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本書を発行するにあたって、内容に誤りのないようできる限りの注意を払いましたが、本書の内容を適用した結果生じたこと、また、適用できなかった結果について、著者は一切の責任を負いませんのでご了承ください。
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この本はタチヨミ版です。
寝台車と夜行列車の現状
クルーズトレインの実態
「サンライズエクスプレス」の運用拡大(1)
「サンライズエクスプレス」の運用拡大(2)
「夜行新幹線」の可能性
「新在乗継」の盲点(1)
「新在乗継」の盲点(2)
「新在乗継」の拡大(1)
「新在乗継」の拡大(2)
「新在乗継」の拡大(3)
北海道新幹線の課題
北海道新幹線延伸後の「新在乗継」
「サンライズエクスプレス」の仕様変更
乗継割引の拡充と経営支援
寝台車の運用効率
「昼行寝台車」という発想
「昼行寝台車」の運用方法
「寝台新幹線」の可能性
寝台車と食堂車は、日本の旅客用鉄道車両の中で最も落ちぶれたツートップだと断言して差し支えないでしょう。クルーズトレインなどの特殊な例を除けば、存在自体が珍しくなったのが現状です。
しかし一方では、航空機やバスには真似のできないサービスを提供する車両でもあり、鉄道旅行の魅力と競争力を高める可能性を秘めているのも事実です。これら寝台車と食堂車の復興のあり方を探るのが、本書の目的です。
日本国内において寝台車が希少な存在となった理由は、単純明快です。それを必要とする列車、即ち夜行列車が激減したからです。
交通手段としての夜行列車のメリットは、非有効時間帯である深夜に移動して目的地に到着できることです。よって、昼行の交通機関の最終便の後に出発し、始発便より先に到着する時間帯に設定することが競争上重要になります。
競合交通機関が未整備だった時代には、非有効時間帯を大きくはみだす夜行列車であっても、実用的な移動手段としての役割を十分に果たしていました。しかし、新幹線や航空網の発達に伴い、そういった夜行列車は必然的に競争力を失い、やがて淘汰されていきました。かつて東京に発着していた、いわゆる「九州ブルートレイン」がその典型です。
一方で、国鉄財政の悪化を背景として1970年代半ばから繰り返された運賃・料金の値上げにより、夜行列車は価格面でも競争力を低下させていきました。これにより、夜行バスにも着々と利用客を奪われてゆくことになります。
現存する唯一の定期夜行列車である「サンライズ瀬戸・出雲」は、こうした劣勢を打開すべく1998(平成10)年7月10日から東京―高松・出雲市間で運転を開始した特急列車です。その実現までには極めて周到な準備がなされました。
まずはルートの選定です。新幹線と直接競合せず、航空網が密でない地域を結ぶ観点から、「九州ブルートレイン」ではなく「瀬戸」「出雲」がグレードアップの対象に選ばれました。
国鉄分割民営化以来、JR各社にまたがる列車は走行距離に応じて収入を配分する仕組みになっています。このため、「瀬戸」「出雲」の走行距離が最も長いJR西日本が音頭をとり、走行距離が二番目に長く非有効時間帯を活用できるJR東海がこれに協力する形で計画が進められました。
さらに、航空機の最終便の後に出発し、始発便より先に到着することを目指し、機関車が客車を牽引する従来の方式を改めて、新型の285系電車「サンライズエクスプレス」(表紙写真)を導入してスピードアップが図られました。「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」ともに7両で編成され、東京―岡山間は両者を併結した14両編成で運転されます。なお、「サンライズエクスプレス」は車両名、「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」は列車名です。
現在の所要時間を客車時代と比較すると、「サンライズ瀬戸」の下りが1時間18分の短縮で9時間27分、上りが53分の短縮で9時間42分、「サンライズ出雲」の下りが1時間38分の短縮で11時間58分、上りが1時間15分の短縮で12時間17分となっており、「サンライズ瀬戸」は全区間で航空機より有利です。
車内設備は、利用客の志向を反映し、寝台をすべて個室にするという画期的なものになりました。その空間を最大限確保するため、7両編成のうち電動車を2両にまで絞り、主要機器を集約しています。
これにより残りの5両を2階建て構造にすることが可能になり、「シングルデラックス」「サンライズツイン」「シングルツイン」「シングル」といった上下空間に余裕のある個室寝台が提供されるようになりました。電動車のうちの1両のみ、上下空間の狭い個室寝台の「ソロ」となっています。
