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異世界に召喚されたカズマは、ついに魔王を倒した。
これでやっと日本へ帰れる! と喜んだのもつかの間。召喚した張本人、女神ヴァクーナに宣言される。
「はい、課題達成ですね。それでは次が本番です」
「なんだそりゃ! 聞いてないぞ!」
怒るのも当たり前。何しろ今まで107回も召喚され続けたのだから。
「いってらっしゃーい」
「ふざけるなー!!」
嘆く間もなく次の世界に飛ばされたカズマの運命は?
108界目(?)の正直になるのか!?
女神様に振り回されるカズマの異世界英雄譚。
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108界目の正直
異世界召喚はもうイヤだ!
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第一章「やった! 魔王を倒したぞ!」

やった! 魔王を倒したぞ!

 貫いた。
 渾身の力を込めて突き入れた俺の剣は、間違いなく魔王ラシュギの胸を。
 魔族の生命核を貫いた。
 たいまつの火しかない謁見の間は薄暗かったが、はっきりと奴の瞳が見える。
 驚愕。そして自嘲。
 俺はそのまま剣に霊力を送り込む。
 魔力に対抗する人族の力をありったけ注ぎ込んで、発動の言葉を叫んだ。
﹁聖光爆!」
 蒼白い光が爆発し魔王の生命核を焼き尽くす。霊力が魔力を駆逐する。
 魔王は口から光の残滓を吐き出しながら、綺麗と言ってもいいほど透き通った視線で俺を見て。
 直後、力なく崩れ落ちた。

 俺は、魔王ラシュギを討ち取った。

 やっと。
 ホントーーーに、やっと!

 腰が砕ける。安堵と、戦いの疲れで。
 魔王の側にしゃがみ込んだ。もう動きたくないな。
﹁やったやったー! すごいです、カズマさん!」
﹁うむ、カズマ殿。お見事」
﹁お疲れ様です、カズマ様。これで平和が訪れますね」
 背後から仲間達が近づいてくる。この旅の間、ずっと支えていてくれた大切な人達だ。
 俺はなんとか手を上げて彼女達に応えた。喉がからからで声が出ない。
﹁大丈夫ですか? すぐにでも治癒術をおかけしたいのですが、まだ霊力が戻っていなくて」
﹁ふむ、治療薬も使い切ってしまったしな」
﹁うーんと。飴玉ならありますよ!」
 側まで来た仲間達を見上げると、皆も満身創痍だった。
 当然だよな。魔王の親衛隊を全部引き受けてくれてたんだから。
 うう、気が抜けたと言ってもちょっと情けないな、俺。
﹁……だ、大丈夫。少し休めば回復する」
 声を絞り出し、無理に笑顔を作ってみせる。
 飴玉を取り出そうとしていた狩人は、残念そうに腰の携帯バックを閉じた。
﹁俺に遠慮せずに食べろよ、マーニャ。狩りの後の一粒が格別! なんだろ」
﹁うう、そうですよ。そうですけど、魔王に勝ったらカズマさんと一緒に食べようと思って取っておいたんです。あたしだけじゃ格別感が下がります!」
﹁そういうもんか?」
﹁そういうもんです!」
﹁儂等の分はないのか、嬢ちゃん」
﹁もちろんありますよー! みんな一緒に食べれば、格別感二倍さらに倍です!」
﹁おお、それは良かった。ひょっとして忘れられているのではないかと思ったぞ。嬢ちゃんはカズマ殿しか目に入ってないからの」
﹁え、えええ、なにおっしゃってるんですか、ラドルさん!」
﹁照れるな照れるな。いまさらじゃ」
 歴戦の戦士が軽口をたたくなんて珍しい。あの厳格爺さんでもやっぱり浮かれているのだろうか。
 仲間二人の、と言うか。見た目は祖父と孫のじゃれ合いを苦笑まじりで見守っていると、神官がおずおずと近寄ってきた。
 この世界に来てすぐにパーティー組んでからずっと一緒だったのに、いまだに男性恐怖症の気が抜けないらしい。
 流石にちょっと寂しいぞ。
﹁あの、カズマ様。本当に大丈夫ですか」
﹁ああ、大丈夫。かなり回復してきた」
﹁ほ、本当ですか」
﹁コリーヌは心配性だなぁ。俺のことはもう知り尽くしてると思ってたけど」
﹁カズマ様の回復力は承知しておりますけれど、あの魔王と戦ったのですから」
 俺はゆっくり立ち上がって見せた。本当にかなり体力が戻ってきている。
 この超回復法を覚えたのは、どこの世界の時だったかな。もう思い出せない。
 とりあえず、コリーヌが微笑んだからよしとしよう。
 振り返って、魔王を見下ろした。
 この世界の魔族は、生命核を破壊すると身体を維持できなくなる。そこにあるのは灰の山と装備品だけだ。一日もすれば、風にさらされて静かに散っていく。
 俺は魔王に恨みはないし、この世界に義理もない。
 こうしなければ帰れない。それだけだった。
 でも、今日で終わりだ。

 そう。終わったんだ。

 ﹃あいつ』に連れてこられて、振り回されてきたが、ついに終わった。
 契約を果たしたんだ。これでやっと帰れる。
 帰れるんだ。
 地球に。日本に。家族のところに!

﹁あの、カズマ様。そろそろ帰りましょう。魔王がいなくなった今、魔族は力を失ったでしょうから、この城を抜けるのも簡単です。これ以上休む事もないでしょう」
﹁ああ、そうだな。ラドル、マーニャ、出よう。もうここには用はない」
﹁一応、倒した証拠に魔王の剣だけでも持ち帰るかのぅ」
﹁必要ないんじゃないですか? コリーヌさんが神官として保証してくれるし」
 皆の表情も明るい。
 そうだよな。家に、故郷に生きて帰れるんだ。こんなに嬉しい事はないよな。
 マーニャは魔族によって家族を失ったけど、村の仲間が待っているし。
 ラドルも可愛い孫がいる。息子夫婦があの屋敷で心配しているだろう。
 コリーヌは天涯孤独だと言うけれど、母親代わりの大神官はあれでかなりの親バカだ。
 本当によかった。自分の事のように嬉しい。
 いや、今度こそ自分も家に帰れるから、そう思うんだろうな。
 ……今までの世界の仲間達はちゃんと故郷に帰れただろうか。
﹁カ、カズマ様ッ! 足下に!」
﹁え?」
 コリーヌの叫びに下を向くと、見慣れすぎた召喚陣が青白い光で描かれていた。
 え、ちょっと。こんなに急にか?
 おい、まだ皆に別れの挨拶すらしてないぞ!
 慌てて仲間達を見る。
 ラドルが目を剥いていた。
 マーニャが何か叫んでいる。
 そして、コリーヌが手を差し伸ばしながら、泣いていた。
 出会ったばかりの頃のように。きれいな顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
 嘘だろ。いくら早く帰りたいって言っても、流石にこれはないだろ!
 おい、待て。ちょっと待て!
 叫んでも、もがいても、陣の輝きはどんどん強くなっていく。
 目がつぶれそうな光に、周囲全てが覆われていく。
 もう手遅れだ。経験上知っている。こうなっては召喚されるしかない。
 俺はせめて別れを伝えようと、コリーヌ達を見た。
 もう音は聞こえない。手を振る。懸命に手を振った。
 どうか伝わって欲しい。感謝の気持ち。
 光の中におぼろげに見えた。
 こちらに飛び込もうとしているコリーヌを、ラドルが羽交い締めにして止めている。
 マーニャがだだっ子のように泣き崩れてる。
 ラドルがしかめっ面で俺を見て頷いた。

