この本はタチヨミ版です。
雨降り想い花降る六月に。
<新作読み切り・小説>
ねぇ、知ってる?
バイブ音を立てた携帯の画面に、親友であるかえでちゃんからのメッセージが表示される。どうやらメッセージには続きがあるらしく矢印が出ていた。指で矢印を押すとトーク画面が開く。
「ねぇ、知ってる? 新入生の子たちの間である噂が広まってるの」
噂……? 知らない、と返すとすぐさま返事がくる。
「六月の雨が降っている三日間。誰にも見られることなく屋上から薔薇の花を一日一本落とすことができたら、願いが叶うんだって」
続けて飛んでくるメッセージを読み上げた。
「もう一つ条件があるんだけど、屋上って言っても開かずの屋上じゃないといけないんだってさ」
薔薇を降らせる。それはまるで——。
手の中で震えた携帯の画面に映し出される文字。
「あのときに似てるよね」
六月九日。水曜日。東京は梅雨入り。今年の梅雨は去年よりも暑いだろうとお天気のお姉さんは困り顔で言った。私にとったら困るどころの話ではない。去年より暑いのであれば、湿気はもっと増えるだろう。そうなれば天然パーマの髪は湿気を吸い、くるくる巻き上がって行くのである。思春期の乙女にとっては敵だ。ヘアーアイロンを掛けても外に出ればたちまち巻き上がってしまうし、校則でストレートパーマや縮毛矯正が禁止されている。それを知った瞬間、入る高校を間違えたと思ったのは言うまでもあるまい。
「ねーちゃん、梅雨になると顔が不細工になるよなー」
「なんですって!」
「だって、去年の梅雨入りも同じように憂鬱になってたじゃん」
鼻で笑う弟、柊はいつにも増して憎らしい。
「早く着替えなよ。俺はもう行くから」
澄まし顔でコーヒーを啜る。そろそろ私も学校に行かなければならない。今日は朝から会議だ。いつもよりも30分早く家を出る予定だったのに……!
「日下乃君に怒られる!」
「だから早く着替えろって」
いってきまーす、と柊は鞄を持って家を出て行く。時刻は七時半を過ぎていた。
会議にはぎりぎり間に合ったが、走ったおかげで靴下は浸水。慌てて出てきたせいで靴下の替えはない。
「会長」
あー、気持ち悪い。心なしかスカートも濡れているような気がする。これはもう先生に言ってジャージで過ごすしかないかな。
「会長」
そういえば、かえでちゃんなら靴下の予備を持っているんじゃないかな。教室に行ったら聞いてみよう。
「きんぎょ!」
「きんぎょじゃない! かねうお!」
「うるさい、あんぽんたん」
「日下乃君、そういうところ漆間先輩ゆずりだよね」
「そんなことないよ」
にこりと笑う日下乃君はこの梅ヶ高校の王子ともてはやされている。私は二年生から生徒会を一緒にやってきたので、もう格好いいとは思わない。むしろあの漆間先輩を立派に継いでいるのだから腹黒に違いない。だが、この腹黒王子にも最近彼女ができたらしい(親衛隊が泣いてた)。可愛らしくて、笑顔が素敵なゆずちゃん。生徒会が終わると手をつないで帰っているのを私は知ってる。
「金魚さん、いつになったら『会長』って呼んで振り向いてくれるの」
「いつかなー」
漆間先輩が、あれだけ嫌だと言ったのに私を会長に仕立て上げ、卒業してくれたおかげで私は毎日あくせく働いている。書類に目を通すのも早くなった。人前で話すときも緊張しなくなった。だけど『会長』と呼ばれるのだけは慣れない。私にとっての会長は漆間先輩だけなのだ。
「今日の会議のまとめ。目をよく通しておいて」
「ありがとう」
「ほら、教室戻るよ」
日下乃君に促されて教室に戻る準備をする。ブブブッと携帯が震えた。ポケットから取り出すとかえでちゃんからだった。あ、と思い出す。昨日の噂の話……。日下乃君に伝えなくてもいいよね。単なる噂だし。
