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寝苦しい真夏の朝方、ウトウトとしていると携帯電話が鳴った。私が町会長を引き受けてから、携帯電話にかかる電話は住民の相談と相場が決まっていた。
「町会長さん、タヌキか何か分からんけど家の防犯カメラに映っとるんや」
電話の主は、町内で三代にわたり質屋を営んでいる古くからの住人だった。都会の真ん中の防犯カメラにタヌキが映るなんてと半信半疑で駆け付け、映像を確認する。
「今回だけやないんや。ここ数日、夜中の時間に映っとるんや。何とかしてや」
何とかせよと言われてもと思いつつ、私は映像に見入る。体長は二十センチほど、成程タヌキに似ているが尻尾が長く黒い横縞がはいっている。
「タヌキやない。アライグマみたいや」
「アライグマ、そんなもん、町中におるんかいな。外国の動物やろ」
「外来種と言うて、いろんな生き物が日本に入り込んでいるから」
「何とかしてな、町会長はん。気味が悪いしカメラに映る度に警報が鳴りよるねん」
「関係機関に相談しますわ」 「関係機関って?」
「防犯カメラに映ってた怪しい影やから、交番所に行ってみます」
私は一旦、自宅に戻りアライグマについて基礎知識を仕入れてから交番所に向かった。
付け焼刃の情報では、アライグマは捕獲・撲滅の運命にあるらしい。気の進まないことで、今日一日過ごすことになるようだ。
「誰かケガでもしたんですか?」交番所では、先日交通安全運動の折、大通りで一緒にビラ配りをした若い巡査が当惑気味に問いかけた。「いや、いまのところはないんやけど」
「被害があれば、直ぐ調査しますが、そんな届出もないし」 「じゃあ、どうすれば?」
「はっきりとアライグマやと判明したら、保健所に頼んで、外来生物法に基づく有害駆除の捕獲いうのがあるから」 「捕まえてくれるんですか? 保健所が」
「ええ、後は殺処分してくれます」
終戦後の野犬狩りを思い出して、私は気分が悪くなった。
質屋に取って返し、防犯カメラの映像を写真にしてもらうことにした。写真が出来たところで正午になった。にわかに子ども達の声が聞こえ出した。
給食の時間かと思い、質屋の裏が小学校だったことに気がついた。校長は、去年の防災訓練で顔見知りになっている。一言伝えておいても良いかと校門をくぐった。
「アライグマは、夜行性なんで子供達が危ないなんてことはないと思いますよ」
軽い気持ちで話し出すと、校長は血相をかえて、
「いや、今の小学生は大抵、塾に通っているんですよ。子供だから夜、外出しないなんてことはない。直ぐ父兄たちに文書で通知しないと」と言い出した。
「町会長さん、住民の皆さんにはどうされるんです?」 逆に質問され私は大いに慌てた。
「いや、回覧板を回して周知するのも大げさかと」 「事故があってからだと遅いんですよ」
「ええ、まあ。見たところアライグマの子供のようやし、普通は、人を襲うこともないみたいやし」
私の回答は歯切れが悪い。多分に頭の中には、このアライグマはペットとして飼われていて、心無い飼い主からおっぽりだされたのではとのストーリーができていた。
「学校としては、職員会議で先生方に説明して早急に対処します」
校長の対応に、小学校で児童が周知ビラを持ち帰るなら、町会も回覧板を回すことになるなと、回覧文の文案を考えながら校門を出ると雨が降り出した。
急いで学校近くの地下鉄駅に駆け込んだ。保健所は、地下鉄で一駅目近くにある。保健所に着くと、胸ポケットに入れた写真を確かめ自動扉の前に立った。
保健所と区役所は併設されている。私は、保健所と区役所の担当者を前に、改めてアライグマの一件を説明した。写真を手にした保健所の職員は、
「間違いなくアライグマです。箱わなで捕獲しましょう」と事もなげに言った。
「まだ、子供のようやけど」 「直ぐ成獣になりますよ。アライグマは幼少期は人に懐いて、ほら、何ですかアニメにもあった」 「ラスカルでっか」 「そう、そのラスカルのように可愛いですが、成獣になると気性が荒くなって、人を襲う危険もありますから」 「それじゃあ」 「保健所の方で箱わなの準備にかかります」 「いつ頃?」
「明日にでも、わなの設置場所について相談しましょう。私有地だと、地主の許可もいりますし」
どんどんとアライグマ捕獲作戦が進行する中で、当のアライグマは今頃どうしているのだろうかと考え、なぜか気鬱になってしまった。アライグマの寿命は十年そこそこらしい。その命を、寿命八十年の人間が奪い続けている。
「区役所もホームページで情報を流しますので、町会長さんも地域への周知をお願いしますね」 区役所の職員が念押しした。
保健所を出ると雨脚が早くなっていた。仕方なく区役所の売店でビニール傘を買い家路に着いた。雨は夜半まで降っていた。
翌朝、妻と二人で朝食を取っていると、校長から電話が入った。
「町会長さん、グランドにアライグマの足跡がついてるんです。小学校のどこかに隠れているんじゃあないですかね」
「保健所と捕獲の相談はすんでるんで、じゃあ箱わなは、小学校に設置してもらうことでいいですか」
わなと聞いて、妻は顔をしかめた。昨年、長年飼っていたトイプードルを亡くして、一時、気が抜けたようになっていた妻にしてみれば、生き物を殺すなんてと思ったのだろう。
柱時計に目をやった。七時三十分、保健所に連絡するにはまだ小一時間あった。
中途半端に朝食をすませると、私は町会の総務部長に電話した。
「昨日のアライグマの回覧文書、今日中に回覧できるよう回してくれませんか」
「今から各班長に連絡してみますけど」
まだ現役会社員の総務部長には、朝一番の連絡依頼は申し訳ないと思いながら通話を終えた。夕刻、児童達が下校を終えた頃、保健所の職員が箱わなを持ち込んだ。
「アライグマは雑食なんで、何でも食べるんですが、生きの良いエサを持って来ましたよ」
エサはスナック菓子とあげパンだった。質屋との境界に近い体育館の裏に、わなを仕掛けた。 夜間は自動警備になる。異常があれば警備員が駆け付ける。
設置を終え、職員に礼を述べ、安心したような顔の校長に挨拶すると、私は学校を出た。
(明日には、わなにかかるのだろうか) 対応が円滑に進んでいながら何故か割り切れない思いが心を重くした。この二日間でどっと疲れを感じた。喜びの無い仕事のように思えた。
アライグマはべつに日本に来たかったわけではないだろう。勝手に人間が持ち込んで、勝手に放置しただけだ。日本で遺伝子の構造が変わったので、アメリカに逆輸送することもできない。 田畑を荒らすため撲滅される運命にあるという。理屈は分かる。しかしまだ、被害も出ていない段階で、校長の言によれば被害が出てからでは遅いということになるが、捕獲に躍起になり殺処分を急ぐ必要があるのかと私は思った。
校門を出ると、店舗の前に立つ質屋の主人と目が合った。
「町会長、ご苦労さん。回覧が回ってきたわ」
「今、小学校に箱わなを仕掛けてもらったんで一両日中には解決しますよ」
私は、主人の不安を労うように笑顔を向けた。
「おおきに。あんたが町会長をやってくれてるお蔭で、事が早う収まるわ。みんな、喜んでるわ」 「そんな、これからもよろしくお願いします」
卒なく挨拶を交わし、自宅に向かった。
「町会長さん、こんにちは」 近所の主婦が、自転車の前後に子供を乗せて通り過ぎて行く。
「お母ちゃん、いつ、動物園、連れて行ってくれるん?」
子どもの声を背後で聞きながら、私はハタと立ち止まった。携帯電話を取り出すと妻に電話する。
「あっ、僕や。これから動物園に行ってくるんで、また、電話するから。夕飯、ちょっと待っててくれるか」
私の思いを察したのか妻の声は明るかった。私は踵を返すと地下鉄駅に向かった。動物園は、保健所とは逆方向の二駅目の近くにある。地下鉄の改札を抜ける。これこそが町会長の仕事だと思う気持ちが私の足取りを軽くしていた。
(完)
(第九回ノースアジア大学文学賞・短編の部・奨励賞受賞作品)
下の子ともが小学校四年になった時から、私は阿倍野にある銀行の支店でパートをしていた。
三年後、上本町支店に転勤になったが、顧客の家を回り定期の延長手続きや投信を勧めるという仕事の内容には変わりがなかった。もっとも、金融商品を買おうという客がいても、ファイナンシャル追うランナーと呼ばれる個人営業担当の行員に取り次ぐだけで、商品知識は乏しかった。
勤務時間は四時までで、すぐに帰れば五時に家に着く。ところが十一月十日火曜日は違った。支店を出ようとした時、急に阿倍野支店まで書類を届けるように頼まれた。同じ女性であっても、二十代の行員には、パート社員が家に帰ってから主婦としてどれだけ忙しい思いをしているか全然分かっていないらしい。
十一月になれば日が短い。五時までに帰れば、明るいうちに洗濯物を取り入れられる。そして、夕食の支度の前にちょっとテレビを見たり、新聞を読んだりしながら、コーヒーを飲む時間もある。それが、帰宅が六時前になってしまうと、日がすっかり暮れていて、洗濯物は湿っているし、日没が早いので学校のクラブ活動が終了する時間も早く、子供たちがお腹を空かせて六時過ぎには帰宅する。
そうなると、私は家に帰るとすぐ、まったく座る間もなく、夕食の支度にとりかからなければならない。五時から六時の一時間は主婦にとって貴重な時間なのだ。
私は若い女子行員に少し不機嫌に見えたのだろう。彼女は、「あ、交通費は後で請求してくださいね」と言った。もちろん、私は地下鉄の一区間の交通費のことで不機嫌になっているわけではなかった。上本町支店から、私の住んでいる生駒までは近鉄で二十分ほどた。それが阿倍野支店に回るとなると、帰りはJR環状線と近鉄の乗り継ぎとなって、一時間以上かかる。しかし、パートの身分で正社員には逆らえない。
私は仕方なく上本町六丁目から谷町線の谷町九丁目駅まで歩いた。谷町九丁目の駅は古くて薄暗い。そのホームの三人掛けのベンチの右端には中年の女性が座り真ん中の席にスーパーの袋を置いていた。私は左端に座った。普段、私は地下鉄の駅のベンチに座ることはない。電車を待つ時間が短いし、ベンチの座り心地もいいとは言えないからだ。しかし、その日は一日の仕事がやっと終わったと思った時に、余分な仕事まで頼まれ、何となく疲れた気分だった。
ベンチの右端に座っている女性を、見るともなく見ていると、最初の印象よりかなり高齢らしいとわかった。私よりかなり年配のようで、着古した薄手のこげ茶色のコートに黒のズボンを履き、化粧もせず、白髪交じりの髪を短くカットしていて、パーマもかけていなかった。黒い合成皮革の靴が一部擦り切れ、裏の布地がのぞいていた。小柄でやせていて骨のすぐ上に皮膚がのっているようで、年齢はよく分からなかった。
