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かごしま文化情報センター(KCIC)(以下、KCIC)では、2015年度より、ダンサー・振付家の手塚夏子さんをお招きし、2年間をかけて「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるプロジェクト」に取り組みました。
初年度は、まずはこの地にある素材を知ることを目的とし、手塚さんと共に鹿児島市にこれまで伝承されてきた伝統芸能・民俗芸能のリサーチを行いました。いくつかの保存団体を訪ね、神社の祭を見学し、識者に話を聞き、「うた」や「踊り」がどのように地域や時代、人々と結びついているのか、また、どのような状況からその芸能が立ち上がったのかを探りました。これらのリサーチをもとにした考察をまとめ、「断片の脈動~現代に息づく伝統・民俗芸能」として発行しました。
今年度は、実際に鹿児島に住む市民と共にワークショップを重ね、現代をこの地で生きる私たちにとっての「うた」と「踊り」を立ち上げる試みを行いました。
国内外の様々な地域・時代のうたと踊りの在り方を映像で眺める鑑賞会からはじまり、参加者を募って合計5回のワークショップを実施し、毎回様々な手法でうたや踊りが人々の間から湧き出るための模索がなされました。
手塚さんと参加者との試行錯誤の末、そこへ居合わせた人が誰でも踊りに参加できる「いつの間にか音頭」という仕組みが生まれました。
過去や伝統を学び、そこに携わる人々の姿から、うたい踊ることでかつてこの地に生きた人々の思いを共有することができるのだと知りました。そして市民の方々と対話を重ねて共に現在を見つめ、新たにうたと踊りを紡ぎ出し、「いつの間にか音頭」という仕組みができたことでこれから先の未来へと、今をこの地で生きる人々の思いや願いを渡していくための可能性が見えました。
本書はある地域において、そこに暮らす人々の間から、「うた」と「踊り」が立ち上がるまでを追ったドキュメントです。
2016年12月
かごしま文化情報センター(KCIC)
手塚夏子 プロフィール
ダンサー/振付家。神奈川県生まれ、福岡県在住。1996年よりマイムからダンスへと移行しつつ、既成のテクニックではないスタイルの試行錯誤をテーマに活動を続ける。2010 年より民俗芸能を調査する試み「Asia Interactive Research」を始動。2013 年に関東から福岡へ活動拠点を移す。2015年度より当企画で鹿児島市の伝統芸能をリサーチし、電子書籍「断片の脈動」を発行。2016年度は鹿児島市民とのワークショップをナビゲートし、「いつの間にか音頭」を制作した。
http://natsukote-info.blogspot.jp/
「中山下虚無僧踊り」稽古風景見学・聞き取り
2015年7月27日
鹿児島県の無形民俗文化財に指定されている、鹿児島市中山町の「中山下虚無僧踊り」保存会の稽古風景を見学し、保存会長をはじめ会員の方々に、その発祥や由来、現在の伝承の様子などについて、実際に稽古風景を見せていただきながらお話を伺った。
「花尾神社 秋の大祭」見学
2015年9月23日
「コンテンポラリーダンサー・手塚夏子さんと行く 花尾神社 秋の大祭」と題したバスツアーを実施、市民約30人と共に鹿児島市花尾町にある「花尾神社」で開催された大祭を見学した。
そこで奉納された伝統芸能である「花尾の太鼓踊り」、「西上の太鼓踊り」、「大平の獅子舞」を鑑賞し、バス内で参加者と感想の共有、ディスカッションを行った。
日髙加正山氏聞き取り
2015年9月24日
鹿児島で約50年間、民謡や太鼓、三味線を指導する日髙加正山氏に自身の経験に基づく民謡の観点からの唄や踊りについて、聞き取りを行った。途中、三味線の伴奏で実際に各地の民謡や鹿児島の地唄を唄っていただき、民衆の間に残ってきた唄に直に触れる機会となった。
「岩戸の疱瘡踊り」聞き取り
2016年1月28日
鹿児島市花尾町の岩戸地区に伝わる「岩戸の疱瘡踊り」の保存会員である、岩戸洋子氏、岩戸タツコ氏、岩戸キヌエ氏にお話を伺った。踊りの発祥や伝承、地域におけるこの踊りの意義についてなど、実際に踊り、受け継いで来た女性たちから興味深いお話を伺う機会となった。
主催/文化薫る地域の魅力づくり実行委員会、鹿児島市
助成/一般財団法人 前川報恩会 平成28年度 地域振興助成事業
11月に制作したうたと踊りの発表イベントを行うことを目指し、市民の参加者を募って6月より5回のワークショップを行いました。
2016年6月18日(土)
会場/かごしま文化情報センター(KCIC)スタジオB
ナビゲーターである手塚夏子さんはコンテンポラリーダンサーとしての活動と並行して、国内やアジアの様々な民俗芸能や踊りを独自の視点で研究されています。昨年度から、地域×アート企画で鹿児島のうた・踊りについてリサーチを行ってきており、これから新しい私たちのうたと踊りをつくるワークショップの導入として当鑑賞会を行いました。
当日は未就学児から70代という幅広い世代の方でほぼ満席となりました。
手塚さんが準備した「うたやおどりのいまむかし」上映リストに基づき、参加者には古くから伝わり奉納する芸能、困難に立ち向かったり神に祈ったりする踊り、その時代を映し出すメディアとしての芸能、民衆のうたや踊り、盆踊り、パレード、フェスティバル、労働歌、何かに抵抗する歌、労働者の癒しとなる場や無意識に出てきたものなど、年代もジャンルも本当に多様な映像を、系統立ててご覧いただきました。
映像や音声を鑑賞しながら、手塚さんの視点での解説をしていただき、終始、皆さま興味津々といった様子。また、鑑賞者の中で地域のうたやまつりに詳しい方からもいろいろなお話やご意見を聞くことができました。
手塚さんはこれからのワークショップに対して「集まってくださった人と人との間からうたと踊りが湧いてくるようなものにしたい。湧くというのはやろうと思ってできることではないが、やっていくなかで、『あ、なんか湧いてきた』『いや、これでは湧かない』『もっとこうしたら湧くのでは?』など、いろいろ挑戦してほしい。緊張した関係では湧いてこないと思うので、リラックスして参加してほしい。」と想いを語ってくださいました。
最後に今後のワークショップに参加希望の方々と意見を交わしながら、とても和やかで充実した鑑賞会となりました。
終了後のアンケートには「まつりや踊りについて様々な切り口でアプローチしていて興味深かった」「時代背景や人の想いが影響しているのだなと思った」「ダンスの経験はないが楽しそう」「まつりという文化を幅広く楽しめる鹿児島を創っていきたい」など、様々な感想や意気込みが寄せられ、皆さまの関心の高さを伺うことができました。
●奉納する芸能
・花尾の太鼓踊り(鹿児島)
・大平の獅子舞(鹿児島)
・川上棒踊り(鹿児島)
●困難の克服・神への祈り
・中山下虚無僧踊り(鹿児島)
・岩戸の疱瘡踊り(鹿児島)
・田の神遷座祭り(鹿児島)
・フェスティバルFUKUSHIMA!(福島)
●メディアとしての芸能
・アチェの芸能 タリサマン(インドネシア)
●庶民の歌や踊り
・六調(鹿児島)
・独り言が歌になったもの(CM・鹿児島)
・薩摩兵児謠(おどま薩州)(CM・鹿児島)
・茶碗蒸しの歌(CM・鹿児島)
●盆踊り
・白石踊り(岡山)
・盆踊り ダンシングヒーロー(岐阜・愛知)
・にゅ〜盆踊り 振付:近藤良平
出演:コンドルズ 珍しいキノコ舞踊団 プロジェクト大山(東京)
・吹上砂丘音頭 BonDance 振付:山中カメラ(鹿児島)
●パレード・フェスティバル
・江戸囃子(東京)
・韓国の仮面劇(韓国)
・ハイヤ節(熊本)
・阿波踊り(徳島)
・鹿島踊り 一声浮立(茨城)
・バハマ音頭(主に千葉)
・よさこい(高知)
・橋の下音楽祭・切腹ピストルズ(愛知)
・ビリケンフェスティバル(アメリカ・シカゴ)
●労働歌や何かに抵抗するうた
・炭坑節(福岡 ほか)
・線路は続くよどこまでも(アメリカ)
・オッペケペー節
・ノンキ節
・歌声喫茶
・ヒップホップ 映画「ワイルドスタイル」(アメリカ)
・インドネシアのヒップホップ(インドネシア)
・切腹ピストルズ 反原発デモ(横浜)
●神聖さも邪悪さも
・花祭り(愛知)
●労働者の癒し
・ディスコ(日本国内)
・クラブ文化
・ブルース、スイング、スウィングダンス
・セカンドサマーオブラブ(イギリス)
・映画『ジミー、野を駆ける伝説』(アイルランド)
●無意識の反応として湧いてでる芸能(日本国内ほか)
・竹の子族
・パラパラ
・コスプレ
・オタ芸 晴れ晴れユカイ
・世界の晴れ晴れユカイ
2016年7月16日(土)
会場/かごしま文化情報センター(KCIC)スタジオB
5才~70代まで、幅広い年代のみなさまに参加いただきました。
今回は、集まった人々でうたと踊りをつくる試みとして、手塚さんがこれまで自身のワークショップなどで行ってきた「間にあるもの音頭」の実験を行いました。
「間にあるもの音頭」のつくり方は、まずはじめに何か言葉を挙げ、次に別の人がそれから1番遠い言葉を挙げます。次の人がその2つの言葉のちょうど真ん中にある言葉を挙げ、それからまた1番遠い言葉、それぞれのちょうど真ん中の言葉を挙げていき、最後に最初の2つの言葉をとりのぞきます。すると、「間にある」言葉のみが残ります。この言葉で、歌をつくります。
