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タロットの会へようこそ
~タロットの瞑想やタロット制作のお話~

mamanmiyuki



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  この本はタチヨミ版です。

はじめに

タロットの会に来られない方にも私なりの表現でタロットの世界のお話をできれば・・・ということで、「タロットの会へようこそ~タロットの瞑想やタロット制作のお話~」を、これまでのことをまとめて1冊目を書き、その後その続編の2巻もという形で、2016年から2017年にかけて発行してきました。

本を書き始める前には、それはある程度書きためておいて、私がこの世を去るときにまとめて残せればいいかな~(^^)くらいのつもりでいたんですね。ですが、実際に文章を書いていくと、これまでの自分のタロットの瞑想を順番にたどることにもなって、また新しい発見があったりしてとても楽しく書き進めることにもなりました。それに、書き終えて本を発行して皆さんに読んでいただいたら、私がタロットの世界の人たちから聞いた話を他の人にも伝えたことになったからなのか、その後また新しい話を教えてもらえた感じで、またいろいろと気づいたことや聞こえてきた話などもあったんですね。そうなると、またその話も続きとしてお話ししたいな・・・ということになって、けっきょくあっという間に続編の2巻を作ることになりました。そしてまた、今回そろそろ3巻を作り始めようかな~と思ったのも、同じような理由からです。

2巻の本を発行し終えたあとは画集を作ろうと思い立ち、しばらくそれに取り組んでいましたが、無事発行も終えて、自分でこんなふうにしたいな~と思い描いていたとおりの、なかなかかわいい画集になったんじゃないかな~と、うれしく思ってました。昔、絵本の挿し絵画家になりたいな~と思ってた私にとっては、ある意味では夢が叶ったみたいなことにもなったかな・・・という気分でもありました。高校の頃に漫研でみんなでオフセット印刷で作品集を作ったりした経験もあって、自分の描いた絵を出版物にする楽しさを知り、その後に自分で作った絵本を大手出版社に持ち込んでみたりもしましたが相手にされず(^^ゞ)、なかなかそれを仕事にするというのは簡単な道ではないな・・・と思ったわけですが、それならいつか自費出版で作ろうかな~と思ったものの、当時はそれには20万円位ものお金が必要と知り、これは社会人になってお金を稼いでからだな・・・なんて思っていったん保留してた・・・ということがありましたから・・・。これも、今は、大手の出版社を介さなくても、さらに多額の費用を用意しなくても自費出版のできる、電子書籍とPOD(プリントオンデマンド)というシステムが普及してくれたお陰だな~と、しみじみありがたく思っています。その間に、7年近く続けてきたブログのタイトルを変更することにしたりして、ミニ解説書を一部修正したり・・・と、こまこましたことをしてたらすっかり目が疲れてしまって、ちょっと休憩しよ・・・と、これまでに作った本とか、タロットの瞑想のことを書いてるノート・・・というかまぁこれは私にとっては日記みたいなものでもあるんですけど・・・を読み返したり・・・と、しばらくゆっくりしてました。

それで、いろいろ、ノートやヨアヴ博士の対談の記事などを読み返したり・・・とやっていたら、ふと「女教皇」のカードが目について、あ~そういえば、マルセイユタロットでは、この「女教皇」は本を開いて見せてくれてるよねと、そこがライダー版の「女教皇」とは違うとこだな~なんて・・・。それと、「女教皇」と対で扱われることの多い、「教皇(もしくは法王)」のカードともまた違うよね・・・と。こちらは、手に持っている小さな何かを見てるのか、またはまるでのぞきめがねみたいにそれを通して何かを見てるようにも見えたりして、「女教皇」とはまた全然違う雰囲気をかもし出してます。

私は、自分のカードが「戦車」と「力」(と「女教皇」)なんですが(*ただし、これについては計算のしかたにもいろいろな説があり、いくつかを比較検討した結果、自分なりに一番しっくりきた方法で選ぶと・・・ということなんですけど)、これまでの人生の中で、その年のカードとして「戦車」とか「力」のカードはけっこう頻繁に登場していて、自分でもすごく自分っぽいカードだなっていう気がしてたんですね。自分の願いはなんとしても叶えようとするような勢いや念の強さみたいなのがあったように思えて。でも、それがある時期から「戦車」や「力」のカードは登場しなくなって、それと並行するようになんだか「女教皇」的な感じにシフトしていったみたいにも思えてきて。ブログを始めたり、タロットの瞑想を始めたり、タロットを作ったり、本を書いたり・・・というように、自分自身の活動自体がそれまでとは変わってきた感じがするんですね。そしてそれが、本をどうぞと広げて見せてる「女教皇」の姿とも重なってきてるようにも感じて、やっぱり私のこれからやることはこういうことなんじゃないかな・・・なんて、またしみじみと思ったりして・・・。

