spine
jacket

【あらすじ】
第一話 少女の祈り (無料)
第二話 不思議なペンとその村へのいざない
 珠洲と美濃は下京区の幼馴染の小学四年生の女子と男子。図書館に行って読書をするのが好きなおかげで、二人とも、交通事故現場で心肺蘇生ができたりといろいろなことを知っている。初夏のある日、友人たちと新京極に行ったとき、二人は蛸薬師に世界の平和を祈るためにお参りをして目を閉じる。するといつの間にか二人は真っ暗な空間の中におり、そこにいた骸骨に無理やり引きずられ…。

───────────────────────



【無料】霊力使い小学四年生たちの脱北支援 第一巻

坪内琢正

瑞洛書店



───────────────────────

第一話 少女の祈り

 遠くの方の空まで黒い雲が覆っていた。時折稲光がした。その下に、ずっとどこまでも荒野が広がっていた。見える所で枯れ木が何本かある程度だった。その木のうちの一つの近くを烏が一羽飛んでいた。
(……ここは……、……?)
 それらの光景を前にして、一人の少女、朝霧珠洲(あさぎりすず)の瞳が大きく開いた。彼女は上は白いTシャツの上に蜜柑色のジャケットを羽織っていて、下は紅色のミニスカートを履いていた。また、髪は黒のショートヘアーで、耳の前の髪を小さなピンで耳の後ろに束ねていた。
そのすぐ後に、彼女は、誰かの声を耳にした。
(ナウィ、カヂョゲゥル……)
(え……)
 とても悲しそうな低い女性か少年の声で、アクセントは単調だった。恐る恐る顔を左に向けてみたが、そこには誰もいなかった。
(ナウィ、カヂョゲゥル……ドワ、ヂュセ……)
 その声がどのくらい離れた所から発せられているのか判らなかった。というよりも、むしろ、それは珠洲の耳の中に直接語りかけているように思えた。
「行ってみよう……」
 少し戸惑ったが、彼女はその声のする方に向かうことにした。
 やがて大きな川に出くわした。といっても水は殆ど流れておらず、川の底も他の土と同じように酷く荒れていた。
(ナウィ、カヂョゲゥル……ドワ、ヂュセ……)
 珠洲が呆然と困惑していると、またその声が聞こえてきた。
(……)
 それは川の対岸から聞こえているように思えた。珠洲は対岸の先の荒野をじっと見つめた。その直後に、珠洲の体がすっとその場所から消えた。
「えっ……?」
 珠洲は驚いてきょろきょろと首を左右に振った。いつの間にか川は自分の背後にあった。そして彼女自身は、自分が先程まで凝視していた筈の対岸にいた。
「いつの間に対岸に――」
 また今居る堤防の下を振り返ると、古色蒼然とした、土壁でできた民家の一群があった。そして、すぐにその傍らから件の声が聞こえてきた。
(ナウィ、カヂョゲゥル……ドワ、ヂュセ……)
 珠洲ははっとしてそれを聞いた。
「私を呼んでるの……?」
 そしてそう呟くと、その場から再び歩き出した。

   *

 数分後彼女は恐る恐るその村に降りていた。どの道も舗装されていなかった。また、人の姿が全く見当らなかった。
 少し進むと、村の中に交差点があった。その角のうちの一つにコンクリートでできた三階くらいの小さなビルがあった。それはその辺りでは一番高い建物のようだった。珠洲はそのビルの玄関の前まで来た。
(ナウィ、カヂョゲゥル、ドワ、ヂュセ……)
「え……?」
 再びその声が聞こえた。それはビルの中から聞こえているように思えた。珠洲は訝しみながらもビルの玄関に近づき、ガラス越しに中の様子を窺ってみた。入ってすぐの所には廊下があり、左右に幾つかのドアがあった。
「あ……」
 試しに玄関のドアを引いてみると外に開いた。珠洲は意を決してその中に入ってみた。
 薄暗い無人の廊下の突き当たりには別のドアがあり、その奥には庭があった。隅には有刺鉄線が張られていたので、その庭はビルの敷地の中のようだった。そして庭の左右に赤茶けた土壁の小屋が幾つか並んでいた。依然として人の気配は全くなかった。不審に思いながらも玄関を後にして小屋の前まで来たとき、珠洲はその中の土壁に背を擡げながら腰を下ろしている白骨の遺体と目が合った。
「――」
 珠洲の黒目は一気に縮んだ。その屍は薄汚れたボロボロの衣服を纏っていた。驚いてそれから目を離すと、その先の小屋の隅にも体を崩している別の遺骸があった。珠洲は泣きそうになりながらすぐにそれからも顔を背けた。すると、その小屋の向かい側にあった別の小屋が目に入ってきた。その中では、同じように何体かの遺体が、壁に凭れたり、地面に寝そべったりしていた。
「あ……」
 珠洲の瞳はさらに縮んだ。
(ナウィ、カヂョゲゥル、ドワ、ヂュセ……)
 背後から再び声が聞こえた。珠洲は蒼褪めながらも恐る恐る顔を初めに見た小屋の方に向けた。すると、一番最初に見た遺体と再び目が合った。
(ナウィ、カヂョゲゥル、ドワ、ヂュセヨ……)
 声の出所は彼の口元と一致していた。そして、言い終わると同時に、彼は嬉しそうにそれを緩めた。
「――」
 珠洲の瞳は今までで最も縮んだ。