脂肪がたくさんついているタイプの人なら、顔の肉のたるみ方や輪郭の崩れ具合で年齢がだいたい推測できるのだが、その人のように皮下脂肪が少ないタイプの年齢は分かりにくい。多分、若い頃から老け顔で、その代わりに年を取ってもあまり変化しないのだろう。全体に貧相で疲れているという印象で、若々しさはかけらもなかった。もしかしたら、今の自分も、こんな様子をしているのではないかと思い、暗い気持ちになった。
ベンチの真ん中に置かれたスーパーの袋に目をやると、袋が五センチほど裂けて豆腐のパックの角が出ていた。私もたまに失敗するが、豆腐のパックをポリエチレンの袋に入れる時、袋の一部が裂けてしまうことがある。この女性が歩いているうちに袋の裂け目が広がったら、中の物が落ちて散らばり、とても困るだろうと思った。
私は、自分が持っていた銀行の書類の入った紙袋の中身をトートバッグに移し替えて、紙袋をその女性に差し出し、「そのスーパーの袋、破れかけていますよ。よかったら、その袋をこの紙袋にいれて二重になさったら?」と言った。
その女性は非常に驚いた表情で答えた。
「やあ、ほんまやねえ。ありがとうございます」
そして、私の紙袋を受け取って使った。私は感謝されたことで、さっきまでのぎすぎすした気分が少し和み、明るい気分になった。
間もなく地下鉄が来た。私もその女性もベンチから立ち上がり、同じドアから乗車した。四時過ぎの谷町線は込んでいない。幾つもの空席があるにもかかわらず、その女性はぴったりと私の隣に座った。普通、こういう場合、少し離れた席を選ぶことが多いと思う。私は何となく居心地の悪さを感じた。
しかし、その女は親しげに話しかけてきた。
「さっきはほんまにありがとうございました。どこまで行きはるの?」
「天王寺です」
「うちは駒川中野やねん」
それは私の知らないところだったが、興味もなかった。見知らぬ女生徒の会話を早く終えたいと思っていたから、あいまいに頷いただけだった。女は私があまり積極的に受け答えしないのを気に留める様子もなく、谷町線が込むのは何時頃かとか、今日の天気のこととかを二駅の間ずっと話続けていた。
地下鉄が天王寺に着いたとき、私はわずかに解放された気分でほっとして立ち上がった。ところがその女は、車内での会話では駒川中野の自宅に帰ると言っていたのに、天王寺に着いて私が降りる時、一緒に地下鉄を降りた。阿倍野の近鉄デパートに寄って買い物でもするのかもしれないと私はたいして気にも留めなかった。
天王寺まで回り道させられたせいで、家に着いた時は六時前になっていた。私は急いで服を着替え、一息つく間もなく夕食の支度に取りかかった。
六時を過ぎて、サッカー部の活動を終えた息子が帰宅した。食べざかりの中学生で、いつもは「晩御飯、何?」と言いながらダイニングキッチンに入って来て、冷蔵庫を開け、牛乳を飲んだり魚肉ソーセージをかじったりするのだが、その日は少し不安げに、「うちの前に女の人が立っててずっとうちの家を見てたで」と言った。
台所の窓は北側の道路に面しているので、私は二階に上がり、家の門のある東に面した窓から家の前の道路を覗いてみた。
息子の言ったとおり、向かいの家側にある電柱の下に女性が一人立っていた。電柱に取り付けられている古い蛍光灯の明かりでは暗くてはっきり分からなかったが、地下鉄で一緒になった女性のようだったので不思議に思った。
あの人がいるなら、私の後をつけてきたに違いない。けれども、常識的にあり得ないことに思えた。あの女性であってもなくても、ずっとうちの前に立って動かないというのは不審に思った。私は息子にも手伝わせ、一階の雨戸を全部閉め、戸締りを点検した。
その後すぐ、高校生の娘が帰宅して、やはり「うちの前に変な人が立ってるで」と言った。私は気味が悪かったが、相手が年配の小柄な女性であったので、子供たちは恐怖感もないようで、空腹を訴え、私もとりあえず夕食の支度を急いだ。
ちょうど私たち三人の夕食が終わった後、夫が帰宅した。私はすぐに家の前に女性がいなかったかを尋ねた。夫は気づかなかったと答えた。それでも私は気になって、夫の夕食を準備した後、二階に上がって確認した。確かに誰もいなかった。
翌日、仕事中は前日の女性のことをまったく忘れていたが、駅から家に向かって歩いている時、思いだした。どきどきしながら家に帰ったのは午後五時前だった。家の前には誰もいず、私はほっとして家に入った。
ところが、六時過ぎに帰宅した息子が、「また昨日の人、いたで」と言った。前日と同じように二階の窓から確認すると、あの女性がじっとうちを見つめていた。知らないふりをしているのはもう我慢できないと思い、私は突っかけを履いて家を出た。
私が門から出ると、その女性は手に提げていた薄手の布袋から何かを取り出しながら、私の方に近づいてきた。知らない同士にしては近すぎると感じる距離まで近寄ると、女はやせた指で私の腕を強く掴んで言った。
「いやあ、奥さん。昨日はほんまにありがとうございました。助かりました」
やはり、昨日地下鉄で一緒になった女だった。私は腕を掴まれているので離れることもできず、無表情な女の顔を見ていた。女は和菓子か何かのような紙袋を私に押しつけながら言った。
「これ、つまらないもんですねんけど、昨日の御礼に」
私はいつもの習慣で、うっかり受け取り、お礼の言葉が危うく口から出そうになったが、思いなおして黙り込んだ。あの程度のことで、大阪市内から校外にある私の家まで電車に乗ってやってくるのは常識外れだと思った。それにお礼の品を持って来たのなら、普通の人ならインターフォンを鳴らすだろう。この女とこれ以上関わってはいけないと感じた。
元来、私は人と争うのを好まないし、人にきついことが言える性格でもない。その自分にしては思い切った冷たい口調で女に言った。
「結構です。いただけません。こんなことをしてもらってはかえって迷惑です。あれはこんなお礼をしていただくようなことでもないし、お近づきになるつもりもありませんので、うちの前に何時間もこうやって立っていらっしゃるのはやめてください」
その女はかなり傷ついた様子でしばらく俯いていた。それから気を取り直したように、「そうですか。ご迷惑なことをするつもりやなかったんやけど、どうも済みませんでした」と本当にすまなそうに言ってあっさり帰って行った。
私は自分がひどいことを言い過ぎたのではないかという後悔と、これできっぱり終わったという解放感を感じていた。
ところがその次の日にも女がやってきた。その日は朝から曇っていたが、午後から時雨がぱらつく寒い日だった。六時過ぎに息子が帰宅し、台所に入ってくるなり、「おったで」と言った。 私は二階の窓から覗いてみた。天気が悪いこともあって外はもう暗かったが、街灯の明かりの下に女が立っていた。小雨が降る中、傘もささずにじっとうちの門を見つめている。視線を動かさないから、私が二階のカーテンの隙間から様子を窺っていることにはまったく気づいていないだろう。
私は怖くなった。女の言うことを信じるとすれば、家は駒川中野だそうだ。そこから生駒市の北部にあるうちまで電車を取りつぎ一時間はかかる。往復の交通費だって千数百円だろう。身なりから見て生活に余裕があるようにも見えない。十一月の冷えた夜に何時間も他人の家の前に突っ立っているというのは、どういう目的があるのだろうか。
「俺が聞いてきてやろうか」と息子が言ったが、私は女に異常なものを感じていたので、中学生の息子を近づけたくなかった。
「あんたはいいから」と言って、息子や娘が余計な心配をしないよう、普段と変わらないようにふるまっていたが、心の中は不安でいっぱいだった。もう一度、あの女と話す勇気がなく、私は夕食後も家にこもり、時々二階の窓から外の様子を眺めていた。
午後十時を過ぎて夫が帰宅した。私は夫にあの女のことを訴えて言った。
「もっと早く帰って来られないの? 変な人にじっといられて、きっぱり言ったつもりなのにまた来てるのよ。もう私にはどうしようもないわ」
「今、忙しいんや。君が変な人と知り合うから。まあ、男やなくて女なんやし危なくもないやろ」
夫は帰りが遅いので実際にあの女を見たことがない。それでこんなにも呑気なのだろうと私は腹が立った。
「明日も来るようやったら、警察に相談してみたら。俺は明日も夜に接待があって早く帰るのは無理やし」
家の前の道路は市道だ。そこに立っているだけでは犯罪と言えないだろうし、警察が取り合ってくれるか疑問に思った。
「警察が何とかしてくれる?」
「そら、逮捕するようなことやないけど、パトロールぐらいはしてくれるやろ。パトカーが何回も通りかかったら、その女の人も居づらくなってここに来るのはやめるやろ」
はたしてあの女がそんな反応をするだろうかと思ったが黙っていた。
次の日の夕方、向かいの人から電話がかかっていた。
「変な女の人がお宅を見はってるみたいやねんけど、知ってはる?」
私は簡単に事情を話した。お向かいが女に気づいたのは昨日かららしい。向かいの人だって、変な女が自分の家の前の電柱のところに二時間も立っているのでは気味が悪いに違いない。私は管轄の警察署に電話して、同じ女が四日間、うちの様子を窺っていると告げた。
「家の敷地に入って来ますのか」と応対した男性が尋ねた。私が、そんなことはしないと答えると、「奥さんの跡をつけて来てるんですか」「何か言いますのか」「何かしますのか」と次々に尋ねられ、私は「いえ、そんなことはないんですが」と答えるしかなかった。
警官は親切だったが、後をつけるのでなければストーカーとも言えないし、敷地に入らないのなら警察としては何もできないと言った。ただ、今からパトカーで様子を見に行って、まだいたら、帰るように注意はすると約束してくれた。
八時前になって女が帰って行った。それから半時間ほど経って、インターフォンが鳴ったので出てみると、警官だった。
門のところで応対した。警官が二人、パトカーで来ていた。
「誰もいてませんね」と警官の一人が言った。私は、女が立っているのは二時間ほどだと説明していたのに、こんな時間に来るなんてと内心、不満だった。しかし、それは言わず、今日の女の様子を説明した。警官はたいした問題とは思っていない様子で、「まあ、夕方、この辺をパトロールするようにします」と言って帰って行った。
女が何かしない限り、警察は動いてくれないのだと思い知った。もちろん、何かあってからでは遅いのだが。
翌日は土曜日だった。夫は土曜日にはスポーツジムに通っている。必ず夕方までに帰ってくるように頼んだ。あの女が来たら夫から何か言ってもらおうと思っていたが、来なかった。日曜日も夫に一日中家にいてもらった。しかしあの女は来なかった。あの女の考えていることはまったく私には分からない。しかし、とにかくうちに来るのはやめたのだろうかとほっとした。一方では、夫がいる土、日を避けているのかもしれないという不安もあった。