携帯をポケットにしまう。窓の外では雨足が強くなりつつあった。
かえでちゃんはやっぱり靴下の予備を持っていて、快く貸してくれた。
「昨日の噂って誰から聞いたの?」
「んー、メッセージ送った日さ、部活があって新入部員の子たちが話してたんだよ。だから何の話ー? って聞いたら教えてくれたんだよね」
がさごそと私の鞄を漁りながら答える。
「そっかー。ポッキーないよ」
「え!」
驚きと困惑が入り交じっているかえでちゃんは何とも言えない顔をしている。人の鞄を弄って何をがっかりしているんだ。ポッキーがないことがそんなにショックなのか。ポッキーがないことに何故そんなに驚いているのか。言いたいことはたくさんあるが、出てきたのは笑い声だった。
「なんでそんなに笑うのよ」
むくれた顔を見せたかえでちゃんに笑いが止まらない。
「だって、だって……あははっ、ごめん、止まらな……ははっ」
「もう!」
書類用の鞄からポッキーを差し出す。
「ごめんね。靴下ありがとう」
横目にチラリ、目にした途端ぱあっと明るくなる。嬉しそうに受け取ったかえでちゃんは言い方は悪いけどちょろいと思う。ここまでころころと表情が変わるなんて可愛いなぁ。
〝キーンコーンカーンコーン〟
予鈴とともにドアが開く。
先生の入ってくる姿を確かめてかえでちゃんは前を向いた。急に静かになる教室。窓に当たる雨の音がうるさい。
生徒会の仕事を終え日下乃君と校庭にでた瞬間だった。一つ薔薇が落ちてくる。勢いよく顔を上げると、そこには誰もいない屋上に雨空。日下乃君は薔薇を拾い上げてはこちらを振り返る。ごくり、息を呑んだ。去年の六月、私たちは同じような体験をした。屋上から大量に降り注ぐ薔薇に、教室に敷き詰められた花びら。そしてカスミソウ。しかし、犯人であった先輩たちはもう卒業している。今になって何故。当時の生徒会副会長だった日向紫花先輩が薔薇を撒いたのにはしっかりとした理由があった。退職する桜川先生に思いを伝えるため。そして、突然降る薔薇の謎を解いたのは、生徒会長であった漆間先輩だ。今回はまた違う。かえでちゃんが教えてくれた新入生に広まっているあの噂。「六月の雨が降っている三日間、開かずの屋上の上から誰にも見られることもなく薔薇の花を一日一本落とすことができたら、願いが叶う」。恐らくこれは一本目。
「金魚、これはどういうことか知ってるの?」
まさか、今日中に事が起きてしまうとは思わなかった。
「日下乃君、実は、新入生の間で噂が立ってて」
頭が混乱する。まさか、そんな。本当の事が起きてしまうなんて。
「噂?」
「私もかえでちゃんに一昨日教えてもらったんだけど」
ポケットから携帯を取り出し、かえでちゃんからのメッセージを見せる。
「……また、演劇部がなんかしてるんじゃないのか?」
「それはないよ。噂はあくまで一年生にしか回ってないみたいだし」
自分の言葉にハッとする。一年生しか知らない噂。今の二年生と、三年生しか知らない去年の事件。日下乃君も同じ疑問を抱いたのだろう。あの事件のあと陽気に語り継がれたら、なんて思わなきゃよかった。正直に言う。面倒くさい。
「状況整理できそう?」
「とても面倒だけどね」
溜め息を吐くいて向き直ると日下乃君も真剣な顔になっていた。解決しなければならない。そして噂を止めなければならない。本来なら、去年止めなければならなかった。それを見過ごしたせいか、ここにきてツケが回ってきた。
「まず、一年生の間で噂が広まってる。でも去年の事件を知っているのは今の二、三年生のみ。ここら辺に住んでる子たちは知ってるかもしれないけど、花を降らせれば願いが叶うっていうのは初耳」
