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自分だけ見えるものと
大勢で見る世界の
どちらが嘘か選べばいい
君はどちらをゆく
僕は真ん中をゆく
星野源『夢の外へ』より
あきらめないことが肝心だよ
あんたなら、できるよ
映画『サマーウォーズ』陣内 栄おばあちゃんの台詞より
「あけて。」
これは私が初めてしゃべった言葉です。
パパでもなくママでもなく。パパもママも見ていないシッターさんの家でした。シッターさんに何かをしてもらいたくて、この言葉を発したのでしょう。
その日から私は沢山の「あけて」を繰り返し言い、その意味をほとんど知らない時から色々な開けたり、開けてもらったりの経験をしてきました。
もちろん今はちゃんとした意味を分かっています。
さて、この本には四十三人分の作品が詰まっています。ぜひ、ページを開けて、それぞれの作品をゆっくり楽しんでください。
T.BUNA
はじめに T.BUNA
広い心 T.KAO
一円玉の貴公子と脱水男 H.JOTARO
指揮とピアノの殴り合い Y.KOTARO
友達の引っ越し S.TAKATO
やっぱりひみつ T.KAHO
もみじがかがやいている Y.SAKURAKO
初体験 T.RIO
消しゴム S.ANNA
時間、止まれ S.KOTA
ハバネロと秘密基地と夕日 Y.KOTARO
長い喧嘩 Y.IBUKI
必ずとる二枚のカード I.KOTARO
親戚たちとのバーベキュー O.CHIKARA
ひさしぶりに O.SAYA
除夜のかねは百八回 N.KEITA
うれしい一日 N.REO
雷のきょうふ U.JUN
日本一への挑戦 M.KOYO
大切なもの S.TAKUYA
目標 T.HARUNO
奇跡 T.SHINOMI
うれしいけど悔しかった M.KOTARO
真冬のロッククライミング A.JION
一瞬の逆立ち T.BUNA
未来に向けて K.NOKIA
演技 T.REI
悔しかった運動会 H.MASAKI
沢山の再会 F.NOA
ストーップ! K.HARU
いつになったらいいのかな? I.HANA
ずっと S.MIYU
来年はきっと K.KEIJI
愛犬ルッコラと私の後悔 T.KAO
小さい小さい大冒険 U.RYO
おじいちゃん M.KAISHI
First Live H.MIREI
大丈夫 T.MISATO
黒眼鏡 S.KANJI
明日、天気になあれ! S.AYATOMO
刹那の通り道 K.NATSUMI
あなたの周り K.NATSUMI・S.TAKUYA・
O.TOMOYUKI・S.AYATOMO
一度しかない時を大切に生きる O.MAYO
雨と太陽 Y.HANA
おいていく T.YUKA
解説&あとがき
私は空を見上げた。
その空はいつもの私とどこか似ていた。
それは何も考えずにいる真っ黒な空だった。
けれどなぜか明るい面も持っているようだった。
それは一つの色で統一され、正々堂々としていたからだ。
自分をきちんとアピールしている。
私は、とても憧れの気持ちが強くなった。
空のいい所はとても心が広く、この世の中の全てを受け止めている所だ。
とてもすごいと思う。
そんな空にはこれからも、この世界を広い心、優しい心で見守っていてほしい。
「なぁー平野ー、俺たちもう中二じゃん。なんか青春っぽい事しようぜー?」
「ん、いいよ。フロ、何する?」
「……。」
「んじゃあ歩くか。」
「えっ?」
七月十八日終業式。雲一つない晴れ。この日、俺たちの青春が始まった。
「それじゃみんな、夏休みの宿題ちゃんとやるんだぞー。」
担任のムカつく話をみんなシカトして、教室を後にした。
廊下を歩いていると、後ろから
「おーい平野ー、一緒に帰ろうぜい。」
「おう。」
「それと、帰りに寄り道しねぇ?マックとか行こ?」
「え?いいけど今日、あんましお金ないよ。」
そう、今日俺は遊び半分で、午後ティーを三本買って、それを全部飲むという挑戦をクラスの友人たちとやっていた。
「ノープロブレム、今日は俺のおごりでいいよ。」
「マジ?」
「うん、マジ。」
めったにおごってくれないフロが珍しくおごってくれるので、めずらしいなぁーと思った。
「じゃあよろしく、どこのマック行く?」
「うーん、いつも行ってる長津田のマックにしよう。」
「オーケー。」
俺たちは、学校を出て、長津田駅を目指した。
「混んでるなぁー、どうしよっかフロ。」
お昼時とあって、お店は混んでいた。
「じゃあ、お金渡すから買ってきて。その間、席取っておくから。」
「おしっ。」
俺はフロからお金を受け取って、列に並んだ。
「フロは、何が食べたいの?」
「てりやきバーガーのセットで。」
「セットだったら飲み物もあるけど、どうする?」
「あぁコーラでよろしく。」
「りょーかい。」
注文を終えて、キョロキョロしていると、フロが手を振っていた。
「はい!てりやきバーガーのセットとコーラ、おあがりよ!」
アニメ、食戟のソーマの名言、『おあがりよ』を冗談で言いながらトレイを渡した。
「おう、おあがるよ!」
「何それ、今のオリジナルでしょ?」
「うん。」
食事を済ませ、他愛もない事を話しながら、時間が過ぎた。
「なぁー平野ー、俺たちもう中二じゃん。なんか青春っぽい事しようぜー?」
「ん、いいよ。フロ、何する?」
「……。」
「んじゃあ歩くか。」
「えっ?」
「えっとぉまだ明確には決まってないけど……例えば、ふだん電車使ってる道を歩くとか?どう?」
「イイネ!」
「いいの?って言うか俺文化部だから体力自信無いんだけど。」
「問題ない。」
「どうしてそう言い切れる?」
「なんとなく。」
「よし、わかった。どこまで歩こうか。」
「道に迷うと大変だから線路沿いを歩いて、長津田からたまプラーザまで歩こう。」
長津田からたまプラーザまでの駅の数七駅、道のりはとても長く、上りや下りが多くて、道もちゃんと整備されていない。しかも、俺たちのくつはローファー。さらに二人ともお金が無い……(ヤバそうだけど大丈夫か。)
「オーケー、そんじゃさっそく行きますか。」
長津田駅。
「それじゃぁ、ヨーイスタート。」
長津田駅出発から約三十分、駅一つを通過した。そして問題が起きた。
「太陽強いなぁー、なんかのど乾いてきた。脱水になるー。フロ、お願いお金貸して、飲み物が欲しい。」
「あ、ごめん、今、百六十二円残ってんだけど、五十円玉一枚と一円玉が百十二枚なんだよねー。」
俺はあまりの驚きに、手に持っていたスマホを落とした。
「え!財布どうなってんの?」
「二つ持ち。」
「まじか!ちょっとその財布見せて。」
「ん?いいよ。」
ガマ口財布の中にはぎっしりと、一円玉が入っていて、手前のやつは、落ちそうだった。
「一円玉の貴公子と呼べ。あ、これマストな。」
「ただのバカでしょ。」
「バカとはなんだ。コツコツ貯めてるんだぞ。」
「貯金箱に入れろよ。」
俺は背中がかゆかったから手をあげた。その瞬間、開けっ放しのガマ口財布を持ったフローレス君の手に、俺の手が当たってしまった。
長津田駅を出発してから八十分後、フロの一円玉が百八枚になり、その後走り続けた結果、五駅進んだ。残り一駅。(頑張ろう。)と思った矢先、二つ目の問題が起きた。
「雲出てきたな。」
「うん、雨でも降るのかなぁー。」
「たぶんね。それより平野ー、道こっちで合ってる?」
俺は、スマホのグーグルマップを見た。
「うん、多分合ってる。」
「よしっ。」
「あっ、やべぇ。」
「ん、どうした?」
「スマホの充電、あと二パーセントだわ。」
今までグーグルマップを頼りにしてきたから絶望的であった。俺は急いで地図のスクショ(画面を撮って画像にすること)をたくさんして、フロの携帯に送った。
またしても恐れていた問題が起きた。これで三つ目である。
「あれ?道違くねぇ?」
俺の一言で場が凍りついた。
「ハァ、終わった。」
「ママァー!」
心身ともに疲れていた俺たちは犬のように叫んだ。そして文字通り狂った。
精も根も尽き果て、「あしたのジョー」の最終回みたいになった二人は、道も分からぬまま、ただ真っ直ぐ、道を歩いて行った。さらに、少し歩いていると雨が降り出した。雨が強まるにつれ、二人の口数は減っていった。
歩くことに集中していると、周りの音が聞こえてこなくなることを実感していた時、車を駐車するのに苦戦していた夫婦の声が坂の上から聞こえてきた。
「もう一回、もう一回ハンドルをきって。」
その声がフロにも聞こえていたらしく、それを見ていた。
車が駐車されていくにつれて、車のふちから光があふれた。車が完全に駐車されると、坂の上にちょうど綺麗な夕日が見え、眩しくて俺は目を細めた。まるで「新世界より」第二楽章の曲の中に入り込んでいるようだ。
不思議な気持ちになった。その後、俺とフロは無言で歩いた。
パチパチパチ……。拍手が鳴り止み指揮台の上に立つ。全員の歌う体勢が整う。そして僕は大きく息を吸い、指揮を始めた。一、二、三、四。
夏休みが近づいてきた七月。僕は、いつものような平然とした昼休みを送っていた。昼ご飯を食べ終わり、いつものように友達と話をしていると、後ろから頭を叩かれた。またかと思いつつも体が反応し、追いかけっこが始まった。逃げる相手、それを追う僕の前には、相手を逃がそうとする邪魔物たちが現れる。遊びの範囲内だと全員わかっているため、一人一人のお尻を叩きながら追いかける。相手はそんなに足が速くないのですぐに捕まえ、襟首を持って教室まで連れて行って、逃げていた相手の尻を叩いて、自分の席に戻ろうとした時に他のやつにまた頭を叩かれたので、そいつも同様にこらしめてやった。
ようやく自分の席に戻ると、僕の筆箱の中身と筆箱は黒板消しの粉の中に浸かっていた。僕は自分でも驚くほど冷静だった。ペンを一本一本しっかりとはたき、筆箱へしまった。そして平然と授業を受けているように見せていた。しかし頭の中は怒りで一杯でまともに授業を受けていなかった。授業が終わり、もうやったやつの目星はついていたので、そいつの所に行った。そいつとは初めに僕の頭を叩いてきた奴だ。そいつがちょうど、ボーとしていたのでそいつに聞いた。
「お前がさっきのやったの?」
「うん…そうだけど何?」
平然とそいつは言った。
「は…何そんだけなの。」
「うん…何もういい?」
そう言ってきた時、あまりにも腹が立ちすぎて相手を本気でグーで一発殴ってしまった。
すると周りにいた友達が止めに入った。そのおかげで一発だけで終わった。
放課後の教室。違うクラスの担任の男の先生と話をした。
「栁沢はいつもならこんなこと無いのにな。」
「そうっすね。」
「まあみんな、栁沢は悪く無いってことはなんとなく分かってるけど、やっぱ殴っちゃだめだよな。」
泣きそうになるのをこらえながら言った。
「俺この後、森田とどんな風に過ごせばいいんですかね。」
「大丈夫だよ。栁沢にはちゃんと止めてくれる仲間がいるだろ。だから、今まで通りに戻れるよ。」
こらえられなくなって、泣きながら
「はい。」
と言う返事をした。
その後、部活の話などをしていると僕の担任の先生が呼びに来て職員室に連れて行かれた。そこには森田も居た。先生達が色々な質問をしてきたのでそれに適当に返事をしておいた。最後に生活指導部の先生が話をした。話し方がウザかったのでほとんど聞いていなかった。二人とも同じ帰り道だったので一緒に帰った。
「殴ってごめんな。」
「いやまあ俺も悪かったから問題ないよ。」
森田が言った。
「てか何なのあの生活指導のハゲ、話し方スゲーウザかった。」
「わかる、マジ何しに来たんだよって思った。」
二人で笑いながら家まで帰った。
文化祭が終わり十一月頃、一月にある合唱祭の指揮と伴奏を決めることになった。一緒に帰っていると森田が、
「お前が指揮なら俺伴奏やるよ。」
と言い出した。去年は誰が何と言ってもやらなかったのに、ここにきて全国レベルの森田が動き出した。指揮が僕、伴奏が森田というのが決定すると練習が始まった。森田にヘタクソと馬鹿にされながらも練習を頑張った。
一月。僕は指揮台の上に立った。ここまでしっかりやってきた。そう自分に言い聞かせ、大きく息を吸った。そして僕は指揮を始めた。一、二、三、四。
ある日その友達は、ぼくに
「ぼくが引っ越したらどうする。」
と聞いてきたのでぼくは、
「そんなのうそだろ。」
と答えた。友達は、
「ふん……。」
と言って答えるのをやめた。
その日サッカーから帰って来たら、お母さんから
「友達引っ越しするよ。」
と伝えられた。
その時ぼくの心は、(どうしてあの子が引っ越すんだろう。その子は、サッカーも一緒で、いつも遊んでいた大親友だ!)と落ちこんでいた。ぼくの心臓が「ドキッドキッ。」と激しく動いた。ぼくは、その友達が引っ越しするまでにたくさん遊ぼうと決めた。
そして、その友達が引っ越しするまで約十回ぐらい遊んだ。
しばらくして最後の試合があった。対戦相手は忘れてしまったが、ぼくは、その友達にたくさんパスをして点を決めさせてあげたかった。そして、必死にパスを出し続けたらその子は、点を決めてくれた。ぼくらは、声がからからになるほど喜んだ。
「ヤッター、ヤッホー。」
三百六十度の全部から聞こえてきた。試合に出てるみんなとベンチの人とお母さん達からの声援だ。その子は、満面の笑みをうかべ自分たちのサイドへもどっていった。
一週間たって、サッカークラブのお別れ会があった。そこでは、歌を歌ってプレゼントのぞうていをして、みんなでサッカーの練習をした。その練習は、いつもより三倍ぐらいもりあがって、みんなその友達にいつもよりたくさん話しかけていて、ミニゲームもいつもより面白かった。
ぼくは、その友達が引っ越しする前にその友達とある約束をした。その約束は、手紙だ。ぼくは、友達に
「最初はおまえ書けよ。」
と言った。そしてその友達は
「うん。」
とうなずいて車の中に入った。ぼくは、
「今度また、おれん家に来いよ。」
と言って、その車を見送った。
ぼくは、その時心がびしょぬれになって涙が出そうになった。でもぼくは、涙をぐっとこらえた。でも家に帰ったらしくしくとお風呂の中で泣いてしまった。
学校の帰り、友達と帰ろうとしてろう下を
「パンパン。」
と行くと一緒に帰る友だちが階段のドアから
「わっ。」
とおどかしました。一緒に帰る友だちと階段をどんどんまた歩いて行くと次の友だちにも
「わっ。」
と言われました。
横断歩道に来たら友だちに
「じゃあ今日の三時二十五分に学校の前で待ち合わせね。」
と言われたので
「早いな。」
と思いました。その日は、五時間授業だったので三時下校でした。わたしの家は、その三人の中で一番遠いので急いで帰ろうとしたらこけて、それにつられて後にいた五年生の人もこけました。わたしは、軽くすりむいただけだけども、後の女の子は、少し血が出ていました。
学校についた時は、もう十五分おくれてしまいました。そのあと林試の森という所で四時まで遊んで、五時までひこうき公園というひこうきの遊具がある所で遊びました。そのひこうきの遊具は、鉄のぼうだけでできていて羽の所は、うんていで出来ていてちゃんとひこうきにベンチみたいな乗る所もあります。わたしは、ひこうき公園の虫が出る所はきらいだけれども、そんな遊具はほかにはないので好きです。
みんなとわかれて帰る時、一人の女の子とわたしが
「来週は中央公園で遊ぼ。」
と言いました。中央公園はわたしの一番好きな公園です。そうしたら男の子が
「いやだ。」
と言ってなきまねをしました。その男の子は、中央公園がきらいです。女の子は、わたしと同じく中央公園が好きです。なぜその女の子が中央公園を好きかというと、女の子はわたしが二年生の時に転入してきました。三才から一年生の時まで「アメリカ」にいました。中央公園は、遊具のどこかに英語でなにか書いてあります。女の子は、英語を読むのが好きなので中央公園が好きで、あと小さい公園なのにターザンロープやアスレチックがあって楽しいからだそうです。逆に男の子の方は、運動がきらいなので中央公園はとくに遊具が多いためきらいと言っていました。
「今度遊ぶ時からはぜったいに中央公園で遊ばない。」
と言っていました。そして
「遊ぶ時は林試の森ならいいよ。」
と言いました。女の子が
「林試の森はとっても大きいのに何でなの。」
と男の子に聞いたら男の子は、
「なぜか。」
と言いました。
「ちゃんと理由があるんだけど。」
わたしが
「じゃあなぜ教えてくれないの。」
と言ったら
「教えてもいいんだけれど。」
「なら早く教えて。」
と言ったら男の子が
「やっぱりひみつ。」
と言いました。わたしと女の子はもやもやしました。女の子は、男の子のほっぺをつねりました。それでも男の子は、
「ぜったい言わないもんね。」
と言って
「べー。」
とやったのでわたしと女の子も
「べー。」
としました。
そう言っているうちに十五分がたっていました。そしてみんな家はまったく方向がちがいます。
「じゃあね。」
と言ってみんな家に帰りました。
「今日は十度くらいなのに散歩だー。」
私がつぶやいた。今日のテーマは月にかんしての事ですと先生が言った。誰かさんが
「先生、公園行く?」
と言った。
「だけど鬼ごっこはしないよ。」
と先生が言った。
「なんで?」
と言ったら、
「桜子が入院するからしません。」
と先生が言った。
「えー。」
とみんなが言った。
公園にみんなで行った。公園に向かう時に羽優子が
「桜子ちゃん足大丈夫?ゆっくり歩いた方がいいよ。」
と気にしてくれて、羽優子のやさしさに私は、温かい思いがした。
公園についた。私と羽優子が二人でいっしょにベンチに座った。公園にはもみじがいっぱい見えた。羽優子が木からとってきたもみじを月にかざして見たら、あざやかでとても輝いているように見えた。私はとても気分が明るくなった。もみじの形は先がとがっていて、色は赤と茶色と緑が重なっていた。
ゆっくり歩いている時、月が私たちの事をまるで追いかけているように見えてびっくりした。
「チャポン。」
わたしは、後ろ向きにはしごをおりた。海水は、思ったよりあったかい。コーチが
「みんな板につかまって。」
と言った。わたしは、シュノーケルは初めてだから息が苦しくなったらどうしようとか、深いから足がとどかなくておぼれちゃうかもしれないと不安になった。
わたしは、船のロープにしがみついてから先生が持っている板をつかんだ。
先生は、板についているひもを引っ張った。わたしは、頭を海水につけてみた。色んな魚がいる。青と黄色の魚やクマノミがいて、元気よく動いている。コーチが、
「つかまえたら持って帰っていいよ。」
と言ったら、みんなは、
「えーマジ。」
とか
「でも、飛行機に持って行けないじゃん。」
とか言っていた。でも、そう言いながらも魚をつかまえようとしていた。コーチが指をこすり合わせていたので、みんなが
「なんで、やってるの。」
と質問するとコーチが
「こうすると、魚が寄ってくるよ。」
と言ったので、みんないっしょにマネし始めた。本当に魚が寄ってきたので、わたしも試しにやってみた。みんなは魚をよんでは、つかまえようとして逃げられていた。わたしも同じようにやってみたら簡単に魚が寄ってきたので、軽くつかまえようとしてみた。でも、やっぱり逃げられてしまった。魚は、さっと逃げて、そんなに遠くにいかないで、近くで見ていた。だから、わたしは、魚がまたエサをくれるのかなと思って見ているんだと思った。
コーチが
「浅くなるから足上げて。」
と言った。浅くなるときれいなサンゴや魚がいる。わたしが一番、目についたのはニモにでてくるドリーみたいな青に黄色がちょっと入った魚やサンゴの中にかくれているクマノミだった。見ているうちに、船についた。はしごを
「トントン。」
と上がって、わたしは
「ふっ。」
と息を吐いた。船から海を見ると、そこには魚の影が映っていた。
「お願いっ!消しゴム貸して!」
私のクラスのおっちょこちょいの友達が、朝、私に言ってきた。
「もー。おっちょこちょいなんだから。」
と消しゴムを貸した。一時間目は図書だったので別に不便じゃなかった。
だが二時間目の算数の時、先生が黒板に書いた字をノートに写していると、
「あっ!」
字を間違えてしまった。(消しゴム消しゴム……)でも探しても見つからなかった。(そうだった。朝友達に貸したんだった。)しかたなく私はとなりの人に、
「消しゴム貸して……。」
とお願いした。幸い消しゴムは借りられたものの
「明日はちゃんと持ってこいよ。」
と念押しされた。私は、(別に私は悪くないし。友達が消しゴム忘れたからだし。)と思った。時間がたつにつれ、だんだん友達が憎たらしくなった。(二時間目終わったら返してもらお!)私は思った。
「キンコーンカンコーン。」
チャイムが鳴った。友達のところへ行こうとすると、友達は走って遊びに行った後だった。私は探す気力も無かった。しかたなく三時間目は消しゴム無しで授業を受けた。字を間違えないようにノートを書いた。
三時間目が終わった後、友達に、
「消しゴム返して。」
少し怒った風に言った。けど友達に
「今無理ー。」
とスルーされた。
今日は土曜日だったので三時間授業だった。私は仕方なく、下校の時に返してもらおうと思った。
だが、
「なにぃ!帰った?」
思わず大声を出してしまった。友達の隣の席の子は、
「ものすごいスピードで走って行っちゃったよ。」
と言った。
私は(あんにゃろー、人にもの借りといて何帰っとんじゃい!)と怒って帰った。
休み明けの月曜日、学校へ来たらすぐさま友達の所へ行って、
「消しゴム返して!」
と言った。ところが、
「ごっめぇーん。家に忘れてきちゃった!」
そんなあやまる気のない空あやまりに、私のイライラ度が増した。
「頭っきた!」
本当に怒った私は、手当たり次第友達に、
「あのね、◯◯ちゃんがね…。」
と明らかに友達が悪いように言いふらした。だいたいが共感してくれた。共感してくれるごとにいい気分になった。だが、一番の大親友に、
「さすがにそれは言い過ぎじゃない?」
と言われた。たしかに考えてみれば友達が貸したものを返さなかったのも悪いが、それを言いふらした私も悪い。私は、(絶対に謝ってきても許さない!)と思っていたのに許してもいい気持ちになった。
結局許した私は、心底許して良かったと思う。でも、何回もされると困るので今ではスペアを必ず持ってくるようにしている。
十二月二十五日の朝、ぼくはいつも通りに起きた。理由は、もっと前にプレゼントが、届いていたからだ。ただひとついつもとちがうのは、今日、ぼくの一番の親友が千葉へひっこしてしまうことだ。
いつもと変わらない準備をして、ふつうに学校へ行き、ふつうに授業を受け、ついにお別れの会の時間になった。
お別れ会は、リレー、おにごっこ、ドロケイなど遊びをしたり、特別に理科の先生に軽いマジックを教えてもらったり、みんなで歌を歌ったりした。ぼくは、泣きそうになるほどさびしかったし、悲しかったが、それは、たぶんみなも同じなんだろう。他の友達のスピーチを聞いていて、そこでも泣きそうだったがぐっとこらえて、スピーチの続きを聞いた。他の友達がスピーチの中で「君のことはクラスみんな忘れないよ。」と言ったので、また泣きそうになった。
ぼくはその時何度も時間止まれと願ったが、ものすごく意地悪な時間は、止まってくれなかった。止まってくれないのは、わかりきっていたがそれでも何回も時間止まれと願い続けた。
願い続けたのに止まってくれなかった時間に、腹が立ったが、悲しみでそんな感情もすぐにかき消された。ぼくはこの時、初めて本当の悲しみを知った。その悲しさははんぱじゃなかった。
お別れの会の最後にアーチを作る。アーチは教室から教室の出口までみなで作った。友達がアーチをくぐる。自分の近くに来た時、その友達との三つの思い出がよみがえった。
一つ目はお互いの誕生日会に行ったこと。二つ目は公園でとりかごなどをして遊んだこと。三つ目は、けんかしては、仲直りを繰り返した思い出だ。
友達がアーチをくぐり終わった。
学校が終わり、共通の友達が二人加わり、帰り道四人で帰った。何か話そうと思ったが、何もネタが無かった。他の友達も同じようにネタが無いようだ。
一人の友達がいきなり、プレゼントを出して、
「千葉でもがんばれ、はいプレゼント。」
と言ったので、ぼくもプレゼントを出し、
「千葉でも、がんばれ。」
と言いプレゼントを渡した。
こうして、ぼくの一番の友達は千葉県へ行ってしまった。
約一カ月たったある日、その友達が約一カ月後に遊びに来ると言う電話が入ったので、すごくうれしくなった。ぼくは今、他の友達十人といっしょに一番の友達を約一カ月待っている。一年の中で一番楽しみな日は、誕生日の三月八日から二月二十一日に変った。
「早く、遊びに来てほしいな。」
と学校から帰る時にぼくは、つぶやいた。
五月一日、僕は自転車でコンビニに向かった。自転車で行くと涼しい風の爽快感がたまらない。気が付くと僕はいつのまにかコンビニに着いていた。
コンビニに入るとエアコンの空気が気持ちよく、また同じ爽快感を味わえた。そして、僕はいつものものを買う。そこで僕は新しいマンガを読み、その後、家に向かった。
家に着いたらそこには誰もいなかった。どうやら、留守だったらしい。一人で食べるのもなんだから土手で食べようと思った。なぜ土手に行くかというと、そこには秘密基地があるからだ。
僕は再びペダルをこぎ、秘密基地に向かった。
家から秘密基地までの距離はかなり遠い。三十分くらいかかる。
そして三十分後、秘密基地に着いた。秘密基地は川で景色がよく、魚がよく見える。
僕は、袋からハバネロを取り出し、食べる。ハバネロは辛く、口に入れたら舌が熱くなるのを感じる。
その時、どこからか
「おーい、こうたろう。」
と言う声が聞こえた。僕はきづいて、後ろをみたらSちゃんがいた。
僕とSちゃんは二人でハバネロを食べ、いっしょに遊んだ。僕たちは魚つりを始めた。竿作りはこう。ちょうどいい植物をぬき、その先に糸ばりをつけ、完成。えさをハバネロにして、つり始め。十分後、僕たちはたくさんの魚をつり、川に流した。
川に映った夕日は美しかった。
「ふざけんな!」
ぼくが友達の◯◯君に怒鳴った。そしたらその◯◯君も
「ふざけんな!」
そしてぼくがムカついて
「お前が悪いんだろ。」