月曜日にはまた、あの女が現れた。胃の中に鉛を飲み込んだように気分が重くなった。これから一週間、きっとあそこに立ち続けるのだろうと推測できた。見慣れてしまったのか、怖くはなかった。私より小柄で年取った女なのだ。ただ、煩わしくてたまらなかった。私の中では恐怖より怒りのほうが強くなっていた。
私と子供たちは無言で夕食を済ませた。あの女が来るようになってから、食卓での会話はなくなった。じっと見はられているのを食事の間中感じていた。
食事が終わると子どもたちは二階の自室に入ってしまった。夫はその日も帰宅が遅いと行っていた。
夕食の後片付けが終わって、時計を見ると八時前だった。私は咄嗟に思いついて、コートを着てバッグを持った。あの女の跡をつけようと思ったのだ。家を突き止めて、家族がいるようなら、その人から注意してもらおうと思った。そして二階の廊下の窓から、あの女を見ていた。
女は腕時計を見てから、歩き始めた。駅へ向かうだろうと思っていたから、私は慌てなかった。女に感づかれないよう、少し時間を開けて玄関を出て外から鍵をかけた。そして百メートルほど距離をあけて女の跡をつけた。
女は俯いて背を丸めて歩いていた。周りの様子にはまったく気を配らなかった。十分ほど歩いて駅につき改札を入った。私は女が階段を上るのを確認して、反対側の階段からホームに上がった。寒い夜だった。女は待合室に入って行った。私はホームの柱の陰に身を隠していた。
電車が来た。女が乗り込むのを確認してから私も乗った。大阪市内へ向かう電車は空いていた。私の乗った車両からは女が見えなかったが、女が谷町四丁目で降りると予想していた。
谷町四丁目に着いて、電車を降りるとホームの前の方に女が歩いていた。女は家が駒川中野だと言っていたから、八尾南行きの谷町線に乗り換えるのだろう。私も距離を開けて谷町線のホームに行った。
谷町線に乗って駒川中野まで行った。私はこの駅で降りたことがなかった。ここからは距離をあけると女を見失う恐れがあった。しかし、女は誰かにつけられているとは全く思っていない様子で前しか見ないので後をつけるのは難しくなかった。
駅前の明るくて広い通りを左に曲がり、商店街を過ぎ、暗い住宅地を何度か曲がりながら十分ほども歩いて、二階建てのアパートの前に来た。昔、文化住宅と言っていた木造二階建てのアパートで、戦後すぐに建てられたのではないかと思えた。今どき、お金のない学生でも敬遠しそうな古い建物だった。
非常階段のように狭い鉄製の階段を女は上がって行き、右から二番目のドアを開けて中に入った。私は階段付近でアパートの名前を探したが、暗くて見付けられなかった。せめて住所だけでも控えておきたいと思い、傍の電柱を順番に見て住居表示を探した。街路灯も少なく、私は軽い近視でもあるので、住居表示があるのはわかったが読めなかった。
三文字の漢字と漢数字だということまではわかったので、何とか読み取ろうとじっと電柱を見上げていた。
突然、暗闇から、「あ、奥さん、ここで何してはるの?」と紛れもないあの女の声がして、私は凍りつきそうになった。女はすぐ近くにいた。手にスーパーの袋を持っている。非常階段の下がごみ置き場になっていたらしい。女は一瞬私から離れ、袋をごみ置き場に投げ捨てた。それから私の前にやってきた。暗い中だったが、女がじっと私を見つめているのがわかった。
私は悪いことをしているのが見つかった子どものような気持ちになってしまい、「パートで一緒の人がこの近くに住んでいるのでお邪魔してた帰りです」と、下手な言い訳をした。女はそんなことには興味もない様子で、片手で私の右腕を強く掴んだ。
「うち、ここですねん。どうぞ寄って行って」と私の目を見つめ、私の腕を引っ張った。コートの上からなのに、女の指先が私の腕に食い込み痛みを感じた。
女の顔がすぐ近くにあった。女の視線は私の目から動かない。私は女に腕を掴まれたまま、女に従って階段を上がった。
外から想像していた通り部屋は狭くて古かった。何もかもすすけているようで、壁も天井も畳も茶色の濃淡で構成されているようだった。押入れらしい引き戸の襖は黒ずんでいた。驚いたことに、天井からは、四十年ほども前に田舎の祖母の家で見たような、白いかさのついた裸電球がぶら下がっていた。
六畳一間と台所とトイレだけで、風呂もないようだった。六畳の間には整理ダンスと、三段のプラスチックの衣装ケース、元の色が分からないくらい色褪せてほころびがあちこちにあるコタツ布団のかけられたコタツが置かれていた。それ以外に何もなかった。
女が毎日来ているコートがハンガーにかけられカーテンレールにつりさげられていた。カーテンは閉じられていたが布地が薄いので、外からこの部屋の様子がうかがえるかもしれなかった。テレビもラジカセもなかった。
片付いているというよりは物がなさすぎて殺伐とした部屋の中で、整理ダンスの上の木製の写真立てが唯一の装飾だった。茶色く変色した写真の中で軍服を着た男と、和服を着て赤ん坊を抱いた女性が並んで立っていた。
私は女に促されてコタツに入った。私が写真に目を留めたのを見て女が言った。
「それ、うちの両親やねん。その赤ん坊がうち。満州で映した写真や」
私は女の顔を見た。この女は七十を超えているのだろうか。女は若く見えるというのではなく、年齢がわからない容姿をしていた。
「奥さんはええ家に住んではるな」
女が突然言った。私は戸惑った。すぐにもこの部屋を飛び出して帰りたかったが、自分の方からここに来てしまったのだ。少しぐらい、女の生活を知って、女がうちに来る理由を探るべきではないかと思った。私はとりあえず言った。
「普通の家ですが、うちの家が何か?」
女は食い入るように私の顔を見つめて言った。「うち、あんたの家に置いてほしいねん」
一瞬、女の言うことが理解できず、返答に詰まった。女は私から視線をそらさずに続けた。「私かってもう年やから、いつまでも働かれへん。仕事、首になったらここの家賃払われへん。そしたら住む所なくなる。家族も親戚もあらへん。年金ももらわれへん。どうしたらええんか毎日考えとった。そしたら奥さんが声かけてくれはった。えらい親切な人やと思た。せやから奥さんの家、見に行った。毎日仕事が終わってから奥さんの家、見とって、うちもここに住めたらええなあとずっと思とった。それに犬も猫もこうてはらへんやろ。うち、犬が怖いねん。せやから、奥さんの家がうちに一番、おうてる思う。明日からでも奥さんの家に住ませてもらわれへんやろか」
話している間、女は一度も瞬きをしなかった。思いつめた様子で私に訴え続けた。私は驚いた。「そんなこと無理です。家族もいるし、空いてる部屋なんかありません」
「お子達、もう大きいやないですか。もうすぐ出て行きはる。それに旦那さんも帰ってきはるの遅い。何とかなります」
「夜はみんなうちに帰ってくるんですから」
「御家族がいてはらへんかったら、うちを置いてくれはるんですか」
これ以上、話を続けるのは無理だと思った。この女はどこかおかしい。まともな遣り取りができる相手ではないと思った。
「失礼します」
私は立ち上がった。女も立ち上がり私の腕を掴んだ。
「せっかく来はったんやから、ゆっくりしていって」
私は女の手を必死で振り払った。靴をはくと走って女の部屋から出た。アパートの階段を夢中で駆け下り、暫く走って後ろを振り返ったが、女は追いかけて来ていなかった。
私は迷いながら駅に着き、地下鉄に乗った。座席に座ってから痛みを感じ、袖をめくってみると、私の腕に女の爪痕が残っていた。
家に戻ると、夫が先に帰っていた。私はその夜のことを全部夫に話した。夫は私の行動を非難した。私は夫が女の話をあまり深刻に受け取っていないのに腹立たしさを感じた。
「直接あの女の人と接したことがないから、何もわからないのよ。本当に変な人で、何を言っても通じないんだから。絶対に明日も来るわ。そのうち何かされるわよ」
「とにかく明日、俺から話してみるよ。男がきつく言えば、その女も諦めるんじゃないか」
夫も毎日、私が女のことばかり訴え続けているのにうんざりしていたのかもしれない。女が夫に脅されたからといって、すぐ諦めるかは半信半疑だったが、ともかくも、直接女と接したら夫ももっと危機感を持つだろうと期待した。
翌日、五時頃私がパートから帰り、その後すぐ、夫も帰宅した。そして六時ごろ、あの女が現れると、「あ、来た。話してくるよ」と言って玄関に向かった。「私はどうしたらいい?」と聞くと、来なくていいと言った。
私と息子は二階に上がって、外の様子を見ていた。うちの斜め前の電柱の下のいつもの場所に女が立っていた。街灯はあるがもう暗くなっていて女の顔は見えなかった。
夫が彼女に近づき何か言っていたが、声は聞こえなかった。女の方も何か言い返しているようだった。それから、二言三言遣り取りがあり、女が甲高く叫ぶのが聞こえた。
「あんたが邪魔なんや。あんたがおらへんかったら、私はこの家で暮らせるんや」
そして、女が手提げから包丁を取り出すのが見えた。、息子が慌てて階段を下り、私も続いた。女が包丁を振り回していた。突然のことに夫は逃げまどい、女が追いかけていた。騒ぎを聞いて向かいの御主人も来た。通りかかった人も一緒になって二人がかりで女を取り押さえた。
通りかかった人が、「警察に連絡は?」と聞いたとき、向かいの奥さんが出て来て、「今、連絡したからもうすぐ来てくれる」と言った。それで、二人の男性が女の両腕を片方ずつ掴み、パトカーが来るのを待った。女は抵抗もせず、無表情で立ちつくしていた。
女は逮捕、拘留された。事情聴取などの煩わしさはあったが、もうあの女に付き纏われることもないのだと思うとほっとした。
ところが、一ヶ月後の裁判で、女に執行猶予付きの判決が出た。女が釈放されたと聞いたとき、私は不安な気持ちになった。
しかし、杞憂だった。釈放された後もあの女はうちに現れなかった。
春になり、うちの家の門の前のプランターでパンジーが咲き誇り、向かいの家の桜が満開だった。私たち家族はごく普通の日常生活を送っていた。
ところがある夜、十一時ごろ、私と夫がベッドに入った直後、外で動物か人間かわからないような凄まじい叫び声がした。ベッドの上で夫と顔を見合わせ、寝室のカーテンを開けて声のする方を見た。
道路を隔てた向かいの家の前の電柱の下で高い火柱が上がっていた。私と夫は慌ててカーディーガンを着て、階下へ走った。玄関を開けると灯油の臭いがした。既に火柱はなく、火だるまになった人間がアスファルトの上を転げまわっていた。
「水!」という夫の声で私は庭の散水用のホースを持ち出した。夫がその人に向かって放水したが火が消えない。向かいの御主人が消火器を持って駆けだして来た。消火器の泡が既に動かなくなった人を包んだ。
火が消えた時、黒い人間が転がっていた。化学繊維でできた服が黒く溶けて体にへばりつき、髪はちりちりに燃えてしまっていたが、顔はほとんど焼けていなかった。消火作業中から私が予想していたとおり、あの女だった。灯油のポリ缶も傍に落ちていた。