「そうか……。噂の出所はわかる?」
「知らない……」
「じゃあまず、調べるところからだな」
「うん」
不穏な空気が流れる。
カラン、と金属音がした。風が傘を攫いそうになる。ぎゅっと柄を掴み歩き出した。
今日も雨が降る。恐らく、薔薇も降ることだろう。昇降口に行くと見知った顔がいた。友達と話しているところ悪いなと思いつつ引き止めて人気のないところに向かう。
「蘭ちゃん、一年生の間で広まってる噂知ってる?」
生徒会書記に新しく就いた胡崎 蘭ちゃんはゆるふわ系女子言うやつで、薄い茶髪に小柄で可愛らしく学校内で人気の子である。外見と裏腹にもの言いようもしっかりしていてそこがまた男子にモテるらしい。
「一年生の噂ですか?」
「うん。屋上から花を降らすと願いが叶うらしいんだけど」
「ああ、知ってます。あたしの妹が一年生なんですけど、六月の雨が降る三日間、薔薇を落とすと願いが叶うんだってって言ってました。でも、無理ですよね」
「どうして?」
「だって、屋上の鍵がないじゃないですか」
屋上の鍵がない? どういうこと? 蘭ちゃんは続けて言う。
「知りません? 開かずの屋上って言ったら北校舎の屋上らしいんですけど、そこの鍵を紛失してしまったらしいですよ」
鍵が紛失されている?
「予備は?」
「予備もないらしいです。放送映像部が鍵を職員室に借りに行ったらしいんですけど、予備の鍵もなかったって言って相談にきました」
鍵が誰かに盗まれていたとしたら。しかし、わざわざ秘密を共有しかねない噂を流す事はしないだろう。犯人にとっては開かずの屋上は秘密基地になるのだから。犯人の意図が読めない。犯人は鍵を本当に持っているのだろうか。『願いが叶う』というのは一体どこから出てきたのか。確かに、桜の木の下で告白すると〜〜などあるがそれは昔からあるジンクスというやつで、何%かの実例を基に本物になっていくのだ。今回は今年に入って初めて聞く真新しい噂であり、本当に実行する人も少ないはずだ。ならどうして。動機も意味も分からない。屋上から薔薇を降らせて犯人になんの得があるというのか。
ああ、また、わからないことだらけだ。
「会長?」
心配そうに覗き込む姿につい頭を撫でたくなる。
「大丈夫だよ。とりあえず今日、二回目の薔薇が降るだろうから、屋上を張ってみようか」
「そうですね。では定例会を早く切り上げて屋上の入り口と校庭の二手に分かれましょうか」
「うん。あ、もう一つだけ聞いていい?」
「なんでしょう」
「噂の出所を知ってる?」
「それなら宿木くんが知っていると思いますよ」
あの人情報収集得意だから。にこっと笑った彼女は天使のようで、これが男心をくすぐるのだろうと思った。
蘭ちゃんと同じく、新しい生徒会メンバーの宿木 史哉君。彼は情報収集が得意で、裏では情報やと言われているらしい。
「宿木君」
「こんにちは、会長」
昼休み、二年生の教室まで行けば宿木君は既に昼ご飯を済ませたらしく、プリンを頬張っていた。
「胡崎から既に連絡はもらっています」
なら、話が早い。
「噂の出所は分かった?」
「そうですねー、恐らくこのクラスの誰かです」
……聞き間違えではなければ、彼は涼しい顔をしてサラリと凄い事実を言ってのけた。
「このクラスのあの席、あの髪が長い女の子のところです。あそこに手紙が入っていたんですよ。噂の文が書かれた手紙が。あと一年生の教室には黒板に張られていたそうです。去年の事もあって、先生方が生徒に口止めをしたんで三年生まで広まらなかったのだと思います」
「え、それだけでクラスメイトを疑うの?」
そう聞くと、宿木君は少し視線をずらした。