そして「動き」も同様に、無作為に1人がある動きをし、次に別の人がそこから1番遠い動きをします。そしてそのちょうど真ん中の動き、そこから1番遠い動き、それぞれのちょうど真ん中の動きを挙げ、最初の2つの動きをとりのぞき、「間にある」動きのみを残します。それらの動きをつなげながら、円になってまわってみます。
そして「間にある」言葉を補完する言葉を入れながらつなげていき、ひとつの歌詞をつくりました。
次に、出来た歌詞に参加者のみなさんが1フレーズずつそれぞれメロディをつけ、歌にしていきます。みなさん、自然と前の人のメロディに続いて、歌が出てきます。
今日ここに集まったみなさんの間からうまれた「間にあるもの音頭」が完成しました。
次に、今行ったことを即興でやってみる試みを行いました。リズムに合わせ、即興で歌詞を作ってみました。リズムにのせると、自然と言葉が出てくるから不思議です。
最後に、うたう人、踊る人に分かれ、うたに合わせて踊りを自由に組み合わせて、踊りました。
大人から子どもまで、誰でもが一緒に制作をすることができるしくみで、楽しんで実施できました。
参加されたみなさんからは「自由な発想から言葉や踊りが出てきて自然な感じで楽しかったです。」、「どういうものができあがるのか、わかってないことも不思議でおもしろいものができたナァ~と思いました。」、「言葉と踊りのアドリブが楽しかったです。次回のワークショップも楽しみです。」などの感想をいただきました。
2016年8月11日(木・祝)
会場/かごしま文化情報センター(KCIC)スタジオB
8才~60代までの幅広い方に参加いただき、今回は、長年鹿児島で民謡を研究・指導していらっしゃる、日髙加正山先生をゲスト講師としてお招きして、即興でうたをつくるワークショップを行いました。
まず、最初に日髙先生から民謡の成り立ちや種類、民謡に使われる楽器などについてお話しいただきました。
仕事の唄や祝いの唄、祭の唄など、民謡の種類が実に豊富で、いかに生活に身近なものであるのか、また、船乗りや行商人、僧侶などが伝播にかかわっていたこと、太鼓や尺八、三味線、笛などの種類、特性、製法などに至るまで、なかなか聞くことのできないお話に、皆、興味津々で聞き入っていました。
そのお話も踏まえ、鹿児島の伝統的な踊りである「おはら節」の節にあわせて、各々詞を考えました。
日髙先生によると民謡は「七、七、七、五」や「七、七、七、五、五」といった七文字、五文字を並べたものが基本となっていて、実際、「おはら節」の「花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは オハラハー 桜島」という節も「七、七、七、五、五」で構成されています。
参加者は、この夏にあったことや、日常で感じること、好きなものなどを思い浮かべながら、また、悩みながら、思い思いに詞を綴っていきました。
詞ができたところで、日髙先生の三味線にあわせて一人ずつうたいながら発表。
うたい方についても日髙先生からアドバイスがあり、はじめは恥ずかしがっていたものの、徐々に声が出るようになりました。
最後に、日髙先生から「鹿児島おはら節」の振り付けについて簡単な解説がなされました。
参加者の皆さんにとっては普段慣れ親しんだ地域のうたについて詳しく知る機会となりました。
参加した方からは、「うたを作るのは難しかったが楽しかった」「皆のうたを聞いているとイメージが湧いてきて面白かった」といった感想が聞かれました。
次回は、参加者の皆さんが各自で考えてきた「人と人の間からうたや踊りを立ち上げる方法」を実践します。






日髙加正山 プロフィール
日髙民謡・薩州会 会主
宮崎県生まれ、鹿児島市在住。幼少期より唄、太鼓、踊りを父に師事し、20歳より三味線を本格的に始める。1968年少数の門下生と共にスタートし1977年日髙民謡・薩州会を設立。多いときには300名の門下生を抱える。2016年11月に活動50周年を迎え、今なお精力的に指導を続けている。唄や踊りの指導と並行して鹿児島県内のみならず全国各地への民謡を訪ねる旅を続け、そのルーツや地域差、類似点など、自らの足を使って会得した知識と経験量は大変貴重なものである。
①民謡について
洋楽の楽譜は五線譜だが、三味線は三線譜。民謡は比較的形が自由で、生き様を唄うことが多く、洋曲風もあれば浪曲風もある。形はあってないようなもので、4分の3拍子や4分の2拍子などもあれば、尺八のように拍子のないものもある。尺八のような音楽は世界でも珍しく似たようなものはモンゴルにもあるが、唄もあるというのは日本だけだ。
出雲阿国が河原で踊ったり、歌ったりしたのが歌舞伎の最初だと言われており(※諸説あり)、それがいろいろな地域に伝わり、ある場所では民謡となり、ある場所では芸者唄になりといろいろな形に変化していった。日本の唄は地域から地域へと伝播しながら伝わっているので、似ているものが各地で多く見受けられる。かつては20年間くらいブームが続き、その後30年以上の間、低迷していると言える。かつては鹿児島だけで、200軒くらいの教室があった。
民謡はなんでも唄にすることができる。仕事の唄でも、祝いの唄でも、即興で歌うことができる。民謡にならないものはないくらい、本当に自由。生活に基づいているので、地域によって唄が違う。生活を表現するので、地域の違いが出る。生活が違うから、唄が違う。例えば津軽は雪に閉ざされる地域だからか、哀調を帯びた曲が多い。南へ行くと明るい曲が多いし、北海道は移住者が多いので、いろいろな地域のものが混ざっている。九州では鹿児島が一番いろんなものが混在している。武の国なので、もともと詩吟が多く、他の地域から伝播したものが多い。
祭は地域性をあらわすし、かなり地域の特色が出てくる。相撲取り節は全国的には少ないが、鹿児島にはある。熊本ではおてもやんが有名。数え歌はわらべ歌として唄われていることが多い。
挙げたらきりがないくらい、民謡はたくさんの歌がある。身の回りのものは全て民謡になっていると思っていい。
②唄を持ち歩いた人
民謡が広がっていった背景にはさまざまな人の往来が関係している。唄や踊り、仕事の道具にいたるまで、いろんな文化伝統を運んだのは主に船乗りだ。交易や運搬でいろいろな地域へ行っていた。その船乗りたちが港みなとで故郷の唄を歌って伝えたり、新しい唄を仕入れたりした。
そして行商人。有名なのは富山の薬売り。薬を売り歩く際に胡弓も持っていて、泊めてもらうときなど、御礼として弾いていたそうだ。胡弓と言っても中国の本格的なものではなく、三味線を小さくしたような簡単なものだったようだ。人生論であったり、お祭りのような賑やかなものであったり、いろいろ唄いながら、全国を歩いていた。年輩の方にはまだそれを覚えている人たちもいる。薬売りの人たちは行く先々で唄も仕入れて、ものすごく勉強していた。
唄を持ち運んだ人々の中には、僧侶もいる。僧侶がというのは不思議に思われるかもしれないが、昔は一生に一度でいいからお伊勢参りに行きたいというのが皆の夢であった。片道1ヶ月、往復2ヶ月かかる。時間もかかるがお金もかかり、普通の人は行けないので、托鉢僧にお金を渡して、代わりに行ってもらっていた。たくさんの人のお金を預かり、お伊勢に行っていた。四国の八十八ヶ所巡礼もそうだ。僧侶が代わりに行って御札を持って帰った。いろんなところへの行き来があったのだ。津軽三味線には願人節(がんにんぶし)という唄が残っている。この3者が主として唄を持ち運んだ人々だ。
他は木挽き。技術指導でいろいろな地域へと行った木挽きが歌って聞かせた。口伝であるため、少しずつ変化していて、嵯峨野や屋久島などいろいろな地域にある唄は似ているが、どこかが違う。鍛冶職人や杜氏衆などもそうだ。他にもたくさんいるが、大きく分けるとこのくらい。
③楽器について
楽器というのは三味線・太鼓・尺八、横笛、鳴物。鳴物というのは鉦や皿踊りの皿など。海外からきたカウベル、鈴も鳴り物だ。楽器もまたきりがない。楽器がなくても唄うものもある。これは鳴物とは言わないが、大分のこつこつ節というものは屋形船の竿が船に当たる音から来ている。物音で歌を作っているのは珍しい。
【横笛・尺八】
横笛、尺八は音が出ないと歌にならないため、難しい。とくに尺八は難しい。尺八は一尺八寸が基本の大きさであるから。基本のものより、徐々に長くなるものと短くなるものとあり、今の奏者はケースに13本入れて持っている。昔は、基本のもの1本で全ての歌をしていた。
横笛は指の腹で押さえるが、尺八は指先を使う。かなり技術が必要。尺八の基本の音、いわゆるド・レ・ミはツ・レ・ロ。ある奏者がドレミと吹けと言われたのに、酔っぱらっていてツレロではなく、ロレツと吹いたことから、酔ってうまく話せなくなることをロレツが回らないと言われるようになったという話がある。
【太鼓】
太鼓について、奄美の太鼓は少し違っているし、普通はバチの先で叩くが、腹の方まで使って、バシン!バシン!と叩くところもあった。いろんな地域に太鼓の団体がいるが、多くは創作太鼓で、また民謡と異なる。奉納の太鼓もある。この10年くらいは太鼓ブームであちらこちら団体ができている。今はほとんど組太鼓で、違うリズムを叩きあう。
