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(主な登場人物紹介)

佐藤蘭(主人公)
事故の後遺症で過去3年間の記憶をなくす。中学2年生と思い込んでいるが、実際は高校2年生。空白の3年間のうちに大嫌いな男と恋人同士になっていた。

山内俳里(彼氏)
蘭の彼氏で幼馴染。素行の悪さが祟り、12歳で絶交される。その後蘭への想いを自覚し、恋人として新たな関係を築くも、傲慢さが故に破局。現在蘭に過去を隠して同棲中。

山内万里
山内の七つ年上の兄。顔と性格の悪さは良くにている。二人の働くコンビニチェーン店のオーナーで、こと蘭に関しては小姑ばりに煩い。

仁科兄妹
双子で蘭たちと共通の友人。妹は何かと二人の世話を焼いている。


こちらは、「大嫌い彼氏」の読み切り短編集です。本編をご覧になっていない方もお読みいただけると思います。

 目 次


蘭くん、3Pする


男子諸君に告ぐ


別作品紹介

蘭くん、3Pする

「蘭くん、3Pする」


*本作は、作者の書きたい部分のみで構成しています。展開は若干荒削りですが、ご了承ください。
*本編とは一切関係ありません。





 ある日、蘭は山内と一緒にゲイビデオをみていた。タチの二人に三点攻め(アナルと睾丸、ペニスを同時に愛撫するプレイ)をされ、涙ながらに喘ぎまくるネコ男優。四つん這いの彼は一人の男優の男根を後ろで咥えこみ、シックスナインの体制で床に寝そべる別の男優に、ピンとそそり立つ大事な部分と袋を同時にいじくられている。
「やだっやだっ」「だめえっ」裏声に近い嬌声で拒む言葉を吐きつつも、自ら腰をふり、唾液を垂らし、ひたすら快感を追っていた。開脚されようが、ひっくり返されようが、されるが儘。終始淫らなポーズでどろどろに溶けていく男優に、蘭は無性に興奮した。アレがパンツを食い破りそうな勢いで頭をもたげ、ジンジンと張りつめて、痛くて痛くて。でも隣の山内は白けた顔。
「すっげえことされてるね」と話しかけられ、「そう?」と蘭もそっけない返事。いやいや俺、この「すっげえことされてる」お兄さんに超興奮してますけど、とはとても言えない状況。それはそれは、生き地獄のような時間であった。
(あんな気持ちいいんだったら、俺も、やってみたい……)
 という訳で、一人で試してみることにした。


 某月某日のここは、自宅の寝室。山内は期末試験の勉強に付き合ってもらうとかで、バイト上がりに直で万里宅へ直行している。やるとなったら今日しかない。
 まずは、ネット通販で購入したローションを指に塗りたくる。同時購入したバイブレーターは、ちょっと脇においといて。時間も惜しいので、衣服は下だけ摺り下し。で、四つん這いになって、いつも山内にされているように、入り口に指をあてがい、入念に解していく。
 最初は円を描くように、慣れてきたら、人差し指のさきを挿しこんでみたり……。
「うっ」
(な、なんか……恥ずいなコレ)
 当たり前だけど、かつてこんな事、一度もしたことがない。あられもない恰好で自慰に耽る自分自身に、凄まじい背徳感が押し寄せる。
 こんな姿、もし山内に見られようものなら、一生ネタにされ、強請られてしまいそうだ。
 ソワソワと締め切った室内をグルリと見渡すが、もちろん誰もいなかった。



――数十分後。蘭は初めてのアナニーに苦戦していた。
 どうも、後ろの具合がよく分からない。いつも山内にされるが儘だったから。普段の要領で触ってほぐせば、すぐに気持ちよくなるって思ってたんだけど……。撫でたりツンツンとつついた所で、一向に柔らかくも気持ちよくもならない。
 山内は一体どうやって、あんなに大きなモノをここにねじ込んでいたんだろう。
「うう……っ、くっそ」
 とうとう太腿止まりのスラックスとパンツを脱ぎ捨てる。
 シャツ一枚に下半身を露出させ、かなり変態寄りの格好になってしまったが、まあ誰も見てないんだし、いいか。
 ベッドに移動し、ふたたび四つん這いになると、頭を下げて腰を天井に突き出した。いわゆる女豹のポーズだ。
(なにやってんだろう、俺……)
 しかし、この羞恥心に勝たねば成し遂げられない。三点攻めの快感を味わう為には。ちっぽけなプライドなど、些細な障害にすぎない。
「ふーん。お前にこんな趣味があったとはね」
「……」
 突然だった。背中側から耳になじみのある、とっても嫌な声がした。
 しかも声の主は一人じゃなく、
「うわ、こりゃ完全に変態の領域だな。ったく、最近のガキはこれだから」
 無性に聴き憶えのある、愛想のないダミ声まで。
 蘭からざざあっと血の気が引いていく。戻すに戻せない腰は高く掲げたまま、ぎぎいっと錆びついたブリキの玩具のように、顔だけを後ろに向ける。