「手紙は、五月三十一日の二限の授業が終わって次の休み時間までに入れられたらしいので」
休み時間の10分間。珍しく他クラスの出入りはなかった。彼女がトイレに立ち席に戻るまでの間に入れられた物らしい。
「みんな気味が悪いとは言いましたけど、女子は噂好きなので。放課後までに隣のクラスの全員も知っているような状況でした」
「わざと女子の机に入れたんだね」
「多分、そうだと思います」
「詳しい話ありがとう」
「いえいえ」
では、と軽くお辞儀をされる。
「またあとで」
そう言って教室を後にしようとした。
「先輩、伝え忘れました。鍵がなくなったのは六月に入ってからだそうです」
北校舎の屋上に続く階段の前で私と蘭ちゃんは日下乃君の合図を待っていた。無機質に佇む扉を見上げた瞬間、手に握っていた携帯が震える。
「きんぎょ! 薔薇が降ってきたぞ!」
焦りと混乱が入り交じる日下乃君の声に身体が固まる。二本目の薔薇が降ってしまった。
犯人は既に屋上にいたというのだ。鍵は恐らく犯人が持っているから開かないはず。恐る恐る扉に近づきドアノブを回す。ガチッガチッと引っかかる音がする。やはり、鍵が開いていないのだ。蘭ちゃんもガチャガチャとノブを回しては押してみたり引いてみたりしているが開く気配は一向にない。
「……日下乃君、どこでもいいから屋上まわれる?」
「俺は東の屋上に行く! 宿木、西校舎行け!」
ブツっと電話が切れる。校舎の屋上は全てフェンスで区切られているため別の屋上から見れば、犯人の姿くらい確認できるだろう。ドアノブから手を離す。日下乃君、宿木君、早く……! 手はいつの間にか少し汗ばんでいて、一分が長く感じた。
〝ブーッ。ブーッ。〟
それは日下乃君が屋上に着いた合図。
「日下乃君!」
「ごめん、金魚」
——誰もいない。
犯人の姿さえ見る事ができなかった。フェンスを上ることはできないように網の作りではない。あの空間から逃げる事はできなかったはずだ。開かずの屋上。どうやって犯人は姿を消したのだろうか。何一つとして分からない。
どんよりとした面持ちの中、四人とも無言で校舎を出たときだった。
「なんだきんぎょ。泣きそうな顔して」
聞き慣れた声。
「だからお前は薄鈍なんだよ」
聞き慣れた悪態。
「——漆間会長っ」
「会長はお前だろ阿呆」
思考が停止する。私服姿の先輩を見るのは初めてだった。どうして。漆間先輩がここに。頭が追いつかない。明日が捕まえられる最終日で、捕まえなきゃいけなくて。先輩がなぜかここにいて。
「なんて顔してんだよ」
頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。大きな手。本当に漆間先輩だ。
「おもしれえことになってるじゃんか」
「先輩っ、あの」
「全部知ってるよ。お前はとりあえず落ち着け」
会長なんだから。いつもの自信満々な顔に肩から力が抜けていく。先輩が来てくれた。我慢しろ、泣くな。泣いちゃいけない、格好悪いところ見せるな。ぐっと拳を握りしめる。吐き出したい事は沢山ある。それでも。
息を吐き出し、深く吸い込む。何度か深呼吸をしていると頭に酸素が回るようになった。
「落ち着いたか?」
「はい、すみません」
「落ち着いたならいい。お前が解決しなきゃいけないんだからな、生徒会長」
にやり、いつものように笑ってみせ、それじゃあ、一つずつ整理していくか、と伸びをした。
「なぜ、鍵を隠したんだと思う?」
「それは屋上に見せたくない物があるから」
「まあ、鍵を隠してしまえば屋上には入れないしな」
入れない……、もしかして、屋上に誰かを入れないために隠した? 見せたくないものじゃなくて、見せられない物がある?
