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不登校のキミへ

田中 洋輔

NPO法人 D.Live



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はじめに

はじめまして。
僕は、D.Live(ドライブ)という団体を運営している田中洋輔と言います。
この文章は、学校へ行けてないキミへ向けて書いている。
正直、僕は「学校へ行かないとダメだ」とは思っていない。なぜなら、僕自身が学校へ行かなかった期間があったから。
なんとかしてキミを学校へ戻そうとも思っていないし、学校は休まないほうがいいなんて言わない。
行きたくないなら行かなくていいし、無理してまで行く必要なんてない。
はっきり言って、楽しく学校へ行けていた人にとって、学校へ行けない不登校の気持ちは、究極的にはわからないと思う。
表面上は理解できるかもしれないけど、やっぱりわからない。トマトが大好きな人が、トマト嫌いの気持ちがわからないように。
僕は、ずっと学校へ行けないとき、しんどい気持ちでいた。絶望を感じ、なんとかして脱出したかったけど、僕の気持ちを本当のところでわかってくれる人はいなかった。
先生は、「なんでも俺に言うてこい」とは言ってくれたものの、「話してどうなるんだろう?」と疑問だった。
だから、僕が「なんとしてもキミのチカラになってあげるよ」なんてことは、言えない。
だって、僕とキミは違う人で、全てのことがわかるわけなんてないんだから。
でもね。
不登校のしんどさや辛さ、もどかしさを僕は知っている。そして、どうやったら脱出できるかのルートも知っている。
できることならば、その道をキミへ伝えたいと思っている。
一緒にその道を進んでいけたらいいなと思う。
だから、もし良かったら、これから書いている文章を読んでもらえると嬉しい。
キミには、限りない可能性がある。
学校へ行けないなんて、人生にとっては実はそれほど大きなことではない。
いや、むしろ「あのとき、学校へ行けなくてラッキーだった」と言える日が来る。
無理して外へ出なくてもいい。
会いたくなくなら、会わなくいい。
ただ、次のページをめくってみて欲しい。
僕は、キミに伝えたいことがあるんだ。
NPO法人 D.Live
田中 洋輔

記事の紹介

◇不登校のキミへ送るラブレター〈不登校だった僕が伝えたいこと〉
僕は、大人には「りかいできない子ども」だった。誰にも自分のことをわかってもらえなかった。ずっと孤独を感じていた。だからこそ、大切にしたいことがあるのです。
◇学校へ行けなくて、絶望を感じているキミへ
僕は学校に行っていないとき、心には絶望しかありませんでした。なにをしたいかもわからないし、どうしていいかもわからない。ずっと暗闇の中にいる感覚でした。
◇不登校だった自分に、今ならなんて声をかけるだろうか?
〈昼TRY部の徒然日記〉
僕が不登校だった頃の話。そして、お昼の居場所でどんなことをしているのかを紹介した記事。
◇学校へ行けないのは、ラーメンが嫌いなのと同じかもしれない。
学校に行けないのは、「変わっている」わけでもない。「劣っている」わけでもありません。好き嫌いや好みと一緒で、「行けない」だけ。学校へ行けなくてもいいじゃないか!
◇学校へ行けない時間は、決してムダじゃないし、その時間にやるべきことがある
先生や大人は、“学校へ行ってない時間”を“空白の時間”なんて言い方をする。でも、そうじゃない。学校へ行っていない時間は、なによりも大切で、なににも代えがたい貴重な時間だ。
◇不登校の子には、10円寿司が『大トロ』に化けるくらいの可能性がある。
僕は、不登校の子には、大きな可能性が眠っていると思っています。しかも、その可能性はまだほとんどの人に気づかれていない。そんな可能性を僕が見つけることができれば……。なんてことを思いながら、面談で会うのをいつも楽しみにしています。
◇カウンセラーでもない自分が、自信を持って不登校支援をしている理由
面談のときに僕が大切にしていることを書いています。心がけていることは、“解決”よりも、“寄り添う”ことです。
◇ 僕は、子どものトレジャーハンター。宝物を盗みにいく。
僕が不登校の子に会って話を聞くのを楽しみにしているわけとは?