と言ったら、◯◯君が叩いてきた。そしてぼくも叩いて叩き合いから引っ掻き合いが始まった。まず叩いたり、ビンタをしたり、蹴ったりした。途中でぼくが誤って◯◯君の目を引っ掻いて血を出させてしまった。だが◯◯君も仕返しとしてぼくの頬をグーでパンチした。そしたらその乱闘中に□□君が
「二人とも喧嘩はそれくらいにしろよ。」
と言うとぼくと◯◯君が同時に泣き始めた。すると、
「二人とも何があったんですか。」
先生が来た。僕達はずっと泣いていたので、その事は□□君が先生に全部話してくれた。
その後ぼくと◯◯君は教卓で事情聴取された。
「何故こんな事になったんですか。」
先生がぼく達に聞いてきた。そしたら
「こいつが悪いんです。」
◯◯君が言ってきた。ぼくも
「いやこいつが悪い。」
と言い始めてまた言い合いが始まった。そうするとまた□□君が
「やめろよお前ら。」
と大声で言った。ぼく達はまた静かになった。だがまた小声で
「お前が悪いのになんで俺が怒られないといけないんだし。」
と言い出したとたん
「だってお前が消しゴム取ったから悪いんだろ。」
「だって返すこと忘れてたんだもん。」
また叩き合いや言い合いが始まった。また□□君が
「何回喧嘩するんだよ。」
と言った。だがぼくらは□□君に
「うるさい!□□君関係ないんだから話に入ってこないで!」
と言ったら、□□君も
「ぼくは君たちを仲直りさせようとしてるだけなのに、なんで君たちに怒られないといけないんだよ!」
と言ってきて三人で言い争いが始まった。
そうしたら先生が
「三人とも静かにしなさい。もう授業は始まっているんですよ。」
気付くともう一時間以上言い合っていた。
ぼく達は少しずつ落ち着いてきて三人でいっしょに
「ふー。」
と深呼吸をした。すると先生が
「今回の事は各家庭に電話します。」
と言って三人とも校長室へ連れて行かれた。
そして先生が隣の職員室から皆の家に電話して全ての家庭に今どんなことが原因でどんなことがあったか話していた。僕達はその間も小さな声でぶつぶつと自分の思っていることを言っていた。
「あいつが消しゴムを取って、俺が少し怒っただけで、あいつが逆切れしてきたのに、なんで俺まで怒られないといけないんだし。」
「あいつに借りた消しゴムを返し忘れただけなのに、あんなに怒って、ぼくも言い返したただけなのになんで俺まで…。」
「俺はただ二人の喧嘩を止めたくて少し大声で二人に注意しただけなのになんであんなに逆切れされて言い返しただけで、俺まで二人といっしょにここに来ないといけないんだし。」
と言っていると、また少しずつ声が大きくなって、また言い争いが始まった。
すると、
「□□君は帰っていいですよ。」
と先生が入って来た。そして□□君がランドセルや帰る用意をし始めて帰って行った。ぼくと◯◯君は
「なんであいつだけ帰っていいんだし。」
と言っていた。ぼくと◯◯君はその後、目も合わせずに先生とぼくと◯◯君で校長室にいたら、
「コンコン。」
校長室のドアが鳴った。
「ガチャ。」
「失礼します。」
入ってきたのは◯◯君のお母さんだった。そして数分後……。
「ガチャ。」
「失礼します。」
ぼくの母親が来た。そして先生がまた詳しく親に説明した。親達が
「うちの子が失礼しました。」
などと言って謝りあった。そしてぼく達も
「今度からは消しゴム貸したらすぐ返してよ。」
「今度からぼくも借りたものはすぐに返すよ。」
と言い合って仲直りした。
今日は、待ちに待ったカルタ大会だ。カルタと言っても四字熟語のカルタだ。ぼくは漢字が苦手なので好きではあるが得意ではなかった。カルタ大会を始める前に三十個の四字熟語を先生が読み始める。何回も聞いているうちに三十個すべての四字熟語を覚えることができた。
「今回はいける!」
と思った。その時事件は起きた。なんと机に並べられた熟語は三十個だけでなく百十個だった。ぼくの自信は絶望へと変わってしまった。だが諦めるわけにはいかない。なぜなら、今回はチーム戦であり相手にはハンデがあるのだ。
「バン。」
戦いが始まった。どこになにがあるかを見ていくうちに、とんでもないことに気づいてしまった。それは、ぼくが好きなアニメ「ハンター×ハンター」に出てくるキャラクターの「キルア」が使う技の「電光石火」と「疾風迅雷」があったのだ。これは絶対に自分でとると決め、その二枚の場所をしっかり目に焼き付けた。
「バン。」
また誰かがカードをとる。ぼくはひたすらその二枚が来るのを待ち続けた。
「電光石火!」
とカードが読まれる。ぼくはすぐにそれをとった。
「疾風迅雷!」
二枚目が読まれた。これもすぐにとった。
しばらくして戦いは終わった。ぼくがとったカードは十四枚だった。戦いには負けた。だが悔いはない。目をつけた二枚をとることができたからだ。
五月になって間もないのに、暑い日が続いていた。そんな時、親戚たちとバーベキューをすることになった。
当日は「雨」の天気予報だったが、太陽が眩しく輝いていた。他の一般客も、「晴れて良かったね。」と嬉しそうだった。
タープを張り、バーベキューコンロを囲うように椅子を並べると、快適な空間になった。大きなタープを協力して建てると、自然と達成感を覚えた。コンロの周りの椅子に座ると、火の温かさで、温もりを感じた。
そんな空間が出来た頃には、もう昼を過ぎていた。
「よし、飯にするか。」
おじさんがそう言うと、遊んでいた小さなはとこたちは、笑顔でこっちへ駆けてきた。その笑顔を見ると、僕も笑顔になった。
火がついたバーベキューコンロは、肉が焦げそうになるぐらい火力が強かった。その火へ入る肉は、赤と白の美しい色から、茶色へと、「ジュー」と音を立てて、姿を変えていった。その光景には、僕も周りの大人も目を輝かせていた。そんな肉は、ほっぺたが落ちるほど美味しかった。肉を食べた小さな姉妹はとびきりの笑顔を見せた。一枚食べると、すぐに一枚焼かれていった。だから僕たちは美味しい肉を好きな量だけ(僕の場合は『たくさん』)食べることができ、最高の気分だった。
肉は僕の腹をいっぱいに満たしてくれたが、食べ過ぎて苦しくなってしまった。少し休憩すると、はとこたちがこっちへ駆け寄ってきた。
「これで遊ぼう。」
彼女たちの手には水風船があった。正直、お腹いっぱいで動きたくなかったが、中学二年のいとこと一緒に遊ぶことにした。
水風船で遊ぶに当たって、まず膨らますことから始めなければならない。僕を含めて全員が、膨らます時に割れちゃったらどうしよう、とおびえていたが、一つ本当に割れてしまった。
「きゃあ!」
かわいらしい笑い声がバーベキュー場内に響いた。そんな小さな子たちの声にも、僕たちは癒された。準備ができると、僕といとこは、その水風船を使ってキャッチボールをした。小さな姉妹は飽きてしまったのか、いつの間にかタープの下でくつろいでいた。小さな子たちは飽きるのが早いんだな、と思い笑ってしまった。
その後僕たちは、公園で遊んだり、おやつを食べたり、楽しい時間を過ごした。彼女たちとは、年に数回しか会えない。その数回のうちの一つをいとこと一緒に楽しむことができて、とても嬉しかった。いつもダラダラ過ごすゴールデンウィークを、こんなにも楽しみ充実した時間を過ごすことができた。彼女たちは、どんどん大きくなっていくが、これからも僕は、親戚と楽しくすごしていきたい。
五月のはずなのに八月の様な日差しだった。今日はゴールデンウィーク二日目だ。このゴールデンウィークで友達と遊んだのは一日だけで、それも一日目だった。本当は後半に違う友達と遊ぶ予定だったのに、部活があるとかで約束が無しになってしまった。せっかくの休みのはずなのにと考えながら家でソファーに寝転がっていた。
次の日、朝早く起きて鎌倉に行くことになった。電車を乗り継いで、鎌倉に着いた。小学生の時に行ったことはあるけど、私が成長したからなのか、なんだか違って見えた。キョロキョロと周りを見ながら両親と一緒に歩いていたら、江ノ電のホームが見えてきた。テレビでは何回も見たことがあるはずなのに、実際に近くで見るのとでは印象が違った。今からあれに乗るのか、と思うと心が踊った。
ゴールデンウィークだからか、小さな電車の中は人であふれていた。窓の外に目をやると一駅ごとに変わっていく風景がとても新鮮だった。
お店や商店街がすぐ目の前に見える駅や近くに森が見える駅とかを見た後、海が見える駅で下り、海の近くまで行ってみた。その時私はスニーカーを履いていたので、砂浜は歩けなかったけど海の匂いを久しぶりに嗅いだ。親と一緒に海に来るのも久しぶりだった。そう考えるとなんだかむずがゆい気持ちになった。
次にまた電車に乗って小さな駅に着いた。とても静かで、気持ちが鎮まりそうな場所だった。普段生活している中で、森や木に触れる機会なんてそう無いと思う。森の中を抜けると、道路に出た。脇には住宅が並んでいて、家と家との間に青色の塀があったのでそこを通ると、海に抜けた。私は、
「あぁ、こんな家に住みたいなぁ。」
とつぶやき、もと来た道を引き返した。もっと道を進んでいくと、おしゃれなコンビニみたいな所があったので入ってみると、いろいろなスナック菓子や、飲み物が並んでいた。見たことがないものでいっぱいだった。飲み物の棚を見ると、九十五ミリリットルのビールや鎌倉サイダーなんてものもあった。小さいビールのことを
「初めて見た!」
と言っていたら、
「見たことなかったの?」
と言われて悲しかった。サイダーは飲んでみたいなぁとは思ったけど、ずっとその店に居るのも何だか味気ないなと考えて、店を後にした。
少し進むと、また駅が見えて、また商店街があった。お土産屋さんがたくさん並んでいて、鎌倉以外の大仏のグッズや東京とかでも買えそうなものが一杯あった。だんだんお店を見るのも飽きてしまったので、鎌倉に戻ることにした。行きはあんなにキラキラして見えた風景が小さな電車の中で押しつぶされたせいでただの林にしか見えない。
戻ったら、駅が人であふれ返っていた。たぶん江ノ電の切符を買う人の列だろう。駅から出ても人が一杯いる。行きとは全く違う場所のようだった。しばらくお母さんやお父さんの買い物につきあったりしていたら、お母さんが
「クレープ食べたい?」
と聞いてくれた。私は勢い良く、
「うん!」
と返事した。私は抹茶チョコを頼んで、お店の後ろの方の席で待っていた。時折、店の内に熱い風が吹いてきた。どことなく、夏だなぁと思っていたら、お母さんがクレープを持ってきてくれた。持ってみると意外に熱く、まだ食べられないと思いながら持っていた。
クレープを食べながら考えていた。久しぶりに両親と遠出をして良かったなぁ。たまには親と出かけるのも良いなぁと思っていたら、
「食べるの早いね。」
と言われてしまった。
テレビの時計を見たら、十一時になっていたました。ふだんなら、もう、布団に入っている時間です。でもどうして十一時まで起きていたかというと、今日は、十二月三十一日の大みそかだからです。
ぼくは十一時十五分になったので、ベッドでテレビを見ながら、ねそうだったパパを起こしました。ぼくは、除夜のかねをつけるという気持ちでいっぱいでした。そして、服を二枚、耳あてと、サッカーチームのぼうしをかぶって、ぼくは出かけました。
外に出ると空は、とっても暗かったです。車は一台も通っていなくて、まわりは一つも音がしませんでした。昼間とは、まるでちがいました。そこでパパと寒い中、自転車に乗って近くの動物の石象がいっぱい置いてあるお寺に向かいました。
お寺には、お寺の人が八から九人、一般人がぼくも入れて五人から六人いました。そして、お寺の人に
「あめと、お酒はいかがですか?」
と聞かれて、ぼくは、
「下さい。」
と答えました。
そこでパパと話しながら十五分ほど待っていたら、まだ十一時四十分なのにお坊さんが、
「あけましておめでとうございます。今年は羊年です。」
などと説明を始めたので、ぼくは、パパに小さな声で、
「まだ十一時四十分だよね。」
と聞きました。それから、お坊さんと役員さんが、かねをつきました。そうしたら、
「ブォーン。」
とすごく大きな音が鳴りひびきました。それは、耳が痛くなるぐらいでした。その後も役員さんやお客さんがつくかねの音が
「ブォーン。」
「ブォーン。」
と鳴りひびいていました。
いよいよ、ぼくとパパがつく番になりました。かねの前に行くと、前にかねをついた人の音が、
「ブォーン。」
とまだ鳴っていました。ぼくと、パパと、役員さんが、
「いきますよー。三、二、一、ブォーン。」
と思いっきりつきました。それは今までつかれた中で一番大きい音でした。その時、悪い物がすべて音で逃げていったと思います。パパと、
「今の音がすごくおおきかったね。」
と言ってすごくおどろきました。
帰り道、パパと自転車に乗りながら、どこまでかねは鳴りひびくかけんしょうしてみました。そうしたら百メートル以上はなれた所でも、ひびいていました。そこまで大きな音が鳴っていると分かって、ぼくとパパは、ちょっとびっくりしました。
どうして、除夜のかねは百八回なんでしょうか?ちょっと調べてみました。除夜のかねは四苦八苦を追いはらうから、数字に直したら四九八九になります。それを四×九+八×九にすると、百八になるから除夜のかねは百八回と言う人もいます。
除夜のかねは室町時代に始まったと言われています。今から七百年ぐらい前に有名なお寺で始まりました。始まった理由は、悪い物を追いはらうなどといっぱいあるそうです。
左足をペダルにつけて右足を地面につけた。ぼくは、自転車をこごうとしたけど、こいだらすぐにたおれた。
「はぁ〜。」
ぼくは失敗したので、ため息をついた。
「今日は、もうむりだ。」
ぼくは、家まで自転車をおして帰った。ぼくは、一瞬体が重く感じた。ぼくはそれから一年以上自転車に手をふれなかった。
一年生になって自転車の練習をしようとした。それは周りに自転車に乗っていた子たちがいて、おもしろそうだから、やろうと思った。
休みの朝、ぼくは近くの公園で練習をした。たおれそうな時は、いつも地面に足をつけた。なぜかと言うと、前よりぼくの体が大きくなっているからだ。何回もくりかえして、急にできた。できた時、うれしくて
「やったー!」
とさけんだ。
次に止まる練習をした。どうやって練習したかと言うと、公園にある鉄棒の所までこいで、ぶつかりそうになった時に止まる練習だ。
ぼくはペダルをこいだ。もっともっとスピードを上げた。風が顔に当たった。鉄棒にぶつかりそうになった所でブレーキをかけた。ぎりぎりに止まった。
その後は、ぼくは自由に自転車をこいだ。すべり台のすべる所までこいだ。止まろうとしてブレーキをかけた。でもブレーキがきかなかった。
「ガシャ!」
自転車はすべり台にぶつかった。ぶつかった時、ぼくは目をつぶった。ぼくが目を開けた時、自転車がすべり台にちょっとだけ、上がっていた。次からは、ブレーキをちゃんとかけるようにした。
それから自転車で友達の家に行ったり、おじいちゃんの家に行ったり、いろんな所へ行けるようになった。自転車は歩くよりスピードが速いから楽しい。
ぼくは学校にいるときに、
「ガラガラガッシャーン。」
といって雷がどこかに落ちてから、あまり電気の物を雷の時には使わないで、部屋のすみっこで雷が落ちてこないことだけを願ってしゃがんでいる。
ある日、夕ごはんの前に、テレビを見ていたら急に電気が
「パッ。」
と消えて
「うわーなんだー。」
とぼくが言うとまわりがまっ暗だった。すぐにかいちゅう電灯を探して、早速つけてみても電池がなくて、光が出てこなかった。
「くっそぉー。」
と言いながらかいちゅう電灯なしで、しぶしぶ三階に行って、電気のレバーを上げようとした瞬間に
「ガラガラガラーン。」
と部屋中に雷の音が鳴り響いた。
「ひいー。」
とぼくは、その場にくずれ落ちた。
のんきな声でお兄ちゃんが、
「どうしたー大丈夫かぁー。」
と二階から呼びかけてきた。ぼくはなんとか立ち上がり、電気のレバーを上に上げた。
それから、雷の時はかいちゅう電灯を常に用意することにしている。
きれい……。空がオレンジ色に染まる。僕は、動けないほど寒いことも忘れて、日の出を見ていた。まるで高級な卵の黄身みたいだった。
七月三十日、僕は日本一の山、富士山に登った。富士山に登ることになったきっかけは、僕が急に、
「富士山に登りたい!」
と言いだしたからだ。それで登ることになった。
当日、父と母、僕と妹の家族四人で出発した。五合目まではバスで行き、五合目から登り始めた。この日は天候が良く、そのうえ長袖長ズボンで登ったので汗でベトベトしていて、暑かった。でも、登山は楽しかった。
途中で、腰くらいの高さの岩に登って少しキツかったり、重いリュックを背負いながら、険しい道に生えている植物を見て、植物って凄いな!と思ったり、標高の高い場所にまだ雪が残っているのを見たりしながら登って行った。
八合目で泊まった。寝る場所を案内してもらった時、心の中で(狭っ!)と思った。父は、まっすぐ寝ると足と頭がぶつかっているほどだった。さらに縦だけでなく横も、寝返りがうてない状態だった。それでも夕方の五時半に寝た。
朝は太陽が起きる前の二時半に起き、日の出を見るために登り始めた。頂上が見えている状態なのに、着くのに二時間半以上かかった。さらに、妹が途中で疲れて石を見つけては座るので少しイラっとした。だから頂上の鳥居をくぐった時はとても嬉しかった。でも、すぐに手がかじかんでいった。それくらい頂上は寒かった。
東側の岩に座って日の出を待っていた。少し経つと周りが明るくなり、太陽が顔を出した。きれい……。空がオレンジ色に染まる。僕は、動けないほど寒いことも忘れて、日の出に見とれていた。太陽が僕のがんばりを認めてくれたような気がして、とても嬉しくなった。
「日本一の日の出」を見た後、頂上で朝食を食べようとしたが、寒すぎて手がかじかんで動かず箸が持てなかったので、とにかく急いで食べて降り始めた。そして、日本一への挑戦は無事幕を閉じた。
「カキーン。」
鋭いあたりが三遊間を抜けていった。一塁ランナーが盗塁していたため、セカンドベース上にいた私は、三塁ランナーがホームインするのを見て、がっくりと肩を落とした。十対三。五回コールドである。今まで、負け無しだったのに。
あいさつを終え、ミーティングをする。私は十失点もしたピッチャーに対して憤りを覚えていた。
帰り道、一人で帰っていると、後ろからピッチャーの話し声が聞こえてくる。
「いやー今日はキャッチャーのリードが悪かったね。キャッチャーの構えたところに投げたら、打たれたよ。」
全く制球できていなかったくせに、キャッチャーのせいにするピッチャーに憤りを超えて呆れた。
次の日、練習が行われた。ミーティングでは、次の試合もエースは来られず、あいつが投げると伝えられた。一人を除き、全員が絶望感に包まれる。その日の練習でも、ふざけた態度に怒りがたまった。
そして練習終了後。あいつが
「次の試合、俺、ノーヒットノーランやるわー。」
と軽い調子で言ったのに、ついに堪忍袋の緒が切れた。あいつのもとに歩み寄り、
「お前、ふざけんなよ?お前の実力じゃあ、無理だってことぐらい気づいて欲しいね。せいぜい五点以内に抑えてくれよな。」
精一杯、感情を押し殺して言って、呆然とする彼を置いていった。
試合の日。いつもの高揚感を覚えることなく試合に臨んだ。
一、二、三回と何事もなく進んだが、四回に粘っていたピッチャーが一点取られ、そこからせきを切ったように六点取られた。ほうほうの体で抑えたものの、相手は全く反撃の隙を見せてくれない。そのままできた六回。疲れが見えてきた相手ピッチャーから、五、六、七番が三連続ツーベース、さらに八、九、一番の連続死球で三点差の無死満塁という絶好機が訪れた。二番は三振。私の打順だ。打席に行こうとした時、ピッチャーに
「頼むぞー!」
と目に涙を浮かべて声をかけられた。私はその瞬間、どうでもいいことにとらわれていた自分に気づいた。大切なのは打って、勝って、楽しむことだ。
「任せろ。」
一言かけてから、打席へ小走りで向かう。
疲れている時、ピンチの時はファーストストライクが欲しい。だから甘い球が来る。
「好球必打。」
心の中の自分に言いきかせた。
ピッチャーがふりかぶる。もう、心臓の拍動しか聞こえない。
「さあ来い。」
緩い球が来る。外角寄り、甘いコース。
「カキーン。」
打球の行方を追った自分自身が驚くほど、綺麗に右中間をボールは割っていた。無我夢中でベースを駆け巡る。三塁コーチャーに止められ、ゆっくり三塁で止まる。走者一掃のスリーベース。次の四番のツーベースでゆっくり帰れた。
昨日、今日、明日、いつもと同じ場所でいつもと同じ練習をする。硬い鉄の棒を握ると、手にできたマメがかなり痛んだ。潰れると、さらに痛い。最初は、友達が出来たのに、自分が出来なかったという単純な理由で、鉄棒の練習を始めた。でもその練習は、次第に私にとって一番の楽しみとなっていった。
お昼休みになると、なるべく早くお弁当を食べ、仲良しの友達と手を繋ぎ、校庭へ急いだ。私の幼稚園は、校庭が狭かった。今考えると、この広さで、よく遊べていたなと不思議に思う程だった。しかし、当時の私は、この広さの校庭が当たり前と思っていたため、十分楽しめていた。
この頃は、連続逆上がりに熱中している。練習していると、段々腕が疲れていって力が入らなくなり、練習も大変だった。でも、これが出来るようになれば、きっと自分にとって大切な力になると思い、毎日必死に練習した。それでも、何日かやっていると少し飽きて、他の友達と他のことで遊んだり、というのも当然あった。全てが全てうまくいったわけではないけれど、今の自分からすると、こんなにも熱中したものが今まであっただろうかと当時の自分に感心するほどだった。
一週間ぐらい練習した時に、母に鉄棒を見てもらう機会があった。今まで結構な練習をしていたけれど、この時はまだ少しの進歩しか見せることが出来なくて、とても悔しかった。私は、きっと出来たことについて少しでも母に褒めてもらいたく、また、出来た時の喜びを母と一緒に共有したかったのだと思う。そんな私のわがままな期待を母は裏切らなかった。
「あと、少しじゃん!もう少し、手を伸ばすのを我慢して、お腹に力を入れれば、すぐに出来るようになるよ!」
こんな風に、励ましの言葉をかけてくれて、私の背中を押してくれた。私は、母に励まされて、練習に対して、少し前向きになれた。
翌日の昼。少し前向きになった気分のまま、練習を再開した。練習をしていても、前回の練習と大きな進歩が見られない気がしたが、諦めずに頑張った。そして、鉄棒が出来るようになって、母に褒めてもらえるという目標への思いがより一層強くなった。
こうして、二週間程、マメの痛さに負けずに頑張ったある日。これまであと少しだった連続が、しっかりとした連続の回転へと変わった。この瞬間、私はこれまでの全ての練習を忘れ、ただひたすら心の中で喜んだ。でも、その喜びは、心の中で抑えきれなくなり、担任の先生を呼んできて、見てもらった。一回目は、出来なかったが、
「まだもうちょっと見てて!さっき絶対に、二回連続で逆上がりができたの!」
と言い、出来るまで先生を帰らせなかった。そして五回目ぐらいで、やっと出来た。すると、先生も一緒に喜んでくれて、初めて、他の人に褒めてもらえたことによる達成感を得た。それとともに、もっと何回も連続で逆上がりが出来るようになって、先生を驚かそうと考え、明日からまた頑張ろうと思った。人に認めてもらうことが、こんなにも嬉しいことなのかと、その時初めて知った。そして早く母にも見せたい、と強く願った。
そして、幼稚園からバスで帰ってきた。いつもなら、この後同じマンションの子達と遊んで帰るのだったが、
「今日は、お友達と遊ぶんじゃなくて、マンションの前で、連続逆上がりを見て欲しいの!」
と、母に言った。すると、母も驚いた様子で、
「ほんとに出来たの?」
と聞いてきた。だから、
「とにかく早く見せたいの!」
と言い、制服も着替えずにそのまま公園に走った。そして、また何回も何回もやって遂に、
「出来た!」
と叫んだ。母も
「すごいじゃん!よく出来たね。」
と褒めてくれた。この瞬間、今まで頑張って来て良かったと心から思えた。きっと、母に褒めてもらえたのが、一番嬉しかった。
連続逆上がりが出来るようになってから、鉄棒自体が好きになれた。そして幼稚園や小学校の時の特技と言えば、鉄棒となった。
以前は、自分が褒めてもらい、自分が達成感を得るという意味で頑張って来たことを、今度は母に喜んでもらうために、頑張りたい。
私は五月から部活が始まっている。最近、私に奇跡が起きた。
その日、普通に部活をやり、普通にストレッチをした。そして普通にプールに入る準備をしている。いつもゆき先輩に、
「中一早くして。」
と言われる。私のクラブは、分かったら
「ハイ。」
と言わなければならない。まぁそんな感じで、毎日のような普通の練習が始まった。
水泳部は、毎日二千メートル位は泳いでいる。先輩は私の二倍以上は泳いでいるからいつも大変じゃないのかなと思いながら見ている。
私の練習は、フィンをつけて泳いだり、少し簡単なことばかり毎日やっている。でも簡単な練習だけど何本もやるから疲れる。たまに、先輩と一緒に飛び込みの練習をする。
その飛び込みの時に奇跡が起きた。私は毎回飛び込みをすると、腹うちをするか、ゴーグルが取れる。だからことちゃんと一緒に、
「飛び込みするよー。」
と言われた時、先輩の飛び込みを見て、
「おー。」
と言って、自分が飛び込みの時になると、その子と、
「飛び込みなんて絶対無理!」
と言い合っていた。
だからその日もそうやって無理とか、あの先輩かっこいいよね!とか言い合っていた。でもずっと先輩の飛び込みを見ているうちにだんだんイメージが出来てきていた。私の近くで高校生の先輩が飛び込んだ。私は、目がキラキラしていた。なぜなら、高校二年生の先輩が一直線に飛び込んでいたからだ。そのくらい先輩に見とれていたら、私の番が来た。もうその時は心臓が爆発しそうだった。それと同時に
(とにかく飛ぶ)
というのが心の隅っこにあった。高三の先輩の、
「行きまーす。」
が聞こえた。構える。
「よーい。」
心臓が鳴る。目を閉じた。えい!飛んだ。水の中に入る。あれっ?