これまで、タロットの瞑想の本は1巻・2巻と発行しましたけど、少しずつ売れてはいるものの、そんなにどんと売れているというわけではないんですね。ま~、私がそんなに著名なわけではないですし、タロットの瞑想というものも誰もがやりたいと思うようなものでもないですから、そうなるだろうな~と思ってましたけども・・・。でも、タロットの世界の人たちが私にいろいろと教えてくれたことを知りたいと思ってる人たちが少しでもいるのなら、やっぱりこれはそういう人たちに伝えるというのも、私の役目じゃないのかな~とも思うんですよね。それが現代風の「女教皇」なのかもしれないかな~と。

私の本作りということでいえば、2013年にタロットを制作して販売を開始したあとに、日本語で読みやすいマルセイユタロットの解説書がなかなかない・・・ということで、「じゃあまぁ、タロットと一緒に持ち歩きやすいコンパクトな本を1冊作ろうかな」という軽い気持ちで、本格的なマルセイユタロットの本の入り口になればと思って、それまでのタロットの会で使うために自分で作っていたテキストをもとに「mamanmiyukiタロットの世界」という本を作ったのがきっかけでした。そして、その本をアマゾンなどで販売するにはISBNコードを取らなきゃならないらしい・・・ということで、ISBN出版者記号を取得して、そんなに大げさなつもりもないまま出版活動をすることになりました。そのときにも本100冊分のコードが必要になるような規模には到底ならないだろうし・・・と思って、ま~10冊分のコードを取れたら十分だよね・・・と、申請手数料のあまりかからない小規模な出版者向けの登録をすることにしてましたし、本の冊数も、そんなにたくさん作らなくてもいいよねと、最初は40冊くらいしか作っていませんでした。

ところが、いざ本を発行してみると、これが自分の予想よりもずいぶん売れてびっくり。なので、最初は手製本で少しずつちまちま作ってたものの、これ以上の冊数を自分ひとりで手製本で作り続けるのはちょっと無理だな・・・ということになって、3刷りめからは、原稿は手書き原稿のままではありますが、ちゃんとした印刷と製本をしてくれる業者さんで印刷をお願いすることにしたんですね。その過程で、マルセイユタロットに興味はあっても、初心者向けの読みやすい本がないからという理由で使ってなかったという人が多かったんだな~と実感しました。なので、本を作ったことでマルセイユタロットを使ってみようという人が増えるんだとしたらそれもうれしいことだなと思いましたし、そうして、私のタロットを愛用してくれる人が増えてくれればいいんじゃないかな~と思い、その後もあちこちのショップさんでも取り扱いをしてもらったりしながら、増刷をしていくことになりました。

そしてその後、タロットの瞑想のことを書いた本も出したら?・・・という話もあって、それじゃあタロットの会に来られない方向けに書いてもいいかな・・・と思い始めました。でも、もうそんなに家の中に本の在庫を抱える余裕もないですし(なんといってもタロットのほうの在庫が積み上がってますから・・・(^^ゞ)、そこで電子書籍とPOD(プリントオンデマンド)の方式で作れば、キンドルなどを使う人なら電子版、紙の本のほうがいいという人ならPOD版で注文してからその分だけ印刷、というふうにできる便利なシステムがあると知って、それなら私のほうも在庫を抱える必要もないし、まとまった資金を用意しなくても本作りができるということで、これなら私でもできそうだと、新しく本を作ることにしました。すると、電子書籍と紙の本は、内容が同じでも形式が違うので、別々の本としてISBNコードを付与しなければならないということになっていて、毎回2つずつのコードを使うことになり、最初は10冊なんて到底使い切らないだろう・・・と思ってたのに、あっという間に10冊を作り終えてしまいそう・・・ということになりました。まさかこんなことになろうとは・・・という感じですが、今後続編を出すときには、少し費用を追加して10冊ずつ追加申請をしていこうかなと思ってます。それでもあと30冊くらいまでは、この方式のほうが負担も少ないので、ま~さすがに生涯で40冊も本を書くなんてことにはならないだろう・・・な~んて思ってますが・・・。