不登校のキミへ送るラブレター〈不登校だった僕が伝えたいこと〉

はじめまして。
僕は、滋賀の草津でNPO法人 D.Liveという団体をしている田中洋輔(たなかようすけ)だ。
みんなからは、イチローって呼ばれている。
(理由については、会ったときにでも聞いて欲しい)
さて、今日はキミに話したいがあって、文章を書いている。
僕は今、32歳になるけれど、実は、僕も学校へ行けないことがあったんだ。
高校生になって不登校になったけれど、中学生のときから、いや小学生のときからなにかが変だった。
小学1年生の三者面談。
担任の先生に、「田中くんは、よくわかりません」と言われた。
そのときから、僕は自分が先生にはよくわからない、理解できない人間なんだと自覚した。
どんなことをしても、ほとんど理解されなかった。
先生はもちろん、親でさえも。
「わかって欲しい」と思うけれど、僕も思春期になり、大人への反発心もあった。
「わかってくれなくていいや」と、いつの間にかあきらめるようになっていた。
心の底では、大人にわかって欲しかった。
理解してもらうおうと思った。
でも、誰も僕の気持ちを理解してくれる人はいなかった。
中学3年生になり、僕はだんだん、誰も自分のことがわかってくれないんじゃないかと思うようになっていった。
仲の良かった友達とも話すことが少なくなり、声をかけてきた人をにらみつけた。
気がつけば、僕の周りには誰もいなくなった。
どうでも良かった。
どうせ誰も自分のことをわかってくれないんだ。
理解できないんだ。
「田中くんは、りかいできない人」なんだから。
僕は、大人を敵だと思うようになった。
倒すべき相手であり、闘うべき対象だった。
部活の顧問には、「殴れるなら殴ってみろよ」と掴みかかったこともある。
自分でも、なにがなんだかわからなかった。
自分自身がわからなかった。
学校へは行くものの、授業中はずっと寝ていた。
修学旅行へは行ったけれど、なにをしたのか、どこへ行ったのか今でも思い出せない。あの頃の記憶がごっそりなくなっているんだ。
きっとイヤな思い出を脳が削除したのだろう。
その頃の記憶がほとんどない。
ただ言えることは、僕は自分で自分がコントロールできなくなっていた。
まるで、魔物に体を奪われているかのような感じだった。
ある日、僕は全速力で自転車をこぎ、電信柱へ飛び込んだ。
目を覚ましたかった。
自分が自分でなくなる感覚が怖かった。
でも、当然そんなことでなにかが変わることもなく、僕は頭からダラダラと血を流しながら、自転車を手で押しながら家へ帰った。
あのとき、僕には相談できる人が誰もいなかった。
大人は全員が敵で、友達も「どうせわかってくれない」と諦めていた。
でも、心の底では、誰かにわかって欲しいと思っていた。
あのとき、僕のそばで、じっくり話を聞いてくれる人がいたなら、僕の人生は変わっていたのかも知れないなと、今でも思う。
僕は、子どもの頃に、僕が欲しかった存在になろうと思って、今の仕事をはじめた。
僕は、「キミの気持ちがわかるよ」なんて言うつもりは全くない。
「一緒に学校へ行けるようになろう!」なんて、安っぽい学園ドラマの先生みたいなことも言わない。
正直、キミが学校へ行こうが行くまいが僕にはどっちでもいい。
どうして、学校へ行かないとダメなんだ?
勉強が遅れるから?
みんな行っているから?
それがどうした?
勉強なんて自分でも出来るし、世界中で見れば学校へ行けない子どものほうが圧倒的多数だ。行けなくてもなんら問題は、ない。
だから僕は、キミに「学校へ行け」とは、口がさけても言わない。
別に学校なんてどうでもいいと言いたいわけじゃない。
学校へ行けば友達もいるし、勉強もできる。楽しいこともいろいろあるだろう。
キミがもし、「学校へ行きたい」というのであれば、それでいい。
僕は、学校へ行けない子たちと関わる仕事をしている。
彼らに言うことは、1つだけだ。
「キミは、どうしたい?」
学校へ行けない理由なんて、なんでもいい。
カウンセリングをして問題点を見つけたとしても、果たしてそれで学校へ行けるのか?
(行けるならそれでいい。カウンセリングには合う子と合わない子がいる)
原因や理由なんて、どうでもいいじゃないか。
それは、過去の話だ。
問題は、今であり未来だ。
変えられない過去を嘆くのではなく、今を変えようとするほうがよっぽど生産的じゃないだろうか?
僕は、中高生時代、とても苦しかった。しんどかった。
誰も味方はいなかった。
「なにかあったらなんでも言うてこい」と声をかけてくれる先生がうさんくさくてしょうがなかった。
だから、僕はキミに、先生のように、「僕になんでも話してごらん」なんて、決して言わない。
学校へ行けない原因も性格も環境も、みんな違う。
キミには、キミの課題があるだろう。
だから、教えて欲しいんだ。
「キミは、どうしたい?」「現状のなにを変えたい?」
僕自身、なにで苦しんでいるのか全くわからなかった。どうして、こんなにイライラするのかもわからず、ただしんどかった。
キミが思っていること、考えていること、感じていることを聞かせてくれないだろうか?
「問題を解決する」なんてことを僕は思っていない。
ただ、キミが望む未来へ向かって進む手助けがしたいだけだ。
僕の話は、以上だ。
さぁ、君の話を聞かせてはくれないだろうか?

絶望を感じるキミへ〈不登校のキミへ送るラブレター〉

「学校へ行けていないとき、絶望を感じたことってありましたか?」
京都のカフェで、高校生と保護者、2人と僕は向き合って座っていた。
学校へ行けなくて困っており、話を聞いてもらいたいという連絡をいただき、会うことになった。
1時間ほど、状況などを聞いて、「これからもよろしく!」と話して、帰ろうとしていたとき。
「1つ、聞きたいことがあるのです」と、高校生の彼が言った。
「田中さんも学校行けていなかったんですよね? そのとき、絶望って感じていました?」
僕は、高校生のときに不登校になり、浪人して入学した大学も3ヶ月で行けなくなった。
彼の質問を聞いて、当時のことが思い出された。
僕は、彼をまっすぐ見て言う。
「めちゃくちゃあったよ。絶望しかなかったね。真っ暗だった」
そう。そうなんだ。しんどかった。
めちゃくちゃキツかった。
なにがしんどいのか?
学校へ行けないこともそうだけれど、なによりしんどかったことが、することがないってこと。
やることが、ないのだ。ヒマすぎる。
目標も目的も、なにもかも見失った状態。
学校へ行かない時間がごっそり空く。この時間が辛い。
これからどうやって生きていく?
未来は、どうなっていくんだろう?
まさに、お先が真っ暗な状態。
僕は、ずっと真っ暗なトンネルの中にいて、さまよっている感覚だだった。
どこから来たのか、どこへ向かうのかもわからない。
照らす光もなく、どこへも行けない。
僕は学校へ行っていないとき、ずっと河川敷で空を見ていた。
引きこもっているときは、1日中ずっと天井を眺めていた。
ずっと見ていると頭がくらくらしてくる。
もう、なにがなんだかわからなくなってくる。
ここがどこなのかわからなくなってくるのだ。
ふさわしい言葉を探すと、“絶望”というのが一番しっくりくる。
そう。望みが絶たれた状態。
出口を探してもがいてみても、どこまでいっても真っ暗な道が続くだけ。
あがいても、声をあげてみても、なにも見えない。
目を開けているのか、閉じているのかもわからなくなってくる。
この感覚は、きっと体験した人にしかわからないんだろう。
ヒマでやることがなくて、目的がなにもなくて、死ぬほど苦しいという感覚。
僕は、大学に入れば、光が見えると思っていた。
自分の道筋を照らしてくれる先があると思っていた。
でも、そうじゃなかった。
結局、自分でなにをするか見つけるしかなく、周りの友達は、やることや道筋なんてどうでもよく、楽しそうに学校生活を過ごしていた。
夏休みに入ったときには、「もう、無理だ……」と思い、大学を辞めようと思った。親に止められて退学することはなかったけれど、そこから1年間は学校へ行けなかった。
やりたいことがない。
やるべきこともない。
そして、なにかをする自信もない。
全てがなかった。
素っ裸で真っ暗なトンネルの中にいるような状態。
無力だった。圧倒的な無力だった。
誰かにこの苦しさを説明することもできず、ただ毎日もがいていた。
当時、僕は毎日の景色が白黒に見えていた。カラフルに見える世界からごっそり彩り(いろどり)をはぶいたみたいに。
楽しい。嬉しい。おもしろい。
たくさんの感覚を失っていた。
もしかしたら、“痛い”という感覚すらなくしてしまっていたかもしれない。
ふと、そのときのことを思い出し、僕は質問をしてくれた高校生に向かって微笑んだ。
「大丈夫。自分もそうだった。絶望しかなかった。でもね、大丈夫だよ。出口は、ある」
彼は、少し安堵した表情を浮かべ、「ありがとうございました」と言って、店を出て行った。
僕は、当時の自分を思い出しながら、心の中でつぶやいた。
「キミは、きっと大丈夫だ。誰にも頼ることができなかった僕とは違う。だって、僕は暗闇の中に光を灯す(ともす)方法を知っているのだから。その光についてこれば、キミはきっと出てこられる」
ちょうどその日は、半年前に不登校の面談をした高校生がニュージーランドへ留学に旅立った日だった。
彼も同じように、なにをしたらいいかわからず、絶望を感じていた。
でも、自分の目指す光を見つけて、日本を飛び出した。
今はまだ、真っ暗で、なにもできないかもしれない。
どこへいけばいいかわからいなかもしれない。
けれど、安心して欲しい。
必ず、光は見つかる。
もし、「自分の光を見つけたい」とキミが言うのであれば、僕はキミと一緒にトンネルの中に入り、光を探そう。
いつでも、声をかけて欲しい。
僕は、スコップを持って、待っている。

