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寝台車と食堂車は、日本の旅客用鉄道車両の中で最も落ちぶれたツートップだと断言して差し支えないでしょう。クルーズトレインなどの特殊な例を除けば、存在自体が珍しくなったのが現状です。

しかし一方では、航空機やバスには真似のできないサービスを提供する車両でもあり、鉄道旅行の魅力と競争力を高める可能性を秘めているのも事実です。これら寝台車と食堂車の復興のあり方を探るのが、本書の目的です。





本書に掲載されている会社名、商品名などは一般に各社の登録商標または商標です。

本書を発行するにあたって、内容に誤りのないようできる限りの注意を払いましたが、本書の内容を適用した結果生じたこと、また、適用できなかった結果について、著者は一切の責任を負いませんのでご了承ください。

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寝台車と食堂車の復興計画(後篇)

増田 一生

鉄道復興研究所



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

第2部 食堂車の復興計画


食堂車の存在意義
不幸な食堂車
厨房から見た食堂車
メニューの再考
夜行列車と食堂車(1)
夜行列車と食堂車(2)
夜行列車と食堂車(3)
朝と昼の営業
昼行列車の食堂車
食堂車の構造的欠陥
これからの食堂車


寝台車と食堂車の復興計画(前篇)の目次紹介

作品紹介

第2部 食堂車の復興計画

食堂車の存在意義

「食堂車」とは調理設備を持つ車両であり、第1部で取り上げた「寝台車」同様、陸上交通では事実上鉄道に限定されるサービスです。これは航空機やバスに対する優位性として認識されるべきですが、現在はクルーズトレインや一部の観光列車に連結されているのみで、国内では衰退の一途をたどっています。

 一因として挙げられるのが「駅弁」の充実です。その中にあって、敢えて食堂車に存在意義を見出すとすれば、どのような点になるでしょうか。

 それは「熱」です。
駅弁も電子レンジで温めたり、容器自体が加熱式であったりする例もありますが、温かい料理を提供するという点では食堂車に敵うものではありません。これには車内に調理設備を持っていることが前提となり、そうでない車両は定義上も実際上も「食堂車」ではないのです。

 前述した「観光列車」も、IHクッキングヒーターを備えたJR東日本の「TOHOKU EMOTION」など少数を除いて、調理済みの料理を車内に搬入して提供する例が多く、これは厳密には食堂車とは呼べません。地元の有名レストランと結託して豪華な料理が持ち込まれることもありますが、温かい料理を提供しにくいという点では食堂車の本義に反しています。

 一方で、食堂車が凋落するきっかけとなった出来事にも「熱」が関係しています。日本の食堂車の起源は古く、1899(明治32)年の山陽鉄道が始まりと言われており、以来長距離の優等列車には必須のサービスとされてきました。その調理には主に石炭レンジが使用されていましたが、1972(昭和47)年11月6日早朝、北陸トンネルを走行中の下り急行「きたぐに」の食堂車が火災を起こし、死者30名を数える大惨事になりました。

 出火の原因は暖房装置のショートであり、石炭レンジとは無関係だったのですが、結果的にはこの事故を機に同型の食堂車の連結が中止されることになりました。それ以前から、新幹線や航空網の整備などにより在来線の食堂車の利用にかげりが見え始めていたこともあり、代替の新造車は用意されず、食堂車衰退の一つの転換点となりました。以降は電気レンジを備えた食堂車のみが営業を続けることになります。

 新幹線では、東海道区間が開業した時点では所要時間が短いこともありビュフェ車のみが連結されていましたが、1975(昭和50)年に山陽新幹線が全通すると、東京―博多間を乗り通す場合には必ず一度は食事の時間に重なるようになったことから、食堂車が連結されました。

 在来線の食堂車が対北海道の豪華寝台特急のみとなってからも東海道・山陽新幹線には食堂車が残りましたが、JR西日本所有の「グランドひかり」を最後に、2000(平成12)年3月をもって営業を休止しました。これには、東海道新幹線の全区間を手中に収めているJR東海の意向も影響しているようです。同社は発足当初こそ食堂車に意欲を示していましたが、結局は一般車両の定員増による輸送力強化の道を選びました。

 現在の日本の鉄道の供食体制は、クルーズトレインなどに見られるフルコースなどの豪華料理と、駅弁とに二極化しているのが実態です。ただし、第1部でも述べたように、クルーズトレインは収益の見込める列車ではなく、もちろんそこに連結されている食堂車も例外ではありません。その点は、有名レストランと結託しているためにブランド料の支払いが発生する観光列車の場合も大差ないでしょう。

