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全ては17世紀
イギリス国王ジョージ3世の意思決定から始まった
植民地の植民に対して
利息のない独立紙幣を不法とし
イギリス中央銀行から利息付で
金を借りるように強制し
植民を債務者にした
※この流れは形を変えて今でも変わらず継続している
これによりアメリカ独立戦争が勃発
1783年アメリカはイギリスから独立を果たす
しかし1907年から均衡は破られ始める
まず仕掛けたのはJPモルガン
ニューヨークの有名銀行が破産する噂を流し
民衆の銀行への貸付金払い戻しを起こさせ
銀行を担保回収に走らせ
借入者は財産を売らねばならないという
破産、再所有という混乱を起こす
この波乱を今後起こさせないために
後にロックフェラー家の一員になる
アルドリッチ上院議員が
中央銀行創立を勧めるようになる
※モルガンを敵と見せかけて
実はグルのアルドリッチが政府に罠を仕掛ける
1910年
ジュキル島JPモーガン邸宅にて
後の国際金融マフィアが連邦準備法という
中央銀行のための法案を寄稿し
アルドリッチに渡した
1913年
金融マフィアに巨大な政治資金援助を受け
大統領になったウッドロウ・ウィルソンは
彼らへの見返りの約束であった
連邦準備法に署名した
民間企業が紙幣を製造し
アメリカ政府に貸付し利息を徴収する
連邦準備制度理事会と
12地区に分割された連邦準備銀行により
構成される連邦準備制度が
法的に認められた
この瞬間から金融マフィアはヤリタイ放題になる
政府、銀行、人民を操るようになる
1914年から1919年に貨幣供給量を100%増加
銀行と国民の借金を一気に増加させ
1920年に未払い貨幣供給の回収をはじめ
銀行を締め上げ1907年と同じ倒産崩壊を起こす
5400個の銀行を崩壊させた
彼らは1921年から1929年にまた同じことをやるが
一つだけマージンローンという仕組みを加える
1929年に銀行はマージンローンの賃貸を
一気に回収を始め1920年の3倍規模の
16000以上の銀行崩壊が起きた
金融マフィアは混乱に乗じて競争相手の銀行を
二束三文で購入していった
世にいう世界大恐慌である
金を製造して政府に貸付する
政府の収入いわゆる国民の税金は
FRBへの返済利息に充てられる
この利息だけではなく
金融マフィアが作り上げた武器商人への
発注も国民の税金を徴収した政府を経由して
支払う自動化を作り上げた
利息と戦争という2大受注の実現に向けて
彼らは本格的に動き出し世界大戦が起こる
利益と支配のための
次の道具は戦争だ
1913年に連邦準備制度の開始以来
いくつかの戦争が行われた
第一次世界大戦、第二次世界大戦、べトナム戦争
まずは
第一次世界大戦
1914年
イギリスとドイツを中心とした
ヨーロッパ戦争が始まった
アメリカはこの戦争とは関わりを持ちたくなかった
ウィルソン大統領も中立を宣言した
しかし裏では
米国政権は戦争に参加するための言い訳を探していた
国務長官ウィリアム・ジェニングスはこう記している
『大規模な銀行は
莫大な利益を得られる
それは世界大戦に入ることであり
大変な関心を示している』
戦争が起こると
国が連邦準備銀行から利息付で
もっとお金を借りなければならない
ようになるからだ
ウッドロー・ウィルソンのトップ顧問
コロネル・エドワード・ハウスは
戦争を欲しがっていた国際銀行家たちと
親密な関係性を持っていた
どのようにアメリカを戦争に巻き込めるかについて
ウィルソンの顧問としての
コロネル・ハウスと英国外相の
エドワード・グレー卿の会話が記録されている
グレー卿
『もしドイツがアメリカ人の乗客を乗せた船を
沈めたらアメリカ人はどうするだろうか?』
ハウス
『なげきの炎がアメリカ中に起こる
それは我々を戦争に巻き込むのに十分なものだ』
1915年5月7日
グレー卿によって
ルシタニア号はドイツの軍事艦艇が駐在する
水域にに故意的に送られたのだ
ドイツは当然撃退し1200人の犠牲者を出した
駐米ドイツ大使館がニューヨークタイムズに広告を出し
人々にもしルシタニア号に搭乗したなら自己責任に
基づく行動であり戦争地帯を通過するアメリカから
イギリスに航行する船は破壊に値すると事前に伝えていた