また、誰かが呼んだらしいパトカーと救急車が来た。もう死んでいると誰もがわかっていたが、女は救急車で運ばれて行った。私たちはまたもや事情聴取を受けたが、何もわからないとしか答えようがなかった。
あの女の遺体がどうなったのかはわからない。あれから何度も雨が降ったが、路上の黒く焦げたアスファルトはずっとそのままで、それを見る度、私の胸を黒い影がよぎる。
了
裏路地のブルース居酒屋トレビアンでは年代もののミラーボールのもと、紋次郎が毛穴からぶちきれはじける汗玉をアコースティックギターにバシバシはじきかえし、しゃがれだみ声でハイテンポブルースをがなってた。ルミがスリットもひき裂きそうに太ももあらわに踊り、オレが百面相マウスパーカッションの口芸で盛りあげる。
ブルース居酒屋がトレビアンってのも妙だけど、阿倍野にハルカスがそびえようとも我らが浪花、元祖阿倍野には、ママでもつ、わけのわからん個性派空間がある。蛍光色化粧のどぎついトレビアンのママもなぜかいつもハワイのムゥムゥをきてたっけ。そのトレビアンでは紋次郎ひきいる「アベノ・爺・ブルースバンド」に熱い仲間が毎夜つどってた。紋次郎は大酒呑みの親ビンとしてバンドやバイトの面倒をよくみた。底抜けにわいわいグデグデつどえたのも、土建屋の棟梁みたいに気取らない親ビンのおかげだ。その紋次郎が打ち上げで大酒かっくらって突然、死んだ。
オレとルミは職をうしなった。ルミは失踪した。おまけにオレはふた月まえのぎっくり腰で宅配のバイトも首になり、そのショックのあまりつんのめったときに鼻をうったせいで、
「前歯、抜かんならんで」
と怪しげな百歳の歯医者爺ちゃんに宣告された。抜くってか、オレは思いあぐねた。口芸も歯と息と歯肉が壮絶に、かつ繊細に闘う、だれにでもできる芸じゃねぇ。お先真っ暗、どうやって食う。それより、もいちどルミが演ろうっていってきたとき歯がなきゃどうする、食えなくて、ともだおれか、とアパートの郵便受けをみると、ルミから葉書が届いてた。
【カラス、カァカァ寺にいる。新しい男にもカオリはなついてくれて、元気にやってる。長生きすんだよ!】
いばるこっちゃないけど、もともとオレは金と縁がない。でも紋次郎を口芸で支えつづけてゆこうと決めてきたのは、正真正銘、紋次郎の男気に惚れこんだからだ。けど、ルミに、男って、なんだ、そりゃ。あの一本気なルミが、紋次郎が亡くなって三月もたたねぇというのに、今、それか、今、男か、とオレが考えてたのは闇にランプが駈けぬける長野行きの夜行バスのなかだった。
とりあえずオレはカラスカァカァ寺へむかった。オゾンが夜行バスあけのまだら脳をむかえてくれる。オレとルミが下町、紋ちゃんは山の手、みんな浪花っ子だったけど、ルミの姉ちゃんが長野に嫁いでたことをオレは思いだした。それでカオリとここらへ越したのだろう。カラスが下駄を鳴らして森からあらわれて、カァカァ鳴いてうるさい寺の近くなんだ、わけわかんねぇけどたしかそういってた。わかるわけねぇと思案しつつ散歩してると公園にマグノリア園があった。木札を読んだ。
【モクレンの仲間は非常に原始的な花の形を残しているといわれ、雄しべがしっかりしており、花弁とガク片の区別ができないという特長があります】
ふぅん、俺らマグノリアだったんだ、紋ちゃんはすげぇしっかりした雄しべで、俺はどうせしょぼいガクだ。紋ちゃんはいい役処だよな。ルミはちっちゃな娘が父親にするように親ビンにぴったりより添ってたけれど、オレをみりゃ「やだ、百面相」ってキャッキャ笑うだけだった。睡眠でもとらねぇことにゃ脳がふらふら足もふらふら……、おなじ六十路、オレだって紋ちゃんの後を追っかけることになる、オレは公園のベンチで横になった。木陰にさやぐ風が眠りを誘う。
渋い声が聴こえるぜ。紋ちゃんが「COLD DOG SOUP」をブルースでひくくがなってる。こりゃあインドのタブラでいこう。ズゥゥン、ズンズン、ズゥゥン、ズンズン。パッパッパヤ、とルミも真紅のルージュに八重歯をのぞかせ、にこにこあわせる。可愛いよな、ルミ。俺の根暗口芸とちっちゃいハイビスカスがぷっくり咲いたようなルミの踊りが、紋ちゃんの色気ただようブルースを一層たかめる。パッパッパヤ。こんな歳になったって冷めた犬のスープをソゥルフルな隠れ家で啜って夜をあかす客もオレらもママもバイトも、いい奴ばっかだ。紋ちゃん、ルミ、何曲だって演ろうぜ、歯なんか抜いて、抜いてたまるかよぉっ、っ、痛っ!
前歯が疼いてオレは目が覚めた。初老のカラスがオレをのぞきこんでいた。グェッ、グェッ、ガァァ、さっき夢で紋ちゃんの声と思ってたのは、渋いカラス、おめぇだったのか。よぉ、おめぇ、なんかオレにいいてぇの? おめぇ、もしかして、紋ちゃんじゃねぇのか? オレはカラスとむきあった。
紋ちゃん、オレよぉ、聴いてくれる? おめぇが生きてるあいだにゃどうにもいいにくかったけど、ルミは、
「高齢出産にも限界っちゅうもんがあるんやで」
と天下茶屋の女医の婆ちゃんに叱られたのにカオリを生んだ。ルミってバカだ。そのバカを放っとけない、オレみたいなバカの上のせもいる。一途なところがルミはバカで……、それにしても紋ちゃん、おめぇもも少し、あるんじゃねぇの、葬式にもオレとルミはだしてもらえなかったんだぜ。ぶったおれてトレビアンのママが連絡とったあと、紋ちゃんの息子がきてさっさとことをすすめ、年甲斐もない、ヘアドレッサーで整えたマッシュルーム頭のなかから、ギィッとオレら睨まれただけさ。トレビアンのママにゃこれみよがしに、父がお世話になりましたってお礼いってたけど、べつにお礼なんかいらないけど、酒の相手して肝臓こわしたあとも笑いころげてスーパーのレジうちしたり、JRの便所を掃除したりして、ミュージシャンの紋ちゃんを芯から支えてきたルミに、しっかりしたマグノリアの雄しべの紋ちゃんよぉ、よぉ、ろくでなし、よぉ、よぉ、でもオレはおめぇのことが好きでたまんねぇんだ、理屈じゃねぇ、おめぇの全てがオレに棲んでて離れねぇ、でもオレはいうぜ、息子には、気持ちくらいルミに頭さげさせてやんなよ、それもなかったのは、紋ちゃん、おめぇの、やっぱ、責任だ! オレはギィッとカラスを睨んだ。カラスはばたばた飛びたった。空は青い。森は広い。護摩祈願の経がひびく。紋次郎、なんで往ったんだ。おめぇと語りたくて、オレはきたのか…… とめどなくおめぇがあふれでてくる。ルミの居処なんてわかるわけねぇ。明日もいちどあたりをうろついてみっかと懐もさみしく格安のホテルをとり、自販の焼酎にカップうどんを啜り、その夜は早々に眠った。
翌朝、オレはカラスカァカァ寺へむかった。ルミが軽口をたたいてたわりにゃ、森にかこまれた、けっこうな寺じゃねぇか。セミが鳴いている。カラスも鳴いている。門前への参道には信州蕎麦屋の群れが並んでる。店の女たちがもり蕎麦の笊をざらついた岩肌に伏せてならべ朝陽に干している。澄みわたった水に若葉を浮かべて水車がまわる。筧が鳴る。風情が孤独に沁みる、いや、歯に沁みる。名物の蕎麦を食おう。そして阿倍野の古巣へ帰ろうと寺門へむかっていると、聴きなれた声がした。
「信州蕎麦ァ、手打ち蕎麦はいかがですかぁ」
精のないちいさい声だが聴きのがすわけがない、ルミの声だ。オレは思わず木陰に隠れた。蕎麦屋のおもてにルミがいる。絣の作務衣にみじかい丈の割烹着、Gパンに赤い鼻緒の下駄をひっかけ蕎麦屋の呼びこみをやってる。気軽に、やぁと声をかけてみるか。そりゃまずい。仕事中だしな。いやそういう問題じゃねぇだろ。それにしたって阿倍野じゃあんなにコケティッシュだったルミが化粧もせずに、
「かき氷、蕎麦まんじゅうもありますよぉ」
と笑顔もつくろわず精のない呼びこみをやってる。元気だせよ、パパパヤー! 心のなかでルミにエールを送った。やっぱ新しい男ってのは嘘だ。オレは木陰から偵察しつづけた。
スケッチブックをかかえた中年の男の一人客が蕎麦屋へやってきて、庭の座卓に坐った。ルミは蕎麦茶をはこび、
「もり蕎麦を、野菜天も」
といわれ、下駄を鳴らして注文を伝えに消えた。女将らしき女が蚊取り線香の缶をもってきて客の足元に添え、朱のルージュで客に笑みをおくった。ルミはふたたび精のない声で、
「信州蕎麦ァ、手打ち蕎麦いかがですかァ」
と呼びこみをやってる。すると女将がルミの足元にも蚊取り線香をおき、
「たのんだよ」
と声をかけた。よかったな、ルミ、やさしい女将じゃねぇか。
でかいカメラと器具をかかえた雑誌の取材らしき男が二人やってきた。なにやら女将とはなして庭の座卓に洒落た蕎麦ランチがセッティングされた。店主らしきおっさんが頭にバンダナを巻いて登場し、記者に取材をうけはじめた。ルミはみじかい割烹着の前裾を両掌で小きざみに、ぴゅん、ぴゅん、とひっぱりながら、
「信州蕎麦ァ、手打ち蕎麦いかがですかァ」とつづけてる。
記者が、
「それじゃ店主さんの写真を撮らせてください」
というと、店主のおっさんは奥へ身繕いのためか、消えた。木陰のオレから鏡のあたりがかいまみえた。おっさんはバンダナを直そうとしたが、バンダナがほろりと落ちた。禿げていた。オレは勝ったような気分ですっかり嬉しくなった。ありゃ、きっとまだ六十路まえだぜ。オレの方がふさふさだ。さっきのスケッチの客の座卓へスケッチをかかえた妻らしき女がついた。ルミはすすみ、女は夫をちらりみて、
「おんなじので、旬の野菜天も」
と注文した。スケッチ夫妻は、
「小庭に小池があって、それを描いてたの」「どれ、見せて」
と仲睦まじく眸をみつめあっていた。女将が蚊取り線香の加減をみにきて、スケッチの妻は、
「地ビールも、ね」
と注文した。それにしたってルミは精のない声で、
「信州蕎麦ァ、手打ち蕎麦いかがですかァ」
とまたしてもやっている。ルミよ、ここはお前さんが主役を張る舞台じゃない、けれどルミよ、あんなにお前さんは阿倍野で輝いてたじゃないか、その青春に誇りをもて! 地ビールで朝っぱらからの乾杯をしたスケッチ夫妻の笑い声が深い森にひびいた。つられてセミとカラスも鳴きひびいた。取材の男たちは暇を告げ、店主夫妻は、
「雑誌にのると忙しくなる、がんばろうな」
「あいっ」
と頬を赤らめあったが、オレはじっとみつめていた、呼びこみをやってるルミの眸が、燈籠流しの灯りのようにゆらゆら揺らぐ木漏れ日のかげで泪に光っているのを。ルミにも紋ちゃんがとめどなくあふれでてるんだな。とまらないんだろ、オレに心をわってくれるだろうか、こんなオレでは無理か、さきに願かけに行こうか、それともそうこうしていたら、ルミはカラスと一緒にからころ下駄を鳴らして森へ、いや、永遠に惑う人々の森へ、消えてしまうだろうか。消えないでくれ、泣いて暮らすな、ルミ! 一人で泣くな、泣くのなら、肩をだきあいオイオイ泣こう、そしてそれをすませたら、前をむいて生きよう! オレは木陰からルミめがけて百万力の百面相で突撃した。歯が、痛てっ!
