spine
jacket

おしながき2017.1.21

 
 統計によると、死亡率の高い年齢は、男子で86歳だそうだ。今の私の年齢である。75歳までは、現役で働いており、15年間、世界の最貧国を農村調査や農業技術指導で走り回っていた。その間、大きな病気もせず、もちろん、入院もしたことはなかった。ところが、80歳を過ぎてから、肺がん手術で1回、憩室で6回、肺炎で2回も入退院を繰り返し、その上、間質性肺炎の特効薬プレドニンの副作用で脊椎を骨折、腰痛との闘いを強いられた。しかし、少なくとも今年中にあの世に行く気はしない。間質性肺炎は奇跡的に好転しているし、腰痛も危機を脱した。ただ、何年生きるかは誰も分からない。

 老人になると、人生を逆に辿ることができる。これが、若い人にはできない老人の特権である。自分自身が、小学生の頃から一つ一つ意思決定をして人生を歩いてきた。人は皆だれもがそうである。その意思決定が自分の目指すものと一致していたか、老人はそれを長い期間で検証できるのである。その検証は、自分にも人様にも貴重である。話をする機会があればいいが、老人が話す機会はなかなかない。
 これから、暇に任せ、幼児期から現在まで、私の意思決定がどのように行われ、その結果がどうなったか記憶を辿って書いてみたい。


幼児期

 
 私は、昭和5年9月に鹿児島県川内市に生まれた。父親は国鉄勤務であり、私が生れた頃は宮の城線のSLの機関手をしていた。住んでいたのは川内機関庫国鉄官舎である。5~6軒あったように思う。私達の家は、田んぼにせり出した高台の端の一軒で、家の壁は機関車の煙で煤けていた。そこに4歳まで住んでいた。官舎と機関庫の線路との間には柵などなかった。よちよち歩きの幼児が機関車に寄っていくと、よく蒸気を吹きかけられて、追い払われた。これが私の人生で記憶にある最初の風景である。

 私には5歳上の姉と3歳上の兄がいる。しかし、幼児期においては、この二人の記憶が全くない。

 まず、意思決定の第一号は、「危険なものには近づくな」である。転車台などがあって狭い機関庫の中を、大きな機関車が右往左往していた。そこに官舎を抜け出したよちよち歩きの子供が近づくと、シューという飛び上がるような激しい音とともに、白い蒸気を浴びせられる。泣きながら家に逃げ込んだことを覚えている。86歳の今でも、機関車には近づかない。

 田んぼに競り出した高台にある官舎の風呂に入っている時、よく節穴から、田んぼの向こうの墓地を見させられた。「ほら、青い光が揺らめいている」と母に言われたが、私はおばけや幽霊話にはあまり興味がなかった。とにかく、やってはいけないことは、ほとんど幼児期に覚える。ほとんどの子供がそうである。


霊、死


 幼稚園に行くようになってから、官舎から1㎞離れた平佐町麓というところに移転した。そこは母の兄(私の伯父)が建てた家で、瀟洒な純和風の料亭を思わせるような大きな家であった。伯父の家族は満州に行っており、終戦まで帰ってこなかった。おばあちゃんが女中と暮らしており、私達の一家がおばあちゃんを守るため、一緒に住むことになった。広い築山の庭園、裏に小屋、広い畑、鶏小屋、別に貸家一軒を持っていた。私達はここで小学校、中学校、高校1年まで、戦時中を全て過ごしたことになる。田んぼが少しあり、小作に出していたので米には困らなかった。大東亜戦争時は、建物の一部を師団司令部に接収されていた。

 おばあちゃんが亡くなったのは、小学1年生の時である。今でも覚えているが、家から学校に危篤の知らせがあって、早引けして帰った。もう、間に合わなかった。私をずいぶん可愛がってくれたので、その悲しみは強烈であった。その夜、母の胸にすがって泣いた。人間は何故死ぬのか、死とは何か?一晩中考えたが、分かるわけがない。

 私の中の宗教は、戦時中の「国のために死ぬ」から、大学での聖書研究会(矢内原忠雄の無教会派集会)、卒業後は仏教(禅宗)と悩みの有る時に解決をお願いするだけのものであった。

 結局、小学一年生の死に対する考えから一歩も出ていないように思える。つまり、死によって肉体は土に還る、魂は99%そのまま喪失する。何故なら、魂を宿すものが無いからである。昔の人はそこに輪廻の考えが湧いたのかもしれない。仏教では「一切が空」という。もう少し悟りが必要のようである。
 さっき、死んだら魂も大部分無くなると言った。ただ、1%は残っているのではないかと思っているのは、次のようなことが私には多いように思うからである。

 金縛りがある。小学6年生の時、友達が破傷風で亡くなった。丁度その時間に金縛りにあった。そのようなことが何度かあった。最近では、ブラジルの農家調査に小型双翼機で出かけ、着陸地点が見つからずに飛行場に引き返そうとした時、70歳過ぎの爺さん(私)が、お母さん、助けてと無言で祈ったら、直ぐ下に着陸する予定のとうもろこし畑のアンテナが見つかり、助かった。その日、ホテルに帰ったら、母が死亡したことが告げられた。

 盛岡に東北農業試験場があるが、そこの部長でいた頃、福島に支場を作ることになった。地均しがほぼ終わり、本格的に重機を入れる段階になって、もう一度見てきてほしいと事務方から依頼を受けた。広い空き地に車から一人降り立って、導かれるように小さな藪に分け入ってみると、40cm位とと20cm位の二つのお墓が隠れていた。建物を建てる時、最も神経を使うのは古いお墓である。今迄、何人かの職員が調べたのだが気付かなかったのである。江戸時代後期の年号が刻まれていた。丁重にお墓を移動したことは言うまでもない。その夜、風呂に入った時、背中がぞくっとした。母子でお礼に来られたのであろう。こういうことが時々あると、魂の1%は残して置きたいのである。

 私が生まれてから、これまでに死んだ家族は、おばあちゃん、姉(昭和35年)、同居していた義父(平成2年)、母(平成9年)、父(平成12年)、義母(平成12)である。いずれの方々にも、大恩を受けている。とくに母には心配ばかりかけていた。許してくれるかな。


戦争と戦後


 大東亜戦争中は、我が家は師団司令部に接収されていた。師団長が表屋敷に居住し、われわれは裏の二間に住んでいた。川内駅の裏500mのところにあり、駅を機銃掃射する時は我が家の真上で発射していた。米軍のパイロットの顔がよく見えた。薬きょうが座敷の中によく飛び込んできた。空襲が頻繁にあり、授業ができず、丘の上の開墾にでかけたが、後ろから機銃で狙い撃ちされたことがある。ヒューン、ヒューンという弾の音も初めて聞く音であった。川内市への空襲は敗戦の年の3月が最初で、6月から8月にかけて激しく、その中でも7月30日が最も激しく、焼失家屋約2,000戸であった。その日はやけどを負った沢山の人とすれ違い生地獄であった。

 私の場合、小学校1年生でシナ事変、5年生で大東亜戦争、終戦は中学3年の夏だった。基礎学力を付けるべき時に、全て戦争だったのである。小学校の場合は、教科書が軍国主義の内容に度々変わり、農家に対する勤労奉仕が多くなった。

 当時の学校教育制度では、小学校6年、中学校5年、高等学校3年、大学3年であった(旧制中学;現在の高等学校、旧制高等学校;大学教養学部、旧制大学;最初から学部に分かれている、したがって専門の学部は3年)であった。

 旧制中学では、出水市にある高射砲陣地への労働奉仕が多かった。その他は、中学2年、3年では、空襲で授業ができず、丘の上にさつまいもを作ったりしていた。終戦の時は、2年生の教科書の半分ぐらいを勉強していたように思う。校舎は空襲で焼け、近くの施設を借りて授業が開始されたように思う。

 旧制中学では私にとって大きな二つの意思決定があった。一つは、戦時中にもかかわらず、二年生の初めに、将来の希望を軍人から科学者に変更したことである。当時、陸軍幹部将校を育成するため陸軍幼年学校があり、旧制中学一年生か二年生から受験できることになっていた。合格するのは難関でり、当時の旧制中学では、中学の受験時の成績を参考に、優秀な生徒を一つのクラスに集めて勉強させていた。私は小学生の頃から、すでに、軍国少年であった。しかも、中学生になって幼年学校受験クラスの級長であった。

 敗戦一年前で戦況不利な時であった。科学の振興が必要と感じたからか、まず、島津家が、軍人でなく科学で国を引っ張っていく人に授業料免除、日本育英会が同じ趣旨で奨学金を出すことになった。学校から一人か二人ということであった。これらの奨学金を受けることが、貧困対策より栄誉であることを強調されて説得された。それに体格、体力が心配だということが、駄目押しになった。

