「文字による文字のための文字のサイト」type.centerが、文字にまつわる小説・随筆などをまとめた「文字文学」のシリーズ第2弾。収録作品は、「楽書」薄田泣菫/「余と万年筆」夏目漱石/「辞書」折口信夫/「黄山谷について」高村光太郎/「神神の微笑」芥川龍之介/「梔子」ナベタン・ヘッセ/「新作いろは歌留多」坂口安吾 の7篇。解説は出宰漱太郎。
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type.center 編
『茶話 大正五(一九一六)年』より
楽書
9・13(夕)
京都といふ土地は妙な習慣のあるところで、少し文字を識つた男が四五人集まると、屹度画箋紙か画絹をのべて寄書をする。亡くなつた上田敏博士は、そんな時には定つたやうに、ヘラクリトスの、
「万法流転」
といふ語を書きつけたが、それが少し堅過ぎると思はれる場合には、『松の葉』のなかから、気の利いた小唄を拾つて来てそれをさら/\と書きつけた。
博士は詩歌も巧かつたし、警句にも富んでゐたから、自分の頭から出たそんな物を書きつけたらよかりさうなものだのに、何うしたものか、何時でも「万法流転」と『松の葉』の小唄を借用してゐた。
むかし王羲之が蕺山といふところに住んでゐた頃、近所に団扇売の姥さんがゐた。六角の団扇で一寸洒落た恰好をしてゐた。ある時王羲之の家へも売りに来たが、こゝの主人は、唯の一本も買はないで、加之にその団扇へべた/\楽書をした。(どこの国でも文学者や画家などいふ輩は、滅多に物を購はないで、直ぐ楽書をしたがるものなのだ。)
それを見ると、姥さんは火のやうに憤つて、折角の売物を代なしにした、是非引取つて貰はうと懸合つたが、王羲之は黙つて財布を揮つてみせた。財布には散銭一つ鳴つてゐなかつた。
「何そんなに怒るがものは無いさ、俺の楽書だと言つたら、誰でもが手を出すよ。」
王羲之は落着き払つてこんな事を言つた。
姥さんはぶつくさ呟きながらも出て往つたが、町へ持つて出ると、色々な人が集つて来た。
「なに王羲之の楽書だつて。」
と言つて、めい/\ふん奪り合ひをして、高い値段で引取つて往つた。
姥さんはにこ/\もので帰つて来た。そして六角団扇をしこたま抱へ込んで、また王羲之の許へやつて来た。
「さ、遠慮なしに、も一度楽書をして呉れさつしやれ。その代りには気に入つたのを一本お前さんに進ぜるからの。」
と言つたが、今度は王羲之の方が相手にならなかつた。
王羲之がどんな文句を塗つたか、私はその団扇を買はなかつたから、そこ迄は知らない。
底本:「完本 茶話 上」」冨山房百科文庫、冨山房
1983(昭和58)年11月25日第1刷発行
1984(昭和59)年11月15日第8刷発行
底本の親本:「大阪毎日新聞」
1916(大正5)年4月12日〜12月22日
初出:「大阪毎日新聞」
1916(大正5)年4月12日〜12月22日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「6月30日」、「7月28日」に「(夕)」がないのは、底本通りです。
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
※底本凡例に、「内容は別個で題を同じくする作品は題名の直下に*印を付し、*印の数の違いによって弁別することとした」とあります。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2013年5月7日作成
2014年6月7日修正
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此間魯庵君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。夫では一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、軸が減ったから軸丈易えて呉れと云って持って来たのがあるが、此人は十三年前に一本買ったぎりで、其一本を今日まで絶えず使用していたのだというから、是がまあ一番長い例らしいと話した。して見ると普通の場合ではいくら残酷に使っても大抵六七年の保証は付けられるのが、一般の万年筆の運命らしい。一本で夫程長く使えるものが日に百本も出ると云えば万年筆を需用する人の範囲は非常な勢を以て広がりつつあると見ても満更見当違いの観察とも云われない様である。尤も多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちに飽が来て、又新しいのを手に入れたくなり、之を手に入れて少時すると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、夫から夫へと各種のペンや軸を試みて嬉しがるそうだが、是は今の日本に沢山あり得る道楽とも思えない。西洋では煙管に好みを有って、大小長短色々取り交ぜた一組を綺麗に暖炉の上などに並べて愉快がる人がある。単に蒐集狂という点から見れば、此煙管を飾る人も、盃を寄せる人も、瓢箪を溜める人も、皆同じ興味に駆られるので、同種類のもののうちで、素人に分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない。万年筆狂も性質から云えば、多少実用に近い点で、以上と区別の出来ない事もないが、強いて無くても済むものを五つも六つも取り揃えるのだから今挙げた種類の蒐集狂と大した変りのある筈がない。ただ其数に至っては、少なくとも目下の日本の状態では、西洋の煙管気狂の十分の一も無かろうと思う。だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要に逼られて机上若くはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支あるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、兎に角高価の割には大変需要の多いものになりつつあるのは争う可らざる事実の様である。
万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。丸善へ取り寄せてあるのでも既に六十五円とかいう高価なものがあるとか聞いた。固より一般の需要は十円内外の低廉な種類に限られているのだろうが、夫にしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品と認めなければならないものを愛玩するに適当な位進んで来たのか、又は座右に欠くべからざる必要品として価の廉不廉に拘わらず重宝がられるのか何方かでなければならない。然し今其源因を一つに片付けるのは愚の至として、又事実の許す如く、しばらく両方の因数が相合して此需要を引き起したとして、余はとくに余の見地から見て、後者の方に重きを置きたいのである。
自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人なのである。始めて万年筆を用い出してから僅か三四年にしかならないのでも親しみの薄い事は明らかに分る。尤も十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別として一本呉れたが、夫はまだ使わないうちに船のなかで器械体操の真似をしてすぐ壊して仕舞った。夫から外国にいる間は常にペンを使って事を足していたし、帰ってから原稿を書かなくてはならない境遇に置かれても、下手な字をペンでがしがし書いて済ましていた。それで三四年前になって何故万年筆に改めようと急に思い立ったか、其理由は今一寸思い出せないが、第一に便利という実際的な動機に支配されたのは事実に違ない。万年筆に就て何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。そうして夫をいまだに用いているのである。が、不幸にして余のペリカンに対する感想は甚だ宜しくなかった。ペリカンは余の要求しないのに印気を無暗にぽたぽた原稿紙の上へ落したり、又は是非墨色を出して貰わなければ済まない時、頑として要求を拒絶したり、随分持主を虐待した。尤も持主たる余の方でもペリカンを厚遇しなかったかも知れない。無精な余は印気がなくなると、勝手次第に机の上にある何んな印気でも構わずにペリカンの腹の中へ注ぎ込んだ。又ブリュー・ブラックの性来嫌な余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割って呑ました。其上無経験な余は如何にペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余は未だかつて彼を洗濯した試がなかった。夫でペリカンの方でも半ば余に愛想を尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限って、此正月「彼岸過迄」を筆するときは又一と時代退歩して、ペンとそうしてペン軸の旧弊な昔に逆戻りをした。其時余は始めて離別した第一の細君を後から懐かしく思う如く、一旦見棄たペリカンに未練の残っている事を発見したのである。唯のペンを用い出した余は、印気の切れる度毎に墨壺のなかへ筆を浸して新たに書き始める煩わしさに堪えなかった。幸にして余の原稿が夫程の手数が省けたとて早く出来上る性質のものでもなし、又ペンにすれば余の好むセピヤ色で自由に原稿紙を彩どる事が出来るので、まあ「彼岸過迄」の完結迄はペンで押し通す積でいたが、其決心の底には何うしても多少の負惜しみが籠っていた様である。
余の如く機械的の便利には夫程重きを置く必要のない原稿ばかり書いているものですら、又買い損なったか、使い損なったため、万年筆には多少手古擦っているものですら、愈万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもって見ると、其他の人が価の如何に拘わらず、毛筆を棄てペンを棄てて此方に向うのは向う必要があるからで、財力ある貴公子や道楽息子の玩具に都合のいい贅沢品だから売れるのではあるまい。
万年筆の丸善に於る需要をそう解釈した余は、各種の万年筆の比較研究やら、一々の利害得失やらに就て一言の意見を述べる事の出来ないのを大いに時勢後れの如くに恥じた。酒呑が酒を解する如く、筆を執る人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。ペリカン丈の経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外の万年筆も試してみる必要があるだろう。現に此原稿は魯庵君が使って見ろといってわざわざ贈って呉れたオノトで書いたのであるが、大変心持よくすらすら書けて愉快であった。ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡ぼしをした積なのである。
底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房
1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
※吉田精一による底本の「解説」によれば、発表年月は、1912(明治45)年6月30日。
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年5月10日作成
2005年11月4日修正
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日本の辞書のできてくる道筋について考えてみる。
