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シナリオ・センター大阪校

〒532-0011
大阪市淀川区西中島4-3-22
新大阪長谷ビル7F

06-6304-9524
http://scenario-center.com/

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【分泌 第3号】夢おじさんとべんがらっこ

島 ちゑ

シナリオ・センター大阪校



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一、吟遊詩人のより道

 うすべにの山つつじが若葉にかすむ備中吹屋の里では、ハーメルンの笛吹き男が野の道を色とりどりの三角帽子をかむって笛をラッパのようにお天道さまにかかげて小山へむかっていたとしても不思議ではありません。吹屋の里は、うすもやのなかにほんわり夢ひらく、べんがら色につつまれた、おとぎのような里でした。お空からは小山のなかほどをゆるやかにらせん状にながれる野の道を、青いマントにグレィの山高帽子をかむった、おしのびの吟遊詩人がのぼってゆくのがみえます。大きなふるい革の鞄には、鉛筆や画用紙やパステル絵の具がはいっています。さて、このメルヘンの里であたらしいうたがうまれるだろうかと、どことなくさみしそうな吟遊詩人は野にさく花をめでながら、てくてく小山をのぼってゆきます。

 そのべんがら色につつまれたおとぎの里の下谷しもたにというところにある長屋では、べにという女の子のおっ母のちよが床に臥せて、まもなくいんでしまうことをみずからさとっていました。ちよはべにが育ってゆくことに夢をたくして木綿のべんがら染めにはげんでいましたが、こんをつめすぎたのか胸を患ってしまい、のこされてしまうおさないべにのことが心配でしょうがなかったのです。べにもまたおっ父とおんなじようにおっ母もいんでしまうのけぇと、おっ母にかくれて毎夜、裏庭の井戸のまえで泣いていました。
 べんがら焼きの絵つけをしていたべにのおっ父は三年まえに、山火事をうけ焼き窯で逃げ場をうしないかえらぬ人になったのでした。おっ父がいんだあと、おっ母のちよはべにとおばぁと三人で遠縁の夫婦の長屋に身をよせていました。吹屋のべんがら陶器はたいそうの評判でしたので、おっ父は家族のために少しばかりのお金をのこしてくれました。そのお金を夫婦にあずけることができたので、いっしょに棲ませてもらっていたのです。
 毎夜、井戸のまえですすり泣くべにのかなしみは臥せているちよにとどき、そのつどちよもどぅにもやるせなく枕をぬらしていました。たまらずちよはおばぁに、べにを床へつれてくるようたのみました。
「べにや、ええか、泣かねぇって約束すんじゃ」
「ゆるしてくんりょ、べにがめぇにち泣くけん、おっ母もつらかりょう、ぜえってぇに、ぜってぇに、べには泣かねぇ、おっ母との約束はまもる」
「ええ子じゃなぁ、約束じゃ、これからは、どげな哀しいことがおこりょうと、べには必ず泣かねぇで、元気に明るく笑顔で生きるんじゃ。ええ子じゃ、ええ子じゃ」
 とちよは、くるくるくるくる、まんまるく、べにのほっぺを撫でたのでした。ながねんべんがら染めっ子をしてきたちよの、やさしくてあったけぇてのひらは、すっかりべんがら色に染まっていました。ええ子じゃ、ええ子じゃと、ちよが撫でたべにのほっぺは、みるみるみるみるべんがら色に染まり、それからはべにが朝におひさまをむかえて顔を洗おうが、両のほっぺのべんがら色のうずまきは、くっきりのこったまんまになりました。それからまもなくして、ちよはいんでしまいました。べにはおっ母との約束をまもり、けっして泣きはしませんでした。ゆさぶろぅにも、うごかねぇ、なして、いんだ、おっ父もおっ母も、なしてなして、つめとぅなった……と泣きそうになっても、泣きません。泣きそうになったときには、そぅさ、べにはおっ母と、めぇにち、いっしょにいらりょう、と思いなおしました。ほっぺにうずまいてのこったべんがら色は、べににとって、おっ母とずっとずっといっしょにいられる、しあわせ色だったのです。
しかしそのほっぺのせいで、うちではおじやんとおばやんに、ほんに気味わりぃ子じゃあ、とつらくあたられ、学校では悪戯っ子たちに、べんがらっこ、べんがらっこと笑われていました。それでも泣かねぇ、おっ母との約束はぜってぇにまもる、とべにはいつも笑顔をたやさずにいました。
