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きみはぼくの天使

原田はとる

共幻あかつき文庫



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  この本はタチヨミ版です。

目 次

第一章 天使に奪われたファーストキス

第二章 天使のいたずら

第三章 天使の本音

第四章 天使のさよなら

最終章 天使を追いかけて

あとがき

第一章
    天使に奪われたファーストキス

 頭上に広がるのは雲一つ見当たらない青。じりじりと肌を焼く太陽の光は、数日前までこの屋上の白いアスファルトを濡らしていた雨の気配を消して、夏の匂いを擦り付けている。
 その最中で、俺は「彼女」と太陽の光に負けないくらい見つめ合っていた。
達己たつみくん」
 小鳥がさえずるような可愛い声を生む桃色の唇。触れたら涙が零れ落ちてしまいそうなほどに濡れた大きな黒い瞳。真っ赤なスカーフを押し上げる豊かな胸元まで伸ばした黒髪の毛先が、ぷるぷると震えている。やっぱり彼女は上玉だ。髪色や胸は「奇抜さ」や「現実味のない特殊設定」といった萎える要素がないし、何と言っても声がいい。変にキャラを作っていない、その辺にいる女の子っていう素人っぽさが癖になる。
 後ろに組んでいた手を前に出したかと思うと、その白い指先が白い半袖のシャツの下を掴む。
「見てくれる? 私の全部」
 その願いに、俺は静かに頷いた。ゲームの選択肢的な台詞を言えば「ああ、君の全てが欲しい」だが、生憎あいにく「夢の中」でも女子との会話がヘタクソなので、動作だけで済ませるようにしている。
 そう、これは現実じゃない。夢という名の二次元なのだ。俺のリアルの高校は男子校で、女子はいないから。
 それにこの先の展開も俺は知っている。昨日の晩、実際にプレイした場面だからな。
 持ち上げられていくセーラー服とそこから露出する肌が、徐々に俺の興奮をあおっていく。
 が、同時に思うこともある。所詮しょせん、視覚と聴覚だけの幻、それに触れることはできない。二次元は俺を受け入れてくれるが、五感全てを満たしてくれる訳じゃない、と。
 その事実は虚しさを生んで、目の前の極上の瞬間をぼかしてしまう。
 おいおい、余計なことを考えるんじゃない。夢の中でくらいはそんなこと忘れろ。ほら、見ろ。彼女の白いお腹が丸見えだぞ。
 リアルなんか忘れろ。手が届かないものを欲するより、目の前の手軽な妄想に浸っていれば気持ち良くなれるんだから――。
 そう必死に自分に言い聞かせて目の前のご馳走を凝視しようとしたその時、突然鼻につん、とした柑橘かんきつ系の匂いがしたかと思うと、唇にふに、と柔らかいものが当たった。体温より少し冷たい、その柔らかさに戸惑うと同時に、目の前の彼女があと少しでその豊満な胸を露出、というところで大きく歪んでぼやけてしまった。
 あー、折角いいところだったのに。
 けど、そんな気持ちは頬を撫でる感触と息苦しさに塗りつぶされる。たまらず眉を寄せると、今度は唇にぬるりとしたものが触れた。
「ん……っん?!
 それが唇の更に奥、俺の舌に擦り寄ってきたからたまらない。
 がち、と鈍い音と共にぼやけた視界がクリアになる。少しズレた眼鏡の向こう、そこにいたのは夢の彼女と同じ、いや、それよりももっと白い肌をした誰かだった。薄目を開けて至近距離からこっちを見ている。
 おい、待て、この距離近すぎるだろ、少し動いたら唇が触れて――いや、触れるどころか……口の中にぬちょぬちょと卑猥ひわいな音を立てるモノがあった。
「はひ?」
 俺から零れたそんな間抜けな声に、その子が俺から遠のく。青い空によく映える雪のような髪、薄く開かれたままの瞳、小さく開かれた唇からはみ出た赤い舌先から零れる唾液。その数秒後、太ももにじんわりと染み込む気配がした。
 これは……夢か? 夢、だよな。だって女子だし。
 でもこの子、何のイメージだっけ。今まで俺の夢に出てきたのは、俺が実際プレイしたゲームや同人誌産の女の子だけのはずだけど。
 と、その子は舌を引っ込めて、小さな唇を緩やかに吊り上げた。
「もう起きちゃったんだ、残念」
 その顔立ちに反してややハスキーな声音こわいろ。けど、俺の心臓は激しく高鳴って、頬にはじりじりとした熱が込み上げてきた。
 おもむろにその子が立ち上がり、その全身が俺の前に晒される――っておい、ちょっと待って。華奢きゃしゃな体つきは顔立ちからも十分想像できたが、その半袖のシャツも灰色のスラックスも俺と同じ、うちの制服だ。
 と、その子が左手を自分の唇に寄せたかと思うと、指の腹でそこをゆっくりと触れ始めた。華奢な首に絡み付くリボンのようなチョーカーと揃いのブレスレットが、微かにずり落ちるその動きに、俺の喉が鳴る。
「ごちそうさま」
 俺に触れた唇が赤い舌をちらっと見せてそうささやき、小さくはにかんでみせると、ぱっと小さな背中を見せて駆け出して行った。ぱたぱたと小さくなっていく足音に反比例して、俺の心臓は速度を増していく。おもむろに自分の唇に触れてみれば、じんわりと濡れた感触。それを強くつねれば鈍い痛みが走った。
「……おい」
 リアルなのか、これ。
 その呟きに答えるように頭上を横切る音がした。それにつられて視線を上げると、真っ青な空に白い鳥が一羽、飛んで行くのが見える。
 それはむさ苦しい野郎共のひしめき合う男子校――天海高校の屋上、昼休みの出来事だった。