「じゃあどうして噂に、わざわざ開かずの屋上のことを入れたんだろうな」
それが一番の疑問だった。言わなければ私たちがこうして来る事も……。来たらどうなる? もし犯人が鍵を持っていたとしても、屋上が開かないという事実を作っていたとしたら。そこで開かずの屋上は本物になる。
「まさか」
「まんまと嵌められたなきんぎょ」
「嵌められたって……?」
しばらく様子を見ていた日下乃君も口を開く。声には少し戸惑いの色が現れていた。
「噂には開かずの屋上って書いてあったけど、恐らく最初は鍵を盗んで意図的に開かないようにしたんだと思う。場所も指定すればそれ以外の屋上が使われる事もないから誰に見られる事もない。まして雨だから余計に」
頭の中の散らばっていたピースを一つ一つ当てはめながら声にしていく。
「そして犯人を捕まえるために私たちは開かずの屋上に来る。薔薇は投げ入れれば校庭からは姿は見えない。そして屋上の扉を開けようとしても開かない。第三者である私たちが開かない事を証明したことによって、開かずの屋上は本物になる」
私たちは事実証明のために使われた。
「犯人はなかなか頭がいいようで」
嫌みったらしく先輩は言う。他の三人は納得したようで、悔しかったのか苦虫を噛み潰したような顔をしていた。私も同じような顔をしているだろう。噂に踊らせれていたなんて、どうしてもっと早く気がつかなかったのか。
「どうして、薔薇一本なんて地味なことするんだろうな」
派手にやるなら日向先輩みたいに大量の薔薇を降らせればいい。愉快犯であれば、もっと大きな事件を起こすだろう。薔薇にも意味があるというのだろうか。
「雨の日に三日間、誰にも見つからないように」
願いが叶うのはなんでだろうな。漆間先輩は小さく呟く。
「ちょっといいですか」
蘭ちゃんが割って入ってくる。
「薔薇についてなんですけど、多分犯人は告白と愛の契りを掛けているんだと思います」
ほう、と興味深く漆間先輩は顔を向ける。
「薔薇は三本送ると、告白の意味になります。そして薔薇の花びらを二人で川に投げてバラバラにならなければ結婚できるという伝説もあるそうです」
「詳しいね」
「三日間に一本ずつ、合計三本というのが少し引っかかって」
前にもらった事があるんです。困った顔をして蘭ちゃんは笑う。
「鍵は、犯人が持っているんですかね」
「俺なら、持ちたくないね」
宿木君の問いに対し、即答する先輩が少し考え始める。私なら、持つだろうか。落としたとしてジンクスが失敗してしまったら元も子もない。誰かに取られたとしたら噂通りに実行する人が出てくるかもしれない。そうすると自分が困る。
「きんぎょ」
「かねうおです」
「なにか、不審なことはなかったか?」
「不審なこと?」
昨日のことを思い返す。日下乃君と校舎から出てきたら、薔薇が降ってきて、上を見たときにはもう姿がなくて。日下乃君に噂の話をして。そういえば、あの、カランって金属音、何だったんだろう。
「金属音が、したくらいですかね」
「金属音?」
「カランって」
先輩は無言で屋上を見つめる。ゆっくりと視線を下に下にそして一点に行き着いた。
「きんぎょ、ハサミ」
「はい」
鞄の中から鋏を取り出すと持っててくれと鞄を渡される。ずしり、とした鞄の中身はとても気になるけど、あとあと怒られるのは嫌なので必死に持つ。
北校舎の壁に沿って付いている配管の排出口に手を伸ばす。何かを探り、鋏で切れたのだろう。片手に握り締め戻ってきた。
「これなーんだ」
透明なテグスの先に付けられている小振りの鍵。
「屋上の鍵……」
宿木君が小さな声で答えを言う。テグスは配管を通って屋上のどこかに結ばれているのだろう。そして、もう一つは犯人がもっている可能性が高い。
「これで明日は捕まえられるな」
にやり、漆間先輩は笑った。
