───────────────────────
───────────────────────
《まちの写真館》
《町の人々》
《あやしい男》
《そして、どったんばったん》
《逃走》
《父、やっと来る》
《宿題》
《その夜》
《明くる朝》
まい子 小学5年生の女の子。
おばあちゃん 町野智恵。まい子の祖母。亡くなった旦那は町野潤太郎。
母 まい子の母、美智子。
父 まい子の父、健一。タクシーの運転手。
池内 大学生。4月からは新社会人。
堀田婦警 近くの交番のお巡りさん。
なえ 修行中のカメラマン。
青田 「丸井」と名乗る泥棒。
木造の古い家があり「まちの写真館」の看板が見える。
前庭に、昔あった桜の木が、膝丈くらいの切り株となって残っている。
写真館は、玄関から上がるとすぐに応接用のテーブルとソファがある。
壁の棚には、撮影に使うための小道具が並んでいる。人形、花瓶、扇子、花…etc。
奥に廊下があり、電話が備え付けてある。
廊下の向こうは見えないが、居住スペースとなっていて台所がある。
応接間と隔てなく続いて撮影用のスタジオ。
撮影用スクリーンと椅子、ストロボを頭に付けたスタンドなどが立っている。
スタジオにはカーテンで仕切られた一角があり、記念写真用の衣装をそろえた更衣室となっている。
スタジオを抜けたところに、黒いカーテンで仕切られた出入り口がある。
暗室と記されている。
◇ ◇ ◇
その日の夕方近く。
写真館のスタジオには、荷造りされた段ボールがいくつか置かれている。
テーブルに、筆箱と宿題のノートが置かれているが、手はつけられていない。
まい子が、その横のソファに座り、古いアルバムを見ている。
電話が鳴る。
母 (奥から声だけ)まい子、電話とって。
電話が鳴り続ける。
母がやって来て受話器をとる。
母 (電話に)もしもし、町野です…なんだ。…うん……うん、それよりまだ来れないの。…えええ!…だから引っ越し屋さんに頼んだほうがいいって言ったじゃない。…そうだけど…うん。とにかく、片付いたら電話ちょうだい。
母、電話切る。
母 もう…。
まい子 お父さん?
母 あんた、いたの。電話くらい出てよ。
まい子 まだ来ないの。
母 少し遅くなるって。
まい子 少しって、もう夕方だよ。
母 しょうがないでしょう。
まい子 またトラブル。
母 またって、なによ。…宿題、すんだの?
まい子 …うん。(アルバムに夢中)
母 (宿題をのぞいて)ぜんぜん終わってないじゃない。
母、まい子からアルバムを取り上げる。
まい子 ああ。
母 早く宿題片付けて、手伝ってよ。
母、アルバムを段ボールに詰め直す。
まい子、しかたなく宿題にむかう。
母 おばあちゃんに言ってくれた。
まい子 …うん。
母 どうするって。
まい子 全部、持ってくって。
母 なに言ってんの!それができないから、整理してって言ってんじゃないの。(奥に向かって)おかーさん!
まい子 ねえ、すぐ引っ越すんだよね。
母 えっ。
まい子 言ったよね。少しの辛抱だって。すぐ新しい家見つけるからって。
母 そうね。
まい子 一軒家なんでしょう。
母 よく覚えてるわね。
まい子 約束したよね。
母 それくらい勉強も頭に入ってくれるといいんだけど。
母、棚に飾ってあるおじいちゃんの写真に手を合わせる。
まい子 まい子の部屋も広くなるんだよね。
母 成績上がったらね。
まい子 それは約束してない。
母 都合のいい頭だこと。
まい子 ねえ、いつ?
母 そうね。
まい子 ねえ、すぐだよね!
母 そんなにおばあちゃんと一緒の部屋がいやなの。
まい子 そんなんじゃないけど…。
母 あんなにお年玉もらったのに。おばあちゃん、嫌われてかわいそう。(目頭をおさえてみせる)
まい子 違うよ!
おばあちゃんが、アルバムを持って家の奥からやってくる。
おばあちゃん 電話だった?
母 ウチのだんな。もう少しかかるって。
おばあちゃん あら、そう。これ、見て。あんたの写真。お父さん、こんなに撮ってたのね。
まい子 どれ。
まい子、覗き込む。
おばあちゃん ほら、結婚式よ。
まい子 おじいちゃん、修正するの、上手だね。
母 (まい子をはたく)パシンッ。
まい子 いったい。バカんなる!
母 心配しなくても、それ以上、バカにはならないわ。ほら、宿題やんなさい。おかーさんも、早く荷造りしてよ。
おばあちゃん はい、はい。
母、去る。
まい子は、しかたなく宿題に向かう。
おばあちゃん、段ボールの前に座るが、アルバムに見入ってしまう。
そして、スタジオを静かに見つめる。
まい子 …おばあちゃん、授業って漢字で書ける。
おばあちゃん ん…書き取りかい?
おばあちゃん、宿題を覗き込み。
まい子 (問題を指差し)ここ。
おばあちゃん あってるよ。
まい子 下の字。
おばあちゃん 何本、線ひいてるの。
まい子 だって。
おばあちゃん たてたてチョンチョンよこチョンチョンよこよこよこの、たてチョンチョン。
まい子 はあ?
おばあちゃん、まい子の鉛筆を取って、書いてみせる。
おばあちゃん たてたてチョンチョンよこチョンチョンよこよこよこの、たてチョンチョン。
まい子 すごい!(書いてみる)たてたてチョンチョンよこチョンチョンよこよこよこよこよこよこよこ…。
おばあちゃん ひきすぎ、ひきすぎ。
まい子 うぁあ、もういやだ。漢字なんて。…見せて。
まい子、おばあちゃんから、アルバムを奪い取る。
まい子 (アルバムを見ながら)…うわっ、お母さん、制服。スカート、なーがい。…これ、成人式?
おばあちゃん まい子も、その振り袖着れるわよ。
まい子 …これ、だれ?
おばあちゃん おじいちゃんと、おじいちゃんのお父さん。
まい子 おじいちゃん、若い!
おばあちゃん …まい子も、とんだとばっちりだね。
まい子 なにが。
おばあちゃん 自分の部屋を取られちゃ、誰だって気分よくないわ。
まい子 そんなことないよ!
おばあちゃん 無理してもダメよ。顔見りゃわかる。
まい子 …。
母、段ボールを抱えてやってくる。
母 おかーさん、こんなものどうするの!
おばあちゃん お父さんが大事にしてたのに、捨てるわけいかないでしょう。
おばあちゃん、逃げるように去る。
母 そんなこと言って、いつ片づくのよ。
おばあちゃん (声だけ)はい、はい。
母 もう!
母、段ボールを置く。
まい子 これ、どこ?(アルバムを見せる)
母 えっ。(チラ見して)うちの前よ。
まい子 ふーん。(と、玄関を振り返る)
母、暗室のカーテンを開け、中をのぞく。
母 うっそ…なんにも手をつけてないじゃない。
母、暗室に入る。
まい子 こんな木ないよ。
母 (声だけ)おかーさん。これ、どうするの!
まい子 ねえ、こんな木ないよ!
母 (声だけ)昔はあったのよ。
まい子 桜の木?
母 根っこ残ってるでしょう。
まい子、アルバムを持ったまま、外へ飛び出す。
玄関と扉も開けたまま。
母 (声だけ)おじいちゃん、よく桜の木の下で写真撮ってたわ。…ちょっと、まい子、手伝って。
まい子 …。(聞こえていない)
母、暗室から出てきて。
母 まい子?
まい子 (玄関先でアルバムを見ながら)この看板、なーに?
母 まい子!
まい子、駆け戻ってくる。
まい子 お母さん。隣の家も違うよ。
母 そば屋さんがあったのよ。手伝って。
母、まい子を連れて暗室へ向かう。
まい子、母が持ってきた段ボールに目が止まり。
まい子 これ、なに?
母 がらくた。
まい子、段ボールを開けてみる。
母は、そのまま暗室へ。
段ボールからは、ジグソーパズルやルービックキューブが出てくる。
母 (暗室の中から)おじいちゃん、パズル好きだったでしょう。おばあちゃん、捨てられないのよ……(暗室から顔を出し)まい子!
まい子 これ、なに?
母 ルービックキューブ。
まい子 どうやるの。
母 いいから、手伝って!
まい子、暗室へ。
おばあちゃん、家の奥からやってくる。
おばあちゃん まい子、お腹すかないかい?
母 (暗室の中から)せーの!
まい子 (声だけ)おっもい。
母 (声だけ)ここもって。
まい子 (声だけ)無理だよ。
母 (声だけ)あたしより大っきいくせに、なに言ってんの。ほら!
まい子 (声だけ)いたい、いたい、いたい…。
おばあちゃん、暗室の中の様子をそっとのぞいている。
しかし、声をかけずに立ち去る。
母、暗室から出てくる。
母 おかーさん!
おばあちゃん はーい。あら、そんなところにいたの。
母 カメラとか、どうするの!知り合いのカメラマンに引き取ってもらうって言ったじゃない。
おばあちゃん そろそろ、晩ご飯の支度するね。
おばあちゃん、家の奥へ足早に去る。
まい子、ホコリをかぶったのか、しかめっ面で暗室から出てくる。
母 おかーさん。わかってんの。ウチはただのマンションなんですからね!
おばあちゃん (声だけ)はい、はい。
母 もう。全部捨てちゃうわよ!
まい子、また段ボールをあさっている。
知恵の輪が出てきて、いじり始める。
まい子 そんな言い方しなくてもいいんじゃない。
母 えっ。
まい子 思い出がたくさん詰まってるんでしょう。まったく、お母さんには、デリカシーがないのよ。
母 そんな言葉どこで覚えたの。
まい子 …みんな言ってるよ。お母さんには、デリカシーがないって。
母 おばあちゃんね。いらないことばっかり吹き込んで。
まい子 デリカシーがないのよ。デリカシーが。
母 何やってるの。
まい子 デリカシー?
母 いい加減にしなさい。
まい子 ねえ、これ、やったことある?
母 仕事を増やさないで。せっかくしまったのに。
母、知恵の輪を取り上げる。
まい子 だめ!まだ解けてないの。
まい子、知恵の輪を取り返す。
母 なくさないでよ。
まい子 捨てるんじゃないの?