(私!飛んだ。ゴーグルはずれてない。初めてできた。この嬉しさは、半端なく嬉しい。あっ!ダッシュだから急がなきゃ。)
私の心の中は、不思議な気持ちと、嬉しい気持ちで一杯だった。
その後、プールサイドに上がって、ゆりえちゃんという子に
「私、初めて飛び込み出来たよ!」
と言ったら、
「良かったね。」
それだけしか返ってこなかった。その子は元々飛び込みが出来たから、分からないのだろうけど、私にこの日奇跡が起きた。
一年生の後期にぼくは、剣道を始めました。一週間に二回、毎回練習に行きました。最初は、すり足をしたり、竹刀を持って振ったりしていました。それから一カ月位から、胴着を着ました。着てみたら少し重かったです。胴着を着ながら剣道の人形を叩いてみました。
「やーめーん。」
叩いた音が体育館に響きました。
それから一年ぼくは大人の人ともけいこをやるようになりました。それまでは、五時から六時でしたが、五時から八時半くらいまでになりました。大人とやるようになってから体力的にもきつくなり、帰りは、もうへとへとでした。荷物の重さが、来る時の二倍くらいに感じました。
練習しているうちに、試合もやりました。試合をするようになると、大会にも出るようになりました。一番最初に出た大会は、負けてしまいました。その時はすごく悔しくて、次の大会は絶対に勝つぞと思いました。
そして練習して二年、また大会がありました。今回は勝つぞと気合を入れました。体育館に着いてみんなと会って、試合をする用意をしました。みんなで試合の前に練習をしました。
友達の試合が始まりました。
「ガンバレー。」
とみんなで応援しました。そこには、先生もいました。
友達が一本を取りました。
「やったー。」
と回りの人が喜びました。また一本取りました。ぼくは、勝った子に
「やったじゃん。」
と言いました。その子は、すごく嬉しそうにしていました。
次はぼくの番でした。ぼくは、少し緊張していました。相手と礼をして試合が始まりました。ぼくは、何回も攻めました。一本が入りました。ぼくは、嬉しかったです。相手に一本取られないように、相手の竹刀をよけながら攻めました。また一本が入りました。ぼくは、心の中でやった、勝ったぞと思いました。
ぼくは荷物があるみんなの所にもどりました。先生からは、アドバイスなどをもらいました。次に対戦する子の試合をみていました。
またぼくの試合の番が来ました。勝てるか心配でした。ぼくは、小手が得意でしたので、小手をねらいました。
「やーこてー。」
小手が一本入りました。やった、この試合も勝てるかも、と思いました。次もまた一本入りました。この試合もぼくが勝ちました。
次の試合に勝てば三位になれます。三位以内には絶対に入りたいと思いながら試合が始まりました。
一本はいるまでずっと攻めて行きました。相手はかわすのがうまいのでフェイントなども使いました。でも一本を入れられてしまいました。一本取られたら取り返せばいいと思いながら、また攻めて行きました。ぼくにも一本が入りました。やったーと思いました。が、相手に次の一本を入れられたら三位以内には、入れないと思ったので本気で攻め込みました。そして一本が入りました。その時ぼくは、ほっとしました。本当はガッツポーズがしたかったのですが、剣道は礼儀でガッツポーズをしてはいけないので、心の中でやったと思いながらガッツポーズをしました。
次の試合で二位になれるので全力で攻めて行きました。でも相手はすごく強くて一本も取れないで負けてしまいました。その時、すごく悔しかったです。
自分の試合が終わっても、ぼくはこの大会が終わるまで待ちます。なぜかというと、メダルをもらうためです。剣道でぼくにとって初めてのメダルなのですごく嬉しいですが、三位より一位の金メダルがほしかったです。
「あーあー手が凍って痛い。」
あと少しで一番上に行ける。足を次の石につけて、曲げて、さらにのばすと体が上がった。やっと最後の石をにぎることができた。
そこで、ぼくはすぐに
「おねがいします。」
と係員の人に言った。係員の人は、ぼくの体を支えるためにロープを引いてくれた。ぼくは、かべを手で押してはなれた。すると、ぼくの体が、ふわっと浮いた。ぼくの体は少しずつ下りていった。両足できれいに着地することができた。そうすると、ぼくの体は地面に着いたので安定した。
今日、ぼくは、ロッククライミングをしに来ている。これから登るのは、斜面が初めから自分の方にかたむいているかべだ。二回目の方がむずかしそう。
「よし。」
と気合を入れて、手を石にかけた。最初は自分の方に、かべがかたむいているので、頭を後ろに下げて、手を上げて、足を上げてを繰り返す。そうすると、バランスが取れる。ちょっとずつ上に上がっていった。しばらくすると、かべが地面に対してまっすぐになってきた。けれども、石の数が少なくなった。石の数が少ないから、登りにくくなった。
「あーむずかしくなった。」
ぼくは、一人でつぶやいた。つかまる所が少ないので、ぼくは、すぐ上の石に乗り移って移動した。なぜかというと、石の数が少なくて止まる場所がなくて、石を手でにぎっていると、つかれてしまうからだ。体力を失うと、落下してしまう。
それから最後の難所だ。最後は、最初の方で体力を使っているので、体中痛くて、とてもやりにくかった。石を早く登っていくと、頂上についた。
最後まで行けてとてもうれしかった。達成感があった。
下りて、見上げると、かべが小さく見えた。
「ん〜っ」
私は、足を九十度上に上げるのに精いっぱいだ。ふんばっても、バランスが取れなくて、すぐにでんぐり返しみたいになってしまう。でも、三点倒立だったから、まだましな方だと思う。もし、普通の倒立なら、初めからやろうと思っていなかったはずだ。
家で練習しながら、私はそんなことを考えていた。ふと、私は体育の先生の言っていたことを思い出した。頭と両手を三角形に並べて、お腹とお尻を引っ込める。何度もやってみる。できない。十四回ほどやっただろうか。何も考えずにやったら、できた。すんなりと、ほんの一瞬だったけど、明らかにできた感じがした。
「ねぇ。今できたよ!見てた?」
私はママに言った。たぶん生返事だと思うが、ママは、
「うん。」
と言ってくれた。
その後、何度もやってみたが、一度もできなかった。結局、二十八回やって、できたのはこの一回だけだ。
弟の冷やかしの声が聞こえる。それでも私は、その時は何も思わなかった。その時の私の頭の中は、三点倒立ができたということでいっぱいだったのかもしれない。
次の日、学校の体育の授業で三点倒立のテストがあった。
「三秒で合格ね!」
先生が言う。
「そりゃあ無理でしょ。」
私はぼそっとひとり言を言った。
「補助つけてもいいけど、二点減点して、できないところがあるたびに一点ずつ減点していきます。」
先生が言った。
はしから先生がテストしていく。だんだん自分の番が近づいて来る。次は私の番だ。私はゆっくり恐る恐る足を上げるタイプだから、どうしても時間がかかってしまう。
「ピッ。」
先生の笛の合図と同時に、私はゆっくりバランスを取りながら、足を上げ始めた。足がまっすぐ上に行ってから二秒ほど止まった。近いところまではいったが、三秒はできなかった。先生は点数を紙に書いて、次の人の所に行って、またテストを始める。
その後、私は何度かやってみた。できたりできなかったりだが、一番長い時で、四秒くらいだった。
私はただ、テストの時にこれができなかったことが悔しかった。
「入場!」
ぼくたちは入場する。ぼくは、二度目のリレー選手だ。多くの人から拍手をもらった。ぼくは、緊張でいっぱいだった。ぼくは、笑えば緊張がなくなると聞いたことがあるので、やってみた。友達に
「何やってんの。」
と言われたのでちょっとムカッとする。
この紅白リレーは、前半チームと後半チームに分かれている。ぼくは、後半チームだったので、前半チームのリレーを見ることができた。
一番最初の選手が
「緊張するーー。オレ、転んだり、抜かされたりしたらどうしよう。」
と言っていた。ぼくは、
「さらに緊張してきたわーー。」
と、独り言を言った。でも、また友達に
「何やってんの。」
と言われて怒りがたまったせいか、かえって緊張がなくなった。
ここで奇跡が起きた。一位のチームのアンカーが走っていた。二位のアンカーも走ったが、その差が大体一周の四分の一だった。しかし、だんだん差が無くなってきて、ゴール前で抜かした。これを見たぼくは、ドラマだなぁーと思った。
次は後半チームのぼくたちの番が来た。ぼくのチームの一番目はすごく速い。その子は一位ではなかったが二位だった。二番目の人が走った。二位だったのに一位になる。しかしここで悲劇が起きた。一位だった子が急に、
「ドン、バン」
と転んでしまう。その時、抜かれて差がぐーと大きくなった。
三番の子にバトンが渡ったが抜かせない。
次はぼくの番だ。差がたくさんあったががんばろうと思った。その時、半周目くらいに転びそうになり、もっと大きな差になる。 ぼくは
「あーやっちゃった。」
と思った。
ぼくの小学校最後の紅白リレーは終わった。走り終わったぼくは、みんなの後ろに座って、だれにもしゃべりかけず、静かにしていた。後の人もがんばっていたが結果は四位(ビリ)だ。ぼくがもう少し足が速ければ、三位にはなれたと思う。
だから中学校になっても走る練習をして、このようなことにならないようにがんばりたい。
私が運動会で一番ドキドキしていたのは演技だ。登校中、学校の前まで来て、演技で使う、ぐん手を忘れた事に気づく。
「あっ、しまった。」
と思い、すぐ取りに行った。緊張しすぎたのかと思う。気づくと、
「お母さんに取ってきてもらえば良かった。」
と思った。
午後の部は、十二時四十五分から始まる予定。私と友達は、十二時四十五分集合だと思いこんでいる。他の子たちが、
「もう準備しないと、間に合わないんじゃない。」
と聞いてきた。私は
「十二時四十五分集合でしょ。」
と聞く。でもどうも私たちの聞きまちがえだったらしい。急いでしたくをする。もう始まってしまうと思い、急いでくつをぬぎ、急いで列に並んだ。ほとんどの人がそろっていた。
今まで一ヶ月も練習してきたからには、失敗できない。そこで先生が
「がんばるぞー。」
と声をかけ、みんなが、
「オー。」
と声をそろえた。私も、
「絶対に失敗しないぞ。」
と思う。
最初は手押し車だ。次は赤白ぼうしを出し、音楽に乗る。その次は波を表す。次は空襲の場面。次はいよいよ、組体操だ。私がてっぺんに登るのは二回だけ。そのときだけでも良いから目立ちたい。
最初に乗る時にはそこから落ちそうになった。うわーと思った。でもなんとかバランスをとった。最後から二番目の出番で乗った時にも顔から落ちそうになる。でも支えてくれた人がひっぱってくれたのでセーフだった。支えてくれてなかったら落ちていたかもしれない。
最後に「にじいろ」と言う歌が流れて、ぐん手をはめウェーブをする。
最後に退場する時、走って退場するから足のうらが真っ赤になっていた。がんばった分、赤くなったのかもしれない。
ぼくは毎年運動会のリレーの選手に選ばれている。今年はチームの選手が全員速くて二位のチームと五秒差かそれ以上で勝つことができた。でも去年はそうはいかなかった。
去年は四年生で中学年の上の学年だったので、ぼくはキャプテンをした。まずバトンの練習をした。
「できるだけリードをとってやって。」
ぼくはバトンをもらうときにリードをなるべくとり、加速をすることを意識して練習をした。最初はあまりうまくいかなくて少しいらいらした。
「なるべく早く出て。」
ぼくはなるべくチーム全員にアドバイスをした。そしてたくさん練習した。できるようになってくると楽しかった。
次に実戦の練習をした。全員がスタートの位置についた。先頭の人がコースを決めるためにジャンケンをしていた。もっと早めに決めて欲しいなと思った。
ようやくスタートした。最初の人が遅れたので
「がんばれー。」
と叫んだ。結局は最初の走者がバトンゾーンに一番に来たので少し助かった。ぼくたちはそのまま順調にバトンを渡していった。ぼくのところに来る時にチームは一位で来た。ぼくはそのままゴールした。
その後も何度か実戦練習をしたけど全て一位で勝つことができた。
本番の日になった。朝起きたらすごく緊張していた。
運動会の会場についた。まだ緊張していたが少しわくわくもしていた。
リレーになった。来た時よりも、もっと緊張していた。第一走者全員がスタートの位置についた。ぼくは十番だったので奥の方で待機していた。ぼくは前の人としゃべって緊張をほぐした。
「位置についてよーいパンッ。」
リレーが始まった。第一走者が走っている。いつもより調子が悪かったのか、相手の人がいつも手を抜いてやっていたのか分からないけど、三番目にバトンゾーンに来た。ぼくはびっくりした。でもまだ大丈夫だと思った。第二走者が走った。四位のチームの人が転んだ。ぼくのチームの人も近くにいたのでこっちのチームにも影響があった。この時には五メートルは二位のチームに離されていた。二位のチームと一位のチームは接戦だった。でもぼくはあきらめなかった。
第三走者から第九走者ががんばってくれて、一位と二位との差は二、三メートルくらいになった。ぼくはこれなら勝てるかもと思った。
バトンゾーンに立った。バトンをもらう時に練習で意識したことをなるべくした。でもあまりうまくいかなかった。ぼくは全力で走った。でも全く差が縮まらなかった。結局三位でゴールした。すごく悔しかった。
「ふぁ〜。」
カーテンからすき通る太陽の光に起こされた。ベッドから出て二階に上がって時間を見ると八時半だった。(緑小の運動会の六年のプログラムまであと一時間か。)と考えた。
休日なので一人で朝ご飯を食べて、着替えて、歯みがきをして、時間を見ると九時だった。その時には、お父さんもお母さんも起きていた。
僕は(少し早いけどまあいいや)と思い、水筒に水を入れて玄関に行った。
「行ってきまーす。」
と行って緑小に向かった。
緑小について受付に行くと、副校長先生と、PTAの人がいた。
「おおーノア君久しぶりだねー。」
と副校長先生が笑顔で迎えてくれた。
校庭に出ると、低学年リレーをやっていた。順位がよく見えなかったのでよく様子が分からなかった。しばらく良い席がないかなと歩いていると友達の音根とさつきがいた。僕が
「よう。」
と声をかけると
「おーノアだー。」
と少し面白い表情で答えてくれた。そのまま歩いて六年の席を探していたが見つからなかったので、適当な所に座って競技を見ていた。
十分位すると友達が数人通って
「おおーノア、よう。」
と声をかけてくれたので僕は
「よう。」
と声をかけ返した。僕は沢山声をかけられて少しだけ恥ずかしく感じたけれど少し嬉しかった。
時間を見ると十二時半だった。その頃にお母さんも来た。
「プログラム〜〜番。」
すると五年と六年が組体操の準備に入って、司会の声とともに音楽が流れ始めた。
五、六年生は音楽に合わせて、みんなが腕立て伏せのような状態になって、それから片手を上に上げようとした後、
「ブーー。」
急に音楽が止まった。すると先生が
「やり直し!」
と言い、五・六年のみんながスタート位置に戻る。
一から三番目の技までは順調に成功していったが、また急に音楽が止まってしまった。今度はやり直しはしなかった。また音楽が流れ順調に成功していったが、また音楽が止まってしまう。僕は(んっ、なんで音楽が止まるんだろう。みんながかわいそう。)と思った。
その後は、そのまま音が止まらずに最後の技の人間ピラミッドが始まった。周りを見ると、スマートフォンやiPad、カメラなどを出して動画を撮っていた。僕は心の中で(がんばれー。)と思った。
一、二、三、四、五、六段と一つずつ順調にピラミッドが建っていく。最後の一段の一人が上に上がって無事人間ピラミッドが完成した。人間ピラミッドをやっている人は少しきついという顔をしていた。周りの人達からは拍手と同時に
「おーーー。」
という歓声が広がった。その時に、みんなはやったぞという顔をしていた。僕も拍手した。お母さんも
「すごかったね。」
と言った。
僕は(来てよかった)と思って笑った。その時にどこからか来たやさしい風が僕を包んだ。
「ストォープ!ストップストップ!」
と私は叫んだ。
今、私は体育大会で二年の学年種目の「ヘビの皮むき」というハードな競技で相手チームと戦っている。私は三番目の組の一番後ろをやることになっていた。私の役割は、走っている時に自分の前のメンバーに真ん中の線を超えた瞬間に「ストォープ!」と言うこと。それからスタートラインの反対側にあるコーンのところでUターンする時に足に力を入れて、自分の前にいるメンバーのスピードを弱めて、小回りでUターンさせることだ。
私達のグループの一つ前のグループがコーンをUターンして、もの凄いスピードでその次を走る私達のグループに向かって走ってきた。その瞬間、私達のグループは、それぞれの紐をしっかりと持ち始める。それと同時にグループの一番前の人が一つ前のグループの一番前の人とハイタッチをするために右手を横に「さっ」と出した。
「パンッ。」
と、ハイタッチをする音がはっきりと聞こえた。その瞬間から私は走り出す。そして、目の前に真ん中の線が見えた。私は急いで
「ストォープ!ストップストップ!」
と叫ぶ。そして滑り込む。全員が横になった。一番前の人が
「起きるよ。」
私と他のメンバーは
「はい!」
前の人から順番に起きた。また走り出す。コンーンが私の斜め前に見えた。私は、スピードを落とすために前の人に引っ張られながら足に力を入れる。一人ずつコーンをUターンした。そしてまた走り出す。
「ストォープ!」
と私が叫んだ。滑り込む。また全員が横になった。
「起きるよ。」
「はい!」
前から順番に起きる。走る。あと五メートルくらいで次のグループにバトンタッチする。そして先頭の人がハイタッチした。次々にゴールラインを超えると、そこには一人一人の紐を離していく私のグループのメンバーがいた。
しばらくして最後のグループがスタートした。でも、途中で滑り込む所で足をひっかけて転んでしまった。そこで差をつけられてしまった。そして結果が出た。やはり負けてしまった。でも私は良かったと思った。なぜならば、私のグループでミスもなく走りきることができたからだ。
私が今一番ほしいものは、お母さんと一緒に過ごす時間だ。なぜかというと今、妹の勉強でお母さんが忙しいので、私のことを前みたいにはあまりみてくれない。
「この問題みて〜。」
と言っても、お母さんはいつも
「今は、無理〜後でね〜。」
と言っている。しかし、その後もみてくれない。
前までは、すごく優しくて私のことをみてくれていた。生まれた時は、毎日必ず絵本を三冊は読んでくれた。しかし、今は絵本などは私に読んでくれない。
「この本読んで〜。」
と言うが、お母さんはいつも
「今は無理〜。」
と言う。
「一緒に遊ぼ〜う。」
と言っても、
「今は無理〜。」
と言う。前までは、いつも一緒に遊んでくれたのに今はこんな風にあまりみてくれない。
ある日、私は爆発した。その日もみんなに
「今は無理〜。」
と言われた。私はドカドカと階段を降り、ドアを
「バンッ。」
と閉めた。それから自分の部屋のいすをけった。私は、今自分がけったいすに座り、悲しくなるといつも見る『二分の一成人式』の時にお母さんからもらった私が生まれた時から十歳の時までの写真がのっているカードを見た。見ていたら、さっきまで爆発していた気持ちが、少しは悪かったかもいう気持ちに変わってきた。
私が二階に行き、お母さんとお父さんに謝ったら、お父さんに、
「あと一ヶ月で受験が終わるからもう少し待っててね。あと一ヶ月たったらはなにつききりになるからね。」
と言われた。そのことを聞くと少しうれしくなってしまう。
私が三歳の時。お父さんとお母さんが仕事で保育園に迎えに来られなかった時には、いつもおばあちゃんが迎えに来てくれた。そうすると、私はうれしくて、ピョンピョン飛び跳ねながら玄関に向かった。その後は、少しヨボついたおばあちゃんの冷たくて温かい手に包まれて、おばあちゃんの家に行く。いつも古本屋で立ち読みをして。
私が六歳の時。おばあちゃんと一緒におばあちゃんの家の近くにある公園に行った。夕方までたっぷり遊んだ。その間おばあちゃんは、にこにこしながら見ていてくれた。
私が十歳の時。おばあちゃんに頼んで、近くの豆腐屋さんに連れて行ってもらった。買った豆腐は夜のみそ汁に使った。みそ汁は、冬の寒さに温かくしみこんだ。
今。私が十二歳。おばあちゃんは年々わずらっていた認知症で、すぐにものを忘れたりするので、私の学級を何度も何度も聞いてくる。それで時々イラッとして、ぶっきらぼうになってしまう。でもすぐ後悔する。それでもおばあちゃんは優しく、あみものを教えてくれる時もある。(あみ棒の持ち方からマフラーのあみ方まで。)だから私はどっちが本当のおばあちゃんなのか分からなくなる。でも、どっちも私のおばあちゃんで、これからも私のおばあちゃんだ。十年、二十年後も。
「ピピピ。」
「三十七度五分、熱だ。」
妹が熱を出した。たぶんインフルエンザだと思う。今流行っているからだ。
「病院行ってくる。」
と母と妹が病院に行く準備を始めた。
「インフルかなぁ。インフルだったらおれもかかるかも。」
ドキドキ心臓がなる。
三時間後。
「プルプルプル。」
電話が鳴る。
「ガチャ。」
父が受けた。
「インフルエンザA型だって。」
「えーーー。」
頭の中で去年のことを思い出しだ。(そういえば去年は、友達の家に二人で遊びに行った時にかかった。そのうちの一人が最初にインフルにかかった。)
「プルプルプル。」
「ごめんね。うちの◯◯がインフルにかかったの。慶至君は大丈夫?」
(あーーー。)僕はびっくりした。友達はあんなに元気だったのに。たった二時間ほどでインフルになってしまった。
「かかるかもーーー。」
思わずつぶやいた。
「プルプルプル。」
また電話が来た。(ビクッ)ぼくは、まさかと思った。
「◯◯君も……。」
と母が言った。(たのむーーー。インフルじゃないようにー。)
「インフルだって。」
「あーーー。やばーーー。かかるかもーーー。」
ぼくは、電話を切るとすぐ手洗い、うがいを何度もしてすぐに寝た。けれどかかってしまった。
そんなことを思い出していると、
「バタン。」
「フーフー。」