   *

「――!」
 目の前に、見慣れた部屋の天井があった。高ぶっていた彼女の心拍は次第に収まっていった。枕元に置いてあったデジタルの置時計は、五月三一日、土曜日の午前七時過ぎを指していた。
「あ……、……少し早く覚めちゃった……」
 珠洲は額に腕を当てながら呟いた。
やがて、彼女はパジャマ姿で布団の中から這い出てきて、窓のカーテンを開けた。そして、少しの間ぼんやりと窓から差し掛かる日の光を眺めた後で、部屋の隅に向かい、そこにあった収納ケースから、先ほど自分が見た夢の中で着ていたものと同じ白いTシャツと紅色のスカートを取り出すと、パジャマからそれらに着替えた。さらに、収納ケースの隣に掛けてあった蜜柑色のジャケットを手に取り、それをTシャツの上から羽織った。
 続いて、珠洲は部屋の反対側にあった机の前に向かった。そして、机の上に置かれていた手鏡がショートヘアーの黒髪を映し出すと、彼女はそれを見ながら耳を覆っていた髪を耳の前で束ねて、小さなヘアピンで留めた。

   *

 それから数十分後には、珠洲は赤色のランドセルを背負って二車線の道路につけられていた道路の歩道を歩いていた。朝の通学の時間帯だったが人はまばらだった。
やがて前の方に一人の少年が歩いていることに気付くと、珠洲は小走りで彼の傍らに駆け寄って行った。
「……おはよう……」
 彼女は小さな声で彼に声を掛けた。
「……あ……おはよう……」
 その少年、茨木美濃(いばらきみの)も珠洲に挨拶をした。彼は濃い緑色のTシャツに、紺色の短パンを履いていた。また、髪型は珠洲のそれと殆ど変わらなかった。
 二人は挨拶を交わした以外殆ど何も話さず、目も合わせなかった。それでもお互いの距離はいつでも話ができる程度にまで詰められていた。
「おーい! 珠洲ちゃーん!」
 少しして二人の後ろから珠洲を呼ぶ少女の声がした。二人が振り返ると同時にその少女、宝塚耐(ほうづかたえ)は珠洲の隣に駆け込んで来た。彼女の髪は短めのセミロングで、胸元にピンクと赤のリボンを付けた白いローブを着ていた。
「あ……おはよう……」
「おはよー、あ、あれ……」
 珠洲に挨拶を返すや否や、耐はそのまま反対側の歩道の方に目をやった。
「え……? あ……」
 珠洲と美濃も釣られて振り向くと、丁度そこに居た一人の少年と目が合った
「あ……おはよう……」
 耳を覆っていない程度の短いショートヘアーに、上は白のTシャツに茶色のベスト、下は青いジーンズを履いていたその少年、長田司(ながたつかさ)も、戸惑いながらも珠洲たちに挨拶した。そして、車が来ていないことを確かめてから、そそくさと道路を渡ってきた。
「今日はみんな一緒だね……」
 朝の通学で四人が一緒になることはあまりなかったので、耐が呟いた。
「うん……珍しいね……、いつもは誰かいないのにね……」
「……?」
 そのとき、反対側の車線を走っていた一台の乗用車が四人の傍らで速度を落としはじめた。美濃は不思議に思ってその車の方に目をやった。
「あの、すいませーん」
 その車は四人の前で停車した。そして運転席側の窓が開き、中にいた中年の女性が車線越しに彼女らに声を掛けてきた。
「ちょっとお尋ねしたいのですが……、一号線って、どうやったら行けるかわからないですか――?」
「え……、あ……、一号線だったら、まず、この道を真っ直ぐに行って、最初の信号を左に曲がります、それで、その道を真っ直ぐに行くと、五条通との交差点があります、その五条通が一号線です」
「え……五条……あっ……、わかりました、ありがとう」
 そのドライバーは珠洲に礼を述べると車の窓を閉めた。
「あれ……?」
 彼女の車が発車した直後に、その前方から一台の大型のバイクが轟音を撒き散らしながら向かってきた。そして、突然そのバイクは反対側の車線に進入した。
 ――ガチャン!
 凄まじい音が響き渡った。バイクは速度を落とすこともなく珠洲たちの前を通過した。その一方で、乗用車は道路脇の電柱に衝突し、ボンネットが大破していた。
「え……!?」
 バイクはそのまま走り去って行ってしまった。四人はびっくりして、すぐに乗用車の方に駆け寄った。フロントガラスに大きなヒビが入っていたが、側面の損傷は比較的軽度だった。そして、先ほどの女性ドライバーは背もたれに体を埋めたままぐったりとしていた。珠洲が慌ててドアのレバーを引くとドアは開いた。
「あの……、あの……」
 彼女はその女性の肩を何度か叩いてみたが、反応は全くなかった。
「ど、どうしよ……」
 耐の表情が強張った。
「落ち着いて……、とにかく、誰か大人の人を探そう……」
 美濃がそれを諭した。
「司くんは、携帯で救急車を呼んで……」
「わかった……」
 司はポケットから携帯電話を取り出すと、すぐに一一九番に架けた。
「もしもし……え、はい、救急です……、あ、いえ、僕じゃなくて、車を運転していた女性の方が……」
一方、美濃は落胆しながら車の方に戻ってきた。
「どうだった……?」
耐が彼に尋ねた。平日の朝だったが、通りに人の姿は全く見当たらなかった。
「駄目だった……、誰もいない……、どこか家の人を呼ぼうかな……」
「待って……」
 珠洲が美濃を制して、再度車の中の女性の様子を窺った。彼女の体は依然として何にも反応を示さなかった。
「運ぼう――」
「えっ」
 珠洲の突然の提案に美濃は驚いた。珠洲は黙ったまま女性の右腕を自分の肩に掛けた。
「あっ……」
 すぐに美濃と耐も彼女を支えた。そして、そのまま道路の反対側まで運び、仰向けに寝かせた。すると、ズボンの右足の下腿部分が赤く染まっているのが目に入った。
「あ……、耐ちゃん……ごめん……、足の血を止めといて……、ハンカチとかで……」
 珠洲は耐に止血をするように頼んだ。
「えっ……あっ……あの、珠洲ちゃん……?」
 珠洲は、耐が戸惑っていることに気付かないまま女性の顔の前でしゃがむと、右手でその前頭部を押し上げた。そして、そのまま自分の耳を彼女の鼻先に近づけた。
「息が……」
 珠洲は少し慌てながら、左手で彼女の顔の前頭部を押さえて、右手でその鼻を摘んだ。そして、自分の口を彼女の口に宛がい、その胸元を見ながら、何度もゆっくりと自分の息を吹き込んだ。
 一方、珠洲の動作を見ていた美濃は、女性の喉下に自分の指先を当ててみた。
「脈拍が……」
 彼女の脈は止まっていた。美濃はすぐに右手で彼女の鳩尾に触れ、そこに左手の掌の付け根を添えた。そして、その掌の置いた位置を真上から何度も押した。
 少し経って、女性の呼吸が再開しているように見えた。珠洲は耳を彼女の鼻先に近付けてみた。
「息してる……、美濃くん、やめて……」
「え……、あ、わかった……」
 美濃は心臓マッサージの手を止めた。珠洲はそれを見て彼女の頚動脈に触れてみた。そこから脈動が伝わってきた。
「流れてる……」
「えっ……」
 珠洲と美濃の表情は一気に緩んだ。その直後に耐が悲鳴を上げた。
「二人とも、どうしよう……! これ、止まらないよう……」
「え……あ……」
 耐のハンカチは真っ赤に染まっていた。珠洲は慌てて耐の傍に寄った。
「耐ちゃん、ごめん、気付かなかった……。 大丈夫……、私もやるね……」
「え……」
 珠洲は耐に向かって頷くと、ドライバーの足元に目を向けた。耐はその後ろから様子を窺った。珠洲は女性の右足を持ち上げながらズボンを下ろした。次に、来ていたジャケットを脱ぐと、それを五センチ程度の幅に折りたたみ、ドライバーの足の大腿部に巻き始めた。そして、背負っていたランドセルの中からボールペンを一本取り出すと、それをジャケットに巻き付けて、回して足を締め上げた。
 程無くして出血は止まった。その直後から救急車のサイレンの音が近づいてきた。
「こっちです……! こっちですよ……!」
 司が時折振り返りながら救急車を誘導してきた。やがて、救急車は珠洲たちのいる位置から少し離れた所で停まり、車両の後ろから数名の救急隊員が担架を押しながら出てきた。その様子を見て、珠洲と美濃は再びその表情を緩めた。

