───────────────────────
───────────────────────
登場人物
渡辺友弘・・・駅長
渡辺和子・・・渡辺の妻
飯島・・・・・駅員
細川栄治・・・家出中の高校生
宮田・・・・・OL
列車の発車をしらせるベルが鳴り響く。
車輪がレールをきしませ動き出す。
やがて列車の音は遠ざかり、消えていった。
夜に駅のホームが現れる。
そこは北海道の小さな駅である。
ホームにはベンチと外灯。
舞台上手の駅舎には、改札口と駅員室のドアがある。
舞台下手には、向かいのホームへ続くであろう連絡橋の階段が見える。
渡辺が駅員室からホームに出てくる。手には、ほうきとちり取り。
列車が向かった先を確認し、掃除を始める。
やがて、鼻歌で「ラストダンスは私に」をなぞり始める。
八月の終わり。下り最終列車を待つ時刻。
いつものように一日が終わろうとしている。
飯島が連絡橋の階段を下りてくる。
両脇に小包みと小さなスポーツバッグを抱えている。
飯島 23時48分。上り最終普通列車、発車しました。
渡辺 ご苦労さん。間に合ったか。
飯島 残念ながら。
渡辺 えっ。
飯島 間に合いました。
渡辺 ばか。
飯島 少しか悪びれていれば可愛げもあるんですけどね、あのオヤジ。
渡辺 オヤジじゃない。お客さんだ。
飯島 わかってますけど。
渡辺 お前、お客さんに向かってそんな口の利き方してないだろうな。
飯島 してません。してません。
渡辺 どうだか。頼むぞ。
飯島 だって、こうですよ。いやいや、待たせちゃったね。あれ、俺が最後かな。悪い、悪い。だったら、もっと速く走れってつうの。何様のつもりだか。たかが田舎のスーパーの部長だろうが、ってね。
渡辺 社長だ。
飯島 うそっ、あれで。…あら、そう。
渡辺 おやじさん引退して。まあ、あいつも大変らしい。
飯島 どうですかね。僕の見たところ、ありゃ酒太りですよ。今だって絶対飲みに行ったんです。財布しか持ってませんでしたから。やっぱり寸前のところで発車しちまえばよかったですかね。
渡辺 ばか。
飯島 こんな時間からくり出す奴につき合うほど、こっちは暇じゃないんだっつうの。
渡辺 ほう、お前でも忙しい時があるんだ。
飯島 あれ、そうきちゃいますか。
渡辺 最終は勘弁してやれ。
飯島 わかってますけど。…しかし、店やってるんですかね。こんな時間に、この町で。
渡辺 ひとの心配より。お前は、時間いいのか。
飯島 えっ。何がですか。
渡辺 忙しいんだろう。旅の支度で。
飯島 いえいえ。
渡辺 何が、いえいえだよ。気はもうはるか遠くに行ってるくせに。
飯島 とんでもないっすよ。
渡辺 お前が時間気にして仕事する姿、初めて見せてもらったわ。
飯島 そんな。
渡辺 まるで駅員のようだったぞ。
飯島 やめてくださいよ。
渡辺 上がっていいぞ。
飯島 えっ。
渡辺 支度はできてるのか。
飯島 まあ。でも、まだ下りの最終も残ってますし。
渡辺 それに乗ってゆくんだろうが。
飯島 そうですけど。それに、今日は特別列車も走ってますから。
渡辺 あんなもん、ただ通過するだけだろうが。
飯島 …でも、お休みを頂く身としては、立つ鳥跡を濁さずっていうか。
渡辺 ほう、さすが年寄り残して遊びに行く度胸のある人間は、言う事が違うね。
飯島 はは。
渡辺 どうせ下りはお前を乗せたら終わりだよ。とっとと上がれ。時間はいつも通り付けといていいから。
飯島 やった。ありがとうございます。
渡辺、掃除の手を休めて夜空を見上げる。
渡辺 おう。いつの間にか、晴れてきたな。
飯島 はい。いい感じです。こういう時に、日頃の行いっていうやつですかね。
渡辺 傘持っていった方がいいぞ。
飯島 けち付けないでくださいよ。
渡辺 たった一日真面目に働いたくらいで、お天道さまがそんなにサービスすると思うか。
飯島 やっぱり、駄目っすかね。
渡辺 どこまでだって。
飯島 知床まで行ってみようと思ってるんですけど。
渡辺 知床。こんな時間から行って、間に合うのか。
飯島 ピークは明け方近くらしいんです。すごいんですよ。南の空を、こうまるでスコールのように一斉に降り出すんです。
渡辺 やっぱり、傘持ってた方がいいんじゃないか。
飯島 だから雨じゃなくて星なんですってば。
渡辺 わかったよ。まあ、楽しんでこい。
飯島 はい。それじゃ、お言葉にあまえて。
渡辺 おう。
飯島、駅員室の方へ向うが、思い出したように向き直り、
飯島 渡辺さん、これ。小包み届いてます。机に置いときますね。
渡辺 おい、待て、待て。
飯島 えっ。
渡辺 持ってくな。
飯島 あ、はい。
飯島、渡辺に小包みを渡す。
渡辺 乱暴にあつかうんじゃないよ。
飯島 …ああ、例の。
渡辺 …直ってきてくれてればいいんだが。
渡辺、ベンチに座り、小包みの紐を解いてゆく。
飯島も、その横に座り。
飯島 年季入ってますもんね。…お宝ものなんですよね。
渡辺 そんな大したもんじゃないよ。
飯島 いや僕の見たところ、その手のマーケットじゃ、結構な値をつけると思いますね。
渡辺 …なんだ、そっちは。
飯島 あ、忘れ物です。いつもの夕方の女子高生だと思うんですけど。
渡辺 夕方の、…その後俺も見回ったぞ。
飯島 階段の裏にありましたから。
渡辺、箱から懐中時計を取り出す。
飯島 …やっぱ渋いっすねえ。なんていうか、趣があるというか。
渡辺 わかったような。
飯島 いぶし銀って感じっすよね。
渡辺 どこが銀なんだよ。金だろうが。
飯島 ほら、だったら高いじゃないですか。…純金ですか。
渡辺 メッキだ、メッキ。
飯島 いやー、もう教えてくださいよ。
渡辺 いいから、行けよ、お前。
飯島 変な気起こしませんから。それとも教えられないほど高価なものなんですか。うん百万とか。
渡辺 そんなものを、毎日こうやって胸にぶら下げて仕事できるか。
渡辺、取り出した時計を確かめ、胸のポケットに結ぶ。
箱はポケットに突っ込む。
飯島 それもそうですね。でも、いずれ僕が譲り受けるとなれば、その価値も知っておかないと。
渡辺 誰が譲るんだよ。
飯島 …だって、昔、お世話になった駅長さんから譲ってもらったって。
渡辺 俺は譲ってもらったよ。でも、なんでお前に譲らなきゃならないんだ。
飯島 そうやって代々…。
渡辺 勝手に話を作るな。
飯島 違うんですか。
渡辺 いいよ、もう。とっとと知床でも、サハリンでも行っちまえ。
渡辺、飯島からバッグを取り上げ、開けようとする。
飯島 えー、ショックだなあ。
渡辺 …ったく、何か考えてんだか。
飯島 あ。
渡辺 なんだ。
飯島 いえ。
渡辺、バッグを開けようとして、
飯島 ああ。
渡辺 なんだよ。行けよ、早く。
飯島 それ、忘れ物ですよ。
渡辺 わかってるよ。
飯島 渡辺さん。向こうで。
渡辺 はあ。
飯島 ひとに見られたら。
渡辺 誰が見てるって言うんだよ。
飯島 とにかくこっちのほうが。
飯島、渡辺を駅舎の陰まで引っ張ってゆく。
渡辺 その前に、なんで隠れなきゃならないんだよ。
飯島 だって、女子高生のですよ。
渡辺 お前は、何を期待しているんだ。
飯島 違いますよ。なに言ってるんですか。
渡辺 お前、女つくれ。いい年して一人で星見に行って喜んでいるようじゃ。
飯島 いいじゃないですか、僕の楽しみなんですから。そりゃ渡辺さんはいいですよね。新婚ですもんね。
渡辺 ばか。俺のは、ただの成り行き上の再婚だよ。
飯島 そんなこと言っていいんですか。あんないい奥さんもらって。
渡辺 だったら、お前も女見つけてこい。女子高生なんかに、…お前やめろよ。この駅で盗撮事件とか起こすなよ。
飯島 しませんよ。
渡辺 危ないな、お前。
飯島 どんな風に見てるんですか、僕のこと。
渡辺 そう言えば、今日カメラ持ってきてなかったか。
飯島 だから、星見に行くんですってば。
渡辺 頼むぞ。
飯島 わかってますよ。さあ。
渡辺、バックのファスナーに手をかけ、
渡辺 …逆に開けづらいだろうが。
飯島 ここなら大丈夫ですから。
渡辺 …お前、時間いいのか。
飯島 いいですから、早く開けてください。
渡辺、バッグを開ける。
渡辺 …ほう。
飯島 …なんて言うか、懐かしい匂いですね。汗臭いって言うか、泥臭いって言うか。
渡辺、バッグから野球ボールを取り出す。
渡辺 …最近は、女子も野球やるんだ。
飯島 いや、男子ですね。どう見ても。
渡辺 男子が、こんなハイカラなバックを持ってるか。
飯島 ハイカラっていうのが、いまいちかわからないですけど。普通ですよ。
渡辺 そうか。…誰だ、女子高生って言ったの。
飯島 …。
渡辺 …お疲れさん。
渡辺、飯島にバッグを渡し、掃除に戻る。
飯島 早いっすね、興味なくすの。
渡辺 俺の机の上に置いとけ。後で調べておくから。
飯島 いいんですか。男子ですよ。
渡辺 おつかれ。
飯島 お先です。
飯島、駅員室へ去ってゆく。
渡辺、懐中時計を取り出し、時間を確認する。
階段から辺りをうかがう細川の姿が見える。しかし、渡辺を見つけすぐに隠れる。
渡辺、掃除を続ける。
鼻歌から、次第に歌「ラストダンスは私に」を口ずさんでゆく。歌いなれたようすで、英詞のまま歌っている。
和子が手提げを持って、ホームの奥からやって来る。
和子、渡辺に声をかけずに、歌を聴いている。
渡辺 (歌がサビにかかり、のってきたことろで)…おぉ。どうした。
和子 ううん。遅くまでご苦労様。
渡辺 声かけろよ。
和子 そうね。
渡辺 驚かすな。
和子 邪魔しちゃ悪いかなって。せっかく気持ち良く歌っているのに。
渡辺 そんなんじゃないよ。
和子 ふーん。そんなんじゃないんだ。
和子、ベンチに座る。