 べんがら色の里をおひさまがぽかぽかみまもる、さつき晴れの或る朝のことでした。べにはいじめられるのがいやなのでいつもやすみがちだったのですが、その日はお絵かきがあるので勇気をだして小学校へいくことにしたのでした。長屋の玄関ぐちで背なかに風呂敷づつみをななめにしばったべにが、
「学校さ、いってくっけ」
 と笑顔をつくろうておばぁに声をかけでていこうとしました。するとでけぇ馬づらのおじやんと野だぬき顔のおばやんが、のしのし玄関ぐちへきて、
「まぁた、わろぅちょうか、この、気味わりぃ、あんごぅが! 学校なんぞやめたらええんじゃ」
「そうじゃ、いかんでええ、こん人も銅山で汗水たらしてはたらいとりょうや。砕女かなめしやっちゅう、わいらおなごも、のんびりしとぅじゃなかけん、おめぇのおっ父は、べんがらで小金つくったやしらんけん、おめぇのおっ母も、もういんだ。なまくら学校やすんでばぁっかの、この口べらしっこが」
「そうじゃ、学校さ、いかんでええんじゃ!」
 と笑顔のべにを睨みつけます。
 べには笑顔をつくろぅて、そのまま土間から裏庭の井戸のまえへ駈けてひっこみ、井戸のそこをのぞきこみました。
「いかんでええんじゃ、ははは」
 とおばやんの笑い声がきこえます。井戸のそこから、ぴちゃぁんっと音がしました。涙のしずくがしたたったのです。そこへおばぁがやってきて、ぽん、ぽん、とべにの背をこつききました。
「さ、いってこ、いってこ」
 ふりむいたべには、にこにこ笑顔をつくろい、ちいさい髷をゆうたおばぁの眸をのぞきこみました。
「さ、こっちゃからいくんじゃ」
 と、おばぁは裏庭のひき戸をあけて、こっちゃ、こっちゃと、べにをみおくりました。
 べにがでたあとおじやんとおばやんは、
「べには、あげに、わろぅて、ほぅけとぅな」
「おっ母がいんで、呆けたんじゃ」
「呆けとぅなら、山賊のドラやんに売ってしもぅても、わからんけぇ」
「そりぁ、さきにあずこぅた金とで、倍儲けじゃ」
「儲けたら、吹屋千枚であびるほど酒が呑めりょう」
「べべも、買ぅてや、帯も、草履も、たぁんとやでぇ」
「買うたるがや、買うたるがや」
 と、よからぬはなしをしていました。
山賊のドラやんとは、ひろく連山にひそむ山賊で、山のおくで谷のそこで買ぅた子どもを海の男に売るこども買いです。子分が、ええ子はねぇかと、ひっそり偵察にきたりしていたのです。
「じゃけん、呆けとらんかったら、騙しどりで、お縄ちょうだいじゃ。あずこぉた金の証文、あるからのぉ」
「あげに、わろぅちょったら、呆けとぅにきまっとぅじゃろぅ」
「じゃけぇ、おばぁがおるがぁ」
「どぅでも、なるけぇ」
 おばぁはバタンとひき戸をしめて、ごっほんごっほん、と大きく咳をしました。
 べんがら格子のならぶ通りを、きふるしてあせたべんがら染めの木綿の着物をきたべには、下谷から下町、中町を通り、吹屋小学校のある丘へむかって、笑顔をつくろい、あるいていました。道すがら、いきとぉねぇなぁ、どうすべと案じつつ、からっ、ころっ、とおもく鳴る下駄の鼻緒もべんがら色で、おっ母の染めてくれた着物と鼻緒はべにのおきにいりでした。べんがらでうるおい、よぉけの人が暮らしていた吹屋の朝の通りには、染め粉のあきないにむかう男衆や、買いだしの荷を網籠にせおった料理屋や、おなかをすかしてあくびする、化粧っけのない芸者衆がにぎやかにゆきかい、さつき晴れの小川では、べんがら木綿を水にさらすをかけたおなご衆が、裾をまくりあげてべちゃくちゃ、おしゃべりをしていました。そのなかをべには、おっ母、まもっとぉけぇ、おっ母、まもっとぉけぇ、と笑顔をつくろいすすんでいたものの、学校さいくと、またべんがらっこって、いじめらりょうけぇ、いきとぉねぇなぁ、でんも、おっ父とおっ母みてぇに、べんがらの染めっこ、つこぅて、うめぇ絵が描けるよぅ、べにはなりてぇなぁ、とあるいてゆくと、笹畝ささうね銅山の坑道のいりぐちでは、べんがら山のとうやんが、いつものようにぼろぼろの柿渋みてぇなべんがらの着物をでけぇ腹の腹巻のうえにはおって、にぎり飯をほおばりながら、岩のうえにあぐらをかいていました。
「東やん、おはようさん」
「学校さ、いくけぇ?」
「あんまぁ……いきとぉねぇけんど」
「いかんでええ、いかんでええ」
「でんもぉ……」