   *

 京都、下京の東洞院高辻(ひがしのとういんたかつじ)にある洛内(らくない)小学校は、始業のおよそ一五分前の、大半の児童が登校して来る時間帯を迎えていた。
「にしても……本当に凄かったよね……」
 四年二組の教室で、耐が感嘆の声を上げた。
「うん……人工呼吸とか……」
 司が耐に続いた。
「え……、そ、そんなことないよ……?」
 再びジャケットを着ていた珠洲は慌てて二人の言葉を否定した。
「ううん……だって、二人のお陰であの人は助かったんだもん」
「そうだよー、どこで覚えたの、あれ……」
「え、あ、その図書館で……」
 美濃が照れながら答えた。
「あ、そっかー、二人はいつも図書館にいるからいろんなことを知ってるんだ」
 耐が言った。
「え……、そ、そんなこと……」
 珠洲は顔を紅潮させながら否定しようとした。
「あ……、おはよう……」
 そこに、長めのセミロングへアで、えび茶色のシャツに、白のスカートを履いていた、四人の級友、石橋雲雀(いしばしひばり)がやって来た。
「あ、おはよ……」
「おはよ……」
 珠洲たちは雲雀に挨拶を返した。
「あ、宝耐(ほうたえ)おはよ……みんな、えっと、あのね……」
 雲雀は耐を宝耐と呼んで挨拶を返すと、背負っていたランドセルの中をごそごそと漁り始めた。
「……?」
「私、今日ハンカチを買いに行くんだけど、よかったらみんなも一緒に来ない……?」
 彼女は少し照れながら、ランドセルの中から三枚の雑貨屋の割引のチラシを取り出した。そして、そのうちの一枚を珠洲の目の前に出した。
「え……?」
 珠洲はきょとんとした表情でそのチラシを眺めた。

   *

 昼過ぎに、珠洲、美濃と司の三人は、京都の三条河原町の交差点の西側にいた。
「おーい……!」
 しばらくして、そこに耐の声がした。
「え……」
 三人は声のした方に顔をやった。
「あれ……雲雀ちゃんはまだ……?」
 耐は三人のもとにやって来て尋ねた。
「えっ……うん……」
「耐ちゃんと一緒じゃなかったの……?」
 司が耐に逆に聞いた。
「うん、私は一人だったよ?」
 耐は答えた。
 そのとき、ブーッ! ブーッ! と耐のポケットに入っていた携帯が振動した。
「あ……?」
 耐は携帯を取り出して画面を開け、幾つかボタンを押した。すると、ディスプレイに、『ちょっと遅れそう…、ごめんなさい、先に行ってて』という文字が表示された。
「雲雀ちゃん……?」
 珠洲が耐に聞いた。
「うん……、遅れるから先に行っててって……、私もチラシ貰ってるし、先にいっちゃおうか」
 耐が三人に提案した。
「うん……」
 珠洲たちも頷いた。