鹿児島では霧島の九面太鼓や蒲生のてこぼうずなどが古い。
よく目にするのは宮太鼓といって尺六寸くらい。ケヤキをくり貫いて皮を張ったものだ。神社で神事の前に叩くのでそういう名前がついている。太鼓も種類が豊富だ。桶のように板を張り合わせた桶太鼓、民謡の演奏でもよく使われる平太鼓などがある。大太鼓や宮太鼓ほど大きな音は出ないものの、それでも空振で物が落ちたりするため、会場には気を遣う。紐で締めて調整する締太鼓もある。機械でボルトで締めるボルト太鼓というものもある。
【三味線など】
三味線も種類が多い。蛇味線もあるし、胡弓もあるし、歌舞伎や浄瑠璃、芸者の弾くもの全て違う。棹と胴があるが、胴は桑の根っこなどを使う。中国では白檀を使ったものもある。棹は紅木(こうき)を使う。または黒檀(こくたん)、紫檀(したん)。今は日本では取れない。品質も年々落ちてきている。お稽古用だとカリンの木が多い。中には芸術品のものもある。普段、三味線は音を尺八から取る。ないときは洋楽の調子笛を使う。三味線は実は釘を1本も使わない。糊付けと仕上げに漆を塗る。ブームがあった頃は製造が間に合わず、漆が乾かないまま届くこともよくあり、かぶれて入院する人もいた。
三味線の弦は一の糸が蚕の糸30本が撚り合わせてある。真ん中は14本。三の糸は通常8本だが、切れやすいので、楽器用のナイロンの糸を使っている。
三味線はすぐ音が変わってしまう。よく見ていると、奏者はずっと調整をしているのがわかる。ちなみに三味線の糸が切れることを、切れるというと縁起が悪いので、糸が飛ぶという。
④唄の基本~鹿児島おはら節の場合
「花は霧島、煙草は国分、燃えて上がるは、オハラハー、桜島」とあるが、歌詞は七、七、七、五、五の文字数になっている。桜島の部分について、唄う人は「さくらじまぁ~」と「あぁ~」と伸ばし、お囃子が「ハヨイヨイヨイヤサ」と唄う。この「あぁ~」の部分を産字(うみじ)という。
おはら節は調子が3種類あり、一般的なのは「六本のニ上り」。明るい民謡はだいたい二上りで、オツなものは三下り。基になるのは本調子という。本調子は少し上品な歌が多い。おはら節も3種全部ある。一番、音が取りやすいのは六本の二上り。これはとくに女性の場合。男性なら二本。子どもは八本。
唄は三味線とは違う音を唄うのが民謡。つかず離れずで唄うのが本来。唄うときは横腹に手を当てて、力を入れた状態を保つとよい。
楽器もないときに手拍子をするが、叩くのが表、離すのが裏。表で唄い出すのが基本。これを守れば手拍子がずれることはない。酒作りの唄や、祝めでた唄など、楽器はなく、手拍子だけである。
2016年8月11日聞き取り
かごしま文化情報センターにて
鹿児島おはら節について~日髙加正山
https://youtu.be/2SXLAQuOR0I
※歌詞は次ページに掲載。
2016年9月10日(土)
会場/かごしま文化情報センター(KCIC)スタジオB
今回は、参加者の皆さんが考えてきた「人と人の間からうたや踊りを立ち上げる方法」を実践。皆さんの案をもとに、どうやったら人々の間から、自然にうたと動きがうまれるかを考えながら、ひとつずつ試していきました。
案①:昨日の行動を再現してみる。
皆、昨日1日の行動を思い出しながら、動きを再現してみました。それぞれの暮らしや職業によって、同じ動作を繰り返していたり、せわしなく動き回っていたり、様々な動きが見られました。
案②:言葉を使わずに、言いたいことを伝える
第2回目のワークショップで行った「間にあるもの音頭」の実験で完成したうたの歌詞を、それぞれ動きに置き換えて表現してみました。
その後、3人1組になり、内容はそれぞれ明かさずに2人がジェスチャーで会話をし、1人がその動きを見て、何を話しているか解説をつけました。動きで、どれだけ人に言いたいことを伝えることができるのか。またそこに生じるズレを観察しました。
案③:言葉と動きのしりとり
最初の人がある言葉を発し、その言葉を動きにする。そしてそれにつながる言葉を次の人が発し、そしてそれを動きにする、というもの。
途中、普通の会話や雑談が混じりながら、またしりとりに戻ります。その行ったり来たりする感じが、「間」っぽいという言葉が手塚さんよりありました。
案④:ある動きをずっと繰り返す。
思い思いに、皆1つの動きを繰り返します。すると自然とまわりの人から、手拍子や掛け声などがかけられました。
手塚さんから、よく念仏踊りなどで、8の字を描く動きが見られ、それが踊りやすいのではないかというお話があり、それを試してみました。
そして、自分が心地よいと感じる動きをしながら話をすると、動かずにいるよりも自然だということがわかりました。
その後、人によるのりの違いや、なかなか踊り出せない人の場合にどういう工夫をすると踊りやすいのかを考えました。
参加者の中から、仮面をつけるなど自分の顔がわからなければ踊りやすいという意見や、音があったほうがのりやすいという意見があり、次回はそれらを試してみることに。
みんな同じのりではなく、どうやったら、違う感覚を持った人同士が、のれるようなうたと踊りを作れるか。
手塚さんより、「今、みんなのアイデアの中から、ちょっとずつ湧いて来ている。それを、みんなでどこまで発展させることができるか。答えを一挙に作るのではなく、反応し合ってみんなが納得できる落としどころを見つけたい。」と言葉がありました。
また、11月3日の発表イベントについても、まずは自分達にとって楽しくて、いい時間になること。そして訪れた人が、「お、何か楽しそう」と、参加してくれるようなものになることを目指します。
2016年10月8日(土)
会場/かごしま文化情報センター(KCIC)スタジオB
5歳〜70歳代の参加者まで10名が集まり、11月3日のイベントに向けて最後のワークショップに取り組みました。
①:最近の出来事を、1人ずつ1行の文章にする。
まずは「最近の出来事」を共有することから始めます。
参加者には、地域に長く住む人も、移住してきた人もいます。手塚さんの提案で、最近あった出来事、鹿児島で思うこと、移住者として感じることなどの数々の思いを交換しました。
鹿児島の昔からのしきたりや風習など、地域固有のことが浮き彫りとなりました。
②:呪文を作る。
踊りの際に繰り返し唱える呪文を作ります。そこに意味は必要なく、1人ずつ50音の中から好きな音を1つ出して呪文を作ることにしました。
7人の7つの音を紙に書き、「をさにゃーあえお」という呪文が誕生しました。
③:メロディを作る。
参加者3名が1グループになって、メロディ作り。太鼓やトライアングル、マラカス、ギターなどの思い思いの楽器を使用して、呪文「をさにゃーあえお」に音の高低やリズムをつける作業をし、発表しました。
呪文を輪唱したもの、フォークソング調のものなど、参加者によってバラエティ豊富な発表。中でも、小学校5年生の女の子から、「学校で流行っている初音ミクのリズムにしたい。」との意見が出て、参加者皆で、初音ミクの楽曲を聴き、なぜ、初音ミクが人気なのかを女の子の学校生活をもとに魅力を説明してもらいました。世代間ギャップを感じながらも、彼女の日常を話してもらう機会となったようです。
身の回りの出来事を話し、ホワイトボードに書き記して並べ、参加者同士で共有。
そして、決めた言葉(呪文)に音をつけるという作業を通して、小学生の日常を知るーー。
地域で生活する人々が感じることを、世代に関わらず自然に共有するワークショップとなりました。
第4回目(9月10日)に、参加者より出た「仮面をつけたら自由に踊ることができる」という意見から、ワークショップ後に希望者で仮面を作るワークショップも実施。たくさんの新聞紙を丸めてお面の後頭部に並べてつけ、ゴジラの仮面を作ったり、100円圴一ショップで入手したモールの飾りを使って初音ミクの仮面を作る子どもなど様々。
11月3日、自由な空気を作り、多くの人が楽しめる踊りの機会となる本番を目指します。
2016年11月3日(木・祝)
会場/市民アートギャラリー、かごしま文化情報センター(KCIC) スタジオB
主催/文化薫る地域の魅力づくり実行委員会、鹿児島市
助成/公益財団法人 福武財団
11月3日の文化の日、鹿児島市内が「おはら祭」一色に染まる中、KCIC横の市民アートギャラリーで「いつの間にか音頭」を開催しました。
まずはその前段階として10月28日に、「かごしま仮面祭」内でイベントのPRを兼ねて、訪れた人々に「いつの間にか音頭」の歌詞の元となる、短冊づくりを行いました。
様々な色と大きさの紙を準備し、訪れた人々に以下の内容を書いていただきました。
・「あなたが感じていること、誰にも言えなかったけど本当は吐き出したいこと」
・「あなた自身のことや地域のこと、社会全体のことなどで、こうであったらいいなぁという思い」
・「日常の中であなただけが発見した面白いこと」
普段はなかなか口には出せない本音や思いが、たくさん集まりました。
そしていよいよ「いつの間にか音頭」当日。会場となる市民アートギャラリーには、たくさんの短冊と灯りのともった提灯が飾られ、お祭りムードを盛り立てます。