妹が二階に来る前に部屋に入った。
「本でも読もう。」
ふっと時計をみると十時だった。ふとんに入る。ふとんに入ると頭が少し痛い。頭がズキズキする。しかも少しだるい。
「やべーーー。かかるかもーーー。」
僕は、これでもかと思うぐらい緊張していた。
次の日。
「だりーーー。」
「ピピピピーーー。」
「三十七度九分。インフルだーーー。」
その日は、ちょうど土曜日で学校はなかったので、朝から病院に行こうとすると、病院は開いてなかった。だから夕方まで寝ていると、
「鷹番の救急病院に行くよ。」
母が言った。(動くともっとだるー。)心の中で思った。車で病院まで行った。
「人おお。」
(ここでインフルじゃなかったら、病院でうつっちゃうかも。)
僕は、なるべく人に近づかないで、何もさわらず、ソファーに座った。
「小山さんーーー。」
病室に入ると、五十代後半のおじさんが、座っていた。座ると、ちょっと話をして綿棒を手に取った。
「いくよ。すぐに分かるよ。」
五秒たったらAかBか新型か、なしか、分かる。見てみるとA型だった。
「あーあ。」
(正月はどこも行けないのか。)
十二月三十一日夜十一時五十分。熱でだるくて眠れなく部屋を出ると、兄が
「新年開けるまで、十秒、九、八、七、六、五、四、三、二、一、0」
(うるさぁ、元気でいいなぁ。)
正月の朝、みんなはおせちを食べているが、僕はおかゆだ。(はぁー。またおかゆかー。)
昨年の正月は、楽しくやったのに。今年の正月は、ベッドの上だ。
「ハァー。」
ため息しかつけない。
これが続き五日後、
「やったーーー。」
僕は、朝歓声をあげた。ついに外に出ていい日だ。でも、心残りが多数ある。
「ハァーーー。」
僕は、またため息をついた。十一時五十九分カウントダウンもできなかったし、おせちも食べられなかった。(今年こそはインフルにならないぞ。)僕は自分にちかった。
「ワンッ。キュー。」
「今日、ルッコの体調悪いのかな?」
いつもの体調と違うと言うのは、すぐに分かった。なぜなら私が生まれた時からずっと一緒にいるからだ。ルッコは昔、捨て犬だった。それを母が引き取り、私は毎日のようにルッコと外に出て遊んだり、家の中で「おて」を練習したりしていた。その楽しかった時間は、今でもよく覚えている。このように楽しかった時間が長く、思い出が多い分、少しの変化にも、すぐ気付くのだ。ルッコの苦しそうな鳴き声は、夜中まで続いた。
「病院行ったほうがいいかな?動物病院結構近くにあるし。」
その一言で、朝早くから病院に行く事になった。
「ワンワンッ。」
動物病院には色々な種類の鳴き声が、響いていた。
「冨澤ルッコラ君ー。」
私達の番になり、病室へとそーっと入っていき、愛犬ルッコラの体調を病院の先生に見せた。
十五分後……。
「冨澤さーん。」
私たちの名前が呼ばれた。検査が終わったらしい。最初と同じように、ニコニコしながら、
「ガンとか重い病気かもよー。」
なんて事を母と二人で話していた。
「あの、ルッコラ君は今、重い病気にかかっていて、あと一年ぐらい、もつかもたないかだと思います。」
医者は言った。どんどん母と私から、笑顔が消えていく。
家に着いた。家では父と母が何かを深刻そうに話していた。私はこの時決めた。最後の最後まで、楽しく過ごそうと。
「おはよう!」
「おやすみ!」
私は毎日明るく、必ずあいさつをしようと。
これを続けてから何ヶ月後……。
「今日は、友達とあそぶから。」
私は、朝、母にこう告げ、走って学校へと向かった。学校から帰って来て、荷物を取って、この時はあまりにも急いでいてルッコラの状態なんて見てもいなかった。
「やっほー」
私は友達といつも通り楽しく遊んでいた。楽しすぎて時間を見ていなかった私は、約束の六時半を過ぎている事に気付いていなく、やっと時計を見たのは六時五十分前後。
「どーしよー、もうこんな時間。」
私は急いで家に帰った。
「……?」
母が泣いていた。部屋には、お線香のような香りが広がっていた。
「どうしたの?」
「死んだの。ルッコが。」
私は、今でも後悔している。あの日に遊びに行かずに最後まで一緒にいてあげればよかったと。
「あはは、あははは。」
僕と弟は、おばあちゃんの家でさわいでいた。すると、おばあちゃんは、
「もう、うるさいなぁ。庭で遊んできなさい!」
と言った。おばあちゃんの庭は、芝生が生えていて、大きな壁で囲まれている。その庭で、壁をゴールにして、弟とサッカーをした。しばらくしての事だった。
「よーしいくよ!」
僕がボールをけった時だった。ボールが高く飛んだ。ピューンとボールが壁の向こう側に行ってしまった。
「おばあちゃーん、あっち側にボールが行っちゃったー。」
「えーじゃあ二人で行ってきてー。前に隣の柳田さん所行った事あるでしょー。」
「んーじゃあ頑張って行ってくる!」
僕は弟を連れて、家を出た。
一言に隣と言っても坂を上り、細い道を行って、その後に坂を降りていかなければならない。
「さぁ行こう!」
元気よく家を跳び出した。坂を上がる。しかし本当は右に曲がらなければいけない所を見逃してしまい、次の角を曲がってしまった。ちゃんと最初の右に曲がる角を曲がっていればすぐに細い道になるはずなのだが、三年生の時の僕には、分からなかった。
「さぁ、ここで坂が……あれ無いぞ?」
僕は、あれ?あれ?と、周りを見回すたびにどんどん不安になっていった。弟も、坂が無い事に気づいた様で泣き出してしまった。空も雨が降りそうなぐらい黒い雲が出てきていた。それでも、これ以上、最悪な雰囲気にならないように、弟を精一杯はげまして元気付けた。しかし、それでも僕の言葉は、弟には届かず、泣きやまない。それを見ていて、僕もさらに、不安がこみ上げてきて、半泣き状態になってしまっていた。
すると、
「どうしたん?」
後ろからひげの生えたおじさんが話しかけてきた。それから僕は
「柳田さんの家を知っていますか?」
と半泣きの状態で聞いた。すると、おじさんは詳しく、僕が分かるまで教えてくれた。それからおじさんに
「ありがとう。」
とお礼を言って分かれ、無事に柳田さんの家に着き、ボールを返してもらった。ここで僕と弟の冒険は幕を閉じた。それからまた、おばあちゃん家でサッカーをやり始めるのだった。
「もしもし、あっおじいちゃん、今日遊びに行ってもいい?」
ぼくは毎週、日曜日に必ず、おじいちゃん家に行っていた。そして、おじいちゃん家に着くと、いつも
「おー来たかー。」
と、嬉しそうに迎えてくれる。そしておじいちゃんとおばあちゃんと一緒にトランプをするのが、とても楽しかった。おじいちゃんはトランプがとても上手で、ポーカーをするといつも勝ってしまう。しかし、こんなに楽しかった日々は小五の時までだった。
小六になると受験が近くなり、おじいちゃん家に行けるのが、二週間に一回、一ヶ月に一回と徐々に回数が減っていってしまった。また、おじいちゃん家に行きたいと思わなくなってしまった。でも、おじいちゃん家に行くと、おじいちゃんは、必ず
「おー来たかー。」
と、いつも以上に喜んでくれる。そしていつも通り、トランプをする。でもトランプでは楽しくなかった。それよりもPSPをする方がよっぽど楽しかった。そのため、おじいちゃん家に着くとPSPをすることが徐々に多くなってしまった。だから、おじいちゃんは、ぼくが来ても、テレビを見るようになってしまった。そしてやがて、おじいちゃんはトランプで喜ばせるのではなく、おこづかいで喜ばせるようになった。おこづかいは、いつもは五百円だったが、それが千円になった。
そして、ぼくは中学一年生になった。中学生になると最初は週に一回、日曜日に行っていて、おじいちゃん家に行くのが、とても楽しかった。なぜなら、おじいちゃんと自分のスマホを使って遊ぶことが、とても面白かったからだ。でもやっぱり夏休みを過ぎるとテストがあったりと、おじいちゃん家に行ける回数が減ってしまった。
そんなある日、おじいちゃんが珍しく体調をくずしてしまった。右足が大きくはれてしまい、食欲がないらしい。ぼくは急いで、おじいちゃん家に向かった。おじいちゃん家に着くと、いつも聞こえていた「おー来たかー。」という声が聞こえない。なんだか、嫌な予感がする。ぼくは、リビングに向かった。リビングに着くと、いつも座っている椅子に座って寝ていた。おじいちゃんは、げっそりとやせてしまっていた。それは骨の形が見えるほどだった。ぼくは、話しかけようと思ったが、初めて見る弱った姿を見て、なんだか怖くなってしまった。ぼくは、お父さんにお願いして、おじいちゃんを病院に連れて行った。
病院に着くと、おじいちゃんは点滴を打っていた。医者によると原因は、夏に運動をせず、家に居たため運動不足で体調をくずしてしまったらしい。ぼくは、なんだよと思いながら、とてもほっとした。今は元気に、くらしている。
「ジャーン。」
「みなさんこんにちは!今回がファーストライブです。すんごく緊張しています。失敗するかもしれないけど!全力でいきます!」
熱気のこもる部屋。先輩もお客さんもぎゅうぎゅうづめ。
叫ぶ。
「Don’t say lazy!」
鼓動が鳴り響く。マイクは震え、みんなの顔は硬直している。お客さんの方を向くともっと怖い。怖い。
ドラムが唸り、ボーカルが叫ぶ。
「Please don’t say!」
なんかもう……。終わった。
精一杯歌うしかなくって、大声を出す。心が叫びたがってる。止められないくらい。鼓動はリズムを刻む。丁寧なピアノ。低音で支えるベース。バンドメンバーと心が共鳴しあった。
間奏まで来た。エレキの声とともにドラムが乗ってくる。
しかし、共鳴は崩れだした。タイミングを間違えた。
ドラムがワンテンポ速くなり、全てが崩壊。必死に合わせようとした。けど、合わず。
「やばい、このままじゃ。」
と思ったら、高三の先輩が手拍子を始めた。
「パチ、パチ、パチ、パチ。」
その勢いに乗る。結局うちらは最後まで迷惑かけちゃったんだな、と思った。
ごめんね先輩。
高三の引退ライブなんだ今日は。(だから最後まで……。)
『だから たまに 休憩しちゃうんです♪』
ファーストライブは終わってしまった。
なんかほっとした。これを達成感というんだ。
「ハー、ハー。」
成功しなかったけど、バンドとしての第一歩が踏み出せたような気がした。
「ありがとうございました!」
感謝の気持ち、届いたかな?
エレキの子が高三の先輩に抱きつく。
「そんな顔見せないでよ。」
「えーーん。」
もらい泣きしちゃった。何か心の底からジワジワ出てきたんだ。
いつもより長い。この線路沿いのまっすぐな道がどこまでも続いていくような気がした。雲ひとつない青空にひんやりとした風が吹き付ける。早く着きたいけど、着きたくない。結果は見たいけど見たくない。今日は都立高校推薦入試合格者発表の日。(受かってますように。)私は祈りながら校門をくぐった。張り出された場所の前には、もう人だかりができていた。私は、人だかりをかき分け、ボードが見える場所に来た。右手に握りしめた受験票と同じ数字を探す。次が最後の数字。無かった。私は、期待した分少しがっかりしたが、もともとあまり受かる気がしていなかったため、そこまで落ち込まなかった。
学校に帰り、私立の願書を先生から受け取った。そしてそのまま、私立の出願に向かった。駅に向かう途中、正面から誰かが歩いて来た。私と同じ吹奏楽部の男子だ。いつにも無いくらいに、足取りが軽い。向こうも私に気付いた。すると、走って来て私に
「受かったー。」
と言ってきた。それにムカッときた私は
「あっそう。私は落ちたけどね。」
と半分怒鳴りぎみに言った。すると彼はばつが悪そうな顔をして、足早に学校へ行った。私が少し歩いたところで振り返ると、彼の背中に「うれしい」と書いてあった。私は、駅に向き直り進み始めた。さっきより自然と歩くペースが速くなっていく。さっきには無かったモヤモヤが頭の中を占拠していた。私は思わず立ち止まり、地団駄を踏む。やはり悔しかったのだ。受からないと言われていたし、自分でも思っていた。でも必死に努力したし、たくさんの練習もした。内心、これだけ頑張ったんだから受かるんじゃないかとも思っていた。私は目からこぼれそうになる涙をこらえながら、駅まで走った。
次の日、学校へ行くと、受かった人と落ちた人のテンションの差が明らかだった。
「受かって当然だよ。」
と喜ぶ人もいれば
「落ちて当然だよ。」
と平然とした顔で言っているけど、声が落ち込んでいる人もいれば、誰がどう見ても落ち込んでいる人もいた。私は、平然とした顔を装っていたけど、周りにはばればれだったらしい。同級生や先生など、様々な人に気を使われた。私は、そんな自分が嫌になって、思わず教室を飛び出した。でも行き先も特に無かったから、廊下をぶらぶら歩いていた。
「大丈夫?」
いきなり後ろからぎゅっと抱きつかれた。驚きながら振り返ると、同じ吹奏楽部員であり、私の親友の女子が心配そうな顔で見ていた。実は、彼女も推薦で受かっている。いつもなら、足音とかで気付けるのに全く気付かなかった。それだけ私が上の空だったということだ。彼女の奥に目を向けると、昨日の彼も一緒だ。ここに学年に三人しかいない吹奏楽部が集合したのだ。吹奏楽部には、今年からの新ルールがある。そしてこの時、そのルールが私に重くのしかかっていた。そのルールは、『高校が決まった人から部活に戻れる』というもの。二人の高校が決まった今、部活に戻れないのは私だけ。この事実が私と二人の間を気まずくさせる。私が黙っていると、
「そんな心配しなくても大丈夫だよ。」
「うん。絶対大丈夫。」
二人が気を使っているのはばればれだ。だから、この『大丈夫』という言葉が傷口にしみて痛い。また少しの沈黙。その時、彼女は何かを思いついたようだった。彼女はにやにやしながら
「ほらっ。いつもみたいにしゃきっと立って。」
と私の背中を叩く。
「そして笑う。」
彼女が私のほっぺたをつまんで引っ張る。
「そうすれば、大丈夫!」
ほっぺから手を離した。さっきの大丈夫とは違う、頼もしい『大丈夫』。私は自然と笑顔になった。それを見た二人は、すっと私の横に並んで、声を合わせて言った。
「音楽室で待ってるから。」
この一言が不安という暗闇のどん底に沈んでいた私を、まぶしい光の中へと引き上げてくれた。(そうだ。こんなところでへこんでいる時間がもったいない。早く、二人に追いつかなきゃいけないんだ。)全てが吹っ切れた。私は
「ありがとっ。」
二人の背中を思いっきり叩き返した。今なら空も飛べるんじゃないかと思うくらい体が軽い。私はそのままの勢いで外に駆け出した。そして、澄み渡る青空の下に誓った。次の受験では絶対に合格して、二人が待っている音楽室のドアを笑顔で堂々と開けてやると。
今日、僕は喧嘩をした。
幼稚園の時からの友達と、取っ組み合いの喧嘩を。
理由が何だったのかは覚えていない。でも、自分が悪いのはなんとなくわかった。
謝らなくちゃいけなかったのに。
「はぁ、眼鏡壊れちゃったなぁ。」
フレームのひしゃげた眼鏡を眺め、そう呟いた。
一人で歩く帰り道は、いつもより広く長く感じられ、僕は少し寄り道をすることにした。
数分、いや数時間歩いただろうか。気がつくと太陽は沈んでいき、道は不気味に赤く染まっていた。ここは一体どこだろう。住宅街を避けて歩いていたら、知らない街の商店街まで来てしまった。仕方がない、どこかの店で道を聞かないと。僕はそう思い辺りを見渡した。しかし、どこの店もシャッターが閉じていた。よく見れば道を歩く人もいない。聞き覚えない五時のチャイムが鳴り響く。僕は急に怖くなり走り出した。どこか、まだやってる店はないか。すると路地裏に一つ、明かりのついた店を見つけた。そこは、古い眼鏡屋のようだった。
その店は手前のショーウィンドウにしか明かりは点いておらず、店内は真っ暗だった。ショーウィンドウには赤縁、黒縁、銀縁、円眼鏡、色々な眼鏡が並んでいて、まるで人に見られているかの様な感覚を受けた。ドアには、壊れかけの札が垂れ下がっており、読みづらいが営業中と書いてある。どうやらやっている様だ。僕は、怖かったがゆっくりとドアを開けて中へと入っていった。
「すみませーん。」
ゆっくりと入っていくと、真っ暗だった店内に急に明かりがついた。すると奥の扉が開き、店主らしきおばあさんが現れた。
「いらっしゃい。坊や。」
その人は、分厚い眼鏡にとんがり帽子を被り、禍々しく歪んだ杖をついていた。そう、それは正しく魔女の様ないでたちをしていた。僕は驚きのあまり、
「す、すみませんでした。」
と謝ってしまった。
「なにを謝ってるんだい坊や。 まあ、とりあえずこっちに来てお茶でも飲みなさい。」
するとそこにはいつ淹れたか分からない、湯気のたった紅茶が二つ置いてあった。
「け、結構です。」
「そうかい、そうかい。 まあいいや、今日はその眼鏡を直しに来たんだろう。」
魔女は僕が握っていた眼鏡を指差し、そう言った。
「いや、その......」
「違うのかい?」
眼鏡の奥にある目玉がぎょろっと僕の顔を覗き込んできた。
「いいえ、違いません」
僕は怖くなり、壊れた眼鏡を差し出した。すると、それを眺めながら魔女は言った。
「はー、これは大変だねぇ。何かしたのかい?」
「いやっ、その、友達と喧嘩をしちゃって……。」
「そうかい、そうかい。 で、その子とは仲直りしたのかい?」
僕は黙ってしまった。逃げてしまったなんて言えない。
「はぁ、そうかい。まだしてないんだねぇ。」
どうやら見透かされている様だった。
「じゃあ、坊やにはとっておきの眼鏡をあげるよ。どうせ修理中は代わりのが必要だからね。」
そう言うと、魔女は黒い木箱を渡してきた。開けると、中には黒い円眼鏡が入っていた。
「それは、ねぇ。特殊な眼鏡でねぇ。“心”が見える眼鏡なんだよ。相手の目を見ながら見たいと思うとレンズに文字が浮かぶんだ。」
「へぇ」
僕は恐る恐るその眼鏡をかける。何故かそれはピントが合っていて、使い慣れた感触があった。試しに僕は魔女の目を見つめ、念じてみた。
「そうそう、一つ言っておくけど、三回までだからね。気をつけて使うんだよ」
もう、遅かった。やがてレンズに赤い文字が浮かび上がる。
『面白そうな事になったナァ』
魔女の顔を見ると、レンズの向こうで不敵な笑みを浮かべていた。異様な寒気が僕を襲う。
「ぼ、僕もう帰ります。」
「そうかい、そうかい。 あ、それと、もう一つ、これを持って行きなさい。」
今度は四つ折りの紙を渡された。僕は受け取ると、逃げる様に店を出た。
少し離れたところで立ち止まり、さっき貰った紙を広げた。それはこの辺りの地図だった。 迷子だと、いつ言っただろうか。
地図を見ると意外と遠くまでは来ておらず、家があるマンションまではすぐ帰る事が出来た。とは言っても、もう日は暮れていて、アスファルトの赤は深い黒へと変わっていた。家に着くととりあえずインターホンを鳴らす。しかし、中からは何の返事も無い。母さんはまだ帰っていない様だ。仕方なく背負っていたランドセルから家の鍵を取り出し鍵を開けた。
「ただいま……。」
家の中に入ると、暗い廊下の電気を点けた。使い古したスリッパに履き替え、埃の上をリビングへと進む。リビングに着くと中央のテーブルの上にコンビニのおにぎりが一つ置かれていた。隣に置手紙も置いてある。「これを食べなさい。」僕はそのおにぎりを掴むとゴミ箱へ投げ入れた。明後日は多分、燃えるゴミの日だ。僕はコンビニ弁当のトレイで溢れた台所で手を洗い、自室へ直行した。
自室へ篭り鍵を閉めると、堪らずベッドへダイブした。掛け布団に包まる。すると、何とも言えない安心感と共に、見なければならない現実が僕に襲いかかった。今日の事が思い出されていく。
仲良しだった友達の高橋君。幼稚園からの友達で、引っ越し先のここでも何故か再会し、一層仲良くなった。彼と比べあまり友達付き合いが良くない僕は、新しい土地で彼に随分助けられた。今では、唯一無二の親友だ。いや、違う。だった。
今日、僕は喧嘩をした。
親友の高橋君と、取っ組み合いの喧嘩を。
理由は何だったかは、大体分かっている。もう、言い訳も出来ない。 明日こそ、謝らなくちゃいけない。
「はぁ、何て言えば良いんだろう。」
空腹を紛らわす様に眠気が襲い、僕はゆっくりと瞼を閉じた。
新月の夜は僕を深い黒に落としていた。
翌朝、目が覚めると、見知らぬ眼鏡が傍らに落ちていた。ああ、いつもの眼鏡壊れちゃたんだっけ。僕はそれを掛けて辺りを見渡した。時計の針はもうすぐ六時。そろそろ起きないと学校に遅刻してしまう。僕はのそのそと起き上がり、大きく伸びをした。
洗面所で顔を洗うとようやく思考が戻ってきた。鏡を見ると目元が少し赤い。強く擦っても治りそうになかったので、諦めて朝食をとる事にした。
台所へ行くと相変わらずトレイの山が出来ており、料理が出来る様な環境ではなかった。仕方なく冷蔵庫を開けると、ビールビールビール。上下左右、全ての棚にビールが置いてあった。中には飲み終わった空き缶も。僕は溜息を一つ零し、ゆっくりと冷蔵庫の扉を閉めた。仕方ない。また、カップ麺か。僕は冷蔵庫の隣の食材庫を開け、中にあったカップ麺を取り出しテーブルの上に置いた。
お湯を入れて、三分間。僕は何の気なしにテレビを点けていた。朝のニュース番組がやっている。今日も星座占いは安定の最下位。ラッキーアイテムは黒の眼鏡拭きだそうだ。天気予報では曇りのち雨。アナウンサーは笑っていた。タイマーが鳴る。どうやら三分経った様だ。蓋を剥がすと水蒸気が出てきて濃い匂いが流れ出して来た。
五分程で平らげ、残った汁を棄てるとトレイの山に積み上げた。手を洗い、歯を磨いていると、気付いたら六時半になっていた。そろそろ出ないと本格的に遅刻してしまう。僕は小走りで自室へ駆け込んだ。
クローゼットから適当な服を引っ張り出し、身に纏うと、ランドセルを背負い玄関へ向かった。玄関から振り返ると母の部屋が見える。夜遅くに帰って来て、まだ起きて来ないようだ。僕はその部屋の扉に向かって呟いた。
「行ってきます……。」
返ってくる声はない。
数秒間待った後、ドアの鍵をしっかりかけ学校へ向かった。空は雲が太陽を隠し、灰色の光が落ちていた。
学校に着くと心なしか皆に見られている感じがした。それもそうだ、昨日取っ組み合いの喧嘩してしまったんだ。きっともう言いふらされているに違いない。僕は視線を避けながら自分の席に移動した。すると、隣の席の人が話しかけてきた。
「おい、坂本。お前、昨日高橋と喧嘩したんだってな?」