  *

やがて四人は、三条寺町付近にあるシャッターの閉まった店の前に来ていた。
「あれ……」
 そのシャッターには『移転しました』という内容の文章と地図が書かれた貼り紙がしてあった。耐は先ほど教室で雲雀から貰ったチラシとその貼り紙とを見比べた。
「まあ……これ、ちょっと前のチラシだから……。折角だし、行ってみる……?」
 耐は他の三人に問いかけた。

   *

「ここに……ないね……」
 数分後、耐たち四人は、先程の店に貼られていた地図が示していた場所に遣って来た。しかしそこにその雑貨屋はなく、代わりに古ぼけた喫茶店があった。
「どうしよ、他のお店にする……?」
「え……」
「うーん……」
 美濃は曖昧な返事をしながら目線を珠洲の方に逸らした。珠洲は虚ろな目で耐の手にしていたチラシを眺めていた。
「……もうちょっと探してみる……? 何かいいものがありそうな気もするし……」
 耐は珠洲の様子を見て、もう少し探すよう提案した。
「え……」 
「うん……、でも、どうやって……」
 美濃が耐に訊いた。
「えーと……、……とりあえず、ここの中で聞いてみる……?」
 耐は少し戸惑いながら、目の前にあった喫茶店の方を小さく指差して答えた。
「うん……」
「あ、ごめん……」
 そこに司が口を挟んだ。
「……ちょっと、トイレに行ってくる……」
「あ……はい……」
 耐が快活に返事をした。

   *

「ごめん下さい……」
「あれ……?」
 司を除いた珠洲、美濃、耐の三人は、その喫茶店に入って中を見渡した。そこには一人のお客も従業員もいなかった。三人はそのまま足を進めた。すると、カウンターの奥にあった通路から、一人の従業員の後ろ姿が窺えた。珠洲は少し安心して彼に近づいた。
「あの……すいません……ちょっとお尋ねしたいんですが……」
「あ……?」
 二十代前後のその従業員は振り返ると、面倒そうに返事をした。
「この近くに、SUBAKOっていう雑貨屋さんがあるのってご存知ないでしょうか……?」
「いや……、知らないね」
 彼は冷たく言い放った。
「あ……わかりました……勝手に入ってすみませんでした……」
 珠洲は申し訳なそうに彼に詫びると、そこから立ち去ろうとした。
「おい……、ちょっと待ちな」
 その直後に、店の入り口の近くから男性の声がした。見ると、カウンターにいた男性同じ歳くらいの、店の制服を着た若い男性二人と、女性一人が立っていた。男性のうちの片方と女性は口に煙草を咥えていた。
「お前たち……子どもだけか?」
「え……、あ、はい……」
 唐突に聞かれて珠洲は慌てた。
「そうか……」
 彼らは不敵な笑みを浮かべながら、お互いの顔を見合わせた。
「ちょっと、幾らか恵んでくれないか?」
「えっ……」
 言葉の意味が判らず、珠洲たちは一瞬戸惑った。
「あの……、勝手に入ってきたのは確かに……」
「いや、そんなのはどうでもいいから」
 隣の男が突き放すように言った。それを聞いた珠洲たちは、初めて自分たちが脅されていることに気付いた。美濃はカウンターの奥の様子を窺ったが、他に人がいるようには見えなかった。一方、入口の近くにいた若者たちは、じりじりと彼女たちの方に寄って来ていた。
「え……、あの、外に出して下さい……」
 耐が、恐怖と憤りとを同時に感じながらも彼らに訴えた。

「ん……? 何だって……?」
 すると、男のうちの一人が、珠洲を軽く突き飛ばした。珠洲はよろめきながら二、三歩後退して尻餅をついた。
「珠洲ちゃん……」
 美濃が慌てて珠洲の元に駆け寄って膝をついた。
「少し……大人しくしてもらおうか……」
 若者たちは珠洲と美濃を取り囲み始めた。二人は無意識のうちに互いの手を握り合った。
「みんな……どうしたの……?」
 直後に若者たちの背後から司の声がした。
「――!」
 若者たちの形相は一気に硬直した。
「なかなか出て来なかったけど……」
 司は入口のドアを開けた所で立ち止まった。ドアの外の通りに若干の通行人がいるのが窺えた。
(俺は自分のことが一番大切だ……自分のためならなんでもする……)
(こいつらとつるんでいるのも自分のためだ……俺は俺と同じように自分のことしか考えていない奴らとつるむ……、他人を思いやるなど愚かな奴のすることで、大抵の奴は口ではそう言っていてもきっと本当は自分のことしか考えていない……)
(だから、本当に人のことを考えている奴らや、弱そうな奴らからは奪えるだけ奪えばいい、表向きのことばかり言う奴らが作った法律もルールも気に入らない、そんなものは、人の目に見えないところではいくら犯しても構わない、そう考えてこいつらから恐喝しようとしていたのに……、仲間がいたのか、これでは外から丸見えじゃないか、どうすれば……)
 司の姿を見て店内にいた若者たちは焦り始めた。
「耐ちゃん……!」
 美濃は若者たちのその様子を見てすかさず耐の手首を掴んで駆け出した。珠洲もそれに反応して後に続いた。
「なっ……」
 そして、一瞬怯んだ若者たちの脇を一気に駆け抜け、そのまま店の外に走り出た。
「へ……え……?」
 司も三人の後を追った。そして、そのまま四人はその店から百メートル程離れた寺町通との交差点付近にまで来ていた。
「ハァ……ハァ……」
 珠洲は肩で息をしながら恐る恐る背後を振り返ってみた。喫茶店の従業員たちの姿は見当たらなかった。