話を伝える・・・ということだけを考えれば、以前のようにブログだけでもいいんじゃないかと思われる方もいらっしゃると思うんですが、長くブログを続けてみて感じたこととして、やっぱり個人のブログにたどりつく方は限られてるっていうのが実感でしたし、ブログは何かの理由で閉鎖してしまえばそれでもう読めなくなってしまいます。でも、あまり高額でない書籍という形で発行しておけば、いろんな形で人目に触れることになるでしょうし、私が直接管理できなくなっても、本はいつまでも図書館や本屋さんに残ることになり、何かの形でブログよりは長く残していけるんじゃないかと、そうすればタロットの世界のことを知りたいと思っている人がこの話に出会うきっかけもちょっとは増えるかもしれないですし、その内容も少しは多くの人に読んでもらえるんではないかな~と、そんなふうに思うんですね。

そんなわけで、今回からは、2巻と同じように、漫画の単行本みたいな感じで、少し書くことがまとまった時点で1冊ずつ追加のお話の本を出していこうかな~ということにしました。タロットの会に参加しやすい方は実際にタロットの会で直接お話ししたほうが細かいニュアンスも伝わりやすいですし、やっぱり本に書いて公開できないお話もあったりしますので、タロットの会と同じ内容をそっくりそのまま全部、本だけでお伝えするということは難しいとしても、それでも、いろんな理由で直接お会いできない方にも、タロットの世界のことをもっと身近に感じてもらうことができればいいんじゃないかな~と、そんなふうに思って、なるべくタロットの会のお話の雰囲気が出せるように工夫しながら、この本はこれからも定期的にシリーズ化して出していこうかなと思っています。
では、今回の本でもまた、お茶でもしながらゆったりと、タロットの世界の旅をお楽しみください。


mamanmiyuki

 目 次


はじめに


*タロットの瞑想のこと*


*「タロットの会へようこそ」の2巻ができて*
*2人で渡る*
*小アルカナの人たち*
*貨幣(コイン)の従者*
*タロットの画集を作ろう*


*プログラミングも再び*
*水たまりは池?
*お座敷のふすまの向こう*
*現代風の女教皇*


*タロットを寄贈*
*次の本*
*曖昧な人形*
*画集もデッキ?*


あとがき


*書籍・商品のご案内*


mamanmiyuki(ママンミユキ)


*タロットの瞑想のこと*

私のタロットカードや本の中に表現したタロットの世界は、タロットの瞑想や夢の中で見聞きしたり、タロットの世界の人たちから教えてもらったりしたことがもとになっています。(ときには、日常の中で急にメッセージが飛び込んでくることもあります。)いきなり「タロットの瞑想」と言われても、なんのことやら・・・という方もいらっしゃるかもしれませんので、タロットの瞑想について少し触れておきたいと思います。

『タロットカードというと、占いに使うものというイメージが強いですが、タロットカードの神秘的な美しさは、占いによるメッセージだけでなく、私たちの直感的な能力を目覚めさせるような刺激を与えてくれます。そのため、タロットカードと接することによって、人の世界と心の世界を結びつけて、これまで閉じられていた心の中の扉を開くことができるでしょう。夢の世界の扉を開くといったほうがわかりやすいでしょうか。また、芸術的な活動で創造力を刺激したり、隠れた能力を活性化させるともいわれています。タロットカードを占いだけでなく私たちの心の世界の入り口として使うためのひとつの方法が、タロットの瞑想といわれるものです。瞑想・・・というと、なんだか難かしそうな感じがするかもしれませんが、タロットの瞑想は、何か特別な修行のようなことをするというよりも、「自分の感覚を研(と)ぎ澄ますもの」といったほうがいいかもしれません。私がタロットカードを作ったのもタロットの瞑想がきっかけでしたし、タロットカードと親しくなるためにもとてもよい方法です。タロットカードのデッキと静かな場所があれば誰にでもできますので、ぜひ一度取り組んでみることをおすすめします。使うタロットカードの種類は、手持ちのデッキのどれでもかまいませんが、なるべく自分の一番のお気に入りのものにしたほうがいいでしょう。』

     ー「タロットの会へようこそ~タロットの瞑想とタロット制作のお話~」よりー





タロットの瞑想については、電子書籍や紙の本「タロットの会へようこそ~タロットの瞑想とタロット制作のお話~」の中に、付録として、タロットの瞑想についての説明とその手順を掲載しています。まだお読みになっていない方はそちらをご覧いただいたり、アルフレッド・ダグラス著の「タロット」という本をお読みいただくのもいいかと思います。また「DVD講座/タロットの瞑想編」では映像も交えて解説をしています。もう少し詳しく話を聞いてみたいという場合は、タロットの会をお申込みいただければ、直接お会いしたり、スカイプなどを使ってお話しすることもできます。
詳しくは、ホームページ「mamanmiyukiの小部屋」をご覧ください。

ホームページ「mamanmiyukiの小部屋」
http://yff03170.wix.com/mamanmiyuki



*「タロットの会へようこそ」の2巻ができて*

前回の2巻では、タロットの2刷りを作り終えてしばらくのんびりしながら過ごしていた期間にいろいろ考えたことや、新年の初夢のことのあたりまでお話ししました。急に2巻を作ろう!と思い立ってからは一気に1週間くらいで書き上げた感じでしたが、1巻のときより短い間に仕上げられたのは、電子書籍作りも2冊めということで、だいぶ慣れてきたっていうこともありましたし、1巻を書き終わってからまだそんなに時間がたっていなかったということで、まとめるのに時間がかからなかったということもありました。もともとは、2巻はまだもうしばらくしてから作ろうかと、1巻と同じくらいのページ数になるまで待ってからにしようかな~とも思ってました。でも、それだと完成は数年後ってことになってしまいそうで、やっぱりタロット作りが一段落したところまでは書き上げておきたいな・・・という気持ちが強かったし、1巻を読んだ方に続きも早く読んでもらいたいなという気持ちもありました。なので、少し本のボリュームとしては少なくなりますけど、今後はページの少なめな本を定期的に出していくってことにしてもいいかな・・・と思いはじめて、1巻の3分の1の厚さの本でとりあえず1冊仕上げることにしたんですね。まぁなんていうか、自分としては漫画の単行本みたいな感じで出していけばいいんじゃないかと、そんなふうに思ったわけです。

すると書いている間ももちろん、おおよそ書き終わったところでもその文章を何度も読み返してチェックして・・・ということになるので、また前回同様、そこに書いたタロットの瞑想のことなどを順番にたどるような形にもなりました。そして文章を考えてる合間に1巻の本のほうも読み返したりしていたら、ある日、目の前に表彰状が浮かんできたんですね。それと一緒に「あなたは心の通ったタロットを作りました」という文言も浮かんで聞こえてきて、「ん?」と、最初は何のことかと思いましたが、「あ~、これはタロットの人の声だな・・・」と。そのときはいろいろやりかけてることがあったので、とりあえずノートに忘れないようにメモだけはしておいたんですが、後からゆっくり思い出してみると、どうやら、タロットの人たちが感謝状をくれたみたいでした。タロットを作ろうと思ったときに、「もっときれいに描いてよねっ!」とか言われたっていう話は、1巻のほうに書きましたが、ようやく修正を加えた2刷りのタロットを作り終えたということで、タロットの人たちもタロットが完成したことを喜んでくれたんだなと、しみじみうれしく思いましたし、なんだかタロットの人たちからの応援のメッセージのようにも思えました。2刷りのタロットの納品の朝に見た「由緒正しい布おむつ」の夢と合わせて、「(あなたの)タロットは、そんなにすぐに世間から大きく取り上げられたりはしないけど、それでも私たちはわかってるよ・・・」と励ましてくれてたのかもしれないな~と、なんだかほろりとした気分でした。
2刷りのタロットを作るときは、何枚かのカードに修正を加えていて、最後の最後に、ずっと気になっていたカップの女王の顔がやっと「これだ!」と気に入って、あ~やっとタロットが完成したなっていう気分だったんですね。しかもその修正をしてるときに、1か所、カップの女王が持ってるカップのふたのてっぺんの小さいつまみのような部分に赤い色を入れ忘れていたのにも気づいて、そこも赤く塗って、やっとこれでほんとにタロットが完成したってことなのかもしれないなっていう気がしたというのもあったんですね。このことは、スタンダード版のために修正したときには気づいていなかったので、もしかしたらあのとき、カップの女王が変身できないまま印刷されることになってしまったのは、それがまだ解決してなかったせいだったのかもしれない・・・と、やっぱりタロット作りには、自分だけではない、何か他の力が働いてるのかもしれないということを感じることにもつながりました。

そして、文章のチェックも一通り終えて電子書籍を発行できて、やれやれ~と思っていたら、ちょうどヨアヴ博士の追悼ということで、2012年に対談をされていたときの内容を翻訳してアップしていただいてたのを、ツイッターで見つけたのでさっそく読んで。・・・*この話の詳しい内容は、夢然堂さんのブログの「ヨアヴ・ベン・ドヴ博士とエンリケ・エンリケス氏との対話(翻訳)」をご覧ください。・・・そこでは、ヨアヴ博士がCBDタロットを作ったときの話などがいろいろ出てきて、とても興味深いものだったんですね。タロットの研究家というだけでなく、やっぱりタロットを制作した人ならではのお話が聞けてすごく共感できるものだったんです。私が本に書いた内容と通じる部分もあって、「そうそう、そうだよね!」な~んて(ちょっとおこがましいですけど(^^ゞ)、まるで私もその対談に参加してるような気分になって・・・。ちょうど本ができあがったときにその話が読めたというのもなんだかすごくタイムリーな感じがしました。

その対談の中で特に興味深かったのは、タロット制作の過程の話でした。タロットをプレゼントしてヨアヴ博士からお礼のメールをいただいたときに、ミユキさんの手描きの技術の高さに驚いた・・・というようなお話があったんですが、それはヨアヴ博士やそのまわりの方たちなど、あまり絵を描かないような人と比べたら・・・というようなニュアンスかと思っていました。でも、対談をよく読むと、実はCBDタロットを制作したときにはプロのイラストレーターの人を雇って、その人がニコラ・コンヴェル版をトレースしてそれをスキャンしていたのだというお話が書かれていて、そうだったのか・・・と、いろいろ考えたんですね。私はてっきりCGで描いたものだと思っていたんですがそうではなくて、枠はCGで描かれてますが、絵のほうは少なくとも線画の段階では私が制作したときと同じような工程で作られていたのだと知って、だとしたら、この仕上がりの雰囲気の違いはどこからきてるのか・・・と。以前にヨアヴ博士に言われたときには、私の絵の手描きの技術といってもそんなに特別高い技術だというわけではないと思うのに・・・と思ったりしたんですが、今回のこの話を読んで、なるほど・・・といろいろ考えました。そこが、タロットが好きで自分で作りたいと思った私の絵と、お金で雇われて仕事として描いたイラストレーターの絵との違いなのかもしれないな~と、単に技術的な問題だけではないのかもと、全然知らない他人が似顔絵を描くのと、よく知ってる友達や家族が描くのとの違いと同じようなことがいえるんじゃないかと、そんな気がしたんですね。私が描くタロットの絵には親しみとか愛着が自然と込められてるんじゃないかと。

それと、ヨアヴ博士の雇ったイラストレーターの人は、ヨアヴ博士の指示のもとでニコラ・コンヴェル版に忠実にトレースした・・・ということも関わってるのかもしれないとも感じました。私もピエール・マドニエ版をもとにタロットを作ったわけですから、まったくのオリジナルの絵のタロットを作ったわけではありません。でも、作るにあたっては、ただなぞって描いたのではなく、見本にしながらも絵は自分で描いたんですね。それはやっぱり自分で描かなければ線が死んでしまうような気がして、生き生きとしたタロットにならないんじゃないかと思っていたからです。実は、タロットの制作を始めるまでの間に、自分のタロットの会でテキストの挿し絵として使うために、いくつかのタロットの絵を模写して使っていた時期がありました。ですからタロットの線画ということだと、カモワンタロットやニコラ・コンヴェル版などを写し取った絵は、大アルカナだけではありましたが、何度も描いていたんですね。でもそれは、やっぱりあくまでもトレースした絵であって、生き生きとしたものではなかったんですね。だからこそ、自分で描いたタロットを作りたいという気持ちが強くなったのかもしれません。
例えていうなら、お習字を書くとき、お手本の字は隣に置いて見て書きますが、お手本の上に半紙を置いてなぞり書きをするようなことはありませんよね。それぞれの人がお手本は見ながらも自分の筆跡で伸び伸びと書いていく・・・というのが書道だと思うんです。それと同じことがタロットのリメイクということでもいえるんではないかと。だから、やっぱり、CBDタロット制作のときのイラストレーターの人は、忠実にトレースしなくては・・・ということで委縮してしまって伸び伸びと描けなかったんじゃないかと、だからなんだか、CGで描いた絵のように見えてしまったんじゃないのかな・・・という感じがして、それが私の絵との違いになったのかもしれない・・・とあらためて思いました。

