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この本はタチヨミ版です。
出勤
発令室へ
指揮権移管
想定シナリオの検討
エスカレート
中国政府発表
総理記者会見
深夜の官邸
開戦
かつての電機大手・東芝が実質的に破綻した。それでも東日本大震災で起きた福島原発の事故処理のために、東芝は瀕死のまま生き延びたが、受注は全てキャンセルとなった。
そこで契約できなかったインドネシアの原発建設を、代わって中国企業が落札した。
「どこの国も安いエネルギーは欲しい。そして地元も金と仕事が欲しい。まったく、原発ってものは業が深いよな」
その竣工式になぜか呼ばれた日本の大使館員と、来賓とされた日本の高官が話し合っている。
「原発に限ったことじゃないだろ。俺たちだって安いエネルギーと金と仕事があるからこう言えてるだけで、持たざるものは必死だ。彼らに『ほしがるな』とは言えない。日本だってその道を通ってきたんだ。核燃サイクルってのは正直、先の大戦で日本が味わった飢餓の教訓からなんだぜ。ただの金勘定だったらあんなもん、とっくにやめてるさ」
ふう、と溜息がそろった。
「せめて日立製作所が落札できなかったものか。中国製原発なんて怖いぜ。正直」
「日本の原発は割高だからなあ。円も相変わらず高いし」
「アベノミクスも上手く行かなかったもんなあ」
「でも『安かろう悪かろう』の原発なんて、酷い話だぜ」
「そうは思わない国もあるのさ」
二人はそう嘆く。
「中国が融資して中国が受注して。これ、中国は回収できるのか?」
「まあ、例によってここら辺の国はみんな汚職に首までドップリだからな。日本企業みたいなセンスだと受注できないよ。でもできれば関わり合いたくない。今日だってなんとか外交的にいい欠席の理由はないかって探してたよ。ギリギリまで」
「そうか」
また溜息が出る。
「先進国も経済がどうかしてる。今更『平等に貧しくなろう』なんてできるわけないのにな」
「ああ、あのセンセイか。そういうとても有り難いことおっしゃられる、えらーいセンセイには、まず率先垂範して貰わなきゃな」
一人はその明晰な瞳で言う。
「まず教授の年収千二百万円、一講演百万をそれぞれ返上して年百二十万円だけで暮らしてくれ。それだって基礎老齢年金の年額より多い。大昔、戦争直後にヤミ米取り締まる側がヤミ米食えるものかって自ら配給米だけに食事減らして餓死自殺した裁判官がいたぜ。それぐらいの覚悟あって言うならまだしも」
「まあ、センセーにとっての貧困問題ってのはそのレベルなのさ。上から見た貧困はどれもおんなじ対して差はない。現実に貧困はものすごくそれぞれの事情だから対策しにくいのに」
「その貧困には、あの『チャレンジ』っていってせっせと粉飾決算してた連中は、結局ならないんだろうな」
「ああいう連中には『お仲間』も『セーフティーネット』もちゃんとあるだろうな。全く、とばっちり受けた下請け、どうやって生きていくんだろう。今の世の中、一旦歯車狂ったらもうもどれない。恐ろしい世の中だ。資本主義は相変わらず狂ってるし、社会保障も狂ってる。我が国はすでに共産国並みだぜ。『貧困問題はどうしましょう』って言おうものなら、『同志、我が国には貧困などないはずだが?』って帰ってくるみたいな」
「うわー、ほんとそれ、うちの誰かが言いそうで厭になるよ」
そう言いながら、二人は南国の空を見上げた。
高くそびえる原発の建屋の向こうに、まぶしい太陽が、全てを焼き尽くす地獄の炎のようにギラついていた。
これが、この事態の導火線だった。
その一週間後。
桜の吹雪が舞う千鳥ヶ淵からそう離れていない永田町・首相官邸では、とある官邸スタッフの顔合わせが行われていた。
「彼が外務担当副補佐官の鹿島君」
「防衛担当の磐田です。初めまして」
「君たちで官邸レベルでの、緊急時の安全保障対応の中軸を担当してくれ」
首相官邸で、首席補佐官の福岡が二人を引き合わせた。
「よろしくおねがいします」
鹿島は背の高く痩せた男だが、どちらかというとまだ就活生のような若い雰囲気がある。
「よろしく」
磐田も背は高いがそれ以上にガタイが良い。それを仕立ての良い背広に納めている。
「鹿島君は外務担当の神戸補佐官を補佐する。神戸君の健康不安があることからの人選だ。若干経験不足かもしれないが、そこは磐田君がうまく支えてくれ」
「でも神戸さん、どうしちゃったんですか。急に休んで」
磐田が驚く。
「この前不意に胸痛訴えてな。それで病院で調べたら血圧もヤバかったらしい。上が二〇〇超えてたって。見つからなければあのまま倒れてたかも知れん。危なかった」
「まさか心筋梗塞になりかけ?」
「いや、そうではないらしいんだが、神戸君、繊細だからなあ」
「え、それ、ペア組んでた私のせいですか」
磐田は驚く。
「そうはいってないさ。磐田君は十分やってくれたよ」
「だといいんですが……」
「ともあれ鹿島君は早稲田のサッカー部の主将で、Jリーグに誘われたのにそれを断って外務省に入った逸材だ」
「なるほど、蹴ったわけですね」
ひゅうっと空調が吹いた気がした。
「……鹿島君、磐田君こういうサムいことを時々言うんだが、気にしないでくれ」
「……承知しました」
鹿島はうなずく。
「とはいえ磐田君は自衛隊の部隊経験を経たうえで事務方に入り直した変わり者でね」
「ええっ、自衛官が?」
「いや、いろいろあって」
磐田は照れた。
「いろいろありすぎですよ。そんな経歴あり得るんですか」
鹿島が思わず言ってしまう。
「まあ、自衛隊辞めて大学に入り直したんだが、詳しいことはいずれな。でもそれ故に、制服組と背広組の両方に話が通じる希有な人間だ」
「背広組にも陸海空各幕で話が通じませんでしたからね。統合指揮のためには通訳が必要だったんですよ。そのうえ海保、警察とも話さないといけなかった」
「ああ、そういえば磐田君は元々P-3C哨戒機のパイロットだったんだっけ」
「いえ、TACCOです。戦術航空士。まあ、パイロットでもありながら対潜作戦の指揮官ですね。結局十分な錬成前に途中でやめちゃったんですが」
「珍しいよなあ。そこから大学経由で官邸補佐官ってのは」
「異例ですよね」
「磐田、君が言う事じゃないよ」
首席補佐官はたしなめて笑った。
「というわけで鹿島君を頼んだ」
「え、頼まれちゃうんですか」
「まあ、鹿島君はまだ若いからな。でも経験不足とは言え、外務省のホープだ」
「早稲田卒では外務省は正直辛いですが」
鹿島は弱く笑った。
「外務省、まだ東大閥だの慶応閥だのやってるの? この二十一世紀に?」
磐田が驚く。
「ええ。正直きついです。でも早稲田は閥が弱くて」
「外務大臣はあんなイケイケなのに?」
「磐田、忘れてる忘れてる。今の外務大臣、早稲田卒だよ」
「あ、そういやそうでした。じゃあ、その関係ですか」
「露骨に言うなよ。それを考慮外にしても鹿島君も優秀だよ。経験が足りないけど」
「経験足りないってあんまり繰り返し言わないでくださいよ」
鹿島が弱る。
「他に何がある? ともあれ、しっかり磐田と組んで頑張ってくれ。神戸君もしばらく病院通いだからな。鹿島君、留守居をしっかり守ってくれ。期待してるぞ」

IDパスをタッチして、スチールのドアを開ける。
「これが官邸危機対応発令室。最近出来たばっかりだ」
「あれ、『あの映画』とは命令系統が違うんですね」
「ああ、あの『巨大生物』の? そりゃそうだ。極秘だから。ここと市ヶ谷はあの映画の取材があっても一切ヒントも出せなかった。まあ映画のほうはこれよりかっこよく作ってくれたから、それで十分いいんだがな。リアリティとリアルは違う」
「広い割には椅子の数が少ないですね」
「ああ。ここは発令室として限られた担当補佐官、発令員しかいない。閣僚、各省庁担当官は別の部屋から指示と確認に当たる」
「総理はここに入らないんですか」
「総理もここの発令内容について確認と監査はするが、直接の発令はしない」
「それでいいんですか」
「それにはいろいろと経緯があって。この現代の過酷な危機管理の現場で無駄な会議をいくつもやるわけにはいかない。とくに対応を発令する場合、最高責任者に承認作業の全てが集中することは危険だ。東日本大震災の時も、福島第一原発の時も、最高権限をもつ者の疲労と迷いで、対応が後手に回ったり間違えたりであれだけ被害が拡大した」
「とはいってもこれでうまくいくんですか」
「たしかに模索中ではある。だからいろいろ固定してない。もともと汎用の中会議室に機材を揃えただけだから。あの例の映画っぽい会議室はこことは別の階に五つある」
「五つも。どれも大きな会議ですよね」
「緊急時にはそれぞれに閣僚以下、担当連絡官や担当秘書官がどっさり詰める。そりゃ、会議しないと意見が一致しないし見落としもどうしても出る。文書主義だ。でもそんなこと危機は待ってはくれないからな。ハンコと会議の間に刻々と国民がどんどん死んでいく危機がこれから想定される。それは我々にとって、許されることではない」
「そりゃそうですけど」
「もともといろいろな判断にアシストシステムを入れようって話はあったんだが、作ったところで事態はさらに変化するし、対応する法令も複雑に入り組んでいて、結局システム構築が追いつかない。そこで各省庁の『生き字引』に頼ることになるんだが、『生き字引』は高齢だし、それで解決できないこともあり得る。極端な体力勝負になったら制御不能になりかねない」
「それでここにこのシステムを入れたんですね。『会議は小さく』が原則ですもんね」
「ああ。なかなか使っていて不満はあるシステムだが、何もないよりはマシ、というところだね」
そして、桜は葉桜になり、そして木々の緑が満ちる夏が近づいてきた。
「危機想定発令所演習、状況を以上で全て終了する」
演習統裁官の声が部屋に響いた。統裁官はこういう演習では教官であり、審判である。目黒の自衛隊統合幕僚学校と防衛大学校の教授が行う。他の大学からも人を呼びたかったのだが、防衛関連の研究となると色眼鏡で拒否反応を示すところも多い。そんなことで学問の府の名が泣くと思うのだが、それが平和国家日本の現実だ。戦争の分析もしないのにどうやって戦争を防ぐことができるのか、と磐田は思う。
「磐田さん、いつもすみませんね」
『外務担当』と記されたジャケットを着た鹿島が謝る。
「ダメだ自分」
鹿島が少し落ち込んでいる。
「いや、私も外務のことはよく分からないから、いつも君に教えながら、むしろ私の方が教わってることも多いんだよ。気にしない気にしない」
磐田も『防衛担当』のジャケットを着ている。
「でも、ここが危機対応の要ですから、ミスが出来ないと思うと」
「ミスなんか防げるわけがない。ミスをしないことよりも、自分がやってることを見失わないことの方が大事だ。見失わなければ後で訂正も改良も出来る」
「そうですよね。昼メシなんにします?」
「いつもの官邸食堂で良いだろ。でもどうしても対応中はメシがおろそかになるな。胃が痛い」
「こういう状態で弁当の冷めた揚げ物はキツいですよね。それに眠気止めで何度もコーヒー流し込むのも」
「ほんと、胃に悪いよなあ。胃がん一直線だよ。とはいえ贅沢は出来ないし。それに次から次へと変化する想定の対応に追われて、弁当ほっといて冷ましちゃうもんなあ」
「磐田さんはそれでも冷静ですからいいですよ。弁当屋さんも工夫してくれてるのに。すまないですよね」
「なんか良い方法は無いかなあ。温かい食い物って、士気にすごく関わるんだけどな」
「そうなんですか」
「精神的な安定は身体の温かさに影響されるって言うから。オリンピックメダリストもメンタル強化にそれを使っているらしい」
「それにしても北朝鮮問題の解決はまだ時間かかりそうですね」
「結局、この国の平和主義ってのは結局は見て見ぬ振り、同胞切り捨て主義だからなあ。金正恩暗殺作戦に同意も出来ない。拉致家族を取り返すチャンスだというのに」
「背後の中国が黙っていないって名目ですが」
「言うぶんにはタダだもんな。実際自衛官に戦死者が出たらどれだけ基地外めいた騒ぎになるか、考えるだけでゾッとする」
「ですよねえ」
「だが、今回もやっぱりこの発令所の運用によってどの程度危機対策がはかどるか、未知数な要素は多いな」
「別室で不足する対処法令の起草に備えるって言ってますけど、実際の危機で運用してダメ出ししないとだめですね」
「訓練は訓練だからなあ。実際の危機よりかなり密度上げているはずなんだが」
「そういえば、私、名前覚えるの苦手で。この発令所のみんなの名前、まだ覚えてないです」
「ああ、そういえば、ここに集まってまだ全員、自己紹介してなかったな」
「そうですね。私は柏。警察公安担当です」
太った彼はそう言いながら『警察公安担当』のジャケットをひらひらさせる。
「鳥栖と申します。厚労省担当」
「讃岐です。国土交通担当」
「藤枝って言います。農水担当です」
「水戸と言います。文科担当です」
「そして横浜。財務担当です」
それぞれが自己紹介する。
「すでに顔と名前が一致していないです。私にはこれでも人数多すぎますよ」
みんな、笑った。
「誰がどう喋ってるか分かりません。聖徳太子は無理ですよ」
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年4月6日 発行 初版
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YONEDENこと米田淳一(よねた・じゅんいち)です。SF小説「プリンセス・プラスティック」シリーズで商業デビューしましたが、自ら力量不足を感じ商業ベースを離れ、シリーズ(全十四巻)を完結させパブーで発表中。他にも長編短編いろいろとパブーで発表しています。セルパブでもがんばっていこうと思いつつ、現在事務屋さんも某所でやっております。でも未だに日本推理作家協会にはいます。ちなみに「プリンセス・プラスティック」がどんなSFかというと、女性型女性サイズの戦艦シファとミスフィが要人警護の旅をしたり、高機動戦艦として飛び回る話です。艦船擬人化の「艦これ」が流行ってるなか、昔書いたこの話を持ち出す人がときどきいますが、もともと違うものだし、私も「艦これ」は、やらないけど好きです。でも私はこのシファとミスフィを無事に笑顔で帰港させるまで「艦これ」はやらないと決めてます。(影響されてるなあ……)あと鉄道ファンでもあるので、「鉄研でいず」という女の子だらけの鉄道研究部のシリーズも書いています。よろしくです。