   *

 雑貨屋『SUBAKO』は、その喫茶店があった通りのもう一本奥の通りにあった。そこで耐は目当ての栗色のハンカチを買った。珠洲も黄色のハンカチを買った。そして、四人は寺町通に並んでいる新京極通までやって来た。
「かわいいのがあってよかったね……」
「え……うん……」
 耐の問い掛けに珠洲は照れながら返事をした。
「にしても……さっきのお店は」
 司が回想しながら訝しんだ。
「え……あ……、みんな……、ごめんね……」
「え……?」
 それを聞いた耐は、急にシュンとなって謝罪の言葉を口にした。他の三人は驚いて彼女の方を見た。
「私が変なことを言ったせいで……」
 耐は自嘲した。
「ううん……、そんなことないよ」
「そうだよ……、悪いのは全部あの人たちなんだし」
 耐は珠洲たちの言葉に頷いてみせたが、自嘲することをやめようとはしなかった。
「あ……、そうだ、どこかでおやつを食べない?」
 耐を慰めようとして、司が呼びかけた。
「え……?」
「あ……、いいね、それ……」
「うん……」
 珠洲、美濃も司に同意した。
「あっ……」
 その直後に司は小さな声を上げた。
「自分から言ったのに、ごめん、またなんだけど……」
 彼は恥ずかしそうに言った。

   *

 新京極通のほぼ中心、蛸薬師通との交差点の近くにあった公衆便所に司は入っていった。珠洲、美濃、耐の三人はその前で彼を待った。
「あ……」
 しばらくして、耐が小さな声を上げた。
「……ごめん……、ちょっと、私も行って来る……」
 珠洲と美濃に断って、耐もそそくさとトイレの中に入って行きった。二人だけになってしまったので、珠洲は所在無く周囲を見渡した。すると、新京極通に食み出して置かれていた薬師如来の香台が目に付いた。
 丁度そのとき、珠洲は今朝自分が見た夢のことを思い出した。世界には、夢の中で遭遇したような、不気味でおどろおどろしい所も数多く存在するし、一方で自分の国は物が溢れているにも関わらず、人々の心は荒んでおり、一見秩序立っているように見えても、彼らは見えない所では何をしているかわからない――。そのようなことを認識させられて、珠洲は居た堪れない気持ちになった。
「あの……美濃くん……」
「……?」
「……ちょっと、お参りして行かない……?」
「え……、うん……」
 珠洲に唐突に誘われて、美濃は驚いたが、結局それに同意した。二人は人気のない、狭くて薄い境内に入り、ポンと鐘を鳴らすと、そっと目を閉じて両手を合わせた。
 この世界が、どうかいつまでも平和であり続けますように――。
 珠洲は強く願った。その次の瞬間、境内を一陣の風が吹きぬけ、賽銭箱の隣にあった帳簿の紙がはらはらと揺れた。
 そして、珠洲と美濃の姿は境内から消えた。

   *

「ナウィ、ウォネゥル……」
「えっ……」
 哀しげな声を聞いて、珠洲と美濃ははっと目を開けた。そしてさらに驚いた。
 自分たちの体は真っ暗な闇の中にあった。ただ、お互いの姿だけははっきりと見えていた。
「え……?」
 二人は顔を見合わせた。その直後に珠洲は異常な気配を感じて再度自分の正面の方に目を向けた。その先に、今朝夢の中で出会った、ボロボロの衣服を纏った白骨の遺骸があった。
「――」
 二人は恐る恐るそれに近付いてみた。何歩か近付いたときに、珠洲の足元でカチッという音がした。
「……?」
 見ると、太めのボールペンが落ちていた。美濃の足元にもそれと同じものがあった。直径は一・五センチ程度、筒の色は紺色で、柄の部分に直径五ミリ程度の小さなくぼみがあり、また、胸が通せる程度の小さな紺色の紐がついていた。
「ナウィ、ソウォネゥル、ディレォヂュセヨ……」
 すると、それを見計らったように、二人の前にいた骸骨は言葉を口にした。そして、徐に腕を動かした。
「えっ……」
「ナウィ、カヂョゲゥル……」
 そう言いながら彼は珠洲と美濃の腕を掴んだ。
「――」
 それと同時に、二人の背後から凄まじい追い風が吹き始めた。いつの間にか、骸骨の背後の空中に、直径一メートル程度の、ブラックホールのような、別の空間に通じている穴ができており、風はその中へと吸い込まれていた。穴の奥はこちら側の空間よりもさらに真っ暗で、何も見えなかった。
 二人はとっさに穴から遠のこうとしたが、遺骸は彼らを掴んだまま動こうとはしなかった。
「え……あ……」
「ナウィ、カヂョゲゥル、ドワヂュセヨ」
「あ、あの……」
「え……」
 一方で穴は徐々に巨大化し始めて、二人に迫ってきていた。二人は蒼ざめた。そこから逃げようとしたが、二人を合わせた力よりも、遺骸の力の方が強力だった。
「嫌……離して……」
 穴は遺骸のすぐ後ろにまで迫った。
「嫌―!」
 二人は必死にもがいたが、彼の腕から逃れることも、彼を引っ張ることもできず、すぐに穴に飲み込まれた。
  

第二話 不思議なペンとその村へのいざない

 珠洲は少しの間気を失っていた。
 彼女の足元には、闇の中で拾い上げた、一本のボールペンが落ちていた。程無くしてその手が動き、やがて徐に起き上がった。その傍らに美濃が倒れていた。美濃の傍らにもボールペンが落ちていた。
「……美濃くん……、美濃くん……」
「……。……え……」
 珠洲が美濃の体を揺すると、彼も目を覚まして上体を起こした。そして、寝ぼけ眼のまま周囲を見渡した。
「……」
 そこは草むらの中だった。街の中ではなく、周りは山ばかりだった。また、所々樹木が生えておらず、地肌が露出している所もあった。そして、そのどれもが二人にとっては見知らぬ風景ばかりだった。
「あの……、美濃くん……、ここ、どこかわかる……?」
「……、さあ……」
 二人は互いに照れ笑いをした。
「あれ、これ……」
 二人は先ほど闇の中で拾ったボールペンが地面に落ちていることに気がついた。二人はひとまずそれをポケットの中に入れると、共に当てもなく歩き始めた。