母 しょうがないでしょう、聞かないんだから。一緒に、その棚の物も段ボールに詰めて。
母、更衣室のカーテンの向こうに入る。
まい子 あたしの部屋、こんなに物置けないよ。
母 (声だけ)おばあちゃんとまい子の部屋ね。
まい子 まい子の部屋。おばあちゃんは、居候なの。
母 (声だけ)よく知ってるわね。そんな言葉。それで、どうして漢字が書けないのかしら。
母、更衣室から出てきて。
母 ダメだ、昔のまんまだ。
母、疲れてソファに腰を下ろす。
まい子 お母さん、まい子のこと、ほんとにバカだと思ってない。
母 バカな親からは、バカな娘しか生まれないのよ。
まい子 うわぁ、あたしお母さんの子じゃないんだ!
母 あんたね、おばあちゃんの前で、居候なんていっちゃダメよ。仲良くして、気持ちよく来てもらうの。お年玉、あんなにもらったんだから。
まい子 なんかずるい。
母 ずるくないわよ。
おばあちゃんが、前掛けをしてやって来る。
おばあちゃん まい子。
母 (まい子をつかまえ、こっそり)いい、わかった。
おばあちゃん 何してるの?
母 ううん。
母、去る。
残されたまい子、知恵の輪と格闘してみせる。
おばあちゃん なにモジモジしてるの。
まい子 べつに…。
おばあちゃん 晩ご飯、お蕎麦でいいかい。
まい子 おばあちゃん。これ、やったことある?(知恵の輪を差し出す)
おばあちゃん 私は、見てるだけで肩こっちゃう。
おばあちゃん、棚から亡くなったおじいちゃんの写真の額を手に取る。
おばあちゃん おじいちゃんが好きでね。
まい子 ねえ、どうして、知恵の輪って言うの?
おばあちゃん 賢くないと、解けないからじゃない。
まい子、知恵の輪を落とす。
おばあちゃん がんばんなさい。美智子は得意だったよ。
まい子 うそ。お母さんが!
おばあちゃん おじいちゃんとよく競争してたわ…(まい子の宿題を指差し)ここ、間違ってるよ。
まい子 うそ!(宿題に向かい)えーと…「親知らず」でしょう…おや…おや…、おやおや?
おばあちゃん ほんとの、親知らずだね。
まい子 あれ、親ってどうだっけ。
おばあちゃん 親が見たら、泣くね。(鉛筆を取って)親という字は、木の上に…立って…見る。
まい子 へえ。木の上に…。
おばあちゃん そうやって、遠くから子どもを見守っているのが、親なんだよ。
まい子 わざわざ木に上って!?
おばあちゃん 感謝しないとダメよ。
おばあちゃん、おじいちゃんの写真を拝む。
まい子も、まねをして拝む。
まい子 おじいちゃん…。
おばあちゃん お葬式のとき見たでしょう。あの人、あんなに写真撮って、自分の写真はまともに残してくれないんだから。
おばあちゃん、額がらおじいちゃんの写真を外す。
まい子 捨てちゃうの。
おばあちゃん まい子の家には、飾れないからね。大事にしまっておくのよ。(写真を見つめ)…これだけは、手放せないわ。
おばあちゃん、おじいちゃんの写真を見ている。
まい子 おばあちゃん。本当は、引越ししたくない?
おばあちゃん あんたが気にすることないのよ。
まい子 少しの辛抱だよ。
おばあちゃん あら、やさしいのね。
まい子 あのね、お母さん、新しい家探してるの。
おばあちゃん また。そんなお金、どこにあるの。
まい子 …ないの!?
おばあちゃん お父さん、店閉めて、タクシー乗ってるんでしょう。
まい子 でも、また新しいコンビニ始めるって。
おばあちゃん うまくいけばいいけど…。あんたの父さん、いい人なんだけどね。
まい子 甲斐性なしだもんね。
おばあちゃん そんな言葉、よく知ってるわね。漢字で書いてごらん。
まい子 うーん…。
母が来る。
母 おかーさん。鍋にお湯わかして、どうするの!
おばあちゃん あら大変!忘れてた。冷たい蕎麦でいいかい。
まい子 うん。
母 蕎麦なんて、引っ越してからでしょう。
おばあちゃん どうせ、今日のものになんかならないよ。
おばあちゃん、去る。
母 今日やんなきゃ、いつやんのよ!…もう!
まい子 お母さん。すぐ引っ越しするんだよね。
母 …まだ、そんなこと言ってるの。
母、逃げるように更衣室に入る。
まい子 家買うお金なんてあるの。
母 (声だけ)お父さん、がんばってるでしょう。
まい子 だって、甲斐性なしだよ。
母 (声だけ)…きゃー、懐かしい!
母、更衣室からドレスを持って飛び出してくる。
母 見て、これ!あたしのウエディングドレス。着れるかしら。
まい子 むりむり。
母 なによ。
まい子 ねえ、家買うために、ここ駐車場にするの。
母 あんた…なんで知ってんの!
まい子 だって…昨日、お父さんと話してたじゃない。
母 布団に入ってなにしてんのよ!ああ、もう!
母、まい子をつかまえ、部屋の隅に連れて行き。
まい子 ねえ、そうなの。
母 あんた、おばあちゃんに話してないでしょうね。
まい子 …言ってない。
母 ほんとに。
まい子 言ってないよ!
母 いい、この話は終わり。もう絶対口にしてはいけませんからね。
まい子 ずるい…。
母 おかーさん。これ、もらってもいーい。
母、家の奥へ駆け込む。
まい子 お母さん、ずるい!
不満をぶつけるように、段ボールの中の物を、ちらかし始める。
まい子 ずるい!ずるい!ずるい!
まい子、テーブルの上に、おじいちゃんの写真を見つける。
しばし考え、まず拝む。
そして写真を手に取り、隠し場所を探して暗室に駆け込んだ。
◇ ◇ ◇
ジャージ姿の学生が、写真館を訪ねてくる。
学生、玄関をあけ。
池内 ごめんください。
…応答がない。
池内、一度外に出て、看板を確かめ、もう一度玄関に入る。
池内 ごめんくださーい。…。ごめんくだ…。
母 (声だけ)はーい。
母、小走りでやってくる。
池内 あの、こちらで写真を…。
母 すいません。もう、この写真館やめちゃってるんです。
池内 でも、看板が…。
母 まぎらわしくて、ごめんなさい。近々それもなくなりますから。そういうことで、はい。
池内 …。
母 そういうことで。
池内 あの、チラシを見て来ました。
母 チラシ?
母、池内からチラシを受け取る。
母 ちょっと…おかーさん。おかーさん!
おばあちゃん (声だけ)手が離せないよ。
母 ちょっとお待ちください。
池内 はい。
母 おかーさん!
母、家の奥へ、去る。
池内、写真館を眺める。
暗室のカーテンが開き、まい子が飛び出してくる。
まい子 …。
池内 …。
おばあちゃん、奥からやってくる。
母、それを追いかけるようについてくる。
おばあちゃん 大変、大変。
母 ちょっと、なによ、これ。
おばあちゃん 「あなたの思い出を届けます」なかなかいい文句だろう。
母 どうすんの、こんなチラシまいて。
おばあちゃん 引き取ってもらうんだよ。やだ!お客さん、待たせてるの。
母 だから、困ってるんでしょう。
おばあちゃん ちょっと、お茶だして。ごめんなさいね。ばか娘で。
池内 あの、こちらに飾ってあった写真を譲ってもらえると。
おばあちゃん そうですよ。はい。どうぞ、上がってください。
池内 失礼します。
おばあちゃん あんた、ぼけっとしてないで、片付けて。
母 あたしは、ずっと片付けてるわよ!
おばあちゃん いいから、奥へ持って行って。(池内に)さあ、どうぞ。
母 まい子。持って。
まい子 はーい。
母、仕方なく、段ボールを抱えて奥へ去る。
まい子も、散らかった物を持って奥へ去る。
おばあちゃん よかったわ。毎日顔を合わせた写真でしょう。捨てられなくて。
池内 引っ越しですか。
おばあちゃん 娘がね。一緒に暮らそうっていってくれてね。
母 (声だけ)きゃあー。あちちち。
池内 …。
おばあちゃん ばか娘でね、困ってるんですよ。あなた、お若いから、あれかしらね。七五三の写真かしら。
池内 いえ、僕じゃないんです。祖父の。
おばあちゃん あら、おじいさん。
池内 はい。
おばあちゃん ごめんなさい。お名前は。
池内 池内一男といいます。
おばあちゃん 池内さん…。
池内 覚えてますか。
おばあちゃん …そうね、池内さんて…あの池内さん?
池内 さあ…。
母、ふきんを持って、戻ってくる。
母 ちょっと、お鍋ふいてるじゃない。
おばあちゃん みっちゃん。池内さんだって。
母 (テーブルを拭きながら)知らないわよ。
おばあちゃん 覚えてない。あの池内さんよ。
母 どの池内さんよ。…まい子!
母、テーブルの上に残っていた宿題を取り上げる。
おばあちゃん やだ、座ってください。
池内 あ…はい。(ソファに座る)
母 お蕎麦どうするの。
おばあちゃん あら、忘れてた。差し水しといて。(池内に)そうだ、お蕎麦、いかがです。
池内 おかまいなく。
まい子、飛んでくる。
母、宿題を渡して、忙しく去る。
おばあちゃん 若いのにしっかりしてるわね。さすが池内さんのお孫さんね。お元気なんですか。
池内 はい。…いいえ…いや、はい。
おばあちゃん …お元気なんですね。
池内 この間、家の前で足を滑らせて転んでしまって。
おばあちゃん あら。そう。
池内 大したことはないんです。ほんとは自分で来たかったみたいなんですけど、まだ危なっかしくて。
おばあちゃん 無理しちゃいけないわ。実はね、あたしも、お正月にそこで転んでね。
池内 はい。
おばあちゃん 出て、すぐそこよ。しばらく不自由したわ。
池内 大丈夫なんですか。
おばあちゃん すっかりよ。そんなこともあって、娘が心配して、一緒に暮らそうと言ってくれたんですけどね。
母、お盆に牛乳の入ったコップを持ってくる。
おばあちゃん みっちゃん。池内さんのおじいちゃんも、あたしと一緒。転んだんですって。
母 だから、知らないって。
おばあちゃん 思い出してよ。
母 なにを。
おばあちゃん あんた、牛乳出してどうするの。
母 しょうがないでしょう。みんな段ボールにつめちゃったんだから。
おばあちゃん お客さんに牛乳はないでしょう。
母 どうすればいいのよ。こんなことやってる場合じゃ…。
池内 あの、僕、牛乳、大好きです。
おばあちゃん ごめんなさいね。
まい子 ばか娘なもので。
母 (まい子をはたく)パシンッ
まい子 いったい!