おわり
門柱にアンティークな書体のアルファベットで『THE OLD ROSES』というプレートがかかった一戸建て住宅に入った時、小柴順子はこれから始まる新しい生活への期待で浮き浮きしていた。白いアルミ製の門は順子を歓迎するかのように大きく開かれている。正面には真新しい平屋が立っている。庭にはピンクのオールドローズが咲き誇っている。元々のこの家の持ち主である岸辺雅美が育てている薔薇であり、この家の名前の由来になっている。この品種は香水の原料にもなるほどで香りも強い。すぐ近くに阿倍野ハルカスが聳える都会の一隅にこの庭は似つかわしくないが、この地域には何軒か昔からの広い一戸建て住宅も残っている。
順子はレンガ敷きの小道を辿り玄関を開けた。バリアフリー住宅だから、玄関とそれに続く床の段差は五センチほどしかない。
玄関にはたくさんの女物の靴に交じって男物の靴と子供の靴も二足ずつあって、順子は自分の靴を脱いでから上がり框に行くのに他の人の靴を踏まざるを得なかった。
二〇一三年六月、その年に七十三歳の誕生日を迎えた順子は五十年間の一人暮らしに終止符を打ち、ここで友人との共同生活を始めた。計画から一年、この日、新築祝いの会が催された。
順子が居間に入ると台所から、「遅かったじゃないの」という雅美の声がした。ふっくらしていることもあるだろうが、雅美は肌に張りがあり血色もよく、とても八十歳を超しているとは見えない。この日も華やかなピンクのサマーセーターに白のパンツ姿でテキパキと動いている。
「ごめんなさい。買い物に手間取って」
そう言いながら、順子は居間の床に座るみんなの間を縫って歩いた。居間のソファーではみんなが座れないから、ソファーは隅に押しやられ、みんなはリビングのテーブルを囲んで、絨毯の上に並べられた座布団に座っている。
台所と居間の間にあるダイニングテーブルにはオードブルの他に、唐揚げや天ぷらやパエリアなどみんなが持ち寄ったさまざまな料理が並び、どこの国の食卓か分からない。順子も台所に入って駅前の近鉄デパートで買ってきた刺身を大皿に盛り付けた。
これからここで一緒に生活する順子、雅美、美保、由佳、寛子のほかに、美保の友人の北村耕介、雅美の娘の堀内由紀と吉本沙知、それに寛子の息子、鈴木智之と妻、それに小学生の孫が二人テーブルを囲んでいた。
共同生活を始める五人だが、それぞれの個性がまったく異なり、招かれた北村達はどうしてこの五人なのかと訝っている様子だ。順子は長い間、女子高校で国語を教え、生活指導にも力を入れてきたから、自分の髪もパーマをかけたり染めたりしないようにしてきた。この日もストレートの長い髪を後ろで一つに束ねている。化粧も控え目で、服装もチェックのシャツにジーンズと飾り気がない。幸い、母からの遺伝で白髪が少なく、順子も年齢より若く見える。順子と同じ年の正岡由佳も、順子とは別の意味で若々しい。ショートカットした髪を明るい茶色に染め、アンシメントリーのチュニックにスパッツを履いている。奇抜な配色だが、背が高くほっそりした由佳なら着こなせる。ピアスをしているのも由佳だけだ。
杉本美保は七十一歳で、それでも五人の中で一番若い。セミロングのパーマをかけた髪を毎日違うスタイルに整えている。
鈴木寛子が一番地味だが、実際には一番美人だ。
まったく飾り気がないが、昔はさぞやと思わせるような整った顔立ちをしている。
居間の壁にはホワイトボードが取り付けられ、当番表がマグネットで留めてある。これから五人で夕食と共同部分の掃除を当番でやるつもりだ。
「みなさん、決断が早かったですね。話が出てからあっという間に家が建ったって感じでしたね」
ワインで少し顔を赤くした北村が言う。美保より二歳下だと聞いているが、がっしりした筋肉質の体型は若々しい。それがすっかり白くなった髪と少しアンバランスな感じがする。
「そうね。みんな独身で一人暮らしだったから、身軽だったのね」
由佳がどこか人ごとのような口調で答える。由佳は、考え方が論理的で少し冷淡なところが順子と少し似ている。
「ちょうどうちの家が雨漏りし始めてどうしようかと思っていたところだったのよ。建て直さないといけないけど、八十を超えると、家を新築しても後何年住めるかなあと思ってしまって。娘たちもそれぞれ結婚して家があるしね」
そう言って雅美は由紀と沙知を見やる。娘と言っても、二人とももう五十代になっている。
沙知がワインを飲みながら言った。
「私たちはさっさと老人ホームに入ったらって言ったんですよ。一人暮らしは心配だから。でも母は庭いじりが趣味だし、活動的な人だから、そんなこと絶対に嫌だって。みなさんが一緒に住んで下さることになって安心してます」
雅美は五年前に夫に先立たれた。家族四人で暮らしていた家に一人残され、家は傷みが激しいし、どうしたものかと思い悩んでいた。そして、みんなで資金を出し合って家をバリアフリーに建て替え、共同生活をしようと日本画教室のメンバーに呼びかけた。五人は日本画教室で週に一度顔を合わせる仲だった。みんなけっこううまくて、先生にも目をかけてもらえているので、何となくもう十年以上も描き続けている。それで週一度の教室でも近くの席に座り、帰りに昼ごはんを一緒に食べるというのが、習慣になっていた。
共通の趣味があって話が合うけれど、それぞれのプライバシーには立ち入らないという、つかず離れずの関係だった。みんな自立心があり経済面でも自立できる。それでも、最年長で八十一歳の雅美はもちろん、一番若い美保も七十一歳で、一人暮らしをいつまでも続けるのは不安だったから、この仲間たちとの共同生活というのはみんなにとって都合がよかった。
美保は北村と友人以上の関係らしい。それでも美保は、「私、バツ一だからね。もう男と暮らすのはうんざり。北村さんとは、ずっとべったり一緒にいないから、話題がなくならないし、続くのよ」と言って、順子達との同居を望んだ。美保は看護師として働いてきて、今も近所の整形外科で午前中だけパートをしている。男性に頼らないで生きてきたという自信もあるのだろう。寛子も、「息子の狭いマンションに私のいるところなんてないわよ」と言った。寛子は三十代で離婚し、一人で息子を育てた。他の四人よりも苦労が多かったかもしれないが、寛子がそんな話をしたことはない。絵を描くことが生きがいで、実際、寛子は何度か市の展覧会などでも賞をとっている。
共同生活の始まりは快適だった。順子は高校教師を定年退職した後、スポーツクラブと絵画と短歌、それに友人たちとの映画鑑賞と食べ歩きでほとんど毎日出かけていた。他の同居者の生活には干渉しなかったが、夕食での会話で何となくみんなの生活が窺えた。由佳はフラメンコが趣味だから、週に三日はダンスのレッスンに行っているらしい。大手企業で管理職までやっていた由佳は経済的に豊かで金遣いは少し荒い。エステにも通っているし、指にいつもきれいなネイルアートをしている。雅美は夫に先立たれるまでは主婦だった。いつも家族といたからか、一人で行動するのが好きではない。しかし、明るく社交的で世話好きだから友人が多く、同居人を頼ることはない。しょっちゅう、家に電話にも携帯電話にも着信がある。
美保は午前中は仕事を続け、その後、ほぼ毎日北村と会っているらしい。それでも夕食はたいていオールドローズ荘でとっていたし、泊まって来ることはなかった。
寛子が一番家にいる時間が長い。寛子は本当に絵が好きだから、毎日自室や庭で何時間も描き続けている。寛子は花の絵が好きだった。雅美の育てている薔薇を好んで描いたし、時折、天王寺公園の花の絵をスケッチしてきて、それを家で日本画絵の具で描き直していた。
週に二時間、教室で描いているだけでは一年に一、二作しかできない。順子たちも教室以外に時間を見つけては描いているのだが、なかなか進まない。順子たちは寛子の姿を見るにつけ反省し、自分たちももっと努力しなくてはと思うのだが、他にも楽しいことが多すぎて、なかなか絵に集中できないのだった。
朝食、昼食はそれぞれ勝手に食べるが、夕食はその日の当番が作る。献立にもそれぞれの個性が表れ、バラエティーに富んで楽しかった。
由佳は長年、おいしいものを食べ歩いてきたので、グルメならではの洒落た料理を作る。
フレンチ風、イタリアン風、エスニックとバラエティーにも富んでいて、今夜は何かとみんな楽しみに待っていた。雅美は長年、主婦をやってきて、和洋中なんでも雅美ふうにアレンジした手慣れた家庭料理だ。美保は看護師だけあって、栄養的にもバランスのとれた健康的な食事を作ってくれる。順子はあまり料理が好きではないので、デパートで品質のよい肉や魚を買って来て、ステーキや刺身など、技術よりも素材の良さを重視していた。
順子が好きになれなかったのは寛子の料理で、野菜の煮物やお浸しが主で何か田舎くさい。雅美などは素朴で健康的だと喜んでいるが塩分が多い。出汁もとらず、化学調味料でごまかしているからたいして健康的とも思えない。総菜には向いていても、酒の肴としては楽しめない。それでも五日に一度だから順子は文句を言うこともなかったが、由佳は寛子が当番の日は外で夕食を済ませていた。
そのほかの日はみんな酒が飲めるので献立に合わせてワインやビール、日本酒を楽しみ会話も弾んだ。
順子はビール一辺倒だったが、オールドローズ荘で暮らし始めてから、由佳の影響でワインも好きになったし、雅美が日本酒好きなので、日本酒も飲むようになった。七時のニュースを見ながら、それぞれにそのニュースに対しての自分の意見を言い合う。順子はそんな考えもあるのかと新しい視野が開ける思いのすることも多かった。五人の食器の後片付けをするようになって、一人暮らしの時は使っていなかった食器洗い機の便利さも痛感した。
ロケーションも最高だった。天王寺駅まで歩いて七分。デパート、ショッピングセンター、スーパーも近いし、図書館、映画館、スポーツクラブ、それに美術館まで二つあった。もちろん病院もいくつかある。
レストランも多い。そして梅田に比べて少し安い。
普段の交通手段は徒歩か自転車だった。自転車に乗れば、重いものを買ってもたいてい運べた。それでも、みんなで話し合ってやはり車はあったほうがいいということになった。一番新しい由佳の車を共同で使うことにした。
ただ、順子はひそかに雅美のことを不安に思っていた。眼鏡をかけているのに眼鏡を探していることがあったからだ。
「ねえ、私の眼鏡、見なかった?」
「雅美さん、かけてるじゃないの」
一度なら笑い話だが、三度もあるとおかしいと思う。それにいつも何かなくなったと言って探している。しかし由佳たちは、雅美はそそっかしいからと笑っているので思い過ごしかもしれないと口に出すことはなかった。それ以外は概ね共同生活はうまくいっているように思えた。