KCICスタジオBでは、踊りの際に身に着けるための仮面を制作していただけるように、鹿児島在住のアートユニット「仮面夫婦プロジェクト」による「わたしたちの仮面をつくるワークショップ」も行いました。
紙を貼り込んで制作されたベースに、自由に彩色していく方法で、大人から子どもまで、たくさんの方々がかわいい仮装をしてくださいました。
もちろん、自作で仮面や衣装を作って来てくださった参加者も。
さていよいよ「いつの間にか音頭」の開始です。
いつの間にか音頭のやり方はこちら「HOW TO いつの間にか音頭」をご覧ください。
普段は味気ない会場が、灯りとたくさんの短冊、仮装したみなさんのムードと音楽で非日常的な雰囲気となり、そこでワークショップに参加された皆さんが率先して輪になって踊る中、おはら祭りに来られた親子連れや子どもの団体なども、自然と輪の中にひきこまれて踊る姿が見られました。飛び入りで参加してくださった方がマイクを持って自由に歌う様子に、場が大いに盛り上がりました。
音響を担当してくださった「カエルPROJECT」によるDJも、ワークショップ参加者の小学生の女の子からリクエストのあった「初音ミク」風ののりやフラメンコギターに合わせたのりなど、多様なのりやリズムを会場に作り出してくださいました。また、アフタートークゲストのミュージシャンでもあるアサダワタルさんも終始踊りに参加し、一緒に音頭を盛り上げてくださいました。
輪が2つに増えたりまた1つに縮んだり、踊り疲れたら輪から抜けて鳴り物を叩く人や、ギターを弾く人、また輪に戻って踊る人がいたり。自由で主体的であり、且つ創造的な場がそこには出現していました。
「いつの間にか音頭」終了後、手塚夏子さんと日常編集家のアサダワタルさんによるアフタートークを行いました。
日常編集家であるアサダさんから、何かを伝統芸能のように後世に残していくことを目的に考えたときには、おそらく色んな要素が編集されて、伝達されていくのではないだろうか、その伝統が発生していく編集前の生々しさが今日はあった。完成された映画などを観るのとは違い、何かを立ち上げるときは、当然不安定で固まっていない状態であり、それを体験できることはそうそうない。今日はそこをみんなで楽しんだ時間だったのでは、との言葉がありました。
手塚さんからは、今日の「いつの間にか音頭」は今の自分にとって最先端。年齢差やのりの違い、考えていることが違う人同士が共に生きていけるような「間」を醸成したいという気持ちがあり、それが今回あったように思う、とおっしゃっていました。
また、これから「いつの間にか音頭」が発展していくにはどうしたらいいか、会場の皆さまと共に様々なアイデアを出し合いました。参加者の方からは、来年はぜひ外でやりたいといった声も聞かれました。
今後、どのようにこの「いつの間にか音頭」が展開していくのか、とても楽しみな期待を抱いた一日でした。
仮面夫婦プロジェクト プロフィール
2012年から国内外で仮面を着けて写真に残していく活動を始める。
2016年から仮面作りワークショップを始め、オリジナルの仮面を作ることで、仮面に広く親しみを持ってもらうきっかけ作りを始める。
仮面って着けてみたら不思議と楽しい。そんな素直な気持ちで、仮面夫婦という言葉の意味を、見た目のままの面白さに変える事をプロジェクトの目的にしている。
https://kamenfufuproject.tumblr.com/
カエルPROJECT プロフィール
2013年に活動をスタート。鹿児島を中心に自然環境や野生動植物などについての情報発信や体験活動を行っている任意団体。2016年1月1日からカエルPROJECTの謎キャラ「カエル子」がYouTubeにチャンネルを開設し、南九州の自然や面白い生きもの、隠れた名スポットなどをゆる~く紹介中。また同10月からは音楽活動もスタート。ボーカロイド(初音ミク)やキーボード、DJ機器などを使用したオリジナル曲でライブや音楽体験活動なども行っている。
https://kaerup.jimdo.com/
「いつの間にか音頭」は、地域や世代、環境を置き換えても実施することができます。ぜひ、あなたの地域でも実践してみてください。
様々な色・大きさの短冊を用意して、以下のことを人々に書いてもらいます。
1.「あなた自身のことや、地域のこと、社会全体のことなどで、こうであったらいいなあという思い」
2.「あなたが感じていること、誰にも言えなかったけど本当は吐き出したいこと」
3.「日常の中であなただけが発見した面白いこと」
会場では、[1]で集めた言葉を、踊りながら見ることができるように、また、歌詞を作る際の参考にできるように、天井からつるしたり壁に貼ったりするなど、装飾的にも雰囲気が出るように、できるだけ多く飾ります。
つるされた短冊の中から、共感できるものを一枚選び、それを比喩やたとえ話を使って、現実には起こらないようなことに置き換えてください。
例)「お金持ちになりたい」→「なんでも叶えられる魔法の鏡を手にいれる」など
そしてそのたとえ話を、誰かが歌うための詩にしてください。それが「いつの間にか音頭」の歌詞になります。
短冊づくりコーナー、歌詞づくりコーナー、制作した歌詞を溜めておく「歌詞の池」、音響を設置する「音の山」を配置します。当日の参加者によって増えた短冊は随時展示に加え、歌詞は「歌詞の池」へ加えます。
踊り手が輪になってまわる中心となる部分には、歌詞をうたう際に昇るための台を置き、その周りに「歌詞の池」から歌詞を5~6枚置きます。
歌詞の書いた紙から無作為に選んだものを動きに置き換える。その動きに擬音語(オノマトペ)をつけます。例えば「たたんたんたん」とか「じゅっじゅっじゅじゅ」など。踊りの輪になった人々みんなで出し合います。これが「合いの手」になります。
[6]で決まった動きに、合いの手を入れながら輪になって回ります。回りながら動きや合いの手は自分が変えたい時に好きなように変えてもいいし、誰かが変えたことに影響されたり反発しても構いません。
踊っていてうたいたくなったら、輪の中の歌詞が置いてあるところに行って、その中からうたいたい歌詞を一枚選んで、即興で節をつけてうたいます。連続して別の歌詞を選んでうたってもいいし、やめて輪に戻ってもいいです。
踊りの参加者が即興でつけたメロディやのりにあわせて、即興で音を鳴らします。
楽器は、おもちゃの太鼓、ピアノ、ギター、ハーモニカ、電子キーボードなど何でも構いません。
擬音語や動きも、輪の中でうたううたも、互いに影響しあったり、反発しあったり、といった反応が起きると盛り上がります。
輪を抜けたくなったらいつでも抜けられます。見ていてもいいし、別の輪を作ってもう一度はじめからやり直すこともできます。会場にいくつかの輪ができても構いません。その際、何人かを誘ってもいいし、一人きりで踊るのもありです。
2016年11月3日(木・祝)
会場/市民アートギャラリー
手塚:アサダさんは、日常編集家という肩書でいろんな活動をされていて、ミュージシャンでもいらっしゃる。今回アサダさんに来てほしいと思ったのは、音楽も編集してつくるものであるといえばそうで、編集する、編むということを考えている方なのだなと思い、今回は要素に編集というのがある気がして、いろいろお話を聞きたかった。日常編集家としての仕事は、どのようなことをするものなのか、これまで何をしてきたのか。
アサダ:私は本などの編集者とはちがう。いわゆる編集者とはある程度のいろいろな素材を集めてきて、再構成するようなイメージ。私自身はそういった編集の仕事に就いたことはないが、自分の仕事は編集をテーマにしている。もともとは音楽から始まった。今日の「いつの間にか音頭」に近い感覚で、最終的に音楽・踊りになっているのだけど、元の要素は1枚の紙で、かつ、そこに表現されているのは日常的というか、とても個人的な主張であって、鼻歌のようなもの。本来、人が振り向くほどのものではない。音楽については当初ドラムをしていたが、途中からギターと歌も始めた。音楽をしている人はある程度やっていると「どこまでが音楽なのだろう」と思うときがある。知っている人もいると思うが、ジョン・ケージの「4分33秒」という曲がある。4分33秒の間、何も演奏しない。しかし、その間、会場のざわつきであったり、物音であったり、何らかの音がする。演奏はしなくても、ここからここまでと言った瞬間に、それが音楽となっている。要するに鼻歌も舞台上でとなると、1つの音楽になってしまう。その境目にとても興味を持った。人の些細なこと、鼻歌や会話、突然他から入ってきたものであってもいい、レコーディングルームで歌ってしっかり収録して残すのではなく、日常の断片的なものを集めてきて、機械やパソコン等で貼り付けていって曲をつくるということを始めた。そのときのテーマが「日常を編集して音楽にする」だった。音楽の世界ではリミックスともいうが、リミックスの素材が日常の音で、その中に自分の歌も混ざっていて1つの音楽になる。そういった緩やかに音楽ができていく過程に関心を持ち、そこから素材を集めて編んでいくという編集というものに興味を持ち始めた。
手塚:音楽ではない他の取り組みについては?
