
死衆
ほら、まだ温かいよ。温かい。亡き兄をかき抱く母の胸は薄い。畜生、畜生。繰り返し叫びながら父の手を握り返した兄は一瞬のうちに彼方へと去った。紅葉のような掌。うすずみいろの墨跡。ひとつ積んでは父のため。ふたつ積んでは母のため。父母よりも先に逝った兄は賽の河原で石を積む。みっつ。よっつ。いつつ。むっつ。兄の周囲には青白い狐火が無数に浮かぶ。ななつ。やっつ。ここのつ。吹き渡る風は冷たい。ぶるぶると震えながら兄は石を積んでいる。
黄泉の境に身を沈め
避妊具をそっと外すんです。女の子に三万円渡すでしょ。ホテルへ行くでしょ。入れるとき避妊具をそっと外す。ヤダあ。中で出さないでって言ったじゃない。女の子はプリプリ怒ってシャワーを浴びに行きます。その隙に女の子の財布から三万円を抜き取ってホテルを出ちゃうんです。おまえ、鬼畜だなあ。俺は笑う。ところで大丈夫なのか、おまえ。もうダメでしょう。こんなぶつぶつも出てきちゃったし。数年後。風の便りが届く。おお、気持ち悪い。男の家で死んだって言うじゃないの。会社辞めた時だって駆け落ちみたいだったじゃない。え、誰。ほら、隣の席の。あのオバハンと。ほんと、気持ち悪いわねえ。あんな奴、死んで当然。
奈落はまわり続ける
私は罰を受けているんだと思います。老女は語る。娘と孫は口もききません。一緒に住んでいてもいないのと同じです。淋しい。とても淋しいのです。熱中症で倒れたときも放っておかれました。娘は離婚してここに転がりこんできたのです。先生から出ていくように言ってもらえませんか。お気の毒ですが御家族の問題にまで立ち入ることはできないのです。どうしても駄目でしょうか。転居を考えるならお力になりますが。出ていくのは娘です。繰り返される会話。今月もアポ取りの電話を入れる。出ない。きっちり八回コールして電話を置く。出掛けているのか。翌朝電話を入れると娘が電話に出る。娘の声は平静ではない。母は転倒して死にました。あの、発見が遅れてしまって。いま警察がきています。亡骸の傍で鳴り続ける電話。いっかい、にかい、さんかい、しかい。
時の反面は翻る
なんかヤバい病気らしい。人伝てに聞いた彼女から電話があった。脚を引き摺るところから始まったんよ。電話口の彼女の声は明るい。頭の中に腫瘍ができてね。いまは車いす。ところで先生。いまはなんの仕事してるの。え、俺。ホームヘルパー。ヘルパーかあ。入浴の介助とかするの。ああ、俺うまいよ。へえ、だけど洗ってもらう訳にもいかないしね。今度パン送るよ。私が焼いたパン。数日後彼女からパンが届く。人の頭くらいあるパン。一人暮らしの俺にはとても食いきれない。適当に冷蔵庫に放りこむ。彼女のこともパンのことも忘れた数年後。こんどは彼女の母親から手紙が届く。最期の数年間は抗ガン剤の副作用に苦しみましたが、それでも明るさを失わずに逝きました。
むくろに吹きつける愛の風。遺思は奔流のように過ぎゆく。惜念の想いも。色ある者たち。有情。色なき者たち。死衆。阿頼耶識は反復し三界を彷徨う。そしてきみはそっと
黄泉の境に身を沈める
子を喰らう
げに恐ろしきは鬼子母神
とりて喰らうは
血肉なり
たどりついたは夜の果て
渇き耐えかね
子を喰らう
いと浅ましきは己なり
涙しながら
子を喰らう
精霊の声
永きにわたる家系図の果て
昏い夜の底でこの館にひとり
終りが無い筈の家譜
だけどそれも僕で終り
馴れ親しんだ孤独
哀しみはない
だけど希望もない
無地のキャンバス
墓所のわらべ唄
幕引きは華やかに
そして静かに
耳を澄ませば
聴こえてくるのは
精霊の声ばかり
夢魔の樹形図が終る
狐火
若い頃の話だ
子を水に流した
毎年その日になると
白い花を一輪だけ花瓶に活けて
その死を悼んだ
流砂のように
時は流れ
結婚し子供が生まれ
生活が忙しくなり
私はいつしかその習慣をやめた
そんなある夜のこと
今日がその日であることを思い出し
私は慄然とした
するとどうだろう
妖しく冷たい狐火が
目前に現れたのだ
くだん
座敷牢の奥に
それはいた
いろあざやかな稚児衣装
そこから出づるは牛の頭
件と書きて
くだんと読む
などて己は
おぞましき姿に生まれたまひし
嘆けども嘆けども
漏れ出るのは
牛の声ばかり
嘆くのは
あさましき己の姿か
性か
座敷牢の奥に
それはいた
泣き狂うおぞましき件が
忌み子
お水をください…いい子にしますから、わがまま言いませんから、どうかお水をください…ごめんなさい…そうです…ぼくは嫌な子です…あの、哀れっぽい目つきって何ですか…ごめんなさい…ちゃんとなおしますから、ぶたないでください…ぶたないでください…あ、それタバコですね…どうするんですか…あ、あ、あ、ゆるしてください…ゆるしてください…
仄暗い末那識から溢れる厭悪。大悲闡提の慈悲は来らず。彷徨う魂魄。終わりなき懲罰。
ママ…頭にゴミがふってくるよ…牛乳パックや鉛筆の削りカスや食べ残しのパンがふってくるよ…ゴミ箱を被ったんだ…みんな、ぼくのこと臭いって言うんだ…ゴミだって言うんだ…臭い奴はゴミ箱を被れって…ねえ、ママ…ぼくはどうしてこうなんだろう…みんな、どうしてぼくのこと好きになってくれないんだろう…ねえ、ママ…ぼくを助けて…大好きなママ…
溺れた者よ。差し伸べられた手を掴む力は残されていない。堕ちて裂けた魂魄。柘榴のような。
死ね…産まなければ良かった…イラつく…何を言われても何も感じないんだ…どうしたのかな…どんなに殴られても酷いことを言われても…何も感じなくなったんだ…喜びはない…だけど哀しくもない…生きてる感じがまるでない…これが大人になるってことなのかな…試しに手首を少し切ってみた…血が出た…痛い…少しだけ生きてる感じがする…この痛みだけは本物…
忌み子よ。穢れた子よ。仄暗い命の冷たき炎。獄苦は引きも切らず。無明の舌はちろちろと肌を這う。終わりなき影踏みに蝕まれる末那識。忌み子よ。愛しき忌み子よ。
眠りの浜辺
ほら、ごらん
アンモナイトが散らばっているだろう
重い眠りについて
見えない糸に操られて
マリオネットみたいだったけれど
残酷な遊戯は終りだよ
もう十分さ
眠るといいよ
きみは戦ったもの
怖れを知らない戦士のように
きみは戦ったもの
天使はおろか
カラスも舞い降りては
こないけれど
ここは眠りの浜辺
ここで世界は終る
ここが擦りきれた
きみの終着駅
静寂と永劫に
身を委ねて
休むといいよ
世界の終り
眠りの浜辺で
2017年1月12日 発行 初版
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著書「台風ヤンマ」(新風舎刊) http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00393590 著書「チョコレート虫の飼い方」(国土社刊「ぼうしにのる魔女」所収) https://ndlopac.ndl.go.jp/F/?func=find-acc&acc_sequence=034771111 詩「熱帯植物街」(22世紀アート編集部「花物語と夢の音」収録) https://romancer.voyager.co.jp/?p=10164&post_type=epmbooks 小説「シャングリラ」(22世紀アート編集部「花物語と夢の音」収録) https://romancer.voyager.co.jp/?p=10473&post_type=epmbooks 詩「時の庭」「ネジ巻きドール」(「金澤詩人」6号) https://m.facebook.com/gutoku/photos 詩「気晴らし遊戯」「ジプシー」「テロリストの恋人」(「金澤詩人」7号) https://m.facebook.com/gutoku/photos 小説「進水式」が、第2回クリエイティブメディア出版、えほん•児童書コンテ ストで、ほほえみ賞を受賞しました。 http://www.creatorsworld.net/award_ehon/