 散々説得されて、これを受けたのである。これが戦時中、私が自分で意思決定した最大のことであった。

 旧制の教育制度では、もう一つ特典があった。正規だと、旧制中学5年から旧制高校に入るのだが、4年終了でも試験に合格すれば旧制高校に入ることができた。これも個人的に先生にお願いして、可能にした。それは、1年間で、未だ習っていない2年後半、3年、4年を独学で勉強し、疑問点は、化学、物理、数学などの先生にそれぞれノートに記入し、1週間後、新しい疑問点のノートと交換するというやりかたで行った。先生方のご協力に感謝したし、合格した時、喜んでくださった。これで飛び級に成功したのである。

 旧制高校に入った頃から、自分の性格ががらっと変わったように思う。これまでは、明るい性格であって、比較的友達もいたように思う。この暗い性格は、大学卒業まで続いた。この時期は、専ら哲学書、文学書を読み漁っていた。

 七高の校舎は空襲で焼け、しばらくは鹿児島から100km北にある出水市の旧軍隊の施設を使っていたし、寄付をお願いするために学生が県内を個別訪問をしていた。しばらくして仮校舎ができても、食堂の飯はお粥であった。ただ、学生は皆、よく勉強していたと思う。

 この時期の意思決定で重要なのは、大学の進路の決定である。

 私は色弱だったため、全国の大学の農学部と医学部に色弱の程度を書いた手紙を送って、合格の可能性の是非を聞いた。その結果、残ったのは東大農学部農学科と千葉大学医学部だった。両方とも合格したが、意思決定したのは前者だった。理由は、自分が医者に向いていないことと卒業に年数がかかることである。

 昭和25年の朝鮮戦争のため、世の中の景気がよくなって、兄弟三人を見る家庭教師一つのアルバイトで、勉学に支障のない大学生活が送れた。

 卒論のテーマは、「大豆根瘤の組織学的研究」だった。故あって、鹿児島大学の研究生を2年やったが、その時、七高時代の担任の先生だった山根銀五郎先生に読んで頂き、修正加筆の上、鹿児島大学学術報告に掲載して頂いた。

 大学時代の卒業間際、ゼミで教授といざこざがあり、私の意思決定の枠外におしやられることになった。私はまじめに正しいことを言っただけのことで後悔はしていない。天下の東大教授が若造の少年に見せた狼狽ぶりを見て、東大がいっぺんに嫌いになった。卒業はしたが、今後は一切、この大学には足を踏み入れないと誓ったものだ。後に作物学会の編集幹事を仰せつかった時、数回足を踏み入れたが、その作物学会も脱会したのでその後は行かなくて済むようになった。自分の子供は娘一人だが、絶対、東大には行かせないと考えていたが、親の意図をよく理解してか東京芸術大学に進んだ。


病気


 幼児期から小学4年生頃までは、良く扁桃腺炎を患って、学校を休んでいた。かかりつけの医者は、この子は二十歳までしか生きられないとよく言っていた。ツベルクリンが陽性になった頃で、結核で死ぬことを予言したつもりであったと思う。実際、大学を出て鹿児島大学の研究生をしていた二年目に、結核性の湿性肋膜炎を患った。幸運にもストレプトマイシンが発見され、普及し始めの時だった。完治して、国家公務員試験を受験し、国家公務員になるのに大学卒業後5年を要した。
 公務員になってからは、大病はない。公務員を退職後は主として世界の最貧国を農村調査や技術指導で75歳まで回っていたが、病気はしなかった。

 ところが、80歳から次々と病気をすることになった。肺がん手術で1回、憩室で6回、肺炎で2回も入退院を繰り返し、その上、間質性肺炎の特効薬プレドニンの副作用で脊椎を三回骨折、腰痛を患っている。これは私が二十歳の誕生日に誤った意思決定したことによる。それは喫煙である。意思決定が、60年後深刻な結果を生むことになろうとは予想できなかったのである。


結婚


 大学に入ってからも、性格は暗く、友達を作ることが面倒くさかった。暇があれば、他の学部の聴講生で授業を受けていた。一番面白かったのは理学部の小倉謙先生の植物分類学だった。聖書研究会にも通った。しかし、国家公務員になり、鴻巣市の農林水産省農事試験場栽培部に勤務してから、自分でも明るくなったと思う。入省早々から労働組合をやらされた。

 研究中のことをいつも考え、世間のことに関心が薄い研究者は、付き合いづらい。助かったのは、妻の父も研究者であったことで、助かった。

 結婚式は、農業技術研究所松島省三博士に仲人して頂いて、昭和38年4月26に行った。妻になる人は、農業技術研究所遺伝部長山崎義人の次女直美であった。友達も多く、今でも度々、ランチ会や旅行会に行っている。登山が趣味で、明るい性格である。

 義母が病気がちだっため、妻の両親と私共とは同居していた。試験場勤務の最後の10年間は、つくば市、盛岡市、札幌市と転勤したが、単身赴任であった。妻は、25年間、義母の介護をした。壮絶な介護だったため、自らも体を壊した。今は元気である。

 私は、最近、介護される身になってはじめて、自分の立場がはっきりしてきた。只ただ妻に感謝するのみである。妻に純粋に感謝できたことは、良かったと思う。54年の結婚生活をしてきて、最後に近い段階で、心から有難うと言えるのは、うれしいし、悟りだと思う。

 娘一家にもお礼を言いたい。婿殿は建築界に輝いているし、娘は芸術活動をしているし、孫はIT産業で活躍している。楽しみである。この6年間の私の病気では、娘は毎日のように介護に通ってきてくれている。感謝している。心から有難う。婿殿には迷惑をかけっぱなしでご免なさい。

 姪の晶子の面倒を最後まで見られなかったのは残念である。この件も娘・裕子にバトンタッチした。申し訳ない。有難うとお礼を言います。それにしても、妻に対する有難うは別格。54年のキャリアの差かな。


仕事


 昭和33年に農林水産省農事試験場栽培部作付体系研究室に配置になった。この研究室は、昭和38年に新設された作業技術部作業体系第2研究室に名前を変えて編入された。その分野は苦手だから研究室を変えてくださいということはできない。与えられた研究室で仕事をする以外無いのである。特に、省直属の試験場だから、新しい農業問題が起きると新しい部や研究室が新設されるのである。
つまり、私の一生かけて行う仕事は、農業研究の中で一番農家に近い研究であり、水田や畑で、色々な作物を組み合わせて栽培し、大型機械を有効に使い、最も収益の上がる技術の組み合わせを作ることにある。一般的には研究者には好かれない研究分野である。

 私の仕事の歴史は、大きく二つに分けられる。一つは農水省の研究機関で行った仕事で、59歳まで32年間やった。その間、水田作を12年、畑作を12間、管理職を9年間やった。もう一つは、退官後に世界の最貧国をJICAのプロジェクトチームの一員として回り、農村調査や技術指導をし、農村の農業開発計画を作るという仕事を行った。75歳まで約15年間やった。


農事試験場での仕事


 農事試験場に作業技術部という新しい部が新設された昭和38年頃は、大型機械や施設が農家に導入され、それに伴って機械・施設を効率的かつ組織的に利用するための研究が必要になってきた。当時、私の研究は、水田地帯に増えつつあった水田酪農あるいは肉牛生産のための、水稲と牧草、特に有望飼料作物のイタリアンライグラスの二毛作の機械化栽培を研究していた。同時に、田畑輪換栽培の畑作期間でのイタリアンライグラスを含む飼料作物の栽培も研究していた。

 命題は、15PSトラクタおよび付随した一連の作業機と、35PSトラクタおよび付随した一連の作業機のそれぞれについて、
① 機械の作業負担面積を最大にするには、いつどのような機械化栽培をしたらいいか。
② 利益を最大にするには、いつどのような機械化栽培をしたらいいか、
である。

 私が心掛けているのは、分らない命題が与えられた時は、他の分野のコラボを考えることである。今回は、数学の力を借りることにした。それは線型計画法である。線型計画法はOR(operations research)諸法の一つで、一次式で表わされる制約条件のもとで、同じく一次式で表わされる目的関数の値を最大または最小にするような変数の値を求める方法である。我々が扱う事象では、条件式の数が変数の数より少なく、したがって解がいくつも存在する場合が多い。その解の中で目的式を最大または最小にするような最適解を試行錯誤的に求めていくのが線型計画法である。
 大変難しいようであるが、簡単である。というのは大型コンピューターではプログラムができていて、数字をインプットするだけになっている。大事なのは、用いる数字、つまり用いる作物につての情報、安定した機械化作業法、生育環境や作業環境などの情報をよく整理しておくことである。


技術の総合化の重要さ


 一般に研究者は、より細かく、基礎的に掘り下げていく。これは勿論、重要なことである。これがなければ、技術の進歩はない。試験場の研究室で開発した技術がそのまま農家に普及していく場合がほとんどである。

 一方、生産組合や機械利用組織では、経費のかかる大型機械を共同利用して、経費の節減を図り、組織全体の収益を追求する。ここでは、沢山ある個々の作物栽培やその機械化作業法をいかに組み合わせ、機械の負担面積を拡大し、収益を最大にするかが大切になる。