私と漆間先輩が北校舎屋上入り口に。宿木君は西校舎屋上入り口、蘭ちゃんが東校舎の屋上入り口に。そして日下乃君は校庭に配置された。
「事件には犯人がつきものだよな」
先輩が珍しく悩んだように言う。
「そうですね。事件には被害者がいて加害者がいるわけですから、隠蔽しようものならその人は犯人になってしまいますね」
「今回、被害者はいたか?」
被害者。屋上が開かない事でパニックになるような事はないし、まして死人が出たわけでもない。
「いません、でした」
「じゃあ、今回の事は事件じゃなくて、単なる少しおかしな事、だよな」
少しおかしな事。噂が立ち、屋上が開かなくなって、三日間だけ薔薇が降る。確かに迷惑がかかっているわけでもない。ただ、去年の影響なら止めようとしているだけ。
「そうですね……」
何とも言えない違和感の気持ち悪さ。なんだ、これは。まるで誘導尋問で言質を取っているみたいじゃないか。
「悪いな、きんぎょ」
ぐいっと手を引かれる。ポケットからはバイブ音。日下乃からの合図だ。同時に扉が開き駆けて行く音がするが先輩に抱きしめられているため姿を確認する事はできなかった。先輩は勝手に携帯を取ると
「日下乃、申し訳ない」
「逃がしたんですか」
「ああ」
「……意図的ですか」
「……」
犯人はいらないだろ。小さな声を日下乃君が拾ったかは分からない。電話は切れていた。
「先輩、ちゃんと説明してください」
「俺に聞かなくても明日わかるよ」
「ちゃんと説明してください!!」
いつもより、大きな声が出てしまったのは最後に裏切られたと思ってしまったからだろう。先輩は諦めたように溜め息を吐く。
「犯人は、宿木と宿木の友人だよ。配置につく前に、全部話されたんだ。犯人は自分たちであると。どうか見逃してくれって。て言っても、噂を考えて流したのは宿木ってだけで、花を降らしてたのは友人だけどな」
「なんの為にですか」
「あの屋上、病院が見えるの知ってるか?」
「何となくですけど」
「あそこに彼女がいるんだと」
ああ、それで。みんなが個々に推理したことは全て合っていたわけだ。薔薇や行為には意味が含まれ、祈りが含まれている。『願いが叶う』としたのは、願望だったわけだ。
「それにしても見事だよな。お前らを利用して開かずの屋上を作り上げ、最後にはドアを開けたままにして行き、開かずの屋上自体をなくしてしまう。完璧だな」
「こちらは驚きましたけどね」
「……すまん」
珍しく先輩に優位に立てている。そりゃ、思春期の乙女にあんな事したんですから、思い知ればいい。
「先輩、どうして来たんですか」
「紫花から連絡があったんだよ。姉から、また梅ヶ高校で薔薇が降ると連絡があったから見に行ってくれって言われたと。だけど紫花は実習が多くて動けないから俺が来た。あとお前の様子を見に」
最後の言葉だけで舞い上がりそうになる私は単純なのだろう。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
嬉しいと思う私はきっと、この人の事が好きなんだろう。
「にしても、お前以外がしっかりしてそうでよかったよ」
「私だって頑張ってます」
まだまだだな。そう言っていつもとは違う笑みを先輩は浮かべる。やめてくれ、そんなの。心臓に悪いから。いつもの嫌な笑い方をしててくれ。
「頑張れよ、会長。過ごしたときを無駄じゃなかった、と思えるように」
「……はい」
いつもよりも静かな帰り道。心臓は騒がしい。好きな人のために、花を降らせる気持ちが、今なら分かりそうな気がする。
〈了〉
タチヨミ版はここまでとなります。
2015年6月26日 発行 初版
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