母 じゃま!
母、まい子をひっぱりながら、去る。
池内 それで、写真を…。
おばあちゃん そうですね。
おばあちゃん、棚からアルバムを取る。
まい子、すぐ戻ってくる。
池内 祖父が、とても懐かしがっていました。見合い写真も、ここで撮ったみたいで。
おばあちゃん、アルバムをめくりながら。
おばあちゃん 嬉しいわ。えーと、竹内さんね。
池内 池内です。
おばあちゃん ごめんなさい。近頃物忘れが多くて。えーと、池内…池内…。
池内 ずいぶんご無沙汰していると言ってたので、飾ってあったのも、ずいぶん前じゃないかと。
おばあちゃん そうですね。お名前がはっきりしてる写真もあるんですけど。見ていただいた方が早いですね。
おばあちゃん、池内にアルバムを渡す。
まい子も、アルバムをのぞく。
池内 成人式の写真らしいんです。
おばあちゃん これは、七五三ね。外山さんて、この並びにいてね。一番上のお嬢さん。
池内 (アルバムをめくり)えーと…。
おばあちゃん これ、橋本先生のお子さんの入学式。うちの人が、どうしても桜の木の下で撮りたいって言って、5月まで待ってもらったのよ。
池内 …はい。(アルバムをめくる)
まい子 うわぁ、かわいい!
おばあちゃん かわいいでしょう。この赤ちゃんはね、たしか、青田さんの一人息子の…。
池内 あの、成人式の写真なんですけど。
おばあちゃん …そうね。
まい子 おばあちゃん、写真館って素敵な仕事ね。
おばあちゃん そうでしょう。
まい子 また始めれば。
おばあちゃん それは、無理よ。
まい子 おばあちゃん、写真撮れないの。
おばあちゃん おじいちゃん、カメラに触らせてもくれなかったわ。
まい子 誰か、雇えばいいんじゃない。
おばあちゃん どうしたの、急に。
まい子 だって、もったいないよ。引っ越しなんかしないでさ、またやろうよ。まい子、手伝うから。
池内 …やっぱり、ないですね。
おばあちゃん 待ってください。奥の部屋に、古いアルバムがたくさんあるんですよ。
電話が鳴る。
まい子 あ、電話。
おばあちゃん せっかく足を運んでもらったんですから。
池内 でも、取り込んでらっしゃるようですし。
おばあちゃん かまわない、かまわない。
まい子 (受話器を取り)…もしもし…、あ、お父さん。
おばあちゃん 引っ越しなんていつでもいいんだから。
池内 そうなんですか。
まい子 (受話器に)…うん。無理しなくていいよ。今日は、引っ越しどころじゃないみたい。
母がやって来て受話器を取り上げる。
母 なに言ってんの!(受話器に)もしもし…。
まい子 お父さん、お仕事がんばって!
母 うるさい!
おばあちゃん さあ、どうぞ。
池内 それじゃ。
おばあちゃん、池内をつれて、家の奥へ去る。
まい子も、そのあとをついて行く。
母 ちょっと、どこ連れてくの!(受話器に)…あ、こっちの話。で、どうなの…これから、旭川!…そんな客、降ろしちゃいなさいよ。…どうして、あなたって、ここぞって言う時に運がないの。…無理でしょう、そんな時間に来たって。…うん…うん、…えっ、まい子。あんたと同じよ。ちっとも役に立たないわよ!
母、電話切る。
母 はぁ…。
警官が玄関をあけ、やってくる。
堀田婦警 ごめんください。
母 はーい。
堀田婦警 失礼します。
母 はい…。
堀田婦警 こんにちは。
母 …なにか。
堀田婦警 町野さんですね。
母 いえ…はい…いえ。
堀田婦警 町野さんですか。
母 ここは町野です。私、結婚して出たもので。
堀田婦警 そうですか。
母 あの、何も隠してないですよ。初めての取り調べで、緊張してしまって…。
堀田婦警 お名前を聞いただけなんですが。
母 正確にお答えしないと、捕まりそうで。
まい子、廊下からこっそりのぞいている。
堀田婦警 お聞きしたかったのは、このチラシのことで。
母 あぁ…。
堀田婦警 こちらの写真館で作られたもので間違いありませんか。
母 うーん…。
堀田婦警 間違いあり…。
母 はい。
堀田婦警 閉店セールみたいなものですか。
母 まあ。
堀田婦警 どのくらい作られたんですか。
母 さあ。
堀田婦警 …あの、ご主人はいらっしゃいますか。
母 それが、去年亡くなりまして。父なんですけど。今は、母が一人で暮らしてます。
堀田婦警 …それは、どうも。
母 いえ。
堀田婦警 では、このチラシは。
母 おそらく、母が…。私も、さっき知ったところで。
堀田婦警 そうですか。町内の電柱やポスト、家の塀まで、ありとあらゆるところに貼ってありまして。苦情がわんさかわんさか…。
母 すいません。まったく、いい年してなにを考えてるんだか。老人というのは、独りにしておくと何しでかすかわかったもんじゃないですね。あははは…。
堀田婦警 チラシを見たところ、悪質な商売というわけでもなさそうですので。
母 それは、もう。ただ、ただ思い出の写真が捨てられないというだけで。
堀田婦警 そのようですが。苦情も来ておりますし。
母 申し訳ありません。
堀田婦警 早急に、剥がしていただけると。
母 それは、もう、はい。
堀田婦警 よろしくお願いします。
母 はい。
堀田婦警 では、失礼します。
母 はい。ご苦労様でした。
堀田婦警、玄関から出てゆく。
チラシの束を持って、修行中のカメラマン《なえ》がやってくる。
玄関の外で、堀田婦警とすれ違う。
堀田婦警は、軽く頭を下げて去る。
母 もう。おかーさん!
まい子 おばあちゃん、呼んでるよ。…忙しいみたい。
母 まい子、呼んできて。
まい子、呼びに行く。
母、ソファにぐったり座る。
なえ、我が家のように玄関から入ってくる。
なえ おばあちゃん、いるー。
母 …。
なえ おばあちゃーん。…あれ、おばあちゃんいますか?
母 …ええ。
なえ おばあーちゃーん。チラシ貼ってきたよー。
母 あなた…。
なえ はい?
母 あなたなの、このチラシ。
なえ いやいや、朝から始めてこの時間ですよ。牛乳いただきまーす。
なえ、テーブルのコップに手をかける。
母 今すぐ剥がしてきて!
なえ えええ。今貼ってきたばかりですよ。
母 だから、剥がしてきて!
なえ 冗談じゃない。あんた、だれ?
母 あんたこそ、だれよ!
おばあちゃん、やってきて。
おばあちゃん なに、大声出して。
母 おかーさん!
なえ おばーちゃん!
おばあちゃん あら、来てたの。
なえ 千枚貼って来ました!
おばあちゃん ご苦労さまでした。早速お客さんがいらっしゃってるのよ。
なえ やったね!
おばあちゃん あなたのおかげね。なにかお礼しなくちゃね。
なえ 何言ってるんですか、水臭い。いけない、師匠に挨拶するの忘れてた。
なえ、おじいちゃんの写真を拝もうとするが、あるはずの棚にない。
母 ちょっと、誰なの。
おばあちゃん なえちゃん。
なえ …あれ、写真しまっちゃったんですか。
おばあちゃん あら、忘れてた。どこに置いたかしらね。みっちゃん知らない。
母 知らないわよ。
おばあちゃん あんた、さっき持って行かなかった?
母 持ってけって言ったの、おかーさんでしょう。
おばあちゃん いやだ、捨ててないでしょうね。
母 お父さんの写真、捨てるわけないでしょう。
なえ えっ、捨てちゃったんですか!
母 だから、捨ててないって!
まい子、飛んできて。
まい子 お蕎麦が、まるでうどんのようです!
母 いやだ、忘れてた!
母、走り去る。
まい子、その後をついて去る。
なえ あれが、噂のばか娘ですか。
おばあちゃん そうなのよ。
なえ 仕方がない、写真、探しましょう。
なえ、写真を探し始める。
まい子がやって来て。
まい子 おじいちゃんの写真あったって。
二人 なんだ、もう。
池内がやって来て。
池内 おじいちゃんの写真ありました!
二人 …なんだよ、もう。
池内 えっ…。
おばあちゃん まい子、おじいちゃんの写真、見なかった。
まい子 ううううん。知らないよ。
池内 (手をあげて)はい。喜んでいいですか?
おばあちゃん …、もちろん! よかったわ、見つかって。
池内 僕も始めて見たんです。おじいちゃんの若い時の姿なんて。
池内が持ってきた写真は、彼とそっくりな祖父の顔が写っている。
みんな そっくり!
おばあちゃん そうだ、なえちゃん。こちら…堀内さん…。
池内 池内です。
おばあちゃん 立派な学生さんでね。立派に卒業されて、4月から東京で立派に働くんですって。
なえ ずいぶん立派な方なんですね。
おばあちゃん そうよ。えーと…。
池内 池内です。大丈夫です。もう、慣れました。
おばあちゃん あのチラシを作ってくれた、カメラマンのなえちゃん。
池内 どうも。
なえ まだカメラマンなんて早いですよ。
おばあちゃん そうね、やっと芽が出てきたところだもんね。
まい子 写真撮れるの?
なえ まあね。
池内 これ、いい写真ですよね。
なえ そりゃそうよ。町野潤太郎は、天才よ。
おばあちゃん 大げさね。でも、一枚でも引き取ってくれる人が見つかって、ほんとによかったわ。
池内 こういう写真って、なんか、いいものですね。僕、面倒くさくて成人式にも行ってなくて。
おばあちゃん あら、だったら撮ってあげるわよ。
池内 いや、僕、もう22ですから。
おばあちゃん 卒業写真よ。
池内 えっ。
なえ おばあちゃん、撮れるんですか。
おばあちゃん 何言ってるの。あんたが撮るのよ。
なえ えっ。いや。
おばあちゃん 決めた。さあ、さあ。
池内 いや、僕、こんなジャージですし。
おばあちゃん 大丈夫。ちゃんと衣装もあるわよ。
まい子 よっ、三代目!
なえ よっし!こっち、おいで。
池内 いや。
なえ こういうもんは、勢いなんだ。
なえ、池内を更衣室に引っ張っていく。
まい子 おばあちゃん。この調子で、写真館復活しようよ。
おばあちゃん そうはいかないわよ。
まい子 できるって。あの人、おだてたら、なんでもやるよ。
家の奥から、母の声が聞こえる。
母 (声だけ)まい子!
まい子 はーい。
母 (声だけ)おじいちゃんの写真探すの手伝って。
まい子 はーい。
まい子、去る。
おばあちゃん その方が、あの人も喜ぶかしらね…。
◇ ◇ ◇
ネクタイの上に作業着、いかにも現場監督風の男がやってくる。
大きめの鞄を持ち、人通りを気にしてから玄関をあける。
青田 ごめんください。
おばあちゃん はい。いらっしゃいませ。
青田 失礼します。私、こういう者…。
青田、名刺を出そうとするが。
おばあちゃん さあ、どうぞ、どうぞ。ちらかってますけど。
青田 …あ、そうですか。では、遠慮なく。
おばあちゃん わざわざ足を運んでくださって、あの人もあの世で喜んでるわ。
青田 おばあちゃん、一人暮らし?
おばあちゃん 去年、主人が先にいっちゃったのよ。
青田 それは、お寂しいでしょう。
おばあちゃん お座りください。今、お茶お持ちしますね。
青田 ありがとうございます。
おばあちゃん、家の奥へ去る。
青田、部屋を見渡す。
早速金目の物を見つけ、素早く鞄に入れる。
おばあちゃん、すぐ戻ってきて。
おばあちゃん ごめんなさい。
青田 はい、はい、はい、はい。
青田、慌ててソファに座る。
おばあちゃん 牛乳でもいいかしら。
青田 ああ、おかまいなく。おっと、あるじゃないですか、牛乳。いやだな、おばあちゃん、そんなボケる年でもないでしょう。
と、言いながら、テーブルにあった牛乳を一気に飲む。
おばあちゃん …何か。(青田が物色した場所に立ってみる)
青田 仕事の癖で、つい気になってしまうんですよ。
おばあちゃん お仕事…。
青田 建築関係なんですけど。
おばあちゃん そうじゃないかと思いました。あたしね、人を見る目だけは確かなんです。
青田 まあ、見ての通りなんですけど。近くで、新築の物件がありましてね。この辺よく通るんですよ。年季の入った建物だなといつも眺めてたんです。
おばあちゃん 二代つづいた写真館だったんですよ。
青田 今時のものとは違って、温もりがあっていいですよね。
青田、部屋を歩き回る。
おばあちゃん おんぼろでもね、なかなか手放せないものです。
青田 そうでしょう。わかりますよ。あれっ…、この辺傾いてませんか。(よろめいてみせる)
おばあちゃん 仕方ないわ。私と一緒、この家もおばあちゃんだから。
青田 あー、ひどいな。ほら。(床を強く踏む)
おばあちゃん 大げさね。
青田 ほら、ほら、ほら、ほら、ほら、ほら。
おばあちゃん 壊さないでよ。
青田 ちょっと調べてあげましょうか。いえいえいえ、心配なさらなくても、無料ですから。
おばあちゃん いいわよ。
青田 この柱も、曲がってますね。
おばあちゃん そんなことより、写真をご覧になって。
青田 写真…ですか…。
おばあちゃん、テーブルのアルバムを、差し出す。
おばあちゃん そういえば、お名前伺ってなかったわね。
青田 あ、えー、丸井といいます。
おばあちゃん 丸井さん。…丸井さん…たぶん、奥にある写真ね。いつ頃の写真かわかりますか?
青田 えーと、そうですね…。
おばあちゃん 見てもらうのが早いわね。こちらへどうぞ。
青田 それより、家を見せてもらっても…。
青田、家の奥へと向かうが。
母 おかーさん、ないわよ。もう、どこにしまったの。
と、母がやってくる。
青田、慌ててアルバムで顔を隠す。
母 あら、またお客さん。(明らかに迷惑な態度)
おばあちゃん こちらです、どうぞ。
青田 はい。
青田、アルバムで顔を隠したまま、奥へ去る。
まい子もやってくる。
まい子 おばあちゃん、ダメだ。見つかんないや。こりゃ引っ越しは、しばらく無理だね。
母 うるさい。
電話が鳴る。
まい子 あたし出る。
おばあちゃん あたし、忙しいから。お父さんの写真、頼むわね。
母 一緒に探してよ。
まい子、電話をとる。
まい子 (電話に)もしもし…、お父さん。ねえ、トラブルって、駐車場の話。
母 ばか!
おばあちゃん なに、駐車場って?
母 頭おかしいのよ。この子ったら。
母、電話を取り上げる。
母 もう、電話してこないで!
母、電話を切る。
おばあちゃん あんたまさか…別れ話でも。
母 違うわよ!
堀田婦警がやってくる。
堀田婦警 失礼します。
母 あら、誰かしら、はーい。
まい子 あたし、不憫でしょう。
おばあちゃん どこで覚えてくるの。そんな言葉。
母 あああ、チラシですね。おかーさん!
おばあちゃん 頼んだよ。
おばあちゃん、去る。
母 まい子、剥がしてきて!
まい子 頼んだよ。
まい子、去る。
母 あんたね!
堀田婦警 あの…。
母 チラシはがし隊、今、出ました!
堀田婦警 いえ、お願いがあって伺いました。
母 はい?
堀田婦警 最近、この町内で一人暮らしの老人を狙った犯罪が増えてまして。
母 年金詐欺とか、リフォーム詐欺とか。
堀田婦警 それが、泥棒なんです。
母 いやだ、こわい。
堀田婦警 たしか先ほど、お母さん、お一人で暮らしてらっしゃると。
母 まあ。でも、もういなくなりますから。
堀田婦警 念のため、こちらのチラシを見ていただけると。
母 引っ越すんですよ。
堀田婦警 上から、一人暮らしのお年寄りの家には漏らさず回れと言われておりまして。
母 今、引っ越しのまっただ中なんです。こう見えても、本当は荷造りで忙しいんです。
堀田婦警 あれだけチラシをまけば、今日はお客さんもたくさんいらっしゃるのでしょうね。
母 だから…。
堀田婦警 目立つところに貼っていただけると嬉しいな。
母 もう、勝手に張ってもらえますか。ほんとごめんなさい、お相手できなくて。
母、去る。
堀田婦警 ありがとうございます。
堀田婦警、顔写真を部屋の壁に張る。
その上に「この顔にピン!ときたら110番」と書かれたステッカーを張る。
堀田婦警 ありがとうございました。ご協力よろしくお願いいたします。
堀田婦警、玄関から去る。
◇ ◇ ◇
青田、奥の廊下から顔を出し、誰もいないことを確かめる。
壁には「青田」の写真、テーブルには「学生の祖父」の写真。
二つの写真を見比べる。そして取り替える。
更衣室のカーテンの向こうから声が聞こえる。
なえ (声だけ)いいじゃん。いいじゃん。
池内 (声だけ)ほんとですか。
青田、慌てて暗室に隠れる。
ド派手な衣装に着替えた池内が出てくる。
池内 やっぱり、違いません。これ。
なえ 記念写真なんだよ。インパクトがないと。
池内 こんなの、誰にも見せられないですよ。
なえ こっち来て。ポーズとって。
なえ、カメラをセットし、ファインダーをのぞく。
なえ いいね、いいね。いいよ、笑って…ダメだ、しまりがない。
池内 衣装のせいですよ!
なえ、池内にいろんなポーズをとらせる。
おばあちゃんが、青田を探しにやってくる。
おばあちゃん 丸井さーん。どこいったのかしら。
母が、追ってきて。
母 おかーさん、聞いて。向こうに行けば、お父さんの写真もきっと荷物から出てくるから。とにかく引越しの支度をしてよ。
おばあちゃん あの写真と一緒でなければ、私はどこにも行きませんからね。
母 また子どもみたいなこと。
まい子が、タオルで手をぐるぐる巻きにしてやってくる。
まい子 お母さん。やけどしちゃった。
母 どこで!
まい子 お蕎麦ドロドロになったから、蕎麦がき作ろうかなと思って。
母 どうして、そうなるのよ。あんた、じゃましに来たの。
なえ …いまいちだな。
池内 だから、ポーズの問題じゃないでしょう。
三人、池内を振り返る。
その衣装を見て大笑い。
三人 ぷっ。(三人三様で)だははは…。/がははは…。/げらげら…。
池内 ひどい!
若者、更衣室に駆け込む。
なえ ちょっと待て!
なえ、池内を押し止め、別の衣装を取り出す。
池内 やめます!
なえ わかった。それじゃ、こっちにしよう。(羽織とか)
池内 それじゃ、落語家みたいでしょう。
まい子 そのドレスいいんじゃない。(チャイナドレスとか)
池内 僕はおかまじゃない!
なえ これにしよう!(プレスリーみたいな衣装とか)
池内 自分で決めます!
なえ、更衣室から押し出される。
おばあちゃん 奥の方に、スーツがあったはずよ。
更衣室のカーテンが勢いよく閉まる。
まい子 お母さん、この調子じゃ、引越しはむずかしいね。
母 なに言ってんの。
まい子 (火傷の手をおさえ)あたし、こんな体じゃ、もう荷造りできないわ!
母 (無視して)おかーさんは、まずお父さんの道具をなんとかして。
おばあちゃん そうね。
母 そうよ。お願いします。
おばあちゃん なえさん。
なえ はい。
おばあちゃん あれ、引き取ってもらえると嬉しいんだけど。
なえ えっ。あれって。
おばあちゃん 暗室にしまってある機材。
なえ あたしんち、ワンルームだし。暗室なんて作れないし。
おばあちゃん 押し入れでいいのよ。大事にしまっておくより、使ってもらった方が、おじいちゃんも喜ぶわ。
なえ ほんとにもらっていいんですか。
おばあちゃん あなたさえよかったらね。
母 えっ、ただであげるの?