警告むなしくグレー卿の目論見は実現する
第一次世界大戦は32万人のアメリカ人の死者を出した
JDロックフェラーはこの戦争で2億ドル儲けた
当然この戦争は
国際金融マフィアの利益を更に増やしていた
戦争にかかる300億ドルの費用を政府が
利息付で連邦準備銀行から
借りねばならなかったからだ
続いて
第二次世界大戦
1941年12月7日
真珠湾攻撃
ルーズベルトは
18歳から銀行業に従事
彼のおじのフレドリックは最初の連邦準備理事会に所属
国際銀行家たちの利益と彼らの参戦意欲に
とても関心が強かった
既にご覧になったとおり
国際銀行家たちにとって戦争ほど儲かることはない
ルーズベルトの国防長官
ヘンリー・スティムソンが
1941年11月25日の日記にこう記している
『問題は我々がどのように彼らを操って
最初の一撃をさせるかにある
この一撃を日本人にさせるのが一番望ましい
そうすれば誰が攻撃者であるかについての
疑問が残らないから』
ルーズベルトは
日本への石油輸出を停止
アメリカにあった日本の全資産を凍結
公開的に中国国民党に金を貸し
イギリスに軍事支援を供給した
両国とも日本の戦争相手だった
この行為は国際戦争協定に
明らかに違反するものであった
オーストラリアからの攻撃3日前の通達も無視
期待通りの真珠湾攻撃が実現されたのだ
アメリカは真珠湾で2400人の犠牲を得て
戦争への介入の大義名分を手に入れた
第二次世界大戦で
日本と同様に血祭りに挙げられた
ナチスドイツは2つの組織から支援されていた
IGファルベン(スタンダード石油)
ニューヨークUBC
この2つの組織である
IGファルベン
ドイツ84%の爆発物と強制収容所で
何百万の殺害に使われた
ZyklonBと呼ばれる毒ガスも製造していた
IGファルベンのパートナーたちの1つは
JDロックフェラーの
アメリカにあるスタンダード石油だった
ドイツ空軍はロックフェラーの石油会社が製造した
特別な添加物を含む燃料なしでは操作できなかった
ドイツによるロンドン爆撃は
ロックフェラーの石油会社がIGファルベンに
2000万ドル分の石油を売ったことから可能になった
アメリカ企業がどのように第二次世界大戦の
両方の側を援助したかを示すポイントだ
もう1つの組織
ニューヨークUBCを紐解こう
ヒトラーの政治資金を援助し
戦時中の物資援助に加え
ナチス資金洗浄のための銀行でもあった
最終的にこの銀行が貴重保管室に
ナチスの何百万ドルもの資金を持っていたことが
発覚している
ニューヨークUBCは敵国通商法に違反した事で
差し押さえを食らっている
ニューヨークUBCの副頭取は誰かをあたってみると
プレスコット・ブッシュの祖父だった
次にベトナム戦争
1964年にアメリカが北ベトナムに宣戦布告
駆逐艦がトンキン湾で
北ベトナムのPT船に攻撃されたことから始まった
驚くべきことに後にこれは捏造であったことが判明
前国務長官のロバート・マクナマラが数年後
間違いであったと言い、複数の役人も証言したが
引き返すことはなかった
リンドン・ジョンソン大統領が1966年10月
ソビエト集団の国々に対する貿易制限を解除
彼らが北ベトナムに対する戦争調達の80%に上る
供給を提供していたことを知りながら
ロックフェラー関係勢力がソビエト連邦にあった
北ベトナムに送る軍備用品を製造する工場に対して
資金を援助した
ところがこの戦闘の両側への援助が
コインの一面に過ぎなかった
1985年に交戦規定が機密扱いから解除された
内容は下記のとおりである
北ベトナムの対飛行体ミサイルシステムが
運転可能であると確認が取れるまで
攻撃してはならない
ラオスやカンボジアの国境を一度越えた敵を
追撃してはならない
それから何よりも明確なのは最も重要な
戦略的標的に対しては軍事高官の許可なしでは
攻撃してはならないという
摩訶不思議な交戦規程が存在した
課せられたこれらの制限のみならず
北ベトナムはこれらの制限項目を知らされ
米軍のこうしたルールを元に
彼らが全体の戦略を構成できたのだ
戦争のやり方すら
金の出し手である国際金融マフィアに
ルール化され継続される内容にされていた
これが戦争が延々と続いた理由だ
国際金融マフィアの利益のための戦争は
5万8000人のアメリカ人
300万人のベトナム人の死者を出した