 ごめん。ごめん、みんな。
 一際大きな輝きが、視界を埋め尽くす。
 俺の目に焼き付いたのは、必死に何かを伝えようとするコリーヌの泣き顔だった。

 * * * * *

﹁はい。お疲れ様でした。やっと課題達成ですね。正直、こんなにかかるとは思いもしませんでした。ええ、まったく」
 目を開けると、見慣れた場所だった。
 正確に言うと見慣れる事すらできないのだけど。
 見渡す限り、真っ白な世界。その中心にこの世界に相応しい、真っ白な女がいる。
 白い髪、白い肌。白い服に。
 白い翼。
 俺は、懸命に自制しながら言った。
﹁いくらなんでも、あれはないだろ。ヴァクーナ」
﹁それは申し訳ありませんでした。でもね、私の都合もあるのですよ。そもそも貴方は時間をかけ過ぎです」
 女はこちらに漂ってきた。宙に浮いて、まるでクラゲのように。
﹁だってね、一体誰が一〇七回も召喚転生させる事になると思いますか? 一〇七回ですよ。一〇七回!」
 にっこり笑いながら詰め寄って来る、真白な貴婦人。
 こいつが全ての元凶だ。
 ヴァクーナのわざとらしい嘆きが、白い空間に木霊する。
﹁まったく途中で匙を投げたくなりました。他の候補者がいれば良かったですが、なぜか誰も私の力に反応してくれませんし」
 とってもステキな笑顔のまま、語りかけてくるヴァクーナ。
 そりゃ彼女の言いたいことも分からない訳じゃない。
 でもな、それはあくまでも彼女の立場だったなら、だ。俺には俺の言い分ってもんがある!
﹁しょうがないだろ。全力で頑張ってこのざまなんだから。俺だって一〇六回も死にたくなんかなかった」
 流石に覚えてる。
 一回目の召喚の時は、その世界に降り立ってすぐ。近くの村に行く途上で、小鬼に奇襲されて即死した。
 たしか六、七回位までは召喚即死亡の連続で、その後やっと雑魚と戦えるようになったんだ。
 でもちょっと油断すれば死あるのみ。
 もう十回を越えた辺りから、何回目にどこの世界でどう死んだのか、ごちゃまぜで区別がつかない。
﹁何度も言ってきたけれど、魔王を倒す為に俺を呼んだなら、始めからなにか特殊能力を与えるとかチートスペックにするとか、してくれてもよかったじゃないか」
﹁それこそ何度も説明しましたけど、私は魂を司るのです。貴方がたから見れば神のような存在かもしれませんが、全能神でも何でもありません。特殊能力とか言われても無理無理。一応、経験を持ち越せるようにしたじゃないですか」
 これっぽっちも悪びれずに、当然のように語るヴァクーナ。
 そうなのだ。
 この女神様は魂を掌握し、数えきれない程の平行世界を行き来させるなんて無茶苦茶ができるくせに、戦いに役立つような力は与えてはくれなかった。
 もらったのはただひとつ。積んだ経験や技術を次の生にも持っていける力のみ。
 あとはひたすら戦って経験を積んで、技を魂に刻みつけて、殺されて、の連続だ。
﹁せめて同じ世界に召喚転生できれば、もうちょっとどうにかなったのに」
 同じ世界に転生できないから、技も魔法も系統立てて学べない。
 この世界で学んだ事を、あの世界で試してみて、次の世界で応用して、今度の世界では残念、使えませんでした! なんてざらだ。
 これで、いったいどうやって強くなれというのか。
﹁それも何度も説明したでしょう。その世界で死んじゃった者が同じ世界に記憶と経験をもったまま転生なんて、世界の輪廻システムに反しているんですよ。その世界の住人なら、かえって可能性がありますが、貴方は完全無欠の異世界人。無理無理ッ!」
 なんでそんなに楽しそうに言うんだ。ホントは面白がってないか?
 この女神様、本当に掴み所がない。っていうか、つかみようがないほど、存在が巨大すぎてどうにもならない。
 今考えると、一〇七回で済んで良かったとさえ思う。
 魂の力。霊力という共通点に気がつかなければ、いまだに死にまくっていたんじゃないだろうか。
 しかも一〇七回目の世界では、霊力を力や現象として具現化する法術が発達していたから、それまでの経験を効率的にまとめることができた。
 教えてくれたコリーヌやデズモンドには本当に感謝してる。
 そうだ。コリーヌ達はどうなっただろう。
﹁さっきの世界の俺の仲間達は、無事に帰れたかな」
﹁ええ、それは大丈夫。貴方が魔王を倒しましたから、あの世界の魔族達はほぼ力を失いました。ちょっと﹃見て』みましたけど、無事に魔王の城から脱出して、仲間たちと合流できたようですよ」
﹁そっか。よかった」
 別の意味では、全然良くはないけどな。
 コリーヌの泣き顔が脳裏に焼きついて消えない。せめてもう一日ぐらい猶予があったって、問題なかったはずだ。
 召喚の目的だった魔王討伐を果たしたのだから。
 そんな内心が表情にでていたのか、それとも心を読んだのか。ヴァクーナは、こともなげに言った。
﹁もし望むのなら、さっきの世界には召喚転生できますよ」
﹁え、なんで?」
﹁だって、貴方さっきの世界では死んでいませんもの。だから、貴方が最初に居た所と、さっきの世界、そして今まで行った事のない世界には召喚転生させられます」
 そもそも、もとの世界に帰るのが貴方の望みだったでしょ? と、首を傾げて微笑む女神。
 そう言えばそうだ。もし一度行った世界には二度と戻れないのなら、日本にも帰れない。
 行けないのは、その世界で死んだ時のみ。それなら確かに一〇七回目の世界には戻れる。
 でも、俺は日本に帰る為に頑張ってきたんだ。コリーヌ達の所へ戻りたい気持ちもあるけど、しかし。
 悩み始めた俺の耳に、女神様の言葉がサラリと流れ込んできた。
﹁本命を達成するまでにどっちに帰るか決めて下さいね。まぁ、さっきの世界の魔王よりよっぽど手強い相手ですから、またまた時間がかかると思いますけれど」
 え? 今、なんて言った、この雪女もどき。
 俺は五秒ほど機能停止した後、声を絞り出して尋ねた。
﹁ちょっと。ちょっと待て。俺は今さっき魔王を倒したよな。言われた通りに」
﹁ええ、確かに倒しましたね。ですから次が本番ですよ。長い間待ったんですから、失敗なんてしないで下さいね。もう本当にぎりぎりですし、今度はやり直しできませんから」
 相手は魂を掌握する女神様。どんなに駄女神に見えても、その本質は紛うことなき神のような存在だ。
 だが、そんな事実は俺の頭から吹っ飛んでいた。
﹁ちょ! なんだよそれ。どこの世界でもいいから魔王を倒す事が俺の召喚目的じゃなかったのかよ!」
﹁貴方があまりにも弱かったので課題を与えたのです。魔王クラスの存在を倒す。その位の力がなくては、貴方を召喚した目的が達成できませんから」
﹁え、なに。じゃ、今まで一〇七回も召喚転生したのは、全部修行? 事前準備ってこと?」
﹁何を盛大にいまさら」
﹁いまさらじゃなーい! そんな話、聞いてないぞ!」
﹁あれ? 言っていませんでした?」
﹁言ってない。これっぽっちも聞いてない。完全無欠に、魔王を倒せとしか言われてない」
﹁あれ……? ああ、そっかぁ。こんなにも時間がかかるとは思わなかったから、はしょっちゃったかも?」
 雪女もどきのあまりの軽さに盛大に脱力しつつ呟く。
﹁……俺、死ぬ度に確認してたと思うけど」
﹁いえ、だって本当に何度も失敗するんですもの。途中から貴方の言葉なんて聞き流していましたわ」
﹁おい」
﹁まぁ、今説明しましたから問題ないですね。それでは、いってらっしゃーい!」
﹁ちょっと待て! いってらっしゃいって、何だそれ!」
 きれる俺を完全に無視して、ヴァクーナは指差した。
 足下に召喚陣が浮かぶ。青白い光が輝く。
 真っ白い世界が、強い光でさらに白く塗りつぶされる。 
 こうなるとどうしようもないと知りつつも、叫ばずにはいられなかった。
﹁絶対土下座させてやるからな! この雪女もどきーーー!」

 結局、俺は召喚転生した。
 一〇八回目の異世界へ。

 ……泣いてなんかいない。

一◯八回目の召喚転生

 何度経験しても慣れないな、と思う。
 真っ暗な空間で魂の奥底まで探られて、肉体が少しずつ構築されていく。
 なんていうか、立体パズルでも組み立てているような感じだ。時々パーツを交換したり、もう一度バラバラにしたり、最適の形を探している。
 ただのパズルなら構わないけれど、いじられているのは俺の身体。
 この召喚転生の行程は、はっきり言ってかなり気持ちが悪い。

 何度か死に戻り(というのかは微妙だけれど)した後に、どういう仕組なのか、ヴァクーナに聞いたことがあった。
﹁うーん。細かく説明するとキリがないというか、貴方の理解を超えてしまいますからねー」
 いつもの如く笑顔を張りつかせた雪女もどき、もとい白き女神様は、そう言ったあとで鼻歌でも奏でるように説明した。
 曰く。魂はデータのようなものらしい。
 物質である肉体を持って平行世界を渡ることは、天文学的に膨大なエネルギーを必要とするし、互いの世界への影響が大きすぎてできない。
 しかし魂はデータなので、電気信号のようなイメージで世界の壁をすり抜けて送り込める。
 しかも、魂データは全世界共通。
 送られた魂を受諾した世界は、そのデータに適合した肉体を構築して、世界に組み込む。
 それが召喚転生。魂データを召喚して生に転じる、神の御業だ。
 って。それって、まるで。
﹁オンラインゲームのキャラクターを作っているみたいだな」
﹁それは当然ですよ。まさにそのイメージで説明したんですから」
﹁なにそれ! 神の御業がゲームのアバターなのかよ!」
﹁違いますよ。貴方にはそのほうが文化的に分かりやすいでしょうから、例として使ったんです。実際イメージしやすいでしょ?」
 たしかにそうだけど、なんかありがたみに欠けるなぁ、と思ったことを覚えている。
﹁なら、もう一度同じ世界に魂データを送ればいいんじゃないのか? そうすれば同じ世界に何度も召喚転生して効率的に技を鍛えられるんだけど」
﹁えっとですね。一度世界に組み込まれると、魂データに登録番号みたいなものがつけられてしまうのですよ」
﹁それって、ID?」
﹁そのほうが分かりやすいですか? とにかく、そうすると再度送っても輪廻転生システムが魂の登録番号を認識して、その世界で死んだ者として扱ってしまうんです。肉体の経験や記憶を消去して、普通に赤ちゃんから始めてしまいます。それじゃ私にとっても貴方にとってもまずいでしょ?」
﹁……ますますゲームみたいだな。リセマラは無理ですか」
﹁ですから、たとえです。た・と・え!」
 まぁ、確かに﹁たとえ」だということは身をもって知っている。
 実際、ゲームじゃないからね。死ぬ時は痛いし苦しい。
 瞬殺されるならまだいいけれど、生き地獄のような状態を味わうこともあった。
 意識がある状態で生かしたまま、ゆっくりじっくりねぶるように消化して食らう植物とか。
 寄生して内側から徐々に身体を支配して、最後に自決させる魔虫とか。
 死を懇願するような無限の恐怖を植えつけ、七転八倒する獲物を見てほくそ笑む、マジ地獄の悪魔のようなモンスターとか。
 ……うん、やめよう。思い出しても何の意味もない。
 っていうか、本気で思い出したくない。心というか、魂が折れる。
 
 ああ。そろそろかな。身体感覚が戻ってきた。
 今回はどんなシチュエーションで覚醒するだろうか。
 結構、始めが肝心なのだ。
 覚醒パターンはいくつかあるけれど、最悪なのは魔物のような人族と敵対している種族の勢力圏や、砂漠とか極寒地のように装備なしでは生還が不可能と思える過酷な環境に放り出されたときだ。
 目的あって召喚したんだから、そんな無茶ぶりするわけないと思うだろ? 
 そんなあなたは、まだまだヴァクーナのことが分かっていない。
 実際、召喚即死亡の経験のなかには、初期配置ミスのような原因が何度かあったからね。
 やるんだよ、あの雪女もどきは。
 前に一回、文句を言った時は。
﹁それはその世界のシステムが勝手にしたことですから。私のせいではありませんよー!」
 なんて言ってたけど。
 魂を司る女神様が目的あって召喚したのに、システム任せってどういうことだよ。
 俺に課題達成させる気があったのか、本気で疑いたくなる。
 それとも、俺に過酷な経験をさせて、修行させるためだったのだろうか。
 ……ないな。うん、ない。
 絶対そこまで考えてないよ。あの女神様は。
 本当に神の如き力を持った存在なのに、手抜きが多いことこの上ないんだよなぁ。
 今度は本番だと言ったのだから、初期配置ぐらいしっかりして欲しい。
 結構マジで、切実に願う。

 さて。召喚転生が完了したみたいだ。
 ゆっくりと目を開けてみる。

 ……うん、知ってた分かってた。

 崩れかけた天井から、陽の光が幾条も差し込んできている。
 割れたステンドグラスに、ヒビが入った壁や床。
 廃墟と化した神殿のような場所。
 そして俺の前にある光景は。