おばあちゃん なにけちくさいこと言ってるの。よかったら、この家そのままスタジオとして使ってもらってもいいわ。
母 ダメよ!
なえ ヒヤァッホー! ありがとう、おばあちゃん。
おばあちゃん どういたしまして。
なえ 大事に使わせてもらいます!
なえ、暗室に飛び込む。
母 おかーさん。それだけは、ダメ。
おばあちゃん どうして。空き家にするのは、もったいないわ。
まい子 もったいないから、やっぱり引っ越すのやめようか。
母 なに言ってんのよ。そんなの絶対ダメ!
堀田婦警が、またやってくる。
堀田婦警 失礼します。
おばあちゃん しつこいわね。
母 あたし、クラクラして来た。
堀田婦警 この家の方。
おばあちゃん チラシの件でしたら…。
母 すいません。すぐ、行きますから。(暗室に)あんた、逮捕されるわよ。
堀田婦警 いえいえ、そのことではなくて。先ほどの不審者の話なんですが。
母 はい…。
堀田婦警 ご近所の方から、今さっきそれらしい人物がこの辺りを歩いていたという情報が。
おばあちゃん 人違いじゃないですか。何十年も、ここに住んでますけど、聞いたことないですよ、不審者なんて…。
更衣室のカーテンが勢いよく開く。
池内 じゃーん!
池内は縦縞のスーツに、サングラス。
キメてるつもりなのだが、どう見てもヤクザである。
みんなが池内を見る。
池内 …えっ。
堀田婦警は、不審者のチラシと池内の顔を見比べる。
堀田婦警、池内に歩み寄る。
堀田婦警 少しお時間いいですか。
池内 なんで?
堀田婦警 逃げない。
池内 逃げてない。
堀田婦警 逃げない。
池内 逃げてない。
堀田婦警 カクホ!
池内、家の奥へ逃げる。
堀田婦警、追いかける。
おばあちゃん まさか…。
なえが、暗室から飛び出してくる。
なえ うわあああ!
みんな ぉおおお!
なえ …で…でた。
おばあちゃん なにが。
なえ 出たぁ!
母 ネズミでしょう。
まい子 いやだ!
母 いるのよ。昔っから。
まい子 どうするの、どうするの!
母 何もしないわよ。
おばあちゃん ネズミくらいで、しっかりしなさい。
なえ 違う…。
おばあちゃん なにが違うの。
なえ 死んだご主人の幽霊が。
みんな …だあははは。
まい子 ははは…うそ!
なえ ほんとですって!
おばあちゃん 暗室が怖いカメラマンなんて、聞いたことないわ。
なえ 間違いないです。そこに飾ってった、ご主人の写真ありましたよね。
母 そう!それを探してたのよ。
なえ そっくりでした…。
みんな えええ!
なえ 薄気味悪く、こんなふうにニターって笑って。
おばあちゃん あの人は、そんな風には笑いません。
なえ ほんとですって。中の整理をしていたら、突然明かりが消えて。背中の方に気配を感じて振り返ると、ご主人の顔が、ぼぉーっと浮かんできて…。
おばあちゃん やめて。
なえ しゃべったんです。うらめしやーって。
まい子 ごめんなさい!
母 こんな子供を怖がらせて、なにが面白いの。
なえ ご主人きっと未練があるんですよ。
おばあちゃん いい加減にして。
なえ きっと、大切にしていた道具が、私みたいな未熟者の手に渡るのが耐えられなかったんですよ。
おばあちゃん そんな心の狭い人じゃありません。
なえ ダメです!私、もらえません!
家の奥で池内と堀田婦警がやり合う声が聞こえる。
池内 (声だけ)違いますって、誤解です!
堀田婦警 (声だけ)おとなしくしろ!
池内 (声だけ)信じてください!
ガッシャーンと、大きな破壊音がする。
おばあちゃん 大変!
おばあちゃん、家の奥へ。
なえ おばあちゃん。お祓いしてもらいましょう!
なえ、追いかける。
まい子と母も、追いかけて去る。
誰もいなくなったの見計らって、再び青田が暗室から現れる。
手には、おじいちゃんの写真を持っている。
この隙にと、玄関から逃げようとする。
池内が、裏口を回って前庭まで逃げて来る。
堀田婦警がそれを追いかけてきて、捕まえる。
堀田婦警 公務執行妨害!逮捕する!
池内 うそでしょう!
堀田婦警 こら、まて!
池内、婦警の手を振り払うが、行き場がない。
しかたなく、玄関から家の中に逃げ込もうとする。
青田は、その気配を察知して、玄関の扉を押さえる。
内と外で、池内と青田が扉にしがみついている。
追いかけて来たまい子となえ、その様子を見て、再び裏口へまわる。
ついに堀田婦警、池内を捕まえる。
池内の手が離れた隙に、青田は扉から離れ、今度はスタジオのスクリーンの裏に隠れる。
堀田婦警 壁に手をついて!
池内 えっ。
堀田婦警 手をあげて、壁について!
池内、玄関の扉に手をつく。
おばあちゃん ちょっと待ちなさい。
堀田婦警 危険です。離れてください。
おばあちゃん 間違いですよ。
家の奥からまい子となえが駆けてくる。
まい子、そのまま玄関の扉に手をかける。
扉が開く。
支えがなくなり、バランスを崩した池内が転がり込む。
池内 うわああ!
まい子 おっと!
堀田婦警 こら!
なえ 危なーい!
なえ、池内じゃなくて、カメラを守る。
おばあちゃん 待ちなさい!
おばあちゃん、堀田婦警と池内の間に割って入る。
母 おかーさん。
おばあちゃん 話を聞きなさい。
池内 助けてください。
なえ もう少し顔上げて。
なえ、池内にカメラを向けている。
池内 こんな写真撮らないでくださいよ。
なえ スクープ、スクープ!
おばあちゃん いいですか。その学生さんは、素性もはっきりしているんですから。えーと…。
池内 池内です。
おばあちゃん そう。
堀田婦警 偽名なんですよ。
おばあちゃん そんなわけありません。
堀田婦警 騙されているんです。こいつは、そうやって、お年寄りの家に入り込み、盗みを働くんです。そうだろう!
池内 違います!
堀田婦警 他にどんな名前を持ってるか、当ててやろうか。大丸、三越、それから。
まい子 デパートみたい。
堀田婦警 そうです。わかったでしょう。
母 池内って、まだあったかしら。
堀田婦警 そういう問題じゃありません。
おばあちゃん それは、偶然です。
堀田婦警 私がせっかく貼ったそのチラシをご覧になっていないようですね。
みんな えっ。
堀田婦警 これ。
堀田婦警、チラシを指差す。
みんな あああ!
堀田婦警 おわかりいただけましたか。
池内 それ、おじいちゃんの写真です!
堀田婦警 はあ?
おばあちゃん だれなの、こんないたずらをしたの。
堀田婦警 いたずらだって…。
おばあちゃん そうですよ。これは、うちで撮った写真なんですから。
母 まい子!
まい子 違うよ!
母 なんだか、さっきから、おかしなことばかり怒ると思ったら。あんたでしょう。
まい子 違う。違う。
おばあちゃん、写真からステッカーをはがす。
おばあちゃん ちょっと度が過ぎたわね。
まい子 ほんと、違うんだってば。
堀田婦警 いや、だって…。
おばあちゃん 不審者のチラシというのは、他にないんですか。
堀田婦警 今は。
おばあちゃん すぐにわかることですよ。
堀田婦警 確認してきます。
堀田婦警、玄関から出て、すぐ振り返って。
堀田婦警 お前。そこを、動くなよ。
なえ、堀田婦警にカメラを向け。
なえ 目線こっち。
堀田婦警 お前。そこを、動くなよ!
おばあちゃん 逃げも隠れもしませんよ。
堀田婦警 すぐ戻りますから。
堀田婦警、走って去る。
母 こんな悪い子だとは思っていなかったわ。
まい子 信じて。あのね。
母 ショックだわ。
池内 いてて…。
おばあちゃん 大丈夫。
池内 はい。あ、いてっ。
おばあちゃん 手当てしましょうね。救急箱、どこに仕舞ったかしら。
池内 大丈夫です。擦りむいただけですから。
母 奥へどうぞ。
池内 すいません。
池内、再び奥へ通される。
母 いえ。うちの娘のせいで、申し訳ありません。どうぞ。
まい子 違うんだって。
母 いつまでしらばっくれるの。ちゃんと謝りなさい!
まい子、母に引っ張られて連れて行かれる。
なえ …うーん。決定的瞬間を撮り逃してしまった。
おばあちゃん やめなさい。
なえ 冗談ですよ。
おばあちゃん まったく。
おばあちゃん、ソファに腰を下ろす。
おばあちゃん …あら、もう日が落ちるのね。
なえ おばあちゃん、あのさ…。
おばあちゃん なに。
なえ さっきの話なんだけど。
おばあちゃん 何かの見間違いよ。
なえ でも…。
おばあちゃん 話したからしら。あの人ね、亡くなる三日前まで仕事してたのよ。ほんと突然だったの。もう少し早く気づいていればね。いつも暗室に入ったら、しばらく出てこないから。仕事中はのぞくわけにもいかないし、変に声かけると怒鳴られるし。でも、いくら声かけても返事がなくて。もう少し早く気づいてあげられれば…。
なえ やっぱり、暗室で亡くなったんですか。
おばあちゃん でも、違うわよ。そんなわけないの。あの人、いつも楽しそうに仕事していたから。
なえ だから…。
おばあちゃん 人間はね、長く生きてりゃいいってもんじゃないの。楽しく仕事をしていて、なんの未練があるの。
なえ …。
おばあちゃん あんたも、楽しく仕事ができるようになりなさい。
なえ …はい。
おばあちゃん のど渇いたわ。お茶でも入れるわね。
なえ 牛乳しかないですけどね。
おばあちゃん そうだった。
なえ、家の奥へ去る。
おばあちゃん、テーブルの上のコップに目が止まる。
その牛乳を飲み干したコップを手に取り。
おばあちゃん …丸井さん…。
おばあちゃん、去る。
◇ ◇ ◇
青田、スクリーンの裏からこっそり顔を出す。
逃げ出そうとするが、気配を感じて、今度は更衣室に逃げ込む。
まい子が母に手を引かれてやってくる。
まい子 ごめんなさい!