   *

 その山の中に一本の小川が流れていた。幅は二メートル程だったが、底は深くはなかった。やがて、その小川によって分断されていた小道に、珠洲と美濃が姿を現した。
「渡れるかなあ……」
 珠洲は周りを見渡してみたが、飛び石や倒木などはどこにもなかった。
「うーん……、飛び越えるしかないよ……」
 美濃は苦笑しながら言うと、少し後退した。
「うん……」
 珠洲は美濃の様子を窺おうとした。
「……えっ、わっ!」
 直後に、虻が自分の方に飛んできたことに気付いて、慌ててそれを手で掃った。
 一方で、美濃は助走をつけて、小川の対岸を目指して飛んだ。と同時に、先ほど拾ったボールペンを入れていたズボンのポケットが、内側から薄い緑色の光を放ち始めた。そして、美濃の姿はそこから消えた。
「……あれ……?」
 その一瞬後に、彼の目に小さな獣道が映った。不審に思って背後を振り返ると、十数メートル程先に、自分が飛び越えようとしていた小川と、珠洲の姿があった。美濃は慌ててきょろきょろと首を振った。
「……美濃くーん、どうしたのー?」
 その様子を見ていた珠洲が心配そうに美濃に呼びかけた。
「えっ……? あ……、……ごめん、何でもないー……。……呆けてるかな、僕……」
 美濃は慌てて珠洲に返事をした後、独り言を言いながらクスッと笑った。

   *

 陽は既に落ちていた。
 二人は重い足を上げながら山道を歩いていた。しばらく上り坂が続いており、顔からも疲労感が滲み出ていた。
「北……かな、これ……」
 二人の正面の空の少し左側に北斗七星があった。それは、普段二人が京都の市街地で見るよりもはっきりと見えた。
「……あれ……? 美濃くん……?」
 何時の間にか、珠洲の傍らで歩いていたはずの美濃の姿が消えた。振り返ると美濃は、後方の岩に持たれかかってのびていた。
「……美濃くん……!」
 珠洲は美濃の元に駆け寄った。
「大丈夫……?」
「う、うん……」
 美濃は肩で息をしながら返事をした。
「ごめん、気付かなくて……」
「ううん……、もう大丈夫……、ちょっとクラッとしただけだから」 
 美濃は珠洲を慰めながらゆっくりと起き上がった。
「本当……? よかった……」
 それを聞いた珠洲は安堵した。その直後に彼女の視界が揺れた。
「え……あれ……?」 
 立ち直そうとしましたが、疲労感に押されて倒れ込んだ。その頭部が美濃の頭部に衝突して、美濃も珠洲の下敷きになって意識を失った。
 一方、奥の木々の陰から、二,三名の視線がその様子を窺っていた。

   *

 薄っすらと目を開けると、木の幹が、そのまま組み合わされて家の天井の支柱に使われているのが目に入った。
 美濃は、自分が意識を失っていたことに気付いた。自分と珠洲はどこかの家の布団に寝かされていた。床は畳で、奥の土間には火が灯されていた。
「珠洲ちゃん……、珠洲ちゃん……」
 珠洲も目を開けて起き上がった。
「ここ……どこだろ……」
「え……」
 二人は室内を見渡した。
 珠洲は奥の薄汚れた壁を見上げてみた。そこに、軍服を着た恰幅のいい若者の肖像画が掛かっていた。
「美濃くん……」
「え……、あ……」
 美濃も珠洲の目線の先を追ってその肖像画を眺めた。
「あれ……起きた……?」
 直後に誰かの声がした。
「え……?」
 目線を下げると、二人と同い年くらいの少年がそこにいた。髪は耳を出したショートヘアーで、白のTシャツに紺のトレーナーズボンを穿いていた。ただ、その服は上下ともヨレヨレだった。
「よかった……山の中で、倒れていたんだよ」
「……」
 二人は目を丸くして彼を見つめた。
「あ……、僕は、ヘォ・スミン……、よろしく」
 少年は明るく自己紹介をした。日本人の名前ではなかったが、彼は日本語を話していた。
「あ……、私、珠洲……」
「あ……、僕は美濃……、あの、助けてくれてどうもありがとう……」
 二人も彼に名前を名乗って礼を述べた。
「あ、いや、どう致しまして……」
「あの……、ところで、その聞いてもいいかな……」
「え?」
「ここって、どの辺りに……」
「ここ……? ここはね、ミエョンだよ」
「え……」
「ミエョン……?」
「おーい! ご飯できたよー!」
 そのとき、部屋の入口から、スミンより一,二歳程年下に見えるショーとヘアーの少女が勢いよく飛び込んで来た。彼女の服もヨレヨレだった。
「うん、わかったー。……あ、彼女はミヂャ、僕の妹です」
 珠洲と美濃が呆気にとられているのを見て、スミンが彼女を紹介した。
「あ……、私、ミヂャっていいます、よろしく……」
 少女ははにかみながら二人に挨拶をした。
「あ……、私は珠洲です……」
「あ……、僕は美濃……宜しくです……」
 二人も照れながら彼女に名乗った。