 戦後、GHQは、日本の農業技術の研究は農業の現場から離れているということで、総合農学科をいくつかの地方大学に設けた。しかし、10年後には廃止された。日本では技術の総合化が育たないのである。その一つの理由は、総合化の研究手法がないためである。私が1975年に発表した作業技術体系研究の手法に関する研究は、一つの案として出したものである。

 この手法を使って技術の総合化を行った結果をいくつか紹介する。水稲と裏作のイタリアンライグラスの技術体系で最も問題となるのは、両作物の切り替え時の作業である。水稲栽培の様式が直播栽培の場合、プラウ耕―ロータリー耕―ツースハローを行うと、播種作業精度は高く、収量も安定するが、能率が悪くて、15PSトラクタ体系では4haの負担面積しかえられない。そこでロータリーのみにすると、能率は上がって負担面積は6haになるが、播種作業精度が悪く収量が低下する。35PSトラクタ体系でも同じ傾向であった。そこで、「播種する部分だけ10cm幅にロータリーをかけ、播種する」部分耕方式が最も安定し、収量も高かった。この部分耕方式では15PSトラクタ体系での負担面積は10ha、35PSトラクタ体系では16haであった。二毛作全体の35PSトラクタ体系での負担面積は、9haであった。経済性については、体系の中に価格の高い水稲が入っているので、いい成果はあがっていない。
 別に次のような例がある。岩手県で新たに造田されたが、コメの生産過剰のため集団的に転作せざるを得なくなった約240haの転換畑に、牧草栽培による乾草またはヘイキューブ(乾草を立方体状に圧縮したペレット)の生産をすることになった。そこで、いろいろの牧草の生産計画とそれぞれの機械化作業法を策定し、特に年間での作業のネックになる収穫作業を改善し、線型計画法を使って、負担面積を最大にする計画を立てた。その結果、低コストで最も利益を上げられることを目標に、約240haの牧草の栽培法、乾草やヘイキューブ生産のための機械、施設の種類・型式、台数、労働力などの生産要素の導入計画を線型計画法で策定し、農協へ提示した。この農協はその後、この計画に沿ってヘイキューブ生産事業を開始し、ほぼ想定通りの実績を上げた。特筆すべきことは、このような大規模な乾草やヘイキューブ生産を行う場合は、牧草の栽培法が鍵で、肥料は春先の生育促進には与えるが、牧草の生育が盛んな時期には、出きるだけ少肥にして、水分の少ない牧草を生産することが、年間の効率的な作業体系が得られ、収益が最も高くなることが線型計画法の利用で分かった。

 池田が開発した作業技術体系の研究手法は、研究の場だけで用いるものではない。現場の農家が、あるいは生産組合や機械施設利用組織が技術を総合化し、機械・施設の負担面積を最大にしたり、営農全体の利益を最大にする技術の総合化に直接、利用できる。その場合は農家自体が創意工夫して栽培法や機械利用法を準備すればいい。

 私はこの論文を発表して、40年後にはこの手法の利用農家が数戸は出てくるものと信じていた。それがないのは、若い研究者が、今でも技術の総合化に興味を示さないか、大型コンピュータを安くで利用できるシステムが日本に無いせいではないかと考える。

 一国の安全保障で最も基本的、かつ重要なのは、食糧の自給である。日本のような平和国家でも、いつ経済制裁を受けるか分からない。平和国家であるには、安全保障の基本になる食糧やエネルギーを自給することが必要である。

 エネルギーについては石油ではなく、自然エネルギーがある。水素もいい。食料は、麦類、大豆、トウモロコシなどは絶対に復活させなければならない。これらが食糧自給のキー作物だからである。

 食料の自給には、いくつか問題がある。本気になって食料の自給を目指すなら、国の農業予算の使い方を考えるべきである。政治家の皆さんにお願いする。それは、
① 現場で機械・施設を使い、技術の総合化手法を使える人材の育成(研究者でも農家でもいい)と大型計算機を安くで使える利用システム作り。若い人で農業をやりたい人は沢山いる。
② 麦類、大豆、トウモロコシなど規模が小さいほどコスト高になる。したがって、できるだけ、耕作放棄地、荒廃地、高齢者の不耕作地のほか、二毛作田の冬作などを集め、規模を大きくする。二毛作田は、構造改善局を通じて何兆円の国家予算が投入されていた。また、裸地で冬の風によって土砂が舞い上がるなど、耕地保全上も麦を耕作すべきである。農村の高齢化によって、耕地が荒れ、日本から農業が無くなるのを防ぐのは、政治家である。
③ 一定規模の耕作地を一つの公団が運営する。育成した人材をそこに配置する。経営が安定したら民営化する。
④ 農業者戸別保障制度の内容の中にこれらを結合する。
⑤ 以上の農業予算の変革によって、大規模すぎる作物生産が往々にして陥る農薬漬けや遺伝子工学作物の輸入作物から逃れ、国産の安心安全の作物を日本人は食することができるのである。

*農業試験場時代の研究課題と成果の要約を資料―1に、著書・論文一覧を資料―2に収録した。



世界の最貧国の農村調査・農業技術指導・農村開発計画の策定


 調査した国は、中近東のイラン(1972、1973、1974、2002、2003)、オマーン(1991、1995、1996)、アフリカのブルキナファソ(1991、1993)、マラウィ(1992、1993)、東欧のルーマニア(1994)、東南アジアのフィリッピン(1990、1991、1992)、中米のニカラグア(1998)、南米のブラジル(1996、1997、1999、2000)、北アメリカのキューバ(2001、2004)であった。プロジェクトチームの成果を、ここで述べるわけにいかない。各国の事情や農村の事情など報告したいが、疲れてきた。またの機会にしたい。只、一言で感想を言えば、これらの国の人々は、どの国も、親切であり、優しく、暮らしのために意欲を持って働いている。日本のようになるには、どうすればいいかという質問によくあう。私は教育だと答えた。江戸時代の寺子屋の話もした。86年てあっという間だ。あなた達は、直に追いつけるよと言ってきた。実際、そうだと思う。最後に、イラク国境に近いあるイランの部落で、日本では、農業協同組合を作って資材の購入や農産物の販売に有利な条件で生産していると話したら、何故、そんなに仲がいいのかと聞かれた。複雑な事情を知っているので、少しさびしい。

*資料―3参照


未来への意思決定


1 戦争反対、主権在民、平和主義の憲法の下で生きたい。
2 農業政策として、口先だけでなく、ほんとうの完全自給を   達成する。
3 教育の機会と質の保障。
4 年金・医療・介護の充実。
5 原子力発電のできるだけ早い廃止と自然エネルギーによる   発電の促進。

 こんなことが実現できる国で生活したい。これも私達の意思決定次第、決めたら一票で意思表示。




























資料―1

●水田の心土耕起に関する研究


(背景)
 労働生産性の向上とともに、土壌改良という側面からも大型機械による水田の深耕が行われているが、必ずしも増収するとは限らず、土地によってはむしろ、不安定な生育・収量を示す。心土耕とは不良な下層土を反転攪拌することせず、心土だけを耕起して深耕の効果をあげる方法で、この耕起法が土壌の理化学性に及ぼす影響、イネの根の活力への効果、ひいては水稲の生育・収量に及ぼす影響を解析し、心土耕を安定多収技術とするための栽培法を確立する必要があった。
(方法)
 全国の試験研究機関の深耕に関する試験データの収集と解析を行うとともに、普通耕、混層耕、心土耕の3方法について耕起の深さ2水準、品種4水準で4ヵ年、栽培試験を行った。調査は水稲生育、収量、土壌の測定(三相、硬度、地下水位、減水深、地温、Eh6、土壌中の窒素、可給態珪酸、2価鉄)、根の活力(根の土壌中での分布、P32吸収力、呼吸量、溢液中珪酸濃度)、養分吸収と植物体内代謝(炭水化物、無機成分)について行った。
(成果と評価)
 心土耕をすると、犂底盤の破砕、心土層の孔隙率の増加、土壌硬度の減少、心土層における珪酸の混和が見られ、田面も約5cm高くなった。耕土層では透水性が高くなり、心土層では耕土化が進み、その結果、地温やEh6が高く、アンモニア態窒素の量も多く、かつ土層に広く分布した。心土耕の持続性は物理的には3年後も認められたが、機能的には耕起の浅さに比例して3年でかなり消失した。このような土壌理化学性の変化によって根の健全化が促進され、水稲の生育は旺盛で、秋まさり的になり、生育量は増加するが、登熟が条件によっては悪化する。この登熟の不安定性は、イナ体の窒素含有率の増加による体内貯蔵澱粉蓄積量の減少、体内鉄含有率の増加による燐酸の穂への移行阻害等と関係があるが、その阻害程度には品種間に差が見られた。このような結果から、心土耕を安定多収技術とするには、適品種の選定を行うとともに、登熟を高める栽培法を行うことが必要である。また、有機物の土壌への補給と併せて、約3年に1回深耕処理を行う必要があることを明らかにした。
 研究実施機関 関東東山農業試験場(農事試験場)
 試験期間昭和33年(1958)~昭和35(1960)
 発表方法昭和37年(1962)日本作物学会紀事31巻1号
 昭和38年(1963)農事試験場研究報告3号
 共同研究者 池田 弘、高橋浩之、高橋保夫

