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八年間かよってお世話になった西中島のお好み焼き屋さんが店じまいをしました。お店にはマスターと従業員の男の人がいるのですが、ふたりともがわたしにとっては、「お母さん」でした。栄養のバランスのことで小ごとを云われたり、注文しなくてもお野菜を用意してくださったり、本当にやさしいお母さんたちでした。今夜で最後と云う日、数名のお客さんと元従業員の方も交え、計十人ほどでお別れ会をしました。逢うは別れのと云いますが、淋しさを互いに気遣い、お別れ会がドンチャン騒ぎになるのは常のようです。案の定、ドンチャン騒ぎをしました。ほんの十名の、その店を愛した、名前もしらない、仕事の世界もバラバラの人たちの集いが、今の時代には、たいへん貴重なことのように感じました。お店の方の気配りが大好きだったこと、それが集った人たちの共通点です。終了後の夜中の三時、阪急西中島駅の踏み切りのまえで、お店の方、お客さんが、互いに「今までありがとう」と云いあい、みんなでワァワァ泣きました。店なんて大きくして成功するだけが能じゃない、商売するならこうありたいもの……と思えるような、食べ物屋さん冥利に尽きるお別れ会でした。
なくすもの、得るものは日々代謝されます。得た喜びもさることながら、なくしたものの価値を感じられる時間をたいせつにできればと思います。なくしたものが九九あって、結果として得るものはひとつきり。そうするとなくしたものこそ財産。得たものを誇る人がいます。確かになくしたものは、後悔を伴い、時に泪を誘い、振り返りたくなくなるものです。でも、それこそがその人の宝物と云えるのではないでしょうか。
成果の実らなかった原稿はたくさんありますか? それらが明日を生むと信じて……。
棄てたもんじゃない、と思ったおはなしです。センターの帰途、南方駅での踏切でのことです。この周辺は夜になると、風俗店の呼び込みのお兄さんがたくさんいます。その夜、遮断機がおりかけたときに、お酒のはいった千鳥足のオバサンが、むりやり踏切を渡ろうとしました。ところが遮断機がおりてしまったのです。千鳥足のオバサンは動揺も手伝い、線路のうえにころがってしまいました。おまけに財布から線路にばらまかれた小銭をオバサンはころがったまま拾っているではありませんか。「あっあー、危ない!」と思いつつも、わたしはその瞬時、立ち尽くすしかできませんでした。ところがその瞬時に、ひとりの金髪の呼び込みのお兄さんが、遮断機を力いっぱい押しあげて、オバサンを救いだしたのでした。
救われ、立ちあがり、よろよろと階段をあがり、京都ゆきの切符売り場へとむかったオバサンは、お兄さんに、「ありがとう」とも云わず、終始無言だったのです。バツの悪そうな後ろ姿でした。
哀しくて、嬉しい、夜の一コマでした。
それからすこし経ち、駅周辺では警察の人が呼び込みの人たちを順に検挙してゆきました。決まりがあって警察のお世話になったりする若者のなかにも、瞬時に人の命を守る本能の人がいるのです。
あの夜のお兄さん、わたしはしっかりあなたをみていた者です。
ずいぶんむかしに読ませていただいたシナリオです。風俗店でバイトしている浪人生が主人公でした。なにげない対比のシーンに、清らかな作家の視線が光っていたことが忘れられません。こんなシーンです。社会的に名誉も財産もある中年のオジサンが、他に人がいないからと、女性の忘れ物のバッグの中身をのぞき、片や、風俗店のバイトの青年はおなじくだれもいない部屋に忘れられた女性のバッグとでくわし、好意を抱いていた女性だったので興味はあるものの、「あかん、こんなんのぞいたら、最低やんか」と、バッグをのぞきませんでした。
あなたは今も描かれていますか? そのシーンのひとりのファンより。
紅葉を満喫するのにすこし早いこの季節、散歩がてら、秋の草花を眺めながらセンターへかよっています。その途中にときどき出逢う、不思議な男の人のお話を。
この人は夜に遭遇することが多いのですが、後ろ髪をたなびかせて、自転車で大疾走しながら、大声で何度も、「ドンペリ、はいります!!!」と叫んでいます。出逢うとちょっと怖いようでいて、彼が元気でいるのが妙に嬉しくなるのはなぜ……とも思いますが、気になるのは、なにが彼をそうさせたのか!?? ということです。バブル真っ盛りに、ホストクラブで働いていて、ドンペリの注文を毎日叫んでいたころの強烈な思い出が、もしかしたら強烈な恋と失意が、今も彼にそう叫ばせているのかもしれません。
ドンペリはフランスの高級シャンパン、ドン・ペリニョンの略。バブルのころには「ロマコンのピンドン割り」などが流行ったそうで、ロマネ・コンティという高級赤ワインをドンペリのロゼで割る飲み方だそうです。失業者や生活保護を受ける人が多い現代では、バブル、イコール成り金というイメージにつながりますが、果たしてそれだけでいいのかしらと思います。
バブルの名残りを感じさせる豪華な作りのホテルにいったことがあります。ロビーにそびえる直径二メートルは越える柱は、ほんものの大理石。それだけでウン千万は要したと思われます。しかし、ほんものの建材を生かすのには、ほんものの職人さんがいらしたはずです。どんな仕事をして、その建材を生かしてやろうと、意気ごまれたことでしょう。そういう人たちもひっくるめて、過ぎ去った〝浮かれ時代〟とひとくくりにしてしまうのには、抵抗があります。ドンペリにも、極上の味わいが……。
この不思議なドンペリマンに出逢うと、黒澤の映画で、他人にみえない電車を「どですかでん、どですかでん」といいながら走らせていた少年を思いだします。ドンペリマンにはなにがみえているのでしょう? 三十年後、どんなことを叫ぶ人が、町を大疾走するのでしょう?
作品がシリアス一辺倒になりそうなとき、脇の人物にコメディリリーフを配置すると、バランスが保てると云います。リリーフとは「やわらげる、緩和」の意味。私の好きなコメディリリーフは、『曽根崎心中』の天満屋の女中さんです。これからお初と徳兵衛が心中に出発と云うとき、お初は自分が勤める遊郭、天満屋が真っ暗な深夜を迎えるのを、今か今かと待っています。徳兵衛は縁の下に潜んだまま、お初のゴーサインを待っています。ところがこの三枚目の女中さんは、大きな団扇で天井からぶらさがっている釣行燈の火を消そう消そうとするのですが、なかなか消せません。店の主に消すように命じられているのですが、彼女は「あ~ぁ、うるさぁ」と思っています。消えそうになれば、恋のヒロイン、ヒーローは道行き決行モードに入るのですが、女中さんはそんな事情はしらず、「あ~ぁ、あたいの仕事はうっとぉしい。こんなこと、はよ済ませて寝よ寝よ」とばかりに、大団扇で釣行燈の火を消すパフォーマンスを寝ぼけながら繰り返します。やがて火は消え、女中さんが大の字に大あくびで眠ったあと、ヒロインたちは、恋の道まっしぐらに、天神の森へ死への旅路につきます。
わたしがどうしてこのコメディリリーフが好きなのかと云いますと、笑うに笑えない人への視線を感じるからです。笑っているうちに、はたと、「あなたはこの女中さんを笑えますか?」と鋭く突きつけられることに気づきます。
この世のたくさんの人が、この女中さんのように人生を受けとめていませんか? 生活しか目に入らずに、あ~ぁ、つまらん……それこそ、あなたの現実ではありませんか?
現実と非現実。舞台と客席。その狭間が妙味です。フランス映画のような恋愛至上主義を、上方流ヒネリで表現した笑いが絶妙です。大阪と云うと、コテコテやベタベタの文化と連想する人も多いようですが、なんて洒脱な笑いなのでしょう。私はやっぱり、この町、大阪が大好きです。
BSで山本薩夫監督特集をやっていました。キャラクターの毒々しさが、とっても面白かったです。なかでも「英雄、色を好む」といったお話が多く、ずいぶん時代は変わったとつくづく。金銭や権力への欲望にギラギラ燃えた男が、根まわしの電話をかけているのは、桃色のカーテン、クッション、アクセサリーなどの小物で埋めつくされた愛人の部屋。金欲、色欲、欲望ギラギラが、なぜ今や草食系男子にうって変わったのか!
このところ仕事で京都へいくことが多く、路地裏にときどき寄るリサイクルショップがあります。そこには、真珠、琥珀、珊瑚といった高価であったろうと思わしきアクセサリーがお手ごろ価格で、三坪ほどの店内にところ狭しと並べられています。お店のお婆ちゃんに伺いますと、ご高齢の近所のお婆ちゃんたちが、身のまわりのものを整理されては、リサイクルショップへ委託として預けられているとのことです。疵もなく錆びもしていないそれらのアクセサリーを手にとると、使い古されてはいるけれども、たいせつに使われてきたことが感じられ、持ち主はどんな人生を送ってこられたのかしら……、だれかからのたいせつなプレゼントなのだろうな…… と想像がむくむく。委託されていたる方のなかに、とっても華やかなものがお好きなお婆ちゃんがひとりいらっしゃるようで、お店の方にどんな方ですか、と伺いますと、
「そら、スッテキなお婆ちゃんで、八十を越してもまつげにボールペンがのる、おっ洒落なお婆ちゃん!」
とのこと。
八十歳でまつげにボールペン! と驚きましたが、そんじょそこいらのお婆ちゃんのもの、置いとりません、という店主のプライドに感服! 京の路地裏散歩は味わいぶかい!
棄てたもんじゃないと思ったもうひとつのできごとです。
お昼まえの電車のなかでのこと。きつい陽ざしが刺す席しか空いておらず、わたしはそこへ坐ることにしました。ブラインドをあげようとしたのですが、硬くてなかなかあがりません。隣の席では、中学一年生ぐらいの女の子がひとり、ぺちゃべちゃキャッキャッと携帯電話でおはなししていました。しかしブラインドに苦戦しているわたしに気づくと、立ちあがり、手を貸してくれたのです。携帯片手に、もう片方の手で。女の子は悪戦苦闘したものの、結局ブラインドはあがらずじまいでした。わたしは女の子に、
「ありがとう、もういいわよ」
と云いました。
電話相手の子が、
「なにしてるの?」
と聞いたのでしょう。
「ウ~ン、窓があがらへんねん」
と答え、
「まぁ、ええわ」
とブラインドはあきらめて依然、おしゃべりをつづけました。
まぁ、ええわ、とあっさりやめるところが、他人のためとか、いいことをしているとかの意識がなくて、自然体で可愛らしいと思いました。できるところまでやってみたい、自分の仕事のような感じだったのでしょうね。
よく若い人のマナーが問われます。でも困っている人に手を貸すことのできる若い人だっているのです。
類型的なキャラクターの打破は、このようなささやかな喜びに端を発しているのかもしれません。
電車をおりてスタスタ歩いてゆく、小さなスーパーウーマンの後ろ姿に、もう一度、「ありがとう」とつぶやきました。
好きなシーンです。
「その夜、彼女はブランデーをグラスで大きくあおる。愛を捨て、金もうけに生きようと決心した夜だ。その時、粗野だがたくましく生きるレッド・バトラーが訪ねてくる。憎みながらも惹かれているスカーレットは、酒のにおいを消すためにあわててオーデコロンでうがいをするのだ。(略)そして案の定、オーデコロンは何の役にもたたず、酔っていることをレッドにみぬかれ、彼のプロポーズを受けてしまう」(日本経済新聞より)
『風と共に去りぬ』のこのシーンは忘れられません。オーデコロンでうがいをするスカーレットの心理が、女性として伝わるからです。もし彼女が恋焦がれるジェントルマンのアシュレーが訪ねてきたなら、彼女はオーデコロンでうがいをせず、弱い自分をみつめて欲しいと願ったことでしょう。あなたのせいで、私はこんなに弱っているのよとみせつけて、抱きしめてもらえたならと、起こり得ない夢想を抱き…
例えば、関西人は初対面ですぐさま、ボケとツッコミの立場を察知します。この人の相手をするなら、ボケルしかないと。それは人間関係を円滑にすすめるための本能のようなものでしょう。
しかしこのシーンの女心が果たして、強い男に強さをみせたい本能的察知に単純につながるのかどうか… レッドもまた、酔っている今こそ、気位の高い彼女を落とせるチャンスと察したのかもしれまぜん。男女間の奥ふかい心理ですね。おそらくレッドなら彼女の弱さをみぬくことを、彼女は無意識のなかでしっていたのでしょう。町の娼婦とも関わりのあるレッド。スカーレットはお嬢様として崇めてもらうしか、自分のプライドをコントロールできなかったのでしょう。お金もうけに生きようと決めたのに、愛し愛されることを捨てられない物語のなかの人。愛されたいのにお金もうけにしか時間を費やせない現代人。
女心が勇敢にざわめいているドラマが観たいですね。
わたしの先輩に、若き日イタリアで修行してこられたエステティシャンがいらっしゃいます。曰く、日本とイタリアでは、エステについて、とらえ方に大差があるそうです。日本人は、しわやしみをとるため…と、現実的な目的でエステを訪れ、反して本場ヨーロッパでは、身心をやさしくいたわるリラックスタイムとして、エステをおとずれるそうです。しみ、しわ対策のみを目的とする日本人の場合、高いお金を払ったのに、すぐさまの効力がないと、「嘘つき!」「詐欺!」と喰ってかかる人もいるとのこと。ちょいとあらわれた魔法使いに全ての悩みを救われるとでも信じこんでいるかのように、突如豹変するアンバランス性。西洋文化に浅いゆえとは云うものの、悲しい国民性だと先輩は嘆いていらっしゃいました。
わたしの大好きな、梅田でロココ調のアトリエをお持ちのデザイナーのおばあさんは、九十歳。彼女も若いころにフランスで修行されました。「おぉ、パリの空~!」と、シャンソンを歌いながら仮縫いされる姿は、夢みつづけける少女のようで、仮縫いしていただくこちらも、どんな仕上がりの服を着て、どんなステキなときを過ごせるのかしらと、夢見心地になります。彼女はウエストまで届きそうなたわわな長い髪を三つ編みに結われ、いつもチャーミングなシフォンのリボンをつけていらっしゃいます。絶対にご自分では洗髪をなさらなくて、必ず美容院へいかれるそうで、「シャンプー材の質が違うのですか?」と、つい情けないかな、無粋な質問をしてしまいました。しかしお答は、「人さまにやさしく洗ってもらうと云う心地が、髪をすくすく、いたわってくれるのよ」と。
かつて日本人は、侘び寂び、秘すれば花の日本文化を誇りとしていたのでしょうが、西洋文化に対しては、未だにアイデンティティー不在の迷い子状態。本当に惚れた男性以外に楽屋は見せてはダメ。これは女性のマナーですが、果たして電車のなかでフルメイクしている若い女性がいるような現代とは、どちらをむいてゆけばいいのでしょう?
紅葉盛りの有馬温泉へむかい赤湯の熱を肌にさしこむようにうけて、パワーをいただきました。有馬は日本三古湯のひとつ。赤い鼻緒の下駄を鳴らして滝川の小路をすすむと、夜露にしめったオゾンの香りに時代劇の人物のような気持ちになり、かけ流しの露店風呂に身を沈めると、地下ふかい岩盤の割れ目から湧きでる自然の威力に、新たな意欲を得て文化を創造してきた、歴史上の人たちの人生への挑戦に、畏敬の念を感じました。
大阪神戸から一時間もあれば赴ける有馬ですが、かもしだす空気に魅力を感じるのは、秘密めいた処です。谷崎潤一郎も『細雪』『猫と庄造と二人のおんな』『春琴抄』等の小説に有馬を描いています。手塚治虫の『アドルフに告ぐ』に登場する有馬芸者、絹子は印象的です。秘密めいたことが、坂のある温泉街の路地と湯けむりのなかですすめられてゆく…… 歴史は秘密で作られる、そんなことを考えるとわくわくします。
おなじように魅了されたのは、愛知県の蒲郡です。天守閣とレトロな仏蘭西料理レストランを併せもつホテルの迷路には隠れ部屋もあったと伺い、わくわくしました。秘密にまみれた現実生活などはおくれませんが、物語には非現実性がたいせつです。庶民凡人では遭遇し得ない秘密を追ってみたくて、興味が湧きでてきます。
この秘密性も時代とともにさま変わりしてしまったのが、物語を作るうえでは残念です。とうてい互角になれない秘密や欲深さ、そのようなものがむかしのフィクションでは底に蠢く動機であったのが、このところはスケールが小さく均等になり、さっぱり面白くありません。人の欲望でドラマが作られるのに、欲がなければどう作ればいいのでしょう。
女の楽屋が、運が良けりゃ魔法使いにめぐりあい、化けさせていただける楽屋なら、男の楽屋もなにものかに化けさせていただく楽屋なのでしょう。大人ならば周囲への配慮として、爽やかに、微笑んで生きている人に化けたいと願って当然でしょう。その点では、男も女もおなじなのでしょうね。女から男をみて違いを感じるのは、「強い弱い」と云う意識。そして強い男であろうとするところです。
ある女流作家が、
「女は、強い男よりも弱い男を好きになり、弱い男の心の窪みを愛おしく思う」
とおっしゃっていました。同感です。なのに強さを魅力と信じて、強さを誇示する男が多いのはなぜでしょう? 女には、翳りがあって、悪くて不良っぽい男を好きになる性癖があるようです。「私がついていてあげないと…」と思ってしまう母性本能。絶対大丈夫と云う男にはワクワクしません。事実、あまり面白い男もいません。危険だけどワクワクしたい。恋では女は冒険者なのでしょう。しかし一旦、母となるとたくましい肝っ玉に飛躍、豹変するのも、日本の女の常ですが…
先日、テレビで杉良太郎さんの、舞台と楽屋裏のドキュメントを再放送していました。おばさまたちの憧れのスター、杉良太郎。一世を風靡した色気の秘密とは? 魅入ってしまいました。連日の熱帯夜、それまでは脳もふにゃふにゃだったのですが、ぱっちり目が醒めるようなセリフを聴きました。
「名門の出でもありません。歌舞伎の御曹司でもありません。鉄の卵です。一所懸命、磨いていかないと、錆びてしまいます。錆びないためには、みなさまのお力が必要です」
お芝居の後の歌謡ショーで、杉さまがいつも云われる決めゼリフだそうです。震災のときもいち早く救援活動をされていましたが、男らしさなどケチにこだわるよりも、人らしさを感じました。
戦前戦後の女性誌、『ひまわり』『それいゆ』で有名な美人画家・中原淳一展を芦屋で母と鑑賞した翌日のお昼間のこと。淳一の世界に魅せられたわたしは、紫のひまわりの髪飾りをつけて、お日さまが燦々とそそぐ電車の座席で、淳一の絵本をみていました。人からみると危ないオバサン出没の光景です。そんなことは気にもせず、淳一の浪漫に魅せられたわたしは、そのまんまの姿になっていました。するとまえの席のおばあさんが、私をにこにこ眺めていました。すこし目があい、私もすこし微笑みかえしました。やがて梅田へ。下車して数歩すすむと、彼女はわたしに走りより、差し伸べられた握手の手を大きく上下に振られて、
「あなたは夢でいっぱいね」
とおっしゃってくださいました。戸惑いつつお礼を述べてその場を別れましたが、ムービングウォークのあたりでふたたび彼女は私を追ってこられ、
「私はサンフランシスコにひとりで棲んでいます。歯の治療の為に帰国しているのですが、日本の女の人はアメリカ人にくらべて、みんな夢のない顔をしているのが、とても悲しかったの。あなたみたいに夢のある女の人が増えてほしいの」
と、おっしゃってくださいました。わたしはたまたま淳一ワールドに魅せられていただけだったのですが、その言葉がとても嬉しかったのです。哀しいことがあった日には、電車のなかでさえ涙がとまらないこともあるわたしです。過ぎゆく車窓の夜景を眺めつつ、涙をぬぐえない夜もありました。でも、こんな風に励まされ、わたしもおばあさんになったなら、みしらぬ人でも次の世代の女性に、励ましの言葉をかけてあげられる人になりたいと思いました。
わたしが夢子さんでいられたのが淳一のせいだけでないとしたら、それは、みなさんの夢のおすそ分けをいただいているおかげです。むかしのご近所づきあいで、たくさん作ったお惣菜をおすそ分けしたように、夢一杯の人は夢がげんなりしているお隣さんに、ときには気前良く夢を分けましょう。もちつ、もたれつ…… 猛暑も去り、諸々の想いを紡ぎたい秋ですね?
京都で地下鉄にのると、骨格のしっかりした首に大ぶりのネックレスをぐるぐる堂々と飾った、笑顔が根っこから明るい欧米の女性が、大きく両脚を広げ立ちはだかっていました。このたくましくてステキな生命力あふれる光景をみるにつけ、どうして日本では女性が痩せたがるのだろうと思います。いえいえ、わたしが痩せられない僻みからではありませんよ。
わたしは骨格のしっかりした女優が好きで、例えば日本なら原節子さん、アメリカならメリル・ストリープ、フランスならジュリエット・ビノシュ。
弱い女です、儚い女です、助けてくんろ、と云うラブストーリーがあまり好きじゃないわけです。地に足踏ん張って、生きて、恋して、悩んでいる、そんな女を演じる女優さんが好き。
秋の夜、ジュリエット・ビノシュのビデオをつづけて観ました。日本人にとってのヒロイン像と、ビノシュ演じるヒロインの違いは?