「う、うん。」
僕は頷いた。
「すげぇ。本当だったんだ。」
そいつはそれ以上何も聞かず、会話は終わった。ひそひそと話す声が遠くで聞こえたが、聞こえないふりをする。そっと、目線をズラしてゆくと高橋君が見えた。顔には昨日の喧嘩でつけてしまったらしい傷が頬にある。本当に申し訳ない。そう思っていると目が合ってしまった。時間が二人の間に流れる。しかしそれは一瞬で、高橋君はすぐに目を逸らした。まだ怒っているのだろうか。とにかく早く謝らないと、そう思っていたら担任の田中先生が教室に入って来て朝礼が始まった。
いつ謝るかタイミングを伺っていると、気付くと放課後になっていた。授業中何度か目が合ったのだけれどどれも逸らされてしまって、これがラストチャンスだ。もう後には引けない。帰ってしまう前に謝らないと。僕は覚悟を決め、高橋君を呼び止めた。
「あ、あの!高橋君。」
急に呼び止められた高橋君は少し驚いた様子で振り返ったが、僕の顔を見ると困った顔に変わった。
「あの、えっと...。」
覚悟は決めていた筈なのに、言葉が出てこなかった。何をどう言えば良いのか分からない。数秒の沈黙が過ぎた後、先に口を開いたのは高橋君だった。
「何もないんだったら行って良いか?」
当然、そうなってしまう。しかし、ここで謝らないといけない。僕は必死に考える。すると、昨日の事をふと思い出した。そうだ。この眼鏡で彼の心を見れば良いんだ。そうすれば何か分かるかもしれない。そう思い高橋君の眼を見つめ念じる。するとレンズに赤い文字が浮き出てきた。
『早く、仲直りをしないト』
なんだ、高橋君も仲直りしようと思っているのではないか。ならば簡単だ、僕は意を決し高橋君に言った。
「昨日はゴメン。僕が悪いのに喧嘩になって、傷つけちゃって……。」
悩んだ挙句、こんな簡単な言葉が出てきた。すると高橋君もつられて
「こっちこそゴメン。お前の母ちゃんの悪口言って。眼鏡も壊したし。」
と謝った。すると僕達は何だか可笑しくなって、つい噴き出してしまった。たったそれだけだった。たったそれだけの事で悩み、そして僕らは仲直りを果たした。
「明日も日本列島全体が、高気圧に覆われ、快晴でしょう。続きまして、台風情報です。秋になっても日本近海の海水温が下がらないため、強い勢力を保ったまま、列島を横断するとみられ、関東には週末に最接近する模様です。早め早めの台風対策を心がけましょう。」
会社から帰ると、いつものニュース番組の天気予報コーナーがやっていた。僕はそれを見ていていつも思う。気象予報士なんか意味のないもの。だって……。
次の日は、天気予報通り晴れだった。秋になったと言うのに、太陽に当たっているとまだ暑く感じてしまう。明日は、もう少しでいいから『気温を下げて欲しい。』
昨日、気象予報士は必要ないと言ったが、僕は今、気象予報士関係の仕事をしている。実は、昨日のニュースも僕が予測して発表した原稿である。でも僕は、気象衛星「ひまわり」の情報や、アメダスで各地の情報を見たりはしない。だって僕は……。
「山田さん、明日の天気どんな感じですかね?」
昨日ニュースに出ていた新人気象予報士だ。顔立ちが整っていると言うことで、予報の勉強をしながら、まずは、ニュースで天気予報の専門用語や、それを分かりやすく説明する勉強からだ。
「まーちゃん、これ見てよ。この台風やばいね。多分過去最高レベル。日本近海に来てもまだ勢力が強まっているよ。昨日は今週末とか言っちゃったけど、明後日くらいから本州にも影響でるね。今日から台風に備えろって言っておいてね。」
「明日も高気圧に列島全体が覆われて、今日みたいに暑くなりますかね?」
「いや、今日みたいに快晴になるけど、少し気温は下がると思うよ。理由はないけど、絶対下がるよ。」
「いつもそれじゃないですか。その根拠のない自信、どこから来るんですか。」
「ままま、そこら辺は……。ワハハハ。今日もニュースよろしく。先に上がりまーす。」
そう言いながら僕は、いつもの様に会社を後にした。
「それでは天気予報です。」
「まずは台風情報です。明後日には関東に猛威をふるうでしょう。現在、台風が最接近している沖縄では、死者が多数出ているようで、対策が急がれています――。」
「次は明日の天気です。今日と同じ様に東日本は、高気圧に覆われますが、今日よりも気温が下がり秋らしい一日になりそうです。」
テレビをつけると、ちょうどニュースが始まっていた。さっきまで一緒にいた人がテレビに出ていると不思議な気分だ。でもやっぱり思う。気象予報士なんかいらない。だって僕は……。
七年前――。
まだ僕が新人気象予報士の頃の話である。僕も今のまーちゃんのように、天気予報の専門用語や、それを分かりやすく説明する勉強がてら、ニュースに出ていた時の話だ。
「おつかれちゃーん。じゃあ、お先に失礼しまーす。今日もニュースがんばって。」
「あっ、先輩お疲れ様でした。かまないようにがんばります。」
「はーい。ニュースでは、さっき言ったやつ言えばいいから。では。」
僕はこの業界でも一、二位を競うくらいかんでいて、上司や視聴者からよくクレームが来ていた。舌足らずでもなく、毎日一時間以上かまないためのトレーニングをしているのに、かんでしまう。どうにかしろと言われても無理な話だ。
「それでは天気予報です。」
「みなさんこんにちは。今日も日本全域が雲一つない秋晴れでしたが、明日は一転してどんよりとした雲が広がり所々では、雨が降るでしょう。お出かけには傘が必要になるでしょう――。」
今日もニュースが終わった。今日は一回もかまなかった気がするが……。ホームページを見ると、いつもより沢山のコメントがあった。“今日はかまなかった?えー、面白くない”などかまないことに対しての批判の声である。いつの間にかかむことが定着していて、それがこの番組の名物になっていたようだ。だが、それよりももっと重大な問題が……。
次の日、カーテンを開けると、やはり外は昨日と同じような雲一つない快晴だった。実はあの先輩、先輩としては百点満点で面倒見が良いのだが、気象予報士としては六点くらいしかあげられないほどひどいのだ。絶対に当たるのは、四日に一日くらいで、自分で予想した方が良く当たっていた。しかし、僕はその時その先輩にとても親しくしてもらっていたので、裏切ることができず、いつももらった情報そのままに報道していた。だから、今思うと、視聴者には悪いことをしたなと思う。
「先輩、おはようございます。」
会社に行って、いつものように隣の席の先輩にあいさつすると
「あー、はずれちゃったなー。俺の勉強不足だ。すいませんでした。」
と僕に謝ってくる。だから、この先輩は嫌いになれないのだ。
天気の勉強や新人の雑用の仕事をするため、会社に泊まりで過ごすことが良くあった。そんなある日、ウトウトしてしまったことがあって、今もその時起きていて、疲労が溜まり過ぎで見た幻覚なのか、寝てしまって見た夢なのか分からないが、今も誰にも話していない体験がある。
ガシャン、ガシャガシャ。
僕以外誰もいないはずなのに、給湯室の方から物音が聞こえた。丑三つ時ということもあり、近くにあったパイプ椅子を持って近づいていく。すると、一瞬給湯室全体が輝き、宇宙人の襲来かと思い、パイプ椅子を盾に進んでいくと、光を放ちながら給湯室から出てきたのは……。小学校低学年くらいの人?らしきものであったが、顔を見てみるとひげが生えていて、しわもあり、五十代後半の老人?であった。
「よー。若造ー。お主は今年の新人か。今年は、大変じゃのー。あの先輩でワァハァハァ。」
あまりにもフレンドリーなやつの襲来で、パイプ椅子を脅しで振り上げていた自分がバカバカしく思えてきた。
ピョコピョコと少し跳びはねながら、なれなれしく近くの席に座ってくる。
「あー。つかれたよ。ここは人間界の天気を予報する場所であってるかのー。」
「えっええ。まぁそうですけど。」
自分の声は震えていた。
「あーあー。たいそうな機械を用意して。こんな物いらないのに。」
「なに言ってんですかぁ、今の最新システムですよ。そんな訳ないじゃないですかぁ。」
まだ自分の声は震えている。相手はフレンドリーなのに……。
「実はな、ワシはな、神様なんじゃよ。」
じぇじぇじぇ……。
振り下げていたパイプ椅子を何とか開いて座ろうとしたが、なかなか座れない。神様らしき人は、そのまま続ける。
「ワシャな天気の神様なんじゃよ。でなー。天気選ぶの飽きたんじゃよ。この百年。ワシャ一人で選んできたんじゃけどなー。もうイヤなんじゃ。で、新人気象予報士だっけ、若造に神様あげようと思うんじゃ。」
この天気の神様?は、僕に、天気選ぶの飽きたから神様をくれると言っている。
十分くらい静止しただろうか。神様?に体を揺らされて目を覚ました。
「じゃいくよ。ホイッ。」
まぶしい光が僕にうつってきた。だが何も起こらない。雲の上にでも行くかと思ったのに、少し残念だ。
「今まで通りに生活して大丈夫じゃよ。そのかわり、毎日ワシに次の日、どの天気がいいか細かく言ってこい。そうしたら次の日その天気にしちゃる。がんばれよ、若造。今日は特別に今、直接聞いちゃる。何がいい?」
「じゃあ、明日は、雨がいい。」
そう答えると、神様?は光を放ちながら、どこかへ行ってしまった。
次の日、どこの局も快晴だと言っていたのに、雨が降っていた。喜んでいたのは、唯一雨予想していた先輩だった。どうやら神様は本当らしい。
それから毎日、なんとなく神様が出てきた給湯室で、次の日の天気を伝えている。それも、天気が全く当たらない先輩の予想した天気通りに……。
「先輩、明日天気どうですかね。」
「ああ、まーちゃん一ついいこと教えてあげる。台風は関東には来ないよ。今九州の所にいるけど、そのまま北に上がって韓国の方に行くね。」
「えー、どうしてですか?だって他の局みんな関東に猛烈な台風来るって大騒ぎですよ。」
「いや、絶対関東には来ないね。理由はないけど。」
「本当、その根拠のない自信どっから来るんですか。はずれたら大変なことになりますよ。」
あの力は今も続いている。だから僕には、気象衛星やアメダスの情報なんて必要ない。
絶対大丈夫。だって僕は天気の神様だから。僕が決めた天気で、人間界の天気は決まる。
「明日、天気になあれ!」
ここは世界の縮図だと、誰かが言った。
ちらちらと形を変える、長く伸びた蝋燭の影。それを作るのも他の蝋燭の灯で、それを侵食するのもまた、他の蝋燭の灯で。それはいつ見ても、与え与えられて奪い奪われて共闘して裏切って、そういう、ひとの世の姿によく似ていた。
触れてもいないのに常にお互いに干渉しあう、長さも太さも色も形も様々な蝋燭の群。
「そうサァ、ここには世界があるのサァ」
独りごちて、ぱらりと分厚い本を捲った。机のすぐ脇から左右に続く暗い道。高くそして深く、上下に貫くように立つ棚。そこには無数の蝋燭が揺らめいている。その暖かい灯が照らすのは、蝋燭の写真と、管理番号と、名前と、火を灯した日付、火の消えた日付。それだけがただ延々と並んでいる、冷たい本だった。
「んんん、オヤァ、17-198402785番が消えたかネェ」
本を捲る手を止めて、ぐるりと天井を仰ぐ。蝋燭からたなびく細い煙が集まって暗く煙った天井は、幾万幾億とも知れぬ蝋燭の灯りも届かない。もはや存在しないのではないかというほどに、高く高く、続いていた。
「お迎えに行かなくちゃあ、ネェ」
ばらばらばらばら、本のページを捲る。17-198402785番、17-198402785番。節をつけて口ずさんで、ぴたり、と手を止めた。開いたページをつー、と指で辿って、一枚の蝋燭の写真を、爪で弾く。
「みぃつけた、君カァ」
肩を揺らしながら開けた右の抽斗のなか、雑然と転がる小さな黒い箱を一つ摘まんで、本を小脇に立ち上がった。
「んんん、17-、なら左かナァ」
座っていた机から左に伸びる道を、ひたひたと歩き出す。ローブの揺れる感触と、溶けた蝋の匂い。取り囲む蝋燭の灯は、明るく暗く、揺らいでいた。
「17-198402785番クン。お迎えに来たヨォ」
ひょいと梯子を上って、棚板にこびりついた蝋を、蝋燭のなれの果てを覗き込む。溶けてまぁるく広がった薄青い蝋とそこから僅かに覗く芯に、目を細めて手を叩いた。
「おめでとうおめでとう、よくもマァ見事に燃え尽きたもんダァね」
首から下げた銀の小刀を取り、そぅっと棚板に押し当てた。丸く広がった蝋を少しずつ少しずつ棚から剥がし、黒い箱に収める。丁寧に蓋を閉めて、ポケットに滑り込ませた。
「この辺りの子たちも、随分減ったネェ」
近くの棚を見渡して呟く。幾百の蝋燭が灯っていたこの棚も、今や数えられる程度しか残っていない。何か生き物の気配がして、来た道を見下ろした。
「んんん、誰か来たネェ。なんだい今日は、忙しないジャアないか」
するすると梯子を下りると、足音もなく机に戻る。来客も用向きも、容易に想像がついた。
「オヤァ管理課の。17-198402785番クンのお引き取りカイ?」
想像通り、机の前にはびしりとスーツを着た男が立っていた。
「ちょっと待ちナァ、17-198402785番クンは今お迎えに行ってきたところサァ。台帳はまだ書いてないヨォ。いやぁ見事に燃え尽きていたネェ、こりゃあ大往生ダァ」
管理課が口を開く前にひらひらと長い袖を翻して遮ると、本を開いた。17-198402785番に『〇〇年〇月○日○時〇分消灯』と書き加える。
「はいヨォ。他には何かあるカイ?」
台帳に印を捺した管理課の前に17-198402785番の名残を滑らせれば、彼はそれを一瞥しただけで紙の束を机の上に置いた。
「明日の消灯リストだ。時間通りに消せ、明日、台帳の確認に来る」
「おやマァ、ずいぶん多いジャアないか。生きている連中はそのうち墓穴の上に家を建てるようになるんジャアないかい?」
「現世のことは、蝋番が出る幕ではない」
管理課は面倒くさげに言うと、スーツの内ポケットから別の紙を取り出した。折り目正しく三つ折りにされた白い紙、一点の染みも黄ばみもない真新しい紙。
「原形の引き取りが一件ある。これも明日だ」
「んんん、めでたいことは一件だけネェ」
指先に挟んで突き出されたそれを両手で受け取ると、管理課はすぐに踵を返した。
「おやぁ、ちょいと待ちナァ。まぁた引き取らないつもりカイ?17-198402785番クン、置きっぱなしだヨォ」
机の上を指先で叩くと、管理課は視線だけで振り返って目を細めた。
「消灯は確認した。残滓など、回収したところで何にもならない」
「回収も仕事のはずだヨォ。管理課の、サ」
「そのシステムも、近いうちに改正される。無駄は省く。それだけだ」
淡々と切り捨てると、管理課は道の暗がりに消えた。
「無駄、ネェ……」
机の上に積まれた消灯リストと、たった一枚の原形の発注、そして17-198402785番の燃え残り。机に腰を預けて、存在もしれぬ天井を仰いだ。
「あんな連中に魂入れられるんジャ、生きてる連中もつまらないだろうサァ」
独りごちた声は、蝋燭の煙の中に消えていく。吐き出した言葉が揺蕩う煙の中に霞んでいくのが、見えた気がした。
「アンタはどうだい、あんな機械みたいな奴らに魂入れられて、いい人生送れたカイ?」
くるりと指先で黒い箱を回して、高く掲げてみる。本来なら管理課が回収してきちんと尊厳を持った死の中に眠るはずの燃え残りは、黙ったままじっとこちらを見下ろしていた。
「ま、聞かれても困るよネェ。答えられないんジャア、さ」
箱をまたポケットに入れて、机の左の抽斗を開けた。中には、小さな白い蝋燭が並んでいる。一本摘み上げて、まじまじと見つめた。
「キミ、火を灯す順番が来たみたいだヨォ」
原形の蝋燭は管理課を通して上の手に渡り、魂を入れられ個性を持つ。戻ってきた蝋燭は、形も色も長さも太さも種々様々、十人十色、千差万別。一本として同じものはない。当たり前だ。ひとの一生に、同じものがあるわけがない。あって、いいはずがない。
そんな蝋燭たちは、ここで火を灯されて並べられる。何処まで続くかわからない高くて深い棚の、長い長い棚板の上に。
灯が、消えるまで。
延々と、同じことが続いていく。生まれて、死ぬ。火が灯り、消える。
「ちゃんと見届けてあげるヨォ、少なくとも燃え尽きるまではネェ」
ふらりと立ち上がって、右の道から下を覗き込んだ。灯の揺らめきは、底知れない深さの中で影を作り出す。まるで、得体の知れない化け物のような、影を。
その影の、一番濃いところ。すべての蝋燭の火が消えて……全員が、命を終えて、もはや使われなくなって久しい棚。とん、と軽く道を蹴って下へ下へと身を投げた。蝋燭たちの灯が、身体のすぐ脇を通り過ぎる。一瞬、瞬くような刹那だけ、目にする一本一本の命の火。その、一番下に。
「17-198402785番クン。お疲れさまだネェ。これからは、ここでおやすみヨォ」
並んだ無数の黒い箱。その一番上に17-198402785番を載せて、真っ暗な底から、上を見上げた。何処までも続く、光の列。不安定に揺らめく灯がただただ並ぶ、その一番、底で。
燃え尽きた命は、静かに眠る。
「ここは、ただの通り道サァ」
小さく零れた言葉は、誰に聞かれるともなく、煙に乗って昇っていった。
最近、我が家の固定電話が怖い。キッチンから遠巻きに電話を眺めて、私は思わずうなった。ここのところ、毎日バイトから帰るといつも留守電ボタンが光っているのだ。別に留守電の一本や二本、今までだって入っていたけれど、こう毎日続くとなると初めてだ。
家に帰ってその留守電を開いても、いつも
「……。」
と、何も録音されていないところが不気味な印象を増大させている。ストーカーかと思っても、警察を呼ぶ勇気もない。
あらためて自分の姿を鏡に晒す。容姿、雰囲気、うん大丈夫。ストーカーされるものは何一つ持ち合わせいない。安心しつつ落ち込む。
今思えば、このことを親友でもカーストに包まれる女友達でもなく、理学部のアイダに相談したのが全ての始まりだった。彼が私の独り暮らしの部屋のシステム環境を設置してくれたからだ。
次の日、彼はいつものダボダボのセーターを着てやってきた。怪奇なる留守電の小話に終始耳を傾けると、とりあえずその留守電を見たい、ということで電話の親機と彼のタブレットをつなげた。
『おかしいな。』
「どうしたの?大丈夫?やっぱりホラー?都市伝説になっちゃうの?」
『いや。』
彼は文字通り眼鏡を光らせて言った。
『これ音声ファイルじゃないよ。テキストだ。』
頭からハテナを捻り出す私に彼は優しく説明してくれた。普通、留守電電話は相手の声、つまり音をファイル化するのだが、どういう訳かそれはテキストで送られてきたのだそうだ。ファックスもできるしあながち不思議じゃない、と彼は不思議そうに言った。
「ウイルス?」
『いや、それは検出されていないから大丈夫。とりあえず一番最初のを見てみようか。』
タブレットの画面が切り替わり、漸くこの数日間の謎と私はご対面することになる。
サキ キコエル ? ポチ ダヨ
その文面に私は凍りついた。しかしそれはJホラーのようなものではなく、記憶の扉が開いた瞬間だった。
数年前、私が小学生の頃、ロボット技術の飛躍の一端としてロボットペットブームが起きた。湾岸エリアの高層マンションに住んでいた私のところにも漏れなく家族から与えられた。知育としての面もあったのだろう。私は純真な心でポチと名付け、毎日のように遊んでいた。しかしそれも浮き世の常で、ブームの終焉とともに私の記憶から無くなっている。
もしかしたら……いや、まさか……。
私はとにかく熱り立ってアイダに今の思い出と仮説をまくし立てた。アイダは太い眉を縦横無尽にしながら私に心地よい相槌を見せていたが、やがて肩で息をしている私にタイミング良く話し始めた。
『一時期流行ったアイペットか。AIがしっかりしていてインターネットから天気とか災害の情報を送受信できる、今思えばICT技術の走りだったんだね。それが今もどこかで、情報を発信し続けているとしたら……AIが自己で能力を発展させ、ご主人を探し始めたとしたら……。』
その瞬間、私は走り始めた。幼い頃の私というセリヌンティウスを従えるようにして、私のポチの元へと。
彼に頼み、今まであった全ての留守電を調べてもらった。発信元は某湾岸エリア。自分のスマホで走りながら調べていると、そこは実家。私が数年前まで住んでいた高層マンションだった。
ピンポーン。
ここへ着いたのは、真夜中の一時。発信元が分かってから、すぐに出てきたのを後悔しながら、マンションの一室のインターホンを押した。誰もこんな時間にでないだろうと思いながら……。
ブーブーブー。
そこへアイダから電話があった。
『あ、もしもし。今またポチだっけ?から連絡入ったよ。扉の横にあるポストにカギがあるって。』
「あ、ありがと。」
通話時間には二秒と表示された。とにかくゆっくり礼を言う時間なんてない。申し訳ないと思いながらも、電話をブチ切らせてもらった。
カギを見つけ。扉を開けると、またアイダから電話があった。
『あ、もしもし、また連絡。リビングの大きなタンスだって。』
「ん、ありがと。」
さっきと同じようにブチ切らせてもらった。
ガラガラガラ。
ダンスを開けると、そこには色々な小物などがたくさんあって、とてもポチのようなロボットがあるようには見えないが、一番下の段にダンボールがあった。引き出してみたが、そこにはない。しかし、ダンボールの端の部分がつぶされていた。ダンスの奥を見てみると、そこにはダンボールでつぶされたポチが光っていた。あ、みーっけ……。
「ただいまー。ポチ。」
『おかえり。サキ。今日はどうだった。』
「んー。まぁまぁかな……。」
ポチを見つけてから一ヶ月。今ではなんとかなじむことができた。ポチが私の家に引っ越してきたのだ。
まぁそんなことはさておき、あのアイダもロボットだったのだ。ポチを見つけたあの日に急に言われたことなのだが。ポチを話せるようにしてくれたのはアイダだった。アイダの話によると、このロボットはアップグレードすることができ、本当は飼い主がすることなのだが、ひょんなことからポチが自分でアップグレードをして、自分から留守電するまでになったらしい。と、聞いたのだが、これを話しているのがロボットなのが怖い。今思った。自分の周り、あなたの周りには、何人?何体?何機のロボットがいる?ある?動いているのだろうか……。あなたもぜひ考えてみよう。
『ねぇ、サキ、あなたは本当に人間なの?』
「え、ポチ、そんなこと聞かないでよ。」
小学校の勉強きらいなんだって?