――山内兄弟だ。

「くそ、ケツ向けて誘ってんなよ猿」
「ふっ。どうせお前の寝技じゃ満足できなかったんだろ」
「は?」
 山内俳里と山内万里。通称名は、ハイジとバンビ。
 愛称だけは可愛いが、近所でも有名なごっつい兄弟。
 競い合うような長身で容姿端麗な二人が、何故かベットの下からにゅっと頭を出して、無様に晒した蘭の尻の前で口論している。
「な、なななななっ何してんだよお前ら!?」
「別に何もしてねーわ。ていうか蘭こそ俺に隠れて何やってんのってハナシでしょ」
 と言うは弟のハイジ。ちなみに現在進行形で(認めてないけど)蘭の彼氏だ。
「俺が手伝ってやろうか?」
 とニヤついているのは兄の万里。ちなみにバイト先のオーナーである。
「お、俺……は、ちょっと好奇心で……」
 蘭がしどろもどろに言い訳してるうちに、二人はすぐそこまで這い上がっていた。
「好奇心ねえ。俺の貴重な昼寝を邪魔した罪は重いぜ?」
 先ずは、万里が蘭の足首をつかみにかかる。
「ちょっと待って昼寝って何だ!?」
「兄貴が夜勤明けで眠い眠いって煩くて。昼寝してたんだよ。したら蘭が帰ってきて。言い訳すんのも面倒だし……」
「俺は弟の指示で隠れたまでだ」
 つまり二人とも、帰宅した蘭に気付かれないよう、ベッドの下に隠れていたと。蘭がそわそわと辺りを見回しながら、アーッ!! なことを始める前から、ずっと。
 ショックで放心状態のところ、万里は飄々とした面持ちで足首を掴むと引き寄せる。
「おい、勝手に触ってんじゃねーよ」
 負けじと山内も手を伸ばすが。
「やっ、も、どっちも触んな! お前ら、マジでいい加減にしろよ!」
「それはこっちの台詞だから。そんなに俺は不満だった?」
 山内の三白眼は、異常なほどギラついている。まさに野獣のそれだと蘭は思った。
 そして……。
「いいよ。蘭が二度とこんな真似したくなくなるまで喘がせてやるから」
「それじゃ、俺も手伝ってやるとしよう」
 声質のよく似た二人の男は、それぞれ蘭をみてうっすら口の端を歪めた。



 ああ、どうしよう。全身がドロドロに溶けてく。
 覗かれて、勝手なことされてムカツクけど……、気持ちいい。
 ガクガクと痙攣する体をなんとか二の腕で支え、ただ快感に浸る。
「う……っふ、ぅ……あっはぁ……っ」
 兄弟はすぐさま蘭の身体を火照らせにかかった。
 有無を言わせずベットに押し倒すと開脚させ、まだ芯の通っていない核心を山内が咥えこんだ。かつてない指と舌遣いに、肉棒はあっというまに熱をもち、追い上げられていった。
 コックリングの代わりに、根本をぎゅっと握られる。そのまま竿を舐め、窪んだカリクビの内側まで舐め。亀頭がぱんぱんに膨張した所で、喉の奥まで誘導される。
「あっあっあっ……」
 すぐさま果てが来たが、根本の圧力のせいで、精液が出てこない。いわゆる空イキ状態。開脚させられた太腿を痙攣させ、ただただ快楽の余韻に浸る。それでも怒りは収まらず、一連の愛撫を繰り返し、執拗に与えられた。
 快感はとめどなく続いた。泣けど喘げど終わらぬ愛撫に、とうとう理性が崩壊しかけた頃。見る役に徹していた万里が加勢する。
 万里は楽しそうに笑みを浮かべ、悶え狂う蘭の胸元に顔を寄せる。まったく無防備だった蘭の両乳首を摘みあげ、口と指先で弄び始めた。
 弟の俳里と比べると、年齢も三十そこそこの大人の男。人生経験も豊富だ。乳輪の先端を転がしたり甘噛みされると、信じられないほどの嬌声が喉から溢れでてしまう。
 山内はあからさまに気にいらない顔をして、もう片方の乳首に吸いつく。
 睾丸と勃起は、右手で交互に揉み扱きながら。蘭のつぶらな果肉を舌先で弾きながら吸い上げる。記憶を失うまで、三年越しで愛でられ続けた唇だ。当然蘭は背中をのけぞらせて反応した。
フン。万里は溜息ひとつ。喘ぎ狂う蘭を後ろから覗き込むと、強引に唇を塞いだ。
「う、んん……っぁ、ん……」
 すぐに舌が押入り、歯型を辿って口内のすべてを味わっていく。
 煙草の味が染みついている。ほろ苦い万里のキスは少し冷たい。
「ふぅ……んぅっはぁっ……」
 渋くも甘い蜜液が滴り落ちる。
「何してんだよお前ら……!」
 気付いた山内が引き剥がそうとするが、兄は唇を解放させる気はさらさら無いようで。
 嫉妬に憤怒する山内を無視して、見せつけるように音まで立てて味わっている。
「ああ、そう。そっちがそのつもりなら……」
 山内の嫉妬は、強い欲望の塊となって蘭の体に返ってきた。思い切り両脚を開脚させると体をねじ込み。
「ん――、んん――っ……!!」
 指を三本使ってずぶりずぶりと掻き回していたアナルに、自らの欲望をあてがった。
 ズンっと突き刺すような衝撃。さきほどとまるで違う、熱い熱い快楽の渦が、朦朧とする意識を飲み込んでいった。



 ローションとカウパー液で蕩けきった菊門は、激しいピストンに合わせて蜜音をまき散らしている。
 野生のような、激しく衝動的な腰使い。容赦なく穿たれると熱が沸き、何も考えられなくなる。
 これまでにない激しいセックスに、蘭はただただ狂ったように鳴き声を上げていた。
 今は四つん這いを後ろ手に持ち上げられ、膝立ちの無理な体位で貫かれている。背中がのけぞって苦しくて、自然と尻が突き出てしまう。
 それすらも利用して下から斜め上に、反り返った暴君が出入りを繰り返した。
「あー、ああ……ああー……っ」
 核心は、万里の口内に飲み込まれている。
 前後運動に合わせて吸われ、舐められ。時にカリクビのくぼみに前歯を置かれ、甘噛みされたりもした。
 後ろから突き上げられるたび、睾丸が、たぶりたぶりとぶつかり合う。たまらなくて、先端から何かが飛び出した。
「あー、ぁぁー……っ、すご、気持ちい……っ」
「気持ちいとか、呑気に感じてんじゃねーよ猿!!」
 まったく怒りが収まらないのか、山内が吠える。穿つたび肉声が震えているので、攻め立てるのも我慢の限界のようだが。
 目の前の黒いスーツの男は、蘭の股間に顔をうずめて未だ息子を頬張っている。もう、何度果てたか分からない。しかし白濁の快感は、まだまだ底をつきる事はなさそうだ。
「万里兄ちゃぁん、そこぉ……っ、もっと、もっと吸って……!」
「ふ、ざけんなよ猿!!」
 蘭がおねだりすると、山内が怒る。さらに強く熱く、蘭の身体を貫き続ける。
「ああー気持ちいい……っ、ああ、もうだめ、またイク……、くっ――」
 蘭は何度目かの高みへと上り詰める。
 背後で山内が息をのんだ。途端にそれがグンっと膨張する。
「あーっだめ、それだめ……!!」
「蘭……!!」
「やっはいり、俳里っ……いっしょ、一緒に……っきたい」
「蘭、お前、名前――」
 汗でドロドロになった互いを抱きしめ、二人はほぼ同時に最後の絶頂を迎えた。