母 ほんとバカなんだから。で、どこに隠したの。
まい子 あそこ…。
まい子、暗室を指差す。
母 取ってきて。もう…。
まい子 でもね、さっきのは本当に違うの。
母 いいから取ってきて。あとは、おとなしく勉強してなさい。はい!
母、まい子に宿題を押しつける。
母 おばあちゃんにも、ちゃんと謝るのよ。
母、去る。
まい子、しかたなく暗室へ向かう。
暗室のカーテンを掴んで、止まる。
まい子 …。
まい子、意を決してカーテンを開ける。
青田が、その様子をこっそり見ている。
まい子 ねえ、おじいちゃん出てこないよね。
誰の返事もない。
まい子 (暗室の奥を見つめ)…。
青田 ゴホン(咳ばらい)。
まい子 いやぁあああ!
まい子、家の奥へ走って去る。
青田、更衣室からこっそり出てくる。
玄関へおり、靴を履き、扉を開ける。
玄関を開け放ったまま走り去る。
舞台には誰もいない。
次の瞬間、青田が駆けて戻ってくる。
その後から、堀田婦警が菓子折りを持ち走ってくる。
青田の行動は、先ほどとキッカリ逆順。
玄関を閉め、靴を脱ぎ、玄関を上がり、再び更衣室へ逃げ込む。
と、堀田婦警が玄関の扉を開ける。
と、奥からまい子の振り絞るような声が聞こえ、暗室に突進。
まい子 うぉおおお…。
堀田婦警 失礼します。
まい子 …はい。
堀田婦警 失礼します。先ほどの不審者の件で。
まい子 あたしじゃないです…。
堀田婦警 はい?
まい子 あたし、そんないたずらしてません!
堀田婦警 えーとね。
まい子 逮捕するんですか…。
おばあちゃんが、やってくる。
おばあちゃん あら。ほんとに早いのね。どうでした。
堀田婦警 私の…間違いでした!
おばあちゃん でしょう。
堀田婦警 目撃情報から、犯人の名前も割れまして。名前は、青田誠一。32才。168センチの細身で面長の男で…。
おばあちゃん そんなのいいわよ。誤解が解けたのなら。
堀田婦警、玄関で勢いよく土下座する。
堀田婦警 大変申し訳ありませんでした!
おばあちゃん やめて。
堀田婦警 全ては私の未熟さで。これは、昨日実家から送ってきたワカサイモです!
おばあちゃん 結構ですよ。そんなことをしてくださらなくても。
堀田婦警 箱が開いていますが、お昼に一つつまんだだけですので。
おばあちゃん 本当にやめてください。
堀田婦警 とっても、おいしいんです!
おばあちゃん 知ってますよ。ねえ、顔を上げてください。
堀田婦警 許していただけなければ、私、どこにも帰れません…。
おばあちゃん だから、許してるじゃないですか。
堀田婦警 …おばあちゃん。
堀田婦警、おばあちゃんの手を取ろうとする。
と、なえが割れた花瓶を持ってやってくる。
なえ おばあちゃん、どうしよう、割れちゃってるよ。
堀田婦警 申し訳ありません!
おばあちゃん ほんとに頭を上げてください。それに、謝るのはあたしじゃないでしょう。
堀田婦警 あ…池内さんは?
おばあちゃん 奥で休んでるわ。あなたもどうですか、お茶でも。
堀田婦警 いえ…勤務中ですから。
おばあちゃん 上がってください。ワカサイモ、みんなでいただきましょう。
堀田婦警 …。それでは、お詫びをしなければなりませんので。
おばあちゃん 硬いことばかり言ってちゃ、だめよ。仕事は楽しくやらないと。
堀田婦警 失礼します。
おばあちゃん さあ、どうぞ。
堀田婦警、奥へ通される。
おばあちゃん、なえから花瓶を取り上げ、去る。
なえも、去ろうとして。
まい子 待って。
なえ あたし?
まい子 ねえ、本当におじいちゃんの幽霊いたの?
なえ あ、あれは、幽霊とか、そういった類いのものじゃ…。
まい子 さっき、あんなに驚いてたじゃない。
なえ 見間違いかな…。
まい子 ほんと?
なえ ほんと、ほんと。町野淳太郎は、化けて出るような、そんな小さな人物じゃない。
まい子 じゃ、一緒に来て。
なえ えっ…。
まい子、なえを暗室へ引っ張ってゆく。
なえ 待って…いやだ、いやだ。うわあ!
まい子、なえを暗室に押し込み、自分も飛び込む。
入れ替わりに、池内が堀田婦警をスタジオへ連れてくる。
池内 早く、早く!
堀田婦警 なにするんですか…。
池内 ここで、今のをもう一度お願いします。
堀田婦警 はあ!
池内 ワカサイモ持って、今やったじゃないですか。
堀田婦警 …わかりました。許していただけるまで、何度でもお詫びしますよ。
堀田婦警、土下座して。
堀田婦警 大変、申し訳ありませんでした。
池内、偉そうなポーズをとる。
池内 だれか、シャッター押してもらえますかー。
堀田婦警 どういうつもりですか!
池内 記念写真ですよ。こんなこと滅多にないですからね。
堀田婦警 帰らせていただきます。
池内 いてててて…。(なぜか急に体のあちこちに痛みが走る)
堀田婦警 きたないな…。
池内 あなたは、罪のない一般人に暴力をふるったんですよ。
堀田婦警 ワカサイモ食べくせに。
池内 僕は、親にすら殴られたことがないんです。体の傷は癒えても、心の傷は一生残るものです。
堀田婦警 写真は、もっと残るだろう!
母、やってくる。
母 だれか、呼んだ?
池内 さあ、シャッターを!
堀田婦警 貴様、警官を脅迫する気か!
堀田婦警、池内につかみかかる。
母 ちょっと!
池内 いたい。ああ、腕がいたい。足がいたい。
堀田婦警 わざとらしいやつだ。
母 やめてよ!
池内 また、暴力だ!
堀田婦警 お前、楽しんでないか。
池内 ちょっとだけ。
堀田婦警 このやろう!ワカサイモ返せ!吐き出せ!
母 はなしなさい!
堀田婦警 はなしません!
池内 今です。シャッターを!
母 いい加減にしてください!!!
二人 …。
堀田婦警 なんなんのよ、これは。今日は、引越しなんです。なのに荷造りはできない。写真はなくなる。チラシは貼られる。
堀田婦警 あ、チラシ、どうなりました?
母 …とりあえず、写真撮りましょうか。
堀田婦警 は…。
母 はい、ポーズとって。(ファインダーをのぞく)
池内 ひざまずけ!
堀田婦警 ぅうゔ…ゔ…ゔ…。
堀田婦警、膝をつく。
おばあちゃん、やってくる。
おばあちゃん ちょっと、いいこと思いついたわ。みなさんで写真撮りましょう。
母 撮ってますよ。
おばあちゃん ダメよ。みんなで撮るのよ。
堀田婦警 おばあちゃん、助けてください…。
おばあちゃん どうしたの。
堀田婦警 私の、こんな姿を…写真に撮るんですよ。
おばあちゃん 着替えたら。
堀田婦警 いやいや…。
おばあちゃん 制服じゃ、味気ないわね。
堀田婦警 そういう…。
おばあちゃん せっかくだから、みんな着替えたら。町野写真館、最後の一枚ですから、華やかに飾りましょう!
池内 それはいいですね。
おばあちゃん なえちゃーん。
堀田婦警 話が…違う方へ進んでいます。
母 あたしのドレス貸してあげる。
堀田婦警 ダメです。
母 サイズなら、大丈夫よ。
堀田婦警 そういうことじゃない。
母と池内 さあさあ!
堀田婦警 ちょっと待った!
堀田婦警を押し込むように更衣室へ去る。
入れ替わりに、なえとまい子が暗室から出てくる。
なえ おばあちゃん、呼んだ?
おばあちゃん 仕事よ。今日の記念に、みんなで写真を撮りましょう。
なえ いいですね!
おばあちゃん うちの人も入れてね。まい子、あなたも着替えてきなさい。
まい子 うん…。
おばあちゃん そういえば、写真見つかったのかしら。
なえ おばあちゃん、それが…。
まい子 ごめんなさい…。
おばあちゃん どうしたの。
まい子 まい子が、暗室に隠したの。
おばあちゃん あら。
なえ あたしが見たおじいちゃんの幽霊も、きっと…。
おばあちゃん でしょう。そんなことだと思った。
まい子 でもね、ないの。暗室の机の下に隠したのに…どこにもないの。
おばあちゃん おじいちゃん、怒って、姿隠したのかしら。
まい子 うそっ。
おばあちゃん うそよ。
更衣室から、声が聞こえる。
母 (声だけ)いやだぁ、かわいい!
堀田婦警 (声だけ)やめてください。
池内 (声だけ)かわいーい!
母、更衣室からワンピースを手にして顔を出す。
母 まい子…いたいた。あんた、もうこれ着れるんじゃない?
まい子 お母さん、あのね…。
母 着てみて!
母、更衣室に消える。
まい子 お母さん。写真見つからないの!
おばあちゃん (ワンピースを手に取り)まだあったのね。美智子、あんたのお父さんとのデートの時に持ち出して。おじいちゃん、すごい怒ってね。
まい子 おじいちゃん、怒るとこわかった?
おばあちゃん どれどれ。なえちゃん手伝って。
なえ はい。
まい子 ごめんなさい。
おばあちゃん まい子、それ、着てごらんなさい。似合うわよ。
なえ 全部探したんですよ…。
おばあちゃんとなえ、暗室へ去る。
まい子、ひとり残される。
そして、ワンピースを頭からかぶる。
更衣室から、声が聞こえる。
みんな (声だけ)かわいい!
まい子、もじもじと知恵の輪をいじりだす。
◇ ◇ ◇
父、駆けてきて、玄関に飛び込む。
そして、土下座。
父 美智子、別れないでくれ!俺は、甲斐性なしだ。お前に、苦労かけてばかりだ。でもな、俺には、お前しかいないんだ!