国際金融マフィア達は利息と武器製造の
一石二鳥を得られた
一方政府は火の車だった
1970年代に突入した時点での
アメリカ政府が抱えていた問題は下記の通りだ
1.冷戦下でアメリカが西側諸国への経済援助を続けた
2.60年代からのベトナム戦争の出費が増大
3.社会政策費の増大が財政を圧迫
4.大資本が国内よりも高い利潤を求めて
海外に投資するようになり税収が減少
5.60年代に入り西ヨーロッパ諸国、日本の経済復興が進み
アメリカ製品の輸出は頭打ちとなって
逆にそれらの国々からの輸入が増加してきたため
貿易収支が赤字に転落
※1971年にアメリカの貿易収支が赤字に転じたのは
南北戦争を克服して工業化に成功して黒字転換から100年ぶり
6.世界の金が金に集まりアメリカの金保有量が減少
そして1971年にニクソンショックが起こる
ドルと金の一時的交換停止
ドルの価値が急落し
ドルを基軸とする国際通貨制度(ブレトン=ウッズ体制)が崩壊
この結果ドル切下げが行われた
固定相場制から変動相場制へと変わり
為替トレードが始まる
皮肉なことにベトナム戦争が無ければ
為替トレードの開始は遅れていたかもしれない
さらっと記載したブレトンウッズ体制であるが
この体制により現代でも存続している
ブレントンウッズ体制によって
IMF,IBRDが設立
ドルの世界普及を担ったともいえる制度と組織構築の根幹である
ブレトンウッズ体制なるものが
なぜ必要だったのかの流れと目論見を
まずは習得することから始める
国際金融マフィアは
1914年の連邦準備制度の設立以後
利息と戦争による儲けの範囲をアメリカ国内に限らず
世界へ拡大する計画を遂行していった
世界大戦と世界大戦後の朝鮮戦争、ベトナム戦争
そして安全保障理事会が設立されてからも
一度も収まったこともない
絶え間ない紛争と戦争の仕掛けによって
アメリカ政府が膨大な金を支出しなければならない設定を施し
発展途上国は世界銀行が発行した債券に投資された金が
貸付されるようになる流れを完全に作った
一言でいえば
善と悪の双方を盾にして儲け続けるカラクリを
完全に構築した
貧しいものに手を差し伸べるという
表では徳とされる要素を
貸付システムに完全に組み入れることで
利益の最大化とドル紙幣普及速度の最短化を行った
その仕組みの重要な転換点においては
アメリカ以外の国が戦争により被害を被り
自国のみが戦争終結時点で優位に立つ設定と
時間の問題で各国がドルを基軸通貨とした貿易を
行うような流れを作ること
そして会合によってドル紙幣を弱小国に貸付する
機関の設立することがポイントであった
これをシステム化できれば
何もせずにドルという名の発行した時点での
貸付金が一気に普及できる
世界が求める善を盾にしながら弱きものを
国際的に認められた機関を通して
格付けされた債権を媒介にして
ドル貸付という流れで助けるという構図を取れる
①紙幣製造>国内貸付
②国際機関>格付>債権>資金調達>発展途上国へ貸付
③戦争>武器製造>国内支援>戦争相手国へ資源輸出
紙幣製造
国際機関
戦争
これらを操作できるようになった
肝心要の国際機関の設定は
ブレトンウッズで行われた
ブレトンウッズ体制の具体的な内容と流れを見ていこう
1929年の世界恐慌に対し
資本主義諸国はそれぞれ多様な対応をとった
イギリスのスターリング=ブロック経済圏
アメリカのニュー=ディールに伴う南北アメリカ経済圏の成立
ドイツの東方生存権の構想
日本の大東亜共栄圏などが出現
しかし
これらの閉鎖的・孤立的なブロック経済の利害は
互いに対立した
それぞれが独善的な保護貿易にもどってしまい
そのため国際金融・経済協力の基盤が破壊されて
第二次世界大戦につながったことを反省
国際連合の理念の下で戦後世界の平和維持と
経済の安定を図る機構が構想された
構想の柱は下記の3つである
①ドルを基軸通貨とすること
ブレトン=ウッズ体制においては金1オンス=35ドルが公定価格とされ、ドルはいつでも金と交換でき、各国通貨はそれぞれ定められた平価(たとえば日本では1ドル=360円)の上下1%以内で為替相場を維持することが義務づけられた
②IMFとIBRD