 その後万里は満足した顔で「じゃあな」と挨拶もそこそこに店舗に戻っていった。一体なんだったんだろうと、風呂上がりに湯気を立たせつつ、蘭はその背中を見送った。
(なんだかんだあったけど、思った通り三点攻めって気持ちいいんだな~)
 それじゃ今度こそ、誰もいない時に一人でやってみるか。
「……お前、また何か企んでない?」
 ベッドに寝そべる山内が、持ち前の嗅覚でそんなことを尋ねる。「何のことだよ?」ととぼけたフリ。
「そういやこの前一緒にゲイビみただろ?」
「あー、うん? 男二人に攻められるってやつ?」
「そ。あのうちの一人が今度フツーに芸能界デビューするらしいよ」
「ふーん」
「でもすげえよな、バリタチなのに根性でバリネコやりきって、その演技力が評価されて映画に大抜擢とか。ちょとシンデレラストーリーぽくない?」
「……」
「らーん?」
 どした? と聞き返す山内に、「あ、あははははは」蘭は「なんでもない」と引きつり笑顔でそう返した。


END

男子諸君に告ぐ




「俳里ぃ」
 ソファに寝そべる俺の腹に、蘭がニコニコ笑顔で擦り寄ってくる。
「あん?」
悪いけど、雑誌読むのに夢中なんだよ。天井むかって腕を伸ばし、それを持ち直しながらちょっと離れろよと蘭の頭を膝で小突いた。
 単純に読書タイムを邪魔されてウザかっただけなんだが、蘭は何か勘違いしたようだ。俺が遊んでやってると思ったらしく、きゃっきゃと子供みたいにじゃれつきはじめた。
「俳里、俳里、俳里くんっ」
 正直、……うぜー。
「はいよ」
 それを適当に足先であしらう俺。最近冷めてると自分でも思う。
 幼馴染で男同士。しかも、一度は絶交していた奴との恋愛。こんな稀有な関係であっても、倦怠期というものは平等に訪れるらしい。
「ねえ、大好きだよ?」
「あー、うん」
「俳里」
 だから、そんな事を今更いちいち確認する必要なくない? 好きだから付き合ってるんでしょ、俺達。
「ねえ、俳里……」
「だから聞いてるって」
 なんだよ、好きなこともできねーじゃん。ほんっとイライラ。
 貧乏ゆすりしながら適当に返事する俺。正直、毎日同じことを確認してくる蘭にうんざりしていた。
「ねえ、俺本当に、俳里のこと大好きだよ?」
 それもさっき聞いたし。
「ありがと」
「……俳里。ちゃんと俺の目みて」
「見てるし」
「見てないよ。だって今日一度も顔合わせてないでしょ、俺たち」
 何でだろ。最初は可愛いくてたまんなかった蘭のことが、最近ちょっと重たいと思うようになってきた。
 先に惚れたのは俺。告ったのも俺。子供の頃のいざこざが原因でずっと嫌われてて、それを異常なほど引きずってたのも、俺。
 だけど、追いかける立場が逆転してから、恋愛という名の熱は、明らかに体温を下げていた。
 蘭のことは、変わらず好きだ。だけどいまさら、そんな事いちいち言わなくて良くね? と思ってしまう。
「俳里、キスして」
「はいはい」
(あーもう、面倒くせえ)
 またか。内心ぼやきながら、蘭の肩をもってソファに押し倒す。俺の気持ちとは非対称に頬を赤く染めたアイツは、昔とちっとも変らない。今日も変わらず、いじらしく潤んだ目でじっと見上げくる。
「俳里……。俺、本当に大好きだよ」
「ありがとな。俺も好きだよ」
 軽くキスして抱きしめる。蘭はすげえ嬉しそうに、俺の首に両腕を絡めてきた。
 服を脱がせ、適当に口付けてって、また適当に抱く。この温もりが、いつか消えてしまうなんて考えもせずに、大切な一瞬一瞬を、無下にも食いつぶしてきたんだ。


 現在――――。
「誰がテメーと一緒に風呂なんか入るかボケ!」
 俺は、あれほどいじらしかった蘭に嫌われ、暴言を吐かれ、追いかけては逃げられ蹴られ。
 少し前までの思い上がっていた自分を、心から後悔する日々が続いている。
 男子諸君よ。
 好きな相手が隣にいることは、決して当たり前なんかじゃないぞ。俺みたいになりたくなければ、彼氏、彼女を大切にしてやれ。いいな。


END

大嫌い彼氏(本編)

こちらは本編より、第一章「溺愛警報」と第二章「性悪男に制裁を」を掲載させていただいております。



「溺愛警報」




 佐藤さとうらん。健全な中学二年生。
 好きな物は映画、彼女、少女漫画とエッチなこと。
 嫌いな物(奴)は、元幼なじみの山内やまうち俳里はいり。通称ハイジ。
 顔は良いけど他は最低な性悪男。大っ嫌いな天敵だ。
「何言ってんのよ。アンタの恋人はハイジでしょ」
「嘘つけ! 何で俺がこんなのと付き合って……ていうか待って、俺もアイツも男だから!!
「いい加減にしなさいよ! 恋愛に性別は関係ないってアンタが言いだしたんでしょ!」
「はぁぁぁ!?
 蘭は今……、猛烈に混乱している。