渡辺 …どうした。なにかあったのか。
和子 別に。…この時間になると、もうこんなに冷えるんだね。
渡辺 先に休んでいいから。
和子 明日は早いんでしょう。
渡辺 朝一だ。どっかの働き者が遊びに行っちまうからな。
和子 寂しいんじゃない。
渡辺 ばか。うるさいのがいなくていいよ。
和子 そうかしら。
渡辺 …何してるんだお前、そこで。
和子 別に。
渡辺 仕事の邪魔だ。
和子 …八月終わっちゃうよ。
渡辺 ああ。
和子 いいの。
渡辺 なにが。
和子 なにがって。…友一君。
渡辺 …いいんだよ。
和子 連絡してみればいいのに。
渡辺 お前が、心配することじゃない。
和子 …そう。…向こうの大学って、いつまで夏休みなのかしらね。優美も結局帰ってこないし。何して遊んでるんだか。
渡辺 優美ちゃんを友一と一緒にしちゃかわいそうだ。
和子 どっちが。
渡辺 …。
和子 …本当に冷えるわね。上着、取ってこようか。
渡辺 いい、いい。
和子 どうして。いいわよ、持ってきてあげる。
和子、立ち上がり、ホームの奥へ戻ってゆこうとする。
渡辺 いいから、余計なことしなくても。
和子 …はい、はい。
渡辺 それより、お前どこからわいて出た。
和子 んっ。(ホームの奥を指さし)勝手口から。
渡辺 ホームに勝手口作るんじゃないよ。
和子 いいじゃない。
渡辺 あれは通用口なんだって言ったろう。
和子 だって、うちの勝手口に続いてるじゃない。
渡辺 業務用なの。駅員のためのものなの。
和子 けちくさいわね。自分はしょっちゅう出入りしてるくせに。
渡辺 俺は駅員なの。お前は一般人なの。一般人は勝手にホームに入れないの。
和子 勝手に入れるから勝手口でしょう。
渡辺 だから、勝手口じゃないんだって。
和子 変なところにこだわるんだから。だから学校祭出れなかったのよ。
渡辺 はあ。なんの話だ。
飯島、駅員室のドアから出てきて、
飯島 渡辺さん。
渡辺 ああ。
飯島 あれ、どうしたんですか、和子さん。
和子 んっ。飯島さんのお見送り。
飯島 うわあ、嬉しいな。
渡辺 ばか。
飯島 えっ、違うんですか。
渡辺 どうした。
飯島 あ、きっぷの販売機がつり銭切れになっちゃってまして。
渡辺 用意しとけよ。いつも言ってるだろう。
飯島 すいません。
渡辺 …今日は、もういい。明日でも大丈夫だ。
飯島 10円玉のほうですから。
渡辺 わかった。
飯島 あと。トイレのドアノブが外れかけています。
渡辺 またか。
飯島 はい。それから警察のポスターがいたずらされてます。みんなサングラスをかけて雰囲気は出ましたが、あれじゃ、指名手配の顔がわかりません。
渡辺 …わかったよ。どうやら明日は、暇しなくてすみそうだな。
飯島 それと連絡橋の階段の蛍光灯が切れかけてます。夜は、気をつけてください。
渡辺 お前、取り換えろよ。
飯島 いや、気にはなってたんですけど。
渡辺 なにやってたんだ、今日一日。
飯島 ああ、はい。…それとですね。
渡辺 いいよ、もう。報告書に書いとけ。明日全部やるから。
飯島 はい。では。
渡辺 おつかれ。
和子 気をつけて行ってきてね。
飯島 はい。ありがとうございます。
飯島、駅員室に去る。
渡辺 …ったく。
和子 明日は一人で寂しがってる暇もなさそうね。
渡辺 邪魔だ。
渡辺、ベンチの回りを掃除する。
和子は、足を浮かせベンチの上で膝を抱えてみせる。
和子 はい、はい。
渡辺 …おい。なにか臭わないか。
和子 そう。
渡辺 ああ。香ばしいって言うか、少し甘ったるい。
和子 …お腹減ってない。
渡辺 なんだ、お前か。
和子 さあ。
渡辺 なに持ってきてるんだ。
和子 お腹へってるの、へってないの。
渡辺 こんな時間になにやってんだ、お前。
和子 いいじゃない。それよりどっちなの。
渡辺 そんなもん、どっちでもいいよ。早く帰って寝ろ。
和子 そう。お邪魔しました。
和子立ち上がり、改札口へ向かう。
渡辺 おい、どこ行くんだ。
和子 ちょっと、飯島さんに用を思い出したの。
渡辺 勝手に改札を通るな。
和子 もう、いいじゃない。
渡辺 駄目だ。
和子 それじゃ私はどうすればいいの。あっちも駄目こっちも駄目。ここからどこへも行けないわけ。もう密室状態ね。ここで私が殺されたら、友弘が犯人にされちゃうのよ。それでもいいの。
渡辺 ふざけるな。ここは仕事場だぞ。
和子 わかってます。
渡辺 お客さんが見たらどう思うんだよ。
和子 この時間に乗る人なんかいないじゃない。
渡辺 お前にわかるのか、そんな事。
和子 …わかるわよ。
渡辺 わからんぞ。今だって待合室は人でごった返してるかもしれないよ。いやー、儲かって困っちゃうなあ。
和子 ばか。頑固なんだから。
渡辺 飯島に用なら、そこのドアから静かに入れ。
和子 …学校祭楽しみにしてたのよ。
渡辺 だから、なんの話だよ。
和子 教頭先生に呼ばれたじゃない。有志発表で岡林か誰かの歌歌おうとして、歌詞が学生にはふさわしくないとか言われて。なんだっけ、私たちのー、とかなんとか、一生懸命練習してたじゃない。
渡辺 いつの話をしてるんだよ。
和子 確か、中三の学校祭ね。
渡辺 そんなことはわかってるよ。
和子 わかってないわよ。曲変えるくらいなら、歌いませんって全然譲らなかったじゃない。
渡辺 だから、そういう問題じゃないだろう。
和子 みんな楽しみにしてたんだから。どうせ岡林なんて誰もよく知らなかったんだから、拓郎とか陽水とか、当たり障りのない歌にしとけばよかったのよ。
渡辺 話が違うだろう。
和子 同じよ。
渡辺 …とにかく。勝手に出入りするな。いいな。
和子 はい、はい。わかりました。
和子、駅員室のドアから去ってゆく。
渡辺 …ったく、なにしに来たんだ。
渡辺、体を落とすようにベンチに座る。
時計を再び取り出して時間を確認する。
渡辺 …あれ。(時計に耳を当て)おい、頼むぞ。修理したばっかだぞ。
渡辺、時計のねじを巻き、もう一度耳を当ててみるが。
渡辺 …そろそろ諦めなくちゃだめか。
渡辺、ポケットから箱を出し、時計を戻す。
細川がリュックを背負い階段を静かに下りてきている。
渡辺、それに気づき、
細川 …。
渡辺 …。
細川 …あの。…そろそろ最終の時間ですか。
渡辺 はあ。
細川 下りの、最終。
渡辺 失礼ですけど、お客さん、どこから入ってきました。
細川 えーと。ヘへ。
渡辺 こら。
細川 いや。
細川、ホームの奥(下手)へ逃げる。
渡辺、時計をベンチに置き、細川を追いかける。
和子、改札を抜けてくる。飯島を探している。
和子 飯島さーん。…もう、飯島さん、どこ。
細川、階段を回って走って戻ってくる。
和子に気づき、そのまま階段を駆け登ってゆく。
和子、動けずにいるが、ベンチに置いてある、時計の箱に気づく。
渡辺、細川を追いかけてきて、
渡辺 どこ行った。
和子 …飯島さん。
渡辺 違う。
渡辺 今走ってきただろう。
和子 …誰。
渡辺 若いの。
和子、階段を指さす。
渡辺 くそっ。
和子 ああ、ねえ、飯島さん、知らない。
渡辺 お前は、帰れ。
細川、階段を下りてきている。
細川 あの、すいません、誤解が。
渡辺 お前、そこを動くな。
細川 話を聞いてください。
渡辺 動くなって言ってるだろう。
細川 いや。
細川、また階段へ逃げる。
渡辺、追いかけてゆく。
和子、時計の箱を手に取り開けてみる。
そして素早く、手提げに仕舞う。
渡辺、すねを押さえながら戻ってくる。
渡辺 …痛てて。
和子 ちょっと、なにやってるの。
渡辺 蛍光灯取り替えろ。飯島ぁー。
和子 大丈夫。
渡辺 お前は、帰る。
和子 今の、誰。
渡辺 知るか。ああいう奴がいるから、勝手に出入りするなって言ってんだよ。…痛ててて。
細川、階段をそっと下りてきて、
細川 …あの、大丈夫ですか。
和子 ちょっと、暴力はやめなさいよ。
細川 僕は、なにも。
渡辺 お前、どこから入ってきた。
細川は階段を見て、和子は勝手口と改札口を見比べる。
渡辺 いいか、ホームに勝手に入っちゃいけない。わかるだろう。
和子 それは、誰に言ってるの。
渡辺 …両方だよ。一般常識だ。…どうも返事はないようだけど。
細川 あの、僕、乗り過ごしちゃって。
渡辺 はあ。
細川 なんかうとうとしてたら、いつの間にかこんな田舎に。
渡辺 田舎ってな、お前。
細川 あ、いや。…まだありますか、電車。
渡辺 電車なんかもう無いよ。
細川 えっ。
渡辺 下りはあるけど。上りはさっき行っちまって。…なんだ、さっきの上りに乗ってたのか。
細川 はい。引き返したいんですけど。
渡辺 どうしてこそこそ隠れたりするんだよ。
細川 いや、隠れてたわけじゃ。
渡辺 じゃ、どうして逃げた。
細川 だって、追いかけてくるから。
渡辺 ああ、もう。飯島はなにを見回ってるんだ。…切符は。
細川 ああ、…はい。(ポケットから切符を出す)あの、乗り換えたいんです。今夜の寝台に乗らなくちゃ行けないんです。
飯島、私服に着替えて、改札を抜けてくる。
飯島 渡辺さん、呼びました。
渡辺 お前、どこ行ってた。
飯島 どこって。
和子 よかった、渡すものがあるの。
飯島 ああ、はい。…どうも。
細川 …どうも。
飯島 ご親戚の方ですか。あ、すいません。ちょっと奥で着替えてたものですから。お父さんには、いつもお世話になっています。
細川 はあ。
渡辺 ばか。
飯島 あれ、違うんですか。夏休みに、会いにやって来るとか言ってたのは。
渡辺 切符お返しします。申し訳ありませんでした。まもなく改札ですから、このままホームでお待ち頂くということでよろしいですか。
細川 あ、はい。
飯島 …お客さんですか。