不登校だった自分に、今ならなんて声をかけるだろうか?

今から、15年ほど前。
制服姿のまま、僕は河川敷に寝転がっていた。
真っ青な空。
楽しそうにはしゃぐ子どもが見える。
平日の午前中。
ほんとうなら学校へ行っている時間。
僕は、学校へ行くこともなく、河川敷にいた。
ずっとプロ野球選手になりたかった。
自分なら出来るという根拠のない自信があった。
みんなに、「そんなの無理だ」と言われても、努力をするのを止めなかった。
でも……
高校に入り、他のすごい先輩や同級生を見ているうちに、自信を失い、部活を辞めた。
逃げ出したのだ。
自分でもわかっていた。
僕は逃げたんだ。
ずっと、その後悔にさいなまれ続けた。
野球をしている夢を見る。
「あっ、野球部に戻れている」と嬉しくなる。
でも、夢だと気がついて、落胆する。
逃げ出した自分が情けなく、「辞める」という決断を下した自分自身を僕は恨み続けた。
野球しかなかった僕は、やることがなにもなかった。
学校へ行く必然性もない。
ほんとうにやることがなんにもなかった。
制服を着て、家を出る。
でも、学校へ行かず、途中の河川敷に自転車を止めた。
寝そべり、空を見上げる。
晴れ渡った空とは裏腹に、僕の心は深く沈んでいた。
「なにをしていけばいいんだろう?」
ずっと野球しか頭になかった。
野球する人生しか考えていなかった。
野球をやめたとたん、将来が全く見えなくなった。
正直、大学とか、学校とか、進路とか。
そんなものは、どうでも良かった。
とにかく、欲しかったのは、“やるべきこと”であり、“目指すべき目標”だった。
なにか夢中になれるものが欲しかった。
だらだらと意味もなく、学校へ行くことに意欲は出なかった。
時は過ぎ、今、僕は自分と同じような、学校へ行っていない子どもたちと関わっている。
僕は、彼らの気持ちや苦しみが手に取るようにわかる。
以前、大学の講義で瀬戸内寂聴さんに相談したことがある。
「人生、めちゃくちゃ苦しいんですが、どう考えたらラクになれますか?」
すると、寂聴さんは「人生は、苦しくて当たり前です。仏様も、一切が苦だとおっしゃっています。でもね……」
少しはにかみながら彼女は、続ける。
「苦しい、しんどい思いをした人ほど、誰かに優しく出来るのですよ」
今でも、あの言葉は、僕の心に深く深く残っている。
しんどかった。
学校うんぬんよりも、やりたいことが見つからないのがキツかった。やることがなんにもなかった。
目標もなく、張りのない生活。
生きているのに、気持ちはまるで死んでいるかのようだった。
「僕みたいなしんどい思いをして欲しくない」
そう思って、今の仕事を始めることにした。
不登校は、12万人を越え、しんどさを抱えている子どもは多くいる。
1人1人、苦しさは違う。
悩みや不安も千差万別だろう。
僕が出来ることは、彼らに寄り添い、一緒に歩を進めていくことだけだ。
4月よりずっとやりたかった昼の居場所(昼TRY部)をスタートさせた。
学校へ行けず苦しんでいた子どもたちが、少しずつ成長していく姿を見るのは、ほんとうに嬉しい。
歩けなかった赤ちゃんが必死で立とうとしている姿を見ているかのように、少しずつ、少しずつ、成長をしてくれている。
家から出ることが出来なかった子が、電車で30分近くかけてここまで来ている。
先日、家庭訪問に来たとき、先生が言ったそうだ。
「正直、驚きました。こんなに元気そうだなんて……」
口数も増え、保護者の人がわかるくらいに元気になってきた。
会ったときは、全然話さなかったのに、今では冗舌で、「早く帰りや〜」というまでずっと話し続けている。
居場所づくりに関して、僕は大切にしていることがある。
それは、1人だけでやるゲームをさせないこと。
僕は、人というのは関係性の中で育っていくものだと信じている。
『キツツキと雨』を見て、そう強く思った。
(成長するために大切なのは『何か』を小栗旬が教えてくれた)
http://www.blog.dlive.jp/2016/02/04/oguri/
誰かと出会い、触れあっていくことで人は様々なことを学び、自分に足りないものを得ていく。現状を変える勇気をもらう。
ただ単に来て、誰とも話さず、ゲームをして帰るのはあまりにももったいない。
僕がずっと1人きりでいた河川敷と、なんら変わらない。
僕があのとき、ずっと欲しかったもの。
それは、相談する人であり、会話してくれる人だった。
ホンネで話しを聞いてくれる。
自分のことをわかってくれる。
一緒になって、悩み、考え、寄り添ってくれる人が欲しかった。
僕には、誰にもいなかった。
学校へ行けていない子同士、通じ合うものがある。
凸凹(デコボコ)コンビとはよく言ったもので、ヘコんでいるところがあるからこそ、お互いで補うことができるのだ。
ヘコんでいないような、完璧に見える人の前では、決して弱みを見せることはできない。親や先生にも打ち明けるのは難しい。
でも、なにか出来ないことを抱えているここの子どもたち同士だと、強がる必要はなにもない。
ありのまま、自分の弱い部分もさらけ出せる。
自分であって大丈夫と思える場所になっている。
そんなところなのに、1人の世界に引きこもるのは、もったいない。
この場所では、そんな残念なことはしたくない。
ただ、不登校の子どもたちの多くはシャイであり、人見知りだ。
人との関わりもそんなに得意ではない。
彼らにいきなり、なにかのワークをさせたり、会話の時間を作ってもしんどいだけ。
だから、今、昼TRY部でおこなっているのは、ボードゲームだ。
ボードゲームは、すごくいい。
テレビゲームだと、みんなが画面に向かっている。
会話ではなく、独り言が多くなる。
でも、ボードゲームだと、小さな会話が多くある。
昨日は、みんなで『人生ゲーム』をした。
ルーレットを回して、お金を稼いでいく、あのスゴロクのようなやつだ。
中学生は、「めっちゃ久しぶり」といい、楽しそうに参加していた。
たとえば、お金を得るとなったとき。隣の友達が、数えて渡してくれる。カードを探してくれる。
「はい」「ありがとう」
何気ないやりとり。
でも、そんな会話を積み重ねることで、信頼関係は作られてくる。
実際の作業が入ることで、決してテレビゲームでは得られないやりとりが出てくる。
「話そう!」となると、どうしても緊張してしまう。
しんどくなることもある。
でも、ゲームに没頭し、その中で、必要があるやりとりだと、子どもたちは自然にコミュニケーションを取ることができる。
都会では挨拶しないのに、島へ行くと、すれ違う人に自然と挨拶するように。
先日は、『枯山水』というゲームをした。
庭をつくる渋いゲーム。
やはり、みんなで顔を合わせながらするボードゲームは良い。
自然に笑顔になれる。
楽しくなってくる。
悔しい。嬉しい。楽しい。
そんな感情が溢れてくる。
河川敷で1人だった僕は、笑うことも、泣くことも、怒ることもなかった。
感情をどこかに置き忘れてみたいに、喜怒哀楽を失ってしまっていた。
話す人もいなくて、ただ、1人だけで寂しく座っていた。
あのとき、僕にこんな場所があったら、どれだけ救われただろう。
誰かと楽しく笑える。
悩みを相談できる。
苦しい胸の内を明かすことができる。
そんな場所があったら……
ふと、思う。
あの頃の僕に、今ならなんて声をかけるだろうか?
どんな話がしてあげられるだろう?
現実的に、そんなことは、起こらない。
過去の自分に会うことはできないし、過去を変えることもできない。
だから、僕は、過去の僕が欲しくてたまらなかった場所をつくっている。
1人ぼっちで寂しくてたまらない子どもたちが笑える場所を。

学校へ行けないのは、ラーメンが嫌いなのと同じかもしれない。

キミは、学校に行けない自分を責めているかもしれない。みんなと比べて、「自分はダメだ」と思っているかもしれない。
でも、安心して欲しい。
キミは、別に変わってもいないし、誰かと比べて劣っているわけでもない。
僕は、小学一年生のとき、担任の先生に「あなたは、私には理解できません」と言われた。
子ども心に、すごく傷ついた。
自分は先生に理解できない変なヤツなのだろうか?
みんなとなにが違っているのだろうか?
「普通」になりたいと願い、なんとかしたいと思った。
けれど、無理だった。
僕には、そのままの自分が「普通」であって、みんなが望む「普通」がわからなかったから。
日本では、みんな一緒であるべきだと言われる。
みんなと同じようにして、はみ出してはいけない。
「普通」というのをとても大事にされる。
では、キミに聞きたい。
「普通とは、いったいなんだろう?」
学校に行けないことは、普通ではないのだろうか?
僕はそうは思わない。
「学校へ行くことが当たり前」というのは、誰かが決めた思い込みに過ぎない。
極端な話をしよう。
キミは、戦争をしているところに行ったとする。
そこで、敵を殴ることは悪いことだろうか?
僕たちは、人を傷つけないことが「普通」だと習ってきた。
でも、違う場所へ行けば、「当たり前」は変わる。
戦争をしている場所であれば、相手を倒すことが「普通」になる。
学校へ行けないことは、ラーメンが嫌いなことと同じだと僕は思うんだ。
日本人の多くは、ラーメンが好きだ。
ラーメンが好き、もしくは嫌いではない人がほとんど。
そんな中で、「私、ラーメンが嫌いなんです」と言ったらどうだろう?
「え? なんでなん? 美味しいやん」と、いろんな人に言われる。
「変わっている」「あり得ない」とまで言われるかもしれない。
たくさんの人はラーメンが好きであっても、中にはラーメンが食べられ人もいる。
ほとんどの人が出来ても、出来ない人もいるのだ。
キミは、ラーメンが嫌いな人を見て、「あの人は劣っている」「ダメな人間だ」と思うだろうか?
きっとそうは思わないハズだ。
それは、人には好き嫌いがあって当たり前だと思っているから。
では、なぜキミは学校へ行けていない自分を責めるのだろうか?
みんなが学校へ行けているから?
行くことが当たり前だから?
それは、「みんながラーメン好きだから、自分も無理して食べないといけない」と思うようなものだ。
そりゃ、ラーメンが食べられたら、友達とラーメン屋へ行けるようになる。
ラーメンの話題が出来たときに、盛り上がることができる。
ラーメンが食べられたらもちろん良いだろう。
でも、そこで「ああ、どうしてラーメンが食べられないのかしら」と悩む必要なんてない。
泣きながら無理してラーメンを食べられるようにすることもない。
ただ、「自分はラーメンが食べられないんだな」と受け入れるだけ。
みんなにとって学校へ行くことは当たり前かもしれない。
しかし、それは自分ではなく誰かにとって。
キミが学校へ行けないのであれば、「学校へ行けないのが当たり前」だと思えばいい。
学校に行けた方がいいだろう。
勉強に遅れがでるたびに、あせるかもかもしれない。友達に会いたいと思うかも知れない。
でも、学校へ行けないのであれば、「そういうものだ」と思ったらいい。
ラーメンが嫌いな人は、別に自分で選んでラーメン嫌いになったわけではない。
たまたま偶然、ラーメンがダメだったんだ。
キミも同じだ。
能力や才能、性格、努力。
そんなものは、関係ない。
ただ、残念ながら学校へ行けないだけ。
キミは、なにも劣っていないし、ダメ人間でもない。
学校へ行けないのは、キミが悪いわけじゃない。
「もっと自分がガンバらないと」なんて思う必要もない。
安心して欲しい。
学校へ行けていない子どもは、キミだけじゃない。
全国には12万人以上、学校へ行けない子がいると言われている。
この数を言われたところで、よくわからないだろう。
わかりやすく、例で示そう。
プロ野球の読売巨人軍の本拠地である東京ドーム。ここの収容人数が、55000人だ。
つまり、東京ドームが2日間超満員になるくらいよ人数が学校へ行けていないということ。
どうだろう?
こう考えてみると、「自分だけ……」という気持ちは薄まるのではないだろうか。
世の中には、不登校だった大人はたくさんいる。
星野源もマツコ・デラックスもそうだ。
僕も、学校へ行けなかった子どもだった。
大丈夫。
キミは、決して変わっていないし、ダメな人間じゃない。
今のキミに学校が合わなかっただけだ。
ラーメンが食べられない人がいるように、学校へ行けない子どもがいる。
たまたま、それがキミだっただけのこと。
大丈夫。なにも問題なんてない。
ラーメンが食べられないんだったら、うどんを食べたらいいだけだ。つけ麺なら食べられるかも知れない。
無理してラーメンを食べることはない。
代わりは、いくらだってある。

学校へ行けない時間は、決してムダじゃないし、その時間にやるべきことがある

キミは、学校へ行けない時間は、ムダだと思うだろうか?
「こんなことしていても、ダメになるばかりだ」と思うだろうか?
多くの大人は、学校へ行けない時間を“無駄”で、ダメな時間だと思っているように僕は感じる。
ダラダラしている。
ゲームばかりしている。
ずっと寝ている。
ただただ無駄な時間を過ごしているように、たくさんの人たちは、思うのかもしれない。
でも、僕は決してそんなふうには思わない。
学校へ行けない時間は、なによりも貴重で大切な時間だと思っている。
むしろ、“チャンスタイム”だとすら考えている。
「学校へ行けなくてラッキーじゃないか!」とも思うんだ。
“無駄だ”という人は、僕から言わせると、なにもわかっていない。
「ダラダラせず、学校へ行きなさい」と言われても、行けないものは、行けない。
犬に、「日本語で話せ!」と言うようなものだ。
気合いや根性でなんとかなることではない。
だから、僕はキミにアドバイスをしたい。
「世界で一番くらいダラダラして過ごせばいい!」と。
学校へ行けない時間は、キミの時間だ。
誰かに拘束されることもないし、なにかを絶対にやらないとダメなわけでもない。
自由に使える時間だ。
その時間を「学校へ行けなかった」と罪悪感を持って過ごすのは、あまりにももったいない。
僕は、週に数回しか学校へ行けない子へ伝えることがある。
「学校へ行くのをやめよう」と言う。
どうしてか?
行けた日は良いけれど、行けない日は落ち込む。
すると、学校へ行けない日はものすごくしんどい。自分を責めるし、行けない自分がイヤになってしまう。
結果、しんどくて夕方まで寝ていることになる。
そんなふうになるのだったら、むしろしばらくは学校へ行かない選択をしたほうが良いと僕は思うんだ。
家の中で充実した時間を過ごす。
長期休暇をとった気持ちでいる。
そうやって楽しい気持ちで過ごせるようになると、自分に自信もできるし、ラクな気持ちで学校へ行けるようになる。
結果的に、早く学校へ行けるようになることもあるんだ。
まぁ、これは極端な話ではあるけれど、それくらい僕は家の中での過ごし方が大事だと思っている。
学校へ行けない時間は、まるで海外のお金みたいだなと僕は思う。
たとえば、イギリスのお金、ポンドをキミが手に入れたとしよう。
10ポンド(1,500円ほど)を誰かにもらったとする。
キミは、どう思う?
「もらっても仕方ない」と思うだろうか?
「日本で使えないから無駄」だと思うかも知れない。
でも、イギリス人にとっては価値があるものだ。
このお金を使って買い物をすることができる。
同じお金でも、人によって価値が違う。
僕たちがポンドを使えないのと同じように、イギリス人にとって“日本円”は、必要ないものだ。
“学校へ行けない時間”も、これと同じだ。
一見すると、無駄なもの、意味がないものと思ってしまう。
しかし、それを“価値があるもの”にすればいいんだ。
どうするか?
簡単だ。
ポンドを価値があるようにするためには、両替すればいい。ポンドを日本円に替えればいい。
そうすると、お金として日本で使うことができる。
学校へ行けず、家にいる時間も同じ。
“無駄に思える時間”を“価値ある時間”に替えたらいいんだ。
学校へ行けない時間、多くの子は自分を責めている。
「みんなは学校へ行っているのに自分は……」と。
でも、そんなこと気にしなけりゃいいんだ。
家の中で苦しくなる必要なんてない。
とにかく、家の中でめちゃくちゃに楽しむ。
「学校行かない時間があって良かった」と思うくらいに。
僕がオススメするのは、コンテンツに触れることだ。
ゲームも良いけれど、できればいろんなものを読んで欲しい。見て欲しい。
コンテンツとは、映画やアニメ、マンガ、ドラマ、小説など。
学校へ行けない時間は、チャンスタイムだ。
同級生が勉強している間、キミは違うことをしていればいい。
勉強なんて、いくらでも挽回できる。
その間に、キミはたくさんのコンテンツに触れることで、同級生より物知りになれる。博識になることができる。
学校ではなく、家の中で学べばいいんだ。
僕は、難しい本を読めとも言わないし、勉強に繋がることをするべきとも思っていない。
ただ、楽しめばいい。
読みたいマンガを読む。
興味あるドラマや映画を見る。
こんなにまとまった時間があるだろうか?
みんなは学校で毎日を忙しくしている。
じゃあ、キミは家で毎日を忙しくして、充実させればいい。
コンテンツに触れることで、世界が広がる。
「こんな世界かあるのか」
「これおもしろそう」
興味の範囲が広がるし、知識も増える。
海外へ行きたいと思うかも知れないし、歴史に没頭するようになるかもしれない。
コンテンツに触れるとは、出合いをつくることなんだ。
たくさんのことを知って、いろいろ考える。
猛烈に学校へ行きたくなるかも知れないし、やってみたいことが見つかるかもしれない。
そうなると、キミはもう次のステージへ立てている。
あとは、心が動くままに行動していけばいい。
そのキッカケとして、コンテンツに触れて欲しい。
映画やドラマ、マンガ、アニメ。
なんでもいい。
レンタルコミックもあるし、Netflixもある。
僕は手塚治虫のマンガを読んで、今の仕事に就いた。
マンガや本との出合いが人生を変えることがある。
無駄に思える時間が、「あのときの時間が僕の人生にとって大きかった」と思えるようになる。
学校へ行けない時間は、神様がキミにくれた贈り物だ。
貴重な時間を自分を責めて、しんどく過ごすことはない。
楽しく過ごすんだ。
「学校行かなくていいな」とみんなが羨ましく思うくらいに。

不登校の子どもは、大トロマグロだ

江戸時代のこと。
マグロは、下魚(げざかな)と言われ、「下級な魚」「不味い魚」だと言われていた。
醤油や冷凍技術の発達によって、次第にマグロは庶民に愛されるようになっていく。
しかし、トロだけは違った。トロは人気がなく、ほとんどが捨てられていた。だから、とても安くで食べることができた。10円寿司の屋台でトロを食べていたのは、お金がない人や大学生くらい。
「猫またぎ」と言われ、猫ですら食べないと言われていたほど。
今では“高級”と言われる大トロは、1960年代まで「人気がない」「売れない」食べ物だった。
僕は、不登校でいる子をこの大トロに重ねてしまう。
似ているな、と思うのだ。
猫ですら見向きもしなかった食べ物が、今ではみんなが「美味しい」と言って食べている。
学校へ行けない子は、世間から「ダメな子」だというレッテルを貼られることがある。
「学校へ行けない子は、社会に出るのも苦労するぞ」と脅されることもある。
しかし、本当にそうだろうか?
世間には、不登校だった人たちが多く活躍している。
エジソンは、「君の頭は腐っている」と言われ、学校を退学させられた。学校へ行かず、独学で学んでいった。
アインシュタインも学校嫌いだった。
HKTの指原莉乃、星野源、マツコデラックス。
芸能人にも、不登校だった人は、数多く存在している。
学校へ行けないというのは、本人の問題ではなく、本人の可能性に気がついていない周りの問題ではないかと、僕は思う。
冷凍技術が発達したとはいえ、大トロの味は江戸時代から変わってはいないだろう。
でも、「不味い」と言われていた食べ物が、今では「美味しい」に変わっている。
時が経ち、トロの美味しさ、可能性に気がついたのだ。
安く食べられていた魚が、今では高級だともてはやされている。
変わった子だったエジソンは、すごい人になった。
「学校に来ないで」と同級生に言われた少女は、上京して、国民的アイドルになった。
キミは、「この人たちは、特別だ」と思うかも知れない。
でも、僕は決してそうは思わない。
学校へ行けない子というのは、先生からしたら、「理解出来ない子」なのだろう。
ほとんどの先生は、学校は楽しく通っていた。勉強も得意な人が多いだろう。
だから、わからないんだ。不登校の子が。
「どうして、学校へ行けないの?」と思ってしまう。
大学の先輩で、少し変わっている人がいた。
彼女は、幼稚園のとき、先生にこう言われたという。
「私には、あなたが理解できません」と。
そのことを親に伝えると、お父さんは喜んで言ったそうだ。
「よかったやん」と。
なにが良いのか理解できない彼女は、理由を聞き返した。
「だってやで、先生に理解できひんってことは、少なくともお前は先生よりもスゴイ人ってことやで。理解でけへんくらいの可能性があるってことや。だから、喜んだらええんや」
僕は、このエピソードが大好きだ。
僕自身も、小学生のときに、先生に同じことを言われた。
けれど、この話を聞いて、自信になった。
「先生に理解出来ないくらいスゴイ人なんだ」と。
キミも同じだ。
「学校へ行けないことが理解できない」と、先生が言うのであれば、キミはきっと先生の理解を超えているスゴイ存在だということだ。
江戸時代の人々は、トロの美味しさが理解できなかった。
トロの可能性に気づくことができなかった。
でも、環境が変わり、僕たちはトロの美味しさに気がつくことができた。
やっと追いついたと言ってもいいかもしれない。
学校へ行けないというのは、多くの人から見たら変わっていると思われる。
学校へ行くことが当たり前の中で、異端児扱いされることもあるかもしれない。
しかし、そう見られることをむしろ喜ぶべきじゃないだろうか?
多くの一般的なモブキャラに比べて、キミは輝く存在だ。
なんの疑問も持たず、意味もわからない宿題に取り組む。
ただ、決められたレールの上を生きていく。
世間という波に流されながら生きている子どもよりも、「学校に行きたくない」という自己主張ができるキミのほうが、よっぽど可能性があると僕は思う。
聞き分けの良い子のほうが先生に好かれるだろう。
黙々と宿題をする子は、「えらいぞ」と褒められる。
でも、だからなんだって言うのだ?
「宿題なんて意味ないし」と思うのなら、それでいいじゃないか。
「学校へ行きたくない」と思うなら、それでいいじゃないか。
世間とか常識とか、誰にどう思われるとか、そんなくそったれなものに心を乱される必要はない。
間違いなく、キミには可能性がある。
エジソンを担任していた先生は、その可能性に気がつくことができなかった。
キミの周りにいる大人たちは、もしかしたら誰もキミの可能性や才能に気がついていないかもしれない。
いや、キミ自身すら、気がついていないかもしれない。
けれど、信じて欲しい。
大きな大きな可能性がキミには眠っている。
江戸時代の人が今、タイムスリップしてきたら驚くだろう。
「え? トロ食べるの?」と。
キミも同じだ。
何年か後、周りの人たちは驚くだろう。
「え? あの子が?」と。
キミは、余りある可能性を持っている。
どうして、トロが食べられるようになったか。
それは、日本人の味覚が変わったから。
食生活が洋風化し、脂身を食べられるようになって、好まれるようになったのだ。
トロが変わったんじゃない。
食べる側が変わったから。
キミは、今の自分を変える必要なんてない。
そのままのキミでいい。
キミも、トロのように、美味しさが、良さがわかってもらえるときがきっとくる。

カウンセラーでもない自分が、自信を持って不登校支援をしている理由

僕に出来るのだろうか……。
ずっと不安に思っていた。自信がなかった。
僕は、不登校を経験している。引きこもりになったこともある。
だから、学校へ行けなくて苦しんでいる子どもたちの気持ちはわかる。
でも、自分には、“不登校支援”をする資格は、ないと思っていた。
臨床心理士でもない。カウンセラーでもない。
心の問題は、難しい。素人が気軽に手を出して良い問題でもない。
だから、ずっと不登校支援は避けてきた。
見て見ぬふりをしていたと言っても良いかも知れない。
不登校の相談を受けるたび、「自分でいいのだろうか?」と思った。
学校にはスクールカウンセラーがいるし、病院には心療内科もある。
世の中には、たくさんの臨床心理士がいて、有象無象ではあるもののカウンセラーもいっぱいいる。
そんな中で、あえて僕が不登校の子どもと関わる必要があるのだろうか?
なにができるっていうのだ?
免許取り立ての人がF1レースに出るようなものだ。
太刀打ちが出来るわけがない。
そう思っていた。
あるときまでは……。
僕自身が不登校経験者だと言うこともあり、少しずつ、不登校の相談が増えてきた。
なにができるだろうか? と、不安な気持ちを抱えながらも相談を伺う。
保護者の悩みを聞いていると、ある共通点があった。
「カウンセリングが合わなかったのです」
保護者が、口をそろえて言う。
「何回か言ったりしたんですけど、子どもが行きたくないというんです……」
そう言って、僕のところへ相談に来られていた。
僕は、カウンセラーはすごい。
カウンセラーでない自分は、すごくない。
なんとも簡単な図式で考えていた。
しかし、そうではなかった。
「この人なら、なんとかしてくれるかも知れない」と、保護者の方々は淡い期待を抱き、僕のところへお越しになる。
自信がない。スキルがない。なんて泣き言を言っている場合じゃなかった。
「なんとかチカラになりたい!」と思って、保護者面談、生徒面談をおこなっていった。「自分ができることをやろう」と、開き直った。
すると不思議なことに、できるのだ。
子どもが変わっていくのだ。
自分でもわけがわからなかった。
どうして、資格を持っているカウンセラーの人たちが出来なくて、素人の自分が出来るのだろうか、と。
初めは、偶然かも知れないと思った。
けれど、何度やってもうまくいくのだ。
一年ほど学校へほとんど行けなくて悩んでいた子が、たった一回だけ話を聞いただけで、別の進路を決めて自分の道を歩くようになった。
何度か話を聞いた不登校だった子がニュージーランドへ留学へ行った。
「どうしてなんですか?」
こんなことあったんですと話すと、良く聞かれる。
「いや、僕もよくわからないんですよ……」と、僕は苦笑いするしかなかった。
わからなかったんだ。ほんとうに。
答えがわかったのは、つい最近。
「そうか、不登校の子どもは迷子なんだ」と気がついたから。
カウンセラーや心療内科は、“原因を見つける”というアプローチ。
悪いところや問題を探して、それを取り除くことを専門にしている。
“胸襟を開く”という言葉があるように、このアプローチで大切なのは、しっかり打ち明けることだ。心の中に手をグイグイ手を入れられても、ガマンすることが必要になる。
文字通り、痛みがともなう。
しかし、子どもには痛みに耐えられるだけのチカラがない。胸を開き、心の中を見られるのが苦痛でたまらない。
「自分は悪いところなんてない!」と言って、医者が診療するのを拒否する人のように、子どもはカウンセリングを拒否する。
一方、僕がおこなうのは別のアプローチ。
終わったあと、子どもが「楽しかった」と言って帰る。
どうして、か。
これは、全くの無意識で、「なんとかチカラになりたい」と思っていた結果、出来ていたことだった。
不登校の子どもは、混乱している、迷っている。
これからどうしようか?
どうやっていこうか?
まるで、人生の迷子だ。
行く場所、帰る場所がわからない。
僕は彼らの手をとって、尋ねる。
「キミの家は、どこなんだい?」
戸惑った顔をして、子どもは答える。
「わからないんだ」
「そっか。じゃあ、ゆっくり考えてみようか」
これが、僕が不登校の子と面談をするときにおこなっていることだ。
僕がゴールを決めて、そこへ向かうためにどうするかをアドバイスをするのではない。
子どもたちが行きたいところ、目指すべき場所へ行けるように、一緒に進んでいく。
自分の中で行きたい場所は見つかっているのに、一人で行ける自信がなくて立ち止まっている子。
行き場所を見失い、混乱している子。
行きたい場所は明確だけど、どうやって行ったらいいのか道に迷っている子。
いろいろな子がいる。
行くべき場所(家)は、それぞれで違う。

「もうわかったし、ここでいいよ。バイバイ!」と言って、スタスタと帰っていく子もいる。
「不安だから、付いてきてよ」と、不安げに言う子もいる。
僕は、カウンセラーではない。医者でもない。
ただ、困っている迷子の子をお家まで送り届けるだけだ。
今まで、ずっと、不安に思っていた。
「自分にできるのだろうか?」と。
でも、違った。
僕は、カウンセラーになる必要はなかった。
「カウンセラーじゃないから」と、不安に思う必要もなかった。
すごい技術がなくても、ただ、子どもに寄り添って、一緒に歩いて行けばいい。
それだけで良かったんだ。
比べることなんてなかった。
カウンセリングは、プロに任せればいい。
僕は、子どもの手をとり、家まで送ってあげればそれでいい。
今日も、迷子になって困っている子に声をかける。
「キミは、どこへ行きたいんだい?」

僕は、子どものトレジャーハンター。宝物を盗みにいく。

僕は、不登校の子たちに会うのが楽しみで仕方がない。
話を聞くのが楽しみで仕方がない。
もう、ワクワクする。ドキドキする。
まるで遠足前日のような気持ちになっている。
どうして、そんな気持ちになるか?
理由は、単純だ。
楽しみだから。
会って、話をするのがなによりも楽しみだから。
僕は、まるでトレジャーハンターだなと思う。
トレジャーハンターとは、宝物を探す探検家だ。
探検家は、お宝を探して、旅をする。いろんなところを掘って、「どこにあるだろうか?」と探索を続けていく。
僕も同じだ。ずっとお宝を探している。
お宝と言っても、金塊でもないし、財宝でもない。
キミが持っている可能性だ。キミの中に眠っている可能性や才能、能力。それを見つけるのが僕の仕事であり、楽しみでもある。
誰も見つけられなかったお宝を見つけ出す。
これ以上の喜びがあるだろうか?
カウンセラーや病院の先生は、悪いところや原因を探す。
「どうして学校へ行けないのか?」
「どこが問題なのか」
なんとかして原因を見つけ出して、それを治療しようとする。
でも、僕は疑問に思うのだ。
これって、「不登校の子どもは、なんかしらの問題がある」と言っているようなものじゃないのだろうか、と。
僕は、不登校の子は、「問題がある」わけでも、「なにか欠陥がある」わけでもないと思っている。
だから、別になにかを治す必要もないし、原因を見つけ出すことにそれほど意味を感じない。
(カウンセラーや病院の先生は、すごく尊敬しているけれど)
学校に行けないのには、様々な理由があるだろう。
それは、ほんとうに1人1人によって違う。1つだけの原因でないことも多い。
不登校の子が、「どうして学校へ行けないのかわからない」と言うのは、決して珍しいことではない。
たとえ、原因や理由がわかったとしても、すぐに学校へ行けるようになるのだろうか?
僕は、そうは思わない。
“学校へ行けない”というのは、そんな単純なものではない。
いろいろなことが重なって学校へ行けなくなっていることが多い。
だからこそ僕は、原因や理由を見つけることがそこまで大切だと思っていない。
もしかしたら、大人が安心したいだけで理由を探しているのかもしれない。
何度も言うけれど、学校へ行けないことは問題だと僕は思っていない。学校へ行けないことは、誰かより劣っているわけでもない。
学校へ行けない。
ただ、それだけだ。
ペンギンが空を飛べないように、ただ学校へ行けないだけだ。
でもだからと言って、「そのままのキミでいいよ」と言うつもりはない。いや、「今のキミではダメだ」と言いたいわけではない。
「そのままのキミでいい」と言われたところで、ただの気休めにしかならない。実際に学校へ行けていないのは事実で、「しばらく休みましょう」と言われても、未来は見えてこない。
「いつまで休めばいいのか?」
「どうしたら、学校へ行けるようになるのか?」
不安は、募っていくばかりだ。
僕が、家に引きこもっていたとき、絶望しか感じなかった。
未来なんてなにも見えなかった。
もし、「ゆっくり休みましょう」と言われたところで、「いや、そんなん無理やし!」と思っていたことだろう。
だから、僕はキミに気休めを言うつもりもないし、無理矢理学校へ行けとも言わない。
僕は、トレジャーハンターだ。
どんなことをしているか?
不登校でしんどいなぁと思っている子に会って、その子が持っている可能性や良さを見つける。
原因や問題を見つけるアプローチとは真逆のことをする。
雑談をしながら、考える。
「この子の良さはどこにあるだろう?」
「どんなことが得意なんだろうか?」
どんな子にも欠点はある。課題はある。
だから、出来ない部分には注目しない。
徹底的に“強み”や“良さ”を見つけ出す。
その子が持っている可能性という宝物を会話を通して探っていく。
もちろん、“強み”を見つけにくい場合もある。いや、わかりやすく“強み”を持っている子のほうが少ない。
そんなときは、その子と一緒に宝探しをおこなっていく。
なにが得意か、どんなことが好きかを探していく。
どうやって探すか?
ヒントは、その子が好きなこと、ハマっていることにある。
食べることが好きなら、美味しい店をどんどん探してみればいい。自分で料理をするのも良いかもしれない。
歴史が好きなら、徹底的に歴史小説を読めばいい。
「自分は、これが好きだ!」
「自分には、これがある」
そう思うことができれば、自信に繋がる。
僕は先生でもないし、医者でもない。キミへなにか教えることもないし、上からアドバイスすることもない。
ただ、一緒に宝探しをするトレジャーハンターだ。
好きなもの、得意なことが見つかれば、その道をまっすぐに進んでいけばいい。
すると、どんどん出来るようになってくる。「やれる」という自信がついてくる。正のスパイラルに突入する。
楽しくなってくるんだ。
僕は、そのハマった瞬間を見るのがなによりも好きだ。
自信なさげで、「自分なんてダメです」と言っていた子が、「これめっちゃ楽しいです」と言うようになる。
カチッと音が聞こえるように、ハマったとき、その子が大きく変化する。
トレジャーハンターの僕にとって、そのときこそが、お宝を手にした瞬間になる。
だから、思うんだ。
何度でも、その瞬間を感じたいと。
早くみたいと思うから、会うときにドキドキするんだ。

著者・団体紹介

〈田中 洋輔 プロフィール〉
1984年生まれ。
立命館大学文学部卒。
中学3年生のときから学校へ行けなくなる。プロ野球選手を目指し、大阪の強豪高校へ入学するものの、挫折。高校時代のほとんどを河川敷で過ごす。浪人して、大学へ入学。しかし、やりたいことが見つからず、5月には「辞めたい」と思う。親に止められ、そこからは学校へも行かず引きこもりになる。毎日、天井を眺め、宅配の弁当を食べる生活を1年近く続ける。友人の助けもあり、なんとか外へ出られるようになる。政治家の秘書やテレビ制作に関わるうちに、「社会を変える仕事がしたい」と思い、今のD.Liveを立ち上げる。
〈NPO法人 D.Liveについて〉
2009年5月。
大学生、18人が集まって立ち上げた団体。
2012年にNPO法人化。滋賀県草津市を中心にして活動中。
自信を取り戻す教室『TRY部』の運営。
昼の居場所や子ども食堂などもおこなっている。
【D.Liveのサービス一覧】
〈TRY 部〉
悩みや不安をはなし、自分がやりたいことをみつける教室
〈昼 TRY 部〉
やってみたいことに取り組めるお昼の居場所
〈不登校メンタリング〉
しんどい自分から抜け出すための個人面談(日時や場所は、応相談。オンラインでも可能)

不登校のキミへ

2017年5月24日 発行 初版

著  者:田中 洋輔
発  行:NPO法人 D.Live

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