アサダ:大学を卒業した後、他の仕事をしながら音楽活動をしていた。いろいろな縁があって、1人で作品をつくるのではなくて誰かと一緒に場所や作品をつくる、今で言うアートプロジェクトのようなものに関わり始めた。大阪にあるあいりん地区でアートスペースの運営に携わった。このときに普段出会わないような、自分とは違う分野を専門にしている人たちと出会って、何か一緒にしようという話になり、いろいろやっていった。そこで、一緒にプロジェクトを成し遂げていくアートというものに興味を抱いた。複数のアートスペースを運営していたが、このような場所だからできることがあるのと同時に予算の問題が発生する。継続したくても財政上厳しかったり、建物の老朽化で出ていかないといけなくなったりということがあった。そうした経験の中で、大きな場所を借りるのではなく、自分自身のプライベートな拠点をアートの現場として捉えることはできないのかと考えた。当時それぞれ違う職業の6人で住居とシェアオフィスが交じり合ったような場所を実験的に運営していたが、リビングを開放していて、誰でも来られるようにした。6人で決めていたこととして、月に1回自分が気になる人や話を聞いてみたい人を呼んで、トークイベントを行っていた。本当にいろいろな人に出会ったし、自分の家でもやりたいという人や、既に個展等をしているという人など、様々な人が集まった。プライベートな空間だったものを開くことで広がっていくものがあると感じた。そこで、「住み開き」というプロジェクトが生まれた。「住み開き」というものも日常を編集している。例えば、子どもが独立して子ども部屋を使っていないので、その場所をそれまでと違う利用の仕方をする、少し元の意味からずらして使用するのは編集と言えるのではないか。そして、必ず、編集というのはゼロからモノはつくらない。ある素材があって、そこから文脈をつくっていく作業。
手塚:それでいくと、編集とはとても範囲の大きなものに感じる。
アサダ:コミュニティを編集するという場合もあると思う。近頃は雑誌や音楽・映像に限らず、出来事や社会を編集するという考え方の人も出てきた。
手塚:なるほど、では、アサダさんから私に何か質問は?
アサダ:勝手な解釈ではあるが、私自身もそうなので共感できる部分として、手塚さんのプロフィールを読んで、あくまで「私」というものにこだわっていると感じた。いろいろな人やプロジェクトと関わっているが、自分の体がどう動くかとか、どこに集中したときに自分で思わなかった表現ができるのかとか、いろんな編集をして、いろいろなことをやっている。自分の表現という意識はあると思うが、人と関わりながらも自分の体を観察することがこのようなイベントでどうつながっているのか?
手塚:私は自分の体を観察するというところから、ダンスの作品をつくりはじめた。なぜ観察を始めたのかというと、あまり体をコントロールする技術を持っていなかったからだ。コントロールして踊るやり方を諦めたときに自分に何ができるのかと考え、観察をし始めた。最終的に体の一部分にだけ意識を向けるという方法を思いついた。1か所に集中すると自分の体が反応した。私はこのコントロールされない状態をダンスと言ってもいいと感じた。そういったことを続けていくと自分の内部に入っていくような、深層を下りていくような感覚になるが、自分の内側にどんどんフォーカスを向けていくタイプのダンスだけでは幅が狭すぎると感じ、その逆を試してみたくなった。人の日常的な動きをそのままトレースするという方法だ。それは1番表層の部分を観察するということかもしれない。やっていることを見ていくと、たしかに以前は「私」というものにこだわっていたのかもしれない。だが、やっていくうちに自分自身がただのサンプルに過ぎなくなっていった。例えば、最初は私自身の問題として自分の家族のトレースを始めたが、それを別の角度から見れば「関わり」というものを観察するためのサンプルとも考えられる。トレースを始めた時点で、人との関わりというものには興味を持っていた。そういった関わりについての作品を発表する一方で、「手塚夏子」という個人としての作品を発表していくことに限界を感じる部分も出てきた。関わりというものについて取り組んでいくのであれば、もっとダイレクトに人と人が関わる瞬間を感じられるようなものしていきたい。そして自分自身がその経験から何かを発見したり、一緒にやってくれる人との相互作用が起きていくようなことの方がおもしろいのではないかと思った。一方、作品作りの中で関わりを観察していくと、この時代の人々が抱える閉塞感のようなものを強調して感じるようになっていった。
アサダ:そういう感じはある。今回の短冊も閉塞感を打開しようというものが多かった。
手塚:閉塞感があって、それに人がどう反応するのか、そして、人が反応している世界に自分も生きたいと思う。閉塞感自体は変えられないが、皆が感じているのであれば、感じているということを認識し合って、どう反応して生きていけるのかを皆と探っていきたいという気持ちがあった。
アサダ: 一つに集中すると分裂する、自分をコントロールできない状態を表現するというようなことと、人との関わり、また関わり方自体をどう考えるか、プロデュースしていくかということはつながりがあるような気がする。誰かと表現するということはコントロールできない。他者という自分とは全く違う要素が入る。
手塚:体が勝手に動くというのも一種の反応で、実は観てくれている人の体からの影響も大きく、自分もそれに反応をしている。自分の体を観察すればするほど、関わりの中で自分の体が立ち上がってきたのだということを感じるようになった。中身も含めて関わりの中でできてきたというか、関わりの中で互いをつくりあっていくものだなと感じる。
アサダ:今回、もう一つ興味があるのは鹿児島の民俗芸能。昨年度にリサーチをしたようだが、なぜ、芸能に着目したのか。それはこの音頭とどのような関係があるのか。
手塚:民俗芸能のリサーチ自体は以前に住んでいた地域のお囃子を見たことがキッカケだった。お囃子を演奏している年配者がとてもカッコよくて、その音が私の深いところに強く響いて、胸が掴まれるような感じがした。今までもテレビ等でお囃子見たことはあったはずなのに、なぜ今まで興味を持たなかったのか。自分がしている踊りとそういった芸能との結びつきが一切感じられなかった。そういう現状に目を向けたくなった。また、その芸能が始まったときに人々が何に反応をしてこうなったのかということに強い興味を抱いた。民俗芸能の動きにはなぜそうなったのか由来がわからないものも多い。その時代を生きるにあたってそうせざるを得なかった。そういうものをつくったのはその時のその人たちから湧いて出たエネルギーであったり、のりだったりするのだと思う。背景には飢饉があったり、ひどい統治であったり、そういうものに抗う、拮抗する力が人々に必要だったからではないかと思う。子どもをあえて泣かせるような芸能、また綱引きなども、人と人が拮抗する要素を強く感じる。閉塞感のある、今の世の中で、そういった内側からの力で対応できるのかどうか。何か湧いてくるのか、湧いてきたもので閉塞感に抗うことができるのか。その中に収まらずに自分を自由にすることができるのか。あるいは皆で楽しいことを見つけられるのか、繋がっていけるのか。時代への拮抗力という点で私たちに何ができるのかということを考えていた。
アサダ:今も祭りとして継続されている芸能は多くある。伝統的な芸能ということで残していくことも大事だと思うが、同時に残していくにあたって編集されているところがあると感じる。残っていく部分はもちろん大事だが、今の自分達でも受け取れる、共通の部分であって、当時でないとわからないような感覚・問題意識といったものはどうしても徐々に抜け落ちているのだと思う。発生していくときの生々しい感覚を伝えていくのは難しい。それを伝えようと思ったら、今日のようなイベントになるのかなと思う。何かを立ち上げようというときは不安定というか、固まっていないので何をやっているかわからないが、そういう体験はあまりできるものではない。未完成のものを皆で扱う、楽しむ時間というのは今の時点では伝統ではないが、これを続けていったら伝統になる可能性はある。ルールをしっかりするのと、準備。祭りは決まった時期にあって、そこに向けて準備などして動いていくものだ。例えば、では6月か7月に短冊を書くとして、そのあとに短冊を集めて集会でそれを使った文章をつくるとか、そこに近所のおじさんが来て「これはこうするんだ」と教えてくれるとか、そんな風になっていって、それを記録に残していくというパターンが出来ていく。1日だけではなくて、しきたりのように1年に1回の行事として昇華していくということなのだろうなと思う。さらには、この人は踊りはうまくないが仮面作りはすごいといったような役割も、自然と生まれるのだと思う。踊りだけでなく、短冊を書いたり、仮面を作ったりとやることが多く、いろんな人が参加しやすい枠組みであるところもいい。
手塚:「間にあるもの音頭」やその前にやったものは途中で出入りがしにくいものであったが、今回の「いつの間にか音頭」は途中で抜けた人もいるし、また、途中から入って来やすいものだった。風通しがよい感じでよかった。役割があるというか、自分の得意なところで参加できるというやり方はやりたかったことでもある。
アサダ:この音頭が広がっていくにはどうしたらいいだろう。
参加者:次は外で、もっと人の見えるところでやった方がいいと思う。
アサダ:それはまた今日とは違う反応があると思うし、1年後に、またやっているな、と思う人も出てくると思う。そのうち問合せも来るようになったら面白い。
手塚:皆が越えなくてはいけないハードルが何段階かあって、そのときに越えるか越えないか迷いつつも思い切って越える瞬間が私は好きだ。
ハードルを簡単にする方法もあったと思うが、それぞれが越えた時に、その瞬間のわけのわからなさみたいなものがあって、やりやすいときの盛り上がり方と、わけのわからないときの盛り上がり方は違う楽しさを感じているように思えた。
アサダ:たしかに越えた者同士の共感という感じがあった。ハードルの高さについて思うのが、越えたときに受ける印象がとても生々しい。会場の装飾も発展していくと舞台美術になっていく。衣装もそう。そうなってくると、今度は雰囲気だけ楽しむという人も現れる。今は逆に、雰囲気もできあがっていない素面のような状態なのでかえってハードルが高い。ビジュアルだけでもできていくだけで、また違った次元になるのではないか。
手塚:今日は皆で1つの方向性でやっているが、ワークショップ参加者とお酒の席で話した時にもっと過激なパフォーマンスをやってみたいが、できないという意見があった。皆の雰囲気というものもあるが、そこから脱線するということも考えられる。
参加者:今日は少し地味だと感じた。もっと派手でもいい。
参加者:無理やりでも誘えば入りそうな人もいたが、誘う勇気がなかった。誘い込む役割の人がいてもいい気がする。
参加者:何か、綱引き、駆け引きではないが、反対勢力みたいなものがいて、こうひっかきまわして、また戻るみたいなものがあってもおもしろいのではないかと思う。
アサダ:短冊を書くのに、問題意識等が書いてあるものが多いので、聞き役みたいな人がいてはどうかな。お店のマスターというか、踊った人もまた短冊を書きにマスターのところへ行くような。
手塚:短冊から歌詞にするところがかなり飛躍が必要なので、それを後押しできるような存在がいるとよい。
参加者:たしかに歌にするのが難しかった。
アサダ:短冊に絵があるのもいいと思う。
手塚:絵馬に似ているかもしれない。負の願いもあってもいい。欲や呪いみたいなもの。
スタッフ:そういえばおはら節の踊りを知らないからと、こちらに参加した人がいた。
参加者:おはら節が踊れない人はこちらへどうぞ、と誘導するのもおもしろい。いざ入ったら、こちらの方が難しいかもしれないが。
スタッフ:皆の間から湧き出てきたと思う?