和子 そうみたい。
渡辺 お前は。
和子 はい。帰ります。
渡辺、すねを気にしながら、駅員室へ去る。
飯島 …どうなってるんですか。
和子 飯島さん。ちょっと。
和子、渡辺が去ったのを確認して、飯島に手提げを渡す。
飯島 …なんですか。
和子 大したものじゃないんだけど。
飯島 あったかいですね。…このにおい。
和子 コロッケなんだけどね。
飯島 本当ですか。やったー。
和子 いいわよ、そんな大げさにしなくても。
飯島 ほら、よく渡辺さんのお弁当に入ってるじゃないですか。いつも指くわえて見てるんですよ。
和子 ただのイモコロッケよ。
飯島 コロッケは、イモに決まってるじゃないですか。渡辺さん、絶対にくれないんですもん。一度、和牛ハンバーグとトレード申し込んだんですけど、断られましたから。和風じゃなくて、和牛ハンバーグですよ。
和子 温かいうちに食べてね。
飯島 ありがとうございます。
和子 ビールも小さいのしかなくて、足りないでしょうけど。うちの冷蔵庫にそれしかなくてね。
飯島 いいんですか。
和子 いいの。いいの。
飯島 だって…。
和子 駅長さんには、内緒よ。
飯島 …はい。
細川、改札口から駅舎の中を覗いたり、落ち着きがない。
和子 楽しみね。
飯島 ええ。天気も良くなってきましたし。
和子 私もね、飯島さんから話を聞いて、たまには夜更かしするのもいいかなって思ったんだけど。
飯島 ぜひ。いいんじゃないんですか。夫婦水入らずで眺める流れ星なんて。
和子 あの人は駄目よ。そんな気あるわけないんだから。
飯島 そうですかね。僕の見たところ、意外とロマンチストっていうか、ナルシストっていうか。
和子 …私も、飯島さんについて行っちゃおうかな。
飯島 …それは。
和子 駄目なの。
飯島 とんでもない、光栄です。でも渡辺さんに怒られちゃいますから。
和子 かまうもんですか。
飯島 いや、和子さんはそれで済むかもしれないですけど。僕は、一緒に仕事をしなければならないわけで。上司と部下というのは、これはなかなか微妙なものでして。
和子 なによ。女を誘う時はね、少しくらい強引じゃないと。
飯島 …はあ。
和子 まあ、相手が私じゃあねー。
飯島 だから、…もう、いじめないでくださいよ。
和子 こう見えても、私のセーラー服姿、けっこうイケてたんだからね。
飯島 はあ。
渡辺、駅員室から飛び出して来る。
細川、慌ててよける。
ドアが開けっ放しになり、細川は駅員室の中を気にする。
飯島 …どうしたんですか。
渡辺 時計なかったか。(ベンチの辺りを探している)
飯島 時計って…。
渡辺 オレの時計だよ。
飯島 さっき箱から出して胸にしまってたじゃないですか。
渡辺 違うんだよ。…お前は、まだいるのか。帰れよ。
和子 はい。はい。
渡辺 飯島、さっきのあの箱、わかるな。
飯島 ええ。
渡辺 探しとけ。いいな。
飯島 …はい。
渡辺、走って駅員室に戻る。
飯島 …大丈夫ですかね。
和子 …えっ。…うん。
飯島は、ベンチの辺りを探し始める。
構内に改札のアナウンスが響く。
渡辺 (アナウンス)お待たせいたしました。只今より、24時15分発北見行き下り最終普通列車の改札をいたします。ご乗車のお客様は一番ホームへおいでください。
和子 …それじゃ。楽しんできてね。
飯島 はい。あ、これ。ごちそうさまです。
和子 うん。
和子、改札口に向かう。
飯島 あれ、こっちから行かないないんですか。
和子 お客さんが見ていたら、いけないでしょう。
飯島 …はあ、なるほど。
和子、改札口から去ろうとするが、細川と目が合い立ち止まる。
和子が頭を下げる。細川もそれに返す。
和子、細川を見ている。
細川 …なにか。
和子 …学生さんですか。
細川 えっ。…ええ。
和子 ご旅行ですか。
細川 …まあ。
和子 どちらから。
細川 あの、なにか。
和子 ごめんなさい。もし東京からいらっしゃってるのなら…。
細川 いいえ、違いますよ。
和子 …そうですか。いえ、むこうの大学はいつまで夏休みなのかなあって、ちょっと。
細川 …夏休み。
和子 ええ。…いえ、いいんです。ごめんなさい。
和子、飯島のところまで引き返して、
和子 …駅長さんが探してるのって、懐中時計のこと。
飯島 だと思うんです。今日修理から戻ってきたんですよ。
和子 そう。
飯島 さっき胸にしまってたんですけどね。
和子 箱って言ってたけど。
飯島 送られてきた時に入っていたこのくらいの箱だと思うんです。…ああ、いいですよ。僕、探しておきますから。もう遅いですし。
和子 あの時計、とても大事にしてるみたいなの。
飯島 ええ。…あれ結構な値段するんですかね。
和子 それはどうだか。
飯島 和子さんも知らないんですか。
和子 触らせてももらえないわよ。
飯島 …ああ。
和子 何か知ってる。
飯島 …えっ。
和子 あの時計のこと。
飯島 いいえ。
和子 …そう。
飯島 …はい。
和子 コロッケ返してもらおうかな。
飯島 いや、本当ですって。本当に。まったく。全然。
和子 わかったわよ。
和子、ベンチに座る。
飯島 …いや。
和子 気にしないで。探してあげて。
飯島 …僕もよくは知らないんですけど。昔お世話になった駅長さんからもらったものらしいです。
和子 だったら、別に隠さなくたっていいじゃない。
飯島 …そうですけど。
和子 結局、私は入れてもらえないんだよね。
飯島 そういうわけじゃ。…いやー、どうなのかなー。…なんかおしゃべりって思われるのも、あれだし。…和子さん全然知らないんですよね。…ああ、もう。
和子 早く、口割っちゃいなさいよ。しゃべりたいんでしょう。
飯島 違いますよ。…あの、誤解しないでくださいね。
和子 こういう時って、じらせばじらすほど誤解が大きくなるものよね。
飯島 わかりましたよ。でも、僕から聞いたなんて言わないでくださいよ。
和子 わかってるわよ。
飯島 あのですね。あの時計は、昔お世話になった、…。
和子 聞いたわよ、それは。
飯島 …それが、…。
和子 まあ、座りなさいよ。
飯島、ベンチの端に座る。
和子 …それで。
飯島 …それが、…もうとっくの昔の話ですよ。…お前も一人前になったっていう事で、渡辺さんの、…前の、……結婚のお祝いに、譲り受けたものらしいです。はい。
和子 …それだけ。
飯島 ほんとですよ。僕は、それしか聞いてないですから。
和子 そんな事を隠してるの。
飯島 それはだから、ほら、やっぱり変な誤解をされたくないというか。だから、それだけ和子さんの事を大事に思っているってとこなんですよ。
渡辺、駅員室から走ってきくる。
飯島、慌てて時計を探し始める。
和子も探す姿勢を取るが、目は動いていない。
渡辺 お客さん。24時52分。
細川 はい?
渡辺 北見で乗り換えね。
細川 間に合いますか。
渡辺 この最終に乗れば大丈夫です。網走を3分遅れで発車したらしいですが、まあ、時間どうり走ってるでしょう。
細川 ありがとうございます。
渡辺 では。いい旅を。
細川 あ、あの。
渡辺 …はい。
細川 すいません。トイレって。
渡辺 ああ。改札抜けると、切符の販売機ありますから。その横のドアです。
細川 いいですか。
渡辺 どうぞ。
細川、改札口の幅とリュックの大きさを見比べる。
渡辺 …大丈夫ですよ。この時間、お客さんいないですから。
細川、リュックを改札口の脇に置いて去る。
渡辺、ベンチまでやってきて、
渡辺 なにしてる。
飯島 えっ。あの箱探してるんですよ。ねえ。
和子 …ええ。
渡辺 俺は、飯島に頼んだんだ。お前には頼んでいない。
和子 …ごめんなさい。
渡辺 帰れって言ったろうが。
和子 飯島さん。ごめんなさい。
飯島 いえ。
和子、真っ直ぐに改札口から去る。
渡辺 お前も、もういい。
飯島 でも。
渡辺 荷物、まだ中だろう。
飯島 …はい。
飯島、駅員室へ去って行く。
渡辺 …飯島。
飯島 …はい。
渡辺 その手提げどうした。
飯島 …あ、差し入れ頂いちゃいました。
渡辺 お前な。
飯島 (深く頭を下げ)ごちそうさまです。
渡辺 …もう、女子高生でもなんだもいいから、早く女つくれ。
改札口から、宮田が顔を出す。
宮田 …あの。
渡辺 あ、申し訳ありません。
宮田 いいですか。
渡辺 どうぞ。
宮田、ホームに出る。
宮田は、スーツ姿であるが、仕事以上のおしゃれをしている。首にヘッドフォンが掛かり、その服装に不釣り合いである。
渡辺、改札口まで駆けつけ、宮田が差し出した定期を確認する。
渡辺 こんばんは。
宮田 こんばんは。
渡辺 すいません。ちょっと、ごたごたしていまして。
宮田 いいえ。
渡辺 遅くまで、大変ですね。
宮田 今日は、特別。
渡辺 そうですか。気をつけてお帰りください。
宮田 はい。
飯島、しばし二人のやり取りを見てから駅員室へ去る。
宮田 あの。
渡辺 はい。
宮田 今駅から出て行ったの、高畑さんですよね。
渡辺 ええ。
宮田 よろしくお伝えください。
渡辺 はい。それでは。
渡辺、駅員室に去る。
宮田、耳にヘッドフォンをかける。
外灯の下まで行き、バッグから本を取り出し立ったまま読み始める。
飯島、荷物を背負って改札口から出てくる。
ベンチに座り、宮田と少し距離をおき列車を待っている。
宮田の本からしおりが落ちる。
飯島、しばし考えてから、しおりを拾って、
飯島 あの。
宮田 …、(飯島の手にしおりを見つけて)はい。すいません。
飯島 いいえ。
宮田 (ヘッドフォンを外し)どうも。
飯島 いえ、いえ。
宮田、またヘッドフォンを付ける。
飯島 こんな時間まで、大変ですね。
宮田 (ヘッドフォンを外しながら)はい?
