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「文字による文字のための文字のサイト」type.centerが、文字にまつわる小説・随筆を「文字文学」としてまとめました。

ナベタン・ヘッセ 1984年東京生まれ。三浦綾子を愛読する母の厳しい指導のもと、幼少期より作文の訓練に明け暮れる。豊玉東小学校在学時の95年に、手塚治虫のエッセイ「ガラスの地球を救え!」の読書感想文で読書感想文コンクールに入選し、たしか青島幸男東京都知事(当時)から賞を受ける。初めて読んだ小説は、たぶん父から贈られた十辺舎一九「東海道中膝栗毛」。2011年『中洲(川の)』で第二回京急蒲田処女小説文藝大賞を受賞。

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梔子

ナベタン・ヘッセ



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 その日、私が暮らす街は春の穏やかな陽気に包まれていた。何の気なしに部屋の窓を開け放つと、空から降り注ぐ透き通った光が私の頬をやさしく照らし、それと同時に、梔子か何かの花が放つ甘い香りがどこからともなく漂ってきた。体中の細胞ひとつひとつが目を覚ますような、そんな爽やかな感触が内側から駆け上がって来るのを感じ取ったその時には、私の足はもう部屋の外へと歩き始めていた。
 路地を抜け、街並みを抜け、いつしか私は近くを流れる川のほとりへとたどり着いた。空に広がる雲ひとつ無い晴天。ビルが樹木のように生い茂り、そこから伸びる枝のように電線が張り巡らされているこの街では、空の存在感というものはどうしても希薄になりがちだ。だから、私にとってその晴天は、ひときわ有難いもののように感じられた。抑圧された日々を送っていなくても、開放的な気分になるし、環境問題のようなことに別段思いを馳せていなくても、自然の恵みに感謝したくなる。そんな不思議な瞬間であった。意志とは関係なく高揚する気分を胸に、私は川に沿ってあてどなく歩き始めた。川の両岸は整備され、芝生と木立からなる静かな公園が細長く続いている。あたりには、キャッチボールに興じる親子や、ランニングをする学生、ベンチで読書に耽る老人などが、ぽつりぽつりと点在していた。みな、自然の気配が比較的間近に感じられるこの空間で思い思いのひとときを過ごそうとしているのだ。いつしか私もその一部となった。
  
 どれくらい歩いた頃だったろうか。道の向こうに〈のぼり〉のようなものが見えた。選挙演説だろうか。いや、選挙が近々あるなどという話は聞いていないし、そんなはずがない。どうやら出店のようだ。こういう天候だし、私のように散歩をする人も多いだろうから、飲み物を売っているのだろう——などと、ぼんやりと遠くに見える〈のぼり〉について思いを巡らせているうちに、そこに記された文字を読める程度の距離まで近付いてきた。
  
  生あります

 のぼりにはそう書かれていた。
  
  〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
  
 などと書かれたものもあった。前者はなんとなく分かったが、後者はよく分からなかった。これは一体どういうことなのだろうか。そのままのぼりが立つ場所まで歩みを進めた。

 すると、そこには、大きく広げられたレジャーシートと、その上であぐらをかくひとりの男がいた。見たところ男の年齢は三十代中盤から四十代前半。中肉中背で、無精髭を生やし、濃紺のポロシャツとチノパンという出で立ち。お世辞にも小綺麗な格好とは言い難かった。
 そして、そのまま視線をずらし、畳二畳ほどの広さはあるレジャーシートに目を向けた。その上には、透明なビニールのケースに入った真っ白なCD、あるいはDVDと思しき円盤が所狭しと並んでおり、ひとつひとつの盤面には「一」や「二」などと数字が記されていた。私はいぶかしげにその円盤の大群を眺めていたが、その男は私に目を向ける素振りもなく、ただじっと手元の新聞に目を落としていた。
 もしかして、この男は円盤を売っているのではなく、メンテナンスのために乾燥させているのではないか。自分自身にこの現状を納得させるための都合の良い理由付けが脳裏を過ぎりはじめたその時、男が口を開いた。
「買われますか?」
 その言葉が、目の前に並んだ円盤のことを指しているのは間違い無いと思われたが、いかんせんその円盤がいったい何なのかが分からない。私は単刀直入に尋ねてみた。
「これ、CDですか? DVDですか?」
「CDですよ」
「何が入っているんですか?」
「それに書いてある通りですよ」
 そうは言われても、盤面に書かれているのは「一」や「二」のほか、「あ」などのひらがなばかり。男の発言に刺激されるように、言葉にならない漠然としたイメージが瞬間的にいくつか浮かび、瞬間的に消えていった。その間、視界に入るものは何一つとして微動だにしなかったが、やたらと長い時間が流れて行ったように感じられた。
「お客さん、初めてですか?」
「あ、いや、このあたりには一年ほど前に……」
 男は私の発言を待たずに口を開いた。
「このCDにはですね、〈文字〉が入っているんです」
 男の言葉を聞いてふと得心した。私もコンピューターを使い始めて十五年ほど経つので、それなりの事情通ではある。コンピューターやその部品を取り扱う店が数多く集まる「電気街」と呼ばれるようなエリアに行けば、かつては違法にコピーされた映画やソフトウェアを収めたCDが大量に販売されていた。いまとなってはめっきりそういう業者の姿を見なくなったが、この男はその一味なのだろう。そう決め付けるだけの状況がそこにはあった。
「ああ、フォントですか?」
 だから、文字が入ったCDと聞いて、私が最初に思い浮かべ、男にぶつけたのは、日常生活で使用するさまざまな文字が詰まったフォント、つまり書体という可能性だった。フォントはきちんと購入すると高い。専用のメーカーの日本語書体なら、平気で五万円はするだろう。もし、手頃な価格で手に入るのであれば、たとえ法に触れるリスクがあったとしても、駆け出しのデザイナーや、デザイナーを志す学生が手を出してしまってもおかしくはない。
「いや、違います」
 男は素っ気なく返事をした。たしかに考えてもみれば、こんな天気の良い日に川岸の公園で海賊版のフォントを売りさばくのは、利益率の向上という観点など持ち出さずとも疑問が残る。もっとふさわしい場所が他にあるはずだ。思い浮かぶまま、私は尋ねた。
「じゃあ、電子書籍ですか?最近、本をバラしてスキャンするのが業者がいるみたいだし」
 このところ、そうした業者が増えているらしい。数が多くなってくれば、スキャンしたデータを横流しする不届きな輩が出てきてもおかしくはない。それに、そうした業者の人間じゃなくても、ネット上を検索すれば違法にアップロードされた書籍のスキャンデータはすぐ見つかるので、それらを寄せ集めて売っている可能性もある。いずれにせよ、タブレット型のコンピューターと電子書籍が流行している今日の時流を捉えたビジネスだと言えるだろうし、そういう業者が人通りの多い繁華街を飛び出して、公園で商売をしているのはその勢いを裏付けるものとも言えるだろう。
「いや、違います」
 世相と照らし合わせながら、自信を持って投げかけたにも関わらず、先ほどと同様の素っ気ない返事。私のささやかなプライドは、いとも軽やかに打ち砕かれた。もはや失うものはなくなった。
「じゃあ、掛け軸とかの画像ですか?書道家が書くような」
 春らしい穏やかな日に川沿いで能書家の手がけた書を売るというのは、それがCDに収められたコンピューターのファイルであったとしても、なかなか風流なものではないか。現実的ではないのもいいところだが、スパイスの効いた答えだと内心では自負していた。
「いや、違います」
 別に当たったからといって、何か良いことが起こりそうな気配は微塵も感じられなかったので、あまり気にしないようにしていたつもりだったが、自負があったせいかちょっとした失望感が心に刻み込まれた。
「ですから、あの、例えばこのCDにはですね、『一』という文字のテキストデータが入っているんです」
 男は「一」と書かれたCDを手に取り、そう言った。
「はぁ」
 フォントだ、電子書籍だ、書だと、予想を述べるそのたびに男に否定され、自らの想像力の拙さについて自省の念に駆られていたというのに、正解がたった一種類のテキストデータとはどういうことか。やるせなさが失望感やプライドの破片を飲み込み、やがて心の中はそれ一色になった。
「それはどういうことですか? CDにテキストデータって、たぶん億単位で文字が入りますよ。何億文字も『一』が入っているんですか?」
 その時の私は気色ばむほどではなかったとは思うが、多少まくし立てるような話し方をしていたかもしれない。
「いやいや、このCDに入っているのは一文字だけです」
 私はしばし絶句した。コンピューターで一文字といったら、そのサイズは一バイトか二バイト、この場合は漢数字の「一」だから、二バイトである。それに対して、CDには七百メガバイト、つまり七億バイトものデータを書き込むことができる。私が指摘した通り、そこには最大で三億五千万文字の「一」を書き込むことが可能だ。それにも関わらず、そこに収められているのがたった一文字とは……。
「ただの『一』だなんて、私でもすぐつくれちゃいますよ。そんなデータを買う人なんているんですか?」
「お客さんのおっしゃる通り、これがただの『一』だったら、こちらもお売りしませんよ」
 デジタル化されたテキストデータである以上、ただの「一」も、そうではない「一」も存在しない。なぜなら、あらゆる『一』は等価であり、それらの間に質的な差異が発生しないからだ。もちろん、ハードディスクに記録される位置はナノメートル単位で違うだろうが、それが質に影響を及ぼすことはない。
「どういうことですか?」
「貴重な『一』だということですよ」
「貴重な『一』って、コンピューターの中では、どの「一」も同じで、貴重もクソないんじゃないですか?」
「原理的にはそうですがね」
 天候とのギャップがますます際立つ私に対して、そっと「一」の秘密を教えてくれた。
「えっ」
 男の答えは、私がそれまで提示した全ての予想を上回る非現実的なものだった。
「ここはそういう店なんです」
 男は笑みを浮かべていた。

 男によると、私が手にとったCDに収められているのは、ノーベル文学賞の有力候補として名高いあの文豪が、小説に使った「一」なのだという。私は咄嗟に尋ねた。
「ええと、それは要するに本文中に出てくる『一』ってことですか?」
 男は脇に置いてあった鞄からすっとノートパソコンを取り出し、キーボードを叩き始めた。情景を無視するかのよう響くカタカタという物音。数秒後、男は何かの情報にたどり着いたらしい。
「はい、この『一』だと、そうですね、文庫版の下巻の三百三十一ページに書かれている『一』になりますね。『あなたは炭鉱の奥で一生を送ったようなものだって』の『一』です」
 男が確信を持って答えているのは明らかであったが、いかんせん私の手元にその小説の文庫版が無いので、本当にそういう文章があるのかどうか確認する術がなかった。
「それじゃあ、この『二』って書いてあるCDには何が入っているんですか?」
「あ、それは同じ小説に使われている『二』ですね」
「もしかして、ここに並んでいるCDは全部同じ小説から採られた文字なんですか?」
「そんなことないですよ」
 そう言うと、男は「あ」と書かれたCDを取り出した。男によると、この「あ」はユーモラスな文体で知られ、コラムニストとしても活躍する芥川賞作家の実質的なデビュー作に使用されていたものだという。さらに尋ねてみた。
「ほかにはどんなものがあるんです?」
 すると、男はレジャーシートの上に置かれたCDを片端から紹介してくれた。芥川賞を史上最年少で受賞した若手女流作家の受賞作で使用されている「け」や、アイドル主演で映画化されて大ヒットした直木賞作家のサスペンス小説で使用されている「る」、アルコール中毒の末に事故死を遂げた無頼派作家の推理小説で使用されている「殺」、ほかにもアニメ化されたラノベで使用されている「ボ」などもあった。私はそこに来てようやく、この出店の周りに立てられていたのぼりの意味を理解した。「生あります」とは、生ビールがあるということではなく、「生」という文字を入荷しているということ、そして、「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」とは、縁日の焼きそば屋などで、軒に「焼きそば」と書いてあるのと同じようなことで、漢数字のゼロを売っている店であるということを示していたのだ。何かの暗号や伏せ字ではなかった。もっともらしい紹介をひと通り受けた後、私は呟いた。
「でも、これだけCDがあっても、たったの百文字ちょっとにしかならないんですね」
「いやいや、このCDは言ったら〈にぎやかし〉ですよ。データそのものはこのノートパソコンに山ほど入っています。日常で使うほとんどの文字を取り揃えてますよ。ほら、何かモノがないと、お客さんがお店だと分からないでしょう」
「なるほど」
 私は頷いた。たしかにそれはその通りなのだが、やはりどこか腑に落ちない。素朴な疑問をぶつけてみた。
「でもこれ、本当に本物なんですか?というか、本物と証明できるものなんですか?」
「じゃあ、これを見てください」
 男は自らのノートパソコンをくるりと回転させ、画面を私の方へと向けた。するとそこにはファイルが羅列されたウィンドウが表示されていた。どうやら、それらが一文字一文字を収めたテキストファイルのようだった。
「ほら」
 そして、男は私が見ていたウィンドウの隅のあたりを指差した。そこにはファイルの名前や、ファイルサイズ、そして、作成された日時が秒単位まで記されていた。
「これ、『一』の情報なんですけど、作成日が小説の発売日よりも前でしょう」
 男の答えは到底私の納得いくものではなかった。
「いやいやいや、その時期につくった別の関係ないテキストデータかもしれないじゃないですか」
「仕方ないですねぇ」
 男はそう言うと、ふたたびノートパソコンの画面を自身の方へと回転させ、なにやら作業を始めた。そして数秒後、また私の方へと画面を向けた。
「じゃあ、これを見てみてください」
 今度はそこに文字で埋め尽くされたワープロソフトのウィンドウが表示されていた。
「これはもしかして……」
「はい、原稿です。当然ですが、このファイルも、作成日が出版日よりも前になっています」
 なおも私は食い下がった
「でも、小説家が書いた原稿じゃなくて、誰かが打ち直したものかも知れないじゃないですか」
 男は画面をこちらに向けたまま、無言でノートパソコンのタッチパッドを操作し、ワープロソフトのあるボタンを押した。すると、ウィンドウに表示されていた文字の半分程度が赤や青に染まった。
「よく見て下さい」
 男に促されるままウィンドウを見ると、赤や青の文字に打ち消し線が入っているほか、下線が引かれているのが分かった。そして、下線からは時折引き出し棒が伸びており、その先には何かコメントが記されていた。そう、男はワープロソフトの機能のひとつである、校正の履歴を確認できるモードに画面を切り替えていたのだ。そして、男はおもむろにマウスカーソルを赤い文字の上に載せた。
「あっ」
 私は思わず声を上げた。なぜなら、そこにその小説家の名前と、修正作業の内容、そしてそれが行われた日時が表示されたからだ。
「納得いただけたみたいですね。この原稿から、一文字一文字拾い集めたものが、先ほどのテキストファイルになります」
 納得はまだしていなかった。してはいなかったが、ここまでくるとこの商売を否定するための論理もすぐには用意できなかった。ここはひとまずそういう商売があるのだとして、話を聞いてみることにした。
「どうやってその原稿を手に入れたんですか? もしかして出版社の方ですか?」
「すみません。それには、ちょっとお答えできないんです。一文字単位で売ること自体は法には触れないはずですが、作家の中にはご存じない方もいらっしゃるので」
 どうやら、違法ではないが、どこかで不義理を働いているらしい。いずれにせよ後ろめたさを感じる商売のようだった。
 そして、私は、以前古書店で見かけた著名な作家の自筆原稿のことを思い出した。故人ならいざしらず、存命のそれも大御所と言われるような作家の自筆原稿が古書店で購入できることについて、私はかねがね疑問に感じていた。本来、自筆原稿というものは作家本人か、出版社が保管してしかるべきで、作家が何かの意図をもって販売しているということでなければ、出版社の内部の人間が、作家との信頼関係を反故にして、〈流出〉させてしまったとしか思えない。それは貸したものを売りに出すのと同じことであり、素人の私でも、その行為がモラルに反するばかりか、法に触れる可能性があることが分かる。
 とはいえ、そういった現象も、ペンで原稿を書いていた時代の産物と言えばそれまでだ。今日では多くの作家がコンピューターで原稿を書いていると聞く。キーボードを叩くことが書くことであり、編集者とのメールのやりとりの末に原稿の完成がある。そのため、コンピューターでつくられた原稿が流出したとしても、自筆原稿のそれとは意味が異なるはずだ。なぜなら、自筆原稿の需要は、自筆であることに裏打ちされているからだ。そこに記された一文字一文字には作家自身の身体や歩んできた歴史が反映されており、固有のオーラのようなものを発している。そのオーラこそが、人々の購買意欲を無性にかき立てる。しかし、コンピューターでつくられた原稿には、そういったオーラのようなものは、原理上存在しえないので、そうした欲望の対象とはならない。そのように考えられてきた。
 しかし、男の商売はそこにオーラを見出し、付加価値を与えようとするもののようだった。それも、法に触れないかたちで。
「いやいや、こちらこそすみません。初めてだったもので、ついつまらないことを聞いてしまいました。せっかくなので、もう少しだけ話を聞かせてください。こうした店って他にも結構あるものなんですか?」
「そうですね、昔に比べるとだいぶ減ったようですが、それでも昔からのユーザーの方もまだまだ大勢いらっしゃるので、結構あると思いますよ」
 古書や自筆原稿と違って、この男が売る文字は買った後、自由な使い方ができる。客のことを「コレクター」ではなく、「ユーザー」と男が呼ぶのには、そういった背景があると思われた。私は、この未知の業界について、興味が少しづつ湧いてきているのを実感した。
「そうなんですか。だいたい一文字っていくらくらいなんですか?」
「本と同じで、かなりピンキリですよ」
「じゃあ、たとえばさっき教えてもらった『一』とか」
「あれは五円ですね」
 衝撃的な価格設定に、不覚にも心が揺らいだ。缶コーヒーを一本買う金で、ノーベル文学賞候補の小説家が書いた、というか入力した文字が二十四文字も買えてしまうというのは奇妙な魅力があった。
「ずいぶんと安いですね。〈にぎやかし〉のCDの方が高く付くんじゃないですか」
 男は私の問い答えることなく、にこやかな笑みを浮かべていた。私は続けた。
「これって、やっぱり作家ごとに価格帯が違うんですか?」
「そうですね。さっきの五円のものは、かなり高い部類に入ります」
「五円で高いんですか」
「元が十万文字以上ありますからね。そんなもんですよ」
「なるほどねえ」
 うなづく私を尻目に、男は価格帯についての解説を続けた。
「基本的には純文学と呼ばれるジャンルのものの値段は高くなる傾向にありますが、最後は需給のバランスで決まるものなので、どんなジャンルでも大御所とかネームバリューのある方のものが高くなりますね。あとは難しい漢字。『轟』とか、滅多に出てこない文字は希少価値があるので高いです。逆に安い方だと、たとえば新人賞を獲るような実力ある若手でも、最初はだいたい一文字十銭とか二十銭くらいじゃないですかね。それくらいから取り扱いが始まります」
「原稿料みたいですね」
 一文字十銭というと、先ほどの缶コーヒー換算で、一千二百文字買えるということになる。それくらいの額だったら、仮にこれまでの男の発言が嘘だったとしても大した痛手にはならない。ドブに落としたと思って、十円分くらいは文字を買ってみてもいいかもしれない、そんな風に思い始めていた。と同時に、こんなひとつ一円にも満たない商品を売って、この男の生計は成り立っているのだろうかという心配も出てきた。余計なお世話とは思いつつも、聞いてみることにした。
「でも、そんな価格設定じゃあ、なかなか儲からないでしょう」
「まぁ小遣い程度ですね。これは副業みたいなもんで、普段は別の仕事をしてるんです。こんな世の中ですからね、なかなか生活が苦しくて、家計の足しになればと思ってやってます」
「でも、小遣い程度にはなるんですね。やっぱり古くからのお客さんというのは、いっぱい買っていかれるんですか?」
「ええ。基本的には一山いくらの世界なので、だいたいみなさん千文字単位とか一万文字単位で買われていきます」
 仮に千文字買っても、数百円程度。なかなか厳しい商売だ。しかし、ここの常連客は何を思って、そんな大量の文字を買っていくのだろう。
「みなさん、買われた文字はどういう時に使われるんでしょうね」
「買ったあとは思い思いの使い方ができますからね。いろいろあるみたいです。一番多いのはメールだと思いますね。思いを込めたメールとかあるじゃないですか。ああいうメールの随所に買った文字を組み合わせてつくった文章を入れるんです」
 そのメールの文字がどこから来たものか、相手には絶対に伝わることがないだろうが、験担ぎのようなものだと思えば納得できなくもない。
「あとは書類ですよね。退職願とか履歴書とか、そういう節目の書類で使ったりする方も多いです。あとは、見積書に使う方も多くて、そういう方は基本的に漢数字ばかり買っていかれます」
「見積書に使う人はサクセスストーリーの小説とかから拾っていくんですかね」
「そういう傾向はあるかも知れませんね」
 何の気なしに口をついた質問だったが、男の答えに閃きを感じた。
「やっぱり、組み合わせの妙なんてものもあるんですか?」
「なかなか鋭いですね。文学に詳しい方ですと、文壇で近い人同士の作品から文字を拾って、ひとつの書類とか文章をつくられたりします。また、それとはまったく逆に、対立する人同士で同じことをする人もいますね。ほかにも小説家同士の夫婦とか、離婚した元夫婦とかもいますしね、いろいろ考える人はいるみたいです」
 半信半疑だったことも忘れ、私はその奥深い世界にますます引きこまれつつあった。
「でも、書類をつくるってどうなんでしょう?最終的には印刷しちゃうわけですよね。やっぱり書籍で読める文字の印象と変わってきちゃうと、ダメなんじゃないですか?それに、大量に印刷すると、希薄になっちゃうっていうか」
「その辺りも人によって扱いが別れるところみたいです。おっしゃる通り、書体を変えるとずいぶんと印象が変わるので、極力プレーンな状態で使用したいという人が多いです。一方で広告とかに使われるというデザイナーの方もいらっしゃいます」
「そうなんですか。じゃあ、知らないうちに見ているかもしれないんですね」
「あ、あと最近だと、メールの延長で、インターネット上のSNSっていうんですか、そういうところで使うことも多いみたいですよ。あれは投稿できる字数に制約があったりするから、さっき言った組み合わせの妙を考えるのにうってつけなんだそうです」
「じゃあ、本当に見てそうですね。でも、もし文字を入力した作家が、ネット上の便所の落書きから拾ってきた文章を自分の作品に使っていたらどうしましょうね」
「それでもその文章を選んで〈作品〉にしたのはその作家ですよ」
 男は笑って答えた。そして、私は決めた。

「せっかくなんでちょっと買ってみようかな」
「ありがとうございます! では、何にしましょう?」
「そうだなあ。これって約物とかあるんですか?」
「もちろんありますよ」
「私、小説をあまり読まないので、あまり込み入ったことが分からないんです。これたとえば、小説以外から拾ってきたものってあるんですか?」
「ああ、豊富とまでは言えないんですが、ビジネス書とか伝記、美術書、絵本とか割といろいろ取り揃えてますよ。ほかにも技術書とか参考書から拾ってきたものもあるにはあるんですが、だいたい特殊な文字を揃えるために拾ってきたので、そういうのは大した量じゃないです。一応、辞典もいくつかあるんで、なんとかなると思うんですが。もしなんだったら、そのあたりに強い店を紹介しましょうか? せっかくなんでヤバい店も紹介しますよ」
「え、ヤバい店ってなんですか?」
「有名人のメールから字を拾っているようなところです。思いっきり犯罪なんで、うちは絶対にやりませんがね」
「……まあ、今回はここで取り扱ってる分で大丈夫です。ちなみにマンガはどうですか?」
「マンガは無いですねえ。他でもあまり取り扱ってないんじゃないかな」
「気になっただけなんでいいです。そういえば、これ買ったデータは何で渡されるんですか」
「CDにしてお渡しします」
「分かりました。一応確認ですけど、これ買った後はコピーして使ってもいいんですよね」
「コンピューター上でコピーを止めさせる方法なんてありませんから、それはお客さんの自由です」
「ちなみに、これ売れた文字はどうなるんですか?」
「売り切れということで、うちのコンピューターから消去しています」
「コピーしてまた売れるのに、もったいないですね」
「そういうことにしているんです」
「そうですか」
「それで、何を買うか決まりましたか?」
「ええと、まず『あ』を百三十一個ください」
「いきなり結構買いますね」
「まずかったですか?」
「いえいえ、とんでもない! いちいちどの作品のどのページと指定するのも大変でしょうから、作家とかを指定していただいた上で、文字を指示していただけたら、こちらで良い感じに拾いますよ」
「でも、あんまり小説詳しくないんだよなあ。小説のジャンルの指定とか、書籍のカテゴリの指定とかでもいいですか?」
「大丈夫です」
「じゃあ、小説とビジネス書の割合をだいたい八対二にしてもらって、スパイス的に辞書を入れる感じにしましょう。それでビジネス書はとくに指定は無いですが、小説の方はSF小説と推理小説とファンタジー小説と純文学を均等になるようにしてください」
「要するに、ビジネス書も、SF小説もどれも均等ってことですね」
「そうですね。それと、そんなにお金持っていないんで、若手の人のやつでいいです」
「わかりました。それでは、すみませんが、もう一度最初からお願いしてもいいですか」
「はい、まず『あ』を百三十一個」
 私が文字と必要な個数を告げると、男は目にも止まらぬ速さでキーボードを叩きはじめた。そして数秒後、男は「はい」という声を発した。テキストファイルを集める作業が終了したのだ。それに呼応して、わたしは次に必要な文字とその個数を告げた。
「ええと、『い』を四百七十一個」
 私たちはそうしたやりとりを延々と、そして静かに繰り返し続けた。高かった日がいつの間にかだいぶ傾いていた。
 「えーと『私』を四十九個」
 気付けば、ひらがな、カタカナ、アルファベット、約物、記号、漢数字と続いて、漢字を発注する段階まで来ていた。私が個数を告げると、数秒後、男は例のの合図を発した。
「これ、結構大変ですね。他のお客さんもみんなこんなことしてるんですか?」
「そうですよ。さあ、まだあれば行きましょう」
 また、長いルーティンが始まった。

 そして、もう夕方近くになった時。私は最後の文字を男に告げた。
「『梔』を一個。これでおしまいです」

底本:「中洲(川の)」自主制作本
   2011(平成23)年5月6日第1刷発行

梔子

2017年2月25日 発行 初版

著  者:ナベタン・ヘッセ
発  行:type.center出版

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