「ちーかー」
 季節は猛暑。夏休み最後の八月三十一日の今日は、同級生の清家せいけ千夏ちかと付き合って三カ月の記念日だった。
 記念日。記念日と言えばエッチ。
 都合のいいことに、蘭の両親は、商店街のくじ引きで当てた温泉旅行に出かけて、明日の夜まで帰ってこない。
 そんなわけで(エッチ目的で)約束を取り付け、白昼〇時、胸をどっきんどっきんさせながら、家の前で待っていたわけだ。
「蘭くんおまたせー」
 髪を頭のうえでお団子にした千夏が、ピョンピョン飛び跳ねながら出てきた。
 足元は透明な厚底サンダルに、肩には大きめのクリアバッグ。膝上二十センチは軽く超えた超ミニのキャミソールワンピースが、これまたかわいい。
 最近はやりの水色の小花柄だ。胸元は乙女チックに横フリルがついているが、うしろは腰のあたりまでガラリと空いていて、肩ヒモが背中でクロスしている。
 うーん、なかなかエロい。
「あっちーな。早く俺ん家いこーぜ」
「おっけー」
 よいしょと自転車の後ろにまたがる千夏に、「こけるなよ」と言って振り返る。
 キュッと締まったウェストから、ワンピースの裾がふんわりと、マシュマロみたいに広がっている。カモシカのような細い脚は、格別に魅力的だ。
(おお)
 ドキドキが止まらない。今日は、どうやって誘おう。ストレートに言っちゃっていいかな。千夏が欲しいって。
 ヤリたい盛り。健康な中学生の欲望は底をつきない。
「……、ん、らんくん、蘭くん!!
 そんなことばかり考えていたせいで、気付かなかった。
「危ないよ!!
 勢いよく下った坂道の角から、宅配便のトラックが飛び出してきたことに。




 見上げれば、真っ白い天井。古臭い白色灯が、煌々と照り付けている。
「あ、れ。俺……?」
 激しい頭痛とめまいに襲われながら、蘭はようやく目を覚ました。
 そのうちぼんやりと、記憶がよみがえる。
 たしか千夏と一緒に家に向かっていて、飛び出したトラックにかれかけたのだ。
 あれからどうなったんだろう。
(ここは……病院? 千夏は? どこにいんの?)
 起き上がろうとするが、どういう訳か、体が鉛のように重たくて──。
「蘭!!
「わっ!?
 突然にゅうっと、天井から顔が二つ現れた。部屋には自分一人だけだと思っていたので、蘭は飛び上がって驚いた。
 そこにいるのは浅黒い男とスレンダーな女。
(だ、誰だコイツら)
 この顔、どこかで見たことがある気もするが……。
 考えこむこと数秒、ようやく思いだした。隣のクラスの双子、仁科兄妹だ。声をかけてきたのは妹のほう。
 どういうわけか、二人の印象がガラリと変わっている。そろって黒髪のクルクル天然パーマだったはずなのに、仁科妹は腰までの真っすぐストレート、兄は奇抜な金髪ドレッドヘアになっている。
 双子のチビで有名だった二人の体格はかなり大きくて、どう見ても中学生とは思えない。特に兄の方。ゆうに百八十センチはありそうだ。
「あれ、仁科さん……? だよな……?」
 自分の声があまりに低くひしゃげていて、蘭はさらに困惑する。
「ねえ、コイツあたしの事、仁科さんとか言ってるよ。なんかおかしくない?」
 キモチワル。おげ、と仁科妹が舌をだして言った。
「うーん。でも、見た目はいつもの蘭だよ?」
 続いて仁科兄も首をかしげる。蘭に負けず劣らず、こちらもかなりのダミ声だ。
「ほら、このボーっと口をあけた、いかにもアホっぽい感じ」
「うん。たしかにアホっぽい」
 兄の言葉に妹も共感する。
「おい」
「それと、食欲と性欲しかありませんって顔」
「あー、してるしてる」
 またまた兄の言葉に妹も共感する。
「ちょ……っ。なんだよお前ら、初対面なのに口悪すぎだろ」
 初対面てなによ! と仁科妹がバシンッと頭をはたく。
(この女、怖い……!)
 それより自分の声の低さが本当に怖い。これはもしや、ケガの後遺症か。
「ヤリすぎて意識飛ばして病院に運ばれるぐらいだもんね。まあ、あれはハイジが悪いと思うけど」
「言うよな。アホな子ほどかわいいって。俺にはその魅力が全く分かんねえけどな」
「え? え?」
 その後も双子は言われも無い罵詈雑言ばりぞうごん を浴びせ続ける。
 蘭は混乱していた。
 二人の会話についていけない。意味が分からない。
 それと、どさくさに紛れて聞き捨てならない名前が耳に入り、困惑を極めるばかり。
 今たしかに、ハイジと言った。
 ハイジといえば、おなじみの童話の主人公と、腐れ縁で絶交中のあの男しか浮かばない。おそらく会話中の『ハイジ』とは、後者に違いないわけで……。
「ハイジが好きな気持ちも分かるけどさ、あんまり自分を傷つける恋愛ばっかすんなよ」
「────ん?」
 蘭は何のことだと首をかしげる。
「だから、求められたからって、ホイホイセックスばっかすんなって言ってんの。じゃねーと今度こそヤリすぎで意識がぶっとぶよ、お前」
 考えること数秒。さきほどの言葉が頭のなかで繰り返し流れ続ける。
(この人、いま何て言った? ヤリすぎてどうとかって……)
 現在の恋人は千夏だ。浮気なんてもってのほか、そんなこと絶対にしない。するわけがない。
「…………」
(いやいやいや……その前にもっと、ほら、おかしいだろ、いろいろと!)
 ハイジといえば、あのハイジ。山内俳里。
 糞がつくほどヤリちんのクズ男だ。
「あ、うわさをすればハイジきた」
 突如、ドアを蹴破る勢いで部屋に訪れたのは、たしかに山内俳里、本人である。
「げ」
 相変わらず目つきは悪いが、憎たらしいほどの美形に変わりはない。現在は眉間に皺をよせ、蘭の方をじっと見ている。
「蘭……っ」
 山内は、ベッドの上までズカズカと歩み寄ってくる。
(何なんだよいったい!?
 言っておくが、山内とは小学五年生の時、「一生俺の前に姿見せるな」とぶん殴って以来、一度も話していない。確かに、『ハイジくーん』なんて幼なじみやってた時代も、あるっちゃある。けれど、それは幼稚園から小学校低学年までの話。
 今は大大大嫌いな天敵。嫌いになった理由すら思い出したくもない。
「何だよお前、誰が話かけていいって……ふぐっ」
 動けないのをいいことに、躊躇もなく覆いかぶさってくる。
「この最低ゲス男!」と見切りをつけた相手に抱きしめられるという、最悪な状況。
「離せよテメエこら!」
 そして蘭は見た。自らに降りかかった惨劇の一部始終を。
 山内の顔面ドアップが急接近するまでの数秒間の出来事を、ぜんぶ。
「んっ──!! ん──っ!!
 かつてクラスの女子がうわさしていた『ハイジくんの格好いい唇』が、蘭の同じ部分をくまなく覆い尽くしている。
 ふにゅんと柔らかいその感触は、紛れもなくやつのモノであって……。
「やっ、やめっやめろ……ちょ……っ」
 顔から引き剥がそうとするが、力がはいらない。
 そのうえ、動くたび下半身から(特に尻のあたりから)異常な鈍痛がおそってくる。
 これまでに経験したことがない、ひどく熱をもった痛みだ。
(な、なんなんだよ、これ……、いってえ)
 腰は痛いうえ、全身はゾワリと鳥肌が立っている。とにかく、上も下も、最悪だ。
「やめ……っ。俺には千夏が……」
「ねえ、蘭てばハイジのキス、すっごい嫌がってない?」
「ああ。やっぱちょっとおかしいかもな」
 その隣では仁科兄妹が、まるで当たり前の風景を見るかのように、横一列に並んで二人を眺めていた。