この体制を支えるのが、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)であった。国際通貨基金(IMF)は通貨の安定に必要な資金を融資し、国際復興開発銀行(IBRD)は戦後復興と開発を目的とした資金供与を行うとされ、これによって国際連合の経済的協力機構が整備されることとなった
③GATT
ブレトン=ウッズ体制の前提は、世界各国が自由貿易の原則に立ち、世界経済全体の共存を図ることであった。そこで、1947年に成立したのが「関税と貿易に関する一般協定」(GATT)であり、これによってブレトン=ウッズ体制は資本主義経済圏を包括する経済協力体制
これらは1944年
第二次世界大戦の終焉前に定められることになる
これがブレトンウッズ体制である
戦後の世界経済は
唯一の戦場とならなかった大国である
アメリカ合衆国が主導することとなり
その経済力に依存しなければならなかったため
アメリカの意向が大きく反映するものとなった
冷戦が深刻になるに伴い
西側資本主義陣営の経済再建が最優先された
そのためソ連を中心とした社会主義陣営との対立
また戦後独立を達成し国内産業と資源の保護を必要とする
新興独立国家(第三勢力)とも利害が対立する構図となる
ブレトンウッズ体制の崩壊
1960年代にベトナム戦争などで
アメリカ経済が深刻な打撃を受けドル危機が進行
一方では日本や西ヨーロッパ経済が復興してきたため
ドルを基軸とした通貨体制は維持できなくなり
1971年8月にアメリカのニクソン大統領が打ち出した
ドルの金兌換停止、ドルの実質的切り下げという
ドル=ショックによって崩壊
同年末のスミソニアン協定では固定相場制の維持を図ったが
世界経済の変動を押しとどめることはできず
1973年から変動相場制に移行する
ただし
IBRDとIMFは2016年現在でも健在であることからして
世界銀行のシステムを構築することが
ブレトンウッズ体制の根幹であるために
実質的には崩壊していない
世界各国が抱える問題を
現金で数値化させて提出させ
その数値化された現金を債権という商品に換えて
その商品の格付けをする世界最高峰の機関に
お墨付きをもらって
最高級の債権ブランドランクに変えて
世界中の投資家に年間300商品くらいばら撒くことで
資金調達を容易かつ最大化する
世界銀行は世界最大の資金調達者に匹敵する
1944年の内訳と
世界銀行について
具体的に知れば知るほどに
ブレトンウッズ体制の真の目的が見えるので
詳細を一部記しておく
1944年7月
時は第二次世界大戦真っ只中
アメリカに44ヶ国の首脳が集められ
連合国通貨金融会議が開かれた
IMF、IBRDの設立を決定
ドルを基軸通貨とした連合国内での
世界取引が始まる
国際的協力による
通貨価値の安定
貿易振興
開発途上国の開発を行い
自由で多角的な世界貿易体制をつくるため
為替相場の安定が計られたとされている
日本は1952年に加盟し
1ドル360円変動幅±1%で固定された
1973年の本格的変動相場制への
移行まで維持された
※IBRDの資金源は
世界銀行債権が多数を占めている
世界銀行とはIBRDとIDAの総称であり
低利の貸付、無利子の融資、グラントを
発展途上国に提供している機関であり
世界109か国に事務所が置かれている
年間約1兆、60ヵ国程度に対し融資している
融資内容は
返済期間が35~40年
支払い猶予期間は10年の内容である
世界銀行は債券発行で
年間3兆程度まで調達するようになった
世界銀行にはMoody´s及びS&Pより
最高の債券格付であるトリプルA(Aaa/AAA)が
付与されていることが
簡易に資金調達できるポイントに上げられる
常時新規債権商品を開発し
年間数百の債券発行を行っており
世界最大の債権発行体かつ
世界最大級の資金調達者になっている
尚グループとしてその他3つの機関がある
国際金融公社(IFC)
高リスクのセクターや諸国を支援することで
民間セクター投資を促進
多数国間投資保証機関(MIGA)
途上国への投資家や貸付機関に対して
政治リスクをカバーする保険(保証)を提供
投資紛争解決国際センター(ICSID)
外国投資家と現地国の間で生じた投資関係の
係争を調停・仲裁によって解決する役割を担う
①次期大統領候補に圧倒的資金援助を行い
成功後の見返りを約束させ連邦準備制度の法案を通す
②国家の法制度に民間企業が金を貸付する仕組みを入れる
③圧倒的資金量保有=信用の元にデマを流して民を扇動し
競合となる無数の銀行の価値を0に近づけ買い漁る
④銀行を破綻させて世界恐慌を生み出し戦争となる
敵味方双方に間接的な機関を通して資金を流しこむ
アメリカ政府だけではなく世界各国の戦争勃発地域の国々に
民間の銀行経由で金を貸付するようになる
さらには石油の世界展開を戦争を通して行うようになる
⑤世界大戦を起こした目的は
世界銀行設立とドル基軸通貨設定と債権格付機関の設定である
ドルが世界中に普及していけば製造貸付量が増え儲けが増える
戦後の復興を目指す国への援助
発展途上国の貧困や物資不足や開発を援助する
善に適応した債権の発行によって
世界中の投資家から資金調達を行えるシステムを構築
毎年3兆円ほどは世界銀行経由で貸付がされるようになった
ちなみに世界大戦終了後に世界から戦争が無い年は1回もない
これもまたシステム化した
⑥ブレトンウッズ体制と戦争特需により
西ヨーロッパ、日本が戦後の廃墟から復活
この2極からの製品輸入が増大し
アメリカは100年ぶりに貿易収支が赤字転落することになる
ブラトンウッズのドルの固定相場制を変動相場制へ変えても
問題ない状況を20年かけて作り出し変動相場制導入へ導く
世界の投機家の投資量を増やすことに成功した
そのためにはアメリカ経済を破綻させなければならなかった
永遠と続く戦争設定を秘密裏に決め模造の事件を起こし
ベトナム戦争を誘発させ軍事費支出を増大
政治資金援助によって操れる大統領に命令
如何にも国民が好意的に捉える政治施策である
貧困者への公的医療保障と高齢者医療保障を増大
主にこの2点で容易に経済危機を起こさせた
経済危機になると紙幣に不安を覚えて
紙幣を金に変える流れが大量発生する
ドルと金の交換停止と同時に
10%の輸入課徴金を外国商人に課すという
ドル防衛策を政府が表明
金の流出を阻止し始めドル危機が世界に蔓延
ドル切下げによってアメリカの輸出を増やし
アメリカ経済を安定させる方向へ進み
変動相場制導入に至る
1973年の出来事だった
コンピューターゲームの元祖であるアタリが創業
AltoがPCの原型を完成させた時だった
時代は市民レベルに普及できるコンピューターの到来と
変動相場制の到来を同時期に迎えることになる
1971年
ニクソンはドルと金の交換を一時停止し
世界はドルショックに見舞われた
1973年
固定相場制から変動相場制に移行
1985年
アメリカ・フランス・イギリス
西ドイツ・日本の財務総裁を集め
レーガンはプラザ合意に漕ぎつける
ドル高を是正しアメリカ輸出増大を5カ国が推進した
主要国が政策協調して各国が為替相場介入調整する
経済調整の始まりを迎えた
1988年あたりまでの3年の間に
130円台あたりまでドル高になり
現代の水準と大差がなくなるほどになった
その後変動相場制において数々の危機があったが
1985年から3年間で100円の変動からすると誤差である
1992年 ポンド危機
1998年 ロシア危機
1999年 ユーロ危機
2008年 リーマンショック
▼リーマンショックの内訳を記載しておく
まず一般人が住みたい家を見つけたとする
次に一般人はブローカーに接触する
ブローカーに給与明細を渡して
ローンを組んで住めるかどうかを審査してもらう
彼は画像修正ソフトで給与明細額を書き換える
ブローカーはローン会社へ電話
書類はろくに審査もされず決済が降りてNYへ
そこで区分けしてまとめられる
そして投資銀行の元へ行き証券に変わる
実際は最初のローン契約書のままである
ただし証券という名前がつくと商品として売れる
証券を格付けする
名前は債務担保証券(CDO)に変わり
銀行同士で売買する
さらに組み合わせて新しい格付けをする
銀行はCDOの売買を続け
バラバラにしたり組み合わせたりを継続する
2倍3倍の値で売っていく
そのたびにCDOは厚くなり格付けは奇妙になる
銀行はこれを続けた
ローンが滞っても関係ない
欲しいのは証券化するローン書類だった
すぐに売却して利益を得られるからだ
書類の価値は無視
借人が返さないと書類は無価値のまま
大勢が払わなくなった場合
ローンはCDOに繋がり危険という認識が
市場に広まりCDOの価値は減少した
無価値のCDOは処分できなくなった
紙切れの元の関係者も存在しない
・・・これがリーマンショックの内訳である
2016年10月
中国の通貨人民元が
10月1日から国際通貨基金(IMF)の
仮想通貨「特別引き出し権(SDR)」の
構成通貨に採用される
世界銀行、国家開発銀行、中国人民銀行などは
中国でのSDR建て債券発行を検討
2016年8月12日に世界銀行は
30年ぶりとなるSDR建て債券を
中国で発行することを発表し
8月31日に起債されている
1913年の連邦準備制度設立
連邦準備制度理事会が政府機関であるのに対し
連邦準備銀行が民間企業の形式を採ることになったが
いずれにせよアメリカ政府は金を連邦準備銀行という名の
民間企業から借りねばならなくなった
胴元のメンバーは
当然貸付量の増加を画策することになる
最も有効な手段は
恐慌と戦争である
そのサイクルが1914年から現在に至るまで継続されている
ちなみに世界大戦の目的の一つとして
世界銀行の設立があった
ドルを基軸通貨とした交易拡大は
一時的なものとしてしか見ていない
1944年のブレトンウッズ体制で定められたもので
現代も継続されているのはIMFとIBRDの組織である
この創設が最大の目的であったことは言うまでもない
発展途上国や戦争で荒廃した国の援助という善の名目で
債権を発行して世界中から資金調達をして
貸付できるシステムであるが
裏を返せばこのシステムは発展途上国の常時発生と
戦争で荒廃した国の常時発生が続く限り
永遠に継続されるものであるのだ
紙幣製造
債権発行格付
戦争誘発
この3大要素を牛耳るものが
現代も世界経済を動かしていることに変わりはない
国連主要機関の中で法的に国際連合加盟国を拘束する権限がある
国連安全保障理事会は1946年に発足しており
1944年の世界銀行創立から2年で
5つの常任理事国と15の非常任理事国によって
戦争介入の意思決定が下されるようになった
アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国
第二次世界大戦の勝利者が
この意思決定を事実上牛耳っている
しかしこの国連安保理が創立されてから
一度も戦争が無くなったことはない
戦争が無くならないということは
荒廃する国が続々と生まれ
援助は永続的に求められることになり
永続的に世界銀行が債権を発行して
世界中から資金調達して弱小国に貸付する
またはアメリカ政府がFRBから金を借りて援助する
そのサイクルは繰り返されることを示しており
最も借りた金は返さねばならないのであるが
全く足りておらず破産状態ともいえるが
その状況を常に国民に掲示して
税収の獲得は永遠に続くことを常識としている
これは21世紀中に変わることはないだろう
世界中の
今後の金の流れを知っているものは存在する
当然金の流れを知るものは
その流れに沿って金を儲けられる
このシステムを理解することで
今までの流れと重要人物を知ることは出来たであろう
その流れと人物を抑えれば
資本主義社会システムの中で
成功を収められる確率は飛躍的に上がるであろう
最後に
FRB設立の創立メンバーを記載しておく
ネルソン・オルドリッチ・・・共和党上院議員で院内幹事。全国通貨委員会委員長
J・P・モルガンの投資パートナー。ジョン・D・ロックフェラー・Jr.の義父
エイブラハム・アンドリュー・・・連邦財務次官。通貨委員会特別補佐官。
フランク・ヴァンダーリップ・・・ナショナル・シティー・バンク・オブ・ニューヨーク頭取。ロックフェラーとクーン・ローブ商会を代表。
ヘンリー・デイヴィソン・・・J・P・モルガン商会の共同経営者。
チャールズ・ノートン・・・J・P・モルガンのファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークの頭取。
ベンジャミン・ストロング・・・J・P・モルガンのバンカーズ・トラスト・カンパニー社長。のちにニューヨーク連邦宇準備銀行の初代総裁。
ポール・ウォーバーグ・・・ロスチャイルド代理人。クーンローブ商会の共同経営者。
2016年10月13日 発行 初版
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