そういうとき、すぐにわれわれは『倭名類聚鈔』を頭に浮かべる。それより前には辞書がなかったかというと、以前のものが残っていないというだけのことで、源ノ順が突如として辞書をこしらえたというのではない。『倭名鈔』があれだけ正確な分類をしていることからみても、それが忽然と出てくるわけはない。それまでに、辞書を作る修練を日本の学界は積んでいたのである。漢字を集めた辞書のほかに、日本語を集めたものができていたと思われる。日本語を記録することがもっと早くからあったのだ。『倭名鈔』をみても、漢字の名詞、熟字を示して、それに和訓を付けている。ときによると、訓をつけることができなくて、訓を付けてなかったり、または、無理に付けたりしている。たとえば『倭名類聚鈔』には、「髭」「鬚」をそれぞれ「上つ髭」「下つ鬚」などと訓んでいるが、こんなことはいわない。日本語としては嘘の話だが、漢字を伝えるためには、このように語を新たに作らなくてはならぬことになる。
ともかく、漢字を出して、それにあたる訓を考えている。これをもう少し歴史的に、一つの過程として考えると、言語を覚えるという、日本人が昔からもっている努力のあらわれということはいえる。
歌ことば
倭名鈔は、醍醐天皇の第四皇女勤子内親王の仰せによって、源ノ順が奉ったといわれている。平安朝盛期に源ノ為憲の『口遊』という書物――純然たる辞書ではないが、性質は似ている――が出た。つまり、文字を覚えさせるためのものだ。これは近代まで続いている。いまの若い方々が習った書き方の手本や読本には、もうそういう色合いはなくなっていたろうが、私の習った頃は文字ばかりである。文字を覚えることは、同時にことばを覚えることと考えていた。書き方の手本には名詞ばかり集めてあるか、または、名詞を多く含んでいる往来物を書いている。辞書では『節用集』である。言語を覚えさせるために、言語をあらわす文字を集めている。これは平安朝まで溯ることができる。『倭名類聚鈔』『新撰字鏡』『伊呂波字類抄』、皆そうである。その前は、ことば――大事な語――を覚えさせることだった。だから日本では、歌のうえのことばを早くから覚えさせている。枕ごと、あるいは歌枕というようなものを覚えさせている。平安朝の文学をみると、随所にその俤がみえる。そういうことばを覚えることは、古くは信仰のためであって、後には、文学のために覚えることになる。言い換えると、信仰をもって伝えられているもののなかの文章を習ってことばを覚える。それによって、高い階級の人としての資格を作る。
だから早くから歌ことばにたいする知識はあり、それがだんだん書物をもつようになった。歌ことばを集めるということが、歌論、歌学と一つになってきて、歌学の一つの内容になってきた。われわれの口の文学は、追いつめれば、ことばになってしまう。日本文学の病弊をいちばんあらわしている俳諧は、単一な語の勢力に帰してしまう。約束的な語を入れねばならぬ。ともかく、辞書ができる以前にすでに、古代の語を集めようとする欲望が日本人にあった。生きていることばではなく、文学語である。そのあらわれが倭名鈔に結びついてできあがった。倭名鈔は中国の辞書の延長ということもあるが、もっと根本には右の欲求があった。
倭名鈔のできたのが、日本の辞書のできはじめではない。日本紀にその名のみえている『新字』も辞書だとすれば、天武天皇の時代で、とび抜けて早くからあったことになるが、それはちょっと信じられない。辞書は、倭名鈔の出るもっと古くからあったと同時に、その時代に通用している語と関係のない、古くからわれわれが持っていたと考えられていた語が、辞書に作られるという傾向が古くからあった。
日本人は、記録せぬということが神聖を保つ手段であると考えていた。だから、長い間記録しないままにきた。そのため、平安朝になって、歌学書のなかに語彙のようなものができてくるという形をとってきたが、それまでになかったわけではない。つまり、日本の辞書に二つの系統があるということである。一つは、純然たる日本の古語を保存しようとする努力。もう一つは、漢字を日本語に移そうとする努力。この二つが日本に辞書のできる理由であり、事実この二つの方面の結果が出てきている。
漢字典
ところが、いちばん考えるべきことは、漢字の辞書のできた理由である。考えればやさしいことで、康熙字典を翻訳すればよい。用例もすててしまって、日本語の翻訳を加える。康熙字典のはいってくる前から利用されているものに『玉篇』がある。『玉篇』は日本でだんだん形が変わって、名も変わってきた。われわれの学生時代には、何とか玉篇というものがたくさんにあった。中国の玉篇を翻訳した漢和字典だ。これは辞書の編纂のいちばん素朴なものだ。
倭名鈔をみると、非常に組織はよくできているが、中国のどの書物によったのかわからぬ。新撰字鏡をみても、分類はよくできているが、やはり何によってできたかわからない。しかしまだ新撰字鏡のほうは当りがつく。偏や旁で引く、中国の辞書の体裁をとっている。倭名鈔のほうになると、当りがつかない。倭名鈔にはいろいろな書物が引いてある。原書からか孫引きかわからぬが、中国の本がたくさん出ている。兼名苑云……、昔はこうで和訓はこうだ、などと書いてある。「此字、文選云……、和訓云々」、と出ている。何か拠り所はあろうが、わからない。
いったい、辞書というものは何のために作るか。そんなことはわかりきったことだというかもしれぬが、ほんとうはわれわれにはわからなかったろうと思う。われわれが知っているのは皆、漢字のものだが、ごくわずかに国語の辞書が古くからあって、なかなか手にはいらなかった。で、辞書といえば漢字の辞書と思っていた。漢字の辞書は、書物を読むためのものというより、字の一個一個の日本的意義を知るもの、あるいは字の音を探るだけのもので、死んだ利用しかできなかった。それで考えてみると、辞書は考えられないような目的をもっている。本を読むためのものでなくて、あらゆる日本の事柄が出ていることが大事になる。中学生の辞書は、完全な目的を遂げているものではない。『辞林』『辞苑』は百科全書の小さいもので、ほんとうの意味での語彙ではない。啓蒙的な字引きにすぎない。けれども、常にわれわれの使う辞書といわれているもののなかにはいってくるものは、字引きと語彙だ。字引きのほうは栄えて、語彙は利用の範囲が少ない。むしろ利用せられているかいないかわからない。厳格にいうと、日本にはまだほんとうの語彙はない。完全に一冊もないといってもよいくらいである。
辞書の二つの態度
辞書のなかに二つの態度がある。というとおかしいが、引き方に二つの方法がある。擬古文を書く初歩の人が使う字引きとして、「雅言俗解」「俗言雅訳」といった種類のものがある。いまの語から古い語、あるいは古い語を出して、それに当るいまのものをつけてある。書物を読む場合には「雅言俗解」を使い、擬古文を作るときには、いまの語から古い語を引いてくる必要があったので「俗言雅訳」を引く。そういう仕事は明治以後の人は横着でしなくなったが、徳川時代には盛んにやっている。佐佐木弘綱氏は、明治にはいっても「雅言俗解」のほうをやっていた。昔の人の仕事の増補をしたにすぎないが、読んで面白いし、昔の人の語の味わい方がわかる。
こうした態度は、平安朝にいってもある。『伊呂波字類抄』、いろはにほへとと並べて、不正確ながら分類も行なわれている。同音の語を陳列し、分類してある。固有名詞もたくさんある。古い辞書で正式に固有名詞を排除したのは新撰字鏡だけで、倭名鈔も、二十巻本には固有名詞がたくさんはいっている。『伊呂波字類抄』は、日本の語からそれに当る漢字を探し出す。「俗言雅訳」と似ているが、この語に当る字は何かと探すのだから、違う。伊呂波字類抄も形が進んでいて、そういうものの歴史もかなり古いと思われる。山田孝雄氏がその系統を調べておられ、古典全集の解題のなかに、その研究が発表されている。そういうふうに、平安朝時代からすでに、漢字をば主としていくものと、両方ある。
名前からみれば和訓を示そうとした目的がみえるが、実際の仕事からみると倭名鈔は和訓をそんなに問題にしていない。倭名鈔の編纂の態度は学問的である。当る和訓がないと無理をしないで通っている。伊呂波字類抄のほうは、国語を発音によって並べ分類している。国語の辞書の歴史のうえでは大事のものだ。新撰字鏡になると、中国の辞書の翻訳である。今日われわれに残っている平安朝の辞書には、この三つの態度がみられる。
日本の辞書の歴史はごく簡単なもので、それが合流して節用集となった。これらがいろいろな形に変わってきて、種々な節用集になった。そして、ずっと明治の前までつづいてきた。ただ、おかしいのは、和訓に歴史があって、容易に新しい訓を加えなかった。誰でも歴史を大事にするから、昔の本にあった訓を捨てない。明治になって、やっとそれを捨てた。服部宇之吉、小柳司気太両先生の辞書あたりからだ。「菊」の訓に「かはらをはぎ」などとある。そういうふうに変だとわかっている訓すら残していた。だから、国語を研究する者の一つの探りは、固定して残っている和訓から、古い語を知ることである。字と結びついて古い語が遺っている。それによって、いまなくなっている語を知るという便利がある。
語源
これくらいで辞書についての根本の考えは決まっていくと思う。ただいまのところ、ほんとうの意味の辞書がない。できれば歴史的排列をしたものが必要である。でないと、いちいちの言語の位置が決まらない。いつでも、江戸時代の語も室町時代のも、奈良朝の語も、同じに扱っている。江戸時代の語の説明に奈良朝の語をもってきて釈いている。言語の時代錯倒が行なわれている。そのためには歴史的に記述した態度が必要だ。が、そういうものが一つもない。
これをするのには、エチモロジカルな形をとらなくてはならぬことになる。語源は面白いので、存外昔から語源的辞書はある。明治になって出たのは、大槻さんの『言海』。言海の語源の説明には、落し咄がたくさんある。昔の言海には文典が附録についていた。この文典は非常によいものであるにかかわらず、本文のほうの語源はいい加減のものがある。語源は誰でもちょっと面白く考えられるが、非常に広い知識と機会とが必要だ。いつ考えても語源の考えが浮かんでくるというわけにいかない。語源を考えるには、科学的に行なわれぬ点がある。ことばができたときから、意義が飛躍してしまっている。飛躍して変わってしまった意義の語をもって、その語のもとを探ることはできない。証拠になるもとの形のものが残っているということは考えにくいうえに、いまの形とぴったりいくものは出てこない。だから、機会に行きあった人が幸運に語源をつかまえるだけだ。科学的な態度で押していったところで、かならずしも成績をあげるということにならない。ほんとうはむつかしいことだ。そのかわり享楽的になる。侮辱されても仕方のないような研究を出している。外国語を十分に知り、科学的態度をはずさない人がやっても、やはり駄目である。新村出氏のような方でも、やはり、いつもよいわけではない。ただ、信頼できるというだけで、皆が皆まで正しいといえないことになっている。
ともかく、ことばの起源を辞書では書く必要がある。歴史的経路の発展を書こうとすると、その最初を書く必要が生じる。すると語源が要る。語源はいちばん最初のものを知らねばならぬということではないことは、先に述べた。最初を知らねばならぬと思うのは、それは空想であると考えていただきたい。国語学の一つの仕事として、辞書の完成は重大なことだが、そういう意味において、ほんとうにはできていない。
方言