   *

 やがて、スミンとミヂャは隣の部屋に珠洲と美濃を導いた。
 その土間には小さな木製のテーブルが置かれており、それを囲んで、中学生くらいのやや髪の長い少女と、小学校低学年くらいの短髪の少年が、直接地べたに腰を下ろしていた。二人の姿を見て、少女の方が口を開けた。
「あ……、起き上がって、大丈夫?」
「えっ……あ……はい……。あの、助けてくれて、ありがとうございました……」
「いや、いいんだよ……、私、ヘォ・グヮンヒ。それからこっちは……ほら、リョンミン、お姉ちゃんと、お兄ちゃんに挨拶しなさい」
 少女は少年に優しく言った。
「うん……、えっと、ヘォ・リョンミンです……」
「あ……えっと、私、珠洲っていいます……」
「あ……僕は、美濃です……」
「そっかー、珠洲ちゃん、美濃くん、よかったら、こっちに座って」
「あ……、すみません……」 
 二人はグヮンヒと名乗った少女に言われるままテーブルの前に座った。その上には、六人分の、トウモロコシの粉で作られたコーンケーキと、スズシロのくず葉のスープが置かれていた。
「あの……お父さんと、お母さんは……」
 珠洲が尋ねた。
「あ……、二人とも。今、買出しに行っているんだ……、きっと、後何日かしたら帰ってくるよ」
「買出し……?」
 美濃は不思議そうな顔をした。
「うん……よくわかってないでしょ……、ふふふ、二人はお客さんだから、特別に教えてあげるね」
 美濃の様子を見て、ミヂャが口を挟んだ。
「あのね、北部よりも南部の方が、物の値段が高いのは知ってるでしょ、だから、お父さんとお母さんは、いつも二人で闇市に行って、電池とアルミの食器を買って来るんだ……、それを、南部の方に行って、トウモロコシの粉に換えて貰ってくるんだよ、けど……」
 珠洲はミヂャの顔が次第に曇ってきていることに気付き、食事の手を止めた。
「どうしてかわからないんだけど、今回は、いつもより二人の帰りが遅いんだ……。家を出てから、もう一ヶ月も経ってるのに……。合作所の人も、何も言ってこないし……」
「ミヂャ……大丈夫だよ。ちょっとくらい、前後することもあるって……、二人はもうすぐ帰って来るよ」
「あ……、うん、そうだよね、ちょっと遅くなることもあるよね。……安心したら、かえってお腹すいちゃった」
 グヮンヒの一言ですぐにミヂャにも笑顔が戻った。彼女は再びコーンケーキをかじり始めた。
「珠洲ちゃんと、美濃くんも、遠慮しないで、食べちゃっていいよ。……量は、そんなに多くないけどさ」
「あ……はい……」
 グヮンヒに促されて、珠洲と美濃もコーンケーキを食べ始めた。

   *

 珠洲と美濃は闇の中にいた。ただ、二人の姿だけははっきりと見えた。そして、その前方に例の骸骨がいた。
「……」
 二人は後ずさりした。
「……ナウィ、カヂョゲゥル、ドワ……」
「――!」
 骸骨は、すぐにまた珠洲と美濃の腕を掴んだ。二人は顔を引きつらせた。
「ナウィ、カヂョゲゥル、ドワ、ヂュセ……」
「ああっ!」
 骸骨は悲愴そうな言葉を放ちながら、二人の腕を引っ張った。その背後の空中には、また別の空間に通じるブラックホールのような穴が形成されていた。骸骨は珠洲と美濃とをその中に引き摺り込もうとしているように窺えた。
「……嫌……」
「離して……」
 二人は必死に抵抗したが、また、骸骨の方が力は強力だった。
そのとき、珠洲のスカートのポケットに入れていたボールペンが、骸骨と美濃以外の何者かによってさっと掠め取られた。もがいていた珠洲はそのことに気付かなかった。彼女の傍らに人影が映るとともに、ボールペンの頭部から、やや青みがかった緑色の光が放たれ、そして、それは骸骨に命中した。
「え……」
「う……ううっ……」
 骸骨は二人の腕を離して倒れ込むと、たちまちのうちに衣服ごと細かく分解し、砂の山になった。
 珠洲と美濃は人の気配を感じて自分たちの傍らを見上げた。そこに、スミンやミヂャたちと同じようにヨレヨレの服を着た中年の女性が立っていた。彼女もどことなく憂いを帯びた表情をしているように見受けられた。
「あ……」
 女性も、二人が自分を見上げていることに気付いた。そして、しゃがんで二人に目線を合わせた。
「あ……。申し訳ありません……、こんなことになってしまうなんて……」
「え……」
 女性は日本語で話した。
「どうか……これは、ずっと持ち続けていてください……。必ず、役に立つ筈ですから……」
 彼女は珠洲の手を握ると、そこに珠洲のスカートのポケットに入っていたボールペンを握らせた。
「これは私の責任です……すみません、本当に……」
そして、項垂れながら謝罪の言葉を口にした。
「あ、あの……」
 二人は彼女に話しかけようとした。

   *

 珠洲と美濃は同時に目を覚ました。二人の目線の先に、木の幹を組み合わせて作られた支柱があった。
 また、珠洲と美濃の間には、紺色のボールペンが二本転がっていた。二人はそれを拾うと、互いの目を見合わせた。
「あの……美濃くん……、もしかして今、私の出てる夢を見てた……?」
「え……、うん……、もしかして、珠洲ちゃんも……?」
 二人は相手の言葉を聞いて驚き合った。
 ずっと持ち続けていて下さい……。必ず、役に立つ筈ですから――。
 珠洲は、夢の中で女性に言われた言葉を思い出した。
「このペンって……。――」
 珠洲は徐に美濃の背後を窺った。その先では、外の月の光が土でできたヘォ家の壁に当たっていた。
 次に珠洲は反転してみた。そこで、スミンとミヂャがスースーと小さな寝息を立てて雑魚寝をしていた。
「……こっちは、夢じゃない……」
 珠洲は、気持ちよさそうに寝ているミヂャの顔を眺めた後で、藁葺きの天井を見上げた。
「美濃くん……、私たち、どうしてここにいるのかな……どこなのかな、ここ……、きっと京都じゃないよ……」
そして呟いた。
「え……」
 美濃は言葉に詰まった。