●洪積畑の陸田化に関する研究


(背景)
 多目的ダムの建設が国土総合開発の一環として進められ、洪積畑地帯では田畑輪換方式による水稲や他の作物の栽培を前提に開発が行われている。このような洪積畑を開田した場合の水稲栽培については不明な点が多く、その解明が急がれた。
(方法)
 国土総合開発事業が進められている各地の土壌を集め、施肥法を変えてポットで試験した。
(成果と評価)
 土壌によって水稲の生育に大きな差が見られ、既往の水田と遜色のない生育を行う土壌や、水稲移植後の活着が悪く、生育も不良で赤枯れ病が発生して、十分な収量が得られない土壌もあった。これらの不良な土壌は、堆肥や燐酸の施用効果が著しく、施肥法の改善によって相当程度の収量が確保できることが明らかになった。この成果は、直ちに各地の開発地帯に適用された。
 研究実施機関 関東東山農業試験場(農事試験場)
 試験期間昭和33年(1958)~昭和36(1961)
 発表方法昭和37年(1962)日本作物学第134回講演会
 共同研究者 池田 弘、高橋保夫、渋沢梅治郎

●水田裏作のイタリアンライグラスに対するマメ科牧草混播に関する研究


(背景)
 イタリアンライグラスは冬作飼料作物として優れた牧草であり、とくに西南暖地で普及している。混播の意義は、青刈り給与での栄養の向上、時期的な給与量の平衡化、全体の乾物収量の増加、肥料の節減、後作への好影響などが考えられるが、このような混播効果の確認、混播の利点を発揮させるようなマメ科牧草の選定と生態的にみた合理的栽培法を明らかにする必要があった。
(方法)
 赤クローバー、レンゲ、コモンベッチなどとイタリアンライグラスの混播と短播について、施肥法、播種量、播種期、刈り取り時期などを変えて試験した。
(成果と評価)
 水田裏作のイタリアンライグラスに対するマメ科牧草の混播は、主として肥料節減に意味があると結論された。つまり、混播はイタリアンライグラス短播多肥の処理区の5分の1の肥料でも有意差のない収量を得ることができる。混播するマメ科牧草としては、コモンベッチが適し、1番刈りまでは少肥で、2番刈り以降は多肥で栽培すること、1番刈りは有効積算温度が1000℃強の時期を目安とし、混播するコモンベッチの播種量は200粒/m2が適当であることを明らかにした。また、イタリアンライグラスおよびコモンベッチの生育と気象要因との関係を数量化し、後述の作業技術体系の設計や評価に数学的手法(コンピュータ・シミュレーションなど)を用いる場合のモデルを作成した。この成果は、後年の作業技術体系研究の手法に関する研究に役立つた。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間昭和36年(1960)~昭和39(1964)
 発表方法
 (1)混播するマメ科牧草の選定(第1報) 日本作物学会紀事36巻1号
 (2)イタリアンライグラスとコモンベッチの混播について 日本作物学会紀事36巻1号
 (3)イタリアンライグラスとコモンベッチ混播の収量性と有効積算温度との関係について 日本作物学会紀事36巻1号
 共同研究者 池田 弘、高橋保夫

●飼料作物・牧草の導入による水田輪作、とくに田畑輪換栽培体系の確立に関する研究


(背景)
 戦後、田畑輪換栽培法は水稲の増収技術の一つとして研究されたが、近年は水稲の過剰生産から、むしろ畑期間の畑作物の高位生産が重要な問題とされてきている。そこで、畑期間でも飼料作物を増産し、水田期間の裏作でもイタリアンライグラスなどの多収作物を作付けして、十分な粗飼料生産を行った場合での、その跡地の水稲の安定多収栽培法を確立する必要がある。というのは、畑期間と裏作に飼料生産を行うと、多量の残根によって跡地の水稲の生育・収量が著しく不安定になるからである。これは従来、田畑輪換栽培における水稲が安定した生育・収量を示すと言われていたこととは相反することで、従来の試験が残根の比較的少ない麦類や大豆などの跡地で水稲への輪換効果を見たためである。
(方法)
 連作田(水稲連作)と田畑輪換田を設け、輪換田の畑期間では永年牧草、とうもろこし、スーダングラス、ニューソルゴーの多収栽培法を栽植密度、施肥量、播種期などを変えて試験した。輪換水田へ転換する直前の冬作物として連作田、田畑輪換田ともエンバクとコモンベッチの混播、イタリアンライグラスとコモンベッチの混播、飼料かぶなどの作付けをした。水稲栽培での処理としては、上記の各前歴の処理区にそれぞれ水稲耕種様式(直種、移植)、作期、土中における残根分解のための風化期間、水稲品種、耕耘法、水稲施肥法、栽植密度、水管理、除草剤PCP処理による水稲生育制御などの多要因を経時的に処理し、水稲生育の不安定さを経時的に制御できるようにした。これらの多要因の処理効果は直交表による多因子計画法を用いて行った。
(成果と評価)
 まず、輪換畑の青刈り飼料作物については、青刈り飼料作物の刈り取り開始の決定や飼料給与計画を立てる上で必要な立毛中の生育量の推定を、草丈によって行う方法を明らかにした。また、刈り取り時期と再生長との関係を明らかにし、連続的に青刈り給与する場合の土地利用上最も効率的な刈り取り法を数学的手法(線型計画法)を用いて明らかにした。輪換水田での水稲の安定多収栽培法については、方法の項で述べた諸生育制御手段を用いて経時的に生育制御する方法、つまり各制御手段を用いる時期、制御法の栽培上の意味、制御法相互の交互作用や代替性、制御法に直接関与する環境要因について明らかにし、機械、労働力、経済性などを総合的に考慮する作業技術体系の設計に十分耐えられる情報として整理することができた。また、これらの成果は、イタリアンライグラス跡地の水稲栽培の不安定さに困っていた農家に適切な指針となり、以後、裏作イタリアンライグラスが急速に普及したと思われる。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間昭和33年(1958)~昭和44(1969)
 発表方法
 (1)一年生夏作飼料作物の青刈収量の推定 日本作物学会紀事34巻2号
 (2)スーダングラス、ニューソルゴー、ソルゴーの刈取時期と再生長について 日本作物学会第144回講演会発表 昭和42年(1969)9月
 (3)二毛作田イタリアンライグラス-水稲栽培における中・大型トラクタを基幹とした作業技術体系試験への線型計画法の適用          昭和50年(1975)農事試験場
 研究報告22号に収録(後出)
 共同研究者 池田 弘、高橋保夫

●大型機械化水稲乾田直播栽培における圃場均平の精度が水稲の生育・収量におよぼす影響について


(背景)
 大型機械による水稲乾田直播栽培で、田面の高低が水稲の生育・収量に著しく影響する。そこで田面の高低と生育・収量との関係を明らかにし、一筆の水田で許容される田面高低さを設定する必要がある。また、コスト面から除草剤を散布すべきか否かを決めるため、雑草量の調査法や水稲の生育・収量の調査法を推計学的に確立することも必要で、この両面について研究を行った。
(方法)
 一筆1haの水田を用いて実施し、田面を10m×10mの方眼のプロットに区切って、各プロットについて雑草、水稲の生育・収量を経時的に調査した。雑草量の調査法や水稲の生育・収量の調査法を策定するためには、0.42㎡のコドラートを用いて調査した。
(成果と評価)
 田面の均平制度と水稲収量との関係を明らかにし、最大田面差を25cmから15cmで均平にすると、水稲収量は約10%の増収となることを推定した。調査法については、大規模圃場で坪刈りを行う場合の抽出単位の面積と抽出数を統計学的に明らかにし、以後の作業体系研究での調査基準を策定した。雑草量の推定については、抽出単位を0.42㎡とする場合、信頼度95%、目標精度5%での雑草発生本数、乾物重とも変異係数が大きく、推定は事実上不可能であった。今後の更なる検討が必要である。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間昭和40年(1965)~昭和41(1966)
 発表方法農作業研究1号
 共同研究者 池田 弘、高橋保夫、平井明男

