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夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。(Wikipediaより)

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余と万年筆

夏目漱石



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 此間魯庵ろあん君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。夫それでは一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、軸じくが減ったから軸丈だけ易かえて呉くれと云って持って来たのがあるが、此人は十三年前に一本買ったぎりで、其一本を今日まで絶えず使用していたのだというから、是これがまあ一番長い例らしいと話した。して見ると普通の場合ではいくら残酷に使っても大抵六七年の保証は付けられるのが、一般の万年筆の運命らしい。一本で夫程それほど長く使えるものが日に百本も出ると云えば万年筆を需用する人の範囲は非常な勢を以もって広がりつつあると見ても満更まんざら見当違けんとうちがいの観察とも云われない様である。尤もっとも多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちに飽あきが来て、又新しいのを手に入れたくなり、之これを手に入れて少時しばらくすると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、夫それから夫へと各種のペンや軸を試みて嬉うれしがるそうだが、是これは今の日本に沢山たくさんあり得る道楽とも思えない。西洋では煙管パイプに好みを有もって、大小長短色々取とり交まぜた一組を綺麗きれいに暖炉だんろの上などに並べて愉快がる人がある。単に蒐集狂しゅうしゅうきょうという点から見れば、此煙管パイプを飾る人も、盃さかずきを寄せる人も、瓢箪ひょうたんを溜ためる人も、皆同じ興味に駆かられるので、同種類のもののうちで、素人しろうとに分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない。万年筆狂も性質から云えば、多少実用に近い点で、以上と区別の出来ない事もないが、強しいて無くても済むものを五つも六つも取とり揃そろえるのだから今挙あげた種類の蒐集狂と大した変りのある筈はずがない。ただ其数に至っては、少なくとも目下の日本の状態では、西洋の煙管気狂パイプきちがいの十分の一も無かろうと思う。だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要に逼せまられて机上きじょう若もしくはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支さしつかえあるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、兎とに角かく高価の割には大変需要の多いものになりつつあるのは争う可べからざる事実の様である。
 万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。丸善へ取り寄せてあるのでも既に六十五円とかいう高価なものがあるとか聞いた。固もとより一般の需要は十円内外の低廉ていれんな種類に限られているのだろうが、夫それにしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品ぜいたくひんと認めなければならないものを愛玩あいかんするに適当な位進んで来たのか、又は座右ざゆうに欠くべからざる必要品として価の廉不廉に拘かかわらず重宝ちょうほうがられるのか何方どちらかでなければならない。然しかし今其源因を一つに片付けるのは愚ぐの至として、又事実の許す如く、しばらく両方の因数が相合して此需要を引き起したとして、余はとくに余の見地から見て、後者の方に重きを置きたいのである。
 自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人しろうとなのである。始めて万年筆を用い出してから僅わずか三四年にしかならないのでも親しみの薄い事は明らかに分る。尤もっとも十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別せんべつとして一本呉くれたが、夫それはまだ使わないうちに船のなかで器械体操の真似まねをしてすぐ壊して仕舞しまった。夫それから外国にいる間は常にペンを使って事を足していたし、帰ってから原稿を書かなくてはならない境遇に置かれても、下手な字をペンでがしがし書いて済ましていた。それで三四年前になって何故なぜ万年筆に改めようと急に思い立ったか、其理由は今一寸ちょっと思い出せないが、第一に便利という実際的な動機に支配されたのは事実に違ない。万年筆に就ついて何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。そうして夫それをいまだに用いているのである。が、不幸にして余のペリカンに対する感想は甚はなはだ宜よろしくなかった。ペリカンは余の要求しないのに印気インキを無暗むやみにぽたぽた原稿紙の上へ落したり、又は是非墨色を出して貰もらわなければ済すまない時、頑がんとして要求を拒絶したり、随分持主を虐待した。尤もっとも持主たる余の方でもペリカンを厚遇しなかったかも知れない。無精ぶしょうな余は印気インキがなくなると、勝手次第に机の上にある何どんな印気でも構わずにペリカンの腹の中へ注つぎ込んだ。又ブリュー・ブラックの性来嫌きらいな余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割って呑のました。其上無経験な余は如何いかにペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余は未いまだかつて彼を洗濯した試ためしがなかった。夫それでペリカンの方でも半なかば余に愛想あいそを尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限みかぎって、此正月「彼岸過迄ひがんすぎまで」を筆するときは又一ひと時代退歩して、ペンとそうしてペン軸じくの旧弊な昔に逆戻りをした。其時余は始めて離別した第一の細君を後から懐なつかしく思う如く、一旦いったん見棄みすてたペリカンに未練の残っている事を発見したのである。唯ただのペンを用い出した余は、印気インキの切れる度毎たびごとに墨壺すみつぼのなかへ筆を浸ひたして新たに書き始める煩わずらわしさに堪たえなかった。幸にして余の原稿が夫程それほどの手数が省はぶけたとて早く出来上る性質のものでもなし、又ペンにすれば余の好むセピヤ色で自由に原稿紙を彩いろどる事が出来るので、まあ「彼岸過迄」の完結迄はペンで押し通す積つもりでいたが、其決心の底には何どうしても多少の負惜しみが籠こもっていた様である。
 余の如く機械的の便利には夫程それほど重きを置く必要のない原稿ばかり書いているものですら、又買い損なったか、使い損なったため、万年筆には多少手古擦てこずっているものですら、愈いよいよ万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもって見ると、其他の人が価の如何いかんに拘かかわらず、毛筆を棄すてペンを棄てて此方こちらに向うのは向う必要があるからで、財力ある貴公子や道楽息子どうらくむすこの玩具に都合のいい贅沢品ぜいたくひんだから売れるのではあるまい。
 万年筆の丸善に於おける需要をそう解釈した余は、各種の万年筆の比較研究やら、一々の利害得失やらに就ついて一言の意見を述べる事の出来ないのを大いに時勢後れの如くに恥じた。酒呑さけのみが酒を解する如く、筆を執とる人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。ペリカン丈だけの経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外ほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。現に此原稿は魯庵ろあん君が使って見ろといってわざわざ贈って呉くれたオノトで書いたのであるが、大変心持よくすらすら書けて愉快であった。ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡つみほろぼしをした積つもりなのである。

底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房 
   1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
※吉田精一による底本の「解説」によれば、発表年月は、1912(明治45)年6月30日。
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年5月10日作成
2005年11月4日修正
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余と万年筆

2017年2月25日 発行 初版

著  者:夏目漱石
発  行:type.center出版

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