「……み、おい、達己」
 こめかみに軽い痛みが走ってはっと我に返ると、こっちに右手をかざしたノリの呆れ顔がそこにあった。こいつがいるってことは、間違いなく今はリアルだな。
「おい、大丈夫か? 俺の話、全然聞いてなかっただろ」
「お前こそ今何の時間か分かってるか?」
「授業中だろ、それがどうした」
 悪びれもなくノリが笑う。まあ、教壇に向かって思い切り背中を向けて談笑しているこいつに限った話じゃなく、周囲を見渡せば携帯ゲームで堂々と遊ぶ奴もいたし、午後の昼寝に勤しんでる奴もいた。教壇に立つ教師には丸見えのはずなんだけど、余程騒ぎ立てない限りはスルーされている。
 はあ、と思い切りため息を吐けば、ノリがにやついて、
「昨日はオタノシミだったから疲れてんだろ。相変わらずジジィみてえな体力してるよな」
と、からかってくる。

 オタノシミ……ああ、昨日の「鑑賞会」のことか。
 「鑑賞会」とは同じ志を持つ野郎共で夜に集まり、新作のエロゲーや同人誌を鑑賞するという俺にとっては重要な高校生活イベントの一つだ。中学の時に比べて自由度の増した今、過激なものも安易に手に入れやすくなり、度々開かれるその会で俺は幾度となく萌えに埋もれるという日々を送っている……はずだった。
 そう、昨日も盛り上がっていたはずなのに、今は夢にまで出て来たヒロインの顔が全く思い出せない。昼休みの屋上で遭遇そうぐうしたあの子のことばかり考えているせいだ。
 同じ制服を着た、白髪の「天使」が俺の唇を奪ったあの出来事。触れた唇はとろけそうなくらい柔らかくて、甘酸っぱい匂いもした。
 あれがキス……一生できないと思っていたアレが……。
「うわ、今度はにやけだした。何思い浮かべてんのか知らんがキモいぞ」
「べ、別ににやけてないって」
「誤摩化すなって、俺とお前の仲だろー? そんなに気に入ったんなら、今度続編も入手しといてやる。感謝しろよー?」
 あー、それ、数時間前の俺なら間違いなくノリを誉め称えているところだけど、今は微妙な気持ちなんだよな、残念ながら。
 キスをした、その事実だけならにやけてしまうくらいテンションが上がることだ。でも、実際、あの子は何者なのかっていう疑問も一緒にくっついてくる。うちの制服を着ていたってことは、つまり性別が俺と同じってことになる。
 いや、まさか。あの容姿で男って、二次元かよ。
 そうだ、ノリなら何か知ってるかもしれない。ゲームだけでなくて、多方面の情報を収集してるし。
「ノリ、変なこと聞いていいか?」
「何だよ」
 相変わらずにやにやしてるノリに、俺はやや躊躇ためらいながらもその問いを口にした。
「この学校に女子がいるって可能性、あるか?」
「……お前、ついに現実と二次元の区別がつかなくなったのか?」
 案の定ノリがどん引きしてる。俺だってノリがこんなことを言い出したら同じことを言うだろう。
「ここがどこか分かってるか? 記憶喪失になったとか言い出さないよな」
「わ、分かってるって。そうだよな、女子なんかいないよな」
「そうそう。それだけでもムサいのに寮生活でも野郎まみれのかさついた世界だぜ、ここは」
 だとすればあの子は一体何なんだ。男子だという現実を受け入れるにしても、色々無理があるような……。