 べには勉強しねぇと東やんみてぇになるけぇ、そげになったら、おえりゃあせんと、ちょびっと思ってしまいました。東やんは吹屋から東北へむかって高梁川にちかい法曽ほうそ村の貧しい農家にうまれ、口べらしのために吹屋の里へつれてこられた、ちょびっとかわった、でけぇ図体の男の子でした。子守りとしてべんがら問屋のお屋敷においてもらっていたのが、子どもを背なかにくくりつけるとそのまま遊びにでて、いつのまにかどっかへ子どもをほうりっぱなしにして帰ってきたり、小用遣いにだされると小用を忘れたり、そのくせ飯どきには飯炊きばぁさんがたまげるほどおかわりする大飯喰らいの、おおらかな男の子でしたが、将来こりゃあ、おおものになるやら、こものになるやら、さぁっぱりわかりゃあせんと、吹屋の人たちのあいだでは哂いものになっていました。でも、べには東やんが好きでした。おじやんやおばやんにつらくあたられても、のんびりした東やんとしゃべると、そげなこと気にせんでええ、と思えるからです。おんなじ、いかんでええでも、おじやんやおばやんがいかんでええっちゅうんと、東やんがいかんでええっちゅうんは、えろぅちごうなぁ、東やんにいわれるとなすのへたみてぇな、いてぇ棘がねぇなぁ、とべににはすこしほんとうの笑顔がもどっていったのでした。
からぁんころぉんと丘にたたずむ吹屋小学校の鐘が鳴り、今日はお絵かきがあるからと、せっかく学校におもい足をむけたというのに、教室で風呂敷をひろげるや、またしていつもの悪戯っ子のかじろうとやじろうが、べんがらっこ、べんがらっこと、よってきました。教室じゅうの男の子も女の子もみんな笑っているのがはずかしくて、べには風呂敷をかついで、教室から校庭へ、おっ母、約束まもるけんなと笑顔をつくろって逃げました。かじろうとやじろうは校庭から校門までおっかけてきて、
「やぁぃ、やぁい、べんがらっこ」
 とはやしたてました。べにのべんがら色のほっぺを、かじろうとやじろうはいつもはやしたてたのです。
「ほっぺが、べんがら、ほっぺが、べんがら」
「べにのほっぺは祭の狛っこ」
「おぅら、かじろう、狛っこっちゅ、みたことあっけ?」
「ありゃぁや、おじぃにつれてってもろぅた、千枚の山神社でみたけん」
「べにのほっぺは、うそ笑いのおどけ狛っこ」
「おどけ狛っこも、山神社でみたけ?」
「みたけん、みたけん、山神社の神楽でみたけんにゃ」
「おぅら、泣いてみりょ、べんがら、うそ笑い、べんがらほっぺで、泣いてみりょ」
 でも、べにははやしたてられたところで泣きはしません。くやしくても、いっそうにこにこしながら、裏山へとまっしぐらに駈けぬけてゆきました。とちゅう坑道のいりぐちでまた東やんが、
「いかんかったけぇ? いかんでええ、いかんでええ」
 と声をかけます。べには、東やんは好きやけんど、こげにゃときにゃあ東やんにいわれたかねぇと、くやしくなり、ふいっと東やんをふっきり裏山へと駈けました。
小高い裏山をすぎると雑木林がありました。べには、おっ母、まもるけん、まもるけん、とにこにこ笑いながら林のまんなかにしゃがみこみ、せっせせっせとつもった枯れ草をかきわけました。するとそこには錆びてふるびた、トロッコ太郎がひっそりお昼寝をしていたのです。
むかし、吹屋の里に西洋の技師さんがきて、岩を砕くのにダイナマイトをつかったり、荷をはこぶのにトロッコ線路をひらいたりと、大改革をはかった、そのもっとまえに、手さきが器用で、頭がよぉて、なんでもつくれた、べにのおじぃのおじぃが試作品としてつくったのがこのトロッコ太郎でした。荷馬にローハをはこばせたんじゃ、ちぃとしかはこべん、トロッコをつかえば吹屋の里がうるおうじゃろう、と試作品をつくった頭のええおじぃのおじぃが、べにの誇りでした。おじぃのおじぃもこのトロッコ太郎は自慢の作でした。しかしできあがったトロッコ太郎が、こりゃあ、すんげぇもんつくったもんじゃ、里の名誉じゃ、と注目されたのは束の間で、大きな会社がもっと立派なお金のかかったトロッコをつくると、トロッコ太郎のことはだれもしゃべらなくなり、それどころか触れてはいけないもののようにされてしまい、べにのおじぃのおじぃも奇人変人あつかいされてしまう始末でした。おじぃのおじぃにつくられたまま、つかわれることもなく人の役にもたてずに雑木林におかれたまんまのトロッコ太郎が、雨や雪や嵐をうけて錆びついて、ぼろ鉄のようになっていたのを、べにのおっ父が人しれず雑木林のくさむらにたいせつにかくしていたのです。トロッコ太郎は、べにの秘密の友だちです。
「起っきしてくんりょ、トロッコ太郎」
 むくっとめざめたトロッコ太郎は、はっ、はっくしょぉんと、大きなくしゃみをしました。トロッコ太郎はべにとだけ、おしゃべりができるのです。だって、ほかの人には散々の目にあわされたのですから、心をひらくことも、お役にたつことも、誇りとしてしたくありません。太郎のくしゃみで、木の葉と土ぼこりがべにをつつんで舞いました。
「なんじゃあ、べにけ」
 べにに、くしゃみはうつり、
「く、くしょん! 学校、ぬけてきたんじゃ」
「おえりゃあせん、ふもとまでのってくけ?」
「ぼっけぇ!」
 とべにはトロッコ太郎にのって、吹屋の里ではだれもしらない、草にうもれた秘密の線路をふもとへとおりてゆきました。草っことお花とおひさまの匂いのするむかい風をたっぷり浴びて、ぼっけぇ、ぼっけぇ、とべにがはしゃいでいるのを背なかに感じつつ、またべにがいじめられて学校をぬけてきたことをおみとおしのトロッコ太郎はスピードをゆるめ、
「泣きてぇときにゃあ、泣いてええ」
 と声をかけました。
「泣かねぇ! べには、おっ母と約束した」
「そうけ、うぅむ、ありゃりゃ、とんびがもぅてるぞ。夕暮れになるといけん、大いそぎ!」
 とトロッコ太郎は速度をあげました。ぐんぐん野山をすすんでゆくと、とつぜんべにが、
「とろやん、とまって!」
 と叫びました。トロッコ太郎はビィボォとふるびてかすれた汽笛をあげて、急停車しました。べにがにこにこ笑顔をたやさずみつめた野の原のむこうには、ナノハナ、アマナ、コハコベの野の花をみつめて、坐ってなにやらしている、青いマントとグレィの山高帽のおじさんがいました。それはちょうどべにの亡くなったおっ父くらいの年恰好のおじさんでした。べにはトロッコ太郎をおりて、そろりにこにこ、そろりにこにこ、野の原を男へとちかづいてゆきました。みるとそのおじさんはスケッチブックにお花を描いていました。そろりそろりまぢかまでいきのぞきこむと、お花のよこには水色のワンピースをきた、ちょっくらうつむいて、どこやらさみしげな高原の美少女が、ロマンティックに描かれていました。その絵があんまりに綺麗なので、思わずべには、
「ふっ、へぇぇぇ!」
 と叫んですっころんでしまいました。夢中でスケッチしていたおじさんは手をとめて、
「こんにちは、かわいらしいお嬢ちゃん」
 と声をかけると、べには満面を笑顔にしたと思うと、くるりと背をむけ、そのまま駈け去ってしまいました。おじさんはふふふと、ほほえみ、またスケッチをつづけました。
かえりしなに、べには、
「なぁなぁ、とろやん、てぇへんじゃあ、青いマントのおいちゃん、でぇれぇ絵のうめぇ人じゃった!」
「どんも、都会の人のようじゃ。やさしそうな人じゃなぁ、それいそげ、ひがくれる、ビィボォ」
「あげなうめぇ絵、べにはみたことねぇっ!」
 と、あまりに綺麗な絵をみたおかげで、学校でいじめられたことも、べにのあたまからは吹きとんでしまいました。
 