女流作家、ジュルジュ・サンドと詩人、ミュッセとの、すさまじい恋を描いた映画『年下のひと』。ふたりは、互いの個性に於いて対立を繰り返します。ここで思ったことは、恋愛映画での対立のとらえ方です。日本と西洋、その差を一概に語ってしまうならアバウトすぎますが、えてして日本の恋愛ものの対立の構図は、「ふたりは愛しあっている。ふたりの対立は世間であり、周囲であり…」と、他者を悪者にしていることが多く、くらべて、この映画から感じたことは、ふたりが真正面から対立している作りです。通俗的な例えでは、日本では、夫が浮気をすれば妻は相手の女を責めて、表面では夫を責めません。妻に経済力があるか否かは関係なく、あくまで男の庇護下であることに拘りつづけたい、なんとも空しさを感じます。くらべて、ビノシュ演じる女は、「この、今、生きている私が私なの」と、しかし、気負いたつこともなく、しっかと土に生命体としての太い根を生やしているかのよう。
遥かいにしえの日本女性は、土に根をもち滋養に育ち、大きな心で男や子どもを愛せたはずなのに…… 黒澤監督の『わが青春に悔なし』の、凛とした原節子のように……
年末、或る港町へ旅をしました。潮の香り。海の幸の飯屋横丁。鄙びた灯台。客もまばらな土産屋商店街。そぞろ歩きつつ、港町にはメロドラマが似合うと思いました。
港町で思い出すのは『シンデレラ・リバティ』と云う映画。薄幸の母子を愛すようになった水兵が、彼女たちを自暴自棄な生活から救いだそうと結婚を決意するのですが…… 哀愁に充ちた、待つ女のドラマでした。ニール・サイモンの『第二章』や『グッバイガール』のマーシャ・メイスンが、市井の女性を好演していました。
フランスの劇作家マルセル・パニョルの戯曲、『ファニー』が原作と云われる、フランスのミュージカル映画『シェルブールの雨傘』も忘れられません。当時二十一歳のカトリーヌ・ドヌーヴの美しさ、そしてパステルカラーのファッションも。
港町には待つ女の光景が似合います……
待てど暮らせど 来ぬ人を
あなたを待てば 雨が降る
待つ歌は多く、待つ心には詩情と情念が……
二十代の頃、パリへひとり旅をしました。シャンゼリゼ通りに面したカフェで、エスプレッソを啜りながら、通りに佇む、恋人を待っている婦人を眺めたときのこと。あずき色のスカーフが黒いコートに纏わりたなびき、眸が恋に潤んでいた彼女。待っているその女性を眺めた印象は、数十年経った今も残ります。恋人が目のまえにあらわれて、幸せに輝いている眸よりも、待っているときの眸の方が、奥ふかいところを彷徨っているのかも、人生の宝石なのかもしれません。
待ってみてもいいのかも。
あなたの旅のゆき先はどこですか? 焦らないで、じっくり進んでくださいね。港町で待ってます。
人を殺した男が、女づれの方がみつかりにくいと云う魂胆で、日劇ダンサーの女をつれて逃げる。男は意志が弱く、それゆえに悪事しか働けない。男に愛想も尽きているのだが、離れられず、ついてゆくしかない女。ふたりは汽車に。熱海で降りて、トラックにヒッチハイク。不機嫌な女。トラックはトンネルへ。トンネルからでると女にちょっと変化が。やさしい顔になっている。トンネルのなかで、男がキスしたらしい。またして次なるトンネルへ。でてくると、今度は女は男にひっついている。ほだされてゆく女。一方のほだす男の手がアップで映ると、爪の先は垢まみれ。洒落たドンファンではない男が悲しく可笑しい…… 木下恵介監督の映画『女』より。男は小澤栄太郎さん、女は水戸光子さん。
数秒の映像で人間の相矛盾する心を描く、映像ならではの妙味を感じます。これが小説ならば、原稿用紙を何枚も使って、人間の心理の複雑さを描写することでしょう。限られた映像と云う時間芸術のなかで、人間の複雑さを描くには? 飽きることなく人に興味を持って、人を視つめることから逃げないで。
ワイプの表現で忘れられないのは、山中貞雄監督の『丹下左膳餘話 百万両の壺』です。子どもなんて、でぃっ嫌いだ、と云うニヒルな大河内伝次郎さん扮する丹下左膳が、ワイプの後、子どもと手を繋いで歩いてゆきます。時はすすみ、人は変わり、あるいは本質に戻り、生きていくことの、ささやかだけれどステキな幸せ感が伝わります。
昨日、嫌いと思った人が、今日逢えばその気持ちは失せていき、そんな風につづいていく日々。ときはすすみ、映像はすすみ、すすむなかでその都度、ひとつひとつの小さな終局を迎え、それでも依然すすむなかで、きっと変わることのできる人生を描けたなら……
「戯曲は失敗して惨澹たるものとなった。劇場内には重苦しい緊張した軽蔑と当惑の色がみなぎった。俳優たちは途方もない愚を演じた。この教訓は、わたしは戯曲など書いてはならないということである」
『かもめ』が初演され、もののみごとに失敗したあとで、チェーホフが知人たちに宛てて書いた手紙です。このように失意の手紙を書いたことには、教えられることがたくさんあります。やがて彼は、才能を予知した劇場の文芸担当者や、佳き友人のアドバイスや、ポジションの違いから意見を戦わせる演出家を得て、確固たる戯曲作家になりました。
面白いのは、そうこうするうちに徐々に認められてゆき、チェーホフは、安心し、満更でもなくなっていくのですが、それでも、演出家に失望の気持ちを抱いていることです。「あなたはすばらしく演じていられます。しかし、ただ、わたしの書いた人物ではないのです」とチェーホフ。「どこが問題なんですか」と演出家。「彼は格子柄の幅の広いズボンをはき、穴のあいた短靴をはいているんです」それ以上、演出家はチェーホフからなにも聞きだせませんでした。大作家でさえこれほどの不安と不満を抱いていたことは、作り手として参考になります。
ふと思えば、書きあがった作品だけでむきあうわたしたち。孤島で喘ぐ姿はみえません。マラソンランナーのことをよく考えます。マラソンランナーをイメージするとき、勝利のゴールを切ったランナーの姿は浮かびません。ただ、走っている姿がマラソンランナーの姿です。孤島で喘ぎ、喘ぐだけでなく、喜びを感じる、原稿の書きあがった喜び。さて、まだ、走ります。
永いあいだ一緒に学んだOさんが東京へ旅立たれます。遠い東京へ行かれても、佳き友人たちがここにいることを忘れないでいてくださいね。
すこしまえの三月、岡山県備前市片上という処の「片上ひなめぐり」をおとずれました。商店街や住宅に飾られた様々なおひなさまを、ゆっくり散歩しながらめぐる地元のイベントです。宇佐八幡宮では、木々に覆われた六十二段の石段の、下から上までびっしり緋毛氈を敷きつめ、ひな壇にみたてた「石段ひな飾り」が。すばらしい眺めでした。夜にはライトアップも施されるそうです。
商店街に子どもたちが手作りしたおひなさまを飾る「子どもおひなさま」の店があり、とても楽しかったです。そのなかに幼稚園児くらいの男の子の作品で、雄びな雌びなのお顔の作りはそれこそ幼くて、すこしとんちんかんなのですが、それよりも、雄びなも雌びなも、互いに背をむけていたのにびっくり。この子のお父さんとお母さんは喧嘩していたのかな、と思いましたが、大人は背をむけたおひなさまを作ろうとは思いません。おそらく幼稚園の先生も困惑されたことでしょう。でも戸惑いや困惑は、創作そのものです。この坊やの将来が楽しみですね。
先日ある小説家が、小説を描くまえに、登場する人がどんな表情をするのかを、絵にすると聴きました。そしてその絵をまえに、小説を描くそうです。特にクライマックスでどんな表情をしているのか、というのがたいせつなのでしょうね。
わたしはいたずら描きが好きで、よく似顔絵も描きます。いつも無意識にその人への愛を描いているものです。悪意がないから、いたずらなのです。肩に力をいれず、ひょいと生まれるいたずら描きは、人より秀でたいばかりの絵よりも、人の心に届くことがあるのかもしれません。大人はいたずらが苦手ですが、たまにはいたずらをしてみても?
この季節は煌めく新緑から活力をいただきます。たわわに舞う藤棚の里をおとずれました。藤まつりたけなわ、多くのお客さんが花びらを傷つけまいと傘もささず小雨にうたれ、しだれて揺れる藤をめでていました。
備前焼きの小さなお店をみつけました。狭い国道に佇むそのお店は、店頭に大きな笑い入道のオブジェが三体飾られていました。いわゆる壺や花器の作品よりも、ユーモラスで芸術的なオブジェが目立ち、個性派らしい印象をうけます。上がり框のお座敷の手こね場と、引き戸の小さなお店が並んでいます。
「ごめんください、ちょっとみせてください」
と無人のような奥に声をかけると、九十くらいの綺麗なお婆ちゃんがでてこられました。備前は竹下夢二の古里ですが、そのお婆ちゃん、夢二の美人画にでてくる女の人が歳を重ねられたように、瓜実顔の綺麗な方でした。友だちへ引っ越し祝いのビアグラスをとさがしながら、ちらほら作品をみていると、太陽の塔のようなオブジェなど、使い目的のないアート作品が多いのが特徴で、それもいかにも芸術家然としたものでなく、なんともユーモラスなのが魅力的でした。焼き物の国宝展へいったことがあり、そのときうけた印象からはそのお店の作品はことなり、封建的な陶芸界にもしかすると対抗されたのか、作者のアナーキーな勇気にエールを送りたい気持ちになりました。
壁に備前で焼かれた女性の裸婦像がかけられていました。作家はおそらくお亡くなりになったであろうお爺ちゃんで、裸婦は目のまえで包装してくださってる備前小町にちがいない。
どんな恋をされたのかしら。ふたりユーモラスな焼き物のように笑顔を絶やさず、きっとすごく愛しあっていたのだろうな…… と空想しながら、「またきてね」と微笑んだくださったお婆ちゃんから、ステキな活力をいただきました。
最近、ふたつのデビュー作品を鑑賞しました。
チェーホフの長篇戯曲の処女作、『イワーノフ』。主人公は三十代半ばで人生に疲れ果てた、「泣きごとを云う不幸な人間」「余計者」です。
「ねえ、こういうことが僕は云いたいんですよ。うちにセミョーンという作男がいましたが、おぼえてるでしょう。ちょうど、麦打ちのときに、娘たちのまえで力自慢をしようとして、ライ麦の袋をふたつかついで体をこわしてしまった。まもなく死んでしまいましたがね。どうやら僕も無理をしすぎたような気がする。(略)背中にかついで、背骨が折れたんですよ」
と、主人公・イワーノフは友人に泣きごとを云います。イワーノフがむかしのように愛せなくなった病身の妻は、彼に新しい愛を与えようとする若い娘がいることをしり、意識を失い亡くなってしまいます。そうして、泣きごとを云いつづけてきたイワーノフにも、本当のやりきれなさがおとずれます。超人、特別な人たちに視線がむけられてきたドラマや映画は、見棄てられようとしています。どこにでもいる「余計者」の悩みを、丁寧に描くことのたいせつさを感じました。
もうひとつのデビュー作は、木下恵介監督のデビュー作品、『花咲く港』。原作は菊田一夫氏の戯曲です。太平洋戦争勃発のころ、九州甑島に、今は故人となった島の名士の遺児と称して、ふたりのペテン師がやってきたことから起こる大騒動の喜劇。ふたりのペテン師は、造船事業を再興したいと島民にもちかけ、資金を持ち逃げしようと企むのですが、生まれついての善良さと弱気のため逃げだせなくて、最後には彼らが島民を幸せにします。こちらも「余計者」が登場。「余計者」が人を幸せにする。この喜劇の流れは普遍的に人の心にぬくもりを与えてくれます。
惜しくも上映期間中に観られなかった黒木和雄監督の『父と暮らせば』を観ました。井上ひさし氏の戯曲を映画化された作品です。黒木監督には昨年、課外講座・放課後倶楽部にご来校いただき、鑑賞していますと、お人柄がふたたびじんわりと伝わってきました。父と娘が思いだすクライマックスのシーン。父は広島でまともに被爆し、横にいた娘に自分をおいて、「逃げろ、逃げろ」と云いました。娘は後ろ髪をひかれながらも逃げました。そのことを娘は今も悔いていて、自分だけが生きていることを恥ずかしく思っています。戯曲から映像へ。この父が「逃げろ、逃げろ」というシーンを回想にすることはありがちでしょうが、INGの演技だけで撮られていました。原田芳雄さんの演技がすばらしかった! 実際に多くの方が体験された被爆。回想にすることは、可能です。でも、安易です。観ていると、涙がとまらなくなってきました。
木下恵介監督の『カルメン故郷に帰る』を観ました。ご存じ、日本で初めてのカラー映画ですね。田舎の駅に列車が着き、降りてきたストリップダンサーのカルメンと女友だち。ふたりとも肌もあらわな極彩色の衣装。村人たちは沈んだ色調の野良衣装。色彩だけでいかにカルメンがこの村で、てんやわんやの憎めない事件を起こすのかが伺いしれ、これから映画をワクワクして観ていける期待感でいっぱいにさせてくれます。
テレビがカラーになった時代には、アニメをカラーで観られるワクワク感に多くの子どもたちが包まれました。技術の進歩は人に夢を与えるけれど、人を壊しもする。そして、にわかづくりは、人を壊してゆく。テレビで選挙でのマドンナたるや女性候補者をみていると、そんな風に思えてきました。刺客と呼ぶ方も呼ぶ方ですが、テレビ映りのための衣装や口紅のカラー選びに余念のない彼女たち。ロック歌手のマドンナは格好いいけれど、女性候補者にはやれやれといった気分になります。
人が壊れていきそうななかで、壊したくない気持ちはだれが埋めるのでしょう?
ひさしぶりにフェリーニの『道』を観ました。小説も読むたびに感慨が変わると云います。映画もそうです。ずいぶんまえには感じとれなかった感慨に包まれました。アンソニー・クイン演じる大男、ザンパノは、粗野で獣のような欲望しか持ちあわせない男と称されています。若いころは、まさしくそう感じていたのですが、今回は、そのような男に感じられませんでした。特に彼が変わった男というよりも、どのような男であろうと、男の奥にひそんでいる、男そのもののように感じられました。わたしもひねたものですね…… 八十歳か九十歳になったとき、また観てみましょう。きっとちがうように感じていることでしょう。
『道』ができるまでの記録を読みました。ジュリエット・マシーナのジェルソミーナが息吹くまでのプロセス。ジェルソミーナのセリフはほとんどなく、あってもふかい意味を持つものではないから、マシーナは動作に精根をこめ、変わった歩き方にこだわったそうです。軽やかなのは足だけで、両肩はずっしりした重みに抑えつけられていて、それまでの人生を引きずって歩くような印象に。また、フェリーニは口を閉じたまま笑うようにマシーナに指示しました。それは彼が子どものころのマシーナの写真を見て注目した表情なのだそうです。ジェルソミーナが大男と別れてついてこうか、どうしようかと迷った男がいます。その男が大男に殴られ死んでしまったとわかった瞬間、ジェルソミーナは指先をあごにあてて口を半開きにするのですが、それはマシーナが十歳のときにみた、死んだ我が子をみる女の写真が下敷きになっているそうです。
そこで、たちどまってしまいました。これほどひとりの女のイメージを創りだそうと瞑想するに価するほどのシナリオを、はたしてわたしたちは描こうとしているのかどうか? 悪い本から悪い映画は生まれても、いい本から悪い映画は生まれない、と云うけれど……
お世話になっている中華料理店「蓬莱閣」では、ご主人のジャッキーが料理を作られ、奥さんの紅梅(ホンメイ)ちゃんが給仕をされています。お店がお休みの日には、紅梅ちゃんが家族の料理を作られることがあるそうです。それは、お店でだせないような、伊勢海老に鮑に蟹にと、ふんだんに豪華な食材を使われた料理だとか。中国でも海に近いところで育った紅梅ちゃんは、海の幸を思いのたけ使われるそうです。いつもコストを思案して、リーズナブルな価格でメニューに載せられ、なおかつ美味しい料理を提供しようと頭を悩ませていらっしゃるご主人のジャッキーは、「コストの制限がないから、紅梅ちゃんの料理は美味しくてあたり前」と、ちょっと膨れ顔。
プロのシナリオとアマのシナリオ。アマチュアがノーコストでいいかと云うと、海外ロケ等がふんだんに描かれていると採用されません。特に放上映化を条件にしている懸賞では、最終審査近くでふるい落とされます。それは放上映化にあたっての制作費のコストですが、別の意味での、シナリオを描きあげるにあたってのコストとは? 資料集めにお金をかける。手間隙をかける。それもコストでしょう。でもお金をかけたからと云って、人間が描けることに直結するはずもありません。それでは、アマチュアこそが描ける作品とは? それは、プロにできないくらい喰いさがって人間を描こうとする熱意、人物に対する愛情、伝えたい気持ちです。喰いさがることもせず、表面的に、上手さにばかりとらわれて、いい加減なところで肝心の人間を愛さずに仕あげてしまっていては、経験を積んだプロに負けて当たり前です。
ジャッキーは膨れていたけれど、きっと紅梅ちゃんは、仕事がお休みの日には、美味しい料理を夫や子どもさんたちといっしょに食べたくて、コストもさることながら、愛をこめていらっしゃるのでしょう。
秋の夜長ではない季節音痴ですが、夜中に目が覚めると、嬉しくなってしまう癖がついています。静かな夜中。ぽっかり空いた時間を神さまにプレゼントされたような気分。そんなときに読むための本があります。フランスの哲学者・アランの『幸福論』という本です。ウイットとやさしさに充ちた人生への教訓が書かれています。先日、「ヘーゲルは、直接的な、もしくは自然的な魂は、つねに憂愁に包まれており、いわばおしつぶされている、と言っている」という文章を読みました。
いつも爽やかな人。いつもお洒落で、気配りと笑顔の絶えない大人の女性。そんな人が一人で町を歩いているのを垣間みたことがあります。とても悲しい表情をしていました。
いつもコケティッシュで反面あどけなくて、男の子から注目されている女の子。彼女は勉強家で、男の子を射止めることよりも、勉強が大好き。そんなビビッドな女の子の、一人ぽっちの後ろ姿を見たことがあります。斜め後ろから覗く眸は、不安と淋しさを湛えていました。憂愁とは、なんてステキなのでしょう。声をかけることも阻ませます。
あらゆる事件や出来事も、彼らの憂愁に包まれた魂を周囲が愛せなかったから起こるのでは? 魂は、おしつぶされたままエンドレスなのかも… 一人ぽっちでいる人。その人はどんな風にしているでしょう? なにかをしているのではなくても、仮になにかをしていても、眸はどんななのでしょう? なにを視つめているのでしょう?
女優の岸恵子さんがエッセイで、「影のある人がすくなくなってきた」と書いていらっしゃいました。彼女が愛したさまざまな男性の影を綴った本です。影はなぜすくなくなってきたのでしょう? 翳りのある男と云えば、愛してやまない『浮雲』の森雅之。あの狡さと弱さとやさしさとがまじりあった色気は、この頃はスクリーンでみられません。
吉田喜重監督の『秋津温泉』の舞台となった岡山県の奥津温泉へいってきました。恋の物語にふさわしい、清らかで凛とした滝の音が響くステキな山郷でした。
すこしいったところにウランガラスの美術館がありました。ウランガラスとは、ガラスにウランを混ぜて作った、黄色や緑色の色彩を放つガラスです。製造されはじめたのは一八三〇年代で、ウランが原子力に利用されるようになった一九四〇年代までにコップや花瓶、アクセサリーなどがヨーロッパ、アメリカで大量に製造されたそうです。今はウランを扱うことがむずかしいために、極少量が生産されているにすぎないそうですが、アンティークとして愛好家も多く、高値で取りひきされているそうです。
お日さまを浴びると透明なガラスの奥から色彩を放ち、ガラスが生きているかのような、とても美しいガラスです。おとずれたときにはガレをはじめとした、一九世紀から二〇世紀に至るヨーロッパ、アメリカのガラス美術展を開催していました。アールヌーボーの螺旋に、奥からの色彩の輝きがなんといえない美の世界をかもしだしていました。
ガラス博士のように詳しく丁寧にご解説くださったご高齢の紳士は、こよなくウランガラスを愛していらっしゃるご様子で、ひとつひとつの作品を愛でるごとくご解説いただき、たいへん勉強になりました。
「はい、一列に並んでください」
と、学校の先生のように几帳面な博士にいわれて、みしらぬ子どもづれの家族と教えに従うように並んでガレを鑑賞したものの、なんでこっちも几帳面になってんのかしらと、なんとも不思議な経験でしたが、心をこめて美の世界観を創りだしてきた芸術家の作品を心をこめてみてもらいたいという、熱い情熱をガラス博士から感じさせていただきました。
先日、故K先生の七回忌・偲ぶ会を有志でいたしました。お寺でお参りを済ませ、会食のお店へ。思ったよりも道のりはながく、夕暮れの道を黙々と列をなして歩きながら、心のなかでは当時のセンターへの思いをそれぞれが反芻しているかのようでした。漸く会場につき、ひとまず乾杯。センターと、K先生との出会いを語るスピーチへ。
それが、なんと、センターとのすばらしい出会いという内容よりも、「うさんくさいと思った」というスピーチ連続。「すばらしい学校」というよりも、「こんな変な学校はない!」という意見も。そうおっしゃったOさんはおん歳九十二歳。三十年センターにかよわれて、しかも人生経験ご豊富なOさんがつくづくそう思われるのですから、本当の本当に変な学校なのですよね! 変な、とか、うさんくさいとかいいながら、こんなに長いあいだ、家族のようにしてセンターでシナリオを勉強しているわたしたち。どんな褒め言葉よりも、この世にひとつきりの、信頼の言葉ですね。学び舎のあたたかさをつくってくださったK先生、今もわたしたちは、わいわい学んでいます。
高校時代に恩師から、
「ともに真面目に勉強した友人よりも、ともに悪いことをした悪友とは、ながく交友をあたためられる」
と教えられました。その先生は教師になられるまえに東京で編集のお仕事をなさっていて、映画研究家でもいらっしゃいます。木下恵介監督のワールドをわたしに紐解いてくださった、映画においても恩師です。わたしはその「悪しき友」の教えが大好きで、いつまでも心に残り、つい最近のこと先生に、「先生はむかし、こんなことを教えてくださいましたね」とお手紙を書きました。すると九十歳をこえられた先生から、このようなお返事をいただきました。
「悪しき友こそ尊べ。いいことは誰でも誘える。悪いことを誘いかけるのはよほどの信頼がなければできない。だから悪友というのは本当に自分を信頼し、ふかい人間関係を保ってくれている。だから悪友は大切。悪友と交じり合った自分を顧みて云ったんだな」と……。
尊敬する、すばらしい先生です。
わたしはセンターで、かけがえのない悪友を得ました。ともにシナリオの悪友でいましょう!