 と、ノリが何か思い出したように「あ」と間抜けな声を漏らした。
「うち、女子はいないけど『例外』がいたわ。って言っても、俺は見たことないけどな」
「例外?」
「そ。このムサい世界に一人だけいるんだよ。『天海の女王ビッチ』って言う『例外』が。ちなみに女王って書いてビッチって読むんだけどな」
「ビ……って、何だそりゃ」
「二年に髪も肌も真っ白で、女の子みたいな可愛い容姿の男がいるんだと。確か、乙女翼おとめつばさ……って名前だったと思うけど」
 乙女翼って、名前まで女っぽい。髪も肌も真っ白って特徴がピンポイントで被ってるし。
「でも、その見た目に反して性格はヤバいらしい」
「ヤバい?」
「そいつ、ホモなんだよ」
 またしても衝撃的な言葉を放ちやがった。ホモって。人生で一度も発したこともなければ思い浮かべたこともない言葉だ。
「何せ見た目が可愛いからな、ソッチの気がなくてもついかれちまう連中は少なくないんだと。んで、ホイホイ寄って来た奴を片っ端から食う」
「食、う……」
「対象は自分に寄ってくる男なら誰でもいいらしい。だからビッチって訳よ」
『ごちそうさま』
 あの子の唇を指の腹でなぞる仕草とハスキーな声音が脳内で再生され、俺の頬はまた焼け付くような熱さを覚えた。
「おい、何赤くなってんだよ、童貞丸出し野郎」
「う、うるさい。俺はお前と違ってリアルへの耐性がないんだよ」
「いや、別にこの話リアルじゃねえだろ。野郎だらけの世界で捏造ねつぞうされた学校の七不思議みたいなもんだと俺は思ってるし。そういうのは二次元だから許されるんだろって思うだろ?」
 い、いや、現にいたんだけど、昼間の屋上に。そう言いたかったが、またどん引きされる気がする。曖昧あいまいに頷いておこう。
「だろ? それに一度そいつのとりこになっちまったら理性を失って、最終的には学校を辞めちまうくらいの廃人になるって言うし」
「は、廃人って……」
「そんな二次元にしか許されんような存在、いる訳がねえよ。まあ、万一存在していたとしても、ソッチにはまるなよ。リアルにすさみたいのは分かるが、そのすさみは二次元が癒してくれる。だから、今晩も鑑賞会楽しもうぜ、なっ!」
 ノリが歯を見せて笑いながら、俺の肩を小気味良く叩く。俺はそれに半笑いで答えつつ、脳裏に焼き付く屋上で遭遇した「天使」の笑顔を思い浮かべた。
 あれが「乙女翼」……とすれば、やっぱりあれは男、なのか。
 同じ性別とは思えないくらい柔らかくて甘酸っぱい唇。それをなぞる指先も小さくて柔らかそうで――ああ、ダメだ。リアルの接触は二次元の比にならないくらい刺激が強すぎて、忘れようにも忘れられない。男って事実を突きつけられても、むしろドキドキしてしまうというか。それでもいいかもしれないとか一瞬でも思っ……。



  タチヨミ版はここまでとなります。


きみはぼくの天使

2017年7月25日 発行 第2版

著  者:原田はとる
イラスト:広瀬コウ
編  集:高波一乱
発  行:株式会社共幻社

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