 ながれ雲におぼろげな檸檬れもんのような三日月のその夜、おばぁはいつものように、
「兎はうんうん、ふんばった拍子に、うしろ足はながくなるし、みんなが耳をひっぱった拍子に、耳はあんなに、ながくなったげな。昔こっぽり、とびのくそ、ぴんろろぅ……」
 と枕もとで昔がたりをおえたというのに、べにはうわの空で、聴いてはいませんでした。ちょっくらがっかりしたおばぁでしたが、なんやら気をとられて、それでもにこにこしているべにが、いつもとはちがうようで、
「なんか、あったようじゃな」
 とたずねてみましたが、
「いんや」
 とべにはもぞもぞ背なかをむけるばかりです。おばぁは、どうやらええことがあったようじゃ、えがった、えがったと、がっかりしたことも忘れて安心し、その夜はぐっすり眠りにつきました。というのは、おばぁは山賊のドラやんが、大きなくろい、おとろしい影になって、べににおおいかぶさってくる夢にいつもうなされていたからです。べには野の原の青いマントのおじさんのことは、やさしいおばぁにもしゃべらないで、お楽しみの、秘密の小箱にしまっておこうと思っていました。


 あくる日、べにはふたたび野の原へいきました。けれどもマントのおじさんはいませんでした。なぁんじゃ、もう吹屋からはいんだけぇ、とがっかり哀しくなりかけて、そうじゃ、おっ母との約束、べにはいつだって笑顔でいるけん、とまたしてもにこにこして、草っぱらに坐りこみ青空をみつめました。そのうちにべにはお昼寝をしてしまいました。
べには夢をみました。それは、子リスも野うさぎもぶるぶるふるえてかじかむ、里じゅうすっぽりしんしん雪のつもる夜に、あったけぇ囲炉裏ばたでお絵描きをして、おっ母にほめてもらっている夢でした。
「べには、ほんに、絵がうめぇなぁ」
「ほんとうけ? おっ母」
「絵には心があるっちゅうて、おっ父がいうてたなぁ。おっ父はべにを、みまもっとうぞぅ」
 おっ母のうしろから、マントのおじさんがべにをのぞきこみ、
「どんどん絵を描くんだよ。描いたぶんだけ、絵がお嬢ちゃんを好きになるよ」
「ほんとうけ? 絵に心ってあるけ?」
「あるよ、きっと絵はお嬢ちゃんのことを大好きになる」
「わぁぁ!」
 と自分の叫び声で目をさますと、そのべにの顔を青いマントのおじさんがのぞきこんでいました。べにはびっくら、おきあがり正座して、
「こ、こんにちは」
 とあいさつをしました。
「こんにちは。君はきのうの……」
「そうじゃ、……そうです。あの、あの……」
「どうした」
「おいさんは、おいさんは、あのあの、旅人け?」
「そうであるような、ないような」
 べには首をかしげました。
「おじさんのふるさとは、ここからはすこしはなれた、邑久というところなんだ。でも、ふるさとの土を踏もうにも踏めないので、この吹屋の里へすこしのあいだ、おしのびでより道をしてるんだよ。ふるさとへかえれないんだよ」
「けぇれねぇ?」
 そんなこと、あるけ? そら、おじやんとおばやんはおっかねぇけんど、べににはやさしいおばぁがいるし、けぇれねぇっちゅうことなんぞ、ねぇぞ……、とべにが不思議に思っていると、空をあおいだおじさんの頬に涙がひとすじつたわりました。べには心配して哀しくなりましたが、おっ母との約束を思いだして、またしてもにこにこしました。その笑顔をみておじさんは、
「君は不思議な子だね。なんて名前?」
 とたずねました。
「べにっちゅうだ。きれぇなべに色のおべべをきる人になりょうぞってぇ、おっ父とおっ母がつけた名じゃ」
「そうかい、べにちゃん。おじさんは夢っていうんだ」
「夢? あの、夜、みる、あの夢け? 夢おいさん? けっ! おいさんの描く絵のように、きれぇな名前じゃあ!」
「ふふ、そうかい。ありがとう。とはいうものの、今は夢なんかないのさ」
「なして?」
「パイプオルガンの音色と、讃美歌が、れんがづくりの坂道にひびいていた」
 べにには、なんのなにやらかはよぅはわからんものの、夢おじさんの夜の湖のようにふかくてとおい眸をみつめてハッと息を呑みました。しかしまたもやにこにこ笑顔をつくろぅたのでした。
「おじさんは好きな人ときりはなされたのさ。赤や青や黄色のステンドグラスの教会のある、長崎の港町へ彼女と旅をしていたら彼女のようすがわるくなって、そのまま入院。家族が病院へやってきて、実家へつれて帰ったのさ」
「その好きな人のからだは、でぇれぇ、わりぃのけぇ?」
 と床に臥したおっ母を浮かべ不安なのに、満面にこにこしてたずねるべにに、
「だから、君は不思議な子だっていうんだよ。どうしてそんなににこにこしてるんだい、べにちゃん」
 え、えぇ、とべには答えようとしたものの、説明はできません。説明するとおっ父とおっ母を思いだして、泣いてしまいそうだからです。
「わかったよ、いわなくていいよ。……彼女のからだはわるいのさ。おじさんはそれが哀しくて、どうしょうもなくて、ここにより道しているのさ」
「んじゃけん、好きな人は生きてる! べにの、べにの、おっ父は、おっ母は……」
 ついはげしく叫んだものの、ふたたびべにはつくろって、いっしょけんめい、にぃっこり、笑いました。
「おっ父とおっ母はいんだ。……おいさんは好きな人にえぇる! 生きてる! おっ父は……おっ母は……」
 べにはいっしょけんめい、笑っていいました。
「わかった、わかった、ありがとう。生きてるのに、哀しんでばかりいるおじさんは、ばかだね?」
「ば、ばかって、そげな……、許してくんりょ、許してくんりょ」
「あやまらなくていいんだょ、べにちゃんが正しいのさ。君に教えられた……、そうだ、お礼に、この里にいるあいだ、おじさんはべにちゃんにお絵かきを教えてあげることにしよう」
 夢おじさんはかつて邑久のふるさとで絵を描いていた少年のころを思いだしていました。絵を描くことだけが楽しみだったあのころに、将来とはどんなところからどんな風にしてきりひらかれてゆくものなのか、不安が心をいっぱいにし、しかしそのおなじぶんだけ夢が心を充たしていた、あのころの自分のすがたがちょうど目のまえにいるべににかさなったからでした。
「ほんとけ?」
「ああ、ほんとうさ、ほら、これがスケッチ用の鉛筆で、さぁ、画用紙だよ。つかってごらん、あのナグサと、あの黄色いコハコベを描いてごらん」
「うん!」
 うれしくてべには泣きそうになり、泣きそうになるのは哀しいときだけと思っていましたので、うれしくて泣きそうになるとは、とても不思議な気持ちなのだということに気がつきました。そして草っこ花っこならお手のもんじゃあ、めぇにち、いっしょにいる、べにの友だちじゃあ、とべには画用紙にミミナグサの葉を一本、一本、コハコベの黄色い花びらを一枚、一枚、たんねんに描きこみました。
「君は絵が上手だね」
「おっ父はべんがらの絵つけをしてたのさ。おっ母は布の染めをしてたのさ。ほら、この着物も鼻緒もおっ母が染めたんじゃ。べにも絵を描きたいけんど、学校ではお絵かきもあるけんど、べにはこのほっぺが好きじゃけん、けんど、このほっぺがあるけぇ、べには学校へいけねぇ」
「なぜ?」
「べんがらっこ、って笑うんじゃ。おっ母がいぬめぇに、べにのほっぺを、くるくる撫でて、そんでおっ母の手からべんがらをもろぅたんじゃ」
「かわいいほっぺじゃないか」
「ほんとけ?」
「ほんとうだよ。そうだ、そうだ、おじさんがつくったうたがある。……どんなにおなかがひもぢうても、日本の子供はなきませぬ、ないてゐるのは涙です」
 べには首をひねりました。
「け、むつかしいうたじゃ」
「心は泣いてないってことさ」
「むんずかし。それに、おばぁが美味しいまんまつくってくれるけん、ひもじゅうない」
 べには勝ちほこったように、にこにこしました。
「べにちゃんはにこにこしていても、心はにこにこしていない」
「わかるけ?」
「こうみえても、人の心をみつめる、おじさんは絵描きだよ、えっへん!」
 と、お役人さんみたいに胸をはった夢おじさんのお芝居がかったしぐさがおかしくて、べには心から笑いました。それからは毎日のように、べには夢おじさんに絵を習いに野の原へむかいました。