手塚:全員が越えていった感じがよかった。
アサダ: 1人1人が歌っていって、盛り上がりがヒップホップみたいでよかった。
手塚:互いに影響を与え合っている。これは紙とペンがあればできるので、ぜひまたやってほしい。まだ、入らなかった人もいたので、もっと入りやすい工夫が必要かもしれない。
アサダ:手塚さんとしては今後の自身の活動にどのようにつなげていきたいか?
手塚:今回の「いつの間にか音頭」は自分の中で最先端なので、この先というのはまだ見えない。隣の人は何を考えているのか、といったことにずっと興味があったが、もっとリサーチしたいと思った。
スタッフ:今回、参加者の年齢の幅が広いと思った。だが違和感もなく、お互いにへつらうというわけでもなく、ワークショップがここまで進んでいったことに感動した。
手塚:たしかに今回は年齢ものりも文化も感じ方も違う人々が共に生きていけるような「間」というものになり、それはとても嬉しい。
アサダワタル プロフィール
日常編集家。言葉と音楽を駆使して、日常にヘンテコかつふんわり幸せなコミュニケーションを創作する。著作に『住み開き』(筑摩書房)、『コミュニティ難民のススメ』(木楽舎)、『表現のたね』(モ*クシュラ)、その他編共著多数。CDに『歌景、記譜、大和川レコード』(路地と暮らし社)など。各地で様々な音楽ワークショップやアートプロジェクトを企画演出し、ドラムを担当する「SjQ/SjQ++」ではアルスエレクトロニカ2013サウンドアート部門にて優秀賞受賞。大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員、京都精華大学非常勤講師。
http://kotoami.org/
ドキュメント「いつの間にか音頭」~わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるプロジェクト2016
https://youtu.be/Z-61I2mputQ
撮影:小久保 葵、かごしま文化情報センター(KCIC)
音声:古田 要
編集:小久保 葵
●間にある何かについて
今まで、日本を始めインドネシア、韓国、スリランカなどさまざまな国や地域の民俗芸能を見ながら、そこで醸成されている空気に魅了されてきた。それは時間を超えた旅をするような感覚をもたらしてくれる。現代の私が生きている世界と違う何かがそこにはある。そこでは人と人の間から湧いてくる何かが主役で、それぞれの個々人は流れの結び目のような存在として見えてくる。現代においては、木があって花が咲いて地面があって空があって人がいて、という景色もそれぞれを個々の存在として、たとえば子どもの頃のお絵描きやおままごとみたいに、別々のものとして組み立てて見ることが多い。しかし、土がなくては木も生えず、水がなくては土もなく、流れがなくては水も動かず、人もまたそれらの多様な要素との関係があって初めて存在するものなのだと考えてみる。つまりそれらの間にある何かに意識を向けてみるとどうなるか。あまりにも基本的な事なので見過ごされがちだが、それを見過ごしてしまうような偏った視点を私たちはいつのまにか身につけてしまったのかもしれないとも思う。体の悪い部分があれば切り取り、害獣だと言っては駆除し、人と少し違うと言っては障害の種類が増え、経済効果があると言っては商業施設を建て、それぞれ個別の問題に向き合うことで、それらの関係において起きること、それらの間にあるものごとを無視し続けてきたのかもしれない。だから、民俗芸能が次々と生まれていった時代において主役だった「間にある何か」に意識を向けたいと思うようになっていった。そんなとき、KCICから私の取り組みを活かした企画を鹿児島でやってほしいという依頼が来た。しかも時間をかけて企画に取り組めるというのである。そこで、1年目は鹿児島の芸能をいくつか見たり、そこに関わる方との交流をする機会を得た。どの芸能も、それぞれの芸能が生まれた時代に思いを馳せつつ興味深く鑑賞し、それについての対話を重ねた。その中でも特に、「岩戸の疱瘡踊り」は、かつて疱瘡という恐ろしい病気が蔓延した時代に、人々が共に手を取り合って深く祈るという、その状況への反応から立ち上がった芸能であり、それが今もその地域の人々の「共に生きる力」となっていることに深い感動を覚えた。そして今年はそれを踏まえ、現代の私たちが今この時代にどう反応し得るのか?という問いを元に、人と人の間からうたや踊りが湧き出てくるような取り組みをすることになった。
●同調圧力とも個別性とも違う場所をみつけたい
人と人がともに生きるということを強調してエスカレートしていくと、同調圧力をかけたり、人と違うことを認めない空気が人を排除したり、反対意見を言えない空気が人を悪政に加担させてしまうというケースが確かにある。しかし、それを避けるために「個別性」を強調するという方向でものごとは解決するのだろうか?個人個人、それぞれの考え方があるのだから、自分でとことん考えるべきであるというように。確かにそういったことが必要な部分もある。しかし、人は関わりの中でつねに何かに影響され反応してしまう生き物でもある。それがある意味で自然のなりゆきなのだ。自然のなりゆきを断ち切るように個別に生きるということはとても難しいことでもある。また、個別に切り分けられたら人はとてもとても弱い存在になり、組織やシステムの歪みによって起きてしまう「生きづらさ」に向き合うという意味でも心もとない。
●視点の置き方を変えた時代の壁
両方の難しさについて考えていくと、現代の偏った視点について考察するヒントが少しずつ見えてくるように思う。民俗芸能を見たときに感じる現代とのギャップにも関係しているが、それを、西洋近代化する前の世界と現代との視点の違いという二つの軸で考えてみる。なぜかと言えば、西洋近代化する前とその後で一番変わったのは「視点」ではないか?と考えるからだ。そのころ、日本は海外から開国を迫られ、自分たちの国に対する見方を大きく変える必要に迫られていった。それは列強の国々が世界の国々をどのように植民地化して手に入れるか?という視点に立って国々を眺めていたこととも関係するかもしれない。そして「国境」として、「条約」としてどのように線を引くか?といった「線引き」のための基準をつきつけられることになっていった。国と国の間に線を引くという行為はそれらの土地を真上から見る視点、すなわち「俯瞰した視点」によるものであり、おそらく「条約」もそのような「俯瞰した視点」から見た基準によって定められる。そして列強のそのような基準に見合うように、自ら習俗を変革し、芸能を規制し、一人前の国と認められるための血の滲むような努力を進めていった日本では、その俯瞰した視点から己を見る習慣が身についていったのかもしれない。そして文化的にその前後を隔てる大きな壁が築かれたと想像してみる。
●移動し続ける視点がもたらす「間」の感覚
そういった俯瞰した視点から見る世界に変化する前、日本ではどのような視点を持っていたのだろうか。その視点の持ち方を想像できるようなことが今でも残っている。たとえば関西地方では相手を指して「自分」と言ったりする。これは視点を動かして相手から自分を見たりすることと関係しているのではないだろうか。また、話に出てくる登場人物の視点からものごとを見たり、あっちから見たり、こっちから見たり視点を動かしながらコミュニケーションしているから主語が曖昧なのかもしれない。英語圏の論理からすればロジカルでなく、少しずつ話題がずれ、成り行きしだいの会話になってしまう。しかしその間で揺れる主題が、浮かんだり沈んだりしながら少しずつ結論を導き出し、どこかに辿り着いたりもする。今でも私たちにはそうやって視点を動かしながら話す傾向があるかもしれない。どこまでが相手の感じてることでどこからが自分が感じていることか?わからなくなる。それは、その間にあるものごとへの感受性があるからなのかもしれない。無意識に「間」を手探りしている。そして、会話している時はその間にあるものが会話を引っ張ったり動かしたりしている。しかし、それは俗に言う「空気を読む」というのとは少し違う。「空気を読む」のはそこに見えない圧力があったり、見えない不文律のようなものがあったりするときに、それを知らず知らず手探りしてしまう状態であると考える。先程出た同調圧力というのもそのひとつかもしれない。その違いにはできるだけ自覚的でいたい。人がそれぞれ、その時々の気分を尊重し、それぞれが内発的で居続けることができる「間」というものがとても重要なのだと思う。そういった「間」から会話の内容が立ち上がるように、その昔、うたも人と人の「間」から不意に立ち上るようなものだったのかもしれない。そしてそういったうたを私たちはいつの間にか失ってしまった。そして、そういったうたや拍子の延長線上にある踊りも同時に失っている。
●のりの違いをそのままに「間」を探る