まい子 はあ…。
まい子、知恵の輪をいじっている。
父 今も、出会った頃の気持ちのままなんだよ。気持ちだけじゃない。ほら、今だって、お前のことが、あの頃のよう若く、美しく、輝いて見える。
まい子 …どうも。
父 照れることはないじゃないか。そうやって、モジモジしてる姿なんか、まるで10代のように初々しい。
まい子 この服、見覚えある?
父 えっ。
まい子 やっぱり、忘れたの。
父 覚えてるさ!
まい子 ほんとぉ?
父 ほんとだとも。それは、…初めてのデートの時…。
まい子 そんなことより、お父さん、知恵の輪得意?
父 えっ。
まい子 お母さんなら、そこで着替えてるよ。
父 まい子!
まい子 勝手に間違えたんでしょう!
父 まったく!
父、勢いよく更衣室のカーテンを開ける。
堀田婦警が、ドレスを着て立っている。
堀田婦警 キャー!
父 すまん!
堀田婦警 こっちを見るんじゃない!
父、再び土下座。
父 あ…あ…あの、頼む。別れないでくれ。
堀田婦警 …なんの話ですか。
父 頼む、話を聞いてくれ!
堀田婦警 まあ、構いませんけど。
父 ありがとう。(顔を上げようとする)
堀田婦警 こっちを見ない!
父 はい。…俺は、甲斐性なしだ。
堀田婦警 …そうですか。
父 役立たずで、運のない男だ。
堀田婦警 そうですか。
父 でも、お前を愛する気持ちだけは、誰にも負けない。
堀田婦警 そんなことを言われても…うふ。
父 つれないな…。
池内が、更衣室から出てきてる。
池内 どなたですか?
堀田婦警 さっぱり。
父 (顔を上げ)…誰だ…お前ら。
まい子 お父さん、もう少し、自分に自信もっていいよ。
おばあちゃんとなえ、暗室から出てくる。
なえ まい子ちゃん、ほんとにここなの?
おばあちゃん あんた、なにか勘違いしていないかい?
父 お母さん!
おばあちゃん あら、健一さん。血相変えてどうしたの。
父 美智子は。美智子は、どこにいますか!
おばあちゃん そこら辺にいるんじゃない。
父 隠さないでください!
おばあちゃん 隠してないわよ。
父 お願いします!
おばあちゃん あんたも、なにか勘違いしていないかい?
更衣室から、母の叫び声が聞こえる。
母 きゃーあああ!
父 美智子!
羽織姿の変装した青田が、母の口をふさぎ、羽交い締めにして出てくる。
まい子 お母さん!
父 なんだ…貴様。
おばあちゃん あなた…。
母 (青田の手の隙間から)たすけ…。
父 そうか、そうだったのか。気づかない俺がバカだった!
母 (手を振り払い)なに言ってんのよ!
父 よりによって、こんなジジイと。しかも、セーラー服で…いいな。
母 ばか!
父 ばかとは、なんだ!
青田 下がれ。近づいてみろ。この女が…。
堀田婦警 (覚えのある武術で)はあっ、はあっ、はあっ、はあっ。
青田 いててて。
堀田婦警、素早く、青田を取り押さえる。
まい子 すげー…。
母 誰なのよ。この人!
堀田婦警 現行犯で逮捕する!
おばあちゃん 待ちなさい。この人は……お客さんよ!
みんな えっ…。
なえ こんな人いた?
堀田婦警 私…またやってしまいましたか。
堀田婦警、青田をはなす。
おばあちゃん なじみのお客さんで、えーと…円城寺さん。
青田 は…。
おばあちゃん 大丈夫ですか、円城寺さん。
青田 さ、さよう、わしが円城寺だ!
おばあちゃん 写真を取りに来たのよね。
青田 さよう、わしが写真を取りに来た円城寺だ!
父 こんなカッコで?
おばあちゃん …落語家さんなのよ。
青田 え…。
おばあちゃん もう、冗談が好きなのよ。ねえ。
青田 ああ…。
青田、棚から扇子を取って正座する。
青田 では…小咄を一つ…。
おばあちゃん それは、やめておきなさい。
青田 隣りの家に、囲いが出来たってね…へえ。
おばあちゃん …まだ、そんなに売れてないのよ。
青田 隣りの家に、塀ができたってね。か…。
みんな かっこいい…。
おばあちゃん 当分芽は出ないかもしれないけど。
青田 隣りの家に、垣根ができたってね。かっこいいね…。
みんな …。
青田 かっこいいねぇ…かっけーねぇ…かっきぇねぇ…かきね…。
おばあちゃん あたしも、あきらめた方がいいじゃないかとは言ってるのよ。年も、年だし。
なえ うまい!
みんな えええ!。
外で、クラクションが鳴る。
父 いけない。お客さんを待たせてた。
母 ちょっと、首になるわよ!
青田 お後がよろしいようで。
おばあちゃん (ひとりで拍手)
もう一度、クラクション。
父 はい、はーい!
父、慌てて家を出る。
それと一緒に、青田も出ていこうとする。
なえ 師匠、動かないで。記念に一枚。
青田、顔を背ける。
なえ 前むいて。
青田 写真は、苦手で。
おばあちゃん 待って。みんなで撮りましょう。
なえ それじゃ、みなさん、師匠を囲んで並んでください。
青田 いやいや…。
おばあちゃん この写真館、最後の記念写真ですよ。みなさん、いい顔でね。
みんな、カメラの前に並ぶ。
なえ はい。こっち見て。(ファインダーをのぞき)お巡りさん、後ろにまわって。
堀田婦警 …。
なえ 後ろにまわって。
堀田婦警 全身、入ってますか。
なえ 目立ってますから大丈夫ですよ。まい子ちゃん、前に来て。
まい子 はーい。
なえ おばあちゃん、寄ってもらっていいですか。学生さん、にらまない。師匠、前むいて。おばあちゃん、もう少し寄って…。
おばあちゃん なえちゃんも、入りなさい。
なえ いや、写す人がいないじゃないですか。
おばあちゃん あたしが、代わります。
なえ ダメですよ。おばあちゃんが抜けたら意味ないですよ。
おばあちゃん あの人がいないのに、あたしが入るのも気が引けるわ。
なえ だって…。
おばあちゃん さあ、いいから。
父が戻ってきて、玄関でひと言。
父 それじゃ。なるべく早く、来ますから。
おばあちゃん 健一さんも、入って。
父 えっ。でも、お客さん待ってるから。
おばあちゃん 早く!
父、慌てて玄関を上がり、写真に入る。
おばあちゃん こっち見て、撮るわよー。
みんな、笑顔とポーズが固まる。
おばあちゃん、ファインダーをのぞきながら話しはじめる。
おばあちゃん みなさん、今日はありがとうございます。あの人は、いつもこんな世界をのぞいていたんですね。
なえ おばあちゃん。今、あいさつですか?
おばあちゃん 動かないで。これから、社会に出てゆく人。修行中の人…。
みんな無理な姿勢なので、よろめき始める。
おばあちゃん …それから、これからたくさん学ばなければならない人。それを見守る人。運のない人…。
父 お母さん。早くしてくれませんか。
おばあちゃん 動かない。…追いかける人もいれば、逃げる人もいるでしょう。
青田 あいさつの意味がよく分からないんですけど。
おばあちゃん 晴れの日もあれば、雨の日もあります。それでも、みんな笑って、はいちーず。
ストロボがたかさる。
みんな えっ、今!
おばあちゃん はい。お疲れさまでした。
父 美智子、話は、また後でな。
母 どこにも行かないから、早く仕事を片付けてきて。
父、駆け出す。
クラクションが鳴る。
父 はーい。今行きまーす。
なえ あの、もう一枚撮りませんか。
みんな そうね。
母 あたし、衣装替えしていいかしら。
なえ いいですよ。何枚でも、撮りましょう。
母 まい子。次これ着てみる?
まい子 いやだ。
堀田婦警 私は、これで。
池内 撮りましょうよ。
堀田婦警 いやいや。
母 お巡りさん、ウエディングドレス着てみない?
堀田婦警 いやいや…。
母 まい子、持って来て。
まい子 はーい。
みんな、更衣室に入る。
まい子、奥へ去る。
青田 わしは、そろそろおいとまするかな。
おばあちゃん 円城寺さん。ちょっと待って。
おばあちゃん、アルバムから写真を一枚抜き出し、青田に渡す。
おばあちゃん 大事なものを、お忘れですよ。
青田 かわいい、赤ん坊だのう。
おばあちゃん あんただよ。
青田 えっ…。
おばあちゃん もう一つ、忘れ物。はい。
おばあちゃん、青田の鞄を渡す。
青田 あの…。
おばあちゃん あの人と二人、何十年もこの町にお世話になったけど、みんないい人ばかりでしたよ。
まい子、ウエディングドレスを持ってやってくる。
まい子、更衣室に入り、ドレスを置いてすぐ出てくる。
おばあちゃん 今日は、わざわざ足を運んでくださって、ありがとうございました。
青田 ああ、では。
おばあちゃん お気をつけて。
おばあちゃん、頭を下げ見送る。
青田、落ち着かない様子で写真館を去る。
◇ ◇ ◇
まい子 おばあちゃん…。
おばあちゃん まい子は、着替えないのかい。
まい子 おじいちゃんの写真、ごめんなさい。
おばあちゃん どこかにあるわよ。
まい子 あそこに絶対置いたはずなんだけど…。まい子、やっぱり頭悪いのかな。すぐ忘れちゃう。
おばあちゃん おばあちゃんなんか、どんどん忘れていくわよ。
まい子 へんだよね。覚えなきゃいけないことは、すぐ忘れちゃうくせに、忘れたい嫌なことは、何度も思い出しちゃうでしょう。
おばあちゃん それは、いつかまい子の人生に必要なことだから、忘れないのよ。
まい子 必要なこと。
おばあちゃん 宿題できたの。
まい子 まだ。
まい子、テーブルにノートを広げ、漢字の書き取り。
まい子 さくら…。
おばあちゃん それは、梅。
まい子 やっぱり。(書き直す)
おばあちゃん それは、松。
まい子 あたし、一生桜ん坊食べないから、覚えなくていいや。
おばあちゃん 大好きな桜餅も食べないのかい。
まい子 ああ、もう、どうして漢字って、こんなにあるのかな。
おばあちゃん 二階の女が気にかかる。
まい子 …なにそれ。
おばあちゃん 昔はね、こうやって書いたの。
おばあちゃん、鉛筆を握り、ノートにゆっくり書く。
まい子 …貝が二つに…女。
おばあちゃん みどりご。赤ん坊のことだね。
まい子 赤ちゃんの木なの。
おばあちゃん 今は、こうだね。強い女に気をつけろ。
まい子 おもしろい!強い女…。
堀田婦警、制服に戻って更衣室から出てくる。
堀田婦警 私のことですか。
おばあちゃん 違いますよ。
なえも出てきて。
なえ ぴったりじゃないですか。このコスプレ好き!