 かつての食堂車が衰退した最大の要因も、それ自体の採算性が悪化したことにあります。今、食堂車の復権を図るとするならば、やはり単独で収支を均衡させるという意識が不可欠であると思われます。

不幸な食堂車

 第1部で取り上げたクルーズトレインの「ななつ星in九州」は、水戸岡鋭治氏が代表を務める「ドーンデザイン研究所」が手掛けました。「ドーンデザイン」の車両群の中で本格的な食堂車を連結しているのはこの列車だけですが、厳密には食堂車とは呼べない「持ち込み式」のものも含めれば、かなり多くの案件に絡んでいます。

「ドーンデザイン」が跋扈することの弊害については、拙著「鉄道デザインの復興計画」で「希少性」「適合性」「機能性」「快適性」「収益性」「安全性」の6つの視点から指摘を加えました。そのうちの1つである「収益性」を無視した典型が「食堂車」なのです。

 一志治夫著『幸福な食堂車』によれば、代表氏は以下のようなこだわりを持っているようです。

「水戸岡がとりわけ強く関心を持っていたのは、食堂車だ。お金がかかるばかりで儲かりはしない車両だが、絶対に必要なものだと思っていた。それは、この新型列車の肝になるものだと確信していた。「儲からないもの」も世の中にはあるべきだろう、という考えだった。(中略)食堂車は、儲からない車両ではあるけれど、地域のため、利用者のための空間、いわば広場であって、公共の乗り物の中にはあってもいいのではないか、というのが水戸岡の発想だった。人々が集まってくる広場は、飛行機もクルマも持ち得ない、列車だけに可能な移動空間なのだ」

 これはJR九州の在来線特急787系のデザインを担当するにあたってのエピソードですが、賛同できるのは最後の一行だけです。実際にも、「1年間に1億円の赤字」となることが予測されたため、結果的にはビュフェに落ち着きました。

 食堂車はその後「ななつ星in九州」などで実現したので、さぞかし本望でしょう。しかし、赤字になることが分かっていながらこうした主張を通すのはいかがなものでしょうか。これは食堂車に限ったことではありませんが、「儲からないもの」のツケが最終的に誰に回って来るのかという視点が欠けています。

 鉄道会社は原価を総括して運賃が認可される仕組みになっているので、赤字が膨らめばいずれ必ず値上げが生じます。この事実を無視して安易に「公共性」を主張すれば、結局のところ現在および将来の利用客に余計な負担を強いることになるのです。これは私も第一作の著書『偽りの公共交通』以来再三にわたって指摘しているのですが、無謀な投資が絶えるには至っていません。

 話を食堂車に戻すと、かつて東京に発着していた「九州ブルートレイン」のそれも、収益の悪化によって1993(平成5)年3月までに全て営業を休止しました。赤字額は前述の「予測」と同じ年間1億円であり、発想の転換なしにはそのあたりの収支に落ち着くのが現実なのでしょう。

 松本典久「九州ブルートレイン食堂車―最後の旅路」(『鉄道ジャーナル』1993年6月号収録)は、「九州ブルートレイン」の元祖である「あさかぜ1号」の食堂車の最期の姿を見届けたものです。

 記事では「先ごろでは一列車あたりの利用者は平均わずか20人たらず、いちばん高いビーフシチューセットを食べたとしても単価は2,000円、売上げ額4万円では、毎年約1億円の赤字がふくらむという話も納得できる」と述べられています。夕食の料理は次の通りです。

・ビーフシチューセット2,000円
・チーズハンバーグステーキセット1,400円
・若鶏照り焼き膳1,200円
・かつ丼定食1,000円
・ビーフカレーライス800円
・きのこスパゲティー800円
・ミックスサンド650円
・オツマミ8種類(内容不明)

 利用者が減った原因については後で考えるとして、ここで着目したいのはメニューの種類です。食堂車は明治期に営業を開始したことを背景としてやや洋食に偏重しており、逆に前項で述べた電気レンジの制約のため強火で炒める中華料理などは少ない傾向があります。それでも、品数が絞られた時期においてなおバラエティーに富んだ料理が並んでいるという印象を強く持ちます。

 選択肢の多さは利用客に対してアピールできる部分ですが、結果論としてはそれが評価されなかったということになります。一方で、このメニューでは「煮る」「焼く」「揚げる」「茹でる」といった多彩な調理が求められ、品数を絞ったわりには調理係の負担はあまり軽減されていなかったのではないかと思われます。こういった点を踏まえないと、現在走っている食堂車もいずれは不幸な末路をたどってしまうのではないでしょうか。