「千夏ちゃん? なーに言ってんの。あの子、蘭と別れて女子高に進学したじゃない」
 もう二年も前の話でしょ。今更なに言ってんの、と仁科妹はつっけんどんに言った。
「……え?」
 千夏と、別れただって?
 その発言で、蘭の思考は再び停止した。
「ちょっと、アンタ本当に大丈夫?」
 仁科妹は怪訝な目を向ける。
 部屋の隅に目をやると、天敵の山内俳里がいる。腕組みをして壁にもたれかかるように立ち、同じく蘭の方をみている。蘭はあえて目を合わさないようにしていた。
「確かに、千夏ちゃんと付き合ってる時、トラック事故に巻き込まれそうになったって話は聞いたことあるわよ」
 でもアンタ、あの時は自力で避けて電柱に激突したんだってヘラヘラ笑って言ってたじゃない、と仁科妹は言うのだ。
「待って。意味が分かんない。じゃあ俺、事故のせいで入院してるんじゃないの? ていうか、千夏と別れたってどういう事?」
 たずねると、どういう訳か、顔がみるみる険しくなり。
「ちょっと口を慎みな。ハイジもいるんだよ。今さら元カノの事を掘り返すのはよしなさいよ」
「あのさ……。何を勘違いしてるのか知んないけど、俺の彼女は千夏だけだから」
「このお馬鹿!」
 仁科妹は、ますます苛立ちを募らせる。頭のなかは、クエスチョンマークでいっぱいだった。
「さっきから何言ってんの。アンタの恋人はハイジでしょ!」
「はああ?」
 咄嗟に山内を見る。奴はニコリとも笑っていない。それどころか、じっと蘭を見ているだけ。眉間にシワを寄せた、とにかく神妙な顔つきだ。力強い視線には、蘭のような困惑も動揺も感じられない。
 蘭はもう一度仁科兄妹を見た。たちの悪いドッキリじゃないかと訝しむが、目が合うなり「冗談もほどほどにしなさいよ」と逆に咎めるような視線を投げられるだけ。
「う……嘘つけ! 何で俺がこんなのと付き合って……ていうか待って、俺もアイツも男だから!!
「アンタいい加減にしなさいよ!」
 仁科妹が、とうとう女ヤクザのような恐ろしい形相でつかみかかってきた。
「男同士? だから何よ。それはあたし達が散々アンタに忠告してきたセリフよ! だけど恋愛に性別は関係ないってアンタが言いだしたんでしょ!」
 い、意味が分からん。どこの世界に、男と、しかも大分前に絶交した大っ嫌いなやつとにゃんにゃんする馬鹿がいるんだ。
「し、知らねーよ、そんなこと……っ」
「知らないって……アンタねえ!!
「まあ落ち着けって。蘭も病み上がりで混乱してるのかも。とりあえずおばちゃん呼んで先生に診てもらおう」