辞書には、もう一つある。記録されない言語、偶然の原因によって記録されたにすぎぬもの、多くは記録されないもの、すなわち、方言である。方言は漠然としているが、長い歴史をもち、いまも生きている。ただ、行なわれている範囲が狭いということが、方言の最初におかるべき性質である。地方的、階級的、職業的であって、範囲が狭い。しかしながら、この方言ということは簡単に解決がつかぬ。われわれは便宜上、標準語を考えているにすぎぬ。江戸っ子のことばが標準語ではなく、それを選り分けている。平明であって、地方的なむつかしい発音を含まないで、近代的な一種の感じをもったもの、これが標準語になっている。江戸っ子のことばを基礎として、地方人が使い直したものだ。だから、標準語と方言との差は、方言の重要な性質たる、使用される範囲の広さによっては決まらない。標準語は存外使われている範囲は狭く、また、死語が多い。また、東京には行なわれていないが、東京の周囲にあるばかりでなく、九州、東北にまでわたっている語であると、単なる方言ではない。方言、標準語の区別は常識的なもので、学問的な整理はできない。勢力の問題だ。押しの強い人が行なっていれば、行なわれてくる。勢力のある人の使う語、あるいは、ある地方の言語が標準語として出てくる。また、ある職業に限ってはこの語というふうに、勢力の問題である。標準語という固定したものはない。
すると、方言にたいする考えは、もっと自由でなければならぬ。方言の研究の流行は、そろそろ峠に達した。そのことを、春陽堂から出版されている雑誌『方言』が示している。つまり、方言研究の流行は行き止まりだが、方言にたいする注意は深くなってきている。辞書には、方言の記載ということが大切である。辞書では方言を、歴史的、空間的に、特殊な待遇なしに並べていかねばならない。何のために記述したのかと、いちいち論証することができぬから、結論だけを書かねばならぬ。だから、辞書の編纂はむつかしい。日本の辞書は、いつまでたっても、糊と鋏との仕事ばかりだ。
底本:「日本の名随筆 別巻74 辞書」作品社
1997(平成9)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 ノート編 第一巻」中央公論社
1971(昭和46)年3月発行
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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平凡社の今度の「書道全集」は製版がたいへんいいので見ていてたのしい。それに中国のも日本のも典拠の正しい、すぐれた原本がうまく選ばれているようで、われわれ門外漢も安心して鑑賞できるのが何よりだ。
今、このアトリエの壁に黄山谷の「伏波神祠詩巻」の冒頭の三句だけの写真がかかげられている。「蒙々篁竹下、有路上壺頭」に始まる個所だ。多分「書道全集」の図版の原型になった写真の大きな複写と思えるが、人からもらった時一見するなり心をうたれて、すぐ壁にかかげたのである。それ以後毎日見ている。黄山谷の書は前から好きであったが、この晩年の書を見るに及んでますます好きになってしまった。
黄山谷の書ほど不思議な書は少い。大体からいって彼の書はまずいように見える。まずいかと思うとまずいともいえない。しかし普通にいう意味のうまさはまず無い。彼は宋代に書家として蘇東坡、米元章と並んで三大家といわれていたが、他の二人とはまるでその性質がちがう。東坡の書も米元章の書も実にうまい。まずいなどという分子はまるでない。どの一字をとってみても巧妙である。そしてやはり唐代の余韻がある。新鮮ではあるが、唐代からの二王や顔真卿の縄張りをそう遠くは離れていない。どちらも妍媚だ。ところが黄山谷と来るとまるで飛び離れている。黄山谷はむしろ稚拙野蛮だ。顔真卿の影響をうけているといわれ、なるほどその趣もあるが、顔魯公よりも自由だ。勝手次第だ。一字ずつみると、その筆法は実に初心で、まるで習いはじめの人のように筆をはねたりする。馬鹿にのんびりしていたり、又くしゃくしゃと書きつめる。線をたるんでいるように書いたり、横に曲げたり、字のつづきも疎密にかまわない。行が片よったり、字くばりがでこぼこだったり、字の大小も方向も気にとめない。そして一々ぎゅっとおさえて書く。何しろひどく不器用に見える。
それでいて黄山谷の書は大きい。実に大きな感じで、これに比べると蘇東坡も米元章もなんだかよそゆきじみて来る。何よりも黄山谷の書は内にこもった中心からの気魄に満ちていて、しかもそれが変な見てくれになっていない。強引さがない。よく禅僧などの墨せきにいやな力みの出ているものがあるが、そういう厭味がまるでない。強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思うままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入した書で、実に立派だ。彼の元祐年代頃の書と思いくらべると、この「詩巻」の意味がよくわかる。
朝、眼がさめると向うの壁にかけてあるその写真の書が自然に見えるのだが、毎朝見るたびに、はっとするほどその書が新らしい。書面全体からくる生きてるような精神の動きが私をうつ。この書が眼にはいると、たちまち頭がはっきりして、寝台からとび下りて、毎朝はじめて見るような思でその写真の前に立たずにいられない。そして「蒙々篁竹下」とあらためてまた見る。吸いよせられるような思で、「漢塁云々」まで来ると、もう顔を洗ったような気がする。まずいようだなどといっては甚だ申しわけがない。それどころではないのである。尤もむかし王定国という人が彼の書を巧みでないといったそうで、黄山谷自身も、この詩巻を書いた時は背中にできものができていて、手が思うように動かないので字に成らなかったといったそうであるが、これはどうだか。手が動こうが動くまいが、こんな立派なものが書ければ申分ない。字に成らなかったといわれるが、むしろその方がよかったような気がする。殊にこの詩巻の自跋の数行はのびのびとしていて力強く、「水漲一丈、堤上泥深一尺」あたりの快さは無類である。随分癖のある書だが、それが少しもいやでなく、わざとらしくもない。そこがすばらしい。
底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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ある春の夕、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣)の裾を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていた。
庭には松や檜の間に、薔薇だの、橄欖だの、月桂だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽かにする夕明りの中に、薄甘い匂を漂わせていた。それはこの庭の静寂に、何か日本とは思われない、不可思議な魅力を添えるようだった。
オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い小径を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬の大本山、リスポアの港、羅面琴の音、巴旦杏の味、「御主、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛の沙門の心へ、懐郷の悲しみを運んで来た。彼はその悲しみを払うために、そっと泥烏須(神)の御名を唱えた。が、悲しみは消えないばかりか、前よりは一層彼の胸へ、重苦しい空気を拡げ出した。
「この国の風景は美しい――。」
オルガンティノは反省した。
「この国の風景は美しい。気候もまず温和である。土人は、――あの黄面の小人よりも、まだしも黒ん坊がましかも知れない。しかしこれも大体の気質は、親しみ易いところがある。のみならず信徒も近頃では、何万かを数えるほどになった。現にこの首府のまん中にも、こう云う寺院が聳えている。して見ればここに住んでいるのは、たとい愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事がある。リスポアの市へ帰りたい、この国を去りたいと思う事がある。これは懐郷の悲しみだけであろうか? いや、自分はリスポアでなくとも、この国を去る事が出来さえすれば、どんな土地へでも行きたいと思う。支那でも、沙室でも、印度でも、――つまり懐郷の悲しみは、自分の憂鬱の全部ではない。自分はただこの国から、一日も早く逃れたい気がする。しかし――しかしこの国の風景は美しい。気候もまず温和である。……」
オルガンティノは吐息をした。この時偶然彼の眼は、点々と木かげの苔に落ちた、仄白い桜の花を捉えた。桜! オルガンティノは驚いたように、薄暗い木立ちの間を見つめた。そこには四五本の棕櫚の中に、枝を垂らした糸桜が一本、夢のように花を煙らせていた。
「御主守らせ給え!」
オルガンティノは一瞬間、降魔の十字を切ろうとした。実際その瞬間彼の眼には、この夕闇に咲いた枝垂桜が、それほど無気味に見えたのだった。無気味に、――と云うよりもむしろこの桜が、何故か彼を不安にする、日本そのもののように見えたのだった。が、彼は刹那の後、それが不思議でも何でもない、ただの桜だった事を発見すると、恥しそうに苦笑しながら、静かにまたもと来た小径へ、力のない歩みを返して行った。
× × ×
三十分の後、彼は南蛮寺の内陣に、泥烏須へ祈祷を捧げていた。そこにはただ円天井から吊るされたランプがあるだけだった。そのランプの光の中に、内陣を囲んだフレスコの壁には、サン・ミグエルが地獄の悪魔と、モオゼの屍骸を争っていた。が、勇ましい大天使は勿論、吼り立った悪魔さえも、今夜は朧げな光の加減か、妙にふだんよりは優美に見えた。それはまた事によると、祭壇の前に捧げられた、水々しい薔薇や金雀花が、匂っているせいかも知れなかった。彼はその祭壇の後に、じっと頭を垂れたまま、熱心にこう云う祈祷を凝らした。
「南無大慈大悲の泥烏須如来! 私はリスポアを船出した時から、一命はあなたに奉って居ります。ですから、どんな難儀に遇っても、十字架の御威光を輝かせるためには、一歩も怯まずに進んで参りました。これは勿論私一人の、能くする所ではございません。皆天地の御主、あなたの御恵でございます。が、この日本に住んでいる内に、私はおいおい私の使命が、どのくらい難いかを知り始めました。この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んで居ります。そうしてそれが冥々の中に、私の使命を妨げて居ります。さもなければ私はこの頃のように、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように、この国全体へ行き渡って居ります。まずこの力を破らなければ、おお、南無大慈大悲の泥烏須如来! 邪宗に惑溺した日本人は波羅葦増(天界)の荘厳を拝する事も、永久にないかも存じません。私はそのためにこの何日か、煩悶に煩悶を重ねて参りました。どうかあなたの下部、オルガンティノに、勇気と忍耐とを御授け下さい。――」
その時ふとオルガンティノは、鶏の鳴き声を聞いたように思った。が、それには注意もせず、さらにこう祈祷の言葉を続けた。
「私は使命を果すためには、この国の山川に潜んでいる力と、――多分は人間に見えない霊と、戦わなければなりません。あなたは昔紅海の底に、埃及の軍勢を御沈めになりました。この国の霊の力強い事は、埃及の軍勢に劣りますまい。どうか古の予言者のように、私もこの霊との戦に、………」
祈祷の言葉はいつのまにか、彼の唇から消えてしまった。今度は突然祭壇のあたりに、けたたましい鶏鳴が聞えたのだった。オルガンティノは不審そうに、彼の周囲を眺めまわした。すると彼の真後には、白々と尾を垂れた鶏が一羽、祭壇の上に胸を張ったまま、もう一度、夜でも明けたように鬨をつくっているではないか?