堀田婦警 自分の制服です。
なえ あ、忘れてた。
堀田婦警 すっかり、長居してしまいました。
おばあちゃん あら、お帰りですか。
なえ まだ、いいじゃないですか。
堀田婦警 気がつけば、とっくに勤務時間を過ぎてます。また始末書です。
池内、ジャージを羽織りながら出てくる。
池内 ちょっと、帰っちゃうんですか。
堀田婦警 じゅうぶん遊んでやったろう。
池内 楽しんでたくせに。
堀田婦警 失礼します。
おばあちゃん ご苦労さまでした。
池内 お巡りさんが帰るなら、僕も帰ります。
なえ ええ、つまんない。
堀田婦警 私に合わせる必要はないだろう。
池内 交番まで、送ってきます。
堀田婦警 意味がわからん。
おばあちゃん おじいちゃんの写真、持ちました?
池内 そうだ。待っててください。
池内、奥へ走る。
堀田婦警、慌てて靴を履く。
堀田婦警 では。
おばあちゃん いいの?
堀田婦警 まかないと。
おばあちゃん はあ。
母、ウエディングドレスを持って出てきて。
母 ねえ、これ着ないの?
堀田婦警 あ…いいな。
池内、写真を持って戻ってくる。
池内 お待たせ。
堀田婦警 しまった。
池内 写真、ありがとうございました。
おばあちゃん こちらこそ。
堀田婦警 …ちょっと、ちょっと触るだけ…。
母 だから、着てみればいいじゃない。
おばあちゃん おじいちゃんにも、よろしくお伝えください。
池内 はい。おばあちゃんも、お元気で。
おばあちゃん あなたもね。東京でがんばってください。
おばあちゃん、まい子、見送りに玄関に出る。
おばあちゃん お気をつけて。
池内 さあ、行きましょう。
堀田婦警と池内、帰ってゆく。
堀田婦警 知ってるか、ワカサイモには、イモは入ってないんだ。
池内 ほんとですか…。
堀田婦警、池内をおいて走り去る。
池内 待って!
池内、追いかけて去る。
おばあちゃん、玄関を出て、桜の切り株に座る。
まい子も、隣に座り。
おばあちゃん 桜きる馬鹿、梅きらぬ馬鹿。
まい子 なにそれ。
おばあちゃん 桜の木は、枝を切るとそこからすぐ病気になるの。だから弱った枝があっても、切ってはいけないの。梅の木は病気に強くて、切られると、枝を伸ばそうともっと育つようになるの。だから、桜きる馬鹿、梅きらぬ馬鹿。
まい子 ふーん。この桜の木切った人は、馬鹿だね。
おばあちゃん おじいちゃん、とっても悲しんでいたけど、切った人を決して怒らなかったわ。
まい子 おじいちゃんは、やさしいね。
おばあちゃん 寿命だったんだろうって。
まい子 桜きる馬鹿、梅きらぬ馬鹿。
おばあちゃん 覚えた?
まい子 ノートに書いておく。
おばあちゃん 今は、この切り株しかないけど、写真には、ちゃんと残ってるわ。
母が、玄関まで出てくる。
母 ちょっと、そんな格好で、風邪ひくわよ。まい子。
まい子 はーい。
まい子、家に入りノートに向かう。
おばあちゃん そうだ、言っとくけど。ここを駐車場にするなんて、許しませんからね。
母 えっ…なんで知ってんの!
おばあちゃん 娘が考えてることくらい、顔見りゃわかるよ。
母、走って家に戻る。
母、知恵の輪を手に取る。
なえ なにモジモジしてるんですか?
まい子 お母さん、得意なんだって。
母 ダメだ、集中できない。
母、知恵の輪をまい子に渡す。
ウエディングドレスを手に取り、なえに押し付けて。
母 はい。
なえ えっ。
母 この写真館、大事に使ってよ。
なえ …はい!
なえ、早速カメラに飛びつく。
おばあちゃんも、戻ってきて。
おばあちゃん さあ、晩ご飯にしましょうね。
まい子 お腹へった!
なえ …あれ。
カメラをいじるなえの手が、次第に落ち着きをなくす。
母 お蕎麦、まだあったわよね。
おばあちゃん お願い。
母 冷たいお蕎麦でいいの。
まい子 大盛りで。
母 はい、はい。
母、去る。
なえ、知恵の輪を手に取り、もじもじし始める。
なえ あわあわあわ…。
まい子 どうしたの。
なえ、あっけなく知恵の輪を外す。
なえ あっ。
まい子 すごい。どうやったの。
おばあちゃん 意外と賢いのね。
なえ それが…ああああ!
おばあちゃん どうしたの。
なえ 実は、さっきみんなで撮った写真…。フィルムが入っていなかったんです!
みんな ええええ!
なえ すいません!
みんな ばか!
暗転
◇ ◇ ◇
暗闇の中、電話が鳴っている。
夜の写真館。
やさしい明かりの下、母が電話をとる。
母 もしもし、あたし。…お疲れさま。…まい子、疲れてとっくに眠ってるわよ。…大丈夫よ。あの子は、いい子よ。それより、これからも、しっかり働いてよ。…うん……うん…。
母の笑顔で電話している姿を残して。
暗転
◇ ◇ ◇
眩しいほどの朝日。
トラックのエンジン音が聞こえる。
バックする警告音が鳴る。
まい子が、家の奥から飛び出てくる。
玄関を開け、外を見て。
まい子 やっぱり、そうみたいだよ。
まい子、駆け出し迎えにいく。
まい子の父が、歩いてくる。
まい子 お父さん!
父 おう、早起きだな。
まい子 朝ご飯できてるよ。
父とまい子、玄関に入る。
母、やってきて。
母 ご苦労さま。
父 なるほど。まったく片付いてないな。
母 仕事とっておいたのよ。とにかく、ご飯食べて。
父、家に上がる。
おばあちゃんが、やってくる。
父 おはようございます。
おばあちゃん お世話になりますね。
父 とんでもない。窮屈な思いをさせますが、すいません。
まい子、父をひっぱる。
まい子 お父さん。あたし、おばあちゃんと一緒でいいや。
母 なに、偉そうな口きいてるの。
まい子 おばあちゃんと一緒がいいや。
母 どういう風の吹き回し。
まい子 おばあちゃんと一緒だと、賢くなれるから。おとうさん、知ってる。桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿って。
父 ぁああ、思い出したくない過去が。
まい子 えっ、お父さんだったの!
めかしこんだ池内がやってくる。
池内 ごめんください。
おばあちゃん あら、今日は、またどうしたの。
池内 昨日は、すっかり卒業写真撮り忘れて。
おばあちゃん あら。でも、なえちゃんいないのよね。
池内 待たせてもらってもいいですか。
おばあちゃん どうぞ。上がってください。
堀田婦警が、青田を連れてやってくる。
堀田婦警 失礼します。ほら。
青田、堀田婦警に促され、玄関に入る。
おばあちゃん あんた、逃げ足遅いねー。
堀田婦警 今朝、自首してきました。
青田 これ。
青田、鞄からおじいちゃんの写真を取り出す。
まい子 あっ、おじいちゃんの写真。
おばあちゃん ありがとうね。
青田 いいえ。そんな。申し訳ありませんでした。
青田、頭を下げる。
母 誰なの…。
青田 それから、お借りしていました、これも。
青田、カツラと羽織をかえす。
池内、カツラを青田に着けてみる。
みんな ああああ!
おばあちゃん あの写真なくすんじゃないよ。
青田 はい。
青田、胸ポケットを軽く叩いて微笑む。
堀田婦警 それでは。
母 おかーさん。知ってたの。どういうつもり。
おばあちゃん 悪人か、善人かくらい。顔見りゃわかる。
堀田婦警、礼。
青田も、もう一度礼をして、玄関を出る。
と、なえが、回収したチラシを持ってやってくる。
なえ おっと。
なえ、逃げるように、裏口へ向かう。
堀田婦警 待ってください。
なえ チラシは、剥がしてきましたよ。
堀田婦警 いえ、そのことではなくて。
なえ なんですか…。
堀田婦警 昨日の写真、出来上がりましたら、こちらにお願いできますか。(名刺を渡す)
なえ あ、そうですね。
堀田婦警 それから、私だけを引き延ばしてもらうことは可能でしょうか。
なえ いや、それは、どうかな。
堀田婦警 実は、近々見合いがありまして。
なえ そうですか。
青田、フェイドアウトしようとしている。
堀田婦警 待て。どこに行く。
青田 いや、話が長くなりそうなので、先に帰ってようかなと。
池内、なえを迎えに、玄関まで出てくる。
池内 よかった。今日はこの服で、お願いしたいんですけど。
なえ 待った!
池内 はい?
なえ お巡りさんも。実は、昨日の写真…。
三人 えっ。
なえ …ごにょごにょごにょ…。
三人 ええええ!
なえ 撮り直しましょう。さあ、入った、入った。
なえ、堀田婦警と青田を写真館へ押し込む。
堀田婦警 よし。お前も、こい。
青田 じゃ、今日はスーツで。
母 あたし、なに着ようかしら。
父 思い出のワンピースがいいんじゃないか。
母 着れるかしら。
まい子 むりむり。
母 パシンッ。
まい子 いったい!バカになる!
なえ ほら、着替えて。
池内 僕は、これで。
なえ 地味だよ。
池内 そうですか…。
みんな、更衣室に去る。
おばあちゃん 今日も、引っ越しはむりそうね。
おばあちゃん、戻ってきた写真館の主の写真を見つめる。
幕
2017年6月28日 発行 初版
bb_B_00150658
bcck: http://bccks.jp/bcck/00150658/info
user: http://bccks.jp/user/140766
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp