和泉帖は、和泉市役所で開講された「いずみ市民大学 まちづくり学部 テーマ学科」の講座に集まったメンバーでつくりました。公共施設で手に入るようなステレオタイプの和泉市ではなく、和泉市で暮らすわたしたちが気に入っている場所、人、モノを取り上げています。この冊子がきっかけで、和泉市のまちの息づかいに触れるきっかけになればと思います。
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自分が住むこの団地の建物の壁面には、さまざまな動物たちが描かれている。たて13メートルよこ9メートルもの大きなキャンバス。描かれているのはすべての棟ではなく、昭和46年から48年ごろに建てられた建物の一部のみ。動物は他にもキツツキやクジラも。
この団地で長く生活してきた知り合いの方、自治会長さん、現地販売所、管理事務所、住まいセンターなどに聞いてみたが、はっきりしたことわからず、最終的にわかったのは、20年は経っており小学生の頃に「こういう絵っていいなぁ」と思った記憶が残っていた人の声だった。日々眺めているうちに気づいたことがある。その絵は公園の前にある。遠くからでも子どもたちに公園の場所を教えてくれる。公園で活動する人たちの風景に溶け込み雰囲気を楽しくさせてくれる。
絵のことはわからなかったが、出会いがあった。この団地に住んで30年、そして団地の清掃業務を18年ほどしている女性スタッフYさんである。Yさんにこの街へ想いをきくと、「他の団地とくらべ圧倒的に自然が多い」と自信を持って話す。一方でさみしさを感じているところもあり、それは団地を彩る桜が失われているということ。桜に寿命がきており、切らなくてはいけなくなっている、切っても新しい桜を植えることが無いために、にぎやかさは失われているとのこと。他にも「昔よりバッタやこおろぎがいなくなった」と、周りにある自然や生き物の移り変わりには関心が高い。「自然豊かなこの街を散歩して、健康で生活したい」とYさんは、話した。
何気ないけどいつもそこにあって、いつも見守ってくれているものや人がいる。そういう存在を大切にしたい。(苻川茂浩)
家からほど近い和泉中央公園横の舗道を通って
小学生だった娘を駅まで送って行く時に
舗道から少してっぺんが見えていた
植えたてのメタセコイア…
その弱々しさが娘の姿と重なり
その風に揺れる様が
娘のその日の気分にも似て
無事に電気に乗って登校してくれると
ホッとしてまた同じ道を帰って来ました。
今ではその木も見上げる程に成長し
当時を懐かしく思い出します。(岡洋子)
市街地に残された貴重な湿地です。府内で最大の湿地群。住宅地と隣接しながらも、カスミサンショウウオやミゾソバ、コバナノワレモコウの大群落など湿地特有の生きものが多く生息しているそうです。
惣ヶ池湿地に初めて行ったのは、子どもの保育園の親子遠足でした。湿地の奥に、こんもりとした小さな丘があり、コメ袋をおしりの下に敷いて坂滑りを楽しみました。その時の印象が湿地と結びつき、私にとって素晴らしい場所として、記憶に残っていました。
団地の近くで自然を感じることのできる場所。惣ヶ池の傍を通るたびに、「もったいない場所だな」と思っていました。北海道のモエレ沼のように市民に広く開放し、環境保全と観光をうまく調和させた場所にならないかと願っています。(新田良子)

奈良東大寺を再興した重源上人が800年ほど前に作ったという伝説の残る谷山池。水不足に悩まされていた和泉に水を供給する池として掘られ、長い間田畑をうるおし、人々のいのちをつないできました。谷山池はそれ以外にも、大雨に備えた雨水滞水池の機能もあります。そして何よりも、池を取り囲んだ自然豊かな環境や、この地域の生活を支えてきた文化的、歴史的な価値があります。これから先も、この谷山池が「人と自然」「人と人」をつなぐ大切な出会いの場となって、子どもたちの未来へとつながっていきますように。(城洋子)
和泉市大野町の山奥にある清水滝へは、側川渓に添って山道を進む。落葉でふかふかした自然道をマイナスイオン胸いっぱいに吸い込みつつ、木々の命の営みにも目をやりながら、ゆっくり歩いて小一時間で辿り着く。
途中の開明滝(かいめいのたき)までは、比較的やさしい山道で初心者向き、子供連れでも山歩きを楽しめる。そこから更に山道をしばらくあるいて最終目的地の清水滝まで行くのだが、最後に通らねばならない関門がある。
すぐ目前に目的の滝は見えているのだが、その前に岩場に張られたロープづたいに、わずかな足場を探りながら、しっかり注意して進む必要があるのだ。
若者にとっては何でもないことかも知れないが、一応、最終関門の岩場を考慮に入れて、中級者向けとしておきたい。
岩場に張り付きながら、やっと着いたときの喜び!
さほど大きな滝ではないが、滝つぼの水はあくまで清らか、小さな魚も見られて心安らぐひと時…滝の水は飲めると聞いた。
撮影したのは6月初旬、上空のいずこからか風にのって散り落ちてきた白い小花と木の葉が水に浮き、清浄な雰囲気を演出して印象的だった。(大平弘子)


再婚されるカップルが行なった小さな結婚式が今でも一番心に残っています。娘さんももう大きくて、本当に身内だけの小さな結婚式だったけれど、すごく温かくて、みんなが笑顔で、あぁ~、やって良かった!という感じです。
茶道を習っていて、初めてお母さんに着物を着せてもらった時に、なんて着物が似合わないのだろうと思いました。私には着物が似合わないんだなぁと思いながらも、たまたま婚礼の着付けをしている先生に着せていただける機会がありました。似合わないと思っていた着物が、着付ける人によって全く異なる見栄えになる事に気づきました。
出産後にまた、婚礼の着付けをされている違う先生とお会いして着付けをしてもらうと、やっぱり仕上がりが綺麗で、私もこんな着付けをしたい!と強く想い、着付けの仕事を始めました。同時にヘアメイクも習い、今では和装に合わせて日本髪も結います。
社会復帰に対して、実はさほど不安がありませんでした。子どもを出産したのが35歳だった事もあり、長く休めば年齢的にも社会復帰できないのではないかと思っていたので、育児で仕事をしないという事を考えていませんでした。出産後の早い段階から社会との接点を持ち続ける事になったので、不安がなかったのかもしれません。
今も働き方に関しては不安がありますが、どこかの会社へ所属する働き方よりも”自力”を付けていきたいと思いました。子どもを産んだから自分が見ないといけないといった想いは結婚する時に捨てよう!と思いました。子どもは安心できるところに委ねて、自分はしっかりと仕事をする。今もそうしています。
今は挙式のスタイルも大きく変わって、神社などではほとんど行われなくなりました。挙式をしないカップルも多いです。写真だけは残したい、お金をかけなくても身内だけの小さな結婚式がしたい。そういった方々の想いを形にするサポートをしていきたいと思っています。
和泉市には挙式場がないので、和泉市の神社で小さな結婚式を実現していけたらと思っています。花嫁さんの着付けをすることが私の夢です。
もっと若い世代の方に着物を気軽に着ていただきたい、小さくても温かい挙式が増えてほしいという田原さんの想いが伝わりました。(田仲亜希恵)
和泉市万町の大きな道路沿いにあり「お大師さん」と地域から親しまれている「石尾山弘法寺」ここでは、お寺の定例行事以外にも“お寺caf锓弘法寺の夏祭り”“いずみの国のいつくしみ市”等さまざまな催し物が行われています。私も弘法寺と出会い、今までのお寺=お墓参りというイメージが、もっと身近な明るく開かれたものへと変わりました。副住職の渡辺弘範さんから、「みんなのお寺」という言葉をお聞きしたことがあり、なぜそう言われるようになったのかインタビューさせていただきました。
お寺に限らず、地球上のあらゆるものは自分だけのものではなくて“みんなのもの”と考えています。ですので、弘法寺も“みんなのお寺”で僕はお寺を守っている人、というイメージなんです。
ただ、“みんなのお寺”といって開放するってどんな風に、どんなものなのか?と始めは悩みました。檀家さんに話していても、急になにか新しいことといってもスッと受け入れてはもらえなかったです。
仏教に「少欲知足」という言葉があります。足るを知る、というような意味なのですが。なにがあるんやろう、どうしたらいいんやろう、と悩んでいて、ある日ふとその言葉に思い至りました。なんだ、全てあるじゃないか、と。そこから、ものさしが変わったんです。
基準が、世の中のものさしから自分のものさしへと変わった。誰かが、おもしろい・おもしろくないと決めるのではなくて、おもしろくするのは自分なんだな、と。
ただ、やみくもにおもしろくというのでは無いんです。今まで、ずっと続いてきた歴史というか、そういったところに敬意をはらうことを忘れずにいます。だからこそ、受け入れてもらえたのかな? と思います。あと、“何を言うか”も大事だけれど“誰が言うか”も大事だなあと思います。というのも、お寺を開くキッカケを作ってくれたのが藤原重夫さんという方で、檀家さんの中でも特に皆さんに慕われている方なんです。
開かれたお寺の第一段は、藤原重夫さんのお話し会だったんです。そこに集まった檀家さん達のまえで、重夫さんが「お寺は開かれるものだよね。」と話してくれて。それまでも、僕が話したりしていたんですが、重夫さんが話してくれたことで一気に進んだというか。すごいなあ、と思いました。
イベントに関しては、ご縁というか先ほどの誰が言うかの話と共通しますね。日程的なキャパシティもありますが、この方たちとなら出来るな、というご縁を大事にしています。
5年後・10年後、に関しては正直あまり考えていません。というより、お寺は50年、100年と続いていくものなので、100年後どうなってるかな?とかそういうスパンで考えます。
それぞれの時間軸、環境がありますからね。これも仏教の言葉なのですが、最澄の「一隅を照らす」という、自分のおかれた場所で精一杯花咲かせればよいのだと思っています。
終始にこやかに、心に沁みる言葉も交えてお話しくださった弘範さん。“みんなのお寺”を守りながら、未来を見据えて発信もされていて、素敵だなあと思いました。これからも、共にありたいみんなのお寺「石尾山弘法寺」是非訪ねてみてください。
(大内郁美)
全校児童86人、和泉市の山の学校、南横山小学校には先生でもなく児童でもない、けれど毎日学校にやってくる「さだじい」がいる。さだじいは、ただの村のおじいさんではない。毎日3回フラッと学校に来ては、子どもたちの様子を見守る。
梅干しが苦手で食べられない子どもを見れば自分の家に連れて行き、手塩にかけた自慢の梅干しを食べさせて「どうじゃ梅干しだってうまいじゃろ」の一言で梅干しを食べられるようにしてしまう。かけっ子が苦手な子を見つければ一緒に走って「どうじゃ、わしに勝てたあんたは早いのお」と勝つ喜びを味わわせてあげる。
自分の畑に「なんよこ(南横)ファーム」を作っては、子どもたちと一緒に大根、じゃがいも、玉ねぎ、さつまいもを育て、自然の不思議と収穫の喜びを体験させてくれる。5年生は収穫したその大根でたくあんを漬け、新年最初の登校日の七草粥の会でみんなにふるまう。
卒業式が近付いて来る3月。家から杵と臼を運んで来て下級生全員を集め、卒業祝いの餅つきをするのも毎年恒例のさだじいの仕事。
さだじいの学校での仕事は、他にも竹細工を教えたり、老人会の人たちと共に昔の暮らしを伝えたり、村の伝統文化を伝えたり…実にたくさん。親でも先生でもない、地域の大人が一生懸命に関わってくれた時間は、子どもたちの心の奥底にずっと残っていくに違いない。それは、やがて人との関わり方に深みを与え、人情味を増していくのではないだろうか。
さだじいに、昔と今と何が変わったか問うと「結束力が弱くなったな」とつぶやく。「便利になり過ぎたと思う。昔は葬式も家でやってたからみんなで協力し合っていた。今は葬儀場でやるからみんなに厄介にならんでもよくなったし、お金だけあったら何でも出来るようになってきた。でも便利になった分、失ったものの方が多いと思うな。自分とこだけよかったらそれでいい、そんな考え方が増えてしまったな。昔は子どもはみんな村の宝やった」
そんなさだじいにだって悲しいことはある。10年前、奥さんを亡くした時、支えだったのは子どもや孫たちの存在。「わしには80人も孫がいる」そう言って笑うさだじいの夢は「もう10年南横の子どもらと一緒にがんばりたい」なのだ。
南横山小学校に関わりだして15年。父鬼生まれ父鬼育ちのさだじいは「父鬼が大好きじゃ!」と自信たっぷりに大きな声で言う。65歳で定年し、何か父鬼の村のためになることはないかと思って始めた学校との関わりは、今では子どもたちの喜ぶ笑顔が見たくて通うのが日常となった。
「特認校制度で地元以外から通って来る子どもたちが、大きくなっても、6年間父鬼のこの小学校で学んだことを、それと父鬼を思い出してほしい」
そう話してさだじいは今日も学校の給食時間の見回りに向かったのでした。(城洋子)
その道は光明台3丁バス停近くにある。みずき台に住む緯(いお)ちゃんが、小学校に上がる時に車椅子での登校が出来る様にと、住民の協力で、階段部の一部をコンクリートで埋めスロープにした道だ。
月日が経ち、緯ちゃんは現在高校一年、送迎バスで通学しているが、その道は、今も障がい者の人々や高齢者、中学生の自転車道にもなり、日に多くの方が利用している。
福祉とは全ての人がしあわせに暮らせる社会。この道がそれを教えてくれる。(芦田三雄)
久井地区にある大森屋さんは創業30年。85歳になる親父さんは、泉州の紡織会社で30年間勤め、独立後、繊維産業の衰退と同時に食の方へと事業転換、昭和59年に故郷高野山麓で育った時の味を奥さんと試行錯誤を重ね《ジブ柿の葉ずじ》《さんま寿し》を完成させた。
「米は新潟コシヒカリ、魚のサバ、サンマは青森八戸から購入、酢は渋柿の熟成酢と塩で味付けし、生のしぶ柿の葉を使用して、関西人が好む少し甘味の味付けにしたことがこだわりです。槇尾山施福寺の麓の茶屋に置かせてもらった事で、全国の参拝者がお土産に購入され、全国から注文が来るようになりました」。
私の好きな《さんま寿し》は身と米のバランスが良くほんのりと、ゆずの香りがする。
親父さん曰く、一般的にはさんまの背びれを取る為に背開きにするが、私は、腹開きにして背びれ、中骨を上手く取除く事で腹部にシャリが入りいい加減になる。更にゆずを挟むと香りが良いそうだ。作り手の気持ちが、食する方にしっかりと伝わっている。(芦田三雄)
彼は安栗敏雄(あぐりとしお)さん(66歳)。現在飼っている鷹は4代目の福ちゃん10歳。種類はハリスホーク。イギリス生まれ、福岡経由で雛のときに和泉市和気町へ。2〜3歳までは散歩中に突然野生に戻って狩ることがあったそうです。1代目はオオタカという種類で、飼いはじめたのは20年近く前。鷹の寿命はだいたい30年だそうです。
福ちゃんは数々の映像作品に出演しています。「濃姫(映画)」では織田信長の鷹として。「臥龍の天」では伊達政宗の鷹として。「信長のシェフ」では武田信玄の鷹として。その他、「せやねん」「探偵ナイトスクープ」「ブロードキャスター」「Nスタ」「さんまのからくりTV」「ごきぶら」「メッセンジャーの○○」など多数出演。エサは冷凍肉(うずら)50~100g/日。うずら肉は1匹120~130円。
飼い始めた理由は顔の鋭さやプライドの高さなどを含めて鷹が好きだから。取材に来てくれることがうれしいそうです。一般的には普段はオリの中、キャッチボールと言われる運動をさせるときだけ外に出すのが普通ですが、安栗さんは「本来の生き方に近くしたい」という思いから、肩に乗せて散歩したりするそうです。空を飛んでいる鷹が、笛などで呼ぶと戻ってくるそう。そんな感じで駅前なども散歩していたようです。(辻 晃佑)
地域と人に愛されるダイニングをめざす Kitchen & Bar Full Houseがロードインいずみ内に誕生しました! このお店の特徴はスタッフさんの温かい心遣いです。それは”食べたいもの何でも注文してください”という営業スタイル。オーナーの中田浩幹さんにお伺いしました。
「お店のオープン前の改装工事中に、ご近所の方たちからよく声をかけられました。この場所にあった前のお店が和食屋さんで、地元のみなさんがよく利用されていたそうです。そこで僕たちは決心しました。『ではお店ができたら必ず和食を作らせていただきます』。そう宣言してオープンまでの期間、必死で和食の勉強をしました。それ以来、お客様の要望にお応えして料理をお出しするのが楽しみで仕方ないんです」。