 ──蘭は今、猛烈に混乱している。
脳震盪のうしんとう が原因だと思いますが、佐藤さんに、中度の記憶障害が起きているようです」
 五十代半ばの男性医師は、ボードに貼った脳のMR画像と蘭とを交互に目をやり、「ふむ」と顎をしゃくって言った。
「先生、こういう事例はよくあるものなんでしょうか?」
 隣に座る母親も、医師と同じくMR画像と蘭を心配そうに見ている。
 つい数時間前まで病室で蘭の容体を見守っていたという母は、長期の入院に備えた大量の荷物を両手にひっさげて駆け込んできた。
 夫婦で温泉旅行中のはずの母が病院で待機していたこと、そして先ほどの医師の説明を聞いて、蘭もようやく一連の出来事を理解しはじめる。
「意識不明だった患者の方に、一時的に記憶障害が起きることはままあります。佐藤さんの場合は、記憶が三年分ほど途切れてしまっているようですね。今は意識もはっきりしていますし、MRにも脳の障害は見受けられません。いまはとにかく、安静にして様子を伺いましょう」

 佐藤蘭、十七歳、私立の共学校に通う、高校二年生。
 それが現在の自分、だという。

 十七歳。つまり、十四歳という記憶そのものが誤っている。千夏と自転車で二人乗りをしてトラックにぶつかりそうになったのは過去の話で、現実はそこから三年も経っているという。
(嘘だろ……。俺、高校生になってんの。なんだよそれ、ありえないって)
 仁科兄弟の説明によると、十七歳の蘭は、直前まで山内の家にいたようだ。そこで何かしら(事故のようなものとか言っていた?)があって意識不明になり、今の今まで、ずっと眠りこけていたという。
 倒れた時に頭の打ち所が悪かったせいで、記憶が混乱してしまってるのだろう。そう言った医師の言葉と合わせて推察すると。
 現在の記憶は、千夏と遊ぶ予定だった中学二年の八月三十一日で停止していて。そこから三年間の思い出が、すっぽり抜けている、ということになる。
 それだけならまだよかった。
 それよりさらに衝撃的な事実。
 空白の三年間のうちに、あろうことか蘭は、大嫌いなやつと恋人関係に発展している。
 それがあの馬鹿、山内俳里。通称ハイジ。
 昔は仲のいい幼なじみ。現在は大大大大大っ嫌いな天敵である。
(なぜ。なぜだ。俺よ、よりによって何で男を、しかも山内を恋人なんかに選んだ)
「まあ忘れちまったもんは仕方ねーよな。てことで、まずは千夏とよりを戻すとして……」
「は。ふざけんなよ」
 退院許可があっさりと下りたので、その日のうちに帰りの身支度をしていた病室内。いまだしつこく居座る山内が、蘭の独り言に唐突な横やりを入れてくる。
「忘れたなら、もう一度俺に惚れさせてやる」
 記憶ないからって浮気すんじゃねーぞコラ、猿。と聞き捨てならぬ暴言まで浴びせられ。
「誰が猿じゃ」
「テメーのことだろ」
「て……っ」
(こ、この野郎……っ。相変わらず口が悪すぎだろ)
 本当に、一体何がよくて彼氏なんかに選んだんだと、蘭は心のなかで悪態ばかりついていた。
「お前、ついてくんな! もう帰れよ」
 しかも帰りの道なり、蘭をぴったりとガードするように、後ろから山内が追ってくる。母と一緒に夕飯の買い物をしたかったのに、山内のせいで別行動になってしまうしで最悪。ハンバーグ食べたかったのに。『母ちゃんのケチャップ味のハンバーグ』は、蘭にとってなによりの栄養補給源なのだ。
「お前邪魔なんだよ! マジでどっか行けよ」
 ダッシュして追いつこうかとも思ったけれど、悲しいかな、下半身の鈍痛がまたもやそれを阻止している。
「あのさあ、どこに帰るつもり?」
「どこって、家に決まってんじゃん」
「ははは。そう言うと思った。嫌がってるとこ悪いけど、実は俺ら同棲してんだわ」
 悪いね。悪びれる風もなく、半ば棒読みで山内が言う。
「言っとくけど、蘭がどう思ってようが、俺はもう絶対、お前を手放すつもりないから」
 逃げんなよ。逃げたら怒る。あと電話もすぐ出ろよ。出ねーと怒る。それと寝るときのおやすみのチューも……うんたらかんたら、長い独り言が背後で聞こえてくる。
「お前、絶対俺を脅して無理やり付き合ってたんだろ。なあ、そうなんだろ」
「ばーか。めちゃくちゃかわいがってたよ。お前も、俺といて幸せだって笑ってたよ。二日前の話だけど」
「う、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」
「嘘じゃないって猿。ホラ、おいで」
 山内はさっと蘭の手前まで回りこむと、背中をむけてしゃがみこんだ。
「なんだよ」
「歩くのつらいんだろ、おぶっちゃる」
 はよ乗れ。
 細長い三白眼が、上目づかいに蘭をにらんでいる。そこから乗る乗らないの合戦を繰り広げたのち、腰の鈍痛に負け、結局おぶられていたりする。
「いいか、今日だけ特別だからな。今日だけは一応、仕方なくお前の家にいってやる!」
 ぶらぶら脚を振り乱しながら蘭が言った。
「あーはいはい。んで、夕飯どうする。ハンバーグでいい?」
「あ、お、おう……」
「お前好きだもんな、ハンバーグ。ソースはケチャップだよね?」
「あ、うん。詳しいな、お前」
 母親しか知らないと思っていた黄金パターンを言い当てられて、若干目が点になっていると。
「ふん。俺の献身的な愛をなめんなよ、猿」
 とつぜん山内がバックキックをかましてきた。しかも見事、かかとが尻にクリーンヒットする。おかげでジンジンと痺れるような鈍痛が押し寄せ、ぎゃっと悲鳴がでる。
「イッ……!! 何すんじゃボケ!!
 二人の甘い(?)攻防戦は、まだ始まったばかり。


「性悪男に制裁を」


 中学までは、普通に女が好きだった。初めての相手も二つ年上の女の先輩だった(と思う)。
 山内俳里の恋愛遍歴を変えてしまったのは、元幼なじみのツンデレ男、佐藤蘭が原因だ。
 蘭とは、幼稚園から幼なじみだったが、ある時期に友達の縁を一方的に切られた。
 彼の大切な物ばかり片っ端から奪った結果なので、自分の行いが原因であることは認識している。
 のちにそれが恋の始まりだったと気付いたが、そんな複雑な感情、幼い子供に理解できるはずがない。
 同い年でどちらもA型。家も近所で幼稚園も一緒だったから、対抗意識と考えるほうが自然だった。

 二人はなんでも張り合った。
 毎日のように身長も競い合った。
 蘭より大きくなりたくて、毎日一リットルの牛乳を飲み干した。そのかいあって山内はクラスの中でも成長が早く、八歳の頃はすでに四年生なみの体格だった。蘭とは雲泥の差。山内少年は優越感に酔いしれた。
 その頃からだ、蘭が『ハイジ』と呼びだしたのは。
 不覚にもその名は、クラス中に広まった。つぎは学年中に広がり、最終的に学校中に広まった。
 小二と思えない外見から人気に火がつき、女子の人気も独り占めした。見知らぬ女子から「ハイジくーん」と呼ばれまくる。そんな環境。
 蘭と距離ができ始めたのはそんな頃。
 何をしても、前みたいに『ハイジって、すげーな』と言ってくれなくなった。
 当然、山内はやっきになった。何としても蘭に『すごい』と言わせたかった。認めてもらいたかった。目標も『蘭を追い抜くこと』から『蘭にすごいと言われること』に変わった。

 小学四年生のある日。蘭が教室で恋バナに夢中になっていた。山内はしばらく盗み聞きして、蘭が好きだという子を特定して、さっそく告白した。
 人気絶頂だった山内ハイジの告白に、もちろん二つ返事で付き合う事に。
 だけど困ったことに、数日たつと蘭はすぐにほかに好きな子を作ってしまった。だから山内も『他に好きな子ができた』と言い、すぐさま新たなターゲットの元へ走った。蘭に好きな子ができたと聞くたび、告白しては振るという行為を繰り返した。中には『ハイジくんと別れたくない』と泣きだす女子もいたが、構わず振っていた。
 そして迎えた小学五年の冬。とうとう山内少年に天罰が下った。
『放課後、俺のクラスに来い』
 この日、靴箱に入った無数のラブレターに、蘭からの手紙がまぎれていた。山内は『やった!』とガッツポーズをした。忘れもしないあの日は終業式の一日前、十二月二十三日の午後のこと。
(蘭のやろうめ。とうとう俺のすごさを認めたな!)
 その頃、どこを見ても蘭に負けている所がないと自負していた山内は、自信に満ちた顔でクラスに乗り込んだ。『ハイジってやっぱすげーな』と言われるだろうと思って。
 しかし待っていたのは、ビンタと暴言。
『お前、最低だな! 理沙ちゃんと美幸ちゃんに謝れよ!!
『……は?』
 バシンッと頬に痛みがはしる。何が起こったのか分からなくて、しばらく口をぽかんとあけて立ち尽くしていた。さらに追い打ちをかけるように、『は、じゃねえんだよ、このゲス男!!』と暴言。
『なんだよゲスって』
 ジンジンと熱を持つ頬を手で抑えながら、山内は久しく腹立たしい感情に襲われていた。称賛するどころか、ゲス呼ばわり。それが呼び出した理由だったこともショックだった。
 だからつい、いらぬことを口走ったのだ。
『お前が、また別の女を好きになったのが悪いんだろ』
『……は?』
 一拍おいて、今度は蘭が聞き返してきた。いままでにないとっても低い声だったことを、今でもよく覚えている。
『蘭が好きな女は、俺が先に奪わねえと。じゃねーとお前に負けるだろ』
 仕方なかったんだと山内は言った。蘭が、隣のクラスの木村さんが良いと言いだしたせいだと。
『俺はどんなちっぽけなことでも、お前に負けたくねーんだよ。だから……』
 だから、お前の好きになった女の子を片っ端から声かけまくってただけだもん。
 それに蘭も悪いんだぜ。俺のことを『すごい』って言わなくなっただろ。だから、ここは一回ちゃんと俺の力を見せしめてやろうと思って──。
 その後は、虚ろにしか覚えていない。
 記憶にあるのは、お前なんか大嫌いだと怒鳴られた事。あと、さらに何発かひっぱたかれて『一生俺の前に顔を見せんな!』と教室を追いだされたこと。
 そして『遊び人ハイジ』という呼び名が、一部の生徒の間ではやったことだ。

 翌日から二人は絶交状態になった。もう二度と一緒に登校する事もなくなったし、廊下ですれ違っても完全に無視された。
 蘭の姿をみるだけで胸がズキズキと痛み、前みたいに話せないと思うと、恋しさと悔しさで、涙が止まらない日々が続いた。
 そんな地獄の小学校生活が一年と三カ月続いたのち、二人は仲たがいをしたまま卒業した。
 蘭は地元の中学へ進んだが、山内は隣町の中学に編入希望を出した。
 通学距離が大幅に伸びたせいで、通学時間も一時間以上早くなった。おかげで顔を合わすことはなくなり、二人の友情は、ここで一度完全に決裂したのだ。



 ──ここまでが、蘭の中に残っている記憶の全てのはずだ。
 それから二年後の偶然の再会を、蘭は何にも覚えていない。
 ましてや、山内が胸のモヤモヤの正体に気付くまでの葛藤や、一生分の勇気をだして蘭に告白したことも。まったく都合のいいことに、現状二人が付き合ってるという事実が、なにもかも無かったことにされている。
「はあ。さいっあく」
 実はその張本人が現在、自宅のベッドで無防備に横たわり、スヤスヤと寝息を立てていたりする。キッチンで初めての手料理に四苦八苦しているうち、寝入ってしまった模様。
「おい猿」
 右肩をゆすってみる。片方の足で。
「うーん」
 顔がピクリと反応するが、起きる気配はなし。
「起きろ猿」
 ちょっと口調を荒くする。すると蘭が難しい顔をして、勢いよく右足が蹴り出された。
 ガスッ!!
 見事な空中ローキックは、山内の右膝に命中した。
(この野郎……!)
 昨日までの健気でしおらしい蘭からは、考えられない仕打ちである。
 いつもいつも、ウザいくらいに「俳里~」と両を手を広げて抱きついてきたあの蘭が。
「俳里だいすき、ちゅっちゅしよ」が口癖だったあの蘭が。
 まさか、この俺を足蹴にしている。
 天と地がひっくりかえるほどの変貌ぶりである。
 怒りがこみあげる一方で、山内はこれまでの自分の行いを反省していた。
 これは、最近あまり蘭の事を大切にしなくなった罰かもしれない。
 最初こそ、壊れ物を扱うかのように、とても大切にしていた。
 生活はすべて蘭を優先にしたし、テスト期間に合わせて早退したり。毎日送り迎えもした。
 同じ高校に進学してからは関係をぶっちゃけて、ところ構わずいちゃついた。
 蘭はどんどん変わった。
 日に日に依存が強くなり、べったりとくっつくようになった。
 交際三年目には、『俺、俳里がいなきゃ生きてけない』と泣きだすほどには。

 俺は蘭に愛されている。

 その頃から、変な自信を持つようになった。
 徐々に目を合わせる回数が減った。会話も、体に触れる数も減った。
 蘭の方は逆に縋りついてでも傍にいるようになっていて、その想いの強さが段々と重荷になっていった。
 突き放すようなことも散々した。寝床を別にしたり、一晩中友達と遊び呆けたり。わざと避けるようなそぶりを繰り返した。
 それが結果的に二人の間に溝をつくってしまうなんて、考えもしないで。

『俺……もう、俳里に愛されてるって、実感できない』
 久々に大ゲンカをした先日のこと。蘭は泣きじゃくりながら『俳里が信じられない』と叫んだ。
『俳里、もう別れよう。俺、これ以上俳里のことを好きになりたくない。だから……最後に俺のことめちゃくちゃに抱いて』
 蘭の計画は周到だった。
 すでに飲み物に媚薬を盛られ、自身もそれを大量に飲んだと言っていた。
 突然のことに動揺がおさまらず、臨海超えした感情と視界が、グラグラと左右にゆれていた。
『はやく抱けよ! 最後くらい……、お前に愛されてたって実感させてよ!』
 言われるがまま、ひどく一方的に蘭を抱いた。
 自分勝手だった。
 別れを告げられて、久しく忘れていた独占欲が暴走した。
 どこへも行かないとタカをくくっていた宝物が消えてしまいそうになって、ようやく、その存在の尊さに気付かされた。
 しかし、時はすでに遅すぎた。
 行為の後、蘭は意識を失った。目を覚ました彼は、記憶も失っていた。三年間の思い出の全てをだ。
『これ以上俳里のことを好きになりたくない』と発した宣言通りになってしまった。
 今の蘭は、数日前までとはまるで別人のように山内を忌み嫌い、牙をむいてくる。無理もない。彼の記憶は、山内が大嫌いだった中学時代に戻っているのだから。
 今さらだろうが、三年分の後悔をかみしめるしかない。
 こうなる前に、もっと大切にしていればよかった。大事にしていればよかった。そうすれば、きっとこんな事にはならなかった。
『アホ。めちゃくちゃかわいがってたよ。お前、俺といて幸せだって笑ってたよ』
 あんな嘘が口をついて出てしまったのは、自分の過去の行いを見透かされた気がして怖かったから。
 そして、もう二度と大切な人を失いたくないという、後悔と懺悔の現れでもあった。



*  *  *  

ご覧下さり、ありがとうございました。

別作品紹介(電子書籍のプレゼント)

同レーベルで刊行しております、「禁断レポート1」のお試し版urlを公開いたしております。こちらは、現在配信中の既成作品に加筆・修正を加えた第三版の内容をご覧いただけます。
既にご購入済みの読者様も、是非ご利用くださいませ。

書名   禁断レポート1(お試し版)
url     http://bccks.jp/bcck/147561/info

概刊・新刊情報

概刊情報

禁断レポート1双子の兄弟と親友の三角関係の行方は――?
禁断レポート2哉太が行方不明になって7年。孝弘は奇妙なプロジェクトに巻き込まれ。
禁断レポート3何年経とうと、兄の犯した罪は消えない。哉太の復讐劇が始まる。

大嫌い彼氏(前編)事故で記憶喪失の蘭の前に現れたのは、大嫌いな幼馴染。


新刊情報(二〇十七年三月一日出版予定)
大嫌い彼氏(中編)この男が恋人とか認めない!しかし、山内は献身的に蘭に尽くそうとしてきて。

あとがき

皆さま、こんにちは。いつもお読みくださってありがとうございます。今回初めてお手に取って下さった方も、誠にありがとうございます。
今回はいつもご利用くださる読者様に、日ごろの感謝を込めまして、(バレンタインだけに)チョコっとした贈り物(?)な短編集を作成いたしました。

本当にチョコっとだけど、気持ちは義理じゃないよ!

新矢イチ拝

奥付

書名     大嫌い彼氏(短編集)
著者名    新矢イチ
電子版製作  2017年2月10日
発行所    壱屋books
URL     壱屋booksオフィシャルウェブサイト



本作はフィクションです。実際の人物、団体等とは一切関係はございません。

大嫌い彼氏(短編集)

2017年2月10日 発行 初版

著  者:新矢イチ
発  行:壱屋books

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新矢イチ

自己中で我儘で一筋縄でいかない、だメンズたちの不器用で不憫な恋愛模様を書くのが好きです。 ボーイズラブ作品のみと、ジャンルは限られますが、どうぞご自由お立ち寄りくださいませ。

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