こうした個室寝台をメインに構成する一方、電動車の残り1両には「ノビノビ座席」が設けられました。これは上下2段式のカーペット敷の床を簡素な仕切りで一人分ずつ区切ったもので、寝台料金不要ながら身体を横にして休めるのが特徴です。指定席特急料金のみで利用できるため廉価であり、対夜行バスを意識した設備です。
以上のように、「サンライズエクスプレス」はその走行条件に適応するための様々な工夫が施された車両であり、それゆえに今日まで夜行列車の灯を守り続けてきたと言えるでしょう。これは同時に、条件が満たされる場合にのみ夜行列車の存在意義が認められるという厳しい現実の裏返しでもあります。
日本の夜行列車には、旅の「手段」よりも「目的」に主眼を置いた豪華寝台列車の系譜が別途存在します。それに相当するのが、上野―札幌間を結んでいた「北斗星」「カシオペア」と、大阪―札幌間の「トワイライトエクスプレス」です。
しかし、2016(平成28)年3月の北海道新幹線開業に先立ち、これらの列車は姿を消すことになります。中古客車を改造して使用していた「北斗星」と「トワイライトエクスプレス」が老朽化の問題も絡んで廃止に至ったのに対し、「カシオペア」用のE26系客車は1999(平成11)年製と比較的新しく、列車の存続もあり得るとの見方がありましたが、結局は頓挫しました。
これは、北海道新幹線が青函トンネルを含んだ新中小国信号場―木古内間84.4kmの線路を在来線と共有する関係で、この区間の架線電圧が交流20,000Vから25,000Vに昇圧されたため、従来の機関車が使えなくなったことが影響しています。
同じ問題に直面したJR貨物には国から助成金が出され、複電圧対応のEH800形電気機関車が配備されました。これを「カシオペア」に借用することも検討されたようですが、EH800形に助成金を出したのはあくまでも貨物輸送のためであるという国土交通省の意向により、この話は流れました。
このように対北海道の豪華寝台列車が一旦断絶した一方で、JR九州が2013(平成25)年10月に「ななつ星in九州」の運転を開始しています。これは博多を起終点にして九州各地を周回するクルーズトレインであり、3泊4日と1泊2日のコースがそれぞれ週1回設定されています。
これに対抗するかのように、JR西日本が2017(平成29)年春から「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」を、JR東日本が同年5月から「TRAIN SUITE 四季島」を、いずれも新型車両を用いたクルーズトレインとして運行することが発表されています。なお、前述のEH800形電気機関車の問題がその後再転し、借用が可能となったため、不定期ながら2016(平成28)年6月から「カシオペア」の運転が復活しています。
「ななつ星in九州」には予約が殺到しており、その現象だけを見れば確かに成功事例です。ただし、前作「鉄道デザインの復興計画」で指摘したように、定員は7両編成でわずか30人であり、1年間満室で運行しても売り上げは5億円程度のため人件費すら回収できないと言われています。料金は最低25万円からと一見法外な価格ですが、乗客1人あたりの占有面積や占有時間などから考えればむしろ「安すぎる」のであり、それゆえに利益が出ないのです。
「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」と「TRAIN SUITE 四季島」の編成定員も30人程度に設定される見通しであり、収益構造も似たようなものになるでしょう。フラッグシップトレインとしての効果は認められるとしても、実益性や実用性を見出すのは困難なのが実態です。
かつての「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」もクルーズトレイン的な性格の列車でしたが、定員ははるかに多く、またわずかながらも本州と北海道を結ぶ実用的な移動手段としての側面を持ち合わせていました。
しかし、起終点が同じである純粋なクルーズトレインにこれを求めることはできません。それゆえ爆発的に広まることは考えられず、今後の夜行列車の命運を左右する存在ではないと結論づけるしかないのです。やはり重要なのは、「サンライズ瀬戸・出雲」のような正統派の夜行列車をいかに育てるかということです。
285系「サンライズエクスプレス」は7両編成5本が製造されました。そのうち3本がJR西日本後藤総合車両所出雲支所所属の0番台車、2本がJR東海大垣車両区所属の3000番台車ですが、仕様に違いはなく、検修も実際には出雲支所が一括しています。