オルガンティノは飛び上るが早いか、アビトの両腕を拡げながら、倉皇とこの鳥を逐い出そうとした。が、二足三足踏み出したと思うと、「御主」と、切れ切れに叫んだなり、茫然とそこへ立ちすくんでしまった。この薄暗い内陣の中には、いつどこからはいって来たか、無数の鶏が充満している、――それがあるいは空を飛んだり、あるいはそこここを駈けまわったり、ほとんど彼の眼に見える限りは、鶏冠の海にしているのだった。
「御主、守らせ給え!」
彼はまた十字を切ろうとした。が、彼の手は不思議にも、万力か何かに挟まれたように、一寸とは自由に動かなかった。その内にだんだん内陣の中には、榾火の明りに似た赤光が、どこからとも知れず流れ出した。オルガンティノは喘ぎ喘ぎ、この光がさし始めると同時に、朦朧とあたりへ浮んで来た、人影があるのを発見した。
人影は見る間に鮮かになった。それはいずれも見慣れない、素朴な男女の一群だった。彼等は皆頸のまわりに、緒にぬいた玉を飾りながら、愉快そうに笑い興じていた。内陣に群がった無数の鶏は、彼等の姿がはっきりすると、今までよりは一層高らかに、何羽も鬨をつくり合った。同時に内陣の壁は、――サン・ミグエルの画を描いた壁は、霧のように夜へ呑まれてしまった。その跡には、――
日本の Bacchanalia は、呆気にとられたオルガンティノの前へ、蜃気楼のように漂って来た。彼は赤い篝の火影に、古代の服装をした日本人たちが、互いに酒を酌み交しながら、車座をつくっているのを見た。そのまん中には女が一人、――日本ではまだ見た事のない、堂々とした体格の女が一人、大きな桶を伏せた上に、踊り狂っているのを見た。桶の後ろには小山のように、これもまた逞しい男が一人、根こぎにしたらしい榊の枝に、玉だの鏡だのが下ったのを、悠然と押し立てているのを見た。彼等のまわりには数百の鶏が、尾羽根や鶏冠をすり合せながら、絶えず嬉しそうに鳴いているのを見た。そのまた向うには、――オルガンティノは、今更のように、彼の眼を疑わずにはいられなかった。――そのまた向うには夜霧の中に、岩屋の戸らしい一枚岩が、どっしりと聳えているのだった。
桶の上にのった女は、いつまでも踊をやめなかった。彼女の髪を巻いた蔓は、ひらひらと空に翻った。彼女の頸に垂れた玉は、何度も霰のように響き合った。彼女の手にとった小笹の枝は、縦横に風を打ちまわった。しかもその露わにした胸! 赤い篝火の光の中に、艶々と浮び出た二つの乳房は、ほとんどオルガンティノの眼には、情欲そのものとしか思われなかった。彼は泥烏須を念じながら、一心に顔をそむけようとした。が、やはり彼の体は、どう云う神秘な呪の力か、身動きさえ楽には出来なかった。
その内に突然沈黙が、幻の男女たちの上へ降った。桶の上に乗った女も、もう一度正気に返ったように、やっと狂わしい踊をやめた。いや、鳴き競っていた鶏さえ、この瞬間は頸を伸ばしたまま、一度にひっそりとなってしまった。するとその沈黙の中に、永久に美しい女の声が、どこからか厳かに伝わって来た。
「私がここに隠っていれば、世界は暗闇になった筈ではないか? それを神々は楽しそうに、笑い興じていると見える。」
その声が夜空に消えた時、桶の上にのった女は、ちらりと一同を見渡しながら、意外なほどしとやかに返事をした。
「それはあなたにも立ち勝った、新しい神がおられますから、喜び合っておるのでございます。」
その新しい神と云うのは、泥烏須を指しているのかも知れない。――オルガンティノはちょいとの間、そう云う気もちに励まされながら、この怪しい幻の変化に、やや興味のある目を注いだ。
沈黙はしばらく破れなかった。が、たちまち鶏の群が、一斉に鬨をつくったと思うと、向うに夜霧を堰き止めていた、岩屋の戸らしい一枚岩が、徐ろに左右へ開き出した。そうしてその裂け目からは、言句に絶した万道の霞光が、洪水のように漲り出した。
オルガンティノは叫ぼうとした。が、舌は動かなかった。オルガンティノは逃げようとした。が、足も動かなかった。彼はただ大光明のために、烈しく眩暈が起るのを感じた。そうしてその光の中に、大勢の男女の歓喜する声が、澎湃と天に昇るのを聞いた。
「大日孁貴! 大日孁貴! 大日孁貴!」
「新しい神なぞはおりません。新しい神なぞはおりません。」
「あなたに逆うものは亡びます。」
「御覧なさい。闇が消え失せるのを。」
「見渡す限り、あなたの山、あなたの森、あなたの川、あなたの町、あなたの海です。」
「新しい神なぞはおりません。誰も皆あなたの召使です。」
「大日孁貴! 大日孁貴! 大日孁貴!」
そう云う声の湧き上る中に、冷汗になったオルガンティノは、何か苦しそうに叫んだきりとうとうそこへ倒れてしまった。………
その夜も三更に近づいた頃、オルガンティノは失心の底から、やっと意識を恢復した。彼の耳には神々の声が、未だに鳴り響いているようだった。が、あたりを見廻すと、人音も聞えない内陣には、円天井のランプの光が、さっきの通り朦朧と壁画を照らしているばかりだった。オルガンティノは呻き呻き、そろそろ祭壇の後を離れた。あの幻にどんな意味があるか、それは彼にはのみこめなかった。しかしあの幻を見せたものが、泥烏須でない事だけは確かだった。
「この国の霊と戦うのは、……」
オルガンティノは歩きながら、思わずそっと独り語を洩らした。
「この国の霊と戦うのは、思ったよりもっと困難らしい。勝つか、それともまた負けるか、――」
するとその時彼の耳に、こう云う囁きを送るものがあった。
「負けですよ!」
オルガンティノは気味悪そうに、声のした方を透かして見た。が、そこには不相変、仄暗い薔薇や金雀花のほかに、人影らしいものも見えなかった。
× × ×
オルガンティノは翌日の夕も、南蛮寺の庭を歩いていた。しかし彼の碧眼には、どこか嬉しそうな色があった。それは今日一日の内に、日本の侍が三四人、奉教人の列にはいったからだった。
庭の橄欖や月桂は、ひっそりと夕闇に聳えていた。ただその沈黙が擾されるのは、寺の鳩が軒へ帰るらしい、中空の羽音よりほかはなかった。薔薇の匂、砂の湿り、――一切は翼のある天使たちが、「人の女子の美しきを見て、」妻を求めに降って来た、古代の日の暮のように平和だった。
「やはり十字架の御威光の前には、穢らわしい日本の霊の力も、勝利を占める事はむずかしいと見える。しかし昨夜見た幻は?――いや、あれは幻に過ぎない。悪魔はアントニオ上人にも、ああ云う幻を見せたではないか? その証拠には今日になると、一度に何人かの信徒さえ出来た。やがてはこの国も至る所に、天主の御寺が建てられるであろう。」
オルガンティノはそう思いながら、砂の赤い小径を歩いて行った。すると誰か後から、そっと肩を打つものがあった。彼はすぐに振り返った。しかし後には夕明りが、径を挟んだ篠懸の若葉に、うっすりと漂っているだけだった。
「御主。守らせ給え!」
彼はこう呟いてから、徐ろに頭をもとへ返した。と、彼の傍には、いつのまにそこへ忍び寄ったか、昨夜の幻に見えた通り、頸に玉を巻いた老人が一人、ぼんやり姿を煙らせたまま、徐ろに歩みを運んでいた。
「誰だ、お前は?」
不意を打たれたオルガンティノは、思わずそこへ立ち止まった。
「私は、――誰でもかまいません。この国の霊の一人です。」
老人は微笑を浮べながら、親切そうに返事をした。
「まあ、御一緒に歩きましょう。私はあなたとしばらくの間、御話しするために出て来たのです。」
オルガンティノは十字を切った。が、老人はその印に、少しも恐怖を示さなかった。
「私は悪魔ではないのです。御覧なさい、この玉やこの剣を。地獄の炎に焼かれた物なら、こんなに清浄ではいない筈です。さあ、もう呪文なぞを唱えるのはおやめなさい。」
オルガンティノはやむを得ず、不愉快そうに腕組をしたまま、老人と一しょに歩き出した。
「あなたは天主教を弘めに来ていますね、――」
老人は静かに話し出した。
「それも悪い事ではないかも知れません。しかし泥烏須もこの国へ来ては、きっと最後には負けてしまいますよ。」
「泥烏須は全能の御主だから、泥烏須に、――」
オルガンティノはこう云いかけてから、ふと思いついたように、いつもこの国の信徒に対する、叮嚀な口調を使い出した。
「泥烏須に勝つものはない筈です。」
「ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須ばかりではありません。孔子、孟子、荘子、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉の国の絹だの秦の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿の本の人麻呂と云う詩人があります。その男の作った七夕の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽くまでも彦星と棚機津女とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天の川の瀬音でした。支那の黄河や揚子江に似た、銀河の浪音ではなかったのです。しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。舟と云う文字がはいった後も、「ふね」は常に「ふね」だったのです。さもなければ我々の言葉は、支那語になっていたかも知れません。これは勿論人麻呂よりも、人麻呂の心を守っていた、我々この国の神の力です。のみならず支那の哲人たちは、書道をもこの国に伝えました。空海、道風、佐理、行成――私は彼等のいる所に、いつも人知れず行っていました。彼等が手本にしていたのは、皆支那人の墨蹟です。しかし彼等の筆先からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字はいつのまにか、王羲之でもなければ褚遂良でもない、日本人の文字になり出したのです。しかし我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。我々の息吹きは潮風のように、老儒の道さえも和げました。この国の土人に尋ねて御覧なさい。彼等は皆孟子の著書は、我々の怒に触れ易いために、それを積んだ船があれば、必ず覆ると信じています。科戸の神はまだ一度も、そんな悪戯はしていません。が、そう云う信仰の中にも、この国に住んでいる我々の力は、朧げながら感じられる筈です。あなたはそう思いませんか?」
オルガンティノは茫然と、老人の顔を眺め返した。この国の歴史に疎い彼には、折角の相手の雄弁も、半分はわからずにしまったのだった。