厨房から見た食堂車

 食堂車の舞台裏については、北野四郎「列車食堂調理係奮戦記」(『鉄道ジャーナル』1988年9月号収録)で、調理係である宇都宮照信氏への取材という形で詳しく述べられています。奇しくも「九州ブルートレイン食堂車―最後の旅路」と同じ「あさかぜ1号」が舞台です。この記事から、興味深い箇所をいくつか抜粋します。

「肉は塩・胡椒で味付けをして、油の温度が上がるのを待つ。揚げ物の油が包丁と並ぶ二大危険物。鍋には油返しがついているものの急停車などのはずみで鍋をひっくり返したらパニックである。近くには消火器があるが、この世話になったら大変だ」

「すぐ横の保温プレートで温められている煮物を盛りつけて、玉子焼と鶏肉をオーブンで焼く。和え物やサラダは副調理係の丸山さんがきれいに盛りつけている。天ぷらが揚がるころあいを見はからって御飯をよそう。油をきって最後に天ぷらを美しく盛りつけると、桜御膳のできあがりだ。スピードとともに見栄えも要求される」

「間髪入れず、天ぷらの油をもとにもどし、鍋を洗う。次はカツカレーだが、カレーは保温プレートにかけてあるのでカツを揚げればいい。天ぷら油とフライの油は違うので、鍋には別の油をそそいで一から始める」

「「私が忙しいときよりも、丸山クンが忙しいときのほうが(売上げが)いいんですよ・・・」」

「分業化された厨房で、調理係の担当は「火」である。火を扱う料理は食事的なものであり、お客は1人1品(定食)の注文が多い。しかし、お酒のツマミはすぐできるものがほとんどで、数もでる。お酒類には牛肉のたたき、チーズの盛合せ、スモークサーモン、コーヒーにはサラダ、サンドイッチなどがあり、それが副調理係の担当なのである」

 揺れる車内で調理を行う苦労が行間からにじみ出ており、特に揚げ物が調理係にとって最大の難敵であることが分かります。気になるのは、そういった車内での調理の手間と、料理の値段とが必ずしも比例しないことです。

 この記事は厨房に主眼を置いているので料理の値段は示されていませんが、「九州ブルートレイン食堂車―最後の旅路」では、揚げ物を伴う「かつ丼定食」は1,000円でした。材料費も絡んでくるので単純に比較はできませんが、「ビーフシチューセット」2,000円に比べると非効率感は否めません。シチューやカレーは地上で調理のほとんどを済ませることができ、後は保温すれば良いので、事を車内に限れば労働負担の差はますます大きくなります。

 日本の食堂車は電気レンジを用いる関係で炒め物を不得手としており、同じく直火が使えないので焼き物の味も地上のレストランと差がつきます。一方で揚げ物に関しては、例えば「カシオペア」の食堂車マシE26形に備えられているフライヤーは電熱式ながら天ぷらの調理の適温である180℃を超える加熱が可能であり、この点では地上と遜色ありません。

 問題は、調理係の負担が大きすぎるという点に立ち返ります。さらに、厨房の清掃においても油汚れは大敵です。そこまでして車内で揚げ物を提供する理由が、需要面からも供給面からも果たして存在するでしょうか。

 また、ドリンク類のツマミを担当する副調理係が忙しい時のほうが売上げがいい、というのも示唆に富んでいます。食堂車の存在意義は「熱」にあるので、火(厳密には火ではありませんが)を通した料理を提供しなければ価値がありませんが、全ての料理がそうである必要はありません。

 一般に、飲食店の原価率は30%以内に抑えるのが望ましいとされています。ただ、料理の原価はどうしても高くなってしまいがちなので、ドリンクの原価率を20%程度に抑えることで補うのがセオリーです。その意味でも、ドリンクの消費を促す料理に力を入れることが、今後の食堂車にとって重要だと言えるでしょう。

メニューの再考

 ドリンク、特にアルコール類に合うメニューを検討するにあたっては、「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」でディナータイムの後に設定されていた、パブタイムの料理が参考になります。

「トワイライトエクスプレス」の食堂車「ダイナープレヤデス」




  タチヨミ版はここまでとなります。


寝台車と食堂車の復興計画(後篇)

2016年11月20日 発行 初版

著  者:増田 一生
発  行:鉄道復興研究所

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増田 一生 (ますだ かずお)

1978年 大阪府生まれ
2000年 立命館大学産業社会学部卒業
2002年 同大学院経営学研究科修了
現在   総合旅行業務取扱管理者

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