通常は4編成を使用し、出雲市→東京→高松→東京→出雲市で1サイクルが完結する運用が組まれています。多客時には予備の1編成を用いて「サンライズ出雲91号・92号」が東京―出雲市間に増発されます。
ただし、定期列車と比べると、上り92号は2時間33分、下り91号は2時間48分も遅く、客車時代をも大幅に超過しています。あくまでも多客時にのみ成立し得る列車です。
また、2009(平成21)年度までは「サンライズ瀬戸」を臨時に高松から予讃線の松山まで延長運転していたことがありますが、その後は行われていません。現在は、多客時の下りのみ土讃線の琴平まで延長する形に縮小しています。
松山延長時の「サンライズ瀬戸」は坂出―高松間を重複運転することから、折り返し時間を含めて約50分のロスが生じていました。このため松山到着は10時49分と、実用に適しているとは言い難い状態でした。
車両増備が叶うならば、「サンライズ瀬戸」とは別系統に「サンライズ伊予(仮称)」を定期設定し、高松を経由せずに松山に直行させたいところです。「サンライズ瀬戸」を単独運転に変更した上で東京発時刻を10分繰り下げて並行ダイヤで走らせ、現行の22時00分発の列車を「サンライズ伊予(仮称)」と「サンライズ出雲」の併結に変更すれば、松山到着を9時59分とすることが可能でしょう。
下り「サンライズ出雲」の出雲市到着もほぼ同時刻の9時58分であり、夜行列車の到着時刻としては遅いですが、主要駅の米子に9時03分着、松江に9時30分着であることを考え合わせれば十分に実用的です。同様に下り「サンライズ伊予(仮称)」も、愛媛県内の主要工業都市である新居浜に8時31分着、今治に9時09分着となるのが強みです。
下り「サンライズ瀬戸」の高松到着時刻は7時37分に繰り下がりますが、こちらは全く問題ありません。臨時の「サンライズ出雲91号・92号」は、新規の「サンライズ瀬戸」に併結する形に改めるのが妥当です。
「サンライズエクスプレス」の運用拡大が議論される場合、必ず話題に上るのが「九州乗り入れ」です。
現在の285系の運用区間は全て直流電化されていますが、九州は交流電化区間なので、そのままでは走れません。電源車を挟んで機関車に牽引させれば乗り入れは可能であり、実際に試験も行われましたが、定期運転でこれを行うのは現実的ではありません。
どうせ増備車両が不可欠なのですから、285系の交直流対応版を用意するのが自然な流れです。この場合、285系の7分の5を占めている2階建て構造の付随車のうち、少なくとも1両を平屋構造に設計変更し、対応機器を集約して配置する必要があるでしょう。
これは技術的には可能だと思われます。それよりも問題なのは、そこまでして「サンライズエクスプレス」を九州に直通させる需要があるのかということです。
東京側の帰宅ラッシュとの兼ね合いを考えると、東京発の時刻を現行の22時00分より繰り上げるのは難しいと思われます。よって、下り「サンライズ瀬戸」を「サンライズ伊予(仮称)」ではなく博多乗り入れに変更するケースを想定することにします。
岡山以西の所要時間は、1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線開業に合わせて山陽路に設定された昼行電車特急「はと」と同じものとして算出します。車両性能は当時より向上していますが、山陽本線は西へ至るほどカーブが多くなる傾向にあるので、スピードアップはほとんど期待できないからです。
この場合、岡山を6時31分に発車すると、広島8時43分着、新山口(「はと」時代の小郡)10時54分着、博多13時18分着となります。
これに対して、品川6時00分始発の新幹線「のぞみ99号」は新山口10時11分着、博多10時48分着、東京6時00分始発の「のぞみ1号」は博多10時53分着です。この状況で、いったい誰が「サンライズエクスプレス」を利用して九州入りするでしょうか。
東京発の「サンライズエクスプレス」が山陽路で夜行列車として機能するのは広島が限度です。それ以西で新幹線と並走する夜行列車に存在意義を見出すのは困難であり、ましてや航空機とは比べるまでもありません。
東京―博多間には、1956(昭和31)年から1994(平成6)年まで寝台特急「あさかぜ」が運転されていました。登場の2年後には、のちに「ブルートレイン」の愛称で呼ばれる、冷暖房完備の20系客車が初めて投入されました。その後長きに渡って国鉄の看板列車として君臨しましたが、競合交通機関の発達や運賃・料金の値上げにより、1970年代半ばからは競争力が低下し、やがて廃止に至りました。