ベトナムの部落の人たちは、毎日この丸太橋を渡って、水汲みにも行くし、町にも行く。子どもたちだってこの橋を渡らなければ学校にも行かれないんだよ。
この絵はがき、君にあげるよ。
こんな文章といっしょに一枚の絵はがきと四枚ほどの手紙が机のひきだしの中から出てきた。
まず絵はがきの話をしよう。絵はがきは二年前に亡くなったベトナムのおじさんに小学生の頃にもらったものだった。この絵はがきを初めて見た僕は、おそらく『ベトナムの人は大変だな。』くらいにしか思っていなかっただろう。しかし、高一になった今、再び絵はがきを見てみると、色々なことが感じられる。今年、僕は無事に中学を卒業して高校生になった。日本ならば普通のことだろう。しかし、ベトナムでは家の仕事などで学校に行けない子どもがたくさんいる。それに比べて何もしなくても小学校に通い、中学に通って、高校に行けるのはとても幸せなことなのだ。だから学校がめんどうくさいなどと言って学校をさぼったりするのは、学校に行けない子どもたちを馬鹿にしているのと同じことなのだ。僕が思うにおじさんは絵はがきをくれた時に『君は学校に行けて幸せなんだよ。』ということを言っていたのだと思う。
次に手紙の話だ。絵はがきといっしょに出てきた手紙は、おじさんが亡くなる一年前(僕が中一になった年)に送られてきたものだった。この手紙を読むのは確か二回目だった。『今年も新年を迎えてもう二ヶ月もたちました。』という書き出しで手紙は始まっていた。まるで遅れてきた年賀状みたいだった。しかし、後の文章には不思議なことが書かれていた。それは『おじさんは人にはあまりおめでとうとは言わないんだよ。』と書いてあった。その理由は手紙の三枚目と四枚目に書いてあった。
世間の人はお正月や入学式などによく「おめでとう」と言う。しかし、ほとんどの人はそういうシキタリだから言っているにすぎない。例えば正月は何がおめでたくて「おめでとう」と言うのか、僕も手紙を読むまでは知らなかった。正月のおめでとうは、「自分のこれまでの人生には嬉しいこともあったけど、悲しいこともたくさんあった。今日から始まる一年が、嬉しいこと、楽しいことのたくさんある一年になってほしい」という意味がある。僕以外にも知らなかった人は多いのではないか。
おじさんが僕に中学校入学時におめでとうと言わなかった理由は、中学が義務教育だからだ。しかし、中学を卒業したら義務教育は終わり、高校に進むか就職するかは親と自分の問題になる。おじさんは僕に、中学から高校に行くか行かないかが僕の人生で初めての分かれ道になるだろうと言っていた。おじさんは僕に高校に行けとは言わなかった。自分の道は自分で選ぶのだ、と言いたかったのだろう。そして僕は高校へ行くことを決めた。
最終的におじさんが言いたかったのは、一人の子供が少しずつ大きくなって大人になり自分の道を自分で決めるのはとても大変で、今の自分がそうであったということだ。だからおじさんは僕に簡単におめでとうと言えなかったのだろう。分かりやすく言えば、これからが大変な人におめでとうとは言わないのと同じだろう。
手紙はピッタリ四枚で完結していた。手紙をもらった頃の自分はまさかおじさんが次の年に死ぬなんて思ってもいなかっただろう。今度戻ってきたら、また将棋をやろうと思っていた。おじさんから日本に届いた最後のメールには、
今年は、五月か六月に帰国しようと思っています。万世君と蘭ちゃんへ。今度いつか日本で会うときは、二人がどんなふうに変わっているか今から楽しみです。
と書いてあった。そのメールを書いてわずか十五日後、おじさんは自宅で倒れ入院、二月七日に永眠した。
おじさんが亡くなってから数ヶ月がたった頃、親戚の人たちでおじさんへの追悼文を書いた。僕も書いた。また、あの長い手紙もそこに載せられた。しかし、僕がおじさんに書いた文章はたったの三行だった。数える程しか会っていない僕に毎年のように長い手紙をくれたおじさんに、たったの三行しか書けなかった。自分に関係のある人がこの世を去っていったのは三度目だった。しかし、初めの二度は自分が幼く、まだ人が死ぬことについてよく分かっていなかった。十三歳になって初めて人が死ぬということを知った。だから自分は驚いていたのかもしれない。しかし今の僕ならもっと書けるだろう。
もし今もおじさんがいたならば、社会人に一歩近づいた自分を見てもらいたかった。そしていつかおじさんに、「おめでとう」と言わせたかった。
義春おじさんへ
もうおじさんが亡くなって二年もたちました。僕は無事に高校に進学しました。おじさんの言っていた人生最初の分かれ道を過ぎ、二つ目の分かれ道に向かっています。おそらく次の分かれ道は大学に行くか高卒になるかでしょう。自分としては、高専に入ったからには、五年間学校に行って良い仕事に就こうと思っています。それと、おじさんの作っていた日越辞書が届きました。でも、おじさんはこの辞書が完成する前に死んでしまったのでとても残念でもあります。もしも生きていたら、ベトナム語の読み方くらいは教わりたかったです。
最後に、短い間でしたがありがとうございました。おじさんのおかげで僕はこれからどのように生きていけば良いかが見えました。一度しかない時を大切に生きようと思います。
雨の日はいつもの日と違ってつまんない。学校まで歩く長い道。傘に強く当たる雨。
いつもなら長い道にも楽しさがあふれている。
太陽に向かって一生懸命な草花。雲ひとつない美しい空。小鳥のさえずり。朝の光に伸びする猫。川で水遊びするカモ。毎日が楽しい、そう思う。つまんない授業中も窓から見える風にゆれる木々。大空でつばさをめいっぱい広げる鳥。そんなものたちを眺めているとなぜか安心できる。
今日は雨だ。朝から雨が降り続いている。
今日は……何もない。空も、小鳥のさえずりも伸びする猫も。何一つ。雨に流されたのだろうか?教室の窓をのぞくと木は雨に強く打たれ、悲痛の声をあげている。鳥たちはどこだろう。家で身を縮めおびえているのだろうか。次々と疑問がわいてきた。
すべての授業を終えた時、日の光が窓を差す。優しい光だ。だけど強く雲を切った。
私が外に出た時、外はいつもと少し違った。花や草、木からは雨の雫がゆっくりと落ち、輝いている。その時、思った。雨は生命だ。草木に生を与える。こんな世界も素晴らしい。そう思った。
提灯の灯に照らされた人々が、とても楽しそうに会話をしている。提灯の灯に照らされた桜は、桜自体が根元から光っているように見えて、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していて、なんとも美しい。
逆に、街灯に照らされている桜は、落ち着いていて、側にいる人達は、どちらかというと老人の方が多く、提灯に比べて数も少ない。
そんな光景をボーッと見つめていた。その時、ふと私の頭に「sumika」というバンドの「グライダースライダー」という曲が過ぎった。この曲は、世の中の流れに乗って生きようとする一人の人と、自分に正直に生きようと決めた人との対照的な人生を綴っている歌だ。
私には、提灯の桜が前者、街灯の桜が後者に見えてならない。
前者の方は、華やかに見えるが、時に本当の自分に逆らってまでも世の中に従わなけれなければならない。それに比べて後者は、地味にみえるかもしれないけど、自分の愛すべきものをしっかりと見つめている様だ。
あくまで、これは私が感じた雰囲気の感想だが、後者の方が格好いい生き方だと私は思った。
やりたいことは沢山ある。けれど、本当に愛しているものを見つめ、迷い迷っておいてきたものの分だけ、そのものを愛し歩いていく。これは「グライダースライダー」が伝えたいメッセージのようなものだ。
これからは、そんな生き方をしていきたいと思った。
広い心・愛犬ルッコラと私の後悔
文集では基本的に一人一作品の掲載なのですが、今回は「広い心」を、オープニングを飾る詩として、本編の長文とは別に掲載させてもらいました。「広い心」を書いた当時の筆者は小学六年生。新しい生活を目前に控え、何かに憧れを抱く気持ちが膨らんでいたのかもしれません。夜の散歩中に見上げた黒い空に思いを巡らせるように綴られた言葉は、自分の目指す理想像が書かれているようにも読め、あるいは自分を日頃から守ってくれている存在に対する憧れの気持ちが書かれているようにも読めます。短い中にも筆者の想像力や豊かな感受性が感じられる文章でした。「愛犬ルッコラと私の後悔」は愛犬の死がテーマですが、悲しみにどっぷり浸かるというよりは、筆者のからっとした性格が文体にも表れていて、所々明るささえ感じます。特に愛犬の病状が分かった後の『最後の最後まで~毎日明るく、必ずあいさつしようと。』のくだりは、主人公の強さがよく表現されていて、個人的にもとても好きな部分です。また、帰宅後に愛犬の死を知る場面では、『母が泣いていた。部屋にはお線香の香りが広がっていた』と周囲の状況を描写することで、直接死に触れるよりもより強く悲しみが伝わるよう書くなど工夫も見られました。今回紹介した二作品はタイプが違うものの、どちらも筆者自身の感じ方や考え方が伝わり、筆者本人の存在が強く感じられるものでした。個性がよく出ている文章はそれだけで魅力あるものですね。
一円玉の貴公子と脱水男
結局大事件もイベントも起きないのですが、それでも青春小説を読んでいるような気分にしてくれるこの作品が僕は大好きです。現実世界ではなかなか大事件など起こるべくもなく、その平凡で退屈になりがちな時間を如何にドラマティックにワクワクして過ごせるかが中高生時代を楽しいものにできるか否かの分かれ道かもしれません。筆者は中学生ですが、僕は読んでいるうちに自分の高校生の頃を思い出しました。その頃の僕は漠然とした夢はあっても、明確なビジョンも方法論も持たず、でも何にでもなれるような大きな気分で日々を過ごしていました。長い人生の中のほんのひと時、夢と時間を浪費することが許される青春時代に筆者はもう入っているのでしょうか。ところで本文集のタイトル「そんじゃさっそく行きますか」はこの作品からの引用です。なんでもすぐに面倒臭い!という世代と思われがちな中、友達の誘いに「とりあえず」でもなく「そろそろ」でもなく「さっそく」と答えるところがとても格好良くて好きです。すぐに何かを実行に移す良い意味での軽やかさを持ち続けることはとても難しいと感じる昨今です。何かしなくてはいけない時でも、楽しそうに「そんじゃさっそく行きますか!」と言えるようになりたいなぁと強く思いました。そんなわけで文集タイトルに採用させていただきました。ところでこの作品、希望を言えば、一円玉の貴公子と脱水男の数年後を読んでみたい。彼らがどんな道をみつけて進んでいくのか、とても気になります。でも今はこのゆるい二人の後ろ姿を眺めてニヤニヤしていたいと思います。いずれ彼らの歩調が力強くなり、進路に向かって走り出すまでは。
指揮とピアノの殴り合い
この作品を読ませてもらうまでは、筆者は「ユーモアのセンスを文章に盛り込むのが上手い人」という印象でした。しかし今回、笑いの要素を全て省き、全編通して直球勝負で書かれていたことに、彼の進化と大いなる伸び代を感じました。スピード感のある追いかけっこから始まりながら、予想外の重たい展開に戸惑いつつも、すぐに引き込まれました。筆箱とその中身が黒板消しの粉にまみれる姿が目に浮かび、主人公と同じ怒りを覚え、さらには怒りに飲み込まれてしまう瞬間の主人公の気持ちが痛いほど伝わってきて、ぐっときました。放課後、男の先生と言葉を交わす場面も秀逸です。特に「俺この後、森田とどんな風に過ごせばいいんですかね。」というセリフは、中学生男子の弱さも含めた素の心をそのまま見せてくれる見事なものでした。こんなにも辛い場面があったからこそ、後半の指揮とピアノが許し合い、力を合わせる展開は嬉しく感動的で、深みのあるハッピーエンドでした。読んでいて心がひりひりするくらい、感情を揺さぶられる作品でした。
友達の引っ越し
「ぼくが引っ越したらどうする。」「そんなのうそだろ。」「ふん……。」男の子同士のちょっと強がった感じのやりとりが瑞々しい書き出しのこの作品ですが、この作品は、まだ作文を書き始めて一年も経たないうちに書かれたものです。筆者は作文を書くとき、おそらく自分の感覚に対してすごく素直な人なのだと思います。その素直さは自分の気持ちを表現する際にも発揮されていて『ぼくの心臓が「ドキッドキッ。」と激しく動いた。』や『ぼくは、その時心がびしょぬれになって涙が出そうになった』など魅力的な表現が続きます。これらは自分自身の感覚を大切にして独自の言葉で書かれています。ドキドキではなくドキッドキッとしたり、涙で頰がびしょぬれになるのではなく心がびしょぬれになったりと、感じたままを素直に言葉にできています。これは簡単なことではありません。気持ちの書き方の練習をしたところで教えられることではなく、自分の経験や感覚から生まれる言葉なのです。色々な経験をしていれば作文を書く上ではもちろん有利ですが、その経験の中で感じたものを自分で見つけてきて言葉にできるかどうかは、また別のこと。そういう意味では筆者は作文を書く上での力をすでに十分に感じさせてくれています。
やっぱりひみつ
作品前半は、主に公園に行くまでの経緯が細かく書かれています。丁寧にきちんとその流れを説明できていると思います。後半は友達との別れ際のやりとり。これが実によく書けています。幼い子ども同士の会話は、大人が聞いていると、どこか辻褄が合っていないようで頼りないものです。それを文章に記そうと思うと、ついつい手を加えてしまい、子どもらしいなんともいえない雰囲気が消えてしまいがちです。そこを筆者は、(これは僕の想像ですが)実に忠実に再現してくれているのだと思います。男の子のちょっと強がっている感じや、ちゅうちょなく問い詰める女の子とのやりとりは、どこかで見たり聞いたりした感じがして、微笑ましいものです。雰囲気出てるなぁ、と感心しました。大人になって、これが書けたら凄いことです。今回文集に残すことができて良かったです。前半の淡々と出来事を説明する文章も筆者の成長の証なのですが、登場人物がイキイキと動き出した後半はさらに魅力的でした。また印象的なタイトルも作品を書き上げた後に書き直されました。この作品は、筆者が書きながらどんどん上手くなっていった過程の記録でもあるのです。
もみじがかがやいている
前半部分では、自分以外の生徒と講師の会話の中で筆者が走り回れないことに触れています。堅苦しい説明調子で書かずに会話を使った分、その場の雰囲気を伝えつつ、状況説明もできて、良い書き出しでした。また、その後に続く場面の「桜子ちゃん足大丈夫?ゆっくり歩いた方がいいよ。」というセリフも効果的で、このセリフひとつで友達の優しい人柄を伝えることができました。後半では対照的に会話をなくし、目に入るものの色や形を中心に書き、落ち着きのある優しい文章を書くことができました。皆と走り回れなかった分、かえってゆっくりと月を眺めることができて、この文章ではそれまであまり書いてこなかった筆者の新しい一面が見られたように思います。走り回る生徒とは少し離れ、二人が作り出していた穏やかな空間は、側で見ていて微笑ましいものでした。この作品を読むとあの日の優しい空気を思い出すことができ、とても懐かしく思います。
初体験
旅の作文を書く場合、出発から到着、現地での出来事というように、全ての行程を書きたくなる人が多いのですが、今回の作文ではシュノーケリングをした時の経験に絞って書いてくれました。そのおかげで、水に入る時の様子、不安、コーチのアドバイス、他の仲間と一緒に魚たちと触れ合う様子など、海での出来事が臨場感を加えながらたっぷりと描写されています。日程や具体的な地名が書かれていなくても、海の暖かさや美しく輝く魚たちの色や動き、子どもたちの楽しげな様子が目に浮かび、その場所の魅力がきちんと伝わってきます。個人的には最後の『はしごを「トントン。」〜そこには、魚の影が映っていた。』の部分が好きです。読みながら上から見下ろした水面に映る魚の影を思い浮かべた時、水中で見るのとは違う広い海原の映像が浮かんだからです。視線の高さを変えることで、空間の奥行きや広さを感じさせてくれる印象的な表現でした。
消しゴム
「お願いっ!消しゴム貸して!」という友人の何気ない一言から始まり、行が進むにつれて、しだいにトラブルのムードが増していく流れは、実に上手なストーリー展開です。友人に消しゴムを貸す段階では「もー。おっちょこちょいなんだから。」と上から目線であり主人公の心には余裕があります。それが二時間目には逆に人から消しゴムを借りる立場になり、主人公の心模様にも変化が生まれます。この辺りでは、立場が変わると人は考え方も感じ方も変わるものだという事を小六にして既に知っているかのような書き方で驚きました。やがて主人公の中で増幅した怒りは、日頃ならしないような行動に主人公を走らせてしまいます。その流れは見事であると同時に、人の心の闇の部分にも触れているようで怖いくらいです。それだけに最後に親友の言葉で主人公が我に返る場面には大きな救いを感じました。物語の語り手として確かな力を感じさせる筆者には、少々末恐ろしさも感じつつ、人の内面にまで触れる事ができるその感受性と文章力に今後も期待大です。
時間、止まれ
どんなに時間よ止まってくれと願っても、残酷な時は止まることなく、別れの時はやがて訪れます。でも、その痛みや悲しみを正面から受け止めて乗り越えようとしている主人公はとても魅力的でした。心から別れを悲しいと思えるのは、それだけ誰かと仲良くなり、心を通じ合うことができていたからこそなのですから。少年から大人へ、その過程で知る悲しみの意味や喪失感。それらが見事に描かれていて、まるで小学校高学年の少年達を主人公にした小説の最終章を読んでいるような切なさがこみ上げてきました。いつか筆者が大人になった時にこの作品を読めば、自分がどれくらい純粋に友達との別れを悲しんでいたか思い出すことが出来るでしょう。そしてそれは友人関係や友情について悩む時、自分が信じるものや良いと思う感情を思い出すヒントになるでしょう。
ハバネロと秘密基地と夕日
まず秘密基地という言葉に心が踊りますね。今も昔も男の子は秘密基地に憧れるんです。大人の知らない自分たちだけの空間にお菓子を持って行き、そこにいるだけでワクワクする感じが懐かしいです。僕の時代はハバネロではなくベビースターでしたけど。さて、そのハバネロを食べる場面。「口に入れたら舌が熱くなるのを感じる」という一文は、具体的で実体験に基づく表現であり好感が持てます。また秘密基地でお気に入りの食料を友達と分け合い、夕暮れまで遊ぶというどこまでも平和で幸せな場面が心地よいです。釣った魚を川に流すことが入ったことで、誰一人傷つかないピースフルな世界観が完成しました。もちろん美しい夕日で終わったことも文章全体をきれいに穏やかにまとめることに貢献しています。
長い喧嘩
いるよなぁ、□□君。友達同士の喧嘩の仲裁に入ってくれる子。でも結局□□君も子どもだから、逆らわれると怒り出しちゃう。□□君のキャラクターは本当によく書けているし面白いです。友達同士の喧嘩の場面はよく作文で読むのですが、仲裁に入った子まで怒り出すというのは初めて読みました。彼を登場させてくれたことで、喧嘩をする二人もより生き生きと描くことができたと思います。喧嘩した二人も仲裁に入った子も皆、自己主張が強くて絶対譲らないし、先に謝ることもありません。おまけに先生が目の前に居て叱っているのに、すぐに小声で喧嘩を再開してしまうあたりは、まるでよくできたコントの脚本のようです。永遠と繰り返される小競り合いの連続はとてもテンポが良くて、喧嘩の話なのに読む人はいつしか笑ってしまうでしょう。しかも、筆者は中学生になってから小学校時代のこの雰囲気を再現できるのが凄い。さらに読む人を笑わせながら、最終的には意味のない喧嘩はさっさとやめましょうという気持ちにさせるところはもっと凄い。それにしても長い喧嘩でした。
必ずとる二枚のカード
何てことない出来事をユーモラスにコミカルに読ませてしまうのが筆者の持ち味です。今回の作文の題材になったのも、授業中によくやる四字熟語のカルタの場面で、とりたてて特別な場面ではありません。それでも筆者が書くと、何かとても大切な大会でも行われたかのようで笑ってしまいました。「その時、事件は起きた。」「ぼくの自信は絶望へと変わってしまった。」「とんでもないことに気づいてしまった。」などに見られる、ちょっと大げさな表現がまず目を引きます。でも単に大げさに書いているというよりも、主人公の心が実際にそのように反応しているように読めるのです。つまり文体が大げさなのでなく、そこに描かれている主人公が日常の中で様々な気づきをし、それに対して心をそのように反応させているのだなと。また「ぼくは漢字が苦手なので好きではあるが得意ではなかった」という一文を読むと、状況を正確に伝えようとする筆者のこだわりも見えます。ここでは、筆者は大げさというより、とても繊細なのだという印象を覚えました。まだ作文を書き始めて長い時間は経っていませんが、筆者の個性が文章に表現され始めていて今後が楽しみです。
親戚たちとのバーベキュー
『タープを張り、バーベキューコンロを囲うように椅子を並べると、快適な空間になった。』『その火へ入る肉は、赤と白の美しい色から、茶色へと、「ジュー」と音を立てて、姿を変えていった。』等を読めば、筆者が視覚情報を的確に捉えて表現することに長けていることが良く分かります。でも筆者の偉いところは、ただ読む人に映像を思い浮かばせるだけでなく、これらの映像イメージから読む人に『幸せ』なイメージまで想起させているところです。この作品は親戚が集まるバーベキューでのひとときが淡々と書かれてい
るようでいて、実はそこにさりげなく、優しくて幸せな空気が詰まっているのです。この作品を書いた当時、筆者はまだ中学生でしたが、はとこたちを見る目は大人が子供を見守るように優しいものです。またそれに甘えるように自由に振る舞うはとこたちも甘えるだけでなく、その存在そのもので筆者や大人たちを癒しているようです。全てが調和しているかのような優しい空間を誇張も遠慮もなく描く筆者の物事の捉え方は素晴らしいものです。僕が中学生の頃には、とてもできませんでした。僕は世界をもっと皮肉や冷めた心で見ていたように思います。いつのころからか、筆者はこの優しい目で物事を捉えて、作文を書くことが多くなったように思います。けっして作文の授業では教えることができない大切なものを持っているようです。どうか高校生になってもそれを持ち続けてもらいたいと願います。
ひさしぶりに
旅中の小さな出来事とそれに対する自分の心の揺れを丁寧に拾い集めていく書き方が印象的です。時には幼い頃のように素直に、あるいは久しぶりの両親とのお出かけをむずがゆく感じながらも、歩きながら出会う風景や物に心が敏感に反応している様子を通して、主人公がこの旅を楽しんでいることが伝わってきます。それは『今からあれに乗るのか、と思うと心が踊った。』『窓の外に目をやると一駅ごとに変わっていく風景がとても新鮮だった。』『親と一緒に海に来るのも久しぶりだった。そう考えるとなんだかむずがゆい気持ちになった。』『あぁ、こんな家に住みたいなぁ。』などのように具体的である分、単に「楽しい」と書くよりも主人公の気持ちを想像しやすく、よりその心情が伝わってきました。また楽しい面だけでなく、『行きはあんなにキラキラして見えた風景が小さな電車の中で押しつぶされたせいでただの林にしか見えない。』のように、気持ち次第で急に色あせて見えた景色について触れ、時には少し悲しげな気持ちにもなっていることも語られています。ところで最後の場面、筆者はどのような意図で書いたのでしょう。僕は親の立場からとても幸福な場面として読みました。親にとっては子どもが楽しんでいたり喜んでいたりするのを見るのが何よりの幸せです。美味しそうに何かを食べている時もまたそのひとつです。ですから、あっという間にクレープを食べてしまう主人公の姿は、ご両親には幸福な光景だったのではないかと想像できるのです。きっと後から思い出した時に懐かしく感じる大切な場面のひとつだと思います。
除夜のかねは百八回
『外に出ると空は、とっても暗かったです。車は一台も通っていなくて、まわりは一つも音がしませんでした。』という部分を読んで、大晦日の真夜中に感じられる寒く静かで少し張り詰めたような空気を思い出しました。これは実際に経験したからこそかける表現ですね。また思わず笑ってしまったのは、年明け二十分ほど前にお坊さんが新年の挨拶をし始めたのに対して、主人公が『まだ十一時四十分だよね。』と小声でいう場面です。いかにも小学生が言いそうなことで、読みながら、「そういうこと言わないで!」と注意したくなります。また今回の作文の中で筆者が鐘の音を「ブォーン。」と表現したのが印象的でした。大抵はゴーンとかカーンとか書くのです。そこを自分が聞いた音がどんな風に聞こえたかを思い出して、一番近いと思う音を自分の言葉で書いてくれたのです。確かにブォーンって書くと、音が大きいだけでなく、鐘の振動で空気も震えて音が周りに広がっていく感じがします。これらはどれもその場にいたからこそ書ける表現ばかりで、作者が自分の体験を生かして書いてくれていることが嬉しいです。最後に除夜の鐘の由来について付け足したことにも工夫が見られて、誰かのマネでない自分らしい作品を書いているなぁと感心しました。
うれしい一日
「ぼくは、一瞬体が重く感じた。ぼくはそれから一年以上自転車に手をふれなかった。」前半部分に書かれたこの二文だけで、主人公の挫折がよく伝わります。がっかりしたと書くのではなく、がっかりしている自分がどんな感覚を覚えたのかを書いていることに感心します。続く練習シーンでは、単に自転車の練習の手順を書くのでなく「たおれそうな時は……前よりぼくの体が大きくなっているからだ。」に見られるように体の成長に触れることで、挫折からある程度の時間が流れていることも表現できています。さらに興味深いのは、止まる練習について触れたことです。自転車に乗れるようになった時の作文と言えば、自転車で走る爽快感について書かれるものが多く、わざわざ止まり方について書かれたものは見たことがありませんでした。しかもその止まり方は、自らすべり台に向かって加速して行き、衝突手前で止まろうとするユニークなものです。これが入ることでこの作文が、筆者にしか書けない作文になりました。前半の落胆に始まり、後半に成功体験を持ってくるという読みやすい構成と、筆者自身のユニークな着眼点により、作文を初めて一年目とは思えない、良い仕上がりとなりました。
雷のきょうふ
読む人に共感して欲しいと思えば、時には自分の弱さや滑稽さを描くこともひとつの方法です。そういう意味でこの作品は成功例であり、間違いなく、読む人から多くの共感や親近感を得ることができると思います。例えば、この作品は筆者の恐怖があまりにも素直に上手に表現されているため、筆者本人には申し訳ないのですが、読みながら子供らしい可愛らしさを感じてしまい、大変微笑ましく思いながら読ませてもらいました。たよりの懐中電灯の電池が切れていたり、ブレーカーのレバーを上げようとしたところで雷が鳴ったりと話の進め方も上手ですし、主人公がびびりまくるほどに、落ち着き払っているお兄ちゃんとの対比も面白くなりました。そして何より、雷の時は「部屋のすみっこで雷が落ちてこないことだけを願ってしゃがんでいる」という姿を想像した時、読者の多くがこの主人公を愛さずにはいられなくなるのではないでしょうか。格好良かったり、スーパーマン的な活躍をしたりする主人公の話も魅力的ですが、時には、このような弱点丸出しの主人公にも人は強く惹かれるものだと思います。そういう意味でこの作品は創作をする人にとっても参考になる切り口を持っていると思います。
日本一への挑戦 水谷光陽
いきなりクライマックスから書き始めるという少々難しい書き方に積極的に挑んでくれました。そして富士山から見た朝日というのはこの書き方にぴったりの題材です。「僕は、動けないほど寒いことも忘れて…」は感動の度合いがよく分かる表現。さらに「高級な卵みたい」では、どうな太陽だろうと読む人の想像力を刺激します。これらのオリジナルの表現でたたみかける書き出しは、非常に印象的で、クライマックスから始まる構成を良く活かすことができました。一方、頂上に至るまでの行程では、気温の変動や道の険しさを含めて登山の大変さが具体的に書かれています。これらによって、そう簡単には富士山からのご来光は拝めないことがよく分かりました。頂上までの行程が大変なほど、クライマックスの美しさが強調されるわけで、両者のギャップを上手く使えていることはこの作品全体の成功に繋がっています。
大切なもの
筆者については当初、長編の創作を掲載予定でしたが、二点の理由でこちらの作品を選びました。一つには僕がこの作品を初めて読んだ時に素直に感動してしまったこと。主人公が味方投手に持っていた怒りの感情を捨て「任せろ」と答えた場面で、僕は危うくウルっときそうになったのです。まあ授業中だったこともあり、生徒の手前堪えましたが。それまで自分の不甲斐ない投球にもヘラヘラとしていた投手が初めて必死な思いを仲間に見せた場面であり、主人公がまさに彼を許し、チームが一つになれた場面でした。主人公だけでなく、脇役の存在感がここで一気に高まり、主人公もそれにより輝きを放つ瞬間を、チームがリードされた試合展開の中、最初に訪れた同点のチャンスというドラマティックな舞台で書いてくれたのですから本当に印象的な場面でした。そしてもう一つは構成が見事だったこと。書き出しは前の試合の敗北シーン。主人公ががっくりし、投手に憤りを覚えるきっかけが書かれています。さらに翌日の様子。ここで投手の行動や振る舞いを描き大事な脇役としての性格づけをしつつ、チーム全体の重いムードを書いています。そして試合当日。相変わらずの重い空気を引きずりながら陥る敗戦のピンチからの逆転劇。ドラマティックな構成がもたらす流れに乗って、主人公と脇役の性格や心の動きを描き切ったことは見事でした。筆者は日頃から歴史や言葉に対する知識が豊富で、大人びた文体で書かれる文章には説得力があります。ただ今回の作品については、もっとストレートで熱い内面が描かれていて、いつもの彼の作品とは違う魅力を感じました。
目標
まず目につくのが『硬い鉄の棒を握ると、手にできたマメがかなり痛んだ。潰れると、さらに痛い。』の部分です。これを読むとすぐに、子供の頃に触れた鉄棒の感触が蘇り、とうの昔に忘れていた感覚を呼び戻されて、その後のストーリーに入って行きやすくなりました。導入部としてとても良い役割を果たしています。また今となれば狭い校庭が当時広く感じたことや、主人公が鉄棒に熱中していながらもすぐに飽きて他の遊びを始めることなどを書いたのは、幼稚園生の様子として分かりやすく、主人公を身近に感じられる効果的な表現だったと思います。さらに会話も魅力的で、主人公の性格が良く伝わる「まだもうちょっと見てて!さっき絶対に、二回連続で逆上がりができたの!」「とにかく早く見せたいの!」など、積極的であきらめない幼いヒロインのセリフと、「あと、少しじゃん!もう少し、手を伸ばすのを我慢して、お腹に力を入れれば、すぐに出来るようになるよ!」など、主人公を支えるお母さんのセリフが上手くかみ合い、そこにある優しい関係を感じることができました。筆者は実際にあった出来事を物語のように書くことが実に上手な人で、今回も幼稚園時代の自分を主人公にして、当時の思い出を生き生きと描いてくれました。
奇跡
奇跡は起こるものでなく起こすものである。そんな筆者の声が聞こえてきそうな作品です。まず描かれているのは「普通」と呼ばれるきつい努力の日々。(当塾では「普通」という表現は禁句ですが、ここは「奇跡」ではないこととして、あえて使っている言葉なのでそのまま使ってもらいました。)しかしそこに悲壮感はなく、先輩に憧れたり、仲間と話したりする姿は、むしろ明るく前向きで楽しそうでさえあり、毎日元気に過ごす主人公の姿が想像できます。やがて来る小さな奇跡の瞬間を描くにあたっては、「ずっと先輩の飛び込みを見ているうちにだんだんイメージが出来てきていた。」に見られるように、それまでできなかった飛び込みの成功イメージが先輩の姿を通して、主人公の頭の中ではすでに出来上がっていたことを書いています。これはスポーツの世界で度々語られるイメージトレーニングを主人公が無意識に行っていたということです。こうして筆者は奇跡が起こる瞬間
だけではなく、奇跡を起こす過程を見せてくれました。このことは僕にも勇気を与えてくれました。小さな努力を繰り返すことで奇跡は起こせるのだと。また、小さな奇跡がこのように起こせるのであれば、それを繰り返すことで、いつか夢物語としか思えなかったような大きな奇跡も起こせるのではないかと。
うれしいけど悔しかった
冒頭の『胴着を着ながら〜叩いた音が体育館に響きました。』の部分では、体育館の空間としての広さと、それとは対照的なまだ体の小さい主人公の姿が想像できました。竹刀を振る主人公の小学一年生らしい可愛らしさが良く伝わってきます。厳しい練習や試合を通じて成長していく主人公の、成長前の姿を初めに書いてくれたことで、その後のたくましくなった様子がより表現できたと思います。また『帰りは、もうへとへとでした。荷物の重さが、来る時の二倍くらいに感じました。』もまだ小さい体で頑張っている様子が伝わって来る表現で、個人的にとても好きな部分です。防具を持って帰っていく後ろ姿が眼に浮かぶようです。後半は一転して力強い試合の場面が続きました。相手によってフェイントを使いながら戦うなど、剣道経験がなくては書けない内容でした。また『本当はガッツポーズがしたかったのですが〜心の中でやったと思いながらガッツポーズをしました。』も剣道の習慣を書いている部分ですが、ここではさらに、主人公の本音も書かれていて面白かったです。クールに振る舞いながらも、内面に熱いものを秘めている主人公の心の動きが感じられる表現でした。
真冬のロッククライミング
最後の一文、『下りて、見上げると、かべが小さく見えた。』は、物理的にも精神的にも壁を一つ乗り越えた時の心境を見事に捉えた一文でした。この一文が書けただけでも、この作品は成功と言えるでしょう。書いていた時は、ロッククライミングの動きをどう書くかで随分と筆者も苦労していたのですが、最後の一文については、いとも簡単にさらっと書いてくれことを覚えています。書いているうちに実際にロッククライミングをしている時の感覚を思い出したのでしょうか。まさに実際に経験した人にしか書けない一文でした。今回はロッククライミングという体験した人があまり多くないことを題材にしたため難しい部分も多かったと思いますが、ロープに支えられながら降りていく場面で、『ぼくの体が、ふわっと浮いた。』、『両足で〜ぼくの体は地面についたので安定した。』などのように体を動かしているときの感覚を入れるなど、工夫がたくさん見られました。
一瞬の逆立ち
それまでできなかったことができた瞬間の喜びが、大袈裟すぎず、それでいてしっかりと伝わってきました。その喜び方が実に筆者らしくて、良く書けていると思います。この作品は臨場感を表現する練習として書かれたものです。なかなかできなかった倒立がふとできてしまう瞬間、体育のテスト直前の緊張感、そしてテスト本番と、いくつかの大切な場面の描写において、その様子をそばで見ているような印象を受けました。それは、ただ三点倒立は難しいと書くのではなくて、『ふんばっても、バランスが取れなくて、すぐにでんぐり返しみたいになってしまう。』『頭と両手を三角形に並べて、お腹とお尻を引っ込める。』などのような具体的な表現が織り込まれているためです。実際にどのように動こうとしているのかが想像できる書き方をしてくれたため、そこに臨場感が生まれました。この作品を読んでいて、僕は子どもの頃に初めて自転車の乗れた瞬間のことを思い出しました。子ども時代を通り過ぎた人の多くが、この作文を読むと、懐かしい自分の何かができた嬉しい瞬間を思い出されるのではないでしょうか。
さて筆者には、今回の文集では本編に加えて「はじめに」も書いてもらいました。ふとした機会に、筆者が初めて発した言葉が『開けて!』だったことを聞き、感銘を受けたためです。筆者なら、自分が多くの経験の扉を開いてきたように、この本を手に取ってくださった方にこの本のページを開いて下さるよう呼びかけてくれるのではないかと思い、お願いしました。
未来に向けて
運動会の作文というと体の動きに関する描写が中心になることが多いのですが、この作品はむしろ主人公の心の動きに重きを置いているところが印象的でした。前半はほぼ緊張感の話。緊張をほぐすために笑ってみたり、人の緊張がうつってさらに緊張したり、怒ったらいつの間にか緊張がほぐれていたり。その様子が分かりやすいし、共感できます。後半では自分たちが走る場面が書かれていますが、それでもやはり『「あーやっちゃった。〜みんなの後ろに座って、だれにもしゃべりかけず、しずかにしていた。」のようにうまく走れなかったことに対する主人公の心の動きが、その時の行動と合わせて丁寧に書かれている場面が最も印象に残りました。主人公が大活躍できなかったのは残念ですが、思うように活躍できなくてちょっと残念なくらいがかえって共感できて、思わず主人公を応援したくなりました。こういう運動会の作品も良いものですね。
演技
『そのときだけでも良いから目立ちたい。』読んだときに凄く良いなぁと思った一文です。運動会は誰もがヒーローやヒロインになれるわけではないけど、やっぱりみんな目立ちたいって思うんだなぁと改めて気づかされました。自然で子どもらしい気持ちの吐露は、なかなか書けるものではありません。さて臨場感を出すための練習として書いてもらったこの作品では、そのための工夫がいくつか見られました。まずは演技中の描写が演技前に比べて、文章のテンポを上げて書かれている点です。『最初は手押し車だ。』から始まる演技の様子は『次は赤白帽子を出し〜』『その次は波を〜』『次は空襲の〜』という具合に、短い間隔で畳み掛けるように動きの変化が書かれています。さらに最後の場面では『最後に退場する時〜赤くなったのかもしれない。』というように、自分が頑張ったという事をその時に見えたもので表現する工夫をしています。読んでいて真っ赤になった足の裏の具体的なイメージが浮かび、その場の雰囲気が赤い色とともに想像できました。文章のテンポの変化と具体的な映像が浮かぶことによって、臨場感がよく伝わってくる作品になりました。
悔しかった運動会
書き出し部分の一年前を振り返る語り口が、どことなく大人びていて印象的です。その雰囲気も含め、この作品は、筆者の人柄を感じることができる作品です。大げさな表現はなく落ち着いているようでも、実は緊張していたり、ワクワクしていたり。内なる闘志も見え隠れしている様子から、文章ではとても素直に気持ちを書き表す人なのかなぁ、とも感じました。さて前半はキャプテンとしてのリレーの練習の場面。各クラスから選ばれた選手と言っても、まだ遊んでしまう子もいれば、指示通り動かない子もいる年齢です。それをまとめて練習を進めるのは大変だったでしょう。色々と指示を出したり、考えたりと、主人公の責任感の強さが感じられます。そんな努力の甲斐あって、練習では全勝。悩めるキャプテンの奮闘ぶりが伝わってきました。また、本番当日の朝からのシーンでは緊張という言葉が何度も使われます。同じ単語の繰り返しは良し悪しですが、ここは素直に緊張が文章から伝わってきて良かったと思います。最後の走る場面では、冷静に戦況を語りながらも、諦めずに勝負に向かう気持ちと悔しさがはっきりと書かれていて、ここでも筆者の人柄が自然に感じ取れました。筆者を知る僕にとっては、この作品を読んでいると、教室で筆者から直接話を聞いているように感じました。
沢山の再会
転向後に以前の学校に行くというのはどういう気分なのでしょう。当たり前のようにあったはずの自分の居場所が有るようで無いようで、懐かしさと共に不安や孤独も感じるのでしょうか。その微妙な心持ちが、主人公と彼に声をかけてきてくれる人々との短いやり取りの中に見え隠れしています。『僕は沢山声をかけられて少しだけ恥ずかしく感じたけれど少し嬉しかった。』はそんな気持ちを素直に表せた一文でした。後半では元同級生たちの組体操を観戦する場面が書かれています。音楽のトラブルなどもあり、あまり順調とは言えない演技の様子を主人公は見守ります。『みんながかわいそう。』『がんばれー。』など元同級生たちを自分のことのように心配し応援する気持ちが書かれているのと同時に、演技を見ながら『少しきついかおをしていた。』『みんなやったぞという顔をしていた。』のように元同級生を客観的に見つめる描写もあります。 こうして読んでくると、主人公はもはや元同級生や学校に対して距離を感じているのではないかと感じました。しかし最後の一文『その時にどこからか来たやさしい風が僕を包んだ。』がそんな気持ちをすっきりと解決してくれました。確かに以前とは関係は変わっていても、そこにはちゃんと居場所は残されているし、そこは今でも主人公を優しく迎えてくれる場所であるようです。色々と考えさせてくれる作品でした。
ストーップ
競技中の自分の役割を冒頭で明確にし、その後は文章の大半を競技中の、しかも自分の組が走る場面の描写に使っています。運動会の作文というと、その日の朝の起床時間や朝の天気に始まり、一日のこと全てをダラダラと書きたくなるもの。筆者はそこを我慢して、競技中の臨場感を伝えることに専念しているところに成長を感じます。では競技中の場面ではどのように臨場感を出してくれたのでしょう。ポイントは二つあります。一つ目は動作を表す語尾。『〜走ってきた。』『〜始める。』『〜出した。』のように、文末で過去形と現在形が交互に使われている点。過去の事でもあえて現在形を混ぜることで、今出来事が起こっているように感じます。二点目は『「ストォーップ!」と私が叫んだ。滑り込む。また全員が横になった。』の部分のように、短い文を繋ぐことで次々と動作を描写して、文章のテンポを速めている点です。実際テレビや競技場でスポーツシーンを見てみると、競技中の動作はほとんど止まることなく連続しています。それと同じように文章でも次々と動きを書くことで読む人に競技を見ているような感覚を与えることができるのです。実に臨場感のある作品になりました。
いつになったらいいのかな?
日頃から、はなさんの作文を読んでいると、愛されて育っているなぁという印象を受けることが多々有ります。もちろん当塾の生徒はみな愛されて育っているはずですが、はなさんの場合、それを自覚し、自分の存在の拠り所としている印象が強いのです。ですから、今回の作文はよけいにお母様の愛情を求める姿が切なく映りました。ただし今回の作文の中のはなさんは、ただ求めるだけではありません。これまでに見られなかった精神的な成長が描かれています。それは、はなさんが爆発した後の場面です。抑えきれないイライラから物にあたり、それでも終わらず、自分が愛されていることを確認するかのように
お母さんからもらったカードを見る場面です。自分の中で暴れている感情を誰かに話すわけでもなく、ひとりでカードを見ることで心を沈めているシーンには、当時小学五年生だった女の子が成長していく過程が描かれています。家族と自分との関係や距離を素直に書くことができるようになったはなさんが、自分の成長とともに、今後何を大切に思い、どのようなことを描いてくれるのか期待しています。
ずっと
この作品のタイトルには候補がいくつかあり、そのうちのひとつに「どっちも」というのがありました。認知症により少し混乱されている時のおばあちゃんと、昔通りのおばあちゃんのどちらも、と言うところからでしょう。今回美優さんが作品で書きたかった思いの中心にどちらのおばあちゃんのことも大切に思っている気持ちがあったことが伺えます。実はこの「どっちも」というものの見方は美優さんの多くの作品に見られます。例えば、ひとつの風景を見ながら、その表と見えていない裏の部分を同時に描こうとしたり、一枚の写真を見て作文を書いてもらう時に、その写真の外側の世界まで想像しながら書いてみたりという具合です。常に物事には見えている部分とそうでない部分が同時に存在しているというような感覚が、どうやら美優さんの中には当たり前のように存在しているようです。ですから、美優さんの風景描写はやけに大人びていることが多く、ブログなどに紹介すると大人の方からの評価がとても高いのです。社会の価値観が多様化し、大小多くの対立が溢れている現代の社会において、正解はひとつではなく、見方によって同時にいくつかの姿や思いが存在することを自然に理解し、それを受容するという感覚を子どものうちから身につけていることは稀有であり貴重です。今後それが作文や他の場面でどのように発揮されるのかをとても楽しみにしています。
来年はきっと
この作品は、主人公がインフルエンザにかかるまでのことがストーリーの大半を占めているのですが、そこで見せる主人公の心の動きと行動がなんとも人間味に溢れていて魅力的です。例えば家族がインフルエンザにかかった時、まだ主人公の体には何の異変もありません。でも主人公は去年のことを思い出し自ら不安を増幅し動揺してしまいます。その様子は災難に出くわしているにも拘らずどこかユーモラスです。また去年の回想の中の『ぼくは、電話を切るとすぐ手を洗い、うがいを何度もしてすぐに寝た』という行動はどう考えても手遅れで、感染しているとしたら今更手を洗おうとうがいをしようと効果はありません。でも、それをやらずにはいられない心の動きと行動がやはり人間らしいのです。『僕は、なるべく人に近づかないで、何にもさわらず、ソファーに座った。』も同様で、感染していない可能性を捨て切れない、いかにも人間臭い心理と行動に共感してしまいます。むしろ作品終盤、インフルエンザに感染したことが分かった後の方が、穏やかで開放感があるように感じるのも面白いです。このように愛せる主人公像を書くことができたのは、筆者らしい細かい気づきがあったことと、それを自分の弱さも含めて思い切って表現したことの賜物です。
小さい小さい大冒険
すぐに感じたのは登場人物の気持ちを表す情景描写が上手に使われていることです。『空も雨が降りそうなぐらい黒い雲が出てきていた』の一文は、まさに幼い兄弟二人の泣くほど不安な気持ちをよりドラマチックに表現しています。また物語の要所でのセリフの使い方が効果的なことにも感心しました。例えば『もう、うるさいなぁ。庭で遊んできなさい!』というおばあちゃんの一言で兄弟は庭で遊び始めます。さらに『えーじゃあ二人で行って来てー。前に〜』『んーじゃあ頑張って行ってくる!』で二人は出発し、道に迷ったことを表すためには『さぁ、ここで坂が……あれ無いぞ?』が使われています。迷った二人を助けてくれるおじさんの登場も『どうしたん?』と声をかけてくるセリフで実に自然に書かれていながら、状況を伝える役割を果たしています。物語が展開する場面でセリフを上手に使い、説明ばかりにならない工夫がされているため、文章のテンポが良い上に分かりやすくなっています。さて、ここに挙げた情景描写やセリフは作文を書く時だけでなく、登場人物の気持ちを読み取らなくてはならない物語文の読解でも大切なものです。この作品を読んでいると、書くことで読む力も育ってきているのではないかと期待せずにはいられません。
おじいちゃん
この作品の見所は二つあります。ひとつは時間の経過に対する描写の工夫です。筆者は、主人公とおじいちゃんの関係性の変化を書くことでそれを表現しています。例えば遊び方がトランプからゲームへと移行していくこと。また成長につれ、主人公がおじいちゃんと遊ばなくなっていく様子。なかでも印象的なのは、『おー来たかー。』というおじいちゃんのセリフです。これは孫が成長していく中でも、おじいちゃんがかけ続けた言葉であり、時間が経ってもむしろ変わらないものの象徴として書かれていました。ところがある日、おじいちゃんが体調を崩し、主人公が見舞いに駆けつけると『いつも聞こえていた「おー来たかー。」という声が聞こえない。』となるのです。どんなに確かなように思えたものでも、いずれは移ろいゆくことを強く印象付けられました。もう一つの見所は筆者のストーリー展開です。『ぼくは、なんだよと思いながら、とてもほっとした。』という後半の一文を見た時、やられた!と思った方も多いのではないでしょうか。僕もその一人で、おじいちゃんの無事を祈りながらも作品的には亡くなられてしまうんだろうなどと失礼なことを想像してしまったのです。実は筆者はこれ以外の作文においても読者の予想を裏切る結末を用意している場合が多いのです。読んでいるうちに、ほっとしたり、心配したりと、いつの間にか筆者に気持ちを操られているようでちょっと悔しいですけど、上手いですね。
First Live
一人称の主語を省き、短い文を多用し、時には体言止めや倒置方で畳み掛けてと、終始スピード感のある文章で臨場感を出しています。この独特の語り口は、作文というより青春ドラマや少女漫画のようなテンポの良さや熱量を感じさせてくれます。例えば『精一杯歌うしかなくって、大声を出す。心が叫びたがってる。止められないくらい。鼓動はリズムを刻む』の部分。まずは叫びたがる心と実際に歌うという行為が一致していることを書き、感情の高まりを伝えます。さらに「止められないくらい心が叫びたがってる」と書くべきところを「心が叫びたがってる。止められないくらい。」として印象を強く与えつつ、「止められないくらい」を後ろに持ってきたことでその言葉の響きと連動するように直後に置かれた鼓動とリズムという言葉を強調しています。おそらく、これらは全て計算ではなく筆者の中に蓄積されている言葉のリズムによるものだと思われ、そのセンスの良さを感じます。一曲の演奏時間は数分間といったところでしょうか。作文を読みながら、その短くも凝縮された時間を一緒に感じることができました。また、ライブが終わった後、仲間の様子にもらい泣きし心でつぶやく最後の一文、実に魅力的です。中高生時代ってこんな感じで駆け抜けるんだなぁと思い出させられます。この感じ、ちょっと懐かしくて羨ましくなりました。
大丈夫
『雲ひとつない青空』と『澄み渡る青空』。物語は青空で始まり青空で終わりますが、冒頭で吹き付けていたひんやりした風はエンディングには吹いていません。また『絶対大丈夫。』と『そうすれば大丈夫!』の二つの大丈夫は同じ言葉でも主人公の心には真逆の言葉のように響いています。さらには『私は〜駅まで走った。』『思わず教室を飛び出した。』『私はそのまま〜駆け出した。』のように抑えきれない感情に満たされると主人公はどこかへ飛んで行ってしまうのですが、前の二つは悲しみや辛さ、三つ目は喜びや希望というように、反対の感情によるものです。これらのように同じ言葉や行動を書きながら、全く異なる感情を表現するという何とも高度で憎らしい工夫がなされていますが、それらには技術を見せようとする嫌味がなくて、むしろ自然でさりげなく行われています。よって主人公のキャラクターを伝える上でも、抱えているプレッシャーの大きさを伝える上でも実に効果的です。この作品にはその他にも、自分の弱みを隠さず書ききっている点や、主人公の友人が魅力的に描かれている点など、触れたいことがたくさんありますが、スペースの都合でこれくらいにしておきます。筆者は中三という難しい時期に物事に対して正面から向き合い、悩み、乗り越えることで作文においても急激に伸びた印象がありました。この作品は、筆者のそんな急成長の集大成のようなものです。見事な作品でした。
黒眼鏡
少年が帰宅した際、誰もいない家に向かって言う「ただいま……。」、食事代わりに置かれたコンビニのオニギリに添えられていた母親の置き手紙の「これを食べなさい。」の一言、応えが返ってくるあてのない母親の寝室に向かって少年がつぶやく「行ってきます……。」。それらの言葉が語られる場面に漂う少年の孤独感に胸がつぶれそうになりました。家族としての温かさなど感じられない家の中で、それでもギリギリのところで家族でありたい、家族であろうとする母子それぞれの思いを想像すると、応援したいような、苛立たしいような、複雑な思いが溢れてきます。これほどの少年の孤独感を中学三年生が書いていることに驚くと同時に、途中から作文の授業であることを忘れ、プロの作家の作品を読んでいるときのように、物語の中に引き込まれました。この物語をここまで完成度の高いものにしている要因はいくつかありますが、ひとつ挙げるとすればリアリティです。魔法のメガネが出てきた時点でこの物語はある意味ファンタジーになるわけですが、そのファンタジーを成立させるには嘘以外の部分にどれだけリアリティを持たせることができるかが勝負になるからです。その点、自宅のキッチンの様子や、食事として出てくるコンビニのオニギリやカップ麺などの小道具など、魔法とは真逆にある現代の生活臭さのようなものがあちらこちらに配置されていて、緻密で隙のないリアリティの積み重ねがなされています。もちろんそれ以外にも、いろんな場面で色にこだわって描写をしたこと、常に伏線を意識しながら丁寧に物語を紡いでいったことなど、作者の多くの工夫やアイディアが物語を支えています。ちなみに気付いた方も多いと思いますが、魔法のメガネの効力は三回。つまりあと一回残っているのです。この作品はまだ未完成なのです。この後、物語がどのように進んでいき、どのような場面でメガネの力が使われるのか、眼鏡屋さんは一体何者なのか、母子に穏やかな時間はくるのか、など気になることだらけです。これだけ先を読みたくさせてくれる時点で、すでにこの作品は成功していると言えるでしょう。ひとつ注文があるとすれば、早く先を読ませて!ということくらいです。自分が、誰よりもこの作品を早く読める読者であることを嬉しく思います。
明日、天気になあれ!
かなりの長文にも拘らずストーリーに破綻が無いこと。主人公の正体をすぐに明かさず『気象予報士なんて意味のないもの。だって…』など、気をひく書き方で読者を飽きさせない工夫をしていること。天気の神様というかなりファンタジーな設定をしながらも物語を成立させていること等々。この作品には触れておきたいことが沢山あります。しかし僕が今回一番書いておきたいのは、物語全体に流れる穏やかさについてです。これは登場人物達が醸し出す雰囲気によるものです。超人的な雰囲気はなく身近にいるおじさんのような馴れ馴れしさで迫ってくる神様。特別な力を得たからといって傲慢になるわけでもなく、それどころか頼りない先輩の予報が当たるように気を遣っている主人公。それ以外の登場人物の誰をとっても競争社会とは程遠い平和でどこか人の良さを感じる空気を漂わせています。結果、読後感も穏やかでのんびりした気分になるのです。この読後感の穏やかさというのは作者の得意とするパターンの一つであり、同年代の中高生はあまり書かないもので、ここに作者の個性を感じるのです。ところで天気の神様のキャラクターは俳優西田敏行さんのイメージで書かれたそうです。確かにそう思って読むと、台詞が西田さん風に見えて可笑しみが増します。是非今一度、西田さんをイメージしながら読んでみてください。
刹那の通り道
まず冒頭の蝋燭の描写に惹きつけられました。互いに影響し合い、奪い合いながらも、結局は一人では生きていけない人間の悲しさ滑稽さを思い、同時にそれを読む自分自身がその一部であることを思い、愕然としました。「蝋燭からたなびく~高く高く、続いていた」の部分を読んだ時には、天井の高さに、人の運命の先の見えなさや、僕らが住む空間のちっぽけさや頼りなさを感じました。また二人しかいない登場人物が実に印象的です。蝋番と管理課について第一印象では、温かさと冷たさ、人情と非人情とでもいうように実に対照的な存在と感じました。蝋番が一つ一つの命に向き合う様子からは、我々がかろうじて持ち続けている優しさや他者に対する親密さがどんな世界でも残っているのかもしれないという希望を感じさせられます。それに比べて、事務的機械的に蝋燭を扱う管理課の様子からは、人としての温かみの無さだけでなく、個々を使い捨てにし、役に立たない人間の命など顧みない権力側の傲慢さを連想させられます。しかし、二度目に読んだ時には蝋番の印象が少し変わってきました。『首から下げた銀の小刀を取り〜丁寧に蓋を閉めて、ポケットに滑り込ませた。』の蝋番の様子は、どこか火葬場の職員さんが最後のお骨をかき集めて骨壷に納める時を連想させます。仕事としては丁寧に死者を弔いながらも、どこか冷静に感情移入しすぎない距離に身を置いている印象を受けたのです。単に善の象徴として書かれているのでなく、もっと現実的で人間的なキャラクターとして僕の中で印象が変わってきました。こんな非現実的な設定の中で、そんなキャラクターを描くとは!風景を描くときの作者の目は、うんと離れた場所(宇宙や天上界など)から人の世を見ているようですが、人物描写ではもっとずっと近いところから生々しい人間臭さを描いているようで面白かったです。ところで、風景描写も人物描写も作者の中の何かを投影したものだとすると、二十歳そこそこの女の子にこういう感覚をもたせている今の、あるいは長々と続いてきた人の世の罪深さを感じます。もちろんその一部を形成してきた大人としての反省も含めてですが。
あなたの周り
土曜日の遅い時間のクラスは、以前から創作を中心に行う、経験者だけが参加できるクラスとなっています。基本的には書きたいという意志が強い生徒のためのクラスとなっていますので、かなり自主性に任せた授業内容となっています。学年もまちまちで時には大学生が在籍している時期もありました。また卒業生が折に触れ訪れ、時には一緒にリレー作文を書くこともあるため、大人びた内容になることもあり、それがまた在籍している生徒の良い勉強になってきました。今回ご紹介するのはそんなメンバーで書かれた作品です。課題は「留守電」を題材に創作することでした。書くことの楽しさを知り、互いの書いたものを活かしながら知恵を出し合うと、リレー作文はこんな風になるという成功例です。皆さんの参考になればと思い掲載しました。どうぞ楽しみながらお読みください。
一度しかない時を大切に生きる
技術的には、実際におじさんから届いた手紙の内容を引用しつつ、それに対して感じたことを書いていくという少々難しいスタイルを取っています。さらに筆者がおじさんの手紙に対して感じることが昔と今でどう変わったかを書くことで彼自身の成長も描いています。そんな書き方なので、最後まで分かりやすく丁寧に読者の目線を意識して書ききることができただけでも、大成功でした。もちろん内容も素晴らしいもので、僕は何よりも最後の筆者からおじさんへの手紙に感動しました。おじさんが生きている間に伝えたかったはずの感謝の言葉は、筆者から溢れ出た本気の言葉です。僕はこれまで、多くの子どもたちの作文の中で「ありがとう」という言葉を読んできました。そんな中でも、この作品中で筆者がおじさんに向けて書いた「ありがとうございました」は格別なものです。思いがこもった、ずしりと心に響く言葉でした。その手紙を最初に読ませてもらうのが僕で良いのだろうかとも悩みましたが、今ではその幸せを今後も大切に覚えておこうと思っています。そして日々悩んだり、迷ったりしながらも、おじさんの思いを理解し、一度しかない時を大切に生きると言ってくれた筆者に拍手を贈るとともに、彼の今後の人生に向けた宣言をこの文集に載せられたことを誇りに思います。
雨と太陽
筆者は日頃から書くスピードが速く、周囲よりも長い文章を書いてくれる人です。この文集に当初掲載予定だった作品もここに紹介した作品の倍以上の長さでした。ただ文集編集を進めながらどうしてもこちらの作品が忘れられず、ぎりぎりまで悩んだ上でこちらを選びました。ではこの作品の何に魅かれたかといえば、筆者の精神的な成長がそのまま文章に現れている点です。まず、筆者は晴れの日が好きだということを語り、その一方で雨の日のマイナス面を語っています。以前ならおそらくここまでの内容で終わるところですが、この作品では、そこからさらに雨が止み太陽からの光が差す瞬間を描いていきます。そして前半では否定していたはずの雨の良い面に目を向け、肯定しています。そこから、ものごとを一方向からだけ見るのでなく、両面から、あるいはもっと多くの面からとらえる力が筆者の中で育ってきていることが感じ取れます。書くために考え、考えながら多くのことに気づき、その気づきの積み重ねが筆者を精神的な成長へと導いているかのようです。生徒が成長する瞬間に出会う時こそが、この仕事をしていて良かったと思える瞬間なのですが、この作品はまさにその喜びを与えてくれました。筆者はこの春、中学生へと進学しました。ものごとを捉える目はさらに日々磨かれていくでしょう。さらなる成長に期待します。
おいていく
毎年桜が満開になると当塾では桜を見に行きます。今年は「光の当たり方による桜の見え方の違いを描写しよう」というのが課題でした。そんな課題に対して、筆者は桜の見え方を書くだけでなく、それをきっかけにして感じたことを書いてくれました。しかも生き方についてです。一つの話題で書き始めて、そこから自分が一番触れたい他の話題に移っていくという書き方は高度ではありますが、成功すれば説得力があり是非身に付けて欲しい形のひとつです。さて授業の最後に各自の作文を音読するのですが、この作文を読んだ時、素直に感動してしまいました。それは、僕自身が長い時間生きてきた中で、多くのものを置いてきたという思いがあったからです。半世紀ほど生きてきてようやく、僕は家族とあとほんの少しの大切なものさえあれば大丈夫と感じられる様になりました。その思いは最近強く感じていたものだったのですが、それをまだ中三になる直前の筆者があっさり書いていることに驚きました。もちろん好きなアーティストの歌詞から影響を受けて生まれた発想かもしれませんが、いくら良い歌に触れても、聴いている側の感受性や理解力がなければ、それに気づくことはできません。今回文集を作るにあたり、筆者の作品については別のものを掲載予定でしたが、完成直前にきて、さらりと書いてくれたこの作文に感銘を受け、長さとしては短く、筆者としてはなぜこれを?と物足りなく思うかもしれませんが、敢えて掲載させてもらいました。話題の転換を上手く使った構成も、目にした風景から生き方にまで踏み込んだ言葉も見事でした。
あとがき
混沌とした時代に入ってまいりました。子どもたちを待ち受ける未来の姿も不確定なことが多い中、右だ左だ、辞める辞めない、変える変えないと、大人社会は騒がしい日々です。このあとがきを書いている最中にはイギリスの国民投票も行われています。社会のこのような不安定さは多かれ少なかれ子どもたちの精神状態や言動にも反映されているように思えてなりません。ここ数年、授業中に僕のお説教が長々と続くことも増えました。昔はこんなに怒らなかったのになぁ、などと思いつつ、例えば学校の先生に対する悪口が止まらないのもLINEに関するトラブルの内容が陰湿なのも、要因は自分を含め大人が作り出している場合が多く、逆に申し訳ないやら情けないやら、すっきりしない日々が続いていました。
でも、もう開き直ります!周りが右だろうと左だろうと、子どもたちがど真ん中を、つまり一人一人の王道を進んでいけるよう、その手助けをしようと。色々な意見があるなら、情報収集をして自らこれだと思う道を選び、相応しいと思う選択肢が無い時には自分で新たに作るくらいの強さとしなやかさを身につけられるよう、その手助けをしようと。人生は〇と一の二者択一では片付けられません。(もしそうなら世界はやがて本当に機械に取って代わられてしまうことでしょう。)もっと自由で臨機応変に対応していける力が、自分で考えたり感じたりできる人間にはあるはずなのです。そういう力を身につける手助けになるなら、説教じじいとなって子どもたちに嫌われることも覚悟しようと。子どもたちは皆、限りない可能性と未来を抱いて生まれて来ながらも、成長するにつれ、何かしら言い訳を見つけては諦めを覚えていきます。でも、『あ、もうダメかもなぁ』と感じた時から本当の勝負が始まるのだと思います。彼らが自分の未来を諦めないように、世界の未来を諦めないように、語弊があるかもしれませんが、僕は今まで以上に子どもの側に立とうと思います。子ども達に嫌われながらも子ども達の側に立つなんて矛盾しているように思われるかもしれませんが。
ところで僕の夢は世界平和です。以前はこう言うと子どもたちはケラケラと笑っていましたが、今では笑う子はほとんどいません。むしろ不安そうな悲しそうな顔をします。それでも僕はその夢を捨てません。世界平和の定義すら人によって異なる今の世界でも、それぞれの生活の中でこれだと思う道を子どもたちが選び続けてくれたら、いつかまた僕の夢が笑い話に聞こえる日が来るでしょう。実際この文集に収められた子ども達の文章の中にも生きる上でのヒントが満載です。子ども達は大人の影響を受けながらも、自らの中にある輝きをちゃんと育て続けています。『さっそくいきますか!』という軽やかさ(文集のタイトルについては解説内の平野城太郎君の項をお読みください)、友だちとの別れを悲しみ再会を喜ぶ素直さ、誰かを許し前に進もうとするしなやかさ、物事を片側から見るのでなく多面的に捉えようとする力、目標を定め努力する楽しさ、本当に大切なものだけを選び取ろうとする態度等々、文集をまとめながら逆に教わることの多さに一人ため息をつくことも度々でした。
さて、僕の個人的な夢や覚悟の話はさておき、今回の文集は昨年七月末の段階で在籍してくれていた生徒の作品を中心に編集しました。(それ以降に入塾してくれた皆さんごめんなさい!)収めた作品は、友達・家族(ペットも含む)・親戚とのエピソード、スポーツ、学校行事、創作、リレー作文と多岐に渡ります。これらはどれも子どもたちの成長の途中のほんの一瞬かもしれませんが、写真やビデオなどの映像にも負けないくらいの愛しい姿がギュッと詰まった作品集になったと思います。どうぞ全ての作品をゆっくりとお楽しみください。
今回の文集も大きく完成予定をずれ込みお待たせしてしまいましたことお詫びいたします。ごめんなさい!今回も最後までお読みいただきどうもありがとうございました。
二〇十六年六月 UEDA学習塾 塾長 上田和寛
UEDA学習塾ホームページ http://uedajyuku.com
塾長ブログ「書かなきゃから、書きたいへ」 http://uedajyuku.sblo.jp
2016年6月26日 発行 初版
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東京の小さな学習塾で作文を中心に教えています。小中高校生と一緒に、書かされるのではなく、書きたくなる作文を目指して活動中です。
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