二、母を恋ふうたと珊瑚の簪

 いつまでも われ待ちたもう 母はかなしも
 いまもなお われ待つらむか 母はとおしも
 中町の旅籠やどの小窓に凭れ、夢おじさんは母を恋ふうたを詠んでいました。とおく千枚からは、おぼろげな三日月にかさなりさやぐ夜風にのり、三味の音に謡いや手拍子の酒に酔ぅた客のにぎわいがひくくひびいてきます。
すぐてまえの西大寺まではむかったものの、ふるさとのの土を踏むことができなかったのは、夢おじさんが亡くなったお母さんを恋ひしく思うあまりゆえでした。夢おじさんはひるまのべにをうかべ、とおいむかし、いつもまっていてくれたお母さん、あいにゆけなくても咎めることのなかった、きよらかな愛をそそいでくれたお母さんを、恋ひしく思っていました。そのお母さんとよくにた女の人と思いうかべて、夢おじさんはふところから簪をとりだしました。それは恋するしのさんに買った珊瑚の簪でした。オランダ坂の土産物屋で買った簪を、旅籠やどにもどったなら、そのたわわにかがやく黒髪にさしてあげると約束していたのに、坂のとちゅうでたおれ、そのまましのさんは病院へ運ばれたのです。
 生きてる、とべにの叫び声がひびきます。そう、しのは病とたたかいながら懸命に生きている、なのに自分は哀しむいがいになにもできずにいる、と簪をみつめていた夢おじさんは、ふっきるように旅籠やどの階下へいそぎ、女将さん、女将さんと、声をあらげました。着物の裾をととのえながら帳場からでてきた女将さんは、
「あぁ、おひるま、東京の港屋さんっちゅうとこから電話あったけんなぁ」
 と、でぇれぇ、のぉんびりいいました。東京の呉服町にある港屋絵草紙店は、夢おじさんとまえの奥さんのたまよさんがいっしょにひらいたお店です。夢おじさんのロマンティックな美人絵に飾られた便箋や千代紙は飛ぶように売れていました。その港屋から電話といえば、すべておみとおしの、まえの奥さんのたまよさんにちがいありません。
「港屋さんっちゃぁ、おひるまうちの娘が部屋を掃除したけん、描きかけの絵さ、みっけて、てぇへんじゃあ! て叫びよったけぇ、先生はあの、名だたる夢先生じゃねぇけぇ?」
「しぃっ」
 と夢おじさんは唇に人さし指をたてました。
「わ、わかったけん、お客さんをまもんのが、旅籠やどのつとめじゃけん。うちゃぁ、吹屋でも、名だたる旅籠やどじゃけん、しかし、なんか、わけが、おありじゃねぇ、それでぇっと、さ、電話、港屋さんへつなぎょうぞ」
「ち、ちがうちがう、ちがうんだ」
 と、夢おじさんは紙切れを女将さんにわたし、
「これは御茶ノ水の病院の電話番号です。ここへ女将さんから電話をつなげて、しのさんという人をよびだしてください」
 と、わかったのかわからないのか、女将さんは交換手へ電話をつないでくれました。ながらくまたされ、ようやくしのさんが電話ぐちへでてきました。
「先生、おあいしとぅございます」
「こちらから御茶ノ水の病院へいきたいものの、お父上がご立腹でどうにもならない。しかし、しのに約束が……どうしても、わたしは……」
「先生、わたし、そちらへ参ります、乳母はわたしのしあわせを願っています。乳母にはなして、わたしはそちらへ参ります」
 そうして、夢おじさんはしのさんにあえることになったのでした。