合宿で舞洲へいってきました。恒例のゼミや、朝まで飲み会、勉強会で疲れ果てて帰宅後、春眠夕暮れを覚えずして爆睡しました。前夜わりと早く眠ったわたしですが、わたし的には〝とことん舞洲〟でした。毎回、エンドレスに熱くかたられるシナリオ談義をみるにつけ、おなじ目的、夢があることはステキだなぁと思います。
下見に舞洲を訪れたのは冬の夜でした。舞洲へわたる手前に、オーストリアのアーティスト、フンデルトヴァッサーによる、前衛的なゴミ焼却施設があります。夜空に煌々と燃える焼却炉の、アートフルで不揃いな小窓。不思議な形の塔からもゆらゆら炎が揺らめいて。健さん、松田優作の『ブラック・レイン』を越える大阪の映画のシーンに使える、と思いました。
埋立地。人も車もいない真っ暗な未来道。観客もいないのにアートフルに強烈に燃えるゴミから、「秘密、逃亡、さすらい、悲恋」…そんなイメージが。でも、「秘密、逃亡、さすらい、悲恋」の筋書きは類型的で今さらという気になります。悲恋はやめて、ではハッピーエンド。どんなハッピーエンドがいい? パリの旧い因襲をくぐりぬけセーヌ河をふたりで前進する『ポンヌフの恋人』のハッピーエンド。刑務所の面会で恋人同士が互いを理解しあう『クライングゲーム』のハッピーエンド。やっぱ大阪は違うねんなぁ~ ではどんなハッピーを絵にしたい? どんな願いを発信したい? シナリオへの夢は広がり、とことん疲れたあとには、むくむく元気が湧きでてきました。
「良い小説とは果してどんな小説であるかを云うことは容易ではない。これに反してわるい小説はいずれも大体相似たところがある。それらは鋳型にはめられて作られたようなしろものである」
哲学者、アランの言葉です。鋳型にはめられていない舞洲のシーンが、大阪のハッピーが、みたい! 夜の舞洲シナリオハンティングにでかけてみませんか?
友人に付き添い病院へいきました。待ちあいには病に悩むたくさんの患者さんたちが。友人も病への不安に襲われています。医療関係者には当たり前の毎日の光景であっても、ひとりひとり、患者さんの不安はさまざまです。友人いわく、テレビもみたくないと。たしかにテレビは健康な人のための番組が多すぎます。それに、患者さんにとっては、悲惨すぎて目をそむけたくなる事件の報道ばかり。番組制作関係者にとっては、当たり前なのでしょうが。
さまざまな仕事の、さまざまな関係者が、自分の関係していることに勤勉で、あるときには自分のおかれたカテゴリーしかみえないといった姿勢は、辛い立場にいる人や、社会から閉ざされてしまいそうな人を窮地に追いやることのように思え、友人がテレビをみたくないと云った言葉が重くひびきました。
或る人が、ご主人の経営するブティックがうまくいかなくなって、夜逃げのように関西を去ったときのことを語っていました。だれからみても不幸このうえない夜逃げなのに、車のなかでご主人と今までの楽しかった思い出話を繰りかえし、ずっと笑えていたと。人からみると不幸極まる状況でも、愛する人となら、お互いの笑顔を取り戻したくなって冗談が云いあえるものです。
町にでれば若い人のためのお店。自由にお金が使える層を狙ったファッション。団塊の世代むけの企画。悠々自適のシルバー層向けのツアー案内。当たり前のことなのですが……
テレビをみたくないという友人には、ラジオをプレゼントしました。今度逢ったら、笑顔になれる話をたくさんしたいものです。
リディア・アヴィーロアという女性作家の『チェーホフとの恋』という小説を読みました。作者はペテルブルグに住む小説家を目指す主婦。チェーホフと出会い、十年間つづいた恋の物語です。送られてきた彼女の小説をチェーホフが読み、感想を送り、わからないことをまた彼女が送るという文通が十年間。すんでのところで不倫ドラマになりそうなのが、すれ違いやお邪魔虫があらわれて結ばれず、とチェーホフの喜劇タッチで恋愛劇が展開し、それだけに芸術で結ばれたふたりの絆が浮き彫りに描かれています。
チェーホフがリディアの小説を読んだ感想は……
「あなたはご自分の仕事にあまり苦労をなさらないように見受けられます」
「露骨にいうなら、もう新鮮味を失って、中古(ちゅうぶる)の作家群に入ると申し上げざるを得ない」
「ご自分の作品に余りにもわずかな時間しか費やされない。怠け者でいらっしゃる」
「日常の会話にだけ聞かれるような粗野な、見苦しい言葉を決して使われてはいけません」
などかなり手厳しく、また彼女のことを誠実に想っている手紙が送られています。でも、どの言葉もなんて耳に痛いのでしょうね!
一番、耳に痛いと思った言葉は、初対面のときチェーホフが彼女に云った、
「作家というものは、自分がみたり感じたりしたことを書かなければならないんですよ。まじめに、誠実にですよ」
という言葉です。みるということのたいせつさ。感じるということのたいせつさ。まじめに誠実に書くということの壮絶さ。一八八九年にはじまり一九〇四年にチェーホフが亡くなるまでのふたりの恋ですが、現代いっそうこだわるべき精神をこの本から学びました。
<朝の読書>運動が日本の学校でおこなわれているそうです。全校一斉に毎朝、授業やホームルームの始まるまえの十分間、先生も生徒も一緒に、それぞれが黙って本を読むそうです。ルールは…… みんなでやる。毎日やる。好きな本でいい。ただ読むだけ。ただし漫画や雑誌はのぞく。以来、<朝の読書>運動は広がり、今では全国で七千校を越え、子どもの読者数は二百万人に及ぶそうです。
漫画や雑誌をのぞいた本を読む人が減り、反対に携帯やパソコンを使って書きたい人が増え、とアンバランスな現象が起こっている今、子どものころからこういう習慣をもつことは、すばらしいことと思いました。この<朝の読書>を実践した子どもたちも成人になり、センターで一緒にシナリオを勉強できる日がやってきそうですね。
ゴールデンウィーク、わたしは部屋に引きこもり、読書三昧をしていました。テーマを決めて読まなければと不遜にも思いたち、喜劇を読むことに。チェーホフの短篇小説と、バルザックの『人間喜劇』を読みあさりました。喜劇が本当に一番むずかしいと思うからです。
十日間ほど、どっぷり喜劇にひたっていますと、ゴールデンウィークあけに、おもしろいなと思ったことがありました。気がつくと、わたしが、わたしを、喜劇の視線で視つめているのです。悲しいことがあったとします。悲しみさえ、喜劇の視線で視つめると、魔法にかかったように、人生の可笑しみ、味わい、やさしさと、紙一重の隣りあわせにいるような。
センターのあるあたりには『雨月物語』の作者の上田秋成が暮らしていたことがあったそうです。調べていくうちに上田秋成がとても風変わりでユニークなおじいさんであったことがわかってきて、ワクワク胸をときめかせています。
秋成は享保十九年に大阪に生まれ、自叙伝によれば、実父がだれか自分が生まれた時に生きていたかどうかもわからず、実母はというと商人の娘さんのヲサキさんという人で、もの心つかない四歳のときにヲサキさんに棄てられて堂島の商家の養子になり、青春時代はインテリの浮浪子(のらもの)として巷を荒れ放題に彷徨い、つぎは文筆家になり滑稽本をたくさん描いて、つぎは火事で家を失うと医者になり、その後、誤診をしてしまい幼い子どもが亡くなり、それを悔いて医者をやめ、晩年は極貧の生活のなかで知人への厭味や悪口を描いた「肝大小心録」を発表して非難轟轟の酷評を浴び……。それでもそんなことはどこ吹く風で、この淀川で世の中を真正面から拗ねて生きていた、風変わりな意地悪おじいさんだったそうです。
秋成の生涯の主題は、「常識から逸脱した人間を描くことによって、人間のなかにある妖異性と世界の不条理を描く」ことだったそうです。単に不思議なおどろおどろしい妖怪変化がでてくるだけでは、奇異なものを登場させたのにすぎません。なぜこの人には妖怪がみえるのか? その人のなかになにが棲みついているのか……
このところ和風ホラーが外国でリメイクされ関心をよんでいます。ホラーを描きたいという声もよく伺います。お化けや妖怪がでてきても、でてきたということだけにびっくりさせられるのではない作品が読みたいと思います。
連日三十度をうわまわる猛暑ですが、いかがお過ごしですか? 年々暑さの種類がことなってきているように感じられるうえに、各地では異常気象がつづきますね。どうぞあまり無理をなさらないように……
アイディアや文章を練るときにどんな工夫をされていますか? 机のまえでパソコンと睨めっこしているだけででてくるアイディアや文章は、案外広がりがないものが多いようですね。
千年ほどむかしの中国、宋の時代、政治家の欧陽修という方は、文章やアイディアを練るときは、三上(さんじょう)でなければならないと云われたそうです。三上とは……馬上(ばじょう)、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)。馬上とは移動中。今なら電車のなかなどでしょうね。枕の上とは、眠るまえや寝起き。眠るまえは空想や浪漫が、また寝起きは夢見によって想像力が膨らんだり、しゃっきり視界がひらけたりしそうですね。厠はおトイレ。ここも独りの世界にひたれて考えがまとまりそうです。
でも、この教えは単にこの三つの場所ですという意味ではなくて、すこし距離をおいたときにいい案が浮かぶという例えなのでしょう。確かになにごともそうです。そればっかりを視つめていると、そこからさきへ広がってゆきません。読み手の楽しみとは、よくできているかどうかよりも、キラッと光る魅惑的発見なのだと思います。ときには机を、パソコンを離れてみましょう!
わたしにとっての「三上」とはなにか…… 酒上、友上、旅上でしょうか? 友とお酒を汲みながら、旅をする、もしくは旅を語る。旅と旅行とはことなります。生きてることが旅なのでしょうか? 明日はどんなシナリオに出会えるでしょう?
我が家をリフォームしました。その際、壁の職人さんやカーテン職人さん等、何人かの職人さんがいらっしゃいました。観察していると、とっても面白かったです。
会社勤めの職人さんは悲しいかな、「ザ・職人」と云う個性が発揮できないようです。時間内にしあげなければ上司や社長さんに怒られるし、同時進行の他の仕事もあるし、内心は不満足でも仕事にピリオドを打たれます。個人の職人さんのなかには、「納得いかないので、もう一度やらせてください」とおっしゃって、時間がかかろうと満足のゆく仕事をなさる方もいらっしゃいました。むかし気質の職人さんのイメージというと、自分のプライドにかけて不満足な仕事はしない、という意気地というものがあったようです。その意気地が格好いい。お金勘定ではなくて自分の仕事に惚れて生きている姿って、ホント惚れ惚れするくらい格好いい。このせちがらい世の中、ザ・職人も希少価値とつくづく……
カーテン職人さんは一番面白かったです。カーテンを恋人みたいに愛されています。ご自分のとりつけられたカーテンを別の用事で後日来られたときにみつめて、「美しい!」とじ~っとりウルウル。恍惚忘我の表情でした。それからわたしがカーテンレールにすこしだけ洗濯物のハンガーを干していたら、「これはカーテンのためのレールなのです!」と、すごく怒ってらっしゃいました。お願い、カーテンをあなどらないで! カーテンをたいせつにして! と、ほとんどカーテンオタクのカーテン屋さんは心のなかで叫んでいらっしゃいます。とりつけるまえには床に寝かせたカーテンにむかって背筋をのばしてひざまずき、おごそかにカーテンを抱きおこし、それはカーテン姫にご自分を捧げる西洋の騎士のごとく。ザ・職人は面白い人ばっかり!
先日、高架下の小さな割烹料理屋さんへいったときのこと、カウンターでかいがいしく働いていらっしゃるおばあちゃんの、たわわにつやつや輝いた黒髪が目にとまりました。連れていってくださった方に伺いますと、息子さんと一緒にそのお店を営んでいらっしゃるお母さんとのこと。テーブルへ品を運んでこられたので、「綺麗な髪の毛ですね」とついお声をかけますと、その秘訣は、毎日毎日、髪の毛をとにかく丁寧に丁寧にかまってやるとのことでした。お母さんは、「ていねいに」とはいわないで、「てぇぇねぇいにぃ」と目をほそめて大阪弁で教えてくださいました。櫛やブラシは使わずに、掌にお湯とすこしの油をふくませて、てぇぇねぇいにぃ、かまってやるとのこと。な~るほど! と感心しました。
髪の毛に限らず、てぇぇねぇいにぃ、かまってあげることで、いろんないろんなことがたわわにつやつや輝いてゆくのかも… お母さんにステキな元気をいただきました。この「てぇぇねぇいにぃ」という大阪弁は、デリケートに、という意味かもしれませんね。
或る夜、シャンソンのCDをひとりでぼんやり聴いていたら、ステキな詩に出会いました。ご存じの方もいらっしゃるかも……
水はつかめません 水はすくうのです 指をぴったりはりつけて そっと大切に 水はつかめません 水はつつむのです 二つの手の中にも そっと大切に 水のこころも 人のこころも 見えないもの つかめないもの この世にいっぱいある 見えないもの つかめないもののなかで生きている (「水のこころ」高田敏子 詩)
そのシャンソン歌手の女性は、今、お母さんの介護生活と歌手を両立なさっている方です。歌声からは、お母さんのこころと向きあっていらっしゃるやさしさが……
ぶらり鄙びた町へひとり旅にでました。ついたころはもう夜も更けていて、三両編成の各駅停車が停まる無人駅の周辺は、ふかい闇につつまれていました。夜は本当は暗かったとあらためて…… ふかい闇はあたたかみのあるものとあらためて……
アーケードの屋根も吹き抜けになってしまっている、寂れた商店街をすこしはいった処にある、小さな旅館に泊まりました。女将さんに伺いますと、なんと十七世紀なかごろにその旅館はできたそうです。今は寂れた印象の木造建築の旅館ですが、かつては魯山人や名だたる文人も多く泊まられたとのことでした。日本の土の香りと懐かしさを求めて、今もヨーロッパからお客さんがおとずれてこられるそうです。
女将さんにつきそいお料理をだしてくださったのは、長女のお嬢さん。わたしの泊まった部屋の裏庭越しの小さな別部屋に永く泊まられては文筆に励まれていたのが、時代小説家のS氏と伺いました。S氏はいつも、その旅館の長女である、幼いお嬢さんをお風呂にいれてあげていらしたそうです。「旅館の子どもはゆっくりお風呂に入れないから」と云われては、一緒にお風呂につかっていらっしゃったとのこと。
どこの子どももお母さんには甘えたいし、でもお母さんは旅館の女将さんだし、女将さんはお客さんが一番だし、と幼女の淋しさを汲みとって、一緒にお風呂につかっていらっしゃった、包みこむようなあたたかさに、懐かしい人のやさしさと、今は亡きS氏の小説の世界観を感じました。人の本質は、亡くなられたあとも継がれるものですね。
現在、長女のお嬢さんは旅館を継がれる決心をされて、女将さんを手伝っていらっしゃいます。鄙びたその町ではいたる処に緋色の毛氈が敷かれ、ふるいおひなさまが飾られていました。
なににも遭遇しないなぁ……と思っていたら、或る事件? が。
散歩道に狭い路地があります。その路地の長屋の一軒家にのんびり屋さんの太った猫が棲んでいました。人なつっこくて大らかな性格で、路地のど真んなかでひっくり返って寝そべっていました。自動車が近づいてこようが、へいっちゃらです。大らかそうでものすごく太ったお婆ちゃんが飼い主でした。お婆ちゃんはお爺ちゃんとふたり棲まいでした。その家の玄関のまえには素朴な植木鉢が処狭しと並んでいて、のどかな空気が満喫していました。
ところが或る日、植木の群れが姿を消し、のんびり猫ちゃんと太ったお婆ちゃんの姿も消え、どうされたのかしらと思っていると数ヵ月後のこと、いたのです、のんびり猫ちゃんが。
あいかわらずのんびり近づいてきたのですが、よぉくみると片眼がつぶれていて、にゃあ、となにか訴えるように鳴きました。それからまたのんびり猫ちゃんの姿も、植木の群れもないままの日々がつづいた数ヶ月後、子猫が長屋のまえにいたのです。猫にもDNAがあるとみえ、先代の猫ちゃんと同じ性格。にゃあ、やら、ふにゃあ、やら、人なつっこくすり寄ってきます。
ところが子猫ちゃんにも逢えないなぁと思う数ヶ月かがまた過ぎ、その間にはぽちぽちと植木も飾られるようになってゆきました。つい先日のこと、ひさしぶりに子猫ちゃんが長屋の玄関の隙間からにゃあとでてきました。「いてたねぇ」と話しかけようとすると、つづいて小奇麗な小さなお婆ちゃんが玄関からでてきました。小奇麗なお婆ちゃんのお化粧があまりに濃いいので、私はすこし戸惑いました。
お爺ちゃんは新しいお婆ちゃんと棲みはじめたのかしら。それも勝手だけれど……先代ののんびり猫ちゃんの片眼はなぜつぶされたのかしら…… など、さまざまに想像してしまう物語好きなんて、本当に勝手なお世話ですね。
昨年の六月ごろ、冷え性予防にと、通販でシルクのソックスを買い求めました。すると、長野県で繭を紡いでいる小さなパパママ工房から、ふんわりあたたかいソックスが届きました。届いたボックスからソックスを取りだしてみると、その下に小さなかわいらしい封筒が入っていて、なかに朝顔の種が入れられていました。工房の奥さんからの手紙も添えられて……
「我が家の庭のフェンス代わりにしている朝顔の種です。どうぞ植えてみてください」と。
昨年三月に亡くした父を、お盆には、我が家のベランダへ、いっぱいの朝顔で迎えよう…… そう思いたち、ベランダのプランターに朝顔の種を撒きました。とても強い品種のようで、八月にはたくさんの花を咲かせ、そのまま今年の一月末ぐらいまで咲きほこっていました。そして二月には枯れ、三月四月にかけて種をたくさんつけたので、またその種を摘み、五月のゴールデンウィークにまた今年も植えました。今は蔓がベランダでのびのび陽を浴び、開花しそうです。ベランダのミニ薔薇や小菊の元には、亡くなられたセンターのОさんからいただいたかわいらしい子猿のお人形もいます。
あたたかくて粋なことをされる絹工房の奥さんだと感心しました。ぽんぽんとクリックして用だけは足せられるネットですが、その人の体温を伝えたいという気持ちをたいせつにすれば、伝えられるものですね。ずっとずっと朝顔を咲かせようと思います。
お正月は京都へ初詣にいきました。その帰り、同行した高校時代の友だちといっしょに、小さなホテルのバーにいきました。カウンターでカクテルをいただいていますと、ひとつあいた席に青年がひとり、空気のようにするりとすべり込んで、坐りました。その坐り方や、カクテルのたのみ方の、今どきの青年としては珍しいさりげなさが、サマになっているなぁと思いました。バーテンダーと彼との会話を聴いていますと、仕事をしている関東から岡山のおじいちゃん、おばあちゃんに逢いにいく道中のひとり旅とのこと。京都、神戸、大阪と一泊ずつ泊まったあとで、岡山へ向かうとのことでした。ホテルのバーは洋酒の種類も多く、安心して楽しめるとよく聴きますが、女性目当てのお店へいくのでもなく、また、自販機やコンビニでお酒を買って、自分の部屋で飲むのでもなく、ごく自然な空気とともにバーへひとりでくる、つまり独りを楽しむ粋さ加減がステキな青年だなぁと思いました。あとはわたしも友だちも彼と仲良しになり、「青年よ、いい大人になりたまえよっ」とばかりに、ウイスキーを奢っちゃったりしたのでした。
「酩酊は一時の発狂なり」とはピタゴラスの言葉。「酒が考えだすものは何もない。しゃべり散らすだけだ」とはシラーの言葉。「酒は朋友の徳あり」とは曽我物語のなかの言葉。「酒は人間そのものに外ならぬ」とはボードレールの言葉…… 佳き人生のための佳きお酒をいただきたいものですね。
みなみのスーパー銭湯へいきました。ものすごく大規模で、飲食設備や仮眠ルーム、プール、岩盤浴、スポーツジムまであります。女湯の脱衣ルームにいると、おばあちゃんのお客さんが店の人に、
「さっき男の人、ここに入ってきたで! 怒鳴ったら、でていったわ!」
と苦情を叫んでいました。店の人は「すみません」と謝っていたものの、本当のところは「またか」という感じ。フロアーが男女ことなるので、明らかに故意によるのぞきと思えます。さすが大阪、と思いました。女湯の脱衣場をのぞくなんてベタもいいところですが、それでも絶えないというのも、ならではですね。
このごろは厳しくなりましたが、駐禁の場所に車を停める人も大阪がトップで、信号無視も大阪がトップ、早く歩くのでも大阪がトップと、ひとむかしまえには云われていました。お約束ごとが嫌いな人が多いのでしょうか?
そんななかで、しっかりお約束ごとを守っていると感心させられるのが、串カツ屋での「ソース二度づけお断りします」のお約束です。たいてい「お断り」の文字が赤字でしっかり書かれています。そしてまた、「キャベツは手で食べてください」というお約束も、きちんと守られています。それは残ったキャベツを次のお客さんにだしたいからなのだそうですね。お約束ごとの嫌いな大阪 人も、串カツ屋のお約束ごとだけはきちんと守る、その理由は、なになのでしょう。
串カツ屋さんは庶民の店なので、庶民どうし仲良く、守って欲しいことは守ってあげよやないか、といった気持ちが勝っているのではないでしょうか? これが気取ったセレブな店で、ああしろ、こうしろ、と客に命令をくだしたものなら、「なんぼのもんじゃい」とばかりに反抗したくなりますよね。なお、宿題の原稿ですが、締め切りのお約束ごとは守りましょうね!
画家であり風俗研究家でもある岩田準一(明治三十三年~昭和二十年)の記念館、「鳥羽みなとまち文学館」へいきました。同氏は竹久夢二と江戸川乱歩のふたりの巨匠を魅了した鳥羽の奇才と呼ばれている人です。たいへんな美貌の青年だそうで、両巨匠を魅了したとしり、とても興味を抱きました。竹久夢二、江戸川乱歩、ふたりの大好きな芸術家の接点が同氏としり、これはなにをさておきと焦燥感に駈られ、鳥羽へむかったのでした。といっても、ほんのささやかな「わたしさがしの旅」にすぎないのですが…
鳥羽駅の裏路地にある記念館は想像をこえて、世界観への憧れをふくらませてくれました。むかうにあたり、今一度むかし読んだ『孤島の鬼』を読みかえしました。乱歩が岩田氏から影響を大いに受けたと呼ばれている小説です。『孤島の鬼』には三重の島は登場しますが、土地のみならず、多くの感性のインスピレーションを受けて生まれた小説であると感じることができました。むかし読んだときには、そのおどろおどろしさにショックを受けたのですが、今回読みなおし、鳥羽へゆき、読者を驚かすことがテーマではなかったことを発見できました。今、ホラーは人気のジャンルですが、さすが乱歩先生! と感銘あらためて。
巨匠ピカソも恋のパートナーを変えるたびに新たな芸術を生んでいますが、環境を一新することにより、新たな世界観を生みだしてゆくことは、多くの芸術家がチャレンジし、もがきのたうち、営んできたことだろうと思います。乱歩であれ、夢二であれ、岩田準一からの影響は否めないと思いました。と云ってピカソのように、闘牛士が混沌たるこの世の牛と格闘するがごとく、命がけで恋と芸術を求めて生きる覚悟は、凡人にもてることではありません。或る女流小説家は、お医者さんにホルモン注射をうってもらってから、恋愛小説を描きはじめるとか……
五月、厳しかった冬を越え、新緑はかがやき、力強く花は咲きます。センターへの路のりにある小さな民家の不揃いの鉢には、可愛い小花が生き生きと咲きほこっています。長屋に暮らすおじいちゃん、おばあちゃんたちが、たいせつに育てられている小花です。
道すがら高架があり、そのしたには頻繁に車のゆきかう窪んだ道路があるのですが、ここ数年絶やさずずっと、高架をすぎた角に、花束が置かれていました。おそらくそこで事故に遭われた方のご遺族が、たむけていらっしゃったのだろうと思います。ところが昨年の夏、そこへ役所の下請けの人たちがきて、冠水警報機をとりつける工事をしました。その際に絶やさずたむけられていた花束は邪魔になったのか、同時にすぐ傍に作られた鍵つきの金柵のなかへ、放り投げるように捨てられていました。よこをとおると、猛暑のなか、朽ち果ててゆく花束が毎日、視界に映りました。なぜもっと別の方法で、花束をそっとのけてあげることができなかったのでしょう。
震災後、「今できることは……」と連日テレビで問いかけていますが、現実は、「今できること」のまえに、「いつもしてはいけないこと」が忘れられているのではないかと、その花束を思うと哀しくなります。工事をした人には、おそらく花束ひとつの処理のために、仕事がのろいと叱咤される事情があったのかもしれませんが、そのことはひいては、仕事でへまをしないため、仕事を請けあえるため、スピーディな業務遂行のため、お金を儲けるため、それらのためなら、他のことは見捨てなければならないことに繋がります。もしそうならば、常日ごろ暮らしてゆくことは哀しみに充ちています。
テレビでは「被災地にも桜が咲きました」と、満面の笑顔でミニスカートの気象予報士が報道していました。被災地の今年の桜を、ふかい哀しみに充ちて視つめる人も被災地にはいらっしゃるのに……
水辺のくさむらに、舞うことをまちながら佇んでいる、淡い蛍の灯りをたくさんみつけました。六月も中旬をすぎると幻想的な灯りをはなち舞う蛍。今はその力をたくわえているかのように、しっかりふかく煌き、群生していました。この蛍が生命力をみなぎらせて夜空を舞うころには、夏の準備もととのっていることでしょう。
蛍の叙情はおおくの文学を生んでいます。和歌、俳句をはじめ、小説や映画に蛍はモチーフとして使われてきました。儚くも、失せるに失せない想いや、ときに命のあらわれとして、映像的にも効果的なモチーフです。とくに日本人にとっては、蛍の灯りはえもいわれぬ雰囲気をかもしだします。それは、情念でしょうか。
情念とは…… デカルトによれば、肉体内における動物精気により惹きおこされる受動の意識で、生きている人間内に源を発する粗暴な驚異・愛・憎・欲望・悦び・悲しみであり、これらは理性により規制されなければならぬと説かれています。そこで理性で抑制できない人のさがが、芸術では永遠のテーマとして描きつづけられ…… と云うわけで、蒸し暑い六月の早朝から頬杖をついて情念について考えていると、寝ちがいのように首と肩の調子がわるくなりました。情念に想いをはせるのにも年齢との戦いがあるのかな、と、ちょっとショック! 昭和の時代のゼミでは、のんびりと、情念と情熱はどうちがうのかなどと、みんなで語りあっていたことを思いだしました。
舞う蛍、風鈴の音、すだれ、葦、打ち水、夏の風物詩も今夏はどうなることやらと云う、政局につけ余震につけ、気持ちをおちつかなくさせる日々がつづきます。でも今年は、風物詩の出番といった年になるかもしれません。節電もお年寄りやお体の芳しくない方のためには、やさしくありたいものです。どうぞご家族ともども、今夏を乗りこえてくださいね!
あるご婦人から、彼女が少女だったころ、畦道に咲く彼岸花を、なんて綺麗な花なんだろうと摘んで家へもって帰ったところ、お母さんから「こんな花を摘んできたらだめよ、棄ててらっしゃい」と叱られたお話を聴いたことがあります。彼岸花は忌み花。家にもち帰ると火事になるなどと、むかしの人はいい伝えていたそうですね。
ベランダに彼岸花がみごとに咲きました。白と赤。お彼岸にも亡き父にやってきてもらいたくて、一昨年、園芸用のスペイン産のリコリスという球根を植えたのでした。それにしてもこの花は、申しあわせたように本当にぴったりお彼岸の日に咲くので、不思議です。あまりに綺麗なので、部屋にもたくさん飾りました。眺めていると、忌み花と呼ばれているこの花がすこしかわいそうに思えてきました。人が勝手に忌み花と決めただけで、そんな伝えを彼岸花はしらずに咲いているのに……。日本人は桜といえば大喜びするのに、こんなに綺麗な花をきらうなんて……。近所の公園にも、町内会の方が植えられたのか、たくさんの彼岸花の群れがみごとに咲き誇っていました。
そうそう、忌み言葉というのもありますね。落ちる、転ぶ、別れる、切れる、流れる、枯れる、崩れる、折れる等々。結婚式等ではタブーの、不吉な言葉ですが、よく考えると、厄転じて福と成す。
植物どうしにも相性があり、おなじプランターでよせ植えをするのにも、根が喧嘩してしまうことがあるそうです。「あんたなんか、きらいよ」と或る花は或る花に文句を云って、よせつけないのでしょうね。でも、そうでない限り、「あんたなんか咲かなきゃいいのに」と花が花に思うことはないでしょう。咲いているのに、ただ生きているだけなのに、「あんたなんか邪魔よ」と人に思ったりする人間は、淋しい生き物ですね。花には心が癒されます。
紅葉にすこし早いこの季節ですが、満喫されていますか? 夏の猛暑の疲れを、この季節にはすっかり癒してあげたいですね。滋養もたくさん摂りましょう。夏のおわりにベランダのプランターに植えたブーゲンビリアが、秋をしらせてくれています。小さな白い花をつつむ苞が、夏には南国を思わせるあでやかなショッキングピンクだったのが、秋にはくすんだ赤ワイン色に色変わりしています。花も秋思に染まり……
山里で草木染をなさっている知人の工房を訪れました。かつては町中で呉服商をなさっていたのですが、或るときご家族とともに山里へ。今は工房兼ご自宅の周辺の草木を摘み、と云うよりも、山と木々と自然と格闘されて、草木染をなさっています。
伺ったお話で印象に残る、補色のお話がありました。着物の染めでは補色をつかうことをきらう習いがあるそうです。補色というのは色の構成で対極にあたるもの。なぜ着物でつかわないのかというと、下手をすると下品になるからだそうです。ところが、その方は山里に棲まれて、自然の色に補色の配色がおおいことに気づかれ、疑問を抱くようになられたそうです。昆虫ならば玉虫が代表的であり、その他の虫や草花も、対極の色が配色されていることがおおく、また、夕焼けや暗闇に迫る時間帯の空も、すこしずつ変わる色は、対極をあらわしながらも、けっしていやらしくなく、逆に人の心をうつ力があるのではないかと、思われるようになられたそうです。そして草木染をする人のあいだでは、一般的にことなる染料をかさねてゆくことを邪道とする人がおおいそうなのですが、その方は、おなじ土から生まれた植物どうしなら決して喧嘩することはないはずとの思いから、補色も含め九つの草木をかさねて染められた布のしあがりをみせてくださいました。すばらしい布でした。
空を眺め、我を思い、人を思い、ものをつくる…… 見習いたいものです。
福岡県筑紫野市にある博多織献上館という処をおとずれました。博多織の帯や着尺が展示販売されている施設で、となりの工房では職人さんが実際に織っていらっしゃいます。博多織は、鎌倉時代に中国にわたったお坊さんの一行に加わった人が持ちかえった織物技法がもととなり、のちに慶長五年、筑前を領有するようになった黒田長政により幕府へ博多帯を献上したことにより、博多の地名と博多帯が日本中にしられるようになったそうです。
博多織帯職人さんには、「職人は鳴かせて一人前」という言葉があるそうです。織る工程は、あらかじめ何千本もの縦糸の配列を決めておき、その縦糸が柄を織り、そこにふとい緯糸をしっかり打ちこむ方法だそうです。縦糸に緯糸を打ちこむ力強さとふかい経験が職人さんに求められ、一人前と呼ばれる職人さんの帯からは、締める時にキュキュッと絹ズレの鳴き音がたつそうです。絹と絹が擦れあって「絹鳴り」のする、それでいて絞め易い帯を織ってこそ一人前というところから、「鳴かせて一人前」といわれているそうです。
実際に博多帯を締めてみました。キュキュッと冴えわたった、絹が生きているような鳴き声をたてます。そして一度絞めると、もののみごとにくずれないのです。「絹擦れ」という言葉が文章で使われるとき、帯をほどく男性目線のエロティシズムに使われることが多い印象を抱いていましたが、この博多織職人のこだわる「絹鳴り」という言葉からは、職人さんの真剣さと、使う人への思いやりを感じます。男の人の二面性を絹は教えてくれるのでしょうか? 絹鳴りとともに絞めると職人さんの魂が伝わり、凛とした気持ちになりました。
我が家からすこし歩いた町角に、小さなパン屋さんがあります。店さきのショーケースには美味しそうなパンが並んでいて、おとなしそうな、ちょっとパンのような、色白のふっくらした奥さんが売り子さんをしていらっしゃいました。それが或る日、モダンなお店に改装されたときから、厳格そうな、ご主人と思わしき男性もいらっしゃるようになりました。まえは奥さんがひとりでのんびりほんわか、販売されていたのが、ご主人が店にでられてから、奥さんはいつもひきつめた表情をされるようになりました。
或る日、わたしがパンを買ったときのこと。奥さんがパンを包んでらっしゃるあいだに突風が吹き、ショーケースのうえにわたしが置いた千円札が飛び去りました。わたしは奥さんに伝え、お札を探しに走りました。お札は隣のガレージの自動車の奥まで飛んでいたのですが、人が入れないぐらい狭いガレージで、お札は取れそうになく、わたしは四苦八苦していました。すると奥さんが長い竹の箒を持ってきてくださって、一所懸命お札を箒で取りだしてくださいました。わたしと奥さんのふたりで、良かった、ありがとうございました、とパン屋へ戻ると、ご主人のご機嫌は一層悪かったようで、奥さんをギロッと一睨み。お金にもならない、つまらんことをして、とご主人の心の声が聴こえました。それから数ヶ月、ご主人の姿は店から消え、ふたたび奥さんはのんびりほんわかした表情に戻り、そして、かわいらしい丸い大きな貝殻のペーパーウェイトがショーケースの上に置かれるようになりました。お客さんがショーケースのうえに置いたお札をペーパーウェイトは守っています。
これはわたしからみたパン屋さんのドラマです。ご夫婦かどうかも定かではありません。つい、勝手に想像がふくらんで、ごめんなさい。箒でお札を取りだしてくださった奥さんのやさしさは、お店のパンのふっくら感にかさなります。
先日、車椅子生活をしている母のおともをして、杖を買いにいきました。メイド・イン・ジャパンのそのお店にはきらきら光るスワロフスキーが彩られていたり、柔らかいゼブラの毛皮でやさしく手の甲を包むデザインが施されていたり、おしゃれな杖が並んでいました。
そのブランドは、さほどお歳ではない美しい女性が経営されています。もともとインポートセレクトショップを営み、国内外へと買いつけのお仕事をなさっていたところ、或る日突然、難病にかかられ、自らが杖を使用することになられたそうです。そこで気づかれたのが、日本の杖は介護用のものが主流であり、デザイン性の高い杖がすくないこと。それまでのファッション知識と難病のご体験を活かして、ファッションアイテムとしても使え、なおかつ安全性を備え、楽しく持って歩きたくなる日本発信の新たなステッキを作ることを決意されたそうです。
介護用品の専門店にいったことがありますが、実用一点張りで、夢のない品物ばかり並んでいたのには、手をのばすことができませんでした。いくつになっても、どのような状況になっても、その人らしさは尊重すべきです。おそらく外国製のステッキを試された方も多いと思いますが、日本人の身長体重をしっかりふまえ、その人をしっかり支えることを第一条件として、それでいて日本人に似合う色合いの杖には、たくさんの方が生活の彩りの魔法にかかることと思います。なにごとも一点張りに走ってしまう日本人の特性には反省点も多々……。
母は、「車椅子なのに杖が欲しいなんて、ごめんなさい」と、なぜかお店の人に申し訳なさそうに云いながら、きらきら眸を輝かせて、杖を選んでいました。「杖を買うときは、必ずつきあってね」と母から云われていたのですが、わたしもステキなデザインの杖の、すっかりとりこになりました。
「あれあれ、下駄の音がするよ」と、女あるじが店の奥からにこにことでてこられたのは、昨年末に博多織の記念館をおとずれたときのことでした。旅行のときにはよく着物を着ます。地方にいくとお宮様に参ることが多く、玉砂利を歩くと草履が傷つきます。そこで冬でも下駄をはくのですが、おとずれてくる人の音に耳を澄ますなど、わたしには日ごろできないことです。なにやら時代劇のようで、日々の出会いのなかで、その人の音に耳を澄ましてみるのはステキなことだと思いました。
ともすればかろきねたみのきざし来る
日がなかなしくものなど縫はむ
この岡本かの子の歌は、妻が手縫いしながら夫を待っている気持ちを詠んだ歌です。
今のように、リビングに大型液晶テレビが陣取っているわけでもなく、お笑いやバラエティが哀しみをその場凌ぎで忘れさせてくれるわけでもなく、ただ手縫いしながら夫の帰ってくる音に耳を澄ましている妻。儚くて、辛くて、いいなぁと思います。ああでもない、こうでもない、と思いのかさなる女の人のかろきねたみが伝わります。静まりかえった夜更けには、夫の下駄の音が遠くから近づいてきて、ご近所に迷惑をかけないようにそぉっと開けられる玄関の横開き戸の音。静かだと妬みもふかいでしょうけれど、思いの馳せぐあいもふかいことでしょう。
あなたの愛する人の近づいてくる音をしっていますか? あなたが愛した故人の音を覚えていますか?
十代の生徒さんたちはお昼ご飯のあとなのでうつらうつらと眠たそう。そこでわたしが「なにもしていない人ってほんとに、いないですね」というと、みんなむくむく頭をあげて、変なオバサン、とわたしを睨みました。
と云うのは、電車やカフェの中で、なにもしていない人がいませんね、と云いたかったからです。携帯、スマフォに釘づけ。指も大忙し。ちょっと、ちょっと、桜も、青空もみてください、流れる雲も…… 草木やものがなにかをしようと思っていたなら、ものすごい数の目的が空気をゆきかい、息がつまりそうですね。人間だけの本能なのでしょう。フェイスブックには「今なにしてる?」とあり、なにもしていないのは、現代ではかなりの変人になってしまうのかしらと、不理解がムズムズ。
目的といえば、「将来、なにになりたいですか?」という問いに、小学生のわたしは隣の席のケイコちゃんから、「なに書いたらええかわからへん」と相談をうけました。ケイコちゃんはいつも鼻を垂らしていたのですが、とても可愛いので、「ファッションモデルにしといたらええやん」と答えて、そのままケイコちゃんは書きました。わたしはなににしようかと考えて、「残りもので美味しい料理が作れるお手伝いさん」と書きました。ちょっと変わった子どもだったようですが、きっとそのころ、残りもので料理を作ると、母に、美味しいね、上手やね、と誉めてもらっていたからだと思います。母は安くついて喜んでいただけなんでしょうね。
なにもしていない人が、薄墨の雲につつまれた山里に棲む仙人のお爺さんに限らず、むかし、夏の夕暮れどきの軒先で、なにもしないで団扇で暑さを凌いでいる、クレープのシュミーズ姿のお婆ちゃんをよくみかけました。おっぱいなんかまさしく垂乳根で、半分以上みえていたけれど、そんなの平気なおばあちゃんでした。なにもしていないのが一番かっこよくてサマになっている人といえば、なんといっても笠智衆です。杉さま、ヨンさま、いろいろ「さま」はいても、わたしは断然、りゅうさま派です。りゅうさまがジムで筋トレしていたらほんとに幻滅。小津安二郎が外国で評価されるのも、なにもしていない人を視つめる視線なのかもしれません。夜のとばりに秋の音が…… 今、なにもしてないよ。
友だちのセカンドルームさがしにつきあいました。澱んだ川辺でひとり暮らしをする彼女曰く、「山でも海でもいい、超ボロ家でいい、いい空気が吸いたいぃ!」と。おかげで山へ海へと、ツアーへ。
六甲山中にひっそり佇む中古マンションには以前のご夫婦の荷物がのこっていました。壁を覆いきってしまうほどの大きな額に飾られた絵画。マホガニーのダイニングテーブル。冷蔵庫くらいの大きさのスピーカーがごろごろ。ウォーキングクローゼットを埋めるヴィトンのスーツケース群。なんじゃ、こりゃバブル? って感じなのですが、ご夫婦の映像が浮かんできました。書籍棚には経営者論の全集。おそらく社長さんだったのでしょう。奥さまは古着のお着物が好きとみえて、骨董品の漆の小箪笥の抽斗から朱縮緬絞りの帯揚げがこぼれていました。わたしに浮かんだ映像では、ご主人はロマンスグレーで、髭もダンディ。奥さまはかなり年下。可愛い小さな市松人形さんみたいな女性です。ときには北野坂あたりへジャズのライブにでかけ、六甲へ戻ったあともふたりで語りなおし、そしてこんなときにはウィスキーとジャズが似合うのでしょうね。さまざまな時を経たように、ベッドのよこに介護用の簡易ベッドがより添っていました。片づけもせず慌しくでていかれた痕跡に、だからこそ、ときはたいせつにすべきと教わったような気持ちがしました。
そうするうちに夜更けになり、急遽友達と宿をとりました。寅さんのように急遽宿をとるのも、楽しいものです。でも垣間みたリッチな世界から一挙に現実にひき戻され、そこは襖も破けている鄙びた宿舎。これがまた楽しかった! 「つまんない話なんだけど」と彼女が手酌で語りはじめたのは、むかし、お金の苦労をしていたときにお世話になった工場の社長さんに、今もすごくご恩を感じていて、そして涙ぐみながら、でもそれってほとんど意地なのかもしれないと云う話で、わたしは「つまんない話」はいいもんだなと、これまた手酌。佳き友と佳きときを……
或る島につくと港では、アートなオブジェがお迎えのようにして海を臨んでいました。その島が芸術の島に変身して数年たっています。ひょっこりひょうたん島探検記を書くつもりでひょっこりおとずれてみたのは、フェリーの帰りが最終便になってしまう夕暮れすぎ。お客も乗っていないバスで島を巡ると、数ある美術館も閉館したあとでした。島の半分には漁師さんが暮らす旧い民家が並び、反対の半分にはあたらしくできた洒落た施設や蔦のからんだカフェや洋館がぽつぽつ。それもそのはず、この島を芸術の島に模様変えしたあと、芸術家や外国人がたくさん棲むようになったそうです。新旧織りなしているのかいないのか、不思議な空気に違和感をおぼえつつ港へもどりましたが待ち時間があり喫茶店を捜したところみあたらず、食堂やらスナックやらわからないレトロかつアラビアンナイト風の小さなお店に入りました。
そこにいたのです、透け透けサイケファッションのマシンガントークのお婆ちゃんが! 入るなり「カラオケ歌う? 何万曲もあるんやから」客もいない店で入ってすぐにしらふで歌えるわけもなく。すると「お水、飲んで! 水は威張れる。こんな美味しい水はない」とわたしの耳を放しません。そしてそこからでてくるでてくる島のおはなし。新旧まじわっていく過程にはさまざまな出来事があったそうです。愛する島を守るためにお婆ちゃんはさまざまな人たちに、立ちむかい戦ったそうです。こんなことまで云うてええのん? と、暴露に驚いたのですが、お婆ちゃんと一緒に島とお店を守ってきた相棒のお爺ちゃんは、むかし法律関係のお仕事をしていた人だそうで、ときどきお婆ちゃんのマシンガントークに法的な駄目だしをビシッと決めます。絶妙のパートナーシップでした。ゴッドお婆ちゃんから「只で泊めてあげるから」と云われて、嬉しかったのですがお断りして、店をあとにしました。みられなかった美術館やアート施設よりも、郷土を本当に愛して生きてきたお婆ちゃんと出会えた、わたしの宝島探検記です。
テレビからは熱中症対策が連日くりひろげられています。夏の風物詩はいずこへ? 子どものころは父の古里で夏休みをすごし、おばあちゃんが井戸で冷やしておいてくれたスイカを縁側でがぶり。従姉兄たちと種とばしごっこをしました。夜は蚊帳のなかで網戸からの風を感じながら枕についたものの、庭にでなければお手洗いにいけないのが怖くて、なかなか寝つけられませんでした。鄙びた映画館へ『怪談化け猫』なんかをみにつれていってもらったあとはなおさら。子どものわたしではゲス板(沈める底板)が浮いてしまう五右衛門風呂につかるのも怖かった思い出です。昼間は蛙の蠢く川辺や、石塀に囲まれたお城跡や、小さなブランコのあるお寺の庭へと、大忙しで走りまわっていました。このごろは子どもさえ日中は屋外にでないようにと警告しているのを聴くと、むかしの夏休みが嘘のようです。でも扇子からの伽羅の香りや、風鈴の音に一瞬の瞑想をかさねたら、味気ない季節感からちょっと脱出できそうです。
或る牧師さんが「ちょっとの損」を説いていました。愛と云う言葉を、つい手の届かない崇高な言葉ととらえがちな日本人。でもちょっとの損のつみかさねが、おしまいには愛へと育つ、というお話でした。西洋人は顔をあわせば「アイラブユー」といえますが、日本人は愛と云う言葉を日常会話であまり使いません。それなのにとつぜん、身命を尽くす自己犠牲愛にまで、日本の物語では飛躍してしまいます。フィクションに身をおいているわたしたちは、愛を考えずにはいられません。どうすれば愛が描けるのか? そこでかまえてしまうと、すべることも往々。崇高なことを描けるとうぬぼれてしまうと、結果は散々。牧師さんの説く「ちょっとの損」とは、相手のためにちょっとだけ損をすることです。損とはお金のことではなく、相手のために時間を使うとか、お手伝いをするとか、ほめることだそうです。それを損と呼ぶところが、かまえていても、なにものも掴めないことを説かれていて、習ってみたくなります。
暑さのせいか、永年、愛用してきたパソコンがとつぜん起動しなくなりました。たいせつにタオルでくるんで大型電化店へ。修理センターに三週間あずけたところ、「機種がふるいため部品がありません」との返事。そこで奥の手。センターのビルに、「パソコンお助け隊」があり電話したところ、パソコンは使えなくなったものの、データを全てコピーしていただきました。すこしずつ書きためてきた小説やエッセーが入っていたので、朗報をくださったお助け隊のお兄さんには、電話口でぺこぺこ頭をさげて、お礼を云いました。助けていただいたものの、果たしてわたしは、人のお役にたつ生き方をしているのか……
先日、おもしろいおっちゃんが運転されるタクシーに乗りました。「へぇ、そうでっか」「へぇ、そうでんねん」「ほな、やりまひょか」と、理を合点していなくても、人情と意地で伝達と、ことを成しとげていたむかしの大阪人のお話を聴きました。今は「なぜ、しなければならない?」「なぜ、そんなことを云われなければならない?」、それなら報復するぞとばかりに、自分をえばる時代やがな、とぼやいてらっしゃいました。たしかにそうです。大阪まで、みんな英語人間ですか? いちいち、why? っちゅうんでっか? それに答えろっちゅうんでっか? スマホ片手に自転車で危ない走り方をしている人におっちゃんがタクシーの窓から注意すると、「なんで云われなあかんねん」と反対にすごまれたそうです。
夕暮れまえの豊里大橋を渡りタクシーのむかった先は、母の入院している病院でした。「お母ちゃんの見舞いに? お母ちゃん、いくつ?」八十七ですと答えるとおっちゃんは、「がんばったはんのやな? えらい!」と大きな拍手をしてくださいました。ちゃんとハンドルを握ってないと危ないですよとは云いませんでしたけれど、すっかり小さくみえるようになった母の闘病に、みずしらずの方が拍手を送ってくださったことに、不安のあまり入院いらい力んでいたわたしの肩はくだけそうになり、涙が滲みました。
むかしデザイナー時代に読んだ『エレガンスの辞典』と云う本を読みかえしてみました。ニナ・リッチのオートクチュールサロン支配人であった、G・A・ダリオーという女性が書かれた本で、エレガンスのルールがひもとかれています。読みごたえがあるのは、ルールだけではなくて、パリの大人文化を漂わせる、ウィットとエスプリをまじえた人生観がさりげなく表現されているところです。
若いころはあまり関心のなかった、「夫(愛人)」という項目をみますと、夫に三種類あるらしく、まずは目のあいていない男性。つまり妻のファッションにまったく無関心な男性。次に理想的な男性。妻のファッションを認めつつ、なにがもっと似合うか関心をもってくれる、妻にぞっこん惚れている人生のパートナー。しかし残念ながらこのタイプはめったにいないとのこと。次に妻を強制的に自分の好みにしたいタイプ。彼の好みの裏づけは自分の母からきているので、実はかなり古い。なのに高圧的。著者の助言としては、真にエレガンスな女性はだれの意見も必要としないということです。そして、もしなんとなく決心がつきかねるようなら、男性の意見――偏らないものでなくて、偏ったものでも――を求めるのがよろしいとのこと。結局この世とは、なんだかんだいっても、クリスマスパーティで毎年、「シナリオは男と女――!!」と叫んでくださっていた百歳のО先輩が正しいというところに落ちつきそうです。
「赤い靴」という課題のことを調べるために読みかえしてみたのですが、「靴」の項目の「あまりに高いヒール」では、身長とヒールのバランスに触れたあと、「それに極めて下品です!」と、ダリオーさま、高いヒールの女となにかあったのかしらと穿つふしもあるような、ないような、怒りまじりが面白く、型とくずすこととは、なにごとも普遍的な問題とつくづく。レディ・ガガがこの本を読んだら、蹴っ飛ばすかもしれませんが……
『エレガンスの辞典』よりつづきを…… パリの売子さんが好きなお客さん、それは裕福な愛人とともにやってくる若い美人。ムッシュウは、新しく勝ち得たものの目を幻惑させるために、彼女のおねだりの倍も買い求め、妻と買い物をするときと比べると保守的ではあらず。ミンクのコートは激しい情熱のシンボルであり、しかしミンクのコートがすり切れるよりもずっと早く情熱はさめ、そうであればこそミンクのコートをスカイブルーで注文すると云うふざけたことをするのも、もっともとのこと!
店の売上はむろんのびますが…… むかしパリのオートクチュールコレクションに参加したことがあります。それはパフォーマンスショーではなく、ホテルの一室で、音楽もなく、静かに登場するモデルが、衣装を順に顧客にみせて注文をうけると云う、厳粛な光景です。その世界でのお金持ちとは、アラブの石油王マダムなどであり、半端ではありません。
京都を散歩していると、おもしろい町の空気に出会います。道をはさんで一方の路地にはいかにもお妾さんが棲んでいたような小粋な民家が並び、旦那とのわかれ話のお金で小商いをしているようなお店もちらほら。反対側の路地は並はずれた高級住宅街。本妻さんたちが棲む豪勢な住宅群です。女の人の生き方もさまざまと思いを馳せて散歩していると、むかしの女の人の吐息も聴こえ、物語が生まれそうな予感がします。この町のリサイクル店には、スカイブルーのミンクじゃありませんが、奇抜なデザインの貴金属アクセサリーが陳列されています。身のまわりの整理にリサイクル店に持ちこまれるということは、ご高齢なのでしょうが、むすめや孫にゆずることもないお妾さんの孤独も感じ、またご高齢までプレゼントされた品物をたいせつにされてきた旦那さまへの忠義も感じ、むかしの女の人の生き方の清らかさを感じます。孤独とは異なもので、一概にいえず、ひとりの孤独はそのまま自由をさしますが、だれかといる孤独はふかいという説もあり、さまざまな吐息が聴こえそうな秋の夜長です。
或るジャズライブバーへ。そこは客もまばらな、爺バンドが演奏するお店でした。
ドラマで親父バンドがでてくると和気藹々と和やかな雰囲気なのですが、それはフィクションの世界。いくつになっても男たちは闘魂を萌やしているものです。
店にはいるや穏やかならぬ雰囲気を感じました。なぜならサックスのお爺ちゃんが目立って元気なのに対してベースとドラムは肩をおとして意気消沈したお爺ちゃん。ピアノは若いお姉さん。サックスソロのあとはピアノ、つづいてベースとソロがつづいたもののドラムソロはカットされ、「こりゃ、おかしい!」とお客の団塊世代爺が突如たちあがってアート・ブレイキ―を二曲もリクエストしました。概して団塊世代はおかしいと思うことに遭遇するや血が騒いで、輪をかけるように更になにかをするのが習癖のようです。アートといえばドラムソロ。さっきまで意気消沈していたドラムのお爺ちゃんは、あとで体調をくずして家路につくころには歩けなくなっていそうなくらいに汗をまき散らし、長丁場のドラムソロで爆発しました。それまで穏やかならぬ元気としょんぼり感が密やかに戦っていた店内も、ドラムのおかげでみんなのりのり、大興奮の渦になりました。
アート・ブレイキーといえばドラマーですが、もとはピアニストだったそうです。或る夜アートが演奏するクラブに、クラブのボスのマフィアがピアニストをつれてきて弾かせたところ、アートよりも優れた演奏をしたため、ボスはアートに「おまえはタイコでも叩いてな!」と拳銃をちらつかせながら脅したそうです。ジャズと云うと、紳士淑女がグラスを傾け拝聴する上品なイメージがありますが、もともとは荒くれ男が戦うワイルドな世界だったようですね。いくつになろうと、戦う男たちの夜は更けません。
越前へ友人たちの小説執筆の取材についてゆき、自由行動となり、ひとりで隣町へタクシーでむかいました。漆塗りをみにいく予定が運転手さんに伺うと、おとずれるのが念願だったお能の町とおなじ方面としり、急きょ変更。いぜんより面打ち師がいらっしゃるというその町に、というよりもその方に、たいへん興味があったからです。まるで寅さんのような風まかせです。
伺えば、幸いにも運転手さんのお父さんがその町のご出身と云うこと。運転手さんはお父さんに電話でお能ゆかりの地を詳しくたずねては、案内してくださいました。わたしの父のふるさとと土の香りや峠の風景や素朴なお人柄が似ており、運転手さんに「ふるさととおなじ匂いがします」と話しながらさがしあてた処には、能面を飾る館と工房がありました。こちらもみせてくださいと柔和なおももちの工房の奥さまにお願いし、奥の囲炉裏端の暗やみへたどりつくと、念願のお目にかかりたかった面打ちの先生がいらっしゃいました。髪と髭は仙人のようにながく、やさしく奥ふかいお目元をされた先生から伺うと、わたしの父のふるさとでながく修行をなさっていたそうです。
越前の能には歴史があり、観阿弥世阿弥の能以前の鎌倉末から南北朝にかけて、すでに越前では猿楽がそうとう高い水準にあったと伝えられています。冬にはかなりの雪がつもるというその山ふかい工房へは、教えを請うためにはるばる東京芸大の先生もこられるそうです。能の心を打ちこむ面打ち。面は打つ人の格をあらわすと、あらゆる芸術に通じる面打ちの精神の、奥ふかいお話を伺いました。魂が呼ぶようにお目にかかれた先生ですが、能は、わたしにとって壮大な勉強を要します。必ずまた参ります、と約束して先生と奥さまにお別れしました。おふたりはとてもやさしい笑顔で、ずっと手をふって見送ってくださいました。
たくさんの日本人の心に残るラブストーリーとは? それは映画化がおおい作品とも云えます。『伊豆の踊子』を主演、美空ひばり(三十三年・野村芳太郎監督)、吉永小百合(六十三年・西河克己監督)、山口百恵(七十四年・西河克己監督)をみくらべました。それぞれその時代の映画の位置づけや企画の特徴がわかり、とても勉強になりました。特に美空ひばり作品は野村監督で、社会派の視線に感動しました。『伊豆の踊子』は野村監督が三十五歳の時の作品で、『砂の器』の二十年もまえなのですが、社会派の才気を感じました。あと、田中絹代、鰐淵晴子、内藤洋子主演作があるそうです。
そしてあらためて原作がたいへん計算された小説であることを痛感しました。短篇ほど計算が求められるという、まさしく教科書です。
冒頭で旅芸人と道をおなじくする学生。峠の茶屋につくと、お婆さんがいて、奥ではお爺さんが中風で寝こんでいます。かたや生命力にみなぎる美しい踊子。生命への視線の対比を感じさせます。学生がそう感じているのかどうかにはふれられず、小説の「話者の視線」として命と恋へのテーマへ導入します。心をとざしていた学生は一座の家庭的な温かさに触れ心をひらき、恋心を募らせます。そして人生の酸いも甘いもしりすぎた四十女の兄嫁の母。流産と早産で子どもを亡くした兄嫁。彼女たちと踊子との対比が、プロセスに効果をあげ、あどけない踊子の未来への危惧に、ますます恋心をふくらませてゆきます。
対比、対比、対比、対立と別れ…といった構成ですが、対比とは脇役です。作者の人生観の滲みでる、味わいのある脇役が、小説も映画も映えさせます。脇にエスプリを。
夏休みに隠岐の島をおとずれました。鬼太郎ロードのある境港から約二時間半フェリーに乗り、ちょっとした船旅気分を満喫しました。つねに利用しているお客さんが多いようで、乗るや否やみんな列を作り、船室で仮眠をとるための毛布や枕を借り、すぐさまぐぅぐぅ眠ります。二時間半は長いし、日によっては波も高いようなので、とにかく眠りに就くのが得策のようです。一時間ほどで済む高速フェリーもでていますが、郷に入れば郷に従う普通コースが、とても面白い経験になりました。
もう島がみえてきたころデッキにでると、籠に猫をつれてきた初老のご夫婦がいました。やっと籠からだしてもらって鎖につながれた猫ちゃんは、あれ、ここ、どこにゃーん? といわんばかりにデッキのいたるところの匂いを嗅いでいました。潮の香りといっしょにお魚のいい匂いもしていました。島がもう目のまえに迫り、もう一度、籠に入れようとご夫婦がトライされましたが、いやにゃーん、いやにゃーん、と訴えてなかなか入りません。そら、いやですよね。ご主人さまのことは信用しきっているものの、籠のなかなんて。他に大型犬を二匹つれてきている若夫婦もデッキの端に犬をつないでいて、犬たちはと云うと、気持ちよさそうに波風に、背やしっぽの毛をたなびかせていました。お里帰りなのか旅なのか、かたときもいっしょに居たいペットって、本当に家族ですね。
日本の終末医療についてお医者さまが書かれていましたが、日本では人生の最期への考え方が遅れているとのこと。外国では、ホスピスも2DKほどの広さのホテル形式の処があり、家族やペットも患者さんといっしょに長期滞在できるそうです。人生の最期にいっしょに居たい人やペットと、ごく普通に暮らせる、そのようなシステムも遠くない未来、日本のいたる処にできることを願います。
貧しい詩人たちが集うバーを舞台に、「創造的な仕事をする者は冷めた犬のスープを飲まなきゃならないこともある」と歌う、ジェイムス・マクマートリーという人のお父さんも小説家だったそうです。
冷めた犬のスープとは、直接的な意味では、ご馳走が食べられない貧しさですが、それだけではないところが、考えさせられる歌詞です。孤独でもあり、苦々しい思いでもあり。すると、こんなセレブなご馳走を食べたといばる人がいたなら、そんなことをいばるあなたは、創造にほど遠い人なのですよ、ということになりますが……
創造の人生を歩む人には二種類の人がいるようで、ビフテキの食べられる人になりたい人。いい家に棲み、美人を奥さんにしたい人。ついでに愛人までと欲ふかく。そのために人生を邁進できる人。もう一方は、冷めた犬のスープを敢えて飲む人。辛酸に臨まざるを得ない自分の業と戦う人。なんのため、というなら創造のためなのでしょうが、業であるからには理論がたちません。いずれもそうはなりきれない人生のその都度その都度に、悩みは尽きないものです。でもその人らしい人生なら、ケセラセラ……とは無責任なようですが、実際、そういうことなのでしょう。いずれの人からも、較べる意味もない、個性と創作とにであえるのではないでしょうか?
哲学者のアランが、『幸福論』の「友情」という章に残しています。
「きみの薪(たきぎ)を地下室のなかで腐らせてしまってはならぬ」――
冷めた犬のスープを啜るような辛い気持ちの日には、「わたしには、原稿用紙一枚からでも、あたらしいなにかを生みだせるエネルギーがある」と、自分を信じましょう!
越前お能の里をふたたびおとずれました。面打ちの先生と奥様は囲炉裏で、地もとのお餅のはいったお善哉をことこと炊いて迎えてくださいました。奥様も面打ち作家であられるとのこと。控えめな柔和さに、学ぶことしきりです。
大自然のもとで創作とむきあっている方々に惹かれます。もうおひとりはながらくお世話になっている染め師の先生です。いずれの方も使命を全うされながら、きびしい自然と戦っていらっしゃる強い志をおもちと、尊敬いたします。
わたしは上方文学者、喜劇作家の井原西鶴先生をたいへん尊敬しています。大坂・難波に生まれ、十五歳頃から俳諧師を志し名をなし、三十四歳の時に妻を亡くし千句の追善興行。四十歳のときに『好色一代男』を出板して大ヒット。作家へ転進します。西鶴の作家人生は四十歳から五十歳の十年間。五十一歳で亡くなっています。
そこで面白い形跡なのですが、デビュー当時は「虚の笑い」で大ヒットしたものの、晩年は「実の笑い」を描き、あまり多くの人には受けいれられなかったそうです。「虚の笑い」とは今の言葉ならば、デフォルメ、カルカチャライズされた笑い、と云うこととでしょう。「実の笑い」とはリアリティの角度からの笑い。「実の笑い」の方が文学性としては上質なぶん瞬時の驚きはなく、大衆受けしなかったそうです。笑いは奥がふかいものです。
家庭の事情でセンターを去っていかれた方に、
「いつかすばらしい喜劇が描けたときには、必ず読ませてくださいね」
と云ってお別れしたことを思いだしました。書いていますか? 書けたでしょうか?
先日来、京都へ週に一回かよっています。その折、よくタクシーを利用するのですが、観光タクシーが多いことも関係しているのか、お話の上手な運転手さんにしばしば出会います。京都の町では乗るわたしもエトランゼ気分。運転手さんのお話にときめきます。ただし恋のときめきではなくて、取材ができそうなときめきなので、ちょっと残念……
扇の職人さん一家で大きくなられた運転手さんと出会いました。住んでいらっしゃった町も職人さんばかりだったそうで、そこでは芸者さんをやめられた女の人を奥さんにする職人さんが多かったとのこと。彼女たちは既にいわゆる適齢期をこしたのちに嫁いでこられるので、もらい子をする家が多かったと伺いました。その町ではみんながそうなので、あのお嫁さんは元芸者だとか、あの子はもらい子だなどとだれもいわず、近所の人みんなが本当の親のような気持ちで子どもたちを可愛がったそうです。児童虐待のニュースが心にささる時代、ほっこりあたたまるお話に、山本周五郎の『ちいさこべ』の世界がかさなってゆきました。大阪と云えば人情と云う発想はもう古いといわれ久しく経ちますが、このせちがらい現代では、おなじ良かれと思ってとった人情のある行ないでも、結果の良し悪し、人間の身勝手さにより、人情ともとられたり、はたまたハラスメント呼ばわりされたり。でもやはり、人情のたいせつさを描いたシナリオに出会いたいと思います。
やがてタクシーは目的地に着いたのですが、運転手さんは早々にメーターをおろしていて、わたしはわたしで、もっと運転手さんのお話を伺いたくなり、料金を払ったあともしばらく車から降りず、すっかり身をのりだして、つづきに聴きいりました。
秋晴れの祭日、ぶらり天保山へ遊覧船に乗りにいきました。船内は家族連れやカップルなど老いも若きもさまざまに、大変な賑わいでした。そんななか、デッキにひとりで来られているお爺ちゃんがいました。お爺ちゃんがなにかの拍子にジャンパーに手をやられたときに百円ライターがポケットから落ち、すぐまえのベンチから眺めていたわたしは教えてあげようかと思ったのですが、人生をかさねるように海をみつめているお爺ちゃんの邪魔をするのも気がひけて、そのまましばしみやっていました。するとお爺ちゃんのまえに立っていたモジャモジャのレゲェヘヤー・カップルの女の子がライターを拾いあげてお爺ちゃんに渡そうとしました。お爺ちゃんは思わず反射的に手で違う違うとサイン。わたしの勝手な想像では、おそらくお爺ちゃんは連れあいのお婆ちゃんに先立たれた人。全然違うかもしれませんが…。秋晴れの日に思い立って海へ来て、海が大好きだったお婆ちゃんと心だけは道連れだけれど、なにせ賑やかすぎる遊覧船、やっぱりちょっとひとりは淋しいなぁと思っていた矢先に、お爺ちゃんにとってはチョー訳のわからないレゲェヘヤー・カップル。思わず反射的にしらん顔をしたのでしょうね? でも、よくみると自分のライターなので、お爺ちゃんは「ありがとう」とも云わず受けとりました。そのとき、お爺ちゃんの口元はちょっとだけはにかんでいました。モジャモジャの女の子は、彼氏にニカッと笑っていました。
高峰美恵子さんと上原謙さんがフルムーンの広告にでていたのはずいぶんまえですが、天保山にもお洒落でダンディなフルムーンファッションのシルバーカップルがちらほら。でも着古したジャンパーから百円ライターを落として拾ってもらい、ちょっとはにかむだけのお爺ちゃんのために、大きな大きな口をあけて、お腹の底から楽しく笑える、あったかい喜劇を書いてみたいなぁ…
先日、市川崑監督がお亡くなりになりました。みなさんも心に残る映画がおありでしょうね? 『木枯し紋次郎』のかっこいい男の翳り。『犬神家の一族』のおどろおどろしさ。『細雪』の豪華絢爛な桜のシーン。『四七人の刺客』の健さんの鋭い視線。たくさんの名シーンが蘇ります。映画監督の仕事というのはシーンを観客の人生に影響させてゆく、ものすごい仕事なのだとあらためて…… 人は映画の名シーンとともに墓場まで登場人物と共有した人生観や浪漫を抱いてゆくのでしょうね。
わたしが市川監督の作品で一番好きな映画は『おはん』です。とくにラストの駅での吉永小百合さんの不思議な微笑みが好きです。原作ではどのように描かれているのかと宇野千代さんの『おはん』をいくたびか読みかえすのですが、微笑みについて描写はありません。それなのに鮮烈に刻みこまれた、あのラストの微笑み。『モナ・リザ』にはない、日本女性だけがかもしだす、あの微笑みにつくづく…… それに対して、男がいなきゃ生きてゆけないのよ、と襟をぬいてつぶやく大原麗子の仇っぽさ、淋しさ……
ひとつの映画をどのようにとらえるかは観る人によってまちまちなのでしょうし、またひとりの人がおなじ映画を数回観ても、観るときの状況によってとらえ方がことなります。作品から投げかけられた問いへの応えは、そのときどきの明日からの人生に反映してゆくものですね。
先日、ある方からお話を伺っていて、いいお話を伺ったと心にのこりました。その方の知人のお母さまはご高齢になられ、むかしはあちこちへとでかけていらしたのがそれも思うに侭ならなくなられ、家に篭ることばかり。そのときにその方がなさったこととは、むかし読まれた本を何度も読みかえされることだったそうです。現代は情報過多で書物も溢れています。あれもこれも読まなくちゃ、と窒息しそうです。そんな時代に、好きな本をじっくり丹念に読みかえして、自分の人生の来し方を視つめるときとは、至福のときのようです。
親戚の叔父さんに七草粥の七草をわけていただき、美味しくいただきました。叔父さんは大阪市内の或る京野菜のお店で七草を求められたそうなのですが、そのお店ではいしだあゆみにすこし似た美人が絣のもんぺ姿で野菜を売っていらっしゃいます。いつもお客さんに声をかけられるのをわたしも拝見したことがあります。叔父さんも「いいお正月でした?」と声をかけられ、年末には「いつもより今日は早くおみえですね?」と声をかけられたそうです。ひとり暮らしの叔父さんは、とても嬉しそうにそのことをわたしに教えてくださいました。いしだあゆみ似のもんぺ美人はもちろん男性客だけでなく、おばあちゃんにも「お荷物ひとつにまとめておきましょうね」ととてもやさしく声をかけられています。もんぺと野菜のやさしさなつかしさをお客さんに届けていらっしゃる、ステキな京野菜美人です。
お買い物にいって、ほんのふたことみこと、会話がある暮らしとは、いつのころからなくなってしまったのでしょう。子どものころに母に連れられ市場へいくと、店には顔なじみのおっちゃんやお兄ちゃんばかり。みんな、○○ちゃんとか○○っつぁんとか名前も下の名前で覚えていて、お買い物ついでに大人は立ち話。そのあいまに子どもは小蝿が舞っていようがなんのそので、ちりめんじゃこなんかをこっそりつまみ喰い。必ずどの町にもいたのが、浪花節のような渋い咽の口上で売るおっちゃん。あれは関西だけだったのでしょうか? 裸電球のよこには飴色をした蝿取りリボンが揺れていて、夕暮れの道を母と手をつないで帰りながら、家についたらあったかい晩ごはん、宿題のことなんか忘れておなかいっぱいで寝てやろうなんてたくらんでいました。
大阪でタクシー運転手が刃物で殺される事件がお正月を賑わせたニュース。大阪でタクシーの事件が多いのは、お客との会話もサービスのうちと境目を作っていないからだとか… タクシー会社が対策として、客席と運転席との境界にビニールの幕を作りましたが、大阪の運転手さんはビニールなんてどこ吹く風で、大声でしゃべりかけてくださいます。大阪のエネルギーはすばらしい!
かつて大阪校へおみえだったN先生は、夕方にゼミを終えられると、いつも南方駅前の路地を散歩していらっしゃいました。先生の口癖は、もの書きたるもの大きな道を歩いてたんじゃ駄目。路地の寄り路から人のドラマがふくらむと…… わたしもN先生につれていっていただいたことがあるのですが、今はなくなった路地裏の市場の、そのまた路地に、小さな焼き鳥屋さんがありました。暖簾のよこに小窓があって、小窓のなかでは絣の羽織姿の美人姉妹がふたり、ならんで汗をぬぐいぬぐい焼き鳥を焼いていました。お姉さんはいしだあゆみ似で、妹さんは『雨音はショパンの調べ』の小林麻美似。竹久夢二の美人画のような、どこやら儚げな美人姉妹はなにを想いうかべ鳥を焼いてらしたのやら… さすがN先生ご推奨の、叙情的な哀愁のある小窓でした。
そぅ、このN先生の甥っ子さまはセンターでシナリオを学ばれ、今は映画監督になられました。風情ある人情時代劇のシーンを味わいぶかく撮られ、さすが、秀逸です。
わたしの棲む町からセンターまで、片道三十分ほどの通勤散歩を楽しんでいます。今の季節は花の咲く小路を捜しては、いろいろな路を変えては歩いています。このあたりはビジネスホテルが多いのですが、万博のころにできたホテルはすでに老朽化。経営も困難な旧いホテルのなかでは、幽霊ホテルもあれば、お客さんもこないのに綺麗に花の手入れをしているホテルもあります。わたしのお気に入りは、勝手にネーミングしている「ホテル・ザ・リトルガーデン」。
或る日、そのホテルの厨房の裏口からなんとなく翳りあるコックさんが煙草を吸いにでてきました。そこから先はドラマがふくらんで…… コックさんはすっかり『浮雲』の森雅之に早がわり。流行らないホテルでも小花に愛を託す、可愛い小さなエプロンをしたメイドさんが恋人。でもそこへ『ニューシネマパラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督作品の『マレーナ』にでていたような美女が、真っ黒なロングヘヤーに白いシフォンのスカーフをたなびかせ、あらわれて… 大きなテラコッタに咲きほこるホットリップスの赤白の花びらがゆらゆら揺れて、恋がざわめいてゆき… 路地の寄り道に夢想は妄想へ。あぁ、とまらない!
六月下旬にベランダに朝顔と夕顔の種を撒きました。花が咲くのはまだかまだかと待ち遠しく、毎朝せっせと水をやっていたのですが、なかなか開花せず、九月に入りやっと朝顔が一輪、咲きました。鮮やかな赤紫色をしています。ところがそれよりずいぶんまえに夕顔が咲いていたようで、ぼとりと大きな白い花がしぼんで落ちていたのには驚きました。夕顔の大きな実はかんぴょうになるのだそうですが、その花は大輪であるうえに花びらもぶあつく、蔓も茎もとても頑丈です。一夕のみ咲くという夕顔の、咲いていた姿がみられず残念でした。と云うのも、夕方にはわたしは職場にいるので、よく考えるとみられないのですね! みられない花の咲いている姿を想像するのも、とても風情のあることとも……
源氏物語の夕顔のおはなし。源氏が病気の乳母を見舞いにでかけたときのこと、粗末な家の垣根にきれいな夕顔の花をみつけ、摘もうとすると、その家から使いがでてきて「これに花をのせてお持ちなさい」と扇をわたしてくれました。夕顔の花がのせられた扇には、いい薫りがする薫物とともに美しい文字で和歌が添えられていました。
心当てに それかとぞ見る 白露の
光添へたる 夕顔の花
源氏は和歌に心を奪われ歌を返します。
寄りてこそ それかとも見め たそかれに
ほのぼの見つる花の夕顔
そしてその女性、夕顔のもとに通いはじめるようになります。名をあかさぬ源氏に夕顔も正体をしらさぬまま,ふたりは逢瀬をくりかえし、そんなある日、源氏は夕顔を人の棲まぬ荒れた邸に連れてゆきました。その夜、眠りについたころのこと、源氏の枕元には女性の幽霊が立っていたのです……
ベランダにしぼんだ白い大輪をみつけ、妖しげな夕顔の魅力に魅せられた、夏のおわりの夜……
台風がすぎ去り、各地に大きな被害をもたらしました。台風の夜、わたしは早くから我が家に戻り、ベランダの鉢植えを部屋にしまいこみ、じっくり台風が近づいてくるのを待ちかまえていたのですが、怖いので早くに眠りにつくことにしました。それでもやはり夜中には、ゴゥゴゥと唸る風の音に目が覚めました。すぎ去ったあとの爽やかな秋空を見ていると、自然の力の大きさを感じずにいられません。
ユングの夢占いによると、嵐の夢は、ものごとの創造的なまじわり、男性的権威、力強さ、怒り、情熱を意味するそうです。シェークスピアの『あらし』では、プロスペローという人間世間をあやつる絶対的な権威者の呪術のもとで、人間の内的な閉じられた世界をあらわす孤島に流された人びとのうえに、きらめく夢幻の世界が展開します。嵐は想像力を刺激し、ファンタジーをよびさまし、心のなかの次々と変わるイメージをよびさまし、嵐の夢は無意識のエモーション(情緒・情感)の動きをあらわし、背後にいてこれをあやつる元型の存在を示すもの……。
サスペンスドラマで雷鳴が轟き、稲妻が空を斬り裂くシーンというと、まさしく不吉な事件が起こる瞬間です。同時に、「ここを見逃さないでね!」というわかりやすいサインのようでもあります。でもはたして、むかしの人たちは嵐をどのようにイメージしていたのかを想像すると、ロマンティックですね。自然と生命を共存していたむかしの人たちは、嵐によってファンタジーをよびさまし、内なる自己再生への幻想的なときをすごしていたのでしょう。はてさて、台風を怖がってばかりはいられない!
年末に沖縄の宮古島へ旅をしました。はじめての沖縄だったのですが、沖縄文化にとても刺激をうけました。ゆけどもゆけども、ひろがる景色はサトウキビ畑。ざわわ、ざわわ……とはじまる歌はしっていましたが、これほど島全体をサトウキビ畑がおおっているとは! 大好きなゴーヤもたくさん食べました。泡盛も非常に美味。憧れの宮古上布もみました。でも一番感動したのは、島の人の笑顔でした。
買い物をしても、ジュースやコーヒーを飲んでも、店の人たちはほんとうに人らしい笑顔。都会のファーストフード店でのマニュアルどおりの笑顔に、いかに麻痺させられていたのかを痛感しました。楽しくない気分を味わったのは、社命で宮古島勤務になりやってこられたとみえる、ホテルで働く「偉いさん」の対応のみでした。沖縄の印象を悪くしている都会の「偉いさん」は、反省すべきではないかしらん?
中心地をのぞいて、ネオンひとつなく、島の夜はほんとうに真っ暗です。そんな真っ暗ななか、延々とつづくサトウキビ畑の農道をタクシーにのると、運転手さんがサトウキビの説明をしてくださいました。六、七種類もあるサトウキビの種類。花の咲くのもあり、それはちょうどススキの穂のような花でした。
「満月の夜に、サトウキビの花が明かりをうけると、きらきら輝いて、きれいだぁ」
と運転手さん。こんな自然な詩心をしゃべってくれる運転手さんは、大阪にいるかしら…… ときには人らしい笑顔の栄養を、ゆったりたっぷりいただきに、また来たいなぁ……
我が家から区役所まで赤バスにのっています。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、とても可愛い赤いミニバスです。大阪市が平成十二年から始めたバスサービスで、ステップのない、乳母車や車椅子用スロープもある、バリアフリーの小型バスです。福祉施設や公共施設、商店街、病院等、日常生活に密着した路線を回っています。定員は立っているお客さんもあわせて、二十二人から二十七人。料金は大人で百円ジャストです。
詳しいことをしらずに利用していたのですが、バリアフリーとして利用しなければならないわけでもないのですが、運転手さんや乗客の方たちから、とてもあたたかい空気を感じていました。お互いが、お互いを気くばりされていますし、運転手さんも余裕をもってドアの開閉や、運転をされています。そして、銭湯や整骨院や公団へと、ふつうのバスでは入れない細い路を可愛い赤バス君は走ります。
スーパーで葉のついた大根をい~っぱい買ってきたおばあちゃんがふたり、座席に腰かけると、まえに座っているわたしに、「よぉ~け買ぅたでしょ?」と、笑って話しかけてくださいました。運転手さんもおじいさんが多く、降りしなにはお客さんのひとりひとりに、「ありがとうございました」とお礼を云われ、お客さんもお礼を返されます。お互いに気くばりしたり、声をかけたり、席をゆずったりする、むかしの日本の近所づきあいのようなこの赤バス君にのるのは、わたしのひそかな楽しみになっています。
赤バス・ジャックやカーチェイスを、もしシナリオにしたなら、物騒なことを考えるなと大阪市に叱られるかもしれませんが、クラッシックな英国調デザインの洒落たミニバスもありますが、この素朴でやさしくて、忘れていたやさしさを思いださせてくれる赤バス君を、物語に効用できないものかなぁと思っています。
六月になり、それまでせっせと水をやっていたベランダの百合が満開に咲きました。オレンジにちかい淡いイエローと、サーモンピンクの二色。いずれもくすんだ洒落たヨーロッパ的な色彩です。一昨年にヨーロッパ産の球根をプランターに植え、昨年はほんのりとすこしだけ咲いたのですが、さほど満開とまではいきませんでした。それが今年はいよいよゴージャスな大満開に。冬の厳しい寒さが、きっと根を強くしたのでしょうね。両手でかかえきれないほどの百合を全部摘み、せまい部屋に処せましと飾り、日々満喫しました。梅雨どきのなんとなく気分がすぐれず沈みがちなとき、花をたくさん奮発するのも一案です。
花と云うと、だれかからプレゼントされるものとしか思えないでいると、人生を損しているようです。おひとりさまで食事するとき、フルコースのフレンチディナーを注文すると云う人の話を聴いたことがあります。自分の人生を、自分で楽しめる、そんな生き方をときには目指したいものですね。そして現実的な日々の生活、例えば仕事で伝票の整理や棚卸しといった日課がつづくとき、なかなかムーディなラブストーリーは考えられませんね。そんなときも、満開の花のなかに身をおいてみることは、お勧めです。
我が家からセンターへの道のりにラベンダーの群れが。こっそり小さな葉を一枚摘んで、道すがら葉をもみながらセンターへ歩きます。ラベンダーは癒しのハーブです。もんでいると、やさしい気持ちになります。一日のスタート。やさしい気持ちでゆきたいものです。
今日咲く花もあれば、明日咲く花もいっぱい。せっせと水とお日さまを与え、夢をいつか必ずみごとな満開に咲かせましょう!
節電、台風と、なにかと心配ごとの多かった今夏も終わりを告げつつありますが、残暑きびしきおり、くれぐれもご自愛ください。
今年の災害を思うと、自然のきびしさを痛感します。しかしやはり日本に暮らしていると四季おりおりのやさしい自然に出会えます。若いときはさほど思わなかったのですが、この処は四季の変化を享受できます。今年の初夏に、わたしは生まれてはじめて掌のなかに、蛍をつつむことができました。ちろちろ、きらきらと、とても可愛らしい輝きを放っていました。
草花や木々に四季があるように、人生にも四季があると、この処、思うようになりました。春夏秋冬、悲喜こもごも。もし一生ずっと春の人がいれば、おめでたい人なのかもしれません。そうして考えると、今、或る人が人生の春を謳歌していても、すぐそばにいる他の人は、つらい冬を乗りこえようとされているのかもしれません。自分の春を思いのたけ謳歌することもたいせつですが、隣人の冬を思いやることもたいせつです。そして冬も一定の概念だけではなくて、たとえば暖炉のまえで愛を感じられたなら、冬ほどすてきな季節はありません。愛と云っても恋愛に限らず、暖炉の薪をくべる手が、愛する人の手なら、なんてあたたかいことでしょう。
先日、読書をしていますと、「毒払い」ということが書かれていました。たとえば物理学者のアインシュタインは、論文を書くまえに哲学者バートランド・ラッセルの文章を読んでから書いたそうです。これは文章を真似るという意味ではなくて、「毒払い」なのだそうです。世の中に氾濫している思慮に欠ける言葉は、しらずしらずに人の心に沈殿しており、それを毒払いするために、衿の正せる文章を読むことは必要…… そのようなことが書かれていました。自分だけの、そうした一冊は欲しいものです。そしてドラマのお客さまには、春夏秋冬さまざまな人生を今、生きている人がいます。思いやりのあるドラマを……
今年の六月も、我が家のベランダでは百合が満開になりました。そこで一人で百合の花見酒。香りも満ちていい気持ちでした。今年も早や半分を過ぎましたね。電力不足も危惧される今夏が心配です。体調の芳しくない方、ご家族にお年寄りのいらっしゃる方、どうぞお元気に夏をお過ごしください。
先日、山里を訪ね、紫陽花園を堪能しました。立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花… 東洋の花からは、女性像が連想されます。紫陽花のような女性なら、どんな女性なのかしらと思い巡らせてみました。花の色は暖色が多く、そのなかで紫陽花の寒色は涼しげなのに、大輪に群れ咲くそのエネルギーからは、いわゆるところの日本の女性像に繋がりにくいのです。演歌の歌詞で紫陽花は、雨の中の男女の別れの情景として使われています。女の涙と紫陽花の花びらにとまる雨粒から、儚い女性のイメージへと繋がってゆくようなのですが、わたしには違和感があります。ひとむかしまえの男性が好む薄幸の女なのでしょうか? わたしがみた、青、赤へと色変化しつつ群れ咲くエネルギッシュな紫陽花なら、どんな女? ぼんやり思い浮かべました。
日本での紫陽花の語源は、藍が集まる、から「あづさあい」へと変化したそうです。西洋でも様々な名前と、謂れがあるそうです。なかでも面白いのが、「オルタンス」という西洋での紫陽花の名前の謂れなのですが、諸々あるなかに、或る植物学者がブーゲンビリア島への航海に、男装した娘を同行したお話がありました。そこで『オーランド―』と云うヴァージニア・ウルフの小説があることを思いだしました。三十代のまま老いることなく、男、女と色変化しながら、三世紀生きた、男装の麗人の物語です。主人公は、ウルフの両性愛の恋人がモデルだそうです。「オルタンス」「オーランドー」、と名前が似ているだけなのですが……
女子サッカーなでしこの清々しい笑顔に、元気をいただきました。猛暑が終わりを告げるのまもなく。お元気で乗りこえてくださいね!
わたしの亡き父は『寅さん』が大好きで、新作が公開されるたびに、いつもひとりで楽しみに映画館へいっていました。回想の講義にさきがけ、あれこれ考えていたところ、『寅さん』には回想があまりないことに気づきました。回想は注意してみていないと、わからなくなってしまいます。おなかをかかえて笑っていたなら、なおさらでしょうね。
父と母は、ふたりでよく映画館にかよっていましたが、そのときは、文芸作品や戦争ものが多かったようです。きっと、母の好みに父があわせていたのだと思います。旅行も夫婦でいくときは、ちょっといい宿を手配しなければならないけれども、ひとり旅となると、気取りのない宿を選べると、年配の方から伺ったことがあります。ひとり映画もひとり旅も似ているのかもしれません。寅さんのように、風の吹くまま自由気ままに……
文芸ものや戦争ものはむずかしい構成が多く、帰宅した母から、「お父さんはちょっとも、わかっていなかったのよ」と、よく愚痴を聴きました。回想シーンで、前後がちんぷんかんぷんになるらしいのです。
町医者をしていた父は、ご近所のたくさんの患者さんに、「おかげさまで元気になりました」とお礼の言葉をいただいていました。しかしときには、患者さんが悲しむことを告げねばならなかったり、悲痛な場にたちあったりすることがありました。だからこそ、ホッと人のやさしさや、人情のたいせつさを伝え、人に笑顔をくれる『寅さん』が好きだったのだろうと思います。亡くなって三年も経つこのごろになって、或る日、或る日の、父を理解できます。
面影が父に似たご老人を町角でみかけることがあります。そんなときは、後姿を目で追いながら、そのままご老人が、楽しそうに、ひとりで映画館へむかっていかれるような、父の残像をみます。
ベランダでは今か今かと百合のつぼみがふくらんでいます。今年も満開の日々を迎えられそうです。そしてここ五年ほど育ててきた観葉植物が、今年はじめて花を咲かせました。名前はわからないのですが、レモンイエロー、オレンジとインディゴブルー、濃いパープルのまじった鮮やかな色彩で、ひとつの花の長さが二十センチをこえる大きな、南洋の花を咲かせています。すこしまえから予告するようにぷっくりふくらんだ大きなつぼみに、オレンジの花汁をしたたらせていました。いつとつぜん、花を咲かせるかわからない人生! お水しかあげていないのに、咲いてくれてありがとう、という気持ちでいっぱいです。でも、なんて名前?
と思っていると、生徒さんで本当にお洒落でステキなおばさまのHさんが、植物の名前を教えてくださいました。ストレチア、別の名をバード・オブ・パラダイス、極楽鳥花と云うそうです。原産地は南アフリカ。花言葉は、『気取った恋』『輝かしい未来』『寛容』『恋の伊達者』。その美しい花を見た人々がうかれるところから花言葉がついたそうです。
先日、部屋のエアコンをつけかえました。工事にこられた人が、外機工事のためにベランダにでられ、たおしてはなんだからと、小さなプランターをそっと除けられました。すると、除けた処からヘンテコなオブジェがにょっきり! 実は百歳ちかくまでセンターにこられていたOさんが形見わけのようにくださったオブジェです。詳細はお伝えしにくい形をしているのですが、要するにちょっとエッチで、お茶目な形をしています。工事の人はぎょっと驚かれたのを、わたしに気づかれない風にされていたのですが、それからすこし日がたちエアコンの調子が悪くなり、もう一度おなじ人が工事にきました。そのときは外機は関わりなかったのですが、工事の人はもう一度オブジェをみたかったようで、ベランダに二度もでられました。可愛らしい形だけれども、信じがたく、もう一度こっそり確認したかったようです。
極楽鳥花の花言葉『恋の伊達者』ではありませんが、Oさんは本当にお茶目でチャーミングでお洒落な方でした。イタリアンニットがお似合いでしたけれども、お洒落というのは、なにを着ているのか、なにを持っているのかということではなくて、心に持つものだということをОさんは教えてくださいました。人が聴いていて、いやな気持ちになるお話をなさったことはありませんでした。シナリオもОさんの世代の男性は戦争経験を書かれたものが多いのですが、一貫してОさんはラブストーリーでした。まだまだ青二才のわたしは、日々、反省。Оさん、いつまでも見守っていてくださいね!
「別れのセリフ」のシナリオをたくさん読ませていただきました。別れの悲しみを描いた作品や、設定を練った作品等、セリフ含めてさまざまに工夫されていました。ただ別れる必然性を考えることはとてもむずかしいことなのだとつくづく……
ちょうど民話について考えていたときなので、別れにはしかけが大切なのだと、ふと思いました。『鶴の恩返し』では、絶対に部屋のなかをのぞかないでください、という約束がしかけられ、『浦島太郎』では、玉手箱をあけてはいけないと乙姫様に約束させられて。タブーをしかけていなかったら、お話はおわりません。民話にもとづいた現代のドラマもよく読ませていただきますが、百年の夢も覚めてしまうしかけがなければ、必然として不充分な別れしか描けません。でも、部屋をあけるなとか、箱をあけるな、と命令する側がたいてい女性であるところが面白いですね。あけるなと云われると、あけたくなるのがあたりまえであり、先にあけるなと云っておいたのだから、約束を破ってあけたあなたが悪いのですよ、とばかりに責任をまえもっておさえているところが、よく考えると女なので、日本のお話は怖いです。
『浦島太郎』がマザコンのお話であるという説には納得がゆき、とても面白かったです(「昔話と日本人の心)河合隼雄著)。おなじ海と人のお話では、アンデルセンの『人魚姫』がありますが、浦島太郎が流されるばかりの受け身ダメ男であるのに対して、人魚姫はずいぶんポジティブで、困難を乗りこえ、ひたすら自から恋する王子様に接近してゆきます。悲恋であろうとハッピーエンドであろうと、西洋のお話の女性が意思を持って動いていっていることには感服。しかし禁忌をまえもってしかけている日本の女性の方が、複雑であり、本当に怖い! 日本の女性が儚げでしおらしげで、と思いこみたいあなた、危険ですよ!
秋晴れの日、瀬戸内の小豆島をおとずれました。この島で有名な方に『二十四の瞳』の原作者・壺井栄さんがいらっしゃいます。
壺井栄さんは明治三十二年に小豆島で醤油樽職人をしていた父のもとに生まれました。十一歳のときに父の稼業が得意先の蔵元の経営不調によりかたむきました。小豆島は赤穂等の塩田にちかく、醤油の産地として歴史がありますが、現在にいたるまで、組合ができたり、醤油税がかかったりと、さまざまなできごとが余儀なくおこってきたそうです。その後、小学校と高等小学校を卒業し、苦労をかさね上京し、プロレタリア作家・壺井繁治氏と結婚され、作家として開花されています。
わたしはこの作品から、本来の教師と云う聖職の清らかさに感動していました。木下恵介監督の映画では「仰げば尊し」の音楽が流れるのでなおさらです。今回は、壷井栄さんがこよなく愛されたおだやかな波とお日さまに癒されて、この作品のことをすこし考えてみました。
『二十四の瞳』では女の子が売られたり、男の子が戦死したり、やむを得ず思うままに成長できなかった子どもたちが登場してきます。それは作者が稼業の影響でご苦労され、思うままにいかない人生を感じられ、それゆえにその後、人の愛をしみじみと考えられ、描かれたのではないかと思います。
父をどのように小説で描かれているかというと、主人公・大石先生の父は三歳のときに亡くなっています。文章作法とは、なんびとも傷つけることを書いてはいけないと教えにありますが、敢えて父をその設定にされたことに、ご自身の父上へのふかい愛を感じます。作者の母上は十一人の子どもを生み、戦争も挟んで孤児をふたりひきとって育てられています。そう、大石先生のように子どもを愛されたお母さま。作者ご自身に子どもは生まれませんでしたが、兄弟の遺児をふたり育てられています。父への愛と、子どもたちを育てられた母への尊敬が、あたたかい文学の根底にゆるぎなく据えられているように、オリーブの実が成る島で波風にうたれながら、思いました。
このごろつけ睫毛の女の子が多いのには驚かされます。キャッチコピーは目元くっきり、とかなんとかなのに、実際はつけ睫毛が眸の輝きを失わせていることにも驚かされます。眸は心の在り方の窓なのに!
母が入院中なのでよく病院へいきます。そこでもついシナリオハンティングのウォッチング癖が。家族がきてくれたときの患者さんの嬉しい眸。心配しないでねと語りかけるような眸。相手を気づかう眸はつけ睫毛よりも美しい。母が看護師さんのなかでも、この娘はいい娘と思うと、別れしなに彼女の手を握ってはなしません。意地の悪そうな看護師さんにはそんなことはしません。どんな看護師さんの手を握るのか、またしてもウォッチング癖が。彼女たちにはむかしで云うところの「気立てのいい娘」という言葉が一番あてはまっていると思いました。
「気立て」とは、「心の持ち方、心立て」の意味。わたしにもちろん息子はいませんが、もし息子がいたなら、嫁には気立てのいい娘がきてほしいものと思いつつも、我ながら思考回路がすっかりオバサンぶりなのには本当に驚かされます。
気立てと云うとたいてい女の子に使われて、男となると、男っぷりがいいとかなんとか、封建時代はしゃあないわ、という感じですが、今はもう忘れられてしまったキャラクターをいろいろ考えてみました。
むくつけき、おぼこ、向こう意気、鼻っぱしら、気早(きばや)、生一本、おきゃん、しわんぼう……などなど。人とのコミュニケーションを避けるとか、人間関係が希薄とか、シナリオのキャラクターに多いのですが、どれもこれもそうなると世も末と云う感じがします。
あわただしい年の瀬ですが、体調をととのえて、はんなりと、そして人っぷりよく、元気に年越ししてくださいね!
お正月は岡山県備前市の日生(ひなせ)で過ごしました。風まち潮まちの港にはさまざまな文化と風情が残されています。伊勢志摩でも、風まち風よけのため港に、「はしりがね」と呼ばれる遊女がいたそうです。島国日本では今はすくなくなりましたが、海、港、女が流行歌の三大要素であると作詞家の先生から伺ったことがあります。『シンデレラ・リバティ』という映画がありましたね。定住することのない人との恋物語はせつないですね。
日生にある加子浦歴史博物館へゆきました。正宗白鳥氏、牧野大誓氏、柴田錬三郎氏、池田万寿夫氏、井伏鱒二氏をはじめ、日生ゆかりの文人や画伯が多いのに感心しました。大人の隠れ家のような雰囲気がただよう港の風情が、多くの芸術の想念を生んだのでしょう。そう遠くない〝瀬戸内のエーゲ海〟をのぞむ牛窓には、池田万寿夫氏がデザインされた白亜のホテルがあります。
博物館で田淵屋甚九郎という魅力的な人物の資料とであいました。江戸初期から中期にかけて突如日生にあらわれ、日生を根拠地に廻船業を営んでいた人で、海賊説もあり、四十八隻の千石船を所有し、北海道から九州はもとより、フィリッピン、中国、東南アジアまで交易を広げ、藩公認の密貿易もしていたそうです。ところが日生の寺社の再建や、熱病が流行した際には密貿易で得た巨万の私財をなげうち村民を救ったこともあり、日生の人にとってはなくてはならない大恩人だそうです。
この男性像から、海を航る大商いをしていたレッド・バトラーを連想しましたが、「むかしむかしのことじゃった、甚九郎さんがなぁ、」と始まる甚九郎ののんびりユーモラスな昔ばなしも多く残されています。例えば、勢いこんだあまりに用意した船が大きすぎて日生港の湾へはいらなかったなど、村人がこの恩人を心から敬愛していることがユーモアから伝わり、ユーモアとは愛とレスペクトであることをあらためて学びました。
子どものころにどんな物語に勇気や元気をもらわれたでしょう? 心に残った物語のなかでも、『赤毛のアン』は大好きな小説でした。アンがとにかく魅力的で、ワクワクしながら読みました。とりたててできごとは起こらないものの、アンならどうやって克服するのだろう、アンを愛してやまないマシューおじさんとマリラおばさんなら、どうするのだろう、とアンの魅力でぐいぐい読みすすめさせられました。
作者のL・M・モンゴメリは新聞の記事で読んだ、「男の子とまちがえて女の子を引きとった夫婦の話」に着想を得て、この小説を書いたそうです。ご自分の幼少期もかさねて、孤児院で暮らしていたアンが、カナダの島の老夫婦のもとへ、もらわれてきた少女時代の長篇小説を書かれました。三十歳のときに四つの出版社へ送ったところがどこからも認められず、三十三歳のときにおなじ原稿をボストンの出版社へ送り、原稿料をもらいベストセラーへ。続篇執筆へといたり、財団を作られるほどまでに成功されました。読んで欲しいという願いは届くものですね。モンゴメリはアンとはことなりとても美しい女性です。のちに夫が鬱病にかかり看病に苦労されたそうですが、これほど明るいアンを描かれた作家にも、人生はさまざまな試練を与えるものです。
アンは見栄えは良くない女の子ですし、みなしごです。しかしすこしもいじけていないところが、そもそもすばらしい着想です。美しいものに自分だけの詩的な名前をつけるのがアンのこだわりです。ものにも命が宿っているから、と――――
夢中になって読んだころから数十年経つ今も、アンは無二の友だちであり、「わたしならこうするよ」とながながしたおしゃべりのあとで、眸をきらきらさせて、必ず教えてくれて、微笑んでくれそうです。
昨年、我が愛する友から、萌えるようなあかね色のアコースティック・ギターをプレゼントしてもらい、わたしの宝物になりました。
ギターの練習をして過ごすうちに、シャンソンの言葉と心に惹かれ、シャンソンのことを調べていました。そしてあいまに越路吹雪さんの残された日記やエッセイを綴った本を読みました。パリへシャンソンの勉強に逗留された、お若いころの日記集です。エディット・ピアフのステージにうちのめされ、自信とうぬぼれのはざまで、ご自分だけの歌唱を創造していこうと悩み苦しみ、たちむかわれた強い志に心をうたれました。
クラシックギターの教則本に、こうありました。
「なにごとにおいても自信を失ったが最後、成功はおさめられなくなってしまう。しかし、うぬぼれ、すなわち慢心は芸を滅ぼす。自信とうぬぼれ、これは紙一重のものであり、その紙一重がわからぬものは大成できない」
と厳しいお叱り。これは初心の精神にもつながることで、自分がはじめたときからどのあたりへ到達しているのかを正しく計ることの大切さですね。自信とは自分の能力や価値を確信すること。うぬぼれとは自分を実際以上にすぐれていると思うこと。でも、自信だけのシナリオは面白くないと、ついへそまがり。たとえうぬぼれが滑稽であろうと、敢えて挑んでいるシナリオは面白い、と堂々巡りしてしまうのは、お正月のワインの呑みすぎでしょうか?
むかしアンティーク家具屋さんでヨーロッパのうぬぼれ鏡をみつけたことがあります。等身大の、みえるかみえないかの、ボォッと霞んだ鏡。玄関に飾って、でかけるまえにこの鏡に自分を映すと、一日中しあわせの錯覚に酔っていられるかもしれない、そんな気持ちになりましたが、けれど現実が……
或る夕暮れどき、天王寺動物園から古い商店街を阿倍野まで散歩しました。商店街ではお孫さんづれの真っ赤なほっぺをしたお爺ちゃんが、カラオケ酒場のカウンターでおなかの底から大声で歌っていました。この「カラオケ酒場」というのがこの周辺では人気のようです。大声をだすのは健康的だし、お孫さんもマイクをお爺ちゃんから奪いとって歌うなんて、なんてほのぼのとした下町風景なのだろうと思いました。そして阿倍野へ。
ハルカスがそびえて新しい街にさま変わりしたかのようでも、やはりむかしながらの下町風情がいたるところに残っていました。ずいぶんの距離を歩いたので喉を潤しにちいさなバーへはいりました。そこにもいたのです、じゃりん子ちゃんが。カウンターで水割りやカクテルのグラスを傾ける大人たちにまじって並び、すんなりおさまりきっている、五、六歳の女の子。若いホステスさんのお客さんが、
「うち、はよ帰らな、あかんねん、こども、おるし」
というと、じゃりん子ちゃんはすかさず、
「ほぉ、こども、おんの? しらんかったわ、何歳や?」
とボケとつっこみのような絶妙の返しをその後、連発。ちかぢか、必ずや吉本からスカウトされると、周囲の大人たちみんなが笑ってしまいました。こどもが、「ほぉ、こども、おんの」というのが可笑しいし、浪花のおっちゃんの口癖のようで、一杯呑みながらホステスさんの悩みでもいっちょ聴いたろやないか、という態度もそのまま浪花のおっちゃん。浪花のおっちゃんとは、口は横柄でも、心はやさしい。それを的確に真似る、さすが、じゃりん子チエのふるさと。たのもしさを感じました。
ラジオドラマを描かせていただいていたころ、ラジオだからキザでも抽象化できるとばかりの勝手なご都合で、歯の浮いたセリフを羅列していました。でも最近、シャンソンの歌詞をみて、考えます。日本人ならこんな風に率直に愛を伝えない。特に男性から女性への愛の言葉と云うと、禁欲的な日本。寡黙であることが美意識へ。ジャズを演っていた友人がシャンソンを歌う人のことを、変な歌を歌う、変な奴、と云っていましたが、「お仏蘭西では、シェー!」と笑わせていただいた赤塚先生は天才としか云えません。むかしながらのシャンソンの歌詞をみていると現実離れした恋愛至上主義が感じられ、むず痒くなり、では現代にフィットする愛の言葉はどのようなものなのか…… 別れ話で傷ついた男の子が、キレて女の子を殺傷する時代、言葉にたずさわるわたしたちは、愛の言葉に耳をとぎ澄ますべきでは?
最近、ZAZというシャンソンの歌手にはまっています。一九八〇年生まれのZAZは伝統的なシャンソンも、オリジナルも歌っていますが、たくましくて、元気いっぱいで、時代錯誤の恋愛至上主義が感じられません。バイオリン、音楽理論、合唱、ピアノ、ギターを学び、カンフーを学び、ジャズ、バスク、キューバ、ラテン、アフロ、クラシックなどの音楽の影響を受け、さまざまな経緯のあとモンマルトルでストリート・ミュージシャンをしていたところ、「ジャジーでハスキーヴォイスの歌手を募集中」というインターネット上の広告に応募して、その才能が音楽プロデューサーに発掘された人なのですが、まだ若い彼女が、なんとたくさんのことを学んできたのかと驚かされます。無駄も、遠回りも、人生にはない、全てが実る!
長篇を描くときには、主要人物三代の履歴書を作らなければならないと云います。履歴書作りに充分な時間をさいていますか? 先日、映画『エデンの東』の人物を原作から紐といてみました。旧約聖書の『カインとアベルの物語』に基づいた人物構成は、カイン型人物、アベル型人物と、理路整然と整理されています。そのためブレを起こしていないことが、とても勉強になりました。
なかでもジェームス・ディーン演じる次男が逢いにいった、いかがわしい居酒屋の実母ケートが、わたしは秀逸に感じます。なぜならケートはその時代でこそうまく立ち回れなかった悪の権化ですが、現代なら女性のだれしもが求める自由の権化であるからです。ケートは映画ではすこししか登場しませんが、原作では思いきりハラハラドキドキさせてくれます。この人がでてくるページはグイグイ読みすすむ、そんな小説ってありますね? 『風と共に去りぬ』のレッドもおなじく、拾い読みしたくなる人物像です。シナリオも小説も人物の魅力と、人物構成へのもくろみが肝ですね。
『エデンの東』では、何代にも及ぶ必然的キャラクターの他の人物群に対し、ケートは作者によると、「良心の欠けた怪物として生まれる」と非常に大胆な設定で、そのコントラストが物語をグイグイすすませます。十五歳で教師を自殺に追いやり、十六歳で家族を焼死させ、売春業の男のかこわれ者になった彼女が男からズタズタの傷を負って棄てられている処を、ジェームス・ディーンの父のアダムに救われ夫婦に。ところがうまくいくはずもなく子どもたちをさっさと棄てて、またしても居酒屋へ。このケートの悪女像には評論家のあいだでも賛否両論あるようですが、わたしは断然、悪女ファンです。なりたくてもなれないものへの憧れと、同時に表裏一体の恐れが、フィクションの醍醐味だから。
水やり三年五年、というほど植物の水やりはむずかしいそうです。草花ごとにちがい、あわせての水やり。日に一度なら朝。どばどばやってはダメだそうで、二度目やるならたそがれまえ。日中、陽をうけて蒸された土を、そっと鎮めて夜を迎えるためだそうです。テレビ番組のベランダー、面白いですね。変なおじさんがベランダの草花にはまっている様子。可愛らしくて、ちょっと気色わるくて……
部屋で添削をする日には、気分転換にベランダで草いじりをします。枯れた葉や花びらを摘みながら、アスファルトの熱を冷やすような風をのんびりうけていると、心のなかにも、さわさわ爽やかな風がながれます。草花も手をいれすぎると、もうごめん、と喋りかけてくるようなので、たそがれまえには草花のみに夢中にならず、気もそぞろにさまざまなことに想いをはせます。
朝はていねいに水をやり、たそがれまえには蒸した土の熱を冷まし…… これは人とのおつきあいとも似ているのかもしれません。相手にあわせてていねいに、陽をうけたなら咲きほこり、たそがれまえには蒸した心をそっと冷やし…… そんな女の人に出会えるのなら、男に生まれ変わりたいものですが、たいてい夕方から夜になるほどヒートアップする、怖い女の人が多いようですね。深夜にはアルコールですっかり眼が坐り…… わたしのことかもしれません。草花に学びましょ。
先日、或るお歳を召した婦人の句を描きためた和紙の手帳をみせていただきました。常ひごろ、なにかと自然に触れるにつけ、詩情をあらわすたしなみというのは、すばらしいものと思いました。そこからはゆとりあるやさしさが育まれます。自然から詩情をたしなむ心もまた、作家に求められて然るべきものとあらためて……
仕事がお休みの日はお昼寝をするのが一番の極楽、と熟睡していたら、「ゆみちゃーん!」という叫び声で目がさめました。どうやらおなじ階のお独りさまのお兄さん、といっても五十歳くらいの日ごろしずかな方がベランダから叫んでいるよう。その後も「ゆみちゃーん、ゆみちゃーん」とつづきました。
そういえば、お兄さんの部屋の外に、可愛らしいちいさな、フリルのついた赤いパラソルがたてかけられていたことがありました。「今日は彼女がきてるんですよっ」と、ちょっといばっているかのような赤いパラソル。恋の花がパッと咲いたようで、ひとごとながら、おめでとう、と云いたくなっていたというのに、赤いパラソルのゆみちゃんと、なにかあってお別れしたのかもしれません。おせっかいですが、ゆみちゃんに、許してあげてください、といってあげたくなりました。
駅の靴の修理のお兄さんは、いつもものすごくむっつりしていたのが、或る日、お兄さんを手伝う女の人がよこにいて、それからいつもにこにこするようになりました。それから女の人はいなくなりましたが、お兄さんのにこにこはやみません。結婚されたのかしら?
恋とは不思議。むっつりがにこにこになったり、悲しい別れから叫び声を発するようになったり。人の恋ながら、いろいろあっても、やはり恋はステキと思います。恋はやさし野辺の花。恋は心に咲く赤いパラソル。
わたしの棲むこのあたりでは疾走する人や叫ぶ人が多くて、またしてもお昼寝どきひさびさに、「ドンペリはいりまーす!」と叫び声がひびきました。数年ぶりなので、なんだか元気で威勢のいい叫び声に、お昼寝を起こされたことも忘れて、とても嬉しくなってきたのでした。
狭い我が家に小さなデュークボックスを置きました。何度もセットしなくてもレコードがウン十枚はいります。ランダム再生も何時間でも可能です。デュークボックスと云えば、なんたってプレスリー。しかしなぜか藤圭子、それから三線、アルメニアのジャズピアノと、支離滅裂なレコードをたくさんしこみました。
ところがなにせ中古。悦に入りすぎていると、ばらばらとレコードが機械のなかにドミノ倒しのように倒れ、修理先をさがしました。
やっとみつかった修理先。大きな工具箱と毛布を両手にやって来られたのは、かなりお歳を召したおじぃちゃんでした。
「ちょっと、明るいところ、借りますよ」
とおじぃちゃんは、窓からの陽がはいる狭いキッチンに毛布を敷き、デュークボックスを毛布のうえに運びました。そして、
「三時間ほど頂戴しますよ」
と修理を始められました。
拝見していると、すごく眸が輝いておられます。そのことにわたしはとても感動したのです。面倒くさいことをさせられて、という仕事に対するスタンスの人が多い昨今、こんなにワクワク好きなことができるのか、と眸を輝かせておられたからです。
むかし、路地を曲がるとあったような、中古オーディオ店。そんなお店には必ず音キチさんがいて、すごくうんちくや説明が好きで、それはなによりも音が大好きだからなのでした。先日、ラジオ番組を収録されているスタジオの社長さんがセンターへお越しくださいました。そのスタジオには大型冷蔵庫のような、オーディオ機材がたくさん並んでいます。普通なら聴きのがす音にこだわりを燃やしつづけていらっしゃる社長さん。なにかに心底惚れこむ人生って、本当に輝いていて、ステキです。
東京の伊勢丹で日本のカワイイ文化の元祖として内藤ルネさんのイラストレーションが展示されていました。アニメ、デザイン等、日本のカワイイ文化は今、世界から注目されています。ルネさん以前のカワイイ元祖として、松本かつぢさんや岡本帰一さんはご存じですか? ギスギスする日、カワイイ文化は心をやさしくします。
大正昭和初期の乙女のイラストがだれかに似ていると思っていましたら、先日、訃報が公にされました原節子さんです。
才色兼備、親孝行、言葉すくなく、禁欲的……、こんな女性がいるのかしらと云う、まさしく日本の男性が理想とする女性のシンボル。小津安二郎監督と脚本家の野田高梧先生や、多くのキャスト、スタッフたちにより捻出されたシンボルだそうです。このシンボルを西洋的なおももちの原節子さんが演じていらっしゃるところに芸術が表現されています。
原節子さんの容貌は、チャプリンの『街の灯』の盲目の花売り娘や、『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンと似ていて、西洋的。それを日本の精神の美意識につなげ、ひとつの象徴世界を創られたことが、背景となる時代性にもふさわしく、すばらしい。
初期にはジェームス槇というペンネームでバタ臭い映画も撮られていた小津監督だからこそ、この象徴美につながったのではないでしょうか。そぎおとされたところに美が宿る、とも。
大好きな方、おふたりの訃報をしりました。原節子さんと水木しげるさん。わたしはおふたりのどこが好きなのか、すこし考えてみました。おふたりの勇気への憧れなのかもしれません。
「わたし、嫁はんに棄てられました」と儚んでいる世の男の人、めげないで。棄てる神ありゃ、ひろう神ありで、世の中はめぐりあい。
棄てる神「つまらん男。あほらし、さいなら」
ひろう神「や、こんなん捨てたぁる。めちゃ、ええやんか。ひろとこ。あたしがピカピカに磨いてあげるわ」
と、ひろった神が愛を尽くすと、凹んでいた心も、やる気満々に変身。ひろう神はドラマティックに限らず、町のおばちゃんであったり、食堂のおっちゃんであったり、思いがけない処にいます。また、凹んでいる人の心の疵をそっと磨く、ひろう神のはしくれにもなりたいものです。
このところ創立祭のおかげで、さまざまな方との出会いに恵まれています。そんななかで、わたしは失敗談のできる人をすごく尊敬します。それも聴いている人が楽しくなる失敗談。ぺぃぺぃ時代の失敗談や、懸命に生きたのに関わらず結果的に失敗したおはなし。単におはなしがおもしろいのではなくて、それを楽しく語れるその人の心のゆとりに、幸せな気持ちにさせていただいていることに気づきます。
尊敬する宇野千代さんは九十歳も越えられたころ、「わたし、一日に二回は自慢するんです」とおっしゃっていましたが、これもまたステキなエピソードと思いました。この年齢の、この方だから通用するような。自伝的小説『生きて行く私』をむかし、ずいぶんと凹んでいたときに読んで、勇気をいっぱいいただきました。「あんた、恋にケチはダメよ」と云うのも宇野千代さんの名言。格好よくて、きっぷがよくて、まぁ、女としての貫録というか…… ものを創ることとは、他の人がなりたくてもなれない個を確立していこうとする、果てしなくむずかしくも魅力的な旅なのかもしれません。
トンビ、そしてインヴァネスコートってご存じですか? 着物にはおる男性用コートで、明治後半から大正昭和はじめに流行りました。トンビは袖なしで、インヴァネスは袖があります。スコットランドのインヴァネス地方で生まれたコートなのでこの名前だそうで、小説家の織田作之助がよく着ていました。
横浜の或る駅のホームにて、インヴァネスに貂(てん)の襟巻をした男の人が、眸を夢に輝かせて、まっしぐらに、かつかつ歩いてゆく幻をいくたびもみました。大正時代の男の人の幻です。現代の人が夢もなさそうに俯いてホームをすすむなか、そのレトロマンはかつかつと、格好よく闊歩しては過ぎ去り、また闊歩しては過ぎ去ってゆきました。
年も明け、そろそろ幻覚をみる状態にまで悪化したのかしら、ですって? いえいえ、昨年亡くなった母が三つまで暮らした横浜の或る町へ散策にいってきたのです。亡くなるまえの数か月間すやすやベッドで眠っている母をみていると、赤ちゃんのように可愛いなぁ、と思いました。そして赤ちゃんのときに母が暮らした町へせめてわたしがいくと、母も喜んでくれるかもしれないと思い、旅だちました。不思議なもので母からの聴きおぼえでしかないのに、町の光景はわたしの思い浮かべていたとおりでした。小川が海へむかい流れていて、川のところどころに船が泊まっていて、そばには細い歩道があり、路地を曲がると小粋な民家群。デジャブ―のような不思議な体験をしました。
インヴァネス・レトロマンは祖父の幻です。ほりわり川から大海原を、夢で眸を輝かせ望んでいた祖父の、まぎれもない微笑みを感じました。現実世界では、幼な子と散歩している若いお母さんたちといくたびもすれ違い、わたしはその後ろ姿を目で追いつつ……
生徒さんとの飲み会で、「先生、どうやったら、彼女ができるのか、教えてください!」と或る男の子からの質問。「そんなこと、考えるのをやめること」とわたし。でも、その方が、本当にいいでしょうね。
「恋に師匠なし」ということわざ、ご存じですか? 恋にノウハウはなくて、えてして失恋におわるのが恋、と云う意味なのでしょうか? ま、あんまり恋道のプロのように語るのは、周囲にとっては困りものという意味でしょうね。恋にまつわることわざがあるなかでも、「愛想尽かしは金から起きる」「思えば呪う」なんて辛口がおもしろいと思うのは、わたしがおばちゃんのせいのようです。
友だちで、アベ・プレヴォの『マノン・レスコー』の文庫本を三冊ももっているというか、コレクションしてしまった女性がいて、聴くと、年を経て偶然に三人の男性からプレゼントされ、気がつくとアベ・プレヴォがたまっていたそうです。贈った三人の男の人の気持ちも、切ないですね。
『マノン・レスコー』はどんなおはなしかというと、マノンという女の人への恋に翻弄され、破滅する男の人のおはなし。マノンは美人なのですが、浪費家。「羊年生まれの女は嫁にするな」とは日本の男の人の考え方で、なぜなら紙を食べる、お札がたくさん要るという意味だそうです。ちょっと、つまらない。パリは恋も浪費も、なにもかもが煌めく町。映画『望郷』のジャン・ギャバンも、パリとオーバーラップして、お洒落と浪費の象徴のようなパリジェンヌに惹かれたことから悲劇へ…… 悪しきことが描けるようになれば二重マルですね。
恋について綴られた文庫本を片手に、ジャズ喫茶へひとりかよったりした時代がなつかしい…… 黄ばんだ表紙、ページを繰れば紙もざらざらしている文庫本。紙は時代をのこします。
洗濯機の脱水がひゅぅんと回りおわった瞬間、低い声で洗濯機が「よいしょ」と云ったのにはビックリ! 洗濯層の底にちっちゃいおっちゃんでも棲んでるのかな? お掃除ロボットとおしゃべりしながら暮らしてるおばぁちゃんが主人公のシナリオを読んだので、幻聴がしたのかも?
ゴールデンウィークはチラシまきに中之島まつりへ。宣伝にお越しいただいたちんどん通信社・東西屋さまはじめ、たくさんの方々がお手伝いにきてくださいました。ありがとうございました。
その前後は日帰り温泉へ。施設におしゃべりロボットが置いてありました。流行っているようですが、独居で、おはなし相手が欲しい方が多いから、というのがおおかたの理由なのかしらと思いました。
独居イコール孤独というのもわかりやすいけれど、すこし馬鹿げた考え方で、「孤独死」なんて言葉を選ぶジャーナリストにも、ろくな人いません。チェホフの『かもめ』やアントニオーニの『さすらい』。孤独イコール自由であり、自由は人が求めてやまない芸術の永遠のテーマです。自由でない人が僻んで、独居イコール孤独、イコール可哀想にしてしまっているのです。このわかりやすい言葉のイコール選択にそのまま流されていたんでは、ものは書けませんぞよ!
とは云え、おはなし相手はいた方が、ちょっぴり幸福ですね。むかし子どものころ、夕暮れまえには長屋の軒先に長椅子をだして、打ち水のひしゃくの手をとめたおばぁちゃんと近所のおばぁちゃんとが、蚊取り線香を足元に、なんやらはなしこんでいたものでした。その日のちょっとした良かったことや困ったことを、はなししするだけで楽ちんになり、晩が迎えられて…… むかしはあったかかった。
ゴールデンウィークもおわりました。さぁ、気持ちも新たに、シナリオを通して、あったかい会話の時間をたいせつにしましょう。
むかし乙女だったころ……、そこで、ぎょぎょぎょ、と首をかしげないでくださいね、『昼下がりの情事』というヘプバーンの映画のタイトルにワクワクしました。あのころの邦題はステキでしたね。どうしてワクワクしたのかと云うと「情事」と云う言葉。なかにし礼さんが、「あなたの過去などしりたくないの」と作詞したときに、「過去」と云う言葉が多くの日本人の耳に新鮮に響いたのと似ている感じがします。
思わせぶりなタイトルのわりに純情なヘプバーン。ヒロインのお父さんが浮気調査をしている私立探偵というのも洒落ていました。ヒロインは調査資料を内緒でみるのを楽しみにしていて、だれがどんな人と浮気をしたかそらんじるほど。そのあたりがとても人間っぽくてかわいい。大好きなビリー・ワイルダー監督の映画です。ワイルダーはドイツでバーテンダーをしながらヒモ生活もしていた苦労人で、なのでたくさんの市井の人へのやさしさが描けたんだろうなぁと思います。
浮気調査相手(ゲイリー・クーパー)とヘプバーンのハッピーエンドの列車を駅のホームから見送る探偵のお父さんのセリフ。
「両名はNYで結婚という終身刑に服役している」
ビリー・ワイルダーらしいウィットに富んだエンディングのセリフですね。
或る先進派のおばあさんが、「情事は人生のアクセサリー」と堂々と書かれていたのに感動したことがあります。どうしても、情事なんて不幸になる、やめといた方が身のためとモラルでくくって、その実は妬むのが日本人の癖ですが…… そのおばあさんは、情事から恋に変わる瞬間を描いた映画として、マルチェロ・マストロヤンニの『黒い瞳』をあげていました。ステキな大人のラブストーリーです。この、情事から恋に変わる瞬間、あなたならどう描きますか?
「みれん」という課題があります。描くポイントは、一旦みれんを断つ流れをいれる処にあります。アンチを描くからこそ、想いの強さが伝わるというテクニックです。
「みれん」もまた現代人に縁遠い言葉ですね。みれんにもがき苦しむいとまもなく、数分数秒ごとに、あたらしい友だちとつながっちゃったぁ、てな時代なんですから…… 反対に、現代人に縁遠い感情をさがして描くのが、フィクションの壺なのかもしれません。
『黒い瞳』は大好きな映画です。お金持ちでしっかり者の妻がいる中年男が主人公。なんの張りあいもない人生に飽き飽きしていて、何年も働かず怠惰な生活を送っています。そんな彼がイタリアの湯治場をおとずれて、純白のドレスを着た、黒い瞳の、子犬をつれた、ロシアの貴婦人とであい、一夜きりのアバンチュールを。その後、黒い瞳が忘れられなくてイタリアからロシアへ奔走する男。彼女は親子ほど歳のはなれた富豪の妻。湯治場でつれていた子犬がいることから、彼女の不自由な身の上を察します。一旦恋をあきらめイタリアへ戻ろうとするのですが、しかし、ふたたび恋に憑かれ彼女のもとへ……
この一旦、そしてあと追い、ここがミソなんです。チェホフの短篇小説『子犬を連れた奥さん』が原作ですが、人生に飽き飽きしていた主人公の深層心理に、恋の必然性が据えられている処が勉強になりますね。監督のニキータ・ミハルコフはチェホフの『機械仕掛けのピアノの為の未完成の戯曲』も映画化していて、これもまたすばらしい夫婦愛の物語です。
あと追いは『三丁目の夕日』でも効果的に描かれています。少年が大会社社長の息子としった小説家志望の主人公。社長に引きわたす覚悟をしますが、途中まで少年を追って、一旦あきらめ、ふたたび追うことに……
暑中お見舞い申し上げます。
永六輔さんがお亡くなりになりました。作詞された歌の数々、どの歌もやさしくて、奇を衒っていないものばかり。いい歌の時代に生きられて良かったぁと思います。
ただ、わたしが子どものころにテレビの画面から受けた永氏の印象は、「怖いおじさん」と云ったものでした。なぜそう思ったのか、すこして考えてみました。よく子どもには幽霊がみえるって云いますね。猛暑きびしきおり、寒くなるお話をと云うわけではありませんが……
テレビでは笑顔の人がたくさんでてきますし、そのなかでも、人を真にハッピーにしようと笑顔に務める人もいれば、笑顔を売りものにしているだけの人も。このごろは、むくれることを売りものにしている人もいる始末。永氏の場合、他の出演者とスタンスがことなったのは、書き手であることです。書き手に仏頂面が許される、などと高慢なことでは決してなく、発言者としての芯の強さがおありだったのでしょう。そして視聴者に、「笑顔でない僕を嫌ってもいいのですよ」と選択肢を与える、やさしさもおありだったのかもしれません。でてくる人みんなを好きにならせるパンドラの箱の体裁をテレビが保っているのなら、そこに強制しないでおく良心も必要、そんなことを考えました。
みんな面白いし、みんな笑顔なのに、なんでこの人だけ怖い顔してるの? きっと子どものわたしはそう思ったのでしょう。珍しいことを感じやすいのは、子どもの眸が澄んでいるからなのでしょうね。
昭和の文化が本当に終わりを告げつつある今、未来につなげられるのかどうか、一端を担うわたしたちも、本当に考えましょう。澄んだ眸の子どもたちに、いいファンタジーを。いい物語を。
石垣島、西表島へショートシネマの撮影旅行にいってきました。すばらしい築三百年の民家や、夕日の海岸へロケハンにご案内くださった方に、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ちょうどかさねて先日、『男はつらいよ寅次郎 ハイビスカスの華』を観ました。旅の思い出もあいまり、ハイビスカスが切に幸せを願う女心の象徴と、感慨ひとしお。そのときどきの人生観により、伝わることがかわります。小説も、映画も…… そんなことを感じました。
寅さんはてきや稼業。リリーはキャバレーの歌手。ともに旅生活をつづけています。それが、心の底では平凡に男女仲よく、ひとっ処で暮らしたいと願っています。かたぎの女のように、ちょっとした軽い寅さんの浮気癖を妬むリリー。寅さんはそんな女心がわからずに的はずれなうけ応え。リリーは傷つき、口論からふたりは喧嘩別れします。のちに柴又で再会し、とらやの居間でリリーが沖縄民謡を口ずさみます。歌声に寅さんは思わず、「世帯をもとうか」と云ってしまいます。沖縄民謡が、人、本来のあるべき想いをめんめんと伝えていて、しみじみと表現されていました。説明なくして描く…… たいせつですね。
山の中で暮らし、野菜を手作りし、料理されているおばぁさんの番組をみました。菜の花を炒めているだけの料理なのに、菜の花を愛おしみ炒めていらっしゃる姿に感動しました。水分の飛ばし方、青みの美しさ。素材を愛すことはたいせつです。
さてシナリオの一番たいせつな素材は、人間です。時代にウケルモチーフよりも、一番たいせつな素材は人間です。お話を考えるときのヒントに「三題噺」がありますが、寅次郎とリリーとハイビスカスとかけて、なんととく? どの素材もみごとに描かれていました。
越前へ温泉旅行をしました。このごろ中居さんに若い女性がふえていることが気になっていました。部屋食に人気があるようで、となると中居さんもたいへんな重労働。ご年配では重い食器も運べず、集団就職で温泉街へこられた二十歳そこそこの方が多いようです。
仲良しになれたのは日本&フィリピンのハーフの中居さん。和服すがたの脚がすらりと長いと思っていたら案の定。マカオの明るさを冬の北陸で感じられるなんて、ほんとグローバル。彼女の彼氏はすぐ隣のライバル宿にご勤務で、ふたりの仲は秘密なのだそうです。ドラマがこれから起こりそうですが、明るい彼女の笑顔が永遠に失せないことを願います。がんばってね、と云ってお別れしました。
ちかくに「みくに龍翔館」という白亜五層八角のデザインで、てっぺんがデコレーションケーキのような、不思議レトロな建物がありました。明治六年に「お雇い外国人」として来日したオランダ人土木技術者ゲオルギ・アルノルド・エッセルと云う人が設計し、彼は明治十一年に離日しています。そしてエッセルの息子のマウリッツ・エッシャーという人は、世界的に有名なだまし絵版画家です。
「お雇い外国人」とは、幕末明治に欧米の先進技術や学問制度を輸入するために、幕府政府から招聘、雇用された外国人を云いますが、興味を惹かれるのはロマンスの匂いがするあたり。エッセル三十歳代の越前暮らし。現地の奥さんもいたそうです。雪ふかい町をオランダ男性と日本女性が別れを儚みつつそぞろ歩くくうしろすがたが浮かびます。息子さんがだまし絵大家というのにも、混沌たる情念の香りがします。ちなみにエッセルはかつての大阪川口居留地に暮らし、淀川の修復もおこなっています。なんとなく他人ごとと思えないのも、私の人生なじみすぎた淀川のせいでしょうか?
或る日の夕暮れまえ、阪急京都線の電車の座席に坐り、電子書籍リーダーで小説を読んでいました。すると、冬枯れも感じさせない山崎あたりの山々をすぎたころ、大学生くらいの男の子と女の子のこんな会話が聴こえてきました。なにげなく心惹かれて、ふと耳を澄ましました。
「わたし、恋人にしたいねん、毛布って」
「あいつって、ほんま、ええ奴やなぁ」
共通の、友だちの話?
「あったかいし、わたしのこと全部くるんでくれるし、いつまでもいっしょにいたいねん」
「うんうん、ほかのもん、なんもいらんね、冬の朝なんか」
と、実際の毛布のあたたかさをふたりはクスクス笑いながら、楽しそうに話していました。女の子が男の子の気持ちをしりたくて、毛布にやきもちを妬いてほしいから、こんな話をしているのでしょうか? かもしれませんが、なんてステキな会話をする子たちなんだろうと思いました。毛布がライバルであるかのような擬人化のポエムに恋心がみえ隠れしていて、レイモン・ペイネの描く恋人たちの絵画を連想させられました。車内の他の人たちはほとんどみんなスマフォの画面と睨めっこ。ちょっと哀しいなと思いつつも、わたしもまた書籍リーダーに心を奪われていたのですから、さしてちがいはありません。
「君の名は。」のプロデューサー兼小説家の川村元気さんがこんなことをいっていました。
「或るとき電車に乗っていて、窓の外に虹をみた。ふと車内をみると、乗客はみんなスマフォの画面をみていて、誰ひとり、つい今しがたの虹をしらなかった」と。
或るときは窓の外に目をとめて、或るときはペイネのような恋の世界を感じても……
ずいぶんまえのこと、船旅で南洋諸島へいきました。ゆけどもゆけども、みわたすかぎり溶けあう空と太平洋。ながめていると、日々の悩みなんてちっぽけなもんだなと思えてきました。大自然に想いをはせることは、名画の映画をみるのと同じように人生その都度さまざまで、或る青年は太平洋をまえに、人生航路へ坂本竜馬のような大志を抱き、或るおばちゃんは自分の悩みのちっぽけさに気づかされ、癒されて。
青春の煌めきのような沖縄の紺碧の海。おだやかな母の羊水にひたっているかのような瀬戸内海。生きるきびしさとそれを乗りこえる勇気をさずかる父のような日本海。弦のリズムにゆさぶられるエーゲ海。すんません、エーゲ海にいったことありませんでした!
かつてアランドロンが自宅にプラネタリゥム・ルームがあると云っていました。天体を仰ぎ身をおくと、自分の悩みのちっぽけさに気づかされるそうです。
俯瞰してみると、いろんなことがみえてきます。シリアスドラマの視線は真横から。喜劇の視線は地球の斜め上にいて、主人公を見守っているお日さまの目。
女の人が哀しくて泣いています。それを真横からの視線で描くなら、哀しみを掘りさげて描きます。斜めうえのお日さまからは、泣いているのにお腹の虫がぐうっと鳴り、首をかしげる彼女の横顔がみえます。そばに立てかけられた鏡のなかの自分の姿にびっくりおどろく彼女もみえます。なぜなら彼女は自分を夏目雅子のように美しい悲劇のヒロインと勘違いしていたのが、鏡のなかにはとんでもないぶちゃいくなおばちゃんがいたからです。彼女はその方が哀しくなってきて、やがて笑いはじめ、それをお日さまは見守っています。
春一番もややすぎて古都の小路をいけば、もの作りの息づかいが包みこんでくれます。
友禅の型彫り職人をお父さまがなさっていた生徒さんから、美しい装丁表紙のコピーをいただきました。日本文学に造詣のあることで有名なアメリカ人文学者の著作集で、装丁にお父さまの作品が選ばれたとのことです。薄い和紙を張りあわせた渋紙にさまざまな模様をひとつひとつ彫刻刀で手彫りする型彫り。和装が衰退し、プリントと友禅の違いへのこだわりをもつお客さんも減り、後継者も少なくなったそうです。歴史ある日本文化の後継者がいなくなっていくと思うと、せつなくなりました。
その日はそれから、路地裏にある小さな額縁屋さんまで散歩しました。おじいちゃんおふたりが額を手作りし商っていらっしゃるお店です。京都は舞子さん、芸者さんが可愛らしい手作りの額に写真を飾る習慣があるようで、小さな小さな五角形六角形の額や、パールホワイトに淡いピンクの小薔薇がらの額など、ロマンティックな額を商うお店があります。それもまた後継問題や量産価格の兼ねあいもあいまって、むずかしい時代を迎えているようですが、額のもつ使命と夢想への、おじいちゃんたちのこだわりに惹かれます。作品は、作品を更に息吹かせてくれる額があってこそ。額が、額のなかの絵画や写真に負けまいとしては不粋であるものの、作者の創意をどれほどうけとめ広げられるか? あくまで謙虚でありながら、威風堂々たる名バイプレイヤー然とされたご姿勢は、額縁屋さんの真骨頂です。
その日は五角形、六角形のみならず二十角形の額をいただくことにしました。アクリル板を保護する薄いペーパーシートまで、すみずみたがわず二十角形に切りとられていたのには感激。ここまで作らなければ、作って生きている気がしない。心意気を見習いたい!
ゴールデンウィーク中に『風と共に去りぬ』を観ました。レッド・バトラーがスカーレットに最後に別れを告げるセリフ。
「君にわたしのハンカチをあげよう。人生のいかなる危機に瀕しても、決してハンカチを手にしたことがなかった君だ」
ラストまでに幾度かハンカチが登場します。レッドの愛人、娼館女主のベルが負傷兵の基金にとお金をハンカチに包んで届けます。ハンカチにはRBのイニシャルが。スカーレットはレッドとベルの仲に嫉妬を示します。
妹の恋人を奪って結婚した夫の死。罪の意識からアルコール依存症になったスカーレットが昼間からお酒を煽っているとレッドが訪れたことをしり、コロンでうがいして口臭を消します。すぐさま芝居を見破った彼に彼女は罪の意識をぶちまけ泣きむせびます。彼は彼女に「さぁ、涙をふきなさい」とハンカチを差しだし、ひざまずき求婚のプロポーズを。ふかみのあるラストのハンカチのセリフ。さりげなく用意されている伏線のハンカチ。その効果に感心しました。
「君にハンカチを」……このセリフの男心はどう思われますか? 観るたび、人生観により、ことなるのでしょうね。わたしはこのセリフから彼の彼女への愛のふかさを感じました。戦争をはさみ、どんな困難も乗りこえてきた気性の激しい彼女の、弱い一面に愛おしさを抑えきれずにきた彼はハンカチを差しだし抱きしめてきました。けれども今回は僕の去ったあとの悲しみを抱きしめてあげられない。代わりにハンカチを。くやしまぎれの捨てゼリフととれないところに、偽悪家として描かれているレッドの、真の善とは? とつねに考察する人物像の魅力を感じました。どうすればいいのと泣きながら問いただす彼女に、「知ったことじゃない」と彼は霧のなかへ去ってゆき……
彼女は愁いある端正な文学青年に初恋をしました。まもなく彼は戦死し、野性的で悪評のたつアウトサイダーにふたつめの恋を。気性の激しいふたりはすぐに終止符へ。そのふたりを見守ってきた友人への恋が三つめの恋。内気な彼は彼女を静かな愛で包んでくれました。
『風と共に去りぬ』の作者マーガレット・ミッチェルの三つの恋。初恋の彼の死。哀しみを埋めるように火花を散らしたアウトサイダーへの恋。彼はレッドの原形となる男性で、赤毛であるところから仇名もレッド。彼女に小説を書くことをすすめ、支えつづけた三つめの恋の相手は終生の夫に。小説の冒頭に彼女は夫に捧ぐと残しています。
三つの恋の流れ、女性ならだれしもうなずけるような…。初恋の相手は知的な美少年。すこし大人になると悪そうで危なそうな男に惹かれるもののつづかず、最後はやさしい男。
日本の物語とことなると思いましたのは、危険な香りがするレッドに、世間が彼をいかにセックスアピールむんむんの男とみようが、彼女自身は父性を求めているところです。やっと手にいれた安定の城で、少女のように甘えたくてしょうがなかったのでしょう。映画でも彼女の父親が老いて弱ってゆく姿が、レッドの対比としてカットバックされています。日本の物語は女が母性を強めてゆくお話が多く、わたしこそがついてなくちゃなんないのよと、がんばる女の姿が。織田作之助の『夫婦善哉』に象徴されるように、関西には特に多いですね。
実際の赤毛のレッドは彼女がいつまでも初恋の彼のことを語るのに耐えられなくなったそうです。終生の夫もふたりの元カレの話をいつまでも聴かされるのが嫌なので、小説を書くことをすすめたのでしょう。話すより書く方が人迷惑でないのかもしれませんが、みごとにフィクション化することがたいせつですね。
2017年6月29日 発行 初版
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