*2人で渡る*

前に書いた本にも、タロットを作っているときに「2人で渡らなくちゃならない」という声がしたという話は書いてましたが、そのこともまたいろいろ考えていました。最初に聞こえてきたときに、「(あっちの世界へ)渡る」ということで、これはタロットの瞑想のことを言ってるんじゃないかな~と思ってたんですね。そしてタロットはその渡るための舟なのかもしれないと。それは、まだタロットの瞑想をやったことのない人は、私の話を聞くことで、旅行ガイドと一緒にいく旅行とか、渡し舟で向こう岸に運んでもらうみたいな感じで、タロットの瞑想を試すことができるって意味なのかなとかそんなふうに思ってました。でもふと、もしかしたら、私のほうも誰かと一緒に2人でやったほうがいいよっていう意味合いもあるのかも・・・という気がしてきたんですね。それは、タロットの会で参加者の人とタロットの話をすることは、私のほうも、そういう時間を作ることで日常のことから離れてタロットの世界に行く時間を作ることになるんじゃないかと、それと、一緒に行く人のために説明をしながら・・・という感じになるので、他の人にタロットの世界のことをわかりやすくするようにとさらに注意深く観察し、状況を説明しながら進んでいくってことにもなってるかもしれないと思ったんですね。1人で短い時間に気づけることには限りがありますけど、誰かと話をしながら進むことで、そこに違う人の視点が入って、短い時間の中でもより多くのことに気づくきっかけになるのかもしれないな~と。

タロットの世界の新しい秘密がもっと知りたい・・・と夢中になってた時期は、私も家事などはそっちのけで毎日タロットの瞑想の時間を作ったりしてましたが、タロットを作りはじめてからはだんだんと日々の作業に追われて、そういうふうに過ごす時間は少なくなっていきました。でも、タロットの会では、とにかくタロットのことばっかりお話できる時間を確保できるんですよね。だから私もすごく楽しいわけですが、そうすると、話が弾んで、話しているうちにさらにその話が盛り上がって、あ~そういうことか!というふうになることもあったりして、自分1人だと当たり前のこととしてさっと通り過ぎてしまうことも、さらに詳しく説明しようとすることで、また掘り下げて観察することになるとかいうこともあるかな~と。一度訪れたことのある場所も、何度行ってもまだまだ新たな発見があるみたいな。

それと、さらに本を書くということもそれと同じようなことがいえるんじゃないかと、近頃思うようになったんですね。以前も、ブログを書いてるときには読者の人を思い浮かべながらその人に話しかけるように書いてたんですけど、それも話題がタロットのことだとタロットの会と同じような感じになるな~と思ってました。それが、タロットの瞑想の本の原稿を書くようになってからは、本ができあがったときに読むだろう人たちを思い浮かべながら、その人に向けてしゃべってる感じで文章を書いていってるようなところがあって、これもまた、読者の人と一緒に瞑想してるということにもなってるのかもな~と思ったんですね。

それからさらにもうひとつ、ツイッターでのやりとりでも同じようなことがいえるんじゃないかと思ったりしています。ツイッターは、自分がまだガラケーのままだということもあって、以前からたびたび他の人のツイートの内容を読んだりはしていましたが、なかなか自分でもやってみようというとこまではいってませんでした。それでも、タロットを発売したあと、旦那の知り合いの先生がツイッターで「奥さんがタロットを作ったらしい・・・」などと情報を発信してくださったのがきっかけになって、タロットを注文していただいたり、ピエール・マドニエ版の復刻の火付け役になった方との交流につながったりしましたし、タロットの紹介動画を作るようになってその宣伝ができればということもあったりして、自分でもパソコンのほうでやってみることにしたんですね。すると、タロットや絵を描いたりという共通の話題からいろんな方との交流が生まれたりして、とても楽しく有意義なので、すっかり今ではツイッターのない生活は考えられないくらい毎日の暮らしに溶け込みました。
それで、そのツイッターでは、タロットや本の新作の発売の情報なんかも飛び込んできたりもしますし、興味深い画像が紹介されてることがあって、「おお~っ!」と感激したり、読んだ本についてあーだこーだと感想をつぶやいたり・・・みたいなこともあったりして、そういう中で、すごく話が膨らむこともあるんですね。ツイッターで得た情報をタロットの会で紹介して、そのことについていろいろ話が盛り上がることもあったりしますし。前の本に書いた「愚者はなんでこっち向き?」みたいな話があれこれ弾んだときには、そのことがきっかけで、また愚者のことをあらためて考えたりしてたらそのあとやっと愚者から答えが聞けた・・・というようなこともあったりして、そう考えると、ツイッターでの交流もまた、「2人で渡る」ということにつながってるのかもしれないな・・・と、これもまた興味深いことだな~と思っています。

これらのことは、以前に「ヒカルの碁」の中で出てきた(またまたアニメネタですみませんが)、「名局は1人では作れない、2人の優れた棋士がいて初めて名局が生まれる」みたいな話にも通じるような・・・。対談番組なんかでも、ゲストの話をうまく引き出す聞き役がいてこそ話が膨らんで楽しい対談になるみたいなとこがありますよね。なので、タロットの会や本作りなども、2人で渡ること・・・つまりタロットの瞑想につながってるのかもしれない・・・と、だから自分1人でひっそりと瞑想してたときよりもさらに、次々とまたいろんなことを新しく聞かせてもらえたり、教えてもらえたりするのかもしれないな~と思うんですね。タロットの会に一番最初のころから参加してる方との会も毎回いろんな話ができてすごく有意義な時間になっていて、ひとりで瞑想しているときに気づいたことだけでなく、そのタロットの会で話したことも「タロットの会へようこそ」のお話の中でだいぶ登場したりしますし、ひとくちにタロットの瞑想といってもいろんな形があるんじゃないかなと、そんなこともしみじみ思っています。

この「2人で渡らなくちゃならない」という言葉は、タロットを作りはじめたころに聞こえた言葉だったんですが、それは、タロットの人が、もっとタロットの世界のことを知りたいなら、これからは1人で瞑想するんじゃなくて、誰か他の人と2人で渡る・・・つまり、誰かにタロットの世界の話をしたりすることによって、2人でタロットの瞑想をしなきゃならないんだよということを知らせたかったのかもしれないな~と、そんなふうに思ったりしています。

*小アルカナの人たち*

それから、杖の女王の持ち物が舟のオールみたいだっていう話も前の本に少し書いてましたが、そのこともまた考えてました。杖は杖でも水の中をすすむ舟の舵をとるオールだとすると、やっぱり水にも関係が深いのかも・・・みたいなことを思ってたんですが、そうすると、王のほうは?というのがふと気になってきました。この杖の王のほうの杖がまたちょっと変わった形をしてるんですよね。自然の木の棒とは明らかに違って、すごく細工を施された人工物っていう感じで。しかも先っぽが針みたいに尖っています。なので、これもなんだろうな~とずっと気にかけていました。そしたら、ある日それがふと時計の針みたいに見えてきて、それと、指揮棒にも見えてきました。どちらにしても何かを指し示すものっていう感じがして、やっぱり杖の王は指揮官って感じじゃないかな~と。それとインクにつけて書くガラスペンにも似てる感じ。それだと指示書とかを書くっていう感じもします。でも、もし字を書くならインクが必要です。それに指示棒だとしても、すでに書かれた指示書がないと指し示すことはできないし、そうなると、やはりひとりで全部のことを完結させることはできないっていう感じがします。そう考えると、この杖の女王も、杖の王も、「杖」というひとつのスートを示していながらも、それ単独では機能できないって感じがしてきます。

そしてさらに、じゃあ、剣の王は?と連想ゲームのように次々と想像が広がっていって・・・。剣の王のカードをよくよく見てみると、剣の女王がいつでもすぐに剣を抜けるように臨戦態勢みたいな感じなのに対して、ぜ~んぜん剣のほうは見ていなくてよそ見してるかのような感じ。で、もう一方の手には短い棒のようなものを持っています。これも見ようによっては指揮棒のようにも見えて、けっきょく剣の王は、剣は持ってるけどめったに使わなくて、普段は指示を出すだけみたいな、これもやっぱり指揮官ってことじゃないかな~と。ま~戦いの集団の中では指揮官が自ら動いていては全体のまとまりがなくなってしまいますから、それも当然かな・・・っていう気もしますけど・・・。それはそうと、この剣の王や女王についても、そういえば前から思ってたこともあって。それは、剣の収まってる「鞘(さや)」のことです。剣のスートの人物の持ってる剣は、(他のタロットではまた若干違うものもありますけど)、私がデザインのベースにしたピエール・マドニエ版やニコラ・コンヴェル版などでは、従者の剣は鞘から出ていて剣がむき出しの状態になってますが、王・女王・騎士の持ってる剣は鞘に収まった状態になっています。この状態だと、木刀みたいな状態ともいえるかな~と思うんですね。つまり、杖と似たような姿で、そういう使い方もできるんじゃないかと。それと、従者は鞘から抜いた剣を持っていて、剣と杖の2つを持ってるともいえるような。だから、ここでも剣というスートでありながら、杖の要素もあるんじゃないかな~と、そんなふうにも思えて。

そう考えると、カップの女王やコインの女王も、もう片方の手に杖も持っていますから、これもひとつのスートだけじゃないという感じにも見えてきます。
・・・という感じで、少し前にヨアヴ博士のオープンリーディングをやってみたことも刺激になったのか、さらに小アルカナのことにも興味がわいてきたかな~なんて思ったり、これからもまだまだ小アルカナでも発見がありそうでわくわくしてきました。

*貨幣(コイン)の従者*

2巻の本の電子書籍ができたあとは、POD(プリントオンデマンド)版のほうが手元に届くまでにはまだもうちょっと時間がかかるので、それまでの間はぎりぎりまで誤字脱字がないかチェックしておこう・・・と思って、自分のパソコンのテキストのほうを紙にプリントして読み返していました。そして、初夢に出てきた水たまりの話のあたりで、「もしかしてこの水たまりの中に何かがあるとか?」と思ったら、「あれ?もしかしてコインの従者って水の中に立ってなかったっけ?」と気になってきて、もう一度カードの絵を確かめてみたら、やっぱり!水の中に立ってました。そんなに深いわけではなく浅い川とか水たまりとか湿地に立ってるような感じに見えます。そして水たまりの中からコインを1つ拾いあげた感じ。前は水の中というのはあまり気に留めていなかったんですけど、これは水の中に沈んじゃってた大事な宝物を見つけて拾いあげたって感じじゃないのかな~と思いました。

貨幣(コイン)の従者

このコインの従者に描かれてるコインの真ん中には、ピエール・マドニエ版では赤い色は塗られていないんですね。他のマルセイユタロットでは、王や女王・騎士のカードと同じように真ん中の小さな丸の中も赤く塗られているんですけど、これは塗り忘れじゃなくわざと塗ってないんじゃないかな~という気がして、私のタロットも赤は入れずに仕上げてました。まるでダルマさんの目が入ってないみたいなのと同じような感じなのかもっていう気がしていたんですね。だから磨いてない宝石の原石を拾いあげてこれから磨くみたいな感じがしてたんですけど、それが水の中にあったんだな~とあらためて思って。前は、コインの従者は、忘れられて埋もれてたタロットの秘密を見つけ出して拾いあげて磨いてまた使えるものにするんじゃないかなって思ってたんですけど、また、「やっぱりか!」と再確認した感じでした。



  タチヨミ版はここまでとなります。


タロットの会へようこそ
~タロットの瞑想やタロット制作のお話~③

2017年3月18日 発行 初版

著  者:mamanmiyuki
発  行:Office隈本
〒289-1212 千葉県山武市木原738-52
      ℡ 0475-89-1962

(POD版 ISBN 978-4-9907626-8-1 C2076)

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タロットの会へようこそ
~タロットの瞑想やタロット制作のお話~③

著者名 mamanmiyuki

発行所 Office隈本


データ本 ISBN 978-4-9907626-7-4 C2076

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