そういった思いを胸に、2年目である今回は人と人の間からいつのまにかうたが湧いてくる、そんな取り組みがしたいという思いを胸に抱いてワークショップが始まった。人は常にそれぞれの内発性を抱いているから、人によっていろいろなのりがある。今はネット時代で、同じのりの人が集まりやすい世の中になったように思う。けれども、同じのり以外の人を知らぬ間に排除してしまう危険というのがいつもあるように思う。また、同じのりの中でも、さらに同じのりの人とつながる、というように、細かくのりが分割されてしまうようにも感じる。例えば、生き方や教育や世界観について、ある正しさを基準にした人がちょっとした基準の違いで喧嘩別れしてしまったりもする。そういったことは「考え方」の違いというよりは、のりの違いなのではないだろうか?と最近になって考えるようになった。なぜかというと同じ考えの人の醸し出す独特の空気感というものがあるように感じるからだ。そして、人を毛嫌いするときはその空気感そのものを毛嫌いしてしまう傾向があるようにも思う。いろいろな人がいるから面白い世の中なのに、これでは、多様であることがむしろ生きづらいような世の中になってしまいそうである。それではとてもつまらない。そこで、のりの違う人と人が同じ空間にいて居心地が良く、そんな時空間からうたが醸し出されるような状況はどうやったら生まれるか?というとても難しい取り組みをすることになった。課題が難しすぎてワークショップでは困難を極めた。参加者それぞれの内発的な気分からアイデアを出してもらおうと思っても、みんなどんなアイデアを出せば良いかわからなくなったり、何をどうしようとしてるのか?さえわからず途方にくれる時間もあった。なぜなら、こういったことはごく自然に人々の間から生まれることであるのに、それ自体を目的としたワークショップであるというのは、すでに「間から自然に」ということに反している。つまり矛盾を抱えたワークショップであったため難しいのは当然である。
●時代への反応を芸能に
しかし、そういったジレンマを乗り越えて、イベントとして発表をする直前、少しずつ参加者の思いが言葉になっていった。それは、きれい事だけじゃない、現代の鹿児島を生きる人々の声であった。ところで、西洋近代化以前から続く芸能はどのように生まれたのだろうか?それぞれの時代にはそれぞれの生きづらさがあったのだろうと想像してみる。そして、そういったことに人々のからだの内側からさまざまな反応が生じ、うたわずにはいられず、踊らずにはいられず、そうやって困難を乗り越え生きようとする力になっていたのではないだろうか?たとえば疫病や、圧政や、飢餓があるような時代には、それらを遠ざけるために祈り、抵抗し、邪気を払うために本気で困難に向き合っていたのだろう。火を焚き、鐘や太鼓を鳴らしてうたい、踊った。そう思うと、今回ワークショップ参加者の思いがもしうたや踊りに活かせたら、時代に反応した芸能にすることができる。そう感じ、私の中でアイデアが生まれた。それは、「吐き出したいこと」や「こうあったらいいなあという希望」などを書いてもらうというアイデアである。そして、それを短冊に書いてもらい、本番の会場に紐で吊るしていった。
●何を超えたらうたになるのだろうか?
しかし、最後の難関は、そういった「思い」を「うた」に昇華させることだ。そのままを歌詞にすることもできるけれど、個人個人を超えた「間」の言葉にするにはどうしたら良いか。知恵を絞って考えたのは言葉を他の何かに「見立てる」ことである。たとえば「売れたい」という言葉を書いた人がいて、それを別の何かに見立ててみる。しかも、少しだけ現実離れした物事へとズラしてみる。たとえば「金でできたロケットになって星空を突き抜けたい」のように。そうすることで、さまざまな人が想像を働かせ、その言葉に耳を傾ける響きを持つことができる。考えてみたら、古い芸能で行われるさまざまな儀式は、植物や切り紙や食べ物や水など、何かを見立てて払ったり清めたりすることが多い。だから、見立てることで、「間」になんらかの影響を与える力を持つこともあるかもしれない。そう考えて、見立てた言葉は「歌詞」にすることになった。その「歌詞」の内容をオノマトペのような言葉に置き換えて踊りの士気をあげる呪文を生み出し、その呪文を体の動きに置き換えることで踊りが生まれるというように、「いつの間にか音頭」の仕組みが編み出されていった。
●複数ののりが混在するとどうなるか
さまざまな試行錯誤を乗り越え、ようやく「いつの間にか音頭」の体裁が整った本番の日、会場では天井から吊るされた数々の短冊が、鹿児島の人々のつぶやき声のようなにたくさん連なっていき、床には歌詞の札が並んだ。そして、そこで輪を作って、「いつの間にか音頭」のうたと踊りが湧き上がり、踊りの輪に入ったり出たりしながら佇むワークショップメンバーの中からたくさんののりが生まれていった。その日は鹿児島市で開催される「おはら祭」当日だったので、町全体も踊りムードでいっぱいだった。時々、飛び入りで踊ったりうたったりしてくれる子どもや大人がやってきては、輪の中に入ったり出たりしていった。また、時々別の輪ができて、小学生が自分の書いた詩につけてもらった初音ミクの音楽にのってお立ち台で踊ったりする場面もあり、周りは大いに盛り上がった。こうやって複数ののりが同時に存在できること、その中で誰も孤立したり、無理にのりを強要されることもなく、穏やかなのりの山や谷を楽しめる時空間が生まれたことが心底うれしかった。立ち会ってくれたトークゲストのアサダワタル氏が本気で参加してうたを作ったり踊ったりしてくれたことも大きかった。参加したワークショップのメンバーには途中どうしたら良いかわからない不安な気持ちにさせてしまったこともあったけれど、また、そこからうたや踊りが生まれてくることを信じることが難しい時もあったけれど、時間をかけて日々を過ごし、お互いの間に生まれていった可能性が最後に花を咲かせてくれた。このすばらしい機会に感謝すると同時に、この花が、種を実らせこの地に少しずつ根付き広がっていくことを心から願っている。
昨年度から2年間、KCICの地域×アート企画として、ダンサー・振付家の手塚夏子さんと共に、ワークショップを通じてここに暮らす人々の声を聞き取り、その過程で鹿児島の地と向き合いながら、この地で「うたと踊り」を立ち上げる試みを行いました。
鹿児島には多くの伝統芸能保存団体が存在し、棒踊りをはじめ、太鼓踊り、鉦踊りなど、脈々と地域に続く伝統を年配者から後輩や子ども達へと受け継いでいます。また、近年鹿児島へはIターンやUターン者が増え、そうした人々による新しい動きも見られるなど、古きものと新しき潮流が相を描いてうごめいているような、そんな印象がありました。KCICとして、この地域とアートを掛け合わせてものを作ることを考えたときに、今の鹿児島を反映させたものをつくるには、これまでにない新しい手法で臨む必要があると思いました。その手法として、今の鹿児島を生きる人々と、鹿児島の外から招いたアーティストが共にワークショップを重ねながら、毎回その場で実験的な試みを行い、内容を展開させて積み上げていくやり方を選択しました。
手塚さんがこの2年間、何度も鹿児島に足を運んでくださる中で、その姿勢を間近で見続けてきましたが、普段私達が気づかずに過ごしている、目には見えない様々な規制、圧力、制約、そういったものを手塚さんは敏感に感知しているように見受けられることがありました。繰り返す日常に麻痺すると見えなくなる、そこにある境界線。それらは時に人を分類したり、理解しようとする意思を遮断したり、想像力を制御したりする力を持っています。そして手塚さんは、アーティストという境界線を超える存在である故に、その境界自体の存在をあぶりだしていたのかもしれません。私達が自覚すらできていないものに、その身をもって気づかせてくれる、アーティストとはそういう存在なのかもしれません。
当プロジェクトでの市民を対象としたワークショップでは、手塚さんが何かを作って提示するのではなく、あくまで参加した人々の声から展開させて、作り上げていく方法がとられました。ここに集まっている人々の間から湧き出てくるものを、か弱くても見過ごさず、それらを丁寧に紡いでいくこと。しかし安易に何かの型にはまることは注意深く避けることに注力されているようでした。途中、参加者の奥ゆかしさ、思慮深さ故に本音がなかなか出てこないという状況がありました。そういった人々の性質にチューニングを合わせつつ、揺さぶりをかけるための様々な試行錯誤が、粘り強くなされました。本当に自分が心の奥で思っていること、感じていることをまずは自覚し、それをうたに変えていく仕組みを、一つずつ積み上げていきました。アーティストの力技で見栄えのいいものを作るのではなく、どうなるかわからないけど、ワークショップ参加者の声に耳を澄ませ、その展開の先をつなげていくこと。用意された型にはまるのではなく、あくまで参加者主体の場であること。
イベント後、ワークショップ参加者に感想を聞くと「ワークショップを体験した後では、以前より人とコミュニケーションをとることがうまくなったと思う」と言った男性がいました。それはこの取り組みが、一つのテーマを超え、人々の持っている普遍的な部分にアクセスし得たということだと思います。一つの企画から、想像していなかったような多様な効果が生まれたこと、これは意義のあることだと思います。
昨年度行った伝統芸能のリサーチでは、ただ古いものをそのままの在り方で次の世代へ伝えるのではなく、「今」という時代やその時々の状況にあわせながら、そして許容しながらその芸能を後輩や子ども達に伝えている保存団体の方々の姿がありました。そこから私たちは、形を時代に沿わせたとしても、大切な部分がそのうたや踊りに保存されている故に、それらをうたい踊ることでその当時の人々の想いに、今を生きる私達が共感することができるのだということを知りました。