●作業技術体系研究の手法に関する研究


(背景)
 近年、大型機械や施設が農家に導入され、それに伴って機械・施設を効率的かつ組織的に利用するための研究が必要になってきた。作業技術体系化の研究は、関与する要因が多く、圃場試験の繰り返しだけでは事例試験に終わることが多い。技術の体系化に関与する生産諸要素についての情報を、従来のように経験と勘だけで総合化することは困難であり、理論的な情報の総合化の手法の導入が必要である。つまり、関与する情報を収集・整理し、それらを数学的手法を用いて総合化して作業技術体系を設計し、それを実証試験し、その結果ををもとに、実際の農家の諸条件を計算機の中で再現しながら評価を行う。さらに、技術の改良点を摘出して次のステップの技術体系へと研究目標を具体的に立てる-という手順の繰り返しで研究の効率化を図る必要がある。
 開発した技術体系を農家に普及する場合は、機械・施設の大型化や作業面積が広いことからくる利用資材の増大などコスト面で大きなリスクを負うこととなるので、事前にその生産現場の条件を入れて電算機の中で技術評価を行い、複雑な現場の条件に適合した技術体系を設計し、円滑な技術の導入を図る必要がある。
 この研究は、技術体系研究の効率化と、技術体系の普及の円滑化の両面をねらいとしたものである。
(方法)
本研究課題に関する試験場内での研究では、
●二毛作田イタリアンライグラス-水稲栽培における中・大型トラクタを基幹とした作業技術体系(昭和39年、1964~昭和44年、1969)、
●生ワラサイレージの調製技術体系(昭和44年、1969~昭和47年、1972)、
●梱包サイレージの収穫・調製技術体系(昭和45年、1970~昭和49年、1974)、
●乾燥牛糞の生産と利用の技術体系(昭和47年、1972~昭和51年、1976)
などについて、その素材研究および技術体系の研究を実施しながら、設計、実証、技術評価に数学的手法を適用した。
また、農家、農家集団、他の地域においては、
●牧草サイレージの域内流通システム(昭和45年、1970~昭和50年、1975)、
●ヘイキューブの域内生産流通システム(昭和46年、1971~昭和47年、1972)、
●肉用牛の繁殖経営における営農技術システム(昭和47年、1972~昭和51年、1976)、
などについて、生産現場と一緒になって技術体系や営農設計、実証、営農技術の評価を行った。
 数学的手法は、線型計画法による最適化法、コンピューター・シミュレーション法の両者を用いた。使用した電子計算機は、線型計画法については農林水産省内にある大型計算機を用い、シミュレーションについては、プログラム言語にDYNAMOを用いたため、当時、本省内の大型計算機が使えず、日立、東芝、NEC、IBM、北海道庁などの大型計算機を借用した。
(成果と評価)
 個々の技術をそれぞれの生産現場の営農に適合した形に総合化するという作業技術体系研究が、従来、事例試験に過ぎないと批判された。このような評価を否定し、農業研究の中で作業技術体系研究が最も生産現場に近い、それ故に最も重要な研究分野であることを証明し、確立しなければならない。そこで、システム工学の概念を導入し、農業における作業技術体系化研究の領域と研究内容を規定し、具体的問題を解決しながら研究の手法を確立した。この研究論文は、このような作業技術体系研究の手法に関する研究の中ではわが国最初の論文であり、この分野での今後の研究の発展に寄与するものである。最近では都道府県の研究機関からの手法についての研修や流動研究による共同研究の以来もあり、それぞれに対応している。この手法を用いた各研究課題ごとに成果を概略すると以下のとおりである。

●二毛作田イタリアンライグラス-水稲栽培における中・大型トラクタを基幹とした作業技術体系(昭和39年、1964~昭和44年、1969)

 
作業技術体系の概念、作業技術体系研究の目的、農業におけるシステム合成の特徴、研究手法、研究領域、技術の評価法について論述し、明確に定義した。その上で、作業体系試験の成果を整理し、そのデータを用いて、具体的に作業技術体系の設計や技術評価に線形計画法を適用する方法を明らかにした。また、線形計画法を適用するためのデータの処理法を、筆者が行ってきた素材研究のデータを用いて定式化して技術係数を算出すること、作業期間の設定、制約量と利益係数の算出法など具体的に提示した。

 結論として、二毛作田イタリアンライグラス-水稲栽培の作業技術体系は35PSトラクタを用いる場合、「イタリアンライグラス-部分耕方式による水稲直播」が体系として安定しており、平年時の年間を通した作業負担面積は9ha、10年のうち8年は安全という計画では負担面積は約6haとなった。年間のトラクタ稼働率は80%で各作業工程の能率からみても均衡のとれた作業体系であることも明らかになった。35PSトラクタで6~8haしか年間、作業を行えないことはコスト的に問題である。経済性についても評価し、裏作にイタリアンライグラスを導入するのは、水稲玄米収量がha当たり3.5トンという低収な水田にしか導入し得ないことを明らかにし、導入可能な条件緩和するための研究目標、たとえば化学肥料の代わりに家畜糞尿を用いるなどを量的に設定した。
以上の研究事例に手法を適用した結果、研究手法として数学的手法が極めて効果的であることを証明した。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間昭和39年(1964)~昭和44年、1969)
 発表方法-二毛作田イタリアンライグラス-水稲栽培における中・大型トラクタを基幹とした作業技術体系試験への線型計画法の適用 昭和50年(1975)農事試験場
 研究報告22号(池田 弘、博士論文) JARQ vol. 10 -2
 第1報 農作業研究11号 第2報 農作業研究11号 第3報 農作業研究14号
 第4報 農作業研究14号 第5報 農作業研究15号 第6報 農作業研究15号
 共同研究者 池田 弘、高橋保夫

●粗飼料流通を前提とした牧草収穫作業計画への線型計画法の適用


(背景)
 岩手県で新たに造田されたが、米の生産過剰のため集団的に転作せざるを得なくなった約240haの転換畑の、牧草栽培による乾草またはヘイキューブ(乾草を立方体状に圧縮したペッレト)の生産および作業技術計画を立てる。これは東北農政局のPPBSケーススタディとして実施した。
(方法)
 牧草の生産計画、とくに年間での作業のネックになる収穫作業計画を線型計画法で立てる。
(成果と評価)
 低コストで最も利益を上げられることを目標に、約240haの牧草の栽培法、乾草やヘイキューブの生産のための機械、施設の種類・型式、台数、労働力などの生産要素の導入計画を線型計画法で策定し、管理主体の農協に提示した。この農協は、その後、この計画に沿ってヘイキューブの生産事業を開始し、ほぼ想定どおりの実績を上げた。特筆すべきこととして、このような大規模な乾草やヘイキューブ生産においては牧草栽培が重要で、肥料は春先の生育促進に与えるが、牧草生育が盛んな時期には可能な限り少肥にして水分の少ない牧草を生産することが、年間の効率的な作業体系が得られ、収益が最も高くなることが線型計画法わかった。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間昭和46年(1971)~昭和47年、19672)
 発表方法 日本農作業研究会第10回講演会
 共同研究者 池田 弘

●線型計画法による生わらサイレージ調製技術の評価


(背景)
 コンバイン排出生わらをへーべーラで梱包し、圃場周辺に1次貯蔵、農閑期に畜舎周辺に2次貯蔵して家畜に給与するという技術体系を開発し、作業、飼料価値を含むサイレージの品質、経済評価を行ってこの技術体系の実用性を試験した。ここでは、技術体系の評価を述べる。
(方法)
 開発した作業技術体系を線型計画法によって評価した。
(成果と評価)
 この技術体系を閉鎖系(個々の農家)で行うと、1次貯蔵までの作業体系の最大負担面積は約18haであり、水稲の播種作業の能率に規制された。開放系(農家集団)で行うと最大負担面積は約32haとなり2倍に増大する。したがって、同じ機械・施設を利用するには、開放系で作業を行うことがコストダウンになる。コストの安い開放系の作業技術体系でも、1次貯蔵までの生わらサイレージの乾物1kg当りの生産費は約10円となり、さらに2次貯蔵までを含めると約19円となる。これは乾燥わらや良質な流通粗飼料と比較して割高である。そこで、1次貯蔵を止めて直接畜舎周辺まで運搬して貯蔵すると、生わらサイレージの乾物1kg当りの生産費は約13円となった。結論は、農家集団など開放系のもとで、さらなる低コスト化のための技術体系の改善が必要である。
研究実施機関 農事試験場
 試験期間昭和44年(1969)~昭和47年、19672)
 発表方法 農作業研究第17号
 共同研究者 池田 弘、本田太陽、高橋英伍

●シミュレーション手法による牛糞乾燥施設の運営法の策定と実証


(背景)
 牛の糞尿は公害源の一つである。そこで牛糞を取り扱い性のいい乾燥・醗酵糞とし、営農に役立てる必要がある。
(方法)
 後述するように、ビニールハウスとハウス内でレール上を往復運動をする攪拌機からなる簡単な牛糞乾燥施設で、乾燥条件の悪い梅雨期や冬期間も含めて年間、連続して牛糞を乾燥し、醗酵させる施設運営法を、コンピュータ・シミュレーション法で設計し、それに基づいて2カ年間、実証した。シミュレーションは大型計算機を用い、言語はDYNAMOを使用した。
(成果と評価)
 コンピュータのなかでシミュレーションによって牛糞乾燥施設の年間の運営法を検討した結果、前年の乾燥牛糞を乾燥条件の悪い梅雨期や冬期間には水分調整材として用い、糞の水分が70%に低下した時点で貯留槽に落として醗酵させるという方法で、他に水分調整材や太陽光以外の熱源をを導入しないで、牛糞だけで連続して醗酵糞を生産する方法を開発した。これは2ヵ年の実証でシミュレーション手法の有効性を証明した。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間 昭和47年(1972)~昭和51年、19676)
 発表方法 農作業研究20号 農作業研究28号 農事試験場研究報告25号
 共同研究者 池田 弘、加藤明治、窪田哲夫、滝沢福治