「支那の哲人たちの後に来たのは、印度の王子悉達多です。――」
老人は言葉を続けながら、径ばたの薔薇の花をむしると、嬉しそうにその匂を嗅いだ。が、薔薇はむしられた跡にも、ちゃんとその花が残っていた。ただ老人の手にある花は色や形は同じに見えても、どこか霧のように煙っていた。
「仏陀の運命も同様です。が、こんな事を一々御話しするのは、御退屈を増すだけかも知れません。ただ気をつけて頂きたいのは、本地垂跡の教の事です。あの教はこの国の土人に、大日孁貴は大日如来と同じものだと思わせました。これは大日孁貴の勝でしょうか? それとも大日如来の勝でしょうか? 仮りに現在この国の土人に、大日孁貴は知らないにしても、大日如来は知っているものが、大勢あるとして御覧なさい。それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿の中には、印度仏の面影よりも、大日孁貴が窺われはしないでしょうか? 私は親鸞や日蓮と一しょに、沙羅双樹の花の陰も歩いています。彼等が随喜渇仰した仏は、円光のある黒人ではありません。優しい威厳に充ち満ちた上宮太子などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が申上げたいのは、泥烏須のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。」
「まあ、御待ちなさい。御前さんはそう云われるが、――」
オルガンティノは口を挟んだ。
「今日などは侍が二三人、一度に御教に帰依しましたよ。」
「それは何人でも帰依するでしょう。ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分悉達多の教えに帰依しています。しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」
老人は薔薇の花を投げた。花は手を離れたと思うと、たちまち夕明りに消えてしまった。
「なるほど造り変える力ですか? しかしそれはお前さんたちに、限った事ではないでしょう。どこの国でも、――たとえば希臘の神々と云われた、あの国にいる悪魔でも、――」
「大いなるパンは死にました。いや、パンもいつかはまたよみ返るかも知れません。しかし我々はこの通り、未だに生きているのです。」
オルガンティノは珍しそうに、老人の顔へ横眼を使った。
「お前さんはパンを知っているのですか?」
「何、西国の大名の子たちが、西洋から持って帰ったと云う、横文字の本にあったのです。――それも今の話ですが、たといこの造り変える力が、我々だけに限らないでも、やはり油断はなりませんよ。いや、むしろ、それだけに、御気をつけなさいと云いたいのです。我々は古い神ですからね。あの希臘の神々のように、世界の夜明けを見た神ですからね。」
「しかし泥烏須は勝つ筈です。」
オルガンティノは剛情に、もう一度同じ事を云い放った。が、老人はそれが聞えないように、こうゆっくり話し続けた。
「私はつい四五日前、西国の海辺に上陸した、希臘の船乗りに遇いました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕にする女神の話だの、声の美しい人魚の話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇った時から、この国の土人に変りました。今では百合若と名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさい。泥烏須も必ず勝つとは云われません。天主教はいくら弘まっても、必ず勝つとは云われません。」
老人はだんだん小声になった。
「事によると泥烏須自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」
その声がとうとう絶えたと思うと、老人の姿も夕闇の中へ、影が消えるように消えてしまった。と同時に寺の塔からは、眉をひそめたオルガンティノの上へ、アヴェ・マリアの鐘が響き始めた。
× × ×
南蛮寺のパアドレ・オルガンティノは、――いや、オルガンティノに限った事ではない。悠々とアビトの裾を引いた、鼻の高い紅毛人は、黄昏の光の漂った、架空の月桂や薔薇の中から、一双の屏風へ帰って行った。南蛮船入津の図を描いた、三世紀以前の古屏風へ。
さようなら。パアドレ・オルガンティノ! 君は今君の仲間と、日本の海辺を歩きながら、金泥の霞に旗を挙げた、大きい南蛮船を眺めている。泥烏須が勝つか、大日※貴が勝つか――それはまだ現在でも、容易に断定は出来ないかも知れない。が、やがては我々の事業が、断定を与うべき問題である。君はその過去の海辺から、静かに我々を見てい給え。たとい君は同じ屏風の、犬を曳いた甲比丹や、日傘をさしかけた黒ん坊の子供と、忘却の眠に沈んでいても、新たに水平へ現れた、我々の黒船の石火矢の音は、必ず古めかしい君等の夢を破る時があるに違いない。それまでは、――さようなら。パアドレ・オルガンティノ! さようなら。南蛮寺のウルガン伴天連!
(大正十年十二月)
底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2004年3月10日修正
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その日、私が暮らす街は春の穏やかな陽気に包まれていた。何の気なしに部屋の窓を開け放つと、空から降り注ぐ透き通った光が私の頬をやさしく照らし、それと同時に、梔子か何かの花が放つ甘い香りがどこからともなく漂ってきた。体中の細胞ひとつひとつが目を覚ますような、そんな爽やかな感触が内側から駆け上がって来るのを感じ取ったその時には、私の足はもう部屋の外へと歩き始めていた。
路地を抜け、街並みを抜け、いつしか私は近くを流れる川のほとりへとたどり着いた。空に広がる雲ひとつ無い晴天。ビルが樹木のように生い茂り、そこから伸びる枝のように電線が張り巡らされているこの街では、空の存在感というものはどうしても希薄になりがちだ。だから、私にとってその晴天は、ひときわ有難いもののように感じられた。抑圧された日々を送っていなくても、開放的な気分になるし、環境問題のようなことに別段思いを馳せていなくても、自然の恵みに感謝したくなる。そんな不思議な瞬間であった。意志とは関係なく高揚する気分を胸に、私は川に沿ってあてどなく歩き始めた。川の両岸は整備され、芝生と木立からなる静かな公園が細長く続いている。あたりには、キャッチボールに興じる親子や、ランニングをする学生、ベンチで読書に耽る老人などが、ぽつりぽつりと点在していた。みな、自然の気配が比較的間近に感じられるこの空間で思い思いのひとときを過ごそうとしているのだ。いつしか私もその一部となった。
どれくらい歩いた頃だったろうか。道の向こうに〈のぼり〉のようなものが見えた。選挙演説だろうか。いや、選挙が近々あるなどという話は聞いていないし、そんなはずがない。どうやら出店のようだ。こういう天候だし、私のように散歩をする人も多いだろうから、飲み物を売っているのだろう——などと、ぼんやりと遠くに見える〈のぼり〉について思いを巡らせているうちに、そこに記された文字を読める程度の距離まで近付いてきた。
生あります
のぼりにはそう書かれていた。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
などと書かれたものもあった。前者はなんとなく分かったが、後者はよく分からなかった。これは一体どういうことなのだろうか。そのままのぼりが立つ場所まで歩みを進めた。
すると、そこには、大きく広げられたレジャーシートと、その上であぐらをかくひとりの男がいた。見たところ男の年齢は三十代中盤から四十代前半。中肉中背で、無精髭を生やし、濃紺のポロシャツとチノパンという出で立ち。お世辞にも小綺麗な格好とは言い難かった。
そして、そのまま視線をずらし、畳二畳ほどの広さはあるレジャーシートに目を向けた。その上には、透明なビニールのケースに入った真っ白なCD、あるいはDVDと思しき円盤が所狭しと並んでおり、ひとつひとつの盤面には「一」や「二」などと数字が記されていた。私はいぶかしげにその円盤の大群を眺めていたが、その男は私に目を向ける素振りもなく、ただじっと手元の新聞に目を落としていた。
もしかして、この男は円盤を売っているのではなく、メンテナンスのために乾燥させているのではないか。自分自身にこの現状を納得させるための都合の良い理由付けが脳裏を過ぎりはじめたその時、男が口を開いた。
「買われますか?」
その言葉が、目の前に並んだ円盤のことを指しているのは間違い無いと思われたが、いかんせんその円盤がいったい何なのかが分からない。私は単刀直入に尋ねてみた。
「これ、CDですか? DVDですか?」
「CDですよ」
「何が入っているんですか?」
「それに書いてある通りですよ」
そうは言われても、盤面に書かれているのは「一」や「二」のほか、「あ」などのひらがなばかり。男の発言に刺激されるように、言葉にならない漠然としたイメージが瞬間的にいくつか浮かび、瞬間的に消えていった。その間、視界に入るものは何一つとして微動だにしなかったが、やたらと長い時間が流れて行ったように感じられた。
「お客さん、初めてですか?」
「あ、いや、このあたりには一年ほど前に……」
男は私の発言を待たずに口を開いた。
「このCDにはですね、〈文字〉が入っているんです」
男の言葉を聞いてふと得心した。私もコンピューターを使い始めて十五年ほど経つので、それなりの事情通ではある。コンピューターやその部品を取り扱う店が数多く集まる「電気街」と呼ばれるようなエリアに行けば、かつては違法にコピーされた映画やソフトウェアを収めたCDが大量に販売されていた。いまとなってはめっきりそういう業者の姿を見なくなったが、この男はその一味なのだろう。そう決め付けるだけの状況がそこにはあった。
「ああ、フォントですか?」
だから、文字が入ったCDと聞いて、私が最初に思い浮かべ、男にぶつけたのは、日常生活で使用するさまざまな文字が詰まったフォント、つまり書体という可能性だった。フォントはきちんと購入すると高い。専用のメーカーの日本語書体なら、平気で五万円はするだろう。もし、手頃な価格で手に入るのであれば、たとえ法に触れるリスクがあったとしても、駆け出しのデザイナーや、デザイナーを志す学生が手を出してしまってもおかしくはない。