「でぇれぇ、きんれぇな簪じゃあ!」
 と、野の原で夢おじさんから珊瑚の簪をみせてもらったべには、叫びました。
「べんがら色じゃあ!」
「にているけれど、これは珊瑚という石なんだよ」
「これを好きな人の髪にさすんけ?」
「そう、そうそうそう!」
「夢のおいちゃん、嬉しそうじゃ。好きな人とえぇることになったけ?」
「あいにきてくれるのさ!」
「ぼっけぇぇぇーー!」
 べにと夢おじさんは草原でくるくるくるくる、しあわせに舞いおどりました。トロッコ太郎もはなれたところから、ビィボォ、ビィボォと、汽笛を鳴らしてよろこびました。くるくるくるくる舞って、眸もくるくる舞ってしまったべにと夢おじさんは、野の原にドッカーンとしりもちをつきました。そして、やわらかい若葉にいだかれお空をあおぎ、
「べにちゃん、ありがとう」
 と夢おじさんはコハコベの花をべにに捧げました。
「なしてけ? べにはなんにもしてねぇ」
「いや、べにちゃんのおかげで、ぼくはしのになにかをすべきだということに、気がついた。べにちゃんとであわなければ、気づいていなかった。それにぼくは生きているしのにあえるけれど、べにちゃんは大好きなおっ父とおっ母にあえない。なのに、こんなにべにちゃんは、ぼくといっしょによろこんでくれる。君はほんとうに、天使のような子だね」
 おっ父もおっ母もいなくなり、おじやんとおばやんには、口べらしは学校なんぞいかんでええといわれ、それでも絵の勉強をしたいから学校へいけば、悪戯っ子たちにいじめられてばかりのべには、青いマントの夢おじさんから天使と呼ばれ、ついに我慢できずわぁわぁ泣きました。そのべにを夢おじさんは抱きしめたのでした。べにはもう二度と夢おじさんのまえではうそ笑いはしないと、心にきめました。野の原ではナノハナ、アマナ、コハコベたちがきらきらかがやき、えがった、えがった、とささやきあいました。お空では白い山鳥が、ふたりの友情の光景を、しあわせそうにながめて、うろこ雲を飛んでゆきました

三、トロッコ太郎

 総社の駅には日本髪を結ぅて、うすべに色の着物をまとぅた女の人がたたずんでいました。しのさんです。しのさんは駅員に電話をつないでもらいました。
「先生、総社の駅へつきました。今からそちらのお旅籠やどへむかいます」
「おちついて考えよう。せっかくもうすこしで、ほんとうにあえるんだ。わたしから総社へゆき、そのままどこかとおくへ、ふたりで逃げおうせたいものを、呉服町ではわたしたちを追う人の手配をしているそうだ。まもなくあえる、そして必ず、約束を……」
「馬車が参りました。わたしは馬車にのり、お旅籠やどにむかいます。先生にあいにゆきます」
「待って、しの」
 と声をかけると、すでに電話はきれていました。旅籠やどの部屋で夢おじさんはしばらく呆然としていましたが、くしゃくしゃくしゃっと髪をかきむしるといそいで山高帽子をかむりマントを羽織り、そして文台のうえのちいさな花瓶のまえにぽつんとおいた珊瑚の簪を手にとりみつめ、やさしくほほえんだと思うや、どたどたどたどたと階段を駆けおり、べんがら格子のいならぶ町を疾走してゆきました。
旅籠やどではふたたび電話が鳴りました。小庭で植木に水をやっていた女将さんがやってきて、さてなんやら今日は忙しいのぉと受話器をとり、
「へぇへぇ、交換手さんかね、ご苦労さんでぇ」
 と、あわただしく下駄の散らかったあがり框をみやり、首をかしげると、
「さてな、へぇ、へぇな、まぁた呉服町の港屋さんかね。 先生は今、ええっと、ええっと、でぇれぇお疲れですんで、お昼寝されてるんですな、へぇ、それがもう、おこそうにもおきんようなぁ」
 と、冷や汗をぬぐいながら、応えたのでした。

 いてもたってもいられなくて簪を握りしめたまま飛びだしてきた夢おじさんでしたが、裏山の野の原までひたすら駈けたものの、さてほんとうにどうしたものだろうと、大の字になって寝っころびお空をあおぎました。若葉がさやぎ頬を撫でます。
「そのような旅籠やどで、のんびりなさっている場合ではありません」
 と、朝がたの電話ぐちでのたまよさんの叱る声がひびきます。
「しのさんのお父上はすでにそちらへ、紙問屋の番頭さんをむかわせておられます。もちろん、しのさんをつれもどすためにです。それから、あなたもお仕事をほぅりっぱなしで、どれほどご迷惑をおかけしているか、ご存じないはずはありませんね 版元はんもとさんも仕事を催促しに、すでにそちらへむかっております。もう、あなたたちは、がんじがらめなのですよ。なにをどうなさろうと、いっさい、無駄なのです」
 まえの奥さんのたまよさんのおかげで夢おじさんのお店は、袴をはいた女学生たちのながい列ができるほど、たいそう繁盛していたのです。夢おじさんは毎日お店にでている働きもののたまよさんに、とても感謝していました。しかし、「この絵は売れました、この絵をもっとたくさん描いてください」と、お店の繁盛ばかりをかんがえて夢おじさんに命令するたまよさんのことを、どうしても心からは好きになれなくなっていたのでした。お金のために機械のように絵を描くことを、たまよさんは意地のわるい継母のように命令します。いつしか夢おじさんの心のなかには、夜のふかい森にひそむ沼のような穴があいてゆきました。そんなときにであった画学生のしのさんは、絵描きとしてのおじさんよりも、人としてのおじさんにまっすぐ素直にむきあってくれました。そのしのさんがこの世からいなくなろうと、約束は果たそう、と夢おじさんは思いました。黒髪のかがやきが朽ちてしまうまえに……、ながれる雲が夢おじさんの眸にかすんでゆきました。

 長屋では、おじやんとおばやんが、なにやらひそひそ噂ばなしをしていました。
「中町の旅籠やどにゃあ、ぼっけぇ東京の男衆がおったでなぁ」
「なんにゃら、名だたる絵描きの先生が、おなごとかけおちするっちゅうて、てぇへんなことになっとぅでなぁ」
 するとべにが、おじやんとおばやんのあいだを脱兎のごとくすりぬけました。すかさず、おじやんとおばやんは、長屋のまえへべにをおっかけ、
「どこさゆく、学校やすむなら、てつだえ」
 ととっつかみました。べにはギッと、ものすごいぎょうそうで、
「ほっといて、くんろ!」
 とひと睨み。そのまま駈けてゆきました。
 びっくらおったまげてひっくりかえり、顔をみあわせたおじやんとおばやんは、
「笑ろぅとらん」
「呆けとらん」
「山賊の」
「ドラやんにゃ」
「売れんのぉ」
「売りゃぁ、お縄じゃぁ」
 と、がっくりへなへな地面へうつぶせました。おばぁはホッと胸を撫でおろし、仏間の仏さまに手をあわせました。
 てぇへんじゃ、てぇへんじゃ、とにかくと、べには下谷から中町通りへ駈けました。中町につき、そろぅり偵察するとや旅ど籠のまえでは、咥え煙草のけわしい眼つきの五、六人の男衆がたむろしていました。ぇく夢おいちゃんにしらせねぇと、とそのままべには中町から野の原へむかって駈けました。とちゅう坑道のいりぐちからは東やんが、
「べにやん、でぇれぇ、いせぇで、どげしたけ?」
 とたずねました。
「マントのおいちゃん、みんかった?」
「裏山へいんだ」
「あんがと! 東やん!」
 と、べには裏山へ駈けました。
 裏山の野の原では、夢おじさんが心を落ちつかせようとしているかのように、しずかに佇んでいました。
「夢おいちゃーん、夢おいちゃーん!」
 とべにが駈けてきました。
「てぇへんじゃ、旅籠やどに追手がきとる。しのさんとええねぇのけ?」
「総社にもどうやら、別の追手がきているようだ。せっかくしのに約束をと決めたのに、どうやらこれは神さまの報いのようだ」
「しのさんは、どこさいるけ?」
「吹屋へむかって、今は馬車に」
「馬車はとちゅうまでしか、通れんけん。でぇれぇ、せめぇ、けもの道じゃけん、とちゅうで、やせ馬っこにのりかえるんじゃ」
「どうせ、そこにも追手はむかうだろう」
 せっかくしのさんにえぇるっちゅうのに、それももうちょっとでえぇるっちゅうのに、とべには哀しくて、くやしくて、泣きそうになりました。さやさや、小山の木の葉も泣きます。くぅっくぅっ、と小鳥も泣きます。
 そのときです、遠くからかすかにビィボォッと汽笛が鳴りました。
「あっ、あーーっ!」
 となにやらひらめき、べにのほっぺはお天道さまのように真っ赤っ赤にかがやきました。そして夢おじさんの手をとり、
へぇく、へぇく」
 と駈けだしました。ふぅふぅ、ぜぇぜぇ、息をきって駈けながら、
「どこへ、どこへいくんだい」
 と夢おじさんはたずねました。
「いいから、へぇく、へぇく」
 と山道をなだれおちるように駈けおりて、雑木林にふたりはたどりつきました。べには枯れ草をはねのけはねのけしました。はねのけたなかにはトロッコ太郎が、にぃっこり、まっていました。
「とろやん! やせ馬っこののりかえぐちまでいせぇで!」
 とべにが叫ぶと、今しがたお昼寝から目ざめたところのようなそぶりでトロッコ太郎は、ゔぉーんと大きなあくびをしました。そして、
「気ぃつけてのるんじゃぞ」
 と、大きく汽笛を鳴らしました。
 べにと夢おじさんはトロッコ太郎にのり、しっかり手すりをつかみました。コハコベたちもべにが心配で、ペコペコペコペコ、花びらを鳴らして、ついてこ、ついてこ、とわんさかトロッコ太郎にのりこみました。
「シュッパーツ、オーライ!」
 トロッコ太郎はふたりをのせて、フルスピードで山をおりてゆきます。
丘を、小山を、けもの道を、銅で富をきずいたお金持ちの大屋敷のねきを、田畑を、高原を、連山を南北におおらかにながれゆく、木漏れ日にいだかれ岩肌のかがやく、坂本川、成羽川、高梁川の渓流を、トロッコ太郎は走ります。
「ぼっけぇぇぇ! こいならおいちゃん、どげな追手も、くるがええ! トロッコ太郎にゃ、勝ちゃしねぇ! おじぃのおじぃがつくったトロッコ太郎は、べにの誇りじゃ! とろやんにまかせりゃ、おいちゃん、でぇじょうぶじゃ! まかしてくりょぉ!」
 トロッコ太郎はがむしゃらに走りました。夢おじさんもその速さにおどろきながら、てのひらに珊瑚の簪をつよく握りしめていました。
 とちゅう、高梁川の上流からおりてきた高瀬舟にのりこんだ追手の男衆が、トロッコ太郎の夢おじさんとべにを指さして、
「おりゃあ、船頭、急げぇ!」
 と叫びます。トロッコ太郎は、ビッボ、ビッボ、ビッボッボーとはげしく汽笛を鳴らしがむしゃらに走ります。負けじと船頭が漕いだ高瀬舟は、そのいきおいでうずまく渓流にのまれかけては大きな岩にぶちあたり、でんぐりがえってはをくりかえし、てんやわんやと溺れてゆきました。

 枯れ枝がいくえにもかさなりしめったやせ馬ののりかえぐちで、トロッコ太郎は急ブレーキでとまりました。太郎からおりたべにの下駄はぬかるみにとられそうになり、おっとっとっと、小枝につかまりました。べにと夢おじさんは不安げに、しずまりかえった木々のあいだをきょろきょろみまわしました。子鹿が小山の影から首をかしげてのぞきこみます。母鹿が小鹿をそぅっとみまもります。子リスや野うさぎが、がさごそ草葉をゆさぶります。やがて山藤と山つつじがかすみとけあう、はるか若葉の木漏れ日のむこうから、こつこつこつこつと、ひずめの音がひびいてきました。馬車がやってきたのです。やがて白馬の馬車はそろぅりとしずかにとまり、ヒィー、ブルゥ、と白馬はひとなきしました。青いマントをぬいで、白い絹のシャツすがたになった夢おじさんはおずおずと、お姫さまをむかえる王子さまのように馬車にちかづき、うしろの幌をゆぅっくりあけました。そこには、たわわにかがやく日本髪をゆった、べにがみたこともない、木漏れ日にとろけるほどにやさしいうすべに色の着物をまとった、しのさんがたたずんでいました。
「……お姫さまじゃあ!」
 思わずべにはびっくらたまげて吐息をもらしました。
夢おじさんはてのひらをさしのべ、しのさんは幌からおりました。
「この子は、べにちゃんという、たいせつな友だち」
 夢おじさんはべにを手まねきしました。近づけないままに、べにははにかんで、ほっぺをまた、お天道さまのように真っ赤っ赤にかがやかせました。
「さて、どうしたものか、追手はあちらにも、こちらにも」
 と夢おじさんが案じると、トロッコ太郎が胸をそらして、ビィボォ、と汽笛を鳴らし、
「まかしてくりゃあ!」
 と叫びました。
「とろやん、どげんすっけ?」
 と心配してべにがたずねると、
「まってやした! 稲荷山の鳥居まで、しっかりお運びいたしやす!」
 とたのもしくトロッコ太郎は応えましたが、とし老いた太郎はそのいきおいからごほごほ咳こみ、錆びた埃がまわりに舞いました。
「とろやん、でぇじょうぶけ?」
 とべにがきくと、
「まかしてくりゃあ!」
 とトロッコ太郎は胸を大きくたたいて叫びました。
夢おじさんはしのさんをいだきかかえ、トロッコ太郎にのりこみました。すると、トロッコ太郎の蒸気ボイラーや、煙突、車輪のいたるところから、ペコペコペコペコ、みるみるみるみる、あふれんばかりのコハコベたちがあらわれて、それはまるで祭の花山車のようにトロッコ太郎を飾りました。べには眸をかがやかせて、「花っこ、ぼっけ!」と息をのみました。そうして、夢おじさんはしのさんにむきあい、黒髪を指でそぅっとかきわけ、珊瑚の簪をさしたのでした。しのさんの桜貝のようにつやつやかがやく頬に涙がつたわりました。
「夢おいちゃん、簪はしのさんに、でぇれぇ、うつっとるぅ!」
 と、べには拍手しました。べにがしあわせの立ちあい人です。小花たちもえがったえがったと、わいわい、よろこびます。
「べには、絵の勉強をする。おせぇてもろぅた絵の勉強を、べには、べには、おいちゃんから、おいちゃんから……」
「夢は、叶う! それを教えてくれたのは、べにちゃん、君だよ。ありがとう」
 簪にかがやいたしのさんは、
「ありがとう、べにちゃん、わたしの夢は叶ったわ」
 と、白くてほそいてのひらをのばしました。おずおずと、しのさんのてのひらをにぎったべには、あったけぇ、おっ母のてのひらみてぇに、あったけぇと、ぬくかったおっ母の、ほっぺをくるくる撫でてくれたてのひらを思いだし、涙があふれて、とまらなくなりました。
「シュッパーツ、オーライ!」
 トロッコ太郎は夢おじさんとしのさんをのせ、おひさまにかがやく小花たちのトレーンをひきずり、稲荷山の赤い鳥居のねきまで、この世のだれもしらない、秘密の線路をいそいでゆきました。べには涙をふきながら、いつまでもいつまでも夢おじさんとしのさんをみおくりつづけました。

 それからすこしした、ぽかぽかおひさまが、おとぎのような、ほんわりべんがら色の里をみまもる或る日、笹畝ささうね銅山の坑道のいりぐちの岩のうえで、べには興奮さめやらず、大きなにぎり飯をほおばる東やんにおしゃべりをしていました。
「うんでぇ、うんでぇ、東やん、お姫さまは、ぼっけぇきれぇな、そりゃぁ淡ぇい淡ぇい、うすべにの着物さ、まとぉとったんじゃぁ……、珊瑚の簪とよぉにうつる、そりゃあ、きんれぇな、うすべにじゃったぁ……」
 東やんはきいているのかいないのか、ばくばくおにぎりを喰らっていました。
「んじゃ、いってこ!」
 とべには、岩からたちあがりました。
「どこさ、いくけ?」
「学校じゃ!」
 とべには背なかの風呂敷づつみをななめにしばりなおしたかと思うと、小おどりするように、くるくるくるくる、小山を駈けのぼってゆきました。のこされた東やんは、指のさきにひっついたお米をひとつぶひとつぶかみながら、
「いかんでええ、いかんでええ」
 とつぶやいていました。
吹屋小学校の鐘が、からぁん、ころぉん、と鳴りました。

 べにとわかれて稲荷山の赤い鳥居のねきについた夢おじさんとしのさんは、ふたりひっそり汽車にのり、東京へとかえりました。それからまもなくして、しのさんは亡くなりました。そしてその後、夢おじさんはそれはそれはたくさんの絵とポエムをこの世にのこしました。

 べにとわかれて稲荷山の赤い鳥居のねきについたトロッコ太郎は、夢おじさんとしのさんの無事をみとどけたのち、力尽きてうごかなくなり、用済みのお笑い草とみなされて、バラバラの鉄くずにされました。しかしトロッコ太郎は夢おじさんとしのさんのお役にたてたことを、そして大好きなべにのお役にたてたことを、心から誇りに思いました。

 べんがら山の東やんはおおらかで大飯喰らいで、ろくに仕事もしないまんま大人になりましたが、あれほどの美しい淡い色のべんがら陶器を焼ける男はあとにもさきにもほかにいないと、のちののちまで、かたりつがれることになりました。

 べには朝に夕に、吹屋のお山から稲荷山にむかい、
「とろやぁーん、早ぇく、けえってくりょぉー!」
 と叫びました。そんなべにの眸は、でもきらきらかがやいています。なぜなら、べには夢おじさんに夢をもらったからです。その夢はいつまでもいつまでもかがやきつづけることでしょう。髷をゆうたおばぁの声が聴こえます。からぁん、ころぉんと、鐘が鳴り、昔こっぽり、とびのくそ、ぴんろろぅ……        
                           おわり

【分泌 第3号】夢おじさんとべんがらっこ

2017年2月17日 発行 初版

著  者:島 ちゑ
発  行:シナリオ・センター大阪校

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