飯島 いえ。こんな遅くまでお仕事大変だなあと思いまして。
宮田 …ええ。
飯島 お疲れでしょう。私も、仕事が不規則なもので。よくわかるんですよ。
宮田 私は今日だけですから。
飯島 それじゃ、また明日からは6時の列車でお帰りに。
宮田 ……よくご存知で。
飯島 いえ、別にチェックしてる訳じゃないんですよ。ほら、毎日同じ方が同じ時刻にいらっしゃるものですから。なにせ、ほら…。
宮田 小さな町は、…。
飯島 ええ、そうなんですよ。
宮田 これだから…疲れちゃう。
飯島 …そう、そうですね。…僕もですね。最終で帰る時なんかは疲れてますから、車内が空いていると、靴脱いで横になったりしちゃうんですけど。
宮田、ヘッドフォンを付ける。
飯島 …あ、本当は見つかったら、僕なんかは怒られるんですけど。それで一度、そのまま眠っちゃって。でもいつもの駅が来たらぱっと目が覚めたんですよ。そこは、こう見えてもプロなんでしょうね。それで慌てて降りたら裸足で。えらい目にあいました。ハハハ。
宮田、意図的に音を立て本のページをめくっている。
飯島 すいません。黙ってます。
宮田 …えっ。(ヘッドフォンを付けたまま)ああ、どうぞ。気になりませんから。
飯島 …はい。…今日は、…ちょっと浮かれてるんですね、僕。普段はこんなんじゃないんですよ。仕事中は、そりゃもう寡黙で。静かすぎて仕事してないんじゃないかと疑われるほど寡黙で。それが、今どうしてこんなに饒舌なのか。きっと仕事を終えた充実感と、この綺麗な星空のせいですかね。
宮田、諦めたようにヘッドフォンを外す。
飯島 いや、実はですね。これから星を見に、ちょっと知床まで出かけちゃおうかなあなんて思ってるんですよ。
宮田 …そうですか。
飯島 ご存知ですか。流星群って言うんです。
宮田 …テレビで少し。
飯島 そう。僕もテレビで観るまでは、全然興味なかったんですよ。それがこんなの百年に一度しか見られないっていうじゃないですか。それこそ星の数ほど星が降ってくるんですよ。
宮田 でも、星の数ほど星が降ってしまったら、夜空に星無くなりますね。
飯島 …そうですね。…でも、きっとそのくらい凄いんですよ。そんなもう二度とないような機会なら、やっぱり見てみたいなあと。どうせ見るなら、街明かりのない田舎がいいかなと。
宮田 田舎なら、ここで十分じゃないですか。
飯島 まあ、そうなんですけどね。星も綺麗だし。…でも考えたんですよ。どんな田舎よりも海のほうが暗いだろうって。だって人住んでませんから。だから港のある町に行ってもしょうがないんです。沖でイカなんか釣られた日にゃ、元も子もないですから。そこで、知床なんです。僕も、これでいろいろ考えたんですよ。だって、これは一生に一度のビックイベントですから。
宮田 百年に一度なら、そうですね。
飯島 あれ、見たくなってきました?
宮田 …ええ、そうですね。
飯島 でしょう。やっぱり、見たいと思いますよね。そうなんですよ。それが、なんと、今夜なんです。この機会しかないんです。確か、明日は週末でお休みでしたか。
宮田 でも、海って霧が出ません。
飯島 …考えてませんでした。
宮田 確率悪い気がするんですけど。ごめんなさい。余計なお世話でしたね。
飯島 いいえ。…計画段階では、頭ん中、満天の星空でしたから。
宮田 あの。
飯島 …はい。
宮田 まだですか。列車。
飯島 あれ、そう言えば…。
細川、左手にバック、右手にドアノブを握りしめ改札口から飛び出してくる。
ドアノブを投げ捨て、置いてあったリュックをつかみまた走り出す。
渡辺が、それを追いかけて来て、そのリュックをつかむ。
渡辺 こらぁ。
飯島 なんすか。
渡辺 飯島、押さえろ。
細川、渡辺を振り払えず、リュックを置いて階段へ逃げる。
渡辺 くそっ。飯島、改札。
飯島 …どうしたんですか。
渡辺 改札、みてろ。
飯島 いや、でも。
渡辺 行け。
渡辺、階段を駈け上がって行く。
飯島 …あの、今すごい無気力な状態なんですけど。
駅員室から、鈍いベルの音が聞こえる。
飯島、慌てて駅員室へ走る。
渡辺、すねを押さえて階段を下りてくる。
渡辺 痛ててて。
宮田 大丈夫ですか。
渡辺 ええ。平気です。ご心配なく。ごめんなさいね、ほんと騒がしくって。
宮田 いいえ。
渡辺、ドアノブを拾い上げる。
渡辺 …ったく。
宮田 …あの。
渡辺 いや、なんだか様子がおかしいとは思っていただけどね。
宮田 えっ。
渡辺 めずらしいんですよ、こんな田舎で。
宮田 あの、そうじゃなくて。
渡辺 そうですね。逆になめられたのかもしれませんね。
宮田 いや、…遅くないですか。
渡辺 えっ。
飯島、駅員室から飛び出してくる。
飯島 すいません。いいですか。
渡辺 なんだ。
飯島 ちょっと。
飯島、渡辺に耳打ちをする。
渡辺 …。
飯島 …渡辺さん。
渡辺 …ああ。わかった。
飯島 あの、どうしますか。
渡辺 …えっ。
飯島 いや。お知らせしたほうが。
渡辺 そうだな。
飯島 …。えー、お客様にお知らせいたします。只今、人身事故のため上下線とも運転を見合わせております。誠に申し訳ありません。列車の到着まで、もうしばらくお待ちください。
飯島、深く頭を下げる。
渡辺、胸のポケットをつかみ、時計の感触を探している。
飯島 …渡辺さん。
渡辺 …。
飯島 駅長。
渡辺 …ああ。
宮田 あの事故って。
飯島 ええ。…上りの列車らしいんですが。…だから、…いや、そうですね。
宮田 どのくらいかかりますか。
飯島 …駅の構内だということなので。…でも、こういう場合、大抵は…。
宮田 時間かかりますよね。
飯島 ええ。…その、実際のところは、なんとも言えないんですが。
宮田 …そうですか。
飯島 申し訳ありません。もうしばらくお待ち頂けますか。
宮田、ベンチに座る。
渡辺 飯島。
飯島 はい。
渡辺 中で待って頂きなさい。
飯島 あ、はい。
宮田、バックから携帯電話を取り出し。ダイアルしている。
飯島 あの、中でお待ちください。
宮田 はい。…あ、もしもし。私だけど。……お母さん、どう。……そう。あんたも早く寝なさい。勉強もいいけど、…ちょっと待って。…いいですか、抜けても。
飯島 はい、どうぞ。
宮田、改札口から去る。
飯島もその後に続き去る。
渡辺、細川のリュックを取り、ベンチに座る。そしてリュックを開ける。
飯島、引き返してくる。
渡辺 中、頼むぞ。
飯島 はい。…あいつは。
渡辺 わからん。
飯島 警察に連絡しますか。
渡辺 とりあえず、…そうだな。
飯島 もしかしたら、渡辺さんの時計もあいつじゃないですか。
渡辺 (バッグの中に何かを見つけて)飯島、ちょっと待て。
飯島 えっ。
渡辺 連絡しなくていい。
飯島 …でも。
渡辺 必要があれば、俺がするから。
飯島 はい。…あの、大丈夫ですか。
渡辺 ああ。少し足を打っただけだ。
飯島 いや。
渡辺 なんだ。
飯島 …いえ。
渡辺、立ち上がり、飯島にドアノブを手渡す。
渡辺 外れかけてたら、直す。
飯島 …これ。
渡辺 切れかけた蛍光灯は取り替える。
飯島 すいません。
渡辺 …お前じゃない。
飯島 えっ。
渡辺 つり銭は切らしちゃいけない。忘れ物があれば、すぐに中身を調べる。
飯島 はい。
渡辺 …忘れるな。
飯島 はい。
渡辺 お前じゃない。
飯島 でも。
渡辺 …昔、俺に仕事を教えてくれた駅長がいて。当たり前だが新人には厳しくてな。あの人は、そういういい加減な仕事は決して許さなかった。…忘れるな。
飯島 …。
渡辺 中を頼むぞ。
飯島 はい。
飯島、駅員室へ去る。
渡辺、リュックからグローブを取り出す。
渡辺 ……おい、いるんだろう。…いつまで隠れてるんだあ。…本当に、逃げやがったか。…お前、この鞄なくちゃ困るだろう。…パンと、…ほら、お握りも残ってるぞ。
渡辺、グローブを手にはめる。
渡辺 ……これ、いいグローブだな。よく使い込んでるし、手入れも出来てる。大事なものなんだろう。…本当にいいグローブだ。
細川、階段を下りてくる。
細川 …勝手に開けるな。
渡辺 野球やるのか。
細川 勝手に開けるな。
渡辺 逃げるからだ。こんな夜中に年寄りをあまり働かすな。
細川 …返してください。
渡辺 それはこっちのセリフだ。
細川 返せって言ってんだ……。
渡辺 ジタバタするな。なんだ、力づくで奪う気か。殴り倒すか、おい。そうか、ヤケおこしてみるか。いいぞ。中には人もいる。交番も駅前ですぐだ。カッとなってやってみるか。なあ、おい。
細川 ……勝手にひとの鞄を開けちゃいけない。
渡辺 おう、そうだ。その通りだ。お前、まともじゃないか。だったら考えろ。どんな状況か。ばかなことしてどうする。
細川 返してください。
渡辺 そうだな。(出した物をリュックにしまいながら)この鞄は返さなきゃいけない。勝手に開けたのは悪かった。だが、それはお前が逃げたからだ。
細川 これは、僕のです。
渡辺 そうか。もしそうだとしてもだ、まず中身を確認しないとな。
細川、黙ったまま立っている。
渡辺 どこから来たんだ。……旅行か。
細川 ……。
渡辺 名前は。
細川 ……。
渡辺 言いたくないか。ここは警察じゃない。
細川 …阿部です。
渡辺 うそつくな、細川。
細川 …。
渡辺 (リュックを示し)ここに書いてあるだろう。ホッチョって。
細川 そんな、ホッチョって書いてあったって、細川とは限らないじゃないですか。
渡辺 ホッチョって言ったら、細川に決まってんだろう。
細川 細田だって、細坪だってあるじゃないですか。
渡辺 俺の学校じゃ、ホッチョといえば細川に決まってた。
細川 そんなの、あてずっぽじゃないか。
渡辺 そうだよ、あてずっぽだよ。だが、普通あてずっぽにそんなに慌てるか。
細川 …。
渡辺 自分のものなら、素直に話せばいいだろう。下手な嘘つくな。
細川 …。
渡辺 悪いが、こっちは持久戦に付き合ってるほど、暇じゃないんだ。
細川 …僕じゃありません。
渡辺 何がだ。
細川 僕はひとの物を盗んだりはしていません。だから、警察には行かないでください。
細川、渡辺の前にバッグを置く。
渡辺、バッグを開き、中身を調べ財布をとり出す。
渡辺 …いくら入ってる。
細川 千円札が5枚と、あと二、三百円。
渡辺 いっぱいカード持ってるな。学生証はないのか。
細川 ありません。
渡辺 ホソカワエイジ、って言うのか。
細川 はい。
渡辺 エイジは、どんな字だ。
細川 栄えるに治めるです。
渡辺 おう、沢村栄治の栄治だ。野球やってるならいい名前じゃないか。
細川 ちっとも。
渡辺 なんだ、気に入らないのか。
細川 じじいみたいな名前です。
渡辺 そんなことはないだろう。これが板東英二の英二だったら、ちょっと考えちゃうかもしれないけどな。
細川 その方がよかったです。
渡辺 …そうか。(ボールを取り出し)これは、記念のボールか。
細川 …。
渡辺 日付が入っているな。何日だ。
細川 1998年8月4日。
渡辺 勝った試合か。
細川、ボールを奪い取る。
渡辺 立ち入って、悪かったな。お前のものだ。
渡辺、細川にバッグを渡す。
渡辺 とりあえず中に入れ。中の駅員にも事情を話して。俺が待つように言ってたと。いいか。
細川 …はい。
渡辺 逃げるなよ。
渡辺、リュックも細川に渡す。
細川、ゆっくり改札口まで歩き。
細川 あの。
渡辺 なんだ。
細川 トイレのドア、すいませんでした。
渡辺 …気にするな。
細川 …でも。
渡辺 お前のせいじゃない。
細川、頭を下げてから去る。
和子、二人の様子を見ていたのか、細川と入れ替わるように、ホームの奥からやってくる。
和子 …事故なの。
渡辺 …まだ起きてるのか。
和子 …大丈夫。
渡辺 別に、おれが事故に遭ったわけじゃない。
和子 …そうね。
飯島、リュックを担ぎ、細川を引っ張りながら改札口から出てくる。
飯島 渡辺さん。こいついいんですか。
渡辺 いいんだ。少し話を聞いてやれ。
細川 だから、そう言ってるじゃないですか。
飯島 お前は、黙ってろ。
渡辺 飯島。お客さんだ。
飯島 だって…。
渡辺 切符はちゃんと持ってる。そのバッグも彼のものだ。話聞いてやれ。
飯島 …はい。…ったく、こんな時に。入れ。
飯島、細川を押し込むように中へ入る。
渡辺 今夜は遅くなりそうだ。心配してくれるのはありがたいが、何時になるかわからん。休んでいていいから。
和子 ええ。…友一君、来るって。
渡辺 …えっ。
和子 今、列車に乗ってるって。携帯から電話あったわ。おそらく二つ手前の駅だと思いますって。迎えに行けたらいいんだけど、あなたは無理だし、私もしばらく車運転していないから。そしたら、大丈夫ですって。このまま動くの待って、列車からお父さんの駅を見てみたいって。夜遅くなって申し訳ありませんけど、伺いますって。しっかりした話し方だったわ。
渡辺 …そうか。
和子 大学、二年生。
渡辺 たぶんな。
和子 まったく会っていないの。
遮断機の警告音が聞こえている。
渡辺 …十六年だ、あれから。
列車の音が、通り過ぎてゆく。
その車窓からの明かりだけが、渡辺と和子を照らす。
やがて列車の音が遠ざかる。
細川、改札口から走ってくる。
飯島がそれを追いかけてきて、
飯島 こら、まだ話は終わってないぞ。
細川 電車、走ってるじゃないですか。
飯島 …ああ。
細川 あれに乗せてくれればいいじゃないですか。
飯島 特別列車なんだよ。特急と同じで、各駅停車はしないの。
細川 そんな場合じゃないでしょう。ここに、こうやって困っている人がいるんだから。
飯島 そうなんだが。無理なものは無理なの。
細川 おかしいですよ。
飯島 まあ、お前の場合、乗り過ごしたのが全ての間違いの元だったな。
細川 それが駅員の言うことですか。
飯島 今は、休暇中なものでして。
渡辺 飯島、今のは。
飯島 例の特別列車です。駅の構内でうまくかわせたんだと思います。
渡辺 そうか。
飯島 さあ、お前は、まず電話だ。
細川 いいですよ。
飯島 あきらめろ、もう。
細川 ほっといてください。僕は、次の電車に乗りますから。
飯島 わからない奴だな。当分来ないの、列車は。
細川 駅長さん。
渡辺 …申し訳ありません。運転が再開されましたら、すぐにお知らせしますので。
飯島 そういうわけですから。
細川 でも、今みたいに特別列車が通過するかもしれないですよね。
飯島 だから通過するだけなの。
細川 僕は勤務中の駅長さんに聞いてるんです。ねえ、駅長さん。
飯島 乗れないって言ってるだろう。
細川 そんなのわからないじゃないか。
飯島 飛び乗ってみるか。
細川 必要とあらば。
飯島 ここでまた事故起こしてどうするんだよ。
細川 僕は、あんたみたいに暇じゃないんだ。
飯島 おう、そうだよ。俺は暇をもらって遊びに行くんだよ。悪いか。
渡辺 飯島。
飯島 …はい。
細川 …僕には時間がないんです。
飯島 家出中の人間が、時間も何もないだろう。
細川 家出じゃない。
飯島 家出だろうが。
渡辺 やめろ。
飯島 だって、このガキ。
渡辺 お前も、同じだ。
飯島 そんな。
宮田が、改札口から出てくる。
和子を見つけ、頭を下げる。
和子も、それに返す。
渡辺 家出か。
細川 …。
飯島 そうらしいです。実家は東京らしいんですが、高校はどこだって。
細川 …。
飯島 寮生活で、学校には夏休みで実家に帰ると言ってあるから、心配ないって言うんですけどね。
渡辺 どのくらい経つんだ。
細川 …一ヶ月、くらい。
飯島 一カ月。お前、それは捜索願出てるぞ。
細川 今日、警察で確認したんです。
飯島 自分でか。
細川 …はい。
飯島 お前、バカか。
渡辺 飯島。
飯島 すいません。
細川 レンタルビデオのカード拾った振りして、交番に届けたんです。そしたら、どこで見つけたとかしつこく聞かれて。寮を出た次の日にすぐ警察に行ったみたいなんです。
飯島 お前の名前と住所も聞かれたろう。
細川 安部文博って、でたらめの名前と住所言って。それで捜索願いが出ているのがわかったのはいいけど、僕がその町にいたことには変わりないから、早く遠くへ行かなきゃって。
飯島 …そうか。
細川 警察に届けるんですか。
飯島 しょうがないだろう。一カ月じゃ。
細川 ……。
渡辺 まあ、とりあえず、少し休んで、頭すっきりさせろ。なあ。
細川 …。
渡辺 そんな暗い顔すんな。どうせ、ここの交番も、この時間じゃ、誰もいないんだから。
細川 でも、さっき…。
渡辺 ちょっとはったりをかましただけだ。この年でお前みたいな奴とやり合って勝てるわけないだろう。
和子、宮田に歩み寄り。
和子 こんばんは。
宮田 こんばんは。ご無沙汰していてすいません。
和子 いいのよ。大変ね、こんな時間なの。
宮田 ええ。あの、今の列車。
和子 それがね、…。
渡辺 特別列車なんです。
宮田 コンサートのですか。
渡辺 ええ。すいませんが、もう少しお待ち頂けますか。それか、もし、あれでしたら、私の車で。
宮田 いいえ。
渡辺 正直、いつになるか。
宮田 でも、お仕事が。
渡辺 飯島に送らせますんで。
飯島 はあ。
渡辺 はあ、じゃない。仕事だ。
宮田 あの、結構ですから。
飯島 僕も、ちょっと。
渡辺 お前、こんな時にまだ知床行く気か。
飯島 違いますよ。とっくにあきらめてますけど。
渡辺 あのこいつ、女には見境なく色目使うんですけど、効果ないですから。もし心配でしたら、手足縛って運転させますんで。
飯島 なに無茶苦茶言ってるんですか。
宮田 あの、タクシーの電話番号わかりますか。
渡辺 公衆電話のところに。でも、もうこの時間は走ってないと思うんです。
宮田 そうですか。
渡辺 お送りしますよ。
和子 そうしてもらったら。
渡辺 飯島。
飯島 …はい。
宮田 あの、本当に結構ですから。
渡辺 …そうですか。
宮田 残念でしたね。
飯島 …えっ。
宮田 星、見に行けなくなって。
飯島 ああ、まあ。
宮田 そうなんですよね。
飯島 まあ。でも、また行けばいいですから。
宮田 でも星は降ってきませんよね。
飯島 …ええ。
宮田 一生に一度見られるかどうかのチャンスだったんですよね。
飯島 そうですね。
宮田 悔しくないんですか。
飯島 そりゃ悔しいですけどね。仕方のないことありますから。
宮田 意外と、諦めがいいんですね。
飯島 あの、…。
宮田 私は、クラプトン見たかったですよ。
飯島 クラプトン。…星の名前ですか。
細川 違うよ。
飯島 スーパーマンの生まれ故郷だろう。
細川 エリック、クラプトン。
飯島 えっ。
細川 そういう名前のギターリストがいるんです。
飯島 ああ、コンサートね。
細川 本当にわかってんの。
飯島 わかってるよ。あれだろう、札幌のドームでやったんだろう。今の列車だって、そのための特別列車なんだから。
宮田 …あれに乗っていたはずなのに。
飯島 行く予定だったんですか。
宮田 行けるわけないじゃない。
飯島 …すいません。
宮田 家に帰れず困っている人より、事故にあった人より、遊んできた人が優先なんですね。
飯島 …それは、…たまたま、そうなっただけでして。
渡辺 いや、そのとおりです。合理的だかなんだか知らないが、自分たちの都合だけで順番を決めてるんです。申し訳ありません。
宮田 …すいません。勝手なこと言って。
渡辺 いいえ。あなたの言う通りですから。
飯島 あの、星は百年に一度ですけど。クラプトンは、また見に行けばいいじゃないですか。
宮田 いつですか。
飯島 それは、わかりませんけど。きっと、また来ますよ。
宮田 もう来ないんです。
飯島 そんなの、わからないじゃないですか。
宮田 もう来ないんです。絶対に。
宮田、離れるようにベンチに座る。
飯島 そんな、決めつけること…。
細川 引退しちゃうんですよね。
飯島 …そうなの。
細川 …確か。
宮田 ねえ、聞いてもいい。
細川 …はい。
宮田 どうして外国のコンサートって東京だけなの。
細川 …それは。
宮田 これが最後のツアーだって言うのに。私なんか十五の時からずっと好きだったのに。北海道にやって来るなんて最初で最後なのに。本当に一生に一度のチャンスだったのに。どうして。
細川 いや、…。
宮田 …どこにでも行けていいわね。
細川 …。
宮田 ねえ、一緒に連れてってくれない。
細川 えっ。
和子 宮田さん。
宮田 …。
飯島 そうですよ。なんで、僕じゃなくて、こいつなんですか。
細川 別にいいじゃないですか。
飯島 十年早いよ。
細川 年なんか関係ないですよね。
飯島 ばかやろ。こっちは給料もらってんだぞ。
細川 関係ないでしょう。
飯島 大ありだよ。家出中の高校生と旅して、どんな楽しみがあるっていうんだよ。
和子 二人とも。やめなさい。
宮田 …ごめんなさい。
渡辺 あの、私もまた来ると思いますよ。
宮田 …えっ。
渡辺 クリプトン。ほらスーパーマンて、何度も続編つくってるじゃないですか。また、つくりますよ、スピルバーグあたり。きっと。
飯島 そう、そう。
渡辺 なあ。今どきの、SFXてんこ盛りでな。ビュンビュン空飛んで。そりゃ、もうすごいですよ。
和子 なに言ってるの。
宮田 すいません。つまらない話しちゃって。
和子 いいのよ。この人がつまらないこと言ってるだけだから。
渡辺 なにがつまらないんだよ。
細川 あの、…本当に一緒に行きますか。
飯島 ばか言ってんなよ。
細川 あんたに聞いてない。
宮田 …ごめんね。
飯島 ほら、行くぞ。
飯島、細川を突き飛ばすように連れて行く。
細川 痛いよ。どこ行くんですか。
飯島 家に電話すんだよ。
細川 嫌ですよ。
飯島 いいから、来い。ほら。
細川 嫌ですってば。
飯島、細川を改札口から中へ引きずり込む。
渡辺 宮田さんも、中へどうぞ。冷えてきましたから。
宮田 私、もう少しここで。
渡辺 そうですか。一度タクシー会社に問い合わせてみますね。
宮田 ありがとうございます。
渡辺、駅員室へ去る。
和子、宮田の横に座る。
宮田 すいません。
和子 いいんじゃない。
宮田 わかってたんです。初めから月末は無理だって。
和子 棚卸しか。大変だったでしょう。
宮田 まあ。
和子 私の時もそうだったもん。そのくせあの社長、終わったらさっさと自分だけ飲みに行っちゃうのよね。たまには、言いたい事言ったほうがいいわよ。
宮田 いいえ。高畑さんのお陰で、随分よくしてもらってますから。
和子 私は、別に。…そうだ、一応教えておこうかな。私ね、春に名前が渡辺に変わったの。
宮田 …えっ、すいません。全然知らなくて。
和子 こちらこそ、お知らせしなくてごめんなさい。でも特別なにかしたわけじゃないから。この年だし、大げさにもしたくないし。だから高畑でまだまだ通ってるから。大丈夫よ。
宮田 駅長さんには、いつも声かけてもらっていて。でも全然そんな事。
和子 あの駅長さんは、言わないわよ。
宮田 ご挨拶しかしてなかったもので。
和子 わずらわしいでしょう。みんなが自分の噂をしているようで。
宮田 そんなことは。
和子 私はそうだったな。ほら、私なんか出戻りだから。
宮田 私も同じようなものです。
和子 ごめんなさい。違うのよ。
宮田 いいえ。本当に。
和子 …ねえ。それ(自分の髪を触り)、最近でしょう。
宮田 …ええ。
和子 男の人ってどうしてそうなのかしらね。前の旦那も、そうだったけど、自分の奥さんが髪形変えてもなんにも言わないのよ。
宮田 ああ。
和子 私も、あと二十若ければね。
宮田 そんな。
和子 そんな程度よ。ひとの話なんて。
宮田 …はい。
和子 ねえ。それ、どこで。
宮田 あ、札幌なんです。
和子 そうよね。この辺じゃ、それこそおばさんパーマにされちゃいそうだもんね。
宮田 よく知らないんです。子供の頃は、母が切ってくれたから。
和子 三津子、器用だったもんね。…どう、最近は。
宮田 ええ。以前より話すようになったので。
和子 そう。よかったわ。
宮田 ご心配おかけして、すいません。
和子 謝ることじゃないわ。
宮田 あの、駅長さん、見てると思います。
和子 …えっ。
宮田 最近、母に付き添っている父の姿を見て思うんです。ちゃんと見てるんです。
和子 …そうね。でも、時間が違うから。…これでも新婚なんだけどね。
宮田 あ、あの、おめでとうございます。
和子 (笑って)ありがとう。今度、三津子にも報告しに行くわね。
宮田 はい。
和子 実はね、三津子、駅長さんのこと好きだったのよ。
宮田 えっ。
和子 中学の頃の話よ。
宮田 (笑って)はい。
和子 あのひとね。今はもうあんなんだけど、昔はけっこう凄かったのよ。
宮田 なにがですか。
和子 野球部のキャプテンだったでしょう。生徒会長もやったでしょう。それから、学校祭とかじゃ、ギター持って歌ったりね。
宮田 そうなんですか。
和子 ブームはすぐ過ぎるんだけどね。
宮田 (笑って)ずっと好きだったんですか。
和子 …とんでもない。あたしが、そんな女に見える。
宮田 (笑って)どう答えればいいんですか。
和子 これでも、一度結婚に失敗した女よ。
宮田 でも。いい方ですよね。
和子 あの人ね、…内緒よ。…お金のために再婚したの。
宮田 えっ。
和子 お金って言っても、私のお金のためだけどね。
宮田 …えっ。
和子 中学の担任が亡くなった時に、何十年ぶりかで会ってね。お互い帰ってきてることも知らなかったんだけど。そのお通夜の帰り、車で送ってもらうついでに、そのままあのひとの家に泊まっちゃった。
宮田 はあ。
和子 まあ、飲んでぶっ倒れただけなんだけどね。あ、あれよ、計画的犯行とかじゃないからね。
宮田 はい。
和子 なんだか、嬉しくってね。昔の面影は全然なかったんだけど。それは、おたがいさまか。
宮田 お二人とも、変わらないですよ。母の卒業アルバム見たことあるんです。
和子 ありがとう。
宮田 本当に。
和子 …実はね。プロポーズも、私からしたのよ。
宮田 …そうなんですか。
和子 でも、断られた。予想はしてたんだけど。
宮田 でも。
和子 いや、それがさ。ある日ね。冬の寒い日があって。水道管凍らせちゃって、彼を呼んだの。業者に払うお金もったいなくてね。実際、娘もいて、あそこの給料でしょう。きつくてね。でも見たとおりの意地っ張りだから、彼には気づかれないように振る舞っていたんだけど。一晩中、水道管にタオルかけてお湯かけて。でも全然駄目で。そんなことやっていたら、どんどん情けなくなってきちゃって。遂に彼を呼んでしまった。かわいそうなのよ、あのひと。結局手のつけようがなくて、業者を呼んでお金まで払わされたんだから。次の日、お礼持って彼のところに行ったら、結婚するかって。おかげで娘は、この春から大学まで行けるようになったわ。
宮田 それは、違うと思います。
和子 えっ。
宮田 お金目当ての結婚とは。
和子 同じよ。…娘もね、とっくに大学諦めていたの。あの子もとても気を遣っていたから。でも、それを知った時、あのひと、ものすごい怒って。
宮田 駅長さん、怒るんですか。
和子 たまにはね。
宮田 気を使われたのが、逆に悔しかったんじゃないですか。
和子 …あのね。逃げるんじゃないって、言ったの。一度言い訳をつくって逃げると、何度も逃げるようになる。失敗する前から言い訳になるようなことを考えるんじゃないって。怖かったけど、娘はとても嬉しかったみたい。…でも、…その後、泣いたの。
宮田 …わかります。
和子 彼が泣いたの。
宮田 えっ。
和子 それも物凄く、吐くように泣いたの。体の中のもの全部吐き出しても、それでもまだ体が拒絶しているの。どうしようもなくて。見ているだけで、私の方が痛くて。…このまま死んでしまうんじゃないかって。
宮田 …。
細川、改札口から走って出てくる。
飯島も、それを追いかけて。
飯島 おい。どこ行くんだ。
細川 ちょっと、夜風に。
飯島 ばか、なにビビってんだよ。
細川 ビビってなんかいませんよ。電話しても出ないんです。もう寝たんでしょう。
飯島 まったく。
細川 明日、また電話してみますから。
飯島 できねって。今しかないんだから。
細川 しますよ。
飯島 どら、俺が電話かけてやるから。
細川 いいですよ。
飯島 いいから。
細川 いいですって。
飯島 あんまり世話やかすな。ほら。
飯島、細川を引っ張って改札口へ去る。
宮田 …なにやってんだろう、みんな。…バカみたい。
和子 ほんと、なにやってんだろうね。
宮田 コンサートに行けない事とっくにわかってたんです。でも、チケット買って、洋服買って、美容室行って。今日だって、何か奇跡のような事件が起きて、お店が突然閉まるかもしれないって。仕事中に考えたりして。列車より飛行機のほうが早いかもしれないって、時間全部調べて。ぎりぎり何時まで、まだ間に合うって。いろんな事考えて。でも、結局この時間です。
渡辺、駅員室からやって来る。
渡辺 宮田さん。
宮田 (立ち上がって)はい。
渡辺 タクシー、今こちらに向かってますから。
宮田 はい。ありがとうございます。
渡辺 隣町まで行ってたのがあったみたいで、まだ走ってました。
和子 よかったじゃない。
渡辺 寒くないですか。
宮田 そうですね。私、中で待たせてもらいます。
和子 ええ。
細川、再び改札口から逃げてくる。
飯島もやって来て。
飯島 ばかやろう。なんで切っちまうんだよ。
細川 もう、いいですよ。
飯島 よくないだろうが。お母さんに名乗った俺の立場はどうなるんだよ。
宮田 ほっとけばいいじゃない。
和子 宮田さん。
飯島 …なに怒ってるんですか。
宮田 あんたも、いやだったらまた逃げればいいじゃない。どうせ逃げてここまで来たんだから、こんなところで我慢する必要なんかないでしょう。どこまでもどこまでも逃げればいいじゃない。それとも、自首したいの。家出の場合は自首って言わないんだっけ。
細川 …わからないです。
宮田 わからないの。そんな自分のやってる事もわからないんだったら、初めっから家出なんかするんじゃないわよ。それとも、本当は親でも殺して逃げてるんじゃないの。
飯島 ちょっと。
細川 …そんなんじゃない。親を殺したって、何にも変わらないよ。
宮田 …バカみたい。
飯島 よし、わかったから。素直に言うこと聞いて、電話しろ。でなきゃ、このまま殺人犯にして死刑にしちまうぞ。
渡辺 ふざけたことを言うんじゃない。
飯島 …。
渡辺 なに言ってるんだ、お前たちは。人が一人死んでるんだ。ふざけたことを言うんじゃない。……そういう言い方は、…やめてくれないか。…お願いだから。…飯島。
飯島 …はい。
渡辺 みなさんに、中に入ってもらえ。
飯島 はい。…あの、中ヘ。
宮田 すいませんでした。
渡辺 …。
飯島 おい。
細川 …はい。
宮田、そして細川と飯島、改札口へ向う。
渡辺 …あの、…もし、私の時計をどこかで見かけたら、教えていただけませんか。…古い懐中時計です。お願いします。
飯島 渡辺さん。
渡辺 …それだけです。…どうぞ、中で休んでください。
飯島 …あの、どうぞ。
飯島、細川を連れて改札口から去る。
宮田、一度振り返って、もう一度頭を下げてから去る。
渡辺はベンチに座っている。
渡辺 お前も、冷えただろう。中に入ったらどうだ。飯島にお茶でも入れさせる。
和子 …そうね。頂こうかしら。
和子、渡辺の横に座る。
渡辺 …なあ。…どんな顔して会えばいい。
和子 …うん。
渡辺 どんな顔して…。
和子 どうして、別れたの。…って、優美に小学三年の時に聞かれたわ。
渡辺 …。
和子 あの頃、実家に古いひな飾りがあって。優美と二人でひな人形を並べていたら、突然聞いてきた。
渡辺 …なんて答えた。
和子 喧嘩したからよって。そしたらあの子、それじゃしょうがないねって。
渡辺 そうか。
和子 うん。
渡辺 …あいつも、そう母親に聞いただろうか。…あいつの母親は、うまく答えられただろうか。
和子 やめなさいよ。あいつの母親なんて言い方。あなたは、昔誰と結婚したのよ。あいつの母親と結婚したの。私はなにも知らないけど。あなたの相手だった人の名前も知らないけど。だったら、手紙なんか出さなきゃよかったじゃない。私と再婚したことなんか、誰にも知らせずにいればよかったじゃない。出戻りの同級生同士が地元に帰ったけど、さみしくってさみしくって、こんな年にもなって傷をなめ合うように同棲してますって、そう言っておけばいいんだから。
渡辺 …。
和子 …ねえ。…歌でも歌ってよ。あなた得意じゃない、フォークソング。ぴったりじゃない。それとも洋楽にする。クリプトンがいいんじゃない、クリプトンが。ギター持ってバンドまでやってたくせに、あなたが知らないわけないじゃない。そうやって周りには優しくして、自分は悩んで、…悩んで、悩んで、悩んで、悩んで、…。
渡辺 …。
和子 …時計。飯島さんにあげた手提げの中に入ってる。…ごめんなさい。
和子、立ち上がり、
和子 あなたの部屋、片付けるわよ。友一君の布団敷かなきゃならないから。
和子、ホームの奥へ去る。
渡辺、立ち上がり、改札口へ向う。
しかし、置きっ放しだったほうきを見つけと、どこでもなく掃除を始める。
しばらくして、細川が改札口から出てくる。
渡辺 …どうした。
細川 …いいえ。
渡辺 …話はできたのか。
細川 はい。今、飯島さんが。
渡辺 …そうか。
細川 はい。
渡辺 で、どうしてお前はここに居るんだ。
細川 いや、…なんか、居づらくなってきちゃて。
渡辺 相手は電話の向こうだろう。
細川 そうなんですけど。それが、余計に、…。
渡辺 …まあ、そうかもな。そこのベンチにでも座って待ってろ。
細川 はい。…あの。
渡辺 …ん、…なんだ。
細川 時計、僕じゃないです。
渡辺 …ああ。
細川 本当に。
渡辺 わかってるよ。…大丈夫だ、もう見つかったから。
細川 そうなんですか。
渡辺、ベンチに座る。
細川は立ったままでいる。
渡辺 …あのグローブは、レフトか。
細川 ライトです。
渡辺 そうか。…俺は中学の時、キャッチャーだった。本当はピッチャーをやりたかったんだけどな。
細川 どうして、やらなかったんですか。
渡辺 キャッチャーは誰もやりたがらなかった。誰もやらないから、キャプテンもやった。田舎の野球部なんて、そんなもんだ。
細川 強かったんですか。
渡辺 俺がキャプテンだぞ、わかるだろう。監督は口ばっかりの英語教師で、まともにノックも出来なかった。ほら、ノックでフライを打つのは意外と難しいだろう。
細川 ええ。でも、僕、けっこう得意です。
渡辺 俺も、うまかったんだよ。だから、先生に言ったんだ。先生は内野をお願いしますって。僕が外野をやりますからって。そしたら、フライを打ち続けるとアッパースイングになってよくない。ヒッティングの基本はダウンスイングだ。うちのシフトはインフィールド重視で行こう。アウトフィールドもインフィールドの一つとして考えようって。ベースボールはインテリジェンスだ、ってわけわからん。長嶋より質悪い。
細川 (笑っている)
渡辺 一試合でいいから投げてみたかったな。いや、アウト一つでもいいな。
細川 あの、…キャッチボールしませんか。
渡辺 …えっ。
細川 ねえ。
渡辺 いいよ。
細川 やりましょうよ。ボールもあるし、時間もあるし。
渡辺 いい、いい。昔の話だ。
細川 大丈夫ですよ。僕、キャッチャーやりますから。
渡辺 そんな話じゃないんだ。
細川 いいじゃないですか。ねえ。よしっ。
渡辺 待て。勘弁してくれよ。
細川 待っててください。今持って来ます。
渡辺 おい。待てって。
細川、改札口へ駆け込む。
渡辺、様子をうかがいながら、二、三度肩を回してみる。
が、すぐに座る。
細川、ボールとグローブを持って戻ってくる。
細川 グローブあった方がいいですか。
渡辺 待て、待て。本当にもう肩も上がらないんだから。
細川 やりましょうよ。
渡辺 それに、ほら、俺は仕事中だ。
細川、ボールを投げる姿勢を取る。
渡辺 頼むから。本当に無理なんだって。
細川、渡辺にワンバンドでボールを投げる。
渡辺、野球の動作のとおり胸の位置でボールを受ける。
渡辺 お前な。
細川 (グローブを叩いて)はい。
渡辺、ボールの握りをしっかり確かめる。
ボールに書かれた日付を見て。
渡辺 …お前は、ピッチャーだったのか。
細川 …はい。
渡辺 そうなんだよな。ウイニングボールは、みんなピッチャーが持ってっちまうんだ。不公平だと思わないか。九回最後のバッターを、俺のリードで三振にしとめても。最後のボールはキャッチャーミットの中にあっても。全部ピッチャーのところに行っちまうんだ。
細川 そうですね。(ボールを受ける姿勢を取り)はい。
渡辺は、まだ握りを確かめている。
渡辺 …まあ、そんなもんだよな。
渡辺、歩いて細川のところへ行き、ボールを差し出す。
渡辺 大切にしろよ、このボール。
細川 …はい。
渡辺 どうするんだ、これから。
細川 …あの、それが、…話の流れで、僕、飯島さんと一緒に行くことにしました。
渡辺 …はあ。どんな話の流れでそうなるんだよ。
細川 勢いなんですけど。
渡辺 それは、ちゃんと話し合ってないだろう。
細川 お願いします。一緒に待たせてください。
渡辺 …お前な。
細川 あの、ものすごい数の星がやって来るんです。スコールのように降ってくるんです。あの、お願いします。
細川、深く頭を下げる。
渡辺 …どうして、自分の親にはそういうふうに言えないんだ。
細川 あの人たちは、僕のことあまりわかってないから。
渡辺 おれは、お前のことは全くわかってないぞ。
細川 …そうだけど。
渡辺 相手のことがわからないから。頭を下げるんじゃないのか。まあ、俺も偉そうな事は言えないが。
飯島、改札を抜けてきて、
飯島 お前、人に任せて、なに遊んでるんだよ。
細川 そういうわけじゃ。
飯島 一応おれの携帯の番号、お母さんに教えておいたから。優しそうな、いいお母さんじゃないか。…あ、一応話はつきましたので。
渡辺 どんな話がついたんだよ。
飯島の携帯が鳴る。
飯島 すいません。……はい、もしもし。…ああ、どうも。…いえいえ、こちらこそお世話になっております。…ああそうですね。お世話してます。…はい、います。お待ちください。…えっ、…はい。いや、でも。…あの、ちょっと待ってください。おい、お父さん。
細川 嫌ですよ。話聞いといてください。
飯島 何で、おれがそこまでしなくちゃいけないんだよ。…はい。すいません。…、金はあるのか。
細川 はあ。
飯島 お父さんだよ。
細川 あ、なんとか。
飯島 なんとかなっているそうです。…ええ。…、誰かに迷惑はかけてないのか。
細川 はい。
飯島 迷惑はかけていないそうです。…嘘をつくな。
細川 えっ。
飯島 …駅員さんに、…ああ、飯島と申します。…飯島さんに迷惑をかけているだろう。…あ、でも、そんな大したことは。
細川 すいません。
飯島 すいません。…いえ、息子さんが。…飯は食っているのか。
細川 はい。
飯島 はい。…風呂は入っているのか。あの、やっぱり直接話しませんか。
細川 もう少し。…もう少し。いつまでかわからないけど。でも、もう少し、自分で決めて、自分の行きたいところに、行ってみたいんです。
飯島 聞こえましたか。……お前は、自分で決めて、野球をやってきたんじゃないのか。お前は、自分から父さんのグローブが欲しいと、せがんだんじゃなかったのか。ボールを投げるのが好きで好きで、私の忠告も聞かず無理して投げて、それで肘を壊したんじゃないのか。それでも野球がしたくて、地方の高校に入ったんじゃないのか。
細川 ……。
飯島 …ああ、何も言ってません。…今まで野球をやってきて幸せだと感じたことがあるなら、それでいいんじゃないのか。幸せな瞬間を知っていれば、これかもなんとかくじけずにやっていけるんじゃないのか。…えっ、言っていいんですか。…僕に怒らないでくださいよ。…もしもし。もしもし。もう、ちょっと。
細川 そんなこと言ったって。
飯島 なんだか、今日はすんごい脂っこい日なんですけど。
渡辺 なんだって。
飯島 …一応伝えておくから。そんなこともわからないんだったら、一生帰ってこなくていい。以上。…良かったんですかね。
渡辺 良かったんじゃないか。
飯島 まあ希望通り、帰ってこなくていいというお許しが出たから、いいか。
渡辺 そうじゃない。
飯島 あ、それで、渡辺さんに、一つお願いがあるんですが。
渡辺 …お願い。
飯島 …車、貸してもらえませんか。
渡辺 …はあ。
飯島 ちょっとだけ。
渡辺 どこ行くんだよ。
飯島 ヘへ。…決まってるじゃないですか。
渡辺 …んあ、知床か。
飯島 ちょっとだけですから。
渡辺 お前、知床までが、ちょっとか。
飯島 だって、一生に一度のビックイベントなんですよ。
渡辺 ひとの車で。
飯島 どうせ使わないじゃないですか。そこの社宅から通うだけの毎日なんですから。
渡辺 …お前、さっき諦めたって言ったろう。
飯島 …うーん、ちょっと粘ってみようかなとも。
細川 お願いします。
細川、試合前の挨拶のように、深く頭を下げている。
飯島 あ、それと。実は。
渡辺 聞いたよ。
細川 お願いします。
飯島 お願いします。
渡辺 急に意気投合するな。…まったく。土産買ってこいよ。
飯島 やった。
渡辺 ほら。(車の鍵を投げる)
飯島 ありがとうございます。
渡辺 早く行け。
飯島 …えっ。
渡辺 もういいよ。一人ずつ片付けてかなきゃ、いつになるかわかん。
飯島 それはいくら僕でも、気が引けるというか。
渡辺 夜が明けちまうぞ。
飯島 …よしゃ。行くぞ、おい。
細川 はい。
飯島 準備はいいのか。先は長いぞ。
細川 あ、ちょっと、トイレ行ってきます。
細川、走って去る。
飯島 …やっぱ、まだガキですかね。
渡辺 …気をつけて行ってこいよ。
飯島 はい。
渡辺 それから、星を見たら、あいつのその後の事も、少し一緒に考えてやれ。
飯島 はい。
宮田、改札口から出て来て。
宮田 あの、タクシー来たみたいなので、これで。
渡辺 ああ、そうですか。
宮田 ありがとうございました。
渡辺 こちらこそ、ご迷惑をおかけしまして。気をつけて帰ってください。
宮田 はい。それから、先程は、すいませんでした。
渡辺 いいえ。私も、失礼しました。
宮田 それでは。おやすみなさい。
渡辺 おやすみなさい。
飯島 あの。
宮田 …はい。
飯島 一緒に行ってみませんか、知床。クラプトンの代わりにクリプトン星を探しに行こう、なんて。
宮田 ごめんなさい。家を空けるわけにいかないので。
飯島 すいません、しつこかったですね。
宮田 残念ですけど。失礼します。
飯島 どうも。
宮田、もう一度頭を下げ、改札口へ歩き始めて。
渡辺 宮田さん。
宮田 …はい。
渡辺 余計なことかもしれないですが。お母さんのことは、あなたのせいじゃない。
宮田 ……。
渡辺 周りが、いろいろ言ってるかもしれないが。あなたのせいじゃない。
宮田 はい。
渡辺 同窓会で私に言ってました。盆も正月も帰ってこないけど、それだけ、仕事頑張ってるんだろうって。
宮田 母は、お酒飲んでましたか。
渡辺 えっ、…ええ。
宮田 そうですか。女のくせに、タバコ吸って、酒好きだなんて、いつも父が怒っていたんです。母も少しは父の言うこと聞けばよかったんです。
渡辺 お母さんのお酒は、いつも楽しいお酒でしたよ。
宮田、頭を下げてから、去る。
渡辺 飯島。
飯島 はい。
飯島、改札口に向い、戻ってきた細川とすれ違う。
細川は、自分の荷物を手にしている。
飯島 おう。ちょっと待ってろ。
細川 はい。
飯島、去る。
細川、リュックを開けながら。
細川 トイレのドア、直しておきました。
渡辺 …そうか。気をつけてな。
細川 はい。…あの、お腹減ってませんか。
渡辺 はあ。
細川 なにもお礼できるもの持ってなくて。キオスクで買ったパンとおにぎりしかないんですけど。
渡辺 いいよ。
細川 でも。
渡辺 車の中で、食べろ。
細川 それじゃ、…。
渡辺 …それじゃ、あのグローブでも貰おうかな。
細川 それは。
渡辺 最近ちょっと運動不足でな。ここの階段もまともに駈け上がれなくなっちまった。
細川 あれは、蛍光灯が。
渡辺 年なんだよ。
細川 でも、グローブは、ちょっと。
渡辺 冗談だよ。
細川 ああ、はい。
渡辺 …帰れよ。
細川 …まあ。
渡辺 …余計なお世話かもしれないが、いつかは帰れよ。親のためじゃなくて、自分のために帰れ。…いや、やっぱり親のために帰れ。
細川 …はい。
渡辺 …余計なお世話だな。
細川 …一つ聞いていいですか。
渡辺 なんだ。
細川 …駅長さんのようにいい人でも、女子高生に興味あるんですか。
渡辺 えっ。…お前、見てたのか。
細川 あ、誰にも言いませんよ。
渡辺 違う。お前、それは誤解だ。
細川 あの、僕は男子校で。やっぱり女の子っていうか。その、野球ばっかりやってきて、彼女っていうか。
渡辺 まあ、そういうのはな。
細川 大人になって、例えば結婚とかして、駅長さんのようにいい奥さんもらっても。もちろん、いろいろあるんだと思いますけど。うちの親も口喧嘩はしょっちゅうで、なにか話すって言えば子供を通してしか話しなくて。そうすると、やっぱり女子高生とか気になったり。
渡辺 あれはな、飯島の趣味だ。
細川 わかるんです。だって僕も気になって、気になって。でも、あんないい奥さんがいるのに、どうしてって。
渡辺 あのな。
細川 どうして女の子の制服って、あんなにスカート短いんですか。
渡辺 俺に聞くな。
飯島、旅行の荷物を持って現れる。
飯島 行きました。
渡辺 そうか。
飯島 いやー、運転手にお金渡したら、あの人、いいえ私がってきかなくて。それじゃ、こちらが困りますって言っても、いいえ私がいいえ私がおばさん状態で。あの人、あと二十年経ったら、すごいことなってますよ。
渡辺 ばか。それが普通だ。
飯島 …どうしたんですか、二人とも急に汗かいて。
渡辺 なんでもないよ。それより気をつけて行けよ。
飯島 はい。
渡辺 何かあったら、…お前たち二人で大丈夫か。
飯島 大丈夫ですよ。なあ。
細川 はい。
渡辺 健全な旅行してこいよ。
飯島 …健全な旅行って、どういう旅行なんですか。
渡辺 いいよ。もう行け。
飯島 あの、…渡辺さんも、大丈夫ですよね。
渡辺 当り前だろう。
飯島 いや、…。
渡辺 なんだ。
飯島 あの、和子さん、いつも見てるんだと思うんです。あの社宅から。だから僕なんかは、話にならないと思うんですけど、和子さんには、なにか話をしてあげたほうが。
渡辺 飯島、憶えておけ。
飯島 …はい。
渡辺 昔、合理的というだけで、順番を決めた会社があった。そして、守られた奴と、それに戦った奴がいた。俺は守られた。俺を守ってくれた駅長は戦った。最後の最後まで戦った。そして負けた。本人は負けたと思ってないかもしれないが。だが、死んだ。最後の戦いの場所に自分が愛した仕事場を選んでな。…こいつが生まれたばかりの頃の話だ。…行け。どんどん時間経っちまうぞ。
飯島 ……はい。
細川 行ってきます。
渡辺 気をつけてな。
飯島、細川、改札口へ向う。
渡辺 ああ、飯島。ちょっと待て。
飯島 …はい。
渡辺 それ、置いてけ。
飯島 えっ。
渡辺 コロッケ。
飯島 …、ええー。
渡辺 なにが、ええーっだ。
飯島 僕がもらったんですよ。
渡辺 いいから、置いていけ。
飯島 そんな。
渡辺、飯島から手提げを奪い取る。
渡辺 贅沢なんだよ。今のお前に、このコロッケの味は。
飯島 贅沢って、イモコロッケですよ。
渡辺 なんだ、そのイモコロッケをさげすんだ言い方は。
飯島 そうじゃないですけど。
渡辺 お前にはもったいない。
飯島 …ずるい。
渡辺 車とコロッケと、どっちがいい。
飯島 わかりましたよ。行くぞ。
渡辺 いい旅をな。
細川、渡辺に頭を下げる。
飯島、細川、改札口から去る。
渡辺、ベンチに座り、手提げを開く。
コロッケの入った紙袋を出し、次に缶ビールを取り出す。
渡辺 普通、ビールとコロッケを一緒に入れるか。
渡辺、ビールを開け、一口飲む。
渡辺 ぬるい。
紙袋の口からコロッケを頭だけ出し、かぶりつく。
渡辺 冷てえ。
もう一口かぶりつき、ビールで流し込む。
そして、歌い出す。
「いとしのレイラ」
思い出しながら、ゆったりと体でリズムをとり、曲のサビを口ずさむ。
渡辺、置きっ放しになっていたほうきを拾い、ビールの残りを一気に飲み干す。
ベンチに立ち上がり、曲のサビを繰り返し歌い続ける。
ホームに渡辺の歌が響く。
駅員室で、鈍くベルが鳴っている。
渡辺、急いで駅員室に向うが、引き返してきて手提げの中から箱を取り出す。
一度箱を開き中身を確認して、駅員室へ飛び込む。
ホームには、誰もいない。
外灯の電球が、切れかけたように瞬く。
和子、ゆっくりホームの奥から現れる。
渡辺、胸のポケットに時計を結びながら、駅員室から出てくる。
渡辺 コロッケ、取り返したぞ。
和子 うん。友一君から。動き出したって。
渡辺 (姿勢を正し)お待たせいたしました。北見行き下り最終列車が、まもなく一番ホームへ到着いたします。白線の内側まで下がってお待ちください。
夜は、まだ明けない。
幕
2017年5月8日 発行 初版
bb_B_00150036
bcck: http://bccks.jp/bcck/00150036/info
user: http://bccks.jp/user/140766
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp