだからね」
「ごめんね」
「でも、用事が片付いたら都市に戻って観光よ」
「いいわよ。それなら安心して楽しめるわ」
「約束よ。それにしても、あの二人の馬鹿は、まだ寝ているの?」
普段なら、自分が最期まで寝ているのに、完全の八つ当たりとしか思えなかった。
「自分が、起こしてきましょう。それから、皆に、話をしなければならない事があるのです。食堂で、飲み物でも飲んで待っていて下さい」
「・・・」
「それと、静香さん。今日の案内は見送る事にします。ですが、案内料金は払います。その前に、飲み物と朝食の用意もお願いします」
「仕方ないわね」
静香が騒ぐ前に話し掛けた。今では完全に扱い方を憶えた。金と自分にとって関心だけを答えればいいのだと、やっと学んだのだ。そして、瞬に、もう少し時間が欲しいと言うつもりだったのだ。だが、絵の前から動かずに見詰め続けているのだ。それを見ると安心して、それぞれの部屋に向かった。先の部屋は・・・・・。
「新。起きろ」
部屋の扉を叩きながら声を上げた。なぜ、新の部屋からなのかと言うと、晶は早く起きる方だが、それよりも、新よりは図太くないので大声を上げたら、その声で起きるはず。これなら時間の短縮になる。そう考えたが、その考えは半分だけ成功した。
「どうしたのですか?」
新が、先に起きて来るのかと思ったのだが、晶が起きてきたのだ。
「直ぐに村に帰る。支度をしてくれ」
「何かあったのですね」
「そうだ。だが、村に帰らなければ理由は分からない」
「わかりました」
「それよりも、この馬鹿を起こさなければならない」
「それでしたら、鍵は開いていますので、直接に起こしてみては、どうでしょう」
「えっ」
子爵は、鍵が開いていると言われ驚いた。新は、好んで鍵も開けているのでも、忘れたのでもない。それは最近の事だった。明菜が起きなければならない時は、起こしてあげると言ったのだ。だが、本心は用事がある時に部屋に入れないと困るからだった。優しい口調だったが、目線から判断すると強制的に鍵を開けて寝ろと命令と同じだった。それに気が付くはずも無い。そんな子爵は扉を開けて部屋に一歩、二歩と踏み出そうとした時だ。
「もう起きています」
「えっ」
と、突然に起きだしたのだ。子爵は不思議に感じるのは当然だろう。あれだけ騒いで起きないのに扉を開けたら起きたのだ。だが、これには理由があったのだ。明菜は何度か起こしに来て不快な気分を感じたと怒るので、脳内の記憶では、扉の音と人が踏みしめる音は人体の危機と記憶されていた。それで、突然に起きたのだった。
「起きたか」
「なんだ、あんたか、なら、まだ寝る」
「待て、村に戻る事になった。直ぐに支度しろ」
子爵は不機嫌ではなかった。相手が穏やかならば穏やかな態度で、敵意なら敵意で返すのだ。新は、寝起きが悪いのか、可なり不機嫌だった。
「観光は、どうした?」
「さっきも言ったが、直ぐに村に戻る事になった。だから、観光はしない」
「雪たちは?」
「食堂にいる。朝食だけは食べて行く、だから、その前に支度は終わらせてくれないか」
「分かった」
「・・・・」
「男の前で着替える趣味は無い。先に食堂に行ってくれないか」
子爵が部屋から出て行かないので怒りを感じた。子爵から言わせれば、普通に話して居るようだが、顔の表情を見たら起きているとは思えないからだ。
「そうする」
部屋から出ると、晶が荷物を持って立っていた。
「支度は出来たのですか?」
「はい」
「食堂に行きましょう。雪さんたちが居ますよ」
「はい」
新が出てくるのを確認することなく、二人は食堂に向かった。そして、中に入ると、朝食の用意は出来てなかった。それでも、テーブルの上には紅茶だけが置かれてあり。何杯か飲んで時間を潰した証拠が、それは、飲み終えた葉っぱが置いてあった。
「おはよう」
晶は、三人の女性に朝の挨拶をした。
「新は?」
「子爵が起こしたみたい」
「簡単に起きるなんて珍しいわね」
第五十五章
「おはよう」
新は、子爵に見せた不機嫌な表情でなくて清清しい表情で挨拶してきた。もしかすると、明菜がいるからなのか、寝起きが悪いのか、それは、子爵には判断が出来なかった。
「皆が、起きてきたわね。それでは、朝食の用意でもします」
「静香さん。ありがとうね」
「いいのよ。村から至急の用事なのでしょう。危篤とか、何か良くない事でないのを祈っているわ。それと、今度、また来た時でも案内してあげるからね」
「ありがとう」
三人の女性は、新と晶が起きてくるのを待っていた。その間、今日行く予定だった様々な場所の話題をしていたのだろう。だが、静香が先に話題にしたとは思えない。恐らく、いや、絶対に、仕事をさっさと終わらせて買い物に行きたいはずだからだ。それでも、二人の女性から頼まれて仕方なく話したに違いないが、嫌々でなく、三人の女性は楽しそうな話しをしていたのだろう。その証拠が飲み終えた葉っぱだ。何故と思うだろうが、それは、案内するはずだった所を興奮して話したので喉が渇いて飲んだのだろう。
「新。私でなくては起きられない。そう言ったのに起きられるのね」
「今日は特別だよ」
「そう、でも、起きられるなら晶にでも起こしてもらったら」
「今日はだけは特別だって、だから、これからも・・・頼むよ」
「もう、そこまで言うなら仕方が無いわね。考えておくから座りなさいよ」
「・・・・・・」
雪は真っ赤な顔して俯いた。変な想像をして顔に表れているとでも思ったのだろう。それを隠そうとしたみたいだ。だが、接吻でもしながら起こしているのかと想像しているのだろうが、そんな甘ったるい感じではなかった。それでも、寝起きで初めて見たいのが好きな女性を見たかったのだ。
「何か遅くない」
明菜が、誰にとでないが呟いた。
「えっ」
晶が問いかけようとしたら、直ぐに・・・・。
「朝食の用意よ」
「あっ、チョット見てくる」
「私も行くわ」
二人の女性は食堂に向かった。そして、思いたくないことだったが、静香は食堂に居なかった。その事を、子爵に伝えようとした時だった。
「ごめんなさいね。直ぐに用意するわ」
「手伝います」
「私も」
明菜と雪は、静香が逃げるとは思っているのだろうか、それとも、少しでも早く朝食の用意をしたかったのだろう。
「ありがとう」
「なら、パンを焼いてくれない。それと、チキンスープを温めてくれると助かるわ」
「私は、ハムエッグを作るわ」
明菜と雪が驚くほど、静香の料理の手際は早かった。二人に言わせると、あっと言う間とでも言うのか、終わると、二人の手伝いを始めたからだ。そうなると、静香に任せるしかなかった。下手に手伝うと邪魔になるからだ。それで仕方なく・・・・。
「出来上がったのを運ぶわね」
明菜と雪は提案した。
「ありがとう。お願いね」
何を運ぶのか、その視線も向けずに準備をしながら答えていた。雪は、ハムエッグを運び、明菜は、パンを焼いては運んでいた。この時、一人の男が驚きを表していた。それは、何故かと思うだろう。突然に来たのに朝食が用意されたからだ。断ったのだが、食べながら詳しい内容を聞かせてくれと言われて仕方なく装うが、空腹だったのは確かだったので嬉しそうだった。そして、静香が鍋ごと食堂に持って現れた。
「遅れて、ごめんね。スープは沢山あるからお替りして」
「頂きます」
誰も苦情を言う者はいなかった。もしかすると空腹だったのだろうか、それとも、食べ終えてからでも苦情を言う考えなのか、それは、分からないが、食事の挨拶をすると、何も言わずに食べ始めた。
「これ、気持ちだからね」
そろそろ、食べ終わる時だった。静香は、無言で立ったと思うと、食堂から出て行った。その様子を目で追うが、誰も何も言わなかった。そして、直ぐに何かを手に持って現れた。
「えっ」
テーブルの上には箱と七枚の皿が置かれた。その中を見ると、イチゴのショートケーキが入っていた。
「この店はね。今日、皆で食べに行く予定だったから予約していたのよ。でも、行けないでしょう。前金も払ったし、だから、物だけ貰ってきたの。でも、一個追加だから、朝食が遅れて、ごめんね」
「もしかして、俺の為か?」
「違うわ。私の好きな人の分よ」
と、言っているが嘘だった。ある程度の個数は作ってある。時間が掛かったのは開店前であり。早朝だから普通なら起きていないのを無理やり叩き起こすのに時間が掛かったのだ。何故、そこまでするのか、それは、想像が出来るだろう。前金と言ったのだから、その費用を貰えると思っているのと同時に、次の案内の予約のつもりだった。それでも、開店前の店に行って、無理やりの様に買ってきた気持ちは喜んで欲しいのは本当だろう。当然だが、予約料もケーキ代金も後から子爵から頂くのだが、それだけでなく、建物から出る別れの挨拶の時に、明菜と雪が、子爵に言うのだ。「予約料とケーキ代を渡して欲しい」と、二重取りする事になるなんて、静香は、想像もしていないはずだ。
「その様なことは、もういいでしょう。早く食べましょう」
明菜は、早く食べたいので、二人の話を中断させた。
「そうね。時間が無いのでしたね。なら、早く食べましょう」
「うんうん」
「静香さん。私たち必ず、この都市に来ます。その時は案内して下さいね」
「そうだな。また来よう。だが、菓子も美味しいが、その時は、女性の好みだけでなくて、俺たち、男性も喜びそうな所も頼むよ」
「それは、駄目ね。でも、晶はいいわよ」
「なんでぇ」
「それは、当然でしょう。まさか、浮気がしたいの?」
「それは、大げさだろう。そうでなくて・・・・・・地酒とか・・だよ」
しどろもどろで話すのだ。九割は、明菜の考えた店に行く考えだったのだろう。その二人の話の中で、聞き取れない声と視線のやり取りがあった。
「晶さんも駄目よ」
その声は、雪だったが、声は小さいが目線では鋭い視線を晶に向けていた。その視線の意味が、新の「男性も喜ぶ」と言う言葉で感じ取ってはいたが、声には出さなかった変わりに、首を横に振りながら手も横に振って、「行かない」と伝えていた。
「ゴッホン」
瞬が、延々と続きそうな感じなので、咳払いで正気にさせようとした。だが、それに気が付いたのは、子爵だけだった。
「それでは、食べ終わった事だし、村に急ぎましょうか」
「まあまあ、何て言う事を、もしかして」
「これは、ケーキ代です。それと、予約金も渡しておきますよ」
静香が、また、相手の思考を狂わせるような言葉を吐く所を、四人の男女に見えないようにして、静香の左手を握ると金を握らせた。それと同時に、耳元でも囁いた。
「お忙しかったのでしたね。後は片付けておきますし、またの再会を楽しみしていますわ」
静香は、鬼の様な金の亡者ではないのだが、それでも、金銭的には困っているので、金の感触を感じると買う物を考えてしまい、心や思考が切り替わってしまうのだ。
「済まないな」
「いいのですよ。それよりも、都市から出られるのか、それが心配です」
「それは、大丈夫だろう。岩魚を釣るのに頂いた。その許可書がありますからね」
「そうでしたの。それなら安心ですね」
「ああ、ありがとう。それで、支度は終わっているのですね?」
子爵は、静香に適当に返事をした後に、四人の男女に視線を向けた。
「出来ているわよ。皆も同じでしょう」
明菜は返事をすると同時に、他の三人にも問い掛けた。当然、三人は頷いた。
「なら、馬車に運んでおきます。少しの時間だが館の中を見てもいいですよ」
「そうね」
「うん」
二人の女性が頷くと、その後に男たちは付いていくが、明菜は二階へ、雪は地下室に向かった。
「晶さん。わたくしね。この絨毯の下が心配だったの」
「えっ」
「これなら大丈夫ね。折り目も、潜った後も残ってないわ」
「そうだね」
「なら、もういいわ。子爵さんの所に戻りましょう」
「もういいの?」
「うん」
雪の気がかりは、絨毯の下の秘密の地下室だった。自分たちが最期で地下室のある物が風化するまで、誰にも見付かって欲しくなかったから痕跡を確かめに来たのだ。そして、子爵の元に戻ってみると、明菜と新もいたのだ。
「早かったわね」
「うん。また来るでしょう。忘れ物がないか確かめただけよ」
「そう、私も」
「それなら、村に向かいますよ」
その言葉で、新と晶が、先に馬車の中に入った。やはり女性たちは名残惜しいのだろう。馬車に入る時に、建物を目に焼付けようとしたのが、暫くの間みていたが、子爵も瞬も何も言わなかった。その時に・・・・・。
「行くのですね。またのお会いできるのを楽しみしていますね。必ず来てくださいね」
玄関の扉が開いて、静香が手を振りながら見送った。
「忘れていたわ。子爵さん。観光案内の前金を渡してくれない」
「ねえ、お願い」
「仕方が無いですね」
目を潤みながら生涯一度の願いを頼むと、二人の女性に言われては、先程、静香に前金を渡したとは言えず、仕方なくお金を渡しに行った。静香は、金を渡された事に意味が分からないために、また、信じられない妄想を考え叫びそうだったが、二人の女性の言葉と笑みで理由が分かり。満面の笑みを浮かべながら見送っていた。
「馬車を走らせます」
「待って。子爵がまだ帰ってきてないわ」
「この程度の馬車の速度なら走れば追いつきます」
「待ってくれ」
瞬は、自分が知らせに着てから二時間は経過しているので、もう、これ以上は待てないと感じたのだろう。子爵が帰るのを待たずに馬車を走らせた。
「はっあはっあ。追いついた」
「子爵さん。渡してくれたの」
瞬の言う通りに追いついたが、死ぬ気で走ったかのように息を切らせていた。雪の言葉の返事も直ぐにはできずに頷くだけだった。そして、息を整えてから答えを返した。
「渡してきました。あの感じでは何年後だとしても憶えているでしょう」
「よかった」
「そう、何年後でも憶える位の金銭を渡したのね」
「それは、内緒と言う事にしましょう」
笑みを浮かべて答えを誤魔化した。その子爵の態度とは違って、瞬は馬車を走らせて別れの挨拶が出来なかったからの謝罪の気持ちだろうか、二人の女性を安心させようと・・・・。
「まあ、開店前に店主を起こしてケーキを食べさせようとしたのです。友人と思わないとしないと思いますよ」
「そうね」
「そうよね」
思惑の通りに、二人の女性は安心して馬車の中の席に座って会話を始めた。
「女性には甘いですね。男の自分を置き去りにした同じ人とは思えない」
「それは、子爵も同じでしょう。二度の前金も渡すのですから女性には甘い。あの場合は言葉だけでも良かったと思えましたがね」
「気が付いていたのか?」
「食堂の時に、前金を渡したことでしょうか?」
「何の話なの?」
御者の席と馬車の境のカーテンから手を伸ばして、明菜は、二人の肩を叩いた。
「何でもないですよ。男の詰まらない話題ですよ」
「ほうほう」
「新と晶のように寝ていてもいいですよ。村に着いたら起こしますから」
「ありがとう」
直ぐに馬車の中に戻った。雪に呼ばれたのか、女性には聞かれて困る話の邪魔をしたとでも思ったのだろう。また、馬車の中で話し声が聞こえてきたが、馬車の揺れが眠気を誘ったのか、城門に着く前には声が聞こえなくなっていた。恐らく、寝てしまったのだろう。
「どうしました?」
また、班長が警護小屋から現れた。この人は休憩を取っているのか、それとも、それほど部下が役に立たないのかと、子爵が不審を感じた。
「釣りですよ」
御者席から降りて書面を見せた。
「馬車で?」
「今度は、主が自分で釣りたいと言われたのですよ」
「そうですか、許可証があるなら許しますが、外は各国の旗を持った暴徒がいるので気をつけて下さいよ」
「旗?」
(暴徒だと、何か合ったのか?)
驚きの表情を隠すのと同時に、何があったのかと問い掛けたい気持ちを堪えた。
「そうです。その国の者なのか本物の旗か分かりません。ですが、もし偽物の旗でも矢を射抜かれたら戦になりますので、都市から出るのに許可証がいるのですよ」
「えっ、釣りでも宜しいのか?」
「それなのですよ。どこかの馬鹿が釣り大会など考えたので、釣りに出る者が多いのですよ。そのお陰で休んでもいられません」
「えっ、それでは、私たちは出てもいいのでしょうか?」
「まあ、貴族と商家の大金持ちの大会でしょうから許可書があれば許しています。あなたの主も似た様な方なのでしょう」
「まあ」
第五十六章
「詳しくは聞きませんが、貴族と商家の坊ちゃんとは争いはしないで下さいよ。旗を持つ暴徒たちを挑発されては困ります。それだけは守ってください。それと、噂ですが、旗が掲げられているので、その国々の正規兵が向かっていると噂されているのです」
「ほうほう、それは危険ですな。十分に気をつけます」
「それでは、お気をつけて」
隊長は書面よりも会話をして人の判断しているようだった。一般兵が隊長の笑みと手を振ることで開門の指示をしているようだった。やっと長い会話が終わり都市から出られた。だが、瞬は気持ちを落ち着かせる事が出来ないでいた。それでも、都市から出ても急いで馬車を走らせることは出来ない。なぜと思うだろうが、急いで馬車を走らせれば何事かと思われる。それが、何もない地に向かって目立つ行動をすれば里の場所が分かってしまう。今までの通りに霧に隠れているのなら安心だが、今の状態では危険だからだ。
「砂嵐も緩いな。感の良い者なら村に行けそうだ」
「自分が里を出た時は、まだ、もう少し砂嵐は濃かった」
「そうなのか」
「はい。これでは、霧が心配です」
「俺も、そう感じてきた」
砂嵐が収まり始めると、今までなら靄が辺りを漂い始めて進むごとに視界が見えなくなるのだが、今は違う。靄はあるのだが、村も湖も、その先には、館で見た絵と同じ建物が見えるのだ。だが、湖の水が少ないのだろう。絵ではお椀のぎりぎりまで水に隠れていたので都市に見えたが、今では、建物と言うよりもお椀の中にある建物が入っている様な感じだ。まるで、それは船と思える物だった。
「ここまで変わるとは・・・・これでは直ぐにでも見付かってしまう」
驚きよりも、瞬は泣いていた。
「これでは、至急に戻れと言うのは当然だな。だが、あの四人が何か出来るのか?」
「村長に何か考えがあるのでしょう」
「だと、良いのだが、もしかすると・・・・・」
(殿下を連れて逃げろ。と言うのでないのか。俺には、それとしか考えられない)
「何ですか?」
「あの都市に住むのか。そう思ったのだ。あれだと守りが確りしている」
「鉄壁の防御でも何の援軍もなく。一生の間、都市から出ないでは暮らせません。何時かは滅ぼされます。それが子供たちの時だと考えると恐ろしい」
「その様な考えは分かっているだろう。長老は何か良い考えがあるはずだ」
「そうですね」
「手綱を頼む。四人を起こしてくる」
「分かりました」
手綱を瞬に渡すと、子爵はカーテンを引いて中に入った。寝言の様な言葉を吐く声が聞こえてきた。無理やりに起こしたので夢と現実が重なって驚いているのだろう。その後に、四人の、それぞれの欠伸が聞こえてきた。
「もう着いたの?」
「そうだ。外を見てみろ。驚く物が見えるぞ」
「驚く物?」
「そうだ。夢を見ていると感じるはずだ」
「えっ」
四人は驚きの声と同時にカーテンを開けた。
「あれは何だ?」
「あの館にあった絵とそっくりだぞ」
「本当ね」
「でも、なぜ、霧が晴れたの?」
「分からない。だが、長老に呼ばれたのだ。何か知っているかもしれない」
四人の男女も、子爵と瞬も都市から視線を逸らせる事ができなかった。馬は興味がないのか、見えないのか、それとも、村に着けば餌がもらえて、体が休める。その思考だけなのか、手綱で操らなくても正確に里に向かって行った。
「カンカン」
と、木槌を打つ音が聞こえてきた。その音で、馬車に乗っている者は正気に戻った。この時になって里の門が見えるのにも気が付いたが、木槌を鳴らしているのは、帰ってきた事の祝福ではなく、馬車が見えたので危機と感じての警報だったのだ。近づくにつれて、門には大勢の人が集まっているのが見えたが、出迎えでないのが直ぐに分かった。里の者たちは武器や武器になりそうな物を持って構えていた。
「おおい」
御者の席から立ちながら手を振っていた。里の人たちも誰が来たと分かって安心したのだろう。戦う気持ちを忘れて同じ様に手を振って出迎えた。だが・・・・・・。
「竜巻は、どうでした。里を守るように強かったの?」
「霧って晴れてしまうの?」
「村を出るって本当なの?」
「あの都市は何なの?」
「今までの通りに住めるのよね」
「あの都市に移り住むって本当なの?」
「里に攻めに来るって本当なの?」
里の人々は、馬車の周りに集まってきたが、誰一人として無事を心配する者は居なかった。それだけでなく、里の事や自分たちの心配と、村に起きた出来事を言うと助けを求めるのだ。だが、言われる方は何も言う事は出来ない。ただ、心配しないでくれ。と長老なら何とかしてくれるだろう。と言うしかなかった。
「ごめん。長老の元に行かなければならない。頼むから道を開けてくれ」
瞬は、皆の気持ちも里の心配も分かるので泣きながら頼むのだった。その気持ちが分かるのと、長老の指示で来たと言われた事。そして、長老なら何とかしてくれる。そう一人一人が思ったのだろう。皆は道を開け始めた。
「長老なら何とかしてくれるはずだ。それを、俺たちが必ず何とかしてみせる。だから、安心して待っていてくれないか」
その言葉で、皆は無言で返した。それは、どちらでもない返事だった。自分を信じてくれないのは落ち込んだが、すんなりと長老の元に行く事ができた。
「遅かったな」
木槌の音で来るのが分かったのだろう。長老は、正面の玄関の前で待っていた。
「すみません。まさか、遅れた為に手遅れですか?」
「いいや。まだ大丈夫だろう」
「うっうう、それなら、安心しました」
こんなにも面倒な言付けはなかったと思い出していた。普段なら五分と掛からない役目なのが、いろいろあったと走馬灯の様に目に浮かんでいた。だが、気分は悪くなかったと感じてはいたが、それでも、任務としては失敗と感じてもいたのだ。
「それよりも、子爵殿は御疲れでしょう。瞬。案内して一緒に休んでいなさい」
「ですが・・」
「あの瞬も帰っているぞ。会いたいだろう」
「帰っているのですか」
「そうだ。早く会って来い」
「ですが・・・長老の護衛の任務もあります」
「護衛は必要ない。禁忌の場所なのだ。わしと四人しか入れん」
「・・・・わかりました」
長老の真剣な表情を見て何も言うことはできなかった。それでも、立ち尽くしたままなのだが、長老の姿が見える間は護衛の任務と感じているのだろうか、姿が見えなくなるまで見続けた。
「飼い主に待ってと言われた感じの犬みたいよ」
「そうね。かわいそう。連れてきたら良かったのにね」
霧が瞬の姿を隠すまで長老の言葉を待っていた。恐らく、長老は、自分たちに気を使っている。そう考えたのと同時に場の雰囲気を変えようとした。
「今から行く所は、そんな浮ついた気持ちでは困る。四人の未来に関係するだけでなく、里にも周辺の国々にも関係するのだぞ」
「えっ」
「考えたら分かるだろう。人の力で簡単に霧や竜巻を起こせる。そう思っていたのか?」
長老は、四人の驚く姿を見て呆れてしまった。
「まさか、祈れば霧と竜巻が起きると思っていたのでは無いのだろうな?」
「違います。長老には理解は出来ないでしょうけど、地下の下を走る乗り物や礼司と自分の名前を名乗るだけでなく、意思を持ったカラクリ人形にもあったのです。それを見た経験がありますので、祈るだけで解決ができるなんて子どもの考えですよ」
「礼司だと、まさか、蘭に会ったのか?」
新は、長老に自慢する様に話していたが、聞いた事のある名前が出てきて驚かすはずが、自分の方が驚いてしまった。
「知り合いなの?」
「そうだ。蘭は元気だったのか?」
「あの状態が、元気って言えば元気だったけど、複雑な状態でした」
「そうか、そうか、もしかして幽霊の様な状態だったのかな」
「なぜ、それを・・・・知っているの。もしかして・・・」
「まさか、私たちの誰か一人が、蘭さんと同じ状態にする考えなの?」
男性には無い。女性の感なのだろうか、二人の女性は恐ろしい事を言葉にした。
「安心しなさい。蘭の所は末端の機能みたいな所だが、これから行く所は本体と考えて良い。それだけでなく、全ての機能が完全に機能している。恐らく、何かの不具合でもあったのだろう。意外と掃除でもすれば直るかもしれないな」
まだ若い四人には、笑いながら冗談の様に話をする。そんな年老いた男の嘘には気が付かなかった。それは、人生経験がないのだから当然かもしれない。
「さっきと言った事と違うわよ。もう、脅かさないでよ」
「最悪の状態の時の意気込みの事を言っているのだ」
「でも、掃除するなら、瞬も連れてくれば良かったのに、二人の男がいるけど役に立たないわよ。軟弱だからね」
「・・・・・」
長老は、また、初めの話に戻ったので答えなかったのか、それとも、目的の場所に着いたからなのか、それは分からないが、ある一点を見詰めていた。
「やっぱり、この場所なのね」
「あの絵は、ここから描いたのに間違いないわ」
「でも、そうなると、この里は霧が無い時もあったと言う事になるね」
「そうだな、晶の言う通りだ。もしかすると、ある程度の期間で消えるのか?」
「そうなの、長老さん」
「・・・・・・・」
「ねね、それより、あの都市に行くのでしょう。どうやって行くの。まさか船なの?」
「・・・・・」
長老は何か悩んでいる様で、誰の話も聞こえていなかった。
(わしの指紋で承認させるか、だが、そうすると、もし罠だったら最悪の大仕掛を起動させる原因になるかもしれないが、何も理由を伝えないで承認させる事はできない)
「見ていなさい」
長老は、良い考えでも浮かんだのだろうか、何か吹っ切れた様な感じで歩きだした。その様子を無言で見詰めていた。恐らく四人は、何が起きるのかと想像しているはずだ。そして、一歩一歩と記念碑と言うよりも黒い墓石の様な物に近づき、撫でる様に触り始めた。
「うぉおお、何だ。何が起きた」
何度も黒い墓石の様な物の撫でていたが、動くことも色も変わらないので馬鹿馬鹿しく感じ始めた時だったが、水が流れる音が大きく感じたのだ。ふと、墓石から目を逸らして都市の方に視線を向けると、信じられない光景を見たのだ。その光景は誰もが驚くはずだ。
「何あれ」
都市の方から左右に水が割れたのだ。まるで、都市と水が人を招くために道を作っているようだ。四人の男女は気が付いていないが、長老が右方向に回すように撫でると、右側の水が引く、左の方向に回すように撫でると左側の水が引くのだ。もしかすると、今は人が歩く細さだが、乗り物など大きい物で都市に入るための調整ができると思えた。
「この位でいいだろう」
「・・・・・」
余りにも想像ができない光景を見たので、驚きの一声も出なかった。
「歩けるはずだ。行くぞ」
と、言われるが、四人は一歩も踏み出す事が出来なかった。それで、安心させるためだろうか、長老は何一つ不安が無いと思える。普通に歩くような一歩を踏んだ。
「本当に歩けるようだな」
「ねえ、新が先に歩いてみて」
「えっ、仕方が無いな」
そう言うが、恐る恐ると片足だけゆっくりと踏み出した。そして、チョンチョンと感触を確かめて安心だと思ったのだろう。両足で立った。
「どうなの」
「石のように硬いが透明でガラスみたいだぞ」
「そうなの。なら安心ね。雪、行きましょう」
それでも、二人の女性は、先に晶を先に歩かせて安全を確かめた。
「うぁあ、本当ねぇ。下が見えるわ」
「何で出来るのかしらね」
「それよりも、急がないと置いて行かれるぞ」
長老は、先程から何かの思案が続いているのだろう。四人が後から付いて来ているのかを確かめもせずに歩き続けていのだ。もしこのまま向かいの都市まで着いてしまえば、水が流れ込んで道が消える。そう考えるのは当然のことだから、四人の男女は置いて行かれないように駆け出した。
「待って、待ってよ」
「ん。どうした?」
「だって、私たちを置いて行くから」
「そうだったか、それはすまなかったな」
あと数歩で岸に付く所で、長老は振り返った。それでも、歩くのをやめなかった。
「待ってくださいよ」
悲鳴のような声を上げて走り出したが、長老を追い越して岸まで走り続けてしまった。
「どうしたのだ?」
「この芝なのか、何かの植物なのか分からないが変な感触がします」
「それは植物ではない。人が作り出した人工の物だ」
「ほう」
「向こうに見える木も蔓も人が作り出した人口の物です。引っ張って見なさい。ゴムと言われている物で伸びますよ」
「本当だ。伸びるぞ」
「花も伸びるわ。それだけでなく、同じ形に戻るわ」
無邪気な子どものようにはしゃいでいた。好奇心を満足させる為に手に触ると伸ばし、どこまで伸びるのかと試したと思うと突然に手を離して遊ぶのだ。そして、考えられる全てを試し終えた時に、やっと、長老が待っているのに気が付くのだった。
「どうしました?」
第五十七章
長老は、まるで孫が庭や公園で走り回っているのを幸せそうに見ている姿と同じだった。だが、突然に、四人の男女が、まるで母に食事の時間まで帰るのですよ。とでも言われたのを突然思い出したかのような表情と、恐れやまだ遊びたいと思える表情を浮かべて、お年寄りに視線を向けるのと同じ表情を長老に向けた。
「どうしました」
本当に楽しいのだろう。満面の笑みを浮かべて何に心配しているのかも分からないと、少し首を傾げて問い掛けるのだ。その姿を見ると、四人は自分たちが幼い子どもと同じ事をしたと恥ずかしさで顔真っ赤にするのだ。その姿を見ると益々、長老は不思議がるのだ。
「里の危機なのに、ごめんなさい」
真っ先に謝罪したのは、雪だった。他の三人は同じ事を言っても意味がないと考えたのか、深々と頭を下げていた。
そして、その頃の里では、霧は時間が過ぎるにしたがい薄くなり竜巻も弱まっていた。その様子が変わるのを見ると、里の者たちは落ち着きを無くしていた。その騒ぎで、天猫が起きたのか、いや違う。四人に出合った理由を感じ取ったのだろう。
「我が、何とかしよう」
そう言うと里から出て、砂嵐が起きる場所まで向かった。そして、想像以上に砂嵐が弱まっているのを感じたからだろうか、それとも、悲しみなのか、怒りなのか分からないが叫び声を上げたのだ。その響きは里に聞えるだけでなく周辺の地域にも届き、皆は心底から恐怖を感じていたのだ。それは出会えば食べられる。人間にある野性の肉食獣の恐怖だろう。それでも、里の者は誰の叫び声だと分かるからだろう。発狂までしないが知らない者なら精神が狂う程の恐怖を感じているはずだ。これで暫くの間は隠れ里の周辺に近づく者は居ない。これが、赤い糸の導きで出会った理由であり、時の修正の天猫の役目だったと天猫も気が付いたのだ。だが、何時まで叫び続けたら良いのか分からなかった。
その頃、天猫が問い掛けの内容を答えて欲しい者たちは、まだ、岸に居て都市の中には入っていなかった。
「もう遊び疲れたのか?」
「もう言わないで、里の危機だけを考えるから許してください」
四人には、長老の言葉は怒りを通り越して失望させたと感じ取ったのだ。
「そうか、もういいのか?」
まるで孫が、祖父が好きで遊んでいたと思ったのが、母が消えて泣き出してしまった。そのような悲しい表情を浮かべていた。
「はい。もう里の心配だけを思います。だから許してください。早く都市に入りましょう」
「そうか、なら行こうか」
「はい」
長老は石の城壁を沿って歩き出した。その後を四人の男女が付いていく、それでも、興味は消えるはずもなく、辺りを見回しながら歩いていた。今はまだ、同じ様な風景なので関心は低いが、また違った物を見た時は、里の危機を忘れて長老に聞くだろう。
「これだ」
「えっ」
四人の男女は何を言っているのかと、視線の先を見ると、壁面に四角い物が点滅していた。恐らく、認証する機械だろう。それに、長老は触れた。
「何だ?」
突然、笛のような音が聞こえてきたのだ。
「城壁が開き、我たちを迎える準備の音だから安心しなさい」
音が消えると、静かに城壁が左右に開いた。そして、その奥には木造の様々な建物が見えた。そして、長老は何も言わずに入って行くが、恐らく、一番大きい建物に向かうと思ったのだ。それにしても、木造の建築で十階以上の建物が作れるのかと不審を感じていた。
「開けてみなさい」
やはり、考えていた通りに一番高い建物の前に着き、長老が声を掛けた。それは、大きい建物に珍しいと言うよりも外側に使用するには不向きと思える。襖のような物だった。それだけでなく、絵なのか紋章なのか分からない模様が描かれていた。女性たちは、恐怖を感じているのだろう。視線を男たちに向けた。その意味は開けて先に入ってと伝えているようだった。新は仕方なく扉を開けた。
「何なの?」
驚くのは当然だった。木の廊下が見えたのだ。その廊下の両脇には、まるで旅館か学校の中としか思えないような部屋が何個もあるのが見えた。そして、一番の驚きは・・・・。
「これは木なの、それにしては肌触りや感触が違うわね」
廊下を歩くと、木の柔らかさは感じられず石の上を歩いているとしか思えなかった。
「確かに木だ。だが、十万年は朽ちないらしい」
「うそ」
「都市の機械に教えてもらったが本当らしい。だが、それは残り時間らしい。建造されてから何十万年過ぎたのか分からないが、空にある星から飛んできたらしいのだ」
「星って、空に煌く星の事なの?」
「そうだ。宇宙と言うらしいのだが、星と星は近いように見えるが気が遠くなる程まで遠いらしいのだ。だから、宇宙を飛ぶ時間は無限と思える程まで時間が掛かるらしい。それに、様々な危険などもあるらしく絶対に壊れない物でないと駄目らしいのだ」
「絶対壊れない物なんて出来るの?」
「それが、出来るらしいと言うよりも、この都市が絶対壊れない物なのだぞ」
「ほうほう」
「それで、何かの開発の途中で偶然に壊れない物質が発見されたのだ。まあ、わしらが生きる本当の時の流れか分からないが、未来に行く事が出来たらしい。その時に、ある植物を持って来たらしいのだが、時が止まったかのように花が散ることがなかった。だが、花が存在していた正しい時間になると普通の花になり。そして、砂のように崩れたらしいのだ。それを、ヒントに未来から持ってきた物は、その未来の正しい存在時間まで過ぎないと決して壊れるだけでなく傷も付かないのが分かり、出来るだけ未来から建造の材料を持ってきて建造された。その砂のように崩れるまでの時間が十万年後らしい」
「未来に行けるの。なら、この都市も未来に行けるのね」
「どうだろう。わしらは都市の全ての機能を使えるのでないので未来に行けるかわからん」
長老は、昔に興味を感じて調べた事を思い出しては話して、また、思い出しては話をしていた。それだけでなく、故意に子どもが話すように内容を濁らせていた。恐らく、興味を感じさせて自分で調べさせる考えなのか、都市に連れてきた謝罪の気持ちで言える事だけを話しているとも思えるが、何か思惑がるようにも感じられた。
「どこまで行くの?」
「都市の管理室に向かっている」
「ああ、そこで、霧や竜巻の調整するのね」
「その予定だが、そのように簡単に終わればいいのだが」
「まさか、機械の故障なの?」
「まあ、機械の故障とは考えられないだろう。まだ都市の寿命にはまだあるのだからな」
「なら、どうして?」
「簡単な事なの?」
「それを確かめに行くのだよ」
二人の女性に心配はないと笑みを浮かべたが、目には心の思いが表れていた。それは、機械の故障でないのは分かっている。そして、自分が考えられる事で修復が出来ればいいと考えていたのだった。男たちが何も心配してないのか、と思われるだろうが、女性と男性の思考の違いかもしれない。男たちは、目の前に見える様々な物に思考が奪われていたからだ。まるで、男の子どもがロボットや武器に興味を感じ、女の子が花に心が奪われるように考え方が違っているような感じだ。
「でも、なぜ私たちが必要なの?」
「それは・・・・・あっ・・天猫殿に言われたのだ。不思議な力があると」
「ああっ天ちゃんが・・・・・・そうなの」
それ以上、問い掛けられたら何て答えようかと、長老は困っていたが、それは、明菜も雪も同じだったのだろう。それぞれが、同じように作り笑いで誤魔化していた。
「何階まで行くの?」
気まずい雰囲気を消そうと、雪が長老に問い掛けた。
「地下に行く。確か地下二階のはずだった」
「他の上の階は何の部屋なの?」
「住居だったらしい」
「最上階は見晴らしがいいでしょうね」
「行った事はないが、そうかもしれない」
「何階まであるの?」
「確か・・・十五階だったはずだ」
「そう、十五階もあるの。それだと、登るのは死ぬ気持ちを味わうでしょうね」
「だが、都市の人々は飛べたはずだ。だから、疲れとかは感じないだろう」
「そうね。住んでいる人が全て飛べる人たちなら問題がなかったかもしれないわね」
「そうだろうな」
「でも、大事な管理室を、何故、地下に作ったのでしょうね」
「理由は分からんが、そのお陰で疲れなくて助かっているぞ」
それでも、老人には堪える二階分の階段を降りると、突き当たりには扉があった。
「ここなの?」
「そうだ」
と、返事を返しながら扉のつまみを握った。
「開かない」
「ふふっ、死んだ姿を見て安心しただろう。だが、私は甘くは無いぞ。それと、思いだせてやろう。私の連れ合いは同じ時の流れに存在しない。だから、連れ合いを探すために時を飛べる。なら分かるな。その札は建物と同じ働きをする。さてさて、どうするのかな。うっうう、そろそろ、私の命が尽きそうだ。結果が見られないのが残念だが、結果は分かっていると同じだ。札の効力を消す事ができるはずがない。ぐっふ」
恐らく、都市の機械に声を録音したのか、札に念でも込めたのだろう。だが、全てを伝える前に命が尽きたようだ。
「むむ」
「何しているの。長老さん。早く札を剥がして入りましょう」
「それが出来ないのだ」
「えっ、何故?」
「都市の材料と似た理由なのだ」
「似た理由?」
「それは、都市の機械が教えてくれた事だが、長い時の流れで一人でも、いや、ある一つの文明と言うべきか、それで、時の流れを変えると、全ての時の流れの人々が、時を飛ぶ力が働くらしいのだ。この為に、同じ時間に存在しない物がある場合は、不具合として膠着してしまう。それが、この札の働きなのだ」
「えっ」
「分からないみたいだな。例えば、筆が今より過去で製造された物で、紙が未来から持ってきたとする。この二つは、わしたちの時間に存在しない物。それで、時の流れは不具合を直そうとして力が働くが、時の流れ自身の力では戻す力がないので固まってしまうのだ。だが、これに、時の流れの不具合を持ち人が文字を書く事で、効力を消すことも時間指定の効力も発生するらしいのだ」
「なら、長老が文字を書けば効力が消えるのでしょう」
「そうだ。だが、わしには時の流れを不具合させる物が無いのだよ」
「それって、不死のように生きいている物の毛でもいいの?」
「不死のように生きている人が居れば、その髪の毛でも筆が作れるが居るはずが無い」
「なら、大丈夫よ。確か、天ちゃんは五百年も生きているって聞いたわ」
「それなら、大丈夫だ」
「あ、それなら墨も大丈夫と思いますよ」
「どう言う事だ」
「長老は、管理室以外の部屋って入った事あるかな」
「一度だけ、見た事がある。普通の民家のような感じだった」
「それなら、部屋の中も古い物なのでしょう」
「ほとんど、建造された当時のままだろう」
「なら、花瓶があれば、そして、水が入っていれば当時の水ですよね。それで、墨を溶いて使えば、古い墨汁にはなりませんか?」
「あああ、それなら、大丈夫だ」
「でしょう」
「だが、墨もなければ、天猫殿もいないぞ」
「それは、僕が何とかします」
「出来るのか?」
「僕には、左手の赤い感覚器官も背中に羽衣の羽もありますから飛んで持ってきますよ」「それなら、私にもあります。天ちゃんの方は、私が貰ってきます」
と、言いと、雪は返事も聞かずに建物から出る為に駆け出した。だが、一番に言い出した。その晶は、直ぐに行動せずに、また、長老に問い掛けた。
「墨は、どこにあります。それと、筆を作る材料も必要です」
「わしの自室にあるが・・・」
「分かり難い所にあるのですね。誰に聞いたら分かりますか?」
「殿下か、春香殿ならわかるはずだ」
「分かりました。それでは、取ってきます。その間に花瓶の水を探してください」
晶も、返事を聞かずに建物の出口で向かった。そして、晶は、先に出て行ったはずの雪の姿を見た。もう見えなくなるはずの時間は過ぎているはずなのだが、もしかして初めての飛行なのだろう。飛ぶと言うよりも、ジャンプの連続のように感じたのだ。高度が落ちてくると、力を溜めて踏み出す感じだった。
「がんばって」
晶は、雪に聞こえるはずもないのに呟くと、大きくジャンプをした。だが、雪と違い。そのままの速度で飛び続けた。本当に、これが飛ぶと見本のような素晴らしさだった。雪と方向が違うので、雪が見ることがないが、もし見ていたのなら今まで以上に好意が膨らむのは間違いないだろう。それで、見える里に向かっている晶と違って、雪は、何処に向かっていいのかと思うだろうが、天猫は里を守る気持ちで叫び続けているので、声を頼りに向かえば問題は何も無かった。
「天ちゃん」
アイススケート初心者が止まる時にするような感じで、片足のつま先だけを引きずるようにして止まった。
「おお、どうした?」
「お願いがあるの」
「いいよ。何でもしてあげるから言ってみな」
「綺麗な毛並みが欲しいの。駄目?」
「え、そっ、それは・・・・」
「駄目?」
天猫にとっては死ねと同じことだった。だが、言った事を覆すことができないと考えているのだろう。目を瞑り頷いていた。
「いいのね。でも、切る物がないの。どうしたらいいかな?」
目を瞑っていた天猫が顔中を真っ赤にした。その理由は命と同じ物を自分で切るのか、そう言いたいのだろう。その気持ちが静香に分かるはずもなく。二人は無言だったが、天猫の気持ちが落ち着いたのだろうか、真っ赤な顔が消えると爪でばっさりと切った。
第五十八章
「これで、足りるか?」
手放すのが惜しいと思える表情を浮かべて、切り取った毛を雪に手渡した。
「ありがとう」
そう言うと飛ぶ為に腰を落として力を溜めた。飛ぶと思う瞬間に天猫が問い掛けた。
「何に必用なのだ」
「筆を作るのよ。使った後は見せてあげる」
と、飛ぶと同時に答えた。その言葉を聞いて不満だったのか、それとも、叫び声が滞ると里の危機と感じたのか、それは、誰も判断は出来ないが、先程よりも殺気を感じるので、恐らく、不満だったのだろう。その頃の、晶は、まだ長老の自室の中に居た。
「硯(すずり)はありましたか?」
「へんね。無いわ」
「もう長老の物でなくてもいいよ。普通の物でいいから貸し手ください」
「でも、あの話しなら古い物がいいのでしょう」
「それよりも、早く欲しいのです」
「分かったわ。村人に聞いてみます」
やっと、晶の話を聞いてもらい。里に住む人たちに聞いてくれた。そして、全てを手にした頃には、飛ぶのが遅い雪でも長老の所にいた。
「どうです。使えそうですか?」
「適していないが何とかなりそうだ」
天猫が聞いたら怒り狂いそうな事を話していた。その時・・・・・・。
「これは、使えますか?」
明菜と新は、何個かの花瓶を持ってきた。だが、これで何回目だろうか忘れる程の花瓶を長老に見せていたのだ。簡単な事だと思ったのだが、花瓶には時間が止める効果してない物や時が止まって凍りのように固まっているのが多かったのだ。だか、今回の明菜と新は満面の笑みを浮かべていたので、恐らく、使用が可能のはずだ。
「これなら使えそうだ。ありがとう。後は、晶が来るのを待つだけだ」
そして、それほどまで待つことがなく足音が聞こえてきた。
「来たわ」
「そうだな」
皆は、無言で近づいてくる足音を聞いていた。そして、足音が止まると・・・・。
「遅くなりました」
「大丈夫だ。今やっと全てが揃った所だ」
「そうでしたか、よかった」
安心したのだろう。息を整えるためか体が疲れたからだろうか、その場で座ってしまった。それでも、長老が何かしている様子だけは見ていた。まず、先に天猫の毛を適当に鋏(はさみで)切り整えて竹に結びつけて、筆は完成した。これで一つは出来上がり。次は花瓶の水だったが、何故か、でん粉でも混ぜたようにトロトロとしていた。それは、水の時間の流れが遅い為に、固まっているように見えたのだ。墨になるかと疑問を感じているのだろう。だが、透明から黒に少しずつ変わるのを見て安心しているようだ。
「出来たのですか?」
「上手くいくか分からないが、効果あるように祈るしかないだろう」
そして、硯(すずり)を手に持って、祈るように筆を墨の中に入れた。毛に染み込んで欲しいと願いながらだ。その願いは続いていた。札に文字が書けて無効に出来るかだ。
「駄目なの?」
「少し時間が過ぎないと分からない」
「・・・・・・」
皆は声を上げなかった。もしかすると声を上げると効果がないと感じたのか、それとも、効果があって欲しいと祈っているのかもしれない。その願いが通じたのか、長老が書いた文字「開閉」(かいへい)が紙に染み込んできたと感じたのだ。そして、札がヒラヒラと床に落ちた。すると、皆は「やった」と、それぞれの言葉で興奮を表していた。
「これで、やっと中に入れるな」
長老は、つまみを握って回して扉を開けた。
「ほうほう」
長老の後から四人の男女は入ったが、想像と違っていたのだろう。それは、誰が見ても感じることだ。管理室のはずなのに機械などが何もなくて、四面の壁に液晶画面らしき物と、水晶球が部屋の中央にあるだけだ。その水晶球に長老は近づき手を乗せた。
「第一万八千九代目の都市長である事を認証しました。何の用件でしょう」
天井のどこなのか不明だが声が響いた。
「都市の不具合を感じてきたのだ」
「調査を致します。暫くお待ちください」
と、何度も同じ言葉が響いた。そして、五分が過ぎた頃に・・・・・・。
「異常はありません。何も不具合はありません」
「うそ」
「この部屋に都市の外を映せ」
「実行を致します」
四面に都市の外が映し出された。
「やはり、霧の濃さと竜巻の強さが弱いぞ。修正しろ」
「何も問題はありません。その修正の指示は受付けできません」
狂ったように同じ言葉を繰り返した。
「故障なのか?」
長老は、何が起きたのかと思案していたが、何も想像できない四人の男女は黙って次に何が起きても大丈夫のように構えるか、長老に問い掛けるしか出来なかった。だが、問い掛けても返事を返すはずもなかった。もしかすると、思案のために言葉が耳に入ってないとも思える様子だった。
「今の指示を停止して、新たな指示の実行は出来るか?」
「可能です」
「再起動してくれ」
「可能です。ですが、第一万八千九代目の都市長の認証は消失します。再起動後、再登録の認証番号の入力は可能ですか」
「可能だ」
「何時、実行を致しますか」
「今直ぐだ」
「実行を致します」
「きゃはははは」
全ての電気関係が消えると、女性の笑い声が響いた。その声は先程の札の仕掛をした女性の声と同じだった。
「馬鹿な・・・・・クソ婆の仕掛か?」
「再起動したわね。あなたの認証番号が使用できるかしらね。きゃ、はっははは」
「何が狙いだ」
長老は、人を殺したいほどの殺気が心に満ちて、録音だと分かっているのに叫んでしまった。当然、答えが帰ってくるはずも無かった。
「きゃはは、何も出来ないでしょう。これで都市の機能は停止ね」
「ふざけるな。俺は必ず機能を復活させる。クソ婆の思うとおりにさせるか」
「きゃははは」
「何を言っても笑い声しか返らなかった。それだけでなく笑い声は止まらなかった。その声で思案に集中する事ができなかった。その笑い声は、十分、三十分と過ぎるが笑い声は止まらなかった。普通の思考の持ち主なら発狂する時間が過ぎていた。それが、分かっているのだろうか、追い詰めるように笑い声が止むと、言葉が響いた。
「お前たちの娘や息子の次の都市長の認証番号は消してない。その子供たちを捜して連れてくるのだな。もし探して連れてこられても、その頃になると手遅れだろう。きゃ、ははは」
また、笑い声が響き出した。それも、心底から嬉しくて満足な悲鳴だ。この悲鳴から判断するのなら、誰に殺されたとしても満足して成仏しているはずだろう。
「長老。誰です。何処に居るのですか、直ぐにでも探して連れてきますよ」
雪は、人事のように問い掛けた。その勇気と言うべきか、直ぐに探して連れて来られると考えたのは、初めて飛ぶ事に成功したからだろう。それほどまで早く移動できたのだ。
「・・・・・・・・」
だが、長老は何も言う事ができなかった。
「無理だ」
(今さら言えない)
「必ず間に合うように連れてきます」
長老の一言は、問い掛けの答えでなく、自分の思考していた違う意味と感じられた。
「それなら、俺たちでは登録ができないのですか?」
「無理だ。血族しか認証されない」
「でも、やってみないと分からないわ」
明菜の言葉で、四人の男女は同時に、右手で水晶に触れた。
「馬鹿。やめろ」
「承認しました。第一万八千九代目の都市長の血族と一致しました。起動を実行しますか」
水晶が赤く点滅すると、笑い声が消えて、都市機能からの指示を求めてきた。
「えっ、長老の血族って何って言うか、誰?」
「嘘。この四人の中にいるの?」
「長老は知っているのですか?」
「誰だ?」
四人は、長老に詰め寄った。
「分かった。教える前に、里のために起動を実行してくれ」
「実行?」
「そうだ。四人で起動を実行すると、そう言ってくれるだけでよい」
「分かった」
「起動を実行して欲しい」
すると、室内の電気系が全てと、四面の壁面にある液晶らしき物も点灯した。
「都市の外を映してくれ」
長老が指示を言うが何も反応はしなかった。
「やはり、抹消されたか」
「・・・・・・・」
長老が悲しそうな表情を浮かべた事と里の心配もあるのだろう。四人は頷いた後に、同時に、長老が言ったことを同じ言葉を叫んだ。
「都市の外を映してくれ」
四面の壁面にある液晶らしき物が映像を映した。
「霧が濃くなってきている。それと、竜巻も正常だ。これで安心だ」
「終わったのね」
「そうみたい」
「なら、長老・・・・教えてください」
「誰なのですか?」
「う・・・・それを知ったら今までの生活は出来なくなるぞ」
「それは、脅迫ですか?」
「そう言う考えだったの。そうなのね。教える気持ちがないのね。嘘を言ったのね」
「待て、チョット待てよ。明菜、落ち着け」
新は怒りを感じていたが、明菜が鬼のような様子を見て恐怖を感じたと同時に、長老の命を心配した。その様子を見て、新は冷静な気持ちにもなった。
「本当だ。先程の事は記憶していると思うが、血族しか承認されない。だが、今は仮登録と同じ状態なのだ。わしに、都市長を返せば元の生活に戻れる」
「それがなによ」
「分かっていないようだな」
「だから、なによ」
「血族しか交代が出来ないのだぞ。子どもが出来るまで更新は出来ない。その意味がわかるな。都市から出られなくなる」
「嘘よ。だって、長老は里に居たわ」
「わしは、長い年の間に更新したのだ。普通は子供が出来てから登録するのだ。成人の儀式みたいな感じだ。少しずつ学び、そして、少しずつ更新するのだ。それを今直ぐ登録したら子どもに戻れない。もし子どもが出来なければ更新も、わしに戻す事もできない」
「なら、登録しないで、誰が子どもなのかだけでも教えて」
雪が恐る恐ると声を上げた。
「それは、無理だ。都市の機械でなければ正確には分からない」
「・・・・・・」
「何も聞かなかった事にして人生を楽しめ」
「・・・・・」
「私は、嫌よ」
明菜が怒りを爆発させた。
「明菜。落ち着いてくれ」
「一人で水晶に手を触れればいいのね」
誰も止められない勢いで水晶に駆け寄ると、右手で水晶を触れた
「・・・・・・何も反応がないわね」
「明菜。反応が無いなら違うようだ」
「そうなの。私でないのね」
「そうだ。なあ明菜、もしもだが俺だったとしたら都市に残ってくれるよな」
「うん」
「なら、俺もするか」
新も水晶に触る覚悟をした。予想でもしていたのか反応が無くても落ち着いていた。その様子を見て、晶は、真っ赤な顔をしたと思えば、今度は青く青ざめて首を横に振ってまた、真っ赤な顔をするのだ。恐らく、恥ずかしいことでも考えているのだろう。
「雪さん。僕も水晶を触ります。その前に、もしもですが、雪さんだったとしても、僕は、雪さんと一緒に居られるなら・・・死ぬまで都市で生活しても構いません」
「・・・・・」
「それで、僕だったら、僕と一緒に暮らしてくれませんか?」
「うん」
雪は恥ずかしそうに頷いた。
「それが分かれば、何も怖いものなんて無いです」
「待て、二人だけだ。もう誰か分かった。それを教えよう」
「えっ」
「新婚から都市での生活は不憫だ。もう少し世間を学んで、様々な事を楽しんできなさい」
「でも・・・僕はいいけど、雪さんは知りたいはずです」
「二人は結婚するのだろう。それなら、わしの娘であり息子になるだろう」
「あっ」
「・・・・」
雪は俯いたまま顔を上げなかった。嬉しいと同時に恥ずかしいのだろう。
「そして、子どもが生まれた時にでも、また都市に入り登録したら良いのでないか?」
「でも、里は大丈夫なのですか?」
「今回の事で、里の人々も感じただろう。この地に一生は住めない。だから、ある程度の時間があれば良いだろう。まあ、二人が、どうしても都市で暮らしたいと言うなら里の人々も里で暮らすだろう。それは、まだまだ後のことだ。答えは出さなくて良い」
第五十九章
雪は、長老の話を聞いているのだろうが、何も返事を返さないで晶の左腕にしがみ付き。俯いていた。その行為は、全てを晶に任せると伝えているようだ。
「それに、都市のため、里のためと思われて結婚するのは嫌だろう。本当に純粋に愛してもらいたいと思っているはずだ。だから、外の世界をもう少し学んできなさい」
「そうしようか」
「・・・・・」
晶は、自分の左腕を掴んでいる。そんな雪に問い掛けた。視線でも感じているのだろうか、何度も何度も頷いていた。
「都市のことは当分忘れて旅に出ます。僕は、雪さんと居られるだけで幸せですから、でも、お父さんの言う通りに、まだ、未熟なのでいろいろと学んできます。その時は、全てを教えてくれますね」
「わかった。必ず教えよう。それでは、里に帰ろう」
「はい」
四人は、まるで父に叱られた。その後のように元気に返事を返した。長老は、後は何も言わずに歩き出した。その後を当然、四人も付いてきた。それから無事に何事もなく里に着いた。里の人々は霧や竜巻が以前と同じなると同時に普通の生活を始めた。長老も何も言わずに、何時もの温泉に入るために向かった。その途中、自分の長老宅の門を通ると天猫が何事もなく寝ていた。もしかすると、吠え続けて疲れたのかもしれないが、霧が薄くなり竜巻が弱まる前と何一つ変わる事がなかった。
そして、次の日の朝。
「おはよう」
新が珍しく、晶を起こしていた。起こされた方は何が起きたのかと不思議に思うが、昨夜は、長老に用事があるから付き合ってくれと言われ、一緒に長老の借りの宿に来たのだ。だが、特に相談もしないで酒盛りをして、晶が先に寝てしまったのだ。もしかしたら、その後、相談でもしたのだろうかと、不思議そうに新を見ていた。
「俺な、里で暮らそうかと思うけど、晶は、どう思う?」
「この里は住み心地いいね。いろいろな所を旅した後なら住んで見たいと思うよ」
「なら、俺と明菜が住みたいと言えば許してくれるのだな」
「いいけど」
「そうか、そうか、それなら、馬車の物は全て好きにしていいぞ。俺は、てっきり、一人では雪を守れないから一緒に旅に来てくれと言われると思ったのだよ。それが分かれば何も問題はない。直ぐにでも住める家を探してくるよ。またな」
長老には昨夜に許可を取っていたのだろう。長老に軽く会釈すると、無邪気な笑顔を浮かべて宿から消えた。その様子を寂しそうに見送っていた。
「旅で出るのが心配なのか、それとも、雪を守れないと思っているのか、それなら、天猫殿に言って見たら意外と共に行きたいと言うと思うぞ」
「そうですね。言ってみます」
「そうか、そんなに落ち込むな。旅も楽しいぞ」
「そうですね」
晶は、自分でも何が悲しいのか、寂しいのか分かっていなかった。それと同時に、旅をしなくて良いとも感じていた。新たちと一緒に里に暮らそうかとも考えていた。そして、天猫よりも、雪に会って新たちの事を話してみようと思っている時だった。
「晶さん。ねね、新と明菜のことって聞かされた?」
「旅をしないで里に暮らすって言われたよ」
「それで、何て答えたの?」
「それはいいねって言ったけど、新は凄く喜んでいたよ」
「それなら、二人で旅に出るのね」
「行きたくないの?」
「そう言う意味ではないわ・・・・でもね」
「寂しいよね。それで、これから天猫さんに一緒に来てくれるように頼もうとしたの」
「それがいいわね。私も一緒に行くわ」
元、長老の家に向かっていると・・・・・。
「新と明菜から話は聞いたよ。里に住むのだって。だが、安心しろ。俺は一緒に旅に行くから何も心配はするなよ」
「どうした?」
「ねえ、晶さん。どうしたの?」
雪と天猫は、今までと違って様子が変だから問い掛けてみた。
「特に理由はないよ。作間さんの所から旅に出る時は、楽しくて仕方なかったけど、今はって言うか、これから出る旅って楽しめない。何て言うか大人になるために学ぶなら里でもいいかと思ってしまってね」
「旅なんて、そんな気持ちだよ。当ても無く旅する方が楽しいぞ。全てが楽しみの材料みたいな感じだ・・・・・・。なら明日、旅に出よう。そう決めよう」
天猫は、二人に話をしているのだが、何か別のことでも考えているのだろうか、返事が返らなかったので、天猫は勝手に決めてしまった。
「そうね。でも、明日まで待たないで、今から旅の用意をして終わったら旅にでましょう」
「それが、いいだろう。旅に出る前っていろいろ考えるが、出たら悩みなど吹っ飛ぶぞ」
「うん。そうするよ。でも、僕は、一人だと雪さんを守れないから旅に出たくないのではないからね。絶対に何が起きても命を懸けて守るからね」
「それが言えるなら何も問題は無いだろう。まあ、俺も一緒に居るのだ。何も心配することはないぞ。わぁはははは」
天猫の自信に満ちた笑い声で、雪も晶も、何に不安を感じていたのかと馬鹿らしく思ってしまった。そして、一時間くらいで用意を整え終わると、数人にだけ挨拶して旅立ってしまった。
「行ってしまったな」
「そうね」
新と明菜には何も言わずに旅立ってしまい悲しいのだろう。
「でも、今度会う時は、二人の赤ちゃんが見られるかもよ。えへへ、あたしたちと、どっちが早く生まれるかしらね」
明菜の想像の通りに、雪と晶は、二年後に里に帰って来る。その時は、雪の腹が大きくなっていた。里で生みたいと考えたからだ。それでも、長老には実の子どもが誰なのか、とは聞かなかった。ただ、赤ちゃんを抱っこしてもらいながら旅の話をするのだ。また、直ぐに旅立ってしまうのだが、今度は旅の目的を話す。四人で作間さんに赤ちゃんを見せに行き、また戻ってくると楽しそうに話をするのだった。それから、何度か旅に出るが、子供が一人で歩ける程まで大きくなると、里で生活するのが多くなった。
そして、子供達が、自分たち将来の夢を考えるくらいまで大きくなる頃には、春香の考えの通りに、都市が一つ、二つと国から離脱して独自の政体を確立する。それから、また、年が流れて、霧の里に居る。その殿下を旗印にして自由連合と名乗り、各国の王制に戦いを挑み勝利するのだ。だが、殿下を守ると同時に、王政復古を阻止するために王族たちを旧国々の象徴だけでなく、過ちを犯した歴史の証明として存在させたのだ。これ程まで、世の中が変わっても、霧の里は、里の人々も何も変わらずに生活をしていた。
「生まれたわ」
また、里で新しい子供が生まれた。その子供は、雪と晶の孫だった。これで、雪と晶の都市の承認も予備として残されて、子供と孫は、親と子となり。雪と晶の役目が終わるのだ。それだけでなく、左手の小指にある赤い感覚器官の時の修正も終わった。これで、誰の運命にも拘らない。本当に旅が終わったのだ。
2016年4月6日 発行 初版
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羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。