かつての栄光の名残で、夜行列車の復権が叫ばれる際には、真っ先に「あさかぜ」が引き合いに出されます。「サンライズエクスプレス」の登場時もそうでしたが、「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」がそれぞれ運転を開始したときも、同等の豪華列車を東京―博多間にも、という声が後を絶ちませんでした。
しかし、全区間で新幹線と並走し、かつ国内で最も立地条件が良いと言われる福岡空港を敵に回す「あさかぜ」に果たして復権の余地があるでしょうか。答えは「否」です。
そもそも「サンライズエクスプレス」が「瀬戸」「出雲」に投入されたのは、新幹線と直接競合せず、航空機にも対抗し得る地域を結ぶことで夜行列車としての存在意義が保たれるという判断がなされたためです。東京から西に向かう列車の中で夜行を選択する余地があるのは、「サンライズ瀬戸・出雲」を除けば「サンライズ伊予(仮称)」だけであると言って差し支えありません。そろそろ「あさかぜ」の夢から覚めても良い頃ではないでしょうか。
昼行の交通機関の最終便の後に出発し、始発便より先に到着することが夜行列車にとって重要である以上、その設定範囲にはどうしても制約が生まれます。こうした中にあって近年注目を集めているのが、一種のライバルと化している新幹線を使って夜行列車を運転する、という発想です。
その起源自体は古く、山陽新幹線全通の2年前の1972(昭和48)年には、車内に寝台を備えた「961形」が試作されています。また、山陽新幹線の兵庫県内の駅間距離が短いのは、夜間に片方の線路の保守作業を行いながら単線運転を実施する際の列車交換を可能にするためであったと言われています。
しかし、騒音問題などがネックとなり、夜行新幹線は結局実現しませんでした。現在も、0時から6時までは新幹線を走らせてはいけないことになっています。
ここで浮上してくるのが、最終列車を0時から6時まで駅に長時間停車させ、そのまま始発列車と一本化して走行を再開するという方法です。もともとは現東京大学名誉教授の曽根悟氏の発案ですが、最近では東京都の小池知事のブレインとして知られる交通コンサルティング会社社長の阿部等氏が主張して話題となっています。
阿部氏によれば、当初は現行の座席車を長時間停車方式で運用し、定着すれば寝台車も新造するとのことです。また、帰省シーズンに限っては最高速度90km/h程度の低速で終夜運転を行い、騒音に配慮しつつ輸送力を確保します。
問題は、0時から6時までは保守作業の時間帯なので、電力の供給が停止され、車内電源を確保できないことです。これについては、車両を停める待避線の饋電(きでん)区分を独立させるか、もしくは車両側に受け口を設けて別電源を接続する方法が提案されています。
一方、帰省シーズンは通常期とは逆に緊急以外の夜間作業が禁止されているので、期間限定の終夜運転は的を射ています。JR各社の増収に直結するだけでなく、高速道路の渋滞や事故も減らせるので、社会的なメリットの大きさは計り知れません。
しかし、阿部氏が一連の提案を行ったところ、反響よりもむしろ反発する意見が多数寄せられたようです。阿部氏と言えば、大都市圏の通勤用に「総2階建て車両」を導入する提案を行って猛バッシングを浴びたのが記憶に新しいところです。「夜行新幹線」に否定的な意見が多いのも、そうした感情的な反発が背景にあるのかもしれません。
ここでは具体的な内容には触れませんが、私個人も「総2階建て車両」は机上の空論だと思っています。その根拠の一つは、移行期間を経て段階的に整備することができず、初めから完成された状態で忽然と出現させなければ成立し得ない計画であることです。
これに対して「夜行新幹線」は、「帰省シーズン限定の低速終夜運転」「長時間停車を挟んだ夜行運転」「寝台車の導入」といった段階的な整備ができるため、実現の可能性は十分にあると思われます。
阿部氏は「総2階建て車両」に付随して、鉄道の絶対領域というべき「安全性」を軽視するかのような発言を繰り返しており、バッシングの主因はむしろこちらにあるようです。ただ、その人の意見だから「夜行新幹線」も駄目、と決めつけて内容を吟味しないのは短絡的に過ぎます。私自身の著作も含めてのことですが、「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」が評価の対象となって然るべきだと思います。
タチヨミ版はここまでとなります。
2016年11月7日 発行 初版
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1978年 大阪府生まれ
2000年 立命館大学産業社会学部卒業
2002年 同大学院経営学研究科修了
現在 総合旅行業務取扱管理者