 とぐろを巻いている全長二十メートルはありそうな、大蛇のような﹁なにか」だった。

 俺は慎重に息を潜めた。
 相手はどうやら寝ているようで、鱗に覆われた巨木のような身体は、穏やかな呼吸に合わせて波打っている。
 まずいなー、と思う。
 それもちょっとやそっとではなく、かなりまずい。
 まず、どう見てもボスキャラレベルの存在が寝床にしているということは、明らかにこの周辺は人族の勢力圏ではないわけで。
 少なくとも人の手が届いていない自然領域ってことになるよな。
 建物の傷み具合からだいぶ前に滅んだ町か村か。どちらにしても簡単には人族と会えないだろう。
 いきなり最悪パターンの可能性がでてきた。
 次に、この世界で自分がどこまで動けるのかがまだ分からない。
 世界によって魂データの補正がまったく違うんだよ。
 たとえば前回までに覚えた法術や技が使えるのか。使えるとしたら、どの程度の威力になるのか。
 どのくらいの力が出せる? どのくらいまでなら体力が持つ? 
 走る速度は? 最高速へ達する時間は? 跳躍力は? 
 どの程度の攻撃なら、くらっても命を保てる? 
 敵を知り己を知れば百戦危うからず。
 敵の情報はともかく、自分のスペックやスキルが分からなければ、戦術の組み立てようがない。
 ゲームならここでステータス画面を見て把握できるけれど、現実ではあんな詳細な数値データなんて確認しようがないんだ。
 実は似たことができる法術が存在する世界もあった。
 でも、あれは他人の力量を色や光で視覚化するようなもので、正確には分からない。﹁気を感じる」っていうのが近いかな。しかも自分のは見えないんだよなぁ。
 さらに装備の問題もある。
 ヴァクーナの召喚転生は、魂データをもとにして﹁世界」が﹁俺」という存在を構築して組み込む御業だ。
 だから﹁世界」は、なるべく矛盾が生じないように﹁俺」を受け入れるために、いろいろと肉づけする。
 言語や通貨、尺度といった﹁どんなに無知な人物でも確実に知っている」最低限の文化情報。
また、﹁旅している者なら持っていて当然の」装備など。
 一人の人間がその世界で生きてきた、平均的な背景や歴史を含めて﹁俺」という存在を構築する。
 つまり﹁十代後半の男が、裸で路上を歩いているわけがない」﹁着の身着のままで一人旅などするはずがない」。そんな、その世界の常識に基づいて﹁俺」という存在を作るのだ。
 まぁ、裸族の世界がなかったわけではないけれど。それは例外として。
 だから今まで召喚転生しても、基本的に裸一貫で放り出されたことはなく、その点では非常にありがたい。
 でも、逆に言えば、この世界において一人旅の男が持つだろう必要最低限の装備しかないわけで。いきなりボスクラスに戦いを挑めるか、というと﹁無理無理!」に決まってる。
 ……今、なんだかヴァクーナの声が脳裏に響いた気がするな。縁起でもない。
 というわけで、召喚転生直後は戦闘なんて満足にできるわけがないんだ。
 なるべく早く安全を確保して、自分の情報をしっかり確認するのが生き残る最善の方法なんだけど。
 この状況で、悠長に確認している暇なんてないよな。
 今までの経験上、この手のモンスターっていうのは、非常に鋭敏な感覚器官を持っている。
 地球の蛇は、音には鈍いが地面の振動を肌で把握する感覚は鋭いし、においや赤外線を捉える優れた独自の器官をもつことで有名だ。
 この大蛇っぽいモンスターも、蛇に似た超感覚を備えている可能性はメチャクチャ高い。
 だからさっきから一歩も動けないわけだけれど。
 このまま突っ立っていても、何の打開策にもならないよなぁ。
 可能性は低いが、気づかれないように静かに移動して逃げる。
 もし途中で戦闘になった場合は、どの程度の威力が出るかわからないけれど、最大の技を叩きつけて、あとは臨機応変か。
 自他の力量が分からない時は、できる限り最大の威力を持つ技をかけるべきだ。
 様子見してやられたら元も子もないし、そもそもそんな余裕はないし。
 前回の世界で魔王を倒したっていっても、無双できるほどチートな力を持っているわけじゃないんだよ。特に召喚転生の直後は。
 まずは生き残らないとお話にならない。

 俺は覚悟を決めて、大蛇から視線を外すことなく、腰に下げている剣の柄に手を添えた。
 って、あれ。この柄の感覚は、まるで。
 とても馴染んだ手触りに驚いた瞬間、大蛇を挟んだ向かい側で大きな爆発音が響いた。
 強制的に叩き起こされた蛇が身悶えし、かろうじて可聴域にひっかかる高音の鳴き声をあげる。
 その絶叫を遮るように連続して放たれる、おそらくは爆裂系の法術。同時に投擲されるのは、やはり法術で編んでいるのだろう、光輝くワイヤー。
﹁突撃よ! いっけーッ!」
 光のロープで拘束された大蛇に飛びかかる、複数の人影。
 そのなかでも特に素早く、先頭を駆け抜けた影は、なんとそのまま蛇の鼻っ面をぶん殴った。二十メートルの巨体が揺らぐほどの威力で! 
 殴った反動を利用して距離を取り、また一気に間を詰める。
 一歩目から最高速。なんて足腰とバネだよ。
 威力も速度も、見惚れるほど見事なヒット・アンド・アウェイ戦法。
 恐れ入った。いや、マジで。
 あまりのスピードに霞んで見える、その真剣で必死な横顔。頭の後ろで束ねられた、たなびく長い黒髪。
 一〇七の世界を渡って、それこそ数え切れないほど多くの戦士、格闘家、勇者を見てきたけれど、これほどの技量を持つやつは、なかなかいなかった。
 しかも、俺と同じぐらいの年齢の女性なんて。

 俺は感心しつつ、微妙に距離をとった。
 今のところ手はいらないようだから、戦場を迂回し見物することにする。
 まだ召喚転生したばかりの身としては、できる限りの情報がほしい。この世界の人族の戦闘能力はどのくらいか、とかね。
 もしさっきの女の子が平均だとしたら、この世界の魔王ってシャレにならないほど強いと思うんだ。
 まぁ、ヴァクーナの言う﹁本番の目的」の内容が分からないから、魔王が相手とは限らないけれど。
 移動しつつ、腰の剣と自分の霊力を確認する。意識を内に向けて、人族の根源たるパワーを循環させてみる。
 うん。これって、やっぱり。
 どうやら状況が好転してきたみたいだ。少なくとも、この場で即死は回避できるはず。もし、俺一人だったとしても。
﹁チャド! 引いて!」
 常に先頭に立って戦っていた女の子の悲鳴のような叫びと、大蛇が拘束を無理矢理ほどき、尾を振るのは同時だった。
 直撃をうけて文字通り吹き飛ぶ、盾を持った戦士らしき男。
 俺は目標に向かって走り、霊力を展開した。
 イメージワードは二つ。﹁ネット」そして﹁衝撃吸収」。
 法術で具現化した網を使って男を受け止め、その勢いを殺し床に下ろす。
 傷が痛いのか。突然の助っ人に驚いたのか。男はしかめっ面でこちらを睨んだ。
 俺は急ぎ男の状況だけ確認する。
﹁大丈夫ですか? 怪我の程度は?」
﹁え? あ、ああ。左腕は使い物にならないが、なんとか……」
﹁すいません。他人への治癒術はあまり得意ではなくて。ゆっくりかけている暇はなさそうです」
﹁いや、十分だ」
 男はすぐに意識を切り替えて、走り出した。
 状況判断が早い。
 あの左腕。よくても複雑骨折しているだろう。しかも盾で受け止めたとはいえ、衝撃は内蔵にまで伝わっているはず。
 壁に激突せずに済んだにしても、直後にあそこまで動けるのか。格闘家の女の子といい、盾戦士といい、レベル高いなぁ。
 再び感心しながら、俺も走り出す。
 光のロープから解放された大蛇は、その巨体を驚くほど自由自在に動かして法術攻撃を避けながら、前衛の戦士たちに対応している。
 やっぱり何か特殊な感覚器官を持っているな。でなければ、あそこまで正確に法術を避けられない。目標に向ける霊力の焦点とか、感じることができるのか?
 様子をうかがう俺に、絶叫に近い大声がかかる。
﹁そこのアンタ! 法術士なら拘束術をかけられるッ?」
 あの女の子だ。衰えないスピードで攻撃をしながら、問いかけてきた。
 さっき使った法術を見ていたんだろう。盾戦士への指示もそうだけど、視野が広いな。戦場をよく見ている。
 俺は行動で応えることにした。
 高速で霊力を練り、思念を加えて具現化する。
 イメージワードは四つ。﹁ワイヤー」・﹁三本」・﹁光属性」・﹁操作」。
 先程見た拘束術を参考にして、法術を編む。
 周到に奇襲攻撃を準備してきた集団だ。なら、さっきの拘束術を再現したほうがいいはず。おそらく光属性があの大蛇の弱点なのだろう。
 三本の光のワイヤーを大蛇へと放つ。
 当然、敵は避けようとするが、それは織り込み済みだ。着弾点が分からないはずの爆撃法術をかわすことができる相手だからな。
 そのためにギリギリ四ワードを使って﹁操作」の概念を付与したんだよ。イメージ強度は弱くなるけれど、光属性が弱点ならなんとかなるだろう。
 光のワイヤーは俺の意思に従って、互いに交差し、空間を埋め、それこそ蛇のようにまとわりつく。結果、より複雑に大蛇を絡め取ることに成功した。
﹁やるじゃない!」
 もがく大蛇の顔面を、フルスイングで殴り飛ばしながら、女の子が輝くように笑った。
 お褒めにあずかって光栄だね。俺としては、彼女のパワーとスピードのほうが賞賛に値すると思うけれど。
 さて、これで彼女たちの作戦はおそらく当初の状態に戻った。このあと、決定打が残されているはず。
 あの大蛇、かなり打たれ強いと見た。拘束された状態で、彼女の大打撃を受けているにもかかわらず弱る気配がない。
 蛇系のモンスターは、どの世界でも大抵生命力と耐久力が高いからなぁ。ついでにすっごく執念深いし……。
 うわ、やな記憶が蘇りそうになった。
 とにかく、今のままじゃジリ貧だ。
 でも、これだけの準備を整えてきた集団が、この展開を予想しないわけがない。必ずとどめとなる手段を用意しているはずだ。

﹁いくわ! みんな離れて!」
 神殿の入り口の方で、とてもきれいな声が響いた。
 その場にいた前衛が一斉に離脱する。
 同時に膨大な霊力が唸りをあげているのを感じた。

 なるほど。今までのはすべて時間稼ぎか。
 ものすごい霊力と、それを完全に制御し圧縮する精神力。ついでに概念付与も半端ない。イメージワードを五つ以上使ってないか? これ。
 って、五以上でこれほどのイメージ強度? 信じられない。コリーヌと同等か、それ以上の法術使いだ。
 思わず唖然とした瞬間に、それは放たれた。大蛇の弱点だろう光属性の大法術。
 標的を中心に光の塊が六つ出現。それが一斉に超高密度のレーザーのような光線を照射した。
 周囲一面、まぶたを閉じていても視神経が焼ききれるかと思うほどの光の洪水。影すら光に飲み込まれて消えたと錯覚しそうになったよ。
 これはオーバーキルってやつじゃないかなぁ……。
﹁シ、シアッ! アンタやり過ぎーッ!」
﹁ご、ごめんなさーーーい」
 視界が戻らないなか、彼女の声がこだまする。
 ……だよなぁ。