●シミュレーション手法による牧草の梱包サイレージ調製技術の評価


(背景)
 現に農協が行っているサイレージの域内流通事業を評価し、改善法を提案する。
(方法)
 栃木県の或る農協が実施している気密サイロによるサイレージの域内流通事業のシステム分析を行い、問題点を明らかにし、事業運営の改善の一方法として筆者らが開発した梱包サイレージ調製技術を導入した場合の効果をシミュレーション手法で評価した。
(成果と評価)
 評価の結果、河川敷で生産している牧草の収穫面積が現行所有の機械で12haも多く収穫可能となり、サイレージ生産量も50トン増加し、従来低かった参加農家へのサイレージ供給率が90%まで向上し、総事業費が80万円節減できることが明らかになった。この成果は農協に提示し、今後の事業運営に導入された。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間 昭和45年(1970)~昭和50年、19675)
 発表方法 農作業研究25号
 共同研究者 池田 弘、塩谷哲夫、加藤明治

●畑作における作業技術体系の設計、評価手法の適用と問題点

 農作業学会のシンポジュームにおいて、作業研究の内容おおび畑作の問題点を整理し、畑作における機械、施設を核とした作業技術体系の作出において、数学的手法がいかに有効かを筆者が行ってきた研究事例をもとに明らかにし、同時に手法適用に当たっての留意事項を整理し、作業研究の中での数学的手法の位置づけを行って、手法の普及に資した。
 発表方法 農作業研究26号

●肉用牛繁殖経営における集団飼養技術のシミュレーション手法による設計と評価


(背景)
 北海道庁は、施策の一つに肉用牛繁殖経営を目的とした畜産基地設置計画を進めており、事前に道立新得畜産試験場で実規模の実証試験を行うことになった。実証試験の内容は家畜糞尿による河川の汚染防止を内容とした環境保全、草地の維持管理、粗飼料の大量調製貯蔵、肉牛(ヘレフォード種)の三つの個別技術を軸とした総合的技術体系である。
(方法)
 技術組み立て試験が、従来、事例試験に終わったという欠点を克服するため、シミュレーション手法を導入し、実証試験の中間年次で実証中の営農技術を評価し、技術体系の設計を改善し、実証するという方法で研究の効率化を図った。また、シミュレーション手法によって実証結果を評価することにって多くの情報を実証結果に付与し、営農技術の普及を円滑にしようとした。シミュレーション手法を用いた技術体系の設計および評価については、新得畜産試験場の協力要請を池田が受け、流動研究員として協力した。使用した計算機はNECと北海道庁の大型計算機である。
(成果と評価)
 シミュレーション・モデルは、肉牛販売、経営収支、年間を通した毎日の天候、牧草生産、肉牛飼養と牛種別体重、作業労働時間などのサブシステムからなり、シミュレーションは確率事象を考慮して10ヵ年の計算で評価した。約100のパラメータを持ち、主要なパラメータを変えて計算した。
多くのシミュレーション結果を整理し、最終的には、草地規模、肉牛の子牛生産から育成、肥育までを含めた各種経営方式ごとに、適正な草地利用区分(放牧地、採草地、兼用地)と繁殖基礎牛の適正頭数を策定するとともに、経営方式別に草地施肥水準、草地の利用区分別管理運営法、機械を主とした作業体系、自給飼料の費用価などの技術内容についても策定した。
 これらの成果は、実証試験の成果とともに北海道が進めている畜産基地設置計画に反映された。また、開発したシミュレーション・モデルは道庁の計算課で今後、有効に利用される予定である。
 研究実施機関 農事試験場(新得畜産試験場への流動研究員)
 試験期間 昭和51年(1976)~昭和54年、1979)
 発表方法 日本農作業研究会第13回講演会 日本農作業研究会第14回講演会 
 共同研究者 池田 弘、清水良彦、吉田 悟

●生わら梱包サイレージの調製と利用に関する研究


(背景)
 近年、水稲作ではコンバイン(普通型、自脱)が急速に普及している。コンバインから排出されるわらを飼料資源として有効に利用するため、タイトベーラで梱包し、醗酵させて、飼料としての品質を高めたサイレージとして活用する技術体系を確立する。
(方法)
 約1haの水田を用い、コンバインで収穫後、タイトベーラで排出わらを梱包して、水田の近くに1次貯蔵した。1次貯蔵はビニールスタックサイロの簡易貯蔵方式を採用した。数ヶ月貯蔵した後、約12km離れた畑作部に運搬し、再貯蔵を行い、適宜、乳牛に給与して飼料としての品質や飼料価値、乳牛による利用率を調査した。また、前述のとおり、技術体系の評価を行い、この技術体系の成立条件について整理した。
(成果と評価)
 コンバイン排出わらの省力的な飼料化の方法としてのへーベーラ利用による梱包サイレージ調製技術は、1日で約1ha分の生わらを調製することが可能であり、作業の省力化に有効である。その際の水田でのへーベーラの運行可能な圃場条件も明らかにした。生わらサイレージは、フリーク法による品質評価が高いサイレージで、近距離輸送や再貯蔵によって品質や飼料成分は変化せず、安定した品質を保った。また、乾燥わらよりも牛の嗜好がよく、生わらに比べ採食量も多く、十分、補助飼料として利用できることが分かった。これらの成果を、水田農家と酪農家を結ぶ地域流通システムとして普及するという観点から評価したところ、開発した作業技術を自家経営の中だけで閉鎖系として利用するよりも、請負収穫などのようにコンバインやへーベーラを組織の元で開放系として利用する方がサイレージの生産費が安く、この技術体系が定着することを明らかにした(前出)。この技術は実際に農家に普及しつつある。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間 昭和44年(1969)~昭和47年、1972)
 発表方法 農事試験場研究報告20号 農作業研究14号 農作業研究17号 
 共同研究者 本田太陽、池田 弘、加藤明治、一戸貞光、高橋英伍、安部 林、小川増弘

●牧草梱包サイレージの調製作業技術体系の確率に関する研究


(背景)
 関東以西の酪農の現状は、多頭化―粗飼料の不足―購入粗飼料の増加という傾向にあり、粗飼料の流通化が必須となってきている。また、年間を通して天候が不安定なので、ベーラを天候が良ければ乾草生産に、天候が悪ければサイレージ生産に利用するという汎用的利用を考えたい。また、耕地が分散して運搬に時間を要するので、集中貯蔵方式は避けたい。これらの条件を考慮し、タイトベーラ利用による梱包サイレージを、スタックサイロなどの簡易サイロを利用して現地に1次貯蔵し、それを流通利用(購入農家は畜舎周辺に2次貯蔵する)する作業体系を確立しようと考えた。
(方法)
 牧草はイタリアンライグラスとローズグラスを用い、大型トラクタとフレールモーア、タイトベーラを基幹とした作業体系試験を行った。サイロはトレンチサイロまたはスタックサイロを用いた。数ヶ月貯蔵後、サイレージの品質を調査し、乳牛に給与して採食量を調査した。この技術体系の評価は現実のヘイレージ流通事業を行っている農協(栃木県)の現行システムの中で行うことにし、評価にはシミュレーション手法を用いた(評価については前出)。
(成果と評価)
 この作業技術体系は、著しい省力効果がみられ、牧草の収穫・調製に要する作業時間はha当たり約8時間であった。品質は良好で、給与作業も梱包であるため取り扱いが便利であり、きわめて省力的であった。また、この技術体系を評価したところ、気密サイロを用いたへーレージ流通事業を行い毎年数百万の赤字を出している農協の経営改善に、著しい効果を示すことが明らかになった(評価については前出)。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間 昭和45年(1970)~昭和50年、1975)
 発表方法 農作業研究17号 農作業研究25号 
 共同研究者 池田 弘、加藤明治、高橋英伍、安部 林、窪田哲夫、小川増弘