そして私たちの生活の中に存在する、目には見えない様々な境界線を超えるためには、アクションを起こすこと、声を挙げることが必要とされたのだと感じました。それがうたや踊りにつながって、うたい踊ることはもしかしたら、境界を超えるための根源的な身振りなのかもしれません。
「いつの間にか音頭」イベント当日は、ここ鹿児島に生まれ育った人も移住者も、子どもも年配者も、ワークショップに通しで参加してきた人も飛び入りの人も、踊りの振りを知らなくてもうたの歌詞を知らなくても、様々な人たちが音頭に参加し、共に踊っていました。踊りたくなったら踊り、うたいたくなったらうたう。あくまで自分主体の場であり、人々が思い思いに自分を発露し、互いを受け容れ、輪になって廻る。それは大げさに言えば希望の場に見えました。ここ鹿児島において、それぞれの人の境界線が、少しずつ混じり合い、伸びたり縮んだり、出たり入ったり、そういう曖昧な場が生まれたこと、それはとても意味のあることだったと思います。
強固な何かを完成させたのではなく、様々な可能性の余地を残したやわらかいものが生まれました。リアルであざやかな、この地と人々の「今」が立ち現れた瞬間でした。
平川渚(KCICスタッフ)
「地域伝統芸能」、それは、私たちの根源的な部分にあるものだと、気づかせてくれたのは、KCICの初年度の企画で、オーストラリア人アーティスト リチャード・バイヤースに会った時のことでした。彼は、2012年、宮城県石巻市の日和アートセンターにアーティスト・イン・レジデンスで長期滞在をした際、東日本大震災で遠隔地に避難した人々が、地元の伝統芸能「雄勝町伊達の黒船太鼓」を演奏する為に世代を超えて集まるようになり、人と人をつなげ、コミュニティが再生されていった、ということを聞いたのです。もともとこの芸能に親しんでいた人も、そうでない人も、この地域に古くから息づく文化に、地域の愛すべき歴史やアイデンティティを見出し、離れた地にいてもこの地固有の文化を守ろうと、思いを共有したのだ、とのことでした。
地域のお祭りで奉納される踊りが、町内会など自身の所属するコミュニティで受け継がれる儀礼的な決まりごと以上の、当時の社会を生きる人々の深い思いが表現され、また大切な歴史を表すもの、唯一無二の貴重なものであることを、私自身、これを機に知りました。それからというもの、鹿児島の太鼓踊りは、当時出征する家族や友人を鼓舞するための勇ましい踊りだという歴史を知るとその裏にある悲しさを隠すようにも私には見えます。また、疱瘡踊りには、流行した病を遠ざけるために顔を隠した踊りで、地域の人々が大切な家族や友人の健康を守るための必死な思いを持って踊っているようにさえ感じ、時空を超えて当時の人々の生活に思いを馳せることができました。もちろん、その感じ方が正しいのか否かは誰にもわかりませんが、確実に、地域の歴史に対する愛着が変わりました。
そして2015年、KCICでは手塚さんとの企画が立ち上がりました。コンテンポラリーダンスという現代のダンスを職業としている方が、物事の本質に眼差しを向けるアートの視点で日本とアジアの多様な伝統芸能を調べているとのこと。豊かな伝統芸能に溢れる鹿児島を一緒にリサーチし、保存団体の方と会ってその思いを学び、伝統芸能と言われる踊りが持っている”時代を映し出す”踊りを作ってみよう、そしてそれを記録する電子書籍を作ろうということになったのです。
2015年は地域のリサーチ、そして翌年の2016年は、いよいよ鹿児島の人々の踊りづくりに取り組みました。6月にKCICで、手塚さんと、国内外の様々な地域や時代に、どのようにして人々は踊り始めたのか、数々の事例を映像で見る会を企画。そして、興味のある方々と一緒に踊りを作るワークショップを開催し、約15名の参加者が手をあげてくださいました。7月〜10月まではワークショップ、11月に発表会を実施。詳しくは、本書のレポートにありますが、参加者は5歳〜70代まで踊りを初めて作るという方ばかり。しかしここでは、上演することを目的として振付家が旗振り役となって全てを決めていくのではなく、いま、わたしたちは何を感じ、何を思うのか、それが、この踊りづくりを先導していくものです。手塚さんは、複数の方々の"思い"から踊りが生まれる状況を生み出すために、「人と人の間から湧き上がるもの」を大切にしていました。それは簡単なことではありません。これは、踊りの作品を作る中でもかなり異質な取り組みで、通常の作品制作では見たことのないものでした。
そもそも、踊りの作品を作るときは、何らかのテーマがあり、それに基づき、動き(踊り)や音楽や歌を決め(音楽が先にあり、踊りを振り付ける場合も多い)、作品を作ります。それを踊り手(ダンサー)は何度も練習して、決められた動きを美しく踊る姿を披露する発表会を行う、ということがあります。むしろ、そういったスタイルが一般的で、この場合、踊り手と作品の関係として、その良し悪しは、練習量や身体能力に大きく影響します。
しかし、この「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるプロジェクト」は、今を生きる"わたしたち"の感じていることは何なのか、社会への思いは何なのか、を共有する場を踊り手と作り、それを表現する動きや歌詞はどういうものか、を探るものでした。これは、一般的な興行作品(チケットを売り、収入とするものや、動員数が作品の評価基準となるもの)ではありません。踊り手が一連のワークショップでより注意深くわたしたちの生きる社会に眼差しを向け、同じ地域や時代に生きる人のことを想像 / 理解する深い体験の場なのです。
発表会の日、ワークショップ参加者や街のひとへのリサーチを通して、あなたが今「吐き出したいこと」「こうなっていたらいいなと思うこと」「面白いと思うこと」を集め、短冊にし、会場の天井から下げました。そこには、政治や社会、学校や職場、家庭について、ポジティブなこともネガティブなことも、自分自身への問いかけも社会への希望や欲求もありました。言葉を集めているとき、お客様から「ツイッター(つぶやきを投稿するソーシャル・ネットワーキング・システム)のようなもんだね」という意見も。そうです、SNSで誰もがつぶやくような、ちょっとした思い、でも、"聞いてる人がいなくても言いたいこと"、"共感してくれる人がいるかもしれない"という内に秘める熱い希望なのです。それら、人々の思いに囲まれた会場で、踊り手は、それらを基にした歌を作って歌い、手足を大きく動かして、その場にいた方々とグルーブ(高揚感のようなもの)を生み出していくのでした。
さて、これらのワークショップと発表会を終えて、お祭りなどで見られる「伝統芸能」の踊りは、当初、どんな想いでこの動きや歌にたどり着いたのか、思いを巡らしてみたいと思います。それは、この経験も相まって私には圧倒的なリアリティを持って迫って来ました。その時代の人が大切な家族、そして社会をどう感じて生きてきたのか、それはつぶやきのようなささやかな思いが踊りという表現に昇華し、広がっていったのではないでしょうか。
その地域の歴史を見て回り、現代とつなげることにもなった2年間。この試みは地域で起きていることに注目し、何を強要することなく、そこに集まる人々と思いを共有する仕組み「いつの間にか音頭」となりました。
四元朝子(KCICチーフ)
「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるプロジェクト」実施内容一覧
2015年7月 伝統芸能保存団体「中山下虚無僧踊り」稽古風景見学
2015年9月 「コンテンポラリーダンサー・手塚夏子さんと行く 花尾神社・秋の大祭」バスツアー実施、伝統芸能「花尾の太鼓踊り」、「西上の太鼓踊り」、「大平の獅子舞」見学
2015年9月 日髙民謡薩州会・日髙加正山氏への聞き取り
2016年1月 伝統芸能保存団体「岩戸の疱瘡踊り」関係者聞き取り
2016年2月 電子書籍「断片の脈動~現代に息づく伝統・民俗芸能」発行
2016年6月 「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるワークショップ 第1回目 地域×アート鑑賞会 未来のまつり、今日のまつり」実施
2016年7月 「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるワークショップ 第2回目」実施
2016年8月 「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるワークショップ 第3回目 ゲスト講師:日髙加正山」実施
2016年9月 「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるワークショップ 第4回目」実施
2016年10月 「わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるワークショップ 第5回目」実施
2016年11月 「いつの間にか音頭」実施
2016年12月 電子書籍「いつの間にか音頭~わたしたちのうた、わたしたちの踊りをつくるプロジェクト」発行
2016年12月27日 発行 初版
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