取材に伺った日、日本酒があると聞いたので魚料理と天ぷらを作ってもらいました。もちろん洋食・中華・イタリアンなど、何でも受けてくれます。最近はランチ常連のリクエストに応えるため、カレーの研究に没頭中だそうです。これからも益々地元の皆様に愛されるようにと...私のマチオモイ1ページでした。(利倉康紀)
わが子の通う小学校の運動会です。私が住むまちは住宅開発が進み、児童数は1200人以上と和泉市でNo1です。
写真は3年生の綱引き、白組だけでこの人数、この迫力です。人数が多いということは、たくさんの笑顔があふれている学校です。保護者として、愛する子どもたちと学校をしっかりと応援していこうと思います。(黒川僚介)
和泉中央駅すぐそばの万町にあるカフェ『MANO』さんです。この店は若いオーナーさんが経営してるようで、元織物工場をリノベーションし、上手く空間を使ってくつろぎの空間を演出されております。知人に誘われて行ったことがきっかけですが、今でもくつろぎたいときにたまに利用させてもらってます。
この辺りは、ガチャマンと言われた時代背景もあり、織物工場も多かったようです。また、騒音対策や土地の確保のしやすかからか、田んぼなどの田園風景に溶け込む形で工場もあったようです。
今は駅が出来て、新しい街が開けていますが、田園風景を残しながらも、元工場がカフェというくつろぎの空間に変わって親しまれていることに、面白さを感じます。
(赤松宏紀)
“帰らない白鳥が住みついている”
そんな話に魅せられて、友人たちを案内した。覗いていると季節外れの白鳥が優雅に姿を寄せてきた。パンくずを投げ入れたが食べる気配はない。大きな鯉が集まってきた。あっという間に食べつくす。岸辺を歩き始めた私たちに寄り添ってくる白鳥。それに応えてカメラを向ける。カメラに応へて…追い越して…回り込んで…振り返る。
「この子…案内してくれてる」と声が出る。
スマホまで動員した撮影会になりました。飽きることなく眺めている私たちから彼女は離れない。「ジャまたね」と歩き始めると、「楽しんでいただけましたか」とご挨拶。何事もなかったかのように岸辺を離れていきました。数日後、会いにいった私に彼女は反応しなかった。
彼女は一体、なにものか。想像の翼が広がっていきました。「鶴山台・志保池公園」での一コマでした。なぜ…どうして…こうしてあげたら…エサは…何処まで飛んでいくのかな…などなど。みなさんも想像の翼を広げてみませんか。
(森井豊)
まちの声を聞くということが、狩野が受け持った3回にわたる「いずみ市民大学まちづくり学部テーマ学科」の講座の中で実現したかったことです。
参加メンバーはすでに何度かの講座を受講し、ファシリテーターの宝楽さんのご尽力もあってすでに仲良くなりつつある状況だったので、なるべく講座と講座の間の一ヶ月の間に、気になる人や場所を取材してきてもらうように誘導しました。
なんとなく気になっていたけど話したことがないという方に取材するチャレンジをしてみたり、記事を書いてみたり、誰かが書いた記事に別の誰かが見出しをつけてみたりといった試行錯誤を重ねながらカタチができあがってきました。
カタチができるともっと良い写真に差し替えたいとか、記事を書き直したいとか、いろいろな要望が生まれてきました。講座が終わってからもさまざまな世代のメンバーが喫茶店に集まり、これから和泉市でやりたいことなど話し合われるようになってきました。
この本はこれでひとまず完成ですが、この本をもとに参加メンバーの方が別の誰かとまちのことを話すきっかけが生まれるといいなあと思っています。
(狩野哲也)
和泉帖
2016年10月7日
撮影、執筆担当/
赤松宏紀
芦田三雄
大内郁美
大平弘子
岡洋子
黒川僚介
城洋子
田仲亜希恵
辻晃佑
利倉康紀
新田良子
濱口茂樹
苻川茂浩
森井豊
編集担当/
狩野哲也
本書情報は2016年10月現在のものです。
2016年11月2日 発行 初版
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