いきなりの魔族討伐

﹁さてっと。お互い、まだ名のってなかったよね」
 半分消し炭になった元大蛇と戦場の後始末を手伝ったあと、俺は改めて格闘家の女の子と向き合っていた。
 彼女たちのパーティーは六人。もっと多いかと思っていたけれど、戦術運用で誤認させられていたようだ。それだけで、この人達の力量がわかるというもの。
 常に最前線で戦っていた女の子が、溢れそうな興味を隠そうともせず俺を見る。
 長い黒髪を束ね、急所のみを守るように設計された機動性重視の軽装鎧とは裏腹に、重厚な力感をまとう手甲。
 うわぁ。鎧も手甲も、いい法術付与が施されている。これは思っていたよりも、さらに上のランクの人たちかもしれない。
﹁俺はカズマといいます。偶然とはいえ、助かりました。ありがとうございました」
 俺は相手より先に名のることにした。お礼を告げることも忘れない。微妙なニュアンスを含めて。
 女の子たちは少し面食らったようだった。
﹁助かったのはこっちよ。私はトリーシャ。一応このパーティーのリーダーを勤めてるわ」
﹁俺はチャド。さっきはありがとうな」
 トリーシャとともに、盾戦士も戸惑ったように名のる。
 チャドは見たまんま戦士だ。盾と重鎧と片手斧。ゲームで言うならタンカー役だろう。
 あの大蛇の一撃をくらっても片腕骨折で済ませるあたり、かなりの防御技術をもっているようだ。
﹁私はブラム。ご助力に感謝を」
 前衛組の最後は槍戦士。細面で落ち着いた雰囲気はむしろ法術士のような印象だけれど、俺はしっかり見ていた。
 この人の槍術は半端ない。あのスピード重視の戦闘のなかで、常に大蛇の鱗の継ぎ目のみに攻撃を加えていた。
 しかもできる限り、執拗に念入りに、同じ一か所にめがけて。
 針の穴を通すような正確な攻撃を、長時間続ける技量と精神力。見た目に騙されちゃいけない。この人、敵に回すと恐ろしいよ。
﹁あたしはハリエットです。あの、ホントにホントにありがとうございました! あたしがしくじったせいで討伐失敗するとこでした!」
﹁……イネスだ。アンタすごいな」
 後衛の二人は、法術士と弓術士。
 ハリエットは、全員がせいぜい二十歳前後だと思われるこのパーティーのなかでも、一番若い印象を受ける。ゲームの魔術士のような白いローブを羽織り、法術強化用のロッドを持って、ひたすら頭を下げていた。
 彼女が拘束術を担当したのか。
 ハリエットは恐縮しているけど、あれはあれですごいイメージ強度だったと思う。しかも戦闘後にチャドの腕を癒やした治癒術は、はっきりきっぱり一流だ。
 弓と矢筒を背負ったイネスは、神経質そうな細い目で俺を見定めるように観察している。
 この人の弓術もあなどれない。ヒット・アンド・アウェイする前衛組への支援攻撃は、それはもう素晴らしいタイミングと正確性だった。
 彼が後ろにいてくれるなら、安心して戦える。そう思わせるだけの技量を持ってる。
 そして最後は、あのオーバーキラー。
 明るい色調のドレスローブを着て、赤みのかかったブロンドの髪と、人目を引くその容貌は、まさに美しい! の一言なのだけど。
﹁ねぇ、あなた。見事な拘束術だったわね。ワイヤー三本に光属性と操作、ってことは四ワード? それであのイメージ強度が保てるなんてなかなかだわ。あなたの名前は聞いたことがないけれど、もしかしてまだ修行中なの? 誰から教わったの? ぜひお話が聞きたいわ。法術士同士、情報交換は必要と思うのよね。あ、秘伝や秘術まで教えてとは言わないわよ。でもでも、話したいなら聞くわ。ええ、もちろん些細なことだって大歓迎よ。だって法術を極めるには、どんなに小さな情報もけっして無駄にはならないものね! だから……」
﹁シーアー……」
﹁は、はい! なぁに? トリーシャ」
﹁まず名のりなさいよ! ホントにアンタはまったく!」
﹁はい! ごめんなさい! 私はシンシア。シンシア・フォスター。親しい人はシアって呼ぶわ。なんなら、あなたもそう呼んでくれてかまわないわよ。優秀な法術士とは、ぜひ仲良くなりたいものね。私はあなたのこと、なんて呼んだらいいかしら? カズ? そうね、カズがいいかしら? ね、これからカズって呼ぶわね」
 ……うん。オーバーキラー&マシンガントーカーの法術大好きっ娘って感じですね。
 本当にありがとうございます。俺にとってはご褒美でもなんでもありません。
﹁シンシアさん」
﹁シ・ア!」
﹁……シアさん。ご期待には添えないかも」
﹁え、なんでどうして! 法術士同士、親睦を深めましょうよ! だって……」
﹁いや、俺、法術士ではなくて、一応これでも剣士ですから」
 ﹃はい?』
 その場にいた人、みな口を揃えてツッコミをくれました。
 そんなに驚くことかなぁ。
 それより、早く移動した方がいいと思う。嫌な気配が近づいてる。
﹁……きたわね」
 つぶやきとともにトリーシャが右手を振ると、皆の表情が切り替わった。
 イネスとハリエット、そしてシンシアは神殿の柱の影に隠れ、前衛陣はフロアの中心に残る。
 この戦闘も予定通り、ってことか。なるほど。なぜ蛇を倒したのに戦場に留まり続けるのか、疑問だったけれど、どうやらこっちが本命ってことみたいだ。
 重戦士のチャドが大きな盾を構えて、真ん中を陣取った。
 その左にトリーシャ。右に俺。
 ブラムは皆から距離をとる。彼が遊撃戦力になるようだ。
﹁カズマ。もうとっくに巻き込んじゃってるからいまさらなんだけど、協力してくれるかな? もちろん報酬はきちんと払うわ」
 トリーシャは手甲の位置をなおし霊力を込めながら、そう問いかけてきた。
﹁連携が不安ですけど、それでもいいですか?」
 俺も着込んでいる鎧に霊力を浸透させて、付与効果を具現化させる。
 うん。ちゃんと防御効果がでているな。思った通りだ。
﹁そうね。確かに普通だったら、知らない人間をその場でパーティーに入れるなんて、褒められたもんじゃないわ」
 肩をすくめてぼやいたリーダーは、俺を見て面白そうに笑った。
﹁でもさ。アンタ、慣れてるでしょ?」
 次の瞬間、神殿の奥。俺が覚醒した祭壇の後ろあたりから凶悪な殺気が溢れ出てくる。
 まだ昼間のはずなのに、急激に周囲が暗くなったように感じるほど濃密な魔力。
 そう。これは魔力。人族に仇なす魔族の力。
﹁さっきのスレイブのマスターよ。今回の討伐目標。純粋な戦闘力ならスレイブのほうが上なんだけど……」
﹁魔力がすさまじいだろ? 以前この街を崩壊させたのはアイツだって話だ。何故舞い戻ってきたのかは、知らないけどな」
 いつでも飛び出せる体勢を取ったトリーシャの言葉を、チャドが引き継いだ。
 うん。確かにかなり強力な魔力だと思う。さっきの大蛇を従えるだけのことはあるな。いつもの召喚転生だったら、すっ飛んで逃げるレベルだ。
 でも、今回は違う。
 腰の剣を抜く。手に馴染む柄の感触。扱い慣れた長さと重さ。片手でも両手でも使えるバスタードソード。
 ﹃名剣アダマス』
 前の世界で魔王ラシュギを倒すときに使った俺の愛剣だ。
 霊力を流し込み、付与効果を顕在化させる。鎧と同じく、なんの違和感もなく力が具現化する手応えを得た。

 明らかに今までの召喚転生と違う。
 装備が前世界で魔王討伐したときと同じだ。さっきの法術もイメージ通りに展開できた。
 おそらく、俺はラシュギを倒したときと同じように動けるだろう。
 そうだ。今までと違って当たり前。俺は前世界で死ななかったのだから。
 これが本来の召喚転生なのかもしれない。前回のスペックとスキル、さらに装備まで、かなり正確に再現できているみたいだ。
 この状態なら、思う存分戦える!

﹁くるわよ!」
 トリーシャの面持ちが緊迫する。
 チャドが一歩前にでた。
 ブラムとイネスの気配が消える。
 追加の付与効果が俺たち前衛に施された。これはハリエットの補助法術だ。
 シンシアが霊力を練り始めたのを感じる。今度は適切な攻撃法術を使ってくれるかな?
 さて。
 このメンバー構成で、俺がするべきことはただ一つだ。
 アダマスを垂直にして右肩前に掲げる。剣道でいう八相の構え。
 左足を前に出し、そのまま少し前傾気味に腰を落として力を溜める。
 祭壇の床がはじけ飛び、おぞましい魔力をまとった黒い影が飛び出した。
 同時に、俺とトリーシャが一気に踏み込む。

 剣士ですって自己紹介した以上、アタッカー以外の役割があるか?
 いや、ない!

 俺は小学校の頃から剣道を習っていて、三段を持っていたし、全国大会にもでたことがある
 だから初めて召喚転生した時は、心のどこかでワクワクしていた。今まで積んできた練習の成果を試せる! って。
 結果、路上で遭遇した小鬼に文字通り瞬殺されて、ヴァクーナのもとに死に戻った。
 その後も何度か召喚転生、即死亡が続いてやっと悟ったんだ。
 今までの剣道の練習は、命がけのバトルでは役に立たたないこと。
 そして、それでもなお、俺にとって戦いで頼れる技術は剣道しかないってことを。

 正中線を崩さずに踏み込む。
 インパクトの瞬間、霊力を込めて両手を絞り込む。
 打突ではなく、そのまま剣を振り抜く。
 そして、すかさず相手の死角へ死角へと移動。
 腰を落とし、重心を安定させ、膝は常に柔軟に。
 視野は広く、集中力は高く。
 周りの気配と霊力を捉えて、呼吸を合わせる。

 一〇七世界を渡って身につけた、剣道を基にした剣士としての基本戦術。
 どの世界でも剣士だったら一番初めに教わるような戦法。
 必殺でもなく、華麗でもなく、豪快でもない。
 地味で泥臭い、愚直な基本技で、トリーシャたちの攻撃の合間を埋めるように愛剣を振るう。