「いや、違います」
男は素っ気なく返事をした。たしかに考えてもみれば、こんな天気の良い日に川岸の公園で海賊版のフォントを売りさばくのは、利益率の向上という観点など持ち出さずとも疑問が残る。もっとふさわしい場所が他にあるはずだ。思い浮かぶまま、私は尋ねた。
「じゃあ、電子書籍ですか?最近、本をバラしてスキャンするのが業者がいるみたいだし」
このところ、そうした業者が増えているらしい。数が多くなってくれば、スキャンしたデータを横流しする不届きな輩が出てきてもおかしくはない。それに、そうした業者の人間じゃなくても、ネット上を検索すれば違法にアップロードされた書籍のスキャンデータはすぐ見つかるので、それらを寄せ集めて売っている可能性もある。いずれにせよ、タブレット型のコンピューターと電子書籍が流行している今日の時流を捉えたビジネスだと言えるだろうし、そういう業者が人通りの多い繁華街を飛び出して、公園で商売をしているのはその勢いを裏付けるものとも言えるだろう。
「いや、違います」
世相と照らし合わせながら、自信を持って投げかけたにも関わらず、先ほどと同様の素っ気ない返事。私のささやかなプライドは、いとも軽やかに打ち砕かれた。もはや失うものはなくなった。
「じゃあ、掛け軸とかの画像ですか?書道家が書くような」
春らしい穏やかな日に川沿いで能書家の手がけた書を売るというのは、それがCDに収められたコンピューターのファイルであったとしても、なかなか風流なものではないか。現実的ではないのもいいところだが、スパイスの効いた答えだと内心では自負していた。
「いや、違います」
別に当たったからといって、何か良いことが起こりそうな気配は微塵も感じられなかったので、あまり気にしないようにしていたつもりだったが、自負があったせいかちょっとした失望感が心に刻み込まれた。
「ですから、あの、例えばこのCDにはですね、『一』という文字のテキストデータが入っているんです」
男は「一」と書かれたCDを手に取り、そう言った。
「はぁ」
フォントだ、電子書籍だ、書だと、予想を述べるそのたびに男に否定され、自らの想像力の拙さについて自省の念に駆られていたというのに、正解がたった一種類のテキストデータとはどういうことか。やるせなさが失望感やプライドの破片を飲み込み、やがて心の中はそれ一色になった。
「それはどういうことですか? CDにテキストデータって、たぶん億単位で文字が入りますよ。何億文字も『一』が入っているんですか?」
その時の私は気色ばむほどではなかったとは思うが、多少まくし立てるような話し方をしていたかもしれない。
「いやいや、このCDに入っているのは一文字だけです」
私はしばし絶句した。コンピューターで一文字といったら、そのサイズは一バイトか二バイト、この場合は漢数字の「一」だから、二バイトである。それに対して、CDには七百メガバイト、つまり七億バイトものデータを書き込むことができる。私が指摘した通り、そこには最大で三億五千万文字の「一」を書き込むことが可能だ。それにも関わらず、そこに収められているのがたった一文字とは……。
「ただの『一』だなんて、私でもすぐつくれちゃいますよ。そんなデータを買う人なんているんですか?」
「お客さんのおっしゃる通り、これがただの『一』だったら、こちらもお売りしませんよ」
デジタル化されたテキストデータである以上、ただの「一」も、そうではない「一」も存在しない。なぜなら、あらゆる『一』は等価であり、それらの間に質的な差異が発生しないからだ。もちろん、ハードディスクに記録される位置はナノメートル単位で違うだろうが、それが質に影響を及ぼすことはない。
「どういうことですか?」
「貴重な『一』だということですよ」
「貴重な『一』って、コンピューターの中では、どの「一」も同じで、貴重もクソないんじゃないですか?」
「原理的にはそうですがね」
天候とのギャップがますます際立つ私に対して、そっと「一」の秘密を教えてくれた。
「えっ」
男の答えは、私がそれまで提示した全ての予想を上回る非現実的なものだった。
「ここはそういう店なんです」
男は笑みを浮かべていた。
男によると、私が手にとったCDに収められているのは、ノーベル文学賞の有力候補として名高いあの文豪が、小説に使った「一」なのだという。私は咄嗟に尋ねた。
「ええと、それは要するに本文中に出てくる『一』ってことですか?」
男は脇に置いてあった鞄からすっとノートパソコンを取り出し、キーボードを叩き始めた。情景を無視するかのよう響くカタカタという物音。数秒後、男は何かの情報にたどり着いたらしい。
「はい、この『一』だと、そうですね、文庫版の下巻の三百三十一ページに書かれている『一』になりますね。『あなたは炭鉱の奥で一生を送ったようなものだって』の『一』です」
男が確信を持って答えているのは明らかであったが、いかんせん私の手元にその小説の文庫版が無いので、本当にそういう文章があるのかどうか確認する術がなかった。
「それじゃあ、この『二』って書いてあるCDには何が入っているんですか?」
「あ、それは同じ小説に使われている『二』ですね」
「もしかして、ここに並んでいるCDは全部同じ小説から採られた文字なんですか?」
「そんなことないですよ」
そう言うと、男は「あ」と書かれたCDを取り出した。男によると、この「あ」はユーモラスな文体で知られ、コラムニストとしても活躍する芥川賞作家の実質的なデビュー作に使用されていたものだという。さらに尋ねてみた。
「ほかにはどんなものがあるんです?」
すると、男はレジャーシートの上に置かれたCDを片端から紹介してくれた。芥川賞を史上最年少で受賞した若手女流作家の受賞作で使用されている「け」や、アイドル主演で映画化されて大ヒットした直木賞作家のサスペンス小説で使用されている「る」、アルコール中毒の末に事故死を遂げた無頼派作家の推理小説で使用されている「殺」、ほかにもアニメ化されたラノベで使用されている「ボ」などもあった。私はそこに来てようやく、この出店の周りに立てられていたのぼりの意味を理解した。「生あります」とは、生ビールがあるということではなく、「生」という文字を入荷しているということ、そして、「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」とは、縁日の焼きそば屋などで、軒に「焼きそば」と書いてあるのと同じようなことで、漢数字のゼロを売っている店であるということを示していたのだ。何かの暗号や伏せ字ではなかった。もっともらしい紹介をひと通り受けた後、私は呟いた。
「でも、これだけCDがあっても、たったの百文字ちょっとにしかならないんですね」
「いやいや、このCDは言ったら〈にぎやかし〉ですよ。データそのものはこのノートパソコンに山ほど入っています。日常で使うほとんどの文字を取り揃えてますよ。ほら、何かモノがないと、お客さんがお店だと分からないでしょう」
「なるほど」
私は頷いた。たしかにそれはその通りなのだが、やはりどこか腑に落ちない。素朴な疑問をぶつけてみた。
「でもこれ、本当に本物なんですか?というか、本物と証明できるものなんですか?」
「じゃあ、これを見てください」
男は自らのノートパソコンをくるりと回転させ、画面を私の方へと向けた。するとそこにはファイルが羅列されたウィンドウが表示されていた。どうやら、それらが一文字一文字を収めたテキストファイルのようだった。
「ほら」
そして、男は私が見ていたウィンドウの隅のあたりを指差した。そこにはファイルの名前や、ファイルサイズ、そして、作成された日時が秒単位まで記されていた。
「これ、『一』の情報なんですけど、作成日が小説の発売日よりも前でしょう」
男の答えは到底私の納得いくものではなかった。
「いやいやいや、その時期につくった別の関係ないテキストデータかもしれないじゃないですか」
「仕方ないですねぇ」
男はそう言うと、ふたたびノートパソコンの画面を自身の方へと回転させ、なにやら作業を始めた。そして数秒後、また私の方へと画面を向けた。
「じゃあ、これを見てみてください」
今度はそこに文字で埋め尽くされたワープロソフトのウィンドウが表示されていた。
「これはもしかして……」
「はい、原稿です。当然ですが、このファイルも、作成日が出版日よりも前になっています」
なおも私は食い下がった
「でも、小説家が書いた原稿じゃなくて、誰かが打ち直したものかも知れないじゃないですか」
男は画面をこちらに向けたまま、無言でノートパソコンのタッチパッドを操作し、ワープロソフトのあるボタンを押した。すると、ウィンドウに表示されていた文字の半分程度が赤や青に染まった。
「よく見て下さい」
男に促されるままウィンドウを見ると、赤や青の文字に打ち消し線が入っているほか、下線が引かれているのが分かった。そして、下線からは時折引き出し棒が伸びており、その先には何かコメントが記されていた。そう、男はワープロソフトの機能のひとつである、校正の履歴を確認できるモードに画面を切り替えていたのだ。そして、男はおもむろにマウスカーソルを赤い文字の上に載せた。
「あっ」
私は思わず声を上げた。なぜなら、そこにその小説家の名前と、修正作業の内容、そしてそれが行われた日時が表示されたからだ。
「納得いただけたみたいですね。この原稿から、一文字一文字拾い集めたものが、先ほどのテキストファイルになります」
納得はまだしていなかった。してはいなかったが、ここまでくるとこの商売を否定するための論理もすぐには用意できなかった。ここはひとまずそういう商売があるのだとして、話を聞いてみることにした。
「どうやってその原稿を手に入れたんですか? もしかして出版社の方ですか?」
「すみません。それには、ちょっとお答えできないんです。一文字単位で売ること自体は法には触れないはずですが、作家の中にはご存じない方もいらっしゃるので」
どうやら、違法ではないが、どこかで不義理を働いているらしい。いずれにせよ後ろめたさを感じる商売のようだった。
そして、私は、以前古書店で見かけた著名な作家の自筆原稿のことを思い出した。故人ならいざしらず、存命のそれも大御所と言われるような作家の自筆原稿が古書店で購入できることについて、私はかねがね疑問に感じていた。本来、自筆原稿というものは作家本人か、出版社が保管してしかるべきで、作家が何かの意図をもって販売しているということでなければ、出版社の内部の人間が、作家との信頼関係を反故にして、〈流出〉させてしまったとしか思えない。それは貸したものを売りに出すのと同じことであり、素人の私でも、その行為がモラルに反するばかりか、法に触れる可能性があることが分かる。