   *

 翌朝の日が昇っていた。
 ボロボロの靴に足が入れられ、踵が整えられた。そして、背負い籠にスミンの腕が通された。
「じゃあ……行ってくるよ、お姉ちゃん」
「え、ああ……、それはいいんだけど……、本当にいいの?」
 グヮンヒは申し訳なさそうに訊いた。
「あ……、はい、手伝わせてください」
 玄関の、籠を背負ったスミンの隣に、珠洲と美濃がいた。
「そっか……ありがとう。じゃあ、お願いします……。二人とも、珠洲ちゃんと、美濃くんのこと、頼んだね」
「うん!」
 スミンの隣にいたミヂャが快活に返事をした。
「それと……、山に入るときは注意してね……、多分、いろんな動物がいると思うから……」
「わかった……。それじゃ、行こう、二人とも」
「うん……」
「……行ってきます……」
 珠洲と美濃はスミン、ミヂャの後について戸外に出た。
 ヘォ家は山裾の一軒家で、周囲に他の店は見当たらなかった。珠洲と美濃は再度後ろを振り返ると、見送るグヮンヒに小さく頭を下げた。

  *

 空も、小川の水も澄み切っていた。また、時折そよ風が吹いていた。
 山には樹木はあまり生えていなかったが、草花は豊富にあった。四人はお互いに少し離れてハコベ、ペンペングサ、タンポポ等の食用の草を採り始めていた。
「これ……食べられるかな……」 
 しばらくして、同じような種類で、食用なのかどうか判らない草を何度か見つけたので、珠洲は顔を見上げてスミンのいる方を向いた。スミンは自分の眼前の野草をせっせと採集していた。
 珠洲は何時の間にか、ぼうっと彼の横顔を眺めていた。
 少ししてスミンは、珠洲が自分の方を見ていることに気付いて会釈した。
「……あ、食べられるかどうか判らなかったら、とりあえず、籠に入れておいてくれたらいいよ……?」
「え……あ、うん……」
 珠洲はすぐに頷いた。そして、そのまま目の前の草を抜き始めた。

   *

「ごめんください」
 ヘォ家の玄関前を箒で掃いていたグヮンヒは手を止めた。
「あ、はい……」
「ヘォ・ミョンセォンさんの娘さんだね?」
 唐突に尋ねられて、彼女は顎を上げた。
「はい……そうですけど……」
 訪問してきた男に、グヮンヒはきょとんとした表情で答えた。

   *

 珠洲は、また一本の野草を摘んだ。小さなアルミのボールは丁度それで一杯になった。
「これくらいでいいかな……」
「うん……」
 珠洲と美濃は腰を上げた。
「……あれ……?」
 何時の間にかスミンとミヂャの姿が消えていた。二人はきょろきょろと周囲を見渡した。
「スミンくーん」
 珠洲はスミンの名を呼んだ。その直後から、彼女のスカートのポケットが内側から激しく青緑色に光り始めていた。
「……? スミンくん……?」
 突然、珠洲はその場にいない筈のスミンの気配を感じた。相当離れているにも関わらず、どういうわけか彼と自分自身の距離とがほぼ正確にわかった。
 その後、程無くしてボールペンは輝きを失っていった。
「……?」
 珠洲はひとまずスミンの気配を感じた方に向かって歩き出した。
「……え? どうしたの……、珠洲ちゃん……?」
 美濃は慌てて珠洲の後に続いた。
「……あ……うん……、なんか、こっちの方にいる気がして……?」
 二人はそのまま進んだ。
 果たして、その光の先にスミンとミヂャがいた。
「来ちゃだめっ……!」
 スミンは強張った声で、珠洲と美濃の方を向かずに叫んだ。
その目線の十数メートル程先に、体長一・五メートル前後の月輪熊がいて、スミンとミヂャを威嚇していた。
「――」
 スミンは緊迫した表情で熊の方を見つつ、怯えるミヂャの肩を引きながらじりじりと後退した。
 一方で、熊の方もじりじりと彼に近寄った。スミンはちらりと珠洲と美濃の方に目をやった。
「……逃げて……」
 声を殺して二人に言った。しかし、二人は震え、また目に涙を溜めながらも首を縦に振った。
「逃げて……」
「だめ……スミンくんが……」
 二人は動こうとはしなかった。
 スミンの額から脂汗が流れた。彼はゆっくりともう一歩後退した。
 その直後に、月輪熊は前足を一歩前に出した。そして、スミンのいる方に向かって勢いよく跳ね上がった。
「だめー!」
 珠洲と美濃は叫ぶと共に目を瞑った。そのとき、珠洲のスカートのポケットの中にあったボールペンが強烈に光を放った。

【無料】霊力使い小学四年生たちの脱北支援 第一巻

2016年8月13日 発行 初版

著  者:坪内琢正
発  行:瑞洛書店

bb_B_00145936
bcck: http://bccks.jp/bcck/00145936/info
user: http://bccks.jp/user/138478
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

見出しを入力します

※ 改行多数のため、ツイプロ及びブログメッセージボードをご参照ください。
〇 ツイプロ:http://twpf.jp/sigure_pc
〇 ブログメッセージボード:http://blog.livedoor.jp/t_finepc/
※ アイコンの上半分の拾い物のイラストはつばさちゃんっぽいですが、小説の珠洲ちゃんの外見イメージにも近いです。

jacket