八月下旬になって、いつものように夕食を囲んだ後、みんなが自室に行こうとすると、美保が話があると呼び止めた。深刻な顔をしているので、他の四人は不安になって再び食卓についた。
「私、癌なの。明日入院して来週手術するから」
順子たちは一瞬、言葉に詰まった。美保はそれまでに散々悩んできたからか、冷静だった。由佳が尋ねた。
「どこの癌なの?」
「腎臓。血尿がでるから膀胱炎だと思ってたんだけど違ったの」
順子は不審に思って尋ねた。
「あなた、看護師なのにわからなかったの?」
「わからないわよ。進行するまで症状が出ないんだもの」
雅美が明るく言った。
「大丈夫よ。美保ちゃん、元気そうだもの。ちっとも痩せてないし腎臓は二つあるんだから一つ取っちゃっても困らないわよ」
美保は苦笑しながら頷いた。由佳がまた尋ねた。
「で、入院したら洗濯物とか毎日誰かがいかないといけないんじゃない?」
「そうなの。手術の時の立ち会いは兄に頼むけど、汚れ物の洗濯とか、自分で動けるようになるまで暫くお願いしたいの。北村さんに下着の洗濯とかさせるの嫌だから」
病院は自転車で行けば五分の距離だ。それでも順子は内心、面倒なことになったと思った。しかし、すかさず雅美が言った。
「四人いるんだから交代でするわよ。困ったときはお互いさま。こういう時のために一緒に住んでるんじゃないの」
順子と由佳は視線を交わした。嫌だとは言えない。しかし、以前二人で話していたのは、看護師でしかも一番若い美保がいるから同居して何かあっても安心だということで、その点では当てが外れてしまったと言える。由佳がまた尋ねた。
「手術した後も抗がん剤の治療とかあるの?」
美保が頷いた。
「そう。通院でやることになると思う」
順子たちの年齢になれば周りに癌にかかった知
人も何人かいて、抗がん剤治療の大変さも分かっている。順子は心から美保に同情するとともに、当然同居人も影響を受けるだろうと憂鬱でもあった。
一カ月ほどして美保は退院してきた。脱毛がひどいと言ってキャップをかぶっている。やはり体調はよくないらしく、特に抗がん剤の点滴に行った後は、寝込んでしまうことが多かった。当然、食事や掃除の当番はできない。他の四人で分担することにしたが、朝食や昼食の世話もほうっておくわけにはいかない。朝食は早く起きた者が準備し、昼食はその時、家で朝食をとる者がついでに作る。いきおい、寛子が作ることが多かった。
美保が退院してから一カ月ほどした夕食の席で、由佳がその問題をきちんと話し合おうと言い出した。その時、寛子が、自分が美保と当番を代わり、朝食、昼食の世話をする代わりにある程度の料金をもらいたいと提案した。
友達なのにお金を取るなんてと順子は寛子が冷たいと思った。雅美も反対のようで、口を開きかけた時、由佳があっさりと、「寛子さんは一日家にいることが多いからお願いしたら。決まったお金を払ったほうが美保さんも気を遣わないからそれがいいわ」と言った。美保が、自分もその方が気持ちが楽だと言ったので、順子も雅美も反対できなかった。
その頃から由佳と寛子の間がぎくしゃくし始めた。もともと気の合う二人ではなかった。それが寛子が夕食を作る回数が増えて、由佳が夕食の席で寛子に言った。
「こんなにおかずの数が少なかったら、お酒、飲めないわ」
寛子がむっとして言った。
「由佳さんがどんなもの、食べてたのか知らないけど、普通の家の晩御飯はこんな感じよ」
「それ、所得の低い家の話じゃない?」
普段ならこう言う時にうまくとりなすはずの雅美はぼんやりしている。その日の夕食は、カマスの干物、ホウレン草のお浸し、豆腐とワカメの味噌汁、それに漬物と佃煮が並んでいた。順子は由佳の言うことももっともだと思うから何も言わなかった。美保が寛子を慰めるように言った。
「私は今、食欲がないからこんな物の方があっさりしていて食べやすいわ」
「こんなものって」
寛子がむっとして言ったが、美保は体調が悪いのかそれ以上何も言わなかった。美保はほとんど食べず、すぐ自室に引きあげてしまった。その後、みんなが黙り込んで夕食を取った。寛子は時折腹立たしげに由佳を見ている。由佳は気がついているのかいないのか、急に立ち上がると冷蔵庫からサンタンドレチーズと生ハムを出してそれをあてにして赤ワインを飲み始めた。順子も御相伴に預かったが、雅美と寛子は手をつけなかった。
掃除のことでも由佳と寛子はもめた。順子も同居してはじめて気づいたのだが、由佳は非常にきれい好きだったのだ。由佳は寛子の掃除のやり方にも不満を言った。料金を取って掃除をするなら、床の雑巾がけもするべきだし、水回りももっときれいにしてほしいと言った。順子は寛子の掃除の仕方が特に雑だとは思わない。大人ばかりで生活しているのだから、毎日掃除していれば、家がそんなに汚れることはない。それに、水回りだって、数日に一度で十分ではないかと思った。ただ、由佳と気まずくなるのも嫌なので順子は黙っていた。寛子は言い返さないが何も改善されないし、不機嫌になってみんなが気まずくなった。
美保は発病してから仕事を辞めていたが、体調のいい時はウィッグをつけて北村と会いに出かけていた。
順子もなるべく昼間オールドローズ荘にいないようにしていたし、由佳もいつも外出していた。雅美がどうしているのか、昼間、出かけていることが多い順子はよく知らなかったが、社交的な雅美のことだから、どうせ毎日誰かと出歩いているのだろうと考えていた。
十月下旬のある日、由佳が外で順子と昼ごはんを食べようと誘った。順子が軽い気持ちで応じ、駅前のイタリアンの店で会った。グラスワインを片手に、由佳は深刻な顔で雅美のことで話があると言う。
「この間、私が夕方帰った時、玄関を入ったとたん焦げ臭いにおいがしていたの。その時は、美保さんも寛子さんもいたんだけど、自分の部屋にいて気がつかなかったんだと思う。
びっくりして台所に行ってみたら、コンロに鍋がかけっぱなしになっていて、中身が炭のように焦げてたのよ。もちろんすぐ火を止めたわ。雅美さんが食事当番だった日よ」
そこまで聞くと順子にもおおよそ何があったのか想像できた。雅美が鍋を火にかけたまま、それを忘れてどこかへ行ってしまったのだ。由佳の話では雅美は洗濯物を入れに行ったのだという。由佳が探した時、雅美は自室で洗濯物を畳んでいた。由佳の話を聞いて、順子は自分の不安が現実になったと思った。最近、雅美の作る夕食は、ポトフとかぼちゃの煮つけと春巻きというふうに献立のバランスがおかしい。味付けも変だ。みんなが辛すぎると思ってスープは残したりしても、雅美は平気で飲み干している。たぶん、味覚も鈍くなっているのだろう。由佳は雅美に台所を任せられないと言った。順子も雅美の変化は以前から感じていた。消費期限の切れた食品が冷蔵庫に入っていたり、牛乳がテーブルに出しっぱなしになったりしている。由佳は雅美を当番から外そうと言ったが、順子は雅美を傷つけるのが嫌で躊躇った。そしてガスコンロをIHヒーターに変えようと提案した。由佳も頷いて言った。
「そうよね。雅美さんだけのことじゃないわ。私たちももう年なんだから、火を使うのは危ないわよね」
しかし、それだけで問題は解決しなかった。
雅美が風呂に入るのを面倒がったり、下着を替えなかったりすることが増えてきれい好きの由佳はいらいらしていた。
「毎日、お風呂に入ってよ。垢をためてから入られたら、後に入る人が困るんだから」
夕食の席で、由佳がはっきり雅美に言ったので、普段気のいい雅美も怒ってしまった。
「私の自由でしょ。干渉しないで。ここはもともと私の家なんだし」
順子は困った。雅美はこの家が五人の名義になっていることを忘れているに違いない。それを由佳が正論で論破しようとするが、雅美は理解できずヒステリックになってしまった。
「じゃあ、誰の家だって言うのよ? もちろん、みんなが泊まっていてくれて嬉しいわ。これからもずっといてちょうだいよ。でもね、友達だからってどんなこと言ってもいいってもんじゃないわ」
美保と寛子が逃げるように自室に引きあげた。順子が雅美の機嫌を取りながら風呂場に連れて行った。
三人が部屋に引きあげた後、居間のテーブルで順子と由佳はコーヒーを飲みながら話し合った。由佳が言った。
「認知症よね。やっぱり」
順子も頷いて言った。
「そうよね。雅美さん、最近日本画教室も行かないもの。絵が急に下手になって、先生も驚いてたわ。雅美さん、それがわからないから、先生が急に冷たくなったって怒ってるのよ」
「私、もう出て行きたくなったわ」
順子は驚いて、コーヒーカップを下に置き、由佳を睨んで言った。
「それ、困るわよ。無責任でしょ。老後を助けあうために同居したんじゃないの。それを癌の人と認知症の人をほうって出て行くなんてやめてよ」
しかし、本当は順子も出て行きたかった。そうはいかない事情があるのだ。順子が住んでいたマンションは今、人に貸していて契約の都合で後、一年半は戻れない。由佳は両親から相続した古い日本家屋が傷んでいるので今、売りに出しているところだ。由佳がため息をつきながら言った。
「まあね。四百万も出したけど、出て行くから返せとは言えないし」
二人で考え込んだ。途中で退去する場合、分担した建築費をどうするかなどの相談を全くしていなかったからだ。
秋が深まる頃には、雅美の変化に美保も寛子も気づいていた。雅美が日本画教室を欠席した日、出席した四人で外で昼食を取りながら話し合った。美保が言った。
「とにかく精神科を受診することよね。進行を食い止める薬もあるんだから」
「そうよね」
由佳と寛子も賛成したが、順子は精神科という言葉にたじろいだ。誰が雅美を説得して病院に連れて行くのだろう。結局、そこまでは話し合うことなく、散会してしまった。
何となくぎくしゃくしたまま年が暮れて、二〇一四年の正月を迎えた。雅美は娘一家と正月を過ごすため大津の沙知の家に行き、寛子は息子の家に行った。美保は病気が小康状態なのを利用して北村と温泉に行った。
由佳と順子と二人で数の子やごまめなど酒の当てになりそうなお節料理だけを作り、朝から飲みながらのんびりと三が日を過ごした。
「二人だったら落ち着いて暮らせるのにね」
由佳が言い、順子も本当にその通りだと思った。
午後になって、二人で借りてきたDVDを見ていると、突然電話が鳴りだした。大阪駅からだった。雅美が帰り方が分からないと駅長室に助けを求めてきたらしい。順子と由佳と二人、すぐ支度して大阪駅へ行った。雅美が駅長室の椅子に座っていた。雅美はいつもの明るい声で言った。
「あ、二人揃って来てくれたの。何か帰り道、わからなくなっちゃってね」
順子と由佳は驚いて顔を見合わせた。大阪で生まれ育った雅美が大阪駅から天王寺駅まで帰れないというのは普通ならあり得ないことだ。それなのに雅美がショックを受けている様子もないことに異常さを感じた。由佳が怒りを込めて言った。
「まったくこの寒い中をなんで大阪駅まで迎えに来なくちゃいけないのよ。しっかりしてよね」
「だって、環状線の内回りだったか外回りだったか、思い出せなくて」
「どっちだって帰れるわよ。環状線なんだから。それぐらい駅員さんに聞けばよかったのに」
「今になったらそう思うけど、あの時はパニックになったの。あなただって、きっとそうなるわよ」
さらに言い返そうとする由佳に、順子はそっと首を振って、何を言っても無駄だと伝えた。
正月が明けてますます雅美から目が離せなくなった。雅美は自分の異常さに気づいていないから、今までのように友達と約束をしてどこかに出かける。しかし、約束をしていることを忘れたり、日や時間を間違えたりがしょっちゅうあり、雅美が携帯の充電も忘れているため、雅美の友だちからの抗議の電話が全部オールドローズ荘の固定電話にかかってくる。家にいる寛子は常にその対応に追われた。そのうち、友人関係も壊れてしまったらしく、電話もかかって来なくなった。
夕食の当番も任せられなくなった。寛子が、金を出してくれたら自分が面倒を見ると言う。もちろん自分がまったく正常だと思っている雅美が出すわけがないし、美保はそれまでにもかなりの額を寛子に出しているから、順子と由佳が負担することになった。それでも、寛子が雅美の面倒を見てくれているうちは順子と由佳は自由に動けた。しかし、寛子もついに根を上げた。雅美の失禁が始まったからだ。
二月の冷え込んだ夕方、買い物に出かけた雅美が暗くなっても戻って来なかった。順子は、台所で食事の支度をしながら何度も時計を見た。もしかして雅美が家に帰れなくなったのではと心配していた。六時を過ぎて玄関のドアが開く音がし、ほっとして順子が玄関まで行った。雅美は「ただいま」と言って玄関で靴を脱ぎ家に入ったが、雅美の歩いた跡が濡れていた。順子が慌てて言った。
「雅美さん、動かないで。タイツが濡れてるわ」
雅美は驚いて自分の下半身を眺め、それから笑いだした。
「あら、冷えてたからね。漏れちゃったわ」
順子がすぐ服を脱いでシャワーを浴びるように勧めても雅美は受け入れなかった。
「シャワーは寒いじゃないの。お風呂が沸くまでこのままでいるわ」
順子も限界だった。ずっと独身で生きてきて、子どもの世話も親の介護も経験していない。雅美を怒鳴りつける代わりに大声で寛子を呼んだ。寛子は自室から駆け付けてきてすぐ何があったか理解した。順子と寛子と二人係で雅美を浴室に引っ張って行き、無理やりシャワーを浴びさせてから、服を着替えさせた。
その日の夕食はいつにもまして重苦しい雰囲気だった。夕食の後、雅美が自室に引きあげるのを待って、四人で話し合った。夕食前に順子から話を聞いていた由佳が寛子に尋ねた。
「寛子さん次第だと思うの。寛子さんがこれからも雅美さんの面倒を見てくれるなら、私たちはとても助かる。雅美さんからは無理でも、雅美さんの娘さんに話してお金も出してもらおうと思う。寛子さん、どう?」
寛子は気色ばんで言った。
「どうって何? 私一人に押し付ける気? 何で私一人なのよ。私は落ち着いて絵が描きたいの。今までだって、雅美さんをそれとなく見守ってきて、絵に集中できなかったのよ。みんな外で好き勝手して私一人がどうして?
ただの友だちよ。何で下の世話まで」
順子が遮って言った。
「寛子さんのいうことは当然よ。寛子さんだって、自分のやりたいことがあるんだし、たまたま家にいる時間が多いってことでお願いするのはもう無理よ。雅美さんの娘さんに連絡してこれからのこと、考えてもらわないと。私たちは限界だわ」
由佳が言った。
「ごめんなさい。寛子さんに押し付ける気はないの。ただ、寛子さんは今までわりと積極的にお金をもらって家事を引きうけてくれてたから」
「確かに私はお金がほしいとは思うわよ。だけど私だってもう七十六よ。お金は絵の材料費に使いたいからで、絵も描けないなら本末転倒じゃないの。後何年、元気で絵が描けると思うの?」
順子が言った。
「とにかく、娘さんに電話してみましょう。もう遅いかしら?」
時計は十時を過ぎていた。明日の朝、順子が電話するということでその日はみな自室に引きあげた。
翌日の午後、滋賀県に住む雅美の次女の沙知が来た。順子と寛子が事情を話そうとしたが、雅美が同席していたため、朝の電話以上のことは何も言えなかった。その夜、沙知も一緒に夕食をとったが、雅美はまったく正常に見えた。順子は、沙知が自分たちの話を信じないのではないかと心配になった。ところが、翌朝、オールドローズ荘の客間で一泊した沙知を見た雅美が驚いて尋ねた。
「沙知、何であんた、ここにいるの?」
沙知はショックを受けたようだった。そして順子たちを詰り始めた。
「どうしてこうなるまで連絡してくださらなかったんですか。病院にも連れて行ってくださってないんですよね。毎日、一緒に生活していながら無責任だわ」
順子は沙知の言う通りだと思い、何も言えなかった。由佳が沙知に強い口調で言った。
「お正月は雅美さんと一緒に過ごされたんですよね。でも何も気がつかれなかったんでしょう? 娘さんならたまには連絡を取り合っていたんじゃないんですか。あなたも何も気づかれなかったんですよね。 私たちだけの責任にしないでください」
雅美が割って入った。
「ちょっと待ってよ。私は何ともないのよ。だから、私のことでもめないでよ。でも、あなたたちがそのことでけんかになるはら私、病院でもどこでも行くわよ」
美保が、これから自分と沙知とで雅美を病院に連れて行くと言ったのでようやく話がまとまった。
診断の結果、やはり雅美は認知症だった。雅美は年のせいだと言い張っていたが、結局、沙知が介護保険を申請することになった。
介護保険の認定を待っている間だけということで、順子、由佳、寛子が分担して雅美を見ることになった。順子はずっと一人だったから、誰かに自分の生活を乱されるという経験がない。由佳も両親と同居していて看取った経験はあるが、認知症ではなかった。そのため、順子と由佳は雅美に着替えをさせたり入浴させたりするのも面倒でたまらなかったし、雅美の言動に大変なストレスを感じた。一番、経験があるはずの美保は病気を理由に協力的ではなかった。
そのころ美保は北村の家に寝泊まりするようになり、あまり家に帰って来なくなった。落ち着いて病気の療養もできないここでの生活が嫌になったのだろうと察しはついた。それでも、順子や由佳から見ると、自分の体調が悪い時は、オールドローズ荘で寝込んでいたくせに、体調が回復すると雅美の世話を自分たちに押し付けて男のところへ行くなんて無責任だと腹立たしかった。
まず、介護ヘルパーを頼んでみた。しかし、雅美は活動的だからすぐ家から出てしまう。天王寺駅周辺は交通量が多くて危険だし、JRも地下鉄も近鉄も乗り入れているから、雅美が電車に乗ってしまうと探しようもない。ヘルパー一人では対応し切れなかった。
デイサービスも雅美は断固拒否した。雅美が粗相した後始末をさせられ、順子も由佳も寛子も屈辱を感じた。
順子も由佳も寛子も、雅美に介護施設に入ってもらうしかないと思っていた。しかしオールドローズ荘の土地は雅美の名義になっている。出て行けということは言いにくかった。雅美に振り回されながらも、順子、由佳、寛子、それにヘルパーで何とか五月までやってきた。
五月になって、由佳がフラメンコの練習で膝を痛めた。病院からタクシーで帰って来た由佳は開口一番に言った。
「ほんと、バリアフリーの家でよかったわ。前の家だったら私、門から玄関までの階段も上がれなかったかも」
確かに、廊下や風呂、トイレにつけた手すりが随分由佳の役に立った。しかし、由佳は支えなしに歩くのも大変な状態で家から出られなくなった。掃除の当番も寛子に金を払って頼むことになった。由佳は金を払っているのだからと寛子に細かく指図をする。友達というより主従のような関係になっていた。一日中、家にいる由佳のいらいらは募り、言っても無駄なのに、雅美が失敗するたびに叱りつける。雅美は由佳にもう帰ってくれと怒る。
美保がいたたまれなくなって、北村のところで暮らすと言い出した。病気にはストレスがいちばん良くないし、いつまで生きられるのかわからないなら、こんなぎくしゃくした仲間といるより、好きな人と一緒にいるほうがいいと言った。順子はもっともだと思うから、引き止める言葉もかけられない。由佳が尋ねた。
「この家への出資金はどうするの?」
「こんなストレスから逃げられるなら、四百万円なんて安いものよ」
順子は目から鱗が落ちたような気がした。自分だって、マンションに戻れなくても、借家を探して出て行った方がいいのかもしれないと思った。
それでも、美保は病気だから仕方ないが、自分はこの状態の雅美を由佳と寛子に委ねて逃げることもできない。
六月の初め、北村が車で迎えに来た。美保は北村のセダンに積めるだけの荷物を積んでオールドローズ荘を出て行った。順子は美保を見送りながら、頼れる男性がいる美保を羨ましく思った。
その夜、順子と由佳、寛子は雅美が寝た後、話しあった。
「雅美さんに介護施設に入ってもらうより仕方ないと思うわ」
由佳が言った。
「まず、雅美さんの娘さんに連絡を取らないと」
順子が言うと寛子が心配そうに言った。
「でもこの土地は雅美さんの名義よ。出て行ってほしいなんて言っていいのかしら」
由佳が寛子を見つめて行った。
「じゃあ、どうするの? 寛子さんが面倒みるの?」
寛子は俯いて黙ってしまった。
数日後、雅美の娘の沙知と由紀がやってきた。二人はまず荒れ果てた庭に驚いた。毎年、六月のこの時期には雅美が丹精を込めたオールドローズが咲き誇っているころなのに、この年は雑草に覆われた庭に貧弱な花が二、三輪咲いているだけだ。
居間のテーブルで順子、由佳、寛子、雅美、それに沙知と由紀が向かい合って話し合った。由佳が切り出した。
「雅美さんを私たちでお世話することはもう限界なんです。御嬢さんたちのご意見もうかがいたいと思って来ていただきました」
由紀が感情的になって叫んだ。
「どういうこと? 母の土地ですよ。母を追い出すなんてことできるんですか?」
順子もつい声を荒げてしまった。
「追い出すなんて。雅美さんは認知症で介護認定2も出ているんですよ。病気なんです。病気の方にはその症状にあったケアが必要でしょう? 私たち、プロでもないので無理です」
「変だわ。病気になったのもあなたたちと同居してからでしょ。それまで何ともなかったのに。沙知、今年のお正月もお母さんは普通だったんでしょ」
沙知は一瞬、口ごもった。それから小さな声で由紀に言った。
「今、考えるとちょっと変だったかも。あの時は、うちの家に来て環境が変わったからだと思ったんだけど。同じことを何回も聞いたり、夜中にトイレの場所がわからなくて私を起こしたり…」
その時、雅美が由紀を見て行った。
「沙知、この方、沙知のお友達なの?」
由紀が叫び声を上げた。
「お母さん、私じゃないの」
「え?」
呆然としている由紀に沙知が声をかけた。
「お姉さん、気を悪くしないで。私は時々会っていたから。お姉さんは東京にいるから一年以上会ってないし」
その時、雅美が居間から出て廊下を左に行こうとした。由佳が問いかけた。
「雅美さん、どこへ行くの?」
「トイレ」
由佳が席を立って、雅美を廊下の右側へ連れて行った。順子が言った。
「家を建て替えてトイレの場所が変わったからです。雅美さん、新しいトイレの場所を覚えられなくて」
由紀と沙知が顔を見合わせた。それから二人で小声で話し始めた。順子と寛子は聞こえないふりをしていたが、話の内容はしっかり聞こえていた。
二人で、どちらかが雅美の面倒を見られるか相談している。それぞれの仕事もあるし、大阪へ帰ってくるのは無理。仕事があるから雅美を引き取るのも無理。結局、順子たちが世話ができないというなら介護施設にということで落ち着いたようだ。それから由紀が切り出した。
「あなたがたが母の世話ができないと言うのなら施設に入れるほかないようですね。でも、このあたりの地価は値上がりしているし、このまま住んでいただくというわけにはいかないと思います。私たちにも今は分からないので、いろいろな方に相談してまた連絡します」
八月になって、雅美は沙知の家に近い大津市の施設に入居することになった。雅美の娘たちとは、借地代を払うということで合意した。順子は後ろめたい気持ちで雅美を見送った。寛子は借地代のことで珍しくこだわった。美保も家の名義がある以上、払うべきだというのだ。由佳が、そんなことを言うなら逆に美保に家賃を払わなければならないだろうと寛子を説得した。
秋になって、由佳の膝はかなり回復したがフラメンコはもう踊れないと医者に言われ、かなり気が滅入っているようだった。奈良の方の、人工関節の手術で有名な病院を人から聞いてそこで診察を受けると言う。その診察予約の日、順子は暇だったので、久しぶりに奈良に行ってみようかという気になった。それで由佳に、奈良の病院に行くなら自分が車を運転して送ると申し出た。由佳はもちろん喜んだ。
車の中で由佳はフラメンコができないなら生きていく意味がないなどと愚痴をこぼし、順子は一生懸命慰めていた。
順子が由佳の話に気を取られていたからだろう。国道で前の車が急にブレーキをかけたのに気付かず、追突してしまった。前の車も、渋滞に気づいてブレーキをかけたのだから、ぶつかった順子が悪い。しかも、前の助手席に乗っていた女性が鞭打ち症になったので、順子は人身事故の責任を負うことになった。由佳の車も前の部分が破損し、修理費もかかる。
それから暫く、順子は事故の処理のため警察に行って調書を取られたり、被害者を見舞ったり、保険会社と遣り取りをしたりと大変な毎日を送っていた。人身事故は初めてだったから、順子はかなり動揺し夜も眠れない状態になった。
そんな時に、順子が頭に来たのは由佳が自分はまったく関係ないという態度を取っていることだった。由佳の車の修理費を自分が全部負担するのはおかしいと思った。由佳を病院に送ろうとしなかったら、事故にならなかったのにと順子は考えた。もちろん、順子が悪いが、由佳からねぎらいの言葉とか、費用の一部を負担しようかとかいう話があってもいいのではないかと思った。
全面的に順子が悪いということで被害者とも話がつき、車の修理も一段落したところで、順子は由佳につい自分の不満を漏らしてしまった。寛子の作った茄子の煮物と鯵の干物と漬物だけという夕食が順子と由佳の気分を滅入らせていたのかもしれない。順子がふと修理費のことを口に出した。
「由佳さんの車の修理費、十六万円かかったわ。思いがけない出費。由佳さんを送ろうなんて言わなければよかったわ。人のために親切のつもりでやったことで私は精神的にもお金の面でも大打撃。こう言う場合、修理費はやっぱり運転していた私一人でかぶるのかしら?」
由佳が順子の言葉に怒り出した。
「何言ってんの? あなたが交通事故を起こしたせいで私は病院の予約をキャンセルしなきゃならなかったのよ。人気がある病院だから次の予約を取るのが大変だったんだから。あれがなければ今頃はもう手術を受けられていたかもしれないのに。私は電車とタクシーでも行けたのにあなたが自分から送るって言い出したのよ」
「そんな言い方、ひどいじゃない。だいたい七十も過ぎて膝を痛めて、無理にフラメンコをやることないじゃない」
「それを言うなら、あなただってもうすぐ後期高齢者のくせに運転なんかするからこんなことになるのよ。しかも人の車じゃない。慣れていないのに」
寛子は一言も口をはさまず、そそくさと食事を終えると自室に逃げて行った。
その日から順子と由佳は一言も口を利かなくなった。それでいて二人とも夕食後も意地を張って、居間に居座っていた。そそくさと自室に引きあげたら、自分が悪いと認めているような気がするからだ。寛子だけがそんな二人の醸し出す緊張感から逃げるように、夕食後すぐ自室に引きあげていた。順子と由佳が一言もしゃべらず居座っている居間の中はぴりぴりした空気が充満していた。
ところが、秋が深まると寛子までずっと居間に居座るようになった。しかも寛子は耳が遠くなってきたので、テレビの音量を大きくする。それで順子と由佳はたまらなくなって自室に引き上げるようになった。しかし夕食はやはりダイニングで取っていたので、テレビの音量は耐え難かった。由佳が寛子に大声で文句を言った。
「耳の悪いのは寛子さんだけよ。私たちはちゃんと聞こえてるんだから、そんなにボリュームを上げられたら耳が痛くなるわ。テレビは自分の部屋で見てよ」
「ごめんなさい。でも、私の部屋は寒いのよ」
「エアコンをつければ?」
「エアコンが壊れてるの」
「買い替えればいいでしょ」
「そんなお金ないわ」
順子と由佳は久しぶりに目を合わせた。自室のエアコンが故障しているからと言って、ずっと居間に居座りテレビを独占する。自分たちが外出が多くて気づかなかったが、寛子はほとんどの時間を居間で過ごし、朝食も昼食もみんなで出し合った食費を使っていたのだろう。
順子はもうこんな共同生活は限界だと思った。順子は二人に言った。
「私、家を探すわ。五十年も一人で暮らしてきたから、やっぱり一人が落ち着くの」
由佳が続けて言った。
「私もそう思ってたのよ。私も出ていくわ」
寛子が慌てて言った。
「ちょっと待ってよ。無責任だわ。私はこの家にずっと住むつもりで、賃貸マンションも解約したし、家具も整理してしまったのよ。これから家を探すって言っても、貯金だってこの家の建築費でほとんど使ってしまったわ」
順子は驚いた。お互いのプライバシーに立ち入りたくないから、寛子の経済状態を考えたこともなかった。由佳が言った。
「年金とかあるでしょ」
「由佳さんたちとは違うのよ。二人とも大学出て、ちゃんとした仕事を定年までしてきたでしょ。雅美さんだってご主人が大企業に勤めてたから年金も多いわ。私は三十五歳で離婚するまで専業主婦よ。それから小さな会社で働いたけど、年金なんてわずかなものだわ。日本画を描くために岩絵の具を買うのも大変だったし、あなたたちみたいに毎日遊び歩くお金もないのよ。二人が出て行って、ここ家の借地代とか固定資産税とか私一人でどうするのよ。広い家だから維持費もかかるわ。もう帰るところもないのに」
順子と由佳は困ってしまって黙り込んだ。暫くして順子が言った。
「すぐには出て行かないわ。私たちも家を探したり時間もかかるし、寛子さんのこともちゃんと考えるわ」
二〇一五年の正月が来た。寛子は息子夫婦のところへ行った。由佳は順子といるのが気まずいのか、友達と温泉に旅行に行くと言った。順子も一人でオールドローズ荘で正月を迎えるのが嫌だった。といっても、友達も正月は家族で過ごす。思い切って「お一人様歓迎」というオーストラリアへのツアーに参加した。
正月が終わって、順子がオールドローズ荘に戻って来た時、既に由佳と寛子は戻っていた。順子の帰宅を待ちうけていたように寛子が話があると言い出した。夕食後、三人が居間のテーブルを囲んだ。寛子が切りだした。
「この家のことなんだけど、もし本当に二人が出て行くなら、息子の家族がここに越して来たいと言ってるのよ」
虫の好過ぎる話ではないかと順子は首を傾げた。由佳を見ると、由佳も難しい顔をしている。寛子が慌てて続けた。
「もちろん、ただでって言うんじゃないわよ。家賃は払わせるわ。今、息子家族は賃貸マンションで暮らしてるの。古くて狭い2LDKだけど家賃も十万円近く払ってる。だけど子供ももう小学生だし、独立した部屋も欲しいでしょ。男の子と女の子だしね。ここなら子供たちに個室が与えられるし、交通も便利だし、この学区の学校はいいらしいの。もちろん借地代も全部うちが払うわよ」
順子は考え込んだ。家賃っていくらくらい払うつもりなんだろう。八十坪の敷地がある新しい一戸建て、しかも都心の真ん中、車庫付き。二十万円はすると思うのだが、寛子の息子にそれだけの財力があれば、今も賃貸マンションに住んでいないだろう。
その時、由佳があっさり言った。
「いいわよ。私たちの勝手で出て行くんだし家賃をもらおうとは思ってない。でも、雅美さんへの借地代と固定資産税だけはお願いするわ」
順子も由佳の言葉で目が覚めた。出ていきたくてたまらなかったのだから、損得を言っている場合ではなかった。
順子はマンションの借家人が契約より早く出ていくことになったので、一月に引っ越すことになった。由佳も古い家が売れ、中古マンションを購入したので、二月には出ていく。
順子がオールドローズ荘を出ていく日の朝、由佳が順子の部屋に来た。由佳が言った。
「いろいろゴメン。事故の時、私、悪かったと思ってる」
順子はほっとした。
「いいのよ。私が自分の起こした事故なのに、由佳さんのせいにしたから気まずくなっちゃったのよね」
「これに懲りずに連絡してね」
「うん。私、ここで共同生活したせいで、かえって友達をなくしてしまったのがショックだった。由佳さんとこれからも連絡取り合えるなら嬉しいわ」
「もっと具体的に決めましょうよ。一週間に一度はメールするの。そしたら、孤独死しても一週間以内には発見されるでしょ。順子さんと鍵を預けあってもいいわ」
「そうね。私も合鍵作って由佳さんに預けるわ。定期的な連絡が取れなくなったら鍵を開けてみて。メールだけでは寂しいから月に一度は食事しようね」
その日の昼前、オールドローズ荘の門のところで順子は由佳と寛子に別れを告げた。結局、一番得をしたのは寛子だったかなとちらっと思ったが、もうそんなことはどうでもよかった。
完
2017年7月15日 発行 初版
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