とはいえ、そういった現象も、ペンで原稿を書いていた時代の産物と言えばそれまでだ。今日では多くの作家がコンピューターで原稿を書いていると聞く。キーボードを叩くことが書くことであり、編集者とのメールのやりとりの末に原稿の完成がある。そのため、コンピューターでつくられた原稿が流出したとしても、自筆原稿のそれとは意味が異なるはずだ。なぜなら、自筆原稿の需要は、自筆であることに裏打ちされているからだ。そこに記された一文字一文字には作家自身の身体や歩んできた歴史が反映されており、固有のオーラのようなものを発している。そのオーラこそが、人々の購買意欲を無性にかき立てる。しかし、コンピューターでつくられた原稿には、そういったオーラのようなものは、原理上存在しえないので、そうした欲望の対象とはならない。そのように考えられてきた。
しかし、男の商売はそこにオーラを見出し、付加価値を与えようとするもののようだった。それも、法に触れないかたちで。
「いやいや、こちらこそすみません。初めてだったもので、ついつまらないことを聞いてしまいました。せっかくなので、もう少しだけ話を聞かせてください。こうした店って他にも結構あるものなんですか?」
「そうですね、昔に比べるとだいぶ減ったようですが、それでも昔からのユーザーの方もまだまだ大勢いらっしゃるので、結構あると思いますよ」
古書や自筆原稿と違って、この男が売る文字は買った後、自由な使い方ができる。客のことを「コレクター」ではなく、「ユーザー」と男が呼ぶのには、そういった背景があると思われた。私は、この未知の業界について、興味が少しづつ湧いてきているのを実感した。
「そうなんですか。だいたい一文字っていくらくらいなんですか?」
「本と同じで、かなりピンキリですよ」
「じゃあ、たとえばさっき教えてもらった『一』とか」
「あれは五円ですね」
衝撃的な価格設定に、不覚にも心が揺らいだ。缶コーヒーを一本買う金で、ノーベル文学賞候補の小説家が書いた、というか入力した文字が二十四文字も買えてしまうというのは奇妙な魅力があった。
「ずいぶんと安いですね。〈にぎやかし〉のCDの方が高く付くんじゃないですか」
男は私の問い答えることなく、にこやかな笑みを浮かべていた。私は続けた。
「これって、やっぱり作家ごとに価格帯が違うんですか?」
「そうですね。さっきの五円のものは、かなり高い部類に入ります」
「五円で高いんですか」
「元が十万文字以上ありますからね。そんなもんですよ」
「なるほどねえ」
うなづく私を尻目に、男は価格帯についての解説を続けた。
「基本的には純文学と呼ばれるジャンルのものの値段は高くなる傾向にありますが、最後は需給のバランスで決まるものなので、どんなジャンルでも大御所とかネームバリューのある方のものが高くなりますね。あとは難しい漢字。『轟』とか、滅多に出てこない文字は希少価値があるので高いです。逆に安い方だと、たとえば新人賞を獲るような実力ある若手でも、最初はだいたい一文字十銭とか二十銭くらいじゃないですかね。それくらいから取り扱いが始まります」
「原稿料みたいですね」
一文字十銭というと、先ほどの缶コーヒー換算で、一千二百文字買えるということになる。それくらいの額だったら、仮にこれまでの男の発言が嘘だったとしても大した痛手にはならない。ドブに落としたと思って、十円分くらいは文字を買ってみてもいいかもしれない、そんな風に思い始めていた。と同時に、こんなひとつ一円にも満たない商品を売って、この男の生計は成り立っているのだろうかという心配も出てきた。余計なお世話とは思いつつも、聞いてみることにした。
「でも、そんな価格設定じゃあ、なかなか儲からないでしょう」
「まぁ小遣い程度ですね。これは副業みたいなもんで、普段は別の仕事をしてるんです。こんな世の中ですからね、なかなか生活が苦しくて、家計の足しになればと思ってやってます」
「でも、小遣い程度にはなるんですね。やっぱり古くからのお客さんというのは、いっぱい買っていかれるんですか?」
「ええ。基本的には一山いくらの世界なので、だいたいみなさん千文字単位とか一万文字単位で買われていきます」
仮に千文字買っても、数百円程度。なかなか厳しい商売だ。しかし、ここの常連客は何を思って、そんな大量の文字を買っていくのだろう。
「みなさん、買われた文字はどういう時に使われるんでしょうね」
「買ったあとは思い思いの使い方ができますからね。いろいろあるみたいです。一番多いのはメールだと思いますね。思いを込めたメールとかあるじゃないですか。ああいうメールの随所に買った文字を組み合わせてつくった文章を入れるんです」
そのメールの文字がどこから来たものか、相手には絶対に伝わることがないだろうが、験担ぎのようなものだと思えば納得できなくもない。
「あとは書類ですよね。退職願とか履歴書とか、そういう節目の書類で使ったりする方も多いです。あとは、見積書に使う方も多くて、そういう方は基本的に漢数字ばかり買っていかれます」
「見積書に使う人はサクセスストーリーの小説とかから拾っていくんですかね」
「そういう傾向はあるかも知れませんね」
何の気なしに口をついた質問だったが、男の答えに閃きを感じた。
「やっぱり、組み合わせの妙なんてものもあるんですか?」
「なかなか鋭いですね。文学に詳しい方ですと、文壇で近い人同士の作品から文字を拾って、ひとつの書類とか文章をつくられたりします。また、それとはまったく逆に、対立する人同士で同じことをする人もいますね。ほかにも小説家同士の夫婦とか、離婚した元夫婦とかもいますしね、いろいろ考える人はいるみたいです」
半信半疑だったことも忘れ、私はその奥深い世界にますます引きこまれつつあった。
「でも、書類をつくるってどうなんでしょう?最終的には印刷しちゃうわけですよね。やっぱり書籍で読める文字の印象と変わってきちゃうと、ダメなんじゃないですか?それに、大量に印刷すると、希薄になっちゃうっていうか」
「その辺りも人によって扱いが別れるところみたいです。おっしゃる通り、書体を変えるとずいぶんと印象が変わるので、極力プレーンな状態で使用したいという人が多いです。一方で広告とかに使われるというデザイナーの方もいらっしゃいます」
「そうなんですか。じゃあ、知らないうちに見ているかもしれないんですね」
「あ、あと最近だと、メールの延長で、インターネット上のSNSっていうんですか、そういうところで使うことも多いみたいですよ。あれは投稿できる字数に制約があったりするから、さっき言った組み合わせの妙を考えるのにうってつけなんだそうです」
「じゃあ、本当に見てそうですね。でも、もし文字を入力した作家が、ネット上の便所の落書きから拾ってきた文章を自分の作品に使っていたらどうしましょうね」
「それでもその文章を選んで〈作品〉にしたのはその作家ですよ」
男は笑って答えた。そして、私は決めた。
「せっかくなんでちょっと買ってみようかな」
「ありがとうございます! では、何にしましょう?」
「そうだなあ。これって約物とかあるんですか?」
「もちろんありますよ」
「私、小説をあまり読まないので、あまり込み入ったことが分からないんです。これたとえば、小説以外から拾ってきたものってあるんですか?」
「ああ、豊富とまでは言えないんですが、ビジネス書とか伝記、美術書、絵本とか割といろいろ取り揃えてますよ。ほかにも技術書とか参考書から拾ってきたものもあるにはあるんですが、だいたい特殊な文字を揃えるために拾ってきたので、そういうのは大した量じゃないです。一応、辞典もいくつかあるんで、なんとかなると思うんですが。もしなんだったら、そのあたりに強い店を紹介しましょうか? せっかくなんでヤバい店も紹介しますよ」
「え、ヤバい店ってなんですか?」
「有名人のメールから字を拾っているようなところです。思いっきり犯罪なんで、うちは絶対にやりませんがね」
「……まあ、今回はここで取り扱ってる分で大丈夫です。ちなみにマンガはどうですか?」
「マンガは無いですねえ。他でもあまり取り扱ってないんじゃないかな」
「気になっただけなんでいいです。そういえば、これ買ったデータは何で渡されるんですか」
「CDにしてお渡しします」
「分かりました。一応確認ですけど、これ買った後はコピーして使ってもいいんですよね」
「コンピューター上でコピーを止めさせる方法なんてありませんから、それはお客さんの自由です」
「ちなみに、これ売れた文字はどうなるんですか?」
「売り切れということで、うちのコンピューターから消去しています」
「コピーしてまた売れるのに、もったいないですね」
「そういうことにしているんです」
「そうですか」
「それで、何を買うか決まりましたか?」
「ええと、まず『あ』を百三十一個ください」
「いきなり結構買いますね」
「まずかったですか?」
「いえいえ、とんでもない! いちいちどの作品のどのページと指定するのも大変でしょうから、作家とかを指定していただいた上で、文字を指示していただけたら、こちらで良い感じに拾いますよ」
「でも、あんまり小説詳しくないんだよなあ。小説のジャンルの指定とか、書籍のカテゴリの指定とかでもいいですか?」
「大丈夫です」
「じゃあ、小説とビジネス書の割合をだいたい八対二にしてもらって、スパイス的に辞書を入れる感じにしましょう。それでビジネス書はとくに指定は無いですが、小説の方はSF小説と推理小説とファンタジー小説と純文学を均等になるようにしてください」
「要するに、ビジネス書も、SF小説もどれも均等ってことですね」
「そうですね。それと、そんなにお金持っていないんで、若手の人のやつでいいです」
「わかりました。それでは、すみませんが、もう一度最初からお願いしてもいいですか」
「はい、まず『あ』を百三十一個」
私が文字と必要な個数を告げると、男は目にも止まらぬ速さでキーボードを叩きはじめた。そして数秒後、男は「はい」という声を発した。テキストファイルを集める作業が終了したのだ。それに呼応して、わたしは次に必要な文字とその個数を告げた。
「ええと、『い』を四百七十一個」
私たちはそうしたやりとりを延々と、そして静かに繰り返し続けた。高かった日がいつの間にかだいぶ傾いていた。
「えーと『私』を四十九個」
気付けば、ひらがな、カタカナ、アルファベット、約物、記号、漢数字と続いて、漢字を発注する段階まで来ていた。私が個数を告げると、数秒後、男は例のの合図を発した。
「これ、結構大変ですね。他のお客さんもみんなこんなことしてるんですか?」
「そうですよ。さあ、まだあれば行きましょう」
また、長いルーティンが始まった。
そして、もう夕方近くになった時。私は最後の文字を男に告げた。
「『梔』を一個。これでおしまいです」
底本:「中洲(川の)」自主制作本
2011(平成23)年5月6日第1刷発行
いろは加留多には「ン」がない。多分ンで始まる言葉がないからだらう。ところが、四五年前、ンで始まる金言を発見したから、ついでに「いろは加留多」を作らうかと思つた。そのうちに忘れてしまつたけれども、又、正月が近づいたから、思ひだした。ンの金言を発見した次第は、次のやうなものである。
北原武夫が都新聞の文芸記者をやつてゐたときの話である。都の匿名欄には僕も時々書いてゐたが、題と匿名は編輯者に委せて、僕がこしらへたことはなかつた。
匿名も同じものを続けてゐると、忽ち看破られる。そのうへ知らない読者には、匿名だけが一本立で歩くやうになり、書いてる本人は、ねざめのいゝ話ではない。それで、ひところ、編輯者の方で、しよつちう匿名を変へてゐたこともある。
ところで、話は「アリマセン」の「ン」であるが、アリマセンなら何でもないが、ンだけ一つ切離して言つてごらんと言はれると、降参する。腹に力をいれて「ン」と言つてみると三分の二ぐらゐ風になつて洩れたやうで、甚だたよりない。つまり一語分の資格に欠けてゐるのである。だから、これを真正直に発音した方で、拍子が抜けて、「ン」の奴に馬鹿にされたやうな、間の抜けた感じなのだ。
ふと、このことに気がついたから、然らば、ひとつ、天下のインテリ共を「ン」の字でもつて飜弄し、みんなに「ン」の字を発音させて、厭世感を深めさせてくれたら、さだめし面白からうと考へた。雑作もないことだ。都新聞に「ン」の匿名で書けばよい。翌朝、僕がまだ寝てゐるうちに、厭世者が続出してゐることになる。そこで、原稿を拵へて、意気揚々、都新聞社へでかけた。
「ねえ、君」と、僕は得意になつて北原に言つた。「この匿名を読んでごらん。拍子抜けがするだらう。一人前の字ぢやないんだね。張合がなくて、甜められたやうな、なさけない気持にならないかね。だから、君、読者をみんな悩ましてやるのさ」
北原は原稿を睨んでゐたが、暫く黙然、怪訝な顔をしてゐる。
「これはウンといふ字だね?」
「え?」
「ウンといふ字ぢやないのか?」
北原は自分が間違つたのぢやないかと赧らみながら言つたが、僕はピストルでやられてゐた。ンをウンと読む奴があらうとは! なるほど、ウンなら一人前だ。をかしくもなんともない。僕は意気消沈したが、世の中は北原ばかりぢやない。慌て者もゐることだから、と、しみつたれた根性で、一回だけこの匿名を使つてしまつた。いろは加留多の条件を覆す大金言を発見したのは、まさしく、この時のことなのである。
「ンをウンと読む利巧者」
底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「現代文学 第四巻第一〇号」大観堂
1941(昭和16)年11月30日発行
初出:「現代文学 第四巻第一〇号」大観堂
1941(昭和16)年11月30日発行
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年9月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
出宰漱太郎
「文字」と「文学」。この二文字が似ている、ただそれだけの思いつきで、文字にまつわる文学を「文字文学」と名付けた。二〇一四年の事である。青空文庫という巨大な書棚を目の前に、自分なりにこっそりと「文字文学」というカテゴリを設け、文字にまつわる小説や随筆を探し、一冊を編んでいった。そうして出来たのが前作『文字文学』であったが、おおむね好評を得たようだ。
きっかけは、type.center という「文字による文字のための文字のサイト」の企画ではあったが、サイト来場者のほとんどがおそらくデザイナーあるいはそうなりたい美大生らしいと聞いていたから、そういった方々にも、いわゆるデザインのマニュアル本ではない視点での、もっと大きな括りでの「文字」に関する文章に触れる機会が作れたのではないかと思っている。ましてや歴史に名を残す作家たちの文章であるし、なにしろ書かれた文章を読むその行為が、「文字」と触れあうことに他ならないのであるから。
前作『文字文学』を編んだときには、おおよそ「文字」というキーワードで選んだ作品はほぼ網羅したつもりでいた。掲載作は十篇と決めていたので、若干の作は漏れることになったが、決して面白く無い作品だからというわけではない。全体の構成のバランスを見た上でのセレクトを行なった結果である。たとえば北大路魯山人は『良寛様の書』と題したいかにも「文字文学」向きな題の随筆もあったが、そこを敢えて外し『料理芝居』を収録するなどした。
ところが今回第二弾を出版することとなり、改めて候補を確認してみると、前作から漏れたのは先の魯山人を含むほんの数作品であったから、『文字文学Ⅱ』として纏めるまでに至らない。むろん前作編纂の際に、いわゆる「文字といえば」すぐに思い当たるような、たとえば『文字禍』などの大物から釣り上げ、掲載候補の十篇+αを粗選びした時点でそれ以上の検索をやめてしまった事もあるが、あらたに十篇を揃えることが出来るだろうかという不安があった。しかしそんな不安はいとも簡単に解消された。「文字文学」のカテゴライズをあらためれば良いのである。もとから明確な区分けすらしていないわけだし、「文字にまつわる小説や随筆」といったところでそもそも「文字にまつわる」の範疇はどこまで及ぶのか。type.ceter の読者の視野を広げるきっかけとなるべき「文字文学」が、自らの視野を広げぬようでは何をか言わんや。気を改めて物語を漁っていくと面白いように作品が見つかったのである。もちろん文字にまつわる話ばかり。どころか前作にも増してバラエティに富んだ著作が出揃った。結果的に二十篇を超える候補から当初の予定通り十篇を纏めようとところ、今度は頁数の都合が出てきた。もとは電子書籍として発刊している『文字文学』であるが、BCCKSのサイトで紙の本にもできる。その際全ての頁が一二八頁に収まると、ごくごく小さな「マメ本」とやらも作れることが出来て大変に都合が良いということだ。実際私もこの「マメ本」を手にしたことがあるが実に可愛い。今も手元に置いて、前作はどうだったか確認しながらこの原稿を書いている。とにかく「文字文学」シリーズを作成するにあたっては、はからずも物理的な制約が出てきたということである。そんなことは予想だにせず、今回はやや長めの作品を二篇も収録したので十篇あわせると既に二百頁を超えてしまっていた。最終的に泣く泣く七篇に絞りなんとか一二八頁に収めた次第である。無念の三篇となったが、前作で漏れた魯山人は実は本作でも端から候補に入れていない。おそらく今後も入ることは無いだろう。収録作の数は減ったが分量は変わらぬ。前作とはまた違った趣を本作では提供できると思う。また頁数を前作と合わせた事で『文字文学Ⅱ』も「マメ本」として発行することが可能になった。どこかで頒布することもあろうかと思うので、その際には是非手にとってみてほしい。
それにしても「文字文学」というカテゴリは至極気に入っている。もしかすると蔦屋書店あたりが真似をして、そういうコーナーを設ける日も近いのでは無いか。
さて、収録作について。一番バッターは軽く小噺といきたい。薄田泣菫が新聞夕刊に連載していたというコラム集『茶話』から「楽書」を抜き出した。書聖と呼ばれた王羲之にまつわる聞き飽きたほどの逸話であるが、「どこの国でも文学者や画家などいふ輩は、滅多に物を購はないで、直ぐ楽書をしたがるものなのだ。」などと皮肉交じりで軽妙に描く。いつの時代も変わらないものだ。
作家がどのように文章を、あるいは文字を書いているか、見てみたい気持ちに駆られる方は多いのではないだろうか。それが夏目漱石であればなおさら。『余と万年筆』ではペリカンの万年筆との格闘が描かれているわけだが、ブランド名であるはずのペリカンが、ここでは比喩が巧みに使われ活きたペリカンが思い浮かび実に滑稽である。さすが「猫」の作者らしいと思えるエピソード。
折口信夫の『辞書』は、いわゆる「字引き」についての随筆だが、根底にあるのはやはり民俗学からの視座である。折口は過去のリファレンスとしての態度と、いまも生きている方言をも網羅すべき態度を辞書に求める。ここでは「ことば」の「辞書」について言及されているが、「ことばのかたち」すなわち「文字」についても同様に、過去と、そしていま生きている方言のようなものにも対応し得る態度を持つべきであると強く感じる。
高村光太郎は『黄山谷について』で、宋の文人の書を「稚拙野蛮」「不器用」と評しながらも愛をふんだんに盛り込んだ想い溢れる文章を書き綴り「すばらしい」と締め括る。実にツンデレ感極まりない。随分癖のある文だが、少しもいやでなく、わざとらしくもない。そこがすばらしい。
芥川龍之介は『神神の微笑』で、宣教師・オルガンティーノを通じて日本文化と日本人について認識を強める。支那から持ち込まれた文字が、独自の文字、すなわち平仮名へと変容する日本という国を知ることとなる。マーティン・スコセッシにより映画化された遠藤周作の『沈黙』で描かれた日本の切支丹文化のアナザーストーリーとして見ることも可能だ。
ナベタン・ヘッセの『梔子』は「文字文学」では初めてとなる、青空文庫からのセレクトでは無い、現存する作家の作品である。ナベタンとは二〇〇一年に同志によって開催された「京急蒲田処女小説文藝大賞」とやらで行き逢った。「文学フリマ」が蒲田で開催されていた頃の話だ。自主制作本『中州(中の)』に収録されていた本作は、文芸としての趣きはむろんのこと、文章はテキストである、という定義に基くメタ文学的視点と、後に実際にメタとしてのテキストデータ配布を行うなどの行為も含め、当時の私は大変に嫉妬したことを正直に告白する。そして今、恥を忍んで掲載依頼をし、ここに収録されることとなった。しかも無償である。ナベタンには足を向けて寝られない。ともあれ結果として「文字文学」の領域が広がったと自負している。
そんな『梔子』の余韻の消えぬうちに読むのも一興、最後を締めるのは、阪口安吾の『新作いろは歌留多』。五十韻最後の文字「ン」でこの本を終えることとする。
(平成二十九年如月、文筆家)
2017年2月10日 発行 初版
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