●乾燥牛糞の生産と利用に関する研究


(背景)
 近年、畜産においては専業化や多頭化が進み、糞尿の処理に困って畜産公害を引き起こしている。一方、畑作では圃場への有機物還元がみられなくなり、地力の減退による作物への諸障害が問題になっている。この研究は、家畜糞を衛生的で取り扱い性の良い醗酵乾燥糞にし、酪農家から畑作農家へ地域内で流通させて、両者の問題を解決しようとする研究である。その際、醗酵乾燥糞を生産するには、施設が必要で生産費がかかるので、単に畑に還元するのではなく、露地野菜の育苗床土材として活用した後、苗とともに畑に還元しようと考えた。
(方法)
 乳牛から糞が排出され、それを育苗床土材として活用するまでの一連の工程を3つに区分した。すなわち、酪農家による醗酵乾燥糞の生産技術、育苗センターでの床土材としての醗酵乾燥糞の調製と播種の装置化などの技術体系、野菜農家の育苗管理と野菜苗の移植の機械化技術である。このそれぞれの技術体系について開発を行った。野菜としてキャベツを対象とし、その育苗方式はペーパーポット育苗とした。床土は醗酵乾燥牛糞だけを用い、土など他の材料を使用しないことを前提にした。
(成果と評価)
 醗酵した乾燥牛糞は物理性および化学性からみて育苗床土材として優れた資材であることを明らかにした。醗酵乾燥牛糞は、そのままでは塩類濃度が高く、野外に数ヶ月放置して脱塩処理し、ECで1~2mmhos/cmまで下げる必要がある。また、苗の機械移植を前提とする場合は、糞の粒径を3~4mm以下にするため篩を通したほうがいい。このような調製を行えば、醗酵乾燥牛糞だけで露地野菜の育苗を行うことができ、元肥なしで、追肥に尿素を施肥するだけで、慣行育苗法に比べて優れた良苗が得られて苗の生育の均一性も高い。
このような醗酵乾燥牛糞は、前述のように天日だけで年間を通じて連続生産することができる。その乾燥・醗酵施設の運営法はコンピュータ・シミュレーション法で策定し、2ヵ年の実証で連続生産を証明した。
 また、育苗センターに設置する育苗用ペーパーポット土詰め・播種装置も試作し、能率も作ペーパーポット土詰め・播種装置業精度も高く、十分実用化しうる見通しを得た。また、キャベツの苗移植機についても実用化できた。
 以上のように、酪農家による醗酵乾燥牛糞の生産から、育苗センターでの床土としての調製法、大規模ペーパーポット土詰め・播種装置による省力的播種、牛糞のみを床土とした場合の育苗管理法、苗の移植の機械化など、想定したシステムの全作業技術体系を開発した。
 また、域内システム内での糞の量的関係を明らかにし、年間1頭分の醗酵糞が1ha分の育苗床土材に相当することを明らかにした。
 評価としては、多くの都道府県の技術者、普及関係者、農協や役場、農家による見学や問い合わせや相談を受けており、とくに醗酵乾燥糞の生産法は急速に普及しつつある。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間 昭和47年(1972)~昭和52年、1977)
 発表方法 第1報 農作業研究20号、第2報 農作業研究20号、
第3報 農作業研究20号
      第5報 農作業研究28号、第6報 農作業研究28号、農事試験場研究報告25号
 共同研究者 池田 弘、加藤明治、窪田哲夫、塩谷哲夫、大田 亮、鶴 龍蔵、中山邦雄

●大豆の安定生産技術の確立に関する研究


(背景)
 近年、食料の自給率向上と水田転作拡大の観点から、大豆作の振興が重点的に取り上げられている。しかし、早急に大豆作付け面積を拡大し、収量レベルの向上を含めた農家の技術水準を向上するには、転作大豆作の実態解析と、解析に基づいた簡易技術の開発、栽培法を含む作業体系の確立を急ぐ必要がある。
(方法)
 農家の転作畑大豆作の現状と問題点を、実態調査(アンケートを含む)によって把握し、大豆作の安定化に対して阻害要因を摘出し、阻害要因を回避または除去する栽培法や作業法を改善する。
(成果と評価)
 関東東海東山地域の13都県の213の普及所にアンケートを行い、解析を行った。技術的問題として、低収、低収益、虫害、湿害、除草、鳥害、省力化、品種と種子などが摘出され、これらの実態と今後の改善方向について総括した。
 研究実施機関 農事試験場
 試験期間 昭和53年(1978)~昭和54年、19679)
 発表方法 農作業研究35号
 共同研究者 池田 弘

資料―2

著書、論文一覧

1.学会誌論文

1)高橋浩之・高橋保夫・池田 弘:水田の心土耕起に関する研究、日作紀 31(1)、98~101、1962

2)池田 弘、高橋保夫:一年生夏作飼料作物の青刈収量の推定 第1報 草丈による推定、日作紀 34(2)、114~119、1965

3)池田 弘、高橋保夫、平井明男:大型機械化水稲乾田直播栽培における均平の精度が水稲の生育・収量におよぼす影響について、農作業研究 1、89~94、1966

4)高橋保夫・池田 弘:水田裏作のイタリアンライグラスに対するマメ科牧草混播に関する研究 第1報 混播するマメ科牧草の選定、日作紀 36(1)、42~46、1967

5)池田 弘・高橋保夫:同 第2報 イタリアンライグラスとコモンベッチの混播について、日作紀
 36(1)、47~54、1967

6)池田 弘・高橋保夫:同 第3報 イタリアンライグラスとコモンベッチの混播の収量性と有効積算温度との関係についてについて、日作紀 36(1)、55~62、1967

7)池田 弘・高橋保夫:作業技術体系研究の手法について 第1報 作業技術体系研究の領域とその内容、農作業研究 11、17~21、1971

8)池田 弘・高橋保夫:同 第2報 作業技術体系の設計および評価への線型計画法の適用法、農作
業研究 11、22~27、1971

9)池田 弘・高橋保夫:同 第3報 作業技術体系の作出に必要な情報、農作業研究 14、39~49、1972

10)池田 弘:同 第4報 線型計画法の適用における作業期間の設定と技術係数の算出法、農作業研究 14、50~58、1972

11)池田 弘:同 第5報 線型計画法の適用における制約量と利益係数の算出法、農作業研究 15、54~62、1972

12)池田 弘:同 第6報 線型計画法による作業技術体系の評価について、農作業研究 15、63~73、1972

13)本田太陽、池田 弘、高橋英伍:生わらサイレージの調製と利用に関する研究 第1報 サイレージ調製の作業体系について、農作業研究 14、59~67、1972

14)高橋英伍、池田 弘、本田太陽:同 第2報 サイレージの品質と飼料価値について、農作業研究 17、13~19、1973

15)本田太陽、池田 弘、高橋英伍:同 第3報 実施されたサイレージ調製技術の評価について、農作業研究 17、20~27、1973

16)加藤明治、池田 弘、高橋英伍、安部 林、窪田哲夫、小川増弘:タイトベーラを利用した梱包サイレージの調製作業について、農作業研究 17、28~34、1973

17)池田 弘、加藤明治、窪田哲夫:乾燥牛糞の生産と利用に関する研究 第1報 牛糞の乾燥法とその利用法についての構想、農作業研究、20、68~74、1974

18)池田 弘、加藤明治、窪田哲夫:同 第2報 牛糞乾燥施設の運営のシミュレーション・モデルについて、農作業研究 20、75~84、1974

19)窪田哲夫、加藤明治、池田 弘:同 第3報 乾燥牛糞のペーパーポット育苗床土材としての利用可能性、農作業研究 20、85~90、1974

20)池田 弘、滝沢福治:同 第4報 シミュレーション手法で設定した牛糞乾燥施設運営法 の実証、農作業研究 28、79~83、1977

21)池田 弘、塩谷哲夫、窪田哲夫:同 第5報 乾燥牛糞のペーパーポット育苗床土材としての利用法、農作業研究、28、84~89、1977

22)池田 弘、塩谷哲夫、大田 亮、鶴 龍蔵:同 第6報 露地野菜のペーパーポット育苗における播種および定植作業の機械化、農作業研究 28、90~97、1977

23)池田 弘、塩谷哲夫、加藤明治:流通化のための梱包サイレージ調整作業について、第2報 シミュレーション手法による梱包サイレージ技術の評価、農作業研究 25、63~70、1976

24)池田 弘:体系化の手法と現場への適用――畑作における手法の適用と問題点、農作業研究 26、72~79、1976

25)IKEDA H.:Methodology of Study on Farm Operation System, Japan Agricultural Research Quarterly 10 (2) , 70~73, 1976

26)池田 弘:関東・東山・東海地域の大豆作の現状と問題点、農作業研究 35、92~95、1979

27)塩谷哲夫、桐原三好、池田 弘:畑作労働に関する作業研究 第1報 労働負担把握のための疲労「自覚症状しらべ」の適用の試みについて、農作業研究 38、33~42、1980

28)塩谷哲夫、宮沢一夫、池田 弘、柴崎盛三:農民集団による水田転換畑の大豆生産 第1報 埼玉県川本町における試行とその研究法論、農作業研究 41、9~18、1981

29)池田 弘:農作業分野におけるシステム研究の現状と将来方向、システム農業 1 (1)、17~31.1984

30)池田 弘:農業生産と農業機械化――東北地方の水稲作を中心として、農作業研究 55、1985(日本農作業研究会創立20周年記念大会シンポジウム講演)