 敵は銀の双角を持った、二足歩行のトカゲのような魔族。俺の予想通りならリンド種と呼ばれている奴だ。
 尾の長さも含めて三メートルほどだろうか。大きな頭部は、十分な知性と魔力を。細く縦に切れた瞳孔と、裂けてつり上がった口は、獰猛な意思を感じさせる。
 一瞬で魔力が凝縮するのを感じた。
﹁ッ! 散開!」
 トリーシャの叫びに従って距離を取る。
 魔族が魔力でつくった漆黒の牙を放ったと同時に、回避が間に合いそうもなかったチャドの全面に霊力のシールドが展開された。
 ハリエットの補助法術か。彼女は拘束術のような障害法術よりも、補助・治癒系のほうが本業のようだ。余裕を持って魔弾を受け止める霊力の盾。
 不満の雄叫びを上げてトカゲ魔族が跳躍する。魔力だけでなく、身体能力も高いな。
﹁いくわ!」
 シンシアの掛け声が響き、無数の霊力弾が、不規則に飛び跳ねるトカゲを追尾する。
 着弾するかと思ったとき、魔族は魔力で編んだ防御壁を展開して、すべて受け止めた。
 その背後から気配もなくイネスが射る矢が三連。
 しかし、トカゲ魔族は後ろにも目があるのかと思えるほど的確に尾を振るい、叩き落とす。
 足を止めたトカゲに向けて、間髪入れず、俺とトリーシャが切り込んだ。
 俺の剣をかわしたトカゲは、足でトリーシャの拳を受けとめる。
 あの大蛇を揺るがしたパンチを受け止めるなんて、どれだけ魔力で身体強化しているのか。
 その大きなパワーとパワーがぶつかってできた不動の均衡点を、恐ろしいほどの正確さで貫いたのはブラムの槍だった。
 トカゲの絶叫が辺りを満たす。
 反射行動か。目に見えないほどの鋭さでブラムに向かって振るわれた鞭のような尾の一撃は、チャドが盾で受けとめた。
 素晴らしい攻撃予測とポジショニングだ。同時に跳ね上げた片手斧が尾を両断する。
 怯んで一歩引こうとしたトカゲの顔面を、トリーシャがコンパクトなフルスイングの一撃で弾き飛ばした。トリーシャもどれだけ身体強化してるんだろう。
 しかし、さすがは魔族。あの容赦ない一撃を受けたにもかかわらず、膨大な魔力を全方向へ爆発させた。
 否応なしに吹き飛ばされる前衛陣。

 法術で盾を展開した俺を除いて。

 イメージワードは二つ。﹁盾」そして﹁不動」だ。
 法術はイメージワードが少ないほど、パワーも強度も上がる。まして、前世界で魔王を倒したスペックを持ち込んだ今の俺なら、この程度の魔力爆発は大したことない。
 さぁ。終わらせようか。
 今の感触なら、このまま戦い続けても十分勝算はある。でもいい機会だから試しておきたい。
 霊力を急速に練り上げ、身体強化に回す。愛剣アダマスにもパワーを通す。
 狙うは、魔族の生命核。俺の予想が正しいなら、通用するはず。
 トカゲが放った魔力爆発の余韻がまだ残る一瞬。俺は霊力を小さく爆発させた。
 トリーシャたちも、トカゲ魔族も、その動きすべてがスローモーションに見える。
 踏み込みは一歩。
 そのまま床をねじり抜くように踏みしめて、生じたパワーに霊力をのせる。
 膝から腰へ。肩から肘、そして手首へ。剣の先端まで殺すことなく力を連動させる。
 時間が止まったように感じる中、アダマスの剣先はなんの抵抗もなくトカゲの胸部を貫いた。
 一気に霊力を注ぎ込み、発動のキーワードをつぶやく。
﹁聖光爆」
 魔力を消し飛ばす、霊力の爆発。

﹁え、なにが起こったの?」
 戸惑った声が聞こえた。倒れる魔族の姿を前にして。
﹁……倒したの?」
 トリーシャが唖然として呟く。他のメンバーも俺と魔族の名残を交互に見て、言葉を失っていた。
 うん。倒したと思うぞ。
 現にトカゲモドキの魔族は生命核を失って、灰になって崩れてしまったし。

 これで二つほどはっきりした。
 一つは、一〇七回目の世界で手に入れた力を完全に使えるということ。
 法術も、体術も、剣術も。特に﹁聖光爆」が使えたということは、秘法術も発動できるわけだ。
 これは俺的にものすごく大きい。
 二つ目は、この一〇八回目の世界は、おそらく一〇七回目の世界と関連が深い﹁双界」だということ。
 双界というのは、文化や法則、歴史などがとてもよく似ている世界同士のことだ。
 今までも何度か双界に召喚転生したことがある。そんな時は前世界の技術を応用しやすかったので、とても有益だった。
 ……まぁ、それでも死に戻っていたわけだけど。
 この世界は、一〇七回目の世界の法術や技術がそのままのイメージで使えるし、名剣アダマスも寸分違わず再現されている。
 それに、魔族の特徴も同じだ。生命核があること。失うと身体を維持できないこと。
 ありがたいと思う反面、どうも意図的なものを感じるな。
 この世界がヴァクーナにとって本番の舞台だというなら、始めから俺の課題達成を計算して一〇七回目の世界を選択したのかもしれない。
 今までの言動からは、とてもそうは思えないけれど。それでもやっぱりどうしたって、ヴァクーナは女神様だしなぁ。
 まぁ、それはさておき。
 いろいろ不安材料や不審の種もあるけど、さ。
 トリーシャたちの前では冷静を装っているけれど、ね。
 平然と剣を拭って鞘に納めた俺が、内心どのように思っていたか、というと。

﹃やったぁぁぁッ! この世の春が来たあぁぁッ!』

 だった。

 感謝感激雨霰!
 豚もおだてりゃ木に登る!
 登ってみせます、チョモランマ!
 マジで歓喜で、朝まで踊り狂いたいぐらいだった!

 いや、ひかないでほしい。
 だってさ、考えてみてくれよ。
 今まで一〇六回も死に戻ったわけですよ。
 スキルや法術を魂に刻んでも、世界をまたぐとせいぜい五割の再現率。
 まったく使えないことだって、ざらにフツーにあったんだよ。
 死に戻る度に、ヴァクーナにステキな笑顔で嫌味を言われ。
 召喚転生直後は、弱体化のせいでひたすらに逃げ惑い。
 やっとその世界に慣れて、友人ができて、実力に自信を持ち始めた頃に殺されて。
 またまた真っ白い世界で女神様のイヤミとグチですよ。
 それを一〇六回も繰り返したんだよ! フラストレーション、たまりまくるに決まってるでしょ!
 愚痴りたいのはこっちだよ! っていうか、なんで俺だったんだよ! なんで一〇六回も死ななきゃいけなかったんだよ! 精神死しなかった自分をマジで褒めたいわ!
 ……とにかく。
 召喚転生直後から、今までの経験とスキルを完全に活かせる状態なんて初めてだったんだよ。
 狂喜するのが当然だと思いませんか?
 ニヤけるのを抑えるのに全力で霊力を振り絞らなきゃいけないレベルですが、なにか?

 正直、無双なんて期待してない。
 チートなんて、今までもこれからもきっと無縁だ。
 ヴァクーナの言葉によるなら、この世界の﹁目的」とやらは魔王ラシュギよりも手強いらしい。
 なら、どうせすぐにでも血反吐をはくはめになる。
 それは絶対に間違いない。経験上、身にしみて知っている。
 だ・け・ど!
 少なくとも、今ッ! この瞬間はッ!
 この充実感と、俺TUEEEE感に酔いしれたってバチは当たらないと思うんだよ!
 それのどこが悪い!
 ヴァクーナにだって文句は言わせないぞ!

 俺が心中、歓喜の涙でできた大海に溺れそうになっていると、シンシアがこれまた、ものすごくイイ笑顔で駆けつけてきた。
﹁見たわ見たわよ私の目は誤魔化されないわ! あれは秘法術ね、絶対そうだわ! なにが剣士よ。確かに剣術の腕前も見事だとは思ったけれど、秘法術を使っといて剣士だなんて、ずるいわ、いけずだわ。語り合いましょ逃さないわよ! じっくりたっぷり気が済むまで法術談義に花咲かせましょう!」
 俺の首に抱きついて、キラキラした瞳でみつめて、一気呵成に欲望をぶちまけるシンシア。
 うわぁ。まごうことなき美女といっていいほどの女の子に抱きつかれているのに、なんでこんなに残念感ばかり湧き上がってくるんだろう。
 なけなしの俺TUEEEE感が、あっという間に引いていったよ。
 もったいない。カムバック! 俺TUEEEE感!
 目を白黒させているだろう俺の様子をみて、トリーシャがシンシアの首根っこを捕まえて引き離してくれた。
﹁シア、アンタは少しブラムを見習え! 落ち着きというものを覚えなさいよ!」
﹁なによトリーシャ! 私の情熱はあなたにだって邪魔できないわよ! カズ、絶対逃さないからね!」
 うん。なんだか確かに逃げられる気がしない。
 シンシアの視線と気配が、獅子型魔獣のそれを凌駕しているよ。
﹁……まぁ、なんだ。いろいろとすまん」
 チャドの謝罪が、めちゃくちゃ重く感じた……。

王都ロンディニムへ

 今、俺はトリーシャたちと一緒に大型の幌馬車に乗って、ロンディニムという都市を目指している。
 誘われた、というよりも強制連行に近い。
 一つ。
﹃魔族討伐にあれだけ貢献してくれた以上、報酬を払わないわけにはいかない。討伐報告の後、報奨を山分けするから、一緒に来てほしい』
 一つ。
﹃その法術に戦闘技術。とても興味深いわ。情報交換しない? っていうか、その腕前を活かさないのはもったいない。私たちの仲間にならない?』
 トリーシャ、いきなり勧誘かよ。ちょっとうれしいけど、さ。
 そして、もう一つ。
﹃逃がさない、って言ったでしょ! 私と法術について語り明かしましょう。満足するまでつきまとうわよ!』
 うん。最後の理由だけは思いっきりスルーしたいところだけれど、たぶん無理。
 この法術大好きっ娘は、おそらく討伐報告を放り出してでも、俺にくっついて来るよ。
 やばいぐらいに見つめてくる。いや、もう呪い殺すぐらいの視線です。
 別の世界にこんな魔眼を持ったモンスターがいたなぁ。
﹁まぁ、とって食いはしないから気にするな。というより気にするだけ無駄だ。諦めろ」
﹁とっても役立つ助言に感謝……」
 チャドが苦笑いしながら、干し肉を投げてよこした。
 幌馬車の荷台には精霊具が使われているようで、揺れが少なく結構快適だ。やはり﹁双界」だけあって前世界と同じく精霊術による道具類が普及しているらしい。
 御者はイネスとブラムが交代で勤めていて、今はイネスの番。
 ブラムは荷台の隅で槍を抱えるようにして座り、目を閉じている。
 本当に寡黙な男だな。
﹁で、なんであんなところにいたの? しかも一人でさ。アンタなら確かになんとかできそうだけど、それにしたって単独行動は危険よ?」
 トリーシャの疑問は当然だよな。ハリエットも勢い良く頷いている。
﹁いや、その、恥ずかしいんですが、単純に道に迷ったんですよ」
﹁はい?」
 俺は、もちろん誤魔化すことにした。
﹁俺は地図にも載ってないような辺境の小さな村から出てきたんですが、道に迷ってしまって。とにかく休めるところを捜していたら、あの廃墟に出たんです。とりあえず大きい建物を選んで入って休んでたんですが……」
﹁スレイブが戻ってきた、と?」
﹁そういうことです。あんな化物の寝床とは思っていなかったから、驚きました」
﹁……ふーん」
 はい、疑われてますね。
 でもさ。こういう時はかえって胡散臭い理由のほうがいいと思うんだ。
 もっともらしい嘘ついたって、本当に根も葉もないから、いずれバレる。だったら、始めから信じられないようなことを言っておけば﹁なにか言えない事情があるのか?」と勝手に推測してくれるからね。
 もともと冒険者のような職種は身元がよく分からない人が多いし、訳ありも少なくない。そこを追求しすぎる輩は敬遠されるから、話したくない相手には聞かないのが暗黙の了解だ。
﹁ま、いいか。人それぞれよね」
 ほらね。
 トリーシャはリンゴのような赤い果物を一口かじると、話題を転じた。
﹁それよりも、法術と剣術。両方とも大したものね! しかもいい剣を持ってる。もしかして銘あり?」
﹁ええ。一応、アダマスって名がついてます」
﹁聞いたことないわね。剣匠は?」
﹁……そのままアダマスって人ですよ。この剣の名というよりは、剣匠アダマスが鍛えた一本という意味ですから」
﹁それだけの業物を鍛える人なら、もっと世間に名が広がっていそうなものだけど」
﹁俺の村周辺じゃ有名だったんですけどね」
﹁ふーん。地図にも載らない辺境の村、ねぇ……」
 はい。二回目の﹁これ以上聞くなコール」を発信。無事、受信された模様です。
 しかし、そうか。アダマスを知らないのか。やっぱり双界でも違う部分はあるな。
 そうなると受けてばかりじゃボロを出しそうだし、そろそろ質問し返したほうがいいかな?
﹁これから行くロンディニムってどんな感じですか?」
﹁初めて? カズって本当に辺境にいたのね」
 シンシアの明るい声に、周りも話題に乗ってきた。
﹁王都だからな。人も物も溢れているぞ。賑やかで華やかで、俺は好きだな」
﹁チャドはもともと騎士の出だから余計にそう思うんじゃない?」
﹁でもでも、あたしも大好きですよ! 賑やかっていいじゃないですか。もう元には戻らないんじゃないか、ってみんな思ってたんです。ホントによかったですよぅ」
 チャドやハリエットも混ざって会話が弾む。
 でも、ちょっと気になる言葉が出たな。探ってみるか。
﹁もう以前と変わらないぐらいに戻ったんですか?」
﹁いや、やっと八割ってとこか。でもなぁ。たった一年しか経っていないことを考えたら、すごい復興スピードだぜ?」
﹁そうですよ。遷都したほうが早いっていわれたぐらいなんですから」
﹁まぁねぇ。魔王が今も生きていたらと思うと、ゾッとするわ」
 ……へ?
 トリーシャ。今なんて言った?
 俺は慎重に言葉を選んで、さらに問いかけた。
﹁魔王、ですか……。もうそんなに経つんですね」
﹁ああ。英雄が魔王ラシュギを討ち取って一年。やっと平和ってやつを実感できるようになってきたな」
﹁とはいえ、今回みたいに力を取り戻してきた魔族もいるからね。まだまだ油断できないけど」
﹁そのために俺たちみたいな荒事専門のハンターがいるんだろ?」
﹁まぁね。お仕事があることはいいことだけどさ」
﹁もう! トリーシャさんはときどき不謹慎ですよぅ!」
﹁そういえば英雄も秘法術を得意としていたようよ。ぜひ話を聞いてみたかったわ」
﹁シアはホントそればっかりね」
﹁今だ名前が公表されていない救国の英雄、か。一体誰なんだろうな」
 盛り上がる皆を前に、俺は頭の中が真っ白になっていた。
 ……あー。えっと。
 もうどこからツッコんでいいのか分からないほど、ツッコミどころが満載なわけですが。
 とりあえず、女神様にもの申す。
 こういう大事なことは、召喚転生の前にきっちり説明しろよな!
 内心、雪女もどきに愚痴をぶつけた俺は、言葉を選びながら話を促して大筋を聞きだした。

 三年前、魔族は魔王ラシュギを中心にまとまり、人族に対して侵略戦争を開始した。
 一進一退を続けていたが、徐々に人族は劣勢になり、いくつかの国は滅ぼされることになる。
 そこにある人物が現れ、仲間たちとともに秘密裏に魔族領に潜入し、魔王を倒すことに成功した。
 結果、魔族は全体的に能力が低下し、人族は逆転勝利。
 それが約一年前のことだそうだ。
 大まかな流れは、俺が一〇七回目の世界で経験したこととほぼ同じだ。
 前世界でも人族と魔族が戦争していて、俺はコリーヌたちと一緒に魔族の国に侵入して、魔王ラシュギを倒した。
 その直後にヴァクーナが俺を召喚し戻した訳だけど、おそらくあのまま行けば、一〇七回目の世界も同じような歴史を歩むのだろう。
 前世界と今回の世界は双界の関係にあるから、似ているところが多くてもおかしくはない。実際、王都ロンディニムは前世界にもあったし、ブリュート王国が人族の代表国家に位置づけられていることも同じだ。
 しかし剣匠アダマスの名声に差があったように、双界と言っても完全に同じじゃない。だから、大まかな流れとは言えここまで歴史がピッタリっていうのは、今までの経験上では覚えがなかった。
 魔王の名前もラシュギだし。聞いた話の限りでは、容貌や特徴も俺が知っているラシュギそのままだ。
 魔王を倒した英雄とその仲間たちについて、名前や詳細な情報は公表されずにいる。魔族が全滅したわけではないから、報復で狙われる可能性を考慮してのことらしい。
 まさかコリーヌ、ラドル、マーニャじゃないよな? って可能性は高いよなぁ。そうすると俺が果たした役割は一体誰が勤めたのだろう。
 双界は双界でも、ほぼコピーに近い関係にある世界同士なのかもしれない。そんな場合は、歴史や地理、国、文化どころか、生きている人々の名前や性格、人生まで似ているって、以前ヴァクーナが言っていた。
 とすると、今回はむしろアダマスのほうが例外なのか。
 ……ますます作為を感じるな。
 本番を前にして、ヴァクーナが女神としての意地と誇りを見せたのか?

 しかし、どうしたものだろう。﹁本番の目的」がいまいち分からなくなってきた。
 今まで﹁魔王を倒すこと」に一〇七回もチャレンジしてきたから、本番と言われたとき、てっきり魔王みたいな存在を倒すことが目的だと思い込んだのだけれど。
 よくよく思い返してみれば、ヴァクーナは﹁魔王よりよっぽど手強い相手」と言っていただけだ。
 手強いっていうのも、解釈がいろいろあるよな。
 単純に戦闘能力が高いのか。それとも数が多いのか。知略に優れていて、搦め手ばかりのイヤな相手なのか。
 それとも権威や立場が打倒しにくい相手なのか。人族の王家とか法王だったりすると、ものすごくやりにくいぞ。心情的にも無理なんだけど。
 まさか、こちらの世界で魔王を倒した英雄が相手、なんてことないよな?
 第一、目的は倒すことか?
 それとも封印とか?
 まさか説得や懐柔か?
 一体全体、なにをすればいいんだ?
 ここまでくると、いろいろと疑問と疑念が湧いてくる。

﹁カズマ。どうしたの、そんな変な顔をして」
 トリーシャが不思議そうな顔で尋ねてきた。
 おいおい。変な顔ってなんですか?
 とは言っても、本当のことなど言えないから、誤魔化すしかない。
﹁ああ。王都に行ったらどこを見て回ろうかな、って悩んでいたんです」
﹁完全なお上りさんね」
﹁実際、田舎者ですからね」
﹁田舎者ねぇ……。ま、いっか。そろそろ宿場町につくから降りる準備をしておいて。今夜はそこで宿を取るから」
﹁野宿すると思ってました」
﹁野宿もいいけど、アンタのお陰で仕事がスムーズに終わって余裕もあるからね。もともと討伐で消耗するだろうから、帰りはしっかりした宿で一泊する予定だったのよ」
 笑顔で準備をうながすトリーシャに、了解の意思を伝える。
 なるほど。確かに休息は必要だし、日程に余裕があるならちゃんとした宿泊施設を使ったほうが、心身ともに回復するだろう。
 俺としては少々、いや、かなり身の危険を感じるけどね。
 シンシアの視線が魔獣を通り越して、魔族の域に達し始めている。
 チャドは﹁とって食われることはない」って言ってたけど、フツーに骨の髄までしゃぶられそうなんですが。
 ちなみに間違っても性的な意味ではない。彼女の法術的探究心は、人族の三大欲求を完全無欠に駆逐するようだ。
 でも、今夜だけはなんとかしっかり眠りたいところなんだよな。
 おそらくヴァクーナが夢枕に立つだろうから。

女神様の夢通信

 ささやかな情報が、戦況を覆すことは結構ある。
 ちっぽけな噂話。信じられないような流言。根も葉もない戯言。そんな情報といえないようなものですら、運用次第では大逆転を生む。
 一〇七回も異世界を巡り、それこそ何度も死ぬ目にあって得た教訓の一つが情報の大切さだ。
 そして、俺は一〇八回目の世界でも、その教えを噛み締めている。
﹁シア、眠っちゃったみたいね」
﹁カズマさん、お見事です!」
 宿に付属している酒場で、テーブルを囲むトリーシャたち。
 俺の隣の席には、豪快に突っ伏して眠り込むシンシアの姿があった。
﹁……肝心なのは、ワードとイメージよね。深層心理に刻み込んだイメージを引き出すワード構成は、術士によって違うけれど、一定の法則が認められるわ。すなわち……」
 寝言まで法術論かよ! どんだけ法術大好きなんだ! 
 俺は流石に呆れつつ、貴重な助言をくれた隠れた知恵者に礼を言った。
﹁心の底からブラムさんに感謝します」
﹁役に立てて光栄」
 寡黙な槍使いは言葉少なに答えながら、柔らかな笑みを浮かべてジョッキを口にした。

 討伐の成功を祝して皆で飲もうという話になった時、ブラムは密かに俺に耳打ちしたのだ。﹃シンシアは酒に弱い』と。
 俺がその情報に飛びついたのは言うまでもない。
 案の定、俺の隣を確保したシンシアが、法術について夢見るように語り続けるあいだ、彼女のカップにひたすら果実酒を注いだ。
 シンシアは甘い酒が好きだ、というのはトリーシャからの情報。
 特にティーチと呼ばれる果実酒が大好きで、弱いくせに出されると必ず飲み干すらしい。
 始めにシンシアが自発的に頼んだのもティーチで、それを見て俺は心の中でガッツポーズした。
 明日の朝が怖いけれど、とりあえず法術談義で徹夜する羽目にならずに済んだよ。
 ブラムさん、マジ感謝。
﹁報酬をもらえたら、お礼を払いますよ」
﹁そこまで言っちゃいます?」
﹁不要。私も静かに酒が飲めるから、それで十分」
﹁ブラムさん、さりげなくひどいですよぅ!」
 ニコニコ笑いながら合いの手を入れるのはハリエットだ。どうやら彼女は酔うとおしゃべりになるタイプらしい。
 イネスは下戸なのだそうだ。サルティという柑橘系とベリィ系を絶妙にブレンドしたようなジュースを飲んで、吟遊詩人の語りを聞いている。
﹁こういう席で飲めないのは辛いですね」
 と話しかけたら、その細い目をさらに細めてニヒルに笑い、こう言った。
﹁そうでもないぜ。酔ってるヤツラの醜態は見ているだけで面白い」
 うん。敵に回してはいけない系の人だね。覚えておこう。
 トリーシャがシンシアを部屋に運ぶために席を外すと、チャドが絡んできた。
 そのまんま戦士系なチャドは、酒に関しても期待を裏切らない。飲んで食って、豪快に笑う。
﹁ほら、飲めよ。そこそこいける口だと見たぜ」
﹁チャドさんほどは飲めませんよ!」
 そう遠慮した俺に、チャドは真剣でありながら度量を感じさせる面持ちで言った。
﹁カズマ。さんづけはやめろよ」
﹁いや、今日出会ったばかりの人たちにそういう訳にも」
﹁命がけの戦いのなかで手を組んだ。それだけで十分だ。戦友に他人行儀はよせ」
 男くさい野太い笑顔を浮かべながら、チャドはさらにジョッキを空ける。
 まったくすごい戦士っぷりだな。騎士の家系だと聞いたけれど、確かにこっちのほうがあっている。
﹁そうよ、カズマ。まだ友人とは言えないかもしれないけれど、肩を並べて戦った者同士なんだから」
 シンシアを寝かせてきたトリーシャが、皿とジョッキをもって来て俺の隣に陣取った。
 軽装鎧と手甲を外し、ラフな格好になったトリーシャはとても女性らしい。動きやすい短めのチュニックワンピースがよく似合っている。
 でも、それより所作の一つ一つが洗練されていて目を引いた。
 洗練といっても礼儀作法が素晴らしいのではなく、しっかりと制御された躍動感が伝わってくるんだ。格闘家として積んできた修練が見て取れる。
 鍛えられた身体と、隠しきれない生命力にあふれた美しさ、とでもいえばいいのかな。
 まぁ、あれだけ身体強化できる霊力を持っているのだから、魂が輝いていて当然かもしれない。
 ……どうも一〇六回も死んだせいか、女性の見方が間違ってきている気がする。
 感性が摩耗したかなぁ。それはイヤだなぁ……。
 突然、湧き出てきた自分への疑念を振り払うように、俺はきっぱり告げた。
﹁わかった。じゃ、遠慮はなしで。よろしく、皆」
﹁よしよし。ってことでさっそくだけど、仲間にならない?」
﹁直球だな! ってか、なにが﹃ってこと』なんだよ? 話がつながってない!」
﹁おおー。カズマさん、順応早いですね!」
﹁たぶん心の中でツッコみまくっていたんだろ? 特にシアに対して」
﹁なるほどです!」
 チャドとハリエットが、妙な納得の仕方をしていた。
 ブラムは静かに杯を重ね、イネスがニヤニヤと笑いながら俺たちを観察する。
 俺のツッコミをものともせずに、トリーシャがめちゃくちゃいい笑顔で勧誘を続けた。
 シンシアは夢の中でもまだ法術談義をしているのだろうか。
 召喚転生初日から、こんな風に戦友を持つことができたのは思いっきり運がいい。
 いや、運が良すぎる。今までのことを考えたら、ありえない幸運。
 だからだろう。

﹁素直じゃありませんね。ラッキー! って言って受け入れればいいじゃないですか」
﹁そんな単純さは、十回も死を経験したらキレイサッパリ消え失せるわ!」
 その夜、予想通り夢の中に出てきた真っ白な女神様を見て、完全に確信した。
 さて、しっかり話してもらおうか。
 これでも﹁情報の大切さ」は分かっているつもりだからな。


 夢の中に、世界の狭間とでもいうべき空間が再現される。
 真っ白な世界に、真っ白な貴婦人。
 張り付けたような笑顔で俺を見つめて、いつものように愚痴をいう。
﹁まったく。もう少し感謝してくれてもいいんじゃないですか? これでも貴方からすれば、神と言ってもいい存在だと思うのですけれど」
﹁俺だって始めの頃はメチャクチャかしこまっていたんだ。それをこんな残念な対応に変えたのは、主にその女神様のせいだぞ?」
 一〇六回死に戻る度に、愚痴られ嫌味を言われてみろよ! 
 顔を合わせる度に無駄に説教する高慢ちきな教師と変わらないよ? 
﹁ひどいですね! 神への敬意ってものが感じられませんね!」
﹁……いや、本当なら心の底から崇敬したいよ。俺、毎月神社のお参りを欠かしたことがなかったぐらいだったのに。マジで俺の中にあった神様のイメージと信仰心を返して欲しい」
﹁……なにげに今のが一番傷つきました」
 俺の本心暴露に、ヴァクーナが珍しく肩を落とす。
 ほんの少しだけど逆襲に成功した記念すべき一瞬だった。
﹁それはさておき」
﹁立ち直るの早いな!」
﹁私、これでも神と呼ばれてもいい存在ですから」
﹁理由になってない!」
 まぁ、俺もさっさと本題に入りたいから自制する。
 夢での交信は、俺の意思ではつながらない。常にヴァクーナから来る連絡だから、これを逃すと次に話ができる機会がいつになるか分からないのだ。
 だから、単刀直入に質問した。
﹁で﹃本番の目的』ってなんなんだ?」
﹁うーん。どうしますかね?」
﹁なぜ、そこで言いよどむ?」
 ヴァクーナの思いがけない反応に、こっちが戸惑う。
 一〇七回行った課題の場合は﹁その世界の魔王を倒せ」としっかり具体的な目的を示してくれた。
 今回が本番なら、なおさらはっきり目的を教えてくれると思ったのだけど。
﹁まずですね、貴方をこの世界﹃ティンベヘ』に召喚転生できた時点で、第一関門突破です。そのタイムリミットがギリギリでしたから、まず召喚転生を優先したのです」
﹁﹃ティンベヘ』? この世界って名前があるのか?」
﹁……ええ、まぁ﹃私たち』が識別するためのコードみたいなものですから、もちろん住人は知りませんけどね」
 世界そのものに名前がついていることは珍しい。今までも人族がつけた星の名前、大陸の名前、国の名前はあったけれど、名前がある世界に召喚転生したことはなかった。
 そもそも内側にいる人族には「世界に名をつける」という発想がなかなか生まれない。外にある世界を想像することはできても、観測はできないからだ。
 一つしか確認できないものを名付けて区別する必要は無い。自分たちが住む世界を「宇宙」と呼ぶだけでこと足りる。
 数多ある世界を客観的に認識できる立場にある者だけが、世界に名付ける意味を持つ。つまりヴァクーナのような神の如き存在だ。
 それでもヴァクーナが世界を名前で呼んだことは一回もない。
 つまり、この一〇八回目の世界は﹃ヴァクーナたち』にとって名付けるに値する世界ってことだろうか。さすが本番というだけあって特別なのかもしれない。
﹁で、貴方が確認した通り、この世界の﹃魔王』はすでに倒されています。貴方に対処してほしいのは﹃*****』です」
﹁はい?」
﹁あ、やっぱり認識できないですか?」
﹁やっぱりってどういうことだよ」
﹁例えるのが難しいのですが、うーんと﹃フラグが立っていない』って言えば通じます?」
﹁……表現にいろいろ言いたいことはあるけれど、ニュアンスは分かる」
 何らかのプロテクトがかかっていて、ある条件をクリアしないと解除されないってことか?
 あのさ。たとえ全知全能ではないと言っても、神の一柱のヴァクーナにもかかるプロテクトって、一体どんなレベルだよ。
 それは無理ゲーってやつじゃないの?
﹁それは大丈夫です。まずティンベヘに召喚転生できることが、フラグの一つですから。貴方の魂が目的達成のための最低条件をクリアした証です」
﹁そうなのか?」
﹁そうですよー。ホント、あれだけ時間をかけたのに転生できなかったらどうしようかと、内心とっても不安でした」
 ニコニコ笑いながら肩をすくめるヴァクーナに、恐る恐る気がついた疑問をぶつけてみる。
﹁……ちなみに召喚転生に失敗していたらどうなってた?」
﹁よくて魂データの破損。最悪の場合は消失ですかね?」
﹁怖ッ! よ、よくもそんなこと説明もせずに!」
﹁説明してゴネられても無理矢理送りますよー。もう本当にギリギリだったのですから。そのために貴方を召喚したのですし」
﹁……こ、これだから素直に崇敬できないんだよ」
 ヴァクーナの笑顔がコワイ。
 こんな時、目の前の存在が人間ではないって実感する。

 いつも笑顔でいるし、ゆるい受け答えをするから忘れてしまいそうになるけれど、女神様は伊達ではない。
 何度も死に戻っている内に魂が成長したのか、認識力が拡大したのか、この果てしない白い空間すべてひっくるめて﹃ヴァクーナ』という存在だと、感じるようになった。
 狭間とはいえ、一つの世界まるごとを内包する存在。それが﹃神』。
 俺の魂なんて吹けば消える。あまりにも存在の規模が違いすぎるんだ。月とスッポンなんて表現じゃ追いつかない。
 彼女は俺がそれを感じ取っていることを知っている。
 でも、表情も対応も変えない。だから俺も今までと同じように会話する。
 細い細い糸の上を綱渡りしている。そんな感じだ。

 俺は呆れた風を装って軽口を叩いた。
﹁いっつも思うけど、ヴァクーナ自身でどうにかできないのか? それがダメだとしても、直接力を貸してくれる、とか」
 ヴァクーナもまた、変わらず笑顔を張り付かせて説明する。
﹁あのですねー。基本的に物理世界には、私たちのような存在は介入しづらいのですよ」
﹁神々って呼ばれている存在なのに?」
﹁神々と呼ばれる存在だからこそ、です。前に使った魂データを例えにするなら、私たちのデータ量は膨大すぎて物質世界では転生はもちろん、ほとんど顕在化できません」
﹁は?」
﹁実際、貴方のいた世界でも、今まで巡ってきた世界でも、神が直接介入することってまず無いでしょう? 介入しないのではなくて、したくてもできないのです。亜神や神霊、精霊ならともかく、私たちが無理矢理力を振るったとしたら、貴方がたで例えると﹃小指をかすかに動かしただけで星が消えます』よ?」
 ……やっぱりなぁ。感じている存在規模が証明されちゃったよ。
 たぶんあまりに違いすぎて感覚が麻痺して、目の前にいる虚像だけを認識しているんだよなぁ。
 俺の内心を見透かすように、ヴァクーナはさらにゆるく、冗談めかして話しかけてくる。
 もしかしたら、これも俺の無意識の願望が投影した結果なのかもしれない。
 恐怖を感じずに会話ができるように。
﹁大体、宇宙を創造したりするような存在が、ちっぽけな星一つに降り立つなんてできるわけないじゃないですか。星が存在を許容できません」
﹁だから、人間を、﹃俺』を使うわけか」
﹁貴方には申し訳ないですが、そういうことです。貴方がもともといた世界でも、神のお告げを聞いたり、祝福をうけて活躍した英雄っていますよね? そのような交信と加護がせいぜいなのですよ。物質世界の問題は物質世界に存在できる者にしか解決できません」
 ヴァクーナは急に真剣な顔をして、厳かに告げた。
﹁でも極稀にですが、そんな物質世界の小さな星の上で生じた出来事がきっかけになって、世界に影響を与えるときがあります。今回がその例なのです」
﹁……バタフライ効果みたいだな」
﹁かなり意味は違いますが、そのイメージで考えていただいても間違いではありませんね。で﹃*****』を認識するためには……」
 その瞬間、耳を穿つような雑音とともに、白い世界が揺らいだ。
﹁! なんだこれ!」
﹁いけない! 感づかれたようです」
﹁感づかれた?」
﹁時間がありません。いいですか? 今回、貴方が会った人たちと当分一緒に行動してください。そうすれば第二のフラグがたちますから!」
﹁なにをすればいいんだよ!」
﹁貴方なら自ずと分かります! 今回は私も本気でフォローしますから、また!」
 ヴァクーナの白い世界を塗りつぶす漆黒の空間。
 天には真円を描き煌煌と輝く琥珀色の月が二つ。
 なぜか俺にはその月が、こちらを見透かすように見つめる瞳に見えた。


 で、目を覚ました俺は。
﹁ふふふ。今日は逃さないわよ。昨晩の分まで話し合いましょうね?」
﹁……シア。ここ一応、男部屋なんだけど。どうやって入ったのかな?」
﹁許せ、カズマ。俺には止められなかった」
 俺の腹の上にまたがって不気味に微笑みながら覗き込む美女と、法術で編まれたロープでぐるぐる巻きにされた戦士という、なんとも言えない光景を目の当たりにした。

仲間の笑顔と決心と

 幌馬車での旅が続く。王都ロンディニムまで、あと二日ほどだ。
﹁ね、カズ、聞いてるの?」
 旅の疲れ以上に、シンシアの猛攻で消耗が激しい。
 普通さ。美女の猛攻で消耗が激しいなんて言ったら、大抵の男は性的な妄想をしたり、﹁リア充爆発しろ!」とか言って嫉妬すると思うんだ。
 でも、まったくそんなことがないばかりか、チャドをはじめとした男性陣の同情と哀れみの視線が突き刺さるって、どういうことだよ。
﹁ねぇ、秘法術を教えてなんて言わないわ。でもあのリンド種に一撃でとどめを刺すなんて、興味を惹かれるじゃない? 秘法術はイメージを必要とせず、霊力と発動キーだけで現象を引き起こすと言われているけれど、確かにあの攻撃からはイメージワードを感じなかったわ。法術にとって霊力とイメージとワードは一括り。どうやってイメージワードを外して現象を起こすの? って、あらいやだ。結局聞いちゃってるわ。でもしょうがないじゃない。秘法術の使い手なんてめったにいないもの。ねぇ、イメージとワードの……」
 ホントどうしてこうなった……。
 いや、出会ったときの戦闘で秘法術を試したのがいけなかったんだけど。
 この世界と自分の状態を確かめるためとはいえ、秘法術はやめておけばよかった。
 でもあの時点で、まさかここまで粘着されるなんて想像できるわけがない。
 後悔先に立たず。
 しかし、俺もやられてばかりじゃないぞ。
﹁シア」
﹁え、なになに? なんでも言って語って教えて?」
﹁法術士にとって、ワードはイメージを強く保ち、現象を導く﹃力ある言葉』だよな?」
﹁そうよ、もちろん。だからこそ法術にはワードと関連するイメージの構築が大切。ワードが多いとイメージも複雑化して、そのせいで強度が下がるから……」
﹁だよな。だからさ。俺に法術を教えてくれた人は﹃ワードの質を高めるためにも、普段から言葉の使い方に注意しなさい』って言ってた」
﹁う……」
﹁シアは五つ以上のイメージワードを使って、しかもあれだけのイメージ強度を保てる。俺が知っているなかでも最高レベルの法術士だと思う」
﹁……アリガト」
﹁うん。だからさ。別に法術談義をやめろとは言わないけど、もうちょっと普段から意識すれば、さらにワードの質が上がると思うんだよね」
﹁それ、お師匠様にも言われたわ。おしゃべりが過ぎるって」
﹁だろ? 法術の先生はみんな言うんだろうな、きっと」
﹁ううー。でも、だけど……」
 シンシアは口を閉ざした。視線を下に向けて、なにやら唸っている。
 よし。考察に入ったな。これで、今日のところは静かになるはず。
 シンシアにとって、法術の探求こそ生きがい。三大欲求をねじり伏せるほどのパワーあるワード。だから説得も法術を絡めればいいんだよな。
 俺が学んだことを含めて言えば、法術についての情報交換というシンシアの欲求も正しい意味で満たしているわけだし。
 うん。誰も損していない。問題なし。
 ハリエットが表情だけで﹁おおー!」と感心している。
 俺と視線を合わせてニヤリと笑うイネス。﹁なかなかやるじゃねぇか」って感じかな?
 チャドが苦笑して、また干し肉を投げてよこした。
 俺はお礼を言いつつ受け取って、少しずつかじりながら流れていく風景を眺める。

 街道が整備された平原はところどころ地面がむき出しで、まだ戦争の爪痕が垣間見えた。
 しかし、確実に緑の絨毯が広がり、自然の力である精霊力のよどみない流れを感じる。
 前世界でこの街道を通った時はまだ戦いの最中だったから、草なんて根こそぎなくなっていた。
 この世界でも同じだったのかは分からないけれど、大部分を青々とした草原が覆い尽くしているのを見ると、チャドが言った通り平和が訪れたんだな、って思う。
 なんだか、ホッとした。
 この世界と双界の関係にある一〇七回目の世界も、きっと平和になったに違いない。コリーヌたちも、今はのんびりしているだろう。

 マーニャの住んでいた村は魔族領に近かったせいで戦争初期に襲われて、彼女は家族を失った。いつも笑顔で元気いっぱいだったけれど、影でコリーヌに泣きついていたのを知っている。
 ラドルは治めていた領地のほとんどが焦土になった。あの厳格爺さんは領民をものすごく大切にしていることで有名だったから、その無念はいかほどだったか。
 毎夜ものすごい唸り声をあげながらうなされていて、そのせいで何度も叩き起こされたけれど、怒る気になんてなれなかった。
 コリーヌは戦争が起こるずっと前に魔族によって壊滅した村の生き残りだといっていた。ご両親が身を犠牲にして赤ん坊だった彼女を隠したらしい。
 孤児院にいるときに法術の才能を見出されて、神殿の大神官が養女にしたそうだ。

 悲しんで、苦しんで、やっと勝ち取った平和。
 ゆっくりと楽しんでほしいと思う。
 できれば、少しぐらい一緒に味わいたかったな。

 魔王がいなくなり、戦争が終わったこの世界は、今は平和だ。
 でも、昨晩の夢のなかでヴァクーナは言った。世界に影響する﹃*****』に対処してほしいと。
 あのヴァクーナが、本気でフォローすると宣言するほどのなにかが、これから起こる可能性がある。
 もう一度、幌馬車の外を眺めた。
 緑豊かな平原にそよ風が渡り、爽やかで優しい草葉の香りを運んでくる。
 そのなかに、コリーヌやラドル、マーニャが笑顔でいる光景を幻視した。

 ……これはなぁ。
 もうやるしかないじゃんか。

 一応、俺には対処するために必要な、最低限の資格はあるらしい。
 これでもなんとか魔王級の相手とガチバトルできるぐらいの力は身につけた。
 ヴァクーナがどこまでお告げと加護をくれるのか分からないが、なんでも利用してやってみるしかない。
 第一、このために一〇六回も死んだんだよな。俺の意思じゃないけど、さ。
 これで﹁目的」とやらを達成できなかったら、まさに死に損。過去の俺は、完全無欠の無駄死に祭りってことになる。
 あの痛くて苦しい思いをムダにするのは、さすがにイヤだな。
 どうにもヴァクーナの思惑通りに動かされていて癪に障るけれど、そもそも俺とは比較にならない存在の女神様だ。それこそ、怒るだけムダ。
 釈迦如来の掌であがいた孫悟空の気持ちが分かるなぁ……。

 よし、覚悟は決まった。グダグダ言うのはもうやめだ。
 とにかく今はヴァクーナの指示通り、トリーシャたちと行動してみよう。
 第二のフラグとやらを立てるために。

 俺はこれから当分の間、仲間となる戦友たちを見ながら、再び干し肉を噛みちぎった。



【第一章 終了】

﹃*****』解除フラグリスト
 フラグ1:ティンべへ世界への召喚転生
 フラグ2:???

 第二章へ続く

【出版情報】

一〇八界目の正直 異世界召喚はもうイヤだ!1
一〇七回も召喚転生して、やっと魔王を倒したのに「次が本番です」って?
女神ヴァクーナによって召喚されたカズマは、一〇七回も世界を渡り、やっとの思いで魔王を倒した。
しかし女神は宣言する。「課題達成ですね。それでは次が本番です!」
問答無用に一〇八回目の世界へ飛ばされたカズマに未来はあるのか?
女神様に振り回されるカズマの異世界英雄譚、第一巻。

「白亜色の涙1」
それは正視できないほどおぞましく。目が離せなくなるほど美しかった。
北上鋼一と北上冬湖。幼馴染の二人が六年ぶりに出会ったことで、物語は動きだした。
一族に受け継がれてきた特殊な力『道しるべ』をもった二人は、不思議な出来事にかかわっていく。
ジュブナイル伝奇シリーズ、第一巻。

108界目の正直:異世界召喚はもうイヤだ!無料お試し版

2017年2月14日 発行 初版

著  者:阿都
イラスト:ジュエルセイバーFREE<http://www.jewel-s.jp/>
発  行:Attus Room出版

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Atsushi.H

フリーWebライター。仕事として記事を書く傍らで、小説執筆しています。ジャンルはジュブナイル伝奇やファンタジー。ほのぼのとしたライトノベルが中心です。
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