2.機関誌論文

1)池田 弘:大豆根瘤の組織学的研究、鹿児島大学農学部学術報告4、54~64、1955

2)高橋浩之、高橋保夫、池田 弘:水田の心土耕起に関する研究、農事試験場研究報告 3、79~100、1963

3)池田 弘、本田太陽、加藤明治:生わらサイレージの調製と利用に関する研究 Ⅲ.実施されたサイレージ調製技術の評価、農事試験場研究報告 20、215~226、1974

4)池田 弘:作業技術体系研究の手法に関する研究――二毛作田イタリアンライグラス―水稲栽培における中・大型トラクタを基幹とした作業技術体系試験への線型計画法の適用―、農事試験場研究報告 22、1~103、1975 博士論文

5)池田 弘、窪田哲夫、加藤明治、塩谷哲夫:乾燥牛糞の生産と利用に関する研究 第1報 乾燥牛糞の生産とその利用による露地野菜の大量育苗技術、農事試験場研究報告 25、63~134、1977

6)池田 弘、清水良彦、吉田 悟:技術組み立て研究へのシミュレーション手法の適用――肉用牛大規模繁殖経営の営農技術の評価と改善、農事試験場研究報告 32、1~92、1980

3.著書

池田 弘:食用作物:モロコシ、キビ、アワ、ヒエ、シコクビエ、トウジンビエ、ハトムギ、ソバ、「野口弥吉監修、農学大事典」、402~412に所収、養賢堂、1961

池田 弘:大量育苗、「総合野菜・畑作技術事典 Ⅲ、共通技術編・資料編」、136~137に所収、農林統計協会、1974

池田 弘:直播と移植、「総合野菜・畑作技術事典 Ⅲ、共通技術編・資料編」、137~138に所収、農林統計協会、1974

池田 弘:家畜糞尿処理と畑作、「総合野菜・畑作技術事典 Ⅲ、共通技術編・資料編」、195~196に所収、農林統計協会、1974

池田 弘:イラン、「総合野菜・畑作技術事典 Ⅳ、海外編」、102~106に所収、農林統計協会、1975

池田 弘:畑作、「農作業便覧」、47~80に所収、農林統計協会、1975

池田 弘:省資源・省エネルギー実用技術 1.耕種、「農林水産省官房技術審議官室監修、明日の農業技術―省資源・省エネルギーへの挑戦―」77~96に所収、地球社、1980

池田 弘:農作業研究におけるコンピュータ利用、「斉尾他編、農林水産研究とコンピュータ」225~235に所収、1984

4.その他の論文

1)池田 弘:一年生夏作飼料作物の葉面積測定法―小球法の検討と二・三の改良、農業及び園芸 40(9)、103~104、1965

2)池田 弘、高橋保夫:石油マルチの効果について 第1報 乾田直播水稲に対する効果、農業及び園芸 40(10)、99~100、1965

3)池田 弘、高橋保夫:同 第2報 青刈りとうもろこしに対する効果、農業及び園芸40(12)、99~100、1965

4)池田 弘、高橋保夫:同 第3報 水田裏作イタリアンライグラスに対する効果、農業及び園芸41(2)、91~92、1966

5)池田 弘:畑作農業の動向と技術研究、農業技術27(1)、6~11、1972

6)池田 弘:最近における農作業研究の流れ、農業技術28(10)、433~438、1973

7)池田 弘訳:人間と技術(サンダー)、農作業研究 14、97~104、1972

8)池田 弘:乾燥牛糞による露地野菜の大量育苗法、農業及び園芸51、1497~1502、1976

9)池田 弘、窪田哲夫:醗酵牛糞利用による野菜の育苗管理技術、農業及び園芸53、45~50、1978

10)池田 弘:農業技術と高齢者問題、農林水産技術研究ジャーナル 6(8)、11 ~15、1983

11)池田 弘:農業経営研究に期待する―農作業研究分野からの期待、農業経営研究 21(3)、28~ 29、1984

資料

1)池田 弘:転換水田における牧草収穫の機械化、昭和46年度PPBSケーススタディ、55~84に所収、農林省農政局 肥料機械課、1972

2)池田 弘、一戸貞光、加藤明治、窪田哲夫、沢村 浩、高橋英伍、安部 林、小川増弘:梱包サイレージ、フリージェールサイロ、「高品質サイレージの大量調製と飼養技術に関する研究、農林水産技術会議 研究成果 67」 44~62、107~115に所収、農林水産技術会議事務局、1973

3)池田 弘:シスタン地域における作物栽培、「イラン王国シスタン地域農業開発予備調査報告書」 38~46に所収、海外技術協力事業団、1973

4)池田 弘:作物栽培、「イラン王国シスタン地域農業開発第2次予備調査報告書」 9~19に所収、海外技術協力事業団、1973

5)池田 弘:イラン・シスタン農業開発計画における技術的問題点とシスタン農業リサーチ・センター(仮称)の研究体制および研究課題に対する試案、「イラン・シスタン長期調査報告書(2)」1~63、国際協力事業団、1974

6)池田 弘:サイレージ流通システムにおける梱包サイレージ技術の評価、「稲作転換推進のための粗飼料流通化技術の開発に関する研究、農林水産技術会議 研究成果 85」、152~159に所収、農林水産技術会議事務局、1976

7)池田 弘:乾燥地農業開発で効果的と考えられる手法―作物栽培計画、「乾燥地農業開発基礎調査報告書」、280~281に所収、農業土木学会、1976

8)池田 弘:農業の塩類問題―作物の耐塩性、「乾燥地農業開発に関する基礎調査第2次報告書」、197~204に所収、農業土木学会、1977

9)池田 弘:関東・東山・東海地域の大豆栽培の実態解析、「大豆生産拡大のための緊急技術開発研究、昭和53年度報告書」、31~54に所収、農林水産技術会議事務局、1980

10)池田 弘:有機物施用の省力化、「地力維持・連作障害克服のための畑地管理技術指針」、151~158に所収、農林水産技術会議事務局、1981

11)池田 弘:農業生産と労働主体の問題―農村社会における高齢化問題と農作業研究、「農業生産 基盤における農業工学的諸問題に関するシンポジウム記録」、9~13、日本学術会議農 業工学研究連絡会、1983

12)池田 弘:情報問題に関連して環境研究に望むもの、「第1回 農業環境シンポジウム―農業環境情報システムの在り方、農環シンポ資料 1」、25~32に所収、農業環境技術研究所、1984

13)池田 弘:稲作生産安定機械化技術の課題について、「稲作生産安定機械化技術推進資料」、42~46、日本農業機械化協会、1985

資料―3

池田参画海外プロジェクト調査

池田参画海外プロジェクト調査

資料―4  履歴書

氏名      池田 弘 (いけだ ひろし)
生年月日    昭和5年(1930年)9月10日
出生地     鹿児島県川内市平佐町麓
現住所     埼玉県鴻巣市緑町16番地8号
本籍地     (旧) 鹿児島県姶良郡姶良町西餅田545番地
        (現) 埼玉県鴻巣市大字鴻巣1227番地
【学歴・試験資格】
昭和12年(1937年)4月 鹿児島県川内市立平佐西小学校入学
  18年(1943年)3月 同校卒業
  18年(1943年)4月 鹿児島県立川内中学校入学(旧制)
  22年(1947年)3月 同校4年修了
  22年(1947年)4月 第7高等学校理科入学(旧制)
  25年(1950年)3月 同校卒業
  25年(1950年)4月 東京大学農学部農学科入学(旧制)
  28年(1953年)3月 同校卒業
  32年(1957年)10月国家公務員上級試験(農学)合格
  49年(1974年)農学博士(九州大学・農博乙第433号、
         「作業技術体系研究の手法に関する研究」)
【職歴】
昭和28年(1953年)~昭和30年(1955年)
     鹿児島大学農学部作物研究室研究生
昭和33年(1958年)~昭和37年(1962年)
     農林水産省 農事試験場作物部研究員
昭和37年(1962年)~昭和45年(1970年)
     同試験場 作業技術部研究員
昭和45年(1970年)~昭和54年(1979年)
     同試験場 畑作部作業体系第2研究室長
昭和54年(1979年)~昭和56年(1981年)
     同試験場 畑作研究センター作業体系研究室長(農事試験      場の筑波への移転)
昭和56年(1981年)~昭和58年(1983年)
     農林水産省 農業研究センター機械作業部長
昭和58年(1983年)~昭和61年(1986年)
     農林水産省 東北農業試験場農業技術部長
昭和61年(1986年)~昭和63年(1988年)
     農林水産省 農業研究センター 総合研究官
昭和63年(1988年)~平成2年(1990年)
     農林水産省 北海道農業試験場 場長 
平成2年(1990年)~平成16年(2004年)
     株式会社パシフィック コンサルタンツ インターナショナル      農水事業部技術顧問

【賞罰】
平成12年11月 叙勲 勲4等旭日小綬章

おしながき2017.1.21

2017年6月1日 発行 初版

著  者:池田 弘
発  行:松崎 宏二

bb_B_00148859
bcck: http://bccks.jp/bcck/00148859/info
user: http://bccks.jp/user/14340
format:#002y

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

jacket